スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&実体と属性の形而上学

2014-12-31 19:19:13 | 地方競馬
 北海道から2頭,愛知から1頭が遠征してきた第38回東京2歳優駿牝馬
 ロイヤルパレードはダッシュが鈍く,後方に置かれました。逃げたのはネガティヴで,絶好の発走だったミラクルフラワーが2番手。その後ろがゼッタイリョウイキとララベル。さらにティーズアライズとユヅルノオンガエシまでが先行グループ。少し差の開いた好位集団の前がステファニーランとリボンスティック。前半の800mは49秒2でハイペース。
 3コーナーを回ると逃げたネガティヴは一杯。ミラクルフラワーが一旦は先頭も,さらに外のララベルの手応えが抜群で,直線の入口ではこちらが先頭に。ララベルの後ろのユヅルノオンガエシは苦しくなりましたが,ティーズアライズはミラクルフラワーとララベルの間を割り,内からララベルに急接近。この2頭がほとんど並んでゴールイン。写真判定の結果はララベルの優勝で,ハナ差の2着にティーズアライズ。外を伸びたリボンスティックが1馬身4分の1差で3着。
 優勝したララベルローレル賞から連勝で南関東重賞2勝目。今日は前走より格段に相手が強化していて,厳しいのではないかとみていたのですが,これがとんだ見当違い。僕が見立てていたよりかなり高い能力を有する馬でした。無事にいけば来年のクラシック戦線で活躍できる馬なのは間違いなさそうです。父はゴールドアリュール。6代母の半姉がディープディーンの祖母になります。
 騎乗した大井の真島大輔騎手はローレル賞以来の南関東重賞制覇。東京2歳優駿牝馬は初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師も東京2歳優駿牝馬初勝利。

 ライプニッツの形而上学では,実体もそれ自身によって考えられ得るようなものであってはならなかったのです。これによって,ライプニッツによる疑問の意図が,具体的に明らかになったといえるでしょう。スピノザは実体はそれ自身によって概念されると定義しています。ライプニッツにとって,この定義こそが最大の問題だったのです。このゆえに,第一部定理五に対するライプニッツの疑問は,本質的に第一部定義三に対する疑問であったと解するべきです。だから僕は今回のテーマを第一部定義三としたのです。そしてそのうち,ライプニッツが問題視したと思われる部分,定義の後半部分だけを,考察の中心に据えることとしたのです。
 ここでいま一度,実体と属性の間の形而上学をどう前提するかを確認しておく必要があります。
 何度もいっているように,スピノザ形而上学では,実体と属性の区別は理性的区別です。いい換えれば,実体の観念対象ideatumとその実体の属性のideatumは同一です。一方,デカルト形而上学は,明らかにそうはなっていません。比喩的にいうならば,この形而上学では,属性というのが実体の所有物であるかのように規定されています。ライプニッツ形而上学については詳しく検討しませんので,この点が明確でなくても,考察には影響しないということを明らかにしておきます。
 まず,もしもライプニッツがスピノザ形而上学に同意するなら,これは何も考える必要はありません。この場合,実体がそれ自身によって考えられないということと,属性がそれ自身によって考えられないということは,同一の事柄を異なった面からいっているにすぎないこととなるからです。
 しかし,ライプニッツがデカルト形而上学の立場を選択しても,問題とはならないのです。なぜなら,実体がそれ自身によって考えられ得ないのであれば,あたかもその所有物であるように規定される属性も,やはりそれ自身によっては考えられ得ないであろうからです。所有者なしに考えられない所有物がそれ自身によって概念されるためには,少なくともその所有者がそれ自身で概念される必要があるであろうからです。
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東京シンデレラマイル&ライプニッツの形而上学

2014-12-30 19:02:59 | 地方競馬
 実績上位馬に上昇馬,さらに3歳馬も入り混じって激戦が予想された第8回東京シンデレラマイル
 逃げたのはケンブリッジナイスでマークしたのがノットオーソリティ。少し開いた3番手にアスカリーブル。その後ろはかなりの差がつき,メモリアルイヤー,サブノハゴロモ,クライリング,レッドクラウディア,マルカンパンサーと続き,以下も集団。前半の800mは49秒1でハイペース。
 2番手と3番手以降の差がなかなか詰まらず,3コーナーを過ぎてからノットオーソリティがケンブリッジナイスを交わし,直線の入口では先頭。この時点でセーフティリードといえる状態で,結果的に5馬身の差をつけて圧勝。2着争いは5頭で激戦。序盤の貯金を生かしたケンブリッジナイスが粘り込み,5頭の真中のレッドクラウディアがアタマ差で3着。レッドクラウディアの外のマルカンパンサーがアタマ差の4着,レッドクラウディアの内のアスカリーブルがクビ差の5着で大外のカイカヨソウがアタマ差で6着。
 優勝したノットオーソリティロジータ記念から連勝で南関東重賞は3勝目。3歳馬ですが,能力を出しきれれば力量的には上位の評価も可能でした。今日はスムーズなレースで力を十全に発揮。そうなるとこれくらいの差がつくということなのでしょう。外目の枠もこの馬にとっては好条件であったと思います。揉まれるレースになった場合の不安はまだ残りますが,能力全開なら重賞でも通用しそうです。叔父に2006年のジャパンダートダービーを勝ったフレンドシップ
 騎乗した大井の御神本訓史騎手はロジータ記念以来の南関東重賞制覇。東京シンデレラマイルは初勝利。管理している船橋の川島正一調教師も東京シンデレラマイル初勝利。

