スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&N伯父の死因

2013-12-31 19:11:17 | 地方競馬
 金沢から1頭,笠松から2頭が遠征してきた第37回東京2歳優駿牝馬
 1番人気のノットオーソリティーが出遅れるという波乱のスタート。先手を奪ったのはタントタントで,やや掛かっていたように見えたラブミーブルー,笠松のワンダフルタイムの3頭がレースを引っ張りました。内にレインボーラヴラヴが続いてエドノミリアン,クライリング。さらにブセナ,コマンドゥールキイが追走。中団以降はブルーセレブ,イグレシアス。追い上げたノットオーソリティーは,向正面に入る辺りでこの後ろ。シャークファング,ストロベリーランと続きました。前半の800mは51秒1でこれはミドルペース。
 ノットオーソリティーは向正面でも外を漸進していったので,あまり落ち着くところがないレースに。直線の入口ではまだタントタントが粘り,ラブミーブルーは後退加減。ワンダフルタイムが外から2番手で内にレインボーラヴラヴ。これらの外にコマンドゥールキイがいてさらに外からノットオーソリティー。ただ,いずれも早めに動かざるを得ないようなレースであったため,最後はもがくことに。控えていたブルーセレブが馬場の中央を突き抜けて優勝。3コーナーから一旦は下がったクライリングが盛り返して2番手に上がりましたが,大外を伸びたストロベリーランがこれを差して1馬身半差の2着。クライリングが4分の3馬身差で3着。
 優勝したブルーセレブは7月の新馬を2着の後,連勝。前走は地方交流のオープンで6着に敗れましたが牝馬戦のここで巻き返しました。ただ,レース展開に乗じたという面があったことは否めず,この路線でトップに立ったとはまだいえないように思います。父は2005年の安田記念を勝ったアサクサデンエンで,その母はホワイトウォーターアフェア。母の父はゴールドアリュール。祖母の従姉に1996年のJRA賞最優秀短距離馬,最優秀父内国産馬のフラワーパーク
 騎乗した船橋の森泰斗騎手は先月の勝島王冠以来の南関東重賞制覇。第35回以来2年ぶりの東京2歳優駿牝馬2勝目。管理している川崎の武井和実調教師は東京2歳優駿牝馬初勝利。

 セレモニーホールはこのバスのふたつのバス停の間にあり,また国道16号線の向って反対側に存在しますので,やや時間を要することにはなりましたが,出た時間が早かったですから,十分な余裕をもって到着することができました。そして納棺が始まるまでの時間に,従兄からN伯父の死の正しい状況を教えてもらいました。
 妻の七回忌の法要の時点で,大腸癌はすでに発見されていました。大腸癌は部位によってさらに細かく分類されます。父は横行結腸癌でしたが,N伯父はS字結腸癌でした。ただ,癌が小さかったこともあり,N伯父はすぐに手術に踏み切ることには迷いがあったそうです。一方,従兄は早めに切除してしまった方がよいと考え,N伯父を説得。N伯父も納得して手術のために横浜市大病院に入院したのが10月22日のことでした。詳しくは聞けませんでしたが,間があったのは,説得に時間を要したことと,健診は磯子中央病院で受けたのに対し,手術は市大病院であったため,新たに検査をし直す必要があったためだろうと思います。
 手術は10月24日。これは成功。つまり癌の除去はできたわけです。麻酔からも問題なく目覚め,一般病棟に戻って,リハビリのための歩行訓練をするところまではいったそうです。ところが,S字結腸癌というのは,大腸のほかの部分と比べると,切除した後の縫合が難しいのだそうです。従兄は警察官ですから,医療に詳しいとは考えにくく,おそらく事前に担当医から説明を受けていたのでしょう。N伯父もリハビリを開始した後にその縫合部分が詰まり,腸閉塞を起こしてしまいました。
 腸閉塞は詰まっている物を通してやりさえすればよいので,それ自体の施術は難しくないそうです。ところがN伯父の場合はその施術が結果的に手遅れとなってしまいました。閉塞して詰まったものが外部に漏れ出してしまったのです。もちろんここでいう外部というのは,N伯父の腸の外部という意味であり,N伯父の体内のこと。この影響で腹膜炎を発症。意識不明に陥りICUへと入りました。そしてこの時点で,ほかの親戚に報知されたのです。つまりN伯父の直接の死因は,腹膜炎でした。
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東京シンデレラマイル&セレモニーホール

2013-12-30 19:22:10 | 地方競馬
 JRAから2頭の強豪が転入してきたこともあり,南関東重賞としてはハイレベルな組合せになった第7回東京シンデレラマイル。笹川騎手が病気のためブライティアグラスは楢崎騎手に変更。
 逃げたかったのは2頭だと思いますが,枠順の差もあり,先手を奪ったのはサクラサクラサクラ。デイジーギャルは逃げられずに2番手。外のミヤサンキューティ,内のレッドクラウディアまでは集団。少し離れて外にキモンレッド,内にビタースウィートと続きました。前半の800mは49秒1で,競り合うような形でしたからハイペース。
 3コーナーを回った辺りからデイジーギャルは苦しくなって後退し始め,前は3頭。さらに直線入口では外を回っていたミヤサンキューティも一杯に。ずっと内を回っていたレッドクラウディアは直線ではサクラサクラサクラの外に。それに続いたビタースウィートは最内に進路を取り,この3頭で後ろを引き離しての競り合いに。最後は最内のビタースウィートが抜け出し,2馬身の差をつけて優勝。レッドクラウディアはサクラサクラサクラは捕まえて2着。サクラサクラサクラはクビ差で3着。
 優勝したビタースウィートはJRAで3勝,先月から転入した大井で走り始めてA級戦を連勝。転入後,3連勝での南関東重賞制覇となりました。JRA時代の実績ではむしろ転入初戦の2頭に劣っていたのですが,大井の水が合ったということなのでしょう。コースロスなく回った分の差もあったと思いますが,今日のメンバーでこれだけ走れれば,来年以降も活躍できるものと思います。
 騎乗した川崎の佐藤博紀騎手は2008年のローレル賞以来の南関東重賞2勝目。管理している大井の鷹見浩調教師にとっても東京シンデレラマイル初勝利となっています。

