スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&献杯

2012-05-31 18:54:27 | 将棋
 羽生善治王位への挑戦者を決める昨日の第53期王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は渡辺明竜王が6勝,藤井猛九段が4勝。
 振駒で渡辺竜王の先手。藤井九段の四間飛車藤井システム。先手が角を5五に出て,3七に引き,後手の美濃囲いへの入城を牽制する指し方。控室の見解では先手有利,渡辺竜王もよいと思っていて,藤井九段は苦しいと感じていたようなので,実際にそうであったのかもしれません。ただ,そのわりには検討と実戦の指し手があまり一致せず,こういう場合は差が開いていないケースが多いですから,実際にはそれほどの差はなかったのではないかと思います。
                         
 ここで控室で考えられていたのが▲7九金。これは攻めを余して勝ちにいく指し方。ただ,僕の印象ですと近年の渡辺竜王はあまりそういう勝ち方を好みません。実戦は▲4二とだったのですが,これは僕の印象に合致した手だと思います。しかしこれに対して△4一歩と打ったのがうまい手だったよう。そこから▲3ニ飛△6二金引▲5五歩△同角と進めてから▲7九金と戻しました。
                         
 第1図から第2図への進展で,先手は必ずしも厳しく後手玉に迫れたわけではありません。そうであるなら第1図の時点で▲7九金と指した方が優っているように感じます。おそらくこの部分の進展で,後手に針が振れることになったのではないかと思います。
 この後,双方が1分将棋となり,どちらが勝ちとも判別できないような局面を長く指し続けたのですが,最後は後手が何とか押し切ることになりました。
 藤井九段が挑戦権を獲得。現在の藤井九段はトップ棋士としての岐路に立っているというのが僕の考え。単に今期の王位の行方だけでなく,藤井九段の今後の棋士人生を大きく左右することになる大勝負ではないかと思います。第一局は7月10日と11日です。

 精進落としの前には叔父の挨拶があり,献杯をしました。だれが挨拶を述べるかということは別に,このふたつはこうした場合にはつきものであるといっていいでしょう。僕はⅠ型糖尿病を発症する以前から,飲酒はほとんどしなくなっていました。また,病気を発症してからは食餌療法の一環として,無駄な熱量の摂取を避けるために,こうした場合には熱量が0のウーロン茶で献杯するというのが習慣となっていました。しかしこのときは低血糖の症状が出て,実際に血糖値も低かったので,ジュースを注文しましてそれを飲みました。この精進落としは時間的にいってもこの日の昼食となるものでしたから,その前にインスリン注射しておく必要があります。しかし血糖値が低い状態でインスリンを注射するのは危険が大ですから,その前に少しでも血糖値を上昇させておくための措置でした。
                         
 さすがに計量器まで持ち歩くということはしませんので,こういう場合はおおよその目分量で食すということになります。まあ,こういう場ではむしろ多くの量が出てくるという場合がほとんどですから,熱量が足りなくなるという心配をしなければならないということはまずありません。そこで僕はいつも摂るべきタンパク質と炭水化物,この日はご飯ではなくうどんでしたから,その分と思しき量のうどんを食べ,あとはそれほど熱量に敏感にならなくてもよい野菜を中心に食べていたのです。ところが,その途中でこれではまずいということに気が付きました。というのも,僕はいつもは昼には乳製品を摂っていましたが,この日はそれがありません。この場でそれを乳製品でカバーすることはできませんでしたが,そうであるならその分の熱量,すなわちいつも摂取している120kcalほどを,何らかの形ででも摂取しないと,再び低血糖に陥ってしまうおそれが大です。気付いたときにはうどんがまだ残っていましたから,それでまたカバーし直しました。もちろん本来は乳製品で摂取するのが理想ですが,2日前の昼食時のように,外食の場合には致し方がないという場合はあります。それでも摂取エネルギーの不足に途中で気付くことができたことは,不幸中の幸いでした。
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農林水産大臣賞典さきたま杯&低血糖の症状

2012-05-30 19:16:15 | 地方競馬
 薄暮開催で17時45分の発走となった第16回さきたま杯。スターターがスタート台に上がってからダイショウジェットは馬体検査。競走除外となって11頭。このため,発走時刻に若干の遅れが生じました。
 スターボードが逃げることになるのかと考えていたのですが,先手を奪ったのはセイクリムズン。これをトーセンピングスとスターボードが追っていき,ナイキマドリードとトウショウカズンが好位で前を見る形。最初の600mは36秒5でミドルペース。
 おそらくセイクリムズンにとっては楽な逃げであったのでしょう。とくに直線に入ってからは後ろとの差が開いていく一方となり,8馬身もの差をつける圧勝。スターボードは早めに後退し,トーセンピングスはかなり頑張りましたが,ナイキマドリードが直線半ばで競り落とす形の2着。一杯となったトーセンピングスをゴール前で捕まえ,ナイキマドリードにもクビ差まで迫ったトウショウカズンが3着。
 優勝したセイクリムズンかきつばた記念に引き続き重賞は4連勝となる7勝目。現在のこの路線では敵なしといった状況で,よほどの新勢力が台頭してこない限り,この馬の天下がしばらくは続くことになるだろうと思います。アストニシメントヤマトナデシコの分枝。甥に障害重賞1勝のオープンガーデン
 騎乗したのはダービージョッキーとなったばかりの岩田康誠[やすなり]騎手。第12回,13回,14回を3連覇していて2年ぶりのさきたま杯4勝目。管理している服部利之調教師にとってはさきたま杯初勝利。

 時間的にやや前後しますが,この日は家を出るのが午前9時前でしたので,僕は8時頃に朝食を摂っていました。休みでのんびりできるときなどには,まだ寝ているということもある時間ですが,とりたてて早かったというわけではありません。しかし納骨を済ませて精進落としをするちゃんこ鍋店への移動の車中で,僕は体調の異変を感じていました。それはインスリン注射による副作用である低血糖を発症しているサインでした。朝もきちんと熱量は摂取していましたし,この時点でおそらく正午頃であり,食間がそうも開いてしまったというわけでもありません。また,事前の準備や事後の片づけでは,力仕事がまったくなかったというわけでもありませんが,そんなに激しい運動をしなければならなかったというほどではありませんでした。ですから低血糖に陥らなければならないような理由は見当たらなかったといってもいいくらいなのですが,なぜかそれを感じたのです。
 この,感じたというのを,今の時点でどう表現すればよいのかは非常に難しいです。診察のとき,医師は低血糖の症状を感じますかと尋ねることがありますが,これにどう答えればよいのかが難しいのです。というのは,症状というからには,それが体感として何か辛いものであるというような印象を受けるのですが,少なくとも最近は,そういう意味での症状,つまり辛さというのは僕はほとんど感じなくなっているのです。しかし,では低血糖に陥っているということが自分自身では分からないのかといえば,それはそうではないのです。つまり辛さは感じないのですが,血糖値が低くなっているということ自体は,感覚として理解できるのです。
 この日は血糖値測定のための器具を持って出掛けていました。それで,店に入ってすぐに測ってみたのですが,51㎎/㎗と,やはり低血糖状態になっていました。この場合のように,感覚として血糖値が低くなっているように感じられる場合は,実際に低くなっていることがほとんどです。稀に低血糖ではないということはありますが,逆はありません。つまり計測して,驚くほど低い値が出るということはありません。つまり症状といえるほどのものはないのですが,低血糖であるということは分かるというのが現況なのです。
                         
