スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

孤独の肖像1st.④&送迎

2018-08-03 19:08:21 | 歌・小説
 孤独の肖像1st.③で歌い手が求めている嘘というのは次のようなものです。
                                

     いつも僕が側にいると
     夢でいいから囁いて
     それで少しだけ眠れる
     本当の淋しさ忘れて


 求めているのは囁きの部分だといえるでしょう。つまり「いつも僕がそばにいる」と囁いてほしいのです。それが嘘だというのはもちろん,そのことばが嘘であるという意味であり,実際にいつでもそばにいてくれるというわけではないということは,歌い手も理解しているわけです。
 また,この部分ではそれが夢でもいいと歌われています。これは嘘が夢になったいうことではありません。夢の中での嘘でも構わないと解するべきでしょう。ただ,夢であれ嘘であれ,それが現実ではないという点では同じです。つまり虚像を求めるという意味においては,嘘を求めることも夢を求めることも,歌い手にとっては同等の価値を有しているのだということもできます。
 そうした嘘あるいは夢によって,歌い手は少しの間だけでも本当の寂しさ,つまりこの楽曲の主題である孤独を忘れることができるのだと歌っています。ですが本当にそれで忘れることができるのでしょうか。実際には歌い手もそれについて確信があるわけではありません。なぜなら,この部分は最後に一言だけ付け加えられているからです。

     たぶん

 この楽曲は2番までありますが,「たぶん」が加えられているのは1番だけです。

 12月28日,木曜日。妹を日野の施設まで迎えに行きました。これは翌日から作業所が年末年始の休みに入るため,作業がなくなるからです。妹はグループホームに預けられたのですが,原則的に休みの間は家に帰るようにしています。原則的にというのは,そうでない場合もあるからで,その場合は妹は休日をグループホームで過ごすということになります。実はグループホームにはカラオケの機械があり,歌うことができるのです。妹はカラオケが大好きですから,家に帰ることができなくてもそれなりには楽しめているようです。
 それから作業所に迎えに行くのは,場所が近いために,その方が便利であるからです。これも特別な理由がない限り,僕は休日の前日の作業が終了する時刻,具体的には午後3時ですが,これに間に合うように妹を迎えに行きます。そして作業が始まる日の朝,これは午前10時から10時半の間ですが,その時間帯に作業所に送って行くことにしています。これが妹の送迎の基本的なパターンであると理解してください。家と作業所との往復にはバスを使っているのはすでに説明した通りです。バスは概ね時刻表の通りに走りますから,迎えや送りのために家を出る時間や,帰宅する時間というのもほぼ一定になります。この日は午後3時50分に帰宅しました。ただし,この時刻に帰宅するのは今年の3月までです。なぜなら,3月までは3時まで作業といっても,実質的にはもう少し早く終っていましたので,この時間の帰宅が可能でした。ですが今年の4月以降は,午後3時までは目一杯作業するということになりましたので,この時間に家に帰ることができるバスには乗ることができなくなりました。現在の帰宅時間は概ね午後4時20分ごろとなっています。
 1月2日,火曜日。来日中だった伯母が妹を連れて大和にある,伯母や母にとっての両親の墓参りに出掛けました。
 1月4日,木曜日。この日から妹の作業が開始になるので,作業所へ送りました。朝の送る時間は変化がなく,家を午前9時10分に出ます。そして僕が家に帰るのは午前11時15分前後になります。この週末は妹はグループホームで過ごしました。
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