スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ユニバーサル杯女流名人位戦&K伯母の一周忌

2013-02-28 18:50:30 | 将棋
 2勝2敗での決戦となった昨日の第39期女流名人位戦五番勝負第五局。
 先手が勝ち続けていましたので振駒は注目。先手を得たのは里見香奈女流名人。上田初美女王の四間飛車穴熊に銀冠で対抗する持久戦。長い序盤,短めの中盤,長い終盤という将棋でした。
 昨日は午前の早い段階でアクセスしただけで,次に見たときには終局していました。なので並べただけですが,終盤初期の段階の攻め合いは,先手が勝ちそうに思えました。実際にその通りであったようですが,後手の攻めに対して受けの小ミスを重ね,局面は後手の勝ちになったようです。
                         
 実戦はここで△9五桂と打ち,▲9六王に△2九飛成と取りました。これが手順前後で,▲8五金と受けた局面は先手の勝ちになっているそうです。以下,△8七銀▲同銀△同桂成のとき,▲6三角が詰めろ逃れの詰めろで,確かにここからは後手が勝つ順はないようです。
                         
 それなら第1図で先に△2九飛成とすればどうかというのを検討しました。対して▲6三角と打つと△9五桂▲9六王△8四桂▲8五王と進みます。そこで△7四銀と打って後手が勝つのかどうか,僕の力では結論を出せませんでした。しかし△7四銀ではなく△5三金と打って後手の勝ちだったようです。ただ,△2九飛成には▲9六歩と受ける手もあり,それでどうなるのかは僕には分かりません。
 王手を決めてから詰めろを掛けるか,王手は決めずに詰めろを掛けるかという二者択一は,将棋ではよくあります。そしてその一方が勝ちで他方は負けというケースも生じます。秒読みとはいえ,読み切れずに誤ったのは実力以外の何物でもありません。ただ第1図は部分的にいっても,先手玉が8七にいる時点で飛車を成った方が少し得に感じられるので,上田女王にとってはかえすがえすも残念な判断ミスであったようには感じます。
 大熱戦を制した里見名人が3勝2敗で防衛。第36期に挑戦して奪取37期,38期と防衛を重ね,これで四連覇です。

 9月28日の金曜日はが磯子中央病院へ。これは脳外科や内科ではなく,健康診断です。予約時間は10時半。金曜日は新たなる支援の家までの迎えが継続されています。ですから作業所まで送っていくという必要はありませんでした。ただ,迎えに来る時間というのが,この支援が始まった頃から比べますとだいぶ遅くなってきています。午前10時を過ぎてしまうということもざら。妹からしてみればゆっくりしていられるわけで,悪いことばかりではありませんが,この日もその時刻になれば母は間に合いません。ということで僕が家で待機して,妹を送り出しました。もちろん,早めに来てくれるように頼めばそれは可能でしたが,僕はこの日の午前中は,仕事があるにはあったのですが,遅くなっても大丈夫でしたので,作業所の方にそうした依頼をしなかったまでです。母は11時半過ぎにはすべての検査を終えて帰宅しました。結果は後日に郵送してもらう手筈になっていました。
 翌9月29日の土曜は,K伯母の一周忌の法要でした。これは13時半から。事前の予定では住職が読経するということになっていたようなのですが,どうも急に別の法要,おそらく葬式でしょうが,それが入ったため,住職はそちらへ。実際に読経をしたのは僕たちは見たことがない僧侶でした。本門仏立宗の別の寺から,急遽,派遣された僧侶であったようです。
 K伯母の遺骨は墓ではなく,このお寺の霊堂に納骨してあります。つまり墓へ向う必要はありません。霊堂を開けてもらい,そちらに線香などを手向ければ法要は終了。僕たちの親戚の法要の恒例で,この後はいつもの和食レストランで精進落とし。すべてを終えて帰宅したのは午後4時半頃でした。なお,K伯母の法要に関してはの長兄で,K伯母からみれば弟にあたるY伯父が喪主的立場として執り行いますので,母や僕がこの法事の手配に動くことはありません。
 その翌日,9月30日の日曜日は妹のピアノレッスン。この日は午後1時からでした。これはもちろん事前に決定されているもの。この日の夜は横浜は台風が接近しましたので,たまたまですが早い時間になったのは幸運でした。
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農林水産大臣賞典エンプレス杯&彼岸の墓参

2013-02-27 19:08:57 | 地方競馬
 昨年は降雪のために中止となりましたから,2年ぶりとなる第59回エンプレス杯
                         
 好発からエミーズパラダイスがハナに。追ったのはラヴァリーズーム。プレシャスジェムズとママキジャ,トウカイレジーナとダートムーアが続き,1周目の向正面では後方3番手だったミラクルレジェンドは,正面に入ってから少し追い上げてその後ろに。ハナを奪うまでは脚を使ったエミーズパラダイスですが,ここではペースを落としました。
 2周目の向正面に入るとミラクルレジェンドが外を進出。これより前にいた馬で対応したのはプレシャスジェムズだけ。エミーズパラダイス,プレシャスジェムズ,ミラクルレジェンドの3頭が雁行状態で直線に入り,後ろとは差が開きました。3頭の叩き合いからプレシャスジェムズが脱落。逃げたエミーズパラダイスはよく粘ったものの,外を伸びたミラクルレジェンドが1馬身半交わして優勝。エミーズパラダイスが2着。最内を通ったダートムーアがプレシャスジェムズを捕まえ,5馬身差で3着。
 優勝したミラクルレジェンドは昨年11月のJBCレディスクラシック以来の勝利で重賞8勝目。ここは力量が2枚も3枚も上。強いて不安点を上げれば距離でしたが,能力の違いもあり,問題ありませんでした。最近はなかなか結果が出せませんが,牡馬が相手でも重賞勝利が可能な馬だと思います。父はフジキセキ。半弟に昨年の東京大賞典を勝ったローマンレジェンド
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は第54回以来のエンプレス杯2勝目。管理している藤原英昭調教師はエンプレス杯初勝利。

 9月23日の日曜日。彼岸に入ったということもあり,が午前中にお寺へ。お参りに行ったというよりは,塔婆を受け取りに行ったという方が正確でしょう。昼過ぎに叔父が妹を連れ,自動車で迎えに行き,そのまま大和市内にある祖母の墓参りに行きました。場合によっては帰りに日野公園墓地に寄り,の墓参りも済ませるというプランを立てていたのですが,この日は雨が降っていまして,そんなに敷地が広くない祖母の墓はそうでもありませんが,広大な日野公園墓地となるとこれは大変ということで,そちらには寄らずに,午後3時頃には帰ってきました。受け取った塔婆は父のものですから,そのまま持ち帰ったということになります。そもそも彼岸の最中の週末は,日野公園墓地の敷地の中には午後5時を過ぎるまで,自動車の進入が禁止されています。つまり墓の近くまでは車では行かれないのですから,賢明な判断であったといっていいのではないでしょうか。
 ということで父の墓参りは25日に僕と母のふたりで行ってきました。火曜日ですから,妹を作業所まで送っていく必要があり,母がそれを済ませて帰宅した後,タクシーを使いました。この日は車両の通行規制はありませんでしたから,敷地の中まで入ってもらい,墓の近くで下車。それでも階段をいくらか上らなければならない位置に我が家の墓はありますが,入口から歩くことに比べればだいぶ楽です。帰りはその入口まで向う途中に,おそらく客を降ろしたのであろうタクシーが来ましたので,それに乗車。家を出たのが11時半前で,もう昼時でしたから,そのまま直で家には戻らず,ファミリーレストランで昼食を摂ってから戻りました。妹を送った後ですとこのくらいの時間になるということは事前に想定していました。よって僕はインスリンを携帯していたわけです。
                         
