スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

福井記念&インスリン

2009-06-29 19:17:20 | 競輪
 ふたつのGⅠに挟まれる開催となった福井記念の決勝(動画)。
 並びは萩原ー望月ー鈴木の南関東,柴崎ー坂上ー朝日の中部,村上ー市田の近畿で,佐藤が単騎。Sは坂上が取って中部の前受け。佐藤が4番手に入り5番手に村上。南関東が7番手以降。萩原が残り2周のホームから上昇し,バックで柴崎を叩くとさらにその上を村上。佐藤がこのラインに切り替え3車で叩くと打鐘から柴崎の巻き返し。しかし村上が突っ張って先行争いとなり,結局は村上の突っ張り先行に。バックから萩原が満を持して捲っていきましたがこれは市田が好ブロック。返す刀で市田が発進しましたが,マークとなった佐藤が悠々と交わして優勝。市田が2着で萩原の勢いをもらった望月が3着。
 優勝した福島の佐藤慎太郎選手はGⅠも勝ったことがあり,3,4年前まではトップクラスで活躍していた選手。まだ32歳ですから老け込む年齢ではないのですが,なぜかその後は落ち込んでいました。ここも冒頭に記した理由で強力メンバーとはならなかったのですが,今開催の脚は全盛期かそれを上回ると思わせるもので,復活なったとみていいのではないでしょうか。もとより北日本は先行勢がしっかりしていますので,またビッグ戦線で活躍してくれるものと思います。記念競輪はこれがおよそ6年ぶりで,4勝目です。

 血糖値が高くなるということが身体において生じるのが糖尿病であるということはこれでご理解いただけたと思います。しかしこれはあくまでも症状であって,ひとつの現象。再び第一部公理三でいえば結果に該当する部分なのであって,高血糖状態に陥るのにはそれだけの原因があります。そのときに大きく関与するのが,インスリンという名前のホルモンのひとつです。
 だれでも食事をすれば血糖値は上昇します。これは異常でも何でもありません。しかし高血糖状態が持続するのは人間の身体にとってマイナスですので,これを下げようとします。『エチカ』でいえばこれは第三部定理七のコナトゥスという,自己保存を意味する概念で説明できるでしょう。そこで,すい臓からインスリンというホルモンが分泌されるのです。
 ただし,インスリンは直接的に血液中のブドウ糖に働きかけ,これを分解するとかいうような働きをするわけではありません。そうではなくて,この糖分が血液中から細胞の中に取り込まれるのを扶助するような役割を果すホルモンです。この結果,糖分は細胞内に移動するので,血液中の糖分はある程度まで,すなわち食前の正常とされる値まで低下することになります。
 なお,インスリンというのはこのように,食後に多く分泌されるホルモンではありますが,こうした分泌のほかに基礎分泌といわれる分泌があって,これは常に分泌されているとお考え下さい。
 重要なのは,こうした働きをするホルモンが,人間身体にあってはインスリンのみであるということです。よってそれが質的なものであれ量的なものであれ,インスリンの分泌に関して何らかの問題がある人間の身体に生じますと,この人間は血液中の糖分を細胞内にまったく,あるいは十分に取り込めなくなり,高血糖の状態が持続するということになります。つまり糖尿病の原因は,インスリンの分泌に関わる何らかの異常であるということになります。
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宝塚記念&糖尿病

2009-06-28 19:04:18 | 中央競馬
 中央競馬の上半期の総決算となる第50回宝塚記念
 はっきりとした逃げ馬はいませんでしたが,コスモバルクが先頭に立つと,2番手のスクリーンヒーローをぐんぐんと離していきました。最初の1000メートルは59秒0。これはミドルペースですが,離して逃げた馬のものですので,実質はスローペースのレース。
 コスモバルクは3コーナー過ぎで一杯。インティライミが一旦は先頭に立ちましたが,外からサクラメガワンダーが上昇し,直線入口ではこちらが先頭に。そのまま抜け出そうとしたサクラメガワンダーを人気のディープスカイが追いましたが伸び脚はいまひとつ。さらに外からドリームジャーニーが鋭く伸び,内の2頭を捕えて優勝。サクラメガワンダーが2着に残り,ディープスカイは僅差の3着まで。
 優勝したドリームジャーニーは4月の大阪杯以来の8勝目。2006年に朝日杯フューチュリティステークスを勝っていますので大レースは2勝目。その年のJRA賞最優秀2歳牡馬になっていますが,父ステイゴールド,母の父メジロマックイーンという血統はむしろ晩成タイプ。ここにきてその血が一気に花開いた印象。距離はこれくらいがベストで,スローペースでの末脚比べが得意な展開。今日はそうしたレースになったのもプラスでした。
 鞍上は池添謙一騎手で,昨年のオークス以来となる大レース制覇。宝塚記念は2005年にスイープトウショウで制していてこれが2勝目。管理するのは池江泰寿調教師で,この馬による朝日杯以来の大レース2勝目です。

