スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&便秘

2010-08-30 22:21:51 | 将棋
 先勝した羽生善治名人が久保利明二冠が待つ大阪に向かって指された第23期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
 羽生名人の先手ですから久保二冠のごきげん中飛車は予想通り。最近よく指されている①Aの類型から先手が早めに銀を繰り出していく将棋になりました。
                         
 ここで先手は☗7七金。左辺を押さえにいく力強い手。後手が☖2七角と打ったのに対して☗8六金と飛車を取りにいき,☖9四飛にも初志貫徹で☗9六歩。☖4九角成に☗7五銀とぶつけ☖同銀☗同金(第2図)。
                         
 先手は5筋の歩が切れているので底歩を打つ含みがあり,後手は☗9五歩からただ飛車を取られてはアウトなので忙しい。なのでここは先手がいいのではないかと思っていたのですが,ここで☖7四歩と打ち,☗9五歩に☖同飛と取ってしまう手がありました。☗同香☖5八馬☗同金☖7五歩に☗6八王と早逃げしなければいけないのではまだまだ難しそうにも感じられます。しかし☖9六飛と打って☗6六歩に☖9八飛成と王手し,☗7八銀と受けられた局面で後手から思わしい手がなかったよう。以下,後手は粘るだけのような展開となってしまい,ほぼ一方的といえるような内容で先手が勝っています。
 羽生名人が連勝で挑戦権獲得渡辺明竜王との七番勝負は10月14日に開幕します。

 今になって思えばということになりますが,この頃の夕食の時間がだんだんと遅くにずれていったのは,父の身体の状態がすぐれなかったからだろうと思うのです。しかし当時の僕は,このことについて,あまり,というかまったくといっていいほどに心配はしていませんでした。ただ,これにはれっきとした理由もありました。
 通常の場合,夕食の時間になってもそれを食べずに自室で横になっていたといえば,このこと自体が体調の不良を示すのかもしれません。しかし,父の部屋というのは,万年床のように始終蒲団が敷いてありまして,とくに体調の良否とは関係なく,普段から父は部屋では横になっていたのです。したがってこの状況は,たとえば僕が一昨年の暮れにほとんど寝たきりの状態になったというのとははっきりと意味が違ったのです。父は部屋ではテレビを視たり,たとえば鬼平犯科帳のような時代小説を読んだり,あるいは数独などのパズルをやったりしていることがほとんどでしたが,この場合にもそれはすべて横になってやっていました。この時期も横になっていたとはいえ,眠っていたというわけではなく,そうしたことをやっていましたし,何より,ボランティアの送迎などで出掛けなければならないときにはきちんとこなしていましたから,僕としても心配するような状況とはとても思えなかったのです。
 ただし,体調の不良に関して,父が何も口にしていなかったというわけではありません。夕食の時間が遅れていったことについては,腹が張って食べること自体が億劫だというような意味合いのことは言っていたのです。そしてその原因が,便秘にあるということも漏らしていました。つまり,大便が出ないので,腹が張り,そのために食事ができないというのです。このために父は下剤を買ってきてそれを服用していましたし,ときに浣腸も使っていたようです。
 しかし,便秘で腹が張って食べられないのであれば,それは夕食だけには限らない筈です。ところが朝食や昼食というのは,こちらも確かにそれまでより時間が遅くなっていたように,また,今から考えれば量も減っていたようには思いますがきちんと食べていましたし,夕食も時間が遅くなっていたとはいうものの食べられなかったというわけではありません。たぶん父も,便秘さえ解消したならば,元のような生活に戻ると思っていたでしょうし,それは僕も同じでした。僕もまったく心配していませんでしたが,父自身もそうではなかったのかと思うのです。
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ダイタクヘリオス&夕食

2010-08-28 18:57:42 | 名馬
 黒潮盃を勝ったツルオカオウジは,父のメイセイオペラだけでなく,ブルードメアサイアーといわれる母の父も日本で活躍した名馬で,ダイタクヘリオスです。
 初勝利は3戦目。5戦目で2勝目を上げ,10戦目のクリスタルカップで重賞初制覇。さらに翌年のマイラーズカップ,当時は現在の金鯱賞のような位置づけだった高松宮記念を勝ち,マイルチャンピオンシップで大レース制覇を達成しました。
 5歳初戦のマイラーズカップで連覇達成。しかしこの年の春シーズンはそれ以上の勝利は上げられませんでした。
 秋は毎日王冠から復帰。これを前年のマイラーズカップに続くレコードで勝って天皇賞に進むもこれは8着。しかしマイルチャンピオンシップではシンコウラブリイを2着に退け連覇で大レース2勝目。この後,スプリンターズステークスから有馬記念という常識外れの連闘に出ましたが,両レースとも破れています。
 最初の重賞勝ちがクリスタルカップだったので,どちらかといえば短距離馬寄りのレース選択だったのですが,僕の印象ではむしろマイルから中距離で力を発揮するタイプ。先行策,できれば逃げたいという馬でしたので,展開面から安定した結果は残せなかったのですが,たぶん一般にそう思われているよりかなり強い馬だったと個人的には思っています。
 2000年のスプリンターズステークスを逃げ切って大穴をあけ,その年のJRA賞最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬に選出されたダイタクヤマトはダイタクヘリオス産駒。ただし重賞を勝った産駒はこのダイタクヤマト1頭です。

 母と妹の渡米中は,普段はほとんど母がしている夕食の支度も自分でするということになります。この場合,僕は僕で,父は父で夕食をそれぞれ用意するというのがパターン。ふたりの渡米は前にもいいましたように,年中行事のようなものになっていましたので,このパターンは自然のうちに形成されていきました。僕は時間的な余裕があればご飯を炊いたりすることもありますが,父は弁当などを買ってきますので,僕が炊いたご飯を食べるということは,まったくということはありませんが,ほとんどありませんで,母と妹のおよそ2週間程度の不在中に1度あるかないかといった程度でした。
 僕はインスリン注射する関係がありますから,とくに糖尿病を発症してからは,よほどの事情がない限り,きまった時間に夕食を摂取するように心がけています。それが普段の家での夕食の時間ということになり,もちろん父も家にいる場合には,その時間に家族と一緒に夕食を摂っていました。これは僕の糖尿病発症以前,というか父がまだ勤務していた頃からの我が家の習慣です。したがって,夕食をそれぞれ別に用意したとしても,時間帯は重なりますから,一緒に食事をするということになるのが普通です。事実,前回までの母と妹の渡米のときには,ほとんどがこのパターンでした。
 ところが,今回だけは少し事情が異なったのです。
 我が家は2階建てですが,おそらく多くの場合がそうであるように,台所は1階にあります。その関係から食事というのは1階で食べることになります。一方,それぞれの部屋は2階にありまして,寝るときは2階です。父の母,僕の祖母は死ぬまで家では1階で寝ていましたし,現在同居中の母の母の方も,こちらは現実的に2階に上がるのは無理ですから,家にいるときはやはり1階で寝ていますが,僕と両親,そして妹は2階で寝ることになります。そしてこの間,父は普段の食事の時間になっても2階の自分の布団で横になっていることが多く,夕食を摂るのが1時間とか2時間,遅くなっていきはじめました。
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王位戦&父の趣味