 第一部公理二に訴えれば,属性が実体の本性を構成するものであるということに依拠せずとも,属性がそれ自身によって考えられなければならないことが帰結します。そしてこのために,同一の属性によって本性を構成される複数の実体が存在することが不可能であるということに,スピノザの形而上学ではなっています。したがって,ライプニッツによる疑問の意図が,同一の属性によって本性を構成される複数の実体,共通点を有する複数の実体が存在し得るという点にあったのだとすれば,ライプニッツはこの点をターゲットにしなければならなかったことになります。つまり属性はそれ自身によって考えられてはならないという事情がライプニッツにはあったのです。他面からいえば,属性がほかのものによって概念され得るような形而上学を創作する必要がライプニッツにはあったのだといえます。ライプニッツの疑問における属性の区別が,スピノザの形而上学の枠内ではレトリックでしかないこと,いい換えれば実在的区別ではなく様態的区別となっていることは,ライプニッツの形而上学がそのようなものでなければならなかったということの証明であるともいえるのではないでしょうか。
 しかし,ここでひとつの疑問が生じるかもしれません。属性がそれ自身によって概念されなければならないということは,スピノザは第一部定理一〇で述べているのです。ならばライプニッツは,第一部定理五よりも,第一部定理一〇に対して何らかの疑問を投げかけるべきではなかったのではないでしょうか。
 でも,ライプニッツの形而上学からすれば,それでは不十分なことは明白です。なぜなら,たとえ属性がそれ自身によって考えられ得ないのだとしても,実体がそれ自身によって考えられてしまうのであれば,ある共通点を有するような複数の実体が存在し得なくなってしまうということが,属性の場合と同じ論証から導かれてしまうからです。すなわち,実体がそれ自身によって考えられるなら,ある実体と別の実体は,実在的に区別されなければなりません。そしてこの要件を満たすためには,各々の実体には共通点があってはならなくなるからです。
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農林水産大臣賞典東京大賞典&第一部公理二

2014-12-29 19:23:11 | 地方競馬
 アメリカから1頭が遠征してきた第60回東京大賞典
 ホッコータルマエに少し牽制された感がありますが,コパノリッキーがハナへ。ホッコータルマエが外に切り返して2番手で,ソイフェットがその外の3番手。インにクリソライト,さらにサミットストーン,ワンダーアキュートという隊列でしたが,向正面でロイヤルクレストが外を一気に進出していったため,対応できた馬とできなかった馬がいて,隊列は早めに変動しました。前半の1000mは61秒7のスローペース。
 一旦はロイヤルクレストが前に出たかと思いますが,3コーナーではコパノリッキーが巻き返し,動いたロイヤルクレストは一杯でホッコータルマエも2番手に,この2頭の後ろまで上がっていたローマンレジェンドもここから苦しくなり,サミットストーンとワンダーアキュートの2頭が前の2頭を追う形。直線に入ったところでは前の2頭は手応えが違った感じで,その通りにホッコータルマエが楽々と抜け出し圧勝。コパノリッキーが粘って4馬身差の2着。流れ込むような形でサミットストーンが1馬身半差の3着。
 優勝したホッコータルマエチャンピオンズカップからの連勝で大レース7勝目。第59回に続く東京大賞典連覇を達成。能力的に対抗できるとすればコパノリッキーですが,この距離だとやはりこちらが上位。とはいえ,これだけ離して楽に勝てるとは思いませんでした。展開が有利に作用したという面もあったのでしょう。今年は体調を崩しましたが,完全に立ち直っていますから,まだ活躍し続けるものと思います。父はキングカメハメハ
 騎乗した幸英明騎手はチャンピオンズカップに続いての大レース制覇。第52回,59回を勝っていて,連覇となる東京大賞典3勝目。管理している西浦勝一調教師もチャンピオンズカップに続いての大レース制覇で東京大賞典は連覇の2勝目。

 スピノザ形而上学において,同一属性を有する複数の実体substantiaが存在し得ないことの最大の根拠となっているのは,無限に多くの属性attributumがあるとしても,どの属性も「唯一」であるということ,いい換えれば,ある属性と他の属性は,どんな場合でも実在的に区別されなければならないという点にあります。このために,ある任意の属性を抽出したときに,その属性は他の属性に依拠して概念されることはできないし,逆に他のどんな属性を概念するconcipereために貢献することも不可能だからです。したがって,すべての属性は,それ自身によって概念されるのでなければなりません。
 これ自体はスピノザが第一部定理一〇でいっていることです。その証明で,スピノザは,これを実体と属性の区別が理性的区別であるという観点から論証しています。つまり属性は第一部定義四により,実体の本性を構成するものであり,第一部定義三により,実体はそれ自身によって概念されなければならないのだから,属性もそれ自身によって概念されなければならないという論証です。
 しかし,実体と属性の区別が理性的区別であるということに注目しなくても,いい換えれば実体がそれ自身によって概念されなければならないということに頼らずとも,各々の属性が「唯一」であるということに着目するなら,属性がそれ自身によって概念されなければならないということは,スピノザの形而上学においては,公理的要素から抽出できると僕は考えます。そのために必要とされるのが,第一部公理二です。
 「他のものよって考えられえないものはそれ自身によって考えられなければならぬ」。
 この公理自体はきわめて当然だといえるでしょう。ものはそれ自身によって考えられるか,ほかのものによって考えられるかのどちらかでしかあり得ず,他のものによって考えられ得ないのなら,それ自身によって考えられるほかないからです。もちろんここでいう「考えるconcipere」というのも,知性intellectusの能動actio,すなわち概念conceptusのことです。
 どの属性も「唯一」なら,ほかのものによって考えられないことになっています。よってどの属性もそれ自身によって概念されなければなりません。
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有馬記念&疑問の意図

