スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部定理四〇系一&第三部定理三七

2018-10-05 19:12:46 | 哲学
 第三部定理四〇系二では,何の感情affectusも抱いていない人から憎しみodiumのゆえに害悪を加えられた場合,その人に対して復讐心vindictaを有するという主旨のことがいわれています。これは第三部定理四〇からの帰結事項のひとつですが,この定理Propositioから帰結するのはこれだけではありません。第三部定理四〇系一で示されていることも同様です。
                                
 「自分の愛する人が自分に対して憎しみを感じていると表象する者は,同時に憎しみと愛とに捉われるであろう」。
 第三部定理四〇は,もしある人から憎まれていると表象するimaginari場合,もし自分がその人に憎まれる原因を与えていないと思うなら,その人のことを憎み返すといっています。実際には人は,自分が憎まれる原因を与えたと思うことの方が稀なので,この種の憎み返しは,憎まれていると表象する場合にはほとんどの場合で生じるといってもいいでしょう。そしてこれは一般的な真理veritasです。つまり自分を憎んでいると表象する人がだれであるのかということとは無関係に成立します。したがって,自分が愛する人が自分に対して憎しみを感じていると表象する場合にも成立します。よってその人は愛する人のことを憎むでしょう。しかし一方で,その人のことを愛しているということが仮定となっていますから,この人はその人に対して,愛amorと憎しみという両方の感情に捉われるということになるのです。
 愛と憎しみは反対感情です。同時に,同じものに対する愛と憎しみは,必然的にnecessario相反する感情です。したがって,愛している人から憎まれている表象するとき,人は必然的に心情の動揺animi fluctuatioを感じることになります。
 実際には心情の動揺というのは,相反する感情を有するという意味なので,すぐに解消されます。この場合には量的に決定されます。つまり,愛という感情の方がより強力であれば,憎み返しの感情は消滅するでしょう。逆に憎み返しが強力なら,愛が消滅します。ただしこれはそのときによるのであり,あるときは愛の方が強力で,あるときは憎しみの方が強力ということが往々にしてあります。ですから愛と憎しみに交互に捉われるということがあるのであり,心情の動揺とは,そうした状態のことをいっていると解しておくのが適切かもしれません。

 さらにもう一点つけくわえておきましょう。
 僕たちは現に悲しみtristitiaを感じている場合には,現に起きていないことについて楽観的に評価しがちであるというのは,一般的な事実です。すなわちこれは,自分の精神mensの自由決意によって悲しみが生じたと信じるか信じないかということとは関係ありません。そう信じている場合には後悔という感情affectusが発生するのですが,そう信じていない場合には後悔は発生しませんが,別の感情を抱いてしまう場合があります。
 もし,他人の精神の自由な決意と信じるところによって自身に悲しみが齎された,『エチカ』でよくいわれるいい方に倣えば,害悪が齎されたと表象しているとしましょう。このとき,この人は起きていないことについては楽観的に表象しがちであるので,その他人が別の決意をしていれば自分は害悪を被ることはなかったと簡単に信じてしまうのです。ですがこれが妄信であるということは,自身の精神の自由な決意と信じることによって齎された害悪で示した場合と同様なのです。すなわち,もしその他人が別の決意をしていたら,この人は現に被ったのより以上の大きな害悪を被ることになっていたかもしれないからです。ところがこの場合にも人は,あの人が現にした決意をしたからこの程度の被害で済んでいるのであるというようにはほとんど表象せず,あの人が別の決意をしていればこれほどの被害を被ることはなかったと,よく精査することもなしに単純に判断してしまうのです。
 他人の精神の自由な決意になされたと信じることによって悲しみを感じた場合には,この人の悲しみにはその他人の観念ideaが伴っていますから,その人を憎んでいることになります。これは第三部諸感情の定義七から明白でしょう。これに加えて,この自由な決意と信じるところが別のものであれば,その悲しみは感じなかったとも表象するのですから,この場合は憎しみodiumの度合はとても強いものになります。すると,その他人に対する欲望cupiditasの度合もそれだけ強くなります。それを示すのが第三部定理三七です。
 「悲しみや喜び,憎しみや愛から生ずる欲望は,それらの感情がより大であるに従ってそれだけ大である」。
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第三部諸感情の定義一一説明&父との比較

2018-09-26 19:03:27 | 哲学
 第三部諸感情の定義一一には説明が付されていて,スピノザは次のようにいっています。
                                
 「人がその嘲弄するものを憎んでもいるということを我々は仮定しているのであるから,その帰結として,この喜びは基礎の固いものではないということになる」。
 簡単にいえば,嘲弄という喜びlaetitiaは,基礎が固い喜びではないということです。スピノザは憎んでいるものが悲しんでいると表象するimaginari人は喜びを感じるとした第三部定理二三の直後の備考Scholiumで,しかしその喜びは基礎が固くないといっていますが,嘲弄の場合にもこれと同じことが当て嵌まるのです。
 その定義Definitioから直ちに理解できるように,嘲弄という喜びは僕たちが何かを憎んでいないのなら発生することがない喜びです。軽蔑していることが憎んでいるものの中にあると表象することによって感じる喜びが嘲弄といわれるのですから,仮にあるものに軽蔑すべき点が含まれていると表象したとしても,その人間を憎んでいるのでなければ嘲弄には至らないからです。
 第三部諸感情の定義七から分かるように,憎しみodiumというのは悲しみtristitiaの一種です。これに対して嘲弄は喜びなので,嘲弄を感じている人間は,基本感情affectus primariiのうち喜びと悲しみを同時に感じている人間であるということになります。しかるに喜びと悲しみは反対感情です。まずこのことから,嘲弄が基礎が固くない喜びであることが理解できます。
 同時に,嘲弄は憎んでいるものについて軽蔑すべき点をを表象することによって生じる喜びです。つまり単に喜びと悲しみという反対感情を感じているというだけではなく,相反する感情を感じているのだということができます。Aを憎みつつ,Aに軽蔑すべき点を見出して嘲弄するのは,Aによって悲しみと喜びの両方に刺激されていることになるからです。
 つまり嘲弄とは,一種の心情の動揺animi fluctuatioであるということができます。そのゆえに,喜びとして固い基礎を有することができないといえることになるのです。

 母が戻りましたので僕たちは入院支援センターに向いました。これは必要な書類を受け取るためです。すぐに受け取ることができましたので,7階の病室に向いました。
 入院中は食事は提供されますが,この日の昼食は用意することができないとのことでした。母は食欲が湧かなかったこともあり,院内の食堂で食事を摂る気にはなれませんでした。そこで僕はやはり院内のコンビニエンスストアで,母が食べられそうなものを見繕って買い,母にそれを渡した後,ひとりで食堂で食事をしました。僕もコンビニエンスストアの弁当などを買って食べてもよかった,というかそうしたいところではありましたが,この病室ではそれは不可能だったのです。食事をしたのが午後1時半ごろ。また病室に戻り,母の様子を少し見てから僕は帰りました。帰宅したのは午後2時45分でした。
 この日はピアノの調律が予定されていました。なので伯母には家で待機してもらっていたのですが,僕が帰ったときには調律はすでに終わっていました。また荷物を持っていかなければならないから帰ってきたのですが,調律が終っていましたから,荷物は伯母が持っていってくれることになりました。
 5月31日,木曜日。母の見舞いに行ったところ,現在の状況で緩和病棟に入院することは難しいと伝えられたとのことでした。実際のところ,父が抗癌剤による治療をすることさえできなくなって最後に退院してきたときの状態と比較したら,このときの母はよほど元気であったといえます。ですから,痛みを抑えることができれば退院してくる可能性があるということは,僕も理解しました。実際に退院してくるようなら家で生活するための準備も必要とされるでしょう。そうなる可能性があるという心構えができたというような意味に理解して下さい。
 以前に処方された薬剤のうち,鎮痛剤のオプソは残っていたものを病室に持っていってありました。それは飲んでもいいとのことでしたから,この日は母は2回飲んだようです。気持ちの上でいえば,家にいるよりは病院にいる方が,母は安心感は強かったようです。そのためか,痛みも痒みも家より少ないとのことでした。
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自己の有&2018年5月の通院

