スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&虚偽への従属

2018-12-31 19:12:27 | 地方競馬
 北海道から3頭が遠征してきた第42回東京2歳優駿牝馬
 ゲートの中で立ち上がるなどして落ち着きがなかったシャリライモンが発馬でも2馬身の不利。逃げたのはスティールティアラ。2番手にブレイクフリーで3番手にシェリーアモール。4番手を併走したアークヴィグラスとエムティアンの5頭は集団。6番手のミッドサマーナイトと7番手のグレイアンジェラも差がなく続きました。2馬身差でサブノダンサーとケンガイア。その後ろのマルパソの3頭が一団。3馬身差でラブミーピンクとミコマイ。2馬身差でダバイダバイ,ボルドーシエル,シャリライモン,セイシャレードの順となりこの4頭が後方集団という縦長の隊列。前半の800mは50秒1のハイペース。
 3コーナーを回ってスティールティアラの外に並び掛けていったのがブレイクフリー。アークヴィグラスは楽な手応えで内を追走しその直後がミッドサマーナイト。4コーナーを回りきるところで逃げたスティールティアラが外に膨らんだため,労せずして進路ができたアークヴィグラスがスティールティアラの内から進出。そのまま先頭に立つと楽に抜け出して快勝。最内を回って追い込んだラブミーピンクが2馬身差の2着。大外から追い込んだマルパソが2馬身差の3着。
 優勝したアークヴィグラスローレル賞に続いて南関東重賞連勝。この馬はその前に重賞を勝っていますが,ここはそのときの3着馬,4着馬,5着馬も出走し,ローレル賞で半馬身差の2着に食い込んだ馬も出走していましたので,混戦になると予想していました。ところがそうした馬たちを寄せ付けずに快勝という結果になったのは,この馬の成長力が最も大きかったということでしょう。このためにほかの有力馬が苦しくなり,伏兵の2頭が差して2着,3着という結果になったと説明することができます。この内容であれば少なくとも桜花賞まではこの馬が最有力候補という評価でいいかもしれません。父はサウスヴィグラス。母の父はフジキセキファンシミンファンシーダイナの分枝で3代母が1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップと新潟記念とオールカマーに勝ったダイナフェアリー
 騎乗した川崎の瀧川寿希也騎手はローレル賞以来の南関東重賞4勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。前走はローレル賞に出走する資格を得るための川崎への転入で,当初の予定通りにその後に移籍して管理することになった大井の嶋田幸晴調教師は南関東重賞2勝目で東京2歳優駿牝馬は初勝利。

 母の様態が急変したとき,妹が家にいました。ですから僕は緩和病棟から連絡を受けた後,自分の身支度だけを整えてすぐに出発するというわけにはいかず,妹を起こして妹も着替えさせなければなりませんでした。
 これは事前にいっておきましたが,こういう事態になったとき,つまり母が死ぬときといってもいいですが,そのときに妹を同室させるか否かということ,いい換えれば妹を母の死に目に立ち会わせるか否かということは,僕は自分では判断しませんでした。連絡を受けたときに妹が家にいれば連れて行きますし,妹がグループホームに滞在中であれば黙っておくつもりでした。あとは母がいつその状態になるかということだけであり,本当はそんなことはないことも僕は心得ていますが,もし母が妹にも見てもらいたいなら妹が家にいるときに危篤になるだろうし,妹には見せたくないと思えばそうでないときに危篤になるだろうというような認識cognitioの仕方をしていました。妹が家にいるときに血圧が低下したのは,やはり妹にも自分の死に際に立ち会ってほしいという母の思いがあったのだと僕は今でも認識します。ただし繰り返しますが,僕はそれを母の意志voluntasに委ねて認識しているわけですが,それが十全な認識ではないということは理解しています。本当は母の意志などなかったけれど,それはあったというような誤った認識に意図的に従属しているということです。虚偽と誤謬の違いによって説明すれば,僕は誤謬errorには陥ってはいない,虚偽falsitasを虚偽と知ってはいるのですが,意図的にその虚偽を有し続けているということです。
 妹を連れて行かなければならなくなったことは,僕がひとりで行く場合に比べれば大変でした。しかし,もし妹が不在のときに母の死を迎えていれば,その後で時間を見繕って妹をグループホームなり通所施設なりに迎えに行かなければなりません。死に際に会わないのはともかく,通夜や葬儀に妹を出席させないわけにはいかないからです。するともしかしたらそちらの方がより大変であったという可能性が残ります。ですから僕はこの点に関しても,妹が家にいる間に血圧の低下があり,よかったのだと思うようにしています。
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東京シンデレラマイル&感情の事後処理

2018-12-30 19:06:03 | 地方競馬
 第12回東京シンデレラマイル
 エヌティボタンは発馬後に挟まれ1馬身の不利。内からエターナルモール,外からワカチナが出ていき,コーナーワークでエターナルモールの逃げに。2番手はニシノラピートとワカチナで併走。4番手もラーゴブルーとクロスウィンドで併走。6番手もステップオブダンスとブルージェットで併走となり,8番手のエイシンルジーナ,9番手のコパノビジンまでは一団。ここから3馬身差でファイトユアソング,シェアハッピー,ジュエルクイーンと続き,その後ろにアッキーとエヌティボタン。15番手がガーデンズキュー,最後尾にスプリングキャロルと後方は7頭が一団の隊列。前半の800mは49秒8のハイペース。
 3コーナーを回ると外からラーゴブルーが動いていき,コーナーの途中でエターナルモールに並び掛けると直線の入口では先頭に。内を回っていたニシノラピートが直線では外に切り返し,直線の半ばからフィニッシュにかけて抜け出したラーゴブルーとの差を詰めていきましたが届かず,優勝はラーゴブルー。ニシノラピートがアタマ差の2着。直線で逃げたエターナルモールと外に切り返したニシノラピートの間に進路を取ることができたコパノビジンが2馬身差で3着。
 優勝したラーゴブルーは前走のこのレースのトライアルから連勝。南関東重賞は4月のしらさぎ賞以来の2勝目。しらさぎ賞は52キロで4分の3馬身差の優勝だったのですが,前走は58キロを背負って同じ相手に3馬身差で勝っていて,春から秋の期間で明らかに強くなっていると思われました。2着馬とは勝ったり負けたりという戦績でしたから絶対視はできなかったのですが,有力とみていた1頭。今日も2着馬とは接戦になったように,今後も勝ったり負けたりになるのかもしれません。レースの内容からは距離が伸びるのはマイナスで,もっと短くてもいいのかもしれないという印象を抱きます。父はハーツクライ。母の父はキングカメハメハ。4つ上の半姉に2013年にフローラステークスとローズステークスに勝ったデニムアンドルビー。Lago Bluはイタリア語で青い湖。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は鎌倉記念以来の南関東重賞31勝目。第8回以来4年ぶりの東京シンデレラマイル2勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞15勝目で東京シンデレラマイルは初勝利。

 8月20日,月曜日。妹を通所施設まで送りました。妹が家に帰ったのは8月9日の木曜日。妹にとってその日以来の通勤となりました。僕にとってはこの日からが,母が不在となっての通常の日常の開始であったといっていいでしょう。
 僕は両親の長男として誕生し,39歳で父を亡くし,47歳で母を亡くすことになりました。もっとも僕の生年月日は1970年12月7日ですから,実際には40歳になる年,48歳になる年です。これは世間的にみれば早いかもしれません。ただ,こういったことに関してはそれを覆すことができませんから,起きてしまったことに関しては僕はなるべくいいように,楽観的に把握するように努めます。前にもいいましたが,人間は悲しみtristitiaを感じたときは,実際に起きていることについては悲観的になり,起こらなかったことについては楽観的になりがちです。ですが実際には起こらなかったことが起きていた場合の方がより強力な悲しみに襲われたかもしれませんから,このような把握は物事に対する十全な把握であるといえません。むしろこのような把握は,実際に起きたことを起こした原因causaとみられる人,あるいは実際には起こらなかったことを起こさなかった原因であるとみられる人に対して憎しみodiumを産出するだけなので,きわめて非生産的に感情affectusの事後処理をしていることになります。このような負のスパイラルに陥ることは避けるべきであるというのが僕の考え方ですから,僕は逆のベクトルで感情の事後処理を行うように努めるのです。
 母の事案については僕は現時点では次のように認識します。
 まず僕が9日に妹を迎えに行った後,10日の早朝に母の様態が急変し,僕たちは病院に駆けつけました。この日はちょうど妹の歯科の通院にあたっていましたが,母はその時間帯は小康状態を保ってくれましたので,その検診は済ませることができました。もし検診ができなければ,改めて予約を入れ,また妹を連れて行かなければならなかったのですから,僕にとっては手間が省けたわけです。ですからこの点について,僕は母に対して感謝をする要因が生じます。これは憎しみの反対感情である愛amorを産出するのです。
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農林水産大臣賞典東京大賞典&導師の来訪

