スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&持続と永遠

2009-01-29 19:52:47 | 将棋
 王将戦七番勝負第二局が28・29の両日にわたって指されました。
 羽生善治王将の先手で深浦康市王位の4手目△3三角戦法。後手の向飛車に先手の居飛車穴熊という,この戦法ではわりと出てくる戦型に。前期の棋聖戦五番勝負第二局はそれにあたります。もっとも,その将棋が持久戦になったのに対し,この将棋はもっと早くに戦いとなりました。
           
 第1図は先手が穴熊に篭ったところ。ここで後手は△2五桂。▲同飛△2四歩▲2八飛△2五歩▲3八桂と,実戦のようにこう進むところらしいですが,得した桂馬をそんなところに打たなければいけないようでは,後手としても桂損して攻める価値が十分にあるように個人的には感じます。
 第一局もそうだったのですが,この将棋もどこがまずかったのかが僕にはさっぱり分かりませんでした。ただこの後の展開は,結果からみる限り,後手がずっと優位に立っていたように感じます,もしかしたら穴熊に組むその組み方に先手としてはすでに問題があったのかもしれません。
 ということで深浦王位が後手番をブレークし返して1勝1敗に。第三局は2月10日と11日に指されます。

 僕たちがある事柄を真の観念または十全な観念として認識する場合,いい換えれば僕たちが何らかの事柄に関してある真理を確実なものとして認識する場合,この観念が含んでいる内容は,永遠から永遠にわたっての真理であるというように認識します。これはたとえば,平面上の三角形の内角の和が180度であるというような,事物の本性に属するような真理を認識する場合にもそうですし,また,水素と酸素が結合することによって水が形成されるというような,何らかの意味での因果関係の真理を認識する場合にもやはり同様です。これらの事柄は,たとえば昨日は真理であり,また今日も真理であるから,それが真理であるということが1日だけ持続したといわれるべきではなくて,そうした時間の経過とは無関係の真理であるといわれなければなりません。これは真理のひとつの,そして大きな特徴なのであって,したがって個々の真理を示す真の観念の特徴でもあります。
 そこでこのことを逆に考えれば,もしある観念がある一定の持続を含む限り,あるいはある一定の持続に関係する限り,こうした観念は真の観念ないしは十全な観念ではないということが出てきます。いい換えればそれは,誤った観念であり,混乱した観念であるということになるでしょう。そこで再び第二部定理四〇に注意を向ければ,持続に関係するような観念が,永遠であるような観念から生じることはないということが,このことのうちには含まれているというように理解できると思います。そこでもしも想像というものがある持続に関係するような観念であるのなら,それは僕たちが必然とか不可能と確知している事柄からは直接的に生じることはないということの証明になるわけです。これにより,第二部定理四〇と,第四部定理一との間にも整合性が保たれるでしょう。そこでこうしたことが成立しているのかどうかを,考えていくことにします。
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川崎記念&想像の原因

2009-01-28 19:53:41 | 地方競馬
 新年初の大レースとなる第58回川崎記念
 外からきれいに発馬を決めたフリオーソの逃げ。カネヒキリが2番手でマークし,やや掛かり気味に3番手のインがサクセスブロッケン。その後ろにブルーコンコルド,ボランタス,ボンネビルレコードの追走。最初の1000メートルは63秒8。これはさすがにスローペース。
 結果的に上位の着順と道中の並びが入れ替わったのは,カネヒキリが直線でフリオーソを差しただけ。カネヒキリが優勝。半馬身差の2着にフリオーソが粘り,3馬身とやや水を開けられましたがサクセスブロッケンも3着を確保。きわめて順当な決着に終りました。
 優勝したカネヒキリは昨年暮れのジャパンカップダート,東京大賞典,そしてここと大レース3連勝で6勝目。ここはスムーズに逃げたフリオーソを大名マーク。相手もある程度まで楽をできたのでややてこずった感もありますが,着差以上に楽な勝ち方だったといえるのではないでしょうか。父はフジキセキ
 鞍上はフランスのクリストフ・ルメール騎手で管理するのは角居勝彦調教師。共に東京大賞典に続く大レース制覇で,ルメール騎手は一昨年以来2度目,角居調教師は初の川崎記念優勝となっています。
 2着と3着は少し開きましたが,力の差があるというわけではなく,スムーズにレースができた方が先着できるという関係にあるのではないでしょうか。

 もちろん不可能の場合にも,第四部定理一は必然の場合と同様に成立するわけですから,たとえばAに関してそれが不可能であるという真の観念がある人間の精神のうちにあるとしても,ただこれだけのことによって,Aの想像ないしは表象というものがこの人間の精神のうちから排除されるというものではありません。むしろたとえAが何らかの意味で不可能であるということをある人間がこのような意味で知っていたとしても,Aが必然であるという認識はこの人間の精神のうちには絶対に生じないでしょうが,Aが可能であるとか,Aが偶然であるとかいった表象は,この人間の精神のうちに生じる場合があるでしょう。ただこの場合,Aが不可能であるということをこの人間が知っていると仮定されているわけですから,虚偽と誤謬との関係でいえば,この人間の精神の一部が虚偽によって構成されていることは間違いありませんが,この虚偽が誤謬であるということは絶対にないということになります。
 これらのことから理解できるように,人間が何らかのものを想像するという場合には,それはある事物が必然であるとか不可能であるとかいう観念からは生じないということになります。いい換えればそれは別の原因から生じるということになります。もっとも,このこと自体は第二部定理四〇からも明らかであるといえるかもしれません。想像は表象であり,表象は混乱した観念ですから,それが十全な観念あるいは真の観念から生じることはないからです。しかしここでは,ある混乱した観念が生じてくる原因というものを,もっと具体的に考えてみるために,もう少し別の角度からこのことを掘り下げていこうと思います。
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競輪祭&不可能の場合

