スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&死

2009-07-31 18:58:08 | 将棋
 挑戦者・木村一基八段の連勝スタートで迎えた第50期王位戦七番勝負第三局
 深浦康市王位の先手で角換り相腰掛銀。ただよくある同型ではなくて先手が早めに▲8八玉と囲う形。深浦王位は渡辺明竜王戦で指したことがある形。それでいえば△4三銀上は定跡で,▲2五歩を待って,▲2五桂の余地を消してから後手から先攻。ただ,この戦型ですから先手も反撃し,当然のように攻め合いとなります。
           
 これは角を打ち込んだ先手が香車を取って馬を作ったところ。ここから△7六歩▲同銀△6六桂に▲3五香の攻め合い。後手は△3四歩▲同香△同銀▲同飛としてから△7八桂成と取り,▲同玉に△7七桂▲同桂を入れて△2五角(第2図)。
           
 この両取りが厳しかったようです。ほとんど変化の余地なく,あるとすれば△7六歩に▲6六銀ですがここには拠点は残せないでしょう。ただ,この局面は封じ手の段階では想定できるように思え,選んだということは先手はこれでいけるとみていたのだろうと思います。
 第2図以下,▲2二歩成に△3三金と上がり,▲同飛成△同桂▲2三と△3二歩▲3三と△同歩▲2四金△3二香▲2五金(第3図)。
           
 角は取り返しましたが金を引いては攻めが遅くなった感じで,ここでは先手がやり損ねているように思うのですがどうでしょうか。実戦,この後に少し謎の手順もあったのですが,後手が勝っています。
 ということで木村一基八段がいずれも好内容で怒涛の3連勝。いよいよ初タイトルなるかが注目の第四局は8月4日と5日です,

 僕は以前に「愛のために死ねますか」という設問は,それ自体が愚問であるといい,「自由の人は何についてよりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の知恵は死についての省察ではなくて,生についての省察である」という『エチカ』第四部定理六七を紹介しました。それでいえば,この当時の僕は,はっきりと,しかもリアルなものとして自分の死を考えていたわけですから,自由の人ではなかったといい得るかもしれません。ただし,これをいうためには次の点に注意を払っておく必要があります。
 スピノザは人間が思惟するということを,ふたつの類型に一応は分類していました。一応はというのは,スピノザ自身がその類型を必ずしも守っているとはいえないからです。しかしその類型によれば人間の精神の思惟は,受動的なものと能動的なもの,すなわち知覚と概念に分けられます。僕が思うに,ここでスピノザが思惟するといっているとき,これは概念を念頭に置いているのではないかと思います。というのは,死を知覚するということは,人間には避けられないと思うからです。
 僕は自分の身体の状態の観念,つまり自分の身体の表象の観念に連結させることによって自分の死を想像していたのです。想像は表象の種類のひとつですから,これは概念と知覚に分類するならば知覚になります。ところで,人間が一般的に受動状態から逃れられないことはスピノザ自身が第四部定理四で認めています。よって人間が何かを知覚することは避けられません。しかし第一部公理三により,与えられた原因さえあれば結果は必然的に生じるのですから,ある人間の精神のうちに,死の表象をもたらすような観念が知覚されれば,この人間は必然的に死を知覚するでしょう。僕はこのようにして自分の死を想像した,それもかなりリアルなものとして想像したということになります。
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分裂病と躁鬱病&診断結果

2009-07-29 18:43:27 | 哲学
 『漱石,もう一つの宇宙』がなぜルールの公理系に関する僕の仮説を強化し得るのか。その理由は,この本の126ページにある次の一文にあります。
           
 「しかし当然のことながら,躁うつ病圏の科学者は「永遠の相の下に」仕事をする分裂病圏の科学者よりもはるかに大きく時代,伝統,状況などの制約をうける」。
 まず最初にお断りしておかなければなりませんが,ここで筆者がいっている分裂病とか躁鬱病というのは,文字通りに精神の病としての病気を示すわけではありません。これは飯田真さんと中井久夫さんという方が,『天才の精神病理』という本で示した,科学者の病跡学的なカテゴリーです。もっとも,僕はそちらの本に関しては読んでいませんので,これ以上のことは説明できません。また,この本に関する知識は,すべて『漱石,もう一つの宇宙』に依拠したものです。
 どういう点でこのふたつの類型が異なるのかといいますと,分裂病圏の科学者はいわゆる天才型で,その独自性や飛躍性に大きな特徴を有するのだそうです。一方,躁鬱病圏の科学者というのは,そのような独自性には欠けていても,勤勉で几帳面で良心的で徹底的。このために分裂病型よりも,より持続的な知的生産が約束されているそうです。
 繰り返しになりますが,科学者をこういった性質によって分類し,一方を分裂病圏,他方を躁鬱病圏といっているわけです。これは科学者の分類なのですが,もしも哲学者としてのスピノザを分類するならどちらになるのか。スピノザに詳しい方はもうお分かりの筈ですが,分裂病圏に含まれるのです。

 休日急患診療所の医師の診断が的外れであったということは,あくまでもその後の結果をみた上でいえることではあるのですが,実はこのことは,その時点で僕自身がうすうす感づいてはいました。ただ,それを曲がりなりにも専門家といえる医師に言うような気力はそのときの僕にはなかったですし,一刻も早く家に帰りたいという気持ちの方がずっと強かったのです。
 まず第一に,栄養のあるものを摂取せよということですが,僕はそれはその時点で自分の身体にはマイナスにしかならないだろうと感じました。僕は自分が糖尿病であるということもその時点では知らなければ,そもそも糖尿病というのがどういう病気であるのかということさえ分かってはいなかったのですが,栄養を補給することがプラスにはならないということは,僕自身の身体が答えを出しているように感じました。自分の身体のことは自分が一番よく分かるとはよくいわれることですが,これはあながち嘘ではないのだろうと思います。ただ,分かるということと対処する,対処できるということは別で,僕のように放置すれば,大変な状況に陥ってしまうということです。
 もうひとつ,年が明けたら口腔外科に行くようにという助言は,年末年始は病院が休みだからということを踏まえたもの。今年は1月5日が月曜でしたから,その助言を守るならばその日に行くということになりますが,僕はこの助言は守れないだろうなと感じていました。というのは,自分の身体がそんなに保つとは到底思えなかったからです。つまり僕は大晦日の時点で,このままでは年が明けてすぐに死んでしまうだろうと思っていたのです。
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王座戦&休日急患診療所

