スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

勝島王冠&納棺の儀

2011-11-30 20:42:28 | 地方競馬
 今年の大井競馬のトゥインクル開催もいよいよラスト。開催メーンが今日の第3回勝島王冠。人気が予想されたテラザクラウドが左前脚の捻挫で出走を取り消し,また,ラインジュエルが競走除外で14頭。さらにスマートインパルスが御神本騎手からムンロ騎手に変更。
 前走で逃げていたのは1頭だけ。ここもすんなりとヴァイタルシーズの逃げ。2番手にラストキングで内の3番手がスマートインパルス。最初の800mは50秒7というスローペースで,好位のカキツバタロイヤル,ツルオカオウジの2頭は少し掛かっていたように見えました。
 その人気の2頭が3コーナーから外を進出。前2頭と雁行で直線に。2頭の叩き合いからは外のツルオカオウジが出たのですが,一旦は控える形になったスマートインパルスがカキツバタロイヤルの内から鋭く伸び,外の2頭をまとめて交わして優勝。ツルオカオウジが2着でカキツバタロイヤルが3着。
 優勝したスマートインパルスは船橋でデビューして3歳の秋に東海に移籍。今年の2月に今度は大井に戻ってきました。7月から5連勝してクラスを上げ,前々走は敗退したものの前走でまた勝っていた上昇馬。南関東重賞は大井移籍後は初挑戦で初制覇。ここにきて本格化してきた馬ですので,この後もしばらくは活躍し続けることができるだろうと思います。また今日は急な乗り替わりとなった鞍上の手腕も光ったという印象です。父はクラフティワイフの仔のスパイキュール。ブルードメアサイアーは1988年のJRA賞年度代表馬のタマモクロス。シンガポールで重賞を3勝した日本産のJolie's Shinjuと同じ一族です。
 騎乗したイギリスのアラン・ムンロ騎手はマイルグランプリに続いて南関東重賞2勝目。歴史が浅い南関東重賞で,管理している大井の三坂盛雄調教師も勝島王冠初勝利。

 納棺の儀というのは,文字通りで,ベッドないしはストレッチャーに横たえられた遺体を,棺の中に納めるというもの。大抵の場合,単に遺体だけを納めるのではなく,故人が愛用したものなどを共に納めるものだと思います。もちろんこのときのK伯母の場合もそうでしたし,昨夏ののときも同様でした。ただ,納棺の儀は当然ながら通夜の前には行っておかなければならないことですが,このときのように,遺体安置所で執り行うというのは,もしかしたら珍しいことであったかもしれません。
 それからこのとき,遺体を棺に納める前に,死化粧をしました。父の最期のときもそうであったように,死化粧というのは死んだ直後,したがって多くの場合は病院でということになるかと思いますが,そこで施すものです。もちろんK伯母の場合もそうであったのですが,窒息が死因となりますと,遺体は死後に鬱血してくるのだそうです。実際にこのときのK伯母の遺体も,僕たちが一般的にイメージするような人間の死体と比較すれば,明らかに赤みがありました。この納棺の儀の直前の死化粧は,その赤みを隠すために施したものです。
 いずれにしても納棺の儀は,通夜や葬儀と比べた場合にはそれほど儀式めいたものではありません。10分か15分くらいで終了しました。よってそれでもう帰ってもよかったのですが,別に部屋を借りまして,そこで今後の段取りなどについて打ち合わせを行いました。喪主はY伯父に決定していますし,通夜や葬儀,また斎場などはすでに決定済み。ただ,お返しをどうするかとか,料理をどうするのか,また祭壇をどう飾るのかなどといったことがまだ決まってなく,ここで決定して葬儀屋に依頼する必要があったのです。大方の事柄というのは一般的な常識の範囲内で決定することが可能ではありますが,Y伯父は喪主をやるというのはこれが初めて。僕たちはが喪主として1年ほど前に父の一連の儀式を執り行ったばかりです。そうした中では,実際に経験しなければ分からないようなこと,たとえば骨壷というのはあまり重いものを選択してしまうと過度の負担が掛かるというようなことは知り得ません。それなりに役に立つ助言ができたのではないかと思います。
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大山名人杯倉敷藤花戦&遺体安置所

2011-11-29 18:38:17 | 将棋
 第19期倉敷藤花戦三番勝負第二局は,一昨日,主催でもある倉敷市で指されました。
 後手の里見香奈倉敷藤花のごきげん中飛車に清水市代女流六段は最も得意とする③AⅠで対抗。先手が2筋を交換したのに対して後手は浮飛車で対抗。先手の飛車先が重くなったところで後手が本格的な戦いに誘導。これが機敏であったようで,中盤の半ばではすでに後手がリードしていたものと思われます。
                         
 ここで後手は△6七銀と打っていきました。いかにも乱暴な感じですが,自玉が安全なので成立はしていたよう。▲同金△5七桂成▲同歩△4六飛までは一本道。▲1一角成もごく自然な指し手という印象。△3三歩と落ち着いて閉じ込めました。
                         
 先手は飛車成りを受ける必要があり,飛車に当てて▲4八香だったのですが,これはたぶん失着で,負けを早めてしまったように思います。△4七歩は当然で,▲2一馬としたのですが構わず△4八歩成とされ,あとはほぼ一方的に攻め倒して後手の勝ちとなっています。
 里見倉敷藤花が連勝で防衛。またタイトル戦負け知らずの記録を伸ばしました。両者は女流名人位戦での再戦が決まっていますが,どうなるでしょうか。

 詳しい情報が入っていなかったために,K伯母の死の状況についてはこの時点では不明でしたが,いずれにしても急死してしまったということは受け止めなければならない事実です。したがって,通夜や葬儀の日取りなどは早急に決定する必要があったのです。
 これは以前に記した通りで,K伯母の夫は故人,そして子どもはありませんでした。また,夫の親族との交流というのはほとんど途絶えていましたから,K伯母自身の血族ですべてを決定する必要があります。喪主は結果的に最後にK伯母の世話をすることになったK伯母の弟,僕のの長兄にあたるY伯父に決定。また,急死した前日に寺で母と会っていたことからも分かりますように,K伯母は熱心な信者でしたから,この寺の協力も得ることができました。現実的な話をすれば,葬儀などにはそれなりの費用も必要となりますが,K伯母にはそれなりの遺産があり,通帳と印鑑は入院中はK伯母の姉であるH伯母に預けてあったとのこと。そこから捻出すれば十分に賄うことができるだけのものがあったようです。
 K伯母の遺体は病院から安置所に移送されたとのこと。この安置所は葬儀屋の施設でした。そこで死んで2日後となる10月3日に,納棺を行うことになりました。これが午後1時から。が行くということでしたので,僕も時間を作って同行することにしました。場所がよく分からなかったので調べてみたのですが,相鉄線の二俣川駅から,母のことを考えても歩いていくことができそうな距離。この日は月曜で,妹の新たなる支援である迎えがある日ですから,時間の心配はほとんどする必要がありません。二俣川駅と安置所との間にはファミリーレストランがあるということも判明したので,少し早く,午前11時頃に家を出て,そこで昼食を摂ってから安置所へ向いました。到着したのは予定の時間であった午後1時の10分か15分前だったと思います。すでにY伯父の夫婦と,急死の前日にK伯母を病院と寺へ送迎したМ伯父夫婦の4人は僕たちを待っていました。この日はこれだけということでしたので,僕たちは着くなり安置所に通され,予定よりは少し早かったのですが,納棺の儀が開始されたのです。
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東日本大震災被災地支援静岡記念&K伯母の急死