2010-08-26 19:23:54 | 将棋
 千日手となった昨日の第51期王位戦七番勝負第五局の指し直し局。
 先後は入れ替わって深浦康市王位の先手。広瀬章人六段は四間飛車。穴熊のつもりだったと思うのですが,先手の動きの関係で美濃囲い。先手は米長玉という戦型になりました。
                         
 こう歩を打たれて後手が困ったように思えるのですが,ここから△5六歩▲4八銀に△4五桂とただのところに跳ねました。先手としても角を取りたいところですが,△5七歩成から殺到されるので▲同歩。よって△3三角と生還。先手は飛車先に歩を打ってしまった格好で,桂馬1枚との交換ではもしかすると割に合わないかもしれません。将棋ペンクラブブログに書かれているように,振飛車の手本になるような捌きだったと思います。以下,▲1一と△6五歩▲3五角と進んだのが第2図。
                         
 ここから後手は△9六歩▲同歩△9七歩▲同銀として△9六香と走っていきました。終局直後の談話ですと駒損もあって少し苦戦と思われての指し方だったようですが何にしても凄い勝負手。先手も▲同銀とは取れずに▲7七歩と辛抱。結果的に後手は端を食い破ることに成功。ただし香車がいなくなったので後に▲9四桂が生じました。対して玉を下に逃げたのが第3図。
                         
 ここから▲6九香△6五香▲9九玉△6九香成と進んだのですが,これは僕には少し先手が損をしたように感じられます。まだ先手にもチャンスは残されていたかもしれませんが,将棋は端玉をうまく寄せる形となった後手が勝ちました。投了図の捨て駒も見事な詰み筋です。
 広瀬六段が初のタイトルに王手を掛けました。第六局は来月の1日と2日。深浦王位の先手です。

 それ以外には,もちろんこれも定年退職してからですが,市や県の広報などを近隣の住宅に配布するという仕事もしていました。毎月,きまった時期にその月のうちに配布するものが家に送られてきて,それを配るというもの。そのままでは配れませんから,これを1枚1枚折っていくわけですが,これが意外に大仕事。さらに,配布するものは1枚ずつではありませんから,折った後にはそのセットも作らなければスムーズに配るということができません。近隣ですから距離はさほどありませんが,紙というのは束になると存外に重量があるもので,1度にすべてを配布するということはできず,結局のところ月のうちトータルで1週間ほどはこの仕事のために時間を費やしていたように思います。僕も配布は手伝ったことはありませんが,折るのは何度か手伝いました。
 そのときに父がしていた仕事はこれだけ。ただ,僕の競馬キャリアについて説明したときに少し触れましたが,僕の父もまた僕と同様に競馬ファンでした。したがって週末は,退職後もこれもボランティアとなりますが,知り合いの先生がいる中学校のバドミントンのコーチは続けていましたので,そうした用事で出掛けるという場合以外は,WINS横浜に馬券を買いに行っていました。たまに一緒に行くことはありましたが,これは行くだけで,父の場合は近くのすし屋で1日を過ごすということが大半。たまに大きく儲かったときなどは,お土産ににぎりやちらしなどの寿司を持ち帰り,それが家族の夕食になるということもありました。そして退職後は,平日にも時間の余裕ができますので,南関東の競馬を買いに行くこともありました。この場合は自宅からは最も近くの川崎競馬場に行くということになります。川崎まで行けば,競馬を開催しているのが大井であろうと船橋であろうと浦和であろうと馬券は買えるからです。なお,僕もそうですが父も免許は持っていませんでしたので,移動は電車またはバスということになります。
 実は僕は将棋も父から教わりました。ただ父は,たとえば何らかの事情で家にいるときに,NHK杯の放映を視るというようなことはありましたが,僕のように公開対局や大盤解説会に行ってみるとか,あるいは将棋まつりに出掛けるとか,そういうことはありませんでした。
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王位戦&父

2010-08-25 19:55:38 | 将棋
 互いに先手で2勝ずつ。タイトルの行方を考えれば大きな一番となった第51期王位戦七番勝負第五局。
 先手は広瀬章人六段四間飛車穴熊。深浦康市王位が☖5三銀と上がらずに居飛車穴熊に組もうとしたのでそれは許さずと先手が銀を繰り出し,早い段階から戦いとなりました。
                         
 ☖7九角に☗6七飛と逃げたところ。玉は先手の方がしっかりしていて後手の手番で駒得。均衡がとれているかもしれません。後手はここで☖7八銀と打ち☗6五飛と逃げて1日目が終了。封じ手はこれしかない☖5七角成。☗6三歩成☖4八金☗同金☖同馬☗6二と☖3八金☗3七銀打☖4七馬☗3九金☖3七金(第2図)と進みました。
                         
 この局面で遠山四段は先手持ちという見解。後手の攻めが続くかどうかが最大の焦点なので,先手が受けきれるというのがプロの感覚なのでしょう。7八に打った銀を働かせることができないのが後手の最大の難点と思われ,この局面が先手良しなら,そのあたりは問題であったものと推測されます。
 とはいえ僕のレベルでは後手もかなり食いついて,先手も受けきるのは大変なようには思えます。実戦の進行で先手が最善の対応をしたのかどうかも分かりませんが,第3図に。
                         
 この☗5三飛と打った手は妙手だそうです。☖9九飛成と香車を取った手に☗6一とと踏み込みました。そこで取った香車をすぐに☖2七香と打って用意の☗5九歩に☖9七龍はおそらく最善の順。一見するとこの形は受け難く,控室の評価は一気に後手勝勢に。この☗3七同銀の局面で☖4七龍と取るとか,実戦の☖4六銀☗3八金打に☖同馬と取るなど,後手としては変化の順はあって,本当はその評価通りに後手の勝ちだった可能性はあります。しかし実戦は千日手に。後手が寄せ損なったのだとすれば,先手は命拾いの一局ということになるでしょう。
 指し直し局についてはまた明日。

