スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&松田克進の主張

2012-11-30 19:05:25 | 将棋
 一昨日から2日間にわたって新潟県南魚沼市で指された第25期竜王戦七番勝負第五局。
 丸山忠久九段の先手で角換り相腰掛銀。先手が先に入城し,後手の渡辺明竜王が先攻する将棋に。この戦型の後手で先攻できれば満足でしょう。
 評判はずっと後手有利でしたが,僕のレベルでは難解な局面が延々と続き,最後の最後ですっぱりと決まったという印象の一局です。
                         
 ▲7ニ飛の王手に△4二銀と打った局面。先手は▲4九香の田楽刺し。ただし△5五角は王手です。▲6六金と上がり,当てて受けるのは当然でしょう。後手は△8七歩成▲同歩と8八の地点を空け,△5九角の王手。▲6八歩と打たせて作った空間に△8八銀。▲6七玉はこの一手ですが△1九角成が決め手でした。
                         
 普通はこんなところの香車を取る手はないのですが,この場合,飛車で取ると横効きが消えるのが大きく後手が勝ちそう。ということで先手も攻め合ったのですが,飛車も取った後手の勝ちに。鮮やかな収束でした。
                         
 4勝1敗で渡辺竜王の防衛。竜王就位は第17期。以来,18,19,20,21,22,23,24と防衛を重ね実にこれで9連覇。もはや渡辺明という棋士の代名詞になった感。年明けの王将戦の挑戦者に決定していて,再び二冠を目指すことになります。

 『スピノザの形而上学』という題名からも理解できるように,松田克進の関心と僕の現在の考察における関心とは大きな隔たりがあります。よって松田がどのような論理展開で第二部定理一一系の新しい意味が成立すると主張しているかはここでは触れません。その結論の部分と,この考察と関連する部分だけを抽出します。
                         
 この場合に松田の主張の中心は,次の点にあります。現実的に存在する人間の精神というのは,この場合には精神と知性とを厳密に分けて人間の知性といった方が分かりやすいかもしれませんので,人間の知性はといいますが,いくつかの十全な観念と,それ以外の混乱した観念によって組織されているひとつの思惟の個物です。よって,こうした意味において人間の精神の本性を構成する神といわれるのであれば,その神のうちには人間の知性が有している十全な観念と混乱した観念の両方が含まれていると考えなければならないのです。とくに前にスルーした部分,すなわち神が人間の精神の本性によって説明される限りというときの,説明という部分に力点を置くのであれば,確かにこのように考えなければ,神は人間の精神によって説明されてはいないということになるでしょう。
 僕はこの主張というのはなかなか迫力があるものだと思います。当然ながら松田は,第二部定理一二でいわれている人間の精神というものが,現実的に存在するといわれる意味での人間の精神であるということをここでは考慮に入れていません。しかし,第二部定理九が神の無限知性を構成すると考えることによって第二部定理九系の消極的意味が生じ,そこから第二部定理一二の新しい意味がまた生じるということは,これまでの考察のポイントで,ここから現状の課題も出てきていますから,僕はこのことを前提とします。そしてこのことを前提条件としてみた場合には,松田のこの主張というものがもつ迫力は,さらに増してくるように僕には思えるのです。なぜなら,人間の精神が現実的に存在するといわれるような,いい換えれば持続するといわれるような存在形態を取る場合には,確かにその有は,十全な観念と混乱した観念の両方によって構成されているということになるからです。
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農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&スピノザの形而上学

2012-11-29 19:11:10 | 地方競馬
 年末の大一番に向けての前哨戦のひとつ,第14回兵庫ジュニアグランプリ
 先手を奪ったのはオオエピクシー。アースゼウスが2番手でカイロス。最初はこの3頭が後ろを離しました。続いたのはケイアイレオーネとハニーパイ。ミドルペースだったのではないかと思います。
 向正面に入るところではカイロスを交わして3番手となっていたケイアイレオーネが,そのままスピードを緩めず外を進出して3コーナーでは先頭。アースゼウスは何とか追う構えを見せたもののオオエピクシーは後退。そのまま後続の追撃を振り切ったケイアイレオーネが優勝。前半は後方から漸進し,直線は内を突いたアップトゥデイトが5馬身差の2着。直線は外に出してアースゼウスを差したハニーパイが2馬身差で3着。
 優勝したケイアイレオーネはデビューから3戦は芝を使って5着が最高でしたが,前々走でダートに出走すると未勝利脱出。前走の500万条件も連勝していました。ここはJRAの2勝馬が3頭いて,能力の比較が難しかったのですが,結果的にはこの馬が抜けていたようです。強気な騎乗が功を奏したともいえそうですが,大きな差をつけましたので,今後も楽しみな素材でしょう。Leoneはイタリア語でしし座。
 騎乗したのは幸英明騎手で管理しているのは西浦勝一調教師。兵庫ジュニアグランプリは共に初制覇です。

 第二部定理一一系の新しい意味については,これが成立しなければならないと明言している論考があります。松田克進の『スピノザの形而上学』です。
                         
 この著書は,スピノザの哲学における根源的とでもいうべき部分,それを松田は形而上学といっているわけですが,そうした部分がどういった構造によって成立しているのかということを解き明かそうとしたものです。大概の場合,哲学書というのは縦書きで,右から左へとページをめくっていくものですが,この本は横書きで,左から右へと進んでいく体裁となっています。
 この本がこうした書かれ方をしているのにはおそらく理由があります。松田は自身の目的を果たすために多くの図や表を利用するのですが,そうした図表を掲載するにあたっては,横書きの方が便利であったでしょうし,何よりも読みやすくあるからです。
 この本を十全に理解しようと欲するならば,論理学とか数学に関わるある程度の知識が必要とされます。松田のいう形而上学を構成する基本的要素は,そうした部分にあるからです。残念ながら僕にはそれに関する十分な知識というのがありませんから,松田がそれを利用してスピノザの哲学に関する結論を導出することについては,僕は何も評価することができません。ただ,出されている結論だけについていうのであれば,僕はその中には非常に納得のいくものもありますし,逆に疑問を感じてしまう部分もあります。
 しかし,松田の考え方の中で,僕と最も一致する部分は,松田が示している内容以前の問題としての,スピノザの哲学を検討する場合の方法論にあるといえるかもしれません。松田は『エチカ』を十全に理解するために必要な方法は,公理系である『エチカ』を順に辿ることではなく,場合によっては後発部分から先行部分を理解することであるといっています。松田が示しているその理由に関しては僕はいくらかの疑問もあるのですが,『エチカ』の問題は『エチカ』によって解決するという僕の採用している方法は,まさに後発部分から先行部分を理解することを許容する方法といえます。
 スピノザの研究書としてはユニークな部類に入るかもしれません。しかし読み応えは満点だと思います。
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勝島王冠&トートロジーの回避