2014-12-28 19:04:14 | 中央競馬
 おそらく年度代表馬の決定に大きく影響を及ぼすだろうと思われた第59回有馬記念
 メイショウマンボが少し遅れての発走。先手を奪ったのはヴィルシーナ。2番手にエピファネイア。その後ろはトーセンラーとジェンティルドンナ。さらにワンアンドオンリーとラキシス。そしてトゥザワールドが追走。この後ろはラストインパクトとフェノーメノ。その後ろにゴールドシップとウインバリアシオンという隊列。超スローペースといってよいでしょう。
 向正面で一旦はエピファネイアとジェンティルドンナの差が開きましたが,徐々に詰まって直線に。まずエピファネイアが先頭に立ちましたが,わりと楽にジェンティルドンナが捕えて先頭に立つと,そのままゴールまで逃げ込み優勝。内目を捌き,最後はエピファネイアとジェンティルドンナの間のコースを伸びたトゥザワールドが4分の3馬身差で2着。向正面で外に出し,3コーナー過ぎから捲ったゴールドシップがハナ差の3着。
 優勝したジェンティルドンナドバイシーマクラシック以来の勝利で大レース7勝目。昨日から中山は内目を回らないと厳しいと思える馬場状態になっていました。有力馬の中ではこの馬だけが内目の枠を引き,このアドバンテージをうまく生かしての勝利。中山で走るのはこれが初めてだったのですが,ある程度は前に行かれますので,不安材料にはならないと考えていましたが,やはりその通りでした。僕はレースで旺盛な闘争心を見せる馬が好みで,彼女はまさにそのタイプ。近年の競走馬の中では最も好きな馬。これで引退しますが,最後を飾ることができたのは個人的にも大きな喜びでした。父は第51回を制したディープインパクト。全姉に2012年の京都牝馬ステークスと関屋記念を勝ったドナウブルー。Gentildonnaはイタリア語で上流夫人。
 騎乗した戸崎圭太騎手と管理している石坂正調教師は南部杯以来の大レース制覇で有馬記念初勝利。

 すでに述べましたが,ライプニッツの形而上学を詳しく検討はしません。ただ,ライプニッツの疑問は,それが可能であるとライプニッツ自身が考えていたために提出されたということは前提します。つまり実体Aの本性が属性Xと属性Yによって構成され,実体Bの本性が属性Yと属性Zによって構成されることが可能であるとライプニッツは考えていて,なおかつライプニッツの形而上学は,それを様態的区別ではなく実在的区別であると措定するものであったと考えておくのです。
                         
 今回の考察が『宮廷人と異端者』から得たヒントとして,最大のものはこの点に該当します。スチュアートは,この疑問をその中で取り上げていて,なぜ第一部定理五の証明を破壊する必要があったのかということについて,ライプニッツは複数の実体が存在すると考えていたからだという主旨のことを述べています。すでに説明したように,ライプニッツのモナド論において,モナドは実体と同一視することが可能であり,かつライプニッツが無限に多くのモナドが実在すると考えていたことも間違いありません。ですからライプニッツが無限に多くの実体が存在すると考えていたと解して,間違いではないだろうと僕も思います。だからスチュアートがいっていることも正しいだろうと思うのですが,スチュアートの論述自体は,僕には不十分であるように思えます。というのも,第一部定理五というのは,単純に複数の実体が存在するということを否定しているわけではないからです。むしろ複数の実体の存在の有無は,形而上学的には解答不能であるという意味が,第一部定理一〇備考に含まれていると僕は解します。それは第一部定理一四になって,実在的な意味で否定されていると理解するべきだと思います。
 ライプニッツが主張したかったのは,だから単に複数の実体が存在するということではなかったのだと僕は思います。もちろんそれもライプニッツの主張に含まれるのは間違いないのですが,同時にそれら複数の実体は,同一の属性によって本性を構成され得るということだったと思うのです。そのゆえに,第一部定理五がターゲットにされたのではないでしょうか。
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棋王戦&レトリック

2014-12-27 19:14:48 | 将棋
 22日に指された第40期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績は羽生善治名人が42勝,深浦康市九段が29勝。
 振駒で羽生名人の先手になり,角換り相腰掛銀。深浦九段が穴熊に潜ったところで先手が仕掛けると,後手もすぐに反撃に転じるというスリリングな展開。戦闘開始直後は分かりませんが,手数が進んであるところからは後手が優位に立っていたと思われます。
                         
 後手が△1四歩と打って,1五にいた馬が引いた局面。僕はこの近辺が,この将棋で後手のリードが最も大きかったのではないかと思います。
 ここで△8二香と打つと,先手は▲9九桂と受ける一手で,この交換は明らかに後手が得な筈です。ただ,打った香車がその後の展開で十分に働くかどうか見極めることは難しく,それなら手持ちにしておいた方がプラスであるという考え方も成立します。
 後手は後者を選択したようで,△4三歩と,馬筋を遮断する受けの手を指しました。第1図の直前,△1四歩と打ったところでも△8二香は可能でしたから,手の流れには沿っていたと思います。先手は▲7五桂と打ち,△8二飛に▲7一銀△7二飛と飛車をどかし,▲8三桂成としました。以下,△7一飛▲8四成桂△8二香▲8五成桂△同香まで,変化のしようがないと思われます。
                         
 銀桂と香車二枚の交換は先手の損ですが,8筋はかなり緩和されました。まだ後手が指せるかもしれませんが,少なくとも第1図ほど先手が大きなリードを許してはいないように思います。
                         
