スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

化粧②&対抗

2018-12-07 19:28:21 | 歌・小説
 化粧①で僕はこの歌は情念的であるといいました。そしてこの情念には,幾分か歌い手である女の妄想が入り混じっているようにも感じています。

                                

     あたしが出した 手紙の束を返してよ
     誰かと二人で 読むのはやめてよ


 歌い手はこのように歌っています。
 歌い手がかつて男に手紙を出したのはおそらく事実なのでしょう。そして束といっているくらいですから,歌い手が出した手紙は一通や二通ではなく,かなりの量に上るのでしょう。これもまた事実だと思います。そしてかくも多くの手紙を同じ男を相手に出すことができたこの歌い手は,きわめて情念的な人間であるという見方が可能だと思います。歌い手はそれはその男以外のだれかには読まれてはいけない手紙であると知っているから,だれかと読むのはやめろといっているのであり,よってその手紙の内容はさぞかし情念的なもの,あるいは情熱的なものであっただろうと推測されるからです。なおかつそれを何通も出しているのですから,確かにこの部分には歌い手の性質が含まれているといえるのではないでしょうか。
 歌い手がだれかといっているのは,当然ながら男の恋人でしょう。ふたりでといういい方がそれを示唆しています。でもこの部分には歌い手の想像力が働いているのだろうと僕は思います。つまり,実際に男が恋人とこの手紙を読んでいるというわけではなくて,読んでいるということが歌い手に想像されているだけだと僕は思うのです。そしてその想像によって,歌い手は自身のプライドが傷つけられるように感じているのでしょう。
 束にできるほどの手紙を送る人間は珍しいかもしれず,その限りで男は本当にだれかとその手紙を読むかもしれませんが,歌い手はそれを事実として知っているわけではないでしょう。そしてそれほど多くの手紙を書いて送ることができるということは,実は歌い手にとっては誇りであったのです。その誇りに傷がつくことを,想像の上で歌い手はひどく恐れているのです。

 眠気を感じるということは,他面からいえば眠気を感じる意識があるという意味で,これは起きている状態でしか生じません。スピノザの哲学では意識とは観念の観念idea ideaeのことで,眠気を感じるということは,眠気を感じている自分の身体corpusの観念の観念があるという意味です。
 僕はこの眠気は,睡眠欲という感情affectusを身体とだけ関連させたものであると規定しました。よってこれは,自身の睡眠欲の観念があるといっているのと同じです。感情は身体の状態だけでなく精神mensの状態も意味することになっていますから,この場合には観念の観念という必要はありません。第三部定義三はある種の観念が感情であるといっているので,感情の観念というだけでそれは観念の観念を意味し得ることになるからです。
 このとき,睡眠欲を意識し得るということは,起きているということだから,睡眠欲に対抗できているという意味であると解されるかもしれません。ですが僕はそのようには考えないのです。むしろ起きているにも関わらず睡眠欲を感じているとするなら,それは睡眠欲に従属しているということだと考えるからです。つまり,睡眠欲という感情に支配されて眠ってしまうか,それを感じつつも起きているかということが睡眠欲への対抗であるとは僕はみなしません。睡眠欲に対抗するにはその睡眠欲という欲望cupiditasを解消することが絶対的であると考えるのです。そこでもしも睡眠欲に対抗するということだけを眼中に置けば,むしろそのまま眠ってしまう方がよりよい対抗手段であり得るでしょう。眠れば睡眠欲は除去されるであろうからです。最初にいったように,いかにそれが自然の秩序ordo naturaeが要求する受動的な欲望であったとしても,睡眠自体は現実的に存在する人間の現実的存在を維持するために必要なのですから,睡眠欲に従属してしまうことがその受動的な欲望に対抗することであり得るというのは,本来的にはおかしなことなのですが,確かに対抗の手段であるということは僕は認めます。
 そしてこのようなことを認めざるを得ないのは,起きている限り,睡眠欲そのものを解消するということは不可能であると僕は考えるからです。これにも理由があるのです。
コメント

ローリング&楽観の危険性

2018-10-06 18:59:25 | 歌・小説
 「孤独の肖像1st.」が収録されている「時代」には,「ローリング」という楽曲も収録されています。これも僕が好きな曲のひとつです。
                                
 元々は1988年に「中島みゆき」というタイトルのアルバムに収録されていたものです。これは椎名和夫によるアレンジで,「時代」のものは瀬尾一三のアレンジ。「孤独の肖像」と「孤独の肖像1st.」とは違い,曲の最後のところを除けばアレンジ以外の相違はなく,最後の部分の相違も重大な相違であるとは僕は思いません。
 「狼になりたい」のように,中島みゆきの曲の中には歌い手が男というものも何曲かあります。「ローリング」もそうなっています。

      Rollin'Age 淋しさを
      Rollin'Age 他人に言うな
      軽く軽く傷ついてゆけ


 これはだれかに対するメッセージというのとは違います。歌い手が自分自身にいいきかせているのです。

      Rollin'Age 笑いながら
      Rollin'Age 荒野にいる
      僕は僕は荒野にいる


 僕はここにこの歌い手の矜持のようなものを感じるのです。そして僕がこの曲が好きなのは,それがすべてなのです。僕にとってこの曲は,聴くものというより口ずさむものです。ほんの少しだけでも,この歌い手に僕自身を重ね合わせるために。

 憎しみodiumから生じる欲望cupiditasはどのようなものでしょうか。その代表としてあげられるのが第三部定理三九です。すなわち人間は,ある人間を憎むと,それによって自分により大なる害悪が加えられることがないと判断する場合は,その人間に対して害悪を加えようとするのです。そして第三部定理三七が示すように,憎しみが大であればあるほど,害悪を加えようという欲望もそれだけ大きくなるのです。
 このために,自分とは別のある人間の精神mens humanaの自由な決意によって自分が害悪を被ったと知覚している人間は,その別の人間に対して害悪を加えようという欲望を抱くことになります。とりわけ害悪を被った人間は,現に生じていないこと,いい換えればその別の人間が別の精神の自由な決意によってなすことができたことに関しては楽観的に表象するimaginariので,こうした事象,すなわち実際に害悪を加えてしまうという事象が生じやすくなっているのです。しかしすでに述べたように,別の決意によってなすことができたと信じていることが実際に起こった場合,本当に自分が害悪を被らずにすんだのかどうかは不明です。むしろその決意によってことがなされれば,もっと大きな害悪を被っていたのかもしれないからです。
 実は,このような欲望に引きずられてしまう人間もまた,高慢superbiaの一歩手前にいるのです。なぜなら,第四部定理五七備考でスピノザがいっているように,他人について正当以下に感じている人間もまた高慢であるからです。ある人間の行為によって自分が害悪を被ったとしても,その行為がなければもっと大きな害悪を被ることになっていたかもしれないのに,そのことは考慮せず,単に害悪を被ったという理由だけでその人間に害悪を与えようとする人間は,害悪を与えた人間のことを正当以下に評価しているといえるでしょう。
 僕たちは喜びlaetitiaを希求して悲しみtristitiaを忌避しようとしますから,現に起きている事態が悲しみである場合には,現に起きていないことの方を楽観視する傾向conatusがあります。そういう傾向があること自体は致し方ありません。ですがその楽観視に引きずられてはいけないのです。それは十全な観念idea adaequataではなく,混乱した観念idea inadaequataだからです。
コメント