 このファミリーレストランは,日野公園墓地から自宅へ向う途中,京浜急行の屏風浦駅の近く。この駅前から僕の家のすぐ近くまではバスが走っていますので,そこからはタクシーは使わず,バスで帰りました。家に着いたのは午後1時半前。僕はその後,このブログでいうところの本牧で仕事を済ませました。
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玉藻杯争覇戦&ブリッジの隙間

2013-02-26 18:44:23 | 競輪
 2日目にはガールズコレクションも実施された高松記念の決勝。並びは神山-山下ー兵藤の関東,深谷に勝瀬,稲垣ー前田の近畿,原田に尾崎。
 深谷がSを取っての前受け。3番手に原田,5番手に神山,8番手に稲垣で周回。稲垣は残り3周のバックから上昇。神山も続いてホームでは稲垣が前に。神山が3番手,原田が6番手,深谷が8番手となってバック。神山が動いて稲垣を叩いて打鐘。外から原田が発進。これに続いたのが深谷。ホームで原田が前に出ると,さらに外から深谷が叩いて先行。結果的に周回中と同じ隊列で一列棒状。ここからレースは何も動きがなく,そのまま逃げ切って深谷の優勝。マークの勝瀬が4分の3車身差で2着。1車身半差の3着も原田。
                         
 優勝した愛知の深谷知広選手は昨年4月の川崎記念以来の記念競輪6勝目。高松記念は昨年も制覇しているので連覇。ここはほかの選手とは脚力が違いますので,よほどのことがない限り勝てるだろうとみていました。先行して後ろの選手たちには何もさせなかったのですから,完勝といっていい内容でしょう。力からすれば低迷していたともいえますが,この完全優勝でそれは脱したと考えてよいのではないかと思います。

 歯科の予約を入れてありましたから,21日の午前中はI歯科に。この日はクリーニングだけで終了しましたが,ひとつ,注意を受けました。
 僕がこの歯科を最初に訪れた理由は,クリーニングのためではありませんでした。耐えられないような痛みがあったというわけではありませんが,糖尿病と歯周病との間には関連性があるということから,時間があった当時に,を診察してもらおうと思い立ったからです。そのときは歯茎の治療から始まり,抜歯を経て,最終的にはブリッジを装着したわけです。それ以来,定期的にここに通うようになりました。先述したように歯周病と糖尿病には関連性があり,糖尿病不治の病ですから,このような形になったのは自然なことですし,これからもそうしていくことになるでしょう。
 この日に受けた注意というのは,そのブリッジの隙間に,食べかすが詰まっているというものでした。なのでブラシを使ってよくかき出すようにとの指示を受けました。これはクリーニングを担当した歯科助手からのものでした。
 歯間ブラシは日常的に使用していました。毎食後に使っていたわけではありませんが,よほどの事情がない限り,1日に1度は利用していました。ただ,ブリッジの隙間というのは,ブラシを入れにくい位置だったので,使っていても十分にはかき出せていなかったのだろうと思います。その後は注意深く念入りにしたのですが,やはり自分自身の感覚としても,完全に食べかすを排除できているようには思えませんでした。ただ,できないものはできないのですから,これは致し方ありません。後にこのことで別の問題が発生することになるのですが,それについてはそのときに詳しく説明します。
 この日もいつものように次の診察の話があり,具体的な期日は決定せずに,概ね3ヶ月後に通院するということになりました。この日はI先生自身が応対しましたが,今回のように予約をしてから来てくださいと,はっきりと言われました。診察券の期日を記入する欄が一杯になっていたので,新しいカードに。それまでは紙の診察券であったのですが,新しいものはプラスチック製でした。
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印象的な将棋③の変化&外壁の修理の契約

2013-02-25 18:38:35 | ポカと妙手etc
 は定跡形よりも後手が得をして阪田流向飛車に組むことができます。なのになぜこの順が新定跡とはならないのかといえば,③の第1図は後手が必ず誘導できる局面ではないからだと思います。
 棒金にして2筋から逆襲するのは阪田流向飛車の狙い筋のひとつ。そのためには先手に▲2五歩と突いてもらう必要があります。しかし先手は③の第1図が損だとみれば,それを保留することが可能なので,その場合の対策が後手には必要です。
                         
 ③の第1図に至る途中の局面。ここで▲2五歩は必然手ではありません。
 代わる手として▲4八銀が考えられますが,この場合は△8八角成から一手損角換りにするのが有力そう。先手の右の銀が動いた関係で,作戦の幅が少し狭まっていると考えられるからです。そもそも後手が第1図は一手損角換りを目指しているとも考えられますので,常識的には▲4八銀はあり得ないかもしれません。それでも先手がそう指すなら,一手損角換りでも構わないという姿勢で後手は第1図に誘導しなければならないということになります。
 第1図から▲2五歩でも▲4八銀でもないとすれば,▲9六歩です。これにも対策が必要で,この場合は△1四歩と突きます。
 この△1四歩に対しては▲2五歩はありません。それで阪田流向飛車に組まれるなら,第1図で▲2五歩と突く方が,居飛車穴熊への組みやすさの関係から先手は得だからです。
 △1四歩に▲4八銀はやはり△8八角成。端の関係がどう出るかは分かりませんが,先手の作戦の幅が狭くなっているのは同じです。
 だとすれば,△1四歩には▲1六歩がほぼ必然なのかもしれません。
                         