2011-11-28 19:03:50 | 競輪
 直後に競輪祭が控えている関係で強豪の参戦が少なく,混戦模様と目された静岡記念の決勝。並びは菊地-明田-小野-大槻の北日本,中村-奥谷-紫原-新井の西日本で,藤原が単騎。
 前受けは菊地。必然的に5番手が藤原,6番手以降に遠征勢で周回。残り2周のホームで上昇した中村が菊地を叩くと,切り替えた藤原まで出きってバック。打鐘を迎えてもスローペース。菊地は4コーナーから山おろしをかけるように発進し,ラインの4人をすべて引き連れてかまし先行。バックから紫原が捲って出ましたが,これは明田が牽制。その明田が返す刀で踏み込むと抜け出して優勝。マークの小野が2着で逃げた菊地が3着と,北日本の上位独占。
 優勝した北海道の明田春喜選手はこれが記念競輪初優勝。冒頭に記した理由でここはそれほど強い選手が集結してなく,その中では北日本にわりと有力選手が多かったので,恵まれた部分は否めません。今日は何といっても菊地が上手く駆けたのがレースのポイント。番手の仕事をしての優勝ですので,その点は称えていいのではないかと思います。

 翌日は月が変わって10月1日。まだ就寝中であった早朝,午前5時頃に電話が鳴りました。常識的にいってもこんな時間の電話というのは尋常ではありません。電話の相手はの長兄にあたるY伯父で,K伯母が急死したという内容でした。実際に電話を受けたのは僕ではなく母であり,僕も母から聞いて大変に驚いたわけですが,母は前日には実際にK伯母と会ったばかりだったのですから,僕以上の驚きがあったのではないかと思います。
 後に正確なところが判明するのですが,このときに得ることができた情報というのは,ひとつはK伯母が死んだのはこの日の午前3時頃であったということで,もうひとつは死因は食べ物を喉に詰まらせての窒息死であったということでした。しかしさすがに僕はこの話を聞いて訝しく思いました。K伯母が入院していたところが,リハビリ患者だけを専門に扱うような病院であったのか,それとも母が入院していた磯子中央病院のように,総合病院に併設する形でリハビリ病棟があったのかは分かりません。ただ,病院であることには違いがないわけで,午前3時頃に何か食べるものが与えられるということは考えられません。したがってK伯母が食べたものが喉に詰まったのであるとすれば,K伯母自身が何か食べるものを用意しておいて,それを食べて窒息してしまったということになります。ただ,仮にそうしたものをK伯母が用意しておいた,たとえば母は入院中はお菓子や果物を僕が差し入れていましたから実際にそういうことがあったので,K伯母の場合にもそれは考えられないことではありませんでしたが,それを午前3時頃に摂取するというのがまず普通ではありません。もちろん夜中に目が覚めて,小腹が空いていたから何かをつまむというようなことはあり得ないことではありませんから,実際にそういうことがあったのだとしても,喉に詰まってしまうほど食べるというのはやはり考えられないように思いました。それにそもそも,喉が詰まってしまうような危険性がある食べ物を,病人に差し入れるということ自体が非常識です。ただ,K伯母は自分で歩けましたから,もしかしたらそれはK伯母自身が用意しておいたものだったのだろうかと考えていたのです。
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ジャパンカップ&リハビリ病院

2011-11-27 19:14:52 | 中央競馬
 アメリカから1頭,フランスから2頭,ドイツから1頭の招待馬を交えて争われた第31回ジャパンカップ
 アメリカのミッションアプルーヴドとフランスのシャレータは逃げて持ち味を生かしてきた馬。日本馬に逃げ馬はいませんでしたのでどちらかが逃げることになるのではないかと思っていましたが,ミッションアプルーヴドの先導になりました。トーセンジョーダンが2番手で,開いた3番手にトレイルブレイザー。以降は集団で,トゥザグローリー,キングトップガン,ブエナビスタ,ローズキングダムなど。最初の1000mが61秒8というスローペースでしたので,なぜ3番手以降が離れる展開となったのか,やや不可解に感じます。
 残り1200mあたりの向正面で,このペースに業を煮やしたか後方2番手からウインバリアシオンが外を一気に進出し,ミッションアプルーヴドの2番手に。一旦は控えたトーセンジョーダンが,直線ではこの2頭の外に持ち出し,内の2頭を交わして先頭。その外に並び掛けたのがブエナビスタで,最後はこの2頭の叩き合い。外のブエナビスタが競り落として優勝。トーセンジョーダンが2着。結果的に勝ち馬マークのようなレースになったジャガーメイルが勝ち馬より内を伸びて3着。
 優勝したブエナビスタは昨秋の天皇賞以来となる大レース6勝目。その後は記録上は勝てずにいましたが,1着降着もありましたし,海外遠征を除けばそうも負けているわけではなく,力が衰えていたわけではありません。ここはそれを見事に証明してみせた形。現役生活はもう長くはないものと思われますが,歴史的名牝の1頭と考えてよいだろうと思います。父はスペシャルウィークで父娘制覇。母はビワハイジ,祖母はアグサン。Buena Vistaはスペイン語で絶景。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は先月の秋華賞に続き今秋の大レース2勝目。管理している松田博資[ひろよし]調教師は桜花賞以来の大レース制覇。このコンビで第27回を制していて,共にそれ以来のジャパンカップ2勝目。

 次回は11月21日,やはりこの日と同様に午後2時半の診察に決定。ということで新しく決定された対処に則り,翌日からは午後に長時間の外出が予測されるときには注射するインスリンの量を減じることにしたのですが,その結果などについては,その日の診察について記すときにまとめて報告することにします。
 この週の金曜日,9月30日ですが,寺に用事があるとのことで,母が出掛けていきました。するとK伯母が来ていたのだそうです。
 この当時のK伯母の状況については,父の一周忌法要のときに少しだけ触れましたが,入院の原因となった泌尿器系の病気に関しては完治し,すでにリハビリ病院の方に転院していました。このときにK伯母が寺に出向いていたのは,そのリハビリ病院から退院していたということではなく,外出許可をもらっての外出であったとのこと。ただ,ひとりで病院から寺まで来るということはできずに,父のすぐ上の兄,つまりK伯母からみれば弟ということになりますが,その伯父に送迎を頼んだとのこと。ここではこの伯父についてはМ伯父といっておくことにします。
 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが,リハビリのために入院しますと,3ヶ月が経過すると退院しなければいけないという決まりになっています。もちろん3ヶ月が経てば必ず家に戻ることができる状況になるとか,あるいは同居の家族がいる場合に,家族が受け入れることが可能な状況にまで回復するというものではありません。このために,3ヶ月が経過するごとに病院を転々としている患者というのは,全国で考えればかなりの数に上るであろうと思われます。
 K伯母の場合,このときに入院していた病院に転院となった正確な日付は不明ですが,そこに入院していられる期間はあと1カ月強であったと思われます。ただ,K伯母自身はそのときには別の病院へと移るのではなく,自宅に帰る気満々であったようです。つまりこのときの外出は,そのためのリハビリのひとつであったと考えてよいのではないかと思います。
 このときK伯母は昼食に太巻きなどを食べて,痩せてはいたけれども順調に回復しているようだったと母は教えてくれました。
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霧島酒造杯女流王将戦&対処

