スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&テーマの設定

2012-08-30 18:38:23 | 将棋
 昨年と立場を入れ替えての再戦となった第60期王座戦五番勝負は昨日,仙台で開幕しました。対戦成績は渡辺明王座が19勝,羽生善治二冠が16勝。
 振駒で羽生二冠の先手。相矢倉に誘導したのに対して渡辺王座が急戦で対抗。先手は後手に8筋の歩交換を許す指し方。端に覗いた角を切って2筋から攻めかかりました。
                         
 攻め自体は決まっていたようです。実戦はここで▲4五銀と出たのですが,正しくは▲2二歩成△4一王▲3ニと△同金としてから▲4五銀とすべきであったとのこと。決まっているといっても,駒損ですから,正しく指していかなければ攻めが続かなくなるおそれもありますし,反撃を食らう可能性も高まってしまいます。対して△6七桂と打ちました。
                         
 これが厳しい反撃なのですが,▲6九玉と狭いところに逃げる手があり,そう指せば先手に面白い変化が残っていたようです。実戦は▲6七同銀と取り,どうやらこれで難しいながらも後手の勝ち筋に入っているようです。
 このまま押し切って渡辺王座が先勝。第二局は来月5日です。

 今回のテーマとして第二部定理一二を設定するに至った理由は以下に説明する通りです。
 前回は第二部定理九について考察しました。僕はこの定理は,そこでいわれている個物の観念というのが十全な観念であろうと混乱した観念であろうと成立しなければならないと考えます。しかしもしもこの定理が,神の無限知性を対象にしているのであるとすれば,まず第二部定理三二によってそれが真の観念でなければなりません。よって第二部定義四により,それは十全な観念だけを対象として示しているということになります。
 もしもこのような仕方で第二部定理九を解釈するならば,この意味の変様というのは,第二部定理九系にも影響してきます。これは第二部定理九系というのが第二部定理九の系であるということ自体で明らかであるということになるでしょう。しかるに,第二部定理一二というのは,第二部定理九系に依拠することによって証明される定理です。これは見解の相違がある筈ですが,とくに僕の場合,第二部定理九系では一般的に示されている事柄が,第二部定理一二では具体的に示されていると理解しています。よって,もしも第二部定理九系に何らかの解釈の変更があるならば,それが直ちに第二部定理一二の解釈にも影響を及ぼすということになるのです。
 このブログの最初のテーマが第二部定理一二であったように,僕にとってこれは『エチカ』における最大の謎ともいえる定理です。ですから実は第二部定理九の意味の変様というのは,単に第二部定理九に関して考察する場合よりも,第二部定理一二の解釈にも影響が及んでくるという点の方が,僕にとっては重大なのです。したがってこの点に関して改めて考えてみるということが,再び第二部定理一二をテーマとして設定した直接的な契機であるということになります。
 一方,現在でもこの定理は,僕にとって大きな謎として残っているということは,6年半前にこれを考えたときと変わっていないのですが,その謎の重みという点に関しては,現在は当時とは明らかに変化しています。ちょうどよい機会ですから,今回はそのあたりのことも考察の対象として示すということにします。
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スポニチ盃アフター5スター賞&第二部定理一二

2012-08-29 20:44:43 | 地方競馬
 JBCスプリントの指定競走になっている第19回アフター5スター賞
 好発はジーエスライカー。外からトップグラスが競りかけていく構えもみせましたが,結局は控えて2番手。ダイワシークレット,セントラルコーストまでの4頭はあまり差がなく続きました。前半の600mは34秒7でハイペース。
 道中のラップがさほどは落ちなかったので,後方から上がっていかれる馬もあまりなく,中団前寄りにいたヤサカファインの動きが目立った程度。ジーエスライカーが先頭で直線に入ると少し差が広がりました。そこから2番手のトップグラスと3番手に上がったセントラルコーストが併せ馬のような形で伸びてくるとまた前に接近。しかし差すところまではいかず,4分の3馬身差で逃げ切ったジーエスライカーの優勝。外のセントラルコーストが2着で内のトップグラスが3着。
 優勝したジーエスライカーは昨年11月まで南関東で走り,その後は中央へ。1戦だけで名古屋に転出し,前走からまた南関東に戻っていました。南関東重賞は昨年1月の船橋記念以来の3勝目。フジノウェーブには分が悪かったのですが,ここは斤量もローテーションも優位な立場にあり,それ以外の馬に対してはスピード上位と考えられましたので,ある意味では順当な勝利。この馬は短距離路線の重賞でも活躍することが可能な馬だと思います。父はサウスヴィグラス。はとこに2001年の平安ステークスと名古屋大賞典,2002年のマーチステークスで重賞3勝のマンボツイスト,2009年の新潟ジャンプステークスを勝ったエリモマキシム
 騎乗した大井の坂井英光騎手は3月の東京スプリング盃以来の南関東重賞制覇でアフター5スター賞は初勝利。管理している大井の栗田裕光調教師もアフター5スター賞初勝利。

 今日からはまた『エチカ』について考えていきます。テーマは第二部定理一二です。
                         
 「人間精神を構成する観念の対象の中に起こるすべてのことは,人間精神によって知覚されなければならぬ。あるいはその物について精神の中に必然的に観念があるであろう。言いかえれば,もし人間精神を構成する観念の対象が身体であるならその身体の中には精神によって知覚されないような〈あるいはそれについてある観念が精神の中にないような〉いかなることも起こりえないであろう」。
 これは何度かいっていることですが,〈〉の中は,オランダ語訳の遺稿集De Nagelate Schriftenから補われたものであることを示しています。
 まず最初に,この定理Propositioの意味について若干の事柄を補っておきます。まず最初の一文ですが,これは人間の精神mens humanaを構成する観念の対象ideatumの中に起こることは,その人間の精神によって知覚されなければならないという意味です。つまり第二部公理三によって,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaですから,思惟の様態である人間の精神というのはある観念によって構成されていなければならないのですが,その観念の対象の中に起こることというのは,そのすべてがその精神,つまり自分の精神によって知覚されなければならないということです。
 僕はこのとき,この知覚というのを,概念と知覚とを厳密に分けた場合の知覚percipioではないというように理解していますが,そのことの根拠は後の考察の中で明らかにします。ここではとにかく,それを知覚するのが自分の精神であるということが意味としては重要です。
 次に,この定理の後半部分というのは,それが成立しなければ前半部分が否定されてしまいます。そして意味としては最初の一文と同様,すなわち自分の身体corpusの中に起こるすべてのことは,自分の精神によって知覚されるということですから,意味として現時点で最低限に踏まえておかなければならないことはそれ以上はありません。
 なお,この部分はこの部分で,実は仮定の話をしているという点で重要なのですが,このことに関しても後の考察において明らかにしていくことにします。
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瑞峰立山賞争奪戦&納涼会