 この12月15日には妹のピアノのレッスンがありました。本来ならばN伯父に会いにいくところなのでしょうが,遺体はN伯父の自宅にも,またN伯父の長男である僕の従兄の家にも戻らず,通夜と葬儀が行われるセレモニーホールに運ばれ,そちらで安置されるということでしたので,この日のうちに会うことは不可能でした。なのでレッスンも予定通りに実施されています。午後5時半からで,これが今年の最後のレッスンでした。
 翌日,12月16日は妹の遺伝科の通院。なのでこの日は作業所は休み。この週はN伯父の通夜の日と葬儀の日も休むことになりましたので,5日の出勤日のうち,2日しか出勤できなかったことになります。予約は午後1時から。僕はこの日は屏風浦に出ていまして,帰ったのが午後3時40分頃。そのときには母と妹は戻っていましたが,様子からするとこの直前,おそらく午後3時半頃の帰宅であったものと思われます。貧血を改善するための鉄剤の処方は,前回のいわば折衷案である半減という措置が今回も継続されました。よって妹は現在も朝に1錠の鉄剤を服用していることになります。
 N伯父の通夜は12月18日の水曜日。僕はこの日は川崎に行く予定となっていましたが,こうした事情ですから断念しました。通夜は午後6時からで,これならば間に合ったかもしれませんが,その前に午後4時から納棺がありまして,これには絶対に間に合わなかったからです。妹に作業所を休ませたのも,同様の理由からでした。
 これらが行われたセレモニーホールというのは,中原にあります。中原は磯子の先,杉田の手前。場所は熟知していました。そもそもN伯父の妻である僕の伯母の通夜と葬儀もここで行われましたので,建物の中に入るのも2度目です。母と妹の3人で午後3時に家を出て,場合によってはタクシーを使うということも考えていましたが,空車を見つけられないまま歩いて国道16号線沿いまで出ますとちょうど杉田方面に向うバスが来ましたので,それに乗りました。これは東日本大震災の当日,横浜駅から歩いて帰ろうとしていた中途で,運良く乗ることができた京浜急行のバスです。
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農林水産大臣賞典東京大賞典&イエスの生誕劇

2013-12-29 19:10:43 | 地方競馬
 右前脚に炎症を起こしたプロディージュの出走取消で9頭でのレースになった第59回東京大賞典
 ローマンレジェンドが立ち遅れ。サトノプリンシパルの逃げは予想通り。向正面ではやや後ろを離しました。2番手にワンダーアキュート,3番手にニホンピロアワーズ,4番手にホッコータルマエ。前半の1000mは64秒9の超スローペース。
 3コーナー付近でワンダーアキュート,ニホンピロアワーズ,ホッコータルマエの3頭が2番手で雁行に。このまま3頭で逃げたサトノプリンシパルを交わして直線に。最内のワンダーアキュートが一旦は抜けたものの,一番外のホッコータルマエがこれを差し込み,最後は1馬身半の差をつけて優勝。ワンダーアキュートが2着。競り合いで劣ったニホンピロアワーズは2馬身半差の3着。
 優勝したホッコータルマエは前々走のJBCクラシック以来の大レース4勝目。ここは能力最上位といえるメンバー構成で,展開的にも紛れることは考えづらく,最有力候補だろうと考えていました。やや気難しいところがあるようですが,現状はこの路線のトップに立っている馬だと思っていますし,さらに大レースの勝利を増やしていくことができるだろうとも思っています。父はキングカメハメハ
 騎乗した幸英明騎手はJBCクラシック以来の大レース制覇。第52回以来7年ぶりの東京大賞典2勝目。管理している西浦勝一調教師もJBCクラシック以来の大レース制覇。こちらは東京大賞典初勝利。

 クリスマス会は保護者が同伴して出席することが可とされています。2010年は母が入院中で僕がその立場でした。その年は12月18日がその日でしたが僕は欠席。一方,母は必ず出席していまして,今年も同様でした。
 僕は参加しなかったのでよく知らないのですが,クリスマス会として実施される内容は,あまり変化がないそうです。牧師の説教があり,讃美歌の合唱があり,そして施設に通い,またそこで暮らしている人たちによる演劇もあるとのこと。この演劇の内容はいつも同じで,イエスの生誕を題材としたものだそう。ただ,これはそのように説明されているから辛うじてそうだと理解できる程度のもののようです。障害者が演じるわけですから,演技の内容とか台詞回しなどに期待するのは酷ですし,またそれを演劇として論じることにも無理はあるでしょう。ただ僕が母から話を聞く限りでは,この演劇は観る人によってはある種の精神的苦痛を受けかねないようなもののようには思えます。もっとも,無関係な人に見せるというわけではありませんから,これはこれで構わないともいえるでしょう。ふたりが帰宅したのは午後3時20分くらいでした。
 翌日,12月15日の朝に,N伯父が亡くなったという一報が入りました。数日ほど前のことですが,血圧が低下してきているという知らせを受けていましたから,来るべき日が来てしまったという感じではありました。遺体は病院で病理解剖をされるとの話。僕はそのときには,なぜN伯父に全身麻酔の影響が出てしまったのかを確かめる目的であると理解していたのですが,これは見当違いでした。というか,実際にN伯父が死に至った原因というのは,それまでに聞き及んでいた話とは大きく異なっていたからです。あとで詳しく説明しますが,本当は全身麻酔の後遺症はN伯父には出ていなかったのです。
 N伯父の正確な死亡時刻は分かりませんし,病理解剖にどれほどの時間が必要とされたのかも分かりません。ただ,この日の夜のうちには通夜と葬儀の正式な日程も教えられましたので,少なくともそれまでにはN伯父の遺体は遺族のもとに返っていたと考えてよいだろうと思います。
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農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&在庫不足

2013-12-28 19:08:03 | 地方競馬
 個人的には不思議なハンデだなと感じていた第13回兵庫ゴールドトロフィー
 隊列が決まったのは1コーナーの付近で,逃げることになったのはティアップワイルド。ファイアーフロート,エーシントップ,ウルトラカイザーまでは雁行。さらにコスモワッチミーが続いてエプソムアーロンとドリームバレンチノ。ミドルペースでした。
 エーシントップは掛かっていたようで,向正面に入るところでは2番手。何とか宥めようと苦心していたようですが,外をドリームバレンチノが一気に進出して3コーナーでは先頭に出たため,これに対応せざるを得ず,ティアップワイルドを交わして2番手に。しかしさすがに余力はなく,そのままドリームバレンチノに置いていかれ,4馬身差をつけたドリームバレンチノの圧勝に。勝ち馬の動きが有利に働いた高知のエプソムアーロンが2着。後方から最内を伸びてきたダイショウジェットがさらに4馬身差で3着。
 優勝したドリームバレンチノは昨年の函館スプリントステークスと今年のシルクロードステークスを勝っていて重賞は3勝目。前走が初ダートの大レースという条件ながら2着に食い込んでいましたから,能力上位。斤量は厳しかったですが問題とはしませんでした。芝でも大レースの2着がある馬ですから,コースを問わず,短距離戦線では来年以降も活躍してくれるでしょう。母は2004年の小倉2歳ステークスを勝ったコスモヴァレンチ。その父はマイネルラヴ
 騎乗した岩田康誠騎手は第6回,7回,8回と三連覇していて5年ぶりの兵庫ゴールドトロフィー4勝目。そのうち第6回と7回はドリームバレンチノを管理する加用正調教師が管理していた馬で,加用調教師は6年ぶりの3勝目です。

 この日の病院での出来事はこれですべて。帰りがけにはいつものように薬局に寄りました。ただ,今回は次回との間隔がいつもより少し開くことになったので,ヒューマログと注射針については,処方箋に対して十分な在庫がありませんでした。最近はありませんでしたが以前はこうしたケースがよくありましたから,別に驚くようなことではありません。そしてこの場合には,処方されるべき分量の現金を支払い,用意できている分だけを受け取って帰ることにしています。翌日になれば薬局に用意できますから,僕の都合がつく日に取りにいきます。ただしこれはこの日のように,インスリンが足りないという場合の措置。もしも足りないのが注射針だけであったなら,支払いを済ませるところまでは同じですが,僕が後日に取りにいくということはせず,用意できた段階で薬局から郵送してもらうようにしています。インスリンを郵送するのは危険ですが,注射針だけならば問題はないからです。帰宅したのは午後4時前ですから,きわめて順調であったといえるでしょう。
                         
