スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

房州旅行後&終業時間

2017-09-30 19:09:13 | 歌・小説
 下の四十一を中心としたKの動揺は,自身の恋を応援してくれると思い込んでいた先生がそれを否定したことによるというのが『『こころ』の真相』の読解です。このとき先生は,Kに対して向上心がない者は馬鹿だということばを発しました。これは下の三十で先生とKがふたりきりで房州を旅行していたときに,Kが先生に向けて言い放ったことばでした。
                                       
 この後,下の三十一でふたりは東京に帰ります。そして下の三十二の冒頭で,この旅行から帰った後のの態度が旅行以前とは変化したと先生は記述しています。具体的にはそれは,旅帰りで落ち着くまで奥さんと静の世話が必要であったけれども,静はその世話に関してはすべて先生に対することを先にして,Kに対しては後回しであったということです。この静の態度について先生は,静は先生に理解できるようにだけ親切心を余分に分けてくれていると解し,心の中でKに対して凱歌をあげたと告白しています。これは直接的にいえば,静が好きなのはKではなくて自分であると分かったので嬉しかったという意味でしょう。
 ふたりは長期にわたる旅行で不在でしたから,帰ってきた直後に静が本心を無意識的にさらけ出したのだと解することも可能であると僕は考えます。しかし僕が留意したいのは,静がどういう態度をとったのかということよりも,それを先生が自分に対する好意ないしは愛情であると理解した上で,わざわざこのことを遺書の中に綴ったということです。この遺書を先生が書いているとき,これを読むのは私だけであると認識していました。つまり先生は私に向けてこの部分を削除することなく記述したのです。それはおそらく,静が好きだったのはKではなく自分であったということ,なおかつそのことを先生自身がこのときには明確に認識していたということを私に伝えたかったからだと僕は考えます。
 戸棚の例もあるように,先生は静の自分に対する愛に自覚的でした。それはKとの同居を始める以前もそうだったし,始めてからも同様であったのです。

 3月31日,金曜日。妹は前日が後期の最終日でしたので休みです。ということでこの日も新施設から帰るための訓練をしました。僕はこの日は長者町に行っていました。
 4月2日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。妹を送り出した後で,母が高校の同窓会に出掛けました。妹がいることもあり,母はこのような催しに参加することはありません。ですがこの年は大岡川の船下りで,近くもありまた時間にも余裕がありましたので参加することができました。大岡川の川沿いは横浜市内では桜の名所のひとつです。この船下りは花見も兼ねて開催されたのだと思われます。ただ,僕は週末にWINS横浜まで歩いていく場合には必ず大岡川沿いを通るのですが,今年の桜はこの時期にはほとんど開花していませんでした。川の両側に桜が植えてあり,これは例年のことですが川の東側の桜が西側のものより少し早く咲き始めます。おそらく日当たりが影響しているものと思われます。今年のこの日ですと,その先に咲く東側の桜が少しだけ咲いているという程度でした。
 4月3日,月曜日。妹の新年度がこの日から始まりました。事前に通達があった通り,この日は3月まで通っていた施設へ行っています。送ることを考えれば,この施設は本牧で新施設は小港で,僕の家からは小港よりは本牧の方が近いので,負担はいくらか軽減します。また,新年度から帰宅の時間が変更になりました。3月までは基本的に午後4時が終業で,水曜日だけは午後3時に終業となっていたのですが,新年度からは週を通して午後3時半の終業となっています。したがって妹の帰宅時間は,水曜日はそれまでより遅くなりましたが,ほかの日は早くなったことになります。なお,この終業時間は現在はすでに通うようになっている新しい施設も同様です。ただ新施設は場所が少し遠くなっている関係で,この頃よりは今の方が妹が帰宅する時間も遅くなっています。
 4月14日,金曜日。眼科検診に行きました。これまでで最も空いていたのではないかと思います。医師から網膜の形がきれいであると言われました。形に言及されたのはたぶん初めてです。
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実体の数&訓練

2017-09-29 19:17:54 | 哲学
 グレフィウスJohann Georg Graeviusに送ったライプニッツの返事を分析する中で,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizにとってスピノザ主義が有する最大の問題は宗教問題なのであって,思想の真理性の問題ではなかったという見解をスチュアートは示しています。これは実はライプニッツはスピノザの哲学が正しいと内心では考えていたのだという可能性を生じさせます。僕はそういう可能性も完全には排除しませんが,少なくともライプニッツはスピノザに対抗するための哲学を構築したのであり,自身の哲学が正しく,スピノザの哲学は誤っているということを,外面的な文章としては残していますので,これについて簡単に紹介しておきましょう。
                                     
 これはスピノザが死んだ後ですが,1714年にライプニッツは,文通相手からライプニッツが構築したモナド論の教説のうちにスピノザ主義のようなものが存在するのか否かを問われました。これに対してライプニッツは,モナド論にはスピノザ主義などはなく,むしろモナド論によってスピノザ主義は破壊されるのだと答えています。この文章は実際には表現がやや弱まっているのであって,ライプニッツがいわんとしているのは,スピノザ主義を破壊することができる思想があるのだとすれば,それはモナド論以外にはないのであるということです。これはこの手紙全体の文脈から明らかだといえます。
 なぜモナド論だけがスピノザ主義を破壊することができるのかということについては,ライプニッツはモナド論におけるモナドの数と同じだけの真なる実体substantiaが存在するからだとしています。この文脈では真なる実体が宇宙と同一視されています。つまりここでライプニッツがいっている真なる実体というのは,可能世界のことであると解してよいものと思われます。これに対していえばスピノザはひとつの実体の実在しか認めません。これは第一部定理一四から明白で,つまりこの点に関してライプニッツはスピノザ主義を正しく把握しています。
 これでライプニッツが哲学的に何を問題としていたのかが分かります。つまり存在する実体はDeusだけであるのか,それとも数多くの真なる実体が存在するのかという対立なのです。

 3月23日,木曜日。Kさんと昼食に出掛けました。Kさんは外食するケースが多いようで,この日は僕の家の近くの地区センターでカレーを提供する日なので,それを食べに行く予定で,近いからということで母も誘われたようです。カレーだけでなくデザートも出されたとのことでした。僕はこの日は長者町に行っていました。
 3月24日,金曜日。母が妹を施設まで送って行ったところ,小港に開設する新しい職場の工事が遅れているため,開所が5月1日に延期になるという知らせを受けました。それまではこのときに通っていた本牧の施設に行くことになりました。ただ,従来は4月1日から新施設で仕事をする予定となっていたため,現在の施設での仕事は3月一杯です。要するに4月は仕事はなしで,単に妹を含めた利用者を預かるという状態になるようでした。僕はこの日は横浜に行っていました。
 3月25日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 3月26日,日曜日。母と妹が5月から通うことになる新しい施設の下見に行きました。といってもこれは施設を見学することが目的ではありません。朝は送って行くわけですが,帰りは妹がひとりで帰ってくることになります。ですから施設から最寄りのバス停にどのように行き,どのバスに乗るかといったことの訓練が妹には必要でした。場所が遠くなるだけで,乗車するバスに変更はないので,それほど難しいことではありませんが,妹には実際に乗って帰ってくるという練習が必要なのです。もちろんこの日だけの練習で覚えられるとも限りませんから,この後も何度かこの練習に出掛けています。昼に行ったので,ふたりは昼食も済ませてから帰りました。
 3月28日,火曜日。母と日野公園墓地の墓参りに行きました。本当は前日に行く予定としていたのですが,雨が降ってしまったのでこの日に延期したものです。僕は前日が長者町でこの日は本牧という予定でしたが,この日の本牧の予定を午後からにずらして対応しました。
 3月30日,木曜日。妹の後期の最終日でした。これは給料日にも該当します。僕はこの日は鶴見に行っていました。
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日本テレビ盃&本牧脳神経外科

