スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

和歌山グランプリ&第四部序言

2019-01-14 19:09:46 | 競輪
 和歌山記念の決勝。並びは三谷‐椎木尾‐東口の近畿,小川真太郎‐池田‐岩津の四国中国,中川‐小川勇介の九州で簗田は単騎。
 三谷と椎木尾が飛び出して三谷の前受け。最初は4番手に中川がいましたが,外から上がってきた簗田に譲り簗田が4番手で中川が5番手。7番手に小川真太郎で周回。残り3周のバックから小川真太郎が上昇。直後のコーナーで三谷がすぐに引いたので,小川真太郎が誘導の後ろに。三谷が4番手,梁田が7番手,中川が8番手の一列棒状に隊列が変化。このままペースが上がらず誘導が退避しないまま打鐘。直線に入ってようやく三谷が動いていきましたが,小川真太郎が突っ張りました。叩けなかった三谷は岩津の牽制も受けバックで苦し紛れにインに斬り込みました。この影響で隊列に乱れが生じ,小川真太郎の後ろは内に岩津で外が池田。池田の後ろに東口‐椎木尾で続く形に。直線に入るとインの岩津は動けず,外から踏み込んだ池田が突き抜けて優勝。2着は池田マークになった東口とその内の椎木尾で身体をぶつけての接戦でしたが,踏み勝った東口が1車身差の2着。椎木尾が8分の1車輪差で3着。
 優勝した香川の池田憲昭選手は12月の佐世保記念の最終日に行われた一発勝負のエボリューション競走以来の優勝。記念競輪は初制覇。このレースはまず三谷が有力と思いましたが,地元のふたりを連れていることもあり,場合によっては引き出そうとする競走をする可能性があり,早めに駆ければ番手の椎木尾は自力脚があるタイプではないので,後方で脚を溜めるであろう中川が有利になるのではないかと予想していました。中川が8番手になることは想定していた通りだったのですが,三谷があまりに中川を気にしすぎて発進を遅らせたために,小川真太郎のラインが有利になりました。やはりあの位置からの発進では,格下の小川真太郎といえども叩くのは難しく,もう少しレースに工夫が必要だったのではないでしょうか。

 僕たちはいくら眠らないようにしようとしても,いい換えれば自分が眠るという観念ideaに対してそれを否定する意志作用volitioを有していたとしても,眠ってしまう場合があります。排泄の場合もこれと同じであって,自分の排泄行為の観念に対してこれを否定する意志作用を有しているからといって,あるいは積極的ないい回しをすれば,自分の排泄行為を我慢するという観念にそれを肯定する意志作用を有しているからといって,常に排泄しないでいられるわけではありません。第三部定理二が示しているのはこのことであり,僕たちの身体corpusは僕たちの精神mensによってある運動motusをなしたりなさなかったり決定されるわけではないのです。ですから睡眠をそれ自体では完全に抑制することができないのと同じように,排泄をそれ自体で完全に統御したり管理したりすることができるわけではありません。またこのことは同時に,食欲,とりわけ過剰な食欲である美味欲luxuriaという欲望cupiditasに対抗する節制temperantiaが,精神の力potentiaであって,トレーニングの効果として習得される技術とは異なるということの説明にも役立つでしょう。
                                
 ここで僕がいっておきたいのは,僕たちが排泄を完全には統御したり管理したりできないというとき,この完全というのは一般的な意味を有するのであり,スピノザの哲学での特有の意味ではないということです。スピノザは人間が完全というようになった理由を,第四部序言の中で次のように示しています。
 「人間が一般的観念を形成して家,建築物,塔などの型を案出し,事物について他の型よりもある型を選択することを始めてからというものは,各人はあらかじめ同種の物について形成した一般的観念と一致するように見える物を完全と呼び,これに反してあらかじめ把握した型とあまり一致しないように見える物を,たとえ製作者の意見によればまったく完成したものであっても,不完全と呼ぶようになった」。
 これは人工的なものについてですが,この人工的なものについての見方が,自然物についてもいわれるようになったとスピノザは指摘しています。同時に,ここから分かるのは,僕たちがものを完全とか不完全と呼ぶのは,偏見であるということです。
コメント
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