2012-08-28 18:31:12 | 競輪
 今月最後の記念競輪は25日からの富山記念でいよいよ今日が決勝。並びは渡辺-佐藤-斉藤の北日本,武田-神山の茨城栃木,浅井-山口の中部,村上ー小岩の西日本。
 周回中の並びは不明ですが,前受けは渡辺だった模様。後ろは早くから動き,まず残り3周のバックで村上が前に。このラインに武田と浅井が続いていて,外を浅井が上昇してホームでは先頭に。この後ろを武田と村上で取り合い,渡辺が引いて打鐘。ここから武田が外を発進し,浅井を叩いて前に。浅井は番手に飛びつこうとしましたが,これは神山が阻止。引いて様子を窺っていた渡辺がホームから発進すると,これをだれも止めることができず,北日本が出きってそのまま直線勝負。佐藤もそれなりには迫りましたが凌いだ渡辺が優勝。佐藤が2着,斉藤が3着で北日本の上位独占。
 優勝した福島の渡辺一成選手は4月に共同通信社杯を優勝。記念は昨年暮れの伊東温泉記念以来で3勝目。ここは記念競輪を連勝中の武田と浅井に村上も加わって,早い段階から動きの激しいレースに。引いて構えていたのが勝因で,その意味では展開に恵まれたのは事実。ただ,やはり脚は凄いものがあり,今日のような形で力を出せば,強敵相手でも勝負になるということを証明しました。なるべくそういう展開にレースをもっていくことが,最も大きな課題といえるかもしれません。

 今月に入って4日の土曜日が妹の土曜出勤。この日は福祉法人の施設での納涼会でした。の入院中,一昨年の12月18日の土曜出勤であるクリスマス会がそうであったように,この納涼会というのも保護者が一緒に出席することが可能でした。クリスマス会のときは僕は母の見舞いの都合がありましたから,妹を連れていっただけで参加はしなかったのですが,この日は母が妹を送り,共に参加しました。したがって帰りも母と妹のふたりで帰ってきたということになります。土曜出勤は昼食が込みになっていますが,この日は施設での行事ということで,弁当が出たそうです。
 その翌日,5日の日曜日は,妹は今度はガイドヘルパーを利用しての外出でした。この日は,かつて僕がの遺産を相続するために,地方銀行の支店まで出向いた洋光台にある小学校へ。はっきりとしたことは分かりませんが,ここもおそらくはコミュニティセンターとして開放されていたのでしょう。事前の通知のはがきではお菓子作りと書かれていたのですが,帰ってきた妹に聞いてみますと,どうやらコーヒーゼリーを作ったようです。もちろんこれは作っただけではなく食べたとのこと。妹がどのように感じているかは僕には分からないですけれども,少なくともプリザーブドフラワーとかこけ玉を作るのに比べたら,このように食べることができるものを作った方が妹にはいいのではないかと思えます。
 その翌週,8月11日の土曜日に,母と妹は美容院に出掛けました。この日もいつもと同じ時間に予約を入れていったのですが,帰ってきたのが4時45分頃と,いつもに比べるとかなり遅くなりました。どうしたのかと聞いてみますと,母と妹以外にはだれも客がいなかったので,丹念に時間を使って調髪したのだそうです。予約を入れているわけですから実際にそうしたことはあり得ないでしょうが,美容室が混んでいたから時間が掛かったというならまだしも,空いていたから遅くなったというこの理由にはかなり意表を衝かれました。
 今回の糖尿病共生記はここまでにします。この11日の土曜日から,妹の夏休みが始まって,その間にもいくつかの出来事がありましたが,それらは次回に回すことにします。
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大和証券杯ネット将棋最強戦&たんぱく質の摂取

2012-08-26 19:04:30 | 将棋
 タイトルホルダー同士の顔合わせとなった第6回最強戦の決勝。対戦成績は佐藤康光王将が25勝,郷田真隆棋王が24勝。
 佐藤王将の先手で向飛車から角交換。やや長めの駒組から先手から仕掛けて桂交換。その桂馬を打って一歩得。後手は飛車を1筋に回って端攻め。中盤の戦いでははっきりとした優劣はついていなかったように思います。
                         
 ここから先手は▲5五銀と取り,△同歩に▲1五桂と打っていきました。後手は△同飛でしたが,これはさすがに一局の行方を左右するような決断であったでしょう。▲同歩で空いた空間に△1六桂の王手。▲3八王に△4五桂の詰めろ。先手は▲5七歩と受けて△3七桂成に▲同桂と取りました。
                         
 この手は危険な意味があって,感想戦で結論は出なかったようですが,△2八金と打っておけば難しいにしても後手が勝った可能性の方が高かったように思えます。実戦は△2六歩で,これはいかにも郷田棋王らしい手であると感じますが,▲4四飛からの先手の攻めが1手だけ早く,そこで先手の勝ちが決定づけられたようです。
                         
 後手の最後の攻撃を凌いだ佐藤王将が優勝。第18回銀河戦以来となる11回目の棋戦優勝で,最強戦は初優勝です。

 それからこの日,は主治医から,たんぱく質の摂取が不足気味なのではないかという主旨の忠告を受けたとのことです。
 僕は食餌療法の関係がありますから,,あるいは大豆製品卵などのたんぱく質は,食事をするたびに何らかの形で摂取しています。実は肝機能が衰えてきたとき,幹細胞を修復するためにたんぱく質が必要ですので,単純に肝機能という面からみても,たんぱく質の摂取というのは必須であるということになります。酒を飲むと肝臓は傷みますので,そのためのたんぱく質を摂取する健康食品があるのは有名でしょう。ただしもちろんこれには適正な量の範囲というものがあります。たんぱく質を必要以上に摂取することは,むしろ肝臓に対して悪い結果をもたらすということもあるようなので,その点に注意しなければならないということはいうまでもありません。
 実は母は,朝はほぼ食パンを1枚食べるだけです。ハムでも載せて食べればいいと思うのですが,そういうことはしません。よって朝食ではほとんどたんぱく質を摂っていないことになります。一方,夕食のおかずには必ず肉か魚の料理を作って出してきますが,そのほとんどを食べるのは僕と妹で,母は,まったくというわけではないのですが,あまり食べないのです。昼食に関しては僕はいつもいつも見ているわけではありませんから,はっきりと断言することはできませんが,それでも夕食よりは多くのたんぱく質を摂取しているのではないかと思うのですが,確かに主治医が指摘した通り,摂取の量からすれば,少ないかもしれません。
 実は母は,今年の春くらいからだと思うのですが,食事の量自体が以前より明らかに減っているように僕には感じられます。僕は母のために昼に弁当を買ってくることがありますが,以前は完食していた弁当を,残すというケースが生じるようになりました。そもそも母は元々が大食いではなく,むしろ少食の部類に入っていたと思うのですが,その量がさらに減ってきていたわけです。僕はこのこと自体を少しばかり心配していたのですが,それはまた別として,この主治医の指摘には,この食の細さもまた関係しているのではないかと僕には思えます。
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印象的な将棋①&胆石

