スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドバイ国際レース&第二部定義四まとめ①

2008-03-31 19:12:36 | 海外競馬
 日本時間29日深夜から30日未明にかけて行われたドバイでの国際招待レース。日本馬の出走した3レースをレース順に回顧します。
 まずUAEダービー。イイデケンシンは逃げたい馬ですので外枠は不利でした。それでも押して出て何とか先頭へ。しかしコーナーの中間で内からMassive Dramaに来られると抵抗できずに後退する一方。勝ち馬から13馬身ほど離された8着でした。
 ただしこの馬の場合,たとえ相手が引っ張っていたとはいえ,先手を取りきったということだけで誉めてあげていいのではないかと思います。最終的には先行争いを演じたMassive Dramaにも先着しました。
 続いてドバイデューティフリー。距離とコースの性質もあったでしょうが,ウオッカはいつも日本でレースをしているときよりはかなり前の位置取り。アドマイヤオーラは内に入って位置取りを下げていくという苦しい競馬。直線は逃げたJay Pegが馬場の外の方に出てきて,ウオッカはその外へ。いい手応えに見えましたが伸びを欠いて4着。アドマイヤオーラは最後は巻き返してきましたが9着まで。
 結果的にJay Pegが逃げ切る競馬で,アドマイヤオーラは展開的にも不利でレースになりませんでした。ウオッカは終始外を回っていたのが少し響いたかもしれません。
 そしてメーンのドバイワールドカップ。ヴァーミリアンは押してついていくのが精一杯。700メートル過ぎあたりからは離されるだけで最下位に沈みました。
 前日,ヴァーミリアン以外の日本馬3頭はスクーリングをしたのですが,ヴァーミリアンはしなかったとのこと。2度目だからということもあったかもしれませんが,状態面に不安があってできなかったのかもしれません。8馬身近くの差をつけて勝ったCurlinはここでは別格に強い馬で,万全でもこれには敵わなかっただろうと思いますが,明らかに能力を十分に出したとはいえず,この点は残念でした。
 それから日本馬の参加しなかったドバイシーマクラシックは南アフリカのSun Classiqueが勝ちましたが,この馬はオーストラリア産のフジキセキ産駒になります。

 今回のテーマは第二部定義四でした。しかしこの第二部定義四は,第一部公理六に示されている真の観念に依拠して示されていますので,先に第一部公理六について考えてみました。そして第一部公理六で示されている観念と観念されたものとの一致について,これには本性の一致秩序と連結の一致というふたつの観点があると考え,観念自体の内部にあるものとしてみられる限りでの本性と秩序と連結を,観念の内的特徴であると位置付けました。対して観念の外的特徴とは,観念と観念されたものとのそれらの一致,すなわち,観念と観念されたものがそれぞれに有しているような内的特徴の一致を示します。これによって観念のふたつの特徴,すなわち,知性がある観念を考察する際の,ふたつの観点というのが浮かび上がってくるということになります。
 ところで,このことから十全な観念の本性というのは,十全な観念の内的特徴であるということになります。そこで第二部定義四は,ある観念の内的特徴について定義していますので,少なくともこれが十全な観念の本性を示しているという意味で,定義として正当性を有しているということが分かります。逆に真の観念を真の観念としてみようとすれば,それはある観念を外的特徴からみようとすることですから,真の観念の本性というのは発見できません。よって,十全な観念が定義可能であるのに対し,真の観念は定義不可能であるということも,少なくとも事物の定義が事物の本性を示さなければならないとされているスピノザの哲学の中では,妥当であるということも明らかになります。
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高松宮記念&第三種の認識

2008-03-30 19:24:31 | 中央競馬
 春のスプリント王者決定戦の第38回高松宮記念
 発走後,スズカフェニックスが躓き落馬寸前の不利。外からローレルゲレイロとエムオーウイナー,中からフサイチリシャールが出て先行争い。ローレルゲレイロの先導となって前半の600メートルは33秒4。今年の中京は例年に比べて芝の状態がよく,これはミドルペース。
 一旦は下げた形になったフサイチリシャールがコーナーで外に出し,4コーナーではローレルゲレイロを交わして先頭に立つという強気の競馬。一旦は抜け出しましたが,先行3頭の後ろで機を窺っていたキンシャサノキセキが追われると伸び先頭に。ところが先頭に立ったところでこちらも足が止まり,道中はキンシャサノキセキの直後にいたファイングレインが襲い掛かって2頭の叩き合いに。ファイングレインがゴール前ではクビだけ交わして優勝。キンシャサノキセキが2着で,後方からよく追い込んだものの,発走直後の不利が響いた感じのスズカフェニックスは差のある3着まで。
 優勝したファイングレインフジキセキ産駒。デビュー2連勝後,ずっとマイル前後の距離でオープンを使ってきましたが,2度の2着があっただけ。今年に入ってデビュー戦以来の1200メートルに出走するとこれを勝ち,続く前哨戦のひとつ,シルクロードステークスも勝って重賞初制覇。ここ2回は共に1分9秒1で勝ってきましたが,今日は1分7秒1の早い時計にも対応。これでみるとスプリント能力に非凡な才があるようです。鞍上の幸英明騎手は昨秋の南部杯以来となる大レース優勝,管理する長浜博之調教師はアグネスタキオンによる2001年の皐月賞以来となる久々の大レース制覇。共に高松宮記念は初制覇となります。
 馬場状態を考慮して内目の馬だけを狙いましたが,期待したスーパーホーネットが5着で相手に指名した馬が1~3着。個人的には最悪の結果でした。