2012-11-28 20:40:05 | 地方競馬
 南関東勢にとっては東京大賞典へのステップレースとなる第4回勝島王冠
 やや競り合い加減でしたが先手を奪ったのはドリームライナー。マチカネニホンバレとルクレルク,さらにツルオカオウジとエプソムアーロンまでの5頭はほぼ一団。少し離れてプーラヴィーダが第二集団の先頭で,これをマークする位置にカキツバタロイヤル。最初の800mは50秒3のミドルペース。
 例によって後方に控えていたアートサハラが向正面で進出。ただ,今日は好調時の勢いがなく,早々に失速。呼応して動いていたのがツルオカオウジで,ドリームライナーに並び掛けて直線。抜け出すのに苦労している間に大外を回ったカキツバタロイヤルと中を割ったプーラヴィーダに先にいかれ,最後はこの2頭の叩き合い。内のプーラヴィーダが半馬身差でこれを制し,カキツバタロイヤルが2着。4馬身差の3着に後方から追い込んだフォーティファイド。
 優勝したプーラヴィーダは3歳馬。重賞3着の実績で大井に転入。緒戦の東京ダービーを2着した後,9月から始動し古馬相手のA級条件を楽に連勝していました。斤量関係も有利で,1番人気に推されていましたが,その支持に応えての優勝。2着馬は相手次第で重賞通用の馬ですので,この馬も重賞で好勝負できそうです。今後が楽しみになる南関東重賞初制覇でした。曾祖母の叔父にアローエクスプレス。Pura Vidaはポルトガル語で純粋な生命。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手はロジータ記念以来の南関東重賞制覇。勝島王冠は初制覇。管理している大井の森下淳平調教師も勝島王冠は初勝利。

 有力な方法が成立すると仮定した上で,第二部定理二二の論証でスピノザが示していることから浮上してくる課題というのは,自分の身体の中に何かが起こるというときに,その観念がその人間の本質を構成する限りでの神のうちにある,いい換えるなら人間は自分の身体の中に起こることを十全に認識するというとき,十全に認識されるといわれるその身体の中に起こる何かとは,具体的には何であるのかということになるであろうというのが僕の考えです。しかるにこの課題というのは,すでに何度か紹介しましたように,僕がこのブログを開設して最初に第二部定理一二をテーマとして設定したときの,中心課題でした。すなわち課題がぐるりと一周して元に戻ったのだということになります。
 このことから分かるように,結局のところ第二部定理一一系についてこの方面から考察していくと,第二部定理一二について考える発端となる課題へと逆戻りしてしまうのです。そして確かに現在の僕は,この課題に関しては,後に説明するように,はっきりとした解決法というのを得ることはできていないのですが,少なくともこのブログを開設したときに抱えていたこの課題の重みと比べるのであれば,それを減らすことができるような考え方はしています。よってそのことにより,第二部定理一一系の新しい意味が抱えている課題というのも,いくらかは軽減する筈です。しかし第二部定理一二に関するこの課題が完全には解決できていないということは,要するに第二部定理一一系の新しい意味から派生している課題も解消できてはいないということですから,これをこのままの形で放置しておくというわけにはいかないでしょう。そして,有力な方法を用いるならば,トートロジーに陥るということがもはや判明したのですから,別の道を探し出さなければならないということになります。
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JT将棋日本シリーズ&ひとつの例外

2012-11-27 18:39:08 | 将棋
 第33回将棋日本シリーズの決勝は,18日に東京ビッグサイトで指されました。対戦成績は羽生善治三冠が38勝,久保利明九段が15勝。
 振駒で久保九段の先手。中飛車に後手から角交換。さらに先手から銀も交換し,互いに角を打ち合いました。その後,後手が7六に銀を打ち,先手が8五に打って交換を挑むというかなり風変りな展開に。この結果,先手が銀桂交換の駒得となり,打った銀も9四~8三~7二と後手陣に侵入。このあたりで先手がペースを掴むことに成功したようです。終盤は攻め合いに。
                         
 ここで▲4一銀。これは真先に思い浮かぶ手です。手抜いて△3五桂。先手は▲同馬△同歩としてから▲5二銀不成と飛車を取りました。
 角2枚の後手は攻めの継続が難しそうですがとりあえず△5八角。これには▲5九飛と逃げて△4七歩成▲5八飛△同と。後手が飛車を入手したのも大きいでしょうが,あまり働いていなかった飛車が角と交換できたという点では先手にも大きな利があったと思います。
 手番の先手は▲4一銀不成と入り直し,△4二金に▲6二飛と厳しい打ち込み。△4九飛と攻防に打ちましたが▲6六角もお返しの攻防手。△5五歩と受けるのは仕方ないでしょうが落ち着いて▲4七歩と飛車の効きを遮断され,どうやら後手は万事休したようです。
                         
 もう少し続いたのですが,ほぼ一手一手の寄りとなり,先手が勝っています。
 久保九段が優勝。第4回最強戦以来4回目の棋戦優勝で,日本シリーズは初優勝です。

 第二部定理一一系はわりと多くの証明に援用されています。そのうち,スピノザが人間の精神の本質を構成する限りでの神に訴求しているのは4ヶ所です。それらの中のひとつが第二部定理四〇で,これが有力な方法として示した規則の基準になりました。
 第二部定理三四では,人間の精神のうちにある十全な観念は同時に真の観念であるということを論証するために援用されています。よってこの部分も規則に従っています。
 第三部定理一では,その論証の過程で,人間の精神のうちに十全な観念があるということはその人間の精神の本質を構成する限りで神のうちに観念があるという意味であるとされています。よってここも規則通りです。つまり4ヶ所のうちの3ヶ所まではこの規則が適用できます。
 しかし残るひとつ,これが第二部定理二二で,ここでは自分の身体の刺激状態の観念が,その人間の精神の本質を構成する限りで神のうちにあるといわれています。しかしこの観念は,その人間の精神にのみ注目する限り,十全な観念であるとみなすことはできません。自分の身体の刺激状態の観念がその人間の精神のうちにあるというのは,第二部定理一二のいい方に倣えば,自分の身体の中に起こることの観念がその人間の精神のうちにあるということです。ですからこれをその人間の精神のうちで十全な観念であるとしてしまうと,第二部定理一二の新しい意味が成立しなくなってしまいます。現状の考察からしてこの意味を放棄することはできません。
 よって有力な方法というのは,有力ではあるかもしれないけれども,『エチカ』の中で十分に成立しているとみなすことができるものではありません。もっとも,そのことは驚くべきことではありません。スピノザは本質essentiaと本性naturaを好んで等置します。そのゆえに僕自身が,無用な混乱を起こさないために,どちらも本性ということばに統一していたのです。ですから,人間の精神について言及される場合に限って,本質と本性が異なった意味を有すると理解すること自体に,ある意味では無理があるのだといえなくもないからです。
 しかし,仮にこの方法がルールとして使用できるとしてみましょう。するとどういった課題が生じるでしょうか。
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霧島酒造杯女流王将戦&有力な方法