2012-08-25 18:58:04 | ポカと妙手etc
 驚くような妙手やポカが出たというわけではなくても,風変りな序盤戦術とか中盤の派手な戦いなどで,僕の記憶に残っているいくつかの将棋があります。今回からはそういった将棋を紹介していきます,最初は第46期王位戦七番勝負第二局から。
 初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩▲4八銀△8八角成▲同銀△2二飛。これはごきげん中飛車①Bの変化です。
                         
 第1図で最も自然な手は▲7七銀だと思いますがこの将棋は▲7七角と打ちました。これは△3三角と合わされるとおそらく▲同角成△同桂と進むことになり,一手の得を回復させてしまうのですが,後に跳ねた桂馬の頭を目標とする狙いでしょう。それでも普通はそう進みそうなものですがこの将棋は△1二飛と逃げました。これには当然▲2五歩。以下△2二銀▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2八飛とほぼ必然に進みました。
                         
 第2図の後手はかなりの愚形。タイトル戦でのこの形はさすがに驚き,今でも心に焼き付いています。

 この後,7月29日の日曜日に妹のピアノレッスンがありました。これが午後1時から。実はピアノを設置してある部屋はエアコンが入りません。窓は北向きについてありますので日が差すということはないのですが,この時期は非常に暑いですし,逆に冬になるとかなり冷えてしまいます。もちろん冷風機は用意してありますが,どうしても汗だくのレッスンとなってしまいます。
 そして翌30日の月曜日からが妹のショートステイ。今回は2泊3日。つまり,月をまたいでのショートステイということで,これは初めてのケース。きちんと話を聞いたわけではありませんから,確かなこととはいえませんが,7月のショートステイがこのような形になったのは,おそらく以下のような事情からではないかと類推されます。
 前月,6月のショートステイは,これも初めてであった週末のショートステイでした。このためにショートステイの期間が,通常よりも1日長い,3泊4日となりました。そこでそれを調整するために,7月は8月にまたがる2泊3日となったのではないでしょうか。つまりこれは7月のショートステイではありますが,実際には7月と8月のショートステイです。要するにこの日程ですと8月1日の水曜日に妹は家に戻るということになるのですが,8月はこれ以外にはショートステイは予定されていませんでした。
 そしてこの間,7月31日の火曜日は,の磯子中央病院の内科への通院がありました。これはこの月の上旬に行ったエコー検査の結果を聞くためのもの。実はそのエコー検査がやり直しになったということで,少々の心配を母も僕もしていたのですが,問題となっている母の肝機能は,むしろ回復傾向にあるとのことであったそうです。
 ただし,何も問題がなかったというわけではありません。胆石があるということが発見されたからです。主治医からその話を聞いて,母は驚いたらしいですが,医師からはこれはそんなに驚くようなことではないと言われたそうです。僕の唾石もそうでしたが,一般に体内に石ができると非常に痛いというイメージがあります。母はそうした自覚症状がまったくありませんでしたからとても驚いたそうですが,実際には母のように痛くならないケースもあるようです。そしてそうした激痛に襲われないならば,これは放置しておいてもよいとのこと。したがってもしも今後,痛みを感じるようになれば,その時点で摘出するということになりました。
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王位戦&デンタルクリニック

2012-08-23 18:46:38 | 将棋
 阿波踊りの本場,徳島市で対局となった第53期王位戦七番勝負第五局。
 羽生善治王位が先手で藤井猛九段の四間飛車藤井システム。先手は急戦を選択し,前例がある戦いから新手を放って封じ手。詳しくは分からないのですが,その後の手順から推察するに,今日の午前の指し手で後手がまずくしたものと思われます。先手は攻めるほかなくなった後手の攻撃を余しにいく指し方を採用。少し危なくなったかのようにも思えたのですが,実際にはそうではありませんでした。
                          
 ここで▲5八香と打ったのが最終的な決め手。駒のない後手は△6五銀とぶつけて▲同金△同歩と1枚入手。しかしこの結果,5八に打った香車の効きが5三まで直通したため▲3ニ龍引が詰めろで勝負あり。
                         
 △6六歩も詰めろなのですが後手玉が詰みですので先手の勝ち。一手違いではあったわけですが,全体的には先手の完勝に近い将棋だったかもしれません。
                         
 4勝1敗で羽生王位が防衛。この後,王座戦への挑戦が控えています。

 事前の連絡の手違いといったトラブルはあったものの,の三回忌法要は無事に終わりました。そしてこの週の水曜日,7月25日は妹の歯科の予約が入っていました。予約時間は午後3時。これはが同行したのですが,帰宅したのは午後5時半過ぎ。時間が掛かったのには次のような事情があったためです。
 みなと赤十字病院の歯科が知的障害者の指定歯科となっていることはすでに説明した通りです。しかし,妹が通っている作業所,厳密にいうとこれは作業所というよりも作業所を運営する福祉法人の本体ということになりますが,こちらにも指定の歯科医というのがあるのです。このために年に何回かは,妹はこの福祉法人の施設においても,その歯科医によるデンタルクリニックというのを受診していました。こう書きますと何か大げさなもののように思われるかもしれませんが,要するにおそらくは小学生や中学生の頃,多くの方が受けたであろう学校での歯科検診をイメージしてください。あれを妹は現在でも年に何回かは受診しているということです。
 前回の通院とこの日の通院との間にこの検診がありまして,妹はそこで虫歯があると診断されていました。そもそもはこれ自体が不思議といえば不思議でした。というのは妹はわりと頻繁に歯科に通っているわけで,そこで発見されていない虫歯が急にできるというのは不自然だからです。しかし,事実としてそう指摘されたわけですから,母はこの日,このことをみなと赤十字病院の主治医にも伝えました。ところが調べてみても虫歯はないと言われたのです。何を虫歯というのか,歯科医によって判断が異なるということはあり得ますが,ないと言われたこと自体は,少なくともここではむしろ自然であったと思います。
 しかし念のためということで,被せものをしてある歯をさらに調べるために,レントゲンの撮影をしました。これは母の入院中に僕が妹をここの歯科の診察に連れて行ったときにもありました。レントゲン室は2階にあるのですが,撮影後にまた主治医がそれを見て診察するので,ひどく時間が掛かるのです。これがこの日の帰宅が遅くなった理由。虫歯はやはり発見されませんでした。
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日刊スポーツ賞スパーキングサマーカップ&精進落とし