2017-09-28 19:13:04 | 地方競馬
 昨晩の第64回日本テレビ盃
 先行する構えを見せたのは5頭。中からモーニンが先手を奪いました。今日は互角の発馬だったケイティブレイブが2番手。アポロケンタッキーが3番手。向正面に入ってこの3頭は概ね1馬身ずつの間隔に。発走後の正面では一時的には前に出ていた2頭のうちトキノベラトリクスが離れた4番手,デュアルスウォードがまた離れた5番手。さらに離れてサウンドトゥルー。内を回ることに固執した感のあるサウンドトゥルーが向正面で内から追い上げ4番手になりました。最初の800mは49秒2のミドルペース。
 3コーナーを回ると内からモーニン,ケイティブレイブ,アポロケンタッキーの3頭がほぼ横並び。この直後にサウンドトゥルー。前3頭の争いから抜け出たのはアポロケンタッキーで直線だけ外に出されたサウンドトゥルーが追撃。競り合いの時間が長かっただけにサウンドトゥルーに利のある展開かに思えましたが最後は同じ脚色になってしまい優勝はアポロケンタッキー。クビ差の2着にサウンドトゥルー。ケイティブレイブが4分の3馬身差の3着でモーニンが半馬身差で4着。この後ろは3秒4もの大差がつきました。
 優勝したアポロケンタッキー東京大賞典以来の勝利で重賞3勝目。このレースはJRAの4頭の争いとなるであろうことは明白。ただ僕はその中で最も勝利から遠そうなのはこの馬と思っていて,力関係を見誤っていました。東京大賞典はかなり強いメンバーを相手に勝ったので,それだけの力があるとは分かっていたのですが,なぜか勝つイメージがあまり湧きませんでした。このふたつのレースぶりから考えると,スムーズに競馬をした上でしぶとさを発揮するというのが持ち味のようです。したがって上位メンバーが固定できるようなレースの方が好走する可能性が大きくなるのではないでしょうか。馬場の違いや輸送をあまり苦にしないので,そのようなメンバー構成となりそうなレースを選択して出走していけば,今後もかなり活躍が見込めそうです。
 騎乗した内田博幸騎手は第54回59回を制していて5年ぶりの日本テレビ盃3勝目。管理している山内研二調教師は日本テレビ盃初勝利。

 3月8日,水曜日。この日は母が歯科検診のためにI歯科に行きました。僕はこの日は鶴見に行っていました。
 3月11日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後2時の開始でした。これは前日の夜に電話があったものですが,本来なら12日に予定されていたものが前日に変更になったものでした。
 3月14日,火曜日。夕食にKさんが来訪されました。水曜の夕食を共にするというのが通例ですが,翌日は妹の歯科検診があり,母と妹の帰宅が遅くなることも予想されましたので,こちらから前日に変更させてもらったものでした。僕はこの日は川崎に行っていました。夕食の時間には間に合うように帰りました。
 3月15日,水曜日。妹の歯科検診でした。僕はこの日も川崎に行っていて,午後5時35歩頃に帰宅しましたが,そのときにはすでに母と妹は帰っていました。たぶんKさんとの夕食はこの日でも結果的に大丈夫だったのではないかと思います。
 3月17日,金曜日。母がこども医療センターに代わる病院に妹を連れていきました。それ以前に母が依頼していて,知的障害者の診療なので可能であるかどうか明言はできないけれども,とりあえず連れてくるように言われていた病院でした。実際にこの日に医師が妹の様子を見て,問題ないので今後も通院することが可能であるという結論が出されました。これは本牧脳神経外科というクリニックです。このときに妹が通っていた施設から近く,また4月に移転が予定されていた新施設からも近いので,場所だけでいえばみなと赤十字病院よりも便利です。通院できることになったので,この日はMRIの撮影も行ったとのことでした。処方されるとその量に変更はありません。僕はこの日は長者町に行っていました。
 3月18日,土曜日。母と妹が美容院に行きました。この日は午後3時35分と,早い時間の帰宅になりました。
 3月19日,日曜日。母と妹がお寺に行きました。これは彼岸の塔婆を受け取るためでした。
 3月20日,月曜日。春分の日の祝日で,妹のピアノのレッスンがありました。前夜に連絡があり,午後4時の開始になりました。
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銀河戦&2017年3月の通院

2017-09-27 19:27:52 | 将棋
 昨日の夜に放映された第25回銀河戦決勝。収録は8月15日。その時点での対戦成績は羽生善治三冠が44勝,久保利明王将が19勝。
 振駒で久保王将の先手で中飛車。羽生三冠は角道を開ける前に左美濃の陣形を作り,それから角道を開けると先手が☗5五歩と止め,結果的に先手の5筋位取り中飛車になりました。中盤で後手の牽制に先手が強く応じて大きな振り替りとなり,それからまた双方が陣形整備をした上で戦いに再突入。揺れ動きはあったかもしれませんが,基本的に最終盤までいい勝負が続いていたのではないかと思います。
                                     
 先手が角取りに歩を突いた局面。☖同馬とする手もあったかと思いますが☖7七馬☗9五歩☖5五馬と勝負にいきました。
 そこで先手は☗6三角と打ちました。これは後手玉への攻めと☖3六桂を受けるという攻防の一手。実戦はこの手を境に先手がよくなりました。
                                     
 第2図で後手は☖6六飛と打っています。これは☗4一龍☖同王☗5一香成☖3二王☗4一角成☖3三王以下の手順で上部に追われたときに,飛車の横利きで受けるという意味もあり,単に角取りで相手を催促したわけではありません。
 ただ☖6六飛には先に☗5一香成とする手があり,以下☖6三飛☗4一成香と進み,最後は飛車も取られる形になって先手が勝ちました。したがって☗6三角が決め手といえる手であったかもしれません。ただ,解説では☗5一香成に☖6三飛と取らずに☖4二金上と逃げる手もあるかという一言がありました。考えにくい手ですが,飛車の横利きが消えていない上に飛車を取られる展開にもなりませんから,もしかしたらまだいい勝負が続いていた可能性も残ります。この場合は☖6三飛が敗着だったということになるのでしょう。
 久保王将が優勝。銀河戦は初優勝。棋戦優勝は2013年の日本シリーズ以来の6回目です。