 口渇というのが糖尿病の症状であるということは,少なくとも昨年11月の下旬の段階では,僕はもうすでに糖尿病を発病していたとみるのが妥当でしょう。いや,糖尿病は自覚症状が出にくい病気に属するということを考慮するなら,もうすでにその時点である程度まで進行していたと考える方が正しいかもしれません。そこで,そもそも糖尿病という病気がどのような病気であるのかということを,ここで簡単に説明しておくことにします。
 最も簡潔に表現するなら,糖尿病というのは,血液中の糖分,ブドウ糖の量が過多になる現象のことをいいます。ただし,とくに食後などは,だれしも血液中に占めるブドウ糖の比率は高くなりますので,単にそのことだけをもって糖尿病とはいいません。この状態が持続するとき,とくに空腹中であるにも関わらず血液中のブドウ糖の割合,これを血糖値といいますが,血糖値が高い状態であるとき,糖尿病であると診断されることになります。ちなみに血糖値というのは,血液1dl中に何㎎のブドウ糖が含まれるのかということで判定されます。空腹の状態であれば大体は80mgから110mgの範囲が正常ですが,130mgくらいであればあまり心配する必要はないと考えられているようです。したがってそれよりも高くなりますとこれは血糖値が高い状態,すなわち高血糖とされ,糖尿病であると判定されることとなります。
 それから,血糖値はある程度の高さも必要で,60mg以下になりますと今度は低血糖ということになり,これは糖尿病とは異なりますが,生命にも関わるような状態です。マラソンや駅伝などで,走っている間にフラフラになったり倒れてしまうというケースがあります。こういうときにはいわゆる脱水症状に陥っているという場合もあるでしょうが,低血糖状態が身体に生じている場合もあるとも考えられます。とくに空腹時に激しい運動をしますとこの状態が生じやすくなりますので,これは糖尿病とは関係なしにお気をつけ下さい。
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棋聖戦&口渇

2009-06-27 19:41:18 | 将棋
 互いに後手番で1勝ずつをあげて迎えた第80期棋聖戦五番勝負第三局。
 木村一基八段の先手で相矢倉▲3七銀。先手が雀刺しから1歩を入手。対して後手の羽生善治棋聖が桂損の攻めを敢行して第1図に。
           
 この局面,先手を持って温泉気分に浸るというのは早すぎるのかもしれませんが,後手を持ったら相当に自信がない局面です。実際,次の一手が△3五歩ですから。こんな手を指さなければいけないようではすでに大差であるといっていいでしょう。実戦,ここからまだ60手弱続いたのですが,後手の駒損は広がる一方,さらに歩の枚数までえらく差がついてしまい,稀に見るくらいの先手の快勝に終っています。
 木村八段が勝って2勝1敗とし,棋聖位に王手を掛けました。第四局は来月9日に指されます。

 糖尿病の自覚症状のひとつとして表れるとされる口渇。実はこれは喉が渇くというように説明されている場合があります。実際,糖尿病は利尿作用があって,そのために体内の水分が減少するということも事実としてあるようなので,これでみれば確かに喉が渇くという表現は適切であると思います。しかし,実際の僕の体験からすれば,この口渇というのは,喉が渇くというのとはまったく違っていました。これはもしかしたら僕にだけ特異に生じた現象ではあるかもしれませんが,少し説明しておきましょう。
 喉が渇くという感覚は,別に糖尿病であろうとなかろうとだれしもが自分自身について知覚するような感覚だと思います。もちろん僕も数知れず体験してきました。そして喉が渇けば何か水分を摂取します。
 口渇が僕に表れるようになった初期の頃,すなわち日付でいえばこれは昨年の11月終り頃ということになりますが,僕はこれを解消するために,喉の渇きを潤すのと同様に水分を摂取していました。これはすでに説明していた通りです。しかし実際に僕が知覚していた感覚というのは,喉が渇いたということばで説明されるようなものではなく,文字通りに口渇,すなわち口の中が渇くというものでした。だから僕はそれを,喉の渇きではなく,冬場の目覚めたときの口の中の状態にたとえたのです。
 最も単純にいうと,これは唾液が出てこないというような感覚です。実はこの口渇の症状は,後に一気に進捗し,僕は物を食べるということ自体に苦労するようになりました。それは,何か食物を口の中に入れても,唾液によって口の中が潤ってこないからです。したがって僕は水分を多く含むようなものしか食べられなくなってくるのですが,これはまだ1月ほど後の話ですので,実際に僕の食生活がどのようなものになったか,また後に詳しく説明することにしましょう。
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竜王戦展望&自覚症状

2009-06-25 19:24:28 | 将棋トピック
 第22期竜王戦は12日に1組5位決定戦があり,本戦トーナメントの出場者が決定。それに伴い渡辺明竜王への挑戦者を決めるトーナメント表も完成しています。そこで例年のように展望してみます。
 まず左の山。最初の注目点は,開幕カードとなる筈の関西の将来有望な新鋭同士の一戦,豊島将之五段と稲葉陽四段の勝敗の行方と,この勝者がどこまで旋風を巻き起こすことができるかという点でしょう。もちろん実績を加味すれば,久保利明棋王と深浦康市王位が強力ではあります。
 右の山には羽生善治名人と森内俊之九段が入りました。やはりこの両者のどちらかが挑戦者決定戦に出場してくると考えるのが妥当なのではないかと思います。僕は今年はこちらの山ではないかという気がしますので,本命には羽生名人,対抗に森内九段,三番手には左の山から久保棋王としておきます。三番手は深浦王位でもよかったのですが,1組の優勝者はなぜか挑戦者になれないので,そのジンクスを重視しました。ただ深浦王位にとっては,当面は王位戦に全力投球でしょうから,本戦出場が遅くなる1組優勝を果したことは大きいとはいえると思います。

 第一部公理三というのは一般的な公理であるわけです。したがって,僕の口の中が渇いたということに何か原因があるということについては僕は間違っていたわけではありません。ただ,立てた仮説が誤っていたのであり,いくつかの理由もあって検証を怠りましたので,その仮説が誤っているということもなかなか理解できなかったのです。
 それでは真の原因は何だったのでしょうか。実はこれは,糖尿病の自覚症状のひとつだったのです。
 実は糖尿病というのは自覚症状がとても表れにくい病気です。そのために,自分では気付かないうちに糖尿病になっているにも関わらず,医師の診断を受けていないという,いわゆる糖尿病予備軍といわれる潜在的な患者の数は,実際に医師によって糖尿病と診断されている正規の患者の何倍もいるといわれています。
 このように糖尿病は自分が罹患していることを非常に気付きにくい病気なのですが,この口が渇くというのは数少ない自覚症状のひとつ。これは口渇(こうかつ)といわれますので,これからはそう表現することにします。
 ちなみに,口渇以外の自覚症状としては多飲と多尿というのがあげられますが,これら3つが関連しているということは,何となく理解できると思います。口渇を感じてたくさん飲む。だから尿もたくさん出る,と。実際には,糖尿病は尿が多く出る性質があって,これが原因で口渇が生じ,たくさんの飲料を飲むようになるというのが因果関係の正しい連結のようです。しかし,僕が感じた自覚症状の最初のものはあくまでも口渇であって,口渇のゆえに多飲というのはある程度まであったように思いますが,多尿であるということは,後にははっきりと自覚するようになりますが,最初のうちは少しも感じていませんでした。
 なお,これ以外の症状として,体重の減少や異常な空腹,強い倦怠感なども表れることがあるようです。このうち,体重減は僕にも出ましたが,これも自分で気付いたのはもっと後のことです。
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帝王賞&渇きの検証