2018-12-29 19:46:29 | 地方競馬
 第64回東京大賞典
 ゴールドドリームは発馬後の加速が鈍く1馬身の不利。内からスーパーステションがハナへいき,ヤマミダンスが2番手でしたが,大外のアポロケンタッキーがあまり内に進路を取らずに追い上げる形。スーパーステションは引かなかったのでアポロケンタッキーが競り掛ける形の2番手。5馬身差でヤマミダンスとリーゼントロック。3馬身差でケイティブレイブ。1馬身差でエイコーンとクリソライト。1馬身差でモジアナフレイバーとゴールドドリーム。3馬身差でワークアンドラブ。1馬身差でグルームアイランドとオメガパフューム。以下,サウンドトゥルー,マイネルリボーン,フレアリングダイヤと続き,大きく離れてコスモプラシデスという縦に長い隊列。前半の1000mは61秒2の超ハイペース。
 3コーナーを回って苦しくなったのは2番手のアポロケンタッキーの方で,外からリーゼントロックが接近。ケイティブレイブがさらにその外を追撃。直線に入ると内を回ってきたエイコーンが逃げるスーパーステションのすぐ外に進路を取り,一旦は前に出ましたがケイティブレイブが外からまた抜き去って先頭。これらの外からゴールドドリームとオメガパフュームが併せ馬の形で追い上げ,外のオメガパフュームが差し切って優勝。ゴールドドリームが4分の3馬身差で2着。ケイティブレイブが1馬身半差で3着。
 優勝したオメガパフュームは9月のシリウスステークス以来の勝利。重賞2勝目で大レースは初制覇。このレースは3着までに入った3頭の能力が明らかに上位なので,その3頭の争いになるのが濃厚と考えていました。北海道のスーパーステションは門別でも早いペースで先行して後ろを突き放すという競馬をしていた馬なので,ラップはさほど落ちないだろうと思っていたのですが,今日はアポロケンタッキーが競り掛ける形になり,予想以上のハイラップに。上位3頭の着順にはそのラップと道中の位置取りが大きく影響したものと思います。ただ3頭のうち最も若い馬が勝ちましたので,この馬がルヴァンスレーヴを追うグループの中ではトップに位置すると考えてよいかもしれません。母の父は第48回の覇者のゴールドアリュール。母の3つ上の半姉の仔に今年の愛知杯を勝っている現役のエテルナミノル
                                     
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手は昨日のホープフルステークスに続いて2日連続の大レース制覇。東京大賞典は初勝利。管理している安田翔伍調教師は開業から9ヶ月半で大レース初勝利。

 8月18日,土曜日。
 妹は休みの日は大概は昼まで寝ています。なので僕は妹がいるときでも,午前中は外出します。稀に妹が起きてしまうこともあるのですが,僕が不在であるということは本人も承知していますから,僕が帰るまでおとなしく待っています。この日も外出しました。
 土曜と日曜の外出は大抵はウォーキングを兼ねてWINS横浜まで歩くというもので,この日もそうでした。そのWINS横浜の所在地は野毛といわれる地区の一角で,野毛には仏具店が何店かあります。ですから僕は馬券を買い求めた後,WINS横浜から最も近い仏具店に立ち寄りました。すると大きくて厚めの座布団があるとのことでしたので,何点かを見せてもらい,色合いが最もよさそうなものを選んで購入することができました。僕は導師なり住職なりが来訪するといえばそれを断るつもりはありません。そしてその際にはこの座布団を使いますので,これは現在も家にあります。ただしこれは導師や住職が専用に使用するものであり,僕が使うということはありません。
 午後4時10分ごろに導師から電話があり,午後4時半過ぎには行くことができるとのことでした。そして午後4時半を少し過ぎて,導師が到着しました。僕は母のための読経なので,母のためにしつらえた祭壇に向って読経をするものだと思い,そのように座布団を配置しておいたのですが,実際の読経は仏壇に向って行われました。この後,四十九日の法要まで,導師は何度か家を訪れましたが,それはいつでも同じでした。僕は生活の利便性を考えて祭壇を仏壇とは別の部屋に設営してもらったのですが,仏壇に向って拝むということになると,生活用品をいくらか片付けなければなりません。この日は祭壇に向って拝むと思い込んでいましたので,そうした片付けは何もしてなく,急いで仏壇に向って拝めるような形に整えました。生活の利便性を考えれば導師が帰れば元に戻しますので,この片付けは導師の来訪のたびに行われることになりました。
 最後に少し,祭壇に向かっても念仏を唱えます。通夜や葬儀ほど長くなく,概ね40分くらいですべてが終了で,これもずっと同じでした。
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ホープフルステークス&座布団

2018-12-28 19:05:24 | 中央競馬
 第35回ホープフルステークス
 積極的に先手を奪いたいという馬がいなかったようで,発馬後の正面ではサートゥルナーリアが先頭でその後ろにニシノデイジー,アドマイヤジャスタ,コスモカレンドゥラの3頭が並ぶ形。1コーナーで外からコスモカレンドゥラが前に出てこの馬の逃げに。向正面に入るところで1馬身半くらいのリード。2番手に引いたサートゥルナーリアの外にアドマイヤジャスタが並んで2番手は2頭。4番手にニシノデイジー,ブレイキングドーン,タニノドラマの3頭。7番手はヒルノダカール。8番手がハクサンタイヨウとジャストアジゴロ。10番手にマードレヴォイスとミッキーブラック。12番手がヴァンドギャルドで2番手からここまで一団。1馬身半差の最後尾にキングリスティアという凝縮した隊列。前半の1000mは62秒5の超スローペース。
 残り1000mからペースアップ。3コーナーを回るとアドマイヤジャスタが単独の2番手になり,行き場もなかったサートゥルナーリアは内で控えて3番手。アドマイヤジャスタの外からブレイキングドーン,ヒルノダカール,ジャストアジゴロも追い上げてきました。直線に入るとアドマイヤジャスタが先頭に。外から追うブレイキングドーンとの間に割り込んでいったサートゥルナーリアが進路を確保すると鋭く伸び,楽々とアドマイヤジャスタを差して優勝。アドマイヤジャスタが1馬身半差で2着。コーナーではサートゥルナーリアより外にいたニシノデイジーが馬群を捌く形で伸び,4分の3馬身差で3着。
 優勝したサートゥルナーリアは6月に新馬を勝つと一息入れ,10月のオープンも勝って2戦2勝でここに参戦。2戦が共によい勝ち方であったために人気に推されていました。今日は手応えからして,進路さえ確保できれば勝てそうというレース。やや強引さがあった感はありますが,そこから抜け出したときの脚は他と一線を画していました。相当の能力があることは間違いなく,来年のクラシックの有力候補といえそうです。父はロードカナロア。母の父はスペシャルウィーク。母がシーザリオで祖母がキロフプリミエール。6つ上の半兄が2012年にラジオNIKKEI杯2歳ステークス,2013年に神戸新聞杯と菊花賞,2014年にジャパンカップに勝ったエピファネイアで兄弟制覇。3つ上の半兄は2015年のJRA賞の最優秀2歳牡馬のリオンディーズ。Saturnaliaは古代ローマの祭り。お祭り騒ぎという意味もあります。
                                     
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手は朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース制覇で今月の大レース3勝目。ホープフルステークスは初勝利。管理している中竹和也調教師は2009年のNHKマイルカップ以来の大レース2勝目。