 診察が開始されたのは前年12月と同様に午後1時15分でした。
 この日のHbA1cは7.1%になっていました。12月よりも上昇していたわけですが,毎年のように冬場は上昇する傾向にありますので,それも考慮に入れたなら十分に許容範囲内であったと思います。ただ,血糖値に関していえば,昼食前にそれまでよりも血糖値が低下してしまうという傾向が強くなっていました。このために,朝食前に注射する超即効型のインスリンであるヒューマログの注射量を0.01㎎だけ減らした方がよいという指示を受けました。一方でHbA1cは高くなっていたのですから,これを補うために,僕は夕食前に注射している超持効タイプのインスリンであるランタスを0.01㎎だけ増加するようにという指示も同時に出されました。ただ,実際にそうした変化を加えれば,またそれまでとは異なった血糖値の推移の傾向が発生するかもしれないので,そうなった場合には僕の判断で注射する量を調整してもよいと言われました。基本的にH先生は僕の判断の方を尊重してくれますので,血糖値が高くなりすぎたり下がりすぎたりした場合の対応は,医師の指示よりも僕の判断が優先されるようになっています。
 この日の結果でほかに異常がみられたのはLDLコレステロールで,69㎎/㎗と,下限値を下回っていました。この異常は2016年の8月以来です。ただ,下限値というのは70㎎/㎗ですから,問題があるという数値であったというわけでもありません。
 最後にH先生から話があり,今年の6月一杯でみなと赤十字病院を退職するとのことでした。ただ,次回の診察は5月の予定になっていましたから,これがH先生による最後の診察であったというわけではありません。
 この日も帰途に薬局に寄りました。インスリンも注射針も在庫があったので,処方箋に示されていたすべてのものをこの日のうちに受け取ることができました。午後2時50分に帰宅することができました。
 3月7日,火曜日。I歯科に歯科検診へ。午前9時半から。この日もクリーニングしただけです。よく磨けているとお褒めのことばをもらうことができました。
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善知鳥杯争奪戦&食事会

2017-09-26 19:10:08 | 競輪
 青森記念の決勝。並びは新山‐神山‐石川の東日本,深谷‐稲川‐椎木尾‐神田の中部近畿,松浦‐園田の西国。
 だれもスタートを取りにいかないのを見て深谷と稲川が出ていき深谷の前受け。5番手に松浦,7番手に新山で周回。残り3周のバックの出口から新山が上昇開始。ホームの入口で深谷は誘導を斬って突っ張ることも辞さずの構えを見せたので,すぐに新山が叩いて前に。松浦が4番手に続き引いた深谷が6番手の一列棒状に。バックに入ると深谷が発進していき,これを見た新山が踏み込んで打鐘から先行。石川と松浦の車間が開き,うまく深谷が4番手に収まりました。引けなくなった松浦と稲川で深谷の後ろを競りましたが,ホームで稲川が番手を確保。バックに入って深谷が発進するとあっさり前段を飲み込み,そのままぶっちぎって優勝。マークしきれなかった稲川もどうにか外を追い上げ5車身差の2着に入って中部近畿のワンツー。直線で新山の番手から出た神山が2車身差で3着。
                                     
 優勝した愛知の深谷知広選手は先月のアーバンナイトカーニバル以来の優勝で記念競輪16勝目。青森記念は昨年からの連覇で2勝目。このレースはおそらく先行は新山。ラインが長いので6番手でも捲れるのではないかというメンバー構成で,それがうまく4番手に入れたのですから圧勝になって不思議ではありません。残り2周のホームで誘導を斬ってしまったことや,打鐘前のバックで動いていき新山の早い段階での先行を誘い出したところなど,道中の動きも完璧で,単に着差をつけたということ以上の完勝であったといえるのではないかと思います。

 2月11日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は当日の電話で午後5時の開始になりました。
 2月12日,日曜日。母と妹が美容院へ行きました。午後4時5分ころに帰りました。
 2月16日,木曜日。保護者会があり,母が行きました。ほかの保護者の方々と昼食を済ませて帰りました。僕はこの日は本牧に行っています。
 2月17日,金曜日。後期の三者面談があり,これも母が行きました。母と妹が帰ったのは午後5時45分でした。僕はこの日は長者町に行っていました。
 2月24日,金曜日。芸術祭がありました。プログラムでは桃太郎の演劇となっていました。ただ,観覧した母によれば,劇ではなく歌だったということでした。桃太郎がミュージカル調に上演されたということなのか,それとも桃太郎の歌が歌われただけであったということなのかは僕には分かりません。この芸術祭は午前中で終了。母はこの日もほかの保護者の方たちと昼食を摂ってから帰りました。僕はこの日は伊勢佐木町に出掛けています。
 2月25日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 2月26日,日曜日。妹のピアノのレッスンでした。この日は24日の夜に連絡が入っていて,午後1時半の開始になっています。
 3月3日,金曜日。I歯科に行って予約を入れてきました。
 3月4日,土曜日。妹の土曜出勤でした。毎年のことですが3月の土曜出勤はホテルでの昼食会です。例年はその前に何かしらの施設を見学していたのですが,今年はホテルに直行して食事。そしてそのまま施設に戻るということになっていました。
 3月6日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後11時40分ごろでした。この日も中央検査室では採血を待っている患者がいたので,先に採尿を済ませたのですが,戻ったらもう僕の採血の順番になっていました。なのでそのまま採血をして,その後で注射針の処理を済ませました。この日も診察の予約時間は午後1時でした。これでは外食をするのには十分な時間がありません。ですからこの日も院内の食堂で昼食を摂りました。
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大山名人杯倉敷藤花戦&本牧営業所

2017-09-25 19:26:01 | 将棋
 第24期倉敷藤花戦挑戦者決定戦。対戦成績は甲斐智美女流五段が4勝,伊藤沙恵女流二段が3勝。
 振駒で甲斐五段の先手。変則的な手順で相矢倉に。後手の伊藤二段が入城の一手を省略して仕掛けたのが機敏で後手がリードしたと思われますが,先手が入玉含みの対応をして混戦になりました。
                                     
 先手が6三の角を成った局面。ここは先手玉の上部が厚く,後手も寄せるのは大変そうです。ここで☖4八銀と打ったのに対して☗1七角と逃げ☖3七銀成☗3四歩☖4二銀左☗6三と☖3六成銀☗5八飛という攻め合いに進めましたが,この判断がよくありませんでした。したがって☖4八銀には☗2八角と逃げて桂馬を取らせずまだ受けに回るほかなかったようです。
 後手は☖6八桂成☗同金☖同と☗同飛と駒得を果たして☖5七銀と手掛かりの駒を配置。先手が☗6九飛と逃げたのに対して☖8七歩成☗同王で一歩を入手しその歩を☖7三歩と打ちました。これを馬で取ると上部から押さえられてしまうので☗同とでしたがこれは☗6三とと寄った手が無駄になり攻め合いがはっきりと失敗に終わった形。さらに☖6四金☗同馬☖同銀☗同飛で入玉にとって最も重要であった馬も外され☖7五角と打たれました。
                                     
 第2図は飛車を渡すわけにはいかないので☗6三飛成は仕方ありませんが☖8六金と上から押さえられては大勢が決しました。
 伊藤二段が挑戦者に。倉敷藤花戦三番勝負は初出場。第一局は11月7日です。