2018-09-20 19:05:09 | 哲学
 自己の有に固執するということがいかなることであるのかということについて,僕の考え方を哲学的な仕方で詳しく説明しておきます。
                                
 現実的に存在する人間が自己の有に固執するというとき,原則的にはその現実的存在を維持する,すなわち生き永らえようとするコナトゥスconatusを有するということを意味します。おそらくニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheはコナトゥスをこのような仕方で理解しました。そしてそれはスピノザとニーチェの対立のひとつを構成しています。ニーチェにとってこのようなコナトゥスは,反動的であるとしか理解できなかったからです。
 しかし僕の考えでは,自己の有というのは単に現実的存在だけを意味するのではありません。第一部定理一一第三の証明の基礎となっているように,存在するということはそれ自体でpotentiaであり,コナトゥスもまた力であるからです。つまり存在existentiaは力と切り離せないのであり,したがって自己の有を維持するということは,自己の力を維持するという意味も有していなければならないと僕は考えます。
 スピノザの哲学における力は可能的なものではなくて現実的なものです。いい換えれば現実的になし得ること,あるいはなしていることが力です。よって,それまでになし得ていた事柄をなすことができなくなるというのは明らかに力の喪失ですから,これは自己の有の維持の喪失であるといえるのです。
 ここにおいて,自己の現実的存在に固執するということと,自己の力に固執するということは,対立的であり得るのです。すなわち僕の母がそうであったように,化学療法を受けることによって現実的存在は伸ばせるが,副作用の影響でなし得たことがなし得なくなるとすれば,前者は自己の有に固執していますが,後者はそれと逆になるからです。よって人は,自己の力に固執することによって,現実的存在に固執することを放棄するという選択をすることもあり得るのです。
 自己の有とはただ存在そのものを意味するのではありません。その存在に伴った力のことも意味しているのです。

 5月21日,月曜日。妹を通所施設に送りました。午後は内分泌科の通院でした。
 4月は予約時間間際に病院に到着したところ,わりと早く診察が開始になりましたので,この日は午後2時に病院に着きました。中央検査室で採血を待っている患者はなく,次が僕の番でしたので,すぐ採血。注射針の処理も済ませてから採尿をしました。
 早く行ったのですがこの日は3月と同様に待たされ,診察が始まったのは午後4時でした。
 HbA1cは7.2%と改善していました。また,サマリーに示された全体の低血糖の割合は1.3%で,こちらは変化がありませんでした。つまり低血糖を多く発症することなくHbA1cは低下したことになり,これはきわめて良好な状態だといえます。HbA1cが高くなっていたために通院の間隔が短くなっていたのですが,次からは従来通りの間隔に戻すことになりました。前回は平均が193.7㎎/㎗ときわめて高かった朝の血糖値が,151.6㎎/㎗まで下がっていまして,この分がHbA1cにも反映されていたと思われます。何か生活の改善を施したというわけではなく,おそらくこれは陽気の影響でしょう。実際に起きたときにとても寒いと,血糖値が高くなるという傾向が僕にはあったからです。主治医も,そのような影響を受ける患者は存在すると言っていました。
 この日もトリグラセライドすなわち中性脂肪は46㎎/㎗で,下限値を下回っていました。ただこの数値は前回とほぼ同じであり,3月のように極端に低かったわけではありません。
 帰りに薬局に寄りました。この日はインスリンも注射針も足りていました。同時に,あることを伝えられました。
 母のワンデュロパッチはこの薬局で処方されました。もし次に同じように何らかの麻薬が病院で処方された場合,薬局に来る前に処方箋をFAXで送ってもらえれば,先に薬を用意しておくことができるというものでした。みなと赤十字病院には処方箋FAXというサービスがあり,そういう窓口があることは何度も通っていたので知っていたのですが,こういう場合に利用するものなのだということは,このときに初めて知りました。
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書簡五十八&母の希望

2018-09-14 18:54:09 | 哲学
 書簡五十七に対するスピノザの返信が書簡五十八です。書簡五十七はチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausからとなっていますが,実際にはシュラーGeorg Hermann Schullerを介して送られたものでした。このために書簡五十八の宛先はシュラーになっています。
                                     
 この書簡は別ですが,シュラーを介しているのは,チルンハウスとの文通の背後にライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizがいるという見解にとってはやや有利だと思います。ライプニッツはスピノザと直接的にやり取りすることは危険な行為と考えていたでしょう。ですからチルンハウスを介しさらにシュラーを介すれば,危険性をそれだけ排除することができるからです。
 書簡の内容は長いですが,スピノザの主張のうち肝となるのはふたつです。
 まずチルンハウスがデカルトに倣って,外的原因によって強制されないことを自由libertasというとき,強制されるということが自己の意志voluntasに反するという意味であるなら,人間に自由意志voluntas liberaがあるということをスピノザも認め得るのです。しかし強制というのが必然的necessariusであるという意味なら,つまり必然的にnecessario行動しない人間が自由な人間であるというなら,自由な人間が存在するということをスピノザは認めないのです。いい換えれば人間は自己の意志に反して行動するということはあり得るのですが,そのように行動するとしてもそれは必然的に行動するのであって,自己の意志に反するような自由な意志によって行動するのではないというのがスピノザの見解です。
 もうひとつは,もし人間が必然的に行動するなら悪malumを犯す場合にも必然的に犯すのだから,その行為は許されることになる,いい換えればどんな悪も許されることになるとチルンハウスはいっています。ですがスピノザによればこのことは大した問題ではありません。なぜなら必然的に悪であろうと自由に悪であろうと,悪の恐ろしさや危険性には変わるところはないからです。つまり悪は恐ろしさや危険性のゆえに悪であるといわれるのであり,それが必然的になされるのか精神mensの自由な決意によってなされるのかは無関係だというのがスピノザの見解なのです。