 この後,僕はやや忙しい日々が続きまして,残りのヒューマログと注射針を薬局に取りに行けたのは13日の金曜日になってからでした。この日は午後からは長者町に行くことになっていましたが,それまでは時間に余裕がありましたので,午前中に行っています。
 そしてこの日,妹が作業所を休みました。咳がひどかったからです。もっとも,妹の咳が目立つようになったのはもう少し前からでした。風邪をひいたと考えるのが妥当だと思うのですが,発熱するようなことはありませんでしたから,作業所には通っていたのです。この日も別に熱があったというわけではありません。ただ,大事をとったということです。そしてこの日に限って大事をとったというのは,翌日が土曜出勤にあたっていたから。12月の土曜出勤は恒例のクリスマス会で,これは妹が楽しみにしている施設での行事のひとつ。もしも13日に多少でも無理をして,14日のクリスマス会に出席できなくなるといけませんから,13日は休ませたというわけです。クリスマス会の方には無事に参加することができました。
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スメルジャコフとK&やり取り

2013-12-27 19:09:42 | 歌・小説
 自分が寺の次男として産まれてきたということが,K自身にとって悪しきノベルティであったということは,『こころ』の読解の可能性として,否定できない一面があると僕は考えます。その場合のノベルティの具体的な意味というのは,自分はこの世に産まれてくるべき存在ではなかったということです。
                         
 ドストエフスキーの小説の数多くの登場人物のうち,自身にKと同じような意味でのノベルティを貼り得たのは,『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフではなかったかと僕は思えます。僕はスメルジャコフの父はグリゴーリーであるという考えをもっていますが,今はそのことは無視しておきましょう。というのは,この場合に重要であるのは,『カラマーゾフの兄弟』を読んだ上で,スメルジャコフの本当の父親がだれであるのかということではなくて,スメルジャコフ自身が自分の父親をだれであると認識していたのかという点だからです。
                         
 厳密にいうなら,これに関するスメルジャコフ自身の認識がどのようなものであったのかということは,『カラマーゾフの兄弟』に明示されているわけではありません。もっとも,これは逆にいうならば,その認識が明示されていないからこそ,僕のようにその父親がグリゴーリーであると判断することができるという意味であるのかもしれません。
 ただ,ここで重視しなければならないことは,少なくとも『カラマーゾフの兄弟』の登場人物でスメルジャコフと親密な関係にある人間たちは,スメルジャコフの父親がフョードルであるということに,疑いを有しているようには見えないということだと思います。だれしも自分の父親がだれであるのかということについて,確かな判断を下すことはできません。むしろ育っていく中で,そのことを知っていくのです。だとしたら,スメルジャコフ自身が,自分の父親がフョードルであると認識することは,ごく自然なことだといえるでしょう。
 この場合,スメルジャコフは婚外子ということになりますから,自分は産まれてくるべき人間ではなかったと思って何の不思議もありません。そしてそのゆえに,性的な事柄を忌避するようになるのも自然ではないでしょうか。
 このようにみると,スメルジャコフとKのメンタリティーには,とても相通じる部分があるように僕には思えるのです。

 この日は血圧も尋ねられました。事前に計測しておきましたが,プリントアウトされた小さな用紙はU先生に渡しますから,正確な数値は不明。ただ上が100mmHg台で下が60mmHg台であったことは確かです。病院で血圧を計測すると,普段よりも高めの数値が出ることがあるようですが,僕の場合は家で測るのと変りはありません。低血圧に関する問答もありました。
 それから,今回は超速効型インスリンのヒューマログの残量がこれまでと比べると少なかったのです。これには理由がありました。昨年,iPro2レコーダーによる検査の結果,ヒューマログの増量という措置が取られました。夕食前の注射量を,0.1mlにしたのです。その後はそれに合わせてヒューマログが処方されていましたが,前回はそれが0.08mlで処方されていました。実際にはこれは前回からではなく,前々回,今年の8月から元に戻ってしまっていたようです。ただ,前々回と前回の間には,注射針を処方してもらい,そのときにヒューマログも処方されましたので,残量は普段と変わらず,僕は気付いていなかったのです。元々が余分に処方されているので今回は足りましたが,次回も足りるという保証はありません。なのでU先生に伝えて,実際に注射しているのに見合った量の処方をしてもらいました。
 そしてこれは12月の通院ですから,次回は年明けです。これは僕の自己管理ノートが一杯になる時期と重なります。そこでこちらも新しいものをまた受け取りました。
                         
 この自己管理ノートは,カーボン製で,1枚は先生が剥がすようになっているのですが,最近はそれをしていません。新しい血糖値計測機は,血糖値の記録が中に残りますから,先生にとっては不要だからです。したがってこれは僕が記録を記入するだけのものになっています。そうであるなら別に自己管理ノートでなくても構わないのですから,必ずしも新しいものをもらう必要というのはありませんでした。ただ,このノートは数値を記入するだけでよいようになっているので,できればほしいと思っていましたから,もらえたのはよかったです。
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第三部定理三八&その他の結果

2013-12-26 19:04:22 | 哲学
 ニーチェは『悲劇の誕生』を,作曲家のワーグナー宛の序言で始めています。これは当時のニーチェが,ワーグナーの音楽のうちに,ディオニュソス的なものを見出していたことを示しています。しかし後にニーチェは,ワーグナーの音楽は反動的になったとして,ワーグナーに対して激しい非難を浴びせるようになります。
                         
 このニーチェのワーグナーに対する態度は,ニーチェのスピノザに対する態度に似ているところがあります。ニーチェは1881年の夏に初めてスピノザの哲学を知りました。そしてその哲学に感動し,オーバーベックという友人に宛ててスピノザを絶賛する内容の手紙を書いています。しかしニーチェは後には,スピノザの哲学を反動的な哲学とみなすようになり,あからさまに批判するようになりました。
 ワーグナーはニーチェにとっての同時代人であり,スピノザはニーチェにとっては過去の人です。ですから立場は異なるのですが,ニーチェがふたりに同じような態度をとるに至ったこと,そしてもっと一般的にいうなら,人間がこうした態度をとりやすいということは,スピノザ自身が十分に認識していたことなのであり,『エチカ』には定理として示しています。それが第三部定理三八です。
 「ある人がその愛するものを憎み始めてついに愛がまったく消滅するに至る場合,彼は,それを全然愛していなかった場合よりも―もしその憎む原因が両方の場合相等しいとしたら―より大なる憎しみに捉われるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大であったに従ってそれだけ大であるだろう」。
 つまりかつて愛していたものを人が憎むようになると,愛していなかったものを憎むようになるよりも,憎しみだけを眼中に置いた場合の大きさが同一であるなら,もっと憎むようになり,そしてその憎しみの大きさは,かつての愛の大きさに比例するというわけです。なぜそうなるのかはこの定理の証明を参照してください。
 ニーチェのワーグナー,そしてスピノザに対する熾烈なことばの数々のうちには,かつてそれらを愛していたことに対する反動が含まれているといえるのでしょう。