 糖尿病健康手帳を落としたという連絡,先方からみれば拾ったという連絡は,横浜市営バスの営業所から入っていました。なので僕がバスの中で落としたか,あるいは停留所近辺で落としたものをほかの乗客が拾って,バスの運転手に渡したかしたのだと思われます。
 横浜市営バスにはいくつかの営業所があって,この連絡は本牧営業所からのものでした。したがって最終的に手帳を預かったのは,本牧営業所管内で運行しているバスの運転手だったのでしょう。本牧営業所というのは僕の家からそう近いところではありません。もしこれが滝頭営業所であれば歩いて数分ですから,すぐに取りに行ったでしょうが,帰宅後にまた本牧営業所まで行くというのは面倒です。もしPASMOとか定期券のように絶対に必要なものであったらそれでも取りに行きますが,そこまですぐに手元に置かなければならないというものでもありません。ですからこの日は取りには行きませんでした。
 1月10日,火曜日。この日に本牧営業所へ落とした手帳を取りに行きました。落としたものが珍しいものだったからか,すぐ担当の方が僕に渡してくれました。
 1月14日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 1月21日,土曜日。いつものようにWINS横浜に行き,バスで帰ったのですが,長者町に出掛けるとかつてはよく会うことがあった小学校と中学校のときの同級生が途中からそのバスに乗車してきました。久しぶりに会ったのは,その友人に仕事が見つかったからで,そのために長者町から僕が帰るときのバスに乗る必要がなくなったからであったそうです。また,この日は妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後5時半からでした。
 1月26日,木曜日。妹の養護学校の保護者の昼食会があり,母が出掛けています。僕はこの日は長者町に行っていました。
 1月28日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は何の連絡も入っていなかったのですが,午後4時半に先生が来て,すぐに開始となりました。
 1月29日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はボーリングでした。
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Kが話す条件&糖尿病健康手帳

2017-09-24 19:19:38 | 歌・小説
 『『こころ』の真相』にあるように,下の四十一を中心としたKの動揺は,先生が自分のに対する恋を応援してくれるものと思い込んでいたKが,実際には先生にそれを否定されたことが大きな理由であったと読解して,これを基礎にその前の部分の読解を試みてみます。
                                     
 まず,柳澤のように読解するために必須となる条件は,この部分の会話をしたいと思っていたのは先生ではなくてKであるということです。Kはさらに一歩先に踏み出すために,つまり自分の恋心を静にも告白するために先生の後押しを欲していたというのが柳澤の読解の一部を構成するので,もしもこの会話がKから始められたのではなく先生から始められたとすれば,この読解は崩壊するか,少なくとも説得力を大きく失うことになるでしょう。ですが柳澤の読解を満たすための条件は満たされています。この部分の会話は,下の四十で,Kの方から始められているからです。それは学校の図書館でした。僕はこの図書館という部分には注目します。
 Kは先生に後押しをしてほしかったのですが,後押しすることができるのは先生だけでした。なぜならKが静に恋心を抱いているということを知っていたのはK自身のほかには先生だけであったからです。したがって,Kはただ先生にこの話をすればよかったというわけではありません。先生とふたりきりのときでなければならなかったのです。他面からいえば,ふたりの話をだれも聞いていないということも,Kが先生に話すための条件を構成しています。ふたりは同じ家に住んでいるのだから,そこで話せばいいというものではないのです。むしろその会話を奥さんや静に聞かれてしまう可能性を考慮すれば,家で話すというのはKにとって最悪に近かったでしょう。
 だからKはまず図書館で先生に話し掛け,その後で外に誘い出して本当に話したかったことを話し始めます。これも図書館ではほかの利用者に聞かれてしまう可能性があるので,Kにとっては自然でしょう。よってここでも柳澤の読解の正当性を満たす条件が整っています。これを確認して,図書館の部分のテクストを読解しようというのが僕の試みになります。

 12月31日,土曜日。僕はこの日は蒲田に行っていたのですが,午後3時半に帰宅しました。これは体調の悪化を感じたためでした。この日はその後も起きてはいて,夕食も摂ったのですが,午後9時にはベッドに入って眠ってしまいました。
 1月1日,日曜日。基本的にこの日はずっと自室で横になっていました。ただ,3度の食事は適切な量を摂取することができましたので,インスリンの注射には問題を来しませんでした。パソコンは自室のベッドの脇にありますので,ブログを書いたりする分には問題はないのです。
 1月2日,月曜日。体調はこの日には良化しました。長者町に行くこともできました。
 1月4日,水曜日。この日が妹の仕事始めの日でした。僕はこの日も長者町に行っています。
 1月8日,日曜日。母と妹が美容院に行きました。午後3時20分には帰っています。これは美容院に行った場合には早い方の帰宅時間です。
 1月9日,月曜日。この日は横浜に行っていたのですが,帰宅後に,糖尿病手帳を落としたという連絡が入っていると母から伝えられました。
 これは正確には糖尿病健康手帳という手帳です。社団法人である日本糖尿病協会が編集したもの。中に名前と住所が書いてありますので,おそらくそれを見て拾った方が連絡をくれたのでしょう。僕は入院しているときにもらったと記憶していますが,最初の方に糖尿病合併症についての記述があり,中には経過の記録を記述できる欄なども含まれています。ただし僕はここには何も記述していません。絶対に必要なものではないですが,僕は外出時には,ほとんどの場合はズボンの後ろのポケットに携帯していました。もし低血糖で倒れるようなことがあったとき,僕が糖尿病であるということを伝えることができるものであるからです。
 いつも携帯していたのですが,これを落としてしまったのは初めてのことでした。ズボンの後ろのポケットに入れてあるものを落とすというケースは発生しないからです。この日は月曜日で,週刊競馬ブックを買って一時的に同じところに入れてありました。それを取り出すときに落下してしまったのだと思います。
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ダノンシャンティ&2016年12月の通院

2017-09-23 19:09:49 | 名馬
 水曜日のテレ玉杯オーバルスプリントではサイタスリーレッドが重賞初制覇を達成しました。この馬の父がダノンシャンティです。
 父がフジキセキで母はシャンソネット。シャンソネットは種付けをしても産駒を残せず,ダノンシャンティだけが競走馬としてのデビューに至りました。
 デビューは2歳11月。この新馬を勝ってラジオNIKKEI杯2歳ステークスへ。ここはヴィクトワールピサの3着に敗れました。
                                     
 3歳初戦は共同通信杯でこれは2着。3月の毎日杯から安藤勝己騎手が騎乗するようになり,このレースを中団から差し切って重賞初制覇を達成しました。皐月賞はパスしてNHKマイルカップへ。毎日杯が非常に強い内容だったので,よほどのことがない限り負けることはないだろうと思っていましたが,後方3番手から直線一気を決め,レコードタイムで優勝。大レースの勝ち馬に名を連ねました。このままダービーに向かったものの出馬確定後に骨折してしまい取消。距離延長がプラスだったとは思いませんが,出走が叶っていればどれくらい走ることができたのかは分からず,今でも残念です。
 暮れの有馬記念で復帰しましたが休養明けでは厳しくヴィクトワールピサの9着。
 年が明けて京都記念,大阪杯と出走したもののいずれも4着。これで競走生活を終えました。
 一昨年の東京スポーツ杯2歳ステークス,昨年の毎日杯と京都新聞杯を勝った現役のスマートオーディンが現在のところ代表産駒。この馬は昨年のダービーを最後に長期休養に入っていますが,相当の能力があります。サイタスリーレッドは2頭目の重賞勝ち馬ですが,どちらかが大レースを勝つようなことがあってもおかしくないのではないかと思います。