 問題となるのは昨年と同様に渡米した母と妹のことではなく,僕と共に留守番をした父についてです。ここからは父についての記述が多くなりますので,前もって,そのために必要なことだけを説明しておくことにします。
 父は1944年の9月産まれ。したがってこの時点では65歳ということになります。父は8人きょうだいの末っ子。つまり7人の兄姉がいるということになりますが,上から5人が姉で,その後のふたりが兄。父の両親,つまり僕からみれば祖父と祖母ということになりますが,祖父というのは僕が産まれる前,というよりも僕の父が母と知り合う前に死んでいますので,僕は会ったことがありませんし,当然ながら母も会ったことはありません。一方,祖母の方は今から18年前の1992年の10月に死んでいます。父は末子相続という形で家を継ぎましたので,この祖母は僕が産まれたときからずっと同居していました。僕の生年月日は以前に書きましたが,22年弱,僕も一緒に暮らしたということになります。なお,祖母の死因は癌でした。
 きょうだいの方ですが,上からふたり,つまり僕からみますとふたりの伯母はすでに死んでいます。長女はもともと呼吸器系に疾患を抱えていまして,それが死因となりました。次女の方は直接的な死因とは異なりますが,その契機となったのはⅡ型糖尿病でした。なお,永久欠番で紹介した伯父というのは,長女の夫です。したがって今年の5月の時点で,父には,3人の実の姉と2人の実の兄がいたということになります。
 父は大学を卒業した後,中学校の教諭になりました。最終的に定年まで勤め,その後も4ヶ月ほど特例で勤務しています。僕が産まれたのは当然ながら父の就職後ですから,僕の人生のほとんどの間,父は中学校教師であったということになります。なお,中学校の教師は専属の教科がありますが,父の場合は数学。ただし,途中からは当時でいう特殊学級,現在でいうところの特別支援学級を担当しています。なお,こうした縁もありまして,退職後は,施設に通う障害者の送迎のボランティアなどをしていました。また,中学では部活動がありますが,父はどの学校に転勤しても一貫してバドミントン部の顧問をしていました。父の友人というのは,職場の同僚よりも,他校のバドミントン部の顧問の先生というのが多かったように思います。
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小田原記念&確認

2010-08-24 18:52:47 | 競輪
 真夏恒例の小田原記念の決勝(動画)。並びは海老根-新田の南関東,永井に小倉-吉永の四国中国,豊岡-坂本-松岡-田中で折り合った九州。
 やや牽制となりましたが海老根がSを取って前受け。3番手に永井,6番手から豊岡という周回は予想通りではないでしょうか。残り3周から豊岡が上昇,これに合わせて永井も出て,豊岡が何とか叩こうとしましたが永井が出させず,打鐘で豊岡は一杯となり永井の先行に。坂本は無理に豊岡を追わずに4番手を確保。残り1周過ぎから発進。さすがに先行争いを繰り広げた永井にこれに抵抗する余裕はなく,すんなりと九州勢が出切りました。結局,それほど差を詰めさせずに坂本が優勝。続いた松岡が2着で田中が3着と九州の上位独占。
 優勝した福岡の坂本亮馬選手は先月の川崎記念に続く記念競輪5勝目。ここは欠場選手が出たための追加参戦でしたが,見事に1年弱の間に神奈川4競輪場の記念競輪全制覇という快挙を成し遂げました。花月園はすでに廃止となっていますので,メモリアルは行われるものの,純粋な意味でこの記録はもう達成されることはありません。豊岡を追っていれば海老根の捲り頃となっていた筈で,先行争いの様子を窺ったあたりが実は勝利の最大のポイントだったのではないかと思います。

 24日の通院はこれで終了。そして28日にI歯科へ行きました。これはブリッジの確認のため。このときはまだ嵌めてから1週間ですから,違和感というのは正直にいってあったわけですが,痛いというわけではありませんでしたし,違和感自体の方も我慢できないとか,あるいは日常生活に支障を来すとかそういったレベルのものではありませんでしたから,僕の方からはとくに何も注文はつけませんでした。I先生の方も嵌めたブリッジ自体にはとくに問題がないということで,それ以上の治療は何もしませんでしたので,この日は本当に確認だけで終りました。
 これで僕にとっての懸案であったの治療はすべて終了。ただやはり歯は定期的に検診した方がよいということで,3ヶ月か4ヶ月ほどしたらまた訪れるように言われました。I歯科では診察券が予約票を兼ねています。つまり表が診察券で,裏に予約の日時が書き込まれるようになっています。そこには,特定の日時は書いてありませんが,8月から9月頃と書き込まれています。まだ行っていませんが,近いうちに行ってみるつもりでいます。
 糖尿病共生記という内容から,時系列でいうと,次は先月の通院についてということになるのですが,この間の事柄について,僕の糖尿病そのものとは大きく離れてしまうのですが,糖尿病患者の日常という観点からは,絶対に外すことができないことがひとつあります。そこで今度はそれについても書いていくために,少し時間を戻すことにします。
 昨年,僕がみなと赤十字病院の耳鼻咽喉科に通い,エコー検査をはじめとする諸々の検査を受けていた時期,母と妹は伯母のところへ渡米していました。実は今年もこれがありまして,昨年より早い4月。具体的に日時を示しておきますと,4月12日に渡米し,28日に帰国しています。
 僕と一緒に住んでいるのは,両親と妹,そして母の母,つまり祖母の5人。このうち祖母は要介護4で,月によってまちまちではありますが,少なくても10日,多ければ20日ほどはショートステイでホームに入っています。母と妹が渡米したのはその期間でしたので,家では僕と父のふたりが留守番をしていたということになります。
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メイセイオペラ&糖定性と尿クレアチニン

2010-08-23 00:17:31 | 名馬
 17日の黒潮盃を勝ったツルオカオウジの父,メイセイオペラについて,もう少し詳しく紹介しておきましょう。母系祖先はエスサーディー
 2歳7月のデビュー戦を勝つもその後4連敗。しかし11月に2勝目を上げるとそこから9連勝。岩手の3歳トップに立ちました。その後も岩手の馬には負けませんでしたが,重賞にはなかなか届かず,4歳7月のマーキュリーカップで重賞初制覇。そしてその年の南部杯でついに大レース制覇も達成しました。
 東京大賞典は2着でしたが,翌年,すなわち1991年1月31日のフェブラリーステークスを制覇。地方所属馬がJRAの大レースを勝ったのは現在まで,これが唯一です。この年は帝王賞も勝って大レース3勝目。
 この年の秋,地元戦を連勝して挑んだ東京大賞典で11着と謎の大敗。しかし当然ながらこの年のNAR賞年度代表馬には選出されました。
 翌年も現役続行。連覇を目指したフェブラリーステークスはウイングアローの4着に負けましたが,内容は悪くなく,復活もあるかと思わせました。しかしこの年は地元戦の2勝だけ。やはり連覇を目指した帝王賞も14着という大敗で,それ以上は重賞勝ちを積み上げることなく引退となっています。
 トーホウエンペラーもそうですが,やはりこういう馬は有力な繁殖牝馬を集めるのは難しい面があります。そういう意味ではツルオカオウジのような活躍馬が輩出したのは喜ばしいことだと思います。