2009-01-26 19:12:55 | 競輪
 開催時期の変更のため,今年は2度行われることになっている競輪祭。25日の決勝は2008年度のものです。
 並びは山崎ー伏見の福島,山田ー山内ー坂上の中部,北津留ー井上ー小野の九州で,飯嶋が初手から井上と競り。中部が前で受け,中団に福島,後方から九州という周回になりました。
 残り2周のホームではすでに北津留選手が上昇を開始。バックではそのまま前を叩いて先行態勢。井上選手が引いていたので番手は飯嶋選手でしたが,打鐘から北津留選手の山おろし気味の先行に合わせて井上選手がインを突いてあっさりと番手を死守。5番手になった山田選手がバックから捲り,これに合わせて井上選手も発進。しかし8番手の山崎選手がさらにその上を捲りきって優勝。山崎選手の内に行った伏見選手がきわどく迫って2着。山田選手に勢いをもらった山内選手が3着でした。
 優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年の寛仁親王牌以来のGⅠ5勝目。競輪祭は一昨年に優勝していてこれが2勝目。現役最強の選手はだれかといわれれば間違いなくこの選手であり,ここはその実力を遺憾なく発揮しました。それにしても室内バンクで8番手から捲ってしまうのですから口をあんぐりです。
 そう考えるとこの捲りに付いていってあわや差すというところまでいった伏見選手も相当な強さ。今年も北日本中心に競輪界は動いていきそうです。

 スピノザの哲学においては,不可能であるということは,必然的であるということの反対の意味で用いられるわけです。したがって,僕たちがある事柄についてそれを不可能であると正しく,つまり真の観念として認識している場合には,そうした事柄についての表象は,真理と表象の関係と同一でなければなりません。なぜなら,ある事柄については,それが必然的であると認識されようと,あるいは不可能であると認識されるのであっても,それが真の観念としてある限りにおいては,どちらも真理であることには違いないからです。たとえば,平面上の三角形の内角の和は必然的に180度であると認識しようと,逆にそうした三角形の内角の和が180度でないことは不可能であると認識しようと,これはどちらも真の観念です。もちろんこの場合の三角形に関する認識は,因果関係の連鎖でなく,事物の本性についての認識ですから,やや異なった意味合いもあるでしょうが,これらの観念いずれかのそれ自体から,三角形の内角の和が180度であることを否定するような表象像というのは生じようがありません。もしも人間の精神のうちにそうした観念が生じてくるのであれば,それは別の原因から生じてくると考えるべきだと思います。
 なお,このことからも分かるように,ここでは不可能であるということに関しても,必然的であるということと同様に,観念としてはそれを真の観念として考えます。したがって,もしもある人間が,自分の精神のうちにある混乱した観念に依拠することによってそれを不可能であると判断するような場合については,こうした考察の限りではありません。ただしこのような誤謬は,ある事柄を必然的であると思い込むような誤謬に比べるなら,現実的に人間の精神のうちに生じることは少ないのではないかと思います。
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女流名人位戦&真理と表象

2009-01-25 19:20:29 | 将棋
 A級最終局,プレーオフと連勝した清水市代女流王将が矢内理絵子女流名人に挑戦する女流名人位戦五番勝負が開幕し,第一局が指されました。ここまでは矢内名人が11勝,清水王将が34勝。
 振駒で清水王将が先手に。矢内名人がウソ矢倉にいこうとしたところを先手が右四間飛車。対して後手が類をみない独創的な対応をし,雁木模様から四間飛車に。こういう形であれ,矢内名人の振飛車は僕は初めて見たかもしれません。第1図に。
           
 ここで△6四歩と突きましたがこれはさすがにうっかりでしょう。すかさず▲6三角と桂取りに打たれ仕方ない△7二角に▲8五角成。先手がほぼ無条件に馬を作り,後手は生角を手放していますから,先手がリードしたといえるでしょう。
 ただ,この程度の差は勝敗に直結するというものでもありません。先手はこの後の展開でさらに桂得を果したものの,なかなか決定的な差とすることができませんでした。
           
 第2図から▲4六馬と逃げていますが,ここは強く▲同銀と取り,△同銀▲同馬△3六飛に▲7四桂と打つ手があったようです。ただ実戦の順も,飛車を成り込まれたとはいえまだ先手がよさそうです。
           
 第3図は▲5六馬の龍取りに△4八龍と逃げたところ。ここで▲4七角と詰めろに打ちましたが,△6一玉と逃げられて損をした感じ。▲8四歩△同歩▲8三角△7一玉とし,▲3八馬と龍を取る順の方がよかったそうです。ここで少し差が縮まったと思います。
           
 第4図の局面は,まだ先手がいいのかもしれませんが相当大変になっているのではないでしょうか。ここで▲5八金と寄せましたがこれはまずく,実戦の手順ではっきりと逆転してしまいました。ここは▲8六桂と銀取りに打つか,▲8六銀打と手厚く打っておくのがよかったようです。
 というわけで粘りに粘った矢内名人が先勝。今期は不振でしたのでどうなるかと思っていたのですが,この内容ならば楽しみなシリーズになりそうです。第二局は2月1日です。