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宇都宮ワンダーランドカップ&納骨

2012-05-29 18:42:31 | 競輪
 落車明けの深谷の調子に注目していましたが,残念ながら準決勝で敗退となった宇都宮記念の決勝。並びは成田ー伏見の福島,長塚-神山-飯嶋ー中村の茨城栃木,稲川ー合志-筒井の西日本。
 最内から神山がスタートを取って長塚の前受け。5番手が成田で7番手から稲川という周回。残り2周のバックに入るあたりから稲川が上昇を開始し,バックで長塚を抑えて打鐘。外を成田が上がり,一旦は前に。これをホームから稲川が叩き返して先行。後方となった長塚はバックから発進。合志のブロックをかいくぐって前に。合志はスイッチを狙って神山と猛烈な競り合い。ここは何とか神山が死守したものの長塚との差が少し開いてしまいました。直線,番手を守った神山が猛烈に追いこみましたが僅かに届かず,長塚の優勝。神山が2着で3着に飯嶋。中村も4着に続き,茨城栃木で上位を独占しました。
 優勝した茨城の長塚智広選手は昨年12月の競輪祭以来のグレード制覇。GⅢは4月のがんばろう日本in西武園以来で4勝目。純粋な意味での記念競輪に限れば2勝目です。展開が予想しやすいメンバー構成となり,落ち着いてレースができた結果ではないでしょうか。地元を引き連れていたわけですが,いつもの自分のレースに徹し,それが好結果を生んだように思います。
 2着に続いた神山選手も立派でした。普通は内が有利なものですが,外競りで凌いだからこそ,飯嶋まで引き込めたのだと思います。

 参列者の中には電車で来られた方もありました。最寄駅は小田急線の桜ヶ丘駅ですが,便利なのは相鉄線も停まる隣の大和駅。そこで電車を使う方々には大和駅まで来てもらい,叔父と,このときは自分の自動車で来ていた従妹が迎えに行きました。少し早目の時刻に家を出たのには,こうした理由もあったのです。
 参列したのは僕たちも含めて全部で15人。その15人と住職も開始時刻の前に揃いましたので,定刻通りに四九日法要が始まりました。読経はおよそ30分ほど。それを済ませて納骨です。
 納骨は,僕たちがすべて揃っているからといってすぐに始められるというものではありません。これは墓石を移動させて,遺骨を納め,また墓石を戻すという作業が中心になりますが,僕たちが勝手にやっていい作業ではないからです。このとき,この仕事をする墓地の管理施設の方の到着が遅れていまして,少し待たなければなりませんでした。しかしこれも長時間であったというわけではなく,ほどなくして到着。すぐに納骨を始められました。家族葬のときと比べれば人数も10人ばかり増えていましたが,15人というのはそう多いというわけではありません。全員が線香を手向けたとしてもそうも時間は掛かりませんで,何の問題もなく終了となりました。そこで管理施設事務所の方に戻って後片付け。到着したときと同様の形に戻し,一連の法事に必要な作業というのはすべて終了しました。
 開始当初から分かっていたことですが,これでおおよそ昼になります。それならば全員で昼食をということで,叔父は近くのちゃんこ鍋屋に予約を入れておいたとのこと。普通の精進落としというのとはいささか趣は異なりましたが,そこで昼食。僕はこの店は初めてでしたが,叔父や従妹は何度か来店したことがあったようです。参列された方の中には,小脳出血で入院していたときに磯子中央病院まで見舞いに来てくれた方もありましたが,僕は顔を見てもだれだか分からないという人がほとんど。ということで,このときに叔父の方から,ひとりひとりの紹介というのがありました。祖母との関係は,僕はそれで初めて詳しく理解したということになります。
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日本ダービー&管理施設事務所

2012-05-27 18:42:59 | 中央競馬
 日本のサラブレッドの生産数は一時期に比べればだいぶ減りました。それでも2009年で7000頭以上。その頂点を決する第79回東京優駿
 スピルバーグがあおり気味の発走。ゼロスの逃げは戦前の予想通りで,位置を取りにいったトーセンホマレボシが2番手。この2頭で後ろを少し離し,3番手にはクラレント。1周目の正面ではやや行きたがっていたように見えたディープブリランテが向正面に入ると落ち着いて4番手。グランデッツァ,トリップ,フェノーメノまでが好位集団を形成。また少し水が開いてコスモオオゾラ,ブライトライン,ワールドエース,エタンダール,ゴールドシップの追走。最初の1000mは59秒1で,前の2頭はハイペースだったと考えていいでしょう。
 2番手と3番手は大きく開いて直線に。トーセンホマレボシは4コーナーでもう鞭が入っていましたが,それでもじわじわと伸びて先頭に。追ってきたのがディープブリランテで,こちらがトーセンホマレボシを差すと,大外からフェノーメノの追い込み。2頭が内と外,大きく離れての入線となり,写真判定にもつれ込みましたが,先に抜け出していたディープブリランテが僅かに凌いで優勝。フェノーメノがハナ差の2着。やや強引なレースにも思えましたがトーセンホマレボシが4分の3馬身差で3着。
 優勝したディープブリランテは昨年10月にデビュー勝ちを決めると続く東京スポーツ杯2歳ステークスを圧勝。勝ち気な性格が災いし,その後は勝てませんでしたが,根幹レースばかりを使って2着,2着,3着と走っていた安定株。ここも優勝候補と考えていた1頭でした。前がわりと早く流れたこと,時計が早くなる馬場状態で前がそうも止まらないことは有利に作用したでしょう。気性面からはもう少し短い距離の方がレースはしやすいと思われ,秋にどういった路線を選択するかに注目しています。父はディープインパクト,4代母がバブルカンパニーで,祖母の半妹にオークストライアルを勝ったマニックサンデー,その半弟には菊花賞馬のザッツザプレンティ。Brillanteはイタリア語で明るい。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は先月の桜花賞に続く大レース制覇で日本ダービーは初勝利。管理している矢作芳人調教師は昨年のNHKマイルカップ以来の大レース3勝目。