 祭壇の設営は終ったのですが,翌日に導師が来訪して読経することになっていましたので,用意しておかなければならないものがありました。導師が座るための座布団です。一般の家庭で使用するような座布団なら何枚もありましたが,読経のために導師が座るのにはそれでは不十分であり,もっと厚めの大きな座布団が必要と思えました。
 父の死後にも同じようなことが行われましたし,それ以外の,たとえば御講のときなどに住職や導師が来訪したことはあります。ですからかつては確かにそのような座布団が家にあったのです。ところがいくら探しても見当たりません。これはたぶん母が処分してしまったのだと思います。
 たぶんであって絶対ではありませんが,もし母が処分してしまったとするなら,その理由というのは僕には分かります。父の死後も住職なり導師なりが来訪して読経するというケースはありました。そのときの準備というのは,本門仏立宗の熱心な信者であったK伯母が中心となって行なっていました。ところが2011年のの10月にK伯母の急死という事態があり,それ以後はK伯母が準備をすることはできなくなりました。母は自分で準備をすると何か不足してしまうことが生じてしまいかねないと考え,それ以降は住職や導師に家に来てもらうということは控え,すべてをお寺で行うようにしました。よって御講などもこれ以降は家ではなくお寺で立てるようにして,先方に来てもらうのではなくこちらから出掛けるようにしていたのです。このために住職や導師が使用するための座布団を家でまた使用することはないだろうと判断し,それを処分したのでしょう。
 今回は家に来ることが決まっていましたから,また必要になりました。僕の家から5分ほどのところに,仏具店があります。店内で見てネットで注文するというような主旨の幟が立っているのをよく見掛けていましたので,すぐに入手できる可能性は低いだろうと予想できましたが,とりあえず出掛けました。ただ座布団はなく,取り寄せるのに1週間は必要だとのことでしたので,そのまま帰りました。妹が家にいましたので,この日はこれ以上は何もできませんでした。
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農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&祭壇

2018-12-27 19:25:41 | 地方競馬
 第18回兵庫ゴールドトロフィー。禁止薬物の検出により開催が中止となっている岩手競馬所属のラブバレットは競走除外。サンライズメジャーも競走除外になり10頭。
 最内のサクセスエナジーと外から押していったマテラスカイの2頭が2馬身ほど抜け,3番手はウインムートとサクラレグナム。4馬身差でエイシンバランサーとエイシンヴァラー。2馬身差でアールプロセス。2馬身差でキクノステラとリッパーザウィン。4馬身差の最後尾にサハラファイターという縦長の隊列で1周目の正面を通過。最初のコーナーワークでサクセスエナジーが先手を奪いきり,2番手にマテラスカイ,3番手にウインムート,4番手にサクラレグナムという隊列になって向正面ヘ。5番手も単独でエイシンヴァラーとなりました。
 3コーナーを回るとサクセスエナジーはまだ楽でしたがマテラスカイは押して何とかついていく形。内を回ったウインムートの方が手応えがよく,直線入口ではマテラスカイは優勝争いから脱落。サクセスエナジーが一旦は差を広げましたが,外に出てきたウインムートがどんどん差を詰めていき,フィニッシュ直前で差し切って優勝。サクセスエナジーがアタマ差の2着。後方待機策で向正面半ばから上昇を開始し,フィニッシュまで長く脚を使ったキクノステラが4分の3馬身差まで詰め寄って3着。
 優勝したウインムートは6月のオープン以来の勝利で重賞初制覇。オープン特別は3勝もしている馬ですから,重賞をいつ勝ってもおかしくない力を有していることは明白でした。ここは先行争いを演じた2頭の直後につけられた展開面の利があり,それを生かしての勝利。現時点では重賞を勝つためにはそのような何らかの利がないと難しいのかもしれませんが,長く活躍できる血統背景を有する馬なので,再度の重賞制覇も期待できるでしょう。1400mがベストなのも間違いないところだと思います。母の父はマイネルラヴ。母は2004年に小倉2歳ステークスに勝ったコスモヴァレンチ。6つ上の全兄が2012年に函館スプリントステークス,2013年にシルクロードステークスと兵庫ゴールドトロフィー,2014年にJBCスプリント,2016年に東京盃に勝ったドリームバレンチノで兄弟制覇。Mutはドイツ語で勇気。
 騎乗した和田竜二騎手は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。管理している加用正調教師は第6回,7回,13回に続き5年ぶりの兵庫ゴールドトロフィー4勝目。

 時間的には昼食でしたが,僕と妹は何も食べていませんでしたから,朝食のようなものでした。通夜のときには式場で精進落としをしました。住職と導師にはそれとは別に弁当を用意し,式場の個室で食べてもらいました。斎場ではそのような個室は用意できませんでしたので,導師も一緒に同じ部屋で食べました。導師は僕の隣の席だったのですが,このときに,四十九日法要の日に納骨するまでの間,週に1度は僕の自宅に来て読経をすると言われました。そう言われるまで失念していましたが,確か父のときも同様だったのです。七日ごとに裁きがあって,それに合わせて読経をするという主旨でしたが,細かい宗教的な意味合いは覚えていません。母が死んだのは11日で,この葬儀が17日と,もうすでに初七日が近かったのですが,まずはそれに合わせて来訪するとのことで,翌18日の土曜日が第1回目の訪問日となることが決定しました。
 この後,放送で名前が呼ばれましたので,母の遺骨をあげました。抱えてバスで帰るつもりでいたのですが,父のきょうだいの三女の長男,本来ならばこの日の朝に式場まで送ってくれる予定であった従兄が自動車で家まで送ってくれました。僕たちが帰宅したのは午後1時15分でした。
 それから20分ほど経って,葬儀社の方が訪問してきました。これは母の遺骨を置いておくための仮の祭壇を設置するためでした。
 僕の家は1階にはキッチンやトイレ,風呂などを別にするとふたつの部屋があります。ひとつは母の介護ベッドを設置した部屋で,その隣がリビングです。リビングの方が狭いのですが,キッチンと隣接しているのでこのような造りになっています。リビングともうひとつの部屋はシャッターのようなカーテンで仕切れますが,冬に暖房を入れるとか夏に冷房を入れるとかしない限り,それは降ろさず繋がっています。仏壇はリビングにあるのですが,日常生活の使用頻度を考えれば,もう一部屋の方に設置してもらった方が便利でした。そこでその旨を本門仏立宗の信者でもある葬儀社の方に申し出たところ,それで構わないということでしたので,そちらの部屋に仮の祭壇を設営してもらいました。
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九十九島賞争奪戦&葬儀

2018-12-26 19:21:52 | 競輪
 一昨日の佐世保記念の決勝。並びは新山‐五十嵐の東日本,古性‐山田の近畿に柏野,井上‐坂本‐園田の九州で諸橋は単騎。
 まず古性が誘導の後ろになりましたが,新山が追い上げてくると車を下げ,前受けは新山。3番手が古性,6番手の諸橋は結果的にこのラインの追走に終始。7番手に井上で周回。残り3周のバックから井上が上昇。新山は前を譲らない構えでしたが,ホームの手前でやや強引に井上が新山を叩いて誘導も斬りました。ホームでは古性も動いて1コーナーでは井上の前に。引いた新山がその後で発進。打鐘から新山の先行になりました。古性はうまく3番手には入ったものの新山のスピードアップに対応できず,五十嵐との車間が開きました。後方になってしまった井上はバックから発進したもののすぐ前にいた諸橋に牽制されてスピードダウン。徐々に五十嵐との差を詰めていった古性はその勢いのまま差しに回りましたが,後ろを見ていた五十嵐に牽制気味に踏み込まれて失速。古性の番手から山田がよく伸び,五十嵐とほとんど並んでフィニッシュ。ですが僅かに届かず,優勝は五十嵐。山田がタイヤ差の2着。逃げ粘った新山が半車輪差の3着で古性は8分の1車輪差の4着まで。
 優勝した神奈川の五十嵐力選手は5月の小田原のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2011年8月の富山記念以来となる記念競輪3勝目で佐世保記念は初優勝。このレースは井上が先行することは考えにくく,古性と新山なら先行意欲が高いのは新山の方なので,諸橋が新山の番手を主張するのではないかと思っていました。しかし五十嵐が新山マークを選択すると諸橋は単騎戦を選択。この両者の選択が明暗を分ける形になりました。古性はうまく立ち回りましたが,おそらく新山がどういうペースで先行していくのかを読み間違えたため,第二先行のような形になってしまいました。これも明暗を分けた部分でしょう。五十嵐は自力で記念競輪を優勝するほどの力は残っていないと思うのですが,これだけ楽に番手を回れれば優勝できると分かりましたので,今後はそういう競走を増やしていくことになるものと思います。

