スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

クラウンカップ&逆の場合

2010-03-31 20:48:56 | 地方競馬
 川崎競馬も今週から夜の開催が開始。今週は年度末を挟み,旧年度と新年度の混合開催ですが,通しでいえばメインは今日の第13回クラウンカップ。出ればある程度の人気になったであろうラムセスジュビリーが取消で13頭。
                
 サイゴンプリンスの逃げかと予想していましたが1番枠を利したビクトリースガの逃げ。サイゴンプリンス,ナンテカ,スマートインパルスの4頭が後続を引っ張る形。前半の800mは50秒2で,これはミドルペースでしょう。
 先行集団の後ろから向正面で外に持ち出したポシビリテが追撃開始。直線に入って先頭に。内を回っていたテラザクラウドは直線ではこの外に出て追ってきましたが,追撃及ばずポシビリテが優勝。テラザクラウドが2着で3着は後方から追い込んだリュウノボーイ。
 優勝したポシビリテは北海道デビューで2勝。北海道2歳優駿で2着になったくらいですからここでは力量は上位。ここが南関東転入初戦で今年の初戦となる点で仕上がりがどうかという点が気掛かりでしたが,しっかり体調も整えられていたようです。この後のクラシックでも有力馬の1頭と考えていいのではないでしょうか。父は重賞4勝のバトルライン
 鞍上はJRAの松岡正海騎手。管理することになった川崎の河津裕昭調教師はクラウンカップ初制覇です。

 僕たちは尿意の発生を,自分自身の精神の能動だけでは行えないから尿意という観念は十全な観念ではなく混乱した観念であると僕は考えたわけですが,これを同じように経験的な観点から訴えるならば,むしろ逆の場合,つまり尿意を発生させる場合よりも消去させる場合を考えた方がより理解を得やすいかもしれません。
 たとえば,一端が固定されもう一端が運動する直線を,このようなことばとしてではなく,任意の思惟作用としてなすとき,その知性のうちには円の十全な観念が発生します。自然のうちに現実的に存在する円がこのように形成されるわけではありませんが,これは円の本性と発生を含む,円の十全な観念です。そこでこのような円の十全な観念を獲得した人間は,その人間の現実的存在が持続する限り,この円の十全な観念も保持し続けるでしょう。しかしこれは任意の思惟作用ですから,意識というレベル,つまり観念の観念というレベルでは,それが常にその人間の知性の一部を形成しているというわけではありません。
 もしも尿意が十全な観念であるのなら,これと同様のことがいえなくてはなりません。しかし実際には,尿意というのは,一時的には別の観念によってその存在を阻害されることがあるかもしれませんが,最終的には,排尿という運動を自分の身体がなすまでは持続するのではないでしょうか。つまり僕たちの精神の力のみによって,その存在を排除し得るような,あるいはそれを意識しないでいることができるような観念ではないのではないでしょうか。そしてそれが不可能であるということは,やはりこの観念が十全な観念ではなく,自分の身体のある状態,あるいはもっと限定的にいうなら,自分の身体の一部のある状態についての表象像だからだと僕は思うのです。これは第二部定理一七の内容にも完全に合致しているといえるでしょう。
 こうした考察により,ここでは尿意という観念について,これを表象像とみなします。そしてこれは,スピノザの哲学に照らし合わせても妥当な判断であると僕は考えます。
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棋王戦&尿意の発生

2010-03-30 20:20:28 | 将棋
 勝った方が棋王位を獲得する年度末の大一番,第35期棋王戦五番勝負第五局。
 改めての振駒で佐藤康光九段の先手。こうなれば久保利明棋王はごきげん中飛車。先に▲2五歩△5二飛ですが①Aの形に。先手が早い段階で仕掛けていく将棋になりました。ただ,そこからまたゆっくりした展開となり,後手は穴熊へ。組んだ後手から動いていき,それに乗じるように先手も反撃して第1図。
               
 ここで△同銀と取ったので派手な展開になりました。後手は駒損になるのですが,それより捌くことを重視した指し方。と金ができることも確定的で,久保棋王らしい一理ある指し方だったと思います。第2図へ。
               
 ここで△7七歩と叩き,▲同桂と取らせて△3六角と打ちました。一本道と思われる変化で後手優勢になりましたので,▲5四飛と寄った手は疑問であったのかも知れません。
 この後,後手はさらに1枚埋めて穴熊の堅さと遠さが生きる展開に持ち込みました。しかし先手の粘りに手を焼き,攻めあぐねて混戦に。そして迎えた第3図。
               
 ここで△7九角打と王手。▲8八銀は当然で,△同角成▲同玉△5七角成が実戦の進行。△同角成のところで△9五歩,△5七角成のところで△6九ととできないのでは後手にとって損としか思えず,ここでは逆転したように思いました。しかし▲6六銀△3五馬に▲7五桂と寄せにいったのが性急だったかもしれません。やはり穴熊は遠くて堅く,攻めは届かずに後手の勝ちとなっています。
 冷や汗ものの勝利で久保棋王が防衛。これであるいは今期の最優秀棋士賞も視野に入ったといえ,タイトル獲得3期による九段昇段と共に,単に棋王を防衛したというにはとどまらない大きな1勝だったと思います。