2012-08-22 20:38:44 | 地方競馬
 高知から2頭が遠征してきた第9回スパーキングサマーカップ
                         
 ラインプレアーが躓くような発走で大きく出遅れ。クラーベセクレタが直線の中ほどで先頭に立つとそのまま逃げることになりました。2番手はルクレルクで3番手がディアーウィッシュ。ナターレがその後ろで内にはファイナルスコア-という態勢。前半の800mは50秒2で,これはスローペースでしょう。
 前にいった中ではディアーウィッシュが3コーナーを過ぎて後退。しかしペースがペースですからほかの馬はばてずにそのままといっていい隊列で直線に。逃げたクラーベセクレタはそこから後ろを引き離していき,3馬身の差をつけて快勝。ルクレルクも2着に粘り,中団から馬場の中ほどを追い上げてきたスターシップが3着。
 優勝したクラーベセクレタは4月のしらさぎ賞以来の勝利で南関東重賞では8勝目。牝馬戦とはいえ重賞の勝ち馬ですから,牡馬に混じってもここでは力量上位で,ごく当然の勝利。南関東重賞に出走してくる以上は今後も中心的存在になりますし,牝馬戦であれば重賞勝利もまだ積み上げることができる馬だと思います。母の父がタイキシャトル。Clave Secretaはスペイン語で秘密の鍵。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手はしらさぎ賞以来となる南関東重賞制覇。スパーキングサマーカップは初勝利。管理している船橋の川島正行調教師もスパーキングサマーカップは初勝利。

 お寺での法要を終えると親族一同それぞれの自動車で日野公園墓地へ。の墓参りを済ませて,水曜日に予約を入れた和食レストランへ。法要の開始時刻が僕たちが予定していた時刻よりはずれこみましたので,到着も予約時間よりも遅くなりましたが,これは問題ありませんでした。というか,予約をしたときに先方の担当者といくつかのやり取りがありましたが,その中に予約時間に関するものがあり,僕は予約した時刻よりも早くなることはないと答えておいたのですが,先方としては早くなるのは困るけれども遅くなるなら構わないという感じの返答でした。おそらく僕たちの前にほかの予約が入っていたものと思います。
 この前日までは晴天で暑い日が続いていたのですが,この日は曇天で,多少は凌ぎやすい陽気でした。僕は父の最期の直前に買った夏用の喪服を着用していましたが,それでもこの時期にこの格好は厳しいものがありますから,雨が降るというわけでもなく曇天となったのは,むしろよかったのではないかと思います。納骨のときも同じような天候で,父の法事は天気としては恵まれていることが多いように思います。
 帰宅したのは16時過ぎ。精進落としというのは当然ながら料理が出るわけですが,このくらいの時刻の場合は僕は食餌療法の関係がありますから食べません。もちろん何も食べないというわけではなく,熱量の低いものを多少は口にしますが,ご飯を食べるというようなことはしないわけです。ここのお寺の法事は大概は午後1時半に始まっていましたから,ここで法事を営む場合はいつもこのパターンでした。しかしや妹は出てきた料理を食べます。したがって時刻としては早すぎるのですが,これが夕食の代わりとなるわけで,小腹がすいて何かを口にするということはあっても,家できちんと夕食を摂るということはしません。逆に僕は帰ってから夕食ということになります。つまりこういった日はきちんと夕食を摂るというのが家族3人のうち僕だけということになります。そのためにご飯を炊いても多く残るだけですから,この日は近くのコンビニエンスストアで弁当とサラダを買ってきまして,それで済ませました。
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鶴見五郎&金額

2012-08-21 18:51:08 | NOAH
 ハル・薗田とともに,馬場の配慮を受けたレスラーとして,鶴見五郎の名前を出しました。鶴見は元々は国際プロレスに所属していたのですが,僕のプロレスキャリアの始まりの時期というのは,ちょうどその国際プロレスが倒産した直後くらいにあたりますので,僕はその時代の鶴見についてはほとんど知りません。というよりも僕は国際プロレスについては何も知らないといった方が正しいでしょう。
 国際プロレスに所属していたレスラーたちは倒産後は散り散りになりました。といっても当時の日本には全日本プロレスと新日本プロレスしかなかったわけですから,日本でプロレスをしようとするなら,どちらかの団体に上がらなければならなかったわけです。
 このうち,新日本に上がってヒールとなったのがラッシャー・木村やアニマル・浜口など。一方,全日本に上がって所属のレスラーとなったのがマイティ・井上や阿修羅原,後のサムソン・冬木などでした。新日本に上がった選手が団体の所属とはならずに猪木に立ち向かったのに対し,全日本に上がった選手が馬場と敵対するのではなく所属レスラーになったのは,選手の格の違いはあったかもしれませんが,いかにもそれぞれの団体の色にマッチしていて面白いところです。
 鶴見はどちらの道も選ばず,全日本プロレスに参戦することにはなりましたが,所属レスラーとはならず,フリーの立場でヒールとして生きることになりました。これは鶴見自身の選択を,馬場が尊重した結果であったのだろうと思います。そしてこの当時,すでに新日本から引き抜かれていたインドの狂虎とチームを結成するに至りました。
 シンは新日本時代にすでに上田馬之助とチームを結成していて,シンの全日本移籍に伴って上田も全日本で仕事をするようになっていました。僕はシンのベストパートナーは上田であったと今でも思っていますが,このチームに鶴見が加わったことは,非常によいアクセントになっていたと思います。鶴見自身,この時代が自分のプロレスラー生活の中において,本当のヒールスタイルを見せることができた時期だったと語っています。もしかすると鶴見のレスラー生活で,これが最良の時代であったということなのかもしれません。