 第2図には後手に有力な手段があります。それは実戦例があるので,④で紹介します。

 歯科の予約を入れた翌日,9月20日の木曜日。この日も僕は長者町で仕事で,午後3時半頃には帰宅しました。するとから,家の外壁を修理する契約を業者と交わしたという事後報告を受けました。僕が不在の間に業者,名前は出しませんがこれは大方の人は聞いたことがあるであろう有名な業者ですが,その営業の担当者が家に来て,外壁を修理した方がいいと言われたので,母も同意して契約となったようです。
 僕の家は,一昨年の暮れに死んだ祖母,母の母が同居することになった関係で,バリアフリー化のリフォームを行っています。たぶん外壁もそのときに修理したのではないかと思います。このリフォームの最中は家では普段通りの生活を送ることはできません。そのために,一時的にアパートに生活の本拠を置いていました。このアパートは,祖母が同居するときに借りたものですから,実際にリフォームの工事をしたのは,祖母が同居してからだったことになります。それでもアパートに生活の本拠を置けたということは,叔父はまだアパートで暮らすようにはなっていなかったということになりますから,祖母と一緒に住むようになって,そう長くの時間が経過していたというわけでもありません。このように考えると,リフォームしたのは,少なく見積もれば10年前,多くても15年ほど前のことになります。
 その当時,僕の家のリフォームが完成すると,近所でもリフォームを実行する家が何軒か続きました。これはおそらく,僕の家のリフォームを担当した業者,こちらは別の業者ですが,やはり有名どころでしたが,その業者の営業が,家の近所を訪問したからだったと思うのです。実は今回の場合はその当時と逆のケース。家の近所で,外壁を修理した家庭があったのですが,その修理をしていた業者が僕の家にも営業に来たのです。実際,その家は近くで酒屋を経営していまして,僕の家族とは顔馴染みでしたが,業者の方は,後に僕と会ったときには,その家のご主人の話もされていました。
 ただし,これはこの時点で契約をしたというだけであり,まだ工事が始まったというわけではありません。ただ,今回は外壁だけですので,生活自体は自宅で続けることが可能でした。
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国際血盟軍&歯科の予約

2013-02-24 18:58:59 | NOAH
 鶴見五郎の全日本プロレスでの仕事は,ふたつの時期に分けることができます。ひとつはインドの狂虎,上田馬之助とのチームで暴れ回った時代。これを前期と考えれば,後期はラッシャー・木村をリーダーとする国際血盟軍の一員としてファイトした時代になります。年代でいえば1984年の暮れから1988年の秋までです。
 この国際血盟軍に参加していたのは,木村と鶴見のほかでは,国際プロレス倒産後に全日本プロレスに入団していたアポロ・菅原,一時期はウルトラセブンというマスクマンでファイトしていた高杉正彦,そして新日本プロレスでは藤波辰巳のライバルの時代もあった剛竜馬といったレスラーたち。ただ,剛や菅原,高杉は馬場が好むプロレススタイルを受け入れることができず,食事の場では公然と反旗を翻すこともあったそうです。このあたりのことを鶴見はインタビューで,馬場に反論するとは驚いたと語っています。こういう事情ですからこの3選手は馬場の配慮を受けることができる筈もなく,1986年の3月に全日本のマットから追放されました。鶴見も少なくとも剛と菅原は全日本では長くはもたないだろうとみていたようで,これは織り込み済みだったでしょう。しかし結果的に国際血盟軍のメンバーは木村と鶴見のふたりだけとなり,馬場をターゲットに戦うことになりました。この時期,馬場と木村はシングルでも何度か対戦していますが,それを除けば日本全国どこへ行っても組まれる試合は木村&鶴見対馬場&○○。馬場のパートナーはマイティ・井上とか百田光雄とか何人かの選手が務めていますが,基本的に連日連夜にわたって同じような試合が組まれていたように思います。
 この連戦の過程で,あの有名な木村のマイクパフォーマンスが誕生しました。そしてこのいわばマンネリ化したカード編成は,後の時代の義兄弟軍と悪役商会が,日本中のどこへ行っても試合をするという形に受け継がれていったといえます。木村にとってどうであったかは分かりませんが,鶴見にとってはこの形は不本意なものだったようです。しかし,全日本プロレスにとって,ひとつのエポックメーキングであったことは間違いないと思っています。

 9月16日は月に1度のガイドヘルパー。8月に特別に依頼したときにはカラオケに連れていってもらったのですが,この日もカラオケでした。同じような内容が連続するのはどうなのかと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが,妹にとっては,やったことがないことをやるのよりは,楽しめることが続いた方がよいのではないかと思っています。
 9月18日の火曜から,9月20日の木曜までは,2泊3日のショートステイでした。前の週に施設の旅行がありましたから,妹にとっては2週連続で外泊があったということになります。
 その間,9月19日の水曜日に,I歯科に電話を掛けて,歯科検診の予約を入れました。これまでは予約などは入れずに,飛び込みで行っていて,それでも断られたことは1度もありません。それなのになぜこのときはわざわざ予約をしたのかといいますと,次のような事情があったためです。
 この歯科では,検診が終りますと,次の予定が診察券に記入されます。虫歯の治療などが入れば別ですが,クリーニングだけであれば,概ね3ヶ月間隔。したがって通常の場合であれば次回は3ヶ月ほど経過した後ということになります。しかし,少なくとも僕の場合は,3ヶ月後の予定がどうなるかということはほとんど見通しが立ちません。よって具体的な期日は指定されず,単に3ヶ月後とだけ診察券には記入されます。前回のときもそうだったのですが,そのときに,次に来院するときは予約をするようにと仄めかされたのです。これが難しいところで,はっきりそう言われたというわけではありません。しかし僕の理解では,それは予約してから来院するようにという注意であると受け止めるべき内容のことを言われたのです。まあ,予約をすること自体は大変ではありませんし,そうも面倒なことでもありません。なので今回はわざわざ事前に電話をしておいたということです。
 このときに電話に出たのはI先生でした。僕としては翌々日にあたる21日が希望日で,その日に診察が可能であるかと尋ねると,大丈夫とのことでした。ということで21日の午前10時に予約を入れてもらいました。
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棋王戦&蜂の巣の駆除

2013-02-23 19:54:10 | 将棋
 金沢の北國新聞会館での対局となった第38期棋王戦五番勝負第二局。
 先手は渡辺明竜王。郷田真隆棋王は珍しく横歩取り△3三角を採用。先手が▲3六飛と引かずに▲5八玉と上がる形を採用した結果,相横歩取りとなり,飛車交換から角交換。この戦型らしく短手数のうちに終盤戦に突入。一時的に先手がリードしたようですが,読み抜けがあったらしく,難局に逆戻りしました。
                         
 8五の桂馬が成ったところ。後手はすぐに角を取らずに△4七と。先手は▲5九玉と逃げましたが,この局面ではこの一手であったようです。そこで△9六角と取りました。もちろん▲同歩。
                         
 ここで△4一王と早逃げしましたが,これが敗着。△4五桂と逃げ道を開けつつ攻め合わなければならなかった局面で,それなら後手にもチャンスがあったと思われます。実戦の手順は▲7四角と王手と金取りに打たれ,後手の攻めが届かなくなってしまいました。
 渡辺竜王が勝って1勝1敗。第三局は来月10日です。