2009-07-27 23:12:54 | 将棋
 第57期王座戦挑戦者決定戦は,中川大輔七段と山崎隆之七段という,タイトル挑戦経験がない棋士同士による争いとなりました。これまでの対戦成績は互いに1勝ずつ。
 振駒で山崎七段が先手。相掛りから後手が工夫して互いに引き飛車。先手がかなり手損を重ねる将棋となり,作戦負け模様でしたが,後手も攻めの方針を誤ったようで混戦に。
           
 ここで☖5四銀は,攻め駒を使ってしまいますが観戦していてこうやるのではないかと思っていた手。これには☗6四角だろうと思っていましたら☗8八角。6筋に歩を使わせない意味でしょう。次の☖2二玉は自ら相手の角筋に入るのでびっくり。対して☗5三歩☖同歩☗5五歩(第2図)というのも,その角筋を自ら遮断するだけにまた驚きました。
           
 まあ,プロの将棋ですから僕が驚く攻防が繰り広げられるのは当然といえば当然。この☗5五歩は後手の攻めを催促する意図だったようですが,どうやら正しい判断であったようで,その攻めを凌いだ先手が反撃を決め,勝っています。
 ということで山崎七段が羽生善治王座に挑戦することになりました。山崎七段は旧朝日オープンでは挑戦経験がありますが,七大タイトル戦は冒頭にも書いたようにこれが初挑戦になります。第一局は少し先で,9月4日です。

 ほとんど寝たきりに陥るほど体調は悪かったのですが,これまでの説明から分かりますように,僕は医者には診てもらっていませんでした。もっとも,こんな年の暮れになってしまいますと,診療している病院もあまりなかったかもしれませんし,そもそも,もうこの時期には僕はひとりでは病院まで行くこともままならなかったと思います。ただ,やはり僕にはほとんど初体験であるともいえる嘔吐をしたことで,家族の方が心配しまして,自動車で近くの休日急患診療所へ僕を連れていきました。これが大晦日の午後のことです。
 実際のところ,僕にとって最大の問題は口渇であり,多尿でした。しかし家族は僕が嘔吐したために連れてきたわけで,少し意思の疎通を欠いていたところはあったかもしれません。僕も自分の病状を詳しく担当の医師に伝える気力もありませんでした。そういう中での診療でしたが,結果的にこのときの医師が診断したことは,まず,ものが食べにくいのであれば,たとえばカロリーメイトのような栄養価の高い飲料を飲むこと,次に,口の中が渇くのは原因が分からないから,年が明けたら口腔外科で詳しく診療してもらうようにということのふたつでした。そして吐き止めの薬を処方されました。僕にとって満足できるような診断ではなかったのですが,連れてきた家族は納得したようだったので,それで家に戻りました。
 休日急患診療所の特性もあり,このときの医師の専門が何であったか,僕には分かりません。しかし,糖尿病の患者に対する診療としては見当外れであったことは間違いありません。しかしそれは止むを得ないことなのでしょう。本当に病気で苦しいというときには,きちんとした病院へ行かなければならないのだということを,肝に銘じておかなければなりません。
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サマーナイトフェスティバル&嘔吐

2009-07-25 21:39:45 | 競輪
 第1回の開催地である川崎に戻って争われた今年のサマーナイトフェスティバル。並びは山崎ー伏見ー内藤の北日本,武田ー後閑の関東,石丸ー加藤ー中川の西日本で小橋が単騎。
 Sは伏見が取り,前受け態勢でしたが,上昇してきた石丸を入れ,西日本が前。小橋を挟んで中団が北日本となり,関東が後方。武田は残り2周半あたりから上昇開始。打鐘前のバックで石丸を叩くと,さらに山崎が抑えて北日本の先行。武田は下げて4番手,石丸が6番手。バックから武田が捲ると,伏見の横は抜け,山崎に並びかけました。ここから山崎が抵抗しましたが,外を回る武田がカントも利用して直線では先頭に。山崎がインに行ったので伏見が武田の内からきわどく迫りましたが,凌いだ武田の優勝。伏見が2着。捲った石丸を僅かに抜いて加藤が3着。
 優勝した茨城の武田豊樹選手は3月に日本選手権を勝っていますので今年のビッグ2勝目で,通算3勝目。走行からあるいは番手粘りかと思いましたが,引いて自力で決着させたのはさすが。踏み出しのスピードがよく,あっという間に先頭まで並びかけることができたのが,最大の勝因ではないでしょうか。