2011-11-26 19:24:36 | 将棋
 先週の土曜に放送された第33期女流王将戦三番勝負第二局。対局日は10月18日。
 里見香奈女流王将の先手で▲7六歩△3四歩▲7五歩△3五歩▲7八飛。てっきり相三間飛車になると思っていたら石橋幸緒女流四段はここで△8八角成▲同銀と交換し△4五角と打ちました。以下▲7六角△2二飛▲3八金△4二銀と互いに角成を受け合って力戦型の相振飛車に。先後が決まっていますから,石橋四段の作戦でしょう。
 この将棋は結果的に中盤で大差となってしまいました。
                         
 ここで先手はいきなり▲3六歩といきました。普通は△同歩でしょうが△3三銀。▲3五歩の取り込みに△2五角。放置すれば△4七角成~△2七飛成がありますので▲6五角の受け。▲8三角成を受けて△7ニ金に▲3七金と上がったのが力強い手で,後手は歩を取り返しにいくことができなくなり,先手の一歩得が確定。まずここで少し差がついたのではないかと思います。後手は先に△1四角と引き,先手は▲2六歩と突きました。
                         
 ここで△2五歩と合わせていったのですがこれが失着で,厳しい見方をすれば敗着に近い手となってしまいました。▲同歩に△同角では▲2六歩で何をやっているのか分かりませんから△同飛。そこで▲2六歩なら△3五飛で歩を取り返せますが▲3六銀と上がられてみると先手の飛車角がよく利いて後手の飛車の成り場所がありません。△2二飛ではまた何をやっているのか分からないので△2四飛と浮飛車に構えましたが,▲2四歩△6四飛以下,この中団飛車を狙われる形になり,後手は必死の防戦。反撃に転じたものの先手に冷静に受けられ,先手は第2図の3七の金が4七~5六~5五と進出して飛車を捕獲するというのが間に合うような展開に。その飛車を入手するや否や鮮やかに決めました。
 里見女流王将が2連勝で防衛。タイトル戦の番勝負ではいまだに負け知らず。だれがそれを止めることになるのでしょうか。

 実際にこの時期の気温が高かったということが,今回のヘモグロビンA1c6.5%という数値の原因であったのかどうか,正しいところは不明です。ただ,低血糖の状態が現に発生していたということは紛れもない事実でありましたから,これについては何らかの対処が必要とされました。僕は,午後の時間帯に外を出歩くことが多いときに,低血糖になるケースがあるという主旨の説明をМ先生にしました。М先生はそれに対し,出歩くことを事前に把握することができるかどうかを尋ねました。
 実のところこの質問は僕には難しいものでした。事前に立ててあった予定が急に覆る,この場合は昼食前に注射する超速効型のインスリンンが問題となると思われますので,その予定は昼食前までに把握できればよいわけですが,それが午後になって急に覆るということはまずありません。ですから質問そのものに対する解答というのはイエスしかあり得ませんでした。
 ただし,出歩いた場合にほぼ低血糖になっていたというわけではなく,その時間が長くなると発症してしまうケースが多かったわけです。したがって大切なのは単に出歩くことになるのかどうかということではなくて,それが長時間に及ぶのかどうかということであったわけです。もちろん時間の把握というのも,決まったこと,あるいは過去に経験したことであれば,かなりの目途を立てることが可能です。しかしそうでない場合というのも僕の場合にはよくありまして,その場合にも時間の予測というのは常に事前にしてはおくのですが,思いのほか長時間となってしまうこともありますし,それとは逆に予測していたよりもずっと短い時間で済ますことができるという場合も出てくるのです。もちろん未来についてそれを正しく把握することが人間には不可能なことですから,こうしたことはきわめて当然でしょうし,また少なくともМ先生に対して詳しく説明するまでもないことではありました。
 そこで,事前に長時間の外出が予測される場合に限り,昼食前のインスリンの量を0.02ml減らして0.06mlにするというのが,このときに出された指示でした。つまり注射するインスリンの量が,その後に予想される状況に応じて日によって変化するということになったわけです。
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竜王戦&気温

2011-11-25 19:03:04 | 将棋
 東日本大震災の影響を最も多く受けてしまったと思われる福島での対局となった第24期竜王戦七番勝負第四局。
 丸山忠久九段の最も得意とする角換り相腰掛銀渡辺明竜王が受けて立つ将棋。後手が6筋位取りの形に。手を渡し合った末に先手から仕掛けて開戦。しばらくは先手の攻め,後手の受けと攻守がはっきりとした展開。先手は駒損の攻めで駒を蓄えた後手が反撃に出ました。
                         
 先手が銀を取ったところ。普通は△5五同歩だと思うのですが△8四香打でした。先手は▲3ニ銀でこれには△1二銀の受け。▲2四歩は継続手。ここから△8六香と走り,▲同銀△同香▲8七歩。これも△同香成と取ってしまい▲同金にも△同飛成。▲同玉に△6九角の王手。▲7八香に△8六歩と叩き▲同玉に△7八角成。先手は▲8四金と受けました。対して△8二香。
                         
 上部に連れ出された先手は入玉するより勝ち目はないので▲7五玉は確かに有力だったようには思います。実戦の▲7三角成というのも凄い手ではありますが,普通に△同桂と取られ,▲2一銀成△同銀▲1二歩△同銀▲6一飛の攻防手に△5一桂の中合いが返し技の決め手。それにしても第1図からの後手の一気の寄せは見事でした。
                         
 渡辺竜王が3勝目。相手の最も得意とする戦型で2勝したことになり,これは防衛に向けて視野が大きく広がったといえるのではないでしょうか。第五局は来月の1日と2日です。