化粧①&併用

2018-09-22 19:04:49 | 歌・小説
 「それ以上言わないで」や「捨てるほどの愛でいいから」,あるいは「孤独の肖像1st.」といった楽曲は,別れを主題にした歌といっても,強い情念が剥き出しになっているとまではいえません。それは旋律にも表れているように僕には感じられます。ただ,僕は別れを主題とした楽曲として,こうした類のものだけを好むというわけではありません。これらとは明らかに系統が異なるものについてもいくつか紹介していきましょう。
 まずは「わかれうた」も収録されている「愛していると云ってくれ」の中の「化粧」です。これはきわめて情念的な歌だといえるでしょう。
                                
 歌の場面は,ふられた女がふった男に最後に会いにゆくところです。最後に会う前の女の心情が綴られた作品です。楽曲のタイトルがなぜ「化粧」であるのかは,冒頭で分かります。

     化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
     せめて今夜だけでも きれいになりたい
     今夜あたしは あんたに逢いにゆくから
     最後の最後に 逢いにゆくから


 これが2番になるとさらに情念的になります。

     化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
     今夜死んでもいいから きれいになりたい
     こんなことならあいつを捨てなきゃよかったと
     最後の最後に あんたに思われたい


 女が本当に化粧をするのかも分からないですし,そもそも本当に男に会いにいったのかも判然とはしません。あくまでも全曲を通して,女の心情だけが歌われているのだと僕は解しています。

 5月23日,水曜日。母の消化器内科への通院の日でした。
 家を出たのは9時。病院に着いたのは9時半でした。採血を15人ほどが待っていましたので,消化器内科の受付をすることができたのは9時45分でした。この後,診察を待っている間に母はトイレに行きましたが,下血があったとのことでした。診察室前の長椅子に横になっていますと,看護師が気付き,処置室に入れてもらい,ベッドで横になることができました。診察が始まったのは10時45分で,これもベッドに横になったままでした。
 下血に関しては,どうしても生じる事象で,かつ出血を止めることも困難であるので,何らかの治療をするということはないし,治療しないのだから詳しく検査をする必要もないという話でした。ヘモグロビンは10.6㎎/㎗で,下限値である11.3㎎/㎗を下回っていましたし,赤血球数も333万/μℓで,下限値の376万/μℓを下回っていましたが,大幅に不足しているというわけでもないので,輸血をする必要もないとのことでした。
 母はワンデュロパッチを使うようになってからはカロナールもオプソも服用していませんでした。ですがもし疼痛を感じるなら,そちらも服用するように強く勧められました。末期癌の患者が痛みを我慢するのはマイナスにしかならず,鎮痛剤を服用する方が少しだけでも長く生きることができるようになるのだそうです。ワンデュロパッチの使用は継続することになりましたが,前回より大きなものへと変更になりました。これについては後でもう少し詳しく説明します。
 最後に,主治医から,今日のうちに入院することが可能だけれどもどうするかという質問がありました。母は痛みを抱えて生活していましたから,入院したいという気持ちはあったようですが,この日は断っています。ただ,おそらく病院にいる方が現時点では楽に暮らせそうなので,翌週に再び診察の予約を入れ,気持ちを確かめるということになりました。
 この後,緩和ケア病棟での相談の予約が入っていました。これが午後2時からでした。時間がありますが,それまで処置室のベッドで待っていてもいいとのことでした。
コメント

南三条⑨&ワンデュロパッチ

2018-09-15 18:48:26 | 歌・小説
 で示したリフレインは,街並が一新されるほどの時間が経過したにも関わらず,歌い手の心情は男にふられた日,あるいはその男が声を掛けられた女と付き合うようになってから変わることはなかったということを意味しています。変わることがなかったその心情というのは,表面的にはで歌われている,声を掛けてきた女に対する憎しみなのですが,実際にはその憎しみというのはで歌われていた自分自身を許せないという思いの代替の感情です。ですから実際に変化することがなかった歌い手の感情がどのようなものであったのかといえば,自分自身を許せないという思いであったと解釈するのが正しいだろうと僕は思います。したがって,歌い手は男にふられたそのときには,自覚があったかどうかは別としても,自分を許せないという思いを抱いていたのだと僕は解します。
                                     
 この許せないという思いは,男を惚れさせることができなかったという点を理由としています。ということは,男を惚れさせた声を掛けてきた女との対比が隠されているのかもしれません。つまり声を掛けた方の女は男を惚れさせることができたのに対し,自分は惚れさせることができなかったがゆえに,自分のことを許せないという思いが発生したとみることができるのです。これはおそらく,声を掛けてきた女は男を惚れさせる要素を有し,自分にはそれがなかった,いい換えれば声を掛けてきた女には自分が有していないような何かがあったと歌い手はみているということでしょう。そしてたぶんそのゆえに,声を掛けた女は歌い手の代替たり得たのだと僕には思えるのです。つまり自分と似ているがゆえに代替たり得たのではなく,自分とは似ていないがゆえにかえって自分の代替たり得たのだと僕は思うのです。
 で歌われる無邪気さとか,で歌われる屈託のなさが,おそらく歌い手にはなくて声を掛けた女にはある要素です。そのゆえに代替たり得たのだとすれば,もし自分にそうしたものがあれば,男を惚れさせることができたし,ふられることもなかったと女は思い続けていたのでしょう。

 夕食の準備中に母は鎮痛剤を飲みました。これは前に処方されていたカロナールです。
 4月26日,木曜日。前日は薬局に処方箋を届け出ることができませんでしたので,この日の午前中に行きました。処方されていた薬剤は4種類です。
 スピロノラクトンとフロセミドは利尿剤で,これは前の週に処方されていたものと同じです。ただし,前の週は錠剤でしたが,この週は錠剤を粉砕して粉末状にしたものでした。粉末状にされたものはそれぞれ袋に入れられます。ですから実際に受け取るのは粉薬だと理解してください。この粉砕作業と袋詰めの作業は,薬局の薬剤師によるものだったと思われます。
 鎮痛剤の飲み薬としてはオプソ内服液というものが処方されました。これは袋に入った液体,実際にはゼリー状のような半液体の薬品でした。後に一袋に10㎎が入っているものを処方されたことがありますが,このときに処方されていたのは5㎎です。この薬品には副作用がいくつかあるのですが,母はこれを飲むと痒みを感じることが多かったようです。ですから10㎎のものが処方された後も,5㎎の方を好んで飲んでいました。また,この薬品は痛みを感じたときに飲むというもので,利尿剤のように決まった時間に飲まなければならないものではありません。これは前に処方されていたカロナールと同様です。飲んでから1時間以上が経過していたら飲んでもよいというものです。いい換えれば1日に何度でも,といっても1日は24時間ですからもちろん限りはありますが,飲むことが可能な薬でした。
 最後の鎮痛剤は貼付剤のワンデュロパッチというもので,麻薬でした。このときに処方されたのは0.84㎎というもので,母が処方されたものとしては最も小さなものでした。貼り薬というとたとえばトクホンのようなものをイメージされるかもしれませんが,このときに処方されたのはそんなに大きなものではなく,ピップエレキバンのような小さなものです。これは貼ると効果が24時間継続するので,毎日決まった時間に張り替えるという薬です。
 このワンデュロパッチが麻薬であったために,薬局で問題が生じることになりました。
コメント

