スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドバイワールドカップデー&内部と外部

2019-03-31 19:15:51 | 海外競馬
 日本時間で昨夜からきょう未明にかけて,UAEのメイダン競馬場で開催されたドバイワールドカップミーティング。今年は6レースに10頭の日本馬がエントリーしましたが,ドバイワールドカップのケイティブレイブは腹痛で出走取消。5レースに9頭の出走となりました。
 ゴドルフィンマイルGⅡダート1600m。
 ノンコノユメは大きく出遅れて5馬身ほどの不利。発走後の向正面で徐々に差を詰めて一団の馬群の最後尾まで取りつきました。コーナーを回ってから外に出し,何頭かを抜いて直線に向いましたがそこからは伸びず,勝ち馬から13馬身強の差で10着。純粋な競走能力だけで足りるかどうか不明なメンバー構成でしたので,出遅れてしまった時点でアウト。ただこの馬はこういう癖がかねてからあり,僕はそうしたことまで含めて競走馬の競走能力と解しますので,僕の見解では能力が足りなかったということになります。
 UAEダービーGⅡダート1900m。
 デルマルーヴルは発走後に押していましたが行き脚がつかず,後方2番手の外に。ただこのレースは発馬後にすぐ1コーナーで,5番というわりと内目の枠だったこともあり,コーナーワークで後方3番手まで自然と上がりました。向正面で馬群が密集。3コーナーからは騎手の手が動き始め,馬群の中から外に出されました。残り300mの地点で優勝を争った3頭から離されましたが,直線は外から伸び,勝ち馬から約6馬身差の4着。先行力があるタイプではないので,こういうレースになってしまったのは仕方がないでしょう。日本である程度の先行力を発揮している馬でないと,よほどペースに恵まれない限り,勝ち負けまでは厳しいのだと思います。
 ドバイゴールデンシャヒーンGⅠダート1200m。
 マテラスカイは逃げたかったようですが,9番枠だったこともあり内枠の馬に行かれてしまいそれをマークする2番手。ずっと並んでマッチレースのような展開に。残り200mくらいで力尽きてしまいましたがそのまま粘って1馬身半差で2着。このレースは逃げ切った優勝馬が昨年の2着馬で,3着と4着は昨年のブリーダーズカップスプリントでも3着と4着だった馬。勝ち馬と枠順が逆なら少なくとももっと差は詰まっていた筈で,この路線はアメリカの馬が圧倒的に強いということを考慮すれば大健闘でしょう。日本では思うような結果を残せていないのですが,これは日本のダートコースの構造の問題でしょう。アメリカで手薄な重賞を狙えば勝てる力があることは間違いありません。
 ドバイターフGⅠ芝1800m。
 アーモンドアイが外,ヴィブロスが内で7番手付近を併走し,ディアドラは後方3番手の内から。アーモンドアイは直線の手前から直前をいく馬の外に出て,楽な手応えで先頭を射程圏に。残り250mあたりで先頭に出て抜け出すと,最後は差を詰められたものの危ないところはなく優勝。アーモンドアイの外に出てきたヴィブロスが1馬身4分の1差で2着。直線に入ったところでヴィブロスの内にいたディアドラは行き場がなく,ヴィブロスが抜けた後で外に出され追い込んだもののヴィブロスからは4馬身4分の3差で4着。ヴィブロスはこのコースに対する適性が高いようで,それを生かしての2着。ディアドラは直線スムーズならもっと差は詰まっていた筈で,ややもったいなかった気もします。
 優勝したアーモンドアイジャパンカップ以来の出走で大レース5勝目。この馬は現役で世界最強の1頭で,そのクラスのメンバーは不在でしたから優勝は順当でしょう。どのレースに出走するのかが楽しみです。父はロードカナロア。母がフサイチパンドラで祖母がロッタレース
 日本馬による海外重賞制覇は昨年のメシドール賞以来。GⅠは一昨年のクイーンエリザベスⅡ世カップ以来。UAEでは一昨年のドバイターフ以来。
                                      
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はジャパンカップ以来の大レース制覇。日本馬に騎乗しての海外重賞制覇は2016年のニエユ賞以来。海外の大レースは2006年のドバイシーマクラシック以来の2勝目。管理している国枝栄調教師はジャパンカップ以来の大レース16勝目で海外重賞初制覇。
 ドバイシーマクラシックGⅠ芝2400m。
 レイデオロは1コーナーを過ぎてから先頭に立ち逃げる競馬。シュヴァルグランが5番手の内でスワーヴリチャードは7番手の外目。3コーナーでは最後尾まで下がりました。レイデオロは掛かって逃げたこともあり残り300mで一杯。勝ち馬から約12馬身半差で6着。シュヴァルグランは直線手前で,内の3番手にいた勝ち馬が外に出した影響でやや外に振られましたがそこから伸びて1馬身半差で2着。馬群の中を割って最後はシュヴァルグランの内に進路を取ったスワーヴリチャードがそこから半馬身差の3着。レイデオロはこのメンバーで折り合いを欠いてしまった時点でアウトです。気性的にこのような面はあり,休養明けはペースが速くなる競馬の方がいいのでしょう。シュヴァルグランとスワーヴリチャードは勝ち馬に完璧なレースをされてしまったために届かなかったという内容で,着差ほどの能力差はないと考えてよいでしょう。

 集合論が外延と内包を明確に区分することなしにあることも考えるconcipereこともできない理論であるとすれば,スピノザの哲学は形而上学の上でそれを容認することができないのではないかと僕は考えます。
 スピノザは第一部定理一五で,あるものはすべて神のうちにあるQuicquid est, in Deo estといっています。そして第一部定理一八では,神は万物の内在的原因causa immanensであるといっています。このような考え方は,一般に内在の哲学といわれます。すなわちスピノザの哲学では,有esseとは神のうちにあるもののことであって,神の外は無である,これは神の外にあるものは無であるという意味ではなく,端的に神の外は無である,いい換えれば神の外は実在しないということになっています。しかるに外延と内包という概念notioは,明らかにあるものの外部と内部を明確に区分しています。そしてこのことが集合論の本性essentiaに属するのであれば,集合論を背後から支える形而上学は,外部と内部を明確に区分する形而上学なのです。よってスピノザの哲学は,集合論の形而上学を支えるどころか,むしろそれを否定する形而上学の下に構成されていると僕は考えるのです。
 上野はこの点について,スピノザは内包は認めないといういい方をしています。このいい方は,外延はスピノザも認めているというように僕には読解できます。それでみれば上野は,外延というのが形而上学的には神に該当するものだとみていることになるでしょう。ただしこれはあくまでも僕の読解で,上野のいわんとするところが本当にそうであるかは不明です。そもそも集合論というのがどういった数学であるかが僕には分からないので,外延というのが集合論においてどういった概念であるかも分からないのですから,これは致し方ないところです。
 ただ,僕の見方はこれとはちょっと違っているのです。というのも,たとえば神の内部だけが存在して神の外部は存在しないという言明は,不条理な言明であると僕は解するからです。なぜなら,内部というのはその外部というのがあって初めて成立し得る概念であると僕は考えるからです。したがって,神の外部がないのであれば,神の内部もあることも考えることもできないと僕は思います。
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音遊び&数列の稠密性

2019-03-30 19:01:10 | 歌・小説
 あほう鳥②の中で,この楽曲にはことば遊びが取り入れられているということを示しました。こういったことば遊びとは別に,歌には音の遊びというものがあると僕は感じています。意図して作られているのかどうかは定かではないのですが,歌詞というのはメロディーに乗せて歌われるものなので,それがメロディーと合致することによって,心地よく聞こえたり,気持ちよく歌えたりすることが生じます。この感じ方は人それぞれの筈で,万人に妥当するということはないのですが,僕が感じているところをふたつほど書いてみます。
                                     
