スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドバイ国際競走&針の着脱

2013-03-31 19:00:16 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜から今日の未明にかけて開催されたドバイでの国際招待競走。今年は3レースに4頭の日本馬が参戦しました。
 日本時間30日23時25分発走のUAEダービーGⅡタペタ1900mには昨年の兵庫ジュニアグランプリを勝ったケイアイレオーネが出走。躓くような発走から前が詰まるところがあり,最後尾まで下げて内を追走。馬群は一塊でのレースに。3コーナーでは早くも鞭を入れられていましたが,完全に離されるというところまでは至らず,12頭中10着でした。
 この時期の3歳馬が遠征してある程度の結果を残すというのはおそらく大変なことで,止むを得ない結果でしょう。この馬は帰国後はある程度の活躍が望めると思っていますが,距離はあまり延びない方がいいかもしれません。
 日本時間31日0時45分発走のドバイゴールデンシャヒーンGⅠタペタ1200mには,昨年のJBCスプリントを勝ったタイセイレジェンドが出走。先行したのは3頭で,押してその真中から。ただし直線入口ではギブアップとなり,13頭中の12着。
 ここはこの馬にとっては相手が強力すぎました。その中でも先行するということはできたわけで,むしろまずまずのレースであったと考えてよいのではないかと思います。マハーブアルシマールの勝ち馬が優勝,3着馬が2着で2着馬が3着という結果になりました。
 日本時間31日2時20分発走のドバイシーマクラシックGⅠ芝2410mには昨年のJRA賞年度代表馬のジェンティルドンナ,アルマクトゥームチャレンジラウンド3の結果を受けて芝に回ったトレイルブレイザーの2頭が出走。2頭とも好発。向正面に入ったところでジェンティルドンナは外の3番手,トレイルブレイザーはその後ろの3頭の真中から。直線は2番手の馬が抜け出し,ジェンティルドンナが外からこれを追ったものの,並ぶところまでいかず,ゴール前は突き放されて2着。トレイルブレイザーはコーナーで内に潜り込みましたが,まったく伸びず,11頭中最下位。
 ジェンティルドンナは能力全開ならば勝てると考えていましたので2着でも残念。レース前にかなり興奮していましたし,向正面に入るまでに折り合いを欠くような素振りも見受けられましたが,能力の発揮に大きな影響があったとは思いません。勝ち馬とは通ったコースの差も出ましたが,これもレースの流れで止むを得ないでしょう。勝ち馬は旅慣れたGⅠ馬で,初の海外遠征だったジェンティルドンナとは経験の差が大きかったということが,一番の敗因という気がします。トレイルブレイザーはいくらなんでも負け過ぎ。こちらは体調に不備があったとしか考えられないです。

 指先から血液を抽出するための注射器の柄の先端の部分には,目盛りがついています。これは古いものも新しいものも同様です。この目盛りというのは,針を刺す深さの程度を決定するもの。以前はこの目盛りを4にして打っていたのですが,測定に必要な血液の量が減少しましたので,現在は2にしています。これは処置室で技師の指導を受けた際に言われたもの。実際にそのときの試し打ちというのは2の目盛りで行い,何の問題もありませんでした。この時点では針の方はまだストックがありましたから,以前の注射器を用いていたわけですが,目盛りは下げていたということになります。
 ただ,コンパクトになるということは,便利なことばかりではありません。僕は何の問題もなく対応することができましたが,人によってはすべてが小さくなることで,かえって難しくなるという場合もあり得ると思います。僕ももっと年をとってから小さくなった場合に,今回のように問題なしに対応できたかどうかは分かりません。
 もう1点,注射器には以前のものと現在のものとではっきりとした相違があります。注射器には針を装着しなければなりません。そのために最下部は取り外しができるようになっています。そうでないと針はつけられませんから当然でしょう。このとき,以前の注射器は,先端部分を回転させることによって着脱できるようになっていました。しかし現在のものはそうではなく,折ることによって着脱するのです。このとき,折り曲げる方向には決まりがあります。したがって現在の注射器は,表と裏があると考えてください。実際,以前の注射器は形状でいえば円柱に近かったのですが,新しいものは直方体に近くなっているのです。このときにはまだこの注射器は使用していなかったのですが,後に針も在庫が尽き,注射器も新しいものを使用するようになったときに,最も難儀したのはこの点でした。針を装着する部分の着脱に関しては,明らかに古いものの方が利便性が高かったと僕は思います。もちろんこういったことは慣れの問題ですから,現在は容易に着脱できていますが,なぜこのような方式にしたのかは,いささかの疑問が残ります。
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印象的な将棋④&コンパクト

2013-03-30 18:56:56 | ポカと妙手etc
 ③の変化の第2図になった場合,後手は阪田流向飛車は諦めることになります。むしろ△8四歩で居飛車を目指すのが有力。手順は違いますが,その局面は第59回NHK杯の2回戦で現れました。
                         
 この将棋は▲2六歩△8四歩の出だしで,阪田流向飛車を視野に入れていたわけではありません。しかし③の組み方から生じ得る局面でしょう。
 ここからは▲2五歩△8五歩▲2四歩△同歩▲同飛△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛で横歩取りに進むのが普通です。そのときに△3三角ではなく△8八角成として,▲同銀△7六飛の相横歩取りを選択するのが有力な作戦です。
                         
 相横歩取りは先手が居飛車党なら,後手からほぼ誘導できる作戦。ただ,その場合は両端の突き合いはありません。第2図のように突き合っていると,端攻めの筋が出る分,定跡形より後手が得というのが一般的な見解です。
 の阪田流向飛車,③の変化の一手損角換り,そしてこの相横歩取り。これらすべての戦型を指しこなすのは難しいかもしれません。ただ,いずれの変化でも通常より得になるのであれば,これは後手にとって有力な序盤作戦ではないかと思います。

 血糖値測定の方法に関しては,それまでと何ら変わるところはありませんので,それに関する説明は割愛します。ではこの新しい血糖値測定器具一式がそれまでのものとどこが変わったのかといいますと,最大の違いはその大きさです。だいぶコンパクトになりました。この血糖値測定器具一式は,持ち運びに便利なように,バッグとセットになっていましたが,それは今回も同様でした。それが下の画像です。
                         
 上から注射器,測定器,そしてセンサー。針が見当たりませんが,このバッグは裏側,というのは持ち運ぶ場合には外側ということになりますが,チャックで開閉するポケットがついていまして,針はその中に入れてあります。なお,以前は測定器が正常に作動するかどうかを確認するための点検チップというのが付属品としてありましたが,今回はありませんでした。確かめるまでもなく正常に作動するということなのでしょう。ただし,測定器が冷えてしまっている場合は,センサーを挿入してもエラーの記号が表示され,測定はできません。この点はこれまでと同様で,器具を温めてから測定するということになります。
                         
 コンパクトになったということは,持ち運びが便利になりました。つまり家以外の場所でも測定しやすくなったということですが,以前のものも持ち運びにくいというほどの大きさではありませんでしたから,現実的にはこの点ではそうも大きな差が出るというわけではありません。
                         