 この日はいつになく母から主治医に対する質問や依頼がありました。これは今度の主治医が自分に合っていると母も感じたためでしょう。あるいは,僕はあまり気にはしないのですが,今度の主治医が母にとって同性であった,つまり女医であったということもその一因になっていたかもしれません。
 まず足や腹のむくみについてですが,母は和らいだと言っています。主治医からは,水分の摂取は1日に1ℓ以内にした方がいいということと,体重を継続的に量った方がいいという助言がありました。体重が増加していたら,それは水が溜っている証拠だからです。母の症状が和らいだのは利尿剤の効果でしょうから,利尿剤の処方は継続することになりました。
 次に,母は立ったり座ったりするときに痛みが生じるという主旨のことを言いました。これは癌に由来する痛みかもしれないので,鎮痛剤を処方することで対処することになりました。ただ,母は錠剤はとても飲みにくかったのでそのことを主治医に伝えますと,主治医は鎮痛剤は貼り薬があるので,それを処方してくれることになりました。名称は後に示しますが,この貼り薬は麻薬です。それと同時に,麻薬ではない液状の鎮痛剤も同時に処方してくれました。また,利尿剤は錠剤だったものを,粉砕して粉状にして処方してもらえることになりました。粉砕はたぶん薬局の薬剤師による作業であったと思われます。これまで処方されていた鉄剤と胃薬は飲まなくていいとのことで,この日の処方はありませんでした。
 さらに,母は今後の希望として,最終的には病院で死にたいということ,できれば父と同様に緩和ケア病棟最期を迎えたいという希望を医師に伝えました。これについては,次回の診察の日に,緩和ケア病棟で相談することができるよう手配してくれました。
 いくつかのやり取りがあっていつもより診察時間は長かったのですが,この日はそれまでより予約時間が早かったこともあり,昼食を摂るには時間が早すぎました。ですから精算を済ませてそのまま帰りました。帰宅したのは11時50分でした。この日は僕の都合が悪く,処方された薬をもらうことはできませんでした。
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書簡六十四&昼食会

2018-09-03 19:21:46 | 哲学
 書簡六十三に対するスピノザの返答が書簡六十四で,これはシュラーGeorg Hermann Schullerに送られています。
                                     
 チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausからの質問のうち,第一の点についてはスピノザは第二部定理一三,すなわち人間の精神humanam Mentemとは身体の観念であるということを示しています。チルンハウスは属性attributumについて質問し,スピノザは様態的観点から答えていますが,この解答は成立していると僕はみなします。
 第二の質問については,すべての個物res singularisは本性essentiaの上でも存在existentiaの上でもその原因とは異なるという説明が与えられています。僕の考えではそもそも質問をしているチルンハウスがある誤解をしているのであって,質問自体が成立していないものであったのです。スピノザは書簡においてはそれを詳しく明示していないので,このことについては別に僕の考え方を表明することにします。
 第三の質問に関しては,ごく簡単な解答が与えられていて,そこでスピノザがいわんとしている主旨は,チルンハウスが帰納法的に証明していると思っていることは,実際には帰納法的に証明されているわけではなく,演繹的に導き出されているのである,ということだと僕は解します。ごく単純にいえば,僕たちが絶対に無限な実有,いい換えれば無限に多くのinfinita属性によってその本性を構成されている実体substantiaを十全に認識することは可能なのであり,そのことが,絶対に無限な実体は存在するということの根拠になるのであって,絶対に無限な実体が存在するということは,第一部定理九および第一部定理一〇でいわれていることから帰納的に帰結するわけではないということをスピノザはいいたいのだと僕は解します。
 第四の質問に対する解答は,思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態は絶対に無限な知性intellectus infinitus,延長の属性Extensionis attributumの直接無限様態は運動motusと静止quiesといい,間接無限様態については無限に多くの仕方で変化しつつも常に同一にとどまる全宇宙の姿facies totius Universiといっています。後者は延長の属性の間接無限様態だけを意味していると僕は解しています。

 3月18日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。前日の土曜に先生から電話で連絡があり,この日は午後2時の開始でした。
 3月19日,月曜日。妹を日野の通所施設まで送りました。陽気がだいぶ春めいてきましたので,春物の洋服を何着か持参しました。これはそのままグループホームの妹の部屋へ持っていってもらい,気温に合わせたものを着てもらうためです。搬入のときに持っていってあった冬物については持ち帰ったりはせず,そのまま部屋に置いておいてもらいます。このような仕方で,妹の部屋には季節に合わせた洋服が順々に増えていくということになるのです。
 3月22日,木曜日。妹が卒業した養護学校の保護者の昼食会がありました。これは本当は4月に予定されていたものを,母のために早めてもらったものです。場所も通常の横浜ではなく磯子で,これも母の体調に合わせてくれたものでした。そのために母も何とかして行きたいと前々から思っていたようで,どうにか行くことができました。この昼食会は次は5月に開催されたのですが,それには母は行くことがかないませんでした。したがってこの日が,母が参加する最後の昼食会になりました。
 3月23日,金曜日。妹を迎えに行きました。この日は印鑑を持参しました。これは年度末となる翌週に給料が支払われることになっていて,そのために必要であるとのことだったからです。したがってこの印鑑は職員に預けて帰りました。
 母は前日の昼食会のおり,参加メンバーのひとりから,介護保険については申請しておいた方がよいとのアドバイスを受けたようです。それでこの日に地域ケアプラザに電話をしました。申請書を取りに来てほしいと言われたようですが,歩けないので無理だと答えたようで,翌日に持参してくれることになりました。地域ケアプラザはごく近くですから本当に歩いていくことが無理であったとは思えませんし,申請書を受け取るだけであれば僕にもできたでしょうから,職員の方には余計な面倒を掛けることになって申し訳なかったと思います。
 3月24日,土曜日。前日の電話の通り,地域ケアプラザの職員が来訪しました。
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不条理&電話

2018-08-27 19:08:34 | 哲学
 観念ideaをパズルのピースに喩え,全体の中に収まっているのが十全な観念idea adaequataで,全体との連関を欠き単なる一かけらとみなされるのが混乱した観念idea inadaequataであるとする見方に僕が反対する理由を詳しく説明しておきます。
                                
 スピノザは第二部定理四三備考の中で,十全な観念と混乱した観念の関係は,単に真理veritasと虚偽falsitasという関係であるわけではなく,有と無の関係にあるという意味のことをいっています。したがって,全体との関連性を欠いたパズルの1ピースが,ほかのすべてのピースと結び付くことによって全体の一部を構成するようになれば,混乱した観念は十全な観念になると主張することは,単にそれまで虚偽であったものが真理になるということを主張しているだけでなく,無であったものが有になるということをも主張していなければならないと僕は考えます。虚偽であったものが真理になると主張することがそれ自体で不条理であるとは僕は必ずしも考えませんが,無であるものが有になるというのはそれ自体で不条理であると考えます。したがってスピノザの哲学においては,観念をこのような仕方で喩えるのは明らかな誤謬errorであると僕は考えるのです。
 このことは,Xの混乱した観念は,それを認識する人間にとって,Xの十全な認識の契機とはなり得ても,Xの混乱した観念がXの十全な観念の起成原因causa efficiensではあり得ないと僕が考える根拠のひとつにもなります。なぜならもしそのように主張するなら,備考Scholiumでいっていることから,無が有の起成原因であると主張しているのにほかならないからです。しかし無が原因となって有が発生するなどという主張は,それ以上の不条理はないといっていいくらいの不条理でしょう。ですからそれは契機にはなり得ても起成原因ではあり得ず,十全な観念の起成原因はほかにあると考えなければならないのです。
 第四部定理一が示すように,Xの真の観念idea veraとXの誤った観念は同じ人間の精神mens humanaのうちに同時に存在し得ます。ですが各々の観念が発生する秩序ordoと連結connexioは,その人間の精神とだけ関連付けられるなら異なっていなければならず,しかしそのことは第二部定理三六に反しないというのが僕の見解です。