 「鳥になって」には次のような一節がありました。

     子供の国へ 帰れるくらい

 これはメロディー上は,子供の,国へ,帰れる,くらい,という4つのパートに分けられます。その4つがいずれもカ行で始まっています。このカ行が無声音で歌われるとき,僕はとても美しさを感じるのです。
 初期の楽曲に「五才の頃」というのがあります。いつつの頃,と読みます。この楽曲に次の一節があります。

     時は流れ過ぎて 大人になって
     涙流しながら 泣けなくなった

 これは漢字とひらがなが入った歌詞を読むだけでは分からないかもしれませんが,「な」という音が異様に多く出現しています。口に出して読めば分かると思います。この「な」の多さによって,メロディーに乗せて歌うとき,一種の快感を得ることが僕にはできるのです。

 数学には数列の稠密性に対する考え方の相違があります。数列が稠密でないとすると,ある数とある数の間に空虚が存在することになります。僕は数学に詳しくないので的外れな見解opinioかもしれませんが,これでみると集合論は数列の稠密性を否定する数学の一種か,そうでなくともそういう考え方をする数学理論と相性がいいのかもしれません。
 ゼノンの逆説の発端は,数列が稠密であるとすると様ざまな矛盾が生じてしまうという点にあります。僕がかつて重点的に考察した,アキレスは亀に追いつくことができないという逆説も,数列は稠密であるとする考え方から生じたものでした。いい換えればゼノンは,数列は稠密ではないと主張したかったことになりますから,この考え方は集合論者に受け入れやすい考え方かもしれません。スピノザはそれに対して,この矛盾は数列が稠密であるがゆえに発生してしまう矛盾なのではなく,自身でそれに気が付いていたかどうかとは別に,ゼノンが運動motusは静止quiesの集積であるという認識cognitioを有していたから発生する矛盾であると主張し,運動しているものは静止していないといって,数列は稠密であることを正当化したのでした。つまりスピノザの哲学は,これは空虚の存在を否定するのですから当然そうなるのですが,数列の稠密性については肯定するのです。もし集合論が数列の稠密性を否定するような理論を内包しているなら,あるいはそれを内包させていなければ成立しないような理論であるなら,この点でもスピノザの哲学と対立的であることになるでしょう。
 ただ,上野の発言をその文脈から理解すると,僕には空虚の存在を認めるということは集合論の骨格をなす考え方ではなく,いわばその骨格から必然的にnecessario発生してくる性質であるように思えます。スピノザの哲学では本性と特質の間に大きな差があり,集合論が空虚を認める,あるいはそれを必要とするのは,集合論の本性essentiaであるというより集合論の特質proprietasであると僕には考えられるのです。そしてこのときその本性に該当するのが,集合論は外延と内包を含んでいなければならないという点です。そこでこれを本性とした場合にどうなるかについても僕の見解を示します。
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秩序と連結の同一性&空虚

2019-03-29 19:33:57 | 哲学
 第二部定理七備考におけるスピノザの主張は,大胆な主張であると僕はいいました。これは人間にとっては確かめる術がないとスピノザ自身が認めるであろう主張だからです。ですが,なぜスピノザがこのようなことをいい得たのかということは考えておかなくてはなりません。そこでこのことを成立させる論理構成はいかなるものになるのかを考察してみます。
                                    
 第二部定理七系は,神の本性Dei naturaから形相的にformaliter生じるすべてのことが,神の観念Dei ideaから同一の秩序と同一の連結idem ordo, eademque connexioで客観的にobjective生じるといっています。第一部定理一五により,あるものはすべて神のうちにあるQuicquid est, in Deo estのですから,自然のうちに存在する形相的有esse formaleの十全な観念idea adaequataが,神の観念からは生じることになります。第二部定理五により,観念の形相的有の原因causaは思惟の属性Cogitationis attributumなので,これは思惟の属性を原因として,すべての形相的有の観念が発生するといっているのと同じです。
 次に,第一部定義六により,神の本性essentiamを構成する属性は無限に多くinfinitisあります。それら無限に多くの属性について,第二部定理七系およびここまでに僕がいったことが妥当しなければなりません。つまり,あらゆる物体corpusの十全な観念が神の思惟の属性から発生するというだけでは不十分なのであり,あらゆる属性の様態modusの観念が思惟の属性を原因として生じなければならないのです。
 このとき,思惟の属性の連結と秩序というのは決まった連結と秩序です。これはそれ自体で明らかでしょう。しかるに第二部定理七により,観念の連結と秩序は観念されたものideatumの連結と秩序に同一です。よって,観念の連結と秩序が同一であるなら,何であれ観念されたものの秩序と連結は同一でなければなりません。いい換えれば,観念されたものがどの属性の様態であったとしても,同一の連結と秩序でなければなりません。したがって思惟の属性の連結と秩序が決まった連結と秩序である限り,観念対象となるすべての属性の秩序と連結が,思惟の属性の秩序と連結と同一である,要するにすべての属性において連結と秩序は同一になるのです。
 僕には第二部定理七備考を正当化する論理構成は,これ以外には考えられません。

 数学も含めた自然科学の背後に方法論と形而上学が存在していて,哲学がそれを正当化したりしなかったりするということで,僕がどのようなことをいいたかったかはこれでご理解いただけたものと思います。そこで論考の対象を集合論といわれている数学の一理論に戻しましょう。僕はこの理論をスピノザの哲学は正当化しない,むしろ積極的に学問として不当なものであるとみなすであろうと考えます。
 その理由の第一は,上野によれば集合論が空虚の存在を認めるという点にあります。これはスピノザの哲学にあっては許容できない考え方です。このことはかつてゼノンの逆説について考察したときにいったことと関係します。単純にいってしまえば,スピノザは「アトム」すなわちそれ以上は細分化することができない個物res singularisというものを認めません。この「アトム」を認めないということと,空虚を存在として認めないということは,実は同じことです。なぜなら,「アトム」を認めるなら空虚が存在することになり,スピノザが「アトム」を認めないのは,空虚を実在的なものとして認めない,いい換えれば空虚は有esseであるか無であるかといえば無であるということから発しているからです。たとえば旧版の110ページの終りの方,新版では132ページの最後に掲載されている第二部自然学①公理一は,運動しているものは静止していないということを明らかに意味します。運動しているか静止しているかのどちらかであるということは,必ず運動しているか静止しているか,いい換えれば運動していなければ静止しているし,静止していなければ運動しているということを意味していると同時に,運動しつつ静止しているということはないということも意味するからです。
 よってスピノザの哲学における運動motusは,静止状態の集積ではありません。運動が静止quiesの集積だとすると,ある静止とその次の静止との間に必ず空虚が発生してしまうからです。この空虚を非実在的であるとするためには,運動を静止の集積とみなさないことが必要なのです。だから,スピノザの哲学は集合論を正当化しません。逆にいえば正当化するのは,運動を静止の集積とみなす哲学なのです。
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印象的な将棋⑯-3&自然科学と人文科学

2019-03-28 19:11:41 | ポカと妙手etc
 詳しく紹介する将棋は第44回NHK杯テレビ将棋トーナメントの準決勝の将棋です。これは1995年2月に収録されたものです。
                                      