 それでは8月17日,金曜日の朝の話に戻りましょう。
 目が覚めたのは午前9時50分でした。葬儀は午前10時からで,これは遺体の火葬の前に済ませるために設定された時刻でしたから,変更の余地はありません。葬儀の開始に間に合わないのは確実でしたが,喪主である僕が参列しないわけにはいきませんから,さしあたり妹を起こし,着替えをさせて僕自身も喪服に着替えました。この喪服は父が死ぬ直前に購入した夏用のもので,もう体型は変化しませんから,同じ夏場ということもあり,母の儀式のときにも使用することになったものです。
 このとき家には,僕たちのことを心配してくれた,父のきょうだいの三女の長男の奥さん,ややこしいいい方ですが僕からみれば義理の従姉が訪ねてくれていました。妹の着替えについては従姉にも手伝ってもらい,自動車で来ていましたので同乗させてもらい,式場に向いました。家を出たのは葬儀の開始時刻だった10時です。本門仏立宗の読経は概ね1時間はありますので,僕たちは導師による読経の最中に到着し,所定の席に座りました。この日は住職は来ず,導師だけでした。
 読経が終った後,喪主としての挨拶を済ませ,導師の戻った部屋に挨拶に伺いました。これはお布施を渡すためです。前夜はこのときにいろいろ話したのですが,この日はまだ予定が詰まっていましたので,本当にお布施を渡しただけです。その後で式場に戻り,棺の中に花を入れました。また母はちぎり絵が趣味のひとつで,大腸癌が発覚した後は教室には通っていませんでしたが,それ以前に作った作品が家に何枚かありました。僕はそのうちの1枚を持っていき,それも棺の中に納めました。
 式場と斎場は隣接していましたから,そのまま母の遺体は隣の斎場に運ばれました。そして時間通りに火葬のための炉の中に入れられました。火葬が終了するまでには時間がありますので,参列者はこの間は別室で待機することになりますが,ここで弁当を出しました。火葬が午前11時からでしたので昼食には少し早かったのですが,ここで解散することになっていましたので,軽食より食事の方がよいだろうと判断したのです。
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ゴールドカップ&第三部序言

2018-12-25 19:00:13 | 地方競馬
 昨日の第56回ゴールドカップ
 トロヴァオは発馬後に躓いてしまいましたが,何とか立て直しました。先手を奪ったのはクルセイズスピリツで,外連味なく飛ばしていき向正面では2馬身のリード。追い掛けたのはキャプテンキングだけでこの後ろは5馬身ほど開いてキャンドルグラス。ここからバンドオンザラン,ロードフォワードとトキノエクセレント,フィールザスマートという順で続きこの5頭は一団。3馬身差でソッサスブレイ,2馬身差でトロヴァオとモリデンリオ,直後がコンドルダンスでこの3頭も集団。大きく離れて最後尾にメジャーアスリートという縦長の隊列。それでも最初の600mは35秒8のミドルペース。
 3コーナーを回るとキャプテンキングがクルセイズスピリツとの差を詰めていき,直線の入口では先頭に。追ってきたのはトキノエクセレント,キャンドルグラス,バンドオンザランの3頭でしたが,トキノエクセレントは直線で一杯。先頭に立った時点で騎手が後ろを振り返るほど余裕があったキャプテンキングがそのまま抜け出して優勝。2着は逃げ粘るクルセイズスピリツ,外のキャンドルグラス,2頭の間を突いたバンドオンザランの争いとなり,フィニッシュ直前で前に出たバンドオンザランが3馬身差の2着。外のキャンドルグラスがクビ差の3着でクルセイズスピリツが半馬身差で4着。
 優勝したキャプテンキングは昨年の羽田盃以来の勝利で南関東重賞2勝目。昨年夏のレースを最後に休養に入り今年の2月に復帰。2戦するとまた休養に入り復帰したのが10月。ここが復帰3戦目で,体調も良化していたのでしょうが,距離を短縮してきたのが最大の勝因ではないかと思います。羽田盃は能力の高さでカバーしたものであり,本質はスプリンターに近いのではないでしょうか。ですので活躍の場は短距離路線となっていくのではないかとみています。母の5つ上の全兄に2007年にアンタレスステークスとプロキオンステークス,2008年に根岸ステークスに勝ったワイルドワンダー
 騎乗した大井の坂井英光騎手は2015年のアフター5スター賞以来となる南関東重賞15勝目。第51回以来5年ぶりのゴールドカップ2勝目。管理している大井の的場直之調教師は南関東重賞3勝目でゴールドカップは初勝利。

 食欲とか睡眠欲といった一時的欲望,僕のいい方では自然の秩序ordo naturaeが現実的に存在する人間に対して直接的に要求するような欲望cupiditas,現実的に存在する人間の側からみれば,現実的に存在するようになれば所与のものとして与えられているような絶対的な意味で受動passioに属するような欲望について,スピノザは多くを語っているわけではありません。ただ,こうした欲望が必然的にnecessario与えられていなければならないということは,たぶんスピノザは理解してただろうと思います。岩波文庫版で第19刷改刷の第33刷なら117ページ,第56刷改刷の第61刷であれば140ページから141ページにかけての第二部自然学②要請四は,食欲とか睡眠欲が,現実的に存在する人間には必然的に与えられていなければならないということを意味し得ると僕は考えるからです。
                                
 そしてスピノザは,自然法則というのは「唯一」であると主張しています。したがって僕たちが食欲を感じたり睡眠欲を感じたりすること,およびそうした欲望に対してどのように対処するのがよいのかということも,その自然法則から導き出されなければなりません。このことはスピノザ自身が,第三部の序言で述べています。
 「自然の中には自然の過誤のせいにされうるようないかなる事も起こらない。なぜなら自然は常に同じであり,自然の力と活動能力はいたるところ同一であるからである。言いかえれば,万物が生起して一の形相から他の形相へ変化するもととなる自然の法則および規則はいたるところ常に同一であるからである。したがってすべての事物-それがどんなものであっても-の本性を認識する様式もやはり同一でなければならぬ。すなわちそれは自然の普遍的な法則および規則による認識でなければならぬ」。
 第三部は「感情の期限および本性についてDe Origine, et Natura Affectuum」という副題がついていて,スピノザは序言で述べたような方法で,それを解明していきます。これでみれば分かるように,スピノザが本格的な考察の対象とはしなかった食欲や睡眠欲もこのように考えられなければならないのです。ですがそうした論考はほとんど目にしませんので,僕はここでは僕なりの試論を立ててみました。
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農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&無知の人の寝坊

2018-12-24 19:04:02 | 地方競馬
 第18回名古屋グランプリ
 一旦はカツゲキキトキトが先頭に立ちましたがすぐに控え,外から追い抜いたグリムの逃げ。2番手にも外からチュウワウィザードが上がりカツゲキキトキトはハッピースプリントと並んで3番手。5番手にミツバ,6番手にナムラアラシの順でこの6頭は一団。3馬身差でセンチュリオン,3馬身差でトーセンノワール,3馬身差でブランニューと,残る3頭はばらばらの展開に。1周目の向正面で外からミツバが上昇。3コーナー付近でグリムの前に出ましたが,巻き返したグリムが先頭を奪い返し,2番手にミツバ,以下はチュウワウィザード,ハッピースプリント,カツゲキキトキト,ナムラアラシ,センチュリオンという隊列になり,残る2頭はここから4馬身ほど離されました。
 2周目の向正面では4番手のハッピースプリントが押してもついていかれなくなり,前の3頭の争い。3コーナーを回ってからグリムが引き離しにかかりましたがミツバに喰らいつかれ,直線ではミツバが前に。この2頭の争いを後ろでみていたチュウワウィザードがミツバの外から伸びて優勝。ミツバが半馬身差で2着。グリムは2馬身差で3着。
 優勝したチュウワウィザードは重賞初挑戦での制覇。今年の2月にデビューした後,6戦して4勝,3着2回の成績でオープン入り。今月初めのオープン戦で2着。今年の3歳馬は総じてレベルが高く,3着以下がないこの成績であれば通用するだろうと思われました。能力的に最上位と思われたグリムに対してミツバが途中から徹底マークの戦法に出て,それをその後ろでみていることができた分の利はあったので,ミツバに対してはっきりと能力上位であるとはいい難い面はあるかもしれません。ただ堅実な成績を残している馬ですから,このレベルでのレースなら,これからも大きく崩れることはないと判断していいように思いますし,さらに上のレベルでも戦える可能性がある馬でしょう。父はキングカメハメハ。母の父はデュランダル。この馬もファンシミンファンシーダイナの分枝で1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップと新潟記念とオールカマーに勝ったダイナフェアリーを4代母にもつ子孫です。母の7つ下の半妹が今月のクイーン賞を勝っている現役のアイアンテーラー
                                     
