スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&第一部定理三二系一証明

2006-10-31 22:50:29 | 将棋
 女流王位戦第四局。後手の石橋女流四段が普通の中飛車から4枚穴熊,対して先手の清水王位は銀冠と互いに玉を堅く囲い合う超持久戦となりました。清水王位が仕掛けのタイミングを窺って手待ちを繰り返したこともあり,ようやく戦いになったのは59手目の▲4五歩から。この仕掛けも,仕掛けてよくなったというよりはうまく打開したというような印象で,その後,盤面の右側で長い戦いが続きました。この将棋はどこではっきりと差がついたのか僕にはまったく分からないのですが,先手がと金で後手の金銀を剥がせたのが大きかったようで,最後は清水王位が即詰みに討ち取り,3勝1敗で防衛となりました。あくまでも経験的な感覚で,この将棋については妥当ではないのかもしれませんが,先手銀冠VS後手振飛車穴熊の将棋は,先手が8筋と9筋の両方の位を取ると先手の方が勝ちやすい印象で,もしかすると△9四歩は受けておく方がよかったかもしれません。清水王位は数々のタイトルを獲得していますが,この女流王位戦はとくに相性がよく,これで9連覇,通算でも17期のうち13期保持しています。
 竜王戦の方は後手の佐藤棋聖のごきげん中飛車で,これは予想通りといえるでしょう。初日終了時点の△5九角は,僕には無理に攻めさせられているような印象です。

 定理三二証明されてしまえば,定理三二系一を証明することは簡単です。スピノザはこの系に証明を与えていませんが,それはこの系が定理三二から直接的に帰結するからでしょう。実際,意志は思惟の様態であり,様態であるからにはそれはほかのものによって存在と作用に決定されるのだから,意志は自由な原因とはいわれ得ないとするなら,神が意志の自由によってある働きをなしたり作用をなしたりすることがないというのはきわめて当然だからです。定理三二系一はそれだけでみれば神について自由な意志というのを否定している,つまり神には自由意志はないといっているわけですが,定理三二からの流れでとらえれば,そもそも自由意志などというものはどこにもないということが前提となっているわけですから,この結論は当然ということになるでしょう。ただ,ここでのテーマはあくまでも定理三二系一ですので,この流れは脇に置いておき,なぜ神の本性に意志が属さないのかということをもう少し考えることにします。
コメント

現在形のタイトル戦&自由と意志と本性

2006-10-30 23:08:47 | NOAH
 このブログのスタイルの説明です。
 GHCヘビー級の新チャンピオンになった丸藤選手は,その後のアメリカ遠征中にナイジェル・マッギネス選手を相手に初防衛に成功。国内初の防衛戦が昨日の日本武道館大会でありました。挑戦したのはKENTA選手ということで,僕が現在形といった選手同士でのタイトル戦となりました。この試合には伏線があり,1月の日本武道館大会では当時GHCジュニアの王者だったKENTA選手(その後,杉浦選手に敗れて失冠)に丸藤選手が挑戦,丸藤選手が負けていて,いわばそのリベンジマッチでした。現在もふたりはジュニアヘビーで戦える体格ですが,NOAHの場合には前身の全日本プロレスの時代から,ヘビー級というのは無差別級というほどの意味で,日常的にヘビー級の選手とジュニアヘビー級の選手が戦いますので,初めてのこととはいえ,こういう試合が組まれること自体は不思議ではありません。1月の試合をテレビで解説したのは復帰前の高山選手で,このとき,解説がなくてもこの試合があるので見に来ようと思っていたといっていました。元はNOAHに所属していたとはいえ,フリーの高山選手がそういうお墨付きを与えるくらいですから,試合内容の方は上質。昨日は途中,丸藤選手のケブラーダでKENTA選手が額から終結してしまうアクシデントがあったものの,僕の印象では1月よりさらに濃い内容で,最後は不知火・改から手首をクラッチしてのフィッシャーマンズバスターで丸藤選手が勝利,雪辱するとともに防衛を果たしました。試合後のインタビュー中には観衆から大・三沢コールがあり,次の防衛戦は三沢選手になりそうです。
 明日は女流王位戦の第四局。連勝後に連敗では第五局に向けての流れが悪く,清水女流王位としてはここで防衛しておきたいところではないでしょうか。
 それから竜王戦第二局の初日。挑戦者の佐藤棋聖,王座戦の第三局を負けた時点で4連敗。さすがにお疲れモードなのかと思っていたのですが,その後は第一局も含めて8連勝中です(収録済みのNHK杯は除く)。渡辺竜王がこの勢いを止められるでしょうか。
 そして千葉記念の決勝(記事は4日を予定)。岡部-平沼の福島に小川,藤原-渡辺-法月の東日本,稲垣-浜口-北野の中部近畿で3分戦。500バンクですが先行一車なので稲垣選手◎と浜口選手○から。藤原選手がどこかを攻めれば自力がはっきりしている岡部選手▲と平沼選手△の捲り。