 第1図はの第1図と同一の局面です。の将棋と同じ対戦カードで,2も後手は同じ棋士ですから,先手は自身から誘導すればこの局面までは進むだろうし,ここまで進めば☖6五銀とぶつけてくるだろうと予想していたものと思います。
 後手も先手の誘導に乗る形で進めてきたわけですが,先手に何らかの対策があることは理解していたでしょう。2の将棋は必ずしも後手がうまくいったわけではないかもしれませんが,勝ったのは後手であり,手を変える必要があるのは先手だからです。ですからその研究を避ける手段もあったわけですが,注文通りに☖6五銀と指しました。
 先手はここですぐに手を変えました。☗4五歩と突いたのです。2の将棋は☗同銀☖同歩に☗4五歩だったので,それと比べれば銀の交換をせずに歩を突いたということになります。交換の有無はともかく,☗4五歩が有力な対策であるという認識が先手にはあったということだと思います。
                                      
 後手も先手が対策を用意していることは分かっていたでしょうが,ここですぐに変化してくるのは意外だったのではないでしょうか。

 スピノザの哲学による精神分析学の正当化はフロイトSigmund Freudにとって邪魔であったというのは僕の推測です。ですからフロイトが本当にそう認識していたかは不明です。ただ,そういう正当化は不要であったということはフロイト自身がいっているのですから,これは事実であると判断しなければなりません。
 僕は医学とか生理学,生物学といった学問は自然科学に属するとみなします。一方,社会学とか心理学,文化人類学といった学問は人文科学であり,自然科学であるとはみなしません。フロイトは心理学の文脈で語られることもある学者で,その限りにおいては人文科学者であると僕は解します。しかし精神分析学は心理学よりは医学に類似する学問なので,僕は自然科学とみなします。よって精神分析学者としてのフロイトは自然科学者です。これはたぶんフロイト自身もそう認識していたであろうと僕は思います。『主体の論理・概念の倫理』にも,たとえばラカンJacques-Marie-Émile Lacanのような精神分析学者が論考の対象となっていますが,これは自然科学者が研究対象になっていると僕は解します。つまりこの点においては,数学者が研究対象となっている場合と同じように解するということです。
 フロイトは自身の精神分析学に哲学的正当化は不要であったといっています。これは裏を返せば,精神分析学を哲学的に正当化することができるということをフロイトは知っていたということです。要するにフロイトは,精神分析学は自然科学であるけれど,そこには形而上学も含まれているし方法論も含まれているということには気付いていたのです。そしてフロイトの場合はただそれに気が付いていたというだけではありません。フロイト自身の学説がスピノザに負っているということを認めるとフロイトはいっているのですから,スピノザの哲学はフロイトの精神分析学を哲学的に正当化することができるとフロイトは認識していたと考えなければならないからです。つまり,フロイトは単に精神分析学に形而上学と方法論が含まれているということに気付いていただけではないのです。どのような哲学が精神分析学を正当化できるのかということも知っていた,そういう意識もあったのです。
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農林水産大臣賞典桜花賞&フロイトの場合

2019-03-27 19:13:53 | 地方競馬
 笠松から1頭が遠征してきた第65回桜花賞
 ホウショウレイルが逃げました。2番手にポッドギル。3番手はトーセンガーネットとゼットパッション。5番手にダバイダバイとケンガイアでこの6頭は一団。2馬身差の7番手にアークヴィグラス。また2馬身差の8番手がナラで9番手にマルパソとラブミーピンクで3頭が一団。2馬身差の最後尾にマーチャンスルーという隊列で1周目の正面を通過。この後,ケンガイアが外を進出したので3番手にトーセンガーネットとケンガイアになり,離れた5番手にゼットパッション。また離れた6番手にアークヴィグラスという隊列に向正面で変化しました。最初の800mは48秒6のハイペース。
 3コーナーを回るとポッドギルがホウショウレイルに並び掛けていき,直後を追っていたトーセンガーネットはその外へ。2番手のポッドギルが脱落するとトーセンガーネットがホウショウレイルの前に出て直線。ここからトーセンガーネットが後ろを離していく一方となって快勝。逃げたホウショウレイルも一杯になり,外から差し込んだゼットパッションが7馬身差の2着。さらに外から追ってきたアークヴィグラスが2馬身差で3着。
 優勝したトーセンガーネットニューイヤーカップ以来の南関東重賞2勝目。このレースは能力ではアークヴィグラスがトップと考えていましたが,絶対的に不利な外枠を引いてしまったため,それに次ぐ能力と思われたこちらの方が勝つ可能性は高いとみていました。どうしてもこの舞台は枠順の有利不利が大きすぎるので,7馬身差を額面通りに受け取るのは危険かもしれません。ただ,距離延長はアークヴィグラスよりこちらに利があると思いますので,東京プリンセス賞に向うのであれば有力候補でしょう。父はアグネスデジタル。母の父はクロフネ。祖母のひとつ下の全弟に2004年にデイリー杯2歳ステークス,2005年にシンザン記念を勝ったペールギュント
 騎乗した船橋の左海誠二騎手は昨年のクラウンカップ以来の南関東重賞制覇。その後,テレ玉杯オーバルスプリントで重賞を勝っています。桜花賞は第50回以来15年ぶりの2勝目。管理している浦和の小久保智調教師第63回以来2年ぶりの桜花賞2勝目。南関東重賞は34勝目。

 ゲーテJohann Wolfgang von Goetheは初めからスピノザの哲学の形而上学と方法論を意識した上で自然科学の研究を開始しました。ロバート・ボイルRobert Boyleは,スピノザと論争をしていく中で,実証主義には方法論が潜んでいて,スピノザの方法論はそれを肯定しないということくらいは気付いたかもしれませんが,どのような方法論を有する哲学が自身の自然科学研究を肯定するのかということは少しも意識していなかったとしておくのが妥当だと思います。最後にこれらの中間の例,すなわち形而上学や方法論を意識した上で自然科学を研究したわけではないし,そのような後ろ盾は不要であると考えていたのだけれども,一方で自身の自然科学研究は形而上学と方法論を有しているということには気付いていて,そればかりではなくどのような哲学が自身の研究の後ろ盾になるのかということについての意識があったという例を,同じようにスピノザの哲学との関係で挙げておきましょう。
                                        
 『異端の系譜Spinoza and Other Heretics : The Marrano of reason』によれば,スピノザ生誕300年の記念論集に,フロイトSigmund Freudは寄稿を求められました。フロイトはそれを断ったのですが,同時におそらくその依頼をしたのであろうヘッシングという人物に手紙を送り,その中で,偉大な哲学者であるスピノザに対する高い敬意を抱き続けてきたという主旨のことを書いています。またその直前の,精神分析学にも造詣のあったスピノザ研究者であるビッケルの質問に答える手紙にも,自分がスピノザの学説に負っていることを認めるという内容のことを書いています。フロイトはしかし,精神分析学の研究においてはほとんどスピノザの名前に言及していませんでした。こちらの手紙にはその理由も書かれていて,それは精神分析学の理論に対して哲学による正当化を求めていなかったからだという意味のことをいっています。
 たぶんフロイトは,精神分析学という自然科学研究に対して哲学によって正当化を求めると,自身がパイオニアといえるであろう精神分析学が自然科学であるということが理解されにくくなってしまうのではないかという懸念を有していたのだと僕は推測します。だからフロイトにとってそれは不要であったというより,邪魔だったのかもしれません。
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放浪の殺し屋&ボイルの場合