2012-11-26 18:41:17 | 将棋
 17日に放映された第34期女流王将戦三番勝負第二局。対局日は10月12日。
 里見香奈女流王将の先手で相三間飛車。中村真梨花女流二段が追随する指し方をしたので相金無双の先後同型に。先手から角交換し,互いに相手の玉頭に展開した飛車先を交換。先手が浮飛車,後手が引き飛車に構えました。
 模様のよかった先手から仕掛けたのですが,おそらく攻め急ぎがあったため,緩める展開に。その間に後手が反撃。後手がリードしたようにも思え,勝負のポイントとなったのはそのあたりだったのではないでしょうか。
 しかしこの将棋のハイライトは最後の部分にあったと思います。
                         
 2二の飛車が成り込んだ局面ですが,先手玉はすでに逃げ切っているといえ,先手の勝勢。▲6三歩成△同金▲6四歩と攻めて先手が勝つでしょう。
 実戦は▲6三歩成△同金に▲8二角成と切りました。△同玉に▲7四桂△同金としてから今度は▲8三飛成と飛車も切ります。△同玉に▲7四銀と呼んでおいた金を取り,△同玉に▲6五銀。
                         
 3三に先手の歩がいるのが大きく即詰みです。鮮やかな収束でした。
 里見女流王将が勝って1勝1敗に。負ければ失冠という状況の40秒将棋の中で,この勝ち方にはしびれました。

 この問題を解消するために,ここまでの考察のみに限定するのであれば有力と思える方法がありますので,とりあえずはこれを先に紹介しておきます。
 第二部定理一一系の中でスピノザは,神が人間の精神本性によって説明される限りにおいて,あるいは神が人間の精神の本質を構成する限りにおいて,という意味のことをいっている部分があります。僕がいう有力な方法というのは,このときに,あるいはで接続される文章の前後には,意味の相違があると考える方法です。そしてこの相違は具体的には,前半部分は人間の精神による事物の認識,すなわち十全であるか混乱しているかを問わずに単に認識を意味し,後半部分は人間の精神による事物の十全な認識だけを意味するという相違になります。こう解釈しますと,第二部定理一一系の新しい意味は成立することになります。すなわち第二部定理九系の消極的意味も,第二部定理一二の新しい意味も成立するのです。
 スピノザは第二部定理一二の論証の中では,人間精神の本性を構成している限りでの神に訴えています。すなわちこれはあるいはの前半部分に訴えているのであって,これは混乱した観念を含むことになっていますので問題ありません。一方,第二部定理四〇の論証においては,人間の精神の本質を構成する神に訴えています。つまりあるいはの後半部分に訴えているのであって,これは十全な観念を意味しますから,こちらも問題ありません。
 しかしこれは,あくまでもこれまでの考察に関連する部分とだけの一致です。この解釈は,本性の方は十全な観念と混乱した観念の両方を含むのですから,スピノザがどこでこちらに訴えていたとしてもさほど問題視することはないといえます。しかし,本質の方に訴える場合は,人間の精神のうちにある十全な観念だけを意味しなければなりませんから,人間の精神のうちにある混乱した観念についての論証には用いることが不可能です。ところが,『エチカ』をよく調べてみますと,これに明らかに反する部分があるのです。なので僕はこの方法は有力だとはいいますが,正しい方法であるとはいいません。
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ジャパンカップ&不自然な解釈

2012-11-25 18:33:46 | 中央競馬
 イギリスから4頭,フランスから1頭が招待された第32回ジャパンカップ
 ルーラーシップが出遅れ。先手を奪ったのはビートブラック。2番手は内がジェンティルドンナで外がトーセンジョーダン。ソレミアとフェノーメノまでが先行勢。好位はスリプトラとオウケンブルースリ,そしてマウントアトス,エイシンフラッシュ,ローズキングダムの3頭。出遅れた後,最内からやや挽回したルーラーシップとレッドガトーが続き,オルフェーヴルはその後ろ。最初の1000mは60秒2でスローペース。逃げ馬は向正面から2番手以降を離していきましたから,それを除けば超スローペースだったと考えてもよいと思います。
 直線に向いたところでもビートブラックはかなりのリード。しかし外を漸進していたオルフェーヴルが絶好の手応えで2番手集団の外まで進出していましたので,この時点では楽勝になるかと思いました。ただ,一旦は控えてインでこの様子を虎視眈々と窺っていたのがジェンティルドンナで,トーセンジョーダンを内から交わすとオルフェーヴルと並び,ビートブラックを交わすところで外に出して2頭が接触。この2頭の叩き合いは最後まで続き,ハナ差で競り勝った内のジェンティルドンナの優勝。オルフェーヴルが2着。2馬身半差の3着は馬場の中央から外を追い込んだ2頭の争いで,外のルーラーシップが内のダークシャドウをアタマ差だけ捕えました。
 優勝したジェンティルドンナは先月の秋華賞で牝馬三冠を達成。常識的にはエリザベス女王杯に進むところですが,あえて強敵相手のここに挑んでいました。結果的に能力に見合ったレースを選択したということで,これは陣営の慧眼でしょう。ビートブラックを交わすときに外に出て,オルフェーヴルを弾いたために審議の対象になりましたが,逆にオルフェーヴルが抑え込むこともできた筈で,これは騎手の闘志と馬の根性がもたらしたもの。後味の悪さを感じる方もいるでしょうが,僕はむしろ称えたいです。その後も叩き合って,斤量の差はあっても競り勝ったのですから,世界レベルにある馬と考えて間違いないでしょう。父はディープインパクト,全姉に今年の京都牝馬ステークスと関屋記念を勝ったドナウブルー。Gentildonnaはイタリア語で淑女。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は秋華賞以来の大レース制覇。第27回第31回を制していて連覇となるジャパンカップ3勝目。管理している石坂正[せい]調教師も秋華賞以来の大レース制覇でジャパンカップは初勝利。