 この大晦日の嘔吐というのは,実は僕にとっては特筆するべきことでした。というのは,僕はこのように食べたものを吐いてしまうという経験はほとんどなかったからです。以前に飲酒について書いたときに,僕は少なくとも自分では酒を飲んでしまったがために何かを失敗してしまったという経験はないと思っているといいましたが,そこにはこのことも含まれています。僕は飲みすぎて吐いてしまったということはただの1度もありませんでした。
 実際,この嘔吐は,記憶のない赤ん坊の頃を別にすれば,僕の人生では2度目のことでした。ただ1度だけあった嘔吐の経験は小学生のとき。2年とか3年の頃だったと思うのですが,通学中に吐いてしまったものです。小学校はどこでもそうだと思うのですが,町内の近くに住む児童が集団で登校します。僕たちのところではこれを登校班と呼んでいましたが,その集団で歩いているとき,急に吐いてしまったのです。今でもよく覚えていて,この日の朝はお茶漬けを食べたのですが,よく噛まなかったので十分に消化できなかったのだろうと思います。僕はそのままひとりで家に帰り,この日は学校を休みましたけれども,医者にも行きませんでしたし,実際のところは学校を休まなければならないような体調ではありませんでした。
 昨年の大晦日の嘔吐はこれ以来ですから,30年以上が経過しているわけで,実際には初体験といってもいいものであったかもしれません。これで布団をいくらか汚してしまったのですが,もう自分で掃除したり取り替えたりする元気はありませんで,申し訳なかったですが家族に処理してもらいました。しかし,ほとんどなかったといっていい嘔吐を僕がしたことで,さすがに家族も心配になったようです。
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王位戦&大晦日

2009-07-23 19:21:28 | 将棋
 木村一基八段の先勝で迎えた第50期王位戦五番勝負第二局
 第一局の千日手局が深浦康市王位の先手でしたのでここは木村八段が先手。飛車先交換相腰掛銀模様から先手が横歩を取ろうとして乱戦となり,第1図。
           
 ここから後手が△6六歩▲同歩と突き捨て△4九角。▲5八角に△3八角成と切って▲同飛△2七金(第2図)。
           
 この攻めは好んで指す順と思えませんが,あわよくば先手の飛車を抑え込めるかもしれず,やってみる価値はあるというところだったのでしょうか。
 第2図が1日目終了時の局面で,封じ手は▲3九飛。対して△2八金と突っ込み,▲6九飛に△1九金とそっぽの香車を取りました。▲4五歩に△2六歩と垂らし,▲5五銀に△2七歩成でと金はできたものの,▲4四歩△同歩▲4九飛(第3図)で先手の飛車も世に出ることが確定。と金作りが1手間に合っていない感じで,この後の攻め合いも先手が押し切ることとなりました。
           
 木村八段が2連勝。深浦王位はどうも内容が芳しくないように感じられ,ピンチではないかと思います。第三局は30日と31日。

 12月30日になると,もうパソコンを起動させるだけの気力も失われました。競輪グランプリに関しては,レースを見たのも,だから井上選手が優勝したことを知ったのも,今年の1月20日に退院してから後のことです。
 そして31日の大晦日。この日は午前中に1階に下りていって,アイスクリームを食べました。なお,僕が食べるのはほぼバニラのみです。もちろんほかの味のものでも食べられないことはありませんが,最も好きなのはバニラ味ですので,自分から手を出すとすれば必ずバニラ味ということになります。ただ,この頃はもうさすがにちょっと出掛けて買い物というわけにはいきませんでした。たぶん僕が最後に外出したのは26日で,それ以降は1歩も家を出ていません。このアイスクリームは買ってきてもらい,冷凍庫に保存しておいたものでした。
 僕はアイスクリームを食べるときには,パックをひとつ食べます。大型のものを少しずつ食べるような習慣はありませんでしたし,そもそも市販の安価なもので十分であり,高級なアイスクリームというのは自分で買ってまでは食べませんでした。そこでこのときもそういうアイスクリームを1パック食べ,それだけでまた2階の部屋に戻って横になりました。ところが,しばらくするとそのアイスクリームをすべて嘔吐してしまったのです。汚い話ではありますが,このときの真白な吐瀉物は今でも鮮明に覚えています。
 いうまでもなく,アイスクリームというのはカロリーもまた糖分もかなり多く含まれている食品です。たぶんこのとき,僕の身体は自己保存の力を働かせ,それ以上に血糖値を上昇させるような成分の吸収を拒んだのだろうと思います。
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サンタアニタトロフィー&菓子

2009-07-22 21:19:05 | 地方競馬
 南関東重賞としてはかなり豪華なメンバーでの争いとなった今年の第30回サンタアニタトロフィー
 先手を奪ったのはロイヤルマコトクン。これをブルーホークがマークし,その後ろにマンオブパーサーとクレイアートビュン。前半の800メートルは48秒6で,これはハイペース。ただ不良馬場は追い込みにくいこともあり,前の馬で決着することになりました。
 直線に入る手前でブルーホークがロイヤルマコトクンに並び掛け,直線に入るとすぐに先頭に。追ってきたのは最内を突いたクレイアートビュンでしたが,振り切ったブルーホークの優勝。2着がクレイアートビュンで,よく追い込んできたベルモントサンダーには迫られたものの,マンオブパーサーが3着を確保。
 優勝したブルーホークは15戦11勝の成績をひっさげ昨年の東京大賞典に挑戦。これはさすがに相手が強く7着に敗れましたが,それまでの相手関係からここは人気で凡走したコウエイノホシを除けば力上位と目された馬。問題はここがその東京大賞典以来の久々だったことですが,きちんと力を発揮して,順当に勝利したというところでしょう。今後の南関東重賞では中心になってくれなければならない馬です。名前から類推される通り,父はブラックホーク
 惨敗したコウエイノホシですが,前走で勝っているとはいえ,1600メートルのスピード競馬は明らかに不向き。本来は長距離馬でしょう。
 鞍上は大井の坂井英光騎手で,昨年の大井記念以来となる久々の南関東重賞制覇。サンタアニタトロフィーは初制覇。管理する大井の月岡健二調教師は,一昨年にも勝っていて,このレース2勝目です。

