スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

お~いお茶杯王位戦&消極的理由

2024-08-22 18:53:10 | 将棋
 19日と20日に唐津で指された第65期王位戦七番勝負第四局。
 渡辺明九段の先手で矢倉。先手の動きに対応して後手の藤井聡太王位は矢倉中飛車にして中央から攻めていきました。
                            
 第1図は☗8四角と取る一手です。しかし先手はこの手に2時間37分を消費して封じ手にしました。
 封じ手以後の展開を一晩ずっと考えるために,当然の手を封じ手にするということは,勝負の駆け引きとしてはあります。ただこの場合は時間を使い過ぎで,残り時間が一方的に少なくなってしまいますから,そういう理由の長考だったとは僕には思いにくいです。中飛車に対する研究に不足する部分があったか,研究はしていたのだけれども勘違いして違った形に進めてしまったのではないでしょうか。誤算があったための長考だと僕は判断します。
 ☗8四角に後手は☖5一飛と引きました。対して先手は☗5九銀。これは実戦のように☖8一飛に対して☗4八角と引く意味です。
 後手は☖6五桂と跳ねました。5七に歩を成られるのが厳しいので☗5八銀。後手はあっさり☖7七桂成☗同金右と交換し,☖1三角と上がりました。
                            
 ここで☗5七歩と打ったのですが☖7五歩から一方的に攻められ先手の敗勢となりました。第2図では☗2二歩と打った方がましでしたし,第1図から第2図の展開のように受けるのではなく,どこかで暴れていく必要が先手にはあったことになります。
 藤井王位が勝って3勝1敗。第五局は27日と28日に指される予定です。

 イサークとミリアムMiryam de Spinozaのどちらが先に産まれたかということを検討する際に,吉田は時間的ゆとりがあるかないかということを重視していました。この点については,イサークが先に産まれたのであろうと,ミリアムが先に産まれたのであろうと,第二子とスピノザの間に,もうひとりの子どもが産まれるだけの時間的なゆとりはあったと吉田自身がいっていますので,この点は不問に付します。つまり,レベッカがスピノザの姉として産まれるだけの時間的なゆとりはあったということで,この点からレベッカがスピノザの姉ではあり得なかったという結論は出せないということです。
 こうしたことを前提として,それでもレベッカはスピノザの妹ではなかったかという説を吉田は展開しています。そこには消極的な理由と積極的な理由があると吉田はいっていますが,この消極的理由というのは,ミリアムの夫の再婚相手にレベッカがなったという点です。つまり,レベッカがスピノザの妹であったとすると,もしもミリアムの夫の再婚が急がれていたとするなら,レベッカはどんなにスピノザとの年の差がない妹であったとしても,18歳前後で幼子が残された姉の夫のところに嫁いだとしなければなりません。しかしこの時代に18歳あるいはそれ未満で嫁ぐということはとくに珍しいことではなかったので,このことはレベッカがスピノザの姉であったということを,スピノザの妹であったということより優先的に支持する根拠にはなり得ないというのが吉田の指摘です。ですからこのことはこれ自体では,レベッカがスピノザの妹であったということを優先的に支持する理由にもなっていないことは明白でしょう。つまり,吉田は消極的理由といっていますが,これは本来的な意味ではレベッカがスピノザの妹であるとする理由にはなっていません。ただ,レベッカがスピノザの姉であるという理由を構成しないというだけです。
 当時の慣習として,20歳になっても独身である女はほとんどいなかったとすれば,これはレベッカがスピノザの妹であったことを支持する理由にはなります。もっとも,実際にそうであったとはいい難いので,やはり理由とはいえないでしょう。

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