 スピノザが残した文章だけに注目するのであれば,第二部定理一一系というのは,むしろ第二部定理一一系の意味のように理解する方が自然なのであって,第二部定理一一系の新しい意味のようにこれを解釈するのは,どうも不自然であるような印象というのを僕自身は感じます。
 同様のことは,スピノザが『エチカ』に残したほかの部分からもいえるように思えます。ここではその一例として,第二部定理四〇証明をみてみましょう。
 ここでスピノザは,人間の精神のうちの十全な観念からその精神のうちに別の観念が生じるということを,神が単にその人間の精神の本性を構成する限りで,神の無限知性のうちに神を原因とするある観念があるという意味であるといっています。そしてスピノザはこのことを第二部定理一一系に訴えているのです。
 そこで各々の文言というのを比較して考えれば,第二部定理四〇でスピノザがいっていることは,第二部定理一一系ではその前半部分でいわれていることを根拠にしているように思えます。そしてもしもそれが正しいのであるなら,この証明の帰結からして,第二部定理一一系の前半部分は,ある人間の精神のうちにあるといわれるだけでも十全な観念なのであって,第二部定理一一系の新しい意味は誤りで,以前の第二部定理一一系の意味の方が正しいといわれねばなりません。そしてこれは一例なのであって,スピノザが『エチカ』において第二部定理一一系を援用して何かを証明している場合には,この種の問題がよく生じているのです。
 しかし,第二部定理一二の新しい意味,そして第二部定理九系の消極的意味を解釈として採用する以上,第二部定理一一系の新しい意味も採用されなければならないというのが僕の考え方です。たとえそれが不自然な解釈なのであったとしても,これは絶対だと思うのです。よって,この第二部定理一一系をこの新しい意味で解釈するという以上,この種の問題に関してはそれを解消しておかなければならないといえるでしょう。とくに僕の場合,『エチカ』のことは『エチカ』に訴えるという方法論を採用していますので,この問題を残したままだと,おそらく後にもっと重大な問題が生じるであろうからです。
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霧島酒造杯女流王将戦&第二部定理一一系の新しい意味

2012-11-24 19:47:44 | 将棋
 宮崎県都城市の霧島ファクトリーガーデンで10月6日に指された第34期女流王将戦三番勝負第一局は,今月10日に放映されました。対戦成績は里見香奈女流王将が5勝,中村真梨花女流二段が1勝。
 振駒で中村二段の先手でノーマル四間飛車。里見女流王将は居飛車穴熊。先手が待って後手に仕掛けさせる将棋でしたが,これはあまりよくなかったようで,後手に抑え込まれそうに。駒損ながらやや強引に捌いて後手陣に食いついていく展開となりました。
                         
 6五にいた銀が歩を取って進んだところ。ここは△7八飛ないしは△6八飛と打ってすぐに攻め合いを目指すのがよかったようですが,△4二歩と受けました。そこで▲5三桂成と桂馬の方を成ったのが攻めを繋ぐ好手。後手はそこで△7八飛と攻め合いにいきました。これには▲3七銀左が形ですが▲4七銀直としたのも受けの好手で,ここでは△5八とを許さないのが最善だったよう。後手は△5七ととこちらに寄りましたが,先手は1筋の位が大きく玉が広い形。放置して▲4二成桂。△4七とにはさすがに▲同金ですが△4六歩をまた手抜いて▲3ニ成桂。△同金▲2二桂成△同金に▲3一銀と引掛けて,どうやら先手の一手勝ちがはっきりしました。
                         
 実戦はこの後,最速の寄せを逃したのではないかと思えますが,詰めろを繋いで先手が勝っています。
 中村二段が先勝。これがタイトル戦での初勝利でした。

 こうした観点から,第二部定理一一系の意味というのは,以下に示すようなものであると理解しなければなりません。
 神が人間精神の本性を構成する限りである観念をもつといわれるとき,これはその人間の精神がその観念を有しているという意味です。ただしだからといってこの観念は,この人間の精神をそれだけでみた場合には,十全な観念であるとみなすことはできません。むしろ十全な観念の場合もあるし,混乱した観念の場合もあるという意味です。いい換えれば,人間精神の本性を構成する限りでの神というのは,その人間の精神の本性を構成するだけの神という意味ではなく,それ単独でか,あるいはほかのものの観念を有することによってかの,いずれかの場合の神ということになります。
 そしてとくに,神が人間精神と同時にほかのものの観念をも有する限りにおいてある観念をもつといわれるのなら,その場合にはこの人間の精神はその混乱した観念を有するということになります。したがって,今まではこの系の意味というのを,前半部分は人間の精神が十全な観念を有する場合の神との関連付け方で,後半部分は人間の精神が混乱した観念を有する場合の神との関連付け方というように理解していたのですが,これからは,前半部分はある人間の精神が何らかの事物を認識するという場合の神との関連付け方であり,後半部分はその人間の精神がとくにある事物を混乱して認識する場合の,神との関連付け方というようにこの系を理解するということになります。
 僕は第二部定理一二の意味から第二部定理一二の新しい意味への理解の変化を,僕自身の転向ということばで表現しましたが,正確にいえばこの転向は三つ組であるということになります。すなわち第一に第二部定理一二の意味から第二部定理一二の新しい意味への転向。第二に第二部定理九系の意味から第二部定理九系の消極的意味への転向。そして第二部定理一一系の意味から第二部定理一一系の新しい意味への転向です。
 なお,ここでは説明されるということをどう理解するのかということが,限りでということの理解と同じくらい重要な要素を占めると僕は考えていますが,今はこれについてはスルーします。
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大山名人杯倉敷藤花戦&派生

2012-11-23 18:31:28 | 将棋
 岡山県の倉敷市芸文館で指された第20期倉敷藤花戦三番勝負第二局。
 矢内理絵子女流四段の先手で里見香奈倉敷藤花の一手損角換り4からのダイレクト向飛車。先手が片矢倉,後手が片美濃で早い段階から戦いに。馬を作って飛車を成り込んだ後手がリードしたように思える展開でした。
                         
 攻め合ってもよさそうに思えるのですが,△3三龍と引いて受けきり勝ちを目指しました。と金を取られてはいけませんから先手は何らかの処置が必要。おそらく▲4四銀と打つべきではなかったかと思うのですが,▲5四銀。このために△4四銀と打たれて窮してしまいました。
 実戦の指し手から分かるようにこれで大差だったようです。最後は後手がしっかりと決めに出て勝ちました。
 連勝で里見倉敷藤花の防衛。タイトル戦の防衛記録はどこまで続いていくでしょうか。