 この真理の性質に関する探求は,スピノザの哲学を研究する人の多くが取り上げていることですが,とくにマシュレが『ヘーゲルかスピノザかHegel ou Spinoza』のⅡ部の幾何学的方法の四章の充全な観念と不充全な観念で指摘している部分はかなり参考になるのではないかと思います。
 ところで,このように真理veritasの真理であるゆえんが,観念ideaの内的特徴denominatio intrinsecaに依拠するということが,知性intellectusが第三種の認識cognitio tertii generisという仕方で事物を認識することを可能にしているのではないかと僕は考えています。
 第三種の認識というのは,いわゆる直観的な認識のことです。つまり僕たちが事物の認識をする場合に,第二種の認識,すなわち理性ratioによる認識というのを経ずとも,それ自体でそれが真理であるということを理解するような認識のことです。
 確かに僕たちは,ある論理的展開に依拠しなくても,ある事柄についてそれが真理であるということをたちどころに理解するということがあります。すなわち,知性が第三種の認識をなし得るということに関しては疑いようがありません。そしてそれを可能にするのは,あらゆる真理のうちには,それらが真理として有する共通の性質があるからではないかと僕は考えているのです。しかしもしもそれが,観念の外的特徴denominatio extrinsecaに依拠するなら,知性は何の推論もなくそれを真理と認識することが不可能であるように思えます。したがってこの真理の性質が,第三種の認識を可能にしているのではないかと僕は思うのです。
 今回のテーマはこれで終りにします。明日からはまとめです。
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マヤノトップガン&真理の性質

2008-03-29 19:01:40 | 名馬
 20日に行われた名古屋大賞典を勝ったメイショウトウコン。お伝えしたように母系はナイトライトの一族になりますが,父であるマヤノトップガンは日本の名馬の一頭ですので詳しく紹介します。
 デビューは3歳1月。3月に4戦目で未勝利を脱出すると,5月に2勝目,7月に3勝目を上げました。
 秋,菊花賞のトライアルを連続で2着すると続く菊花賞を制して重賞初勝利にして大レース制覇。これは結果的に同年のダービー馬タヤスツヨシの引退レースとなったレースです。続いて有馬記念に出走すると,体調不安が囁かれていたのですが,意表の逃げに出て逃げ切り,大レース連勝。最優秀3歳牡馬に選出されると共に,年度代表馬にも輝きました。
 翌年の初戦となった阪神大賞典は,ナリタブライアンとマッチレースとなり,2着に敗れました。しかしこのレースは日本の競馬史に残る名勝負であったと思います。続く天皇賞はサクラローレルの5着に破れたものの,宝塚記念を制して大レース3勝目。
 秋はオールカマーで再びサクラローレルの4着となり,続く天皇賞は2着。連覇を狙った有馬記念も7着に敗れ,この年は1勝しか積み上げられませんでした。
 翌年も現役続行。阪神大賞典優勝をステップに天皇賞に進むと今度はサクラローレルを差し切って優勝。大レース4勝目。このレースが現役最後のレースになりました。
 種牡馬としては重賞勝ち馬こそ5頭出ているものの,大レースの勝ち馬はまだ。自身もそうでしたが,産駒も全般的に晩成タイプが多いようです。

 明日は高松宮記念。スーパーホーネット◎に期待します。スズカフェニックス○,プレミアムボックス▲,ファイングレイン△,フサイチリシャール△,キンシャサノキセキ△で。

 また,日本時間今夜から明日未明にかけて,ドバイでの招待レース。日本馬が出走するのはレース順に,UAEダービー,ドバイデューディフリー,ドバイワールドカップ。4頭の健闘を期待します。

 これで今回のテーマに関する考察は終りにしてもよいと思うのですが,この,第二部定義四には十全な観念idea adaequataの本性essentiaと十全な観念の発生とが共に含まれているという結論は,スピノザの哲学におけるひとつの特徴をもたらしていると僕は考えています。そこで,このことについても少しだけ触れておくことにします。
 スピノザの哲学は,特殊性と一般性の考え方から,真理veritas一般なるものは,真の観念idea veraあるいは十全な観念の総体であると考えられます。このとき,真理であるものが真理であるといわれる根拠,つまり一般的に真理の性質というものが,こうした考察から帰結できると思います。
 僕たちは真理というものを,多くの場合はその外的特徴denominatio extrinsecaに依拠して考えます。すなわち第一部公理六を適用し,観念が観念の対象ideatumと一致する場合にはそれを真理とみなし,逆に一致しない場合にはそれを虚偽falsitasとみなします。しかしスピノザの哲学では,こうしたことが不可能です。なぜなら観念の発生は,その内的特徴denominatio intrinsecaに依存し,外的特徴には依拠しないからです。このことは,単に観念の対象がなくても観念はあることができるということだけでなく,スピノザがよくいうように,観念が観念の対象の写し絵ではないということ,あるいは対象を撮影した写真のようなものではないということも意味します。
 つまり真理の真理たるゆえんは,観念の外的特徴ではなく内的特徴に求められなければならないのです。いい換えれば,それが真理であるということを証明するような観念は,真の観念ではなく,十全な観念であるということになるのです。
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棋王戦&定義の正当性

2008-03-28 20:06:55 | 将棋
 年度末の大一番,棋王戦五番勝負第五局。ここまでずっと先手が勝ってきていますのでまずは振駒が注目でしたが,佐藤康光棋王が先手を得ました。
 作戦の選択は後手の権利ですが,この将棋は羽生善治二冠が追随。手順は竜王戦第五局に似た形で進み,結果的には相矢倉▲3七銀-△6四角の対抗形に。その後,先手が穴熊に。待つ手がなくなった後手が4筋から動いたのに対し,先手が端から攻撃を開始。本格的な戦いになりました。この後,▲1二歩と打ったのが第1図。
           
 控室では▲1三歩が有力視されていたようですが,▲1二歩から▲3四銀と出るのが銀損ながら鋭い攻めで,好手だったのではないかと思います。この後△1五銀引のところでは△2七銀不成の方が控室の検討の本線だったようです。引いたのはそれではダメとみたものかもしれませんが,玉を下段に落とされてみると,飛車得になっているのですが,後手が苦しいようです。
 後手はジリ貧になるのを嫌い△9七角成から一勝負。このあたりから観戦。こういう攻めは僕などには受けきるのは容易ではないので面白いところでした。途中で▲7三角。
           