 羽生名人が勝って挑戦者に。棋王戦五番勝負には第33期以来7期ぶりの出場。第一局は2月11日です。

 本性の形而上学を取り払った一例のうち,長方形を属性X,正方形を属性Y,ひし形を属性Zと置き換え,さらにすべての角の大きさが等しい四角形を実体A,すべての辺の長さが等しい四角形を実体Bと置き換えるなら,ライプニッツの疑問は成立します。そしてこのように考えなければ,スピノザ哲学の枠内においては,成立し得ません。ここで哲学といい,形而上学といわなかったのは,四角形に関連する一例の説明は,必ずしも形而上学的とはいい難い一面があると思われるからで,それ以上の理由はありません。
 スピノザ形而上学に対するライプニッツの疑問において,ライプニッツがレトリックを用いていると僕はいいました。そのレトリックの内容がどのようなものか,ここから明らかでしょう。僕たちはすべての辺の長さが等しい四角形と,すべての角の大きさが等しい四角形とを確かに区別することができます。しかしそれは実在的に区別されているわけではありません。四角形が形相的に,すなわち知性の外に存在するとみなせば,それは同じ物体として,つまり共通点を有するものとして,様態的に区別しているのです。このゆえに僕は,架空の反論に対してはそれ以上は答えず,この区別が実在的区別ではあり得ないとだけいったのです。ライプニッツは疑問では実在的区別といっています。僕も,この区別がそれに準じているといいました。しかしスピノザ形而上学の立場で区別の方法をよく分析してみれば,もしも知性がものをこのような仕方で区別し得るならば,それは実在的区別ではあり得ず,様態的区別であるということが帰結するのです。
 ライプニッツの疑問に対するスピノザ形而上学からの解答は,これが最終的なものです。しかしそれは,スピノザの形而上学の枠内のみで解決されているだけであり,きっとライプニッツを満足させるような解答ではないと現在の僕は考えています。ライプニッツはむしろそのスピノザの形而上学の全体を疑問視していたと思うからです。つまりスピノザの形而上学の枠内では,様態的区別とされるような仕方で,実体も区別し得るのだとライプニッツは考えていたのだろうと思うのです。
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ロードマップ&本性の形而上学

2014-12-26 19:31:11 | 血統
 17日の全日本2歳優駿を勝って大レース勝ち馬の仲間入りを果たしたディアドムスは祖母がノーザンドライバー。そのノーザンドライバーの祖母が1967年にアメリカで産まれたロードマップで,一族の輸入基礎繁殖牝馬となります。ロードマップからみて4代母がダイナゴンの4代母にもあたり,ほかにチップトップクリアアンバーも属する4-mというファミリーナンバーテイエムオペラオーなど,大レースの勝ち馬も多く出ていて,日本とは親和性が高いナンバーです。母系をかなり遡ってようやく同じ牝馬にいきつくので,その影響が大きいとはいい難いと思うのですか,いくつかのファミリーナンバーが特異に多くの活躍馬を出すのも事実で,4-mはそのひとつといえます。
                         
 ロードマップはアメリカで3頭の仔を産んでからの輸入。日本では7頭の産駒が登録されましたが,直仔からの重賞勝ち馬はなし。1981年産のダイナドライブが母になってノーザンドライバーを産み,ここで重賞の勝ち馬が出ました。
 実はこれまで,この一族の重賞勝ち馬はノーザンドライバーだけでした。その孫のディアドムスが北海道2歳優駿を勝ったのが2頭目。ノーザンドライバーは代表馬にはなっていますが,大レースを勝ったわけではありません。ディアドムスが一族から初の大レース勝ち馬になったのです。
 ノーザンドライバーのライバルのうち,スカーレットブーケは繁殖牝馬として大成功。シスタートウショウからは重賞勝ち馬は出ていませんが,近親にとても多くの活躍馬がいる一族。またイソノルーブルは孫に重賞勝ち馬を出していました。スカーレットブーケは突出していますが,その他の馬の仲間入りはノーザンドライバーもできたといえるでしょう。
 重賞勝ち馬は少ないですが,一族の枝葉は大きく広がっています。ロードマップを基点とする一族から別の重賞勝ち馬が輩出する可能性は残っていると思います。

 第二部定義二を形而上学的に考えてみましょう。X,Y,Zとみっつの本性essentiaがあり,もしYがAの本性であるとしたら,Aの本性はYだけでなければなりません。しかしこのことは実体substantia以外のもの,それは第一部公理一の意味により様態modiですが,その場合にしか成立しません。第一部定理一〇備考は,仮に属性Yが実体Aの本性を構成するとしても,実体Aの本性を構成するのが属性Yだけであるとは限らないといっているからです。このゆえに実体の本性は,単に本性といわれるのでなく,属性attributumという特別な語句によって記述されるといえるかもしれません。属性は第一部定義四にあるように,実体の本性ですが,形而上学的に考えた場合には,それだけの相違が様態の本性と様態それ自体の関係との間にあるのです。
 そして実体の本性が何であるかは,形而上学的観点からは不明であるとスピノザは考えたのです。知性intellectusには実体の属性の区別の方法が,形而上学的にはこれ以上は存在しないからです。そのためにスピノザはこの解答を実在的観点から与えたのです。
 ただし,この形而上学は,本性に関した場合にのみ通用します。一般的な意味において,YがAにとって妥当するから,Yに妥当するのがAだけであるということではありません。また,XとYがAに妥当し,YとZがBに妥当するから,AとBとは同一のものであると知性が認識するというものではありません。本性という条件を外してしまえば,このようなことはいくらでも生じ得ます。いい換えれば,Aに妥当するのがXとYであり,Bに妥当するのがYとZであるというとき,だから知性は一般にAとBを区別することができないというわけではありません。むしろこの条件下で、AとBを区別し得る事例というのも,いくらでもあるのです。
 たとえば,すべての角の大きさが同一の四角形というカテゴリーを形成します。長方形と正方形はこのカテゴリーに含まれます。ひし形は含まれません。次に,すべての辺の長さが同一の四角形というカテゴリーを形成します。正方形とひし形はこのカテゴリーに妥当しますが,長方形は妥当しません。しかしふたつのカテゴリーを,知性は十全に区別できます。
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九十九島賞争奪戦&架空の反論