 こうした考察から理解できるように,もしもある人間のうちにAの真の観念があるならば,少なくともこの人間がその真の観念を意識している限り,別のいい方をするならこの人間のうちにAの観念の観念がある限り,この人間はAに関して何らの想像もしない,あるいは想像はできないということになるでしょう。というか,真の観念は誤った観念に対立するものですから,単に想像できない,想像しないというよりも,表象することができないということになると思います。表象像が誤った観念,混乱した観念であるということはもう明らかになっているからです。
 しかし同時に僕は次のようなことに関してはそれを認めます。もしもある人間がAの真の観念を有しているとしても,この人間がそのことを意識していない場合には,この人間はAに関して何らかの想像ないしは表象をし得るということです。これは想像ではなくて知覚で考えれば理解は容易でしょう。すなわち以前に考察したを人間の精神が知覚する場合には,こうしたことが生じていると考えられるからです。これと同様の仕方で,今度は僕たちはそれがそれ自体では不可能であるということを知りつつ,たとえば自分が月に歩いて行くというようなことを想像することができるということになるでしょう。そしてこうした事柄は,第四部定理一からも,人間の精神のうちに生じ得るということが分かります。
 つまり,いかに人間の精神のうちにAの真の観念があるといっても,ただそれだけのことでは同じ人間の精神のうちにあるAの混乱した観念が除去されるというわけではありません。よってこのことがこの人間の精神のうちで,真理として意識されていない限り,Aの混乱した観念はこの人間の精神のうちに生じるでしょう。少なくとも生じ得るでしょう。つまりこの場合には,人間はAを想像する場合があるということになり,これが真理と表象との全体の関係を示しているということになると思います。
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TCK女王盃&必然と想像

2009-01-21 19:17:25 | 地方競馬
 新年最初の大井開催のメインレースはTCK女王盃です。
 逃げ馬であるシスターエレキングがハナ。これをチヨノドラゴンとユキチャンが追っていきました。最初の800メートルは49秒6のミドルペース。ユキチャンは向正面では外から上がってシスターエレキングを交わして先頭に。後続に脚を使わせる作戦だったかもしれませんが,あるいはやや引っ掛かったところもあったでしょうか。
 出遅れたために後方からのレースになっていたヤマトマリオンは向正面から漸進。4コーナーでは射程圏内といえる3番手まで接近し,直線では競り合わずに差し切り,優勝となりました。粘ったユキチャンが2着。4馬身離された3着は2頭の争いになりましたが,最後尾から伸びたパノラマビューティがラピッドオレンジを捕えています。
 優勝したヤマトマリオンは先月のクイーン賞以来の勝利で重賞4勝目。出遅れても勝ちましたのでここでは1枚上の力があったとみてよく,現状の牝馬重賞路線はこの馬が中心に動いていくということになりそうです。
 鞍上は幸英明騎手で管理するのは安達昭夫調教師。どちらもTCK女王盃は初制覇です。

 それではこの場合のように,スピノザの哲学において厳密な意味で必然であるといえる事柄について想像するということがあるなら,それはどのようにしてあるということになるのでしょうか。
 まず原則的にいうと,僕たちがある事物についてそれを必然と認識するということは,その認識されている事物に関して,それはそれ以外ではあり得ない,こうしたことは事物の存在に関しても本性に関してもいわれ得るわけですが,とにかく人間がそのように事物を必然と認識するこの認識の仕方に応じて,それ以外ではあり得ないというように認識するということを意味します。これはそれ自体で明らかでしょう。そしてこの場合はこのことが形相的な意味においても正しいと仮定されていますから,それは実際にそうであるということになります。
 そこでこのような仕方である人間がAを必然的なものと認識したなら,少なくともこの限りにおいては,この人間はAをこのようなものとしてのみ認識し,これ以外の仕方では認識することができません。このことはとくにこのように考えなくても,この認識が第一部公理六により真の観念であるということに注意するだけで十分です。これがAの真の観念である限り,この人間はAに関する真理を知っていることになりますが,もしもこれ以外の仕方でこの人間がAを認識するなら,この人間は自分がAについて必然的だと認識している真理に関して,それに疑惑を抱いている,つまり真理であると確実に知っているものを虚偽であると疑っているということになってしまいますから,それ自体で不条理であるといえるからです。よってこの限りでは,人間は自分が必然的であると知っているものについては,それを想像することがないということになるでしょう。
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ご報告

2009-01-20 11:31:45 | Weblog
 記事は12月29日付けまでエントリーしていましたが,体調が芳しくなく,27日以降はほとんど寝たきりに近いような生活を送っていました。パソコンがベッドの横にあるので投稿しましたが,今から考えればよくできたものだと思います。
 30日にはその気力も萎え,年が明けて元旦にはどうにもならなくなってしまい救急車で病院へ。そのまま入院となりました。詳しい検査の結果は1型糖尿病。今後は1日に4度のインスリン注射が欠かせぬ身体となりましたが,体調は回復し,今日,無事に退院してきました。
 第二部定理一七がまだ途中ですので,とりあえずはそれを終わらせて,その後に,今回の病気について詳しく書いていこうと思っています。なお,記事は過去に遡ってエントリーしていきますので,新たなエントリーに関しては更新記録でお知らせします。
 年末年始の忙しい時期に何もできませんでしたので,やらねばならないことがたくさんあります。本格的な記事の投稿は,可能ならば明日からということにし,今日はとりあえずのご報告まで。
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王将戦&必然