 最も大きな点は,コンパクトになったということは,センサーもそれまでより小さくなったということであり,当然ながら注入する血の量も少なくなります。以前は指に注射を打った後,米粒ほどの大きさまで血を出す必要がありました。つまりそれだけの量の血が必要であったわけです。しかし新しい方はそんなに多くの量の血を必要とせず,血糖値を計測することが可能です。つまり指をそれほど深くまで傷つけなくてもよくなったわけで,これは僕にとってはとてもありがたいことでした。
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馬場の長男&血糖値測定器具一式

2013-03-29 18:45:24 | NOAH
 馬場が全日本プロレスをひとつのファミリーと考えていて,そのファミリーを貫く制度が戦前の家父長制であったならば,馬場が残したかったものを引き継ぐのは必然的に馬場の長男でなければならないことになります。ファミリーの位置付けは馬場の中では定まっていて,長男は三沢だったわけですから,それは三沢に引き継がせるべきものであったいうことになるでしょう。
                         
 このファミリーの位置付けからみるならば,三沢の殉死の後,田上明NOAHの社長に就任したことは,実はこの当時の路線に沿ったものであったことになります。代助という名前の象徴性から明らかなように,この制度下での次男の役割というのは,長男にもしものことが起きたときに代わって助けることですが,そもそも馬場が考えたファミリーの中で,田上は次男であったからです。
 最良の時代に繰り広げられたプロレスについて,馬場はテレビの解説で,このプロレスは高度過ぎて自分には解説不能であるという主旨のことを発言したことがありました。では,そのプロレスが,馬場が残したかったものに反していたのかといえば,少なくとも馬場はそのようには考えていなかったと僕は理解しています。いい換えるなら,リング上でのプロレスに関しては,三沢がそれを引き継ぐということを,馬場自身は認めていたと僕は考えているのです。
 全日本プロレスという会社についてはどうなのかといえば,それを三沢が継ぐことを許容していたかどうかは僕には分からないです。そもそも馬場はその判断を下す前に,死んでしまったのではないかと僕は思っています。もちろん馬場本人も,そんなに早く自分の死が訪れるということを,自分自身ではイメージできなかったので,はっきりした判断を出さぬままこの世を去ってしまったのでしょう。
 名と実とに分けたならば,名について三沢がそれを相続することを馬場が認めていたかどうかは僕には分かりません。しかし実の部分に関していうならば,確かに馬場は相続人が三沢であるということを認めていたし,それをリング上でも示したと理解してよいのではないかと思っているのです。

 僕は入院中は朝,昼,晩の食事前と,就寝前の4度にわたって血糖値測定をしていました。退院してからもしばらくの間は同様でした。しかし今はそんなには計測していません。これは退院後に正式に主治医となったG先生から,そんなに測定しなくてもよいとの話があったからです。僕が夜の計測という場合には,夕食前のことではなく,就寝前のことです。
                         
 次に血糖値計測の器具は,血を出すための注射器と針,そして実際に計測するための器械とセンサーの4点で一式です。このうち,注射器と器械は耐久品ですから,ひとつしかありません。一方,針とセンサーは消耗品で,計測するたびにひとつずつ減っていくことになります。僕が通院の際に常に支給されていたのは,センサーと針のセットでした。このときに新しくなったのは器械と注射器の両方です。しかし器械はセンサーと,そして注射器は針とそれぞれ対になっていますから,センサーと針もそれまでに使用していたのとは別のものになりました。つまり血糖値計測のための用具の一式のすべてが新しいものとなったわけです。
 支給されていた針は1箱に25本入っていました。一方,センサーの方は1箱に5枚の束が5セット,つまり25枚が封入されていました。同じようにひとつずつが減っていくのですから,同じ頻度でなくなるのが原則です。しかしこのときにストックがなくなったのはセンサーの方だけで,針の方は在庫がありました。計測のためにセンサーに血を入れるのですが,そのときに量が少ないと器械が反応せず,計測ができません。こうした場合,センサーはもう使うことができませんが,仮にもう1度血を出さなければならないとしても,針はもう1度だけ使用していました。これはそうたびたび生じることではありませんが,何度かあったのは事実です。この積み重ねによって,センサーの在庫と針の在庫にずれが生じていったため,先にセンサーだけがなくなってしまったのです。センサーと器械は対ですから,センサーを新しいものにするということは,器械の方も新しいものにする必要がありました。しかし針は残っていたわけですから,この時点では,まだ注射器と針に関しては,それまでに使用していたものを継続して使っています。
                         
 上の画像が新しい器具一式。左上が注射器,下が器械,右上が針,下がセンサーです。
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書簡での言及&定期入れ紛失

2013-03-28 18:44:39 | 歌・小説
 僕が所有している『漱石書簡集』に収録されている書簡のうち,キリスト教への言及として最も興味深く思えたのは,1906年の元旦に鈴木三重吉に宛てたものに,追伸のように最後の最後に書かれている部分です。
                         
 漱石は1900年に留学に旅立った後,1903年1月に帰国。熊本時代を過ごした第五高等学校教授は辞職し,東京の第一高等学校の教授と東京帝国大学の英文科の講師を兼任,さらに1904年には明治大学の講師も兼任し,1905年に『吾輩は猫である』を発表して本格的に小説家としてデビュー。この年の後半頃から漱石を慕う人びとが集まり始めたようで,鈴木三重吉はそのひとりでした。
 日付は1906年の元旦ですが,書いたのは前日,つまり1905年の大晦日だったよう。上野を散歩していたら,キリスト教の戸外演説,漱石はそう書いていますが,おそらくこれは宣教でしょう,があったけれども,大晦日では聞く人などひとりもないということを述べ,人間は衣食のためには狂気じみたこともすると結んでいます。
 狂気云々に関しては,そういう例がたくさんあるとしていて,とくにそれをあげつらうような書き方はしていません。ただ,少なくともこの内容から理解する限り,漱石は宣教師の宣教を,純粋な布教のためではなく,宣教師の衣食住のため,もっとはっきりといってしまえば金のための行為であると考えていたということになります。書簡というのは,自分を別とすれば宛てた相手だけが読むということ,いい換えれば公にはされないということを前提に書かれている筈で,おそらくより本音に近い部分が表出しやすいように僕には思えます。とくにこの場合,書簡を出した相手というのが親しい間柄であるわけですから,なおのこと本心を明らかにしやすい状況であったと思います。したがって,その宗教の内容に関しては何も言及してはいないのですが,少なくとも布教という活動については,漱石はそれをややいかがわしい,あるいは胡散臭いような行為であると理解していたといっていいのではないかと思います。