2014-12-25 19:59:07 | 競輪
 23日の佐世保記念の決勝。並びは新田に金子-布居の中部近畿,中川-井上-菅原-荒井の九州で,後閑と桐山は単騎。
 金子がスタートを取ったので前受けは新田。4番手に後閑,5番手に中川,最後尾に桐山で周回。残り2周のホームで8番手の荒井から上昇。これが九州の作戦で,バックで新田を叩いた荒井が,誘導の前に出たところで打鐘。荒井を追い掛けた中川が発進。九州ラインの内から上昇していた後閑がホームの入口前で菅原をどかし,中川-井上-後閑-菅原-荒井ー桐山-新田-金子-布居で一列棒状。ホーム出口付近から新田が発進。バックに入ると桐山もこれに反応して発進したため,新田のスピードが一時的に緩むことに。桐山は3コーナー過ぎに後閑の横あたりまで行きましたが,ここから井上が発進。直線の入口で前に出た井上がそのまま後ろを寄せ付けずに優勝。マークを奪った後閑が4分の3車輪差で2着。1車身差で菅原も3着に続きました。
 優勝した長崎の井上昌己選手は先月の松山記念に続いての記念競輪9勝目。地元となる佐世保記念は2011年以来の2勝目。荒井が前を斬るという作戦が見事に成功。中川が駆けやすくなりましたし,打鐘からの先行になればそう簡単に捲られる選手ではありませんから,あとはどこから出ていくかというレースに。桐山が来たのがそう早い段階ではありませんでしたので,わりと楽に勝つことができたのではないでしょうか。

 属性と属性が実在的に区別されるということと,ある属性によって本性を構成される複数の実体は存在し得ないということが大きく関係しているということが,架空の設定からの帰結でも理解できます。属性Yに注目するとき,知性は属性Xおよび属性Zの認識を考慮の外に置きます。XやZによってYが認識されるわけではありませんし,逆にYによってXやZが認識されるというわけでもないからです。
 すると,Yによって本性を構成される実体Aと実体Bの区別の方法が,知性にはありません。このために,AはXとYによって本性を構成されなければならず,ZはXと共に本性を構成しなければならないという架空の認識が知性に生じたとするなら,その知性はXとYとZという本性によって構成される単一の実体が存在するとしか概念し得ないのです。第一部定義六は,無限に多くの属性が存在すると主張しています。しかし,たとえ無限に多くの属性があるのだとしても,どの属性も「唯一」の属性として考えられなければならないのだと僕はかつて主張しました。これはそのことの根拠にもなるといえるでしょう。
 ただし,まだライプニッツにも反論の余地があります。というのは,たとえばZがYと共にある実体の本性を構成しなければならないと知性が認識し得るのだとすれば,ZはXとは共に本性を構成し得ないと認識することも可能であるといえるからです。
 発端が架空の設定なのですから,この反論も架空の反論です。そして僕はこうした反論が成立し得ると認めます。しかしこれについてはこれ以上は探求しません。この場合には,実体Aの本性が属性XとY,実体Bの本性はYとZによって構成されるということを認めなければならなくなりますが,この設定の仕方自体が,スピノザ形而上学と大きくかけ離れているからです。そしてこの設定というのはライプニッツの疑問の設定と同様です。僕は疑問の解決方法において,ライプニッツがレトリックを駆使しているのだといいましたが,いよいよそれを具体的に示す準備が整ったようです。
 実体がこのように区別されるなら,それは実在的区別とはいえません。
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農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&架空の設定からの帰結

2014-12-24 19:04:51 | 地方競馬
 安定して実力を発揮する馬が少ない上にハンデ差もあり,馬券の面では非常に難解なレースとなった第14回兵庫ゴールドトロフィー
 先行争いがあるかと思われましたが,案外すんなりとメイショウコロンボがハナへ。コアレスピューマ,タイセイレジェンドの2頭が追い掛け,4番手にサクラシャイニー。その後ろにサマリーズとタガノジンガロという隊列に。ミドルペースであったと思われます。
 前半は後方2番手に控えていたジョーメテオが向正面で外を一気に進出。3コーナーでは先頭に並び掛けました。一旦は前に出られたように見えたメイショウコロンボが応戦。4コーナーではこの2頭と後ろとの差が開き,マッチレース。再び先頭を奪い返していたメイショウコロンボがまた差を広げて優勝。1馬身半差の2着にジョーメテオ。最内をそつなく回ったサクラシャイニーが5馬身差で3着。
 優勝したメイショウコロンボは重賞初勝利。8月にオープンを勝って以来のレースでしたが,過去も休養明けのレースは好成績でしたので,そのあたりはあまり心配材料にはなりませんでした。この距離が初めてだったので,スピードが通用するのかというのが最も大きな課題だったと思うのですが,ほとんど問題になりませんでした。先行できるのは大きな強みになる筈で,このクラスのメンバーであれば,今後の活躍も期待できそうです。父はマンハッタンカフェ。伯父に1997年の北海道スプリントカップとスーパーダートダービー,1998年の名古屋大賞典,1999年のかきつばた記念と,距離を問わずに重賞を4勝したメイショウモトナリ
 騎乗した武幸四郎騎手,管理している角田晃一調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。