 騎乗した川田将雅騎手と管理している大久保龍志調教師は名古屋グランプリ初勝利。

 大学の卒業式は日本武道館で行われました。開始時刻が何時であったかははっきりと覚えていません。僕は当時も横浜市在住でしたから,会場まで1時間は掛かります。目が覚めたときにはそれには絶対に間に合わない時刻でした。
 僕は成績優秀者とかスポーツで優秀な成績を残したというわけではなく,表彰の対象にはなっていませんでした。また,答辞のような式辞を述べるような役回りを与えられていたわけでもありませんから,僕が卒業式に参加しなくても,式自体が停滞してしまうわけではありませんでした。ですから寝坊してしまったのであれば行かなくてもよかったのですが,卒業式では各人に卒業証書が渡されることになっていて,それは受け取っておいた方がよいと思いましたので,とりあえず日本武道館に向いました。僕が着いたときには式は終了していて,すでに会場に並べられていた椅子などの後片付けも始まっていましたが,入場することはできましたので,担当者から卒業証書を受け取ることはできました。僕がそれを受け取ったときにはまだ卒業証書,実際にはそれが入っていると思われる筒ですが,それがまだ何本か残っていましたので,おそらく式に参加しなかった学生が僕のほかにもいたのだろうと思います。
 この日に寝坊してしまった原因causaのうち最も大きかったのは,疲労だったと思います。というのは僕は友人と九州に卒業旅行に行っていて,前日に帰宅したばかりだったのです。その旅行の疲れが,僕をこの日の朝に遅くまで眠らせてしまったのでしょう。こういうことがあり得るということは事前から分かっているのですから,もし絶対に卒業式には参加したいということであれば,このような日程を組んだのがよくなかったことは明白です。ですからその限りにおいて僕は,今回の母の葬儀のときとは異なり,明らかに無知の人として行動したということになるでしょう。とはいえ,卒業式はできれば参加したいという程度のことであり,卒業旅行とどちらかしか選べないとなれば,僕は旅行の方を選んだことでしょう。ですから僕が無知の人として寝坊をしたのは確かですが,これはこれでよかったのだと今でも思ってはいます。
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有馬記念&重要な日の寝坊

2018-12-23 19:12:04 | 中央競馬
 グランプリの第63回有馬記念
                                     
 ミッキースワローは発走後に控え,一時的に3馬身から4馬身ほど取り残されました。1コーナーにかけてオジュウチョウサンが先頭でしたが,外から上がってきたキセキが1周目の直線の入口では前に出て逃げる形。同じく外から上がったミッキーロケットが単独の2番手になり,オジュウチョウサンはクリンチャー,サウンズオブアースと並んでの3番手。6番手にモズカッチャンとブラストワンピース。8番手にサトノダイヤモンド。9番手はマカヒキとレイデオロ。11番手がスマートレイアーとパフォーマプロミス。13番手にサクラアンプルール,リッジマン,シュヴァルグランの3頭。追いついてきたミッキースワローが最後尾。キセキがあまりペースを落とすことなく逃げ,2番手以下が控える形で,キセキ以外の15頭はほぼ一団でした。
 3コーナーを回ったところでもキセキは4馬身くらいのリード。オジュウチョウサンとミッキーロケットが並んで追い掛ける形でしたが,この後ろの3頭の最も外にいたブラストワンピースが楽に上昇し,直線に入ってから前をいくすべての馬を抜いて先頭に。ブラストワンピースをマークするようにその外から追ってきたレイデオロが差を詰めていきましたが届かず,優勝はブラストワンピース。レイデオロがクビ差で2着。直線入口では10番手付近だったシュヴァルグランがレイデオロの内に進路を取り,馬群を捌きながら伸びて1馬身4分の1差で3着。
 優勝したブラストワンピースは新潟記念以来の勝利。重賞は3勝目で大レースは初制覇。この馬は現3歳牡馬では最も能力があるという可能性を秘めた馬で,能力面だけでいえばここを勝ってもおかしくないと思っていました。ただ,中山の2500mというのは純粋な競走能力のほかに器用さを求められる舞台で,これまでの走り方からしてこの馬には向かないのではないかと判断し,個人的に馬券の面では軽視していました。ところが僕が思っていたよりうまく流れに乗ってレースを進めることができたため,優勝という結果に結び付いたということでしょう。僕が見誤っていただけであり,このようなレースをすることが可能であるということが判明しましたので,今後の日本の中長距離路線を牽引していく1頭になるでしょう。母の父はキングカメハメハ。祖母の父はフジキセキ。祖母の5つ下の半弟に2009年に日経賞に勝ったアルナスライン。Blastは突風。
 騎乗した池添謙一騎手は昨年の桜花賞以来の大レース24勝目。第54回,56回,58回に続く5年ぶりの有馬記念4勝目。管理している大竹正博調教師は開業から9年9ヶ月半で大レース初勝利。

 美味欲luxuriaに対しては節制temperantiaで対抗できるのですから,節制をせずに美味欲の赴くままにそれを満たす人は無知の人といわれなければなりません。これに対して,睡眠欲に対しては節制のような手段では対抗することができず,睡眠欲を感じさせる原因causaを排除することが精神mensの力potentiaによって可能な唯一の手段であるのですから,睡眠欲,とりわけ強度の睡眠欲を感じない程度の十分な睡眠時間を確保しない人間は,同じように無知の人といわれなければならないことに本来はなります。僕は原則的にこのことを肯定します。少なくとも,無為に夜更かしをすることによって睡眠時間を削り,そのために睡眠欲に駆られて寝坊をするような人間は,無知の人といわなければならないであろうからです。
 しかし一方で,覚醒しているときに自由の人homo liberとして行動するがために,やむなく睡眠時間が不足してしまうというケースはあるのです。このような人間が睡眠欲に駆られて寝坊したり寝過ごしたりしてしまっても,それはその人が無知の人であるからという気には僕はなれないのです。このために,僕は寝坊とか寝過ごすといったことには,自分自身についてはあまり罪悪感を感じることはないですし,他人のそうしたことにもわりと寛容なのです。今回の一件についていえば,僕は確かに可能な限りでは睡眠時間を確保しようとはしていたのです。ですがやはり母の死という事態を迎え,やらなければならないことも多く,それが十分には足りていなかったのです。だから寝坊をするということになりました。それが母の葬儀の日の朝であったということは偶然です。たまたまそれが重要な日に該当してしまったというだけです。なので僕はこのことについては,今でもさほど罪悪感をもってはいません。
 実をいうと,僕はこのようなわりと重要な日に寝坊をしてしまったというのは,これが初めてのことではありませんでした。前にも1度だけあったのですが,この一例は自由の人の寝坊と無知の人の寝坊とを比較する上で分かりやすい実例となると思えますので,そちらのことにも触れておきましょう。
 かつて僕がした重要な日の寝坊というのは,大学の卒業式の日のことでした。
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農林水産省賞典中山大障害&一次的欲求への対抗