 ちょっと怖い感じですが,結果的にはこの角が飛車を取り,これが後に△1九飛と打たれる手も防ぎ,さらに実戦は4六に引き付けて受けにも効きましたので,好手だったのだろうと思います。実戦は▲9七飛成となったところで後手の攻めは明らかに切れ模様,先手の勝ちが見えてきました。最後は余裕を得た先手が後手玉を受けなしに追込み,結果的に先手の快勝という将棋になりました。
 これで3勝2敗とした佐藤棋王の防衛。今期の佐藤棋王は棋聖防衛,竜王挑戦,NHK杯連覇,棋王防衛。これでどちらかといえば不調の一年と思われているのですから,どれだけ強いと思われているのかという感じです。羽生二冠としては,結果的には第二局を最終盤での錯覚で落としてしまったのが響いてしまいました。

 これで今回のテーマである第二部定義四の定義としての正当性は明らかになったといっていいのではないかと思います。すなわち,定義は定義された事物の本性と発生とを示さなければなりません。しかしこの定義のうちに,十全な観念の本性が示されているということについては,事物の本性なるものが事物の内的特徴でなければならないということから明らかであるといえます。そもそも第二部定義二からして,本性というのはそれがなければあるものが,逆にあるものがなければそれが,考えることができないような事柄についていわれるわけですから,ただこれだけのことから,事物の本性というのがその事物の外的特徴に依存するということは不条理であると結論することさえできるからです。
 問題は,十全な観念の発生の方にむしろあります。しかしこれも,十全な観念の内的特徴に依存するということが明らかになりました。つまり無限様態の特徴個物の特徴も,観念の発生はただ神の思惟の属性にのみ依存するのであって,観念の対象には依存しません。これは取りも直さず,十全な観念の発生の原因が,その十全な観念の外的特徴には少しも依存せず,ただその十全な観念の内的特徴を明らかにするだけで十分であるということを示しているからです。そこで第二部定義四にただこの観点から着目してみるならば,まさにこの定義は観念の内的特徴のみを明らかにしている定義であって,外的特徴については一切の考慮を払っていないということが分かると思います。よって第二部定義四は,十全な観念の本性と十全な観念の発生との双方を十分に示しています。つまり定義としての正当性を十分に有しているということになるのです。
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銀河戦&個物の特徴

2008-03-27 19:40:09 | 将棋
 15日に放映された銀河戦のHブロック6回戦は,ごきげん中飛車から考えられないような変化に進展しましたので,ここで紹介します。
 初手から▲2六歩△3四歩▲7六歩△5四歩▲2五歩△5四飛▲2二角成△同銀▲5八金右で第1図。
          
 これは丸山ワクチンですので,変化としては③Bの変種。解説の橋本崇載七段によると,この▲5八金右は先手の飯島栄治五段が得意とする飯島スペシャルだそうです。場合によっては居飛車穴熊に組む余地を残した駒組とのこと。
 対して後手の豊島将之四段は△5五角と天王山に打ちました。以下,▲7七角に△7四歩とこちらに角の引き場所を作り,▲7八銀△3三銀▲6八玉に△7三角と実際にこちらに引いて第2図。
          
 第2図からは駒組が続き,結局は第3図のように進展しました。
          
 以前に片上大輔五段が,丸山ワクチンから相穴熊に組み合い,互いに角を打ち合った自身の将棋について,丸山ワクチンの出だしとは思えない局面という感想をいっていました。それでもそれは,居飛車対振飛車であるということは分かりますが,第3図は相居飛車の一変化に思われ,この将棋の出だしが丸山ワクチンであったことは,さらに想像し難いかもしれません。将棋というのは無数の変化が潜んでいるのは事実ですが,まさかごきげん中飛車からこんな将棋が現れるとは思いもしませんでした。
 なお,将棋は第3図から5筋で銀交換。その後,後手にやや不用意な一手があり,うまく手を作った先手が優位に。しかし後手も決め手を与えずにうまく粘って逆転。その後,即詰みを逃したので手数が伸び,先手は入玉しましたが,逆転には至っていなかった模様で,後手の勝ちになっています。

 明日は棋王戦第五局。勝った方が棋王ですが,同時に,今年度の最優秀棋士賞にも選出されることになるのではないかと思われます。

 これで個物の観念,あるいは第二部定理九の意味により同じことですが,観念が思惟の属性の個物として現実的に存在する場合の特徴も,無限様態の特徴,すなわち,観念が思惟の属性の直接無限様態ないしは間接無限様態として必然的に存在する場合と,同様のことがいえるということが明らかになったと思います。すなわちこれは,第二部定理五が,それが無限様態であろうと個物であろうと,すべての思惟の様態にとって妥当するということです。
 観念が個物として実在する場合も,それは神の思惟の属性を最近原因とします。いい換えればそれは,別に観念の対象を考慮せずとも神の思惟の属性のうちにあることが可能です。つまり,どんな観念も,その対象については考慮せずともあることができる,つまり発生することができるということになります。よって観念が個物としてある場合の発生原因は,その観念の外的特徴にはまったく依存せず,たその観念の内的特徴にだけ依拠するということになるのです。したがって,真の観念と十全な観念というのは,もしも観念をただ形相的にみた場合には完全に同一の観念であり,ただその観念をどういった観念からみるのかという点にのみ相違があるのですが,もしもそうした観念の発生ということを知る場合には,知性はその観念を真の観念としてみる必要はなく,むしろ十全な観念という観点からみてみなければならないということになるのです。
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京浜盃&第一部定理三六