 人間の精神は現実的に存在する個物の十全な観念を有することはできないということと,人間の精神は第三種の認識によって個物を十全に認識することができるということが,少しも矛盾を来さない,いい換えれば両立可能なふたつの言明であるということは,これで明らかにすることができたと考えます。この部分の論考の冒頭でもいったように,このこと自体は現在のテーマの考察とはほとんどといっていいほど無関係な事柄ですが,『エチカ』の全体という観点からいうならば,非常に重要な内容ですから,少し時間を掛けて僕の見解を説明したものです。
 それでは続いて,第二部定理一二の意味第二部定理一二の新しい意味へと変容する過程で,あるいは第二部定理九系の意味第二部定理九系の消極的意味へと変容していく過程で生じた事柄から,別の部分へと波及していく事柄の方の説明へと移行します。
 このときに問題となってくるのは第二部定理一一系の意味です。すでに説明したように,これまではこの系の意味というのを,ある人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念があるといわれるなら,これはこの人間の精神のうちにXの十全な観念があるという意味であり,ある人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるといわれるならば,その人間の精神のうちにXの混乱した観念があるというように理解してきました。しかしこれだと問題が生じてしまうのです。
 なぜそうなるのかというと,スピノザは第二部定理一二を論証する過程において,第二部定理一一系の援用というのを行っているからです。このときに,その論証過程においてスピノザが用いている文言と,第二部定理一一系においてスピノザが用いている文言とを比較するなら,これまでの第二部定理一一系の意味というのを利用すれば,人間の精神はその精神を構成する観念の対象ideatum,要するにこれはその人間の身体ですが,その身体の中に起こることを,十全に認識すると理解しなければならなくなるからです。これについては詳しく説明しませんが,各々の文言を比較してみれば一目瞭然です。
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竜王戦&永遠の観点

2012-11-22 18:31:58 | 将棋
 一昨日と昨日,滋賀県近江八幡市で指されていた第25期竜王戦七番勝負第四局。
 渡辺明竜王の先手で丸山忠久九段の一手損角換り4。後手の腰掛銀に先手の早繰り銀で3筋で銀の交換になる部分的にはよくある将棋。
                         
 ここで先手は▲1五銀と打ちました。棒銀で銀が1筋に出ていくのは普通ですが,中央で交換した銀を端に打つのですから,これは珍しい手だと思います。
 それに対する△4五角は難しい手。ただ▲3八金とこちらに上がって受けるのは先手としては本望ではない筈で,この局面で打った価値はあったと思います。また,この角は一局を通してそれなりに働きましたので,後手の勝因の一角を構成したと思います。以下△2二銀▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲4四飛△5六角▲4六飛△8六歩▲同銀△5五銀と進みました。
 そこで▲2六飛と逃げたので△1四歩で打った銀の行き場がなくなりました。もちろんうっかりではなく▲7七角△5四歩▲5七金△9二角▲5六歩で取り返すことができます。ただ,手順中▲5七金と上がる手も,先手としては指したい手ではないという印象です。
 △8五歩と打って1日目が終了。封じ手は▲9五銀で,先手の銀が1筋と9筋の5段目にいるという非常に珍しい形に。以下△1五歩▲5五歩△9四歩▲同銀△6五角▲5四歩△9四香。
                         
 後手の銀得ですからさすがによいでしょう。先手は暴れなければじり貧ですから攻めましたが,丁寧に受けた後手が反撃を決めて勝ちました。
 丸山九段がようやく初勝利で1勝3敗。第五局は28日と29日に新潟県南魚沼市で。

 第三種の認識というのは直観といわれているわけですから,人間の知性がどのようにして物体の十全な観念を形成するのかということについて,その方法を具体的に示すということはできません。ただ,スピノザが第三種の認識によって人間の精神個物を十全に認識するというときに,それが個物の存在のうち,物体が神の延長の属性に包容されて存在する場合についていっているのであって,物体が現実的に存在する場合について言及しているのではないという根拠に関しては,消極的な側面,すなわち第二部定理二六第二部定理二五とを合わせることによって帰結する,人間の精神は現実的に存在する物体に関してはそれを十全に認識することができないということからだけでなく,もう少しだけ積極的な側面から根拠を見出すことができます。
 第一部定理一九からして,延長の属性というのは永遠です。よってどんな物体も,延長の属性に包含されて存在している限りは,永遠であるということになります。同様に,思惟の属性も永遠であるのですから,物体の観念が思惟の属性に含まれてある限り,第二部定理八系のいい方に倣っていうなら神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる場合には,永遠であるものと考えられなければなりません。
 ところで,第二部定理四四系二によれば,事物を永遠という観点から認識することは理性の本性に属します。理性とは第二種の認識のことであり,これは共通概念による認識ではありますが,十全な認識であるという点では第三種の認識と相違ありません。したがって,ある事物を十全に認識するということと,その事物を永遠の相の下に認識するということは,ある思惟作用と,その思惟作用の本性を構成する要素といった関係にあるということが理解できます。したがって,もしも人間の精神が物体を十全に認識するということがあるなら,それを永遠であるものとして認識するという意味になるだろうと思うのです。しかるに物体が現実的に存在するなら,その物体は永遠ではあり得ません。なので物体の十全な認識は,延長の属性に含まれてある物体の認識であるということになるといえるでしょう。
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農林水産大臣賞典浦和記念&物体の十全な観念

2012-11-21 19:09:07 | 地方競馬
 大レースの谷間に位置する第33回浦和記念
 大方の予想通りにエイシンモアオバーの逃げ。続いたのはディアーウィッシュ,ピイラニハイウェイ,ランフォルセ,トーセンアレス,ダイシンオレンジまでで,残りの馬はここから大きく離されての追走。前半の1000mは62秒9でミドルペースといっていいでしょう。
 3コーナー手前でディアーウィッシュは後退。その後,ダイシンオレンジも遅れ始め,残り4頭の争い。逃げたエイシンモアオバーが粘り込みを図り,外からランフォルセ。さらに外をトーセンアレス。内に控えていてエイシンモアオバーとランフォルセの間を突いたのがピイラニハイウェイで,最後はこの馬の切れ味が優って優勝。エイシンモアオバーが1馬身差の2着に逃げ粘り,アタマ差の3着がランフォルセ。
 優勝したピイラニハイウェイは2月の佐賀記念以来の重賞2勝目。実力という意味では2着馬や3着馬に劣るように思うのですが,インでじっとしていた好騎乗がこの結果を生み出したように思います。逆にいえば乗り方ひとつでは逆転することも可能な実力差であったともいえるでしょう。Piilani Highwayはマウイ島を走る高速道路の名前。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は第29回以来の浦和記念2勝目。管理している吉田直弘調教師は浦和記念初勝利。