 が業者に電話を入れたのは,10日の昼頃であったようです。しかし実際に業者が僕の家を訪れたのは,この日の夜8時頃のことでした。僕はこの日の仕事は長者町でしたので,午後5時前には帰宅していました。なのでそのときは僕も家にいたということになります。
 業者の訪問が遅くなったのは,忙しかったからではありませんし,逆に怠けていたからでもありません。蜂の巣の駆除というのは,日中に行うものではなく,夜,日が落ちてからするものなのだそうです。そしてそうしなければならないはっきりとした理由というのがありました。
 蜂は日中に活動して,夜は巣に戻って眠ります。蜂の巣の駆除というのは,巣だけを駆除すれば事足りるというものではなくて,その巣に住みついている蜂もろとも駆除しなければなりません。したがって蜂が巣に戻る夜に駆除を行うことによって,その巣にいる蜂も一網打尽にできるというわけです。日中に巣だけを排除すると,外で活動していた蜂が戻ったときに驚いて暴れ回るというケースもあるようですし,また,そうしたことはなくても,再び巣作りを行って,また駆除しなければならない状況になりかねません。こういうわけで業者の訪問はこの時間となったわけです。
 実際に作業をしていたのは10分ほどであったと思います。巣は完全に取り除き,そこにいた蜂に関しては全滅させることができました。帰り際に,もしかしたら何匹かがまだ巣の外で活動をしていて,戻ってくるというケースも,いっかな考えられないというわけではないと言っていたのですが,この後,蜂によって騒動は生じませんでしたので,蜂も全滅させたとみてよいのではないかと思います。
 この週の木曜日から,妹は出勤している作業所を運営している施設が主催する1泊2日の旅行でした。これは会社でいうところの慰安旅行と考えて差し支えないものと思います。この年の行先は千葉で,主に成田と銚子でした。観光というのが妹にとってどれほどの喜びなのかは把握しかねますが,単調な日々の中での息抜きくらいにはなっているのではないかと思います。1泊ですから14日に戻っていますが,これは妹の誕生日にあたります。
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スメルジャコフとムイシュキン&フレンドリー

2013-02-22 18:59:10 | 歌・小説
 『カラマーゾフの兄弟』を読んだとき,僕にはスメルジャコフが性的不能者であるように感じられました。謎ときシリーズのカラマーゾフ編で江川卓が明らかにしたところでは,スメルジャコフはロシアのキリスト教においてドストエフスキーの小説に大きく関係している異端派のひとつ,去勢派の信徒で,実際に去勢していると理解することもできるそうですから,僕の感じ方もあながち間違ってはいなかったことになります。このことはドストエフスキーとキリスト教との関係について言及した一連のシリーズのひとつ,スメルジャコフの場合においても説明したことです。
                         
 一方,『白痴』のムイシュキン公爵性的無垢な成人として描写されています。しかし僕は,ムイシュキンに関しては,スメルジャコフとは異なり,性的不能者であるとは考えなくても,ごく自然に物語を読み進めていくことができました。この相違がどこにあったのかと反省してみると,次のふたつの点が思い浮かびます。
                         
 僕はドストエフスキーに関しては,空白の時期があります。『白痴』は空白以前,高校生か遅くとも学生時代の初期,10代後半に読んでいます。『カラマーゾフの兄弟』は逆に空白後で,早くても20代の後半になってからでした。少なく見積もっても10年の時間差がありますから,この間の僕自身の変化が,ムイシュキンとスメルジャコフの解釈の相違をもたらしたことは,大いにありそうです。
 しかしもうひとつ,スメルジャコフとムイシュキンには,はっきりした差異があるように僕には思えます。ムイシュキンが性的無垢な存在であるとすれば,スメルジャコフは無垢というより,性を忌避する,あるいはそれを憎むような傾向がより強く感じられるのです。僕はそこにある種のルサンチマン的な要素を感じ,スメルジャコフを性的不能者と解したのです。これに対してムイシュキンというのは,性を忌避するといった感じではありません。むしろそれには興味がない,関心がないといわんばかりに振舞っているように感じられるのです。なので僕はそれをムイシュキンの個人的性格に帰することができたのだと思います。

 U先生は僕がみなと赤十字病院に通院するようになってからは3人目,その前の入院中の,これはどちらかといえば名目上のといっていいのかもしれませんが,H先生も含めると4人目の主治医です。この年の5月が初対面で,この日の診察が3度目の顔合わせ。最初の診察のときから何となく感じてはいたことですが,それ以前の主治医と比べますとこのU先生は,フランクといいますか,フレンドリーに僕に対して接してきました。もちろんそれは僕だけにではなく,すべての患者に対して同様でしょう。この日は健診の依頼をしたので,それまでよりもずっと多く,そしていつもの診察であれば話さないような内容の事柄が話題になったのですが,それまでに感じていた印象が正しかったということに確信がもてました。この病院でいえば,唾石ができたときに診察してもらった耳鼻咽喉科のm先生は,総合内科の医師たちに比べると明らかにフレンドリーでしたが,U先生はそれ以上であるように僕には感じられます。
 変に誤解を受けないためにいっておけば,僕自身は,医師がフレンドリーに接してこようが,逆に威厳をもって接してこようが,そうしたことにはこだわりはありません。人によっては好みの対応というのがあるでしょうが,僕にとってはこれはさほど重要なことではありません。U先生に関してフレンドリーだといっているのは,事実としてそうであるというだけで,それが僕にとってよいとか悪いとかではありませんし,それまでの主治医についていいとか悪いとかいっているのでもありません。
 この週の末,8日の土曜日はまた妹のピアノレッスンでした。そして翌日,9日の日曜日は,と妹で美容院に行っています。
 時間としては少し前後することになりますが,母の趣味のひとつにガーデニングがありまして,数日前に水を撒いていたところ,大量の蜂が飛んできたそうです。そのときはびっくりしただけでしたが,よく調べてみますと庭,実際には庭というほどの広さではないのですが便宜的に庭といいますが,大きな蜂の巣ができていたようです。放置しておくのは危険ですので,週が明けた10日に,母が業者に駆除の依頼をしました。
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王将戦&健診の依頼

2013-02-21 18:58:30 | 将棋
 栃木県大田原市で一昨日と昨日の2日間にわたって指された第62期王将戦七番勝負第四局。
 渡辺明竜王の先手で佐藤康光王将の一手損角換り4からのダイレクト向飛車。先手は乱戦を避け,片矢倉。後手は美濃囲いで持久戦になりました。
 開戦してからは僕の手に負える将棋ではなくなりましたが,一言でいって,ひどく噛み合っていないような中盤戦が展開されたという印象はあります。終盤の入口付近では先手有利という控室の判断が出ていましたが,僕にはただ難しいとしか考えられず,勝敗の帰趨はもっと後になってから見えました。
                         
 ここで先手は▲6四桂と跳ねました。△6二金と逃げたのに対して▲2二飛。そして△6一金打の受けに▲7ニ銀と放り込みました。この銀は取れないとのことで△5九銀で攻め合い。そこで▲5七金と歩を取ったのが凄い手で,△5ニ歩▲4七金と進みました。
                         
 こうなってはさすがに後手に勝ち目がないです。控室の判断通りであれば,先手が逆転近くまで追い込まれたものの,好手を放って逃げ切ったということになるでしょう。ただ個人的な印象としては,難局が続いていたところ,先手が絶妙手を出して制したという感じです。▲5七金のような手は見落としても仕方がないと思いますので,悪手や疑問手ではなく,妙手が勝敗を決した一局だったといえるのではないでしょうか。
 勝利を収めた渡辺竜王が2度めの二冠にいよいよあと1勝まで迫りました。第五局は来月6日と7日です。