 普段はどれくらいの額をお布施として包んでいるのかということは,さすがに具体的に明らかにすることはできません。ただ,そう箆棒な額ではないということは事実です。むしろそういった金銭面だけに関していうならば,ここのお寺は良心的であるといっていいかもしれません。
 本当にそうなのかどうかは僕は知りませんが,戒名というのがお布施に基づいて決定されるという話を僕は何度か耳にしたことがあります。しかしここのお寺は,少なくとも檀家である限り,お布施に包む額と戒名との間に因果関係はありません。
 の通夜の日程は一昨年の8月6日。これは斎場で行いましたが,斎場にも控室がありまして,僕たちはそこでお布施を渡しました。これは通夜の読経が終ってからのことです。しかし父の戒名というのは,それ以前に決まっていました。実際,通夜の席には白木の位牌が用意されていましたが,そこにはすでに戒名が記されていました。つまりお布施を渡す以前に戒名は決まっていたということになりますから,両者の間に因果関係がないことは一目瞭然です。これは祖母,父の母のときも同様でした。またK伯母のときは,お布施を渡したのは僕たちではありませんでしたが,同じように通夜が開始される時点で戒名がつけられていましたから,やはり同様であったと思われます。
 また,こうした法事のおりには塔婆を墓地に立てます。もちろん法事のときだけでなく,彼岸などでも同様です。この塔婆というのはお寺で用意するものであり,有料です。その値段は決まっていまして,このお寺の場合は1本が1000円です。しかし僕はこんなに安価な塔婆というのはほかに知りません。それがいくらなのかはここでは明らかにはしませんが,祖母,これは母の母のことですが,こちらのお寺の塔婆はその倍以上します。ただそれも特別に高額というわけではないです。実際,父の姉にはもうすでに亡くなった方がいて,その法事は父のお寺とは別のお寺で行われることがありますが,塔婆を立てるための金額は,むしろ祖母の塔婆と同じような値段である場合がほとんどですから,むしろこちらが相場といえるのではないかと思います。
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竜王戦&お布施

2012-08-19 18:33:15 | 将棋
 第25期竜王戦は丸山忠久九段と山崎隆之七段が挑戦者決定三番勝負に進出。第一局は16日に指されました。対戦成績は丸山九段が4勝,山崎七段が6勝。
 振駒で丸山九段の先手。山崎七段の一手損角換り4に対して先手の早繰り銀。後手は四間飛車でこれを受け,銀を退却させると右四間飛車に振り直して攻撃を狙うという珍しい作戦。その中盤の戦いは先手がうまく立ち回っているように僕には思えたのですが,実際にはそうではなかったようです。
                         
 ここがポイントとなった局面のようで,後手は△1四歩と指すべきであったとのこと。ただ,ここでの最善手が△1四歩であるといわれても,僕のレベルではなんだかなあという感じです。実戦での指し手は△6六歩の取り込みで,間違いなく僕ならこう指すだろうという手でした。先手は▲6三歩と叩き△同金と取らせて▲3五歩と攻め合いを目指しました。以下,△5五歩▲3四歩△5四金と進んだところで再度の▲6三歩。△同飛に▲7ニ角と打ち,△6四飛▲8一角成で先手の桂得となりました。
                         
 確かにこの局面では駒得の分だけ先手がよさそうではあります。実戦はこの後,後手の猛攻を受けきった先手の勝ちとなりました。
 二期連続挑戦に向けて丸山九段が先勝。第二局は来月6日です。

 そうこうしているうちに定刻の午後1時となったのですが,この時間にはまだ法要は開始されませんでした。これはすでに食堂にいた信者から聞いたのですが,お寺のスケジュールでは法要の開始時刻はいつもと同様の午後1時半になっていたからです。これは新しいグループリーダーの方との連絡の行き違いという結果ですが,僕もも午後1時という時間に関しては不審に思ったのですから,きちんと確かめておくべきでした。ただ,親族はすでに集合していて,いつ開始されても大丈夫という状況にはなっていましたので,先方の計らいで,午後1時15分から開始するということになりました。
 本堂に集合し,法師の到着を待っていました。この日は住職は不在ということでしたから,この時点では僕も母も,代理の法師が現れるものと思い込んでいたのです。ところが実際に現れたのは不在であった筈の住職の方でした。
 住職であろうと代理の法師であろうと,それで読経する時間に変化があるわけではありませんから,そのことは大した問題ではありません。熱心な信者であれば,できれば代理の法師ではなく住職に読経してほしいと願うかもしれませんが,僕たちはそういうわけではありません。ですから住職に読経してもらって,非常にありがたかったというように感じたというわけでもないのです。ただ,この手違いはちょっとした問題を発生させたかもしれません。
 読経が終ると住職が退場します。住職は本堂の隣の部屋に控え,そこに施主が案内されるというのが一連の手順。この案内役も以前はK伯母がやっていましたが,この日は別の信者に連れられていきました。そこでお布施というものを渡し,少しの会話をするのです。
 これはK伯母に指示されていたことなのですが,このお布施の額というのは,住職と代理とで同一ではあまりよろしくないということでした。それで僕たちは包む額というのを変えていました。もちろん住職の方を高額にしていたのです。この日は住職が不在ということでしたから,いつもは代理の法師のお布施の金額を包んで用意してありました。ところがそこに住職が登場したわけです。だからといって包み直すというわけにはいきませんから,仕方がないのでそのまま渡すことになりました。いつもと異なった金額でしたから,後で住職は訝しく思ったかもしれません。
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サマーナイトフェスティバル&本門仏立宗

2012-08-18 21:02:32 | 競輪
 四日市競輪場では2度めの開催となる第8回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは菅田-渡辺の北日本,武田-長塚の茨城,藤木ー川村ー村上の京都で深谷に中村。
 渡辺が勢いよくスタートを取って菅田の前受け。3番手に武田,5番手に深谷,7番手から藤木で周回。残り2周のホームから深谷と藤木がほぼ同時に動き,藤木が叩いて京都勢が前に。バックで深谷は4番手でしたが,内から菅田がこの位置を奪いにいくようなレース。しかし渡辺はこれを追わず,打鐘で外から発進。これに控えた武田が乗る形。1コーナー過ぎから川村が藤木の番手から発進したものの,バックでは武田がさらに捲って前に。しかしマークの長塚は村上に捌かれ,村上が武田を追って直線。村上は武田に迫りはしたものの並ぶところまではいかず,武田が優勝。村上が2着で外を捲り追い込んだ深谷が3着。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は先週の松戸記念を制していてこれで出走3連続優勝。6月には高松宮記念杯を優勝していてビッグ節目の10勝目。サマーナイトフェスティバルは第5回以来の2勝目。打鐘前で後ろに置かれる形になったのでどうかと思いましたが,現状の力からすればあまり関係がなかったようです。直線で差を詰められたのはやや意外だったのですが,二段駆けの上を捲っての優勝ですから強かったとしかいいようがありません。対抗するのがかなり大変なように思える近況です。