 かつてブリッジの隙間に食べかすが残っているので,歯間ブラシでよく落とすように歯科助手から指示されたことがありました。しかし,この部分はブラシを通すことが難しかったのです。たぶんブリッジの中で虫歯が進行してしまった要因のひとつには,このことがあったのだろうと思っています。
 この日はこれで終了ですから,帰ることになったのですが,定期入れがポケットに入っていないということに気付きました。来るときは確かにありましたから,どこかで落としてしまったようです。もしかしたらI歯科で落としたのかもしれないと思い,戻ってみたのですが,ありませんでした。通り道もよく注意して歩きましたがありません。すでにだれかに拾われてしまったか,そうでなければ来るときにバスの中で紛失してしまったかのどちらかです。I歯科は根岸駅のすぐ近くで,家まで歩いて帰ることができない距離ではありませんので,とりあえずは徒歩で帰宅しました。つまらないことで時間を使ってしまい,家に着いたときには12時40分頃になっていました。
                         
 もしもバスの中で落としたのだとすれば,運転手が発見する筈で,その場合は営業所に届けられているでしょう。バスの定期券は今でも更新していて,実は前日に更新したばかりでした。さらにこの定期入れにはPASMOが入れてあり,こちらも毎日のように使用しますから,残金がありました。ですから絶対に見つけ出したかったのですが,営業所に届けられているとすれば,急ぐ必要はありません。先に昼食を済ませてから,最寄りの滝頭営業所へ赴きました。バスの中で落としたとすれば,そのバスは横浜市営の滝頭営業所管轄のバスでしたから,ここに届けられている筈だったのです。予想通り,どうやらI歯科へと向うバスの車中に落としていたようで,ここに届けられていまして,事無きを得ました。この日から,ポケットにチャックがあるならば,きちんとそれを閉じるようによく注意するようになりました。午後は本牧に出ましたので,取り戻した定期券をすぐに使用しています。
 翌日,1月19日の土曜日は妹のピアノレッスン。この日は午後3時からでした。そして週が明け,1月22日の火曜日の夜から,前回の通院で入手した新型の血糖値測定器の使用を開始しています。
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京急電鉄賞京浜盃&ブリッジの切断

2013-03-27 20:41:13 | 地方競馬
 いよいよ夜の開催に入った大井競馬の第36回京浜盃
 先手を奪ったのはリコーハラマ。掛かるのを宥めながらヴィクトリーケルプが2番手で,ジェネラルグラントがその外。ブラックワードが続いて内にソルテで外にラインプライド。アウトジェネラルがその後ろでしたが,追走にやや苦労している感はありました。スローペースだったと思います。
 直線の入口にかけてジェネラルグラントが追撃開始。難なく捌いたソルテが追い上げ,逃げたリコーハラマとまずは3頭の叩き合い。まずリコーハラマが脱落し,ソルテもギブアップ。抜け出したジェネラルグラントが3馬身の差をつけて快勝。道中からかなり追われていましたが,アウトジェネラルが最後までしぶとく伸びて2着。後方集団に控え,外を追い込んだインサイドザパークが最後の最後にソルテを捕えて4分の3馬身差で3着。クビ差遅れたソルテが4着。
 優勝したジェネラルグラントはここが今年の初戦。北海道時代にはサンライズカップを勝っていて,南関東重賞は今晩が初出走。ここは上位4頭が能力上位。その中で抜け出して勝ちましたので,クラシックの最有力候補になったといえるでしょう。この後も無事にいってほしいものです。母の父がスペシャルウィーク。叔父に2004年の札幌2歳ステークスと2005年の共同通信杯を勝ったストーミーカフェ。General Grantはイタリア語でグラント将軍。
 騎乗した船橋の石崎駿騎手は先月の報知グランプリカップ以来の南関東重賞制覇で京浜盃初勝利。前走から管理している船橋の出川克己調教師は第27回以来9年ぶりの羽田盃2勝目。

 1月11日はI歯科へ。予約は11時半でした。年末の通院のときに撮影したレントゲンの結果から分析すると,ブリッジを被せていない最も奥の歯と,ブリッジの中の歯との隙間,要するにブリッジを架けてある歯の奥側の部分で虫歯が進行しているという診断でした。I先生によれば,その部分は神経に近く,場合によっては神経ごとすべてを除去しなければならないケースもあり得るとのことでした。いずれにしても患部を治療するためには,被せてあるブリッジを外す必要がありますから,さらに時間を掛けて治療していくということに。この日はその部分の上下の型を取り,最後に薬品を患部に注入して治療を終了。帰ったのは12時20分頃。この日の午後は長者町でした。
 13日の日曜日にと妹は美容院へ。そして18日の金曜日がまたI歯科での治療。この日はI先生と,新しく入った助手のふたりだけで,ずっと僕のことを担当していた助手は不在でした。この日はまず麻酔を塗り,左下のブリッジを切断しました。ブリッジの中の歯は被せものがしてありましたから,さらにそれを除去して,虫歯の治療。治療の結果,神経までは見えなかったとのことで,それは抜かないということになりました。痛みが出る可能性でいえば残すとそれだけ大きくなるのですが,歯茎のためには残しておいた方がよいのだそうです。ただし,このままでは絶対に沁みます。というか,治療の過程で何度かうがいをするように促されますが,この日はその時点で沁みていました。麻酔を塗っていてもそういう状況であったわけです。ということで,治療した患部についてはそのまま放置できません。そこでこの部分を一時的に凝固しておく必要があります。ということでセメントで塗り固めました。
 この後,またブリッジを架ける必要がありますが,そのためには経過観察の期間が必要で,おおよそ2週間はこのままの状態で様子を見たいとのこと。ということで次の通院は月が変わってからとなりました。なお,鎮痛剤を1錠だけ処方されましたが,痛みませんでしたからこれは服用しませんでした。
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棋王戦&年末年始

2013-03-26 18:41:34 | 将棋
 宇都宮市で指された一昨日の第38期棋王戦五番勝負第四局。
 渡辺明竜王の先手で角換り相腰掛銀に。
                         
 この☖9二香では☖4二金引が多く指されていて,郷田真隆棋王の工夫でしょう。先手は構わずに☗4五歩と仕掛けていきました。☖同歩に☗同銀で取り,☖同銀☗同桂でまず銀の交換。☖4四銀と逃げたのに対して☗5三桂成と捨て,☖同金に☗7一角と打ちました。
                         
 この後の進展から考えても,非常に難しい局面なのですが,一応はこれで攻めが続く形にはなっているようです。それならば仕掛けた価値が十分にあると思われ,後手の工夫はあまり実っていなかったように感じられます。
 勝敗の帰趨はこの後で決したようですが,少なくともこの仕掛け以降,先手が不利になった局面があったとは思えず,一局を通して将棋を支配して押し切ったという印象が残りました。
                         