2018-12-22 19:04:09 | 中央競馬
 第141回中山大障害
 発走後,順周りの正面で先頭に立っていたのはミヤジタイガ。シゲルロウニンアジ,アップトゥデイト,タイセイドリームで,この4頭は先行。ニホンピロバロン,マイネルプロンプトと続きその後ろはルペールノエルとシゲルクロカジキ。エアカーディナル,シンキングダンサー,エルゼロ,プレシャスタイムという順でこの8頭は一団。大きく離れてトーセンメリッサという隊列で1コーナーへ。道中の出入りの激しいレースで,2コーナーではアップトゥデイトが先頭に変わりました。最初の大障害を飛越し,逆回りの4コーナーに入るとニホンピロバロンが単独の2番手になり,シゲルロウニンアジが3番手。2回目の大障害を飛越し残り1周となったところでミヤジタイガがニホンピロバロンと並んだ2番手に上がり4番手はタイセイドリームに。2度目の1コーナーを回ってからミヤジタイガがさらに上昇し,アップトゥデイトも抜き去って先頭に立ちました。
 向正面に入ると今度はニホンピロバロンが上昇。3コーナーの出口でミヤジタイガに並びました。再び追い上げようとしたアップトゥデイトはコーナー中間の最終障害で落馬。併走していたミヤジタイガとニホンピロバロンでしたが4コーナーではニホンピロバロンが前に出て先頭に。3番手に追い上げてきたのがタイセイドリーム。直線での脚はタイセイドリームの方がニホンピロバロンよりよく,フィニッシュに向けて徐々に追い詰めたのですが僅かに届かず,優勝はニホンピロバロン。タイセイドリームはハナ差の2着。4コーナーでは前の3頭から離されていたものの直線ではよく伸びたマイネルプロンプトが2馬身差の3着に追い込みました。
 優勝したニホンピロバロンは一昨年の阪神ジャンプステークス以来の勝利。障害重賞は3勝目で大レースは初勝利。このレースは能力的にはアップトゥデイトですが,強い馬の宿命で次々と絡まれ,自分のリズムで走ることができませんでした。落馬してしまったのはその影響が大きかったものと思います。次位争いは混戦で,ニホンピロバロンはその1頭。一昨年の京都ジャンプステークスで2着になった後,今年の春まで出走できなかったのですが,春の2戦の内容は能力の衰えを感じさせるものではありませんでした。ここも春以来の出走となった点は不安でしたがそれを克服。長期の休養がありながら大レースを制覇したのは立派で,称えられるべきものと思います。父はフサイチリシャールアストニシメントツルシマの分枝。祖母の4つ上の全兄が1994年にCBC賞,1996年にマイラーズカップに勝ったニホンピロプリンス,同じく2つ下の半弟が1999年にエルムステークスと南部杯に勝ったニホンピロジュピタ。Baronは男爵。
 騎乗した石神深一騎手は中山グランドジャンプ以来の大レース6勝目。管理している田所秀孝調教師は開業から22年11ヵ月で大レース初勝利。

 すでに説明したように,食欲も睡眠欲も自然の秩序ordo naturaeに要求されて現実的に存在する人間に与えられた一次的欲望です。ですが食欲と睡眠欲は同じように与えられているわけではありません。現実的に存在する人間は食べたり食べなかったりすることは,その他の諸条件を除外してしまえば自然の秩序が与えた欲望cupiditasと無関係に選択することが可能になっていますが,眠ったり眠らなかったりすることについては,その他の条件を外した場合も,選択が可能になっているわけではないからです。
                                
 このために食欲,とりわけ過剰な食欲である美味欲luxuriaに対しては節制temperantiaが対抗の手段となり得るのですが,睡眠欲の場合にはそれが過剰であるかないかと関係なく,節制に類する手段では対抗することができないのです。分かりやすくいえば,自由の人homo liberは美味欲には節制で対抗することができますから,少なくとも美味欲を原因causaとして食べ過ぎてしまうことはありません。ですが睡眠欲に対してはこのような手段で対抗することができないので,もし同じように対抗しようとすれば,寝坊してしまったり寝過ごしてしまったりということが生じ得ることになるでしょう。念のためにいっておきますがこれは分かりやすくいうための喩えであって,自由の人は本来的には節制のような手段では睡眠欲には対抗することができないと知っていますから,節制のような手段で睡眠欲に対抗しようとする人はその時点で自由の人であるとはいえず,むしろ無知の人であるといわなければなりません。
 だから僕は睡眠欲に対抗するためには,睡眠欲の原因となる現象を排除することが,唯一の対抗手段であるといったのです。なぜならそのときに示したように,このような手段であれば精神mensの力potentiaで対抗することが可能であるからです。節制もまた精神の力であり,したがって人間は一次的欲求に対しても精神の力で対抗することができるということは,僕は一般的に肯定します。ですが一次的欲求の種類に応じて,対抗する方法は変わります。そしてそれがどのように変わるのかということが,与えられている現実的本性actualis essentiaによって決定されるというのが,僕がこの部分で主張したかったことの主旨になります。
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竜王戦&徳のあり方

2018-12-21 19:18:13 | 将棋
 下関市で指された第31期竜王戦七番勝負第七局。
 下関市長の振駒広瀬章人八段の先手と決まり角換り相腰掛銀。前例のある端を絡めた先手の攻め方に対して後手の羽生善治竜王が新手を出す展開になりました。
                                     
 後手が1二の歩を払った局面。ここで先手は☗4五銀とぶつけていきました。
 後手が☖6七歩と垂らしたのに対して先手は☗5四銀☖同歩と交換してから☗6七飛。これには☖5五桂が飛車金両取りですが☗6六飛と逃げ☖4七桂成に☗同馬と取りました。第1図の時点で先手の桂損となっていましたのでこれで金損に拡大です。
 後手はその金を☖7五金と打ち☗6八飛に☖2七成香と逃げました。そこで先手は☗5六馬。
                                     
 この局面は先手の金損ですが,後手は馬はともかく飛車の働きが鈍く,先手の飛車は6筋の攻めに利いている上に,馬が後手玉をにらんだ好位置。それが金損を補ってあまりあり,先手の方が優位に立っているのではないかと思います。第1図での先手の懸案は5六の銀と4七の金だったのですが,その2枚が銀桂と交換ならまずまずなのではないでしょうか。ですから第1図から第2図の間で,後手は何らかの変化をすべきで,とくに成香を逃げなければならないのであれば,☖7五金と打つところでは別の手がなければいけなかったということになるように思えます。
 広瀬八段が勝って4勝3敗で竜王を奪取。2010年度の王位以来となる通算2期目のタイトル獲得です。

 受動passioのあり方によって能動actioの対処は異なること,いいかえれば欲望cupiditasのあり方によって徳virtusのあり方も異なるということで僕がいわんとしたことのひとつが,ここまで説明してきたことです。すなわち,現実的に存在する人間Aと同じように現実的に存在する人間Bでは,各々の現実的本性actualis essentiaすなわち与えられた欲望が異なるので,AにもBにも同じ対処をすればいいというものではありません。AにはAの対処が必要で,Bにはそれと異なる別の対処が必要なのです。ただし,徳いい換えれば理性ratioは,Aへの対処とBへの対処が異なるのであったとしても,少なくとも論理的には各々の対処を十全に認識するcognoscereことができます。ですからAへの対処がいかなることであるべきかも,Bへの対処がいかなるべきことであるのかも,万人が同じ認識cognitioを有するに至ります。この点において,第四部定義八とか第四部定理三五は,与えられている欲望に対しても成立することになります。また,同じ人間であってもその現実的本性は持続duratioのうちに変遷しますから,あるときのAの欲望に対する対処法と,別のときのAの欲望に対する対処法は同一であるとは限りません。つまり別の人間であれば別の対処法が必要とされるように,同じ人間であってもときによって異なった対処法が必要とされる場合があり得ます。ただ,この場合も論理的には理性はそのときそのときによってAを十全に認識することができるので,やはり理性による判断は万人で一致するということになるでしょう。
 ここまでは同じ欲望について,別の人間への対処法,あるいは同じ人間でも異なったときの対処法についての説明でした。ここからは,一般に異なった欲望に対する最善の対処法のことを説明します。これもまた,各々の現実的本性すなわち与えられた欲望が異なった分だけ異ならなければならないのです。つまり受動的な欲望に対する最善の対処法というのは,一律ではあり得ず,欲望の種類が異なるだけ異なった対処法が必要とされるのです。これもまた,欲望のあり方が異なれば徳のあり方が異ならなければならないということを示していることは明白でしょう。つまり徳のあり方にはふたつの意味があるのです。
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自然権への固執&適性な食欲