 第一部定理一〇備考は,名目的認識の限界を超え出るために,実在的認識への橋渡しをしているのだと理解することが可能でしょう。この実在的認識によって初めて,どの属性がどの実体の本性を構成するのかということ,同じことですがどの実体は何の属性によって本性を構成されるのかということを,知性は確実に知り得るようになるからです。第一部定理一一の論証は,第一の証明,第二の証明,第三の証明のいずれも,実体と属性に関係する形而上学をその論拠とはしていません。つまり知性はそれとは別の観点から,実体の属性を認識することになるのです。
 このようなわけですから,ライプニッツの疑問で,実体Aの本性が属性Xと属性Yによって構成されるといわれているのは,スピノザ形而上学の枠内では架空の設定だと考えなければなりません。ここではその設定が,実際に知性のうちで生じ得ると仮定するのです。
 ただ,これは仮定の仕方も少し難しいところがあります。もっとも架空の設定ですから,どういう条件を付加すればよいのかが分からないのは当然でしょう。そこでここでは,属性Yを知性が認識したときに,属性Yによって本性を構成される実体には,属性Xもまたその本性を構成しなければならないというように知性が認識したと仮定します。これで架空の設定の条件は満たされている筈です。
 この設定を受け入れた上で,これとは別の属性Zを知性が認識したとします。そして属性Zによって本性を認識される実体は,属性Yによっても本性を構成されなければならないと知性が認識したとします。そこでその実体を実体Bとしましょう。これでライプニッツの疑問を成立させる条件が整いました。
 属性X,Y,Zが実在的に区別されるなら,各々はそれ単独で認識されていなければなりません。となると,この架空の設定の条件下で上述の認識が知性のうちに生じたとするなら,知性は何の迷いもなく実体Aと実体Bは同一の実体であると結論することになるでしょう。いい換えれば,属性X,Y,Zという複数の属性によって本性を構成される,単一の実体があるというように知性は認識することになるのです。
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農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&名目的認識の限界

2014-12-23 19:31:42 | 地方競馬
 ダートの最長距離重賞のひとつ,第14回名古屋グランプリ。リバルドホープが出走取消で10頭。
 トウショウフリークとエーシンモアオバー。どちらが逃げるのかにまず注目していましたが,押して先手を奪ったのはエーシンモアオバー。ニホンピロアワーズが2番手でマークし,3番手にトウショウフリーク。これらの後ろがソリタリーキングで,離れてシビルウォーの追走。1周目の向正面で抑えきれなくなったかトウショウフリークが先頭に。エーシンモアオバーがうまく外に切り返して差のない2番手。ニホンピロアワーズがこれをマークの3番手という隊列に。2周目の正面で,離れていたソリタリーキングとシビルウォーの差も詰まりました。ハイペースであったと思われます。
 2周目の向正面でエーシンモアオバーが先頭を奪い返すと,ニホンピロアワーズも変わらずマークしていきトウショウフリークは後退。3コーナーを回るとニホンピロアワーズが先頭に立ったのですが,コーナーワークもありエーシンモアオバーが盛り返して直線は競り合い。直線の入口では再び先頭に立っていたエーシンモアオバーが振り切って優勝。クビ差の2着にニホンピロアワーズ。直線でよく脚を伸ばしたシビルウォーが半馬身差の3着まで詰め寄りました。
 優勝したエーシンモアオバーは前々走の白山大賞典以来の重賞4勝目。第12回以来,2年ぶりの名古屋グランプリ2勝目。逃げたものの先頭を奪われ,奪い返した後にまた2着馬に前に出られたものの盛り返すというのは,とても困難なこと。わりとあっさり下がってしまうケースもあった馬だけに,今日のレースは驚異的でした。鞍上の手腕が光ったともいえるでしょうし,重賞勝利が金沢と名古屋に集中していることから,コース相性のよさもあるのかもしれません。父はマンハッタンカフェ
 騎乗した愛知の岡部誠騎手と管理している沖芳夫調教師は第12回以来,2年ぶりの名古屋グランプリ2勝目。

 スピノザ形而上学の枠内では,ある属性と別の属性の区別は実在的区別です。このために,ある属性を認識することによって,ほかの属性を認識することは不可能であるということが帰結します。実在的に区別されるものは共通点を有しません。第一部公理五は,共通点を有さないものの間では,一方を認識することによって他方を認識することはできないという意味を含んでいるからです。
 すると,属性Xを認識することによって属性Yを認識することはできないし,属性Yを認識することによって属性Xを認識することもできないことになります。つまり属性Xも属性Yも,他方の認識とは無関係に,個別に知性によって認識されると理解しなければなりません。第一部定理一〇のうちに,確かにこのことが含意されているといえます。
 一方,属性と実体の区別は理性的区別ですから,何らかの属性が認識されるということは,何らかの実体が認識されているということと同じです。そこで,属性Xによって認識される実体を実体x,属性Yによって認識されている実体を実体yと仮定します。このとき,実体xと実体yが同一の実体であるか異なった実体であるかは,知性によるこの認識だけでは不明であるというのが,第一部定理一〇備考のいわんとしていることだと僕は考えます。この文章はそれ自体では,属性が実在的に区別されるからといって,それが異なる実体の本性を構成するとは結論し得ないといっています。しかしそれは,同一の実体の本性を構成すると結論し得るという意味ではありません。そのこともまた結論し得ないのです。要するに属性が本性を構成する実体が何であるのかということは,属性を認識するだけでは分からないのです。また,実体と属性の理性的区別に配慮するならば,実体の本性がどの属性によって構成されるのかは,単純に実体を認識したというだけでは分からないのです。なぜなら,ある実体と別の実体が実在的に区別されるということだけでは,それらの実体が本当に異なる実体であるのか,それとも本当は同一の実体であるのかは,知性には判然としないからです。
 これを,名目的認識の限界ということにします。
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先生の認識&架空の設定