孤独の肖像1st.⑥&再診

2018-09-08 18:59:46 | 歌・小説
 で歌われていることは,単にことばの上だけでは歌い手の本心を表現しているわけではないということは,この楽曲の最後の部分で鮮明になっています。
                                

     消えないわ心の中 消えやしないわ
     消せないわ心の中 消せやしないわ


 歌い手が消えることはないし消すこともできないと言っているのは,孤独に苛まれている心のことではありません。少なくともそれだけではありません。

     手さぐりで歩きだして暗闇の中
     もう一度はじめから愛を探したい


 ここでいわれている暗闇が孤独の象徴,孤独を精神的な意味で表した場合の象徴であることは疑い得ません。ですから歌い手はその暗闇の中に留まっていたいわけではないのです。むしろ手さぐりでもそこから歩き出して,愛を追求していきたいのです。
 闇があるから光があるというのは確かな事実です。これに倣えば,少なくともこの歌い手にとっては,孤独があるから愛もある,あるいはなければならないということになっています。逆にいえば,愛があるから孤独があるともいえるでしょう。強い孤独感に襲われるとき,たぶん人は愛を求めているのです。そして愛があるということを信じているのでしょう。

 4月18日,水曜日。事前の予定通りにとみなと赤十字病院に行きました。
 11時までにということでしたが,なるべく早く行った方がいいだろうと思いましたので,家を出たのは9時15分です。タクシーがなかなか来なかったので,病院に着いたのは9時40分になっていました。
 予約があったわけではありませんから,再診の受付をする必要がありました。これには少し時間を要しました。この受付を終えると,すぐに消化器内科の受付に。なぜ受診したいかを尋ねる問診票がありましたので,これは母に記入してもらいました。この記入を終えるとすぐに看護師が来て,処置室のベッドに案内してくれました。そのままベッドで検温や血圧測定といった事前の検査が行われました。
 診察したのはこの日の初診の担当の医師でした。この医師が処置室に来たのが10時40分です。ただ,口頭でのやり取りだけではなく,いろいろと検査を行いたいとのことでした。そこでまず,この場で採血が行われました。さらに採尿もしたいということでしたので,最寄りのトイレでこれを行いました。さらにCTの撮影も行うことになりました。CTの撮影には造影剤を用いますので,造影剤を注入するための針をこの場で装着しました。CTの撮影は2階で行いますが,これは看護師が車椅子を押していってくれるとのことでしたので,僕は処置室で待機していました。母が検査を終えて処置室に戻ってきたのは11時40分でした。
 12時5分になって,医師が再び処置室に現れました。もちろんこれは結果の報告のためです。まず,癌の影響で肝臓は肥大化し,腎臓だけではなく胃も圧迫しているとのことでした。肥大化した肝臓が破裂してしまうおそれはないという話もありましたが,逆に破裂してしまうケースがあるということの方が僕にとっても母にとっても驚きでした。
 腹水はやはり溜っていました。ただし量としては多い方ではなく,1ℓには満たないということでした。とはいえ,同じ量でも体格によって感じ方は異なるのではないかと僕には思えます。母は小柄ですから,量としては大したことはなくても,辛かったのではないでしょうか。
コメント

南三条⑧&神経障害

2018-09-01 18:59:08 | 歌・小説
 南三条⑦で示したように,歌い手にとって目の前の女,かつて自分がふられた男とその後に付き合うようになった女は,自分の代替たり得たのだと僕には思えます。なぜ代替たり得たのかはよく分からないのですが,「南三条」には三番まで通して共通に歌われる部分があります。この部分は歌い手の心情の吐露にもなっていますので,もしその理由を探求しようとするなら,役に立つのかもしれません。
                                     

     南三条泣きながら走った
     胸の中であの雨はやまない


 南三条は札幌にある通りの名前です。歌い手はかつてその通りを泣きながら走ったのです。泣きながら走ったのは,男にふられたときかもしれませんし,あるいはその男がこのときに目の前にいる女と一緒にいるのを目撃したときかもしれません。で歌われているように,この楽曲は目の前の女が歌い手を見つけて呼び止めることによって始まります。それとの調和でいえば,後者の方がよい解釈になりそうだと思います。
 胸の中でやむことがない雨というのは,何かの比喩であるのと同時に文字通りの雨だと僕は解します。つまり歌い手が泣きながら走った日は,雨が降っていたのです。

     南三条よみがえる夏の日
     あの街並はあとかたもないのに


 女が泣きながら走ったのは夏だったことが分かります。そのことがよみがえった,つまり思い出したのは,目の前に女が現れたからです。
 女はその後,男と別れて別の男に出会い,結婚して子どもを産んでいるのですから,それなりの年月は経っています。だから街並が一新されているのは不思議ではありません。ですがこの部分が重要なのは,街並はあとかたもないけれど雨はやまないという点です。どれだけの時間の経過があったかは明確ではないですが,少なくとも女に声を掛けられ,すべての真実を知るときまで,歌い手の心情は泣きながら走ったときと何も変わってはいなかったのです。