 現実的に僕たちの精神のうちにここでいうところの尿意という観念が発生する場合を経験的な視点から考察してみると,この尿意に対して僕たちの精神が十全な原因であると主張すること,すなわちこれが尿意が十全な観念であると主張することにつながるのですが,これには無理があるように僕には思えます。だから僕は尿意というのは混乱した観念,とくに表象像だろうと考えるのです。
 もしもある人間の精神が自分の尿意に対して十全な原因であるなら,この人間は自分の精神が現実的に存在する限り,尿意を形成する,あるいは形成し得るということになるでしょう。これは『エチカ』に訴えるまでもないことかもしれませんが,第二部公理二により人間は思惟するものですから,ある人間が現実的に存在するなら,この人間の精神もまた現実的に存在します。したがって尿意が十全な観念であるということを主張することは,ある人間が現実的に存在するなら,この人間は尿意を自身の精神のうちに形成し得ると主張することと同じ意味をもちます。したがって,僕たちは自分の状態がどういう状況であるということとは関係なく,尿意を形成する,あるいはできるのでなくてはなりません。
 しかしこれは経験的にいって理不尽ではないでしょうか。僕たちが実際に尿意を形成するのは,僕たちの精神の本性を構成する対象,すなわち第二部定理一一により僕たちの身体が,尿を膀胱に溜めている場合に限られるのであって,そうでない場合にはいくら僕たちが尿意を形成しようと努めても,尿意を形成することはできないのではないでしょうか。いや,もちろん実際に尿が溜まっていなくても,たとえば極度の緊張状態にあるとき,僕たちは尿意を形成する場合もありますが,しかし僕たちの精神の力だけで,尿意を形成すること,つまり尿意に対して僕たちの精神が十全な原因であるということは,僕は不可能ではないかと思うのです。
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ドバイ国際招待競走&十全な原因

2010-03-29 18:56:17 | 海外競馬
 現地時間27日に開催された今年のドバイ国際招待競走。今年は日本から4レースに1頭ずつが参戦しましたので,レース順に簡単に回顧します。
 タぺタ1600mのゴドルフィンマイルGⅡには今年の根岸ステークスを勝ったグロリアスノアが出走。好位につけたものの外から寄られるところがありやや位置取りを下げ,手応えは悪そうに見えたものの直線ではそれなりに伸びて4着。この馬は現状の日本のトップクラスとは少し差がありますが,このレースはサポートレースの趣があり,相手関係もさほど厳しくなかったのが入着できた要因かもしれません。よく走っていると思います。
 タぺタ1200mのゴールデンシャヒーンGⅠには昨年のJRA賞最優秀短距離馬のローレルゲレイロが出走。出負けしましたが押して先手を奪いきり,直線では勝ち馬に早目に交わされましたがよく粘って4着。路線自体の日本のレベルが高くないことを考えれば好走。この馬は一般にそう思われているよりかなり強い馬だと思います。
 芝2410mのシーマクラシックGⅠには昨年のJRA賞最優秀3歳牝馬のブエナビスタ。中団より後ろ目の位置取りから直線は馬群を割って伸びてくるレースとなり,2着。もう少し早く前が開いていればというレースになってしまいましたが,力は十分に示してくれました。ただ,出走した4頭の中では最も勝機があると思っていただけに少しばかり残念ではあります。
 タぺタ2000mのワールドカップGⅠには前哨戦のマクトゥームチャレンジ3を勝ったレッドディザイア。馬群の真っただ中でレースを進め,直線で外には出せたものの,ほとんど伸びることなく11着。勝ち馬が前哨戦の2着馬で,上昇はしていたのでしょうがこんなに差をつけられる筈はなく,力を発揮できませんでした。前哨戦後の調整に問題があったかレースの進め方がよくなかったのか,あるいは何かほかの原因があったか分かりませんが,力を十全に出せずにレースを終えてしまったのは残念です。

 僕が人間の精神のうちにある尿意という観念を,混乱した観念であると考える理由は,その中に尿の十全な観念が含まれてはいないということのほかに,もうひとつ別の,おそらくより強力と思える理由があります。これはこの尿意が実際に人間の精神のうちに生じる場面というのを経験的な観点から考えてそうした結論に至るのですが,どちらかといえば背理法によって説明した方が簡潔ですので,先に一般的に観念についてこのようなことがいえるということを明示しておくことにします。
 尿意というのはここでの規定では排尿ないしそれに直結する観念のことですから,これは個物の観念です。そこで,これはそれ自体でみた場合には十全な観念であるか混乱した観念であるかということには関係なく,尿意がある人間の知性のうちに生じる場合は,第二部定理九の仕方で生じるということになります。そこで今は,尿意の原因となる別の個物の観念を,Xの観念ということにします。
 次に,尿意がそれ自体でみた場合に十全な観念であると仮定してみます。すると第二部定理四〇により,Xの観念もまた,それ自体で,すなわちこの人間の知性の一部を構成するという観点からみた場合に,尿意と同様に十全な観念であるということになります。いい換えれば,Xの観念は,この人間の精神の本性を構成する限りで,神のうちにあるということになるでしょう。
 このことから,尿意が十全な観念であるなら,というか一般的にある人間の精神のうちに,それがどんなものであれ十全な観念が生じるという場合には,その人間の精神はこの十全な観念に対して,第三部定義一でいう十全な原因であるということになります。したがって尿意がある人間の精神のうちで十全な観念であるなら,この人間の精神のうちに尿意が生じる場合には,その人間の精神以外には何も必要ないということになります。
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マイナビ女子オープン&尿の観念

2010-03-28 19:11:41 | 将棋
 一昨年と同じ顔合わせとなった第3期マイナビ女子オープン五番勝負の第一局。対戦成績は矢内理絵子女王が6勝,甲斐智美女流二段が4勝。
 振駒で甲斐二段の先手。中飛車は予想されたところですが予想外の相穴熊になりました。矢内女王の穴熊はかなり珍しいです。早い段階での決戦もあり得ましたが見送られじっくりとした戦いに。先手の盤面左側の駒の動かし方に明らかな失敗があって第1図。
               
 ここでは△3五角と金を取って▲同金に△4九飛成とするのが普通に思えますが,△7八飛と打ちました。これでもよいのでしょうが▲4四金と飛車を取られ,△3八飛成に▲3三歩。さらにこれを△同桂で取ったので▲6一飛と王手で飛車を打たれ,△4一歩に▲3九金。この後,後手の龍が3段目にいくこととなって第2図。
                
 ここで△4六角とさらに攻め合いにいきましたが,▲3七歩と打たれると早い継続がなく,受けに回ることに。それなら先に受けておく方がよく,以降は先手が一方的に攻めきって勝つことになりました。
 甲斐女流二段が先勝。第二局は来月11日です。