 スピノザの考えではあくまでも意志というのは思惟の様態で,何らかのほかの原因から存在と作用に決定されるわけです。これは,僕がエチカに回帰する以前に,人間の意志について考えたときと同じ結論です。一方,スピノザの考えでは,自由というのは,それ自身がそれ自身の十全な原因であるという意味を含んでいなければなりません。ところが,ここが大事なのですが,たとえ神の意志といえども,それが思惟の様態であることには変わりないのだから,この意志は自由ではないと考えるわけです。これがここでの疑問の所在地といっていいでしょう。スピノザにとって自由と関係するのはあくまでもその事物の意志ではなくてその事物の本性なのです。そのものの本性によって存在に決定されるというのは,要するにそのものは自己原因であるという意味ですが,そのことの意味は,そのものがそれ自身の意志によって存在する(実在するようになる)ということではなくて,そのものの本性のうちにそのものが存在するということが含まれているということなのです。これが定義一の正確な意味であるということになると思います。ここから先はすべてこのことが前提になります。
コメント

天皇賞&第一部定理三二証明

2006-10-29 22:33:38 | 中央競馬
 天皇賞
 スタートから押して出たインティライミが後続を離して速いペースで逃げるという展開。ダイワメジャーが2番手,ダンスインザムードが3番手,コスモバルクはぽつんと6番手,スイープトウショウは中団馬群の前目でのレースとなりました。
 直線に入ってもインティライミはある程度のリードを保ってはいましたが徐々に失速。馬場の中ほどまで出したダイワメジャーが満を持して追い出すと先頭に。その外から追いすがったダンスインザムードは一杯,さらにその外に出したコスモバルクも前に追いつくほどの勢いはありません。襲い掛かったのはスイープトウショウと同じ位置から内を回り,直線でも大きく開いた内から伸びたスウィフトカレントでしたが,ダイワメジャーが押さえきり,一昨年の皐月賞以来となるGⅠ2勝目。スウィフトカレントが2着で,3着にはダンスインザムードとコスモバルクの間をついたアドマイヤムーン,コスモバルクが4着で,5着に一番外を伸びたスイープトウショウ,ダンスインザムードは6着でした。
 ダイワメジャーはインティライミが大逃げをしてくれたおかげでスムーズな競馬となり,ここは実力通りの勝利。スウィフトカレントは横山典弘騎手の好騎乗が光りました。アドマイヤムーンはまだ3歳で,相手関係を考えればここは好走。コスモバルクはもう少し前の位置取りでもよかったかもしれません。直線で馬群が外へ寄った理由は不明ですが,ダンスインザムードは内を狙った方がよかったように思います。

 第一部定理三二のスピノザの証明は簡単なもので,それは意志が思惟の様態であるということに訴えています。様態であるならそれはほかのもののうちにあるわけで(第一部定義五),したがってそれは,それ自身によって存在に決定されるということはなく,何かほかのものによって決定されるわけです。したがって第一部定義七からして,意志は自由なものではなく,むしろ必然的なもの,あるいは強制されたもの(自由の反対の意味を示す場合には,今後は僕は強制の方を用います)ということになるでしょう。
 もちろんこの証明で,この定理は十分に証明されているわけですが,ここでの疑問は,なぜ意志は思惟の様態であって,実体(神)の絶対的本性には属さないのかという点とも関係しているように思いますので,この定理はこの定理として,まだその理由についても考えていく必要があると思います。ただテーマはあくまでも定理三二系一と設定してありますので,先にそちらも証明しておくことにします。
コメント

善&第一部定義七

2006-10-28 22:51:02 | 哲学
 高慢という感情は喜びですから,それ自体では善であるにも関わらず,スピノザは否定的な感情のひとつと考えています。ところでこのとき,善といわれる概念は,スピノザ哲学では一般的にそう考えられるのとは違った意味をもっているので,簡単に説明しておきます。まずスピノザは,普遍的な善,あるいは普遍的な悪というのは認めません。各々の人間にとってよいもの(その人を喜びに導くもの)と悪いもの(その人に悲しみをもたらすもの)があるだけで,そうしたものを各々の人間が善あるいは悪と判断するのです。したがって,同じものがある人間には善であり,別の人間には悪であるという場合もありますし,同じ人間でも,あるときは善であったものが,別のときには悪にもなり得るわけです。ところで,スピノザの考えでは,実在するものはすべてその実在に固執し,そのゆえに喜びを求め,悲しみを排除するという本性(傾向)を有します。したがって,人間はそれが善であるからそれを希求し,またそれが悪であるからそれを排除するのではなく,むしろあるものを希求するがゆえに(そのものが自分を喜びに導くがゆえに)そのものを善と判断し,逆にあるものを排除するがゆえに(そのものが自分に悲しみをもたらすがゆえに)そのものを悪と判断するということになるのです。この分析は僕にはかなり鋭い分析であると思われ,スピノザの考え方の中でもとくに感嘆したもののひとつです。
 明日は天皇賞(秋)です。コスモバルク◎に期待します。距離はベストで,ここが日本でGⅠを勝つ最大のチャンスと思います。直線の長いコースはやや不安ですが,折合い面の不安が解消しつつある点で相殺できそうです。相手にはこのレースを得意としている(一昨年2着,昨年3着)のダンスインザムード○。内目の枠もこの馬には絶好と思います。もちろん昨年の秋以来,この馬に先着を許していないダイワメジャー▲も軽視できません。こちらも希望の外目の枠を引きました。スイープトウショウ△はその後で,魅力を感じるインティライミ△まで。