 オーダーされた検査の結果について逐一記していてはきりがありませんから,ここでは僕が特記しておくべきとだろうと思うことについてのみ書いておくことにします。
 まずひとつは糖定性で,これが1+という結果でした。糖定性というのは決まった基準というものがあるわけではないようですが,この結果からはこの時点でも尿糖が出ていたということではないかと思います。この日も前日に体重の計測を自宅でやっていまして,それは49㎏。したがって前回のときよりは増えていたのですが,それでも尿糖は出ていたということになります。逆にいいますと,その前回の検査の結果は僕は把握していませんが,たぶんもっと高い数値であったのだろうと推測できます。
 もうひとつが尿クレアチニンの検査。実は尿クレアチニンというのは,体格によって左右されます。したがって正常とされる範囲の幅は広く,尿1㎗中に,10㎎から300㎎というのが,僕がもらった検査詳細情報に示されている正常値。体格によって左右されるというのは,基本的に筋肉質であればあるほどその値が高くなってくるということなので,僕のようにやせ型の人間ですと当然ながら値は低くなります。低くなるのですが,この日の結果は10㎎/㎗でしたので,下限値ぎりぎりでした。もちろん正常値の範囲内ですし,基本的に糖尿病患者の尿クレアチニン検査は,合併症のひとつである腎症との関連からオーダーされているものでしょうから,低いにこしたことはないのかもしれません。ただ,人間の身体の筋肉の量というのは,当然ながらその人間の体重に大きく関係してくるわけで,前述したように尿糖の有無と体重の増減との間には大きな関係があるようですから,この観点からいえば,この下限値ぎりぎりというのは,問題がまったくないとはいいきれないのではないかという気もします。ただ,これに関しては僕の素人考えという部分もあり,М先生からこのことに関して何か言われたということは,この日も含めてただの1度もありませんから,あまり鵜呑みにはなさらないようにしてください。
 この日のほかの検査結果でとくに僕の気になったところはありませんでした。
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富山記念&オーダー

2010-08-21 17:27:32 | 競輪
 今年の競輪のお盆の開催は富山記念。決勝(動画)は16日でした。
 並びは渡辺-藤田-村本の東日本,山田-山内-萩原の中部,市田-三谷の近畿で,田中は単騎。
 村本がSを取って渡辺の前受け。山田が4番手,市田が7番手,田中が最後尾という周回。市田は残り3周のホームから徐々に上昇。バックでは渡辺と並走もホームで渡辺が引いて市田が前に。田中も追走しさらに山田も田中の後ろに入って渡辺は7番手。ピッチを緩めていた市田が打鐘からスピードを上げていくと,開いたインを田中が突いて単騎ながら先行。やや離れたものの市田が番手。バックから山田が発進すると,これを市田がうまく牽制して,そのまま踏み込み,直線では粘る田中を交わして優勝。田中が2着で,バックは最後尾だったもののコーナーで内を追い上げた村本が3着。
 優勝した福井の市田佳寿浩選手は先月の寛仁親王牌を優勝して競輪グランプリの出走権を手に入れているように近況は好調。田中の先行が頭に入っていたかは分かりませんが,成り行き先行も恐れずに前にいったのが結果に結びつきました。逆にいうとこのように前に前にと攻めていけることが,競輪選手の好調の証であるようにも思います。記念競輪は2月の奈良記念以来となる11勝目。
 単騎ながら先行した田中もいいレースをしたと思います。逆に先行1車のようなレースだった渡辺は少し積極性が欠けていたかもしれません。

 この5月24日の通院日には,それまでとはひとつ,違ったことがありました。М先生による診察というのは,これは昨年4月の主治医の交代前のG先生の頃からずっとそうでしたが,ただ話だけをして,それで終りでした。しかしこの日はそれとは別に,プリントアウトされた1枚の紙が僕に手渡されたのです。それは,検査詳細情報というものでした。前にもいったように,僕はここでの検査では,結果はおろか,具体的にどのような内容の検査がオーダーされているのかということすらそれまでは詳細には知らなかったのですが,この紙をもらったので,すべての検査内容と,その結果が分かるようになったのです。もしかしたらこの日は気紛れでくれたのかもしれないとも思いましたが,7月26日にももらえましたので,今後はずっともらえるのではないかと思っています。
 ここではオーダーされている検査の内容を明らかにしておきます。
 まず血液検査。最初がGOTとGPT。これはそれぞれAST,ALTといわれることもあって,肝機能の検査。肝細胞に損傷があると値が高くなるようです。各々に基準値というのがありますが,このふたつはセットで,それぞれのバランスも重要とのこと。そしてヘモグロビンA1cと血糖値。検査項目から僕が類推する限り,採血で調べているのはこれだけだと思います。
 続いて尿検査。まず尿定性という項目がありますが,これは結果が示されていません。それから尿の比重とペーハー。蛋定性というのがありますが,これは尿蛋白が出ているかどうかの検査と思います。蛋白が出るのは糖尿病性腎症で,これが出始めると食餌療法の内容が変化します。潜血の有無も腎症の検査と関連しているといえるでしょう。クレアチニンというのも腎症の検査です。それからWBCというのがありまして,これは白血球の検査で,これも腎症関連と思いますが,尿道炎や膀胱炎,また尿路結石などもこれで分かるみたいです。糖定性は尿糖の検査。そしてウロビリとビリルビン。これらは基本的に肝機能の検査と考えていいと思います。それからケトン体。これは簡単にいうと,十分に栄養を摂取しているかどうかの検査。続いて亜硝酸塩。これは細菌感染の有無を調べるもの。このほかに,P/C比という,蛋白とクレアチニンの比率を調べるものと,混濁の有無を調べる検査が入っています。
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スパーキングサマーカップ&微調整

2010-08-20 20:39:57 | 地方競馬
 名古屋と笠松から1頭ずつが遠征してきた第7回スパーキングサマーカップ
                        
 何発か鞭を入れてキングスゾーンの逃げ。サプライズゲスト,ディアーウィッシュと,並びは早々に確定しました。前半の800mは49秒3でハイペース。
 向正面からは前の2頭がほぼ並ぶような態勢。3コーナーを過ぎるとサプライズゲストが先頭に立ち,ディアーウィッシュもマークするように上昇してきて後ろに差をつけました。マッチレースとなるのかと思いましたが,直線の半ばでサプライズゲストは力尽き,抜け出したディアーウィッシュが快勝。ベルモントプロテアとライジングウェーブの2頭が並んで外を追い込み,2着は接戦となりましたがベルモントプロテアが2着となり,サプライズゲストは3着。
 優勝したディアーウィッシュは前々走のグランドマイラーズ以来の南関東重賞2勝目。今日もかなり強い勝ちぶりで,このメンバーでは力が抜けていたようです。脚質的にも能力を出せずに終わることは考えにくく,メンバー次第ということにはなりますが,今後も南関東重賞を勝っていくものと思います。父はクロフネ
 騎乗した川崎の今野忠成騎手はグランドマイラーズ以来の南関東重賞制覇でスパーキングサマーカップは初制覇。管理しているのは船橋の出川克己調教師で,一昨年以来となるこのレース2勝目です。