 ヘモグロビンA1cがそれまでの水準より低下しても,好ましくないと考えられる場合というのは,薬物としてのインスリンの使用の副作用である低血糖が発生したために,その数値が低下したという場合です。何度かいいましたように,低血糖というのはそれが発生した時点において,生命に関わるような重大な状況だからです。そして実際にこのときの僕には,こうした影響があったかもしれないと思えます。
 食生活も含めた日々の生活において,僕の状況がこの時期に特段に変化したのかといえば,必ずしもそういうわけではありませんでした。ところがこの時期,とくに夕食の前に血糖値を計測しますと,少し低いということが幾度か生じていたのです。僕の場合,午後になると外を回ることの方が多いのですが,とくにその時間が長かったというときに,その傾向が顕著に現れていました。ただし,外に出る時間が長いという状況がこの時期に増加したというわけでは必ずしもなく,そのこと自体はそれ以前と変わっていません。外に出るということは歩き回ることになるわけで,それが期せずして運動療法として作用し,血糖値の低下を招くということはあり得るわけですが,それ以前にはそこまで下がらなかったものが,この時期にはそれ以前に増して下がるようになったというのが,この時期の状況でした。
 ではなぜそのようなことになったのかといえば,その理由というのは僕にはよく分からないのです。ただ,僕自身の感覚的なものでいえば,たとえば同じように歩いたとしても,暑い時期に汗をかいて歩く場合と,さほど暑くない時期にそれほどの汗をかかずに歩く場合とを比較すると,明らかに前者の方が血糖値が低下するようだということは,それ以前から感じていたことではありました。また逆にいえば,寒い時期というのは血糖値が正常とされる水準まで下がることが少ないというのも,やはり同様に感じていたことではあったのです。
 実際に血糖値と気温との間に何らかの関係があるのかどうかは分かりません。ただこのときのHbA1cの値は,まさに1年で最も暑い時期のものではありました。少なくとも経験的にいえば,気温と血糖値との間には,何らかの因果関係があるというように思えるのです。
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農林水産大臣賞典浦和記念&6.5%

2011-11-24 19:27:23 | 地方競馬
 地方馬が連対したときのみ,東京大賞典の優先出走権が与えられることになっている第32回浦和記念。張田京騎手が病気のため,トーセンゴライアスは戸崎圭太騎手に変更。
 逃げてこそ持ち味が生きるエーシンモアオバーの逃げ。最初はやや大きな差をつけていましたが,1周目の正面で縮まりました。2番手はボレアスで,クリールパッションとシビルウォーが前後しながらその後ろ。ボランタスは後方2番手。最初の1000mは64秒1でこれはミドルペース。
 前の4頭が集団を形成しながら直線に。離れた5番手まで追い上げてきていたのがボランタス。直線は前4頭の競り合いから一番外のシビルウォーが抜け,先頭に立ったところへボランタスが襲い掛かり,ゴール前でクビだけ捕えて優勝。シビルウォーが2着で3着はボレアス。
 優勝したボランタスは先月の埼玉栄冠賞から連勝で待望の重賞初制覇。前の4頭は競り合っていましたから恵まれた面があったのは確か。しかしほかの馬を1秒以上も上回る上がりタイムで差しきったのですから,これは実力以外の何ものでもありません。4コーナーでは届かないのではないかと思ったのですが,結果的には絶妙のタイミングで仕掛けていたということになるのでしょう。Voluntasはラテン語。岩波文庫版の『エチカ』では意志と訳されています。
 騎乗したのは川崎の山崎誠士騎手で管理しているのは父である川崎の山崎尋美調教師。共に浦和記念初勝利ですが,山崎尋美調教師は騎手時代には勝ったことがあります。

 そのほかの検査結果ですが,まず前回の検査でやや心配しなければならないような数値となっていたGOTは22で,それ以前の水準に戻っていました。前回の39というのも,上限のぎりぎりではあっても正常値の範囲内でしたから,肝機能に異常が出ていたというほどではないのですが,異常に近いところまでいったのもそのときだけであったということになります。何か特別の措置を講じたというわけではありませんから,それ以前に,実際に肝機能障害があったときと同様に,自然に低下したということになります。GOTとのバランスが重要といわれるGPTも,とくに変化はありませんでした。
 この日の検査結果で最も特筆しておくべきことがあれば,それはヘモグロビンA1cの値が6.5%になっていたということです。この値は,正常とされる値と比べますとまだ高い,すなわちまさに糖尿病と診断される値ではありますが,僕の場合は7%前後でずっと推移してきていましたので,これはかなり下がっているといえます。実際に検査詳細情報を受け取るようになってからこんな値であったことは初めてですし,そもそも2009年の1月に退院した後,2度めの検査で5.8%という,これは糖尿病とも診断されないであろう値が1度だけ出たことを除きますと,最も低い数値でした。その5.8%というのは,検査をした時期から考えて,実際には入院生活を送っていた期間の血糖値が大きく反映したものであると思われますから,退院後の生活の中では,初めて経験するような数値だったのです。
 ヘモグロビンA1cというのは,過去1ヶ月から2ヶ月程度の血糖値の推移の状況の指針ですから,この値が低くなるということは,それだけ血糖値が低い時期が多かったということを示します。もちろん血糖値が正常とされるような範囲でずっと推移するならば,6.5%というような数値は出ず,さらに低くなるでしょう。僕の場合はⅠ型糖尿病ということもあって,そこまでは求められていなかったため,7%前後でよしとされていたわけです。ですから,血糖値が正常である時間が長かったためにHbA1cが低下したのなら問題ありませんが,それ以外の理由だとむしろ好ましくないのです。
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農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&溶血

2011-11-23 19:14:12 | 地方競馬
 今週は交流重賞が2レース。今日は第13回兵庫ジュニアグランプリ
 最内からフリスコベイがハナを奪っての逃げ。ゴーイングパワーが2番手でマークし,やや出負けした感があるシェアースマイルも3番手まで追い上げました。ペースはあまり早くなく,ミドルペース。
 3コーナーを回るとゴーイングパワーがフリスコベイに並び掛け,その外にシェアースマイルで雁行。このまま3頭で直線勝負と思いきや,シェアースマイルは4コーナーで一杯。前の2頭は入れ替わってゴーイングパワーの優勝でフリスコベイが2着。地元のエーシンユリシーズが健闘といっていいであろう3着。
 優勝したゴーイングパワーは7月のデビュー戦を勝つと小倉2歳ステークスの5着を挟んでオープンで2着。その後,自己条件を2着,1着と堅実に走っていました。ダートはここが初挑戦だったのですが,むしろ血統的にはダート向きと思われ,その通りの結果。やはり血統面から,距離の延長には不安を感じます。父がサクラバクシンオーで母の父がフジキセキ。祖母の弟に2006年のマーキュリーカップなど重賞6勝のクーリンガー
 騎乗したのは和田竜二騎手で管理しているのが岩元市三調教師というお馴染みのコンビで,兵庫ジュニアグランプリは共に初制覇。