 現実的に存在する個物が自身の有に固執する原因なのですから,いかにその原因が神であるといっても,それが神の絶対的本性を原因としているということはできません。いい換えれば,現在の考察でその対象としているのは現実的に存在する物体ですから,それは神の延長の属性を直接的な原因とすることはできません。また同時に,その延長の属性を直接的な原因とする様態,すなわちこれは延長の属性の直接無限様態である運動と静止を具体的には意味しますが,それを原因とすることもできないということになります。なぜならもしもそうであるならば第一部定理二三によってその物体は永遠なるものであるといわれなければなりませんが,そもそもそれが現実的に存在するということは,それが持続のうちに存在するという意味なのですから,それを永遠であるということはできないからです。
 よってそれは,第一部定理二八の仕方で神を原因としているといわれなければならないということになります。そしてここでは,現実的に存在する物体が有に固執する傾向について考えているのですから,その観念というのは第二部定理九の仕方で十全に認識されるということになります。しかるに第二部定理九は,神の無限知性を前提としているのであって,人間の精神のような有限な知性には該当しないというのがここでの考察の大原則です。よって人間の精神は,自身が認識するいかなる現実的に存在する物体に関して,その持続というものを十全に認識することはないということになります。
 このことから理解できるのは,もしも人間の精神が物体に関してそれを十全に認識するということがあるとしたら,その観念の対象となり得るのは,現実的に存在している物体ではないということになります。逆にいうなら個物の存在のうち,個物が神の属性,この場合には物体ですから延長の属性ですが,その延長の属性に含まれているといわれる仕方で存在している場合であるということになります。よって,スピノザが第三種の認識によって人間が個物を十全に認識することが可能であるという場合には,それは個物がこの仕方で存在しているといわれる場合について言及しているとみなさなければならないでしょう。
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蒲生氏郷杯王座競輪&持続の原因

2012-11-20 19:13:15 | 競輪
 ビッグとビッグの間が長く,記念競輪が9連続開催となりましたが,いよいよフィナーレとなる松阪記念の決勝。並びは後閑ー中村の関東,桐山ー勝瀬の神奈川,浅井-浜口の中部,村上ー市田の近畿に合志。
 前受けした浅井を抑えに出たのは桐山。このラインに後閑が続き,残り2周のホームの出口では内に浅井-浜口-村上ー市田-合志,外に桐山ー勝瀬ー後閑ー中村で並走に。バックに出てから桐山が浅井を叩きましたが後閑が続かず勝瀬の後ろに浅井。打鐘で後閑が上昇し桐山を叩くとさらに外から村上が巻き返し,村上の先行。4番手に後閑,6番手に桐山,8番手に浅井で一列棒状。バックに入ると市田が村上との車間を開けて牽制。直線入口まで横にだれかが並ぶというところまでいかず,ここから市田が踏み込みました。市田にとっては絶好の展開でしたが,後方からの捲り追い込みとなった浅井の外強襲が届き,浅井の優勝。市田が2着。浅井に続いた大外の浜口が3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は8月の小田原記念以来の記念競輪優勝で記念競輪6勝目。地元となる当地は初優勝。8番手に置かれたので絶望的ではないかと思ったのですが,今回は完全優勝ということからも分かるように絶好調であったようで,問題なく届きました。脚力は現在の競輪界ではトップクラスで,おそらく地元記念に向けて作ってきた体調のお釣りがある筈で,次の競輪祭でも優勝候補のひとりでしょう。

 このふたつが矛盾しないと僕が考えることの根拠は,第二部定義五にあります。つまり僕は,現実的に存在する個物の本性にその個物自身が持続するということが含まれているということを,その個物自身の現実的存在の無限定な継続が含まれているというように解するのです。そしてそう考えるならば,これは第三部定理七とは矛盾しないといえるでしょう。なぜなら,現実的に存在する個物が自分自身の存在に固執するということと,現実的に存在する個物の本性にその存在の無限定な継続が含まれるということは,本性として相反するどころか,むしろ相補的な,あるいは相補的とはいえないまでとしても,対立するような関係にはないからです。よって僕は,現実的に存在する個物の持続の範囲に関しては,その個物自身の本性のうちに含まれるということは不可能ではあるけれども,それが持続するものであるということ自体は,その本性に含まれるということが可能であると考えるのです。
 そこでこの観点から第二部定理三一を再考察してみるならば,その定理でいわれている事柄が,人間の精神が現実的に存在する外部の物体の持続を十全に認識し得ないということの,ひとつの要素を構成するのではないかと僕には思えるのです。すなわち人間の精神は,たとえばある現実的に存在している外部の物体について,それが持続的なものであるということ,いい換えればその本性に無限定な継続が含まれているということに関してはそれを十全に認識し得るのだと仮定しても,しかしその持続の原因に関しては何も知り得ないからです。つまり,ある物体が現実的に存在しているときに,その本性に自身の無限定な継続が含まれているのなら,それが含まれている原因というのが求められなければなりません。これは第一部公理三がいっていることです。もちろんその原因はその物体自身の内部にはありません。これを主張するのは第一部定義一により,物体すなわち第二部定義一における個物が自己原因であると主張するのに等しいですから論外でしょう。むしろそれは第一部定理二四系により,神を原因としているといわれなければならないのです。そして重要なのは,これが現実的に存在する個物に,どう適用されるのかということです。
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霧島酒造杯女流王将戦&難題

2012-11-19 18:34:32 | 将棋
 3日に放映された第34期女流王将戦挑戦者決定戦。対局日は9月7日。その時点での対戦成績は中井広恵女流六段が3勝,中村真梨花女流二段が6勝。
 振駒で中井六段の先手。中村二段のノーマル四間飛車に先手の居飛車穴熊。この将棋は仕掛けたところでもう差がついていました。
                         
 ここで先手は▲5九角と引き,△5五歩に▲3七角と出ました。ひとつの作戦ですが,この形ではまずかったようです。後手は△3五歩とこちらに手を付け▲同歩△同銀。先手は▲2四歩△同歩の突き捨てを入れてから▲3四歩と打ち,△2二角に▲5五角とぶつけました。当然△同角▲同歩。手番を得た後手は自然な△4六歩。▲同歩は仕方なく△同銀に▲5六銀と交わしたのですが,△5七歩▲6八金寄△4七銀不成▲同銀△同飛成で後手が完全に捌きました。
                         