 法要を始める時間は午前10時半。法事の開始時刻としてはいささか早いような感じも受けますが,これは住職の都合によるもの。住職がこの後にもひとつ別の法事に行かなければならないということで,その移動時間も考慮に入れてこの時刻となりました。したがって住職は法要の後,納骨まで済ませますと,昼食は摂らずにそのまま次の法事へと向いました。
 通夜と葬儀のときもそうでしたが,このときも叔父は前日にレンタカーを借りました。僕とと妹,そしてロサンゼルスの伯母を乗せ,叔父の運転で僕たちが家を出たのは午前9時前。大和は近いということはありませんが,それでも法事の開始時刻からすればずいぶんと早めの出発です。しかしこれにはまたはっきりとした理由がありました。
 法要を営む墓地の管理施設の事務所というのは,文字通りに事務所なのであって,この場合のように法事などに貸し出すということは想定されていません。したがって,そうした目的で建てられたホールのように,造られた祭壇などもありませんでしたから,先にそれを仮設しておかなければならなかったわけです。つまりこれはあくまでも場所を借りたというだけのことであって,線香や花,蝋燭といった,こうした法事に欠くことができないすべてのもの,それからお茶を入れるためのポット類やお菓子といったものも,僕たちが用意したわけです。したがって相当数の荷物があったわけで,レンタカーを使用しなければならなかったのは,今回の場合は単に乗車する人数の問題だけではありませんでした。
 事務所とはいいましても,元々そのために建てられていたものではなく,かつては人が住んでいた家を,後に墓地の管理人が買い取り,ごく簡単なリフォームだけを施したもの。よってまだ人が住んでいた時代の名残がありまして,メーンとなる最も広い部屋,つまりここで法要を営んだのですが,この部屋は畳敷きの和室でした。ただし1月の寒い時期でしたので,押し入れの中にあった電気カーペットを出して敷きました。また,事務所というだけあって,いくつかの長机はありましたので,これも借りて,参列する方々や住職へのお茶などを用意しました。法要の前に,こういったことをすべて済ませておかなければならなかったのです。
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評価の理由&親類への配慮

2012-05-26 18:27:11 | NOAH
 NOAHの旗揚げが大規模なものになったことについて,僕は三沢を評価します。僕にとってプロレスラーへの評価というのは,単に素晴らしい実績を残したとか,凄い試合をしたというだけのことではないのです。
 たとえば長州力によるジャパンプロレスの設立とか,結果的に全日本プロレスに最良の時代をもたらすことになった1990年のSWSの旗揚げなど,プロレス界には新しい団体ができることとか,あるいは団体を作るのではなくても,別の団体に移籍するといったことは,それまでにも,またそれ以降にも数多くありました。実例として挙げたふたつの場合では,ジャパンプロレスのときには一定数の選手が長州と行動を共にしましたし,SWSのときも,何人かの選手は天龍の後を追うように全日本から離脱していきました。しかし,NOAHの旗揚げのときのように,敵としてであれ味方としてであれ,一緒に戦っていたレスラーが一斉に行動を共にしたという例はありません。当時の全日本プロレスで戦っていたレスラーのうち,NOAHに参加しなかったのは,渕と川田のふたり。さらに加えても,三沢があまり評価していなかった当時のモスマン,今の太陽ケアと,議員になっていたのでプロレスはほとんどしていなかった馳だけです。いい換えれば,団体を辞して新しい行動に移ったレスラーのうち,三沢ほど,共に戦っていたレスラーたちの信頼をかち得ていた選手はいなかったし,それ以降も現れていないということです。そしてそれが,僕が三沢を高く評価する理由です。僕はレスラーというのは,リング上で素晴らしい試合を展開するというだけでなく,組んでいるパートナーからも,また戦っている相手からも,信用を得ていなければならないと考えています。そういう意味では,三沢光晴こそが,僕にとって最高のプロレスラーである,あるいは少なくとも最高のプロレスラーであったといっていいでしょう。
                        
 なぜ三沢がそんなに信頼を得ることができたのか,それは僕には分からないです。しかし事実としてそうであったというだけで,僕にとっては十分に評価するに値するのです。

 叔父が墓地の管理施設の事務所を借りて四九日法要を営むことにしたのは,第一には僕たちの負担を減らすと同時に,住職の負担もなるべく軽減するためでした。しかしそれだけでもなかったのです。
 祖母の通夜と葬儀は,家族葬という形で,南部斎場において慎ましく執り行いました。つまり僕たちと,僕の従妹とその母以外には一切の参列者がありませんでした。ところが今回はそうではなかったのです。
 これは,祖母の死と納骨との間に,年末年始が挟まっていたということが大きく関係しています。祖母は横浜に来てからは,大和時代の友人たちと交流する機会というのはほとんどといっていいくらいなくなっていました。それでも,年賀状のやり取りはしていたわけです。そこでそうした人たちには,叔父が年始の欠礼状を出しました。よってそれを受け取った人たちは,それによって祖母が死んだということを知ることになったわけです。もちろんそれは,大和に住んでいた頃の祖母の友人たちだけではなく,祖母の血縁者,そして祖母の夫,つまり僕からみれば僕が小学校5年生のときに死んだ祖父ということになりますが,その近親者というのも含まれていました。そこで祖母の友人たちにはこの法要の詳細については知らせなかったようなのですが,近親者たちには伝えたため,その中から何人かの参加者が出ることになりました。
 このうち,祖母の生まれ故郷である秋田県に住んでいる祖母の親戚からは,出席するという返事はありませんでした。したがって参加者のほとんどは,横浜市内に在住の方々が占めることになったのですが,中に1組,岐阜県に住む祖父の親類から,参加するという返事があったのです。横浜市内に在住の方でも,たとえばアパートで法要を行い,大和で納骨するということになれば大変であるに違いありません。しかしわざわざ岐阜から訪ねてくる親類にとっては,この負担はあまりに過度なものであるといえるでしょう。よって叔父は,なるべく墓に近いところで法要も営むように手配しようとしたようです。墓地管理施設の事務所を借りることができるということは,当初は想定していなかったようですが,仮にそれが無理でも,どこか墓地の近辺のホールを借りる腹積もりであったようです。
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デイリー盃大井記念&来日の目的

2012-05-24 18:59:10 | 地方競馬
 昨晩は南関東重賞では最も長い距離の第57回大井記念が行われました。
 ケイアイライジンの逃げを想定していましたがまず先手を奪ったのはドモナラズで,ケイアイライジンは無理せず2番手から。1周目の正面に入ると外をトーセンゴライアスが上昇していき,1コーナーでは先頭に立ってこの馬の逃げに。外からケイアイライジンが2番手を確保し,ドモナラズは早くも後退。エプソムアーロンが3番手に上がり,トーセンルーチェ,マズルブラスト,ラストキングといったあたりが好位を形成。最初の1000mは64秒1で,これはミドルペースといえるでしょう。
 向正面でケイアイライジンが先頭に出るとトーセンゴライアスは後退。これについていったのはマズルブラストで,この順番で直線に。しかし絶好の手応えで追走していたトーセンルーチェは,あまり外には出さずに追い出され,そのまま突き抜けて快勝。中団追走から一旦は後退したピサノエミレーツが大外を豪快に伸びて2着。中団から漸進してきたナムラブレットが3着。
 優勝したトーセンルーチェは2月の金盃以来の南関東重賞2勝目。現時点で南関東のこの路線ではトップに立とうかという力があり,ここは順当な勝利。ここ一連の成績がフロックではないということを証明した形で,あるいは重賞制覇も可能な馬かもしれません。半兄は現役で,NARグランプリでは2007年,2008年,2010年,2011年と4度の年度代表馬に輝き,2006年は2歳最優秀馬,2009年も4歳以上最優秀馬のフリオーソ
 騎乗した船橋の張田京[たかし]騎手は3月の桜花賞以来の南関東重賞制覇で第52回以来となる5年ぶりの大井記念2勝目。管理している船橋の川島正一調教師は大井記念初勝利。