 そこに残っていた方たちは,午後からの三回忌法要があるということは知っていました。というより,こうした場合にはその法要にも参加するという信者の数が,けっして少なくはないのです。実際,この日も残った方々の多くが参列しました。これはこのときに限った話ではありませんから,僕たちと顔馴染みという信者の方もいらっしゃったのです。
 僕たちは法事というものをこのような形でこれまでずっと経験していましたから,それがごく当然と思っていますが,こうしたことがよくあることなのかどうかは分かりません。ただ,本門仏立宗においてこうした形式を採用するのは,わけあってのことのようには思います。というのは本門仏立宗という宗派は題目,これは南無妙法蓮華経のことですが,これを口で唱えることによって功徳があるというのが基本的な教えです。ために読経というのは住職だけがするものではなくて,信者も一緒に唱えるのです。これは通夜とか葬式も含むすべての法事のときにも同様ですし,たとえばこの日もあった朝のお勤めのときなどにも同様です。また,その際には住職が叩く木魚に合わせ,正式な名称は知りませんが2本の短い木の棒を叩くことによって音を出すこともあります。したがって本門仏立宗の読経の時間というのは,たとえば昨年の暮れに老衰で死んだ祖母の通夜と葬儀のときのような読経と比べると,かなり賑やかです。死んだ祖母,これは父の母ですが,生前は毎日,仏壇に向って読経していましたが,これは本門仏立宗の教えを忠実に守っていたからでしょう。
 食堂というのは台所の隣の部屋で,台所というのもテーブルが置けるくらいの広さがありましたので,話をした結果,信者の方はそちらで昼食にするということになり,食堂は僕たちのために開けてくれました。この時点では予定されていた時間よりもまだかなり早かったですから,僕たちが一番乗りで,したがってこの部屋は僕と母と妹,そしてアパートの叔父の4人しかいなかったわけですが,親族も順々に集まり始めました。そして法要開始の時刻である午後1時の少し前までには,この日に参列する予定であったすべての親族が集合したのです。
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日刊スポーツ賞黒潮盃&お寺

2012-08-17 18:36:29 | 地方競馬
 笠松から1頭,佐賀から1頭が遠征してきた一昨日の第46回黒潮盃
 このメンバーでもスピード上位と考えていたエスワンプリンスが逃げることになるのではないかと予想していたのですが,どうもその気がなかったようでディーオが先手を奪うことになりました。アイキャンディが2番手につけ,エスワンスペクターは抑えつつ3番手から。イブニングラッシュ,オゼキング,シラヤマヒメ,ジャルディーノと続いてアスカリーブルはその後ろ。最初の800mは50秒7でミドルペース。どうやら逃げ馬は集中力を欠くような走りであったようです。
 アスカリーブルは3コーナー前あたりから動き始めました。前3頭のうちアイキャンディは後退し,ディーオ,エスワンプリンス,アスカリーブルがほぼ雁行状態で直線に。この3頭が抜け出しての叩き合いになり,ややてこずった感もありましたが外のアスカリーブルが最終的には抜け出し,1馬身半の差をつけて優勝。差し返すような形でディーオが2着。エスワンプリンスはクビ差遅れての3着。
 優勝したアスカリーブルは重賞制覇を達成した関東オークス以来の実戦。前々走の東京プリンセス賞も勝っていて南関東重賞は3勝目。牝馬同士とはいえ重賞の勝ち馬ですから,牡馬相手でもこのメンバーでは力量上位。その意味では順当な勝利。抜けるのに手間取ったのは,おそらく57キロという斤量が影響したためでしょう。牝馬の重賞路線で活躍できる馬だと思います。父は1999年のセントライト記念を勝ったブラックタキシード。Libreはイタリア語で天秤座産まれ。
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は第40回以来の黒潮盃2勝目。管理している船橋の川島正行調教師は初勝利。

 このお寺には入口というのがふたつあります。ひとつが正面玄関であるとすればもうひとつは勝手口といった趣で,台所に通じています。ただしこの台所というのは,たとえばお勤めを終えた信者が摂るための昼食の炊き出しなどを行うための台所であって,信者が使用するためのもの。住職の家族はもちろんこのお寺の敷地の中で暮らしているわけですが,その生活のための台所ではありません。K伯母急性呼吸不全で急死する前は,たとえば彼岸の塔婆を受け取るために伯母に呼ばれて僕がこのお寺に行くといったことも何度かありましたが,そうした場合は僕は大抵はこの勝手口の方を利用していました。K伯母は台所で食事の支度をしているケースが多かったからです。しかしこの勝手口というのは,そうした場合にのみ使用するものであって,こうした法事のときなどは,必ず正面玄関から入室します。
 正面玄関を入りますと,障子が立てかけてあり,それを開けば本堂です。この本堂はかなり広く,おそらく100人くらいであればかなりの余裕をもって入ることができるでしょう。畳敷きではありますが,その上に絨毯が敷かれ,備えつけではありませんが長椅子が並べられています。したがって読経のときは,僕たちはその長椅子に着座するということになります。前にもいいましたが,本門仏立宗という宗派は読経時間が長いですから,畳の上に正座というのは大変で,これは僕たちにとってはありがたいですし,信者も高齢の方がやはり多いですから,脚を悪くしているという方もおそらくは少なくない筈で,そうした信者への配慮によってなされている措置であろうと思われます。
 このとき,本堂にはだれもいませんでした。つまりこの日の午前中のお勤めはすでに終了していたということになります。ただ,時間がまだ早いですから,僕たちは本堂ではなく,勝手口のある台所の隣の部屋にあたる,食堂で待つことになりました。もっともこれはこうした場合にはいつもそうしていたことであり,この日だけ何か特別のことをしたというわけではありません。ただ,この日は食堂には何人かの信者が待機していまして,これから昼食を摂ろうとしているところでした。
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農林水産大臣賞典スポーツニッポン杯ブリーダーズゴールドカップ&事前の連絡

2012-08-16 20:25:27 | 地方競馬
 地方馬が揃わず寂しい頭数での戦いとなった第24回ブリーダーズゴールドカップ。エイシンブイダンスが出走取消で6頭。
 好発はメイショウタメトモで,まず先頭に立ったのですが,外からテスタマッタが抑えきれないような感じでこれを交わしていき,1コーナーで先頭に立ってこの馬の逃げ。メイショウタメトモが2番手に控え,内にシビルウォー,外にピイラニハイウェイ,さらにダイシンオレンジまで,あまり差がなく続きました。
 向正面でシビルウォーは外に出し,3コーナーあたりでは早くも鞭を入れて追撃開始。直線の入口では2番手まで上がると,直線ではテスタマッタも交わし,そこからは独走で6馬身の差をつけての圧勝。一杯一杯でしたがテスタマッタが2着を確保し,メイショウタメトモが流れ込む形で3着。
 優勝したシビルウォーは先月のマーキュリーカップからの連勝で重賞4勝目。第23回に続いて連覇。能力的には2着馬の方が上かもしれませんが,距離適性はこちらが上で,その意味では順当な勝利といえるもの。大レースにいくと少しだけ力不足という感は否めないのですが,重賞制覇は今後も増やしていくことができるのではないでしょうか。
 今日の鞍上は内田博幸騎手でブリーダーズゴールドカップは初勝利。管理している戸田博文調教師は連覇で2勝目。