 3勝1敗で渡辺竜王が棋王を奪取。2度めの挑戦で初戴冠。竜王,王将と併せて三冠を達成し,着々と第一人者への道を歩んでいるといえるでしょう。

 ブリッジの中の虫歯を治療するためには多くの時間を必要とする,いい換えれば何度かの通院が必要になります。これが12月21日のことで,I歯科にも当然ながら年末年始の休診というのがあります。翌週は診療をしていましたが,そこで1度だけ治療しても,その後は間隔が開いてしまいます。ということで,この部分の治療は,年が明けてから開始するということになりました。
 僕は実際に痛みを感じることがあったわけですから,できることならなるべく早く治療に入りたいという気持ちはありました。ただ,その痛みは常に感じていたものではなく,温度の高いものや低いものといった,刺激が強いものを口にしたときにだけ感じていたものです。したがってよく注意すれば避けられるものでしたし,どうしても我慢ができないという性質のものではありませんでした。ですからI先生の進言を受け入れることにしたのです。
 12月23日の日曜日がこの年のラストとなる妹のピアノレッスン。妹は28日まで作業所に出勤し,29日からが年末年始の休み。とはいっても1月の4日からはまた出勤で,12月29日が土曜,30日が日曜で,1月1日が祝日ということを考慮に入れたならば,実際の休みの期間というのは,12月31日と1月2日,3日の3日間であったといえます。そしてこの間,1月2日に,と妹は叔父が運転する自動車で,大和まで祖母の墓参りに行きました。僕はこの日の午後に日の出町まで行かなければならず,同行を断念しました。
 妹の仕事始めは1月4日の金曜日であったわけですが,翌5日の土曜日が,いきなりこの月の土曜出勤に該当していました。まあ,4日だけ出勤してまた連休になるよりは,連日の出勤の方がこの場合は好ましいといえ,その点を配慮しての日程であったものと思います。この日は作業所を運営する施設でビデオ鑑賞でした。妹にとっては実際には昼食を摂りに出掛けたようなものです。ところがこの日に帰った後,妹は体調を崩してしまいました。1週間ぶりの出勤で,あるいは疲れが出たのかもしれません。この結果,1月7日の月曜は作業所を休み,ほぼ終日床に就いていました。それで回復したようで,8日の火曜からは出勤できました。
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日本選手権競輪&ブリッジの中

2013-03-25 18:40:10 | 競輪
 19日から昨日まで立川競輪場で行われていた第60回日本選手権競輪の決勝。並びは佐藤友和-菊地-山崎-成田ー佐藤慎太郎の北日本と牛山ー武田の師弟で,深谷と村上は単騎。
 深谷がSを取って誘導の後ろ。2番手に村上が入り,3番手に佐藤友和,8番手から牛山という周回に。残り3周のホームから牛山が上昇開始。佐藤友和を牽制しつつバックで深谷を叩いて前に。深谷は引いて村上は武田の後ろにスイッチ。これを見て佐藤友和が巻き返しにいくと,武田が山崎を牽制し分断に成功。佐藤友和-菊地-牛山ー武田-村上という隊列に。打鐘から牛山が発進していきましたが,これは菊地がブロック。追わなかった武田は菊地の後ろに。バックから菊地が番手捲りにいきましたが,直後の武田がすぐに発進してあっさり先頭に。これを追った村上が直線から踏み込んで優勝。打鐘の時点では最後尾だった深谷がバックから捲り追い込んで4分の3車輪まで追い上げて2着。村上マークの形になった山崎が1車輪差で3着。
                         
 優勝した京都の村上義弘選手玉野記念に続いて今月2度めの優勝。ビッグは昨年のグランプリ以来で10勝目。日本選手権は第58回以来2年ぶりの2勝目。ここは牛山がどういう出方をするかが最大のポイントで,北日本を分断する形になりましたので,それに乗じたという面はあります。武田の後ろに入ったのも,結果的には好判断であったということになります。ただ,どういう形のレースになったとしても,きちんと力は出すというレースをする選手で,そうした積極性がこのレースでは報われることになったといってもいいのではないでしょうか。

 新しい血糖値測定器と,その付属品一式については,この日に受け取って帰りました。ただ,これが実際にどういったものであるのかということや,これまでのものとの違いなど,詳しいことに関しては,また後で説明します。というのは,これはこの日の夜からすぐに使用し始めたというわけではないからです。以前のもののストックがまだ家にはありまして,そちらを先に使い切ってから,新しいものの使用を開始しました。なので時系列でそのときが来ましたら,そこで記すこととします。この日はいろいろありましたが,時間的にはかなり順調で,午後3時45分頃には帰宅できました。
 そして同じ週の金曜日,21日がI歯科での治療。この日は前の週に装着した仮の被せものを取って,正式なものをセットしました。つまり今回の虫歯の治療はこれで終了です。ところが,この間に別の事態が発生していました。
 僕は今までも,たとえばとても冷たいものが歯に沁みるということは感じていました。そしてそれは確かに,箇所でいうならばこのときに治療した,右側だったのです。ところがこの部分の治療に入り,とくに前の週に仮の被せものをして以降,この部分が沁みるということはなくなりました。だからこの治療は確かに効果があったと思うのです。しかし,この箇所に痛みを感じなくなると,今度は逆の左側が沁みるようになってきました。しかもそれは,右側に感じていたものよりもひどいものだったのです。痛みの程度としてもそうでしたし,冷たいものばかりではなく,熱いものの場合でも痛みを感じるケースが出てきました。なので,このことをI先生に訴えました。
 左下のブリッジの奥,つまり最も奥の歯ですが,この歯が虫歯になっていることは僕には分かっていました。だからその部分が沁みているのであって,今回と同じように治療をすればよいと思っていました。ところがこの日にまたレントゲンを撮影した上でI先生が下した診断は,おそらく痛みを感じているのはその部分ではなく,ブリッジの中にある歯で虫歯が進行しているのではないかということでした。したがってその箇所を治療するためには,今回以上の時間が必要でした。
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高松宮記念&自己管理ノート

2013-03-24 18:42:52 | 中央競馬
 春のスプリントチャンピオン決定戦,第43回高松宮記念
 ハクサンムーン,メモリアルイヤーと7枠の2頭が前に。アイラブリリが3番手で,その後ろはマジンプロスパー,ツルマルレオン,サクラゴスペルの3頭。さらにエピセアロームとダッシャーゴーゴーがいて,インにミキノバンジョー,その外にシルクフォーチュン。少しだけ出負けしたロードカナロアは徐々に挽回してこの2頭の外になりました。前半の600mは34秒3ですからスローペースといっていいと思います。
 直線の入口でロードカナロアは馬群の中でしたが,前をいくサクラゴスペルとダッシャーゴーゴーの間が開き,ここに突っ込むと残り50m付近で逃げ粘るハクサンムーンを捕え先頭に。そこから1馬身4分の1の差をつけてレコードタイムで快勝。勝ち馬マークからダッシャーゴーゴーの外を伸びたドリームバレンチノが2着。粘りに粘ったハクサンムーンがハナ差の3着。
 優勝したロードカナロアは前走で前哨戦のひとつ,阪急杯を優勝。前々走では香港スプリントを勝ち,3走前にはスプリンターズステークスを制していて,4連勝で大レース3勝目。この馬は世界でも通用する馬ですから,能力を十全に発揮しての順当な優勝。一般にスローペースは差がつきにくいことを考慮すれば,着差以上の力量差がほかの馬とはあったといえると思います。父はキングカメハメハ。Kanaloaはハワイの伝説に登場する神の名前。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は昨年末の東京大賞典以来の大レース制覇で高松宮記念初勝利。管理している安田隆行調教師は先月のフェブラリーステークスに続く大レース連勝で第42回に続き高松宮記念連覇となる2勝目。

 iPro2レコーダーを用いての検査の結果の報告と,それに伴うヒューマログの増量の指示がありましたから,この日の診察は普段と比べてもそれだけで時間が長くなったことになります。さらにこの日はこれだけではありませんでした。
                         