2009-06-24 21:20:59 | 地方競馬
 上半期のダート王者決定戦,第32回帝王賞
 好発はフリオーソも外から同一厩舎のアジュディミツオーを先に行かせ,2番手。ヴァーミリアンがこの直後につけ,内をボンネビルレコードが追走。前半の1000メートルが62秒7というスローペースに。力ある馬が前にいましたので,後ろの馬は苦しくなりました。
 3コーナーを過ぎたあたりでアジュディミツオーは失速。フリオーソとヴァーミリアンが自然と前に出て,後ろを離して並んで直線に入りましたが,瞬発力の差でヴァーミリアンが突き放し,3馬身の差をつけて優勝。フリオーソが2着でさらに5馬身差の3着がボンネビルレコード。
 優勝したヴァーミリアンは昨年11月のJBCクラシック以来の勝利で大レース7勝目。不思議なことに日本では大レース7勝は何頭かいますが8勝はいません。その記録にチャレンジする権利を有したことになります。ここは休み明けでしたが,明らかにこのレースを狙ってきていましたのでそれは問題なし。4歳世代の不在には助けられたかもしれませんが,今日のメンバーでは順当な勝利でしょう。父はエルコンドルパサー,日本の母系祖先はスカーレットインク
 鞍上の武豊騎手安田記念に続く今月の大レース2勝目。帝王賞は2005年以来の2勝目。管理する石坂正調教師は昨年のマイルチャンピオンシップ以来の大レース優勝で帝王賞初制覇です。

 渇きの仮説の場合にも,実際にはそれが正しいのかどうかを知るためには,検証が必要でした。それは眼鏡が曇ることの具体的検証と,方法としては同じであるということになります。つまり僕はマスクを外せばよかったわけです。マスクを外すことによって口内の渇きが治まるのであれば,確かにそれはマスクの着用が原因であったということになるでしょう。しかし実際には僕はこの検証を怠りました。もしやっていれば,それでも口内の渇きは治まらなかった筈で,真の原因が何であるかはわからなかったでしょうが,少なくともマスクを着用したことがその原因ではないということは,当時の僕も知ることができたろうと思います。
 僕がこの検証をしなかったことに理由を求めるなら,ふたつのことがあげられます。ひとつは,確かにこの渇きは,眼鏡が曇ることに比べれば軽くは流すことができないものではありましたが,少なくともこの症状が出始めたときには,口の中を潤せば,つまり何か飲み物を飲めば,それで解決できましたので,最初からそんなに深刻なことであると感じられたわけではないからです。そしてもうひとつは,マスクは風邪の予防にもなっているわけで,それを外すリスクを犯したくなかったのです。つまりこの時点での僕は,口の中の渇きの問題よりも,風邪をひいてしまうことの方をより強く恐れていたということになります。このことからも,少なくともこの初期の時点においての口内の渇きが,僕にとってそれほど深刻には感じられていなかったということがお分かりいただけるのではないかと思います。
 なお,僕は口の中を潤すときには水はまず飲みません。缶やペットボトルの飲料だとミルクティーとかカフェオレのようなものが好みで,それ以前にもよく飲んでいたのですが,この時期はその本数がそれまでよりも少し増えていたと思います。
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王位戦&渇きの仮説

2009-06-22 20:39:27 | 将棋
 第50期王位戦挑戦者決定戦。紅白リーグを勝ち上がったのは木村一基八段と橋本崇載七段で,対戦成績は木村八段の3戦全勝。振駒で先手が橋本七段。木村八段の一手損角換り1-Ⅱ。中盤の戦いが始まってすぐ,印象的な進展がありました。
           
 第1図から後手は飛車取りに△6四角。先手は▲4六角と防ぎます。後手は角取りに△5五銀。先手は▲同角と取って△同角に▲4六銀。△6四角と逃げますが▲5五銀打の追い討ち。△同角▲同銀で第2図。
           
 第1図から第2図まで,10手進んで変わったのは,先手の銀の位置が3五から5五になったことと,後手の5四の銀が駒台に乗ったこと。先手はほぼ0手で銀をふたつ移動させたこと,つまりほぼ2手得したことを主張し,後手は好きなところに銀を打てるようになったことを主張しているといえます。
 将棋の本質はこういう互いの主張のぶつかり合いにあります。プロの将棋の場合,それは実際の指し手よりも水面下での読み合いに表れるケースが多いように思えますが,この10手の進行は,主張のぶつかり合いが僕などにも分かりやすく指し手に表現されているように思いました。
 将棋はこの後,先手の駒が一時的に引く形に。どうも見た目以上にそれがマイナスだったようで,後手の快勝に終っています。
 棋聖戦に続き王位戦も木村八段が挑戦者に。夏には木村二冠が誕生という可能性も出てきたわけです。王位戦は2日制の七番勝負。第一局は来月13日と14日です。