 検査の中で最も重要なHbA1cは6.6%でした。上限値は超えているわけですが,前回が7.2%でしたから,それとの比較では改善を示していたということになります。ですからインスリンの注射に関して何か新しい処置が必要になるということはありませんでした。
 告知されていた別の検査ですが,この日は診察の予約を入れ忘れていたということで,行われませんでした。たぶんこの検査には事前の用意が必要で,しかし診察の予約を入れ忘れていた関係から,その用意ができていなかったものと思われます。ということでこれは次回の診察の日に持ち越しということになりました。10月22日というのがその日で,通常よりも通院の間隔がやや短くなっていたのですが,この理由については僕には分かりません。
 それからこの日,僕の方からU先生にひとつ相談を持ち掛けました。これは健康診断に関することです。
 前回と今回の通院との間に,自宅に横浜市から僕宛の1通の手紙が届いていました。僕はいわゆる社会生活からはドロップアウトしていますから,国民健康保険に加入しています。この手紙は横浜市在住の国民健康保険の加入者で,おそらく40歳以上の市民に送付されているもの。手紙の中には,特定健康診査の受診券というのが封入されていました。
 健康診断は受診した方がよいに決まっています。ただ,この受診券の中身には,糖尿病に関連する検査が多く混じっていたのです。しかし僕はすでにⅠ型糖尿病を患っていて,そこでオーダーされている内容が多く重なっていました。つまり僕にとっては無意味な健診の内容が多く含まれていたのです。なのでどのようにすればよいかを尋ねてみたのです。
 もちろん健康診断の検査は,糖尿病だけではありません。ただ,それらは血液検査で調べることができるものがほとんどでした。ということでU先生は,次回の通院の日の検査のオーダーの中に,いつもの糖尿病の検査のほかに,この健診関連のオーダーを入れてくれることになりました。つまりわざわざ健康診断を受けなくてもよいように手配してくれたことになります。僕にとっては非常にありがたい配慮でした。
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東京中日スポーツ賞金盃&診察の予約

2013-02-20 19:15:39 | 地方競馬
 春に向って弾みをつけたい古馬精鋭による第57回金盃。有力馬の1頭,プーラヴィーダは病気で競走除外となり15頭。
 頭数は揃っていましたが逃げ馬は1頭。当然ながらそのトーセンアドミラルの逃げに。ただ,大外のスターシップが2番手から絡むようなレースになりました。サクラロミオ,ツルオカオウジ,エプソムアーロン,ラインジュエル,アンノルーチェまではわりと差がなく追走。フォーティファイドがその後ろに構え,トーセンルーチェが続きました。前半の1000mは63秒0で,これはミドルペース。
 前の2頭が並ぶように直線に。逃げていたトーセンアドミラルが一旦は離したように見えました。ツルオカオウジなどは一杯で,代わって外からフォーティファイドが進出。スターシップはこれに併せるように外に行き,並んで前を追い掛けました。開いたトーセンアドミラルとスターシップの間を突いたのがトーセンルーチェ。最後はトーセンアドミラルが力尽き,残る3頭は接戦でゴール。先着したのはトーセンルーチェ。ハナ差の2着が大外のフォーティファイド。クビ差の3着にスターシップ。
 優勝したトーセンルーチェは昨年5月の大井記念以来の南関東重賞3勝目。このレースは第56回に続いて連覇。この馬は重賞を勝てる力があると思われ,ここでは力量上位。おそらく距離は長い方がよいのだろうと思います。今日は僅差の競馬で,コース取りが最大の勝因といえるでしょう。もう少し上を目指してほしいと思っています。半兄にNARグランプリで,2007年,2008年,2010年,2011年の年度代表馬,2006年は2歳最優秀馬,2009年は4歳以上最優秀馬,2012年は4歳以上最優秀牡馬のフリオーソ。Luceはカワカマスという魚。
 騎乗した船橋の張田京[たかし]騎手は昨年10月の埼玉新聞栄冠賞以来の南関東重賞制覇。第46回,第49回,第50回,第56回と制していて,金盃は連覇で5勝目。管理している船橋の川島正一調教師は連覇で2勝目。

 9月に入り1日の土曜日は妹の土曜出勤。この日はクラッシュゼリーを作って食べたとのことです。
 3日の月曜日が僕の総合内科の通院の日にあたっていました。
 前回の通院のときに,この日はいつもとは別の検査も行う旨を告知されていました。それについて記したときにいいましたが,実はこの日は予約票に,内科での診察の時間が書かれていなかったのです。ですから何時に行けばよいのか分かっていなかったのですが,検体検査は予約されていましたので,ここ最近と同じ時間のバスに乗り,12時半過ぎに病院に到着。いつものように保険証の提示をした後で,診察券を機械に挿入。このときに出てくる紙にその日になすべきことが印字されているわけですが,そこにも検体検査については書かれていたものの,内科の予約時間は何も書いてありませんでした。
 とりあえず検査は可能になっていますから,まずは中央検査室へ。ここで受付の方から,診察の予約はどうなっているのかを尋ねられました。しかし僕にはどうなっているか分かりません。ただ,検査をしたならば,その結果が出るわけですから,診察をしないで帰るというわけにはいきません。なので,検査が終了したら総合内科の受付に行って,診察の時間について相談するように指示されました。
 ある程度の患者がこの日はいましたので,先に採尿をしてから注射針の処理もして採血。なるべく早く内科の方に赴きたかったので,アームバンドをつけてもらい,すぐに向いました。受付の方にこちらから尋ねますと,すでに事情を把握されていました。たぶん中央検査室の受付の方が,先に内科の受付の方へと連絡を入れておいてくれたのだろうと思います。受付の方の話では,前回の診察が終了した後,U先生は検査の予約だけは入れたのだけれども,診察の予約を入れ忘れてしまったとのこと。ということで,急遽,13時30分に診察できるように手配したとの話でした。ということで,すぐに院内の食堂に向って昼食。急な予約でしたから待たされるのではないかと予期していたのですが,そんなことはなく,時間通りに診察が始まりました。キャンセルされた患者があったのではないかと思われます。
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春日賞争覇戦&脳波の測定結果

2013-02-19 18:38:55 | 競輪
 GⅠから中3日での開幕になった奈良記念の決勝。並びは佐藤-伏見の北日本,武田に合志,脇本-三谷の近畿,川村-村上の京都で山賀が単騎。
 取り合いの様相でしたが脇本が誘導の後ろに入って前受け。3番手に佐藤,5番手に武田,山賀を挟んで8番手から川村という周回に。川村は残り4周のバックから早くも上昇。残り3周のホームで脇本を抑えて前に。この上昇に続いていた武田がバックで叩いて先頭に。前受けから引いた脇本は残り2周のホームから巻き返し,武田を叩いて前に。脇本-三谷-武田-合志-川村-村上ー山賀ー佐藤-伏見の一列棒状で打鐘。この一列棒状はバックまで続き,3番手から武田が発進。周回で脚を使いましたし,三谷の牽制もあり,なかなか前までいかれませんでした。これをみていた川村が捲るとコーナーでは大外。その内に行った村上が突き抜けて優勝。川村が1車輪差で2着。何とか出た武田が1車身差の3着。
                         