 検査の結果は僕の予想通り。この日のヘモグロビンA1cの値は7.0%でした。これでも十分な値であるとはいえませんが,一時の状態は完全に脱したということになります。もっとも,日々の血糖値測定の結果は,もちろん高いときもあるにはありましたが,明らかに以前の水準よりもずっと安定していましたから,こうした結果が出るということは当然といえば当然であったかもしれません。そしてこのことからも,4月のこの数値が3月よりさらに悪化していたのは,3月以前の状態が反映されたからであろうという僕の推測は,正しかったのではないかと思います。
 М先生は,低血糖の症状が出ることがあるかどうかを尋ねました。とくにひどい症状が出たのは前述した1度きりではありましたが,確かにこの頃は,自分自身で感じる症状,これは主に昼食と夕食との間ということになりますが,その回数というのもそれまでよりは多かったですので,僕は少しあったと答えました。するとМ先生の方から,夜中に目が覚めるということはなかったかという主旨の質問がありましたので,僕はそのときの状況に関して詳しく話しました。それでМ先生は,そうしたことがあったのなら,注射するインスリンの量に関して,微調整しておいた方がいいと言いまして,持続効果型であるランタスの量を,この日の夕食前からは0.01mlだけ減らして,0.07mlにするように指示しました。したがってランタスの注射量というのは,3月の通院前までが0.04ml,そこから4月の通院の日までが0.06ml,さらにこの通院日の前日までが0.08ml,そしてこの日の夜からが0.07mlと,ほぼ一月の間隔で目まぐるしく変わっていったということになります。計測している血糖値もそうですが,何よりヘモグロビンA1cの値がはっきりと改善しましたから,次はそれ以前と同様に,2ヶ月の間隔でよいだろうということになり,7月26日が通院日として設定されました。この日のことに関してはまた後で詳しく説明するということになりますが,注射するインスリンの量に関しては変更はありませんでしたので,現在も夕食前に注射するランタスの量は0.07mlです。
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クラスターカップ&ブリッジ

2010-08-19 16:51:43 | 地方競馬
 ミリオンディスクとサマーウインド。2頭の一騎打ちという前評判だった16日の第15回クラスターカップ
 ダッシュよくサマーウインドの逃げ。ミリオンディスクが2番手でマークし,3番手にはメイショウバトラー。前半の600mは34秒2のミドルペース。
 4コーナーを回って直線に入るところでサマーウインドが少し外に出てきたので,開いたインを突いたメイショウバトラーが一旦は先頭に。しかし直線に入るとまたサマーウインドが抜き返し,夏の風という名前そのままに後ろを寄せ付けずレコードタイムで快勝。この影響でさらに外を回ることになったミリオンディスクでしたが2着は確保。3着にメイショウバトラーという堅い決着。
 優勝したサマーウインドはJRAデビューも2戦して勝てずに北海道に転入。連勝でJRAに戻るとその後は6戦4勝2着2回という好成績で重賞初制覇。どちらかといえば底力より軽快なスピードを武器とする馬で,レコードが出るような馬場状態は向いていたものと思います。出走できるかどうかは分かりませんが,今年のJBCスプリントの最有力候補ではないでしょうか。父はタイキシャトル,母はスワンステークスと京王杯スプリングカップを勝ったシンウインド
                         
 鞍上は藤岡佑介騎手で管理しているのは庄野靖志調教師。クラスターカップは共に初制覇です。

 5月21日も予約時間は午前の11時でしたから,その時間にI歯科に赴きますと,すでにブリッジは完成していました。あとはこれを該当する部分に装着するだけです。装着自体にはそうは時間はかかりませんが,やはり最終的な仕上げというものが必要ですから,この日も合計で40分近くは治療の時間がありました。
 そのブリッジですが,やはり入れた当初はかなりの違和感,具体的にいえば舌が何かに当たるような感触がありました。これはそれまでにはなかったものが口の中に入った,しかもブリッジの場合は義歯とは異なり,外すということができませんので,それこそ眠っているときも含めて四六時中入っているということになりますから,この違和感は当然といえば当然のことでしょう。ただ,現在はこれを入れてから3ヶ月ほどが経過しているわけですが,当初にあった違和感というのはまったくありません。つまりこの違和感は時間の経過が解決してくれたということになります。
 これで僕のI歯科での治療というのはすべてが終了ということになりました。ただ,装着したブリッジに関しては,使い勝手なども含めて1度だけ最終的なチェックをしたいからということで,もう1度だけ,翌週の金曜に予約が入りました。もしもひどい問題が生じるようであれば,そのときに手直しをするということ。この時点では僕にもまだ違和感というものがありましたから,この予約はこちらとしても都合がよいというかありがたいものでした。
 このブリッジが入ったのが5月21日の金曜日。したがってチェックの期日である翌週の金曜というのは28日ということになります。みなと赤十字病院での総合内科の通院は翌週の月曜,つまりは24日でしたから,こちらの方が先になります。ここは再び時系列に沿って,そちらの内容を先に記しておくことにしましょう。
 前回の4月の通院のとき,さらにヘモグロビンA1cの値がさらに悪化しているという,僕にとっての意外な結果が出たのは,おそらく3月から4月の間よりも以前の,とくに朝の血糖値が高騰していた時期のことが反映されたからだろうと僕は考えていました。それで持続効果型のインスリンを増量するというさらなる処置がとられましたから,さすがに今回は改善されているだろうと僕は思っていました。
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サマーチャンピオン&型

2010-08-18 19:02:35 | 地方競馬
 実績断然のスーニに迫れる馬がいるかどうかが焦点となったサマーチャンピオン(動画)。
 発走後の直線で一旦はユニティが先頭に立ちましたが,最初のコーナーでセレスハントがこれを交わし,さらに向正面に入ると内にもぐりこんだダイショウジェットがさらに交わしての逃げ。注目のスーニはマンオブパーサーと並ぶようにこれらを見ながらの追走。最初の600mは37秒3と,入れ替わり立ち替わりだったわりには考えられないくらいのスローペース。
 3コーナーを過ぎるとセレスハントが再びダイショウジェットを交わして先頭。マンオブパーサーとスーニが並ぶように外を追い上げましたが,スローで楽をしていた前の2頭はまだ楽。結局,セレスハントが3馬身差で優勝。ダイショウジェットも2着に粘り,地元のマンオブパーサーが3着。スーニは4着まで。
 優勝したセレスハントは前走のオープンから連勝で重賞初制覇。枠順,斤量,展開と終ってみればこの馬にすべてが向いた感じ。強敵が相手だと底をみせていた面もありますので,今後の活躍も相手次第ということになるかもしれません。
 鞍上は福永祐一騎手で管理しているのは松永幹夫調教師。揃ってサマーチャンピオンは初優勝です。
 スーニは59キロを背負ってスローペースを外から追い掛けるという苦しいレース。間隔が少し開いていたのも影響したかもしれません。