 その他の検査結果についてもいくつか記しておきましょう。
 まず滅多に正常値が出ることがないLDLコレステロールですが,これは67㎎/㎗で,やはり正常値よりも低いという結果でした。ただし10月の通院のときに比べたなら上昇していました。10月は過去最低でしたが,ずっと減少し続けているわけではないということは分かりましたので,心配の必要はないと考えてよいのでしょう。
 8月の通院のときにはクレアチニンに異常が出ていましたが,これは0.80㎎/㎗でした。これは異常だったのは8月だけでしたが,数値としては高めのものが出る場合がほとんどでした。この数値は僕の中では低めの方で,ちょうど1年前,去年の12月の検査結果に次いで低いものでした。2年続けて12月は低いということになっていますが,これはおそらく偶然でしょう。気候によって上下するということは考えられないことではありませんが,それなら今年の2月も同水準でなければおかしいということになりますが,そういう結果とはなっていないからです。
 それから10月は中性脂肪も正常値より低いという結果でしたが,今回は正常値に戻っています。というよりも81㎎/㎗というのは過去最高の数値で,急激に上昇しているといえます。なぜこのようなことになったのかという理由は分からないですけれども,正常値の範囲内ではあるわけですから,これもすぐに何かを心配しなければならないという状況ではないのだろうと思っています。これも今年の2月の検査では低い数値が出ていますから,寒くなって身体が脂肪を貯えるようになったと理解するのには少しばかり無理がありそうです。
 そしてこの日はもうひとつ,カリウムが5.2mEq/ℓで,正常値を上回っていました。この異常は初めてです。カリウムの検査は基本的に腎臓の機能の検査のために行われているものだと思われますが,高くなろうと低くなろうと,それを引き起こす原因というのはひとつではないため,これだけではなぜこのような結果になったのかはいっかな分かりません。ただ一般に高カリウム症といわれるような状態には,数値としては至っていないようです。
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農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&2013年12月の通院

2013-12-25 19:13:07 | 地方競馬
 年末の交流重賞の第一弾,第13回名古屋グランプリ
 トウショウフリークとエーシンモアオバーのどちらが逃げるのかにまずは注目していたのですが,枠順の利もあり,先手を奪ったのはトウショウフリークの方でした。ただ,2周目の向正面にかけてぐんぐんと後ろを離していく大逃げになったのはやや意外。2番手にエーシンモアオバーが控え,さらに大きく開いてサイモンロードとランフォルセ。そしてナイスミーチューがいてハリマノワタリドリとシビルウォー。
 2周目に入ってシビルウォーが漸進開始。トウショウフリークのリードは3コーナー付近では1馬身ほどに。ただ追い掛けていたエーシンモアオバーは苦しくなり,ランフォルセが2番手,さらにその外をシビルウォー。しかしランフォルセもコーナーでは一杯。シビルウォーが捲るように外を回って直線。この時点でもまだトウショウフリークは頑張っていましたが,シビルウォーとの勢いの差は歴然。直線ではシビルウォーが抜け出して3馬身差の快勝。逃げ粘ったトウショウフリークが2着。一旦は置かれたものの最後に脚を使ったナイスミーチューがクビ差まで迫って3着。
 優勝したシビルウォーは昨年のブリーダーズゴールドカップ以来の重賞5勝目。持ち味は長く脚を使えることで,その持ち味を発揮できるようなレースになるかどうかが勝てるかどうかの分かれ目となる馬。今日は十全に発揮しての勝利。今日くらいのメンバーであれば大きく崩れることはありませんが,必ず勝てるともいい難く,今後も勝ったり負けたりを繰り返していくことになるのだろうと思います。
 騎乗したのは内田博幸騎手で管理しているのは戸田博文調教師。名古屋グランプリは共に初制覇です。

 すでに説明したような理由から,今回の食事の内容は,事前に指示された実験内容に十全に適合していたわけではありません。ただそれは,それまでとは異なっていたという意味ではあります。そして今回はそれまでとは異なり,摂取した炭水化物量と血糖値の増減に,因果関係を見出すことができるような結果が得られました。なので,その関係が確かなものであるのかを調査するために,また3回の食事記録を記入し,次回の通院の日にも栄養指導を実施するということになりました。これは偶然ではありますが,この日は代理の管理栄養士が担当しましたので,このまま終了ということになれば何となく中途半端な気分になりかねませんから,これは僕としてもむしろありがたいと感じられるような指示でした。なお,この点に関しては,後で診察のときに,U先生も賛意を示してくれました。U先生自身は,今回の調査で良好な結果が得られるであろうということには懐疑的であったと思うのですが,実際にそういう結果が出たのであれば,それは継続していく意義が大いにあるのは間違いないところでしょう。そして摂取する炭水化物量と血糖値の上下との間の因果関係が,一定の程度ではあれ確認できたとすれば,僕の治療に対しても何らかの次の一手を打つことができるかもしれません。
 これで栄養指導は終了。診察の予約は午後2時半からで,栄養指導の終了後にトイレに行っていたらすぐにその時間となりました。いつものように受付をすませて血糖値の計測器を受付の担当者に渡し,血圧を計測してから受付の前で待機。この時間にも週刊競馬ブックを読んでいましたが,それほど待たされることなく僕の番号が点灯しました。
 HbA1cは6.7%で,これは10月の通院のときと同じ。実は今回は明らかに血糖値を統御できていないと感じられる時期があったので,これは僕には意外だったのですが,僕がそう感じていたほどには深刻な状況には至っていなかったということなのでしょう。U先生はこれくらいの数値で十分ということ。この日は血糖値も160㎎/㎗と高かったのですが,これについてもこのくらいでいいとのことでした。
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棋王戦&希望

2013-12-24 19:31:11 | 将棋
 第39期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績はアドバンテージがある三浦弘行九段が1勝,永瀬拓矢六段は0勝。
 振駒で永瀬六段の先手。相矢倉を目指しましたが三浦九段は急戦矢倉に。互いに飛車先の歩を交換する形に進展。先手の早めの仕掛けに乗じた後手が玉頭に厚みを築き,その辺りは後手の模様がよかったように感じられます。模様だけでなく具体的なよさを求めた後手が歩をどんどん突き捨てて攻撃に出ました。
                         
 飛車をひとつ引いて金に当てた局面。先手は▲7七桂と強く受けました。後手は△6五飛と切り,▲同桂に△8七歩。先手は▲6六角とかわしました。次の△7五金は重いように思えるのですが,最速ではあるかもしれません。飛車の横効きも大事ですから▲3九角と下まで逃げました。この場合は△6五金▲6六歩となったときに△7五角と出るのが継続手。そこで▲8二飛は攻防手といえるでしょう。
                         
 後手の攻め自体は繋がるのですが,端を詰められているので玉が狭く,あまり駒を渡すと攻め合い負けする形。どうも第2図となっては後手が勝つのが難しくなっているようです。
 永瀬六段が勝ったので挑戦者決定は第二局に持ち越し。年が明けて7日に指されます。