 僕があまり太らなかったのは,体質的な問題。確かに僕は大食漢ではなく,むしろ少食であったかもしれませんが,間食というのは多いくらいで,菓子類はよく食べていました。
 僕が最も好んだ菓子はポテトチップス。とくに湖池屋ののり塩味のもので,これは1度に1袋を食べてしまうということもよくありました。当時はまったく気にしていませんでしたが,今になって袋に書かれているカロリーを見てみると,ものすごく高いので驚きます。
 一方,僕はケーキやチョコレートなどの甘いものも好物でした。ただしこれは洋菓子系で,和菓子は苦手。とくにあんこがあまり好きではなく,自分から手を出すということは絶対にありませんでした。僕にはあんこの甘さというのがくどく感じられたのです。僕は油っこいこってりとした料理は苦手なのですが,あんこの甘ったるさが,こってりとした油っこさと重なるように思えたのです。
 口渇がひどくなればポテトチップスなどはとてもではありませんが食べることはできません。また,チョコレートは口の中で溶けてくれるので大丈夫ですが,これは量をたくさん食べられません。僕は昔からチョコレートをたくさん食べると鼻血が出そうな感覚に陥るのです。したがって板チョコですと1度に1列くらいしか食べられませんでした。
 そういう事情が重なって,この時期によく食べたのがアイスクリーム。これも口渇がひどかった僕にはまことに便利な食品でした。
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マーキュリーカップ&偏食

2009-07-20 19:15:57 | 地方競馬
 3連休最終日の今日は盛岡競馬場でマーキュリーカップ(動画)が行われました。
 先手を奪ったのはマコトスパルビエロ。サカラートが2番手でスマートファルコンが外に出しての3番手。道中は目立った動きはなく,この3頭が並ぶようにして直線に入りました。最も余裕があったのは逃げていたマコトスパルビエロで,直線に入って追い出されると2頭を置き去りに。4馬身の差をつけての快勝となりました。2着は激しい叩き合いになりましたが,スマートファルコンが制し,サカラートが3着。
 優勝したマコトスパルビエロはこれが6勝目。オープンは2勝していましたが重賞は初勝利。ただ,いつ勝ってもおかしくない力があった馬で,ようやくという感じが個人的にはします。スムーズにレースができた方がいいタイプなので,広い盛岡の2000メートルというのは条件的にも向いていたように思います。母が一昨年のフェブラリーステークスを勝ったサンライズバッカスの従姉にあたる馬。日本での母系祖先はダイシングになります。
 鞍上は安藤勝己騎手で,2005年のピットファイター以来となるマーキュリーカップ2勝目。管理する鮫島一歩調教師は初制覇でした。

 12月27日以降は1日の半分以上を眠っているという状態になりましたから,何かを食べるということがあっても,それは規則正しくというわけにはいかなくなりました。まして口渇の悪化により,食べることができるようなものも数少なくなっていました。これ以降,救急車で病院に運ばれることになる翌年の1月1日まで,僕が食べ物として摂取したのは,ほとんど2品目だけ。そのうちひとつはアイスクリームで,もうひとつがトマトでした。
 僕は食べ物に関しては,絶対に食べないというものは梅干だけであって,それ以外のものなら何でも食べます。こういえば好き嫌いがないというように思われるかもしれませんが,これは出されたものなら残さずに何でも食べるというほどの意味。自分で食べる分にはやはり好物の方に手が伸びます。まあ,このこと自体はだれでもそうで,僕がとくに変わっているというわけではないかもしれませんが,ただ,僕の好物というのは多くの人と比べれば狭い範囲に偏っていますので,こういう食べ方をしているとかなり偏食になります。
 実際,それまでの生活の中では僕はかなり偏食の傾向にあったと思います。僕は好物であればたとえ毎日であっても飽きずに食べられます。朝食でも昼食でも夕食でも,同じメニューがずっと続いて構わないわけです。それが好物であるということの意味だと思っていました。食べ物と一緒にしては失礼ですがこれは人間も同じで,何日も続けて会っていれば飽きてしまうような人は,好きな人ではなかろうと思うのです。
 そういう偏食傾向の中で,トマトは野菜では唯一といっていい好物でした。しかもこれは水分が多いので,この時期にも楽に食べられたのです。僕はトマトには塩もかけませんしドレッシングなども使いません。冷蔵庫から出して,そのまままるごと1個食べていました。
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小松島記念&寝たきり

2009-07-19 18:49:07 | 競輪
 先週の日曜から記念競輪は連続開催。今日は小松島記念の決勝(動画)でした。並びは岡部ー成田ー有坂の北日本,柴崎に藤原で西日本,渓〔たに〕ー石丸ー堤ー室井の四国中国。
 前受けが柴崎。中団に岡部で後方が渓。残り2周のホームから上昇した渓がそのまま前を一気に叩きに出たのですが柴崎が抵抗。先行争いとなりこれは柴崎が勝ちました。しかしホームでは渓を捨てた石丸が早くも発進し,再び先行争いに。こちらは石丸が柴崎を叩きました。岡部はバックから捲り発進。石丸の番手から堤も出たのですが,難なく岡部が捲りきり,直線でも後ろを寄せつけずに優勝。少し離れたものの成田が2着を確保し福島ワンツー。3着は堤と室井で同着。
 優勝した福島の岡部芳幸選手は昨年5月の宇都宮記念以来となる記念競輪制覇。通算では13勝目。競走スタイルは自力では捲り一辺倒,番手戦はあまりうまくなく,ラインを固めるような競走も増えてきているので優勝は少ないのですが,大崩れもあまりないタイプ。今日はメンバー的にも力上位でしたし,展開も絶好になりました。ビッグを勝っても不思議ではない力がまだある選手だと思います。