 従兄の実家は戸塚区内ですが,精進落としをしたのは泉区内です。これは単に従兄の実家に近かっただけで,お墓から遠い上に,参列しただれかの家に近いわけでもありません。この場所の選択はミスだと僕は思いました。なお,お寺からお墓までと,お墓からこの店舗までは,僕は父のきょうだいのうち次男夫婦の乗用車に同乗させてもらいました。そして帰りは三女の息子夫婦の自動車に乗せてもらい,これは家まで送ってもらいました。この夫婦は磯子区在住で,僕の家とはだいぶ離れたところではありますが,方向的には同じだからです。帰宅したのは午後7時5分でした。
 この日は妹のピアノのレッスンがありました。午後1時からでしたから,僕が出掛けるときにはレッスンは始まっていました。母が22日にピアノがある部屋を掃除したのはこの日のためでした。
 2月26日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 2月27日,火曜日。妹のグループホームから電話がありました。
 実は3月2日は妹はグループホームの一同で日帰りの旅行に出かけることになっていました。これは事前から分かっていたものです。ただ,この旅行というのが,どこから出発してどこに帰ってくるのかということが僕には分かっていなかったのです。つまりグループホームからなのか通所施設からなのか,そして通所施設へなのか,グループホームへなのかということがです。3月2日は金曜日で,事前の予定では迎えに行くことになっていました。しかし妹が帰る場所が分からなければ迎えに行きようがありません。通所施設へ迎えに行ってよいということでしたので,この日は迎えに行くことを事前,というのは2月のうちに決めておいたのですが,実際は出発も帰りもグループホームなので,2日に迎えにくるのであればグループホームに,午後3時半前後に来てほしいというのがこのときの電話の主旨でした。搬入のときは迷ってしまいましたが,どう迷ったかが分かっていますから道を間違えることはもうありません。ですからそれで了解したのですが,もし事前に分かっていれば,この週末は妹はグループホームで過ごすことになっていただろうと思います。
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コレルスの伝記&制度の不備

2018-08-21 18:53:56 | 哲学
 リュカスの伝記と同様の観点からコレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaも評価します。
                                     
 コレルスJohannes Colerusは1693年に説教師としてハーグに赴任しました。そのときの下宿がハーグでスピノザが最初に下宿していた家でした。さらにコレルスの説教の聴衆のひとりに,スピノザがそこから移り住んだ下宿先の家主であるスぺイクHendrik van der Spyckがいました。コレルスはこれによりスピノザに関心を抱きました。つまり契機は思想とは無関係です。コレルスはスピノザの悪名は知っていたかもしれませんが,それ以前には多大な関心を有していたとは思えません。遺稿集Opera Posthumaを読んでいるのは間違いないですが,それはおそらく伝記を書こうと思った後のことだと思います。なお,コレルスの伝記はオランダ語なので,読んだのもオランダ語版の遺稿集De Nagelate Schriftenだったかもしれません。
 プロテスタントの説教師ですから,スピノザの哲学には大いに批判的です。これは伝記を読めば一目瞭然です。ただコレルスは思想と生活は別と考えることができたようで,スピノザの暮らしぶりについてはかなり好意的に描いています。スピノザの生活を貶めるような誤った伝聞に対しては,むしろそれを否定し,批判しているくらいです。
 思想的に反スピノザのコレルスがスピノザを好意的に描いているので,その部分は真実らしく思われるかもしれません。ただしここにはひとつ弱点があります。それはコレルスがスピノザに多大な関心を寄せたのはスピノザの死後であり,伝記の内容の多くをスぺイクに負っているという点です。
 フロイデンタールJacob Freudenthalの『スピノザの生涯』では,スぺイクはいい加減な人間だからそのすべてを真に受けることはできないという主旨に記述されています。しかし僕の考えでいえば,家主としてスピノザを住まわせていたスぺイクには,スピノザをよくみてもらおうとする動機が存在し得るので,そのために虚偽の証言をする可能性があるのです。ですからとくにキリスト教とスピノザの関係をスぺイクの証言によってコレルスが記述するとき,そこにはスぺイクのフィルターが挟まれているかもしれないということに,最も気を付けなければならないでしょう。

 依頼してもすぐに作成できないのはなぜかといえば,需要に対して供給が追いついていないからです。サービスの給付を行政が決定するための支援計画書ですから,第三者となる社会福祉法人等は,行政から指定を受けていなければなりません。ただ,この制度は知的障害者に特化した制度ではなく,身体障害者にも適用されていますから,たとえば身体障害者の支援計画書は作成するけれど知的障害者のものは作成しないという事業所もあれば,その逆もあります。つまりまず,行政が指定した事業所のすべてで,妹の支援計画書の作成を受け入れてくれるというものではありません。
 次に,横浜市はとても大きな市ですので,事業所によっては市内のすべてをカバーするわけではありません。というより,市内全域をカバーするような事業所はごく少数です。支援計画書の作成のためには,利用者およびその保護者と面談が必要ですし,利用者が普段どのような生活をしているのかを観察する必要があります。なおかつこれは計画を立てれば終了というものではなく,その計画が滞りなく実施されているかも調査しなければならないのです。おそらく計画書を作成する支援員の負担は膨大なものがあると思われ,よって横浜市内のどこでもOKというような事業所は必然的に少なくなるのです。僕の妹の場合でいえば,住所すなわち僕の家は磯子区内にあり,入所しているグループホームと通所している作業所は港南区内になります。したがって少なくとも磯子区と港南区の両区をカバーしてくれる,知的障害者の支援計画書を作成することが可能な事業所を探さなければなりません。さらにそうした事業所には支援員がいくらでも存在するというわけではありませんから,受け入れられる人数にも限度があります。そもそもサービスの給付を行政が決定するためのものですから,本来は行政自身で行うべき仕事です。ですが手が回らないので事業所を指定し,そちらで行っているということでしょう。でも行政で手が回らなければ事業所を指定したところで同様のことは起こり得ます。結果的にサービスを受けられなくなる人が出る筈で,この制度には難があると僕は思っています。
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リュカスの伝記&従兄

2018-08-09 19:03:58 | 哲学
 伝記には必ず伝記作家の評価が入るということに注意して,『スピノザの生涯と精神Die Lebensgeschichte Spinoza in Quellenschriften, Uikunden und nichtamtliche Nachrichten』に収録されているふたつの伝記を評価します。まずリュカスJean Maximilien Lucasの伝記です。
                                     
 リュカスは親スピノザという立場から伝記を書いています。実際にこの伝記はスピノザに対する賛美に溢れています。リュカスが伝記を書いた時代には,スピノザというのはカトリックであるかプロテスタントであるかを問わずにキリスト教擁護派から否定されていましたし,デカルト主義者のような,この時代でいえば進歩的な人びとからさえも否定的な評価を受けていました。リュカスはそのスピノザを肯定的な側面から描くことを,伝記を書くことの理由のひとつとして想定していたと思われます。ですからその内容にスピノザに対する賛美的な文章がちりばめられているというのは,それ自体でみれば自然であるといえます。ただ,その目的のゆえにスピノザを賛美的に描いたのだとすれば,当然ながら事実を超越した賛美が含まれていても不思議ではありません。ですからこの伝記の中でスピノザが肯定的に描かれてる場面のすべてが,史実に基づいていると解するのは大変に危険であるといえるでしょう。このフィルターを通さずにリュカスの伝記を読んではいけないと僕は思います。
 ただし,リュカスの伝記には,ほかのスピノザの伝記,これはフロイデンタールJacob Freudenthalの『スピノザの生涯』とかナドラーSteven Nadlerの『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』といったものも含めてですが,ほかの伝記には一切ない強みが存在します。それは,リュカスは実際にスピノザと会い,話をしたことがある人物であるという点です。ですからあらゆるスピノザの伝記作家の中で,スピノザ自身がこう言ったとかこのように行動したということを体験として知っている唯一の伝記作家がリュカスなのです。ですからリュカスが示している事柄がほかの資料と照らし合わせて真実だと想定できるなら,その部分についてリュカスが言及している事柄は,たとえリュカスが親スピノザの人物であったとしても,とても信憑性が高く,ほかの伝記より信頼性が高いだろうと僕は思います。