2008-03-26 21:01:16 | 地方競馬
 南関東クラシックの最大の前哨戦が,今晩の京浜盃。中央でいえば,弥生賞に相当するようなレースでしょうか。
 逃げたいタイプが揃い,先行争いはひとつの注目でしたが,ヴァイタルシーズとブライトフェースの2頭が後ろを少し引き離す展開に。ペースはもちろんハイペースで,ディラクエは悠然と後方2番手に構えました。
 3コーナーに入るあたりでペースが落ちました。ディラクエは自然と外を上がっていき,4コーナーではよい手応えで先頭に並びかける勢い。そのまま追われるとしっかり伸び,後ろに5馬身の差をつける圧勝。好位から中団でレースを進めたディアヤマトが2着。飛ばした2頭を見る形だったロイヤルマコトクンが3着。
 優勝したディラクエは10月に北海道2歳優駿で重賞を勝って以来の勝利。父はフサイチコンコルド。前走の全日本2歳優駿2着を最後に北海道から川崎に移籍。ということで南関東重賞は初制覇。騎乗した川崎の今野忠成騎手は9月の戸塚記念以来となる南関東重賞制覇。川崎の内田勝義調教師ともども,京浜盃はこれが初優勝。
 例年,このレースで支持を集めて勝った馬は,クラシックでも好走する傾向にあります。とくに今日のレースは,後方から外を回って他馬を突き放すという強いもので,力の違いをみせつけた感がありますので,順調なら,次の羽田盃も最有力候補でしょう。

 第一部定理二五系の個物による神の属性の表現を,個物が原因となってほかのものを結果として生じさせることというように理解すると,それだけでほとんど証明されたも同然と思えるような定理が『エチカ』にはあります。それが第一部定理三六です。
 「その本性からある結果が生じないようなものは一として存在しない」。
 スピノザによるこの定理の証明から考えますと,スピノザはここでは個物を念頭に置いているといっていいと思います。というのはその証明の最初に,第一部定理二五系に訴えているからです。
 ただしスピノザは,このことをすぐに第一部定理一六には訴えずに,神の本性と神の力は同一であるということを迂回し,したがって,個物が神の本性を表現するということは,個物が神の力を表現するということと同じことであるといってから,第一部定理一六に訴えます。これはスピノザが,ある事物が何らかの結果を生じさせるということは,その事物にとっての力であると考えているからだと思います。しかしいずれにしても,どんな個物もそれが原因となって,必然的に何らかの結果を生じさせるということは,こうした観点から証明できていると考えていいと思います。
 第一部定理二三により,個物から無限様態が生じるということはありませんので,個物を原因としては個物だけが生じます。したがって第一部定理二八はここから演繹的にも証明されていると思います。よって,第二部定理九における該当部分の意味も,ここから演繹的に証明されているとみていいのではないかと思います。
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グローバルタッグリーグ展望&表現との関係

2008-03-25 18:58:45 | NOAH
 全日本プロレスはNOAH旗揚げ以前も以後も,春にチャンピオンカーニバル,暮れに世界最強タッグ決定リーグというのが季節の風物詩です。NOAHにはそうした定番のシリーズがなかったのですが,今年の春はグローバルタッグリーグが行われることになりました,08と銘打っている以上,定番化させていくつもりなのだろうと思います。
          
 今年の参加はまず,現GHCタッグ王者で先日ブリスコ兄弟を相手に2度目の防衛を果した丸藤・杉浦組,現王者組に敗れて一週間天下となってしまった前王者,ブキャナン・ブラウンのRO&D,怪我で返上したその前の王者組の秋山・力皇組,秋山組に敗れて失冠した4代前の王者,森嶋・ヨネ組,第2代と第8代の王者に君臨した三沢・小川組。現王者組の初防衛戦の相手,スミス・斉藤組,そして高山・佐野組,田上・潮崎組に,健介オフィスの佐々木・中嶋組を加えた9チーム。
 リーグ戦が開催されると知ったときはそうなのかと思った程度なのですが,参加メンバーが発表されてびっくり。超豪華メンバーで,このシリーズにかける会社としての意気込みを感じました。
 上位拮抗といった感じで,優勝チームを予想するのは困難ですが,僕の本命は秋山組。それにRO&Dと現王者組が続くのではないかと思っています。

 明日は大井で京浜盃です。中心はディラクエ◎。コラボスフィーダ○,ディアヤマト▲が当面の相手で,ホウザン△とロイヤルマコトクン△まで。

 ここのところの考察に関係する補足を,今度は表現という観点からしてみようと思います。かつて考察したときと同様に,ここでは第一部定理二五系で個物が神の属性を一定の仕方で表現するといわれているとき,この表現の具体的内容を,現実的に存在するある個物が原因となって,ある結果を生じさせるというように理解します。このことは第一部定理一六から出てきます。すなわち,神の本性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で結果として生じるのであれば,その神の本性を一定の仕方で表現する現実的に存在する個物は,少なくとも一定の仕方で,一定の数のものを結果として生じることになると考えられるからです。
 このとき,ある任意の個物を抽出して考えてみれば,その個物が何らかの結果を生じさせるのは,まさにそれがその個物による,それが個物となっている神の属性の一定の仕方での表現だからです。いい換えれば,個物はそれが神のある属性の有限様態であるということだけをもってして,何らかのものを結果として生じさせるでしょう。ところで,そうして生じたものもまた,それがまた神の属性の様態であるという理由によって,やはり何らかのものを結果として生じさせ,という具合に,この関係が延々と無限に続いていくことになります。これは実は第一部定理二八においていわれていることを,原因の側から結果の側へといい換えているだけにすぎません。そして第二部定理九は,それが個物としての観念という点に注目する限りでは,この第一部定理二八に依拠するわけですから,このことによって,第二部定理九の正当性が部分的にであれ,証明されていることになっていると思います。
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改題