 この後,先手が駒を投資して龍を後手陣に追い返す指し方をしたので,後手が先手の反撃を受けきるような将棋となり,手数は長くなったのですが,先手にチャンスらしいチャンスがないまま後手の勝ちに終っています。
 中村女流二段が挑戦権獲得。タイトル挑戦は第17期倉敷藤花戦以来の2度目です。

 ここでひとつの難題に立ち向かうことになります。それは,ある個物が現実的に存在するという場合に,その個物の本性には自身が現実的に存在しているものであるということ,いい換えれば自身が一定の持続のうちに存在するものであるということが含まれているのかどうかということです。
 僕がこれを難題だというのは,僕にとってその答えを出すことが困難であるからというわけではありません。むしろこの点に関しては,見解が二分されるだろうと想定しているからです。では僕自身の考え方はどうなのかといえば,これは前回の考察において示した通りであり,それが含まれるという結論です。ここでは詳細には繰り返しませんが,その根拠として,第二部定理四四系二証明の補足をあげておきます。
                         
 そのときに説明したように,この問題を真正面から取り上げたヨベルは,結論としては僕と同じものを出しています。しかし,この結論にもある難点が含まれるとヨベルは考えていました。そして僕も確かに難点があるということは認めます。そしておそらくそのときにヨベルが考えていた難点のひとつに,このことが第三部定理七と矛盾しないのかどうかということが含まれていたのではないかと思えるのです。
 確かに現実的に存在するある個物の本性に,持続のうちにそれ自身が存在するということが含まれているならば,それはそうした個物が自身の現実的有に固執する傾向を必然的に有するということと,矛盾していると思えなくもありません。とくに後者は,個物の現実的本性として必ず含まれていると考えなければならないような内容を有しているといえ,そうなってくると個物の本性にそれ自身の持続というのを帰することは不可能であるということになるでしょう。そして僕自身が,このゆえに現実的に存在する個物の本性には,その個物の持続の範囲については含まれると考えることはできないと結論しているのです。
 しかし,僕の考えではこれは解決が可能です。いい換えれば,現実的に存在する個物の本性に,その持続の範囲が含まれないということと,それが持続するものであるということが含まれるということを,同時に主張することは,矛盾しないと考えるのです。
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マイルチャンピオンシップ&第二部定理三一

2012-11-18 18:28:50 | 中央競馬
 相当数の出走馬に勝つチャンスがあるように思えた第29回マイルチャンピオンシップ
 シルポートが逃げるのは当然ですが,今日はあまり後ろを引き離すことはありませんでした。コスモセンサー,エイシンアポロンと続き,ガルボ,リアルインパクトまでが先行集団。好位は内にサダムパテック,外がフィフスペトルで,さらにグランプリボスとドナウブルー。前半の800mは46秒9で,これはスローペースでしょう。
 ペースの関係からばてる馬はなく,またあまり長くない隊列でのレースでしたので,直線はずらっと横に広がっての争い。その中で伸び脚がよかったのは外のグランプリボスで,テレビ観戦ではこの馬が勝つのかと思ったのですが,内の方をサダムパテックが伸び,こちらの優勝。クビ差でグランプリボスが2着。半馬身差でドナウブルーが3着。
 優勝したサダムパテックは春の京王杯スプリングカップ以来の勝利で重賞は4勝目。大レースは初制覇。昨年はクラシックで善戦していた馬で,冒頭に記した勝つチャンスがあると考えていた馬の1頭。結果的に好位に位置した馬に有利なレースとなり,その中で内を掬うことができたのが勝因。そういう意味では1番枠というのがかなり有利に働いた印象で,絶対的に秀でた能力があるというわけではなさそう。ただほかにそういう馬がいるというわけでもありませんから,今日のようなメンバーでのレースになれば,勝ったり負けたりというのを繰り返していくことになるのでしょう。父はフジキセキ
                         
 騎乗した武豊騎手は正月の川崎記念以来の大レース制覇でマイルチャンピオンシップは初勝利。管理している西園正都調教師は一昨年のマイルチャンピオンシップ以来の大レース制覇でこのレースは2年ぶりの2勝目。

 これにより,現実的に存在する個物res singularisの存在existentiaの排除が,第一部定理二八で示されている因果関係の無限連鎖に則して生じるということが理解できます。そしてこれは現実的に存在する個物についていわれている事柄なのですから,このことの観念ideaは,第二部定理九に則って生じるということになるでしょう。
 そこで現在の考察の観点に注意するならば,第二部定理九でいわれている個々の個物の観念のすべては,神Deusの無限知性intellectus infinitusのうちにある十全な観念idea adaequataなのであって,単に人間の精神mens humanaをそれ単独でみた場合には,その内にあることはできないような観念です。するとこのことから,第二部定理三一が帰結することになります。
 「我々は我々の外部に在る個物の持続についてはきわめて非妥当な認識しかもつことができない」。
 この定理Propositioはここでこれを導き出した過程そのものが論証Demonstratioになっていますから,これ以上の証明は不要といえます。また,ここでいわれているきわめて非妥当な認識というのは混乱した観念idea inadaequataのことであるのは間違いなく,要するにこの定理は,人間は現実的に存在する個物の持続duratioに関しては,もしもそれを認識するならば,それは必然的に混乱した観念であるということになります。これはたとえば具体的な例をあげるなら,僕の現実的存在の持続がいつ排除されるのか,要するにこれは僕がいつ死ぬのかという意味ですが,それはだれも十全に認識することが不可能な事柄であるというようなことですから,おそらくこの見解に反対する人はいない筈であり,経験的な観点からも正しいといえます。
 なお,僕の考えでは,ここでスピノザがこの認識をきわめて非妥当と修飾していることには理由があります。おそらくスピノザは,同じ混乱した観念ではあっても,その混乱には度合いの相違というものがあるということを認めています。スピノザは十全な観念のことを明瞭判然ということばで修飾することがありますが,厳密には十全な観念と明瞭判然な観念というのは異なっていて,混乱した観念に関しても明瞭判然と形容される場合があるというのが僕の理解です。ただこれについては今はそれ以上は触れません。
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農林水産大臣賞典道新スポーツ杯北海道2歳優駿&本性一般からの帰結