 みなと赤十字病院の総合内科の次の予約がゴールデンウィークという事情もあって5月24日になりましたので,ブリッジを装着するためのI歯科への通院の方が先になりました。それが5月14日の金曜日,午前11時からでした。
 I先生は僕の抜歯後の状態を診察して,これならもうブリッジを入れられる状態になっていると判断しました。ただ,もちろんこれはすぐに入れられるというものではありません。歯の形というのは人それぞれですから,義歯の場合でも同様ですが,ブリッジというのは既成品が用意されているわけではなく,完全なオーダーメイドだからです。そしてそのためには,その人に適合するようなブリッジというのを制作する必要があり,その準備として歯形を取らなければなりません。僕はもうブリッジを入れられる状態にまで歯茎が回復していたわけですから,この日はその歯形を取るというのが主要な治療でした。結構な時間がかかりまして,この日は1時間くらいはI歯科にいたのではないかと思います。
 実際にそのブリッジを入れるのは1週間後,21日の金曜日。14日は帰る前に,受付での支払い時に,次回は高額になるから用意してくるように注意を受けました。僕はブリッジを入れたことがありませんでしたから,いくらくらいなのかは分かりませんでしたので,具体的に金額を尋ねました。しかしその額は,想像していたほど高いものではありませんでした。その5月21日というのが,僕がI歯科での治療で支払った額としては当然ながら最も高くなったのですが,具体的に記しておけばそれは7520円でした。
 人は食事などでものを噛むときに左側の歯をよく使うという人と右側をよく使う人というのがいます。僕の場合は,今回の治療の中心となった左側の方をよく使うタイプ。この時期はなるべく右側で噛むように努力はしていましたが,いくらそのように意識してみたところで,長年にわたって習慣となっていたことがそう簡単に変えられる筈はありません。そういう意味ではわりに早い段階でブリッジを入れられることになったのは幸運でした。とくに左側を多く使えば,それだけそちらに負担がかかってしまうわけで,歯茎の方に何も問題が生じなかったのはよかったと思っています。
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黒潮盃&ひどい症状

2010-08-17 20:43:12 | 地方競馬
 岩手,笠松,兵庫,高知からそれぞれ1頭ずつが参戦してきた第44回黒潮盃
 ジーエスライカーの逃げは予想されたところ。セイントメモリーを挟んでツルオカオウジとハーミア。ドラゴンキラリとロックハンドスターは中団から。最初の800mは49秒6のミドルペース。
 レースを動かしにいったのはドラゴンキラリ。3コーナー手前あたりから外を回って上昇。ハーミアもこれに呼応。逃げたジーエスライカーも含めた3頭が並んで直線へ。この追い比べからはドラゴンキラリが抜け出したのですが,苦しい内目を捌いたツルオカオウジが猛追。ゴール前で内からドラゴンキラリを捕えて優勝。ドラゴンキラリが2着で3着はハーミア。
 優勝したツルオカオウジは2歳時に2勝した後やや停滞していましたが,6月に3歳の条件戦を勝つと先月は古馬相手の条件戦も連勝してここに挑んでいた上昇馬。相手関係や着差を考えれば,3歳のトップクラスに立ったとはまだいえないような気はしますが,ここにきての上昇度には一目置かなければならないでしょう。父は1999年1月31日のフェブラリーステークスを勝ったメイセイオペラ
 4月以来のこの馬への騎乗となった川崎の町田直希騎手は昨年のロジータ記念以来となる南関東重賞制覇。管理している大井の久保與造調教師と共に黒潮盃初制覇となりました。

 このように,僕に低血糖の症状が発生するのはほぼ昼食と夕食との間に決まっていたのですが,このときはそれがまったく予期せぬ時間に生じました。日付は覚えていませんが,時間は朝の4時頃でした。
 僕は大学の卒業後は就職した会社で夜勤も経験しましたし,その会社を辞した後も何度か夜の仕事を経験しています。また,就職以前の学生時代にもアルバイトで夜勤というのを経験したことがありました。しかしこれらはいずれも20代のときで,現在,とくに糖尿病を発症して入院した後は,深夜に働くということはまったくなくなりました。したがって午前4時というのは,当然ながら眠っている時間です。それはもちろんこの日も同様でした。
 ところがその日はその時間に目が覚めました。すると体調が非常に悪い。僕の場合,頭痛と異常なほどの空腹感が低血糖を起こしていることの目安なのですが,このときだけはそんなレベルではなく,手足が震えて冷や汗も流れていました。低血糖が発生した場合,このような症状が出ることがあるということは,経験はなかったこととはいえ知識としてはありましたから,自分の身体に何が生じているのかはすぐに分かりました。
 僕の家は2階建てで,僕の部屋は2階にあります。もちろんその部屋で寝ているわけですが,部屋には飲食物を用意してありません。低血糖を発症したらとにかく何か熱量のあるものを口にするというのが最も効果的な対処法ですが,そのためには1階まで下りる必要があります。一方で運動することは低血糖時には禁物ですから,なるべくゆっくりと1階まで下り,テーブルの上に菓子パンがあったので,とりあえずはそれを食べました。本来の手順としては,本当に低血糖であるのかどうか,血糖値計測をするべきなのですが,このときはそうしている余裕さえ感じられなかったのです。このときはそれで何とか落ち着きましたのでまた眠り,翌朝というかその日の朝ですが,血糖値を改めて計測したら,正常な値を示していました。菓子パンというのは相当な熱量を有する食物ですから,おそらくこのときはかなり血糖値が低下していたものと思われます。
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竜王戦&低血糖

2010-08-16 22:16:51 | 将棋
 展望で本命と対抗に推した両者が順当に勝ち上がって迎えた第23期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。対戦成績は羽生善治名人が32勝,久保利明二冠が14勝。
 振駒で先手の久保二冠が三間飛車石田流から穴熊。羽生名人が急戦を仕掛け早々に馬を作りました。先手はこの後,角を打って馬と交換。後手はその角を敵陣の狭いところに打ち込みました
                      
 ここで先手が☗2四飛と出たのに対し,後手が☖8六歩と突いたので大決戦に突入。☗6四歩☖同銀☗7二角成☖同飛☗2二金☖3一王☗1一金。そこで後手が☖2八歩と打ったのに対し先手は☗2一飛成☖5二王の交換を入れてから☗4八金右と角を捕獲。すると☖2九歩成☗同玉に☖3六歩(第2図)というおおよそ考えにくい手が出ました。
                      