2009-01-18 19:36:32 | 将棋
 羽生善治王将に深浦康市王位が挑戦する第58期王将戦七番勝負は,17日と18日に第一局が指されました。ここまでの対戦成績は羽生王将が24勝,深浦王位が23勝。
 振駒で先手は深浦王位。普通の角換り相腰掛銀に。下敷きとなっているのは一昨年の9月に指された渡辺明竜王と谷川浩司九段の将棋で,これについては後手をもっていた渡辺竜王が詳しく解説していますので参考にしてください。
           
 第1図の△3三同金が封じ手。先例は▲2五桂だったのですが,ここで深浦王位は▲7二角と変化。△8二飛▲6一角成で馬はできますが,手番を渡すので損得は微妙という気がします。実戦も以下,△8六歩▲9八銀△7七歩▲同玉△8五桂▲6八玉△7七歩と,手番を得た後手が襲い掛かって第2図に。
           
 ここから▲7九金に△2四歩と受けに回りました。羽生王将としてはこの展開はあまり自信が持てなかったようですが,実戦はこれ以降の先手の攻めが細すぎて,先手が勝つのは大変なのではないかという気がします。第2図では,リスクも伴いますが▲7七同桂から駒の入手を図る順もあったのではないでしょうか。それで本当に先手が指せるかは僕には分かりませんが,ひとつの岐路となった局面ではあったと思います。
 実戦はまだ70手近く続きましたが,最後は攻めきって後手の勝ち。第二局は28日と29日です。

 スピノザは,不可能ということには可能ということが対立する,すなわち対義語としてあるのではなくて,必然ということが対峙し合うと考えています。そこでまず,不可能であるとされる事柄と事物の表象,とくに想像とがどのように関係するのかということを考えてみる前に,その対義語である必然ということが,人間の精神による事物の表象とどのような関係をもっているのかということを考えておくことは,けっして無駄なことではないと思います。
 まず最初に,ここでは必然ということ,あるいは必然的であるということが人間の知性のうちにあるという場合,それは真なるものとしてあるということを前提とします。僕たちはある事柄の真の観念ないしは十全な観念を有していなくても,その事柄について必然的であるとか確実であるとかいうことはできますが,スピノザが口がすっぱくなるほど何度も繰り返していっているように,ことばと観念とは同じものではありません。また,僕たちは,ある事柄の真の観念を有していなくとも,それについて確実だとか必然だとか思い込むこともありますが,これは端的にその事物について誤謬を犯しているにすぎません。いい換えれば,その事物の混乱した観念を有していて,かつその混乱した観念を真理であると思い込んでいる,あるいは逆にいえばそれが虚偽であるということに気付いていないというだけのことです。
 第二部定理七からして,ある事柄が観念として必然であれば,それは形相的にも必然でなければなりません。僕がここでつけている条件は,これに該当しないようなものは必然とは認めないということです。このことは逆に,形相的に必然であるものは客観的に,すなわち観念としても必然であるという意味も当然ながら含んでいます。
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表彰選手&可能と不可能

2009-01-16 20:21:33 | 競輪
 昨年の競輪の表彰選手が発表されました。
 MVPは長崎の井上昌己選手。競輪祭優勝で早々に手にした切符でグランプリを制しました。競走得点はそれほど高くありませんが,賞金王でもありますし,堂々の受賞です。ほかに別府記念で優勝。
 優秀選手賞は3人でまず静岡の渡辺晴智選手。日本選手権,高松宮記念杯とGⅠを2勝していて当然の受賞。豊橋記念名古屋記念も制しました。ただ,後半はやや不調であったかもしれません。
 続いて福島の山崎芳仁選手。GⅠのすべてでただひとり決勝進出を果し,寛仁親王牌で優勝。連対率もトップで文句なし。川崎記念,平塚記念も制しています。一昨々年が新人賞,一昨年がMVP,昨年も優秀選手賞で4年連続の受賞になります。
 最後が福島の伏見俊昭選手。オールスターを優勝した以外には記念競輪も勝っていないのですが,これはオリンピックがあったため。競走得点はトップ。少ない競走の中でGⅠを優勝したのは立派です。昨年に続いて,受賞歴は4度目になります。
 新人賞は三重の柴崎淳選手。権利がある選手の中では賞金も得点もトップなので当然。四日市記念で優勝したのも素晴らしいです。
 特別敢闘選手賞に福岡の紫原政文選手。惜しくもグランプリ出走は逃しましたが,立川記念,佐世保記念をはじめ,優勝6回が評価されたようです。
 国際賞は自転車競技関連なので割愛。そのうちオリンピックで銀メダルを獲得した岐阜の永井清史選手は特別功労賞も受賞しました。

 この別の反論,内容は違っていてもその主旨は最初の反論と異なっていないこの反論から理解できることは,このことが,スピノザの哲学におけるひとつの特徴である虚偽と誤謬の相違にだけ関係しているのではなくて,可能と不可能,あるいは偶然と必然ということにも関係しているということです。
 原則的にスピノザは偶然と可能については,それが自然のうちにあるものとしては認めることはありません。すべては第一部公理三の因果論によって決定されるのであって,その意味ではどんなものも必然的であるか,そうでなければ不可能であるかのどちらかです。形相的にあるもの,また神の観念のうちにあるものについてはこれが妥当します。
 ただし,人間の知性というのは第二部定理一一系にあるように有限ですので,すべての事柄についてそれが必然的であるのか不可能であるのかということを知ることができるわけではありません。そこでこの限りにおいては,人間はある事物についてそれを可能であるといったり偶然であるといったりするわけです。
 このとき,僕は想像というのを,表象像の偶然性,すなわち,人間がある事柄についてそれを偶然であるとみなすということに依拠することによって説明したわけです。ところがこれらふたつの反論は,この観点からいうならば,人間はある事柄についてそれを偶然とみなすからそれに関するある想像が生じるというわけでは必ずしもなくて,むしろある事柄についてそれは不可能であるということを知っていてもなおそれに関する想像をする場合があるということを示しています。そしてこのことは,確かに経験的にいっても疑い得ないことでしょう。よってこれにはぜひとも答えておかなければならないと思うわけです。
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大宮記念&別の反論