 K伯母に代わって新しくグループリーダーになられた方からの事前の連絡では,三回忌法要は7月22日の午後1時から,お寺の本堂で営むということでした。ただし,この日は諸事情によって住職が不在なので,読経は住職の代理となる法師が行うということでした。このお寺の住職というのは,僕が知っている限りでは2代目なのですが,先代の頃からかなり多忙で,ために住職が不在で法要を営むということはこれまでにもありました。父の母が死んだときは先代の時代でしたが,通夜の日はその住職が不在でその代理,というのは現在の2代目の住職のことですが,読経し,翌日の葬儀の日には住職が戻って読経しました。ですからこのこと自体は驚くようなことではありませんでした。ただ,僕たちが訝しく思ったのは,午後1時に法要を開始するという点でした。
 実はこのお寺は,午前中に朝のお勤めというのがあります。K伯母が存命中に,僕の家に寄る機会が何度かあったのは,こうしたお勤めがあったからで,それが終ってから僕の家に来ていたのです。これが毎日行われていたのかどうかは知りませんが,週末には必ずあったようで,わりと多くの信者が集まってのお勤めがされていました。そしてそうした信者の中には,お勤めが終ったからといってすぐには帰宅せず,お寺の食堂で昼食を摂ってから帰るという方もいたのです。こうした関係から,これまではきまって,法要が始まる時刻というのは午後1時半,そうでなければ2時でした。なのでそれよりも早い1時という時間が,僕たちには意外に思えたのです。
 当日となる22日,この新しいグループリーダーの方は不在でした。詳しいことは分かりませんでしたが,どうも心臓を悪くされたようで,静養が必要であると診断されたからです。ただ,午後1時という連絡を受けていましたから,参加する親類にはそのように伝え,僕たちは少し早く,正午頃には家を出ました。三回忌法要にはアパートの叔父が参加できるということでしたので,叔父の運転です。もちろんこの日はバッテリーにも何のアクシデントも生じませんでした。お寺には自動車でなら10分も掛かりませんが,途中でちょっとした買い物がありましたので,到着は12時20分頃だったのではないかと思います。
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農林水産大臣賞典サマーチャンピオン&グループリーダー

2012-08-15 18:41:53 | 地方競馬
 交流重賞としては数少ないハンデ戦。そのハンデが結果にどう影響するかも注目していた第12回サマーチャンピオン
 逃げ候補が3頭いて,どれがハナを奪うのかにも注目していましたが,ダッシュよくテイクアベットの逃げとなりました。外からラブミーチャンが2番手となり,外のエーブダッチマン,内のトシキャンディが並ぶような追走に。最初の600mは35秒5で,ハイペースには相違ありませんが,コース形態からしても十分に前が残ることが可能なペース。
 テイクアベットはラチからかなり離れたところを走り,向正面で最初は置かれていたスーニが内から進出。3番手まで上がって直線に。最も余裕があったのは逃げていたテイクアベットであったようで,直線では後ろをさらに引き離して4馬身差の圧勝。ラブミーチャンも2着に流れ込み,スーニは最後は一杯となり1馬身差の3着まで。
 優勝したテイクアベットは2月に準オープンを勝ってオープン入り。5月の芝のオープンで3着した後,降級してまた準オープンを勝利。前走の重賞は6着でしたが0.3秒差。今年に入っての上昇馬といってよく,ここで重賞初制覇。芝かダートかは関係なく,軽快なスピードを利するタイプの馬で,それが生きるようなメンバー構成のときは,今後もチャンス十分でしょう。父はサクラバクシンオー,カナデアンガール系ダイニクモゼキの分枝。Take a Betは掛けに応じる。
 騎乗したのは幸英明騎手で,第9回以来3年ぶりのサマーチャンピオン2勝目。管理している湯窪幸雄調教師にとってはサマーチャンピオン初勝利。

 和食レストランの予約は問題なく入れられました。実はの三回忌法要はその次の日曜日,つまり7月22日に予定されていまして,予約するにはぎりぎりの時間でしたから,少しの心配はあったのですが,杞憂に終わったことになります。
 そして22日の三回忌法要を迎えたのですが,実はこれが大変でした。これは昨秋のK伯母の急死と関係しています。といいますのも,このお寺との関係はまず祖母,父の母から始まって,祖母の死後は父の姉,すなわち祖母からみた場合の長女に受け継がれ,その長女,僕からみれば伯母ですが,この伯母の死後はK伯母がさらに引き継いでいたわけです。したがってこれまで,お寺で何かをするための依頼というのは,すべてこのK伯母がほぼ一手にこなしてくれていました。の入院中に,自宅で父の百日法要を営みましたが,これが可能だったのも,K伯母が事前に手配してくれていたからで,僕だけであればきちんとできたかどうかは分からないくらいです。ところが今回はそのK伯母がいないのですから,僕たちの方から直接にお寺に依頼しなければならなかったのです。
 さらにいうと,このお寺というのは信者が多く,その信者がいくつかのグループに分けられていました。そしてそのグループごとに,いわばリーダー的存在がいたのですが,僕たちの家が属していたグループでこの役回りを担っていたのがK伯母でした。したがってK伯母の死後は別の信者がリーダーになったのですが,まだそうなってから日が浅いために慣れていなかったようで,こちらからの依頼というのがあまりスムーズに通らなかったのです。父の最期というのは8月4日,事前に父が死の予告というべきものをした当日のことでした。法要は親族に集まってもらうものですから,そうした都合を考えますと土曜日か日曜日が望ましいことはいうまでもありません。しかし8月4日当日より遅くなってはいけません。よって8月4日の土曜日かその前の週の週末,28日か29日が僕たちの希望でしたが,それが22日となってしまったわけです。もっとも,法要には住職の都合というものが関係しますから,これはこれで仕方がなかったともいえます。
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農林水産大臣賞典クラスターカップ&和食レストラン

2012-08-14 18:52:24 | 地方競馬
 今週は3日連続で交流重賞。今日は第17回クラスターカップ。おそらく大雨の影響で移動ができなかったためだと思いますが,セレスハントは岩田康誠騎手から田中勝春騎手に騎乗変更。
 好発はタイセイレジェンド。外から何頭かが追い掛けていこうとしましたが,振り切ってそのまま逃げました。スターボード,サマーウインド,ブリーズフレイバーの3頭までが先行集団を形成。セレスハントは好位から。最初の600mは34秒0でこれはミドルペース。
 タイセイレジェンドの逃げ足は快調。スターボードは直線入口まで食い下がりましたが,そこからはタイセイレジェンドが離していって独走。ほとんど止まることなく後続に6馬身の差をつけての圧勝。3コーナー手前から動き始めたセレスハントが2着。後方から直線ではインから追い上げたアイルラヴァゲインもスターボードを差して3着。
 優勝したタイセイレジェンドはこれまで23戦して6勝。昨年暮れあたりからの戦歴から,重賞制覇は時間の問題と思っていましたが,ここで達成しました。今日は斤量面で恩恵がありましたが,逃げて35秒台で上がってきた内容は強く,まだ活躍が望めそうです。父はキングカメハメハ,母の父はメジロマックイーン。祖母の従弟に1995年の秋の天皇賞を勝ったサクラチトセオー,その半妹にその直後のエリザベス女王杯を勝ったサクラキャンドル
                         