 この日の診察では,前回の診察日の翌週に受診した合併症の検査の報告もありました。
 僕はよっつの検査を受けたのですが,血管超音波の検査については何の異常もありませんでした。血圧脈波の検査も異常はみられませんでした。ただ,血管の硬さは50代の前半に相当するという結果が出ていました。僕の誕生日は1970年12月7日ですから,今年の誕生日で48歳になります。それでみれば僕のいわゆる血管年齢は少し高いということになるでしょう。ただ,主治医は,Ⅰ型糖尿病であるのだから,血管年齢が実年齢より高くなってしまうのは致し方ないという主旨のいい方をして,とくに心配する必要はないとのことでした。一方,僕が帰宅後に母に伝えた検査結果のうち,母にとって最も衝撃的だったのはこの点にあったようです。母はできれば僕には元気で長生きし,妹の面倒をみてもらいたいという希望をもっていましたが,どうもそれは難しいことなのだとこの結果から感じたからです。
 神経伝導および自律神経の検査については,異常の所見が出ていました。報告をそのまま文字にすれば,後脛骨神経の遠位潜時が延長しているというものです。ただしこれはテクニカルな問題の可能性もあるとされていました。これはこのことばでは僕には何のことか分からなかったのですが,検査を施行した右脚に,ごく初期の神経障害が発生している可能性が否定できないという意味だそうです。テクニカルな問題というのは,機器が正確な値を出していない可能性があるという意味かと思われます。
 実をいうと僕はこの検査結果に関しては,思い当たるふしがまったくなかったわけではありません。正座をするとか脚を組むとかしたときに,脚が痺れてしまうという経験はだれでももっているのではないかと思います。僕もそうであったのですが,以前と比べると,右脚が痺れるというケースが左脚が痺れることより多くなっている,他面からいえば,右脚は左脚より痺れやすくなっていると感じていたからです。ですからこれはおそらく計器の問題ではなく,僕にはすでに合併症のひとつである糖尿病性神経障害の初期の段階が発症しているのだと思います。
コメント

孤独の肖像1st.⑤&輸血

2018-08-25 19:11:26 | 歌・小説
 で求めているものが嘘や夢という非現実的なものにすぎず,しかもそれが現実的になったとしても寂しさ,すなわちこの楽曲の主題となっている孤独から逃れることができる確信をもつことができないと歌った歌い手は,一種の諦めの境地に達してしまったかのように続けます。
                                     

     愛なんて何処にも無いと思えば気楽
     はじめからないものはつかまえられないわ


 気楽,と歌っていますが,実際に気が楽になっているわけではありません。愛などはじめからない,ということは歌い手が真剣にそう思うようになったというわけではなく,無理に自分にそう思い込ませようとしていることにすぎないからです。ですからこの歌詞が意味するのは,歌い手は愛を求めているということ以外の何ものでもありません。

     隠している心の中 うずめている心の中
     もう二度と悲しむのはこりごりだから暗闇の中へ


 暗闇の中とは孤独の中という意味です。したがってことばの上ではここでは歌い手は孤独を追求していることになります。ですがその理由はもう悲しむのはいやだからという消極的なものであることも明らかです。よって心の中に隠していること,あるいは埋めていることというのは,孤独の追求ではなくてむしろ愛の追求です。ですからここの部分も,歌い手は行動の上では暗闇という孤独の中に沈んでいくのだとしても,歌い手の心中は別のところにあるということになるでしょう。

 CTの検査を終えた僕たちが再び消化器内科の診察室に呼び込まれたのは午後1時20分でした。まずCT検査の結果が告げられましたが,何か特別な異常があるわけではなく,下血の原因は不明であるということでした。原因不明でしたが,異常はなかったので,このことについてさらに検査をすることはありませんでしたし,何らかの治療を施すということもありませんでした。たぶんですが肝臓癌が進行してくれば下血というのはどうしても避けようがないことなのではないかと思います。逆にいえばこの時点で母は,下血が発生するまで癌が進行していたのだと解しておくのが適切なのではないでしょうか。
 検査前の診察のときに,貧血の症状がかなり進んでいるので輸血が必要であるという話がありました。これはこの日のうちに行うことになりました。ただ輸血のためには事前に採血をしなければならないので,僕たちは診察室を後にして,再び中央検査室に向いました。これは血液型を確認するためのものだったのではないかと思います。それでも結果が出るまでには一定の時間を要するので,その間に昼食を摂ってもよいとのことでした。なので採血後に院内の食堂で食事をしました。これが午後1時40分のことです。
 今度は診察室ではなく診察室の裏にある処置室に向いました。母が副作用に耐えられなくなり,当日に電話して病院に行った日に,横にさせてもらった部屋です。輸血はここで行われることになっていました。僕たちが処置室に入ったのは午後2時10分で,すぐ看護師が来て,輸血をするための針を母の腕に挿しました。ただ,実際に輸血が開始になったのは午後2時55分です。その血液が空になったのが午後4時40分。ただ母の輸血は1パックではなく2パックでしたので,すぐに2パック目の輸血が開始され,それが終了したのは午後6時でした。
 この日は貧血の症状を抑制するために鉄剤が処方されました。クエン酸第一鉄Na錠50㎎「サワイ」という名称のものです。それと同時に,すでに母には癌に由来する痛みの発現がありましたから,痛み止めも処方されています。こちらはカロナール錠200というものでした。
コメント

南三条⑦&従兄の死

2018-08-08 20:07:47 | 歌・小説
 南三条はの最後,すなわち楽曲の全体の最後の部分で,許せなかったのは自分自身であると歌い手が歌うことによって,その前の部分の意味合いに変化が生じているように僕には感じられます。
                                    
 楽曲の流れからいうと,目の前にいる女の夫,女がおんぶしている赤ん坊の父親が,かつて自分と別れた後でこの女と付き合うようになった男とは別の男であり,歌い手が思っていた男と目の前の女との交際はとっくに終っていたということが,歌い手はその女をずっと憎んでいたけれど,実際に許せなかった,いわば憎しみの対象であったのは自分自身であったということに思い至った原因であるというように解せます。つまり「南三条」で歌われているこの場での出来事が,歌い手に,歌い手自身が自分の憎しみの対象であったと思い至らせる要因となったというように解せます。
 ですが,僕の解釈はそれとは少し違います。ここでそれに思い至ったというのは,あくまでもそれを意識できるようになったということではないかと思うのです。むしろ無意識のうちでは,歌い手は実は自分自身のことをずっと憎み続けていたのであり,この出来事が契機となって,その無意識が意識に上るようになったということだと思うのです。スピノザの哲学で説明すれば,このときの歌い手の精神mensのうちに発生したのは,自分自身を許せないと思う,あるいは憎んでいるという感情affectusないしはその観念ideaではなく,むしろそうした感情や観念は,かつて男と別れたときには歌い手の精神のうちに発生していて,それがこのときに観念の観念idea ideaeとしても歌い手の精神のうちに発生したのだと思うのです。
 この解釈を採用すると,次のことが帰結します。歌い手は無意識下では自分自身を憎み続けていて,意識の上ではその憎しみの対象を目の前の女に代替させていたのです。つまり目の前の女は歌い手にとって,本当の憎しみの対象である自分自身の代償であり得るような女だったのです。だれでも自分の代償たり得るわけではないでしょう。でもこの女はその代償たり得たのです。