 診察の予約は午後1時でしたが,実際に始まったのは午後1時15分でした。
 HbA1cは6.8%になっていました。これは10月と同じ数値です。この数値であれば何も問題はなく,この日は特別の注意点はありませんでした。また,8月と10月はケトン体が±で,尿からケトン体が出ているという結果になっていたのですが,この日は-に戻っていました。つまりケトン体が検出されなかったということです。どういう理由で出ていたのかは僕には分かっていませんでしたし,それがために特別の対策を立てることもできませんでした。つまりケトン体を出なくするために僕が何か生活上の改善策を講じたというわけではありません。ですが出なくなったわけですからこれはこれでいいのでしょう。現時点まででいえばこの後また1度だけ±という結果が出ているのですが,やはり理由は不明です。
 それからこの日は糖定性が3+となっていました。これは計測したときの血糖値が233㎎/㎗と高めであったからだと思います。ただこれはHbA1cがさほど問題ない値であったということからも分かるように,一時的な現象でした。これも理由は不明ですが,病院で計測する血糖値は高い値となることが多いです。通院の日であるからといって朝食に何かの変化があるわけではありませんから,これは病院に到着するまでの行動が普段と異なっているということが影響しているのだろうと思います。
 いつものように帰途に薬局へ。この日はインスリンも注射針も在庫がありましたので,必要な分のすべてを受け取ることができました。診察がそれまでよりも早い時間であったこともあり,午後2時50分には帰ることができました。
 12月29日,木曜日。この日から妹は冬休みに入りました。僕はこの日は新川崎に出掛けています。
 12月30日,金曜日。母と妹が眼鏡屋に出掛けました。これは作り直した眼鏡の完成品を受け取るためです。この新しい眼鏡は従来のものより度が強くなっています。ただ,妹は僕たちがするような視力検査を普通にすることはできません。それ以外の検査でそうした方がよいという結論になったのだと思います。
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第五部定理二九&高圧洗浄

2017-09-22 19:18:43 | 哲学
 第五部定理二九備考では僕たちはものを二様の仕方で現実として考えることができるという意味のことがいわれていました。この備考Scholiumが付せられることになった第五部定理二九というのは以下のような定理Propositioです。
                                  
 「精神は永遠の相のもとに認識するすべてのものを,身体の現在の現実的存在を考えることによって認識するのではなくて,身体の本質を永遠の相のもとに考えることによって認識する」。
 この定理からなぜ備考の内容が帰結するのかということは明らかであるといえます。なぜなら,まずこの定理の前半では,身体corpusの現在というものをその現実的存在を考えることによって認識するという事例が,定理そのものの内容からすれば否定的な文脈で言及されています。しかしこのことは,身体の現在が身体の現実的存在,すなわち持続duratioのうちに存在するものとしての存在として考えることができるものであるということが肯定されているといえるでしょう。それに対して定理の後半においては,それは身体の本性essentia,これは現実的に存在するものとしてのある個別の身体の本性という意味でなければなりませんから,その身体の現実的本性actualis essentiaといい換えることも許容されると僕は考えますが,そういった身体の本性を僕たちが永遠の相species aeternitatisの下に考えることが可能であるということが前提されているのです。したがって現実的に存在する身体は,それが現実的に存在するものとして,つまり持続するdurareものとして概念されることも可能であるし,永遠の相の下に存在するものとして概念されることも可能であるということになります。したがって現実的に存在するあらゆるものは,自分の身体が現実的に存在するという観点からは現実的に存在するものとして考えられ,自分の身体の本性が永遠の相の下に考えられるという観点からはそのものも永遠の相の下に考えられることになります。つまりものは二様の仕方で現実のものとして考えることができるのです。
 繰り返しますが,ここでは現実のものとして考えられるということがとても重要です。身体の本性を永遠の相の下に考えることによって認識されるものも,それは現実として認識されているのです。

 12月16日,金曜日。O眼科に網膜症の検査に行きました。この日は大変に混雑していて,院内に用意されているソファに座ることもできないほどでした。視力検査と眼圧測定を終え,散瞳のため点眼をしますと診察まで間があります。この間に同じビルの同じ階にあるI歯科に行き,予約を入れておきました。検査の結果は異常なし。家に帰ったのは12時20分でした。
 12月17日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はクリスマス会で,母も同行しています。
 12月20日,火曜日。金曜日に入れておいた歯科検診の予約がこの日。11時半からでした。この日もクリーニングをしただけです。12時20分に家に帰ることができました。
 12月22日,木曜日。キッチンのシンクに水が溜まって流れなくなってしまいました。これでは台所仕事もままなりませんので,業者に依頼して高圧洗浄をしてもらいました。原因はパイプの詰まりであったようです。汚水を流すことはしないですが,僕の家のキッチンおよび洗面所のパイプはよく詰まるような気がします。もしかしたらパイプ自体に何か詰まりやすくなる問題があるかもしれません。ですが面倒ですからその都度の対処で済ませてしまっている実情です。僕はこの日は長者町に行っていました。
 12月23日,金曜日。天皇誕生日の休日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。僕は祝日でもウィークデーは出ることが多いですが,この日は休みでした。
 12月25日,日曜日。母と妹が眼鏡屋に出掛けました。妹の眼鏡が壊れてしまったからです。壊れてしまったものは修理することができないので,新しいものを作り直すということになりました。ふたりは昼食を済ませてから帰りました。
 12月26日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 みなと赤十字病院に到着したのは午後11時45分頃です。中央検査室へ行くと,まだ僕の前にひとりが採血を待っていました。この場合は先に採尿を済ませます。戻っても順番が回ってきていなかったので,注射針の処理もしてから採血でした。診察が午後1時だったので,院内の食堂で昼食を摂りました。
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王座戦&自由と強制

2017-09-21 19:16:46 | 将棋
 19日に大阪市で指された第65期王座戦五番勝負第二局。
 羽生善治王座の先手で相掛かり。ただ,先手が飛車先をなかなか交換しなかったので,後手が先に交換して縦歩取りに進みました。先手がわずかに動きすぎてしまったようで,中盤は先手としてはつまらない将棋にしてしまったのではないかという印象が否めませんでした。
                                     
 先手が2二に歩を打って後手が桂馬を逃げた局面。ここで先手は☗7三角成☖同金☗4四飛の二枚換えに進めました。清算があったというより止むを得なかったということではないかと思います。
 後手は☖2六角と打って☗4九飛と逃げたのに対して☖3七角成とかなり強気な手順に進めました。先手の攻めは受け切れるという判断だったと思われますが,これはあまりよくなく,ここは先手にチャンスが来ていたようです。
 まず☗4四桂と打って☖2二金と逃げさせて☗8五桂と跳ねました。これは手広く攻める意図ですが,選択の幅が広がったことがかえって先手には悪い結果を生じさせることとなってしまいました。後手はここも☖7二金と逃げています。
 ☗2四歩☖同歩☗2三香はこの形では最も厳しい攻め。ここでも後手は☖1二金と頑張るほかありません。
 ここで桂馬を跳ねたのを生かして☗7三銀と打ったのですがこの手が敗着に。むしろ☗2一銀と打っておけば先手に有望な変化も残っていたようです。両取りを無視してすかさず☖4三歩と打たれ☗8四銀成☖4四歩で拠点の桂馬を外された局面は,飛車1枚では攻めが繋がらなくなっていました。
                                     