 結論から先にいますと,僕はここで規定した尿意に関しては,これを表象像とみなします。
 この尿意に関して,なぜ第二部定理一二に依拠して解釈することが誤りであるのかということを説明しだしますと,この定理がどの範囲にまで及ぶのかということを検討せざるを得ず,これはあまりに長くなります。この定理はブログを開始して最初に考察した定理ですが,現在は僕はそのときとこの定理自体に関して異なった考えをもっていますので,これについては別にテーマを立てて改めて考察することにします。そこでここでは,なぜ僕が尿意を表象像とみなすのかということの根拠だけを示しておきます。
 ひとつは端的にいって,この尿意という観念のうちには,尿そのものの十全な観念は明らかに含まれていないからです。これはとくに説明せずとも,単に経験的な観点から,僕たちの精神のうちに生じるこの観念が,尿の本性を含んでいるわけではないということから明らかだと思います。もちろんこれは排尿に関連する観念ですから,尿の本性に関してはそれを含んでいなくても構わないと考えることができないではありませんが,少なくとも尿意を表象像とみなすひとつの根拠にはなり得るだろうと思います。といいますのは,たとえば身体の中に尿が溜まって,これが身体の外部に排出されるという運動に関しては,第三部定理七によって,人間の身体の本性ないしは実在性という観点から説明することができます。しかし尿という物体をそれ単独でみた場合には,これを人間の身体の本性のみから説明することはできません。いい換えれば人間の身体と尿との間に,第一部公理三だけで十分に説明されるような因果関係があるということはできません。仮に人間の身体が尿の原因であるとしても,それは第三部定義一における部分的原因と考えるのが妥当だと思います。よって第三部定理三により尿意,少なくとも尿の観念は精神の受動であり,必然的に混乱した観念であるということになるでしょう。
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小林の前身&尿意の性質

2010-03-27 19:19:00 | 歌・小説
 『明暗』の主要な登場人物のひとりである小林は,自分の口からドストエフスキーの名を発しています。しかし僕は,この小説にこの人物が登場したことに関して,漱石とドストエフスキーの関係において,単にドストエフスキーから漱石が受けた影響のためであるとはいえないとしました。といいますのは,この小林には,それ以前の漱石の小説の中に,その前身と思えるような人物もいるからです。
               
 僕がそのように考える人物のひとりは『それから』に出てくる平岡です。これはこの小説の主人公といえる代助に,妻である三千代を奪われる役回りの男。しかし今はこのことはあまり関係がありません。
               
 平岡というのは新聞記者。この時代の新聞記者というのは,一般的にはあまりよい身分とは思われていなかったようです。この時代のエリートというのは今でいう公務員で,とくに国家公務員。漱石は大学教授を辞して朝日新聞に入社し,小説を書くようになったのですが,これは公務員を辞めて新聞記者になったということで,このこと自体が世間的には驚きだったようです。
 漱石が平岡を新聞記者という設定にすることによって,貧民というイメージを喚起しようと意図していたかどうかは僕には分かりません。しかし,たとえそうした意図は漱石の頭のうちにはなかったのだとしても,平岡が小林の前身といえるのではないかと僕には思える,さらに別の理由もありますので,次回はその点を説明することにしましょう。

 それではこのように規定された尿意という観念の性質がどのようなものであるのかということを考えていきます。性質といってもそんなに難しいことではありません。要するにこれは,このように規定された尿意というのは,ある人間の精神のうちにあって,十全な観念であるのか,それとも混乱した観念であるのかということを探求するだけのことです。
 実は『エチカ』によると,これは十全な観念と解釈できる余地もあるし,混乱した観念であると考える余地もあると僕には思えます。そこでまず,それぞれの解釈の根拠を各々示しておくことにします。
 第二部定理一二によれば,ある人間の身体のうちに生じることは,その人間の精神によって認識されることになっています。当該箇所では知覚といわれていますが,これが十全な観念を意味しなければならないことは,この定理のスピノザによる証明が第二部定理九系に訴えていることから明らかです。しかるに,膀胱に尿が溜まるという現象は,身体の中に生じることですから,これに依拠すれば,尿意は十全な観念であるということになるでしょう。
 一方,第二部定理一七の仕方で人間の精神のうちにある観念,この場合には表象像が生じるとき,この表象像は混乱した観念です。膀胱にたまる尿に関して,それを外部の物体というのは語弊があるかもしれませんが,ではそれがある人間の身体の一部を構成するという意味において身体の内部の物体であるかといえば,これはそうともいいきることはできないわけで,するとこの定理に依拠することもできます。そしてこう考えるなら尿意という観念は混乱した観念であるということになります。
 十全な観念であろうと混乱した観念であろうと,同様に意志作用を含みますので,観念と意志との関係では大して問題にはならないかもしれませんが,一応は僕の判断を示しておくことにします。
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いわき平記念&尿意の対象

2010-03-25 19:00:56 | 競輪
 感動的だったダービーの余韻は続いていますが,新しい戦いは休む間もなく開始。22日にはいわき平記念の決勝(動画)が争われました。
 並びは鈴木-山崎-伏見-佐藤の福島,倉野-松尾-村上の中部近畿で,荻原と岩津は単騎。
 前受けは鈴木。5番手に荻原で,結果的に岩津は荻原マークのレース。7番手から倉野の周回。残り3周から倉野が上昇し,鈴木を叩きに出ましたが,鈴木も引かずに残り2周から早くも先行争い。村上は外を追わずに佐藤の後ろへ。打鐘で倉野がいけないとみた松尾が強引に鈴木を叩き,松尾-鈴木-倉野-山崎という隊列に。ホームから山崎がこれを叩きに出ましたが,外から荻原-岩津でかまして先行。伏見に迎え入れられた山崎が,村上の捲りに併せるようにバックから発進しましたが,岩津がうまくけん制して自ら発進。追い上げてきた村上が後ろに入る形となり,佐藤がその後ろに。直線で粘る岩津を交わした村上が優勝。岩津が2着で3着に佐藤。
 優勝した京都の村上博幸選手は日本選手権に続いて連続優勝。意外でしたが記念競輪は2007年の大垣記念以来の2勝目。ファンはもちろん乗っていた選手たちも思ってもいなかったレースになったという気がします。松尾についていかなかったのが逆によかったという結果で,のっている選手はさらに幸運にも恵まれるようにできているようです。
 結果云々と関係なく,このレースはとても迫力があるいいレースだったと思います。競輪の人気が復活するためには,こういったレースが多くみられるようになることが一番だと僕は思います。