 死んだ従兄は父の姉の長男だといいました。その父の姉,僕からみると伯母ですが,この伯母は父の8人のきょうだいのうちで最も早くに死んでいます。その夫,つまり僕の伯父ですが,この伯父は「永久欠番」で紹介した伯父で,やはりすでに死んでいます。そのとき伯父と同居していたのがこのときに死んだ従兄で,ですからこの伯父の死亡時の第一発見者はこの従兄でした。
 この従兄は生涯独身で,子どもはありませんでした。ただし弟がひとりだけいて,この弟は結婚して娘がふたりいます。今はそのふたりの娘もすでに結婚していて,子どもたちもいます。それ以外に近親者はいませんでしたから,喪主は従兄の弟,といってもこの人も僕からみると従兄になるのですが,弟である従兄が務めました。死んだ従兄の弟ですから僕と年が離れているのは同様です。むしろふたりの娘さんたちの方が,年齢的には僕に近いくらいです。
 父のきょうだいの通夜ですから,父方の親族の大部分は集まりました。母は「虫の知らせ」があって急に僕の家を訪ねてきた,父のすぐ上の兄の奥さんには自身の状況を伝えていましたし,このことはその上の兄,つまり長兄になりますが,こちらにも知らされ,このふたりの夫婦は母が大腸癌を切除する手術をするために入院していたときに,1度だけ病院にも見舞いに来ています。従兄が肝臓癌であるということは,たぶんこの見舞いのときに母に伝えられたのだろうと思います。ただ,このふたりの伯父以外には母の状況を詳しく知る父方の親族はありませんでした。通夜で多くの親族が集合しましたので,母は末期の癌で,延命治療は行っていないということは伝えました。
 通夜は本門仏立宗で行われました。これは伯母,死んだ従兄の母親が本門仏立宗の熱心な信者であったため,一旦入った墓から遺骨をそちらに移したからです。僕は相鉄の瀬谷駅から歩きましたが,父のすぐ上の兄は西谷に住んでいて,帰りは通り道である二俣川駅まで送ってもらい,そこから相鉄を使って帰りました。相鉄の急行は二俣川を出るとすべての駅を通過して次が横浜ですから,なまじ西谷まで送ってもらうよりはこちらの方が便利なのです。
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第三部定理四〇系二&土曜レクリエーション

2018-08-04 19:01:11 | 哲学
 第三部諸感情の定義三七の復讐心vindictaという欲望cupiditasが,どのようなメカニズムで僕たちのうちに発生するのかを示した系Corollariumがあります。第三部定理四〇系二です。
                                
 第三部定理四〇は,僕たちがいかにして他人を憎み返すようになるのかを示していました。復讐心というのは憎み返しの一種で,単に相手から憎まれていると表象するimaginariだけでなく,現実的に害悪を被った,いい換えれば悲しみtristitiaを齎されたと感じている場合の憎み返しです。ですからこの系がこの定理Propositioに付随しているのは自然なことだといえるでしょう。
 「もしある人が,前に自分がいかなる感情もいだいていなかった他人から憎しみのゆえにある害悪を加えられたことを表象するなら,彼はただちに同じ害悪をその他人に報いようと努めるであろう」。
 これは,同じ害悪という点を除くと証明Demonstratioは容易です。
 まず,第三部定理四〇から,僕たちはその相手を憎みます。よって第三部定理二六によりその相手を悲しませるものいい換えればその相手に害悪を与えるものを肯定します。そして第三部定理三九により,その相手に害悪を与えようとする,つまりその相手を悲しませようとするでしょう。
 このとき,害悪として表象される第一のものは,この系の場合では自身が与えられたと表象している害悪であるとスピノザはいいます。つまり目には目をとか,歯には歯をというように表象するのだとスピノザはいっているのです。よって自分が与えられたと表象している害悪と同じ害悪を,自分に害悪を与えた相手に与え返そうとするというのがスピノザの証明の主旨です。
 この最後の部分が成立するかどうかは僕には何ともいえません。ただ,害悪を与えられたと表象すれば,何らかの害悪を与え返そうとするのは間違いないところで,そこの部分が確かであれば,その害悪が同一であるか否かにはこだわる必要はないと思います。

 妹がグループホームで過ごす週末はこれが最初でした。この週に設定したのにはふたつの理由があります。
 今年の作業の開始は1月4日でした。だから僕はその日に送って行ったのです。そして週末に帰るとなると,翌5日に迎えに行くことになります。これは僕も大変ですが妹にとっても大変です。むしろグループホームでゆっくりできる方が妹にとってよかろうと判断したのです。妹は,住民票は移していませんが基本的にはグループホームで生活する日の方が家で生活する日よりは多くなることが確実で,グループホームの妹の部屋は実質的な妹の住居です。妹が初めてグループホームに宿泊したのが12月25日のことで,グループホームでの生活に慣れさせるためには,1度は早いうちにグループホームで週末も過ごすようにした方がいいであろうという判断もありました。
 もうひとつは,1月6日に作業所で土曜レクリエーションというのが設定されていたからです。これがこれまでの通所施設での土曜出勤に該当するものです。実際には土曜出勤といっても,何か作業をするわけではなく,レクリエーションといっていい行事が開催されていたわけで,この土曜レクリエーションという名称は,実際に行う内容に沿ったものであるといえるでしょう。ですから6日の土曜日は,妹はグループホームから作業所に通うことになっていました。せっかくですからそれに参加できるときに週末をグループホームで過ごすのがよいだろうというのがもうひとつの理由です。この土曜レクリエーションはそれまでの土曜出勤と同様に月に1度で,基本的にこれがある週は妹が参加できるようにするために,金曜日は迎えに行かず,週末もグループホームで過ごすように設定しています。ただこれもあくまでも基本的にであり,例外が発生します。なお,土曜レクリエーションが終った後に施設に迎えに行くことも可能ですが,土曜日は僕の家の最寄りの停留所と上大岡駅を結ぶバスの本数が少なく,迎えにあまりに時間を要してしまいますので,土曜日に迎えに行くということはしません。こちらは例外なしです。
 1月6日,土曜日。母の友人のYさんが訪ねてきました。
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第三部定理二〇&&妹の理解

2018-07-29 19:53:24 | 哲学
 第三部諸感情の定義一一で示されている嘲弄という喜びlaetitiaは,喜びとしてはあまり基礎が固いものとはいえません。これはこの感情affectusが,だれかを憎んでいなければ発生し得ない感情であるということに由来します。だれも憎んでいなければだれかを嘲弄し得ないということは,嘲弄の定義Definitioそのものから明白でしょう。
                                