 糖尿病の治療というのをまだ何もしていませんから,当然のことですが症状は何ら改善せず,さらに悪くなっていく一方でした。退院後に報告した通り,12月27日からは僕は1日のほとんどを自室のベッドの中で過ごすようになりました。それも大半の時間は眠っていて,2時間か3時間に1度はトイレに行くというような状態。僕は男ですから,通常は排尿は立ってするのですが,この頃になるとそれすらも辛く,便座に座ってするようになっていました。
 自室というのは自宅の2階にあります。トイレは自室のすぐそばにありますので何の問題もありません。ただ何か食べるという場合には1階に下りていかなければなりません。それでも1日に何度かは下りていって,ごく少量ではありますが何かを食べていました。ただ,ベッドから出るのはそれだけでしたから,合計でも1日で1時間あったかなかったかというくらいであったと思います。
 27日は中山大障害。28日が有馬記念。29日は東京大賞典。いずれもテレビ放送があったわけですが僕はそれも見ていません。ただ辛うじてベッドの横にあるパソコンを起動させる元気だけはあって,それで見て,ブログを何とか書きました。各々の日の投稿日時の少し前は,それだけのことができたということになります。もっとも書いているのは上段だけで,下段は前から用意してあったもの。それから,パソコンを起動させたといっても,それは当該のレースを見て記事を書いたというだけです。たとえば27日にはほかにラジオたんぱ杯2歳ステークスがあり,これは今年のダービーを勝ったロジユニヴァースが勝ち,ダービー2着のリーチザクラウンが2着だったのですが,このことを僕が知ったのは,実は退院してきてからのことでした。
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弥彦記念&尿糖

2009-07-18 19:41:06 | 競輪
 15日の弥彦記念の決勝(動画)を回顧します。
 並びは岡村ー渡辺ー細川の南関東,金子ー加藤の中部に中川,稲垣ー村上の京都に阿部。前受けは金子で中団が岡村。後方から稲垣。上昇した稲垣は岡村を牽制した後,バックで金子を叩いて先頭に。岡村が打鐘から反撃していきましたが,稲垣は引かずに先行争い。これは稲垣が制しましたが,バックから金子が捲ると稲垣に脚は残っておらず,村上も出られなかったのでライン3車で捲りきって直線へ。番手の加藤が伸びて完全優勝。金子が2着に残り,中川が3着。
 優勝した岐阜の加藤慎平選手は今年の2月に西王座戦で優勝。2005年には全日本選抜とグランプリで優勝していますが,記念競輪となるとその少し前,同じ年の富山記念以来となり,4年ぶりの通算5勝目。追い込み選手なので展開に左右されるところは大きく,まだこれだけで完全復活とはいえないのかもしれませんが,確かな力が残っているというところは見せてくれました。マークした金子選手にレース展開も非常に向いたと思います。

 多尿の症状に自覚的になった頃,もうひとつ気付いたことがありました。見た目だけの感覚でしたが,排出される尿の質が,それまでとは明らかに違っているように思えたのです。
 尿ですからそれが液体であるということはいうまでもありません。しかし,それまで排泄していた尿と比べると,この時期の尿というのはもっとドロッとしていて,固体に近く見えるような液体であったのです。
 糖尿病というのは読んで字のごとく,糖の尿です。通常は血液中のブドウ糖は腎臓で再吸収されますので,尿として体外に排出されることはないのですが,腎臓が処理できる限界を超越してしまうと,尿の中に出てきます。これを尿糖というのですが,この時期に尿の質が変化したように思えたということは,検査をしたわけではありませんが,たぶん尿糖が出ていたからではないかと今では思っています。
 尿糖は一般には血糖値が180mg/dlより高くなると出るとされていて,この時期の僕の血糖値は常にこれくらい,あるいはそれ以上あったのかもしれません。そうであるならば,はっきりと糖尿病になっていたということができます。
 ただし,腎臓の機能は人それぞれです。尿糖は糖尿病の検査のひとつではありますが,腎臓が糖を再吸収する機能の低い人では,血糖値は正常値の範囲内であっても尿糖が出るということがあります。この場合は血糖値の方が基準になるのであって,尿糖は出ていても糖尿病ではないということになります。逆に高齢になりますと,今度は血糖値が高く,糖尿病であるにも関わらず,尿糖が出ない,あるいは出にくくなるというケースがあります。したがって,尿糖の有無だけでは糖尿病であるかどうかを正確に判定できるというわけではありません。
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棋聖戦&多尿

2009-07-17 19:10:23 | 将棋
 双方が2勝ずつをあげ,棋聖位をかけての決戦となった第80期棋聖戦五番勝負第五局。
 振駒で木村一基八段の先手。羽生善治棋聖は横歩取りに誘導し,先手の応対の仕方が関係して△8四飛型に。細かい応酬から桂馬の交換になって第1図。
           
 7七で桂馬が交換され,△4一金と引き締めたところ。先手は▲8三桂と打ち,△7二飛▲9一桂成で香得しましたが,これは効率が悪い感。以下,△4五桂▲7三歩成△同銀▲8三馬△7四角▲7二馬△5六角(第2図)。
           
 ここで▲同歩と取れば先手の角香得。しかしそれは△6五桂で後手が勝つそうです。
 横歩取りの将棋というのはときにこういう乱暴な手順で寄ります。終盤は駒の損得より速度といいますが,第1図の局面は中盤に見えますが,横歩取りではもう終盤と考えておかなければならないのでしょう。
 実戦は第2図で▲4八金と頑張りましたが,そもそも▲5六同歩と取れない段階で劣勢といえるでしょう。将棋はこの後も後手がほぼ一方的に攻めきって勝っています。
 羽生棋聖が3勝2敗で防衛となりました。しかし敗れた木村八段にとっても,収穫の多かったシリーズであったという気がします。