2008-03-24 19:19:21 | Weblog
 今日からこのブログのタイトルと,その説明文を改めました。これについていくつか説明しておきます。この関係で,今日は観念論の考察の方はお休みです。
 このブログは開設から3年目に突入したあたりです。今まではスピノザの『エチカ』について考えるブログというタイトルで,タイトル通りに,スピノザの『エチカ』について,論理的になるべく分かりやすく考えてみるブログです,という説明文が付されていました。
 左下にもブックマークしてあるスタイルをお読みいただければお分かりになると思いますが,現在,このブログは上下の二本立てになっています。しかしこれは僕がブログを始めた当時の意図というか予測とはまったく違っています。僕は上段の記事に関しては,こんなに力を入れることになるとは思ってもいませんでした。
 しかし,いざブログを始めてみますと,トラックバックやコメントの関係で,上段の記事に関してそれを楽しみにしている方が意外と多いということに気付かされました。そこで上段の記事にも下段の記事と同等の力を入れるようにした結果,現在のような形となったわけです。
 そう考えますと,今までのブログタイトルというのは偏っていたといわざるを得ません。題名だけでこのブログにアクセスしてきた方は,当然ながらスピノザの哲学に興味があると思われ,しかしそうした方々は,このブログのこうしたスタイルに,哲学に対して不真面目であるという類の不満を抱かれるという面があったかもしれません。またそれだけでなく,スピノザの哲学には興味はないけれども,上段の記事は読むという方に対しても,不誠実で失礼であったかもしれません。どちらの点に関しても,そのことで不満を抱かれるのは僕の本意ではありません。これが今回の改題の最大の理由です。
 一方,説明文についてです。僕がそこで論理的に分かりやすく,といったのは理由がないことではありません。僕自身は,最も分かりやすいことは論理的な事柄であると考えているからです。たとえば,数学は純粋な論理学であるといえますが,数学ほど分かりやすい学問はないだろうと,僕は本気で考えているのです。また,哲学についても,スピノザは数学の公理系を模して『エチカ』の体系を形作ったといえますが,もしもすべての哲学がこのように書かれていれば,それはもっと分かりやすかったと僕は思っているのです。
 しかし一般的には,『エチカ』はこのような体系であるから理解が困難であるという考え方も多いようです。また数学についていえば,それは論理的であるがゆえに分かりやすいのですが,では僕が数学が得意であるかといえばそんなことはありません。高校時代には1度だけ赤点を取ったことがありますが,それは数学Ⅰでした。
 先日もコメントを頂きましたが,これは以前にも似たようなことがありました。スピノザの哲学についていっても,僕は十分に理解できているわけではありませんから,いかに論理的なことが最も分かりやすいからといって,論理というものは無条件で把握できるというわけではなく,このことについて分かりやすくということばを用いたことが,評判が悪いというのも頷ける話です。こういった点に考慮しまして,説明文の方も,新タイトルにそぐうような内容に改めた次第です。
 改題しましたが,これは現時点でやっていることの内容に,そのタイトルおよび説明を改めたということです。したがいまして,やっていくことに関しては,当分の間は変わらないと思います。これからもよろしくお願い致します。
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日本選手権競輪&神としての個物

2008-03-23 19:26:59 | 競輪
 日本選手権競輪決勝。優勝賞金は副賞を含めると6600万円です。
 前受けは山崎選手。4番手に小嶋選手が入り,8番手から平原選手で周回。平原選手から上昇し,残り2周のバックで先頭に出ましたが,ここでスピードを落としたので,誘導との車間がかなり離れました。打鐘で切り替えていた小嶋選手が平原選手を叩いて中部が前に。ここを山崎選手が巻き返しに出て,発進した小嶋選手と先行争いの形になりましたが,山崎選手がかましきってこのラインでの先行。平原選手も早めに捲って出たので小嶋選手は内に詰まって中部は共倒れ。平原選手の捲りも番手で一杯となり,山崎選手ラインでの争いに。番手から出た渡辺選手が優勝。中を割った合志選手が2着で,逃げた山崎選手が3着でした。
 優勝した静岡の渡辺晴智選手は前回の名古屋記念から連続優勝。ビッグは2001年のふるさとダービー函館を伏見選手と同着で制して以来の3勝目になりますが,GⅠは初優勝。自身が好調なのも確かですが,レースも絶好の展開になりましたし,ここ最近は流れも味方につけているという感じがします。
 小嶋選手をかまして平原選手の捲りも封じ,ラインでの上位独占をもたらしましたので,山崎選手がかなり強いレースをしたとはいえると思います。

 無限と有限との関係で考えた場合には,個物は神であるという命題が何らかの意味で真の命題でなければなりません。そしてこれをスピノザの哲学において真の命題であると規定するのが,第一部定理二五系の意味であるといえます。現実的に存在するある個物は,その個物に変状した限りでの神であるということは,確かに個物は神であるという命題が真の命題であるということを,少なくとも一定の意味で満たしていると考えられるからです。
 同時にこのことは,たとえば第一部定理二八で,現実的に存在するある個物の原因は,その個物とは別の個物であるといわれていることと,第一部定理一五の意味において,神は個物の遠隔原因ではなく最近原因であるということが含まれているということとの間に,やはり少なくとも一定の整合性を満たしているといえると思います。現実的に存在するある個物の原因となる別の個物は,確かに個物ではあるのですが,同時にそれは,その個物に変状した限りでの神のある属性にほかならないからです。そして第二部定理九は,この第一部定理二八と第二部定理五を組み合わせて生じてくる定理なのですから,やはり第一部定理一五の意味との間で,しっかりと整合性は保たれていると考えることができます。
 よって第二部定理五は,このように考える限り,単に思惟の属性の無限様態の場合にのみ妥当するのではなく,有限様態すなわち個物の場合にも,同様に妥当する定理であると結論してよいだろうと思います。

 明日はちょっとしたお知らせがありますので,この考察は1日だけお休みします。ご了承ください。
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桜花賞&無限と有限との関係