 憎しみodiumがなければ存在し得ないような喜びについて,もっと一般的な形で示している定理Propositioがあります。それが第三部定理二〇です。
 「自分の憎むものが破壊されることを表象する人は喜びを感ずるであろう」。
 憎んでいるものが破壊されることで感じられる喜びですから,もし何も憎んでいなければこの喜びが人のうちに発生し得ないことは明白です。
 この定理の証明Demonstratioは容易です。
 第三部定理一三により,僕たちは僕たちに悲しみtristitiaを齎すものを表象すれば,そのものの存在existentiaを排除する事物を表象しようとするコナトゥスconatusが働きます。しかるに憎しみは第三部諸感情の定義七によって悲しみの一種なのですから,僕たちが憎んでいるものは僕たちに悲しみを齎していると表象しているものです。ですからそれが破壊されることを表象するimaginariこと,他面からいえば僕たちが憎んでいるものの存在を排除するものを表象することは,僕たちに喜びを齎します。なぜならそれは単に憎しみという悲しみが除去されているということではなく,悲しみを齎しているものの存在が排除されているということであり,こうした表象imaginatioは第三部定理一三で示されているようなコナトゥスを促進していると考えられるからです。
 したがって,この種の喜びは憎しみという悲しみなしには存在し得ない喜びです。つまり悲しみがあることによって発生し得る喜びです。このために喜びとしての基礎はあまり固くないのです。

 契約はしたもののなかなかその後の連絡がありませんでしたので,僕と母はやきもきしていました。契約書を交わしたのが4日でしたから,9日が経過していたわけです。妹の必要な荷物はこれより後ならばいつ搬入してもよいということでしたので,日時はこちらから指定させてもらいました。
 12月14日,木曜日。荷物の搬入の日時が決定していましたので,この日にその荷物を運搬してもらう業者を決定しました。
 12月15日,金曜日。妹の通所施設での保護者会がありました。これは母が行きました。荷物を搬入してしまえば妹もグループホームで生活するようになり,その場合は日野にある施設に通うことになります。ですからこの施設の保護者会に参加するのはこれが最後でした。そういう理由もあって母は自分が出向き,お礼や挨拶をしておきたいと思ったようです。少なくともこの頃の母は,これくらいの体力はありました。
 12月16日,土曜日。妹の土曜出勤でした。土曜日はガイドヘルパーによるサービスがありませんから,これは僕が送りました。この日はクリスマス礼拝とパーティーが開催されましたが,参加したのは妹だけです。新しく通うことになる施設にも,名称は異なりますがこの土曜出勤に該当するものがあります。ただ,この施設での土曜出勤は妹にとってこれがラストでした。僕たちは妹に対して,11月14日に見学に行ったグループホームで暮らすようになるということ,またその場合には同じ日に見学に行った日野の施設で作業を行うようになるということは説明していました。ただ,知的障害者ですから,それをどこまで把握しているのかということは不分明なところがありました。もうすぐこの施設に通っている人たちや職員とはお別れになるということは理解していた筈ですが,たとえばここでの土曜出勤はこれが最後であるというような細かいことまできちんと理解できていたのかどうかは,今となっても分かりません。
 12月19日,火曜日。この日が僕たちが荷物の搬入に指定した日でした。まず依頼した業者に来てもらい,すべての荷物は先にグループホームの近辺まで持っていってもらいました。
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第三部諸感情の定義四&麻薬の入手

2018-07-22 19:00:40 | 哲学
 第三部諸感情の定義五の軽蔑は,ある事物の表象imaginatioであり,感情affectusではありません。これと同じように,感情ではないものの諸感情の定義に示されているある種の事物の表象があります。これは軽蔑に対立するような表象のあり方で,驚異と命名され,軽蔑のひとつ前の第三部諸感情の定義四で明らかにされています。
                                
 「驚異とはある事物の表象がきわめて特殊なものであってその他の表象と何の連結も有しないために,精神がその表象に縛られたままでいる状態である」。
 僕たちは大抵の場合は,ある事物を表象すればその表象像imagoから別の表象像に移行し,その別の表象像からさらにまた別の表象像へと移行するということを延々と繰り返します。こうしたことはスピノザがいう自然の秩序ordo naturae,知性の秩序とは逆の意味における自然の秩序に応じて生じます。知性の秩序は万人に共通ですが,自然の秩序はそうではないので,たとえばAという人間はXからYへと移行する,つまりXによってYを連想するけれども,Bという人間はXによってZを連想するということも起こり得ます。
 こうした連想は,AについていえばかつてXとYを結び付けたことがあるということから生じ得るのであり,BについてはXをZと結び付けいたことがあるということから説明できます。しかしここにAがSを表象し,このSをほかの一切の表象像と連関させることが不可能なら,AはSから何も連想できず,Sを表象した状態に縛り付けられます。これがスピノザがいう驚異であり,同時にそれが発生する簡単な仕組です。
 ですから驚異は表象したものに対しては肯定的でもあり得ますし否定的でもあり得ます。たとえばあまりに聡明であることを発見したがゆえに驚異するなら肯定的ですが,あまりに残虐であることを発見したがゆえに驚異するなら否定的でしょう。一般的には前者は尊敬といい,後者は戦慄というのが的確かと思いますが,その表象像に縛り付けられてしまうという点において,尊敬も戦慄も同じように驚異であるのです。

 11月20日,月曜日。母はKさんと本牧まで買い物に出掛けました。本牧は根岸駅まで出て,また乗り換える必要がありますが,このときもバスを使っています。このときに買ったのは,妹が入所施設に入ったときに必要になる寝具でした。寝具は重いですから持ち帰ることはせず,配達を依頼しています。
 11月21日,火曜日。この日も母は夕食の支度をするなど,この時点で自身にとって可能な家事をこなしていましたが,僕が見ている限りではそれまでより辛そうにしていました。ただしそれは癌の影響だったわけではなく,痔が出てしまったからだそうです。
 11月22日,水曜日。消化器内科の通院日でした。この日は11時半の予約でしたが,実際に診察が始まったのは正午を過ぎてから。この日はとくに何かするということはなく,主治医と話をしただけでした。前にもいったように主治医は母が延命治療をするべきと考えていましたから,このときも化学療法を勧められはしましたが,僕たちはその治療を断念するという方針を変更する気はないということを伝えました。食堂で昼食を摂り,午後1時15分に帰宅しました。薬の処方はありましたので,その後で僕は薬局へ。ついでですから痔の薬も買い求めました。これは注入軟膏です。痔の薬はいろいろと種類がありますが,注入軟膏にしたのは母がそれを所望していたからです。
 父も同じように横行結腸癌は末期,母よりもずっと進捗した状態で発見され,最終的に延命治療が不可能な状態になってしまいました。その後,癌による痛みを和らげるために麻薬を処方されています。このとき薬局で担当していた薬剤師から,今後に関して何か心配な点はないかということについて尋ねられましたので,ゆくゆくは麻薬が処方されるかもしれないが,それをこの薬局で入手することが可能であるかどうかを尋ねておきました。答えは,ここでも麻薬を処方することは可能であるけれども,すぐに処方することは難しいという,やや曖昧なものでした。僕は入手できるという意味に解したのですが,なぜこのような答え方をしたのかは,後に実際にそれを処方されたときに理解することになりました。
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書簡七十九&説明

2018-07-15 19:03:41 | 哲学
 書簡七十八に対してオルデンブルクHeinrich Ordenburgは反論の手紙を送っています。それが書簡七十九です。
                                     