 口渇の悪化とともに,多飲の状態はさらにひどくなりました。身体を動かしたときだけでなく,何もしていなくても口の中が渇くのですから,これは当り前といえば当り前。何かを飲む量というのはこれを機に一気に増えました。この頃,僕がよく飲んでいたのはミルクティーやカフェオレ,コーラやサイダーのような炭酸飲料のほかには,フルーツジュースです。ちょうどこの時期に,家にアップルジュースがお歳暮として送られてきていましたので,それをかなり飲みました。普段から飲み物は甘いものが好みではありましたが,この時期はそれを大量に摂取していたわけです。常識的に考えても,これが糖尿病に対していいことか悪いことかは一目瞭然。この頃の僕の身体の状態が悪化していく一方であったのは,当然といえば当然であったといえるでしょう。
 普段からこのようにがぶがぶ飲むようになったのですから,身体から出ていく方の量も増えるのは当然です。糖尿病の自覚症状のうちのひとつである多尿は,この頃になるとさすがに自分でも分かるようになりました。
 多尿の何が辛いかといいますと,睡眠が断続的になってしまうことです。というか,これがあったから多尿に自覚的になれたという面もあります。これだけ飲みますとさすがに眠っている間にも尿意を感じて目覚め,トイレに行きます。で,排尿するわけですが,このときに口の方は渇いていますから,ついでにまた何かを飲むということになります。この時期,僕は枕下にもペットボトルを置いて,このように目覚めるたびに口を潤していました。そのために2時間か3時間もすればまた目が覚めてしまうということになりますから,体力の方もどんどん落ちていってしまうということになります。
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スパーキングレディーカップ&口渇の悪化

2009-07-16 19:25:18 | 地方競馬
 昨晩の川崎競馬場では牝馬重賞の第13回スパーキングレディーカップが行われました。
       
 先手を奪ったのはクィーンオブキネマ。これをシスターエレキングが追い,少し離れてメイショウバトラー,ラヴェリータ,ベルモントプロテアの3頭。前半の800mは49秒4のミドルペースに。
 向正面でヤマトマリオンが動きをみせましたが,この馬は早めに動いたこともあり,直線では一杯。シスターエレキングは苦しくなり,逃げるクィーンオブキネマに追いすがったのは内を回っていたラヴェリータ。この2頭が後ろを離して優勝争いとなりましたが,ほとんど並ぶ間もなく交わしさったラヴェリータが優勝。クィーンオブキネマが逃げ粘って2着。3着は接戦になりましたが,メイショウバトラーが確保しました。
 優勝したラヴェリータは前走の関東オークスに続いて重賞連勝。古馬とは斤量面でのアドバンテージこそありましたが,初対戦で撃破したのは立派。この路線で順調に使われる限りはしばらくは中心的地位に君臨するのではないかと思います。
 鞍上の岩田康誠騎手,管理する松元茂樹調教師ともに,このレースは初制覇です。

 脚が細くなっていることに気付いた頃,口渇の症状ははっきりと悪化していました。前はこれはある程度の運動をしているときにしか気にならなかったのですが,この頃になると,とくに身体を動かしていなくても,口の中が渇いているような状態になったのです。要するに朝から晩までずっと渇いているということです。
 すでに説明しましたように,この口渇は,僕の場合には単に喉が渇くというような状態ではなく,口の中に唾液が出てこないというような感覚でした。マスクを着用しているといっても,それは外出時だけであり,家にいるときには着用していませんでした。しかしそういう場合にも口渇の症状がはっきりと出始めたわけですから,僕が自分の口の渇きの仮説として立てた,マスクの着用とこの口渇はもうすでに結び付けることはできなくなっていました。で,このときに僕がどのように思っていたかといいますと,実は歯茎に何か問題が出ているように感じていました。これをことばではっきりと表現することは難しいのですが,口の中の渇きというのは,たとえば舌の乾きというよりも,歯茎の渇きとして強烈に印象付けられたからです。このために僕は市販されている歯茎の炎症を緩和するような薬を使い始めました。しかしもちろん効果は上がりませんでした。
 口渇の悪化により最も苦しくなったのは食事です。水分をあまり含まない乾燥したものが食べにくくなるということはいうまでもありませんが,すでにこの頃は炊いたご飯ですら食べにくくなっていました。そのため,お茶漬けのようにして食べていました。おかずもスープとか煮物やシチューなど,水分をわりと多く含むものを選んで食べていました。それでもまだ,このようにして1日に3食をきちんと食べていたのですから,ましといえばましだったのかもしれません。
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マイナビ女子オープン&脚

2009-07-15 19:17:39 | 将棋
 矢内理絵子女王が一気に防衛を決めるのか,岩根忍女流二段が踏みとどまるのかという戦いとなった第2期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 岩根二段が先手で三間飛車。矢内女王は第一局のような作戦で第1図に。1筋の位を先手が取っているのが,後に関係してきます。
           
 第1図。先手はもう少し攻撃態勢を整えたく,後手はもう少し玉を囲いたいところ。しかるにそうした展開は不満とみたかここで△6四歩と仕掛けました。ただし,ここで仕掛けるのは後手としては本意ではない筈で,序盤は先手の方がうまくやったとみるのが妥当ではないでしょうか。
 先手は穏やかな指し方もありましたが,ここをチャンスとみて激しく対応。後手の攻めに自然に対応しながら飛車を1筋に転回しました(第2図)。1筋を突き越したのも生きた形となり,優劣は別に,先手にうまくできている将棋と感じます。
           
 第2図からは手筋の攻めがあります。▲1四歩△同歩▲1三歩△同香▲同角成△同桂▲1四飛△1二歩▲1六飛(第3図)。
           
 このように角を切るのはこの形の常套手段。駒損でも端攻めはこれで成功です。
 部分的なものですからこれで先手が圧倒的によくなったというわけではなく,将棋はまだまだ難しいです。この後,先手が詰みを逃してしまい,将棋は後手が勝っています。
 矢内女王が3連勝で防衛。棋力だけでいえば岩根二段もそうも差はないと思えるのですが,やはり経験の差が大きかったと感じるシリーズでした。