 定理三二を証明し,またその意味を把握するためには,スピノザが自由というのをどのように考えているかということを理解しておく必要があると思います。なので第一部定義七。「自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である,あるいはむしろ強制されると言われる」。自己の本性の必然性によるか自分自身の意志によるかという観点を別にすれば,これは僕がエチカに回帰する前に考えていた自由というものの概念とそうは隔たっていません。ということはこれを逆に考えれば,あるものを自由であるという場合に,そのものの本性に注目するのか,それともそのものの意志に注目するのかで懸隔が生じるのだと理解できます。つまりスピノザは,あるものが自由意志を有するがゆえにそのものが自由であるとはみなさないのです。そして今は,その点だけを理解しておけば十分であろうと思います。
コメント

京王閣記念&第一部定理三二

2006-10-27 23:09:42 | 競輪
 24日に決勝が行われた京王閣記念(映像。左のレース案内のレースダイジェストという項目から進んでください。)。前受けは渡部選手で,3番手に山崎選手,6番手に小川選手,8番手から新田選手で周回。残り2周から小川選手が上昇,このラインに新田選手も続きました。一旦は小川選手が前に出ましたが,流したところを渡部選手が再度の巻き返し。福岡の吉岡選手を中心とする不動会に所属する両選手による先行争いとなりました。制したのは先輩の渡部選手の方で,これを絶好の中団を確保した新田選手が捲りにいきます。しかし捲りきることができず,直線は渡部選手の番手の小倉選手が抜け出すところ,7番手から捲ってきた山崎選手が外を一気に突き抜けて優勝。山崎選手をマークした山口選手が2着に流れ込み,小倉選手が3着でした。渡部選手は先行争いをしてのもので,それで新田選手は出させなかったのですから,まずまずのレースだったと思います。新田選手はうまさを発揮して絶好のポジションは取ったのですが,そこからが今一歩。優勝した福島の山崎芳仁選手は,バック7番手,しかも少し離された位置からの捲りで,強かったとしかいいようがありません。中部勢の切替えがなかったのも幸いしました。記念は8月の福井記念以来です。なお,今年の競輪グランプリはこの京王閣競輪場で開催されることになっていて,高松宮記念杯を優勝してすでに出場を決めている山崎選手にとっては,大きな優勝だったといえるかもしれません。
 明日からは千葉記念になります。

 自由意志という特質は神に属し,したがって神はその自由意志によってあらゆることをなすという当時の僕が考えて出した結論は,しかし,エチカにおいては誤りとされるわけです。それではここからはエチカに戻って,なぜそのような考え方が誤りであるのかということを,エチカに訴えて考えていくことにします。スピノザ以前,あるいはスピノザと同時代の哲学者でも,神には自由意志が属すると考えていた人も多かったこともあり,スピノザもこれについてはわりと詳しく説明しています。そこでまず,ここでテーマとしてあげているのが定理三二系一ですから,とりあえずはその前提となる定理三二からみておくことにします。「意志は自由なる原因とは呼ばれえずして,ただ必然的な原因とのみ呼ばれうる」。
コメント (2)

北海道2歳優駿&神の自由意志という考え

2006-10-26 21:13:13 | 地方競馬
 北海道2歳優駿(映像)。2歳戦にしては順調な枠入りから発走。逃げたのはタカラタロウで,外の2番手にワイルドイリーガル,3番手のアンパサンドを挟み,ミスティックベルが好位の4番手,ヒデサンジュニアはこれをマークする形で,アプローズヒーローは後方集団の先頭でレースが進みました。逃げたタカラタロウは3コーナーで早くも一杯。ここでワイルドイリーガルが押し出されるように先頭へ。しかし手応えは外のアンパサンドの方がよく,4コーナーではこちらが先頭に。これにミスティックベルが馬体を併せに出ました。しかし道中は中団グループの後方につけていた地元のトップサバトンが,外を一気に伸び,この2頭を楽に交わして4馬身の差をつける圧勝。競り合いとなった2着争いですが,アンパサンドが半馬身制し,ミスティックベルが3着,アプローズヒーローが4着に追い込み,ヒデサンジュニアは4コーナーではミスティックベルを追って4番手に押し上げましたが,伸びを欠いて6着でした。勝ち馬と2着馬は前走でヒデサンジュニアと同じレースを走り,それぞれ2着と3着だった馬。わりと大きな差をつけられていたのでどうかと思っていたのですが,そのときはヒデサンジュニアが逃げてのもので,その差ほどの力の差はなかったようです。先行した2頭にはおそらくペースが速すぎたのでしょう。アプローズヒーローは前走もそうだったのですが,レースの序盤についていけない面があり,小回りの札幌ではこれが精一杯であったかもしれません。