 ここでいう尿意とはある観念であるわけですが,ではそれがどういう観念であるのか,別のいい方をするなら,この尿意という観念の対象をどのようなものとして僕が考えているのかということを明らかにしておきましょう。
 人間の身体は,膀胱に尿が溜まってくると,それを体外に排出しようとします。尿をずっとためておくことは,人間の身体の維持に逆らうことになりますから,人間の身体がこうした運動をなすこと,あるいはなそうとすることは,第三部定理七から説明することができます。要するにこれは自己保存の法則のひとつなのです。
 そこで尿意という観念の対象なのですが,ここではこれをこの,尿を体外に排出しようとする,排出するのではなくて排出しようとする身体の運動の観念であるとします。あるいは単に膀胱に尿が溜まっている状態の観念と考えてもらっても構いません。前述の理由により膀胱に尿が溜まっている状態にあっては,身体はこれを必然的に排出しようとしますので,結果的には同じことだからです。いい方を変えれば,溜まった尿を排出するという運動は,人間の身体が自身の実在性を維持するために発揮する力なのであって,したがってこの運動自体は,膀胱に尿が溜まっているという状態を,実際に尿が溜まっている人間の現実的な力という観点からみたものにすぎないということもできると思います。
 尿意ということばが含むニュアンスの中には,単なる身体の状態の観念というよりも,身体がなそうとしている運動の観念ということが多く含まれているとは思います。ただこれは,僕たちが通常はこのような場合には,それを状態としてではなく力として意識するということであって,実際にはどちらで考えてもそう大差はないといえるのではないでしょうか。
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桜花賞&尿意

2010-03-24 19:06:56 | 地方競馬
 今年から地方競馬全国交流となった第56回桜花賞。昨年のNARグランプリ年度代表馬のラブミーチャンが登録してきたのですが,発熱で出走取消となったのは残念でした。
 内の2頭がやや出負け気味の発走となり,まずはレッカが先頭に立ちましたが,内から追い上げたバックアタックが正面では先頭を奪い返しての逃げ。レッカ,ギンガセブンと続きました。前半の800mは49秒4でハイペース。
 実績最上位のオノユウは向正面で早くも一杯。外を追い上げたショウリダバンザイが前の3頭に迫り,4頭で後ろを離して直線に。勢いよく追い上げてきたショウリダバンザイがそのまま伸びきって大外を抜け出して快勝。バックアタックが2着に粘り,かなり後方から追い込んだトーセンウィッチが3着。
 優勝したショウリダバンザイは北海道デビューで2勝。南関東転入初戦となった大井のトライアルの桃花賞を勝ってここに臨んでいました。北海道での実績ではオノユウには敵いませんが,オノユウは今回は中間に順調さを欠いていて,ほかの馬たちとは力に差があったようです。浦和の1600m戦は外が不利ですから,ペースが速くなったとはいえ大外枠から勝ったのは立派でしょう。日本の母系祖先は違いますが,ケイティーズファーストとホワットケイティーディドと同じ一族です。
 鞍上は大井の真島大輔騎手で,船橋記念以来の南関東重賞勝ち。桜花賞は初制覇。管理している高岩孝敏調教師はこれが南関東重賞初制覇となりました。

 僕が失禁の分類のうち,第3のものとしてあげている自分の排尿の観念というのが意味しようとしている事柄を,広く一般的に用いられているようなことばで表現するとするならば,尿意ということばが最も適切であろうと思います。実際,自分の尿意というのが自分の排尿という運動に深く関係しているということは,とくに説明するまでもないでしょうし,同様に,尿意というのが,自分の排尿そのものの観念とは異なるということもまた明らかだと思います。
 そこで,ここからはこの観念についてそれを尿意ということにします。しかしこのためには,次の2点に注意しておいてください。
 まず第一に,尿意ということばのニュアンスの中には,単に思惟の様態としてではなく,ある身体の状態を含意するところがあると僕には思えます。実は僕が排尿の観念といい,最初から尿意といわなかったのはこれを気にしたためです。しかしここでは,尿意というのを純粋な思惟の様態と限定します。それが尿意の本性であると僕は主張したいのではありません。これもまたここでの約束事のひとつと考えてください。
 第二に,ここでは尿意を,ただの思惟の様態ではなく,ある観念としてさらに限定します。つまりこれは感情とか意志とかいった思惟の様態ではなくて,観念という思惟の様態に限定するということです。現在は知性と意志,すなわち個々の観念と個々の意志作用との関係を経験から分析しようとしていますので,あることばが観念も意味するし意志作用も意味するということになっては,はなはだ不都合が生じます。よって尿意には意志の意という文字が含まれてはいますが,ここではこれは観念であると限定します。これもまた尿意というのを思惟の様態としたみた場合に,それをどのように解せばいいのかということを主張せんとするがためのものではなく,単にこの考察上の約束事のひとつです。
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マイルグランプリ&排尿の観念