 中村六段が連勝。第三局は来月3日です。

 紹介状に関連する不合理については,別の観点からいっておきたいことがあります。
 第一部定義七から分かるように,スピノザの哲学では自由libertasと強制が対義語関係を構築します。ただし,人間にとっての自由,僕がいう人間的自由はこの定義Definitioでいわれている自由と異なります。この定義でいわれる自由は,人間的自由に対していえば神的自由であると解さなければなりません。
 しかしスピノザは,この定義でいわれている自由ではない,というのはこの定義でいえばむしろ強制に該当するといってもいいのですが,そのような人間的自由なるものも認めています。これは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の冒頭で,スピノザが哲学する自由といういい方をしていることから明白でしょう。ここでいわれる哲学をするのは人間なのですから,これは当然ながら人間的自由でなければならないからです。そしてスピノザは,この人間的自由は絶対に守らなければならないものであるといいます。
 人間的自由というものがあるなら,人間的強制というものもある筈です。このとき,自由に選択できるのに選択されていないからといって拒絶するのは,人間的自由があるときに人間的強制が存在しないから拒絶するというのと同じことであると僕は考えるのです。いい換えればこのような態度は,人間的自由を自ら放棄し,人間的強制を希求するような態度なのです。
 人間的自由が守られなければならないのは,それはある人間に対して人間的強制をする者から守らなければならないということだけを意味するのではありません。『神学・政治論』における能動的自由受動的自由に関連する論考は,すべてそのような方面から書かれているといえるでしょう。それはおそらく,スピノザにとって哲学する自由は守られなければならないことであり,しかし実際にそれを否定しあるいは非難する勢力が存在していたからだと思われます。
 ところが僕たちはこれとは逆に,自ら人間的自由を避け人間的強制を好む場合があるのです。そしてそれもまた人間的自由の危機なのです。人間的自由を守らなければならないのなら,人間的自由があるときにはそれを行使しなければならないのです。
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テレ玉杯オーバルスプリント&紹介状

2017-09-20 19:09:33 | 地方競馬
 第28回テレ玉杯オーバルスプリント
 ブルドッグボスは発馬で躓きました。先行争いは焦点のひとつでしたがわりと楽にサイタスリーレッドが単独でハナへ。2番手にはモンドクラッセでしたが,内から追い上げてきたブルドッグボスと外のワイドエクセレントの2頭はほぼ並び,3頭で2番手集団を形成する形に。5番手にリエノテソーロ,6番手にレーザーバレットが続きました。最初の600mは35秒7のミドルペース。
 3コーナーを回る時点でワイドエクセレントは後退。モンドクラッセもコーナーではついていかれなくなり,内を回ったブルドッグボスが2番手,外から捲ったリエノテソーロが3番手で,ブルドッグボスが通ったコースをレーザーバレットが追い上げてきました。直線に入るとブルドッグボスが外に持ち出してサイタスリーレッドを追おうとしましたがむしろ突き放される形。この2頭の間を割ったレーザーバレットが一時的に勢いよく追い上げたものの最後は楽なペースで逃げていたサイタスリーレッドが差をつける形で逃げ切って優勝。うまく立ち回ったレーザーバレットが2馬身差の2着。ブルドッグボスが1馬身半差で3着。
 優勝したサイタスリーレッドは重賞初制覇。今年の3月から5月にかけて500万,1000万,1600万,オープンと1200mから1400mで4連勝。この時点で重賞制覇は近いと考えていました。前走は3着でしたが今日は逃げ切って優勝。この馬はたぶんダートの短距離ではトップクラスに近い能力がある馬だと思いますので,このままJBCスプリントに向かって勝ったとしても不思議ないのではないでしょうか。父は2010年に毎日杯とNHKマイルカップを勝ったダノンシャンティ。その父はフジキセキ
 騎乗した戸崎圭太騎手は第25回,26回,27回に続いての四連覇でテレ玉杯オーバルスプリント4勝目。管理している佐藤正雄調教師はテレ玉杯オーバルスプリント初勝利。

 12月14日,水曜日。妹の歯科の通院の日でした。この日はレントゲン撮影をしたようで,時間が掛かったようです。
 妹の指定歯科はみなと赤十字病院です。ことのついでですから母はこの日にこども医療センターの担当医から郵送された紹介状を携えていき,そちらの次回の予約も入れておこうとしました。ところが受付の担当者によると,紹介状に不備があるので診察はできないと回答があったそうです。この不備は,診療科が明記されていないというものでした。つまり紹介状はただ病院に対するもので,診療科については何も書いてなく,それではどこに紹介すればいいか不明なので,診療できないということだったのだろうと思います。実際にやり取りをしたのは母で,僕は母から話を聞いただけですので,詳細は異なっているかもしれませんが,概ねの内容は確かだと思います。
 僕の考えでいうと,この対応はおおよそ合理性を欠いたものです。
 こども医療センターで妹が受診していたのは遺伝科という診療科でした。ですがこのような名称の診療科は例外的ではないかと思います。遺伝科の担当医が診療科を特定せずに紹介状を書いたのは,みなと赤十字病院における適切な診療科の名称が不明だったからではないかと僕は推測します。要するに診療科についてはみなと赤十字病院の方で自由に選択してよいという配慮ではなかったかと思うのです。そして妹が通院していた理由は主にてんかんの発作を抑制する薬を処方してもらうためだったのですから,そうした薬品を処方する診療科がどこであるのかということは,みなと赤十字病院の方では明らかだった筈だと思うのです。ならばその診療科で診察すればよい話だろうと僕は思うのです。先方で自由に選択できるのに,選択されていないから受け付けないというのは著しく不合理だと僕は考えます。ですからもし僕が対応していたらもっと食い下がっただろうと思います。
 ただ母は,それならば初診でも受け付けてもらえる近くの別の病院でいいと考えたようです。通院したばかりですから決定するのにまだ時間はありましたし,母が連れていくのですから母の考えを優先するのは当然でした。
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共同通信社杯&最後の通院

2017-09-19 19:01:33 | 競輪
 武雄競輪場で開催された第33回共同通信社杯は一昨日の準決勝が台風の影響で昨日に順延。決勝も今日に順延となりました。並びは渡辺‐新田‐守沢の北日本,平原‐諸橋の関東,村上義弘‐村上博幸‐稲川の近畿で松谷は単騎。
 平原がスタートを取って前受け。2周目のホームで追い上げてきた松谷が3番手。4番手に渡辺で7番手から村上義弘の周回。残り3周のバックの出口から村上義弘が上昇。ホームで渡辺に被せると,渡辺はすぐに引き,4番手に村上義弘,7番手に渡辺の一列棒状に変化。バックに入って村上義弘が発進。このラインを追った渡辺も発進して打鐘から先行争いに。ホームで渡辺ラインが村上義弘を叩いて渡辺の先行。後方になった平原がバックから捲ると新田が牽制しつつ発進したのですが,タイミングが悪かったようで平原が新田の内に潜り込み,コーナーでは内に平原外に新田の併走に。直線で平原の番手の諸橋が新田を牽制。そのままふたりの間を突き抜けて優勝。捲った平原が半車身差の2着で関東のワンツー。浮いてしまった新田が1車身差で3着。なお,最終ホームの手前で守沢の動きの影響を受けた渡辺と村上博幸は落車しています。ふたりは再乗車して入線。守沢は失格となりました。
 優勝した新潟の諸橋愛選手は前回出走の弥彦のFⅠから連続優勝。8月に弥彦記念で優勝していて,ビッグはこれが初優勝。このレースは普通は村上義弘の先行が予想されるメンバー構成でしたが,北日本は新田が前ではなく渡辺が前でした。この並びだと渡辺が世話になっている新田を引き出すために先行するという可能性もあるのかなと考えていました。結果的に渡辺にはやはり先行意欲があったようですが,村上義弘もそれを予測していたようで,渡辺を警戒するような走行に。このために先行争いが演じられることになり,平原に有利な展開となりました。新田の動きに対して素早くインに潜り込んだのは平原のセンスで,その動きに離れなかった諸橋もマーク選手としての才能をみせたといったところ。近況の成績からみて諸橋はかなり好調のようです。