 オルデンブルクが最初に主張しているのは,神Deusは自分の似姿として人間を創造したということです。これはフーゴー・ボクセルHugo Boxelとの間で交わされた,優越性の議論と関連していることが分かります。つまりオルデンブルクは,神は優越的にeminenter人間であるという主張を展開しているのです。オルデンブルク自身がこのようないい方をしているわけではありませんが,スピノザはボクセルへの書簡五十六の中で,三角形が話をすることができれば,神は優越的に三角であるというだろうという主旨のことをいっているのに倣った僕のいい回しであると理解してください。いい換えればこの点において,ボクセルとオルデンブルクとの間には一致点があったと僕は考えます。同時にスピノザはそれを否定するのですから,スピノザがそれを否定しているということについては,ボクセルもオルデンブルクもそれを正しく理解することができていたといえます。
 書簡の最後に,オルデンブルクはイエスの復活を比喩的に解してはならないと主張しています。全キリスト教とその真理はこの復活に支えられているとオルデンブルクはいっていますから,この部分は,スピノザが聖書の意図は哲学を教えたり人を賢明にしたりすることではなく,人を従順にすることにあるといっていることに対する反論でもあると僕は解します。オルデンブルクによれば,復活を比喩的に解するなら,イエスの使命と教説は崩壊するのだから,福音書の真実を倒壊させるのと同じです。ただ,スピノザは福音書が真実であるということを前提とはしていないのですから,これは神学的観点からの超論理的な反駁で,スピノザに対しては有効ではないと僕は考えます。
 スピノザはこの書簡に返事を送らなかったようです。ブレイエンベルフWillem van Blyenburgの場合と同じように,自身とオルデンブルクとの間には,橋を架けることができない川があるということを,この書簡によってはっきりと悟ったからでしょう。

 僕たちにとって,というかにとってといった方がいいかもしれませんが,現在の通所施設と同じ福祉団体が運営しているグループホームへの入所の打診は,渡りに船のようなものでした。ということで,詳しい話をしてもらうため,翌日に通所施設の方に家に来てもらうことになりました。
 同時にこの日,福祉事務所からも電話がありました。これは母が延命治療のために入院していたときにあった,隣町に新設されるグループホームへの応募の一件でした。先方によれば,この施設は男の人に限定のグループホームになるということで,妹は応募することができなくなったそうです。僕たちはむしろ別のグループホームへの入所に気持ちが傾いていましたから,これはこれでそこまで悪い話ではありません。こちらの事情も伝え,グループホームを探すことは中止してもらってよいということを伝えました。
 この日の夕方に,Kさんが来訪されました。
 11月1日,水曜日。通所施設の作業の終了後に,通所施設で妹を担当されている方ともう一方のふたりが来訪されました。これは自動車での来訪でしたので,妹も一緒に送ってもらいました。午後4時15分ごろのことです。母と妹,そして通所施設の方々の4人で,30分ほど話し,ふたりは通所施設に戻りました。このときに説明があったのは,まずグループホームの場所です。次にグループホームというのは基本的に夜に寝泊まりするところであり,日中は滞在するところではありません。なのでこのグループホームを利用する場合に,妹は日中はどのように行動することになるのかという説明も含まれていました。これはやはり同じ福祉団体が運営している作業所に出掛けて,作業を行うということでした。さらに,入所する際に必要になるもの,これは日々の生活のための必需品などですが,どういったものを準備すればよいかという話もありましたし,入所した場合にどの程度の費用が必要とされるのかといったことの説明もありました。このような詳しい話がなされたのは,まだ契約をするという段階には至っていませんが,事実上は妹が入所するということで双方が合意に達していたということです。
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書簡五十七&SOX+Bv

2018-07-09 19:09:39 | 哲学
 スピノザとチルンハウスとの文通のうち,『スピノザ往復書簡集Epistolae』に掲載されている最初のものは書簡五十七です。この書簡はチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausからスピノザへ,となっていますが,実際にはシュラーGeorg Hermann Schullerを介したものです。書簡六十三が1675年7月25日付で,こちらは1674年10月8日付ですから,当然ながらこの手紙の背後にもライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが存在するということはありません。
                                     
 ここでチルンハウスがスピノザに対して疑問を呈しているのは,もっぱら自由意志voluntas liberaの問題です。チルンハウスは,人間には自由な意志があることを肯定するデカルトの見解と,それを否定するスピノザの見解とを比較して,次のようにいいます。
 デカルトは,何らかの原因によって強制されないということを自由といい,スピノザは何らかの原因によってある事柄に決定されないことを自由といっているというのがチルンハウスの読解です。そして自由を各々これらのように定義づけるのであれば,デカルトがいっていることも正しいし,スピノザがいっていることも正しいとチルンハウスはいいます。すなわちチルンハウスの見解では,人間が原因によってある結果に決定されないということは不可能だけれども,何らかの原因によって強制されないということは可能であるという見解を有していることになります。
 これらを比較した上で,チルンハウスは真理veritasはデカルトの側にあるといいます。ここで真理というのは,人間には自由な意志があるかないかということに関係する真理のことです。チルンハウスは,デカルトのいうこともスピノザがいうことも正しいといっているのですから,真理がデカルトにある,すなわち人間には自由な意志があるというのは当然でしょう。
 スピノザはなぜその見解に同意し得ないのかということが,この書簡での質問の中心というかすべてです。

 この日は今後の具体的な治療方法が消化器内科の医師から伝えられました。
 が行う抗癌剤治療はSOX+Bvという治療法です。簡単に説明しますが,点滴による放射線治療と薬剤の服用を合わせて行うもの。まず点滴治療を行い,同時に薬剤の服用を開始します。薬剤を3週間続けて飲んだら,1週間は休みます。これが1クールで,4週間が経過したらまた点滴治療を行って,同じことを繰り返すというものでした。放射線治療も薬剤の服用も副作用を伴うので,その説明にも長く時間が割かれました。とくにこの治療を開始するときには激しい副作用を発症してしまうおそれがあるので,第1クールは入院して行うということでしたので,その日程の説明もありました。
 この診察の後,僕たちは入院支援センターというところに向いました。これは入院するときの受付をするところですが,この日は入院のための詳しい説明を受けるためです。といっても9日に退院したばかりなのですから,入院にあたって何が必要なのかといったことは心得ているので,ごく短い時間で終了しました。なお,この日の会計で,9日までの入院費を同時に支払っています。帰宅したのは10時10分ごろで,この日は母は僕につかまることなく,すべて自力で歩きました。
 9日に注文した座椅子は,この日の午後6時ごろに配達されました。この座椅子は母が不在のときなどに僕が使うこともありますが,僕が使ってもかなり楽に感じられる優れものです。よい買い物だったのではないかと思います。
 10月12日,木曜日。9月26日に破損してしまった眼鏡の鼻あての修理にようやく行くことができました。その場で直してもらえましたので,またこちらの眼鏡を使用するようになりました。
 10月15日,日曜日。妹が叔母に連れられて昼食の外食に出掛けました。これは伯母の来日中の恒例行事のひとつになっています。
 10月16日,月曜日。この日が叔母の帰国の予定日だったのですが,延期しました。これは伯母自身の意志によるものです。母は退院はしたものの,抗癌剤治療のためにまた入院するので,退院してくるまでは滞在したいとのことでした。
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書簡六十三&リハビリ

2018-07-03 18:55:47 | 哲学
 スピノザとチルンハウスとの文通のうち,書簡六十三はシュラーGeorg Hermann Schullerを解してチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがスピノザに哲学的質問をしたものです。書簡の冒頭に,チルンハウスがイギリスにいることが書かれています。チルンハウスの渡英の目的はイギリスの王立協会の会員と友誼を結ぶためでした。ここでチルンハウスはロバート・ボイルRobert BoyleやオルデンブルクHeinrich Ordenburgと会い,スピノザとオルデンブルクの文通を再開させることに成功しました。このことは書簡の最後の部分から分かります。
                                     