 僕にはあまり関係のないことですが,世間はクリスマスムードに包まれていました。そしてこのクリスマスの前後から,僕の体調ははっきりと自覚できるくらいに悪化し始めていきます。
 ちょうどこの頃のことです。僕は風呂に入って普段のように脚を洗っていたのです。するとその脚がやけに細いように思えました。もともと体重がある方ではない,というかやせっぽちですから,自分の脚を太いと感じたことはただの1度もなく,むしろ細いと思ってはいました。しかし,このときはそれに輪をかけて細いと感じたのです。
 体重を量るという習慣は僕にはありませんでしたから,この頃に一遍に痩せてしまったのか,あるいは徐々に痩せてきていて,このときになってようやくそれに気付いたのか,どちらであったのかは僕にははっきりと分かりません。ただ,ただでさえ軽すぎる僕の体重が,さらに減少していたのは事実です。もっとも,この脚の細さに気付いてなお,僕は体重を量らずにいまして,実際に測ったのは入院してからですので,この頃の体重が何キロであったかまでは分かりません。入院後に量った体重についてはまたそのときに書くことにします。
 すでに説明したように,体重の減少は糖尿病の数少ない自覚症状のひとつです。したがってこのクリスマスの頃の時点では,口渇とそれに伴う多飲のほかに体重減少もはっきり出ていたということになりますから,僕の糖尿病の症状はかなり進行していたと考えていいのではないかと思います。
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王位戦&多飲

2009-07-14 19:51:23 | 将棋
 昨日開幕した第50期王位戦七番勝負第一局。対戦成績は深浦康市王位が6勝,木村一基八段が5勝。
 深浦王位の先手で始まり5筋位取り中飛車となりましたが,今日早々に千日手に。先後入替えての指し直し局は相矢倉森下システムに,後手が攻撃的な陣形を選び,その後は僕には謎の手順もありましたが第1図に進展。
           
 これは▲7四歩の叩きに△6四銀と交わしたところ。△同銀では▲5一角が厳しくなります。それでも▲5一角と打つのが木村流の指し方。△6一飛に▲8四角成とし,△2四銀にも▲8五銀とこちらを取り,△3五銀には▲7三歩成。△8一飛▲7四と(第2図)。
           
 駒割りだけなら少し損でも,攻めの桂馬を取り払い,馬とと金で上部を猛烈に手厚くした先手がここではよくなっていると思います。第1図以降の後手の指し方は仕方がないように思いますので,そこまでの指し方がむしろ問題だったのではないかという気がしますが,どうなのでしょうか。
 第2図以降,後手も懸命に攻めを繋げようとしましたが,丁寧に受け止めた先手が最後は反撃に転じて勝利。木村八段の快勝ではないかと思います。。第二局ですが,22日と23日に指されることになっています。

 11月30日こそほぼ1日にわたってダウンしていましたが,翌日,つまりこれは12月に入ってということになりますが,その日からはすぐにもとの日常生活を取り戻しました。もちろん口渇の症状はありましたし,以下に説明するようにそのための多飲ということもありはしましたが,12月の上旬から中旬にかけては,その症状が決定的に悪化するということはありませんでした。12月21日は朝日杯フューチュリティステークスが行われていますが,この日もいつものようにWINS横浜まで馬券を買いに行きましたし,帰りも歩いて帰ってきました。12月の土日はこの日までずっとこのパターンでしたから,この頃まではそのくらいの体力はあったということになります。
 ただし,この散歩の仕方は,明らかに変わっていました。というのは,僕はWINS横浜でお茶を飲んで歩き始め,家に帰ったところでまた水分を補給するというのがパターンでした。これは今現在でも同様です。しかしこの頃は,それはとても無理でした。というのは歩いている最中に口渇がひどくなってしまい,何かを飲まずにはいられなくなってしまったのです。なのでこの頃だけはこの散歩の最中にどこかの自動販売機で飲み物を買い,それを口にしながら歩くという状態でした。すでにいいましたが僕はこういう場合にはミルクティーとかカフェオレを飲むのが習慣だったのですが,この頃はコーラとかサイダーのような炭酸飲料もよく飲みました。僕は基本的に炭酸飲料はあまり好みではなく,出されでもしなければほぼ口にすることがない飲料だったのですが,この頃はひどく甘いものを飲みたいという欲求が強かったのです。買うのは決まって500mlのペットボトルですが,ほとんどの場合,散歩の最中に飲み干してしまうくらいでした。自分自身でもこれは異常だと自覚してはいましたが,とにかくこういう散歩の最中だけのことでしたし,これ以外の日常生活はほとんど支障なく過ごせていましたので,なおほったらかしにしていたのです。
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NOAHのこと&11月下旬

2009-07-12 18:50:45 | NOAH
 退院後,ブログの日付が実際の日付に追いついた段階で,今後の方針を示しました。そこで,NOAHの記事については今後は投稿しないとしました。
 この直後,日本テレビでの中継が打ち切りになりました。もっともこれはその時点で僕にも折込済みでした。僕はG+を見られますから,個人的にはそれほどの影響はありません。しかし先月の13日,リング上でのアクシデントで三沢光晴選手が殉職してしまいました。
           
 僕は翌朝の朝日新聞で知ったのですが,受け入れられないニュースでした。それに触れてしまうのが嫌でネットをやるのも億劫でした。もちろん冥福を祈るような気持ちにもなれませんでした。あったのは悲しみというより,やり場のない怒りということばで表現されるのが的確であると思えるような感情だけでした。
 僕は15日に妙手を紹介していますが,あれはそのときにできた精一杯のことでした。三沢光晴のプロレスを棋譜に起こせばあんな将棋になるのではないかと思ったから。つまりあれは追悼記事でした。というか,あの時点での僕は,そういうひねくれた形でしか哀悼の意を表せなかったのです。
 こういうのは月日だけが解決してくれます。1ヶ月近くが経過して,僕もどうにか事実を認めることだけはできるようになってきました。そこで今後,1ヶ月か2ヶ月に1度くらいになるかと思いますが,僕が見てきたプロレスの思い出をいくらか綴っていこうと思います。そうすることでいつか,この事故に正面から向き合えるようになれる気がするからです。