2012-11-17 20:08:21 | 地方競馬
 8日に行われた第39回北海道2歳優駿
 すっと先頭に立ったのはジェネラルグラント。その後ろの隊列が決まるのに少し時間がかかりましたが,2番手は内にコスモコルデス,外にカイカヨソウ。ストーミングスターが追走し内にアルムダプタ。ハイペースであったと思われます。
 向正面から外を進出していった馬もいましたが大勢に影響はなし。ジェネラルグラントが先頭のまま直線に向いて外にカイカヨソウ。ジェネラルグラントの内を突いたのがコスモコルデスで,さらにその内からアルムダプタ。最後は内の2頭の争いでしたが1馬身半抜け出す形でアルムダプタの優勝。2着にコスモコルデス。1馬身半遅れての3着にカイカヨソウ。
 優勝したアルムダプタは9月の新馬戦を勝ってここが2戦目。デビュー戦も3番手から差してのもので,控える競馬は問題なし。ただここはずっと内を回って最後も開いたインから抜け出る形で,恵まれた部分があったのも事実。連勝での重賞制覇には評価が必要ですが,どの程度まで活躍ができるのかはもう少し様子をみないと不明な部分もあるようには思います。父はスペシャルウィーク。従兄にジャングルポケット,同い年の従姉に函館2歳ステークスを勝ったストークアンドレイ。馬名はハングルで堂々とした華麗な美。
 騎乗したのは幸英明騎手で管理しているのは五十嵐忠男調教師。両者とも北海道2歳優駿初勝利。

 この基本原理というのは,別に個物現実的本性に着眼点を置かずとも,一般的に事物の本性が『エチカ』においてはいかなるものと考えられているかということ,要するに第二部定義二の意味に注目するだけでも導出することが可能です。
 ある事物が持続するということは,具体的にいうならその事物がある時点において存在することを開始して,ある時間の経過の後にその存在を停止するということです。よってもしも現実的に存在するある個物の本性にその個物の持続の範囲が含まれると主張するならば,これはこの個物の本性のうちにその個物が存在を停止すること,いい換えるならこの個物の存在を排除する要素が含まれていると主張することに等しいのです。しかるにこれが第二部定義二の意味に反するということは明白です。よって現実的に存在する個物の本性に,その個物の持続の範囲は含まれていないという基本原理が,ここからも帰結するということになります。
 しかし,現実的に存在する個物が,その存在を停止するということ自体はひとつの真理です。そしてそうしたことが現実的に発生する場合には,当然ですが第一部公理三によって,その存在が排除される原因というものが必要になってきます。そしてその原因というのは,現実的存在を排除される個物の内部にある,いい換えればその個物の本性に含まれてあるか,外部にある,すなわち外的要因によって与えられるかのどちらかでなければなりません。しかしそれが内部にあることは不可能であるということはすでに明らかです。つまりその原因は存在を停止する個物の外部にあるのでなければなりません。このことから帰結しているのが第三部定理四であるといえるでしょう。
 そこで今,ごく単純な仮定として,現実的に存在する個物Aが,別の個物Bによって何らかの作用を受けることによって,その現実的存在を排除されるという場合について考えてみます。このとき,個物Bが個物Aに対してこのように作用するなら,そのような作用をするように決定されていなければなりません。これは第一部定理二八から明らかです。
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サンケイスポーツ盃ローレル賞&現実的本性

2012-11-16 18:24:54 | 地方競馬
 5日のJBCデーの最終レースとして組まれた第12回ローレル賞には,北海道から2頭,笠松から1頭が遠征してきました。
                         
 先手を奪ったのはデイジーギャル。ガバナーリヴァイヴが2番手で内にペプチドガーネット。ハクシュウベリーがいてメロディアス,ヒカリワールド,アイディンゴッデスの3頭。その後ろにアステールネオとケンブリッジナイスが続きました。前半の800mは50秒9でこれはハイペースですが,経験の浅い2歳馬にとっては,前に位置してもそれほど不利にはならない流れであったと思います。
 向正面で目立った動きといえばヒカリワールドが上昇していったことで,この馬が2番手まで上がって直線を迎えました。しかし逃げていたデイジーギャルにまだ余裕があったようで,むしろヒカリワールドは離されていきました。外を差し込んできたのはケンブリッジナイスで,馬体が離れて2頭が並んでのフィニッシュ。クビだけ凌いだデイジーギャルの優勝でケンブリッジナイスは2着。3馬身差の3着は馬場の中央を割ってきた遠征馬の争いとなり,北海道のメロディアス。
 優勝したデイジーギャルは7月の新馬戦を勝った後,条件戦3着。オープンは大敗したものの前走の条件戦を勝ってここに挑戦。人気薄という気楽な立場で先手を奪えた利が大きかったように思えます。今後どの程度まで活躍できるのかは,まだ未知数だといえるのではないでしょうか。父はウインドインハーヘア産駒,ディープインパクトの全兄で2004年のスプリングステークスを勝っているブラックタイドアストニシメントエベレストの分枝。
 騎乗した大井の真島大輔騎手は先月のマイルグランプリに続く南関東重賞制覇。ローレル賞は初勝利。管理している大井の宮浦正行調教師は開業およそ9年目で南関東重賞初勝利となりました。

 次に,この基本原理が現実的に存在する個物res singularisについて妥当する根拠に関しては,僕はそれを第三部定理七に求めます。つまりこの定理Propositioからして,現実的に存在する個物の本性essentiaには,その個物が現実的存在に固執するperseverare傾向conatusを有するということが含まれると僕は考えます。そしておそらくこの点に関しては,反論の余地はない筈だと考えます。
 そこでこれを前提とした上で,現実的に存在する個物の本性に,その個物の持続duratioの範囲が含まれると仮定してみましょう。これは要するに,その個物が現実的に存在するようになることと,現実的な存在を停止することが,その本性のうちに含まれていると主張していることにほかなりません。しかし,現実的に存在する個物がその存在を停止するということは,その個物が現実的存在に固執するということを停止するということにほかなりません。これはそれ自体で明らかであるといっていいでしょう。よってこの主張は,あるひとつの個物のうちに,相反する本性が同時に含まれているということを意味していることになります。しかしこれは第三部定理五に反しますから,不条理であるということになるのです。よって,第三部定理七が現実的に存在するあらゆる個物の本性を構成する要素となるのであれば,現実的に存在する個物の本性のうちに,その個物の持続の範囲が含まれているということは不可能であるということになるのです。
 こうしたことから第二部定義五が出てくると考えることができます。もちろんこの定義Definitioというのは,この後で説明することになる,現実的に存在する個物に限らず,もっと広い意味において事物の本性とはいかなるものではならないのかということから発生してくるような定義であると考えるべきですし,またそう考えるのでなければならないとさえいえるでしょう。けれど,持続するdurareといわれるような存在existentiaを有する何かがあるとするならば,それは個物以外にはあり得ないという点に留意するのであれば,そうした個物が現実的に存在するという場合の現実的本性actualis essentiaから帰結するような,ある定理的な性質を有していると考えることも,不可能なことではないと思います。
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