 優勝した京都の村上義弘選手は年末の競輪グランプリ以来となる今年の初優勝。記念競輪は昨年1月の大宮記念以来で通算24勝目。奈良記念は初優勝。この日程にしてはかなりの強力メンバーが揃い,車券という面でも非常に難解なメンバー構成に。任せた川村が最初に脚を使った後,武田ラインの後ろをすんなりと回れたのがよかったように思います。絶好の位置は三谷の後ろだったでしょうが,無理に脚を使ってそこを取りにいかなかったのが,かえって幸いしたというような結果に。ただ,直線の伸び脚は強烈で,もう少し位置取りが悪くても何とかなったのかもしれないと思わせるだけのものがありました。

 8月19日,が以前に勤務していた中学校の同窓会がありました。母はこの学校に勤めるようになってから特殊学級,現在でいう特別支援学級の担当になっていて,この同窓会もそのクラスのもの。年に1回は開かれていて,母はほとんどの場合,妹も連れて参加していました。妹はこの学校とは何の関係もないわけですが,特殊学級に通ったという点では同じであり,同窓生の間でもなじんではいるようです。日曜ですから僕はWINS横浜に出掛けたのですが,この同窓会はそのすぐ近く,日ノ出町でボーリングをするというのがメーンになっていました。妹はボーリングは好きですから喜んだものと思います。
 その翌日,8月20日は妹のこども医療センターでの診察が入っていました。この日は予約が13時半。特別な検査というのはなく,16時頃に帰宅しました。前回の診察のときに,脳波の計測を行いましたので,この日はその結果も出ていました。妹の脳波は以前の水準よりもむしろ安定しているようです。おそらくの効果なのでしょう。当面の間は発作を起こす心配はないのではないかというのが医師の診断でした。妹は体調を崩すことはあっても,癲癇を発症するケースが以前より減っていたということ,またおそらくそのために,脳波の測定の期間が開いたのだろうと推測されることは,前回の糖尿病共生記の中で記した通りです。そしてこの医師の診断の通り,これ以降も現時点まで,妹はやはり体調を崩すということはありましたが,癲癇は発症していません。
 17日に行ってみたところ,お盆の休診で受診ができなかった僕の網膜症の検査は,25日に改めてО眼科へ出向いて無事に済ますことができました。この日は10時半前に家を出まして,帰ったのは12時半過ぎ。これくらいならば通常通りの混雑具合といっていいでしょう。何の異常も発見されませんでした。
 26日の日曜日にこの月の2回目となるピアノレッスンが入っていました。実は妹はかつてこのレッスンの最中に発作を生じたということがあったのですが,今はそうした心配をする必要もなくなっているということになります。
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首折り&糖尿病共生記⑤

2013-02-18 19:02:14 | NOAH
 ウエスタンラリアートといえば不沈艦の代名詞といっていいほどの技。サポーターをつけた左腕を相手の正面から首筋に叩きつけて倒すもので,プロレスファンならずとも知っている人が多い筈です。全日本で初めてみせたのは,まだ選手としてリングに登場する以前の,ハンセンの乱入があった試合でした。それ以後,ハンセンはこの技で幾多の選手をマットに沈めてきました。僕は長州力が大型の選手を相手にラリアートでスリーカウントを奪うことに,どことなく腑に落ちないもの,あるいはリアリティーの欠如といったものを感じずにはいられませんでしたが,ハンセンの場合には体格が長州とは違いましたから,ウエスタンラリアートという技の説得力に疑問を抱いたようなことはありません。
 その技の形から,ウエスタンラリアートは俗に首折りといわれることがありました。しかしこの首折りという異名は,単にウエスタンラリアートのスタイルから名付けられたものではありません。ハンセンは実際に試合中に相手の首の骨を折ってしまったことがあったからです。
 僕は試合中に相手に怪我を負わせるというのは,プロレスラーとしての能力の欠如のひとつであると思います。ハンセンにそういった一面があったことも否めないと思っています。ただ,実際にこのアクシデントを起こしたということが,少なくともプロレスファンに対しては,大きなアピールになっていたということも事実であったと思います。
 もしも首を骨折したのが,一介の無名レスラーであったとしたら,首折りという異名も,それほどまでは轟かなかったのかもしれません。しかし実際の相手というのは,無名どころかトップ中のトップレスラーよいっていい人間発電所でした。アクシデントがいつ起こったのか,僕は知りません。ただ,僕のプロレスキャリアのスタートに関わった友人に,このエピソードを聞いたような覚えがありますから,それ以前であったのは間違いないと思います。
 ハンセンがこのアクシデントでほかのレスラーからどう思われたかは分かりません。ただこのことは,ハンセンが日本でトップに立つためには,むしろプラスに作用したといえるのではないでしょうか。

 今日からは僕のⅠ型糖尿病との共生記の5回目です。前回は昨年の8月11日までで終っていますので,そこから開始します。
 8月11日は土曜ですから,妹は休みです。ただ,名目上はこの日から夏休みということになっていました。15日の水曜日まででしたので,5日間ですが,実質的には月曜,火曜,水曜の3日間であったといっていいでしょう。
 このうち,13日の月曜はピアノレッスンを入れました。そして翌14日の火曜は,ガイドヘルパーに依頼して,カラオケに連れていってもらいました。この利用は,この日の午後,も僕も自宅を空けなければならなかったためです。本来,ガイドヘルパーという制度の主旨は,こういうときに利用するためにあると思われますから,それに見合った依頼であったといえるでしょう。11時半頃に迎えに来てもらい,昼食を済ませてからカラオケに行ったようです。
 時間的に前後しますが,この日の午前中,母と叔父で家電量販店に出掛け,電話機を購入しました。電話機自体は使うことができたのですが,どういうわけかベルが鳴らなくなってしまっていました。つまりこちらからは掛けることが可能でも,どこかから掛かってきたときにはこちらでは気が付かないという状況になっていたのです。携帯電話はありますから,ものすごく不都合が生じてしまったというわけではありませんが,自宅の方に重要な電話が掛かってくるというケースも当然ながらありますので,新しいものを設置したというわけです。僕の家ではケーブルテレビ,固定電話,インターネットが一括になっています。ですから購入した電話機は,ケーブルテレビの会社の接続機に繋げればよいわけで,問題なく利用を開始することができました。
 8月17日の午前中に,眼科検診を受けようと思いましてО眼科の方へ出掛けました。ただ,お盆休みで休診でした。これはもしかしたらそういうこともあるかもしれないと思っていたので大した驚きではありませんでした。事前に確かめずに出掛けていったのは,休診であっても買い物があったからで,いい方を換えれば買い物のついでに眼科を覗いてみたら,案の定,休診であったという方が正しいかもしれません。
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フェブラリーステークス&第二部定理一二まとめ③