 検診の予約が無事に終了。そして2時半からの診察となりました。
 もらった検査詳細情報によると,この日もまたオーダーの内容が変更されてありました。前回はそれまでのオーダーに乳ビというのが追加されていたのですが,この日はそれがまたなくなっていたのです。しかしその代わりに,溶血という項目が加わっていたのです。
 たびたびいっていますが僕は医学的知識には長けていません。よってこの溶血というのも具体的にどんな事柄を指すのかは知りませんでした。そこで調べてみたのですが,簡単にいうと,赤血球の細胞膜が損傷することをいうようです。これが起きますと,血液検査の結果に望ましくない影響を及ぼすことがあるようで,そのための検査であったのではないかと思います。したがって,検査結果に対する影響の度合いを測るという意味では,乳ビの検査と同様であると考えてよいのだろうと思います。
 また,溶血というのは単に血液検査への影響を与えるというだけでなく,たとえばその度合いが激しいと,その血液を輸血に用いることはできないようです。また,一口に溶血といっても,血液を採取した後で,身体の外で生じる溶血と,そもそも身体のうちで生じる溶血というのがあるようで,後者のタイプの溶血は,貧血をもたらすこともあるそうです。僕の検査結果は弱溶血となっていました。したがっていくらか溶血を起こしていたということになるのでしょう。これはもちろん検査の結果としてそのように出たものですから,その溶血が僕自身の身体のうちですでに生じていたのか,それとも採血の後,僕の身体から抜かれた検体としての血液が溶血を起こしたのかは分かりません。ただ,一般的に検査結果として弱溶血と記されている場合には,採血後の過程で溶血が生じたと理解してよいようではあります。また,この弱溶血という結果が,その他のオーダーの結果に対して,どの程度の影響をもたらしていたのかも僕には分かりませんが,М先生はこれを特別に問題視しませんでしたし,そもそも重大な悪影響を与えてしまうような結果であるならば,再検査ということになるのが自然でしょうから,そうしたことはなかったのであろうと理解しています。
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霧島酒造杯女流王将戦&検診の予約

2011-11-22 19:50:13 | 将棋
 12日に放映された第33期女流王将戦三番勝負第一局。対局は10月8日で,対戦成績は里見香奈女流王将が3勝,石橋幸緒女流四段が2勝。ただし石橋四段の1勝はNHK杯の予選で,これは女流棋戦の結果には含まれないようです。
 振駒はと金が5枚で石橋四段の先手。早々に四間飛車を明示。後手は角交換から向飛車にして相振飛車。互いにあまり堅くない玉のかなり力戦調の将棋に。後手に何らかの見落としがあったようで先手があっさりと馬を作ることに成功し,やや優位に立ちました。しかしこの将棋はその後のあまり離されずについていく後手の指し方が見事でした。
                         
 ここで後手は△2八歩と打ちましたが,これが後の逆転の布石となります。一旦▲8四歩と突きさすがにこれは△同歩。そこで▲2八金と戻したのに△4五桂。▲8三歩と垂らすのも有力でしたが▲8二歩の直接手。△同金で応じ▲7七桂と溜めた手にじっと△7ニ金と戻しました。勇躍▲6五桂と跳ね出しこれには△5ニ金の一手。そこでかなり迷ったようですが▲8二歩とまた叩きました。今度は△同王。こうなれば▲8四銀△8三歩▲同銀成△同金▲8四歩△同金▲同飛△8三歩までは一本道。先手は▲8七飛で飛車の位置を変えました。
                         
 先手の狙いは4五の桂馬を取っての▲6四桂。飛車が8八にいると△5五角の飛車金両取りがあるので飛車の位置を変えたわけです。ここで後手は△7四銀と玉頭を受けたので先手は狙いの▲4五銀。▲6四桂は許せないので△5五角はこの一手。金取りですのでここは受ける必要があり,▲4六歩△同角と近付けました。
                         
 ここは手の流れとしては▲3七歩。以下は△3一飛▲5六金もしくは▲4七金でややゆっくりとした展開になることが予想されます。ところが実戦は▲3八金と逃げたために△4五銀▲同馬とされてから△1九角成と香車を取られ,△4四香を見せられ忙しいことになってしまいました。これならば4七に歩を残しておいた方がよかったと考えられるわけで。ここでどうやらひっくり返ったようです。以下は後手が先手の馬の働きを弱めるようなうまい指し方をして,勝利に結びつけました。
 里見王将が先勝。第二局も放映は終っていますので,なるべく早いうちにエントリーするつもりです。

 昼食を終えても診察の14時半まではいくらかの時間があります。そこでこの間を利用して,横浜市から送付されたクーポンを用いての大腸癌検診の申し込みを済ませることにしました。ただ,僕はみなと赤十字病院で検診を受けたことがありません。つまりどのように申し込めばといのかを知りませんでした。そこでとりあえずは1階の入口すぐのところにある受付に向い,申し込み方法を尋ねました。すると,検診に関しては健康診断専門の健診センターというのが2階にあるので,そちらに行くようにと指示されました。
 前にもいいましたが2階には父の最期の場となった緩和ケアセンターがありましたし,僕自身もシックデイのときのCT撮影を行った診察室などがありました。だから何度か足を運んだことはあったのですが,健診センターというのがあるということはこの日まで知りませんでした。案内表示に従って進みますと,ちょうど緩和ケア病棟の反対側,緩和ケア病棟は山というか陸側に向いていますが,その反対の海側の向きに健診センターがありました。
 入室しますとすぐに受け付けがあり,そこで申し込みができました。対応した係の人は大腸癌の検診だけでなく,総合的な健康診断を勧めました。ただ,そのうちのほとんどは糖尿病に関係するもの。僕は2ヶ月に1度はそうした検査を受けているわけですから,これを健康診断として受診するのは無意味です。ほかに癌の検診として,胃癌の検診と前立腺癌の検診がありましたが,前立腺癌の検診というのは50歳以上の人が受けるべきものであるというのがその方の説明で,僕には該当しません。ただ,胃癌の検診というのは受けておいて損はないでしょうから,同時に受診してしまうことにしました。こちらはクーポンがありませんので自費ということになります。
 あとは日取りです。胃癌の検診を受ける場合,前日の夜遅くからは食物の摂取が禁じられます。したがって午前中の受診ということになりますが,この後の日程では,10月6日というのがわりと空いているとのこと。その日の午前中であれば僕も時間を作ることが可能でしたので,その日に決めました。検査は午前9時から可能だとのことでした。
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東日本大震災被災地支援防府記念&2時半の診察

2011-11-21 19:23:01 | 競輪
 7週連続の記念競輪もいよいよ6週目。昨日は防府記念の決勝でした。並びは高橋に三宅,武田-平原-丸山の東日本,小嶋-加藤-伊藤の中部で市田は単騎。ただ,レース上は高橋ライン3番手のような競走に。
 前受けは武田で中団が小嶋,7番手に高橋で周回。残り3周のバックから高橋が上昇していき,ホームで武田の前に出て先行態勢。市田の後ろに小嶋が続こうとしましたが,武田がバックでインから中団を確保。小嶋は引いて7番手の一列棒状になり,打鐘から高橋の先行。バックから武田が捲っていくと牽制をかいくぐり先頭に。小嶋の捲りは3コーナーで一杯。武田が先頭で直線に入り,番手から平原が差して優勝。武田が2着に残り,3着にも丸山で東日本の上位独占。
 優勝した埼玉の平原康多選手は年頭の大宮記念以来となる記念競輪7勝目。武田が中団を確保した時点で,関東両名の争いになることが濃厚でした。前に市田,後ろにも小嶋がいましたので,武田もある程度の力を使う必要があり,自力のある選手ですから自然な優勝と考えられます。昨年までのことを考えれば今年は不振であったという印象ですが,このシリーズは復調を感じさせる内容で,この後の競輪祭での活躍が楽しみではないかと思います。
                         