 糖尿病に関する診察が終わった後,主治医から合併症の検査をしてほしいという依頼がありました。血管超音波,血圧脈波,神経伝導の検査です。これを次の診察のときの午前に受診すれば,その日の診察の時間内に結果を伝えることができるということでした。
 合併症の検査を受けることについては僕も異存はありませんでした。ですが,診察は必ず月曜で,その日の午前中ということになれば妹を作業所に送って行くことは不可能です。もちろんその前週末をグループホームで過ごすようにすればクリアできますが,必ずそのようにできるというわけではありません。ですからこの検査は診察とは別に受けたいという旨を申し出ました。もちろんそのようにしたい理由というのも主治医に伝達しました。それで主治医は,翌週の火曜日にすべての検査を行えるように手配してくれました。また同じ理由により,次回からは診察の開始時刻を遅らせてほしいということも伝えました。これは午後3時になっています。この日は診察の開始が早かったこともあり,午後3時に帰宅することができました。
 1月17日,水曜日。僕の従兄,の最も上の姉の長男が死亡したという連絡が入りました。肝臓癌だったそうです。父は8人きょうだいの末っ子で,長女というのは父の両親,僕の祖父母からみて最初の子どもでしたから,年はかなり離れています。この従兄も60代後半で,僕が幼い頃にはすでに大人になっていましたから,一緒に遊んだというような間柄ではありません。ただこの従兄が癌であるということは,母は知っていたそうですが僕は知らなかったので,僕にとっては驚きの報知でした。
 1月19日,金曜日。妹を日野の施設に迎えに行きました。
 1月20日,土曜日。帰宅していた妹と母が美容院に行きました。母は12月にも美容院に行っていますので,2ヵ月続けて行くことができたことになります。
 この日が従兄の通夜でした。これは午後6時から瀬谷にある式場で執り行われました。相鉄の瀬谷駅からそこそこ歩いていかなければならないところで,母が行くにはちょっと無理がありましたから,僕がひとりで行くことになりました。
コメント

孤独の肖像1st.④&送迎

2018-08-03 19:08:21 | 歌・小説
 孤独の肖像1st.③で歌い手が求めている嘘というのは次のようなものです。
                                

     いつも僕が側にいると
     夢でいいから囁いて
     それで少しだけ眠れる
     本当の淋しさ忘れて


 求めているのは囁きの部分だといえるでしょう。つまり「いつも僕がそばにいる」と囁いてほしいのです。それが嘘だというのはもちろん,そのことばが嘘であるという意味であり,実際にいつでもそばにいてくれるというわけではないということは,歌い手も理解しているわけです。
 また,この部分ではそれが夢でもいいと歌われています。これは嘘が夢になったいうことではありません。夢の中での嘘でも構わないと解するべきでしょう。ただ,夢であれ嘘であれ,それが現実ではないという点では同じです。つまり虚像を求めるという意味においては,嘘を求めることも夢を求めることも,歌い手にとっては同等の価値を有しているのだということもできます。
 そうした嘘あるいは夢によって,歌い手は少しの間だけでも本当の寂しさ,つまりこの楽曲の主題である孤独を忘れることができるのだと歌っています。ですが本当にそれで忘れることができるのでしょうか。実際には歌い手もそれについて確信があるわけではありません。なぜなら,この部分は最後に一言だけ付け加えられているからです。

     たぶん

 この楽曲は2番までありますが,「たぶん」が加えられているのは1番だけです。

 12月28日,木曜日。妹を日野の施設まで迎えに行きました。これは翌日から作業所が年末年始の休みに入るため,作業がなくなるからです。妹はグループホームに預けられたのですが,原則的に休みの間は家に帰るようにしています。原則的にというのは,そうでない場合もあるからで,その場合は妹は休日をグループホームで過ごすということになります。実はグループホームにはカラオケの機械があり,歌うことができるのです。妹はカラオケが大好きですから,家に帰ることができなくてもそれなりには楽しめているようです。
 それから作業所に迎えに行くのは,場所が近いために,その方が便利であるからです。これも特別な理由がない限り,僕は休日の前日の作業が終了する時刻,具体的には午後3時ですが,これに間に合うように妹を迎えに行きます。そして作業が始まる日の朝,これは午前10時から10時半の間ですが,その時間帯に作業所に送って行くことにしています。これが妹の送迎の基本的なパターンであると理解してください。家と作業所との往復にはバスを使っているのはすでに説明した通りです。バスは概ね時刻表の通りに走りますから,迎えや送りのために家を出る時間や,帰宅する時間というのもほぼ一定になります。この日は午後3時50分に帰宅しました。ただし,この時刻に帰宅するのは今年の3月までです。なぜなら,3月までは3時まで作業といっても,実質的にはもう少し早く終っていましたので,この時間の帰宅が可能でした。ですが今年の4月以降は,午後3時までは目一杯作業するということになりましたので,この時間に家に帰ることができるバスには乗ることができなくなりました。現在の帰宅時間は概ね午後4時20分ごろとなっています。
 1月2日,火曜日。来日中だった伯母が妹を連れて大和にある,伯母や母にとっての両親の墓参りに出掛けました。
 1月4日,木曜日。この日から妹の作業が開始になるので,作業所へ送りました。朝の送る時間は変化がなく,家を午前9時10分に出ます。そして僕が家に帰るのは午前11時15分前後になります。この週末は妹はグループホームで過ごしました。
コメント

南三条⑥&往復

2018-07-27 18:58:44 | 歌・小説
 で知った意外な事実によって,歌い手は新たな感情に捉われることになります。
                                     

     そんなこと知らなかった
     彼といると思ってた
     ずっと憎んで来た無駄な日々返してと
     何を責めればいいの


 で歌っていたように,歌い手は相手の女のことを憎んでいました。本当は相手の女は自分にとって憎まれなければならないことをしたわけではないということを知りつつ憎んでいました。それは恋人を失った心の傷は,そうした八つ当たりでしかない憎しみによってしか癒したり贖ったりすることができなかったからです。ところがその男と今もいると思っていた女は,そうした八つ当たりの憎しみすら成立しない女であったのです。だから歌い手の女には,その憎しみ自体が無に帰し,憎んでいたこれまでの日々が無駄だったと感じられました。
 歌い手は何を責めればよいのかと問うています。しかしそもそも,憎んでいた日々が無駄でなかったとしても,相手は自分の憎しみを受けなければならない存在ではないということは知っていたのですから,この問いの答えは難しくありません。