2014-12-22 19:32:42 | 歌・小説
 一介の下宿人にすぎなかった先生が,下宿部屋として一家の主に相応しいような部屋をあてがわれたことについて,先生自身はどのように認識していたのでしょうか。
                         
 僕は,先生は,自分がこの家の主として扱われていたこと,いい換えればゆくゆくはお嬢さんと結婚することを望まれていたことを,明確に認識していたのではないかと思います。ただしその認識がいつ発生したのかまでは分かりません。それでも,少なくとも先生がKに同居を誘った時点では,先生はそのことをはっきりと理解していたと思います。ことによるとこの先生の認識は,先生の優越感と何らかの関係があるかもしれません。
 この解釈の根拠を説明します。
 下の十五,これは先生の遺書の中身ですが,ここで先生は,自分がこの家で十分に信用されていると確かめたといっています。もちろんこれは遺書で,かつての出来事を再構成して書かれたものですから,十分な根拠にはなり得ないことは認めます。というのも後から考えれば,自分はこの時点では自分への信用を確認していたのだと結論し,その時点では意識に上っていなかったことを記述している可能性を否定できないからです。
 でも先生はその直後に,この信用と,自分が受けた長男の悲劇とを絡めて考えたと書いています。つまり奥さんとお嬢さんが叔父のような企みをもって自分に接近しているのではないかと疑ったのです。いい換えれば先生との同居についてはあっさりと承諾した奥さんに,ある意図があったのではないかと疑うようになったということです。
 この疑念は,後に再構成されたと考えることはできません。むしろその時点でそういう疑惑をもったからこそ,遺書にそう記述できたとしかいいようがないからです。しかしこの疑惑が発生するためには,自分がお嬢さんの結婚相手に望まれているという観念が必要です。それを先生は信用ということばで表現したのだと解するのが妥当だと僕は思うのです。
 遺書にKが登場するのは十九に入ってから。だからKとの同居以前に,先生のうちにはこうした認識があったと解するのです。

 スピノザ形而上学の枠内での解決方法になぜライプニッツは満足できないのか。このことをまたスピノザ形而上学から説明するためには,架空の設定を施す必要があります。本当はそういうことはしたくないのですが,ライプニッツの疑問の本質を探るためには避けて通ることができない道なので,今回はこの方法を採用します。
 まず,属性Yがあって,このYが実体Aの本性を構成すると知性が認識することについていえば,これはスピノザ形而上学の規定に反することではないと僕は解します。属性が実体の本性で,事物と本性の区別が理性的区別であるなら,属性が認識されるということと,実体が認識されるということは,この枠の中に限定するなら同一の事柄だからです。よって属性Yを知性は認識するという条件だけが整えばこのことは貫徹されます。実際に僕たちが属性を知覚するという事実に訴えてもこの条件は整っていますし,単に名目的に知性が属性を認識するということを仮定したとしても,条件としては十分であると僕は考えます。名目性の方が問題の中心になっているので,後者で考える方がなお好ましいとはいえるでしょう。
 次に,この条件が満たされた上で知性が属性Xを認識し,これが属性Yと同様に実体Aの本性を構成すると知性が認識するということについては,僕はスピノザ形而上学の枠内では説明が不可能であると考えます。いい換えれば,属性Xと属性Yが協同して実体Aの本性を構成すると認識することは,スピノザの哲学における知性には不可能であると僕は考えるのです。ライプニッツの疑問はこの設定をしています。他面からいえば,ライプニッツはこれが可能であると考えていたと理解するのが妥当でしょう。しかしこの点に関しては,後に譲ります。先述したように,僕はスピノザの哲学ではこれが不可能であると考えています。架空の設定とは,この考えを無視して,ライプニッツが設定した条件に応じるという意味です。
 なぜ僕がそれを架空の設定とみなすのかということについてはいくらかの説明を要するでしょう。普通はライプニッツの設定には無理がないと理解されると推測されるからです。
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朝日杯フューチュリティステークス&解決方法