 しかし一方で,僕自身にもタンパク質をもう少し摂取したいという気持ちもあるにはあるのです。それは体重との関係からです。
 僕は入院することになった直前には体重は計測していませんから,それがどのくらいであったかは不明です。ただ,少なくとも糖尿病を発症する前には,50kg以上はあった筈だと思います。入院後,まだHCUにいた頃に,2度ほど体重測定をし,そのときが43kgほど。つまり7kg以上は痩せてしまっていたことになります。その後,すぐに一般病棟に移動。そして移って何日かが経過してから,体重を計測することが毎朝の日課になりました。その間,日ごとに体重は増加していきましたが,退院の日まで,50kgを超えることはありませんでした。ただ,増加傾向にはありましたから,いずれは入院前の,健康であった頃の体重までは戻るだろうと楽観していたのです。
 ところがある時点で増加はストップしてしまい,退院後も50kgに到達するということはありませんでした。実際,今回のプリントにも体重の記入欄がありましたから,各々の日に僕は体重を測りましたが,49㎏台か48㎏台のどちらかだったのです。そして僕自身の希望をいえば,やはり体重はもう少しは増やしたいのです。体重を増加させるためにはやはり筋肉を増加させるほかありません。そして筋肉を増加させるためにはタンパク質の摂取というのが不可欠であるように思うのです。したがって,尿蛋白のことを別にするなら,タンパク質をもっと摂取したいという希望はあるのです。もう退院して5年になろうとしています。その間ずっと同じようにタンパク質を摂取し続けていてこうした結果になっているのですから,今後もこれまでと同様の単位でタンパク質を摂取するなら,体重の増加は望めないと思われるからです。
 ただ,いずれにしてもはっきりとした指導が管理栄養士からなされない以上,僕自身の勝手な判断で食餌療法の内容を変化させるというわけにもいきません。希望は希望として,管理栄養士なり主治医であるU先生に伝達するということはしますが,当分は入院中に定められた食餌療法の内容を遵守していくほかありません。
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椿賞争奪戦&たんぱく質の摂取量

2013-12-23 19:04:36 | 競輪
 2013年の最後の記念競輪になった伊東温泉記念の決勝。並びは坂本-山崎の北日本,石井-新田-萩原の南関東,林-加藤の中部,中村-田中の近畿。
 中団を取りたかったラインが多かったようで,なかなか誘導の後ろに追いつかないようなレースになりましたが,前受けになったのは中村。石井が3番手,林が6番手,坂本が8番手で周回。しかし坂本は残り3周のホーム手前から早くも上昇。このラインに続いたのが林。坂本はバックまで石井を抑え込んでいき,残り2周のホームに入ってから中村を叩きました。林が続き5番手に中村,7番手に石井で一列棒状。打鐘から石井が発進。ホームで前に迫っていきましたが,山崎が番手から発進し,石井は一杯。山崎には林が続き,バックでこの後ろに新田が割り込むと,3コーナーでこの後ろがもつれて前3人だけの争いに。最後まで粘って山崎が優勝。中を割った新田が半車身差の2着。うまく立ち回った林が4分の3車輪差で3着。
                         
 優勝した福島の山崎芳仁選手は3月のいわき平記念以来となる記念競輪11勝目。伊東記念は初優勝ですが,2006年に当地で開催された東王座戦で優勝しています。今日のレースに関していえば坂本が頑張りました。石井の動きに躊躇せず番手から出ていったのが勝因でしょう。現在の大ギアブームをもたらした主役といえる選手ですが,大きなギアで戦う選手が増えてくるにつれ,本来の輝きを失いつつあるような感もあります。年齢的にもまだトップで戦える筈なので,2014年の活躍に期待したいです。

 それから,この日に臨時に担当した管理栄養士は,僕の食事のバランスに関しては高く評価しましたが,タンパク質については,もう少し多く摂取してもよいのではないかという話をしました。ただしこれはあくまでも個人的な,といってももちろん管理栄養士としての個人的なという意味ではありますが,感想であるという主旨であり,以後はそうするようにという具体的な指導がされたわけではありません。
 もしかしたらこのことにも,僕が冷凍のレトルト食品を食べる場合があるということが,いくらかの影響を及ぼしていたかもしれません。すでに説明したように,僕はこうした食品の選択に関しては,400kcal前後であるということを目安として購入します。これは炭水化物の4単位とタンパク質の1単位の合計ですが,だからといってこうした食品に,そのような単位で食材が含有されているとは限りません。炭水化物の方が多く含まれていて,タンパク質が少なかったとしても,それが400kcalになるケースというのは,いくらでもあり得るからです。そしてこの場合には,結果として,タンパク質の摂取不足,逆にいえば炭水化物の過剰摂取ということになります。もちろん逆のケースも想定はできますが,僕が食べているレトルト食品の種類から鑑みて,そういうケースは少ないように僕には思えます。
 そこでこうしたケースを避けるために,320kcal前後の冷凍食品を購入し,それとは別にタンパク源のおかずを食べるという方法があります。ただしこの場合はおそらくタンパク質の過剰摂取ということになってしまうことが目に見えています。このふたつのケースのどちらかを選択するのであれば,前者を選択する方がましであろうということで,僕は400kcal前後の食品の方を購入しているのです。これは合併症のひとつである糖尿病性腎症を視野に入れてのもの。僕の場合,過剰に心配する必要はないとは思うのですが,やはり尿蛋白が検出されることは防いでおきたいという気持ちがあり,そのための方法としては,前者を選択する方がよいであろうというのが,こうした選択をしていることの根拠です。
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有馬記念&因果関係

2013-12-22 19:20:16 | 中央競馬
 明日もまだ開催はありますが,中央競馬の2013年の総決算は今日の第58回有馬記念でしょう。
 逃げ馬は不在。枠順からダノンバラードの逃げをイメージしていたのですが,実際にハナを奪ったのはルルーシュ。2番手はカレンミロティックでその後ろがダノンバラード,ラブリーデイ,ナカヤマナイトでここまでが先行集団。好位グループにデスペラード,アドマイヤラクティ,トーセンジョーダン。中団グループにはウインバリアシオン,タマモベストプレイ,トゥザグローリー。ゴールドシップはこの後ろからの追走で,それを見る位置にオルフェーヴル。ミドルペースでした。
 3コーナーでオルフェーヴルはまだ後方の位置取りでしたが,絶好の手応えで,馬がそれを避けない限りは勝つだろうと思いました。そこからコーナーで外を回って進出開始。直線の入口では前をすべて捲りきってしまい先頭に。そこから内ラチに寄っていったので瞬間的にひやっとしたのですがそれは杞憂。最後まで走ることをやめず,8馬身もの差をつけて圧勝しました。馬群を捌いて伸びたウインバリアシオンが2着。外を回ったゴールドシップが3着。
 優勝したオルフェーヴルは9月のフォワ賞以来の勝利。大レースは昨年6月の宝塚記念以来の勝利で6勝目。第56回に続いて2年ぶりの有馬記念2勝目。能力を十全に発揮したなら優勝することは間違いないだろうと思ってはいたものの,こんな圧勝になるとは予想だにしていませんでした。これで引退し種牡馬入りすることが決定していますが,最後の最後まで,僕の想像力の範疇を超越した類稀なる馬でした。父はステイゴールド。母の父はメジロマックイーン。曾祖母はグランマスティーヴンス。全兄に第54回を制したドリームジャーニー。Orfevreはフランス語で金細工師。
 騎乗した池添謙一騎手と管理している池江泰寿調教師はは昨年の宝塚記念以来の大レース制覇。第54回,第56回に続いて有馬記念3勝目。