2008-03-22 19:41:27 | 地方競馬
 19日に浦和で行われた桜花賞の回顧です。しかしいくらなんでも3月19日に桜花賞というのはちょっと早すぎるのではないかという気がします。
 先手を奪ったのはブルーザミント。これをフィリアレギスが追って,ハタノギャランが内,トミノプラネットが外を追走。前半の800メートルは51秒9。ペースだけでいえばミドルペースですが,良馬場とはいえ雨の中でのレースであった点を考慮すれば,前の組にかなり有利であったと思います。
 3コーナー手前辺りからペースが上がると,後方のマダムルコントはまったくついていけずに脱落。直線は逃げたブルーザミントの外に出したフィリアレギスが抜け出して快勝。2着争いはブルーザミント,フィリアレギスの外から追ってきたインカローズ,最内をついたハタノギャランの争いになりましたが,インカローズが捕えて2着,逃げ粘ったブルーザミントが3着でした。
 優勝したフィリアレギスはこれで4戦3勝。南関東重賞は初制覇。いくらか恵まれた部分はありますが,キャリアを考えれば立派で,もう少し成長も見込めるものと思います。大井の戸崎圭太騎手は先々週のダイオライト記念も制していますが,管理する川崎の池田孝調教師ともども,桜花賞は初優勝です。

 明日は日本選手権競輪の決勝です。並びは山崎-渡辺の東日本に合志,平原-藤原の関東,小嶋-山田-山口-浜口の中部。僕は中部だと思います。

 かつて無限と有限というのをテーマに設定して考察したことがありました。スピノザは限定ということを否定と考えますので,限定と否定の関係を文法論的に考えました。そしてその場合,無限であるものは有限ではないという命題は真の命題でなければなりませんが,これが真の命題であるためには,有限であるものは無限ではないという命題は何らかの意味で偽の命題でなければならない,逆にいえば,有限であるものは無限であるという命題が何らかの意味で真の命題でなければならないことを示しました。実はこの無限であるものと有限であるものとの関係が,スピノザの哲学が汎神論とみなされることと,ある一定の関係を有していると僕は考えています。なぜなら,神は絶対に無限な実体であり,個物というのは有限である様態のことだからです。
 これを上の命題文に当てはめて考えてみましょう。神は個物ではないという命題は絶対に真の命題でなければなりません。これを否定することは,神は個物であるという命題が真の命題であると主張すること,すなわち神を個物と主張することですから,それ自体で明らかです。しかしこれが真の命題であるためには,個物は神であるという命題が,何らかの意味で真の命題でなければならないのです。もしもそれがあらゆる意味で偽の命題であるならば,神と個物の関係は互いが互いを否定し合うような関係である,いい換えれば互いが互いを限定し合うような関係であるということになり,個物によって否定ないし限定される神は,無限であるということにはならなくなってしまうからです。
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ゴールデンレーサー賞&汎神論

2008-03-21 18:56:51 | 競輪
 日本選手権競輪初日と2日目の特別選抜予選計3レースで3着以内に入り,失格しない限り準決勝への進出を確定させた9選手によって争われた今日のゴールデンレーサー賞
 伏見選手と渡辺選手がSを取りにいき,伏見選手が制して佐藤友和選手の前受け。平原選手が5番手で,小嶋選手が7番手で周回。残り3周のバックから小嶋選手が上昇開始,平原選手がこのラインに切り替えると,バックで小嶋選手が前に出たところを抑えて打鐘。小嶋選手がインを掬おうとしましたが,渡辺選手に閉められ,バックを踏んでしまいました。結局,ホームから平原選手の先行。小嶋選手は踏み遅れて佐藤友和選手が3番手に入り,捲り発進。渡辺選手も番手から牽制しましたが,北日本が捲りきって直線勝負。番手から山崎選手が抜け出して1着,2着は接戦でしたが3番手から伸びた伏見選手が逃げた佐藤友和選手を捕えました。
 レースのポイントは小嶋選手がインでバックを踏んだところ。3番手に入っていましたので,そのままそこにいて,佐藤友和選手と平原選手の先行争いを誘えば,まったく別のレース展開になっていたでしょう。佐藤友和選手が完全に捲りきりましたので,山崎選手にとってはわりと楽なレースになったのではないかと思います。

 僕は必ずしもそうは考えていないのですが,スピノザの哲学というのは汎神論であるといわれることがあります。汎神論というのは一般には,万物には神が宿っていると考えることや,世界の全体が神であると考えることについていわれるわけですが,スピノザの哲学がそのようにみなされるのは,やはり第一部定理二五系の意味にその最大の根拠があるのではないかと思います。
 個物を一定の仕方で変状した限りでの神,あるいは神の属性と考えることは,確かに万物に神が宿っているという考え方に近似したものがあります。スピノザがいっていることを具体的に考えてみるならば,たとえば僕は,僕に変状した限りでの神ということであり,僕が打ち込んでいるキーボードはこのキーボードに変状した限りでの神であり,という具合に,現実的に存在する個物について,それらはすべて一定の仕方で変状した限りでの神であるということになるからです。
 そしてこのように考えるならば,個物の原因がほかの個物であるというとき,そのほかの個物というのはその個物に変状した限りでの神ということになりますから,神は個物の遠隔原因ではなく最近原因であるという,第一部定理一五の意味も出てきます。そして第二部定理九でいわれていることも,このように考えるべきであろうと思います。
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名古屋大賞典&整合性

2008-03-20 19:14:13 | 地方競馬
 春分の日の祝日に行われた第38回名古屋大賞典(動画)。
 先手を奪ったのはキングスゾーン。以下,レオカーディナル,クインオブクイン,ムーンバレイと,地元の東海勢が先行集団を占めました。
 レースは2周目の向正面から動き,後方2番手の外に控えていたメイショウトウコンが上がっていくと,兵庫のアルドラゴンが合わせて上昇。キングスゾーンとレオカーディナル,ムーンバレイは抵抗できず,4コーナーを回ってクインオブクインが先頭,その外にアルドラゴン,さらに外にメイショウトウコン。クインオブクインは脱落し,2頭の叩き合いとなりましたが,メイショウトウコンが競り勝って優勝。2着にアルドラゴン。馬群の只中から直線は大外に持ち出したサカラートも最後はよく詰め寄りましたが,3着まで。
 優勝したメイショウトウコンは9月のエルムステークス以来の勝利で重賞4勝目。母系はナイトライトの一族。武幸四郎騎手はこのレース初制覇ですが,管理する安田伊佐夫調教師は,1998年のメイショウモトナリ以来の2度目の名古屋大賞典制覇。ここでは力が違いますので優勝は当然ですが,能力のわりには相手に食い下がられた感はあります。弱点はレースで先行できない点で,今日くらいのメンバーであれば差し切れますが,これ以上の相手となった場合に,追い込んで届かないというケースも目立ちます。重賞勝ちはまだ積み重ねられると思いますが,大レースで勝つまでは少し厳しいかもしれません。

