日本時間29日深夜から30日未明にかけて行われたドバイでの国際招待レース。日本馬の出走した3レースをレース順に回顧します。
まずUAEダービー。イイデケンシンは逃げたい馬ですので外枠は不利でした。それでも押して出て何とか先頭へ。しかしコーナーの中間で内からMassive Dramaに来られると抵抗できずに後退する一方。勝ち馬から13馬身ほど離された8着でした。
ただしこの馬の場合,たとえ相手が引っ張っていたとはいえ,先手を取りきったということだけで誉めてあげていいのではないかと思います。最終的には先行争いを演じたMassive Dramaにも先着しました。
続いてドバイデューティフリー。距離とコースの性質もあったでしょうが,ウオッカはいつも日本でレースをしているときよりはかなり前の位置取り。アドマイヤオーラは内に入って位置取りを下げていくという苦しい競馬。直線は逃げたJay Pegが馬場の外の方に出てきて,ウオッカはその外へ。いい手応えに見えましたが伸びを欠いて4着。アドマイヤオーラは最後は巻き返してきましたが9着まで。
結果的にJay Pegが逃げ切る競馬で,アドマイヤオーラは展開的にも不利でレースになりませんでした。ウオッカは終始外を回っていたのが少し響いたかもしれません。
そしてメーンのドバイワールドカップ。ヴァーミリアンは押してついていくのが精一杯。700メートル過ぎあたりからは離されるだけで最下位に沈みました。
前日,ヴァーミリアン以外の日本馬3頭はスクーリングをしたのですが,ヴァーミリアンはしなかったとのこと。2度目だからということもあったかもしれませんが,状態面に不安があってできなかったのかもしれません。8馬身近くの差をつけて勝ったCurlinはここでは別格に強い馬で,万全でもこれには敵わなかっただろうと思いますが,明らかに能力を十分に出したとはいえず,この点は残念でした。
それから日本馬の参加しなかったドバイシーマクラシックは南アフリカのSun Classiqueが勝ちましたが,この馬はオーストラリア産のフジキセキ産駒になります。
今回のテーマは第二部定義四でした。しかしこの第二部定義四は,第一部公理六に示されている真の観念に依拠して示されていますので,先に第一部公理六について考えてみました。そして第一部公理六で示されている観念と観念されたものとの一致について,これには本性の一致と秩序と連結の一致というふたつの観点があると考え,観念自体の内部にあるものとしてみられる限りでの本性と秩序と連結を,観念の内的特徴であると位置付けました。対して観念の外的特徴とは,観念と観念されたものとのそれらの一致,すなわち,観念と観念されたものがそれぞれに有しているような内的特徴の一致を示します。これによって観念のふたつの特徴,すなわち,知性がある観念を考察する際の,ふたつの観点というのが浮かび上がってくるということになります。
ところで,このことから十全な観念の本性というのは,十全な観念の内的特徴であるということになります。そこで第二部定義四は,ある観念の内的特徴について定義していますので,少なくともこれが十全な観念の本性を示しているという意味で,定義として正当性を有しているということが分かります。逆に真の観念を真の観念としてみようとすれば,それはある観念を外的特徴からみようとすることですから,真の観念の本性というのは発見できません。よって,十全な観念が定義可能であるのに対し,真の観念は定義不可能であるということも,少なくとも事物の定義が事物の本性を示さなければならないとされているスピノザの哲学の中では,妥当であるということも明らかになります。
まずUAEダービー。イイデケンシンは逃げたい馬ですので外枠は不利でした。それでも押して出て何とか先頭へ。しかしコーナーの中間で内からMassive Dramaに来られると抵抗できずに後退する一方。勝ち馬から13馬身ほど離された8着でした。
ただしこの馬の場合,たとえ相手が引っ張っていたとはいえ,先手を取りきったということだけで誉めてあげていいのではないかと思います。最終的には先行争いを演じたMassive Dramaにも先着しました。
続いてドバイデューティフリー。距離とコースの性質もあったでしょうが,ウオッカはいつも日本でレースをしているときよりはかなり前の位置取り。アドマイヤオーラは内に入って位置取りを下げていくという苦しい競馬。直線は逃げたJay Pegが馬場の外の方に出てきて,ウオッカはその外へ。いい手応えに見えましたが伸びを欠いて4着。アドマイヤオーラは最後は巻き返してきましたが9着まで。
結果的にJay Pegが逃げ切る競馬で,アドマイヤオーラは展開的にも不利でレースになりませんでした。ウオッカは終始外を回っていたのが少し響いたかもしれません。
そしてメーンのドバイワールドカップ。ヴァーミリアンは押してついていくのが精一杯。700メートル過ぎあたりからは離されるだけで最下位に沈みました。
前日,ヴァーミリアン以外の日本馬3頭はスクーリングをしたのですが,ヴァーミリアンはしなかったとのこと。2度目だからということもあったかもしれませんが,状態面に不安があってできなかったのかもしれません。8馬身近くの差をつけて勝ったCurlinはここでは別格に強い馬で,万全でもこれには敵わなかっただろうと思いますが,明らかに能力を十分に出したとはいえず,この点は残念でした。
それから日本馬の参加しなかったドバイシーマクラシックは南アフリカのSun Classiqueが勝ちましたが,この馬はオーストラリア産のフジキセキ産駒になります。
今回のテーマは第二部定義四でした。しかしこの第二部定義四は,第一部公理六に示されている真の観念に依拠して示されていますので,先に第一部公理六について考えてみました。そして第一部公理六で示されている観念と観念されたものとの一致について,これには本性の一致と秩序と連結の一致というふたつの観点があると考え,観念自体の内部にあるものとしてみられる限りでの本性と秩序と連結を,観念の内的特徴であると位置付けました。対して観念の外的特徴とは,観念と観念されたものとのそれらの一致,すなわち,観念と観念されたものがそれぞれに有しているような内的特徴の一致を示します。これによって観念のふたつの特徴,すなわち,知性がある観念を考察する際の,ふたつの観点というのが浮かび上がってくるということになります。
ところで,このことから十全な観念の本性というのは,十全な観念の内的特徴であるということになります。そこで第二部定義四は,ある観念の内的特徴について定義していますので,少なくともこれが十全な観念の本性を示しているという意味で,定義として正当性を有しているということが分かります。逆に真の観念を真の観念としてみようとすれば,それはある観念を外的特徴からみようとすることですから,真の観念の本性というのは発見できません。よって,十全な観念が定義可能であるのに対し,真の観念は定義不可能であるということも,少なくとも事物の定義が事物の本性を示さなければならないとされているスピノザの哲学の中では,妥当であるということも明らかになります。