 今回の記録結果は,今までのものと比べると差異がありました。この栄養指導の主眼は,僕が摂取している炭水化物量と,血糖値の変化に,明瞭な因果関係を見出せるかどうかの調査でした。これまでの結果からは,残念ながらその間に一定の関係を得ることができていなかったのです。ところが,今回の結果からは,そのふたつの間の関係が,少なくともそれまでと比べたなら,因果的に結合していると判断できたのです。最も顕著に示していた例をひとつだけ挙げるとすれば,実は今回の記録の中に,昼食前に低血糖を発症しているケースがありました。そしてその日の朝食で摂取していた炭水化物量は,ほかの2日との比較では,明らかに少なかったのです。
 なぜこのような事態が生じるのかといえば,それはもちろん何を食べたのかに影響されるわけですが,ご飯なりパンなりを食べて,それにおかずを組み合わせたなら,日によってそうも大きな差が出ることはありません。そうではなくてインスタントの食品を食べるような場合に,こうした事態が生じることになります。
 僕はたとえばカップラーメンのようなものは食べませんが,冷凍のインスタント食品,パスタとかちゃんぽんとか,あるいはお好み焼きといった類のものですが,それで食事を済ませるケースはあります。この場合,食品分類にはうまく適合させられませんので,熱量を重視します。たとえば朝食ならば主食としての炭水化物を4単位,そしてたんぱく質になるおかずが1単位というのが僕の目安です。1単位が80kcalですから,合計で400kcalになります。そこでその熱量に近いインスタント食品を購入しておいて,これを炭水化物とたんぱく質が合成された食品として食べるのです。ところが,熱量は同一であっても,炭水化物量は各々のインスタント食品によって異なります。これはパックに示されていますので,実際にご覧になればお分かり頂けるでしょう。そしてこの影響で,炭水化物量が減少してしまう場合というのが生じるのです。というよりも,これは炭水化物量を気にするようになったから発見できたことで,以前からこうしたことが起きていたというべきでしょう。
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農林水産省賞典中山大障害&食品交換表

2013-12-21 19:33:43 | 中央競馬
 暮れの風物詩のひとつ,第136回中山大障害
 最初の障害でメルシーエイタイムが落馬。波乱の幕開けでしたが残りの15頭は完走しました。
 レースの序盤はスプリングゲントの逃げ。襷のコースに入り,バンケットを上った付近でアポロマーベリックが先頭に出ました。アポロマーベリックはそのままふたつの大障害をクリア。通常のコースに戻って向正面に差し掛かると,後ろと差を広げました。さらに快調に飛ばしていき,直線に入ろうかというところでは追い掛けようとする組の方が追走に汲々。結局,直線では後ろとの差をさらに広げ,8馬身差で圧勝。早めに追い掛けた馬たちが苦しくなったところ,直線勝負のような形で突っ込んだ伏兵のハッピーティアが2着。4分の3馬身差の3着は前を追おうとした馬の熾烈な争いで,メイショウブシドウがバアゼルリバーにハナ差で先着。
 優勝したアポロマーベリックは6月の東京ジャンプステークスの勝ち馬。今年の障害を牽引する筈だった2頭が共にレース中の事故で死んでしまったため,ここは新たな王者を決定する舞台。自らレースを作って大きく差をつけましたので,この馬がその地位に立ったということです。前走は落馬していますが,これは巻き添えを食らったもので,飛越に不安がある馬ではありません。Maverickはミサイルの名前。
 騎乗した五十嵐雄祐騎手はこれが大レース初勝利。管理している堀井雅広調教師は2008年のかしわ記念以来の大レース制覇で中山大障害は初勝利。

 ではその売店では何も買わなかったのかといえばそうではありませんでした。食品交換表の新しい版が出ていましたので,それを購入したからです。僕は知らなかったのですが,帰ってから母にこれを買ったことを告げますと,母は新しい版が出たという情報を知っていました。先に伝えられていたなら迷わずに買いに行くところでしたが,結果的にはケガの功名のような形になりました。
                         
 まだ少し時間はありましたが,早めに指導室へ。部屋の前に三脚ほどのパイプ椅子が並べてありますので,そこに座って週刊競馬ブックを読んでいました。ほどなくして,というのは午後2時になってという意味ですが,ドアが開いて室内に呼び込まれました。この日はいつもの管理栄養士がお休みであったようで,別の人の担当になりました。ただ,連絡は取れていたようで,今回の栄養指導が,前回の実験の結果を見るためであるということはもちろん,その実験内容の詳細もきちんと把握されていました。
 前回も記入用のプリントは3枚もらいました。これまでその3日分を記入するのに,僕は直前の3日間を選択していたのですが,今回は任意に3日を抽出して,その結果を記入していきました。これは僕自身の判断によるものです。血糖値は体調によっても左右されるので,続けて3日間の統計をとるよりは,独立した1日を3回に分けた方が,より正確な結果となるように思えたからです。もっとも任意に抽出したというのは,ある意味では嘘です。この食事記録を記入する際には,同時に血糖値の計測結果が必要になります。なので抽出したのは,事前に三食の前と就寝前に,確実に血糖値を計測することが可能な日,より正しくいうならば,それを面倒に思わずにすることができると分かっている日の中からでした。
 実際に摂取した食事が,実験内容に十全に適合していたとはいえません。ただ,これは日々の食生活というものが前提にあります。たとえばこの3日間だけを実験内容に十全に適合するようにしても,そのほかの日がそうでないのであれば,これはむしろ実験として無意味なものになってしまいます。つまり食生活と実験のバランスを踏まえた記録でした。
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ネイチャーボーイ&採血後の作業

2013-12-20 19:29:03 | NOAH
 美獣は間違いなくNWAの顔といえる存在でした。僕のプロレスキャリアが開始した以後も,NWA王者に就いています。でも,僕にとってのNWAの顔,NWA王者といえば,リック・フレアーの方です。そしてフレアーはNWAの最後の顔といっていいでしょう。
 フレアーには,ネイチャーボーイというニックネームがありました。このニックネームを与えられたトップレスラーはフレアーがふたりめで,それ以前にはバディー・ロジャースという選手がいたそうです。しかし僕はこの選手がどんなレスリングをする選手であったのかはいっかな知りません。ロジャースのファイトシーンを映像で視たということがないからです。ただ,馬場にいわせますと,ネイチャーボーイといえばそれはロジャースなのだそうで,これをいっていることばの端々から,フレアーがネイチャーボーイを名乗ることに不満があったように感じられます。ロジャースというのは,馬場からしても特別なレスラーであったということなのでしょう。
 一方,馬場はフレアーについては高く評価していなかったのかといえば,必ずしもそうではないようです。まだフレアーがグリーンボーイにすぎなかった頃,アメリカでフレアーを見た馬場は,この選手は将来はトップを取るであろうと思ったそうです。それがNWAの顔となるまでの活躍を意味していたかは何ともいえませんが,少なくとも若手の頃から光るものがあった素材であったことは,馬場の目というのはかなり確かなものと思われますから,間違いないところだと思います。
 王者として受けに徹するレスリングをしたのはレイスと同じ。得意技は足四の字固めで,攻めるシーンは脚への攻撃が中心の組立。ハンサムを名乗ったレイスよりよっぽど美男子でしたし,ゴージャスなコスチュームも非常に栄えました。レイスと比較したときの難点は,身体がレイスほどは大きくなかったこと。ただ,トップレスラーの身体は,以前より現在の方が確実に小型化してきていて,この流れを先取りしていたタイプの選手であったといえるかもしれません。