 明日は日本選手権競輪4日目恒例のゴールデンレーサー賞があります。並びは佐藤友和-山崎-伏見-佐藤慎太郎の北日本,平原-渡辺の関東,小嶋-山田-浜口の中部。ここは山崎選手にするか小嶋選手にするか。

 第一部定理二五系の意味から第二部定理九の意味を考えるならば,観念が思惟の属性の個物として実在する場合,その観念の発生の原因は,その観念とは別の思惟の属性の個物としての観念であるということになります。しかし第一部定理一五の意味のうちには,神は万物にとって遠隔原因ではなく最近原因であるということが含まれています。観念というのも当然ながら万物の一部であるわけですから,この場合には,思惟の属性の個物として観念がある場合,その原因は神であるということでなければなりません。この部分には何か整合性の欠如があるように感じられます。
 実際,第二部定理九とか,第一部定理二八のうちには,少なくとも神が遠隔原因ではないということは含まれているといえます。これらどちらの定理も「無限に進む」ということばで閉じられていますが,ここの部分に含まれている意味というのは,確かに個物の原因は別の個物であり,その個物の原因はそれとはまた別の個物であり,その原因もまたそれとは別の個物である,という関係が無限に続いていくということではありますが,逆にいえばこれは,ある任意の個物をひとつ抽出して,その個物の原因,原因の原因,そのまた原因というように辿っていったとしても,それはただ無限に連鎖していくだけで,どこかで第一原因としての神に辿り着くわけではないという,ある消極的な意味が含まれているからです。
 したがって,これらふたつの定理が,神を遠隔原因と規定することを否定するのは確かなわけですから,問題は,これらの定理のうちに,とくに現在の考察においては第二部定理九のうちに,いかなる意味で神が最近原因であるということが含まれているのかということを考えていくことであるといえると思います。
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棋王戦&第一部定理一五の意味

2008-03-19 20:07:15 | 将棋
 棋王戦五番勝負第四局。羽生善治二冠の作戦はごきげん中飛車。佐藤康光棋王は③Bが多いのですが,今日は日曜のNHK杯決勝と同様に①の変化へ。NHK杯は①Bに進んだのですが,ここは①Aの△5五歩になりました。羽生二冠もNHK杯は当然見ていた筈で,佐藤二冠の対策を見てみようということだったと思います。NHK杯の鈴木大介八段は③Bを予想したら①にされたので,何か対策があると思って①Bに進めたと感想戦で言っていました。そういう意味では第三局もそうでしたが,佐藤棋王と羽生二冠は息が合うところがあると感じます。
 先手の作戦は抑え込みで第1図のように進展。この局面は先手の駒ばかりが前に出ていて,作戦勝ちを感じさせます。
          
 この後,銀を繰り替えて▲9五歩と端から開戦。端は美濃囲いの最大の弱点で,無条件でここから仕掛けられたのですから,やはり先手の優位は動かし難い感じです。
 観戦は第2図の辺りから。先手の陣形にはたまげました。
          
 しかもここから,さらに飛車まで7筋に回ってきました。
 最後,後手も面白いかという感じには一瞬なりましたが,先手が堂々と押し切っています。後手としては△7三銀のところで代わる手があればといったところですが,どうも難しそうです。また,▲7三飛成に△9一玉なら詰みませんでしたが,飛車を取らなければ後手玉に迫れませんので,これも致し方のないところでしょう。いずれにしてもここでは先手がはっきり勝っています。やはり仕掛け前の後手の構想に最大の問題があったのではないかと思います。
 ということで2勝2敗に。棋王戦は昨年もすべて先手が勝っていますので,第五局はまず振駒がひとつのポイントになりそうです。28日に指されます。

 明日は名古屋大賞典です。ここはメイショウトウコン◎とサカラート○の争い。ほかではキングスゾーン△,キクノアロー△,アルドラゴン△。

 第一部定理二五系の意味と共に,ここでもうひとつ注意しておきたいのは,第一部定理一五について,これをどのように解釈するのかということです。この定理は神がなければどんなものもあることも考えることもできないということで,万物が,個物を含めて万物が神を原因として生じるということを意味するのですが,このとき,たとえばある個物Xを念頭に置いたとき,この個物Xの原因が神であるということを,どのように理解するべきなのかという点が,現在の考察の上ではやはり重要だろうと思うのです。
 一般に哲学には,原因の分類というのにいろいろとあるのですが,その中に,最近原因と遠隔原因という区別があります。いま,原因をA,結果をBということにすると,AとBとの間に何らの媒介がない場合にはAをBの最近原因といい,AとBとの間にたとえばCのような媒介がある場合,AはBの遠隔原因といわれることになります。
 このふたつの原因の観点から第一部定理一五に込めたピノザの意図を示すなら,神は万物にとって最近原因であって,遠隔原因ではないということになります。このことは第一部定理二八の備考において,スピノザ自身が,神が個物の遠隔原因であるということについて,もしも無限様態と個物とを区別するためにそのようにいうのであれば,そこには一定の意味があるけれども,本来的な意味において神を個物の遠隔原因であるということは適当ではないという主旨のことをいっていますから,間違いないところだろうと思います。

 昨日はページの閲覧数が尋常ではない数でした。多くのページを読んでいただいた方がいらっしゃったようで,感謝します。
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4年ぶりの対戦&第一部定理二五系の意味