 そして9月26日のみなと赤十字病院への通院の日を迎えました。この日は診察の予約時間が午後2時半。これは正午に検査をして,一旦は家に戻り,昼食を摂ってからまた病院に行くということが可能な時間設定ではありましたが,この日はこの方法を採用せず,検査を受けたら病院で食事をし,診察まで待つということにしました。ただし,いつものように正午に検査を行ってしまいますと,いくらなんでも待っている時間が長くなりすぎます。そこでわざと午後1時くらいに病院に到着し,検査をするということにしました。実は検査というのはいつもは正午頃に行ってはいましたが,時間の設定というのはなく,この日のうちならば何時でも構わないということになっていたのです。昼食前の検査ですので,あまり早い時間に受けてしまえば血糖値は高くなるでしょうし,逆に遅くなってしまえば血糖値が低くなる,場合によってはインスリン使用の副作用としての低血糖を発症してしまうおそれもあります。ただ,日常生活の中でも,午後1時くらいに昼食を摂るということはいっかなないことではありませんでしたし,午後1時ならばバスの時間も便利。さらに午前中に一定の時間を作ることが可能で,その間にちょっとした仕事を片付けてしまうということも可能でしたから,僕にとってはこの方がかなり都合がよかったのです。実際にこの日は午前中に一仕事を終らせてから病院へと向いました。実はこの日に設定された次回の通院,実はこれが今日なのですが,これも同じ時間の予約で,今後は診察が2時半という場合はこの方法を選択するつもりです。
 病院に到着して,変更された仕方で注射針の処理。病院で昼食という場合にはインスリンも携帯していく必要もあり,大した荷物であるというわけではありませんけれども,携帯しない場合よりは多くの荷物ということになっていますから,すぐに処分ができるというのは本当に便利。そしてその場所が中央検査室にありますから,そのまま検査を受けるということが可能です。この時間に検査をするのは初めてでしたが,採血もそんなに多くの人が待っているわけでなく,スムーズに終えました。そして同じ1階の食堂で昼食となりました。
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マイルチャンピオンシップ&クーポン

2011-11-20 19:12:36 | 中央競馬
 フランスから2頭が遠征してきた第28回マイルチャンピオンシップ
 シルポートは絶対的な逃げ馬で,出走してくれば逃げるのは間違いないところ。内にフィフスペトルで外にライブコンサート,フィフスペトルの真後ろにエイシンアポロンがつけ,外枠から掛かっていったリディルがその外という隊列。前半の800mは46秒7でミドルペース。
 直線に入るとシルポートとライブコンサートの間をフィフスペトルが割って先頭に。これにライブコンサートの外に出したエイシンアポロンが並び掛け,この2頭が後ろを離して叩き合い。制したのは外のエイシンアポロンで,フィフスペトルが2着。ただ1頭,外を回って追い込んだフランスのサプレザが3着。
 優勝したエイシンアポロンは前走の富士ステークスからの連勝で大レース初制覇。早くから頭角を現し,クラシック路線にも乗った馬。今秋に1年ぶりにレースに復帰して,調子を上げていました。また,前日の降雨もこの馬には有利に働いたと思います。日本のこの路線の中心的存在にはなれる馬だと思います。
 復帰後の手綱を取っていた田辺裕信騎手が騎乗停止となったためにお鉢が回ってきた池添謙一騎手は先月の菊花賞に続いて今秋の大レース3勝目。このレースは第20回と21回をデュランダルで連覇していて3勝目。今秋から新しく管理することになった松永昌博調教師はこれが初出走からおよそ5年半での大レース初勝利です。

 こうして無事に新しい眼鏡を入手して帰宅しますと,僕が住む横浜市から1通の手紙が届いていました。封の中には大腸癌検診のクーポン券と,それの使い方に関するような案内が入っていました。ちょうどこの時期に40歳であったすべての横浜市民に送付されたものであったよう。生年月日からも分かりますように,僕は来月で41歳になりますから,この時点ではちょうど40歳であったわけです。
 いわゆる真っ当な社会生活という観点からいえば,僕は20代の半ばでは自らドロップアウトしました。よって会社で行われる健康診断というのは,就職直後に1度だけ受診していて,そのときに肝機能障害が発見されたわけですが,その後はただの1度も受けたことがありません。大腸癌の検診というのは自費で受けたところで大した金額を負担しなければならないというものではないようですが,送られてきたのは文字通りのクーポン,すなわち無料でそれが受けられるというもの。横浜市が送付してくるものですから,横浜市の大部分の,というのは検診が可能な医療機関で用いることが可能なもので,当然ながらみなと赤十字病院でも使うことができるクーポンでした。そして何より大腸癌というのは,父の死因となった,僕にとってはある意味で特別な病気です。ですから使用する一手であると思いました。ちょうど週が明けた月曜,26日が総合内科の通院の日にあたっていたということもあり,その日に申し込みを入れることにしました。
 その26日の前,24日の土曜に父の墓参りに行ってきました。これは彼岸の墓参りということになります。この日はアパートの叔父が自動車を出してくれるとのこと。ただ,日野公園墓地というのはお盆とか春秋の彼岸の時期というのは,墓地の敷地内への自動車の侵入というのが制限されます。したがって,敷地の近くまでいって自動車を停め,そこから歩いていくか,そうでなければこの制限というのが午後5時には解除される,つまりそれ以降であれば墓の近くまで行かれますから,その時間に墓参するかのどちらか。この日は母も妹も一緒でしたから当然ながら後者を選択。それでも4時半頃に家を出て,墓参を済ませて1時間ほどで帰宅できました。
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リコー杯女流王座戦&新しい眼鏡

2011-11-19 19:14:46 | 将棋
 勝った方が新設タイトルに王手を掛けることになる第1期女流王座戦五番勝負第三局。
 清水市代女流六段の先手で加藤桃子奨励会1級のごきげん中飛車。③▲4八銀から先手が銀冠,後手が穴熊の持久戦に。意表の角切りから龍を作った先手がペースは握っていたと思いますが,大きな差があったというわけではなく,白熱の終盤戦となりました。
                         
 先手が飛車取りの桂馬を打ったところですが何と後手は△6四飛。▲同銀△同銀は当然で▲8二歩。後手は手抜いて取った銀を△7八銀打と打ちました。非常に大胆な指し方で,これで勝ちとみたというより苦しいとみて勝負にいったという印象を受けます。▲8一歩成△同玉に▲8ニ歩と叩き,△同玉としてから▲7七金と受けました。△6八とと追撃。
                         