2010-03-23 18:43:51 | 地方競馬
 夜の開催が始まった先週の大井競馬ですが,最初の南関東重賞は17日のマイルグランプリでした。
 ロイヤルマコトクンが逃げるのだろうと予想していたのですが,先手を奪ったのはヴァイタルシーズ。サクラビジェイ,ロイヤルボスと続き,ロイヤルマコトクンはその後ろからの追走になりました。前半の800mは48秒7で,これはハイペース。
 向正面でマンオブパーサーが上昇すると,クレイアートビュン,マズルブラストなども追い上げて直線に。追い上げた3頭の中では最も内を突いたクレイアートビュンが伸び,逃げ粘るヴァイタルシーズを捕えて先頭に立つと,あとは後続を寄せつけることなく優勝。ヴァイタルシーズが2着に粘り,前半は殿を追走していたディアヤマトが大外を伸びて3着。
 優勝したクレイアートビュンは一昨年10月の埼玉栄冠賞以来の南関東重賞2勝目。その後もほとんど休みなく使われ続け,好走はするもののなかなか勝てずにいたのですが,ようやく鬱憤を晴らしました。とにかくタフで丈夫な馬。今後も一定レベルで活躍し続けるものと思います。父はトーホウエンペラー
 鞍上は大井の的場文男騎手で,昨年のハイセイコー記念以来の南関東重賞制覇。このレースは2002年以来の3勝目。管理しているのは浦和の小久保智調教師で,マイルグランプリは初制覇です。

 ここでいう失禁の定義のうち,第一の場合と第二の場合に対して,第三の場合に関しては,排尿の観念が現在すると仮定されていますから,非常に重要です。しかし,実のところ,排尿の観念といういい方は,便宜的にそういっているまでというところがあり,やや誤解を招きかねないような表現ですので,僕がそのことばに託そうとしている真意を説明しておきましょう。
 排尿の定義は,人間の身体に溜まった尿が,体外に排出される運動ということでした。したがって,もしも排尿の観念,自分の排尿という運動の観念というのを厳密な意味で考えれば,この観念はスピノザの哲学における平行論において,この運動と同一個体であるということになりますから,この運動の観念,すなわち自分の身体が内部に溜まった尿を外部に排出する運動の観念ということになります。
 しかし実際には,失禁の定義において排尿の観念という場合には,僕はこの観念のことを,少なくともこの観念だけを指示しようとしているわけではありません。つまり本来的な意味においては,排尿の観念といういい方は,確実性ないしは厳密性を欠いているといわれても仕方のないところです。そして実際に僕が意図しているのは,自分自身の排尿という運動に関係するような何らかの観念ということです。
 関係するというのもまた曖昧な表現ですが,要するにこれは,排尿の観念そのものではなくても,その観念と直結するような観念ということです。したがって,僕たちは直接的にそれをそのように意識するかどうかは別ですが,たとえば膀胱に尿が溜まっていることの観念は排尿の観念と容易に直結するでしょう。これは形相的にみた場合に,身体のこの状態が,排尿という運動と直結することからも平行論によって明らかでしょう。僕が失禁の定義において排尿の観念といっているのは,実際にはこのような観念まで含めた意味においてですので,この点には注意をしてください。
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黒船賞&第一の場合と第二の場合

2010-03-22 18:58:37 | 地方競馬
 高知競馬は通年で夜の開催となったのですが,おそらくは全国発売との関係でしょう,今日の黒船賞(動画)は発走が16時半。第6レースでの施行となりました。
 枠入りに時間が掛かり,発走後にヴァンクルタテヤマが外によれる不利。先手を奪ったのはポートジェネラルで,2番手にキングスゾーン。ミリオンディスク,スー二がこれを追いました。スローといっていいくらいのペースだったのではないかと思います。
 前の2頭は3コーナーを過ぎて脱落。スー二の方が先頭に立って直線を迎えると,危なげのない差を保ったまま先頭でゴール。やや後ろの位置になり,向正面からずっと外を追い上げてきたトーセンブライトがミリオンディスクは捕えて2着。ミリオンディスクが3着と人気通りの堅い決着。
 優勝したスー二は昨年のJBCスプリント以来の重賞4勝目。ここは能力的に明らかに上位で,問題があるとすれば斤量の59キロでしたが,能力の上限がはっきりしている馬たちが相手ということもあり,順当に勝利を収めました。基本的に距離は伸びない方がいいでしょう。
 鞍上は川田将雅[ゆうが]騎手,管理しているのは吉田直弘調教師。共に黒船賞初制覇です。
               

 ここでの約束事に留意した上で,もう一度失禁の定義に注目してみてください。僕はここで主に失禁をみっつのタイプに分類しました。
 しかしこのうち,第一のタイプ,すなわちある人間の意識が覚醒していない状態でこの人間の身体が排尿という運動をする場合と,第二のタイプ,すなわちある人間の意識は覚醒しているけれども,自分自身の身体の排尿という運動の観念がこの人間の精神のうちに実在しない場合にこの人間の身体がなす排尿という運動に関しては,前回の第三部定理二意図であった経験論的考察については,身体の運動もそのテーマの一部に含まれていましたから一定程度の有用性がありましたが,今回の考察の場合にはほとんどといっていいほど役に立たないといっていいでしょう。
 なぜなら,今回は人間の精神のうちにある観念と,同じ人間の精神のうちにある意志との関係について考察しようとしています。したがって,こうした意図をもった考察の際に排尿という運動を例にとるならば,その排尿の観念というのが,いい換えれば自分の身体がなす排尿という運動の観念が,この人間の精神のうちに現在するということがほぼ絶対的な必須条件となってくるからです。
 ところが,第一の場合というのは人間の意識が覚醒していないという前提ですから,排尿どころか一切の観念が現在しないに等しく,第二の場合は排尿の観念が実在しないことを仮定しています。したがって,僕はそれを客観的な観点から分節するということについて厳密を期するために失禁という排尿時の人間の精神の状態を3種類に分節はしましたが,ここでは第一の場合と第二の場合に関しては,無視してもらっても構いませんし,僕自身もそれについて取り扱うつもりはありません。
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名古屋大賞典&約束事