 いつも見ていないのですから,検査のために必要な血液の量というのがどのくらいであるのかということは僕は知りません。いい方を換えれば,どの程度の血液が自分の身体から抜かれているのかを僕は把握していないのです。ただ,採血の後で,技師が必ずする作業というのがあります。それは注射器に溜まった血液をシリンダー状の小型の筒に移すことです。このとき,筒は2本ありまして,ほぼ半分ずつにします。その理由は推測するしかありませんが,ふたつのタイプの血液検査が必要であるからかもしれませんし,僕の予測では,何か異常が出たときのための予備,つまり再検査用の血液も同時に採取しているということなのではないでしょうか。技師はこれを終えた後に僕にアームバンドを着用しますので,僕はこの作業は必ず見ることになります。
 いずれにしても再度の採血は不要ということになりましたので,この日もアームバンドを装着してもらい,採尿も済ませました。注射針の処理もしましたので,僕がここでなすべきすべての作業が終了。この日も午後2時からの栄養指導がありましたので,外食には向わず,院内の食堂で昼食を済ませました。なお,検査のオーダーの中に血糖値は必ず入っていますので,僕はこのときには血糖値の計測はしません。検査詳細情報を見て,その数値を自己管理ノートに書き写すだけです。
                         
 昼食を終えてもまだ時間はあります。病院の外に出て,近くのコンビニエンスストアに向いました。週刊競馬ブックを販売している可能性が低いであろうことは分かっているのですが,往復することである程度の時間を潰すことができるからです。ところがこの日は予期に反してすでに売っていました。前回は午後1時半からの栄養指導で,その後でも売っていなかったのですが,この日は明らかにそれよりも早い時間から売っていたということになります。もちろん購入して病院に戻りましたが,すぐにそれを読み始めることはせず,5階の売店に行きました。寒い時期の外出の直後でしたから,何か温かい飲み物がほしいと思ったからです。ただ,僕が飲むことができて,好みにも合うというものは売っていませんでした。
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罰とギャンブル&血液の量

2013-12-19 18:33:37 | 歌・小説
 マルメラードフのうちにあると思える罰への欲望を,僕がリアルな情念として感得するのは,僕の場合は競馬と競輪ですが,そうしたギャンブルをするということと関係してるのだと僕自身は理解しています。僕は通常の意識の上で,自分がギャンブルをするということが罰への欲望を理由としているとは理解しませんが,ときとして,それに近いような感じを覚えることがあるのです。
                         
 ギャンブルをやっていると,どういうわけだか分からないのだけれども非常にうまい具合に推移していくこともありますし,それとは逆にどうしてもうまくいかないという場合も生じます。全体を通せば平均値というものを出すことが可能ですが,たとえば1日という単位だけを任意に抽出してみた場合,全体の平均値とかその近似値で終了するというケースはむしろ稀で,成功であるか失敗であるかのいずれかであるということがほとんどなのです。つまりそうした成功と失敗をある程度の期間にわたって繰り返すことによって,平均値というものが出てきます。もちろんそれは自分自身の平均値なのであって,この平均値自体が人それぞれであることから,その差によって全体としての平均値も導かれるのですが,これは胴元の回収率に依拠しますから,ギャンブルをする側からは動かしようがなく,僕はあまり気にしません。
 成功と失敗のうちにもまた差があって,単なる成功と大成功,単なる失敗と大失敗が生じます。そしてこの大失敗のときに,僕はふと罰への欲望を感受することがあるのです。うまくいかないときはどうやってもうまくいかないということは,経験則としては理解できていますから,こういうときは早めに手を引くのがベストです。僕も大抵の場合はそうするのですが,ごく稀に,失敗すること自体が楽しくなってしまうということがあるのです。そうなると失敗するためにギャンブルを続けることになります。そして実際にそれが失敗という結果を生んだとき,むしろ満足感が残るのです。この満足感が,罰を受けた満足感に似ているように僕には思えるのです。
 あるギャンブルに失敗したことの罰を受けるために次のギャンブルに進み,そこでの失敗が罰を受けたこととして満足感を得させる,というのがこの場合の論理的な筋道でしょう。『賭博者』をドストエフスキーが書いたとき,この筋道を作家自身がよく理解していたと僕には思えるのです。

 地域活動ホームが主催するカラオケに妹が参加した翌日,12月9日の月曜日が,僕の内分泌科の通院の日でした。
 この日も病院に到着したのは12時40分前後。中央検査室には採血を待っている患者がひとりもいませんでした。僕はこういう場合でも先に採尿を済ませてしまうことがありますが,この日は中央検査室の受付を担当していた人に,すぐに採血をすることが可能なので,採尿は後回しにするようにと告げられました。なのでその通りにしました。こういうケースで先に採尿をしますと,トイレから戻ったときには,僕の採血が可能になっていることを示す番号が点灯しています。それでも後ろに待っている患者もいないのなら,待ってもらうのは技師だけということになりますから,受付で僕の後に順番を待つという患者がいない限り,僕は採尿を先にしていたのです。この日も僕に続く患者はいませんでしたが,それでも無視して先に採尿をしてしまうようなことは僕はしません。
 この日は採血に時間を要しました。僕は針を打たれる瞬間は自分の腕を見ることはしませんが,いくらかの痛みは感じますから,針が挿されたことは分かります。血液を抜いている間,要するに注射器に血が溜まっていく場面ですが,それも見ることはありません。ですからどの程度の血液が採取された状態なのかも,普段から分かっていないことになります。それでも,採取する時間というのはほぼ一定で,技師から終了を告げられるまでの間は,何秒かは分からないですけれどもそれなりの時間的感覚というものがあります。ところがこの日はなかなか技師から採取終了を知らせることばがありませんでした。どういう理由からかは僕にはまったく分かりませんが,どうやらいつものようにはうまく血を抜くことができなかったようなのです。それでも一応は技師から採取の終了が告げられましたが,もしかしたらまだ血液の量が十分ではないかもしれないので,その場で待機するように言われました。足りなければまた抜けばいいだけのことですから,あまり気にせずに待っていましたが,ほどなくして技師が戻ってきまして,血液は足りたということでした。
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農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&地域活動ホーム