2009-01-15 19:46:51 | 競輪
 新年怒涛の記念競輪3連続開催の掉尾を飾る大宮記念の決勝(動画)が行われました。
 関東が持ち味を生かすという意味で,矢口には伏見,平原ー神山と別れ,浅井ー伊藤の中部,荒井ー大塚ー小倉の西国という並び。
 前受けは矢口選手。3番手が荒井選手で6番手に浅井選手,8番手が平原選手という周回。残り2周から平原選手が上昇すると,浅井選手が続いてバックで前を叩きました。巻き返してきた荒井選手が打鐘でさらに叩いてペースを落とすと今度は矢口選手がホームでさらに抑えました。これを外から浅井選手がかましていって先行。このスピードがよく,結局このままの隊列で直線に。番手の伊藤選手も出ていきましたがさらに外を踏んだ矢口選手が突き抜けて優勝。伊藤選手が2着,伏見選手が3着でした。
 優勝した群馬の矢口啓一郎選手はこれが記念競輪初優勝。まだ28歳と若く,これからの選手ですから,優勝を重ねていけるものと思います。ここは500バンクの4分戦ということで,かなりめまぐるしい展開になりましたが,絶好の3番手を取れたことが第一の勝因。とくに平原選手を8番手に置けたことも大きかったかもしれません。

 この反論ともうひとつ,別の仕方での反論というのは,僕たちがある出来事に関して,それが絶対に現実化することはないと分かっていてそれを想像するとかいう以前に,そもそも僕たちはある現実的には存在しないような事物を,つまりだれも絶対に知覚することがないような事物を想像することができるというものです。
 たとえば,僕は自分が空を飛ぶということを,それ自体で想像することができます。しかし一方で僕はこの想像をする場合に,自分が空を飛ぶことはできないということも同時に知っていますから,この想像が混乱した観念であるということを理解しているわけです。しかし,この観念のように,それがそれ自体で混乱した観念であるということを示すためには,別にこのような観念には訴えなくても,その観念の対象となっているものが,現実的には存在しないということさえ明らかになっていればよいわけです。つまりこれまでこのブログを通して扱ってきたうちでは,こりん星の観念とかペガサスの観念といったものがある人間の精神のうちにある場合には,この観念はそれ自体で想像である,つまり知覚でも想起でもなく想像であると規定することができるわけです。そこでこうした観念を有している人間が,同時にこの観念が混乱した観念であるということを知りつつこれを想像しているのだとしたら,このことはやはり宝くじに当たることを想像することを説明したのとは同じ方法で説明することはできないように僕には思えるのです。たとえばペガサスならペガサスが人間の精神のうちに生じてくる連結があるにしても,それは宝くじに当たることが生じてくる連結と同様に,何らかの知覚には訴えられないように思われるからです。
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ニューイヤーカップ&虚偽と誤謬

2009-01-14 20:12:18 | 地方競馬
 新年最初の3歳馬による南関東重賞の第52回ニューイヤーカップ
 ヴァルダマーナ,クラフィンライデン,タッチブライト,サザンクロスラリーの4頭が飛び出しての先行争いとなりましたが,浦和の1600メートルはどうしても内枠が有利。内から順に並ぶということになりました。最初の800メートルは49秒4という超ハイペース。
 1番人気のシャレーストーンは後方3番手に控えていましたが向正面で一気に進出。この直前にいたモエレエターナルがこれに対応して内から上がっていき,2頭で前をすべて飲み込んで3コーナーから直線へ。2頭の叩き合いがゴールまで続きましたが,内のモエレエターナルが最後まで抜かせずに優勝。シャレーストーンが2着で,この2頭をさらに後ろから追ってきたチームドラゴンが3着に入線しています。
 優勝したモエレエターナルは北海道デビューで5戦2勝の成績の後,昨年暮れに南関東に転入。転入初戦の全日本2歳優駿で5着に入ったくらいで力は上位。牝馬ながら牡馬と叩き合って凌ぎきったあたり,勝負根性もありそうです。桜花賞は同じ浦和の1600メートルという舞台ですから,無事にいけば有力候補でしょう。2001年のマイルチャンピオンシップを勝ったゼンノエルシドの姪になります。
 鞍上は川崎の今野忠成騎手で昨年10月の平和賞以来の南関東重賞制覇。管理する川崎の池田孝調教師と共に,ニューイヤーカップは初優勝となりました。