2010-03-21 18:32:48 | 地方競馬
 実力的に抜けていると思われる馬がなく,上位拮抗ということばに相応しいメンバーでの争いとなった17日の第33回名古屋大賞典(動画)。
 発走直後,ラヴェリータが外によれるところがありひやっとしましたが事故には至らず。先手を奪ったのは高知のラストチャンピオンでラッシュストリートが2番手。インを回ったラヴェリータが3番手。かなりのスローペースだったと思われます。
 向正面でラヴェリータが先頭に立ち,ラストチャンピオンは後退する一方で,2番手のラッシュストリートに外からアドマイヤスバルが迫って直線へ。ただ,ラヴェリータにはまだまだ余裕があり,あとは並ばれることもなく優勝。アドマイヤスバルが2着で,6馬身も離されましたが地元勢の追撃を凌いでラッシュストリートが3着を確保。
 優勝したラヴェリータは昨年7月のスパーキングレディーカップ以来の重賞3勝目。おそらく乗り難しいところがある馬で,すべてのレースで力を十全には発揮できないという印象。牡馬相手にも結果を出したのはひとつの成果で,持てる力がこのくらいあるということはしっかりと示しましたが,前述した理由から取りこぼしもありそうなタイプで,馬券的にも取捨選択にやや難しいところがあります。
 騎乗した岩田康誠騎手は2006年昨年のこのレースを勝っていて,名古屋大賞典連覇となる3勝目。管理している松元茂樹調教師の方は名古屋大賞典初制覇となりました。

 これは繰り返しになりますが,ここでいう失禁と放尿についてのそれぞれの定義に関しては,スピノザの哲学でいうところの定義,すなわちそのうちに定義される事物の本性と発生とが含まれているという意味での定義ではありません。いい換えれば,僕は失禁と放尿に関して,その本性を明らかにしようという意図は毛頭ありません。排尿の場合は少し異なり,僕自身はそれがスピノザの哲学でいうところの定義の要件を満たしていると考えてはいますが,その本性とか発生についてこれを明らかにしようという意図を有していないという点については失禁や放尿の場合と同じです。こうしたことはこの考察にとっては重要でない,あるいは関係ないとさえいえるからです。
 たとえば,僕は失禁と放尿とを,客観的な,すなわち思惟の属性に属する観点から分節しましたが,実際にはこれは,たとえば着衣状態の排尿を失禁といい,脱衣状態の排尿を放尿というのだというように,形相的な,つまり延長の属性に属する観点から分節することも可能であるということを僕も認めます。しかしここではそのような分節では現状の考察にとって何の役にも立たないから客観的に分節しました。したがってこれは,あくまでも今回の考察に限っての約束事であると理解してください。もしもそれが何らかの考察のために必要とあれば,今度は僕もそれを形相的な視点から分節しないとも限りません。
 上述のような理由により,ここでは失禁と放尿,および排尿の定義に関しては,一切の反論は受け付けません。したがって,この考察での約束事とはいえ,この定義ないしは命名に納得がいかないという方もいらっしゃるやもしれませんが,あくまでもこの考察の内部においては,僕の命名に準じて理解していただくようにお願いします。
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順位戦回顧&放尿

2010-03-20 19:29:04 | 将棋トピック
 第68期順位戦は16日にC級1組の最終局一斉対局があり,全日程を消化しました。展望がどの程度のもだったかをみるためでもありませんが,例年のことですから簡単に回顧します。
 A級。三浦弘行八段が優勝を決め,羽生善治名人への挑戦権を獲得しました。どちらかといえばこれまでは残留するのに汲々としていましたので,意外に思われた方も多いかもしれません。降級は井上慶太八段と佐藤康光九段。佐藤九段についていえば,棋力どうこうより,6時間の将棋で体力負けしているような印象を受けます。B級1組では力は上位でしょうが,意外と苦戦するケースもあり得ると思います。
 B級1組。ここは渡辺明竜王と久保利明二冠の昇級ですので本命決着といえるでしょう。渡辺竜王は明らかに自分の将棋に自信を増している印象で,初参加となるA級でも挑戦者争いをしてくれるのではないかと期待します。阿部隆八段と堀口一史座七段が降級。
 B級2組。中村修九段と中田宏樹八段というベテランふたりが昇級。地力という面からいえば,在籍するべきクラスに上がったということはできるかと思います。
 C級1組戸辺誠五段と飯島栄治六段が昇級し,戸辺五段は六段昇段。戸辺五段は僕は実はそれほど注目していなかったのですが,初参加の10連勝は立派。他棋戦の成績もよく,来期以降のさらなる活躍も見込めそうです。
 C級2組。豊島将之五段,崎一生四段,金井恒太四段の3人が昇級し,崎四段と金井四段が五段昇段。展望でも名前を挙げたように,豊島五段は僕が将来に大きな期待をしている棋士のひとり。まだまだこれは通過点にすぎない筈だと思います。

 排尿を分節するといっても,ここでは失禁と放尿の2種類に分節するだけですから,ここではどのような排尿という運動についてそれを放尿と名付けるのかといえば,それは失禁といわれる排尿以外のすべての排尿に関して,それを放尿というということになります。そしてすでにどのような排尿についてそれを失禁というのかということについては説明しましたので,その3種類のカテゴリーに収まらないような排尿に関しては,必然的にそれをすべて放尿ということになります。
 したがって,どのような排尿という運動についてそれを放尿と名指すのかということを,より積極的に定義するならば,それは以下のようになります。
 ある人間の意識が覚醒していて,さらにこの人間の精神のうちに自分の身体の排尿という運動について何らかの観念が現実的に実在し,かつこの人間の精神のうちに,この運動について何らかの意味で否定的な思惟の様態が現実的に実在しない場合に,この人間の身体が排尿という運動をなすとき,この排尿についてはこの考察において放尿といいます。
 ひとつだけ注意しておくならば,自身の排尿に関して否定的な思惟の様態が現実的に実在しないというのは。本来は消極的な定義であって,本当はそれについて肯定的な思惟の様態のみが現実的に実在するというべきですし,考察を続けていけば,おそらくそれが明らかになると思います。しかし僕たちは現実的に放尿する場合,要するにトイレで排尿する場合はほぼこれであるといって差し支えないでしょうが,必ずこの肯定を意識しているというものではありません。僕が消極的に定義づけたのは,積極的に定義することによって生じるおそれがある無用の争いを避けるためにすぎません。したがって積極的な定義が必要と思われる方は,肯定的な思惟の様態のみが現実的に実在する場合というようにお考えください。
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棋王戦&失禁