 僕がマスクを着用したことによる別の弊害であると考えた口の中の渇きの場合,その仮説の立て方は次のようなものでした。
 すでに示したように,寝起きのおりなどには僕は口の中の渇きに悩まされていました。したがって,この渇き自体は僕にとって初体験であったわけではありません。ただそれが,日中の起きている間にも生じたということが初めての経験であったわけです。
 次に,このことには何らかの原因があります。僕はそのことを理解しました。よって原因を探すわけですが,起きている間の口の中の渇きというのは,僕は初めての経験でしたから,この結果の原因となっているものもまた,僕にとって初めての経験であるような何かであるということになるでしょう。なぜならば,原因の方が始めて経験するものでなく,かつて経験したことがあったものであれば,その結果,つまりこの場合は口の中の渇きということになりますが,それもかつて経験したことがあるのでなければ不条理であるということになるからです。この考え方は第一部公理三に則っているといえます。
 僕にとって日常の生活の中におけるマスクの着用というのは,昨冬が初めての経験でした。よってそれは口の中の渇きの原因として,上述の条件を満たすものであったわけです。しかも,それだけではありません。これはおそらく僕だけに限ったことではないと思うのですが,スピノザが第二部定理二九備考で述べているところの自然に共通の秩序に従った知覚においては,マスクの観念と口の観念は容易に結びつくのです。つまり,口の中の渇きの原因の観念として,容易に結びついてしまう観念が,このときの僕にはあったのです。だから僕はこの仮説に即座に飛びついてしまったのだと思います。
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高松宮記念杯&理性と直観

2009-06-21 19:11:44 | 競輪
 1年の折り返しとなるGⅠ,高松宮記念杯の決勝が争われました。並びは山崎に渡辺の東日本,武田ー平原ー阿部ー諸橋の関東,浅井ー小嶋ー南の中部近畿。
 渡辺がSを取り山崎の前受け。中団に武田が入って7番手に浅井。残り2周のホームから浅井が上昇,一旦は武田に蓋をしてからバックで山崎を叩きに出ましたが,山崎が番手でイン粘り。小嶋がこれを嫌って下げたので,浅井の後ろに山崎ー渡辺と続いて打鐘。ここから武田がかまして出ると,今度は浅井が関東分断に出て平原の後ろに割り込みました。中団となった山崎は後方の小嶋の動きを確認し,3コーナーから捲りましたが,一足先に平原が番手捲り。結局そのまま粘りきった平原が優勝。捲った山崎が2着で,平原マークとなった浅井が3着。
 優勝した埼玉の平原康多選手は2006年8月に富山のふるさとダービーを勝っていて,ビッグは2勝目となりますが,GⅠは嬉しい初優勝。力だけならもっと早く勝ってもおかしくありませんでしたので,勝つべき人がようやく勝ったというところでしょうか。普通は武田選手の前を回るのですが,武田選手はすでにグランプリ出場を決めているのでやや異例の並びに。こういう小細工をするとうまくいかないケースも競輪ではままあるのですが,ここは途中で展開がかなりもつれたこともあり,奏功しました。今年は西武園記念を勝っています。

 この,眼鏡の曇りに関するような具体的検証は,しかし,実際にその原因が僕たちの精神のうちに与えられる場合には,このような手続きを踏んでいるとはいえないと思います。むしろこれは,日常的に眼鏡を掛けて生活している人であれば,眼鏡が曇る原因がマスクの着用にあるということを,自分の眼鏡の曇りを表象した時点で,ほぼたちどころに理解するであろうと思います。
 スピノザは第二部定理四〇備考二で,人間の精神による事物の認識を3種類に分類しています。このうち,自分の眼鏡が曇っているという表象は,まさにそれが表象であるがゆえに第一種の認識に属します。しかしこの場合には,この第一種の認識によって,たちどころに第三種の認識が同じ人間の精神のうちに生じ,眼鏡が曇った正しい原因をその人間は知るのです。この第三種の認識は直観知といわれていて,実は人間にとって最も確実な認識であるとされています。
 ただし,この場合のように第三種の認識によって知られ得ることを,僕たちは第二種の認識,すなわち理性による認識によっても知ることができるのです。これが可能であるということは,まさにこの備考においてスピノザが比例の例を用いて説明していますから問題ないでしょう。仮説の具体的検証というのは,常にこの第二種の理性的認識でならなければならないのであって,そのことによって僕たちは各々の仮説の真偽,すなわち仮説が正しいのか誤っているかを知ることができるでしょう。しかし現実的にいうならば,とくにこのような検証を経ずとも,第三種の認識によって知られ得るケースというのも往々にしてあるということになります。眼鏡の曇りもそれに該当するのですが,検証はあくまでも第二種の認識によってなされなければならず,それは僕が示したような方法になると思います。
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北海道スプリントカップ&具体的検証

2009-06-20 19:30:08 | 地方競馬
 今年から門別競馬場に舞台を移して争われることになった北海道スプリントカップ(動画)。グランシャリオナイター初の重賞として一昨日の晩に行われました。
 川崎のスパロービートが僕が思っていたより楽にハナに。かなり押していったヴァンクルタテヤマが2番手に上がり,その後ろが少し離れてポートジェネラル。レースはこのまま直線に入り前2頭の叩き合い。手応えはスパロービートの方がよさそうにも見えましたが,止まったのもスパロービートの方で抜け出したヴァンクルタテヤマが優勝。追い込んできたガブリンがゴール前でスパロービートを捕えて2着。スパロービートは3着。
 優勝したヴァンクルタテヤマは昨年8月のサマーチャンピオン以来の勝利で重賞3勝目。僕はかなり期待していたのですが,その後は少し落ち込みを見せていました。暑い時期の方がいい馬なのかもしれません。レース振りからすると距離はもう少しあった方がいいように思えますので,今夏のダートスプリント路線では目が離せない存在となるでしょう。
 鞍上の藤田伸二騎手は2005年以来2度目の北海道スプリントカップ制覇。安田伊佐夫調教師の死去に伴い管理することになった武田博調教師は初制覇となりました。