2019-03-26 19:07:39 | NOAH
 『外国人レスラー最強列伝』の第12章は放浪の殺し屋といわれたジプシー・ジョーです。
                                      
 僕にとってこの選択は意外でした。僕のプロレスキャリアが始まった頃,ジョーは全日本プロレスで仕事をしていました。ですが最強クラスには程遠く,外国人選手の中では中堅クラスであったからです。実際に全日本プロレスではタイトルを獲得してなく,実績を残していません。ただしだから何の印象も残ってないかといえばそうではありません。この選手にはあるギミックがあったからです。それは,相手にパイプ椅子で身体を殴らせるというもので,すると椅子の方が壊れてしまうのです。あたかも鋼鉄のような身体であるかのように強調するギミックで,こういうことをやる選手は当時はほかにいませんでしたから,僕の記憶にも強く刻まれています。ただ,逆にいえば記憶に残っているのはそれだけであるというのも事実で,したがって僕にとってジプシー・ジョーという選手は,相手に椅子で殴られることによって椅子を壊す選手という以上のものでも以下のものでもありません。
 門馬がジョーを紹介しているのは,ジョーが全日本で仕事をする以前,国際プロレスで仕事をしていたときのことを高く評価しているからです。門馬は国際プロレスにはタイプの違った強豪外国人選手がたくさんいて,中でも3強として,大巨人人間風車とジョーを挙げています。本当にジョーがアンドレやロビンソンに比肩するレスラーであったのかどうかはともかく,どれほど門馬がジョーを高く評価しているのかということはこれで分かると思います。ただし門馬は,ジョーが無名であったともいっています。その無名のジョーが,慢性的な赤字に苦しんでいた末期の国際プロレスを救ったとしていて,このあたりが高い評価の一因となっているのでしょう、
 ラッシャー・木村は国際プロレス時代は金網の鬼といわれていました。そのラッシャー・木村を金網の鬼として最も光らせたレスラーがジョーであったというのが,門馬の論評です。

 スピノザはオルデンブルクHeinrich Ordenburgを介して,ロバート・ボイルRobert Boyleと硝石に関する論争をしています。論争の内容を実験の内容に関してだけみるなら,ボイルのいっていることが正しいのであって,スピノザが単純にその成果を肯定することができなかったということになります。ですが,実際にスピノザが論争しようとしていたことはそういうことではなく,自然科学の方法論に関するものだったと考える必要もあります。これについては工藤喜作の『スピノザ哲学研究』で詳しく論じられていますし,僕もその本と関連した考察の中で詳しく探求しましたので,ここでの詳述は避けます。
 ボイルは実証主義という立場を採用していました。これは自身で表明しています。ボイルがそれを意識していたかどうか分かりませんが,実証主義は自然科学における方法論のひとつなのです。つまり何らかの実験を行い,その実験の結果effectusから真理veritasを導いていくという方法です。したがってこの場合には真理とは個々の実験の成果の集積であることになります。ところがスピノザは,方法論としてはこれは誤りであると考えていました。このことは第一部公理三および第一部公理四から明らかにすることができます。それらの公理Axiomaによれば原因なるものは本性naturaの上で結果に対して先立っていなければならないのですから,実証主義的方法についていえば,実験の方が原因で実験の結果は文字通りに結果であることになります。ところが結果によって真理は決定されるというのであれば,これは結果によって原因を真に認識するcognoscereことになり,スピノザ主義の立場からは本末転倒になっているからです。つまりここには実証主義的方法論とスピノザ主義的方法論との対立があるのであって,スピノザはボイルに対してそのことを問題視していたのです。
 このことから明確に分かるように,ボイルがそれを意識していたかどうかは分かりませんし,そもそもそのことに気付いていたかどうかさえ定かではないのですが,自然科学はひとつの方法論をその背後に前提しているのです。だから実験の結果が正しいか否かとは関係なく,その方法論だけを抽出して問題点を指摘するということも可能になっているのです。
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ウィナーズカップ&ゲーテの場合

2019-03-25 19:03:22 | 競輪
 大垣競輪場で行われた昨日の第3回ウィナーズカップの決勝。並びは渡辺‐郡司‐中村の南関東,脇本‐浅井の近畿中部,太田‐松浦の四国中国で山崎に佐藤。
 取り合いになったスタートを佐藤が取って山崎の前受け。3番手に太田,5番手に脇本,7番手に渡辺で周回。残り3周のバックを過ぎると渡辺が上昇を開始。これをみて太田も動き,まず太田がホームで山崎を叩いてそのまま誘導も斬りました。渡辺はさらに上昇。バックで太田を叩いて前に。4番手に太田,6番手に引いた山崎,8番手に動かなかった脇本の一列棒状となって打鐘。すぐに山崎が発進。ホームで渡辺を叩くことに成功。しかし脇本が発進するとバックであっさりと山崎を捲り,追走の浅井と3番手以下を離してふたりの優勝争い。浅井の差し込みを凌いだ脇本が優勝。浅井が4分の3車輪差の2着で近畿中部のワンツー。渡辺が叩かれたため自力に転じて前を追った郡司が4車身差の3着。
                                       
 優勝した福井の脇本雄太選手は10月の寛仁親王牌以来の優勝でビッグ3勝目。優勝から遠ざかっていたのは競技に力を入れているためで,競輪は今年はこれが初出走。ここは脚力は上位ですが,南関東は渡辺が捨て身で駆けて郡司が番手捲りというレースが予想され,郡司クラスの選手にこれをされると脇本でも厳しいというケースもあり得ると思っていました。しかし渡辺はあまり早くから駆けていくことはせず,しかも山崎に叩かれてしまうという失敗レースに。こうなれば脇本には願ってもない展開。準決勝まではずっと後ろが離れていただけに,しっかりマークして差を詰めた浅井も強かったです。

 具体的な例をいくつかみていきます。
 『ゲーテとスピノザ主義』や『ゲーテ『親和力』における「倫理的なもの」』を読むと,ゲーテJohann Wolfgang von Goetheは小説や詩などの文学作品を作るときにスピノザの哲学を意識していただけではなく,自然科学の研究をする場合もスピノザの哲学を参考にしていたふしがあることが窺えます。これはきわめて特異な例といえるように思いますが,ある時代においては自然科学者というのはスペシャリストのことではなく,むしろゼネラリストであった時代があるわけで,現代的な感覚では特異でも,過去にはそうではなかったのかもしれません。たとえばデカルトやライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが数学を研究するとき,自身の哲学のことが念頭になかったとは考えられないからです。一方,人文科学でいえば,スピノザの政治論は哲学ありきの政治論であることは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』からも『国家論Tractatus Politicus』からも明白で,これと同じようなことがゲーテの場合にも発生していたと考えるのがよいでしょう。
 ただ,自然科学を専門的に研究する研究者というのは,研究の後にそれを支える形而上学や方法論がどのようなものであるのかということを意識するということはあっても,最初からある形而上学と方法論を念頭に置いて自然科学の研究に入るというのは珍しいでしょうから,この意味ではゲーテの自然研究は特異であるといってよいだろうと僕は思います。これは文学作品の創作の場合にもたぶん同様です。たとえばスピノザの哲学に感銘を受けたのでスピノザを賛美する詩を創作するということは珍しいことだとは僕は思いませんが,ゲーテの場合はスピノザの思想の方を意識して創作活動に入っているからです。
 ゲーテの研究に顕著にみられるのは方法論の観点です。哲学的方法というのは分類の仕方がいくつかありますが,その中に分析的方法と綜合的方法という分類があり,スピノザは方法論としては後者を支持していました。これはスピノザが何をもって数学というのかということとも関連するのですが,それについては後述します。ゲーテはこの方法論を手掛かりとして,自然研究の道に入っています。つまりゲーテの自然学は,まず方法論ありきであったのです。
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高松宮記念&形而上学と方法論