 自由意志というのをその特質として有するものこそ神というに相応しいという当時の僕の考え方は,裏を返せば,神は神自身の自由意志によってあらゆることをなすという意味になります。これが定理三二系一に反するので,僕はここまで読み進めてまた前に戻った(実際には僕にとってエチカの読解はこの繰り返しで,すでに第一部定理二一では一度は前に戻っていました)のですが,スピノザ自身が第一部定理三三の備考二の最後にいっているように,この考え方自体は,神を全自然(この場合,思惟の属性についてはやや微妙な面もありますが)の原因と認め,かつ,神を超越するものは一切ない,いい換えれば,すべての事柄は神に内在するということを認めていますので,真理からそれほどは遠ざかっていないという面があります。僕がこの考えがスピノザ哲学の世界であると誤解したのは,この面からいえば不思議ではなかったのだろうと思います。
コメント

平和賞&最初の疑問

2006-10-25 20:49:32 | 地方競馬
 平和賞。逃げたのがキンノライチョウ。ネバーオブライト(昨日,パワードリームと予想した馬はこのネバーオブライトのことです)は好位の4~5番手,フリオーソは中団から後方のインでレースを進めました。レースが動いたのは3コーナーを過ぎてからで,フリオーソの後ろにつけていたレイズミーアップが外を捲り気味に進出,逃げるキンノライチョウに並びかけました。フリオーソはここで最内から進出,2頭の間に入り,直線は3頭の叩き合いに。外のレイズミーアップがまず脱落,一旦はフリオーソが先頭に立ったと思うのですが,そこからキンノライチョウが粘り腰を発揮,ゴール前ではわずかにハナ差でしたが差し返して優勝。フリオーソが惜しい2着でした。この2頭の差を分けたのはおそらくキャリアで,素質的にはほぼ互角とみてよいと思います。どちらかといえば2戦とも2番手から楽に抜け出していたフリオーソのほうが今日は厳しい競馬をしたといえ,むしろ将来性は高いかもしれません。レイズミーアップも豊富なキャリアを生かした感じ。ネバーオブライトはとくに伸びず,かといってバテずという競馬で4着。この馬も今日が3戦目で初遠征ということで分からない部分はありますが,ことによるとスプリンターかもしれません。
 明日は北海道2歳優駿。今年は札幌の1700メートル。これは相当難しそうですが,プラタナス賞をしぶとく伸びたアプローズヒーロー◎に期待します。ダートでは3戦3勝の地元のヒデサンジュニア○が相手。未勝利圧勝のワイルドリーガル▲。あと,タカラタロウ△とミスティックベル△。

 存在という観点からイメージした自由意志を,第一部定義一の自己原因と結びつけたのは,結論からいえば完全に僕の誤解だったわけです。いい換えれば,僕のスピノザ哲学への回帰は,この誤解から始まったわけです。そしてもちろんエチカを読み直したとき,僕には自由意志を有するものこそが神であるというこの誤解が前提にありましたから,ここで問題としている定理三二系一まで進んだときに,どうも自分の考えとスピノザの考えの間には相違があるということにようやく気付いたのです。そういう意味でいえば,この自由意志についての疑問というのは,僕がエチカについてもった最初の疑問,しかもそれは,エチカをきちんと読む前から僕の中に生じていた疑問であったといえるかもしれません。
コメント

女流王位戦&自己原因

2006-10-24 22:19:09 | 将棋
 このブログのスタイルの説明です。
 女流王位戦第三局。まず対局とは関係ないのですが,初手の動画で,対局場に入室する清水女流王位が丁寧に礼をしていたのがかなり印象に残りました。将棋の方は石橋女流四段の先手で▲7六歩△3四歩に▲1六歩△1四歩。これは第一局と同じです。本局はここで▲2六歩だったので相居飛車(清水王位は振飛車はまずやりません)。22手目,清水王位が△5五歩と中央の位を取り,28手目に△6五歩から一歩交換。対して石橋四段は41手目▲5六歩~▲5八飛で中央を奪還に。奪還することはできませんでしたが,56手目△2二王で相矢倉が完成したところでは,先手が9筋の位を取っているのに対して後手の右の金が明らかに立ち遅れていて,はっきりと石橋四段が優勢になっているものと思います。以下,59手目に▲3五歩と仕掛け,67手目の▲1五歩から総攻撃。一直線に攻めたので反撃を喰らいましたが,正確に逆転したという局面はたぶんなく最後は入玉する形となり(石橋四段自身は,はっきり自分が勝ちと分かったのはこの辺りのようです),石橋四段の勝ち。快勝だったと思われます。これで清水王位の2勝1敗。第四局は31日です。
 明日は船橋で平和賞。2歳戦で難しい部分もありますが連勝中のフリオーソ◎に期待します。キンノライチョウ○が強敵で注目は岩手のパワードリーム▲(パワードリームは船橋の馬で,3番。これは4番のネバーオブライトの勘違いです)。あと,レイズミーアップ△,ミウラリチャード△まで。