 それではこの種の仮説はどのように検証されるのかということを,具体的に考えてみましょう。まず,マスクを着用することによって眼鏡が曇るようになったという事例を題材としましょう。
 この場合,僕の眼鏡が曇るという表象が僕に与えられるわけです。「眼鏡は顔の一部です」というのはあまりにも有名なことばで,僕などは眼鏡をかけたまま顔を洗ってしまうこともよくありますので,これはあながち嘘というわけでもありません。ただ厳密にいうならばこれは自分自身の身体の表象ないしは知覚ではなく,眼鏡という外部の物体の知覚,より厳密にいうなら眼鏡というそうした外部の物体が曇るという現象の知覚でしょう。しかしそれが結果の表象,原因を伴わないような結果の表象として僕に与えられているということは同じですから,このことは問題にしなくてもいいだろうと思います。
 そこで僕は眼鏡が曇る原因として,マスクの着用を仮説として立てるわけです。そこでこれをどのように検証したらよいかといえば,今度は第一部公理三を利用するわけです。すなわち,一切の原因がなければ何らの結果も生じません。したがってもしもある結果が現実的に存在する場合には,この結果の原因が除去されるということになれば,結果の方も除去されるということになるでしょう。ところで仮説は,眼鏡が曇ることという結果に対して,マスクの着用という原因を想定しているわけですから,これを検証するためにはマスクの着用を排除する必要があるでしょう。そこでもしもマスクの着用を排除したとき,つまりマスクを外したとき,眼鏡が曇らなくなるのであれば,それはこの仮説が正しかったということになりますし,逆にそれでもなお眼鏡が曇るということが生じるなら,それは仮説が誤りであったということになります。
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棋聖戦&検証

2009-06-19 19:27:15 | 将棋
 第80期棋聖戦五番勝負第二局。
 羽生善治棋聖の先手で一手損角換り1-Ⅱ。途中までは挑戦者決定戦と同じ進行。先手から手を変えての戦いとなり,一旦は先手が角銀交換の駒得になるという戦果は上げましたが,これは一時的なもので結局は角と銀2枚の交換に。これで一段落という進展になりましたので,後手が少しリードしたのではないかと思います。第1図。
           
 この▲4六歩は,馬を自陣に引き付ける狙いだったかと思われますがおそらく負けを早めた手。馬引きを許さず,さらに馬を取る△7二金を見せる△6五歩の決め手を与え,しかも後で△2七角から3六の飛車を取られたとき,自玉にとってもマイナスでした。
 この将棋は最後の最後で珍しい筋が出ました。第2図は投了図。
           
 ▲6二龍の王手に△4一玉と4二の玉を引いたところ。ここで▲6一龍と入ると後手は△4二玉と上がり,▲6二龍に△4一玉で同一手順が無際限に繰り返されます。現在の将棋のルールでは同一局面が一局の将棋で4度生じると千日手で指し直し。ところが,もしもそれが王手の連続で生じるなら,王手を掛けている方が手を変えないと反則負けとなります。つまりこの将棋の場合は先手が手を変えなければならないということ。後手玉はそのルールによって逃れたということで,これはかなり珍しいケースだと思います。
 木村一基八段が返して1勝1敗。木村八段にとっては9局目にしてようやくのタイトル戦初勝利となりました。第3局は27日です。

 真理と虚偽のどちらであるのかを単純に問うならば,仮説は常に虚偽であるというのがスピノザの哲学の立場になります。しかしだから仮説は常に誤った内容を言明しているということにはなりません。あるいは,ここで考察している事例に限定していうならば,僕たちがある結果を表象することによってその原因を帰納法的に発見しようとするとき,僕たちが常に正しい原因を発見することができないということにはなりません。このことについてはとくに説明しなくても,経験的に明らかであるといえるでしょう。ただ,それがまだ仮説といわれる段階にあっては,それが正しいと確信できない,誤っているともいいきれないが,絶対に正しいともいえないという状況にあるということで,これはそうした観念が十全でありまた真理であるという条件から外れているということです。
 したがって,このような仮説を何らかの意味で虚偽から真理にしようとするならば,いい換えれば,僕たちの精神のうちにある混乱した観念によって,その混乱した観念と同じ対象を有するような十全な観念を有することができるようになるためには,この仮説に依拠するような何らかの検証が必要になります。そしてその検証というのは,今度は帰納法的な手法ではなくて,演繹法によらなければならないでしょう。そうでなければ僕たちの精神のうちにどんなものであれ十全な観念を形成することはできないということは,第一部公理四によって明らかであるといえるからです。
 よって一般的には次のようになります。僕たちがある結果を表象することによってその原因についての仮説を立てたならば,今度はその原因によって表象したような結果が得られるのかどうかを検証することができれば,僕たちはそれについて何らかの十全な観念をもつことができるでしょう。いい換えれば,その仮説が正しいのか誤っているのかを断定することができるようになるでしょう。
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マイナビ女子オープン&真理と虚偽

2009-06-18 20:15:08 | 将棋
 挑戦者決定戦で勝った岩根忍女流二段が出産のため産休に入り延期されていた第2期マイナビ女子オープン五番勝負ですが,いよいよ今日,第一局が指されました。対戦成績は矢内理絵子女王が2勝で岩根二段が1勝。
 振駒で岩根二段の先手で四間飛車,藤井システム。対する矢内女王の作戦は…。
           
 第1図のように香車の上に玉が乗るのを米長玉といいます。しかしそれはたとえば相矢倉などで戦線から一路遠ざかるために指されるもの。また,天守閣美濃から銀冠に組替えるのもありますが,この将棋は最初から1二へ玉が行くことを目的に指されていますから,思想的背景がどちらとも違うといえるでしょう。よってこれは米長玉というより矢内玉という新作戦のような気がします。この後,先手も持久戦にしたのでさらに不思議な手順で固めていって第2図に。
           