 単に☗4九金と角を取っておく手,☗8一龍と先手を取りながら桂馬を補充する手,どちらも有力そうに思えます。ところが,実戦は☗8一龍☖6二飛☗4九金と進めたところ,☖3七歩成とされた局面で意外にも後手玉に寄りつきがなく,あっけなく後手の勝勢となり,以下も手堅く指した後手の勝ち。どうも第2図の☖3六歩が絶妙手であったようです。
 羽生名人が先勝で挑戦権に王手。第二局は30日に指されます。

 3月8日にМ先生に指示された処置により,朝食前の血糖値はすでに改善されていました。つまり持続効果型のインスリンの増量の効果というものがはっきりと出ていたわけです。そしてこの状況からさらに0.02mlの増量を行ったわけですから,さらにこの効果というのは発揮されました。これは第一部公理三からも当然といえます。ただ,元々が確かな効果が出ていたわけで,今度はむしろ効果が出すぎるという場合も生じてきました。つまり,インスリンの効果というのは血糖値を降下させるということですから,効果が出すぎるというのは,その効果の幅が大きすぎるということ。要するに副作用として低血糖が生じるようになったということです。もちろんこれは生じる場合があったという意味であり,毎日毎日そうなっていたというわけではありません。むしろ日によっては血糖値が高いという朝もありました。人間の体調というのは日ごとに異なるわけですし,何より,完全に同じものだけを,同じ量だけ食べるということはあり得ませんから,こういうことが生じるのはむしろ自然なことであるといえるでしょう。
 僕はそれまでにも低血糖の状態というのは経験したことがありました。低血糖時の症状というのは,個人差が大きく,それこそ人によって千差万別といってもいいくらいですが,同じ人間であれば同じ症状が出るのが普通で,僕の場合の症状というのがどういうものであるのかということはほかならぬ僕自身が最もよく把握していますから,症状が少しでも感じられるような場合には,それなりの対処というものをそれまでもしてきたわけです。しかし,この時期のいつであったかは忘れてしまいましたが,1度だけ,それまでには経験していなかったくらいひどい症状が出たことがありました。
 僕の低血糖の症状というのは,昼食と夕食との間に発生するケースが,数としては最も多かったのです。これは理由があって,僕はこの時間帯は歩き回らなければならない日というのがあって,結果的にその歩くということが運動療法として作用してしまい,低血糖につながったのだと思います。ですから現在は,このようなときは,とくに症状を感じていなくても,微糖のものではありますが,途中で缶コーヒーを飲んだりして,予防しています。それで血糖値が高くなってしまうということはまずありません。
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小林と安井&次の予約

2010-08-15 00:07:20 | 歌・小説
 『それから』という小説が『三四郎』のそれからであるということは有名ですが,『それから』のそれからにあたるのが『門』という小説です。よってこれらは三部作といわれることもあります。ただ,僕個人が受ける印象としては,『三四郎』と『それから』との間にはさほどの継続性のようなものは感じません。そもそもそれぞれの主人公である三四郎と代助の出自がまったくといっていいほどに異なっているからです。しかし,『それから』と『門』との間には,少なくとも『三四郎』と『それから』よりは強い継続性があるように感じられます。
                        
 『それから』において平岡にあたる立場は,『門』では安井です。したがって小林と平岡との間にある種の関連性があるならば,小林と安井との間にもまた,そうしたものがあってもおかしくないように感じます。そして小林と平岡との間の同質性が金の無心ということにあるならば,小林と安井との間にある同質性は,海外への渡航ということになるのではないでしょうか。
 安井は『門』の主人公である宗助に同棲していたお米を不倫の末に奪われた後,満州とモンゴルを放浪しています。一方,『明暗』の小林の方は,小説の中ではまだ海外に行っているわけではありませんが,朝鮮に渡ることを宣言しています。
 日本という狭い島国からみれば,大陸の大きさはそれだけで魅力的なものだった筈です。しかし小説の中で描かれている安井や小林の渡航の中には,そういった要素よりは,むしろ放浪とか,都落ちとかいった,どちらかといえば負のイメージの方を僕は強く受けます。清水忠平は『漱石に見る愛のゆくえ』の中で,平岡も含めたこれら3人を,アウトローということばで表現していますが,確かに漱石の筆致からは,そのような印象の方が強く感じられるのではないでしょうか。
                         
 下層階級の小林はともかく,友人に不倫の揚句に妻や同棲相手を奪われた平岡や安井が,なぜ一種のアウトローとして描かれなければならなかったのかは僕には分かりません。しかしこのような意味で,平岡が小林の前身であるように,安井もまた小林の前身であるようには僕には思えます。

 前回,3月8日の検査と診察のとき,それまでは2ヶ月の間隔で一定していた総合内科への通院を,1ヶ月に縮めたのは,ヘモグロビンA1cの検査結果の値が著しく悪化していたためというのが最大の理由でした。そういう意味でいえば,今回はその結果がさらに悪くいなっていたわけですから,同じように1ヶ月の間隔とするか,あるいはもっと期間を縮めるというのが常識的な選択であるということになります。しかし,М先生が指定した次の通院の期日は,5月24日の月曜日。つまり4月5日の診察から換算すると1ヶ月半強の期間があるわけで,間隔はむしろ開くということになりました。
 しかしこれにはやむを得ない理由がありました。すでに説明しましたように,僕の通院は,何月の何日であったとしても,月曜であるということは一定していました。したがって,もしも1ヶ月の間隔で通院するなら,これは5月4日ということになります。しかしこの日はゴールデンウィーク中の休日ですから,みなと赤十字病院の場合は外来はお休みで,検査や診察というのはありません。よって,翌週の5月11日というのが,それが可能な最初の日ということになります。
 ところが,実際には5月4日が定期的な診察の期日に当たる患者というのが大勢いるわけです。そこでこうした患者たちは必然的に1週伸びることになりますが,当然ながら11日が定期的な診察の期日であるという患者もまたいるわけで,4日の患者のすべてを11日に回せば,捌ききることができなくなります。このような理由から,おせおせで翌週,また翌週と伸びていく患者が出てきます。25日という期日は,現実的に僕の診察が可能であった初めての日ということなのでしょう。
 こうした理由から,前の週が休日であったという場合,病院は大変に混雑します。これはもちろんただ総合内科だけが混むというわけではありません。中央検査室での検査,僕の場合だと実際に影響するのは採血の検査ですが,この検査を行うのは糖尿病患者に限ったことではなく,総合内科のほかの患者もいるでしょうし,ほかの多くの科の患者もいます。だから自分の検査の日がこのような状況の日に合致したような場合には,初めから採血にはある程度の時間を要するであろうということを想定しておかなければなりません。
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竜王戦&さらなる処置