 僕は血糖値測定の結果は,自己管理ノートに記録しておきます。このノートは,ちょうど1年分が記録できるようになっています。僕がこのノートに記入を始めたのは入院中のことでした。救急車で病院へと運ばれたのが2009年の元旦のこと。実際に記録を始めたのはその直後ではなく,HCUから一般病棟に移動し,さらに数日が経過してからです。ただ,いずれにしても1月20日には退院していますから,2009年の1月から始まっているとことに違いはありません。ですからちょうど1年分を,このノートに記録することができるようになっているわけです。
 この診察は12月17日のものですから,ノートの残りは僅かでした。なのでこれをもらう必要があったのです。もっとも,これはそうも手間が必要な作業ではありませんし,診察と診察の間に年をまたぐという場合には,これまでにもしていたことですから,これで時間が長くなったといえば,嘘ではないでしょうがいささかオーバーな表現でしょう。
 さらにこれとは別にもう一点,U先生の方から話がありました。それは血糖値測定に関するもので,測定をするための器械を新しいものにするということでした。それで,その新しい器械を使うための講習というのが必要になったのです。
 この講習は,iPro2レコーダーを装着したときと同様で,U先生によってなされたものではありません。入院中は看護師の指導を受けたのですが,このときは技師からでした。U先生は別の患者の診察がありますから,そのために診察室を僕が占領するのは非合理的です。よってこの日も技師と一緒に処置室の方へと移動し,そこで講習ということになったのです。説明しましたように,処置室というのはベッドだけではなく,机や椅子もありましたので,そこで行われました。口頭での指導だけではなく,試し打ちとして実際に使って,その場で計測も行いました。
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次男の悲劇&ヒューマログの増量

2013-03-23 18:51:28 | 歌・小説
 『こころ』の先生は長男の悲劇を味わいました。一方,同じ『こころ』の中には,次男の悲劇も含まれています。それは先生の友人のKの場合です。
                         
 Kは浄土真宗の僧侶の次男として産まれました。先生とKは同郷で,浄土真宗の勢力が強く,ほかの宗派に比べて物質的には恵まれていました。しかし,詳細は不明ですが,中学のときに医者の養子に出されます。
 ただしこの医者も裕福で,Kは学資を得て上京,先生と同じ下宿に入ります。もちろん学資を出した義父は,Kを医者にするつもりでした。おそらくこの医者には男の子がなく,Kに後を継がせるつもりであったのでしょう。
 ところが,Kというのは養子に出された中学の頃から宗教や哲学に興味を持っていました。上京後の下宿時代にも,精進ということばを好み,実際にその生活はそのことばを地でいくものでした。先生は,Kは普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたと書いています。
 こういった性格ですから,Kは医者になるつもりはありませんでした。それで上京した3年目の夏に,養家に対して,自分が医者になるつもりはないということ,だからそのための勉強はしていないということを白状する手紙を送ります。この結果,医者である養父は激怒し,学資を送ることを拒絶しました。最終的にはそれまで養家に出してもらっていた学資は実家で弁償してもらえたのですが,これが実家とも養家とも縁の切れ目。少なくともK自身は,実家から勘当されたという認識でした。
 先生の説明が正しいのであれば,Kは僧侶になるべき人間でした。ですからKが長男であり,養子に出されるようなことがなかったなら,おそらくKは立派な僧侶になっていたことでしょう。しかしKは次男でした。そして次男であったからこそ,こうした悲劇を味わわなければならなかったのです。
                         
 『それから』の代助も,次男の悲劇ですが,異なったタイプの悲劇といえるでしょう。ただ僕は漱石は意図的に,『こころ』において長男の先生と次男のKという対比を作ったのだと理解しています。

 前回は健康診断の結果が出ていましたから,それまでのオーダーに比べると項目が多くなっていました。今回はそれがなかったのですが,尿素窒素とクレアチニンの結果は残っていました。これらは今後も継続して検査するということになるのかもしれません。
 そしてiPro2レコーダーを使っての検査の結果も出ていました。これはかなり詳しい結果で,検査期間中の血糖値の推移がグラフ化されたものなど,カラーで印刷された5枚のプリントを受け取っています。ただ,これについて逐一説明しているときりがありません。血糖値は概ねは正常とされる範囲の中で推移していたのですが,午後8時過ぎから深夜の2時くらいまでは適正な値を上回っていることが多いと判明しました。検査期間でいえば,深夜の低血糖が出た10月25日から26日にかけては別ですが,それ以外は上回っていて,200mg/㎗をオーバーしている時間というのもあったのです。そこで,この時間帯の血糖値をさらに抑制することができるならば,HbA1cの値を良化させることができるであろうという判断から,夕食前に注射しているインスリンを増量することになりました。
                         
 僕の場合は,夕食前には超速効型のヒューマログと,持続効果型のランタスを共に注射しているわけですが,この場合に増量するのはヒューマログの方であることはいうまでもありません。この前日まで,この時間のヒューマログの注射量は0.08mlでしたが,それを0.02ml増量し,0.1mlにするというのがU先生からの指示でした。したがって僕は,この12月17日の夜からは,その量のヒューマログを注射しています。ただ,これはやはり慣れというものがありまして,それまでは長期にわたって0.08mlの注射でしたから,ルーティンワークのようにその量だけを注射してしまうというケースも発生はしました。インスリンの注射自体が僕にとってのルーティンワークとなっていますから,量を変更しますと,その直後はそのことを強く意識していないと,こうした誤りを自然と犯すわけです。増量はその後は行われていませんから,現在もこの量で,さすがに3ヶ月強が経過していますから,今の時点ではむしろ0.1mlを注射するということが,僕の中ではルーティンワーク化しています。
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女流王位戦&歯科助手の配慮

2013-03-22 18:41:17 | 将棋
 昨日の第24期女流王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は中井広恵女流六段が10勝,甲斐智美女流四段が5勝。
 振駒で中井六段の先手。甲斐四段の角交換四間飛車→向飛車。後手が手損を重ねた上で銀冠に組もうとしたのが欲張りだったようで,先手がうまく仕掛けることに成功。先手玉は手つかずの状態でしたので,後手は勝負所を得ることができないで終るということも考えれたほどの差があったように思えます。ただ,不利を認めた後手が辛抱を重ねたのに対して,先手がもたもたしたので,徐々に差が詰まっていきました。
                         