 このくらいはあらかじめ想定しているのかもしれませんが何にしても面白い序盤でした。将棋はここから△8六歩で開戦。途中は先手が優勢だったようですが,逆転して後手が勝ちました。逆転といわれている局面から後の指し方も並べている限り少し不思議に感じられましたが,きちんと勝っていますので正しかったのだと思います。序中盤で時間を使って1分将棋になるのは岩根二段のパターンではありますが,この将棋では時間切迫が響いてしまったようです。
 矢内女王が先勝。第二局は来月2日です。

 帰納法的思考によって僕たちにもたらされる仮説は,それ自体を真理か虚偽,すなわち十全な観念か混乱した観念かで分けるならば,すべからく混乱した観念なのであって,虚偽であるということになります。しかしこのことは,僕たちは仮説を構築することによって真理に到達することができない,現在の考察に即してもっと限定的にいうなら,正しい原因に到達することができないということを意味するものではありません。実際,こうした仮説は,ある場合には正しいといわれることさえあるでしょう。このあたり,非常にややこしいですが,スピノザの哲学に矛盾するものではないと僕は考えます。
 ある事柄が真理であるか虚偽であるかということは,形相的な事物についていわれるのではなく,客観的な事物,つまり事物の観念についていわれます。つまり真理か虚偽かというのは認識の問題であり,形相的には,必然的であるか不可能であるかという分類があるだけです。よって,真理か虚偽かは認識の問題であるといえます。第二部定理三五証明でスピノザがいっていることは,誤謬を対象にしてはいますがこれと同じことだと僕は思います。
 次に,第二部定理四三が示しているのは,ある人間の精神のうちにある真理があるなら,それが真理であることをその人間は知るということです。よって,もしもこの条件が成立しないなら,その認識はすべて真理ではない,つまり虚偽であるということになるでしょう。そこでもしも人間の精神のうちに,それが真理であるか虚偽であるかが分からないようなある観念があるなら,その観念は真理である条件を満たしていないので虚偽であるということになります。ところで,仮説というのは,それが真理であるか虚偽であるかが判然としないから仮説といわれているのです。よってこの限りにおいて,仮説はすべからく虚偽であるということになるでしょう。ここから僕たちが真理に到達するためには,まだ条件が必要であるということになります。
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関東オークス&仮説

2009-06-17 21:16:12 | 地方競馬
 3歳牝馬のダートチャンピオン決定戦となる第45回関東オークス
           
 好発はサクラミモザでしたが内からアンペアがかなり押して出てこちらの逃げ。逆に出がやや悪かったラヴェリータでしたがこちらも3番手まで押し上げて控えました。これをマークするようにモエレエターナル。隊列が決まると一気にペースが落ち,2周目の向正面からラスト800メートルのレースとなりました。
 ラヴェリータは3コーナーあたりから追い上げ前3頭が雁行状態で直線に。しかし追われるとラヴェリータが2頭を置き去りにし,あとは離す一方で最後は5馬身差の大楽勝。3頭の後ろから直線で外に出たツクシヒメがゴール直前でアンペアを捕えて2着。逃げ粘ったアンペアが3着。
 優勝したラヴェリータは前走は中京のオープンを勝っていて連勝で4勝目。重賞は初制覇。例年,中央のオープンで入着できればここでも勝ち負け。それをこの馬は勝っていたわけですから楽勝になったのも当然でしょう。古馬戦線が現状は手薄ですので,そちらに参入してもいきなり好勝負できるのではないでしょうか。距離はもう少し短くなった方がレースはしやすそうに見受けられます。
 鞍上は岩田康誠騎手で管理するのは松元茂樹調教師。共に関東オークス初制覇です。

 結果の表象からその原因を辿ろうとすることは,人間の一特質であると考えられます。しかしこのときに気を付けておかなければならないことは,これは帰納法的思考なのであるから,どのような結論がそこから得られたとしても,この思考方法だけをもってしてそれが真理であるということはできないということです。いい換えれば,このような思考方法によって僕たちが得るような結論は常に仮説にとどまっている,仮説にとどまらざるを得ないということです。
 ただし,だからこのような思考方法がまったく無意味なものであるとは僕は考えていません。その理由のひとつは,これが人間の特質のひとつとして数え上げられる事柄であるということですが,もうひとつ,もっと大きな理由は,僕たちはこのような仕方で物事を考えるときに,それは仮説として考えているということ自体を十分に認識することができるからだということです。
 スピノザがそのようにことばとしてはっきりと分節しているわけではなく,これは僕自身のいい方になりますが,虚偽と誤謬とは異なるとスピノザは考えています。すなわち,僕たちの精神のうちにある虚偽があるということが,即座に僕たちが誤謬を犯しているとは考えません。それどころか,第二部定理一七備考にあるように,虚偽を虚偽と知っている限り,虚偽は人間のある力でさえあり得るといっています。
 これと同様のことがこの場合にも成立すると僕は考えるのです。すなわち,それは仮説にすぎないということを知りながら考えるのであれば,帰納的思考によって物事を考えることもまた,人間にとってのひとつの力であるといい得るのではないでしょうか。 
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妙手④&結果の表象

2009-06-15 19:13:09 | ポカと妙手etc
 今日は天才的にも思える受けの妙技を第47期順位戦C級1組4回戦から。
 相矢倉森下システムから先手が猛攻をかけて第1図。▲5六金とぶつけたのに対して△5四金と引いたところ。
           