 騎乗したのは内田博幸騎手で管理しているのは矢作芳人調教師。共にクラスターカップは初勝利。

 この翌日,7月15日の日曜日は,妹はガイドヘルパーに連れられての外出。この日は三浦市内にある施設まで行きました。妹が利用している外出としてはかなりの遠出にあたります。帰ってきたのも午後6時前と,このシステムでの外出としては異例といっていいくらい遅い時刻となりました。さらに翌16日にピアノレッスン。これは月曜日ですが,この日はハッピーマンデーの休日。したがってこの間は妹は三連休であったのですが,そのすべてに何らかの予定が入っていたということになります。
 そして18日の水曜日,妹を作業所まで送っていった母が帰宅した後,僕は一緒に和食レストランへと出掛けました。これは直後にの三回忌が控えていて,その後の精進落としの予約を入れるため。もちろんただ予約を入れるために出向くのも馬鹿らしいですから,ついでに昼食もそこで済ませました。実は母からは,翌19日の昼にどうかという打診を受けていたのですが,僕の都合がこの18日の方がつけやすかったので,この日に変更してもらったものです。
 このレストランというのは僕の家から杉田へ向う途中にあります。位置関係でいいますと,僕の家からこの方面に行くには,国道16号線を横須賀方面に向うことになります。このブログにたびたび登場する場所でいえば,が入院し,現在も通院している磯子中央病院があり,その先に磯子駅,環状2号線との屏風ヶ浦交差点の先にこの和食レストランがあり,杉田というのはさらにその先です。
 ここで精進落としをするのはいわば恒例となっていて,父の葬儀の後は別でしたが,納骨の後もそう。昨夏の一周忌法要の後もそうでした。そもそもそれ以前の,父の母の法事の頃,つまり父の生前からそうでした。また,これは僕の家族ではなく,父の一番上の兄であるY伯父が中心となって営んだものですが,K伯母の葬儀の後のときもそうでしたし,その納骨の後のときも同様でした。大体がこうした法事に集まる人というのは決まっていますから,いつも同じ場所で行う方が合理的であったのです。そしてK伯母の場合には関係ありませんが,この場所は父や父の母が眠っている日野公園墓地から行きやすくもあったのです。
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燦燦ダイヤモンドカップ争奪戦&バッテリー

2012-08-12 18:42:52 | 競輪
 来週がGⅡなので今週は記念競輪が連続開催。松戸記念は今日が決勝でした。並びは山中-鈴木裕-鈴木誠の千葉,武田憲祐-望月ー栗原の南関東,深谷-山口の西日本で武田豊樹が単騎。
 スタートは深谷が取ってそのまま前受け。3番手に武田憲祐,6番手に武田豊樹を挟んで7番手から山中という周回。残り3周のホームから早くも山中が上昇していき,バックではこれに先んじて武田憲祐も動き,武田憲祐が残り2周のホームで深谷を叩いて前に出たところを外から山中がさらに抑えて打鐘。武田豊樹が千葉に切り替えて4番手。ホームから叩かれた武田憲祐が発進していき南関東による先行争い。山中の番手の鈴木裕が,牽制するのか番手発進するのか中途半端な動きとなり,バックで開いた山中と鈴木裕の間に斬り込んでいったのが武田豊樹。これに深谷が続いて直線はふたりが後ろを引き離してのマッチレース。どちらが勝ったのかまったく分からなかったのですが,写真判定の結果,微差で武田豊樹の優勝。深谷が2着。ふたりが通ったコースをそのまま縫ってきた望月が5車身差の3着。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の福井記念に続いてGⅢ19勝目。単騎の戦いを強いられましたが,先行しそうなラインの後ろをうまく立ち回りました。南関東で叩き合うのはあるいは予期していなかったかもしれませんが,バックでインを上がり,鈴木裕の隙をついた判断も見事でした。脚力だけでなく,レースでのうまさも感じさせる内容が続いていて,しばらくは崩れることがなさそうに思えます。
 現在の武田は無風でマークしても抜くというのは至難の技に思えます。2着でしたが微差まで持ち込んだ深谷もさすがというほかありません。

 脳内出血を発症する以前は妹をこの自動車で作業所まで送っていました。したがって少なくともウィークデーに関しては,ほぼ毎日この自動車が使用されていたわけです。母の異変が生じた当日も,僕とK伯母と一緒にの墓参りに行くためなどにこの自動車を使いましたが,母がこの自動車を使ったのはこれが最後のこと。自動車の所有者名義は母のままで,税金の支払いの書類などは母に送られてきますし,必然的に自動車保険も母の名義になっていますから,保険料の支払いの通知なども母に送られてきます。しかし現在は実際にこの自動車を使用するとすれば,それは叔父であって,この日のように僕の家族の移動も兼ねて運転を依頼することがありましたし,また,叔父の方から申し出て,私用でこの自動車を使うということもありました。ただ,使用の頻度でいえば,母が運転をしていた頃と比較するなら,ずっと少なくなっていました。とくにこの頃は,この自動車はほとんど使用されていなかったのです。
 それでこの日は大和への墓参りのためにエンジンをかけようとしたのですが,これがどうしてもかからなかったのです。どうやらあまりに長い期間に渡って使用していなかったために,バッテリーが上がってしまったようなのです。よってこの日はこの自動車で出掛けるということができなくなってしまいました。
 一方,叔父は仕事で自動車を利用していまして,この自動車は会社から借り受けていました。幸いにしてこの日はその自動車が近くに停車させてありましたので,そちらを利用して出掛けました。会社の自動車ですから,万が一このような利用で事故を起こしたりすれば大変なことであり,本来はするべきではなかったでしょうが,従妹と待ち合わせていたということもあり,この日はやむなき判断であったのではないかと思います。そして事故を起こすこともなく,無事に帰宅してきました。叔父はそのままその社用車を利用してカー用品店専門店へ。新しいバッテリーを買ってきまして家の自動車もエンジンがかかるようになりました。これ以来,運転はしませんが母は定期的にこの自動車のエンジンだけはかけるようにしています。
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