 時間という概念からすれば絶対に存在しなければならない,それ自身の自由意志によって存在する最初の存在。当時の僕は,それこそが神というに相応しい存在ではないかと思ったのです。これは,このように考えたのであればある意味では当然のことで,普通に僕たちが周りを見渡して事物をみた場合には,どんなものもそれ自身によって存在するわけではなく,何かほかのものを原因として存在するわけですから,それ自身の自由意志によって存在するということは,特質としては神に属するであろうと予測しても不思議ではないでしょう。で,このそれ自身の意志によって存在するということが,僕の中ではスピノザが第一部定義一でいっている自己原因と結びついたのです。神と自己原因。それはその当時の僕にあっても紛れもなくスピノザ哲学の範疇と思われました。これが僕が再びエチカを読み直してみる直接のきっかけになったのです。
コメント

コーフィールドカップ&永遠と時間

2006-10-23 22:44:04 | 海外競馬
 オーストラリアに遠征した2頭の初戦となるコーフィールドカップが21日に行われました。まず思ったのですが,このコースの幅員からして,18頭が出走するのは多すぎる感じです。オセアニアの競馬には詳しくないので日本の2頭を中心にレースを回顧しますが,デルタブルースは17番枠からのスタート。先団の5番手付近でレースを進めましたが,終始外を回る競馬。4コーナーで先頭に並びかける感じで進出し,直線では一旦は下がってしまう感じだったのですが,ゴール前では1度は交わされた相手も差し返すようにまた伸び,日本流の表現でいえばクビ+クビの3着。勝ったTawqeetと2着のAqua D'Amoreは馬群の中央と最内を伸びた馬で,枠順いかんによっては勝てたかもしれません。一方,ポップロックの方は発走でやや安目を売るような感じで道中は後方のイン。とにかく馬群が密集するレースで,包まれる競馬。直線では何とか外へ出して追い上げたのですが,最後はデルタブルースの後ろに入ってしまうような態勢になってしまい,存分に追うことができずに7着。ただ,これも日本流に表現すればデルタブルースからはアタマ+クビ+ハナ+ハナですので,かなりきわどいところ。発走がもう少しうまくいけば,やはりもう少し上位に食い込めたかもしれません。いずれにしろ2頭とも休み明けで,それを考慮すればまずまずの競馬ができたのではないかと思います。
 明日は女流王位戦の第三局。清水女流王位が勝つと防衛になります。
 それから京王閣記念の決勝(記事は27日の予定)。変則ラインがふたつの4分戦。福島の山崎に山口-馬渕の中部,静岡の新田に大阪の前田,渡部-小倉の四国,小川-紫原の九州。どこからでも狙えそうですが僕は渡部選手○と小倉選手◎から。怖いのは新田選手▲で,あと山崎選手△。

 僕が自由意志をそのようにイメージしたのには,もうひとつ,別の理由がありました。当時の僕は,スピノザが定義八でいう意味での永遠をまったく理解していなかったので,事物をもっぱらある時間の中で考えていました。ところで,この中で存在について考えていくと,何か最初の存在が必要となってくるのです。そうでないと時間(歴史)というものがどうしても始まらなくなってしまうからです。そこで,その最初のものがどのように存在したかと考えれば,それはほかのものを原因として存在することはできません。ほかのものがあるなら,その最初のものと仮定したものが最初のものではなくなってしまうからです。だとすると,そのものはそれ自身を原因として存在するほかありません。そこで僕はそれが,そのものの自由意志ではないかと考えたのです。したがって自由意志についてはあくまでもイメージなのですが,その当時の僕にとっては,この自然(宇宙)の歴史が始まるために,こうした最初のものが存在するための意志は絶対に必要なものであったのです。
コメント