     許せないのは許せなかったのは
     あの日あいつを惚れさせるさえ
            できなかった自分のことだった


 最終的には責任はすべて自分に帰ってきます。この「南三条」の終幕から,僕は「ノスタルジア」や「かもめの歌」の一節を連想します。

 通所施設と僕の家との往復は,まず僕の家の最寄りのバス停から根岸駅に出て根岸線で洋光台に行き,駅前からバスに乗るのが最速です。ですが通所施設と洋光台駅を結んでいるバスは上大岡駅の発着なので,最寄りのバス停から上大岡駅まで出て,バスを乗り換えるという方法もあり,僕は基本的に,というのはよほど急がなければならない場合を除いてという意味ですが,こちらを採用しています。その理由はふたつあって,ひとつはこれらはいずれも横浜市営の路線バスで,僕は市営バスについては定期券を持っていますから,定期代を別にすれば乗車賃を払う必要がないということです。もうひとつは,妹と一緒の場合,バスに乗る方が電車に乗るより楽ということです。改札からホームまでの往復というのは,意外と負担がかかるのです。
 ですからこの日も僕はひとりでしたが,上大岡経由でバスで行き,同様にバスで帰りました。ただ,契約を終了した時点で正午が近くなっていましたから,上大岡で昼食を摂ってから帰宅しています。帰ったのは午後1時45分で,この時点では呼吸器科の診察を終えた母は先に帰っていました。
 12月5日,火曜日。お寺の住職の奥さんが来訪しました。お寺とはK伯母が亡くなってからは,別の信者を通して連絡し合っていたのですが,その信者の方が体調を崩され,この時期にはこの奥さんがお寺と僕の家の連絡係のような役回りになっていたのです。このときの来訪の意図は,この年にお寺のために要した費用の清算がひとつと,もうひとつは今後のことについてです。その中にはもちろん,母は治癒の見込みはなかったわけですから死んだときの話も含まれていましたし,また,お寺に新たに建立される予定の会堂,これは納骨堂を兼ねたものですが,その会堂の話なども含まれていました。
 奥さんと話をしたのは基本的に母で,母は会堂が建立され,そこに納骨堂ができたら,今は日野公園墓地にある僕の家の墓は返し,入っている遺骨,父と父の両親の3人の遺骨は納骨堂に移し,自分と僕と妹もそこに納骨してもらうということを希望していました。納骨のためには費用が必要で,そうした話もあった筈です。
コメント

論者の評価&見学

2018-07-20 18:57:07 | 歌・小説
 伝記作家の評価について記述したことは,伝記を読む場合に特有に注意しなければならないことであるとは必ずしも限りません。評論家が作家の作品を評論する場合にも,先に作家に対するある評価があり,これに合わせて作品を評論するという場合もあるからです。そういう傾向を有する評論はすでに論評してありますので,その特徴を再掲しておくことにしましょう。
                                     
 宮井一郎は,利益社会と人格社会,我執と自由との対立の中で,漱石は人格社会および自由に重きを置いていたと評価しています。この評価は漱石の作品から結論づけられるようになってはいますが,実際には評価の方が先行していて,それに合わせて評論しているのだと僕は解します。『漱石の世界』はそういう評論集であると僕は考えます。この本は評論集であって,漱石の伝記ではありません。実際にこの本の中で漱石の評伝に関連している事柄はほとんどないといっていいです。ですがもし宮井が漱石の評伝を記述すれば,きっと漱石は人格社会と自由を重視するひとりの人間として描かれるでしょう。宮井が漱石の伝記を書けばどのような内容になるのかということはおおよそ推測できるのであって,その推測された内容は,評伝とは無関係な作品評論とも関係するのです。
 『ドストエフスキー『悪霊』の衝撃』で亀山郁夫と対談しているリュドミラ・サラスキナは,明らかにドストエフスキーをひとりの人間として神格化しているように僕には思われます。したがってもしサラスキナがドストエフスキーの伝記を書いたなら,ドストエフスキーはさぞかし人格者として描かれることになるだろうと思われます。こうした神格化はサラスキナがドストエフスキーの作品を読解するときにも影響を与えるのであって,サラスキナのドストエフスキー論はおそらくその点を度外視しては評価できません。つまりサラスキナのドストエフスキー観は,先行条件として作品の読解に影響を及ぼすのです。
 このように,論者の論評対象に対する見方は,論評そのものに影響します。蓮実重彦の『夏目漱石論』の序章で,漱石と呼ばれる人影との遭遇をひたすら回避しなければならないといわれているのは,そうした影響を回避するためでもあります。どこまで回避しているのかは,論評を理解する上できわめて重要な要素なのです。

 11月12日,日曜日。美容院の予約が入っていました。もし可能であれば母が行って自分の髪も切ってもらう予定でしたが,体力的に厳しいということで,僕が妹に同行し,妹の髪だけを切ってもらいました。切ってもらっている間に読書をしました。読書のためにまとまった時間を充てることができたのは,母の大腸癌の切除の手術中以来のことでした。美容院の予約は午後1時。僕たちが帰宅したのは午後2時半。その後でKさんが来訪し,母と話をして帰りました。これは妹のグループホームの話が含まれていて,そのための協力を要請しました。
 11月14日,火曜日。この日は妹が入居することになるであろうグループホームと,その場合の通所施設の見学でした。この時点での妹の通所施設の担当の方が,自動車で家まで迎えに来てくれました。僕と母,そして妹の3人が同乗し,家を出たのは午前10時半です。まず,通所施設に向いました。通所施設の方の案内で,施設の中にどのような部屋があるのかなど,一通り案内してもらいました。この施設には,母が小脳出血で倒れたとき,妹が通っていた通所施設で妹を担当されていた方がいらっしゃいました。僕も妹の支援を決定する際に会ったことがある方でした。
 この後,同じ自動車でグループホームの見学に向いました。グループホームは2階建てになっていて,1階が男性用の施設,2階が女性用の施設です。グループホームは男性と女性が同居するということができない規定になっていますので,1階と2階は名目上は違った施設,1階が第一で2階が第二というようになっています。
 妹の入所が可能になったのは,空きができたからです。したがってその空いた部屋というのが妹の部屋になります。前に入っていた亡くなった方は,亡くなる直前に入居されたようで,テレビなど,わりと新しいものがそのまま置いてありました。遺族の方が後に入る方に寄付をするということでしたので,使わせてもらうことになりました。部屋は概ね6畳ほど。ベッドと箪笥はしつらえてありました。
 見学を終えて家まで送ってもらったのが午後1時前。妹はそのまま同乗して通所施設に行きました。
コメント

誤読の理由&断念

2018-07-13 19:05:08 | 歌・小説
 僕は先生が下宿人としての面接,事実上はの結婚相手としての面接の合格の理由は,先生の財産目的ではなかったと読解します。しかし,『こころ』をそのように読解する識者というのは意外と多くいます。そうした読解をする人は,Kとの同居の後,先生に求婚を迫るためにKに対して静がわざと色目を使ったというように読解するパターンが多く見受けられます。僕はこれは誤読であると考えますが,こうした誤読が生じる理由をひとつ示しておきましょう。
                                     
 これは『こころ』のうち,下の先生の遺書の部分に特化した読解です。つまりテクストを記述しているのは先生です。ですからそこに書かれているのは先生の目から見た世界なのです。よってそこには先生によるバイアスがかかっていると考えなければなりません。いい換えればそれは真実ではなく,もし奥さんや静がテクストを残していたら,もっと別のものになっていたという可能性があるのです。
 先生が長男の悲劇を味わったのは,この家に下宿する前のことでした。そして先生は,国元の事情を語った後には,奥さんや静が自分の財産を搾取した叔父と同じような意図をもって自分に接近しているのではないかと疑っています。テクストはこれよりずっと事後に書かれたものなのですから,先生は自分がそうした猜疑心を抱くのが自然であるかのようにテクストを記述することになるでしょう。
 静が優柔不断な先生に求婚を決断させるために,Kに対して色目を使ったという読解も,このような観点を抜いて評価することはできません。確かに『こころ』のテクストは先生を嫉妬させるために静がKを利用したというように読めないわけではありません。でもそれは先生からみてそうだったというにすぎず,本当に静の意図がそうであったとはいえません。たとえば房州旅行後の静の態度は,むしろその読解を否定する要素を有しているといえないでしょうか。
 遺書は先生が自身の目線で書いているということを見落とすと,このテクストは必然的に誤読されると僕は考えます。