 このときの伯母の来日は,昨年の暮れの祖母の死と関係しています。この直後に執り行われる予定になっていた,四九日法要,そしてそれに伴う納骨に出席するためのものでした。
 実は通夜と葬儀の後で,この法要をどのように営むのかということはすでに話題に上っていました。といいますのも,祖母の墓は大和市内にありまして,その前の法要をどうするのかということは,当然のこととして問題とならざるを得なかったからです。
 祖母には3人の子がありましたが,と伯母は嫁いでいます。必然的に遺骨は叔父が管理していて,アパートにありました。仏壇の前に安置してあったわけです。したがって普通ならばアパートで法要を行い,大和まで納骨に行くというのが常識的でしょう。しかしこれは法要後の移動時間がかなり長くなってしまいます。それにこのアパートは,アパートとしてはわりと広く,キッチンを除いて二部屋あり,これは仕切りを取り外せましたから,ある程度の人数を集めて法要を行うことは可能ではありましたが,十分な余裕があるほど広かったというわけでもありません。
 一方,寺の本堂は当然ながら法要を行うのに十分な広さがあったわけですが,何しろこちらは平塚市内で,墓との距離はアパートよりさらに遠くなりますし,何より僕たちがそこまで出掛けて行くというのが大変です。こうした事情から,法要をどうするのかということは,それを行う以上は以前から問題としてあったのです。
 遺骨を管理していたのは叔父ですし,当然ながら墓地の名義も叔父になっています。よって最終的には,この段取りは叔父に一任されることになりました。そして決定したのが,四九日法要と納骨は1月28日の土曜日に行うということ。そして場所ですが,叔父が頼んで墓地の管理施設の事務所を借りることが可能となり,そこで行うことになりました。当然ながらこれは墓地のすぐ近く,というよりこの墓地は非常に小さなものでしたから目と鼻の先で,非常に賢明な選択であったと思います。
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女流王位戦&伯母の来日

2012-05-23 18:59:26 | 将棋
 古くは炭鉱で栄えた福岡県飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸での対局となった第23期女流王位戦五番勝負第三局。
 甲斐智美女流王位の先手で三間飛車。過去2局は居飛車で戦った里見香奈女流名人ですが,ここは振飛車を選択し相三間飛車。持久戦となりました。
                         
 何気ないところですがおそらく序盤で後手だけ歩交換をしたのが効果的で,作戦勝ちだったのだろうと思います。ここで☖6五銀左と出ていきましたが,はっきり勝ちにいった手という気がします。☗同桂☖同銀☗7八飛に入手した桂馬を☖2四桂と打ちました。☗2六金には☖3六歩。さらに☗2五桂と逃げましたが☖同桂☗同金に☖1六桂。☗同香に☖2五飛と走り,☗2六銀に☖2一飛と引き上げました。
                         
 これで☖2五歩からの攻めが残り,先手としては受けもないので後手が十分。先手の反撃はありましたが狙いの攻めが決まり,後手が勝っています。一局を通して,後手の快勝といえる将棋だったように思います。
 3連勝で里見香奈女流名人が女流王位を奪取してよっつめのタイトルを獲得。いまだにタイトル戦は不敗できていて,これがどこまで続くのか,非常に興味深いところです。

 この1月26日に,ロサンゼルスの伯母が来日しました。
 いつものように成田空港への到着。伯母は来日しますと空港から僕の家に電話を入れるのですが,この日,その電話があったのは夜の8時前でした。いつもはもっと早いのですが,この日は遅くなってしまったのには理由がありました。ただ,航空機の飛行時間というのは,その日に吹いている風によって影響を受けますが,ここではその点は考慮には入れません。
 それまで伯母は,全日空を利用して来日していたのですが,今回はシンガポール航空を使いました。時刻表は全日空と変わらなかったようなのですが,実際に同じ時間に飛び立って,同じ時間に着陸するということは,いくら複数の滑走路があったっとしてもあり得ません。やはり全日空の方が優先されるようで,まずその分のロスがあったようです。また,着陸する滑走路も,建屋から近い位置と遠い位置とがありますが,その点でもたぶん全日空の方が優遇されていたのではないかと思います。
 それからもううひとつ,アメリカにはサマータイムが導入されています。このため,サマータイムの時期に来日する場合と比べますと,そうでない時期の来日というのは,実質的に離陸する時間というのが1時間ほど遅れることになります。早く離陸すれば早く到着することになるのは必然です。しかしながらこれは1月のことで,サマータイムではない時期であったのです。こうしたことが重なり,いつもより遅い時間の来日となりました。
 伯母は基本的にアパートで生活しますが,空港から直行はせずに必ず先に僕の家に寄っていきます。この晩,僕の家に着いたのは午後10時半を回っていました。時間も時間ですからそう多くの話もせず,すぐにアパートへと向いました。
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ビューチフルドリーマー&退職

2012-05-22 18:49:23 | 血統
 13日のヴィクトリアマイルを勝ったホエールキャプチャの曾祖母がタレンティドガール。さらに母系を遡っていくと1903年にイギリスで産まれて輸入されたビューチフルドリーマーに辿りつきます。ファミリーナンバー12
                         
 当時の日本のサラブレッド生産の中核をなしていた小岩井農場による輸入。この時代に小岩井によって輸入された繁殖牝馬から現在まで続いている一族は多くありますが,中でもアストニシメント,フロリースカップ,そしてこのビューチフルドリーマーは,とりわけ繁栄しています。中央競馬でいえば,少なくとも週に1頭は,この3系統のいずれかから勝ち馬が出ているでしょう。
 明治以来の歴史があるわけですから,活躍馬は数えていけばきりがありません。もしも1頭だけあげるとすればシンザンでしょう。旧根岸競馬場の跡地の森林公園の一角にある馬の博物館にも銅像が建てられていますが,この馬の名前は競馬ファンならずともご存知の方も多いのではないでしょうか。
 現在の繁栄の礎となったのはワールドハヤブサという馬で,千代田牧場が中心となって大きく枝葉を広げました。千代田牧場は牡馬は売却し,牝馬は売らずに走らせ,繁殖として牧場に戻すというのが基本。このために枝葉が大きく広がりました。ニッポーテイオーとタレンティドガールの兄妹もワールドハヤブサの分枝。当然ながらホエールキャプチャも同じということになります。
 ワールドハヤブサの分枝以外の最近の活躍馬の代表は2000年のJRA賞最優秀3歳牝馬,翌年には最優秀3歳牝馬にも選出されたテイエムオーシャン。また,2004年の川崎記念を勝ったエスプリシーズもビューチフルドリーマー系です。