2019-03-24 19:13:07 | 中央競馬
 第49回高松宮記念
 好発はセイウンコウセイ。これを外からラブカンプーとモズスーパーフレアが追っていき,モズスーパーフレアが前に出て逃げました。ラブカンプーが2番手になり,セイウンコウセイは3番手。この後ろにミスターメロディとダノンスマッシュ。6番手はラインスピリット,アレスバローズ,ナックビーナスの3頭。9番手がペイシャフェリシタとダイメイフジ。11番手にティーハーフとロジクライ。13番手以下はショウナンアンセム,デアレガーロと続き15番手をスノードラゴンとレッツゴードンキで併走。後方2番手が発馬後のダッシュのよくなかったダイメイプリンセスで最後尾にヒルノデイバローという隊列。前半の600mは33秒2のミドルペース。
 モズスーパーフレアが先頭で直線へ。これを外から差しにいったのがセイウンコウセイ。さらに外からラブカンプーとダノンスマッシュ。セイウンコウセイが前に出て,外の2頭はそれを捕えるほどの脚はありませんでした。モズスーパーフレアとセイウンコウセイの間に進路を取ったのがミスターメロディで,こちらが内からセイウンコウセイを差し切って優勝。セイウンコウセイが半馬身差で2着。ミスターメロディのさらに内から伸びてきたショウナンアンセムがアタマ差まで迫って3着。
 優勝したミスターメロディは昨年のファルコンステークス以来の勝利。重賞は2勝目で大レースは初制覇。このレースはモズスーパーフレア,ダノンスマッシュ,そしてこの馬の3頭が優勝候補と考えていました。モズスーパーフレアは先手を奪いきるのに手間取ってしまったため失速したと説明がつきますが,ダノンスマッシュは思ったほど脚を使うことができませんでした。結果的にいうと馬場の内目の方を回ってきた馬たちで優勝争いを演じましたので,内が有利な馬場状態であったのかもしれません。なので3番枠というのを引けたことが優勝の最大の要因になった可能性が残り,はっきりとトップに立ったとまでは断定しない方がよいのではないでしょうか。芝のこの距離のレースに出走するのはこれが初めてだったのですが,距離は短い方がよいタイプでしょう。スプリント戦ならダートでも戦える馬だと思います。祖母の8つ下の半弟に2002年にサラブレッドチャレンジカップ,2004年に佐賀記念と名古屋大賞典,2005年に名古屋大賞典とマーチステークス,2006年にマーキュリーカップを勝ったクーリンガー
 騎乗した福永祐一騎手はJBCクラシック以来の大レース31勝目。第34回,46回に続き3年ぶりの高松宮記念3勝目。管理している藤原英昭調教師は皐月賞以来の大レース15勝目。高松宮記念は初勝利。

 数学のある理論に対して,哲学がそのバックボーンになるとかならないとかいうとき,僕が何を示そうとしているのかということからまず詳しく説明していきます。
 これは数学に限らないのですが,科学というものは,その正当性を保証するための支柱をもっています。このことは人文科学であろうと自然科学であろうと妥当します。この支柱というのは主にふたつあって,ひとつは論理構成の正しさを保証するものであり,もうひとつは論理の手続きの正しさを保証するものです。僕はこれから,前者を形而上学的な支柱といい,後者は方法論的な支柱ということにします。つまりあらゆる科学ないしは科学理論の背後には,形而上学と方法論のふたつが必ず含まれているのです。これはそれを研究している科学者がそれを意識しているかいないかということはもちろん,それに気付いているか気付いていないかということとも別の話です。要するにそのことに思いを致さなくても科学的思考はできるのですが,気付いていないということと存在しないということとは別のことであって,気付いていなくとも存在はしているのです。
 形而上学とか方法論というのは哲学の分野に属する事柄であり,とくにある種の哲学は形而上学の比較を専門に行ったり,方法論の比較を専門に行ったりします。ただしスピノザの哲学はそうしたことを専門的に行う哲学ではありませんから,具体的にそれがどのような哲学であるのかということの言及はここでは控えます。
 数理哲学というのは,数学という自然科学を対象として,その背後にある形而上学や方法論がどのようなものであるのかを探求する哲学であるとみなしてよいかもしれません。そのような哲学が存在し得るということ自体が,数理すなわち数学の各々の理論の背後に,形而上学と方法論が潜んでいるということの証明になるといえるでしょう。このとき,理論が異なれば形而上学や方法論というのが異なるというケースが生じ得ます。それは必ず異なるとはいえませんが,そういう場合もあり得るのです。よってある哲学が,A理論の支柱にはなり得てもB理論の支柱にはなり得ないというケースがあり得ることになります。
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第三部諸感情の定義一三説明&集合論

2019-03-23 19:03:24 | 哲学
 第三部諸感情の定義一四および第三部諸感情の定義一五で説明したように,僕は安堵securitasと絶望desperatioは反対感情であり,かつ希望spesと不安metusという感情affectusから発生する感情であると解しています。すなわち,希望が実現し不安が解消するという認識cognitio,実際にそうであるかどうかは別として,そのような認識がある人間の精神mens humanaのうちに発生する場合には,この人間は安堵します。逆に,これも実際にそうであるかどうかということとは別に,ある人間が希望は叶わず不安が現実化すると認識するなら,この人間は絶望するのです。
                                   
 しかし,岩波文庫版の訳者である畠中尚志は,これとは違った見解を有していて,希望の実現による喜びlaetitiaと不安の解消による喜びは別の感情で,希望の消滅による悲しみtristitiaと不安の現実化による悲しみは別の感情であるとみています。この見解はこの見解で一理あるのですが,それについては後回しにし,僕がなぜそれとは違った解釈をしているのかを詳しく説明していきます。
 スピノザは希望と不安を表裏一体の感情であるとみています。それが示されているのが第三部諸感情の定義一三説明です。
 「これらの定義からして,恐怖なき希望もないし希望なき恐怖もないということになる」。
 この恐怖metusを僕が不安と訳しているのはいつもの通りです。
 僕はまず,この説明からして,ある希望から何らかの感情が生じるなら,その同じ感情が不安からも生じなければならないし,逆にある感情が不安から生じるのであれば,それと同じ感情が希望からも生じなければならないと考えます。希望と不安が同時にあるといっても,僕たちは希望を強く意識する場合もあれば不安を強く意識する場合もあります。ですがその意識の差によって異なった感情が発生するというようには僕は解さないのです。

 僕は数学にも数理哲学にも造詣がありませんから,それらの内容について詳しく説明するということはできません。まして数学の中にいくつかの理論があって,それらの各々の理論を的確に説明するということは不可能です。ところが,スピノザがある特定の理論だけを数学という語で示し,そこから外れるような理論については数学という学問自体から排除していたということは,この考察において,とくにスピノザの哲学的な立場と数学との関係性を探求する場合にきわめて重要なのです。ですからこの部分に関しては,『主体の論理・概念の倫理』でいわれていることを,僕がどう解釈しているのかという観点から記述していきます。こうした事情ですから,僕の解釈自体が的確であるということを僕は保証できませんし,本でいわれていることが数学という学問からみた場合に適切であるのかどうかも僕には判別できません。
 『分析手帳』という雑誌の編集者のひとりに,ミレールJacques-Alain Millerという精神分析学者がいました。後にラカンJacques-Marie-Émile Lacanの正統な後継者になる人です。このミレールとある議論の解釈の仕方を巡って論争したのがバディウAlain Badiouという哲学者です。この論争は『主体の論理・概念の倫理』の第二部の第一章で論じられています。このバディウというのは哲学者でしたが,存在論と数理哲学とを架橋することを企てていたといいます。近藤和敬によれば,そのときにバディウが数学であると理解していたのは集合論という一理論であったとのことです。そしてこの集合論というのがどのような理論であるのかといえば,上野修によれば,内包と外延とをセットにした理論であり,そこには空虚が必要とされているということです。
 もし集合論というのが上野のいうようなものであったとしたら,あるいはもっと正確を期していうなら,上野はそのように説明していると僕が解しているような理論であったとしたら,スピノザの哲学というのはこの理論を支えるようなバックボーンにはなり得ないと僕は考えるのです。だとすれば,この集合論に従う数学者というのは,僕が前々から考えていたのとは別の理由で,積極的にスピノザの哲学を否定するのではないかと僕には思えます。
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あほう鳥③&スピノザと数学