2013-02-17 18:43:02 | 中央競馬
 2013年の中央競馬での最初の大レース,第30回フェブラリーステークス
 ゲートの中で立ち上がっていたイジゲンが今日も出遅れ。事前に逃げを宣言していたタイセイレジェンドがハナを奪い,2番手にはエスポワールシチー。マルカフリート,ガンジス,カレングラックヒル,ガルボの4頭がこれを追い,その後ろにグレープブランデー,ナムラタイタン,ヤマニンキングリーの3頭。各々に手応えの差はありましたが,ほぼこの隊列のまま4コーナーまで進みました。最初の800mは46秒5で,ハイペースといっていいと思います。
 直線に入ってまず抜けだしたのはエスポワールシチー。馬場の外から伸びてくる馬はなく,内目を捌いてきたグレープブランデーだけが追ってきて,優勝争いはこの2頭。エスポワールシチーは最後に一杯となり,差したグレープブランデーが4分の3馬身差で優勝。エスポワールシチーも2着は何とか確保。勝ち馬の後ろからこれも内寄りを捌いてきたワンダーアキュートがクビ差まで迫っての3着。
 優勝したグレープブランデーは今年から前哨戦となった東海ステークスからの連勝。大レースは一昨年のジャパンダートダービー以来の2勝目。それを勝った後,故障して長期休養。昨年5月に復帰して2戦は結果を出せませんでしたが,夏以降は徐々に復調していることを感じさせていました。これで完全に復活したとみてよいのではないでしょうか。そうであれば今後もトップクラスで戦っていかれるものと思います。父はマンハッタンカフェ
 騎乗したのは昨年のJRAでの最多勝騎手となった浜中俊[すぐる]騎手で2009年の菊花賞以来となる大レース2勝目。管理している安田隆行調教師は昨年の香港スプリント以来の大レース制覇。国内では昨秋のスプリンターズステークス以来。フェブラリーステークスは第28回を勝っていて2年ぶりの2勝目。

 僕は『エチカ』のことは『エチカ』に訴えるという方法を採用します。この観点から僕にとってとても有益であったのが,佐藤拓司が『堕天使の倫理』において展開している主張でした。佐藤は第二部自然学②補助定理四に依拠することによって,スピノザが単に人間の身体という場合には,そこには人間の身体を構成している部分というのは含まれてはいないということ,そしてそのゆえに,人間の精神が自分の身体の中に生じる事柄を悉く知覚するということと,人間の身体を組織している部分の中にはその人間の精神によって知覚されない事柄が生じるということは,矛盾しないということ,いい換えるならこれらふたつの命題が両立すると解しました。そして僕もこの解釈に同意したのです。
 僕はさらにこのことが,単に人間の身体とその部分との間でだけ成立するのではなくて,もっと一般的な意味において全体と部分との間,とくに第二部定義七で示されているような個物において,その全体としてのひとつの個物と,その全体を構成する部分としての個物との間でも成立すると考えました。
 最後に,では人間の身体の中に起こることというのをどう理解するべきかを考察しました。それは,身体を構成する部分の合一のあり方の変化が,身体の本性の変化に直結するような場合です。この場合,前者が原因で後者が結果と考えようと,両者を同一の事柄の異なった側面と考えようと,人間の精神は自分の身体を構成する部分で生じていることを具体的に認識するわけではないというのが,僕の結論です。なお,本性の変化は実在性の変化でもあるので,これは自分の身体の実在性の移行としても精神によって知覚されます。いい換えれば喜びないしは悲しみとして知覚されます。その知覚の観念は第二部定理二二によりその人間の精神のうちにあります。よってこの知覚は,善ないしは悪の認識に直結するということになるでしょう。
 これで第二部定理一二が抱えている問題のすべてが解決されたとは思っていません。ただ,この定理をこのように解釈するようになって,その問題の重みというのは,僕の中では格段に軽減することとなったのです。
 明日からは糖尿病共生記になります。
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三四郎&第二部定理一二まとめ②

2013-02-16 18:52:13 | 歌・小説
 性的無垢ドストエフスキーが子どもを神の似姿とみる際の,理由の一因をなすというのが僕の考え方です。それでは夏目漱石の小説に登場する人物のうちで,最も性的な意味において無垢な存在であるといえるのがだれであるかといえば,僕は『三四郎』の主人公である小川三四郎ではないかと思います。
                         
 三四郎は福岡出身。熊本で高等学校を卒業し,大学入学のために上京します。上京する汽車の中で三四郎は見知らぬ女と出会い,成り行き上,名古屋の宿屋で同泊します。女は三四郎が浸かっている風呂に入ってくるなど,わりと大胆な行動を取ります。しかし三四郎はすぐに湯船を飛び出してしまいますし,寝る段になっても言い訳をしてふたりの布団の間にわざわざ仕切りを拵え,女には何の手出しもしません。翌朝,名古屋の駅で女との別れ際に,度胸のない人だと笑われます。
 このプロットというのは,明らかに三四郎が性的に無垢な男である,有体にいうなら童貞であるということを示唆していると僕は解します。『三四郎』の全体のストーリーの展開とすれば,この部分は存在せず,三四郎が東京に到着してから物語が始まったとしても,別に差し支えなかったように僕には思えます。それなのに漱石が小説のほぼ冒頭といえる部分に,このプロットを挿入しているということは,三四郎が童貞であるということを,漱石は明らかにしておきたかったのだとしか僕には考えられません。
 ただし,ドストエフスキーにとって,性的に無垢であるということが,神=キリストに関連付けられるべき記号であったのに対して,漱石の場合にはそのように考えることはできません。たとえばそこに三四郎がきわめて純朴な青年であったという意味を見出すことはできるでしょうが,何かそれ以上の意味を見つけるということが僕にはできないのです。
 漱石が,三四郎は童貞であるということに何らかの意味を託していたということだけは間違いありません。また,物語の中で三四郎が性的体験をしたとは思われず,おそらく小説の中ではずっとそうであったのでしょう。でも,なぜ漱石がそこに固執したかというのは,『三四郎』の僕にとっての謎のひとつなのです。

 第二部定理一二を,第二部定理一二の新しい意味で解釈するようになると,それまでと似てはいるのだけれども,それまでにはなかった新たな課題というものが浮上してきます。それはこの定理Propositioをこのように解するとすれば,人間は自分の身体corpusの中に起こる事柄を悉く知覚するpercipere,知覚と概念を厳密に分類した上で知覚するということになるのですが,これをいうことが現実的に不条理であるとはいえないかというものです。これを意識と無意識に分節し,知覚するということを無意識の領域に措定し,それらのすべてが人間の精神mens humanaによって意識されるわけではないと理解するのは,この課題を解決し得るひとつの方法でしょう。しかし,実際にそれが可能であるのかどうかは別としても,スピノザの哲学理論においては,人間は自分の無意識の領域にあるすべての事柄を意識することが可能であるということになっています。したがって少なくとも論理的には,この方法ではこの課題は解決されていないということになります。
 しかし,スピノザが最初から不条理であると考えられる事柄を敢然と主張するということは,常識的にいって考えにくいことです。したがって,スピノザは何らかの確信をもって,人間は自分の身体の中に起こることのすべてを知覚すると主張したのだと推測することができます。よって他面からみるならばこの課題は,人間が自分の身体の中に生じるすべての事柄を知覚するということを,いかに不条理に陥ることなく解釈することが可能であるかという課題なのだといえるでしょう。
                         