 この最初の反論というのは,スピノザの哲学においては,それを厳密に考えた場合には,虚偽なるものと誤謬なるものは異なるということに少し関係しているということもいえるのではないかと思います。すなわち,十全な観念と混乱した観念の関係は,真偽という観点からみるならば,十全な観念が真理であるのに対して混乱した観念は虚偽であるということになります。一方,ここで考察の対象としている表象が混乱した観念であるということは,第二部定理二五をはじめとする一連の定理からすでに明らかになっています。よって表象像というのは,真であるか偽であるかと問われるならば,これは必ず虚偽であるということになります。このことは,知覚であろうと想起であろうとまた想像であろうと変わるところはありません。
 したがって,人間の精神がある事物を想像するということは,あるいは想像ではなく知覚でも想起でも表象であればすべて同じことですが,その事物に関してある虚偽を有するということを意味します。しかしそれは,こうした表象をする人間が,この事物の認識に関して誤っている,誤謬を犯しているということを直ちに意味するものではありません。むしろこの表象が混乱した観念であるということ,つまり虚偽であるということを知っている限りでは,この表象はかつて考察のテーマとした第二部定理一七備考にもある通り,この人間の長所ですらあるでしょう。とくに想像の場合にはこのことがいえるのではないかと思います。
 つまりこの最初の反論は,それが実現する可能性がないという意味において混乱した観念であるということを知っているという前提で何事かを想像するとき,この想像がいかにして可能になるのかということを問うような内容を有しているということになるでしょう。
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和歌山記念&反論

2009-01-11 19:54:20 | 競輪
 西日本では新年の第一弾となる記念競輪,和歌山記念の決勝(動画)が争われました。
 並びは萩原ー斎藤の宮城に吉岡,武田ー稲村の関東,稲垣に紫原ー加倉で西日本,吉永が単騎。前を取ったのは武田選手で,3番手に萩原選手,吉永選手を挟んで7番手に稲垣選手という周回。稲垣選手が動くと,一旦は下げた萩原選手が巻き返していって打鐘で叩きました。しかしここで車体故障があったようで斎藤選手は追わず,稲垣選手が番手に嵌る形に。残り1周のホームから稲垣選手が一気にスパートして先行。後続は届かず,番手の紫原選手も伸びを欠く中,3番手から加倉選手が突き抜けて優勝。稲垣選手が2着に逃げ粘り,8番手から捲り追い込んだ武田選手が3着に入りました。
 優勝した福岡の加倉正義選手は一昨年10月の防府記念以来となる記念競輪制覇。年末に大きなレースがあり,超一流どころはそこへ向けて調整しますので,この時期は選手の好不調の見極めが難しいところがあるのですが,加倉選手はむしろここから競輪祭へというのが当面の目標となる分,少し有利だったかもしれません。気楽に3番手を回ったのもかえってよかったのかもしれませんが,直線は素晴らしい伸び脚でした。

 そう考えているというわけではありませんが,もしもこれで僕が人間の精神による事物の表象というものがいかにして生じ得るのかということを十分に説明し終えたと主張するならば,これに対しては二種類の反論が可能なのだろうと僕は思っています。ただしこの二種類の反論というのは,文字通りにふたつの反論としてあるというよりは,同じような主旨の反論を,それぞれ異なったふたつの観点からなすものであるといえるかもしれません。
 最初の反論として考えられるものは次のようなものです。たとえば僕たちが宝くじを買うにあたって,あるいは買った後にでもいいですが,その宝くじに当たるということを想像する場合,想像されたこの内容というのは,どの程度の可能性であるかどうかは別にしても,現実化する可能性は必ずあるわけです。そこでこうしたことに関係するような想像については僕の説明でいいでしょう。しかし人間が物事を想像するという場合には,必ずこのようにそれが現実化する可能性を帯びているというものではなく,むしろそれが現実化するということはない場合もあるのです。あるい反論をより強固なものとするためにいい換えれば,人間というのは,ある事柄について,それが絶対に実現不可能であるということを知りつつその事柄を想像するということがあります。つまり偶然という観点からいうなら,それはむしろ生じないことの方が必然であると知っていながらある事柄を想像するということがあるのです。そこでこうした場合の表象に関していうならば,僕の説明ではなお不十分なところがあるといえるのではないでしょうか。というのも,こうした観念については,それがほかの観念といかなる連結を取り得るのか,いまひとつ定かでないところもあるように思われるからです。
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立川記念&残る問題

2009-01-10 09:38:47 | 競輪
 新年最初の記念競輪となった立川記念(動画)は,7日に決勝が争われました。
 並びは新田ー佐藤の北日本,木暮ー兵藤の群馬,柴崎ー加藤の中部,渡部ー梶応の愛媛で,村上が単騎。群馬,中部,愛媛,北日本で村上が最後尾という周回。
 新田選手の上昇に合わせて柴崎選手がバックから上がり,打鐘から先行態勢に。3番手を木暮選手と争いながら取りきったのが渡部選手,5番手も取り合った末に木暮選手となり,北日本勢は圏外に。バックから立て直した木暮選手が捲っていきましたが渡部選手が合わせて発進。直線は番手から出た加藤選手とのマッチレースになりましたがこれを捕えて優勝。加藤選手が2着で,バック7番手の村上選手が3着に食い込みました。
 優勝した愛媛の渡部哲男選手は昨年7月の小松島記念以来となる記念競輪制覇。ここは何といっても3番手を取りきれたことが最大の勝因でしょう。年始からいい成績を収めましたので,ヤンググランプリは勝っている選手ですが,今年は2度目のビッグ制覇に向けて邁進してほしいです。それだけの力はあるものと思います。
 レース全体でいえば,新田選手の動向が少し消極的だったかなと思います。佐藤選手にしてみれば残念な共倒れだったのではないでしょうか。