2019-03-22 19:07:33 | 歌・小説
 僕が「あほう鳥」を聴いたり口ずさんだりしてしまうのは,で紹介した部分の後に続くフレーズが好きだからです。これは1番と2番ではちょっとだけ違っているのですが,2番は1番をやや省略しただけですので,ここでは1番の歌詞の方を紹介します。全編にわたって書いてきましたが,僕にとって「あほう鳥」はこの部分がすべてだといってもいい過ぎではありません。

                                   

     忘れます 忘れます
     あんたが好きだったって こともね


 「あんた」はで歌われているように心が軽い人間です。そして同じく①で歌われているように出口を探す人間です。「あたし」が「あんた」を好きだということは,それらの部分では直接的に歌われているわけではありません。しかしこの部分で歌われている,「あたし」が探している「ねぐら」というのは,「あんた」との「ねぐら」であって,それに対して「あんた」が出口を探していると解するのが普通でしょう。だから「あたし」が「あんた」を好きであることは分かります。けれど,心が軽くて出口を探す「あんた」のことを好きだったということは,「あたし」にとって忘れなければならないことなのです。好きだった,と過去形で歌われていることも重要です。過去に何かがあったということを,聴き手はそこから理解することができるからです。

     忘れます 忘れます
     あたしが生きていたって こともね


 正しくいうなら僕が好むのはこちらの部分です。なぜ僕がこの部分を好むのかといえば,それは「鳥になって」を好むのと同じ理由です。

 『主体の論理・概念の倫理』との関連では,いくつか考えてみたいことがあります。まず最初に,この本では数学者ないしは数理学者も取り上げられていますので,スピノザの哲学と数学の関係を,これは僕なりの仕方でということになるのですが,探求してみます。僕は前々から,というのはこの本を読む以前からという意味ですが,スピノザの哲学の中には,数学者を当惑させるような要素,あるいは数学者が不満を感じるような要素が含まれているのではないかと考えていたからです。この本の第二章でカヴァイエスという数学者にして哲学者が論じられているのですが,僕の読解では,このカヴァイエスの問題意識が,僕がスピノザの哲学に含まれているのではないかと考えている,数学者を当惑させ,また不満を抱かせる要素とよく似ているように思えたのです。
 ただし,これを考えていくために無視をすることができない要素が,この本の別の部分には含まれていました。ですから合わせてそれも考えていかなければならなくなったのですが,こちらの点に関しては,この本を読むことによって僕の中に発生した問題意識なのです。つまりこれから僕が探求していく事柄は,この本とは無関係に僕が以前から抱いてた考え方と,この本を読むことによって知ることができた内容およびそれと関連する考察とが混合していることになります。このことをまず初めに理解しておいてください。
 僕がスピノザの哲学には数学者を当惑させる要素が含まれていると考えていたとき,僕は数学というのを一般的な学問として考えていました。ところが,巻末の鼎談の中で上野が述べているところによれば,スピノザは僕が数学という語で示そうとしているもの,すなわち一般的な学問としての数学というのを数学と考えていたわけではないと理解した方がよいようなのです。ものすごく単純化していってしまいますが,数学の中にはいくつかの理論というものがあって,そのうちのひとつである公理論という理論だけを,スピノザは数学と考えていて,この公理論と無縁であるような理論あるいは理論体系は,スピノザにとっては数学ではなかったと解する方がいいかもしれないのです。
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農林水産大臣賞典黒船賞&主体の論理・概念の倫理

2019-03-21 18:50:48 | 地方競馬
 第21回黒船賞。笠松のストーミーワンダーが出走取消で11頭。
 クレセントシティーがハナを奪いにいきましたが,外から強引にサイタスリーレッドが追い抜いて,サイタスリーレッドの逃げに。外に切り返したクレセントシティーのさらに外をサクセスエナジーが上がっていき,こちらが2番手に。内のテーオーヘリオスと並ぶ形でクレセントシティーは3番手。正面ではテーオーヘリオスと並んでいたエイシンバランサーが5番手となり6番手はサクラレグナム。向正面ではこの6頭が一団になり,3馬身差でヤマニンアンプリメとキクノステラの2頭。さらに2馬身差でキングズガード,ミサイルマン,グレナディアーズの3頭が一団という縦長の隊列。ミドルペースでした。
 サクセスエナジーは3コーナーを回ると逃げるサイタスリーレッドを捕まえにいき,先頭で直線に。ここで一時的に抜け出しましたが,コーナーで外から捲り上げてきたヤマニンアンプリメがぐんぐん差を詰めてきて2頭の優勝争い。並ぶところまではいったものの凌いだサクセスエナジーが優勝。ヤマニンアンプリメがアタマ差で2着。後方から大外を追いこんできたキングズガードが5馬身差の3着。
 優勝したサクセスエナジーは前々走のすばるステークス以来の勝利。重賞は昨年のさきたま杯以来の3勝目。このレースは上位3頭の能力がほかより上位とみていましたので,個人的にはきわめて順当な結果。ただ,ペースがさほどでもなかったとはいえ,早めに動いて先頭に立つという強気なレースで凌いでいますから,2着馬とは着差以上の力量差があるみてよいのではないかと思います。父はキンシャサノキセキ。母の父はジャングルポケット。母の8つ上の半姉に2002年にフィリーズレビューを勝ったサクセスビューティ
 騎乗した松山弘平騎手と管理している北出成人調教師は黒船賞初勝利。

 『主体の論理・概念の倫理』には,「二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義」という副題がついています。エピステモロジーとは科学認識論です。舞台はふたつで,ひとつがパリの高等師範学校,もうひとつはエピステモロジーサークルというグループで,このグループが発行していた『分析手帳』という雑誌です。
                                      
 これらのことから容易に推測できるように,扱われているのは哲学に限定されません。研究対象となっている主要人物には,哲学者も存在しますが,精神分析学者とか数学者ないしは数理学者なども含まれています。このために,この本を十全に理解するためには幅広い知識と教養が要求されます。僕がこの本を読み始めてから読み終えるまで,おおよそ1年半もの時間を要してしまったのは,母のことがあって読書に充てることができる時間というものがそれまでより減少してしまった影響もありますが,僕自身の知識や教養が不足しているため,なかなか読み進めていくことができなかったという理由がずっと大きいでしょう。分量も多いですが,単にそれだけでいうなら『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』とか『異端の系譜Spinoza and Other Heretics : The Marrano of reason』はもっと多い筈で,しかしどちらが僕にとって楽に読めるかといえば,それら分量の多い方です。スピノザの哲学に対する知識を十分にもっていれば読みこなすことのできる本ではないということを,まず強調しておきます。
 一方こうした理由によって,執筆者も多数で,編集者とは別に9人います。つまりこの本はひとりの著者による著作ではなく,多くの研究者による共同研究の成果です。ですから,たとえばある部分をAという研究者が執筆していたとして,このAがこの本の別の部分についてはよく分からないというケースもあるものと思われます。ですから十全に理解できない部分があったとしても,たぶん心配する必要はないでしょう。
 多数の研究者による研究を編集したのが3人で,ひとりは上野修,もうひとりが米虫正巳,そして近藤和敬です。つまり12人の共同研究と考えてください。巻末に編集者3人による鼎談があります。たぶんこの鼎談を先に読む方が,若干でも著書の内容の理解が容易になるでしょう。
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京急電鉄賞京浜盃&参考資料