2018-12-20 19:12:11 | 哲学
 自己の有に固執するということは,自己の現実的存在に固執するということであると同時に,自己のpotentia,現実的な力に固執するという意味でもあります。そのふたつは大抵の場合には両立するのですが,ときとして対立してしまう場合も生じます。その場合には,現実的存在の維持を重視するのも自己の有に固執することであるが,現実的な力の方を維持しようとすること,他面からいえばそのために現実的存在の維持については部分的に放棄することも,自己の有に固執することであると僕は考えます。したがって,現実的に存在する人間のコナトゥスconatusは,存在existentiaと力という両面から把握されなければならないと僕は考えるということです。
                                
 スピノザの哲学では,力というのは可能的なものではなく常に現実的なものを意味します。つまり現になし得ることが力であり,なし得ないことはいかなる意味でも力ではありません。このとき,このなし得る事柄が,その人間にとっての自然権jus naturaleであると規定されます。つまり,力に固執するということは自然権に固執するということと同じ意味を有するのです。
 このように考えれば,現実的存在の方を部分的に放棄し,現実的な力の方に固執することもまた,自己の有に固執することであり,第三部定理七でいわれていることに反しないということは分かりやすくなるのではないでしょうか。自己の力に固執するとは,自己の自然権に固執するという意味になるからです。したがって,現実的存在の維持を部分的に放棄したとしても,確かに自己の自然権には固執しているのですから,それが自己の有に固執していることになっておかしくありません。自然権なしに現実的に存在するということはあり得ないことだからです。
 逆にいえば,自己の現実的存在の方に固執するということは,自己の自然権を部分的に放棄していることになります。このことが自己の有への固執を意味し得るのなら,自然権の方に固執し,存在の維持を部分的に放棄するのも,同様に自己の有への固執であると僕は考えます。

 適性な食欲は現実的に存在する個々の人間によって異なります。だからAという人間にとっては適正な食欲であったとしても,Aと同じだけの食欲を感じるBという人間にとってはそれは過剰な食欲である,いい換えれば美味欲luxuriaであるという場合が生じ得ます。何度かいっているように,食欲というのは自然の秩序ordo naturaeが人間に対して要求する,人間にとっては絶対的な意味で受動passioに属する欲望cupiditasです。第三部諸感情の定義一は,この種の欲望は人間の現実的本性actualis essentiaであるといっています。したがってAという人間とBという人間は,現実的本性が異なる別の人間であるわけですから,必要とされる,すなわち自然の秩序によって要求されている食欲は異ならなければなりません。第四部定義八は,徳virtusが能動actioという状態における人間の現実的本性であることを示し,第四部定理三五はその限りで人間の現実的本性は一致するといっていますが,だからといってすべての人間が同じ量の食物を必要とするわけではなく,したがって適正とされる食欲まで一致するというものではないのです。
 なお,この点については次のことも注意してください。Aという人間の現実的本性というのは,Aという人間が産まれてから死ぬまでずっと同じであるというものではありません。Aという人間が現実的に存在するなら,その現実的本性は第二部定理八系でいうところの,Deusの属性attributumの中に包容される限りでも存在しますし,時間tempusのうちに持続するdurareといわれる限りでも存在します。このとき,神の属性に包容されている限りでのAの現実的本性は不変のものであり,このゆえに僕たちはAのことをAと確定することができます。ですが時間的に持続するような現実的本性は,その持続duratioのうちで変遷します。食欲についていうなら,Aが子どものころに適性である食欲と青年時代の適正な食欲,また老年期の適正な食欲というのは異なります。これが現実的本性は持続のうちでは変化すると僕がいうところの意味です。ですから単にAとBの適正な食欲が異なるというだけでなく,Aの適正な食欲は,Aの持続のうちでも異なるのです。
 これらのことは食欲だけでなく,睡眠欲にも妥当しなければなりません。
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農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&個々の食欲

2018-12-19 20:46:57 | 地方競馬
 第69回全日本2歳優駿
                                     
 ウィンターフェルは発馬が悪く1馬身ほどの不利。先行争いが激化するのではないかと予想していたのですが,あっさりとイグナシオドーロの逃げになってリードは1馬身。2番手はノーヴァレンダ。1馬身差でメイクハッピーとガルヴィハーラの2頭。1馬身差で巻き返したウィンターフェル。1馬身差でエムオータイショウ。1馬身差でデルマルーヴルとここまでは一団。2馬身差でショウナンガナドルとマイティウォーリア。1馬身差でハルディネロ,ヒカリオーソ,ミューチャリーの3頭。3馬身差でスズブルースカイ。離れてカネトシテッキンという隊列。前半の800mは50秒7のミドルペース。
 イグナシオドーロの逃げは3コーナーまで。ここでノーヴァレンダが先頭に立つと外にガルヴィハーラが並んで雁行。3番手がメイクハッピーでその外にウィンターフェル。さらに大外からデルマルーヴル。直線はまず前2頭の競り合い。これを制したのは前にいたノーヴァレンダ。襲い掛かったのは大外をよく伸びたデルマルーヴルで,フィニッシュに向ってぐんぐんと差を詰めたものの僅かに届かず,優勝はノーヴァレンダ。デルマルーヴルがアタマ差の2着で直線で力尽きたガルヴィハーラが1馬身半差で3着。
 優勝したノーヴァレンダは9月の新馬戦は競走中に右の前脚を跛行して競走中止。大事には至らず10月の未勝利戦を3馬身半差で勝つと先月の500万特別戦も4馬身差で連勝。ここに駒を進めました。例年なら圧倒的な人気を背負ってもおかしくない戦績ですが,今年はJRA勢のうち4頭は500万を水準以上で勝っていた上,鎌倉記念を驚くような時計で勝っていた南関東所属馬もいたため,候補の1頭という存在でした。この開催の川崎は直線の入口で先頭に立っていた馬の成績がよく,そういう馬場状態を味方につけての勝利だったという可能性もありますので,将来が楽しみな存在であるのは疑い得ませんが,ほかの馬に対してはっきりと能力面で決着をつけたとみなすのはまだ早計であるような気がします。父はダイワメジャー。母の父はクロフネ。母の10歳上の半姉に1996年に報知杯4歳牝馬特別に勝ったリトルオードリー。Nova Lendaはポルトガル語で新たな伝説。
 騎乗した北村友一騎手はデビューから12年9ヶ月で大レース初勝利。管理している斉藤崇史調教師は開業から2年9ヶ月で大レース初勝利。

 第四部定理三五は,現実的に存在する人間は理性ratioに従う限りでは本性naturaが一致するといっています。つまり受動的な欲望cupiditasに従った場合は各々の人間の現実的本性actualis essentiaは異なるのですが,理性いい換えれば徳virtusに従っているならすべての人間の現実的本性は一致するのです。
 ここから何が導き出せるかといえば,たとえばAという人間が現実的に存在しているとして,このAがその現実的存在を維持してくために必要な食事の量を,人間が理性によって十全に知り得るとしたら,その量はAが認識しようとA以外のBが認識しようと,結論は一致するということです。そこでこの食事量を満たすための食欲をAの適正な食欲と規定すれば,Aの適正な食欲がどの程度であるかということについて,Aだけでなく,A以外の万人が知ることができることになります。もちろんこれはAの食欲についてだけ妥当する事柄ではなく,現実的に存在するすべての人間について妥当しなければなりません。したがって,現実的にいえばそれは無理ですが,論理的にいうなら,僕たちは現実的に存在するすべての人間の適度な食欲を十全に知ることが可能であることになります。このことは食欲の場合だけでなく,適正な睡眠欲がどれほどであるのかということについても,同じような論理構成で該当しなければならないでしょう。
 しかし,このことはあくまでもAならA,BならBという個別の現実的に存在する人間について妥当するのであって,現実的に存在する人間に対して一般的に一致しているわけではありません。Aという人間とBという人間について,必要な食事の量が完全に一致するということは,あり得ないことではありませんが,そうでない場合の方が普通であるからです。したがって,Aの適正な食欲とBの適正な食欲は,一致しないとはいいきれませんが,一致しないことの方がずっと多いでしょう。ですからAとBが同じだけの量を食べればいいというものではない以上,AとBが同じだけ食べた後に両者がなお食欲を感じていると仮定して,Aの食欲については理性は適性と判断するけれども,Bに対しては過度であるすなわちそれは美味欲luxuriaであると判断する場合もあり得ます。
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棋王戦&現実的本性の相違