 これで人間の精神が事物を想像するということがいかにして可能であるのかということを,スピノザの哲学に対して忠実に,思惟の属性という観点からも,延長の属性という観点からも証明することがほぼできたといえると思います。そういう意味では,このテーマの考察をする契機となった,『エチカ』における表象に関する説明の不備というのは,解消されたといっていいのでしょう。しかし僕自身には,もうひとつ,積み残した問題が想像という表象に関連してあると思われますので,万全を期するために,それについて最後に考えていこうではないかと思います。
 想像がいかにして可能になるのかということを証明し得たと僕はいいました。しかしこれは,人間の精神がいかなる事柄について想像するのかということを見つめてみた場合には,部分的,全体に対してはかなり広い範囲を占めているといえるかもしれませんが,それでもなお部分的なものにとどまっているように思えます。いい換えれば,僕のここまでの説明によって可能とされる人間の精神による事物の想像は,ある限定された範囲の中でのみ成立していて,人間が実際になす想像という思惟作用のうちにはなおそこからこぼれ落ちるようなものがあるという反論を許す余地があるようにも思うのです。したがって,人間の精神が何らかの事物を想像し得るということについては,ここまでの考察ではっきりと明らかにすることができましたので,考えられるそうした反論に対しても弁明しておきます。
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船橋記念&パニックの発生

2009-01-09 13:09:08 | 地方競馬
 正月のスプリント戦になって5年目を迎えた船橋記念。今年は7日に争われました。
 1番人気に推されたスパロービートの逃げ。ダッシュのよさか,向正面では1000メートル戦とは思えないくらい一旦は後ろを離しました。グローリーウイナー,パレスワールド,ドラゴンシャンハイあたりが先行集団を形成して追い掛けていく形。最初の400メートルは22秒5で,かなり速いペースと考えていいと思います。
 スパロービートは直線に入るところで再び後ろを突き放しにいきました。先行集団は苦しくなり,その後ろのインに控えていたフリートアピールが伸びてくると,最後はスパロービートが止まったのでワンサイドで詰め寄りましたが,僅かに届かず。逃げ切ったスパロービートの優勝。フリートアピールが2着で,2着馬とドラゴンシャンハイの間という苦しいところを抜けてきたパフィオペディラムが3着に入っています。
 優勝したスパロービートは典型的なスプリンター。所属は川崎ですが昨秋から船橋の1000メートルばかりを専門に使われ,前走のトライアルまで4連勝。その勢いのまま5連勝で南関東重賞初制覇。明らかに距離には限界があるでしょうが,短距離では今後も安定して走れるだろうと思います。
 鞍上は大井の戸崎圭太騎手。年末には東京2歳優駿牝馬を勝っていました。船橋記念は昨年も制していて,連覇で2勝目。管理するのは川崎の高月賢一調教師で,こちらは船橋記念初制覇となっています。

 ここでは予期していたことについて説明していますが,逆に予期していなかったことがある人間に対して生じる場合には,第三部諸感情の定義四にある驚異が,それだけ生じやすくなるといえるでしょう。この驚異は,ある知覚が,その人間の精神のうちにある何らの観念とも連結できない場合に生じるのですが,予期していないような事態というのは,そのようなことが発生する確率がそれだけ高いということになるからです。将棋で読みにない手を指されたときにこうした驚異ないしパニックが起こるというのは,このことの具体的な一例であるといえるでしょう。
 しかし一方で,ある事柄についてそれを予期していたから,こうしたパニックは絶対に生じないともいえないわけです。すでに説明したように,これを人間の身体のうちに生じるような運動という側面,すなわち延長の属性において考えてみた場合に,想像のときに生じている運動と,実際の知覚のときに生じる運動とでは,厳密には異なるといえます。そこでその相違の度合が大きくなれば,やはり予期していたこととはいえ,パニックを生じさせる場合もあるでしょう。ただしこの相違にはふたつの側面があって,単に身体の運動との関連で考えればふたつの運動の間の相違ですが,思惟の属性で考えれば,予期していたほど大したことがないという場合と,予期していたより大変なことであったという場合があるといえます。そして前者の場合には,人間がパニックに陥ることはまずないということは,とくに説明するまでもないでしょう。しかし後者の場合には,それが発生してしまうというケースもあり得るだろうと思います。このことから理解できるように,このような驚異という状態にも,当然ながらそれと平行関係にあるようなある身体の状態があるということになります。
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NARグランプリ&身体運動との関係

2009-01-08 19:31:32 | 地方競馬
 昨年度のNARグランプリの発表がありましたので,現役競走馬の部門に関して紹介し,短評を入れておきます。
 年度代表馬は船橋のフリオーソ帝王賞を勝っていて,ほかに大レースの勝ち馬がいませんので当然の選出。ほかにダイオライト記念を勝っています。2006年が最優秀2歳馬,2007年も年度代表馬と3歳最優秀馬になっていて,3年連続の受賞。部門別では2008年は最優秀4歳以上馬です。
 2歳最優秀馬は北海道のアンペアエーデルワイス賞の快勝が評価されたもの。ネフェルメモリーはこの馬より強いかもしれませんが,重賞を制覇したのはこの馬だけなので,妥当な選出ではないかと思います。
 3歳最優秀馬は川崎のドリームスカイ。このカテゴリーは重賞の勝ち馬が出なかったので難しいところですが,地方競馬のダービーでは最もレベルの高い東京ダービーを勝ち,続くジャパンダートダービーでも入着しましたので妥当な選出でしょうか。秋はJRAで苦戦しましたが,復活の待たれる馬です。
 最優秀牝馬は船橋のトーセンジョウオースパーキングレディーカップを勝っていますので文句なしの受賞でしょう。2年連続での受賞となります。
 最優秀短距離馬は大井のフジノウェーブ。6戦して1勝ですが,この1勝が東京盃ですからこれも当然の受賞。この馬は昨年は最優秀4歳以上馬も同時受賞で,ひとつ減りましたが2年連続の受賞です。
 最優秀ターフ馬は北海道のイグゼキュティヴ。京都2歳ステークス優勝が評価されたものですが,このカテゴリーはやや低調であったように思います。
 JRA所属馬も対象のダートグレード競走特別賞はジャパンカップダート東京大賞典を連勝したカネヒキリ。2005年にも選出されていますので,2度目の受賞となりました。
 例年のことですが,アラブとばんえいはこのブログでは扱いませんので割愛します。