菊花賞&イメージ

2006-10-22 22:08:58 | 中央競馬
 このブログのスタイルの説明です。
 菊花賞
 発走後,アドマイヤメインが押してハナに立ち,後続を離して逃げました。鞍上の武豊騎手がレース以前から狙っていた作戦だったようです。2頭を挟んでメイショウサムソンは4番手,ドリームパスポートがこれをマークするようにレースが進みました。4コーナーを回ってもアドマイヤメインはかなりのリードを保っていましたがさすがに脚色が鈍り,メイショウサムソンがゴーサイン。しかし思ったほど伸びず,外からドリームパスポートにあっさりと交わされます。さらに外から,出遅れて後方3番手を進み,4コーナーではドリームパスポートの直後に位置していたソングオブウインドがすごい伸び。最後はドリームパスポートを交わして優勝。ドリームパスポートが2着で逃げたアドマイヤメインが3着,メイショウサムソンは4着と,残念ながら2年連続の三冠馬の誕生はなりませんでした。
 勝ったソングオブウインドは,控えて末を生かすという,凱旋門賞でいえば,2着のPrideのような競馬をした結果で,今日はこの作戦が見事に嵌りました。もちろんレコード勝ちですので,フロックということはあり得ません。
 ドリームパスポートは,もう少し控えていれば勝てたかもしれませんが,メイショウサムソンをマークしていたわけで,仕方のない結果。
 アドマイヤメインは前半の1000メートルだけでみれば無謀なペースで逃げたといえなくもないですが,これもメイショウサムソンに勝つための最善の策という判断で,実際にメイショウサムソンには先着していますから,それ自体は失敗ではなかったと思います。
 メイショウサムソンの敗因はいくつか考えられます。まず状態面で,今日はいくらか太かったかもしれません。長距離のレースではこれが致命的になることがあります。次に,この馬は競って強い馬ですが,結果的にそういうシーンがなかった点。後ろから差されてしまったのはともかく,アドマイヤメインも捕まえられなかったわけで,もっと早く前を捕えに出る手はあったかもしれません。

 あるものの存在する原因がそのもののうちにあるということはどういうことかと考えたとき,当時の僕は,スピノザがいうようなそれ自身の本性の必然性(法則)ということをまったく理解していなかったために,これを,それ自身の意志によってそれ自身が存在するというように考えたのです。つまり,あるものが存在しようと思ってそのものが存在する場合,そのものの存在は自由であるということになると理解したわけです。
 ところで,あるものが存在しようとするその意志は,そのものの中から生じてくるとしか考えられません。なぜならこの場合には,そのものの存在の前に存在に向かう意志が想定されているわけですから,その意志が外部の状況によって左右されるということは考えられないからです。したがってこの意志こそは自由意志であるということになるでしょう。
 これが僕が最初に掴んだ自由意志のイメージになったのです。
コメント

シーキングザパール&存在と自由

2006-10-21 22:25:42 | 名馬
 南部杯では4着に破れ悲願のGⅠ制覇はならなかったものの,その前の日本テレビ盃では久々の勝利を飾ったシーキングザダイヤ。この馬はアメリカで産まれて日本に輸入された馬ですが,この馬の母,シーキングザパールも同様にアメリカで産まれ,日本で走った馬でした。
 2歳戦を4戦2勝(GⅡ1勝)で終えると,3歳時にシンザン記念GⅢ,フラワーカップGⅢ,ニュージーランドトロフィーGⅡ,NHKマイルカップGⅠと4連勝,秋に2000メートルのレースで負けると4歳以降は短距離路線に的を絞り,シルクロードステークスGⅢを制覇,その後2戦してフランスに渡り,モーリスドゲスト賞(モーリスドギース賞)GⅠを勝ちました。ヨーロッパのGⅠを初めて勝った日本の馬はこのシーキングザパールなのです。
 その後はフランス,日本,アメリカで走りましたが勝てず,最後は産まれ故郷のアメリカの厩舎に転厩,2戦して繁殖牝馬となり,シーキングザダイヤを産みました。これだけの成績を挙げているとはいえ,日本のトップホースとはいえなかった(事実,どんな部門でもその年度の代表馬に選出されていません)馬なのですが,確実に日本の競馬の歴史には名を残した名馬です。

 明日は菊花賞です。焦点は皐月賞,日本ダービーに続き,メイショウサムソン◎の三冠がなるかどうか。不安点は,前走の神戸新聞杯で折り合いを欠いていた点。明日は3000メートルですから,それが出るようだと惨敗するケースまであり得ます。夏を境に上昇してきた馬が見当たらないので,相手もアドマイヤメイン○とドリームパスポート▲。この2頭は距離には不安を感じますが,あまり食指を動かされるような馬がいません。魅力を感じるのはトーホウアラン△なのですが,ぶっつけ本番はいかにも不利。秋に1度使っていれば中心視することも考えていたのですが…。

 その当時に僕が考えていた自由とは何かということからすれば,あるものはその意志に関してだけ自由といわれ得るわけではありません。たとえば,あるものが存在する原因がそのもの自身のうちにあるなら,そのものは存在に関して自由であるといえることになるからです。
 ところで,人間について考えてみれば,人間が存在に関して自由であるということはできません。どんな人間もその存在する原因というのは,直接的にはその父親と母親にあるのであって,これを覆すことはできないからです。しかし,それを頼りにすれば逆に,存在に関して自由であるといえるものが存在すると仮定してみることは,それほど無理なくできました。そしてその場合,そのものはそのもの自身を原因として存在するということになるのですが,その原因とは一体どのような原因であると考えればよいのかと考えたとき,僕にはひとつのイメージが浮かんできたのです。
コメント