2018-12-18 18:55:51 | 将棋
 昨日の第44期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績は敗者組の佐藤天彦名人が7勝,勝者組の広瀬章人八段が3勝。
 振駒で広瀬八段の先手。佐藤名人が変わった序盤戦術を採用しました。
                                     
 印象的な将棋の⑥-1の第2図とか⑧-1の第1図から後手が飛車先を伸ばしていくと第1図のような形になる可能性があります。ですから後手の思想としては2手目☖6二銀と重なる部分もあったのではないかと思えます。
 第1図から後手は☖5四歩と突きました。おそらく先手は後手がどこかの歩を突いてくるのを待っていたのでしょう。☗2四歩☖同歩☗同飛☖2三歩に☗5四飛でその歩を掠め取りました。
 後手は承知の上なのでどう進めるか興味深いところでしたが,☖4二銀☗3八銀☖5三銀右☗5六飛☖4四歩☗2六飛☖4三銀と雁木に構えました。2手目☖6二銀は銀冠を目指すのですが,この将棋の指し方はこのように雁木に組む狙いであったということでしょう。ですがここから先手がうまく咎めました。
 ☗4六歩☖5二金☗4七銀☖3四歩☗5六銀と玉の囲いを後回しにして銀を進出させるのがその手段。そこで後手は☗4五歩を防ぐために☖3三桂と跳ねたのですが先手は☗5五銀と中央に進出しました。
                                     
 この銀の威力が強く,後手は自ら動いていくことが難しくなりました。第2図まで進めてから先手は悠々と駒組に入り,適宜に攻めて圧倒しています。
 第2図は後手が5筋の歩を取らせたがために生じています。☖5四歩のところで☖6四歩ならまた違った将棋になるのですが,その場合は二枚銀の雁木に組むのは難しくなるのかもしれません。
 広瀬八段が勝って挑戦者に。第一局は来年の2月2日です。

 与えられた本性essentiaによって徳virtusのあり方は異なるといいましたが,この点についてはまず以下のことに注意してください。
 第四部定理三二は,人間は受動passioに属している限りでは本性naturaの上で一致しないといっています。睡眠欲にしろ食欲にしろ,自然の秩序ordo naturaeが現実的に存在する人間に要求する欲望cupiditasです。いい換えれば現実的に存在する人間からすれば必然的にnecessario与えられている欲望です。ですから食欲という欲望をもたない人間とか,睡眠欲という欲望をもたない人間が現実的に存在することはありません。ただしこのことは,人間の本性に一般的に与えられている事柄であるとはいえ,各々の人間の現実的本性actualis essentiaに一致した欲望であるわけではありません。与えられた欲望である限りそれは受動であり,この点で食欲の場合も睡眠欲の場合も第四部定理三二に適合すると僕は考えます。
 なぜそう考えるかといえば,たとえばAというものがあったとして,このAに対してXという人間は食欲を感じるけれどもYという人間は食欲を感じないという場合があるからです。つまり食欲は一般的に現実的に存在するすべての人間に与えられている欲望ではあるのですが,だからといって個々の食欲が現実的に存在するすべての人間で一致するというものではありません。これは現実的に存在する各々の人間が何を欲望しまた何を欲望しないのかということで一致することはないということの一例であるといえます。第三部定理五七は,各々の人間の各々の感情affectus,欲望は感情のひとつですからここではあえて各々の欲望といいますが,それはある人間の現実的本性と別の人間の現実的本性が異なっている分だけ異なっているということを示しています。Xという人間とYという人間の現実的本性が完全に一致することはありません。ですから与えられた欲望である食欲でも睡眠欲でも,そのXとYの現実的本性が異なっている分だけ,Xの食欲とYの食欲は異なるし,Xの睡眠欲とYの睡眠欲は異なるのです。
 睡眠欲についても説明すれば,同じ時間だけ眠ったとしても,Xはなお睡眠欲を感じ,Yはそれを感じないという場合があり得ます。つまり個々の睡眠欲は諸個人によって異なります。
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椿賞争奪戦&相違

2018-12-17 18:58:30 | 競輪
 昨日の伊東温泉記念の決勝。並びは鈴木に三谷,郡司‐渡辺‐岡村‐和田の南関東,吉田‐東口‐神田の中部近畿。
 東口がスタートを取って吉田の前受け。4番手に鈴木,6番手に郡司で周回。残り3周のバックの入口から郡司が上昇。そのまま誘導を追い抜いて前に。鈴木が5番手にスイッチし,7番手に吉田の一列棒状になると残り2周のホームから郡司が目一杯で駆けていきました。そのまま打鐘,残り1周のホームと過ぎ,バックの入口から渡辺が番手捲りを敢行。鈴木は捲り上げてきましたが岡村のブロックで失速。前の争いとなり,番手から捲った渡辺が優勝。マークの岡村が半車身差で2着。4番手の和田も4分の3車身差の3着に続いて南関東の上位独占。
 優勝した静岡の渡辺雄太選手は5月の名古屋記念以来の優勝で記念競輪2勝目。この並びだと過去のレース内容から郡司が捨て身で駆けることが濃厚。9選手のうち最も力があるのが郡司ですから,その選手に捨て身で駆けられると,番手で競り掛けられない限りは渡辺と岡村の優勝争いになるだろうと思っていました。実際に郡司はそういうレースをし,渡辺もややタイミングは遅かったかもしれませんが躊躇せずに番手から発進。こうなってはほかのラインが太刀打ちするのは難しかったと思います。南関東は自力がこのように並ぶと選手の格には関係なくほぼこういうレースをするので,展開は読みやすいです。結束もそれだけ固いということなのでしょう。

 たとえばだれかが目の前に食物を差し出したとします。そしてそれを食べろと命ぜられれば,僕たちはそれを食べることができます。しかしだれかがベッドをしつらえて,そこで眠れと命じたとしても,僕たちはすぐに眠ることができるわけではありません。
 これとは逆に,目の前に差し出された食物を食べるなと命ぜられれば,これは厳密にいえば限度はありますが,僕たちはそれをすぐに食べないでいることはできます。しかし眠るなと命ぜられたからといって,眠らないでいられるとは限りません。もちろん眠らないでいられる場合もあるでしょうが,眠ってしまう場合もあるでしょう。
 睡眠欲も食欲も,僕たちの現実的存在を維持していくために必須の欲望cupiditasである点では変わるところがありません。僕たちは一般的にこの種の欲望については,一次的欲求とか一時的欲望といったりします。しかし同じような一時的欲求でありながら,食欲と睡眠欲には,いい換えれば食べることと眠ることの間には,こうした相違があるのです。なぜこのような相違が発生しているかと問われれば,僕には人間の現実的本性actualis essentiaというものがそのようになっているからだとしか答えようがありません。第三部諸感情の定義一から分かるように,人間の欲望というのは,人間が受動状態にある限りはその人間の現実的本性にほかなりません。したがって食欲とか睡眠欲は現実的に存在する人間にとっては与えられた欲望です。このことを僕は,自然の秩序ordo naturaeによって要求されている欲望であるといったのでした。ですから一切の食欲を感じない人間とか,一切の睡眠欲を感じない人間というのは現実的に存在しません。そしてその現実的本性が,食欲と睡眠欲では,上述したような相違をもちつつ現実的に存在する人間に与えられているのです。
                                
 このために,食欲に対する対処と睡眠欲に対する対処では,自ずからその方法が異なってくるのです。第四部定義八は,人間が能動的である限りにおいてはその現実的本性は徳virtusであるといっています。つまり徳と欲望は同じように人間の本性natura humanaを示します。そして,与えられた本性すなわち欲望の相違に応じて,徳のあり方も変わると僕は考えます。
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