 この日の検査の結果で,それ以外に何か書いておくべきことがあるとしたら,糖定性が2+となっていた点です。すなわち若干の尿糖が出ていたということになります。もっとも,これは何度かいっていることですが,尿糖というのは,とくに糖尿病とは関係なく,血糖値が高い状態で排尿すれば出るものです。つまり,糖尿病患者ではなくても,食後などの血糖値が高い状態で排尿すれば,出ているものと考えてよいのだろうと思います。このときは血糖値が233㎎/㎗と,かなり高くなっていましたので,こういう結果になったのは必然といえるでしょう。もしも血糖値が正常であるのに尿糖が出ていたということになればこれは大変ですが,そういうわけではなかったので,これはとくに問題視しなければならなかったというわけではありません。また,それ以外の結果で何か異常な点はひとつもありませんでした。そして,いつもの検査内容のオーダーと比較して,付け加えられているような項目はありませんでしたし,もちろん削られている項目というのもありませんでした。
 そしてこの日は最後にМ先生から話がありました。それはМ先生が3月一杯でみなと赤十字病院を退職することになったという内容でした。この次の予約は3月19日でしたから,その日はМ先生の担当ですが,その日がМ先生による最後の診察となるわけです。М先生への主治医の交代があったのが2009年の4月でしたから,およそ3年間,М先生にはお世話になったということになります。診察の時間は午後2時半と設定されました。
 いつものように薬局でインスリンを処方してもらい,帰宅したのが15時20分ごろ。非常に順調に終えることができたということが,ここからお分かりいただけると思います。
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別府八湯ゆけむりカップ&検査結果

2012-05-21 18:44:40 | 競輪
 先週の全プロを挟み2週間ぶりとなった記念競輪。その別府記念の決勝がありました。並びは岡田ー後閑の東京,岩本ー萩原の南関東,菅原ー大塚ー小野の大分で,佐藤と浅井は単騎。
 前にいた岩本ー萩原-浅井を岡田ー後閑で抑えたのが残り2周のホームで,誘導はここで退避。外から大分勢が前に出ると佐藤が続き,浅井がスイッチ。バックで佐藤が単騎で外を上昇し,打鐘過ぎに菅原の前へ。すかさず菅原が巻き返して先行。結果的に佐藤は飛びつけずに4番手。その外に追い上げを狙った浅井がいて,苦しい態勢でしたがそのままバックから捲り発進。後方となった岩本がこれに乗る形になりましたが,これは脚に余裕なし。直線に入って大塚が番手から抜け出しを図りましたが,マークの小野が接触してしまい落車。最後に発進し,浅井の外を捲り追い込んだ岡田が伸びて優勝。マークの後閑は浅井の内に進路を取って2着。強いレースだった浅井が微差で3着。
 優勝した東京の岡田征陽選手はデビューから12年で記念競輪初優勝。少し時間が掛かったといえばそうかもしれませんが,ここのところ力をつけてきていたのは明らかで,近いうちに記念競輪制覇を達成するだろうとみていました。踏み合うようなレースとなりましたが,落ち着いて進路を選択できましたし,結果的にみればそのタイミングもばっちりであったということでしょう。さらなる活躍が可能な選手であると思います。

 この日の検査結果ですが,最も重要なヘモグロビンA1cの値は6.9%でした。前回が7.4%であったわけですから,改善していたということになります。そしてこの結果は,数値にどの程度の改善がみられるのかということは別にしても,僕には予期できていたものでした。
 これは何度かいっていることですが,僕の血糖値というのはあたかもバイオリズムでもあるかのように,良好にコントロールできている状態と,まったくといっていいほどコントロールできていない状態とが交互に繰り返されていたのです。当然ながらそうなるのには,第一部公理三を持ち出すまでもなく何らかの原因があるのですが,僕の日常生活というのはそうも特別な変化があるというわけではなく,本当にごく自然にそのようになってしまうので,はっきりとした原因を特定することができず,それは悩みの種となっていたわけです。
 ところが,この中間というのは,それまでと比較すれば,血糖値を良好に保てている期間というのが明らかに長かったのです。それどころか12月の20日頃から年末年始を挟んで1月3日頃までは,別に取り立てて変わった生活をしたということもないのに,むしろ低血糖であると判断されてしまうような値が出てしまうということもありました。だからヘモグロビンA1cも改善されているだろうなと思っていたのです。むしろ前々回の検査のときには,6.5%という,退院してから実質的には最も良好な数値が出ていたわけで,そういう意味からは,6.9%といっても,むしろそれほど下がっていないと思ったくらいなのです。
 多少の低血糖を示す数値が出ていたとしても,6.9%というのは,数値自体としてはまだまだ高いものであります。しかしそれまでよりも改善しているのは確かですから,新たな処置を講じるという必要はありません。前回の診察のときに,インスリンの注射量に関して,やや異例の措置が採られたのですが,それがそのまま継続されるということになりました。ただし,この間は血糖値は良好であった期間が長かったわけで,実際に朝の超速効型のヒューマログの注射量を増やしたのは,2回しかありませんでした。
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オークス&診察室

2012-05-20 18:48:08 | 中央競馬
 牝馬クラシックの第二弾,第73回優駿牝馬
 先手を主張したのはマイネエポナで,この馬の逃げは早々に決定づけられましたが,隊列が落ち着くのには時間が掛かり,向正面に入ってから。2番手はエピセアロームになり,オメガハートランドが続いてその後ろはアイムユアーズとトーセンベニザクラ。アイスフォーリスとサンシャインが好位を占め,ヴィルシーナとキャトルフィーユ。ミッドサマーフェアはその後ろで,さらに3,4頭を挟んだ位置にジェンティルドンナ。最初の1000mは59秒1で,今週の東京は全般的に早い時計での決着が多かったにしても,この距離としてはハイペースであったと考えてよいと思います。
 マイネエポナは直線に入って一杯に。アイスフォーリスが最内,その外にアイムユアーズで,まずはこの2頭の競り合い。しかし大外に持ち出されたジェンティルドンナが,追われてから弾けるように伸び,内の各馬をあっさりと交わすと楽々と抜け出し,5馬身もの差をつけレースレコードで快勝。直線に入ってすぐに鞭を入れられていたヴィルシーナが,それでもじわじわと伸び,最後は一杯一杯になっていましたが内の2頭を交わして2着を確保。2頭の3着争いは内のアイスフォーリス。
 優勝したジェンティルドンナ桜花賞に続き大レースを連勝。もちろん有力馬の1頭でしたが,これほどの楽勝ができるとは思っていませんでした。桜花賞はさほどのタイムでなかったことを考えると,時計の早い馬場でのレースの方がより適正が高いということなのだろうと思います。無事にいって,秋の活躍も期待したいところ。父はディープインパクト,全姉に現役で重賞1勝のドナウブルー。Gentildonnaはイタリア語で上流夫人。
 主戦の岩田康誠騎手が騎乗停止中のため,手綱をとることになった川田将雅[ゆうが]騎手は昨年のJBCスプリント以来の大レース制覇でオークスは初勝利。管理している石坂正[せい]調教師は桜花賞に続いての大レース制覇でオークスは初勝利。
                         