 糖尿病に関する基礎的な情報に関して,現時点で述べておくべきことはこれくらいでいいでしょう。もちろん僕の症状がさらに進み,その後に入院して医師の治療を受けるようになれば,より専門的なというか,詳しい説明が必要になってくる場合もあるかと思いますが,そうしたことについてはその都度に説明を加えていくということにして,風邪の初期症状が出て,それが治まった昨年11月中旬から下旬にかけてに話を戻します。
 すでにいったように,11月22日は東京都体育館で日本シリーズを観戦しました。この翌週,すでに口渇というのはあったのですが,この時点ではこれは常に感じていたものではなく,たとえば何らかの運動をしたときに感じるという程度であり,日常生活への支障はほとんどありませんでした。
 ただ,11月の最後の日曜日,これは30日のことですが,この日だけはちょっと別で,僕は具合が悪くて1日のほとんどを家で横になって過ごしていました。日曜はほかに何か特別の用事がない限りはWINS横浜に出掛けて馬券を買うというのが僕の習慣になっていましたから,これは異例といえます。しかもこの日はジャパンカップだったのですが,僕はテレビでもこのレースを見ずに眠ってしまっていました。それくらい体調の方は優れなかったということになります。
 馬券を買いに行っていてもスクリーンヒーローは買えませんでしたからそれはそれでよかったといえます。ただ,このときもそうだったのですが,このあとの僕は,ウィークデーは何の問題も起きず,体調の悪さを感じるとすればそれは週末になるというのがパターンになりました。とはいえ,こんなに具合が悪くなったのはこの日だけで,12月に入ると週末のWINS通いはまた再開しました。だからたぶん11月30日の体調不良は,単に糖尿病だけが原因ではなかったのだろうと思います。
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竜王戦&療法

2009-07-10 23:30:03 | 将棋
 展望では開幕カードになる筈としましたが,実際には2局目となった第22期竜王戦挑戦者決定トーナメント,関西期待の若手同士の一戦。対戦成績は豊島将之五段が1勝,稲葉陽四段が2勝。
 振駒で稲葉四段の先手。相掛り▲2八飛から先手が棒銀。後手が銀冠に囲っての持久戦に。今日は勝敗の分かれ目になったと推定されるところの手順を。
           
 第1図から先手は▲5一角の打ち込み。△8四角に▲7一銀と打ち,△9二飛。ここで▲4二角成△同飛と切って,取った金を▲8三金(第2図)と打ちました。
           
 これはこの角を取っても後手玉を寄せるのにすぐに効果があるわけではないですので,駒損ではなくても昨日の棋聖戦で紹介した手順よりさらに筋悪という感じ。実際にそういう手順にはなるのですが,入玉を視野に入れているとしか思えないような指し方でした。
 筋悪といっていますがでは筋がよい攻めとはどんな攻めか。それが第2図からの後手の手順。△5五歩▲4七銀の交換を入れて△3九角。▲3八飛で打った角の行き場はありませんが金に当てられているもうひとつの角を△6六角と飛び出します。▲3九飛△9九角成は必然。▲7七桂に△6四香と打ち,▲6六歩に△8五桂(第3図)と跳ね出します。
           
 第2図から第3図だけで見れば後手は駒損ですが,攻め駒がこれ以上ないくらい効率的に働いています。この差が,結果的に勝負を決めてしまいました。
 後手はこの後,入玉を目指して頑張りましたが最後は追い返して後手の勝ち。ただ,図面では紹介しませんけど僕が妙に感動したのは先手が113手目に▲5八金と寄った手。こういう頑張り方はなかなかできないものなのではないかと思いました。

 糖尿病自体は不治の病であって,その治療の主眼は,合併症の発症を可能な限り予防するという点にあるということはお分かりいただけたのではないかと思います。それでは糖尿病の治療にはどのようなものがあるのかといいますと,これは主に3つに分けられます。
 第一に薬物療法。これは単純に薬物の投与です。Ⅰ型糖尿病患者のインスリン注射はもちろんこの薬物療法のひとつですし,Ⅱ型糖尿病の患者がやはりインスリン注射をしたりあるいは経口薬を飲んだりするのもこれに当たります。これは糖尿病に限らず,病気を治療するという場合には最も代表的な療法といえるでしょうから,これ以上の説明は不要でしょう。
 第二に運動療法。すでにお話しましたように,運動というのはそれ自体で血糖値を低下させる作用があります。したがって運動不足は糖尿病の大敵であり,糖尿病患者には適度な運動が求められます。有効なのは有酸素運動で,瞬発力系の運動より持久力系のもの。代表はウォーキング。僕は散歩が趣味というくらいなので,この療法は苦になりません。なお,ブドウ糖を消費するのは筋肉ですから,その筋肉を使い,また鍛える効果がある筋力運動も有効です。それから,Ⅰ型糖尿病にはこの療法はさほど重要ではないとされているのですが,僕の経験からいえば,運動をした場合の方が明らかに血糖値を良好にコントロールできます。
 第三が食餌療法。暴飲暴食や偏食は糖尿病に悪く,これを避けるものです。また,薬物療法でインスリン注射を行っている患者の場合,注射するインスリンの量は決まっていますので,その量のインスリンで対応しきれないくらいの量の飲食物を摂取すれば,当然のことながら良好な血糖値は保てません。そのために,1日の摂取カロリーが管理栄養士により決められています。僕ももちろんそうですが,具体的にはあとで詳しく説明することとします。
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