飾らない性格&自由意志の主体

2006-10-20 22:47:38 | NOAH
 丸藤選手が新チャンピオンになったとき,彼の飾らない性格が三沢選手にも相通じるという意味のことをいいました。今日は三沢選手のエピソードを紹介します。全日本プロレス時代,三沢選手が初めて三冠王者になったのが1992年の8月。その翌日のスポーツ紙の一面に,チャンピオンになったのだからだれの挑戦でも受けると,当時,新日本プロレスで三沢選手のライバルと見られていた武藤選手の名前の載った記事が掲載されました。そのまま読むとこれは三沢選手があたかもそういったかのように読める記事でしたが,これは一部プロレスメディアの悪い手法で,要はそうなってほしいということをこのように載せるわけです。ただ,新聞の一面に大々的に報じられるわけですから,選手の方でもよい宣伝にはなるわけで,持ちつ持たれつというような関係になっていることも確かです。マイクパフォーマンスにも見られるように,プロレスはリングの上だけではなく,口でもするものだというのが一般的な考え方かもしれません。しかしこのときの三沢選手は,自分はそんなことを言っていない,言っていないことを書かれては困ると,抗議しました。三沢選手にとっては,たとえそれが大きな宣伝になるとしても,自分はそんな大きなことを言う人間ではないという,人間性の部分を傷付けられることの方が腹立たしかったのだと思われます。つまり,プロレスラー・三沢光晴は,ひとりの人間としての三沢光晴以上であっても以下であってもならないというのが三沢選手の基本的な考え方なのでしょう。これは,実はプロレスラーとしてはむしろ稀有な存在なのではないかと僕は思っています。
 明日から京王閣記念です。

 人間には自由意志というものはないというのが僕の結論になりました。そして同時に,自由意志とことばではいえるけれども,それがどういう意志であるのか,すなわち,それ(自分)自身だけを原因としてそれ自身のうちに生じてくる意志,あるいは,スピノザ哲学のいい方をするなら,それ自身が第三部定義一でいわれる十全な原因となってそれ自身のうちに生じてくるような意志については,それがどのような意志であるのかということについて,それをおぼろげながらであってもイメージ(表象)することさえ困難になってしまいました。つまり,単に自由意志の主体となるものがどういう存在であるのかを考えていく前に,そもそも自由意志とはどんな意志であると考えればいいのかが分からなくなってしまったのです。そしてこれを考えているうちに,僕はどういう理由からか忘れてしまったのですが,あらぬ方向から自由意志というものをイメージするようになり,それがスピノザの哲学へと回帰する直接的な原因となったのです。
コメント

チャボ・ゲレロ&個別性と必然性

2006-10-19 22:57:32 | NOAH
 G+にはNOAH関係の番組(中継,ノアdiコロッセオ,独占ノア情報)のほかにプロレスクラシックというのがあって,過去の全日本プロレスの試合を放送しています。月毎に更新されるのですが,今月は僕くらいのプロレスキャリアの持ち主には有名な,大仁田厚とチャボ・ゲレロの試合が放送されています。
 大仁田は前年,アメリカで武者修行中にチャボ・ゲレロを破り,NWAインターナショナルジュニアヘビー級(現世界ジュニア)のチャンピオンとなり帰国,その後,日本で何度かタイトルの防衛に成功し,チャボ・ゲレロの挑戦を受けました。この試合がダブルフォールという不透明な決着となったために,ベルトがNWA本部預かりとなり,改めて大仁田とチャボの間で王者決定3番勝負が争われることになり,初戦を大仁田,2戦目をチャボが勝って迎えた第3戦がこの試合。試合は逆さ押さえ込みで大仁田が勝ったのですが,この試合を有名にしたのはこの後。試合後,一旦は大仁田を称えたチャボが,勝利者トロフィーで大仁田に襲い掛かり,この破片が大仁田の右腕に刺さってしまい大流血となったのです。
 大仁田はその後,無事に復帰したものの,最終的には膝を悪くして全日本プロレスを退団。その後FMWを旗揚げしました。そのFMWではわざわざ身体を傷付けるような試合をしましたが,このときのチャボから受けた暴挙に,その発端を感じてしまうのです。

 出来事の一回性という考え方は,事物は個別的に考えられなければならないというスピノザの考え方に実は近似しているわけですが,これらはさらに,前回のテーマとして扱った第一部公理三の,ふたつの意味のうちの強い意味に関係していると僕は考えています。というのは,一定の原因が与えられればそこから必然的に結果が与えられるのなら,逆にいえば,ある個別の結果というのは,その原因から必然的に生じているのです。したがって,ある人間が個別の結果としてある事柄を意志する場合には,この意志はその原因から必然的に生じているということになるので,そのときその人間が意志しないということは,必然的であるというのと反対の意味で不可能であるということになるでしょう。
 これが,人間には自由意志はないという考え方に対するある反論を無効にするのは明白だと僕には思えます。
コメント