 検査がスムーズに行えた場合は大概がそうなのですが,この日は診察の方もそれほど待たずに開始されました。ただし,いつもとはっきりと違っていた点があります。
 これは前にも説明したことがあったかと思いますが,総合内科というのは診察室が多くなっています。待合所の目の前に総合内科の受付があるのですが,その受付を中央に挟み,右側に3室,平行して左側にも3室というのがその構造です。つまり6室あったわけで,多い日には6人の医師が診察をしていたわけです。М先生も,主治医の交代がある前のG先生の頃も,診察室はずっと一定で,受付の右側の中央,2番という診察室でした。ところがこの日は,その診察室とちょうど対称の位置にある,左側の5番の診察室だったのです。
 おそらくこれは,ハッピーマンデーの影響で,この日が木曜日であったということと関係していたのだろうと思います。つまりМ先生は月曜と木曜に診察を担当していたのですが,月曜は2番の診察室を使い,木曜は5番の診察室を使っていたのだろうと思います。なぜそのように使い分けているのか,僕にはっきりとした理由は分かりませんが,たぶんこういうことなのだろうと思い当たるふしはあります。
 ここの総合内科で診察を受けている患者は,僕のように糖尿病であるか,そうでなければ膠原病であるか,またそうでなければ透析も含む腎臓病であるかのいずれかに該当する場合がほとんどなのです。それで基本的に糖尿病の患者は,2番の診察室で診察を受けるということになっていたのだろうと思うのです。そしてМ先生が糖尿病の患者を診察するのは,基本的に月曜日であったのでしょう。おそらく木曜は,糖尿病以外の患者,それが膠原病なのか腎臓病なのか,あるいはほかの病気なのかは分かりませんが,そうした患者を診察する日だったのではないでしょうか。そのために診察室も,月曜と木曜とでは異なっていたのではないかと思うのです。
 ただし,部屋自体は異なっていたのですが,診察室の構造としては同じでした。もちろんいつもの部屋とは対称の位置なので,左右の関係は逆になりましたが,それ以外に目立って異なったところはありませんでした。
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タレンティドガール&外食

2012-05-19 18:32:18 | 名馬
 日曜のヴィクトリアマイルを勝ったホエールキャプチャ。その曾祖母はタレンティドガール。確か早世してしまったオーナー夫妻の娘さんを偲んで名付けられた馬名であったかと思います。
 デビューは僕の競馬キャリアが始まった翌年の1月。2着を2回続けた後,連勝。重賞初挑戦は11着でしたが,敢然とオークスに挑戦すると3着と健闘しました。
 夏に北海道で3勝目をあげると,当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯の関東での前哨戦に出走し3着。権利を入手してエリザベス女王杯へ。その前年のメジロラモーヌに続き,この年はマックスビューティが桜花賞とオークスを制覇。ここも断然の人気で,直線では抜け出したのですが,外を一気に襲い掛かってこれを交わして優勝。重賞初制覇が大レース。直前の天皇賞ではダイナアクトレスの宿敵として君臨していたニッポーテイオーが優勝していたのですが,タレンティドガールはニッポーテイオーの半妹。短期間での兄妹による大レース制覇でした。
 この後,有馬記念と,4歳になって重賞を1戦しましたが未勝利。血統的背景からも早々に引退,繁殖入りしました。
 一時的にイギリスで繁殖生活を送っています。ホエールキャプチャの祖母のエミネントガールがイギリス産であるのはそうした理由。この一種の留学が,ここで花開いたということでしょう。帰国後にサンデーサイレンスと配合されて産まれた牝馬からは,一昨年のファルコンステークスを勝ったエーシンホワイティが輩出しています。

 病院に到着したのは12時35分頃でした。診察の予約時間だけを考えれば,もう1時間後のバスに乗ればよいのですが,検査があり,診察の前に結果が出ていないといけませんからそうはいきません。また,仮に診察の予約が3時という場合には,1時間前のバスに乗って,一旦は帰宅するということも可能ですが,これだと11時35分前後に病院に到着することになります。検査は何時でも可能ですが,血糖値の計測が項目の中に入っていることを考慮に入れれば,それではいささか早いような気がします。事実,僕はそんな時間に昼食を摂るということは,よほどの事情でもない限りはありませんから,少なくとも普段と同様の結果が出るということはないことになります。それは病院で少し待てば解消できますけれども,その分だけ在宅できる時間は少なくなってしまうわけで,検査に時間が掛かったり,帰りのバスで時間が掛かったりしてしまうリスクを考えると,やや危険です。したがってバスの運行が変更されたことにより,僕は通院の日に,一旦は帰宅するという選択はしないということに決めました。もちろん,診察の予約が午後3時半とか4時ということになれば別ですが,そうしたことは過去に1度としてなかったわけですから,今後もないであろうと思います。
 前回はハッピーマンデーの影響で中央検査室も非常に混雑していたのですが,この日はそうした事情から木曜日の通院になったということもあり,いつもと同様でした。先に採尿を終えてから採血。この日は以前に装着した青いアームバンドをまたつけてもらえましたので,その場で患部を押さえているという必要はなく,すぐに病院内の食堂に向って昼食を摂りました。
 こういう場合の昼食ですが,僕はインスリンの注射の関係がありますので,まず熱量重視です。基本的に糖尿病の食餌療法は,単に決められた熱量を摂取するというだけでなく,それをバランスよく摂取するということが求められます。僕は朝に果物を食べ,昼には乳製品を摂取,夜はたんぱく質をほかの2食よりも多めに食べるというのがパターンとなっていますが,この日はビーフカレーを注文。それだけで摂取すべき熱量に達していましたから,この日は乳製品は摂取していません。かえって面倒なことになるので僕は外食は極力しないようにしていますけれども,どうしてもしなければならないという場合には,こうした事態も生じることになります。
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ダイワメジャー&バスの運行

2012-05-18 12:44:06 | 名馬
 6日のNHKマイルカップを優勝したカレンブラックヒルの父は,現3歳馬がファーストクロップとなるダイワメジャーです。母は重賞4勝のスカーレットブーケでその母がスカーレットインク。全姉に重賞1勝のダイワルージュ,半妹に2007年のJRA賞最優秀3歳牝馬,最優秀父内国産馬のダイワスカーレットがいる良血馬。
 デビュー前から評判になっていたのですが,初期はパドックで横たわってしまうなど,まだ競走馬として完成には程遠かったようでデビュー戦は2着。2戦目で勝ち上がると1勝馬ながら挑戦した4戦目のスプリングステークスを3着して皐月賞に。10番人気でしたが先行抜け出しでいきなり大レースを制覇しました。続くダービーはキングカメハメハの6着。本質的に距離が長かったものと思います。
 秋は古馬相手のオールカマーで復帰しましたが9着と大敗。距離適性を考え天皇賞に進みましたがこれもゼンノロブロイの14着に大敗。喉に疾患を抱えていることが判明し,手術に踏み切りました。
 4歳になり復帰戦に選択したダービー卿チャレンジトロフィーは優勝。復活かと思わせましたが安田記念は8着。夏の関屋記念が2着で秋の毎日王冠は5着。マイルチャンピオンシップは2着と勝ち切れずにこの年は終了。
 翌春は中山記念で復帰しこれは2着。この後,安藤勝己騎手を主戦に迎えたのですが,これが転機になりました。コンビ初戦のマイラーズカップを制覇。安田記念は香港馬の4着。宝塚記念は四位騎手でディープインパクトの4着。
                         