2010-03-19 19:22:06 | 将棋
 せっかくの二冠を死守するためにも久保利明棋王としては負けるわけにはいかない第35期棋王戦五番勝負第四局。
 佐藤康光九段の先手で久保棋王のごきげん中飛車に対して③AⅡの進行。持久戦となり後手が動きを見せたところで先手から仕掛けて2筋で桂馬の交換となり第1図。
               
 ここで後手は△3三桂と受けていますが,これでは先手だけが盤上の桂を駒台に乗せたような格好で,ここは先手が十分に思われます。
 しかしこの後,先手の攻めに指しすぎがあったようで大駒がすべて後手の手に。先手も必死に食らいつきにいきましたが,攻めが遅くなってしまいました。
               
 ここで△9五歩からの端攻め。後手も盤面右側の飛車角は働きが薄いのですがこれが厳しい反撃の上,後手玉を広くする含みもある一石二鳥の手。こちらから攻められると先手玉周辺の金銀もあまり役に立っていない感じで,どうもこの手を境に一気に後手に傾いたようです。以下,端から殺到した後手がそのまま押し切り勝っています。
 これでこのシリーズ後手の4連勝で2勝2敗のタイに。棋王位の行方が決定する第五局は年度末の30日です。

 考察を進める便宜上,排尿という運動をさらに分節した場合に,分節された各々に関してもそれぞれの名称が必要です。そこでここではそれを,放尿という排尿と,失禁という排尿とに分節します。これはあくまでも便宜的なものですので,以下の定義は,単にこの考察の中では放尿および失禁についてそのようにいうというだけのことであって,一般的にスピノザの哲学における定義に妥当するようなものではありません。いい換えればそれが放尿および失禁の本性を表すとは僕も考えているわけではないです。
 放尿の方はやや消極的な,すなわち失禁には妥当しないような排尿という性格を僕はもたせますので,先にこの考察においてはどのような場合の排尿という運動について,それを失禁というのかということを定義しておきます。
 僕は排尿という運動をある人間の身体がなすとき,この人間の精神の状況が,以下の3種類のいずれかに該当するとき,その排尿をとくに失禁ということにします。
 ①その人間の精神が覚醒していない場合。いい換えればその人間の精神が完全に無意識である場合。
 ②その人間の精神は覚醒しているが,自分の身体の排尿という運動に関して,一切の観念がない場合。いい換えれば,その人間の精神は意識状態にあるけれども,自分の身体の排尿という運動に関しては,無意識である場合。
 ③その人間の精神は覚醒していて,かつ自分の身体の排尿に関して何らかの観念もあるが,何らかの意味でその観念を否定する力が働いている場合。いい換えれば,自分の身体の排尿という運動を意識していて,同時にそれを我慢する意志がある場合。あくまでもここでは思惟の属性による分節ですので,身体が我慢しているという意味ではなく,精神の傾向として我慢しているということを重視します。
 各々の失禁の具体例に関しては,かつて紹介した以上のことはありませんし,それが必要というものでもありませんのでここでは改めての説明は割愛します。
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京浜盃&分節

2010-03-18 20:52:42 | 地方競馬
 大井競馬は今週からトゥインクル競馬が開幕。今夜は南関東三冠レースの前哨戦,京浜盃でした。
 逃げたい馬が揃っていましたがダッシュが抜群だったのがジーエスライカーで,難なく先手を奪いました。対照的にかなり押していったナンテカが何とか2番手で3番手にショウリュウ。ピッチよく逃げてペース自体は速かったです。
 ジーエスライカーについていった組は苦しくなり,好位にいたミラクルエースが2番手に上がって直線。その後ろに上がってきていたシーズザゴールドと内を突いたクリノテンぺスタが前を追いましたが,ジーエスライカーを捕まえるところまではいかず,逃げ切ったジーエスライカーが優勝。シーズザゴールドが2着でクリノテンぺスタが3着。
 優勝したジーエスライカーはここまで5戦して2勝,2着2回。前走の雲取賞で負けていて,一線級とは差があるのかとも思いましたが,当時はオーバーペースだったようです。すべてのレースで逃げていて,先手を奪えなかった場合にどうかということはありますが,自分のレースができるなら,本番でも十分にチャンスがありそうです。父はサウスヴィグラス
 鞍上は大井の戸崎圭太騎手で東京スプリング盃に続き今月2度目の南関東重賞制覇。京浜盃は昨年に続く連覇で2勝目。管理している栗田裕光調教師は京浜盃初優勝となりました。

 ここではさらにこのように定義した排尿という人間の身体の運動に関して,さらにふたつの種類に分類します。というか,これはここでの考察との関係から,分類する必要があるのです。そこで,どのように排尿を分類するのかということを改めて説明する前に,なぜそのように分節しなければならないのかということを説明しておきます。
 現在の考察は人間の知性と人間の意志との関係に焦点を置いています。ところで,知性というのは個々の観念の総体のことですが,第二部定義三から分かりますように,これは思惟の様態です。同じことは第二部公理三からも理解できます。同様に,意志というのは個々の意志作用の総体であるわけですが,これもまた,たとえば第二部定理四八から分かりますように思惟の様態です。もっともこれらのことについては,とくに『エチカ』に訴えるような手続きを経ずとも,それ自体で明らかであるといっていいかもしれません。いずれにせよ,知性も意志も思惟の様態としてあるわけです。
 ところが,排尿というのは人間の身体のある運動,すなわち延長の属性に属する現象なので,それを用いて思惟の様態について説明することができません。これは第三部定理二から具体的に明らかだといえますし,一般的にも,第二部定理五第二部定理六から不可能であるということになります。よって,排尿を例材として人間の知性と意志との関係について考察するためには,排尿という運動を,客観的な,すなわち思惟の属性に関連するような観点から考えなければならないということになるのです。
 これが排尿という運動をさらに分節する理由となります。よって上述の規定を順守するために,ここでは人間の身体がなす運動としての排尿を,思惟の属性に属するもの,つまりこの排尿をなす人間の精神の状態と関連させて分節するということになります。
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王将戦&排尿