2010-08-13 11:07:00 | 将棋
 久保利明二冠と挑戦者決定戦三番勝負を戦う相手を決定する第23期竜王戦本戦トーナメント準決勝が,一昨日指されました。対戦成績は羽生善治名人が6勝で阿久津主税七段が1勝。
 1局目が千日手となり阿久津七段が先手を得ました。やや変則的な手順ではありましたが,角換りで先手の腰掛銀,後手の棒銀という戦型に。この戦型は後手が7筋から仕掛けることが多いのですが,この将棋はそうはなりませんでした。
                     
 ここで後手が△9五歩と端の方から。▲同歩に△3五歩と桂頭にあやをつけ,▲4七金の受けに△9五銀。先手は▲2四歩△同歩▲5五角△6四角▲同角△同歩と味付けしてから▲9五香と取り,△同香に▲4五歩と攻めましたが後手は△5四香(第2図)。
                     
 実は端から攻めた後手の仕掛けが成立していて,ここではもう後手の方がいいのだそうです。実戦もこの後,攻め合いの形にはなりましたが,後手からの攻めの方が早く,後手の勝ちとなっています。
 この戦型は僕の印象では今から15~20年くらい前に多く指されていまして,結果的に羽生名人が初の名人位を獲得することになった第52期名人戦七番勝負第六局も羽生名人の後手でこの戦型。うがった見方をすれば,持ち時間の少ない指し直し局で自身が経験値で明らかに優るこの戦型を選択した羽生名人の作戦勝ちということもできるかと思います。
 挑戦者決定戦三番勝負第一局は来週の月曜日。もちろんここでも取り上げます。

 僕にとってはこの日の検査は意外な結果であったのですが,現にヘモグロビンA1cの値が悪化しているという検査結果が出たのであれば,3月の診察のときと同様に,何らかの処置が必要であるということになります。当然ながらこれもまた注射するインスリンの量を増やすという対症療法になるわけですが,このときは前の月とは事情が少し異なりました。
 といいますのも,前回のときは,朝食前の血糖値が就寝前と比べてほとんど低下しなくなっているという,はっきりとした症状がありました。したがって,これは持続効果型のインスリンを増量すればよいという結論を導き出しやすかったわけです。しかしその前回の増量の効果が今回ははっきりと出ていたわけですから,この日は,血糖値計測からは,明解な症状が出ていたわけではありません。したがって,僕の場合は持続効果型を1日1回のほかに,超速効型を1日に3度注射していましたから,今度は超速効型の方を増量するという対処もあり得るからです。
 しかしМ先生の指示は,持続効果型であるランタスの方をさらに0.02ml増量して,0.08mlにするというものでした。そしてこの判断については,М先生には迷いはなかったようです。
 超速効型のインスリンというのは,このインスリンを注射した直後の食事の摂取による血糖値の上昇に対処するというのが目的です。したがって,たとえば夕食前の血糖値が高めで推移しているというような場合には,昼食前の超速効型のインスリン,僕が使っているものでいえばヒューマログの量を増やすということになります。しかし今回は,確かに朝食前の血糖値は改善していましたが,ではほかの時間帯,すなわち昼食前,夕食前,就寝前のどれをとっても,ほかと比較して格別に血糖値が高くなっているという時間帯があったわけではありません。したがって注射するインスリンの量を増やす場合には,ヒューマログの方の量を変更するという措置は取りにくい状況であったとはいえます。だからМ先生の指示も,ランタスの方を増量するというものであったのでしょうし,また,その決断に迷いが生じなかったのであろうと思います。
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ブリーダーズゴールドカップ&意外な結果

2010-08-12 20:45:14 | 地方競馬
 復活したカネヒキリが出走してきた第22回ブリーダーズゴールドカップ(動画)。
 逃げたのは岩手のエイシンイッパツ。ロールオブザダイスなどがこれを追っていき,注目のカネヒキリは4番手のイン。少し包まれたかなという印象はありました。
 マイネルアワグラスはその後ろに位置していたのですが,出し抜けを食わせるように3コーナー手前から上がっていき,直線入口では先頭に。一旦は5番手まで下がることになったカネヒキリも外に持ち出し,これは何とか捕えたのですが,さらに後方に構えていたシルクメビウスが矢のような伸びで交わし去り,4馬身もの差をつけての圧勝。カネヒキリが2着でマイネルアワグラスが3着でした。
 優勝したシルクメビウスは前走の東海ステークスから連勝で重賞3勝目。本当のトップにはもう少しだけ届かないといった存在だったのですが,ここでカネヒキリを破ったのは,一皮むけたからなのかもしれません。そういう意味では秋に向けてかなり楽しみな存在の1頭になったといっていいと思います。父はステイゴールドで,母系祖先はフラストレート
 騎乗した田中博康騎手,管理している領家政蔵調教師とも,ブリーダーズゴールドカップは初制覇。

 そして3時からМ先生の診察となったわけですが,ここでは僕にとって意外な結果が待ち構えていました。
 一月前の処置によって,それ以前は高めで推移していた朝の血糖値というのは,明らかに以前の水準まで戻っていました。したがって前回は7.7%まで悪化していたヘモグロビンA1cの値も,正常とされるような値まで戻ってはいなくとも,当然ながら改善はしているであろうと僕は予期していました。ところがМ先生が僕に告げたこの日の検査結果の値は,7.9%。つまりさらに悪くなっていたのです。それから血液検査では血糖値も測定されますが,これも293㎎/㎗と,非常に高い数値でした。
 血糖値を上昇させるのは,第一には摂取する熱量ですが,原因としてはそれだけでなく,たとえばいらいらしたりしてストレスを感じるような場合にはとくに食事などとは関係なく上昇します。この日は採血のために待たされた上でさらにアクシデントも経て検査をしていますから,数値自体は異常に高いといえますが,そのときの血糖値が普段よりも高いというのは分からないではありません。しかしヘモグロビンA1cの方が改善していないばかりか悪化しているというのは,僕にはかなり不思議に思えました。
 考えられるのは次のことです。
 ヘモグロビンA1cは,過去1月から2月の血糖値の統御の状況を示す値です。しかるにこの日の診察は,前回から1月程度。そして説明しましたように,持続効果型のインスリンを増量してからはっきりとした効果が得られるまで,僕の場合には1週間ほどの時間を要してしまいましたので,実際に朝食前の血糖値が安定してからは3週間ほどしか経過していません。そしてその前の1月ほどはむしろ血糖値をコントロールできていない状況が継続していました。そこでこのときの検査では,その期間の状況も大きく反映されたのではないかと思うのです。血糖値の方は日常的に計測していて,それはランタスの増量の後にははっきりと改善していたわけですから,このように考えることしかできませんでしたし,これについては今から考えてもそうとしか思えないのです。
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