2013-12-18 21:19:41 | 地方競馬
 2歳ダートチャンピオンを決める第64回全日本2歳優駿。ナイトバロンが競走除外になり13頭。
                         
 好発はニシケンモノノフでしたが内からスザクも行く構え。ニシケンモノノフが2番手に控えることになり,逃げたのはスザク。少し離れた3番手をハッピースプリントが追走。サーモピレーが4番手。前半の800mは49秒1で,ミドルペースに近いくらいのハイペース。ただ,雨の重馬場ですから,むしろ前に位置していた馬たちに有利であったと思います。
 向正面でマキャヴィティとメイショウイチオシは動きましたが,前まで追い付くには至らず。2番手のニシケンモノノフは直線に入る辺りでは苦しくなり,ハッピースプリントが2番手に。ハッピースプリントはその勢いのままに馬場の中ほどがその進路となったので,逃げたスザクとは馬体が離れての叩き合いでしたが,堂々と抜け出し,最後はちょっと内によれたような感はありましたが他馬の進路に影響は与えず,1馬身半差で優勝。逃げ粘ったスザクが2着。マキャヴィティの追撃を凌いだサーモピレーが3着でしたが,スザクとの差は6馬身。
 優勝したハッピースプリントは前走で北海道2歳優駿を勝っていた有力馬の1頭。様ざまな路線を経た馬が集結してのレースで,能力比較は難解なところがあり,この馬には左回りという課題もありましたが,完勝といってよい内容。個人的にいうとこれだけ前の位置で競馬をできたことが驚きでした。はとこに2009年の関東オークススパーキングレディーカップ,2010年の名古屋大賞典スパーキングレディーカップ,2011年のTCK女王盃,エンプレス杯,スパーキングレディーカップと重賞を7勝したラヴェリータ
 騎乗したのは北海道の宮崎光行騎手で管理しているのは北海道の田中淳司調教師。共に大レース初勝利です。

 翌日,12月8日の日曜日に,地域の活動ホームが主催するイベントがありまして,妹が参加しました。イベントといえばたいそれたものを想像させてしまうかもしれませんが,参加者で昼食を摂り,その後でカラオケをするというだけです。この活動は年に1回だけ催されるもので,事前にお知らせがありますので,特別な事情がなければ,基本的に妹も参加しています。
 障害者というのは,いわばコミュニティーのようなものを形成し,集団で活動をするという場合は,大体がその中に限定されます。妹の場合,勤務している作業所,そしてそれを運営している法人がその役割を果たしています。そして現在の妹は,それ以外には主だったコミュニティーには所属していません。強いて挙げればガイドヘルパーの利用はそれに属するといえなくもありませんが,これはコミュニティーというほどの組織ではないでしょうし,あるいは組織とみなしても,コミュニティーといえるほど大きなものではないからです。地域の活動ホームというのはそれに比べるならコミュニティーといえるような組織ではありますが,妹がそれに参加するのは年に1度だけなので,所属しているとはいえません。したがって,これに参加するほかの方々は,妹にとっては知らない人がほとんどなのです。妹はわりに人見知りをする方なので,こういったイベントに参加するのにはいくらかの緊張感が伴うのではないかと思います。それでもカラオケは妹が好む娯楽のひとつですから,そちらの方を重視して参加するということにしています。
 集合場所は磯子駅で集合時刻は午前11時半。解散場所も同じでこれは午後3時半。磯子駅までは送っていき,終了後は迎えに行く必要があります。ただし,イベントそのものには保護者は参加しませんので,送っていったら家に戻り,また迎えにいくという形です。僕はこれまで1度だけ,迎えには行ったことがあります。基本的に送迎は母がやっていますので,そのときは何らかの事情で母が迎えにいくことができなかったからだと思うのですが,具体的にどんな事情があったのかまではよく思い出すことができません。8日は送迎ともに母がしています。
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この人を見よ&誕生日

2013-12-17 19:10:31 | 哲学
 ニーチェのディオニュソスに対する親近感の証拠について僕の考え方を示したおり,ニーチェにとって最後の著作となった『この人を見よ』に触れました。ニーチェの著作はどれもこれも難解であるという印象を僕は抱いていますが,その中で最も分かりやすいものは,この最後の著作ではないかと思います。
                         
 原題はEcce Homo。これは新約聖書のヨハネによる福音書の19-5で,ピラトがイエスに対していうことば。もちろんそのときのこの人はイエスですが,ニーチェがいっているこの人は,ニーチェ自身のことです。ニーチェの反キリストは,文字通りの反キリストなのであって,必ずしも反イエスではないというのが僕の理解ですが,ここでニーチェが自身をイエスになぞらえているとき,ニーチェ自身にどのような意図があったのかは,両義的に解釈できるように思えます。
 この本がニーチェの著作の中では読みやすくなっているのは,単なる哲学的著作であるというよりは,自伝的要素が強くなっているからです。つまり,これ以外の著作においては,哲学的内容,ニーチェの場合には知の考古学的な要素まで含めて僕はその哲学的内容が構成されると理解しますが,そうした内容が表明されているにすぎません。しかしこちらの本においては,それらの哲学的内容に関するニーチェ自身の解説が中心で,何らかの新しい思想が表明されているというわけではないのです。
 ニーチェの哲学の分かりにくさのひとつに,全体がさほど体系だてられていないという点があると思います。しかし『この人を見よ』は,その著作の性格から,ニーチェの哲学が最も秩序づけられているといえるでしょう。この点も,この著作の分かりやすさの原因として挙げられるだろうと思います。
 それまでに書いた本に対するニーチェ自身の解説がつけられていますので,まず先にそれを読み,ニーチェが意図するところをある程度まで理解した上で,各々の著作を読んでいくというのが,ニーチェの思想を理解するための最良の方法だと僕は考えています。

 2泊3日でしたから妹が家に戻ったのは5日の木曜ということになります。僕はこの日も長者町だったのですが,午後4時過ぎには帰宅していましたので,妹を出迎える形になりました。帰った妹はおやつを食べた後,横になってすぐに眠ってしまいました。ショートステイ先では,どうしても普段よりも早い時間に起きなければなりませんので,寝不足であったのでしょう。
 週末は7日の土曜日がピアノのレッスン。予定は午後4時半からでしたが,10分ほど遅れての開始となりました。この程度の遅刻であっても,事前に先生から連絡が必ず入ります。そしてこの日が僕の誕生日でした。といってもだから何か特別なことをしたというわけでもありません。土曜日ですからいつものようにWINS横浜に行き,競馬をやってそれで終りです。誕生日のつきものといえばケーキでしょうが,ケーキのような嗜好品は現在の僕の身体にはむしろ大敵ですから,何もしてくれないということの方がありがたいくらいではあります。また,僕自身もこの日を迎えて何らかの感慨めいたものがあったかといえば,そういうこともありません。僕はネットでアンケートに参加することがありますが,そのときに年齢を問われた場合,それまでの1年間は42歳と記入していたものが,この日からは43歳と記入するようになったということが,唯一の変化らしい変化であるといえます。これはとくに今年の誕生日に限った話というわけではなく,少なくとも学生生活を終えて以降はずっと同じようなものです。記念日を好む人もいますし,節目の月日というのを気に掛ける人が多いことはよく理解していますが,僕自身はそういったことはほとんど気にしません。1月1日という日付でさえ,僕にとっては特別な日ではなく,ただの1日にすぎないのです。これにはある程度までスピノザの哲学も影響していると思います。時間というのは表象であり,日付とか時刻といったものも便宜的なものにすぎず,たとえば今日が12月17日であるということに,合理的な理由があるというようには僕には思えないのです。そしてそれが,元日であれ誕生日であれ,同じように該当するのです。
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