 事前の予約があるわけではないので,こうした通院の場合は再診の受付が必要になります。僕の場合でいえば,処方された注射針の量が足りなかったために通院したという例が過去に2度ありましたが,それと同じです。この手続きに少々の時間を要しました。
 この後で消化器内科の受付をして,順番を待っていましたが,これにも時間を要しました。母は待合所のソファーに横になっていましたが,消化器内科の看護師が来て,診察室の反対側にある処置室という部屋に案内してくれました。ここにはベッドがあり,横になって待っていることができるのです。母がそこで横になっている間に看護師によっていくつかの質問がなされました。これは事前の問診に該当するものであったと思われます。その後で,この部屋に医師が来て,母は横になったままで診察を受けました。この医師は消化器内科の主治医ではなく,この日の消化器内科の新患の担当医です。まず血液検査を行いましたが,この結果は良好なものでした。つまり副作用が血液に表れているということはなかったということです。ただ下痢や吐き気は副作用と思われるので,服用していた薬に関しては,本当は飲んだ方がよいけれども,飲むのを中止してもよいという許可を出してくれました。実際に母はこの後は薬を服用していません。つまり抗癌剤による延命治療は断念したということです。
 その後,母は点滴を行いました。これは栄養の補給と吐き気を止めるためのふたつでした。点滴が終るまでは長く時間が掛かりますので,僕はこの間に院内の食堂に出向いて昼食を摂りました。これでこの日の診察は終了です。会計の受付に行った後,支払いのために計算を待っている間も母はかなり辛そうにしていましたので,支払いをせずにそのままタクシーで帰りました。それが午後3時半ごろです。家には伯母がいますから,母のことは任せ,僕は再びみなと赤十字病院に向い,支払いをしました。
 10月28日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日は地域のお祭りへの参加です。妹の作業所からの出店もありました。土曜はガイドヘルパーを頼んでありませんが,この日は伯母に送ってもらいました。
コメント

孤独の肖像1st.③&打ち合わせ

2018-07-07 19:06:09 | 歌・小説
 孤独の肖像1st.は,に示した楽曲の冒頭部分に続いて,テーマであるといえる孤独がすぐに歌われます。
                                

     どうせみんなひとりぽっち 海の底にいるみたい

 ②で僕がいったように,あるひとりの人間が自分にとって全人類を代表するような存在であるということが僕たちには起こり得ます。その場合に,その人間を何らかの理由によって失うと,僕たちはあたかも海の底にひとりぽっちでいるかのような強烈な孤独感を味わうことになるのです。おそらく人間にとっての孤独感というのは,本来的にはそのような心情のことを意味するのでしょう。いい換えれば,たとえ海の底にひとりぽっていでいようと,それが常態であるとしたら,僕たちは孤独感に苛まれるということはないのです。もし人がひとりで産まれ,ひとりで生き,ひとりで死んでいくものであるとすれば,人は孤独感という心情を味わうこともなかったでしょうし知ることもなかったでしょう。
 ですが現実には人はひとりで生きていくことができません。そのゆえにだれしも何らかの孤独を感じるのです。それは共同しなければ生きていくことができない人というものの宿命であるといっていいかもしれません。

     だからだれかどうぞ上手な嘘をついて嘘をついて

 その孤独感のゆえにこの楽曲の歌い手は嘘を求めます。大事なのは求めているのが嘘であるということです。つまり自分が求めているものは本当のことではないと知りながら,歌い手はそれを求めているのです。

 前日には医師が回診に来たら,退院後のことについて助言を求めるようにに言ってありましたが,その時間からこのときまで,医師は母の病室には来なかったようです。こういうわけで,車椅子にしろ介護用ベッドにせよ,すぐ用意するのはやめておくことにしました。予定の退院日が迫っていましたから,この日のうちに着手しておかないと間に合わない状況でしたが,もし生活に苦労することがあっても,少しの間は母に我慢してもらうことにしたのです。
 見舞いを終えれば妹の歯科検診の計算も終わっていますから,会計をして帰りました。前にもいったかもしれませんが,妹の医療費は無料,つまり全額が公費の負担です。ですから清算といっても支払いはないのですが,それでも計算には一定の時間が掛かるものなのです。
 10月7日,土曜日。前日に僕たちが帰った後だったかこの日の午前中であったかは定かでないのですが,医師の回診があって,予定通りに9日に退院するということが決定しました。ただし,採血の検査が問題ないならばという条件がついていました。これは,採血の結果を待たずに通知しておいた方が僕たちにとっては都合がよいであろうという配慮であったものと思います。母は退院後の生活についても助言を求めたようですが,痛みが生じている手術跡は,日ごとに回復してくる筈であるから,現段階では介護用のベッドを用意する必要はないだろうと言われたようです。ということで,もし退院後の生活であまりに苦労するようなことが生じてしまえば別ですが,当面の間はそれなしで生活してみるということで僕の意見と母の意見は一致しました。
 10月8日,日曜日。妹が伯母に伴われて美容院に行きました。僕はその間に母の見舞いに行きました。これは翌日の退院にあたっての打ち合わせも兼ねていました。まず,採血の結果ですが上々とのことで,退院は可能であるという最終決定が出されていました。時間は午前10時。退院にあたっては入院費の支払いが必要で,前日に概算が出されるのが通例です。しかしこの日は出ていませんでした。というのも翌日は祝日なので,支払いは後日になるからということでした。
コメント

南三条⑤&手術終了

2018-07-02 19:10:45 | 歌・小説
 南三条④でこの楽曲は二番が終了です。そして三番の冒頭で,声を掛けた方の女が男を呼び寄せます。で歌われていたように,声を掛けた方の女は赤ん坊をおんぶしていました。呼んだのはその赤ん坊の父親,すなわち声を掛けた女の夫です。その夫がかつて目の前にいる女と付き合っていたことをこの女は知りません。緊迫の場面といっていいでしょう。
                                     
 歌詞の関係で聞き手はここまでの緊迫感を味わうことはできないようになっています。しかし声を掛けられた女に,一瞬の緊張が訪れたことは疑い得ないでしょう。そしてその緊張は思わぬ形で崩れるのです。