 少し経験論的に考えてみましょう。 僕たちはある事柄を予期という形で想像することがあります.この想像は現実になる場合も現実にはならない場合もあるわけですが,今は想像と知覚との関係について考えているわけですから,現実になった場合の方で考えてみます。
 僕たちがある事柄を予期していたとき,僕たちの身体corpusのうちにはこの予期という思惟作用に対応するような,すなわちこれと平行関係にあるような,何らかの運動が生じていたということになります。そして後にこの予期が実現する場合に,その実現したことを知覚することと平行関係にあるような身体の内部の運動motusが,予期していたときの運動に近ければ近いほど,僕たちはその知覚を予期の表象像imagoと連結connexioしやすいといえるのではないかと僕は考えています。この場合,僕たちは思惟作用としては,この体験を,かつて予期していたこととして,もちろんそっくりそのままであるとはいいませんが,予期していた事柄に近いものとして知覚することになるでしょう。一般的にイメージトレーニングといわれるようなトレーニングは,この種の事柄をなそうとするものであって,実際に経験したことがある方も多いのではないかと思います。
 しかし一方で,いくら予期していたことではあっても,それが現実的になった場合には,必ずそのようなことが人間に生じるとはいえないのも事実ではないでしょうか。そのような場合には,身体の運動としては,予期という想像と同一個体であったこの人間の身体の内部の運動が,実際にこれを知覚したときの表象像と同一個体である身体内部の運動と,ひどく違っていた場合ではないかと僕は考えています。そしてこうしたことが実際に人間には生じるということも,やはり経験的に明らかであるといえるのではないかと思います.予期していたこととはいえ,実際にそれが現実になってみると驚くということも,僕たちはやはり経験しますから。
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棋王戦&想像と知覚

2009-01-07 19:18:39 | 将棋
 棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第二局。再度の振駒でまた先手を得た久保利明八段は初手▲5六歩から再び中飛車。今度は木村一基八段が許したので,先手が5筋の位を取るという,第一局とは異なった形に進展しました。
 将棋は後手から仕掛けたのですが,何気なくも思えるような中盤の折衝で差がついてしまったようです。
           
 第1図から▲8六角△6三金▲7五角△8五歩▲7三歩成△同飛▲4八角△7四銀▲7七金△7二飛で第2図。
           
 何の変哲もないように思える10手なのですが,先手が一方的に得をしていたようです。実際これより後は,ほとんど先手がやりたい放題にに殴り倒すような感じで勝っています。第2図というのは見た目よりもずっと先手が指せる局面ということなのでしょう。
 これは二局を通していえることですが,捌きを狙う久保八段のよいところばかりが出て,受けや押さえ込みを得意とする木村八段が本来の力を発揮できなかったという印象。本人も不本意であったのではないかと想像します。
 敗者組から連勝した久保利明八段が佐藤康光棋王への挑戦権を獲得。第一局は2月8日です。

 ここでは宝くじに当たったことがない人間が,宝くじに当たるということを想像する場合と,この想像に対応するような身体運動とで説明をしましたが,たとえば宝くじの未購入者が宝くじを買うことを想像するというような場合にも,これはこの想像をする人間の精神のうちにある観念を,当たるという観念から買うという観念に換えることによってほぼ同じような仕方で説明ができると思います。僕はこれでもって人間の精神がなすような,あるいはなし得るといえるような,すべての想像についてこれを身体運動との関係で説明することができたとはいいませんが,少なくとも人間の精神のうちにある観念ないしは表象像がすでにあって,この表象像に連結するような形で何事かを想像するような場合については,すべてこれと同じ仕方で説明することができると思います。よってこうした仕方での想像に関しては,これでそのすべてを一般的な意味でも説明することができたといっていいのではないかと思います。
 ただし,この点に関しては僕はひとつ注意しておきたいことがあります。たとえば人間はある想像をしたとき,この想像というのは,後に実現するという場合があるわけです。僕たちはある出来事に関して,それを予期していたと感じることが実際にあるのではないかと思いますが,この予期というのは,予期した時点においてはここで僕がいっている想像の範疇に含まれます。それは,予期している時点ではその出来事をその人間が実際には経験していないということからも明らかであるといえるでしょう。そして実際にこうしたことが生じる場合には,今度はこの人間は想像していたことを知覚するということになるのですが,事前の想像と事後の知覚は同一であるということ,いい換えれば,このふたつの場合に人間の身体のうちに生じている運動は同一であるということを,僕は主張しているわけではないのです。いや,必ず同一ではないとはいいませんが,同一ではない場合も当然のことながらあり得るだろうと考えているのです。
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