2010-03-17 19:24:31 | 将棋
 いよいよ煮詰まってきた第59期王将戦七番勝負の第六局。
 羽生善治王将の先手で久保利明棋王は当然のごとくエース戦法のごきげん中飛車。③CⅠの超急戦。局数を重ねてかなり定跡ができあがっていますので,どこから未知の領域に入るのかという将棋。そしてそれが封じ手直後の☖8一銀。当然ながら両者ともに事前の研究がある筈で,ここからは研究合戦です。先手はそこで☗6五香打として,結果的に飛車と馬を入手し大きな駒得に。代償に手番を握った後手が攻めて第1図。
               
 ここで☖4五桂と打ちました。さらに☗5六香と取られて駒損が拡大し,攻めが心細くなりそうなだけにやりにくそうな手ですが,これは好手だったようです。以下☖5七香☗4八銀☖5八香成☗同王☖5七歩☗同銀☖同桂成☗同王に☖4九角成。先手は☗5八桂と受け,☖5九金に☗6五香と反撃。しかし☖6九金(第2図)と取られてみると,後手玉がきわどく詰まないので,先手の勝ちは盤上から消えていました。
               
 久保棋王が4勝2敗で王将位奪取とともに自身初の二冠に。この両者の対局は終盤できわどくなると羽生前王将の方に分があるという印象がありましたので,この将棋を制したことは今後に向けても大きかったのではないかという気がします。

 一口に排泄といっても,人間の身体corpusがなす運動motusとしての排泄行為は,さらに多くの種類に分類することが可能です。たとえば一昨年の大晦日に僕は嘔吐をしましたが,これも排泄の一種と考えることができるでしょう。また,それに関して僕が与えた説明からも,この行為が自己保存の法則に即した身体の運動であるということが理解できるのではないかと思います。すなわちあのときの嘔吐は,僕の身体がその現実的本性actualis essentia,あるいは現実的実在性を維持するという理由から生じたのだということです。
 しかし排泄といって僕たちが真先にイメージするのは,嘔吐ではなく,排尿であり排便であるということになるでしょう。単純に僕たちの身体がなす回数という点から考えても,排尿とか排便というのは,嘔吐を圧倒するからです。そしてこれらふたつのうちでも,排尿の回数というのは排便の回数を上回りますので,ここでも排尿を事例として考察していきます。もちろん例は何を採用しても結論は同じになりますから,単に回数が多いということ以上の理由はありません。
 ここでは排尿というのを,人間の身体の中に,あるいはもっと部分的に膀胱の中にといってもいいですが,溜まった尿を,身体の外に排出する運動であると定義します。すなわちこれは運動ですから,ある延長Extensioの様態modusとして考えるということです。なお,上述の定義Definitioに関しては,第三部定理二の考察で排尿の意味を説明したときにもいいましたが,スピノザの哲学における意味で排尿の定義である,すなわちこの中に,排尿の本性essentiaと発生が共に含まれていると僕は考えますが,これについて争うのは無用と思いますから,単に今回の考察の中ではそれを排尿というというように考えてもらっても構いません。
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岸和田記念&排泄

2010-03-16 19:13:22 | 競輪
 今年の競輪は近畿勢が好調。地元地区ということもあり,今日の岸和田記念の決勝(動画)にも3名が進出してきました。
 並びは金成-山田の北日本,村上-南-中沢-光岡の近畿中部,坂本-菅原-加倉の九州。
 スタートを取ったのは南で村上の前受け。金成が5番手で7番手から坂本の周回。残り2周半から坂本が上昇。ホームでは村上に並び,金成がスイッチ。バックで村上が引き,ほぼ一列棒状となった打鐘から再び村上の巻き返し。村上は坂本を捲りきりましたが,菅原が南を捌いて番手に。直線は粘る村上を菅原が捕えて優勝。バックから捲っていった金成が2着で逃げた村上が3着。
 優勝した大分の菅原[すがはら]晃選手はこれが記念競輪初優勝。ここは決勝に進めたSSが村上ひとりで,相手関係には少しだけ恵まれました。また,坂本が気風よくいってくれた展開もうまく作用。ただ南を捌いたあたりの動きは俊敏でした。本来は自力型の選手で,この優勝を気にさらなる飛躍に期待したいところです。

 これで第二部定理四九系をそれ自体で証明するということには成功しましたし,またそれに伴って,僕が知性と意志との関係を,ある事物とその事物の本性との関係ではなく,ある事物の本性とその事物の実在性,すなわち第二部定義六によりその事物の完全性との関係で説明した理由についても,僕としてはできる限りの説明を尽くしました。よって,この系に関連する論理的な考察はひとまずここで終止符を打つということにして,いよいよ今回の考察の主旨である,この系を経験論的な観点から補強するという段階に歩を進めていくことにします。
 これに関しては,第三部定理二を考察したときと同様に,人間の排泄という行為ないしは行動を例にとって説明します。というか,第三部定理二の考察で排泄行為を例とした理由のひとつが,今回の考察を視野に入れてのものでしたから,これは当然です。ただ,やはりそれを考察したときから長い時間が経過してしまいましたので,ここで再び,これについても若干の説明を加えておくことにします。
 まず,人間の排泄行為というのは,第三部定理七の現実的本性,この場合は人間の現実的本性に属するというのが僕の立場です。いい換えればこれは人間の自己保存の法則です。したがって,一般的には,排泄をなすことにより人間の本性あるいは実在性は維持ないし向上し,逆に排泄がなされないという場合には,その人間の本性は最終的には破壊されるということになります。このことは医学的というほどのことではないかもしれませんが,自然科学的な観点からも間違ってはいないでしょう。
 もちろん排泄だけがこれに属するというわけではなく,排泄とはこの一部であるということです。そしておそらく僕たちが日常的に経験し,かつそれを意識するような自己保存の法則としては,この排泄行為というのが,最も代表的なものになるだろうと思います。
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