 後手が攻防に角を打った局面。先手は▲8三角と対応。これは▲7三桂成の王手から打った角を抜く狙い。危険であったとのことですが,この手は仕方がないように思えます。後手はその狙いを防ぎつつ,攻めも見せて△4八飛。そこで▲5八歩と受けたのですが,これが最終的な敗着に。確かに△同香成と取られ,▲同金上△同角成▲同金△同飛成と進むと,もう先手が容易には勝てなくなっています。▲7七王と逃げるのはこの一手ですが,△7一玉と引いて,角を取りにいくのが受けの好手で,ここでは逆転しているようです。
                         
 後手玉が詰まないので,後手は詰めろの連続で迫れば勝てる局面。この先手玉を詰めろの連続で攻め続けることはそうも難しいことではなく,後手の勝ちになりました。長い忍耐が報われた一局といったところでしょうか。
 甲斐四段が勝ってリターンマッチへ。第一局は来月25日です。

 この日,型取りはいつもの歯科助手によってなされました。この助手は僕が歯科検診のためにここを訪れるときに,クリーニングを施している人です。そのときにもそうで,つまりこれはいつも感じていることがあります。歯の治療であれ,クリーニングであれ,どうしても僕の口の周囲には手が触れます。もちろんビニール製の手袋をしていますから,じかに触れるというわけではありませんが,その感触は僕にもあるわけです。このことは歯医者でこの種の治療を受けたことがある方であれば,どなたでもお分かりいただけるでしょう。そのとき,この歯科助手の手は,きまって温かいのです。おそらくこれは,治療を開始する前に,手を温めているからだろうと僕は思っています。というのも,この手の温かさというのが,普通に手が温かいというだけでは説明がつかないように僕には感じられるからです。当然ながら,冷たい手で触られるよりは,温かい手で触れられる方が,患者としてはずっといい筈で,僕はこの助手の配慮にはいつも感謝しているのです。
 この翌日の12月15日が土曜日で,妹はピアノレッスン。さらに翌日の16日の日曜日はカラオケと,連続で予定が入っていました。このカラオケは磯子区内にある障害者施設が主催したもので,昼食もセット。さらに送り迎えもありましたので,ガイドヘルパーを利用したのと,ほぼ同じことでした。
 その翌日の12月18日の月曜日が僕の通院の日。いつものように病院の前まで入っていくバスで行ったわけですが,この日に乗車したバスは,車内がクリスマス仕様に装飾されていまして,さらにオルゴールの音色でクリスマスソングも流れていました。これは横浜市営のバスですが,僕はこのような路線バスに乗ったのは,クリスマスに関係なしに初めてで,かなり驚きました。
 中央検査室はこの日もわりと空いてはいました。ただ,採血の順番がすぐに回ってきてしまうというほどではありませんでした。よって先に採尿を済ませました。この日もアームバンドを装着してもらい,診察は午後2時からになっていましたので,院外に出るということはせず,院内の食堂で昼食を済ませました。
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農林水産大臣賞典桜花賞&虫歯の治療

2013-03-21 19:03:09 | 地方競馬
 笠松から2頭が遠征してきた第59回桜花賞。御神本訓史騎手が病気のため,シーギリヤガールは町田直希騎手に騎手変更。
 最内のイチリュウが逃げ,2番のアステールネオが2番手。逃げたかったであろうデイジーギャルは10番ということもあり,3番手に控えざるを得なくなりました。内にケンブリッジナイスが続き,シーギリヤガール,そしてカイカヨソウ。前半の800mは49秒9のミドルペース。
 向正面からケンブリッジナイスとカイカヨソウが追い上げ始めましたが,さほど速いペースではなかったため,前の2頭はむしろ後ろを離していき,直線入口では決定的といえる差に。そのまま逃げ切ったイチリュウが2馬身半差で優勝。アステールネオが2着。ケンブリッジナイスこそ捕えたもののカイカヨソウは5馬身差で3着。
 優勝したイチリュウはここまで7戦して2勝,2着1回,3着3回。新馬戦も4着で,堅実に走っていた馬。今日のレースは枠順が結果に及ぼした影響が大であったと考えられ,最内から逃げて,ほとんど絡まれずに楽なペースになったのが勝因。能力で勝ったとは必ずしもいえない面もあり,今後の活躍に関してはまだ何ともいえません。父はキングヘイロー。母のはとこに1994年の京都4歳特別を勝ったイイデライナー
 騎乗した大井の的場文男騎手は昨年6月のグランドマイラーズ以来となる南関東重賞制覇。第41回,47回と制していて,12年ぶりの桜花賞3勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は第58回からの連覇で桜花賞2勝目。

 翌週は12月12日の水曜日に妹が指定歯科のみなと赤十字病院へ。その翌日,13日の木曜日に,祖母の一周忌のために来日していた伯母がロサンゼルスに戻りました。
 そして14日の金曜日が,僕のI歯科での虫歯治療でした。この日は11時の予約。先週とは異なり3人がいたのですが,そのうちのひとりは僕がここで初めて見る歯科助手でした。おそらく前の歯科助手が何らかの事情でここを辞めたため,新たに入ってきたのだろうと思います。先週はその過渡期のために,ふたりしかいなかったのではないでしょうか。この新入りの助手は,この日は治療にあたるというよりも,研修といいますか,ここでの仕事の手順に慣れるためにここにいたような印象を受けましたから,あるいはこの職場というのはこの日が初めてであったのかもしれません。
 治療を要するとされた虫歯は右下の最も奥。ブリッジは左右の下に架けていますが,どちらとも最も奥のひとつ手前から3本の歯でしたから,ブリッジの先に1本だけある歯でした。まずレントゲンの撮影を行い,麻酔をしました。このときは塗り薬ではなく注射でした。注射の方が部分的ですから,少しの痛みを伴いますが,事後のことを考慮しますと楽です。それから虫歯の部分を削りました。ここまではI先生自身の手によるもの。それから,以前からここにいた助手に代わって,その部分の型を取りました。そしてまたI先生によって,削った部分に仮の蓋をしました。これはそのまま放置すれば,食事の際などに沁みるおそれがあったためです。ただ,これはあくまでも仮のものですから,正式な被せものをする必要があります。助手による型取りはそのための作業。つまりその型に合わせてきちんとした被せものを造ることになるので,それができてからまた被せ直す必要があります。これは要するにそのためにもう1度来院しなければならないということを意味していました。よってこの日の治療はここまで。また翌週の金曜日に予約を入れて,この日は帰りました。家に着いたのは12時前でしたから,作業は多くても,そんなに時間が掛かったというわけではありません。
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中日新聞杯名古屋大賞典&祖母の一周忌