 この年の秋は安藤騎手に戻り,毎日王冠で復帰するとこれを勝利。続く天皇賞で大レース2勝目をあげるとマイルチャンピオンシップも連勝して大レース3勝目。有馬記念は明らかに距離が長かったと思うのですが,ディープインパクトの3着に頑張りました。JRA賞の最優秀短距離馬に。
 翌年も現役続行。初戦はドバイデューティフリーでこれは3着。しかし帰国して出走した安田記念を勝って大レース4勝目。宝塚記念は12着と大きく崩れましたが,これもおそらくは馬体を減らした影響でしょう。
 秋は毎日王冠で復帰しこれは3着。続く天皇賞は直線で不利を被り9着でしたがマイルチャンピオンシップに出走すると連覇して大レース5勝目。おそらく中山コースは得意だったのでしょう,この年も有馬記念では3着に頑張り,2年連続でのJRA賞最優秀短距離馬を手土産に引退,種牡馬入りしました。
 初産駒からいきなり大レースを制覇する馬が輩出したのですから前途洋々でしょう。ほかに2頭の重賞勝ち馬がいて,その2頭は日曜のオークスに出走予定です。

 さらに1週間後の1月26日の木曜日。この日は僕のみなと赤十字病院通院の日でした。僕は通院にはバスを使っているわけですが,そのバスの運行が,前年の12月に変更されていました。ここではまずその状況を詳しく説明しておきます。
 病院に行くためのバスには僕は根岸駅前から乗っていました。バスはみなと赤十字病院入口を経由する横浜駅行きと,病院の敷地の中まで入っていくみなと赤十字病院行きの2種類があり,僕はほとんどの場合は後者を利用していたわけです。ところが,この後者の路線は廃止されました。そしてその代用に,この敷地内を経由する横浜駅行きというのが新設されたのです。
 みなと赤十字病院行きというのが廃止されたのは,おそらくですが,横浜行きと勘違いして乗車してしまう客がいたからではないかと思うのです。実際,以前にこのバスに乗っていたときには,病院の敷地内まで進入した後で,運転手に終点ですと告げられ,驚いていた乗客がよくいました。そのためにすべてのバスが横浜駅まで行くようになったのでしょう。それならばそのすべてのバスが敷地内を経由してくれればいいのですが,こちらを経由するのはやはり以前と同様に1時間に1本で,あとは入口のバス停を経由するものだけでした。そしてそれだけでなく,時間も変更になっていたのです。
 以前のみなと赤十字病院行きのバスは,根岸駅を毎時25分に出ていました。始発ではありませんから遅れてくることはありましたが,時刻表上はそうなっていたのです。ここから病院まで,早ければ20分強,渋滞していても30分掛かるということはまずありません。よって診察等が定時からという場合,非常に便利だったのです。しかし新設された病院経由の横浜行きは,毎時15分に根岸駅を出るという運行に変更されていました。つまり10分早まったわけです。1月4日に母が妹を病院に連れて行ったとき,それまでよりも早めに病院に着いたのは,こうした理由でした。
 この日はМ先生の診察の予約が午後2時。これだと家に戻って昼食というわけにはいきません。そこで12時15分に根岸駅を出るバスに乗るということにしました。
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パロクサイド&水嚢

2012-05-17 18:42:58 | 血統
 クイーンエリザベスⅡ世カップを優勝したルーラーシップの母がエアグルーヴ。この母仔の輸入基礎繁殖牝馬は1959年にイギリスで産まれたパロクサイドです。Peroxideは過酸化物。ファミリーナンバー8-f
                         
 アメリカで2頭の産駒を産んだ後に輸入。いくつかの分枝が現存していますが,最も繁栄しているのはシャダイフェザーの分枝で,この産駒のダイナカールは1993年のオークス馬。エアグルーヴはダイナカールの産駒なので,オークスは母仔制覇だったのです。エアグルーヴの姉にはカーリーエンジェルという馬がいて,その産駒に重賞2勝のエガオヲミセテと2006年の高松宮記念を勝ったオレハマッテルゼ。さらにカーリエンジェルの孫には重賞1勝のウォータクティクスがいて,カーリーエンジェルの妹,エアグルーヴの姉のセシルカットの孫に現3歳で重賞2勝,日曜のオークスに出走予定のアイムユアーズ。エアグルーヴ産駒にアドマイヤグルーヴ,フォゲッタブル,ルーラーシップですから,この分枝は現在でもかなりの活力を維持していて,さらに広がっていくことになるでしょう。
 シャダイフェザーの妹にヨドセローナがいて,こちらの分枝もそれなりに広がっています。2002年にマイルチャンピオンシップを勝ったトウカイポイントは,ヨドセローナの曾孫。したがってパロクサイドを祖とする大レースの勝ち馬は,ルーラーシップで6頭目ということになります。

 それから2週間ほどが経過して1月17日の火曜日。この日はの磯子中央病院の内科の診察日でした。内科の場合は診察が午後で,火曜日は妹を作業所まで送っていかなければならない日ですが,それは問題ありません。この日は予約時間がきちんと設定されていまして午後2時。いつもより詳しい検査を実施するとのことで,昼食を抜いてくるように指示されていました。
 その検査の結果が出るまでに多少の時間を要したそうです。一般的にいえば,検査結果が出るのに普段よりも多くの時間が掛かるというのは,病院がよほど混雑している場合か,そうでなければ検査で何らかの異常が発見された場合です。この日の母の場合は後者。検査でレントゲン撮影を行ったのか,MRIだったのか,あるいはCTだったのかは僕には分からないのですが,肝臓に水嚢と呼ばれる水の溜まった袋のようなものがあるのが発見されたとのことです。ただし,これはただこうしたものが発見されたというだけのことであって,それが何か重大な問題であるというわけではなかったらしく,とくに何か治療を施さなければならないという性質のものではないとのこと。ということで,そうしたものがあるということが分かっただけで,そのまま放置するということになったそうです。
 一方,血液検査の方ですが,GOTはこの日も標準値よりも高い数値が示されていました。ただ,それ以前と比べてみた場合には改善されていましたので,こちらも特段の処置はされませんでした。肝機能の問題は,母が処方されていた血圧降下剤と関係していたのではないかと思われていたわけですが,この時点では降圧剤の中止という処置が継続されていたわけです。つまりこれ以上,肝機能が悪化すると考えられる要素はありませんでしたし,また,異常であるとはいっても,数値だけでみてみれば改善傾向にあったわけですので,この処置は妥当なものであったのではないかと思います。
 こういった事情から帰宅はいつもよりは遅くなり,おそらく午後4時を回っていたのではないかと思います。ただ,この日は当初から夕食を作る予定であったようで,母が作ったものを食べています。
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東京スポーツ賞川崎マイラーズ&糖尿病共生記④