 ここは▲2八角もかなり有力に思える局面ですが先手の選択は▲8四角。後手は△8七銀成▲同王△7八角▲8六王△8五歩▲同王と追って△8三歩。ここは先手が窮したように思えたのですが,▲9四桂△同歩▲9三銀△同香▲同角成△同玉▲9四歩△8二玉▲9三歩成△7三玉▲2三龍△5三桂という力づくの王手で当座の危機は脱出しました。
                         
 ここで▲7八金と角を取るとおそらく△8四銀▲8六王△8五銀打といった具合に先手玉が下に追われます。実戦の▲8四歩はそれを嫌ったものと思いますが,それ以降ははっきりと後手の勝ちになっていますので,第3図の局面が最後のポイントとなったのではないでしょうか。
 競り合いを制して加藤1級が2勝目。注目の第四局は来月6日です。

 こういった事情ですから,本当ならばフレームだけを新しくすれば事足りました。ただ,新しい眼鏡を作ることは僕の希望でもありましたので,眼鏡屋さんと相談の上,レンズの方も新しくするということにしたのです。そして度の方も,少しだけ強くしてもらうことにしました。
 これは以前にも書いたことがありますが,近眼用の眼鏡というのは,ふたつのタイプがあります。ひとつはある程度の距離を置いたものがよく見えるようになるタイプで,もうひとつが手元などのごく近くがより鮮明に見えるようになるタイプのものです。実際にこの日,新しいレンズをどれにするか決めるとき,これらふたつのタイプを両方とも用いました。前者を使いますと,視力検査用のボードはよく見えますが,間近にある新聞は読みにくくなります。後者のタイプを使った場合には,検査ボードは前者ほどよく見えない,すなわち視力検査の結果は少し悪くなるのですが,手元にある新聞の文字というのは前者よりも鮮明になります。僕はいつも後者のタイプの眼鏡を作っています。基本的に前者は自動車の運転をする場合に必須とされる眼鏡ですが,僕は運転免許を持っていないからです。よってこの日も,後者のタイプを作ることにしました。
 もちろん僕のように度が強くなりますと,この眼鏡を作ることに決めたからといって,すぐにそれを入手できるというわけではありません。このレンズの眼鏡自体の在庫が眼鏡屋にあるということはまれだからです。実際にこの日もそうでした。ただ,壊れてしまった眼鏡のその部分,要するに鼻当ての部分ですが,これを修復してもらう,というよりも新しいものにつけかえてもらうことはできましたので,作ることに決めた新しい眼鏡を実際に僕が入手できるまでは,そちらの方を使うことができました。
 新しい眼鏡ができたという連絡があったのは22日の午前中。といってもこの電話に出たのはでした。母からその旨が僕に伝えられましたので,この日のうちに眼鏡屋に行って新しい眼鏡を入手しました。8万円だったのですが,以前よりむしろ安くなったような気がします。また,古い方の眼鏡も緩んだ紐の部分を直してもらい,そちらを予備として保管しておくことになりました。
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ムーンインディゴ&眼鏡の破壊

2011-11-18 18:53:13 | 血統
 先月16日の秋華賞を優勝,日曜のエリザベス女王杯でも日本馬では最先着となる2着になったアヴェンチュラの祖母は1986年にアメリカで産まれたムーンインディゴという馬で,この馬が輸入基礎繁殖牝馬になっています。ファミリーナンバー1-p
                         
 繁殖生活は日本のみ。ただし順調というには程遠い繁殖成績で,馬名を登録することができた産駒は2頭だけ。1頭は母の名をいただいたインディゴグリーンという牡馬で,もう1頭がアドマイヤサンデーという牝馬。この馬は阪神牝馬特別で2着になるなどなかなかの競走成績を収めて繁殖入り。この系統を後世に繋ぐ唯一の馬となりました。
 2頭目の産駒がアドマイヤメガミで,この馬は1勝しかできませんでしたがチューリップ賞で2着に入り,桜花賞,オークスにも出走。4頭目にジャングルポケットが配合相手に選ばれると,重賞3勝のフサイチホウオーが産まれました。翌年もジャングルポケットが配合され,阪神ジュベナイルフィリーズオークスを優勝したトールポピーが輩出。翌年はキングカメハメハが相手になりましたが,全日本2歳優駿で2着のナサニエルが産まれました。
 そして1頭を挟んでみたびジャングルポケットを相手として産まれたのがアヴェンチュラ。よほどジャングルポケットとの相性がよいのでしょう。2頭の大レース勝ちの牝馬が出ましたから,一族は今後は拡大していくものと思います。
 全兄のフサイチホウオー,全姉のトールポピーは共に,競走結果からみますと早熟タイプで成長力に欠けたという一面はあると思います。アヴェンチュラは秋になってから大レースを制覇したわけで,これからも成長してさらなる活躍を続けられるかどうか,一競馬ファンとして楽しみにしていたのですが,前脚を両方とも骨折してしまい,休養に入るということで残念です。

 虫歯治療をした翌日,9月17日のことになりますが,きわめて個人的な大事件が勃発しました。眼鏡が壊れてしまったのです。
 僕は極度の近眼で両目とも視力が0.1もありませんので,眼鏡は生活必需品です。初めて眼鏡を掛けるようになったのは小学校4年生のときで,もちろんその当初は現在ほど視力が悪かったわけではありませんが,それ以降は眼鏡とともに生活を続けてきたわけです。この日に壊れてしまった眼鏡を作ったのは7年前のこと。それだけの月日が経過していますから,消耗はしていまして,とくにレンズをはめておくためのビニール状のひもはやや緩くなっていて,とくに右側ですが,レンズを磨いているときにそれが外れてしまうというようなケースはそれまでにもありました。ただそれは自分ではめ直せばすむことですから,そのままにしておいたのです。この日に壊れてしまったのはそこではなく,鼻当ての部分。ここが完全に取れてしまい,修復不能になってしまったのです。
 僕は予備の眼鏡というのは作っていません。以前に使っていたものならばありますが,7年前に眼鏡を作ったときには度を少し強くしています。つまり以前の眼鏡は使用はできますが,この眼鏡ほどには見えないのです。鼻に当たる部分が壊れてしまっただけで,レンズ自体に損傷はありませんでしたから,使えないということはありませんでしたので,週末は仕方なしにそれで過ごし,19日の夕方に時間を作って眼鏡屋へ赴きました。最初のうちは眼科に紹介された眼鏡屋で眼鏡を作ったので違ったのですが,おそらくもう20年以上は僕はここで眼鏡を作っていたのです。
 厳密にいえばレンズは使えるわけですから,フレームだけ作り直せばよいわけです。ただ,僕はどうせならば新しい眼鏡を作ってしまおうと思っていました。とくにこうしてブログを書いているときなどに,視力が以前よりもさらに悪くなっているように感じられていたからです。そのためには精密な視力検査を行う必要があり,実際にこの日もやったのですが,意外にも視力は7年前とほとんどといっていいほど変化なし。見えにくくなっていたのは,長期使用によるレンズの細かい傷のせいであろうというのが眼鏡屋さんの判断でした。
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農林水産大臣賞典平和賞&虫歯治療