2019-03-20 19:48:53 | 地方競馬
 第42回京浜盃
 発走後のダッシュが秀でていたのがホールドユアハンド。レベルフォーが外から追い掛けて抜き,こちらの逃げになりました。リードは2馬身。譲ったホールドユアハンドが2番手。1馬身半差でヒカリオーソとウィンターフェル。3馬身差でステッペンウルフとカジノフォンテン。2馬身差でジョーパイロライトとマイコート。9番手がオーシャンブラックで10番手のシビックヴァーゴまでの4頭は集団。2馬身差でアギト,キングイモン,ホワイトヘッドの順で3頭が一団で続き,2馬身差の最後尾は最初から控えたグラビテーション。縦長の隊列から分かるようにハイペース。
 レベルフォーはわりと快調に飛ばしていき,3コーナーを回ってからホールドユアハンドが差を詰めていき,その外からウィンターフェル。ヒカリオーソはここで鼻血を出したようで一杯となり,前の3頭と4番手は一時的に差が広がりました。直線に入ってホールドユアハンドが前に出ましたがウィンターフェルはその外で余裕の手応え。騎手がしっかりと後ろを確認してから追い出したのですが,北海道時代からの癖で追われても真剣に走ろうとしませんでした。この間にホールドユアハンドとウィンターフェルの間に進路を取ったステッペンウルフが内からウィンターフェルを差して優勝。ウィンターフェルが半馬身差で2着。後方2番手から大外をよく伸びたホワイトヘッドが1馬身半差で3着。
 優勝したステッペンウルフは南関東重賞初制覇。デビューは昨年5月の北海道で,北海道時代は6戦して2勝。昨年の暮れに南関東に転入し,3着,2着ときてここ2戦は連勝していました。ここはウィンターフェルの力が上で,北海道時代の実績で大きく劣っていたために勝つまではどうかとみていました。相手が悪い癖を出したのは事実ですが,当時の実力差を大きく詰めているのは事実だと思います。クラシックでも期待してよい1頭でしょう。父はサウスヴィグラス。母の父はアグネスタキオン。5代母がアマゾンウォリアー。Steppenwolfはドイツ語で荒野の狼。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は金盃以来の南関東重賞34勝目。第30回以来となる12年ぶりの京浜盃2勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師は南関東重賞35勝目。第24回,29回,40回に続く2年ぶりの京浜盃4勝目。

 計画相談には,妹の受給者証と,愛の手帳といわれている療育手帳が参考資料として必要でした。ところがこれらは両方ともグループホームに預けてありましたので,前日にKさんに対して提示することができなかったのです。僕がこのときにYさんにお話したのは主にこの件であったのですが,これらはすでにKさんから依頼があったので,FAXで送ったとのことでした。
 1月13日,日曜日。午前9時20分に,グループホームの妹の担当者であるKさんから電話がありました。Kさんは母の通夜のときに,早めに斎場に来てくれた方です。これは2月の予定を尋ねる電話でした。Kさんはグループホームの担当者ではありますが,僕は妹の送迎は通所施設にしています。グループホームから通所施設への送迎もありますから,Kさんが通所施設に滞在しているということもあるのですが,常にではありません。また,母の通夜の日がそうであったように,休みの日というのもありますから,僕はKさんとは顔を合わせない月というのもあるのです。やり取りは連絡帳があり,基本的にはこのようなこともそれを通してしているのですが,このときは電話での連絡になりました。たぶん何らかの事情があって,早めに決定しておく必要があったのだろうと思われます。
 1月15日,火曜日。妹を通所施設に送りました。14日は成人の日で休みだったからです。
 帰ってから,ある外資系保険会社から問い合わせの電話がありました。はこの会社のがん保険に加入していたようで,生前に給付金を申請していたようです。というか,保険の受取人がになっていたため,まず受取人の名義の変更が必要とされていました。これに関する郵便物がそれ以前に届いていたのですが,それは母が生きていることが前提となっている内容でした。なので僕は暮れのうちに,母が死んだために名義変更に必要な書類を返送できないという主旨の記述をして,この保険会社に送っておいたのです。このときの電話はその名義の変更と保険金の給付に関する質問でした。
                                      
 1月16日,水曜日。かねてから読み続けていた『主体の論理・概念の倫理』をようやく読了することができました。
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NHK杯テレビ将棋トーナメント&時期の特定

2019-03-19 19:00:05 | 将棋
 17日に放映された第68回NHK杯の決勝。収録は2月18日。その時点での対戦成績は羽生善治九段が54勝,郷田真隆九段が28勝。千日手が2局あります。
 振駒で羽生九段の先手で角換り相腰掛銀。先手から仕掛けるとすぐに郷田九段も反撃し,攻め合いの将棋になりました。
                                      
 先手が桂馬を打った局面。ここで☖5五角と打ったのですが,これが敗着になりました。
 先手は☗4四桂と取り☖同角に☗4二銀☖2二玉☗4一角と攻めていきました。そこで☖8五桂は7七の地点を狙った厳しい反撃手なのですが☗3五桂と打たれました。
                                      
 放置しておけば☗2四飛で簡単な詰み。しかし☖同歩にも☗2四飛が王手角取りになってしまいます。よって☖同角と取ることになったのですが,攻めの主軸となっている角を取られては大勢が決しました。第1図では☖5六同銀と取るほかなかったようです。
                                      
 羽生九段が優勝。第38回,41回,45回,47回,48回,50回,58回,59回,60回,61回に続き7年ぶり11回目のNHK杯優勝です。

 妹は中学校を卒業した後は養護学校に通いました。中学校は義務教育ですから,いつ卒業したのかは分かります。また,養護学校も在籍する年数は決まっていますから,ここをいつ卒業したのかも分かります。妹はその後で,磯子区の汐見台にある障害者専門の作業所に通うようになりました。これは養護学校を経営していた福祉法人とは別の法人の作業所です。その後で,養護学校の経営母体である福祉法人から話があり,そちらが運営する作業所に移りました。でもそれがいつのことであったのかというようなことも僕には分からなかったのです。たとえば,父のきょうだいのうち五女であるK伯母の夫が急死したときは,妹は汐見台の方に通っていたというように,断片的な記憶は僕にもありますが,何年に何があり,またその何年後に何があったのかというように,時期を特定することは困難でした。支援計画書の作成は今回が初めてでしたが,計画相談自体はこれまでにもあったようですので,その記録が区役所に残っている筈で,それを参照すれば調べることができる筈だというのがKさんの話でした。僕もそうしてもらわなければ分かりませんので,Kさんがそうした記録を参照することをKさんと区役所に対して承諾しました。
 最後に,今後の予定について説明がありました。これは支援計画書を作成するまでのことと,作成してからのことの両方が含まれていました。計画書は作成して終了というわけではなく,それが着実に実行されているかの調査も必要なのです。ただしこの調査に関しては,Kさんがグループホームを訪問して行うということでしたので,僕には直接的には関係しません。作成までの過程では関係することが存在しましたが,それについては時系列に沿って記述していくことにします。
 この日の計画相談はこれで終りました。概ね1時間20分ほどでした。
 1月11日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。このとき,グループホーム全体の統括者で,契約のときの相手であったYさんがいましたので,前日の計画相談についていくつかの報告をしました。ですがすでにKさんから電話があったようで,大体のことは知っていました。
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棋王戦&計画相談