2012-05-16 20:43:39 | 地方競馬
 南関東のマイル路線のプロローグとなる第4回川崎マイラーズ
                         
 内から押していったのがドリームライナー。ネイキッド,ルクレルク,マグニフィカ,ディアーウィッシュまではほぼ横並びで正面の直線を通過。1コーナーで大外のディアーウィッシュが前に出て,この馬の逃げに。向正面に入って後ろは内にドリームライナーで外がマグニフィカ。その後ろに内から進出してきたシーズザゴールドが外のルクレルクと並び,カキツバタロイヤルとファイナルスコア-がその後ろという隊列に。前半の800mは48秒8ですからハイペース。
 ディアーウィッシュが先頭のまま直線に入り,ついていった馬たちは一杯に。あとは差し馬が台頭し,カキツバタロイヤルが直線ではディアーウィッシュの外に出すとあっさりと捕えて優勝。交わされた後,ディアーウィッシュは止まってしまい,最内をよく伸びたファイナルスコア-が2着,控えてまた伸びてきたドリームライナーが3着。
 優勝したカキツバタロイヤルは昨年のサンタアニタトロフィー以来となる南関東重賞3勝目。重賞でも2回の入着があるくらいで,おそらくここでは力量は最上位と思われ,その意味では順当な勝利。休養明けでしたが体調も整っていたようです。もっと長い距離でも走っていますが,この距離が最も向くのではないかと思いますので,これから夏に向けて,大いに活躍できるのではないでしょうか。父は重賞2勝のロイヤルタッチ
 騎乗した船橋の石崎駿騎手は正月のオールスターカップ以来の南関東重賞制覇。管理している船橋の函館一昭調教師と共に川崎マイラーズ初勝利。

 今回からしばらくは,糖尿病との共生記の第4回目です。前回の最終エントリーは今年に入ってからでしたが,きりのいいところということで,昨年末までの記述で終えました。したがって今回は今年に入り,今後のエントリーの推移との関係もありますが,およそ半年間の出来事について綴っていくということになるかと思います。
 年末年始は妹の作業所も休みでしたので,正月はずっと家にいました。いわゆる仕事始めは1月4日の水曜日。ただ,この日はみなと赤十字病院での歯科の予約が入っていました。これが午後3時から。水曜は作業所は午後3時までなのですが,それでは間に合いませんから,初日から早退ということになったわけです。もっともこれは僕が連れていったというわけではなく,が行きました。病院の目の前まで行くバスについては後で詳しく説明しますが変更があり,このために定時に到着するのにはやや不便になってしまったのですが,この日はその目の前まで行くバスに乗ることを選択し,それに間に合うように作業所まで妹を迎えに行ったようです。そして目論見通りにそのバスに乗ることができましたが,午後2時半頃には病院に到着したとのこと。まあ,早く到着する分には待っていればよいのですから,さほど問題とはなりません。ただ,この日は予約していた午後3時を待たずに,診察を受けることができたそうです。
 相変わらず妹は歯の痛みを訴えることはあるのですが,かといってそれで日々の生活に支障を来しているというほどではありません。ということでこの日もそれに関する治療というのは一切なし。歯垢を除去して診察は終了。ふたりが家に戻ったのが午後4時過ぎでしたので,午後3時の予約として考えれば,非常に早く帰宅できたということになります。ただ,普通であればこんな時間に帰ってくるということはもちろんできないわけで,この日は母は最初から夕食の支度をするつもりがなかったらしく,その用意がしてありませんでした。ということでこの日の夕食は出前の寿司になっています。中華の出前を頼むケースの方が多いのですが,その店は水曜日は定休日ですから,出前の選択としてはこの日は寿司しかありませんでした。
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マイナビ女子オープン&第二部定理九まとめ④

2012-05-15 18:46:31 | 将棋
 上田初美女王が一気に防衛を決めるのか,それとも長谷川優貴女流二段の巻き返しがあるのか。第5期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 上田女王の先手で長谷川二段の角交換四間飛車。後手が穴熊に組んだのに対し,先手はバランスを重視しながら徐々に玉を堅くしていくやや老獪な指し方をみせました。最後は差がついていたと思うのですが,どこでそうなったのか,僕にはよく分からない将棋です。
                         
 ここで後手は△3ニ飛と寄りました。この飛車を馬と交換する狙い。▲5六馬と拒絶。△3五飛と走りました。だまって成られてはいけませんから▲3六歩。△5五飛とあくまでも当初の狙いを決行しようとしたのに対して▲6六馬とまた拒否。△5三角と逃げつつ飛車に当て,▲2九飛と一番下まで逃げました。このままだと▲5六歩で飛車を捕獲されるので△3三桂と打ったのですが,この手はいかにも苦しげです。先手の方から▲5五馬△同歩と交換してしまい,▲5一飛と打ち込みました。
                         
 おそらくここでもう先手が優位に立っているのではないかと思います。この後,攻め合うような形にはなったのですが,先手が丁寧に応接。駒を蓄えて反撃に転じ,即詰みに仕留めました。
 上田女王が3連勝で防衛。勢いがあった挑戦者がどれくらいやるのか注目していましたが,結果的には力の差を見せつけるような形に終りました。

 これで『エチカ』における認識論を考えるための土台が出揃いました。いよいよ考察も大詰めです。そしてその最大の特徴といえるのは,人間の精神による事物の認識には,精神そのものによる介在がないという点です。
 僕はスピノザのこうした考え方は,『エチカ』以前から一貫していたと思っています。『短論文』における「認識は純粋な受動である」という主張も,識者によっては異なった解釈もあるでしょうが,僕はこの路線のうちでの主張であると理解しています。また『知性改善論』においては,人間の精神が霊的な自動機械であると述べられていますが,この考え方は『エチカ』の認識論と完全に一致しているといってよいと思います。
 こうした認識論がもたらす結果として最大のものは,主体の排除ということです。すなわち,あくまでも一般的な意味で理解するならば,スピノザは人間の精神が事物を主体的に認識するということを,あるいは人間の精神が主体として事物を認識し得るということを,はっきりと否定しているといえます。それどころか認識という営みは,それを認識する知性のうちで,その知性を構成する観念自身が,いわば主体的に展開していくような作用なのです。もちろんそれは主体的にといっても,自然の法則に従った機械的なものではあるのですが,一般的には客体と思われているような観念の方が自動的に展開していき,精神ないしは知性の方はただその展開を認識する,あるいは意識するというのが精神による事物の認識の構造となっているのですから,スピノザの認識論においては,単に主体の排除が示されているというよりも,一種の主客転倒が行われているといっても過言ではないと思います。そしてそのゆえに,僕は人間の精神が事物を認識するという場合に,それがその精神のうちで自己完結している作用であるのかあるいはそうではないのかということは,スピノザの認識論においては,さほど重要ではなく,むしろその認識が十全な認識であるのか混乱した認識であるのかということの方が,大きな意味をもち得るであろうと考えるのです。
 第二部定理九はこれで終了とします。糖尿病共生記を挟み,新たなテーマについて考えることにします。
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