2008-03-18 18:58:59 | NOAH
 腎臓癌から復帰した小橋建太選手は,その後,さすがにシリーズを通しての参戦というわけにはいきませんが,思っていた以上の割合で,スポット参戦していまして,2日の日本武道館大会でも試合をしました。本田選手,KENTA選手と組み,高山選手,佐野選手,青木選手との対戦。復帰戦で組んだ高山選手とは,実に4年ぶりの対戦。ただ,高山選手が脳梗塞で倒れて復帰,その復帰の時期に小橋選手は腎臓癌が発見されたわけですので,むしろよく4年で対戦することが可能になったともいえると思います。
 高山選手がゴングが鳴る前から小橋選手にキックを放っていくなど,この試合の見所はもちろんその大型日本人選手同士の絡み。それもあってか6人タッグ戦としてみるならば少々ギクシャクとした試合になりました。注目のふたりの絡みですが,リング中央でエベレストジャーマンを完璧に決めるなど,この日は高山選手の方が優位であったというのが僕の印象です。
 試合の方ですが,KENTA選手が落ち着いて相手チームの同士討ちを誘い,最後は青木選手にgo2sleepを決め,小橋選手のチームの方が勝っています。
 またこのふたりはどこかで戦う機会があるでしょう。高山選手自身,この日の試合には満足感があったようです。

 明日は棋王戦五番勝負の第四局。できればいきなり三間飛車を見てみたいですが,相矢倉の可能性もあるような気がします。

 浦和では桜花賞。ここはマダムルコント◎を中心に,インカローズ○,ブライズメイト▲,ブルーザミント△の4頭で。

 第二部定理九でもうひとつ問題となるのは,「神が現実に存在する他の個物の観念に変状した」ということの意味をどのように理解するべきかという点にあると思います。そしてこれは,個物について説明されている第一部定理二五系の意味をどのように把握するのかということと関係していると僕は考えています。
 第一部定理二五系では,個物が神の属性の変状であること,あるいは神の属性の本性を一定の仕方で表現する様態であるということがいわれています。このとき,これを個物の側から考えるならば,個物は,ある属性が一定の仕方で変状した限りでの神である,あるいは,それが一定の仕方で変状した限りでの神のある属性であるということになると思うのです。つまりたとえば個物Xというものがあるなら,Xというのは,神あるいは神のある属性が,一定の仕方でXに変状したものであるということです。そしてこのように考えれば,現実的に存在する個物の観念に変状した限りでの神というのは,現実的に存在する個物の観念であるということになるでしょう。よってこの観点から第二部定理九の意味を考えるならば,個物Aの観念の原因は個物Bの観念であり,個物Bの観念は個物Cの観念であり,こういう具合に無限に連鎖していくということになると思います。なおここでは,個物の観念を個物である観念と考えていますので,これに応じていうなら,観念Aが個物であるならその原因はやはり個物である観念Bであり,この観念Bの原因もやはり個物である観念Cであり,このような関係が無限に連鎖していくということになります。
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ブリスコ兄弟&第二部定理九の意味

2008-03-17 19:13:03 | NOAH
 プロレスの世界でブリスコ兄弟といえば,かつてはジャックとジェリーでしたが,今はジェイとマーク。その新ブリスコ兄弟は,森嶋選手が新王者になったNOAHの日本武道館大会で,GHCタッグに挑戦しました。王者組は初防衛戦の後,杉浦選手に目の負傷があり欠場していたのですが,無事に癒え,復帰。しかしどうもGHCタッグ王者になると負傷や病気で欠場というケースが多いように感じられます。
 ブリスコ兄弟は去年の正月がNOAH初参戦。そこでGHCジュニアタッグに挑戦するといきなりタイトルを獲得。すぐに失冠しましたがこれは快挙。王者組は両者ともに元GHCジュニアヘビーの王者ですので,ジュニア選手によるタッグ選手権。もっともジュニア同士のGHCヘビー級選手権があったくらいで,NOAHの場合はヘビー級は無差別級という意味であり,ジュニアの選手とヘビーの選手が戦うのも日常茶飯事です。
 試合はかなり白熱しまして最後までどちらが勝つか分からなかったのですが,最後はブリスコ兄弟の連携を丸藤選手が空中で切り返して不知火を決めるという,おおよそ考えられないような技を出しまして王者組の防衛。ブリスコ兄弟としては明らかに勝機があっただけに惜しまれる内容でした。

 明日からは静岡で日本選手権競輪が開催されます。グランプリを除けばこれが競輪の最高峰のレースということになります。

 第二部定理九は証明は省略しますが,意味を把握する上で注意しなければならないことがありますので,その点を述べておきます。
 まずこの定理は,個物の観念というのを対象としている定理です。これを字義通りに把握しますと,観念というのは必ず何かの観念,たとえばXの観念として実在するわけですが,このときに,このXなるもの,すなわち観念の対象が個物である場合の観念を対象としているということになります。ところが,現在の考察の上で必要なことは,そのような,観念されたものが個物であるような観念ではなくて,その観念自体が個物,この場合は当然のことながら思惟属性の個物となるわけですが,思惟属性の個物としての観念なのです。そこで今は,この定理はその対象が個物であるような観念についての直接的な言及ですが,これを,思惟属性の個物としての観念というように理解することにします。
 この置き換えは,僕の考えではまったく問題ありません。というのは,第二部定理七によれば,Xの観念がもしも十全な観念でありさえすれば,Xの秩序とXの観念の秩序は一致します。したがって,Xがある属性の個物であるならば,Xの観念は思惟の属性の個物であるとみなしてよいということになると思うからです。そして現在は,十全な観念について考えているわけですから,Xの観念が混乱した観念の場合は排除されても,あるいは対象として考えられなくても問題ありません。よってここではこの定理を,思惟属性の個物としての観念についての言及であるとみなすことにします。
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