 ここから先手はさらに攻め続けます。▲2四銀成△同歩とただで捨て▲3三歩成。△3七成桂には飛車を見捨てて▲4三とと金を取り,△3六成桂に▲2四角と飛び出しました。
           
 第2図では後手が困ったかに思えますが△2八飛と打ちました。これには当然▲3三角成で第3図。
           
 第3図は後手玉が受けがないような簡単な詰めろになりましたので,第2図よりさらに分が悪そうですが,驚くなかれこの局面は後手の勝ちでした。実は第2図から後手が勝つためには,わざわざ第3図のように危なくする必要があったのです。
 詰めろなのでとりあえずは王手しかありません。△7九銀▲同玉△6七桂▲8八玉△7九銀▲9七玉△6四角で第4図。
           
 対して先手は▲7五金と合駒しましたが,そこで△3二歩と打てば,3枚の大駒が綺麗に効いて後手玉は受かっています。
           
 実戦は▲6四金と角を取りましたが,△3三歩で馬を外され,先手の受けきり勝ちになっています。絶体絶命と思わせるところまで相手に攻めさせ,反撃も尽きたようなところでひらりと体をかわして勝つ。アマはもちろんプロでも,だれにでもできるような芸当ではないと感じます。

 一般的にいって表象,これはとくに自分の身体の表象に限らずすべての表象に妥当することなのですが,それはある結果としてのみ,つまり原因を伴わないような結果としてのみ僕たちに与えられます。このこと自体は,表象像というのが混乱した観念であるということに注意すれば,それだけでもう明らかであるといえます。なぜなら第一部公理四によって,もしそれが正しい原因の観念を伴って僕たちに与えられるのであれば,それは混乱した観念ではなく十全な観念として僕たちに与えられているということになるからです。したがって,僕の口の中が渇くということは,僕にとっては原因を伴わない結果としてのみ与えられたということになり,各々の人間がこのように自分の身体について何事かを表象するとき,それは常にそのようなものとして表象しているということになります。
 ところが僕たちは,第一部公理三に示されているような事柄についてはそれを一般的に知っています。そこで僕は,僕の口が渇くのであれば,乾くだけの原因がなければならぬということを知るわけです。つまり一般的にいうなら,人間は自分の身体に関してある事柄を表象するときに,表象されたような運動が自分の身体に生じるのには,それが生じる原因があるということを知るわけです。
 原因があるということを知るならば,その原因が何であるかを突き止めたくなるのは,自然の傾向だと僕は思います。ところがこのとき僕たちに与えられているのはあくまでも結果の表象だけなのですから,僕たちはこの結果から原因を遡及する,つまり帰納法的思考をせざるを得ないのです。
 第二部定理一四は,人間が様ざまなものを表象するということを端的に示しているといえるでしょう。よって上述のような仕方で帰納法的に物事を考えることは,人間の一特質である,少なくとも自然的傾向に合致しているといえるのではないかと僕は思うのです。 
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久留米記念&身体の表象

2009-06-14 19:04:41 | 競輪
 高松宮記念杯競輪まで中3日という微妙な日程となった久留米記念。今日が決勝でした。
 和田圭ー菅田ー竹内ー谷津田の北日本,矢口に紫原,川村ー笠松の近畿中部で和田健太郎が単騎。Sを取ったのは笠松で川村の前受け。3番手に矢口,5番手に和田圭で和田健太郎は最後尾。残り2周のホームから和田圭の上昇を矢口が一旦は牽制。内を上がった和田健太郎が川村ラインの3番手にスイッチするとバックから和田圭が発進。しかし打鐘で川村が併せきって突っ張り先行。和田健太郎の後ろに竹内が入り,その後ろを内の矢口と外の菅田で取り合い。バックから菅田が自力発進。後ろの紫原がマークしきれず,4番手の竹内がうまくスイッチ。この2車で捲りきって後ろを離して直線勝負。粘った菅田が1着でよく迫るも及ばず竹内が2着。3着は紫原でした。
 優勝した宮城の菅田壱道(かずみち)選手はこれが初の記念競輪優勝。冒頭に記した理由でここは記念競輪としてはやや低レベルの上,手厚かった九州勢が次々と脱落し,少し恵まれた部分はあります。北日本4車の連係ははっきり失敗でしたが,うまく自力を出す展開になったのが最大の勝因でしょう。

 僕が,自分の口の中が乾いたと認識すること,こうした認識cognitioをスピノザの哲学の中で何というか,あるいは僕がスピノザの哲学について考える上で何といっているのかといえば,これは表象の種類のうちの知覚であり,とくに自分自身の身体corpusの知覚,あるいはもっと厳密に,自分の身体というのをその全体であると考えるならば,自分の身体を構成ないしは組織しているある一部分に関する知覚であるということになります。もちろんこうした知覚というのは僕だけに特有のものではなくて,人間ならだれしも経験するものであるといっていいでしょう。
 次に,表象imaginatioというのは混乱した観念idea inadaequata,この場合には自分の身体に関係する知覚の観念なので,第二部定理二七により混乱した観念であるということになりますが,この点にはここでは注目しません。さらにこの知覚は観念ですから,第二部定理九によってその原因は別の観念であるわけですけど,この点もここでは重視しません。大事なのは,僕たちが自分自身の身体についてこのように知覚するということであり,かつそれを自分自身の身体に関しての知覚であると意識するという点です。
 そこで今度は知覚という観念を離れ,知覚された自分の身体における現象という観点から考えます。つまり,思惟の属性Cogitationis attributumにおいて考えるconcipereのではなく,延長の属性Extensionis attributumの下で考えるのです。すると第一部公理三は一般的な公理Axioma,すなわち対象が思惟の属性であろうと延長の属性であろうと成立しますから,やはり人間の身体に何らかの結果が生じるためには,それが生じるだけの必然的原因があるということになります。僕はここのところに僕たちが帰納法的思考に陥る理由があると思うのです。
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夏目漱石&原因と結果

2009-06-12 19:04:17 | 歌・小説
 僕がなぜ『漱石,もう一つの宇宙』を読んだのかを説明しましょう。といっても答えは簡単,僕は夏目漱石の小説を好んで読むので,夏目漱石に関連するような書物にもかなり多く手を出しているというだけのことです。以前にドストエフスキーについて書いたとき,僕は例外的にふたりの小説家については現在でも読むといいましたけれど,ドストエフスキーともうひとりは夏目漱石だったということです。
            