2019-03-18 19:27:08 | 将棋
 宇都宮で指された昨日の第44期棋王戦五番勝負第四局。
 渡辺明棋王の先手で角換り相腰掛銀。たぶん後手の広瀬章人竜王の手損が響いてしまったために,先手が有利に中盤戦を進めていたのではないかと思います。
                                      
 後手が角金両取りに飛車を打った局面。両取り逃げるべからずということで☗5四銀と取って☖同金に☗6三角とこちらは飛車金両取りの角を打ちました。双方に大駒による大駒を含んだ両取りが掛かっている局面というのは珍しいと思います。
 後手は☖8五飛と王手で逃げることができますが☗8六歩の合駒が飛車取りになるので状況は変わっていません。そこで☖2四飛成☗8五歩と飛車角交換に進みました。
                                      
 第2図から後手は☖4二角と打ち☗4一飛☖2二玉☗4二飛成☖同金☗5四角成☖7五桂と進めています。
                                      
 このように桂馬を打ち捨てるのは先手玉を寄せるための狙い筋なのですが,この局面は先手玉への王手が途切れたときに☗4四馬という手があるために,先手の勝ちになっているようです。代案は第2図でいきなり☖7五桂と打ってしまうか,狙い筋として残して単に☖6五金と出ておく手。実戦とは違って飛車を入手できていないので迫力不足かもしれませんが,後手としては5四の金を取られる方が痛かったのではないでしょうか。先手の方も第2図の☗8五歩のところで☗5四角成としてしまった方が本当はよかったのかもしれません。
                                      
 3勝1敗で渡辺棋王が防衛第38期,39期,40期,41期,42期,43期に続く七連覇で通算7期目の棋王です。

 帰る途中で薬局に寄りました。ところがこの日はインスリンも注射針もまったく在庫がありませんでした。インスリンにしろ針にしろ,残量が出るように処方されていますから,1日とか2日のことなら何の問題もありません。ないものは仕方がありませんから,配達を依頼し,代金だけ支払って帰りました。実際のところをいえば,概ね1ヶ月半の間隔で通院していますから,その分のインスリンと注射針は必ず処方されるわけで,分量はそれなりにあります。在庫がなくて配達を依頼し,何ももたずに帰る方が,僕としては楽ではあります。帰宅したのは午後4時45分でした。
 1月8日,火曜日。インスリンと注射針が配達されました。午後8時35分のことでした。
 1月9日,水曜日。午後4時に,支援計画書の作成を請け負ってくれたKさんから電話がありました。妹の様子について僕に聞きたいので,翌日の午前10時に僕の家を訪問するとのことでした。
 1月10日,木曜日。前日の電話の通り,午前10時にKさんが来訪されました。
 支援計画書の作成は,計画相談という名称になっていますので,ここからはこちらを使用します。厳密にいえば支援計画書の作成は計画相談の一部と理解してください。つまり重度知的障害者の保護者が,福祉事業所に対して計画相談を依頼し,その一環として,重度知的障害者の支援計画書が作成されるということです。したがってこれには契約が必要となりますので,まず契約書にサインをしました。
 次に,妹の過去および現在についての聞き取り調査が行われました。ただ,僕は妹の現在についてはよく知っていますが,過去のことについては分からないことも多かったです。僕は妹より6つ上で,ふたり兄妹としては年が離れている方かもしれませんが,妹が産まれたときにはまだ5歳で,もうすぐ6歳になろうかという年齢です。妹が小学校に入学したときに中学生になり,中学校を卒業したときでもまだ大学生だったわけで,妹の様子を詳しく観察していたわけではありません。ですからこの聞き取り調査によっては不明だった点が多く,それはKさんが区役所で過去の記録を調べてくれることになりました。
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国際自転車トラック競技支援競輪&2019年1月の通院

2019-03-17 19:52:04 | 競輪
 防府競輪場で行われた第8回国際自転車トラック競技支援競輪の決勝。並びは桐山‐竹内の東日本,高久保‐山本‐松岡の近畿,宮本‐河端‐桑原の中国に荒井。
 牽制になりましたが松岡がスタートを取って高久保の前受け。4番手に桐山,6番手に宮本で周回。残り3周のホームに入ると早くも宮本が上昇開始。ですが高久保は下げず,宮本は松岡の外を併走するような形でバックを通過、そのまま高久保が誘導を外して先行態勢。これを宮本が叩きにいきましたが,1周の間に前に出ることができずに打鐘。ここから宮本がまた行こうとしましたが高久保が突っ張り切りました。宮本が不発になったので今度は河端が自力で発進。これに対してはホームの出口から山本が牽制しつつ発進。河端はバックで一杯。これに代わって松岡の後ろから桐山が発進。あっという間に山本を捲るとそのまま後ろとの差を広げていき優勝。竹内が離れてしまったため,中国ライン追走を止めていた荒井が自力の捲りで大外を伸び5車身差の2着。一旦は先頭に立っていた山本が粘って4分の1車輪差の3着。
 優勝した神奈川の桐山敬太郎選手は2014年8月の小田原記念以来となるGⅢ2勝目。このレースは力では上だと考えていましたが,ほかのラインで前を回る若いふたりがどのような考えの下にどんなレースをするのかが予測できなかったので,予想は難しかったです。最も先行意欲が高かったのは前日のコメントおよび並びから宮本だと思っていました。後ろからの周回になったので,早めに上がっていったのはよかったと思うのですが,高久保が執拗に抵抗したため,残り3周から2周にわたって先行争いをするような展開に。この展開になれば桐山の優勝も当然でしょう。

 いつものように院内のコンビニエンスストアで週刊競馬ブックを購入し,診察の予約が午後3時でしたから,2時50分に内分泌科の受付を済ませました。待たされることを覚悟していましたが,3時15分には診察が始まりました。
 HbA1cは7.7%に上昇していました。これは寒くなってきた影響が大きかったのだと思います。医師は,もし計測した血糖値が高かった場合には,超速効型のインスリンであるヒューマログを,積極的に増量して注射するようにという指示を出しました。注射するインスリンの量の調整というのは,ある程度まで僕に任されていたのですが,僕は注射する量を減らすということにはあまり抵抗はないのですが,増やすのはできればしたくありません。低血糖に陥ってしまう可能性というのがそれだけ高くなるからです。また,そのことを恐れるあまり,必要以上に糖分を摂取してしまえば元も子もなくなるからです。ただ,医師がそのような指示を出しましたので,あまりに血糖値が高いという場合には,それまでよりも積極的に増やすようにはしました。血糖値が高くなるのは大概は朝です。ですから増量することが多かったのは朝食前のヒューマログだったことになります。
                                      
 朝の血糖値が高くなるのは,その要因が寒さであったという可能性を高くしていると僕には思えます。ただ医師は,持続効果型のインスリンが関係しているかもしれないと考えたようで,場合によってはこのタイプのインスリンの種類を変更することを考えてもよいかもしれないと言いました。ただしこの日は変更はなく,発病してからずっと使い続けていたランタスが処方されています。
 次回の診察の1週間前に,合併症の検査,神経伝導検査と血圧脈波測定と頚部血管エコー検査と心電図の測定をするようにという指示も出されました。1週間前は月曜ですので,通常なら妹を送って行くのですが,まだ予定を決定していない時期でしたから,その日で受け入れました。週末に妹をグループホームで過ごさせれば,月曜の午前中から検査ということになっても問題はないからです。
 11月と同様に,この日もHbA1c以外には何の異常もありませんでした。
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