 『スピノザ哲学論攷』を読了したのは昨年の11月30日,水曜日でした。これ以降の日記です。
                                     
 12月4日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。前夜に電話があり,午後4時の開始でした。
 12月5日,月曜日。妹がこども医療センター遺伝科に通院しました。この日は身体計測と診察だったそうです。そしてここの遺伝科での診察はこれで最後ということになりました。名称から分かるように,基本的にここは子どもが通院するところです。妹がずっと通い続けたのは,モルモットのような役割を果たすことができたからでした。その妹もこの年の9月に40歳になりました。これを契機に転院するということになったのです。妹はてんかんの発作を抑制する薬を服用していますので,通院は続ける必要があります。便利なのはみなと赤十字病院ですが,みなと赤十字病院で新たに診察を受けるという場合には紹介状が必要です。なので母が依頼して,こども医療センターの担当医に紹介状を書いてもらいました。ただし,現在はある理由があって妹は別の病院に通っています。なぜそのようになっているのかということについてはまたそのときに日記の中で書くことにします。僕はこの日は屏風浦に行っていました。
 12月7日,母がI歯科に行きました。これは歯の隙間に詰める詰め物をするためで,この日に完成しました。僕はこの日は川崎に行っていたのですが,帰宅が午後7時50分頃になってしまいました。水曜日の夕食はKさんと一緒で,この日も来ていたのですが,僕は会うことができませんでした。
 12月9日,金曜日。母がこども医療センターの担当医に依頼しておいた紹介状が郵送で到着しました。僕はこの日は横浜に行っていました。
 12月10日,土曜日。母と妹が美容院に行きました。
 12月11日,日曜日。二週連続で妹のピアノのレッスンがありました。前夜に電話があって,午後4時半の開始の予定でしたが,当日になってからもう少し早く到着できそうだという連絡がさらに入り,実際に開始になったのは午後4時15分でした。早くなる方が僕たちにとってはいいので,これはありがたい変更です。
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合一&仮定と前提

2017-09-18 19:31:59 | 哲学
 精神と身体という軸に換えてスピノザが提唱した新たな構図能動と受動です。これが新たな構図であるというのは,精神mensが能動actioで身体corpusが受動passioではないということです。ところがデカルトの哲学というのはそのように解することができるようになっているので,単にスピノザが新たな構図を示したということを知っておくだけでは,また知性は失敗を犯してしまうことになるのです。要するに,スピノザは新たな構図として能動と受動を示したのだけれども,その内実をいえば,スピノザは精神と身体の関係をデカルトとは異なって解釈し直したと解しておかなければなりません。デカルトの哲学における精神と身体の関係は理性と感情の関係に置き換えることもできますから,結局のところスピノザの構図をデカルトの構図で解してしまうと,理性への過信が再生産されてしまうということになるでしょう。
                                  
 デカルトは人間は精神と身体が合一unioしたものであるとみます。これ自体はスピノザも認めます。認めはするのですが,どのように合一しているのかということ,いってみれば合一とは何事であるのかという考え方はデカルトとは違います。ですからデカルトもスピノザも人間は精神と身体が合一した存在であるということは同じように主張しますが,実際に中身としていわれている事柄は違うのです。まずこれを理解しておかなければなりません。
 デカルトの合一説は,スピノザ主義からみれば機能的です。要するに精神が身体を統御するということが目的となっていて,そのために人間はそのふたつが合一していなければならないという結論が最初から選択されなければならないようになっています。これに対していえば,スピノザの合一説は構造的です。身体に限らず物体corpusが存在すれば,必然的にその物体の観念ideaも存在します。このとき,物体の方が身体とみられ,観念の方が精神とみられる限りにおいて,精神と身体は合一しているといわれます。そこに特別の機能が前提されているわけではありません。
 この機能説と構造説の相違をよく理解しておかなければなりません。そしてここから,スピノザ主義に特有の諸々の事柄が帰結することになるのです。

 感情の模倣affectum imitatio,imitatio affectuumが精神の能動actio Mentisからも生じ得ることは確かであるにしても,第三部定理二七の示し方からして,スピノザがどのような目的からこれを『エチカ』に挿入したかといえば,現実的に存在する人間がいかにして受動感情に隷属するかということを示すためであったと僕は考えます。これに対して,精神の能動から生じる感情affectusについてもスピノザが『エチカ』で言及した目的は,第四部定理七により,感情を制御するのはそれより大きな感情でしかないから,感情の抑制は直接的には精神の能動あるいは理性ratioの仕事ではなく,感情の仕事であって,そのために能動的な感情が受動的な感情を統御するのに有益であること,さらにはそうしたことが現実的に存在する人間にとっても可能であるということを示すためであったと考えます。ですから,河井のように十全な観念idea adaequataであれば喜びlaetitiaの原因となる観念が外的であろうと内的であろうと同一の結果になることを示し,そのことによって感情の模倣を理論づけようとすることに,僕はあまり意味を見出せないのです。
 さらにいうと,観念の上での原因と現実上の原因が一致するということは,あくまでも仮定として生じ得るということなのであって,それを絶対的な意味で前提することはできません。しかし精神の能動は十全な観念から生起するのですから,それによって感情の模倣を理論づけるためには,この仮定があたかも前提であるかのようにみなす必要があります。実際には河井の論考自体は,この仮定はあくまでも仮定にすぎないのであって,一致するのは偶然であるという意味のことも主張されています。つまり,たとえばAにとって観念の上での前提と現実上の前提が一致しているのだとしても,同じようにBにとっても一致しているということにはならず,Aにとっての十全な原因causa adaequataがBにとっては部分的原因causa partialisにすぎない場合もあるとされています。
 そうはいっても感情の模倣の理論づけの部分では,この仮定を前提にしなければなりません。僕は観念上の前提と現実上の前提が一致しない場合の方に重きを置くべきではないかと考えるのです。
 『スピノザ哲学論攷』関連はこれで終了として,日記に戻します。
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説得の内容&感情の模倣の理論

2017-09-17 19:12:44 | NOAH
 ジャンボ・鶴田三沢光晴にピンフォールで負けることを嫌がったので,鶴田に対する馬場の説得があったというのは合理的に説明できます。僕が問題視したいのその説得の内容に関する柳澤の言及なのです。この説得の内容が,三沢と鶴田の試合に対する柳澤による解釈と関連するということは,暗に示していた通りです。
                                 