2013-03-20 18:49:39 | 地方競馬
 春分の日の開催となった第36回名古屋大賞典
 先手を奪ったのはサイモンロード。エーシンモアオバーが2番手に控えたので,スローな流れに。3番手はホッコータルマエで,内にランフォルセ,外にジャングルスマイル,さらにダイシンオレンジが続きました。
 2周目の向正面に入ってエーシンモアオバーがサイモンロードにプレッシャーをかけにいくとサイモンロードも抵抗。ホッコータルマエは続いて,この3頭と4番手以降は一旦は離れました。エーシンモアオバーは4コーナーに入るところでサイモンロードを捕まえて先頭。しかしこれをマークしていたホッコータルマエが直線で楽々と交わし,3馬身差で快勝。エーシンモアオバーが2着。一杯になったサイモンロードを交わしてダイシンオレンジが4馬身差で3着。
 優勝したホッコータルマエは先月の佐賀記念からの連勝で重賞3勝目。この馬は大レースを勝つだけの力がある馬で,ここはほかにそういったメンバーは不在でしたから,当然といっていい勝利。大レースに向って着々と賞金を加算しているといったところでしょう。1周目の正面で3番手の外を確保しにいったときの騎乗はやや強引で,ジャングルスマイルは明らかに不利を被ったと思います。勝敗の帰趨に影響を与えるものではなかったと思いますが,個人的には少し残念に感じました。父はキングカメハメハ
 騎乗した幸英明騎手は第35回からの連覇で名古屋大賞典2勝目。管理している西浦勝一調教師は名古屋大賞典初勝利。

 クリーニングはいつもと同様,歯科助手の手によって施されました。その後でI先生が僕の歯の状況をみるのも同様。このときに,右下の奥歯の虫歯が目立ってきているので,その治療を勧められました。もちろん僕としてもそれを断る理由はありません。ということで,翌週となる14日の金曜日にまた予約を入れ,この日は帰りました。家に着いたのは11時過ぎでした。この日の午後は本牧へ。
 翌8日が妹の土曜出勤。12月の土曜出勤は例年,クリスマス会と決まっています。の入院中は12月18日で,そのくらいであれば驚きはしませんが。12月8日にクリスマス会とはずいぶん気が早いものだと思いました。とはいえ,こうしたことは施設の都合もあるでしょうから止むを得ません。当時は僕は参加しませんでしたが,この日は母が連れていきまして,一緒に参加しました。
 その翌日,9日の日曜日は,前年,というのは2011年のことですが,暮れに特別養護老人ホーム老衰のために死んだ祖母の一周忌法要でした。平塚市内の寺で法要,その後に大和市内に移動して墓参り,その近くで精進落としという日程。もちろんこれは叔父がすべて計画したもの。参列したのは叔父と伯母,母と僕と妹,そして家族葬に参列した僕の従妹とその内縁の夫の計7人。従妹夫妻は夫が運転する自動車で来るということで,僕たち5人は叔父が借りたレンタカーを使いました。
 以前にこの寺は平塚市内であるけれども,相模川対岸の寒川駅の方が近いと説明しました。確かに平塚駅と比べるならその通りです。ただ,最寄り駅となると,これは寒川駅とは反対の方向になりますが,小田急線の伊勢原駅であるかもしれません。いずれにしても電車で行くには非常に不便な場所です。
 叔父の話では,午前9時頃には家を出たいとのこと。僕は中央競馬の開催日は現在でも可能な限りはWINS横浜まで行っているのですが,この時間に寺に向けて出発しなければならないとなればさすがに無理です。というわけでこの日はすべての馬券をインターネット投票で済ませました。すべてがつつがなく終了し,家に戻ったのは午後3時過ぎ。この日もその後で本牧に出ています。
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農林水産大臣賞典黒船賞&陥没

2013-03-19 19:11:04 | 地方競馬
 高知はナイターが開催されていますが,第15回黒船賞は第4レースで,16時25分の発走でした。
 先手を奪ったのはサマーウインド。本質的にはスプリンターということもあるのでしょうが,向正面にかけて後ろをぐんぐんと引き離していきました。2番手以下はほぼ一団で,ラブミーチャン,ティアップワイルド,コスモワッチミー,スーニ,セイクリムズン,ダイショウジェットといったところ。超ハイペースといっていいでしょう。
 2番手集団がサマーウインドに取り付く前にスーニは脱落。サマーウインドは4コーナーで捕まり,ラブミーチャンとティアップワイルドが前に。ここで馬群が横並びとなりあとは追い比べ。わりと内寄りを捌いてきたセイクリムズンが先頭に立ち,外を回って追い上げたダイショウジェットで最後は叩き合い。先んじていたセイクリムズンがクビ差で制して優勝。コースロスが応えたかもしれないダイショウジェットは2着。2馬身差の3着はティアップワイルド。
 優勝したセイクリムズンは昨年のさきたま杯以来の勝利で重賞8勝目。黒船賞は昨年も優勝していて連覇。昨秋は本調子になかったようでやや精彩を欠いていましたが,今年に入っての2戦は復調を感じさせる内容。そうなれば力量は最上位ですから順当な勝利。今日は騎手の巧みなコース取りに助けられた面もあったと思いますが,このくらいのメンバーならば今後も重賞勝利を積み重ねられそうです。アストニシメントヤマトナデシコの分枝。甥に一昨年の阪神スプリングジャンプを勝ったオープンガーデン
 好騎乗をみせた岩田康誠[やすなり]騎手は第10回と第14回を勝っていて黒船賞は連覇で3勝目。管理している服部利之調教師は第9回と第14回を制していて,やはり連覇となる黒船賞3勝目。

 12月6日の木曜日のことですが,から,台所の外の水道管の付近の土が陥没しているようだと知らされました。我が家の台所というのは西向きでして,向いの家との幅があまりありません。水道などの検針のために人が通ることはありますが,それは特別の場合であって,僕たちが通るということもまずないような場所です。一方,母が園芸をしている手狭な庭というのは南側にありまして,この狭い通路とは繋がっています。母はその通路から南側の庭に人が入って来られないようにするために,植木鉢を置こうとしたらしく,そのときに,この異変に気が付いたとのことでした。
 そのように言われましたので僕も見に行ってみたのですが,僕が見た限りでは,心配しなければならないような大きな陥没とは思えませんでした。洗面台を新設しなければならなかったことが,下水の配管と関係していましたので,母はこの陥没をそのこととの関連で考えたらしく,心配したようです。僕はむしろ,外壁の修理のために足場を組んだときに,この通路にも足場を立てましたから,その影響ではないかと思えました。放置しておいても大丈夫ではないかと思えたのですが,母は心配していましたので,母が園芸用に購入していた砂利を敷き詰め,穴自体は埋めました。その後はとくに問題は起きていません。
 翌日が7日の金曜日。生年月日から分かりますように僕が42歳を迎えた日ですが,火曜の眼科検診のおりに予約を入れておいたI歯科へと,歯科検診に赴きました。予約時間は午前10時。この日は予約を入れておいたにも関わらず,到着してから10分ほど待たされました。待機するのは待合室で,診療室の様子は耳でしか窺えないのですが,前の患者の治療が大掛かりであったようで,そのことが影響していたのかもしれませんし,また,僕が呼ばれますとこの日はいつもは3人がいるこの歯科に,I先生とひとりの助手のふたりしか見当たりませんでしたので,そちらの影響であったのかもしれません。
 この日はクリーニングを施しただけ。ただ,右上の歯は根元が露出しつつあるので,ブラッシングには十分に注意するように言われました。
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NHK杯テレビ将棋トーナメント&視力