 僕が本格的に読書をするようになったのは高校生になってから。ドストエフスキーも夏目漱石もその初期のうちに読みました。ドストエフスキーに関しては,何年かのブランクはありましたが,夏目漱石についてはそれもなく,その頃から現在まで,一貫して僕が好きな作家のひとりであり続けています。
 『賭博者』について書いたときに,ドストエフスキーの小説は心理小説であり,僕はそこの部分に魅力を感じるといいました。実は夏目漱石に関しても僕にとって最大の魅力はその部分。なのでそういう部分があまり表れないような『草枕』のようなものはあまり僕の好みではありません。しかしそうした作品というのはごくわずかであって,やはりドストエフスキーと同様に,夏目漱石もはずれというのが非常に少ない作家だと思います。
 それから夏目漱石は小説のほかに,文学評論なども残しています。そうしたものも僕は読んでいます。もしかしたらむしろそうしたものの方が,高校から大学時代の僕自身の人格形成という面では大きな影響があったのではないかという気がしています。

 結論から申し上げますが,実際のところをいえば,この別の弊害である口の中の渇きは,マスクを着用したことが原因であったわけではなかったのです。つまり,本当はこれはマスク着用の弊害ではありませんでした。ただ,その当時の僕が,そのように思い込んでしまったというだけのことです。しかし,なぜこのような思い込みが僕に生じたのか,あるいはもっと一般的にいうなら,なぜこのような過ちを人間が犯すのかということについては,スピノザの哲学との関連で詳しく説明することができます。
 第一部公理三,および第一部公理四でスピノザが示していることは,ある一定の原因が与えられれば必然的に何らかの結果が生じるということ,そして逆に何の原因もないならば,一切の結果は生じないということ,そしてそのゆえに,結果を正しく認識するためには原因の正しい認識が不可欠であって,逆に原因さえ正しく認識できるならば,必然的に結果も正しく認識することができるということです。とくにこの最後のところは,第二部定理四〇で証明されていることでもあり,このこととは別の文脈ではありましたがかつて念入りに考察しました。
 このことから,スピノザは思考の方法論としては,原因から結果を導く演繹法にのみ重きをおき,結果から原因を導こうとするような帰納法に関してはこれを排除します。たとえば第一部定理二八とか,これを個物の観念に適用した第二部定理九には,そこで直接的に示されていることと同時に,ある消極的意味が含まれているのですが,これは帰納法の排除の一例であるといえるでしょう。
 ところが僕たちは,よくこの帰納法的思考というのをするのです。というか,せざるを得ないのです。そしてそれには,はっきりとした理由があると僕は考えています。
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京王閣記念&別の弊害

2009-06-11 19:00:13 | 競輪
 今年の競輪グランプリの舞台となる京王閣競輪場。記念競輪は9日に決勝(動画)が行われました。並びは山崎に長塚,平原ー後閑ー横田の埼京,海老根ー渡辺の南関東,永井ー渡部の西日本。
 長塚も出ましたが渡辺がSを取って海老根の前受け。3番手に山崎,5番手に平原,8番手から永井で周回。残り2周のホームから永井の上昇。これに平原が乗り,バックでは海老根を叩いた永井をさらに叩いて前に。打鐘から後方になった山崎が発進すると永井が併せ,山崎は失速。平原と永井の先行争いは平原に凱歌が上がりました。海老根はバックからいいスピードで捲りましたが,平原自らが自転車を外に出して抵抗。前が開いたところを後閑が一気に踏み込んで優勝。海老根マークから後閑の内に差し込んだ渡辺が2着。3着は海老根。
 優勝した東京の後閑信一選手は,一昨年10月の当地・京王閣記念以来となる18度目の記念競輪優勝。この選手もその後は怪我などがあってかなり苦しんでいました。ここは平原選手の頑張りが大きく,レースとしても綺麗に勝ったという感じではないですが,地元ですし後ろも横田選手でしたのでそれはいいでしょう。復調のきっかけにはなるかもしれません。

 マスクを着用することになって僕に生じた,眼鏡が曇ってしまうこととは別の弊害というのは,それまでに比べると口の中が明らかに渇くようになったということでした。そしてこれは,眼鏡の曇りのようには簡単に済ませられないようなものだったのです。
 僕は横浜在住ですが,冬場は太平洋側はとくに空気が乾燥しますので,そのために唇が乾くということはだれにでもよくあることではないかと思います。僕もこれには毎年のように悩まされていまして,リップクリームは手放せません。ただそれでも渇いて,ひどいときには荒れてしまうということもよくありました。
 もうひとつ,僕にとって鼻詰まりというのが日常的な症状としてあるということはすでにお話しました。起きて動いているときはいいのですが,横になりますとこの症状はさらにひどくなるように僕には感じられます。さらに眠るときになると,もっと悪化します。これはたぶん,僕が眠るときの体勢と関係しているのでしょう。僕はうつ伏せや仰向けでは眠れないので,左か右,必ずどちらかを下にして寝ます。そうしますと,下の方になった鼻はどうしても詰まってしまうのです。起きていれば片方でも鼻が通っていれば何でもないのですが,眠っているときはそうでもないようで,自分でも気付かぬうちに,といって眠っているのですから気付いたらむしろ怖いですが,口を開けています。するととくに冬場は,朝になって目覚めると口に中が非常に渇いているということになります。実際,僕は朝食前に,何らかの形で口の中を潤すようにしています。
 マスクをするとやはりその中が乾燥してしまうからなのでしょうか,目覚めたときの口の中と似たような状態が,起きているときにも生じるようになったのです。そしてこれは,散歩などの運動をしているときなどに顕著に表れました。
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