 馬場はフレアーがネイチャーボーイといわれることにはあまり気をよくしてなく,その称号に相応しいのはバディ・ロジャースだと思っていました。ロジャースはスターではあったけれども純粋アスリートとしては一流ではなかったという評価があるようです。しかし馬場はスターである,客を呼べるということを最重要視していましたから,ロジャースは馬場にとって最高のレスラーだったのです。
 そのロジャースは,1961年にパット・オコーナーを破ってNWAの世界王者に就きました。この試合が,オコーナーによる「ひとり急所打ち」であったそうです。これに関しては僕は確証はできませんが,おそらくそうであったのでしょう。柳澤の説明は,そのことを知っていた馬場が,説得に際してこのような試合の決着のつけ方があり,それならばたとえ3カウントを奪われても鶴田には傷がつかないと諭したのだというようになっています。つまり馬場が最も尊敬していたレスラーであるロジャースと,三沢と鶴田の試合とが,関連付けられるような記述になっているということです。
 ですが,これは事実としてあり得ないです。ただ僕はそのために,試合に関する僕の解釈を持ち出すことはしません。むしろ柳澤の説明が事実であったら,馬場にそのように諭されるまで鶴田はそういう試合の終わらせ方があるということを知らなかったと仮定しなければならないことの方を重視します。はっきりいいますが「ひとり急所打ち」などというのは一ファンにすぎない僕でさえ知っているようなギミックです。そのギミックを超一流選手であるといっていい鶴田が知らなかったとすれば,プロレスが純粋スポーツではないという柳澤の主旨自体が崩壊してしまうでしょう。
 僕は主旨の方を守りたいと思っています。なのでこの部分の記述が誤りであるということは強くいっておきたいのです。

 なぜ河井が理性的である限り,内的な観念ideaを原因とした喜びlaetitiaと外的な観念を原因とした喜びが一律に一致すると説明しているのかというと,このことを理論的な支柱として,感情の模倣affectum imitatio,imitatio affectuumについて説明しようと企図しているからです。これは僕にとって斬新な視点でした。どういう意味で斬新であったかというと,僕には感情の模倣をそれ自体で理論化しようとする発想が存在しなかったからです。そしてそれには理由があります。それは,感情の模倣というのは,僕の考えだけでいえば,スピノザの哲学の中で有する意義というのは,現実的に存在する各々の人間がいかにして諸々の感情を抱くことになるのかということを説明するという点にあるからです。そしてこのとき感情というのは,能動的であるような感情よりも受動的な感情の方を多く意味するのです。すなわち,たとえば自分自身がある受動感情を抱いたときに,なぜその感情を抱いたのかということを考えるための一助となるという点で有益であるのです。したがってこれを能動感情で説明することによって理論的に説明づけることは,僕にとってはたいして意味があることのように思えなかったのです。
 僕はこの点に関していえば,『スピノザ哲学論攷』を読んだ今の時点でも,あまり考え方を変えてはいません。したがって河井がこのような仕方で感情の模倣を基礎づけようとした理由というのもよく分からないのです。そこでまず,僕の考え方を説明しておきましょう。
 感情の模倣を最も一般的な仕方で示しているのは第三部定理二七であると僕は考えます。このとき,この定理Propositioが表象imaginatioを基礎として生じている感情について言及していることは明白でしょう。表象像imaginesは混乱した観念idea inadaequataなので,この定理で示されている仕方で生じる感情の模倣は受動passioです。河井がいうように,このことはたとえ精神の能動actio Mentisであった場合にも成立することを僕は認めます。というか,むしろその場合の方が必然的に成立するといってもいいです。第四部定理三五で示されている通り,理性ratioに従うならすべての人間の本性naturaは必然的に一致するからです。よって理性的に名誉gloriaを感じている人を十全に認識する人はその人を愛するでしょう。
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それ以上言わないで①&名誉と愛

2017-09-16 19:08:30 | 歌・小説
 「親愛なる者へ」は,楽曲のタイトルでもありますが,そのままドラマのタイトルでもありました。これは僕が学生時代のドラマですから,25年ほど前だったと思います。僕は現在は一切のテレビドラマを視聴しませんが,学生時代は時間にも余裕がありましたから,視たこともあり,このドラマもすべて視たのではないかと思います。記憶が定かではないのは,内容に関してはほとんど印象に残っていないからでしょう。
 ただ,このドラマは,中島みゆきのファンには楽しめる要素を有していました。本人がゲスト出演したこともそうですが,彼女の作品の歌詞がそのまま登場人物のセリフに使用されるということがあったからです。ドラマのストーリーの印象はほとんど残っていなくても,こちらの方は今でも覚えています。だからストーリーは思い出せなくても,確かにドラマを視たとは断言できるのです。
                                     
 使われた楽曲のひとつが「それ以上言わないで」です。「ノスタルジア」や「肩に降る雨」が収録されている「miss M.」の中の一曲です。

     君は強い人だからいいね1人でも
     だけど僕のあの娘は


 この部分が一言一句違わずに使われたように思います。登場人物の名前は思い出せませんが,演じたのは佐藤浩市さんであったと記憶しています。
 歌詞は次のように続きます。
     
     … それ以上言わないで

 この部分は言われた女が言うべきセリフですが,こちらは放送にはありませんでした。でもこの曲を知っていれば,この女は本当はそう言ったということが分かるような演出になっていたのです。

 『スピノザ哲学論攷』における第三部定理三〇備考を援用した探求は,外的な原因の観念ideaであれ内的な原因の観念であれ,もしその観念の上での前提が現実の前提と一致しているなら,内的な原因と外的な原因も一致するのだから,結果も一致するであろうと続いています。
 このうち,原因が一致しているなら結果も一致するということは第一部公理三から明白であるといわなければならず,何も問題にする部分はありません。次に,観念の上での前提が現実の前提と一致するというのは,第一部公理六により,その観念が真の観念idea veraであるということを意味すると考えなければなりません。つまりある喜びlaetitiaの原因の観念が真の観念であるなら,その原因が内的であろうと外的であろうと,その観念を原因として伴った喜びを感じるということは一律であると河井はいいたいのだと僕は解します。
 これ自体は正しいです。というのは,第四部定理三五により,人間は理性ratioに従う限りでは本性naturaの上で一致するからです。いい換えれば,もしも現実的に存在するある人間が,理性から生じる何らかの観念を原因として喜びを感じるならば,それによって喜びを感じるのはその人間だけであるというわけではなく,現実的に存在するすべての人間が,理性に従う限りでは,その観念を原因として喜びを感じるであろうからです。したがって,ある人間が理性から生じる名誉gloriaという喜びを感じるときには,その人間は内的な原因の観念である自身のある行為の観念を原因として名誉を感じているわけですが,それとは別の人間がそれと同じ観念を理性的に有した場合には,その人はその別の人の行為の観念を原因として伴った喜び,いい換えれば外的原因を伴った喜びを感じることになるでしょう。したがって,行為をなす人間をAとし,Aの行為を理性的に認識する人間をBとするならば,Aが理性的に名誉を感じるとき,Bも理性的であるなら,BはAの観念を原因として伴った喜びを感じるのでなければなりません。つまり第三部諸感情の定義六により,BはAへの愛amorという喜びを感じることになります。
 ただし,これはあくまでも仮定の話であり,絶対的な前提ではありません。
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