2013-03-18 19:18:51 | 将棋
 昨日,放映された将棋の第62回NHK杯の決勝。対戦成績は渡辺明竜王が24勝,羽生善治三冠が21勝。この棋戦は羽生三冠が4連覇中なので王を持っての対局でした。
 渡辺竜王の先手で,羽生三冠が工夫した序盤で相矢倉模様の将棋に。ただ,解説や感想戦から察すると,早い段階で先手よしといえるような局面となっていたようです。
                         
 ここで▲5四歩と垂らしたのですが,この手が先手の優勢を決定づける一打となりました。後手は△4九角成ですが,そのときに▲5五飛と逃げられるようにしているのが直接的な意味。△5四歩が打てない後手は△5ニ歩で,これは仕方ありません。そこで▲7四歩と突くのが当然ながらの好手。取ると▲5六角で銀が受かりませんから△4八馬ですが,それでも▲5六角。次の▲7三歩成が厳しすぎますから△8二飛と受けるほかありませんが▲7三歩成△同歩で桂得を果たし,その取った桂を▲6五桂と据えました。
                         
 5三と7三に成る両狙い。受ける手は△6二王しかなく,実戦もそう進みましたが,これは先手が駒得の上に玉型がよく,駒の働きでも勝っていますから大差といえるでしょう。はっきりとした終盤に突入することなく,後手の投了となりました。
                         
 羽生三冠の五連覇とこの棋戦の連勝記録をストップさせて渡辺竜王が優勝。棋戦優勝は先月の第6回朝日杯将棋オープンに続いて7度目。NHK杯は初優勝です。

 眼科検診というのは網膜症の検査のことですが,これは異常なし。この日もその検査の前に,眼圧測定視力検査を行ったのですが,この日はそれまでよりも視力がよくなっていました。といっても,0.1は見えていないのですから,大差はありません。まあ,人間の身体というのは日によって調子も変わりますので,このときはたまたま目の調子がよかったということなのでしょう。ほかにこれといって思い当たるような原因はありません。ただ,僕はこれ以降は眼科には行っていませんから,視力の計測はしていません。来月に行く予定ですが,そのときにも同じような視力であったとすれば,何らかの理由でほんの少しだけ見えるようになったということになります。
 このО眼科I歯科というのは,同じビルの2階,皮膚科を挟んでごく近くにあります。12月は歯科検診もしなければなりませんでした。すでに説明したように,歯科の予約というのが必要になりましたので,ついでですからI歯科にも寄って,予約を入れてきました。これはその場で思い立ってそうしたのではなく,事前からそのつもりでした。歯科と眼科を同じ月に通わなければならない場合には,僕は必ず眼科の方を優先しますので,このような形となったもの。なるべく近いうちがよいだろうと思いまして,僕の都合がよかったこの週の金曜日,つまり12月7日というのを希望していましたが,問題なくその日に予約を入れられました。
 網膜症の検査の際には散瞳します。この効果というのが,早めに消えてくれる日と,わりに長く持続してしまう日とまちまちなのですが,この日は左目の方は早く元の状態に戻ってくれたのですが,右目の方は回復が遅くなりました。このような経験は僕には初めてのことで,かなり妙な感じでした。午後は長者町で仕事だったのですが,それ自体に影響はありませんでした。
 そしてこの12月4日から,妹はショートステイでした。3泊4日で,帰ってきたのは7日の金曜日ということになります。ショートステイは通常は2泊3日なのですが,11月が1泊2日になりましたので,その調整のために,この月は3泊となったものです。
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大和証券杯女流最強戦&調律

2013-03-17 18:43:18 | 将棋
 ネット将棋の第6回女流最強戦の決勝。対戦成績は上田初美女王が3勝,中井広恵女流六段が4勝。
 上田女王の先手で5筋位取りの中飛車。中井六段は左銀を繰り出していき,急戦模様の将棋に。中盤の戦いは駒得となった先手がはっきりと優勢であったと思いますが,秒読みになってから乱れ,急接近しました。
                         
 2七の歩を突き出した局面。ここは☖1六銀☗同香としてから☖7八とと取るのがよかったようなのですが,実戦は単に☖7八と。このため☗2五歩と取られました。そこで☖3五桂。これには☗同馬☖同銀☗3四桂もありましたが一旦は☗3六龍と逃げ,☖4六金☗同金☖同桂としてから☗3五馬。☖同銀に☗3四桂と打ち,☖3二王☗3五龍となりました。
                         
 これで先手は上部が手厚い上に持ち駒も豊富で,勝勢に近くなっているようです。先手はここまでも安全策で指してきたのですが,これ以降もその姿勢を持続。そのためにまだ手数は伸びましたが,後手にチャンスは訪れず,先手の勝ちになっています。
 上田女王が優勝。公式戦ではこれが初の棋戦優勝です。

 バザーの翌日となる11月24日の土曜日はガイドヘルパーを利用しました。前の週も利用してカラオケに連れていってもらっていますので,11月は2度,利用したということになります。この日は本牧にある中学校,つまりコミュニティセンターで,クリスマスリースを作ってきました。さらに翌25日の日曜日にピアノレッスンがありましたので,この三連休は妹にはすべて何らかの用事が入っていたということになります。
 そして11月27日の火曜日からショートステイ。ただし,この月は1泊でしたので,28日には帰ってきています。また,この27日には,ロサンゼルスの伯母が来日しました。10月にと妹は2度めの渡米をして,帰国したのが31日でしたから,一月とおかずにまた顔を合わせたことになります。伯母が家に着いたのは27日の午後9時ごろ。少し早くなったのは,いつものシンガポール航空ではなく,このときは全日空を利用したからのようです。なお,伯母は生活は叔父とともにアパートの方で営みますから,この日も少し顔を出しただけで,すぐにアパートへと向いました。翌月に祖母の一周忌が予定されていましたから,それに合わせての来日でした。
 11月29日に,ピアノの調律が行われました。これはもちろん調律師によるもので,概ね1年に1度は行っています。妹だけしか利用することがないピアノですから,その必要があるのかどうかは微妙なところですが,やはりまったく調律をしないというわけにもいかないでしょう。母によれば午後1時半頃に始まり,3時頃には終了したとのこと。僕はこの日は蒲田まで出ていまして,この間は不在でした。
 月が変わって12月。2日の日曜日に母と妹が美容院へ。そして4日の火曜日に,僕はО眼科へと眼科検診に赴きました。この日は10時前には到着。いつもよりは空いていました。僕は眼科検診は金曜日に行くことが多かったのですが,この日は火曜日で,その関係もあったかもしれません。ただ,行った時間のタイミングとしてはあまりよくなかったようで,たぶん,もう少し遅い時間に行った方が,待ち時間そのものは短くて済んだように思います。
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