2011-11-16 19:34:43 | 地方競馬
 北海道から3頭,笠松から1頭が遠征してきた第57回平和賞
 先手を奪ったのはエンジェルツイート。アイキャンディが2番手で3番手にサンレイレーザー。いずれも左回りが初体験という馬たちでしたが,船橋は乗りやすいとされるコース形態で,そのあたりは問題とはなりませんでした。前半の800mは49秒8のハイペース。
 この3頭が3コーナーから後ろを大きく引き離しました。ラップを見れば分かりますように,最後は3頭が揃って一杯になっているのですが,ここでの貯金が大きく結果的にはこの3頭によるレース。逃げたエンジェルツイートが並ばれることはなく優勝。一旦はサンレイレーザーが2番手に上がったのですが,かなり手応えが悪く思えたアイキャンディがゴール前で盛り返して2着。サンレイレーザーが3着。
 優勝した北海道のエンジェルツイートはこれで4戦3勝。前走はなかなかの好メンバーを相手に勝っていて,ちょっと人気がなさすぎた感じがします。おそらくこれまでの3戦がいずれも1200mであった点が嫌われたものと思いますが,距離延長も問題はありませんでした。父がタイキシャトルでブルードメアサイアーがリンドシェーバーアストニシメントクリフジの分枝で8月の黒潮盃を勝ったオオエライジンの半妹。
 予定では大井の真島大輔騎手が乗ることになっていたのですが,今週は病気でお休み。変わって騎乗した船橋の森泰斗騎手はこれが南関東重賞初制覇。勝ち数から考えれば遅すぎた気がします。管理しているのは北海道の角川秀樹調教師で一昨年以来の平和賞2勝目となりました。

 実際にはは早い段階で診察を受けることができたようで,そうも遅くはならないうちに帰宅できました。だから現実的には僕は家で待機している必要はなかったということになったのですが,これは初めから分かっているということではありませんから仕方ありません。検査の結果は異常なし。元来が内科は肝機能に異常が発見されたために通うようになったもの。母の肝機能の異常には血圧降下剤が影響していたと考えられ,降圧剤の変更が行われた後は,数値も正常に戻っていました。さらにその降圧剤の処方自体がこの時点では停止されていたわけですから,そう考えればここで異常が発見される方がおかしいといえるわけで,この結果は最初から予期されていたものでした。この結果,内科ではそうもたびたび診察する必要はないであろうということになり,次回の診察は来年の1月に設定されました。
 そしてその週の金曜日,9月16日が僕が虫歯の治療のためにI歯科の予約を入れておいた日でした。歯の定期検診のときには時間が空いたときに飛び込みで行くのですが,これは予約ですから時間の設定があり,午前11時。ただ,I歯科へと向う過程でこの日はちょっとしたトラブルに巻き込まれてしまい,問題になるほどではありませんでしたが少しばかり遅刻してしまいました。
 治療の手順は,まず麻酔をして,その後にレントゲンの撮影。そして患部を削り,削った部分は当初から隙間があり,削ることによってその隙間がさらに広がりますので,その部分を今度は埋めました。時間は30分程度。これでこの虫歯の治療は完全に終了。ということでこれ以上の通院の必要はありませんから,次に僕がI歯科へ行くのは,よほどのことがない限り定期的な検査のためということになります。できれば12月中に行きたいと思っていますが,来月も忙しそうでどうなるでしょうか。
 ところで,以前にここの歯科の麻酔というのが強力だという話をしたことがあったかと思います。そのときもいいましたように,麻酔といっても注射ではなく,半液体の塗り薬のようなタイプのもの。しかしこの日は以前ほど影響が残らず,家に戻って普通にうがいもできましたし,感覚が通常に戻るのも早かったです。
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東日本大震災被災地支援四日市記念&別の借金

2011-11-15 18:37:53 | 競輪
 夜の開催が通年で行われているため,年間で1度だけの昼の開催となる四日市記念の決勝。並びは新田-伏見の福島,松坂-鈴木の南関東,稲垣ー村上ー前田-渡辺の近畿で,松川は単騎。
 前受けとなったのが松坂。3番手に稲垣で,松川が7番手,8番手に新田という周回だったよう。残り2周のホームで新田が上昇すると一気に前を叩き,これに続いたのが稲垣。バックから稲垣が発進,打鐘で新田を叩いて先行。5番手に新田,7番手に松坂となり,松川は最後尾。バックから新田が発進しましたが前に届く前に番手から村上に発進されて万事休す。そのまま抜け出した村上の優勝。大外を捲り追い込んだ松坂が2着に届き,村上マークの前田は3着。
 優勝した京都の村上義弘選手は5月の豊橋記念以来となる記念競輪22勝目。稲垣が先行した番手を無風で回りましたので絶好の展開となりました。新田も松坂もあまり策を凝らす選手ではありませんし,一方で稲垣と先行争いを繰り広げれば相手を有利にしてしまうということで,共にやりにくいレースだったかもしれません。そういう意味ではメンバーも優勝した村上には有利であったようです。
                         

 そうして家で待機している間に,電話がありました。これはに対してのもの。もう死んでから1年以上が経過しているのですから,いささか怪訝には思いました。
 電話の相手は労働金庫でした。話の内容を要約しますと次のようなことになります。父は生前にこの労働金庫でカードローンを組んでいました。ただ,口座には残高がありましたので,おそらく月々なのでしょうが,そちらから自動的に返済されていたようです。なぜ口座に残高があるにもかかわらずローンを組まなければならなかったのかは僕には不可解に思えますが,この状況は昨年の暮れに完済した信用金庫にあった父の借金の状況と同一。ただし異なっていたのは,この労働金庫の残高は,カードローンに対して残額が下回っていたので,間もなくそのローンの返済が不能な状態に陥るということ。要するにこの電話はそのお知らせであったわけです。
 先方は父が死んだということは知らずに電話を掛けてきたわけですので,僕の方からそのことを話しました。ただ,もちろん死んでしまったから借金がチャラになるというわけではなく,これは相続して返済しなければなりません。ということで,相続のための書類を送ってもらうということにして,この日の電話は終ったのです。
 僕がこの労働金庫に父の借金があるということにもっと前に気付くことができなかったのには理由があります。前にもいいましたように,父はあちらこちらの金融機関で口座を持っていました。だから通帳やカードもそれだけの数が残っていたのです。ところがそのうちのいくつかは,現在は存在しない金融機関が含まれていました。そのために,それらに関しては相続の手続きを依頼するということ自体が不可能になっていて,仕方なしに放置しておいたのです。実際にこの労働金庫に関しても,残っていた通帳というのは現在の,つまりこのときに電話を掛けてきた労働金庫とは別のもの。経営が統合なり再編なりされて現在の形態になったのだろうと思いますが,借金自体も父が実際にローンを組んだ労働金庫から新しく引き継がれていたものだったのです。なので実際に相続を行ったときのことはまた後に記しますが,そのときには通帳自体を新しいものにした上で,手続きを完了させています。
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