 このときに僕にとって大きなヒントになったのが,田島正樹が『スピノザという暗号』と「スピノザ的スピノザ」で展開している,これを現象学の概念notioを利用して理解する方法でした。僕はそこに,スピノザの哲学における身体の認識cognitioは,身体の中に起こることを通して生じるということを見出しました。すなわち,身体の中に起こることとは何かを問うときに,まず身体があり,その中に何かが起こるというように前提するのは,この場合にはあまり相応しくないのです。むしろまず,この場合における身体とはいかなるものであるのかということこそ,問われなければならないのです。
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ユニバーサル杯女流名人位戦&第二部定理一二まとめ①

2013-02-15 19:11:40 | 将棋
 里見香奈女流名人が防衛に王手を掛けて迎えた第39期女流名人位戦五番勝負第四局。
 上田初美女王は居飛車を選択。後手が四間飛車から三間飛車石田流に転換。先手の居飛車穴熊に後手の美濃になりました。穴熊とはいえ先手玉は堅陣とはいえず,中盤まで難しかったと思うのですが,途中で大きな差がつくことになりました。
                          
 後手玉周辺がばらばらなので,何か受ける手を指さなければいけなかったと思われますが,△7八歩▲同金△7六歩と攻めていきました。しかしこの順は▲7四歩△同銀▲5五角と切り返され,むしろお手伝いのような形に。ここではっきりと先手が優勢に立ったようです。
                          
 角はただですが6一の金を取られてはいけません。△9二王と逃げましたが,これ以下は後手にはチャンスがなかったように思います。
 これで2勝2敗のタイに。タイトルの行方を決する第五局は27日です。

 今回は第二部定理一二について,このブログでは2度めの考察をしました。前回の考察からは時間の経過があり,この定理に関する僕の理解が,前回に出した結論とは異なるようになったからです。
 このことを示すために,今回の考察の前半では,前回までの結論がどのように導かれたのかを改めて詳細に説明しました。しかしこの部分に関しては,このまとめでは全面的に省略します。新しい考え方の基本となったのは,第二部定理九原因の十全性という観点を導入するということで,このために,この定理でいわれている「無限に進む」ということを,積極的な意味において解釈することになりました。そしてこの観点から探求を深めていった結果として,第二部定理一二の解釈という点において,僕ははっきりと転向することになったのです。
 ただし,この転向というのは,単に第二部定理一二だけに関係するものではありませんでした。テーマの設定の理由について示したときに明らかにしたように,僕自身の『エチカ』の内部における関心は重点的に第二部定理一二に存していたのですが,第二部定理一二は『エチカ』を形作るひとつの要素なのであって,先行する諸定理から必然的に帰結するような内容を伴っていなければなりません。したがって第二部定理一二の解釈を変更するという場合には,その解釈を帰結させるために必要とされる先行諸定理の解釈の変更も必要とされるからです。
 具体的に示すならば,この転向は,先述した第二部定理九の積極的解釈を別にすれば,みっつで一組を形成します。まず,第二部定理一二を直接的に帰結させるものとしての,第二部定理九系の意味から第二部定理九系の消極的意味への転向です。消極的の意味については簡単に説明しましたが,これについては別の形で考察し直すことを考えています。次に,人間の精神に関係する第二部定理一一系の意味から第二部定理一一系の新しい意味,そして第二部定理一一系の具体的意味への転向です。これについてはこの系の『エチカ』での援用から念入りに検討しました。そしてこれらを前提に,第二部定理一二の意味から第二部定理一二の新しい意味への転向が可能になったのです。
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王将戦&善の場合

2013-02-14 19:05:21 | 将棋
 岩手県の大船渡市民文化会館での対局となった第62期王将戦七番勝負第三局。
 佐藤康光王将の先手で渡辺明竜王横歩取りを選択。△3三角-△8四飛-△5二玉-△5一金型に組みました。先手は▲6八王-▲3六歩型から早めに角交換。後手は左銀を繰り出す将棋に。
                         
 2三の銀が上がったところ。ここで▲5六角と早々に手放しました。結果論ですがこれが名手で,先手が盤面の制圧に成功したようです。ここから△2五銀▲2六歩△3四銀▲4六歩△2三銀▲2五歩で初日終了。昨晩この展開をみて,こういう指し方をしなければいけないようでは後手が大変なのではないかという印象を抱いていました。封じ手は△1四銀で,▲2四歩△2六歩▲同飛△1五銀▲2八飛△2四銀。
                         
 相変らず後手の苦心の指し回しに先手は自然に対応しているだけといった感じ。この後,先手が後手の端攻めを誘うような指し方。これに対して玉が自ら受けに出て,最後は逆用して入玉。いかにもらしい展開に持ち込んだ先手が勝っています。
 佐藤王将がひとつ返して1勝2敗。第三局は来週の火曜と水曜です。

 ここまで,実在性の変化の認識について,悲しみの知覚,そして悪の認識という観点から説明してきたのは,『堕天使の倫理』で採り上げられている消化不良を例材として扱ってきたからです。佐藤はそこで,人間の身体の本性の変化,佐藤自身のことばでいえば,人間の身体を構成する部分の一定の比率あるいは割合の変化に関しては,これ以外に具体的な例を提出していません。しかし,人間の身体の本性の変化を力という観点,すなわちその人間の身体の実在性ないしは完全性の変化として把握するならば,消化不良によって説明されるのとは異なった変化,いい換えれば逆向きの変化というのが生じ得るということはもちろんのことです。おそらく佐藤自身も,このことは当然のこととして認めるものと思います。
 消化不良の場合の実在性の移行は,より大なる実在性からより小なる実在性への移行でした。しかし,人間の身体を構成している部分の合一のあり方に変化が生じた場合に,必然的にその人間の身体の完全性が,より大なる完全性からより小なる完全性へと移行するとは限りません。むしろそのことによって,より小なる完全性からより大なる完全性へと移行するという場合も,当然のことながら考えられるわけですし,そうしたことが現実的に生じているといえるでしょう。
 これに関してまた具体的な例を出して説明していけば,結局のところ消化不良を例とした場合と同じことを繰り返すことになるでしょう。ですからここでは簡略化した結論だけを述べておきます。この場合には人間の精神はそれを喜びとして知覚します。そしてその喜びが意識されるなら,第四部定理八により,それは善と認識されます。しかし場合によってはそれはより大きな善と比較されて小さな善とみなされ,悪とも認識され得るでしょう。しかしこの移行がその人間にとって第一義的には善であることは間違いありません。また,人間は単なる知識として,善なるものを認識し得ますから,こうした経験が人間にとって善の認識の絶対条件ではありません。しかしこうした喜びの知覚の認識が,善の認識に結びつくことも,悪の場合と同様でしょう。
 今回の考察はこれをもって終了とします。
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