 チルンハウスはこの書簡で4つのことを質問しています。チルンハウスはイギリスを訪問した後でフランスに渡っているので,この質問の背後にライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizがいるということはありません。
 質問の概要は,第一に,現状の『エチカ』では第二部公理五でいわれている事柄を,背理法でない方法によって示すことができるかという主旨です。ただし公理Axiomaは思惟の様態cogitandi modiと延長の様態について述べていますが,質問は思惟の属性Cogitationis attributumと延長の属性Extensionis attributumとなっています。僕の解釈では,これは同種の質問です。
 第二に,神Deusの知性intellectusが人間の知性の原因であり得るのはなぜかというものです。チルンハウスは神の知性と人間の知性は共通点をもたないので,第一部定理三によって神の知性は人間の知性の原因ではあり得ないといっています。
 第三は,第一部定理九からは,多くの属性を有する実有が存在するということが帰結するのに,スピノザの主張からは,各々の実有はただふたつの属性,これはXの属性と思惟の属性を意味しますが,そのふたつから成っているということが帰結するのではないかということです。
 第四は,思惟の属性および延長の属性の直接無限様態は具体的に何で,間接無限様態は具体的に何であるかというものです。
 これはライプニッツが背後にいない質問です。いい換えればチルンハウスはこのような観点に関心を抱いていたといえるでしょう。

 HCUにもナースステーションがあって,そこの窓口で訪問した目的を伝え,がいる病室に案内してもらいました。開腹手術でしたからもちろん全身麻酔を用いましたが,僕が到着したときにはすでに母の意識は戻っていました。直前に執刀医に教えられたことを母に伝え,少しだけ話していましたが,母から眠いという訴えがありましたので,すぐに切り上げて僕は帰りました。僕が家に着いたのは午後6時15分ごろです。この日も妹の帰宅に間に合わないことは事前に判明していましたので,Kさんに家で待機していてもらいました。母が入院した日と同じように,Kさんは自身と妹の弁当を買ってきて,僕は病院からの帰途に自分で弁当を買って帰りました。Kさんがふたり分だけ買って僕の分は僕が自分で買うのは,僕は食餌療法が必要な身なので,弁当には適切な量というものがあり,Kさんにはそれが分からないからです。
 10月3日,火曜日。みなと赤十字病院の一般病棟の面会時間は午後3時からです。その時間に見舞いに行けば妹の終業時間は午後3時半ですから,妹の帰宅には間に合わなくなってしまいます。ただ,妹の通所施設は僕の家とみなと赤十字病院の間にありますので,まず3時半ごろに妹の通所施設に行き,妹をピックアップしてそのままふたりで母の見舞いに行きました。手術直後の前日は母はHCUで過ごした筈ですが,予定ではこの日のこの時間にはすでに消化器内科の入院病棟に移動していることになっていて,その通りでした。手術後にはリハビリ,というのは歩行訓練のことですが,それが午前と午後にあり,僕たちが到着したときはちょうど午後のリハビリの最中でした。手術が大腸でしたから,この時点では母はまだ絶食中でしたが,そのわりには元気そうにみえました。ただ,立ち上がれば少しはひとりで歩くことができましたが,自分ひとりの力で立ち上がることはできませんでした。というか,ベッドで起き上がるということもひとりではままならない状態でした。その点は気掛かりでしたが,まだ手術の翌日ということもあって,もう少し様子を見て今後のことを決めることにしました。帰宅したのは午後5時10分でした。
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パズルのピース&肩と背中

2018-06-29 19:01:45 | 哲学
 僕は十全な認識への意欲が事物を混乱して認識することを起成原因causa efficiensとして人間の精神mens humanaのうちに発生するということは否定しますが,事物を混乱して認識することが十全な認識の契機となり得るということは部分的には否定しません。一方,田島正樹が『スピノザという暗号』で主張している,十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataをパズルのピースとして喩えることにはまったく賛同できません。
                                     
 もし田島のいうことが成立するとすれば,無限知性intellectus infinitusのうちにある個々の観念を,無限知性のうちでみるか,個々の観念としてみるかという観点に立つ場合です。第二部定理九から分かるように,どんな個物res singularisの観念でもほかの個物の観念を原因として発生するのですから,もし原因の観念と切断された観念があるならそれは混乱しています。ですがそれをパズルのピースに見立て,無限知性のうちのその観念があるべき部分に嵌めれば,それは十全な観念になるでしょう。おそらく第二部定理三六はそういう主旨のことをいいたいのであって,そう解する限り,確かに同じひとつのピースが,十全adaequatumであったり混乱していたりするということはできます。
 とはいえ,第二部定理七系の意味から明らかなように,混乱した観念は,それがあるといわれるなら,人間の精神のような,有限な知性のうちにのみあるのです。そして人間の精神のうちにあるパズルのピースとみるなら,同じピースであるとみることはできません。第四部定理一は,明らかにXの十全な観念とXの混乱した観念が同じ人間の精神のうちに同時に存在し得るということを示唆しています。したがってそれは同じピースであるわけではなく,異なったふたつのピースとみなければならないからです。
 第二部定理一一系がいうように,人間の精神は無限知性の一部です。ですが無限知性に対して成立する比喩が,人間の精神にも成立するわけではないのです。無限知性のうちにあるのと同じピースと,他との関連性を欠いた,もはやパズルの一部分とさえいえないピースが,人間の精神のうちにはあるとみなせます。前者は唯一のピースですが,後者に至っては同じXのピースでも,数多くのXのピースがあるというべきでしょう。

 10月2日が通院ということは前もって分かっていました。ですから僕としてはこの日の手術は避けてほしいという希望がありました。ただ執刀医の都合もありますし,時間的にも手術の開始は診察の前で,診察が終わっても手術は終了していないであろうということ,さらに手術なので家族がいなければならないのですが,病院の中にいるならそれでいいという先方の了承を得ることができましたので,この日の手術に踏み切りました。何しろ腸閉塞はいつ発症するか分からないものですから,できるのであれば手術は早い方がよく,最も早い日程を組むとこの日ということだったのです。
 病院に着いたのは11時25分ごろです。まず保険証確認に向いました。これはいつもと同じなのですが,9月に保険証が新しくなっていました。この場合はコピーを取るというのがこれまでの慣例であったように思うのですが,この日はそれを求められませんでした。コピーを取っていたのは僕の記憶違いかとも思いましたが,そうではなく,取らなくてよいようになったようです。
 まず僕の通院の予約票を所定の機械から出し,中央検査室に向いました。この日は採血を待っている患者がいませんでした。なのですぐに採血をすることができ,注射針の処理をしてから採尿。そしてそのまま母の病室に向いました。昨日,僕たちが面談を終えて帰った後,父のふたつ上の兄とひとつ上の兄がそれぞれ夫婦で見舞いに来てくれたようです。これはひとつ上の兄の奥さんには,事情を話しておいたためです。その時点で入院や手術の日程も決まっていましたから,みなと赤十字病院に入院しているということも知っていたのです。
 12時35分ごろに担当の看護師が母の病室にやってきて,僕たちは手術室へ向いました。これは母も含めて徒歩,といっても7階から手術室のある3階までは専用のエレベーターを使うわけですが,ベッドで移動するわけではなく徒歩での移動でした。そして手術室の入口で僕は母と別れました。
 このとき,僕が母の肩と背中を軽く叩いて,それが心強かったと後に母はいっています。僕はそれは無意識的にしたことで,そのようなことをしたことは覚えていませんでした。
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