TCKディスタフ&スピノザとの近似性

2006-10-18 22:42:35 | 地方競馬
 このブログのスタイルの説明です。
 TCKディスタフ。穴と期待した笠松のクインオブクインが除外となり,15頭で発走。ベルモントノーヴァが出遅れて後方からの競馬になりました。逃げたのはアヤパン,2番手にオルレアンと4枠の2頭が引っ張る展開。グリンセレブは中団の内,その外にエトワールフルーヴ,直後にアウスレーゼでレースが進みました。向正面で先行していたドラゴンウィンが鼻出血(鼻血のことです)を発症して一気に後退。このあおりを受けたのでしょうか,グリンセレブが位置取りを一気に下げてしまいました。対照的にスムーズに進出できたのがアウスレーゼで,直線は馬場の中央から先行各馬を捕え,鞍上の真島大輔騎手とともにトゥインクルレディー賞に続き重賞二連覇となりました。一旦は下がってしまったグリンセレブですが,立て直して直線は大外へ持ち出すといい脚を長く使って2着。不利があったのか判然としませんが,惜しいレース内容で,この2頭はここでは力が上であったという感じです。3着に入ったエトワールフルーヴは,上位2頭とは現時点では差を感じましたが,力をつけてきているのは確かだと思われます。

 もちろんその当時の僕がそれを意識していたわけではありませんが,ある出来事は1度しか生じないと考えること自体は,スピノザの哲学とも近似性をもっているように思います。というのも,物事の一般性と特殊性に関するスピノザの考え方からして,出来事は一般的にではなく特殊的に考えなければそれを正しく認識することはできないということになると思うのですが,ある出来事は1度しか生じないのだから,それはそれと似たような出来事と同じに考えてはならないというのは,まさにそのスピノザの考え方に適っていると考えられるからです。あるいはここでテーマにしている意志の問題だけに引きつけて考えても,スピノザは意志一般とは個々の意志作用の総体であるという主旨のことをいっていて,これはまさに,ある意志作用はその意志作用だけで個別に考えられなければならないということになると思うからです。
コメント

観音寺記念&出来事の一回性

2006-10-17 20:58:10 | 競輪
 観音寺記念(映像)。前を取ったのは市田選手で,3番手に武田選手,中団の5番手に佐々木選手,後方8番手に伏見選手で周回。セオリー通りに伏見選手が上昇しようとすると,これを見て武田選手も動き,市田選手を抑えて先頭に。伏見選手もそのまま上昇して打鐘前のバックでは先行争いになり,一旦は伏見選手が前に出たのですが,内を開けたまま流したので,再び内から武田選手が出て先行。これを佐々木選手がホームから叩きに出たのですが,飯嶋選手の牽制で後退。このとき内が開き,伏見選手がそこをついたのですが,戻った飯嶋選手が武田選手の番手を死守。伏見選手の番手の村本選手が3番手に切替えました。市田選手が3~4コーナーにかけて猛然と捲ってきたのですが前には届かず,先行した武田選手を捕えて飯嶋選手が優勝。武田選手が2着に残り,3着は村本選手でした。武田選手は伏見選手の隙をついて先行したのが好判断。飯嶋選手の協力はありましたが,だれにも捲らせなかったわけで,強いレースをしたといえるでしょう。一方の伏見選手,バックで内をついた判断自体はよかったと思いますが,やや思い切りに欠けた感があります。佐々木選手は結果として叩けなかったわけですから,今日のところは力不足というほかありません。優勝した栃木の飯嶋則之選手は,確か自転車競技で強化選手になったことがあったと思うのですが,競輪ではさしたる実績はなく,これが記念初優勝。というより,記念の決勝自体,今回が初めてでした。今回は4日間のうち,武田選手の番手が3レース,残る1レースも伏見選手の番手を回れて,つきがあったようにも思います。
 明日は大井TCKディスタフです。日本テレビ盃で4着と好走したグリンセレブ◎に期待。トゥインクルレディー賞を勝ったアウスレーゼ○が相手で,穴に笠松から遠征のクインオブクイン▲。あとはエトワールフルーヴ△とベルモントノーヴァ△。

 満員電車で老人に席を譲るといっても,それは一般的に考えることはできません。そういうケースというのはいくらでもあって,その各々のケースはすべて違うのであって,すべてを個別のケースとして考える必要があると思うのです。もちろんこのケースに限らず,どんな出来事も,その出来事として考えるなら,ただ1度だけ生じるのであって,似たような出来事が生じるということはあったとしても,まったく同一の出来事が2度,あるいはそれ以上生じるということはありません。これはたぶん否定のしようがないだろうと思います。だとしたら,あるときに老人に席を譲ることを意志したとしても,その意志したということ自体がただ1度の出来事と考えるべきで,そのときには意志しないという選択はなかったと考えるべきであろうと思うのです。同様に,その意志が生じてもおかしくないような状況にある人が遭遇したときに,これを意志しなかったとしても,その出来事においてはその人はそう意志するという選択はなかった,あるいはそう意志することが不可能であったと考えるべきではないかと思うのです。そしてこう考える限り,人間に自由意志はないという結論は覆せないと思います。
コメント