      この人なのよと呼び寄せた男に心当たりはなく
      そんなはずはない あの人と幸せになったはず


 目の前に現れた男は女が予期していたのとは異なった男でした。女は予期していた男との別れの辛さを乗り越えるために,本当は自分から男を奪ったわけではない目の前の女のことを憎み続けていたのです。それがすべて覆されることが生じたのですから女はさぞかし驚いたことでしょう。赤ん坊を背負った女はその女の戸惑いに気付きました。そして女が困惑している理由も悟り,女に伝えます。

      戸惑う私に気づいて教える屈託のない声で
      あなたの知ってるあの人とは間もなく切れたわと


 屈託のない声と歌われているので,もしかしたら女は夫にも聞こえるくらいの声でそう言ったのかもしれません。このあたりはで歌われた女の無邪気さに相通ずるものがありそうです。

 僕は家から持参してきた朝日新聞を読んだり,読書をしたりしながら手術の終了を待ちました。僕にとっての母の件の始まりの日である8月23日に,僕は川崎に出掛けていて,そのときに読書をしていましたが,その後はまとまって読書をする時間はなく,これは久々の読書でした。このときに読んでいたのは『主体の論理・概念の倫理』という本です。その後もまとまって読書に充てられる時間というのが少なく,現時点でもこの本は読了できていません。「二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義」という副題の,スピノザと関連した書籍ですが,読み終えてから詳しいことを紹介します。時間の問題もあるのですが,内容が僕にとっては非常に難解で,それもこの本をなかなか読み終えることができない理由のひとつになっています。
 手術の終了を僕に告げにきたのは7階の事務の担当者でした。その人に案内されて3階に移動し,まず手術室の近辺にある小部屋に入りました。ここで執刀医による話がまずあったのです。大腸癌を切除する手術は上首尾に終ったことと,もともと切除する予定であった部分と別に,もう1箇所も開腹したら癌であるとみられたので,切除したということを告げられました。実際に切除した部分も見せてもらったのですが,僕が見た限りでは,切除予定であった部分より,開いてみて切除を決断した部分の方が大きかったです。これで腸閉塞を発症して死んでしまうというおそれは消滅しました。
 母は僕が入った小部屋とは反対側にあるHCUに運ばれ,もう面会が可能な筈であるといわれました。HCUは僕が救急搬送されて入院したときに,最初に入れられた病室です。僕はそこからすぐに一般病棟に移動しましたが,HCUはベッド内から移動できない病室なので,一般病棟への移動もベッドを使ってのものでした。ですから僕は自分が入院した部屋であるにもかかわらず,みなと赤十字病院のHCUがどこにあるのかよく分かっていなかったのですが,このときに初めてその位置関係を知ることができました。僕の入院中も他の患者の入退室がありましたが,救急患者だけでなく手術後の患者もおそらくいたのでしょう。
コメント

伝記作家の評価&助言

2018-06-22 18:43:59 | 歌・小説
 伝記に伝記作家の評価の混入があるのは,大抵の伝記は伝記作家がその伝記の対象に何らかの関心を抱いた上で伝記を記述することになるからです。このことに関連して,補足しておきたいことがあります。
                                     
 多くの場合,伝記作家は伝記の対象者に対して肯定的な関心を抱くことによって伝記を書くことになります。ある作家の作品に魅了されたがゆえにその作家の人生にも興味を抱き,それを調査して伝記を書くというのはこの場合です。その典型が『ドストエフスキイの生活』で,この伝記の場合には小林秀雄のドストエフスキーの作品に対する関心の方がむしろ強く出ていますから,作品に合わせたような伝記が記述されているといっても過言ではありません。ですからこういった伝記は伝記の対象者,この例でいえばドストエフスキーの人生について真実のすべてが記述されていると解するのは危険で,虚偽が含まれていると思ってた方がいいです。あるいは少なくとも,虚偽は含まれていなくとも,真実のすべてが書かれているわけではなく,伝記作家の都合のよい部分だけが掬い上げられていると思っておくべきでしょう。
                                     
 十川信介の『夏目漱石』の場合にはそこまで考えなくてもいいですが,十川は漱石の小説にも多大な関心を抱いていて,それが伝記を記述する契機になっているのは間違いありません。ですから無意識のうちにであれ,漱石を美化してしまうことはあり得るということは,この伝記を読む上で前提としておかなければならないと僕は考えます。
 大部分の伝記はこのようなことを前提として読めば間違いないと僕は思います。しかし中には,それとは別に,何らかの否定的な関心をある人物に対して抱いたがゆえに,その人物の人生を調査して伝記を記述するという場合もあります。よってこのような伝記は無意識的に,伝記の対象者を卑下するような記述が混入する可能性があります。ですから伝記作家が伝記の対象者にどういう関心を寄せたがゆえに伝記を書いたのかということは,伝記を読む前に知っておくべき事柄のひとつなのです。
 伝記にはほぼ伝記作家の評価が混入します。しかしその評価は,必ずしも肯定的とは限らないのです。

 まとめると,診察の前に僕が,抗癌剤を用いた延命治療はしたくないと言った母に伝えたのは,ふたつのことです。ひとつはその治療が辛く苦しいものかは実際に受けてみなければ分からないので,受ける価値はあるだろうということです。そしてもうひとつは,辛い治療を受けてまで長く生きたくはないというのが母の希望なので,仮に治療を受けるとしても,それが辛くて中止したくなったらいつでも中止することができるということについて,医師から確約を取っておくべきであるということでした。
 ただ,実際のこの後の診察では,抗癌剤を用いた治療のことは主題とはなりませんでした。前述したようにこの日の診察は今後の治療方針の伝達のためであったのですが,母の大腸癌は検査用の管を通すことが困難なまでに大きくなっていましたから,当座は腸閉塞を発症しないようにすることが重要で,こちらの話が中心だったのです。腸閉塞の発症を防ぐためには大腸癌の切除が必要で,しかしそのためには実際にどの程度までの癌であるのかということを詳しく調べなければなりません。母も腸閉塞を発症してすぐに死んでしまうということは,妹の今後のこともあって本望ではありませんでした。ですから大腸癌を手術で切除することが必要であるとなれば,その手術は受ける決意を固めていました。
 大腸癌を調べる検査は注腸検査という名前の検査で,この検査をするためにも事前に準備が必要でした。準備というのは食すものに関連する事柄です。なのでこの検査はこの日のうちには不可能で,この検査を受けるための専用の食材が院内のコンビニエンスストアで販売していましたから,この日はそれを買って帰りました。帰宅したのは午後3時10分ごろでした。
 9月14日,木曜日。妹の誕生日です。ですから通所施設まで妹を送った帰りに,ケーキを買って帰りました。夕食後に妹を祝いましたが,おそらく母が妹の誕生日を祝うのはこれが最後になるだろうという類の感慨が僕にも生じました。おそらく母も同じことを思っていただろうと推測します。
 9月15日,金曜日。この日が注腸検査で,母はひとりで病院に。妹は僕が送りました。
コメント