2014-12-21 19:08:31 | 中央競馬
 今年からは阪神競馬場で行われることになった第66回朝日杯フューチュリティステークス
 好発はセカンドテーブル。これを外から交わしてアクティブミノルの逃げ。やや争いましたので,最初はこの2頭が抜け出す形。外から進出したメイショウマサカゼが3番手を取り,その後ろはタガノアザガル,ジャストドゥイング,コスモナインボール,ケツァルテナンゴ,ペイシャオブローの一団。クラリティスカイがこの集団の後ろとなりました。前半の800mは47秒3で,発走後の競り合いがあった分だけハイペース。
 隊列が定まってからはペースが落ちたため,馬群がぎゅっと凝縮して直線に。アクティブミノルはなかなかの粘りを見せ,追ったのは馬場の中ほどに進路を取ったクラリティスカイ。しかし発走直後に下げ,外に出してペースが落ちていたところで自然と追い上げていたダノンプラチナの大外からの伸びが優り,前の2頭を交わして抜け出し,優勝。掛かりそうになりながら馬群の内で脚を溜め,内目を捌いて最後はアクティブミノルとクラリティスカイの間を伸びたアルマワイオリが4分の3馬身差で2着。クラリティスカイが4分の3馬身差で3着。
 優勝したダノンプラチナは9月に札幌の新馬でデビューして2着。10月に東京の未勝利を圧勝すると先月の東京の条件戦も楽勝。この勝ち方が非常に強かったので,きっと大物であろうと思っていました。重賞を勝っていた馬もいて,実績的には下でしたが,素質の高さではむしろ上回っていたということでしょう。1番人気に推されたのも,多くの人がそのように考えていたからだと思われます。将来もかなり楽しみな馬であるのは間違いありません。父はディープインパクト。祖母の半姉にフローラルマジック
 騎乗した蛯名正義騎手は先週の阪神ジュベナイルフィリーズに続いての大レース制覇。第58回以来8年ぶりの朝日杯フューチュリティステークス2勝目。管理している国枝栄調教師は2011年のヴィクトリアマイル以来,約3年半ぶりの大レース制覇で朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。

 スピノザ形而上学の枠内では,これでライプニッツの疑問は解決されています。道筋は以下のようになります。
 第一部定義四は,属性が実体の本性であることを示します。事物とその本性の区別は理性的区別です。なので実体とその実体の属性の区別は理性的区別です。
 AとBが理性的に区別されるとき,Aの観念対象ideatumとBのideatumは同一です。したがって,実体Aの本性が属性Yによって構成されると知性が概念するなら,実体Aのideatumと属性Yのideatumは同一です。
 これとは別に,実体Aと実在的に区別される実体Bを同じ知性が概念したとします。この場合,実体Aのideatumと実体Bのideatumは同一ではあり得ません。これはそれ自体で明らかでしょう。したがって属性Yと実体Bのideatumも同一ではあり得ないことになります。
 ここではライプニッツの疑問に照合させるために,A,B,Yという記号を用いました。でもこれらの記号は任意ですから,どんな実体と属性の認識に関しても妥当します。つまり実体Aの本性を構成するのが属性Yであると概念されたならば,知性は属性Yによって本性を構成され得るA以外のいかなる実体も概念できません。そしてある実体と別の実体の区別の方法を,知性はこれ以外に持ち合わせません。よって同一の属性が異なる実体の本性を構成すると,知性は認識することができません。同じことですが,単一の属性が複数の実体の本性を構成することはありません。つまり第一部定理五は正しいことになります。
 ことばと観念が異なるというスピノザの哲学の規定に注意するなら,ここで僕が述べたことがレトリックではないということはよく分かると思います。むしろこの枠内でいえば,ことばによる,あるいは記号によるレトリックを駆使して,同一の属性が複数の実体の本性を構成し得ると主張しているのがライプニッツの疑問であり,つまりライプニッツがレトリックに依拠していることになります。ただし,このような解決方法は,スピノザの哲学を守るためには有効ですが,ライプニッツを満足はさせないでしょう。
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農林水産省賞典中山大障害&区別の方法

2014-12-20 19:35:10 | 中央競馬
 これまでよりも1週繰り上げて実施された第137回中山大障害
 好発だったドリームセーリングがそのままハナを奪い,後続を離していく展開。2番手以下は,アポロマーベリック,オースミムーン,シャイニーブラック,バアゼルリバーという隊列でしたが,1頭だけ遅れたメジロサンノウ以外はほぼ集団。2周目の大障害コースに入る手前からメイショウヨウドウが上昇。ドリームセーリングのリードも縮まり,ドリームセーリング,メイショウヨウドウ,アポロマーベリック,バアゼルリバー,オースミムーンという隊列に。ふたつの大障害は全馬が飛越しましたが,1コーナーと2コーナーの中間の障害でクリノテンペスタが落馬。向正面に入るとアポロマーベリックが再び2番手に上がり,レッドキングダム,メイショウヨウドウという隊列となり,その後ろにオースミムーンとシャイニーブラック。
 3コーナーを過ぎてアポロマーベリックが先頭に。追ってきたのはレッドキングダム。直線でレッドキングダムの脚色が優り,内で粘るアポロマーベリックを交わして優勝。アポロマーベリックが3馬身差で2着。直線で内寄りのコースから脚を伸ばしたサンレイデュークが5馬身差で3着。
 優勝したレッドキングダムはこれが重賞初勝利。前走は前哨戦のオープン特別を勝っていました。障害のGⅠはいずれも中山で行われるので,コース適性が重要なのですが,この馬の場合,中山で連勝となったように,適性が高いのでしょう。中央でデビューしたものの勝利をあげられず,岩手に転入して2勝をあげ,中央に戻った馬で,本質的にスピードタイプでなく,奥手タイプなのかもしれません。雨が降ったのもプラスだった可能性もあると思います。父はディープインパクト。祖母の半弟に1997年のジャパンカップを勝ったピルサドスキー,同じく半妹には2002年のJRA賞最優秀3歳牝馬のファインモーション
 騎乗した北沢伸也騎手はデビューから24年9ヶ月強で大レース初制覇。管理している松永幹夫調教師は2009年の秋華賞以来となる大レース2勝目。

 最後に,区別の方法論とでもいうべき事柄を補足します。
 僕は,あなたの身体と僕の身体は様態的に区別されるといいました。これは,事物が知性の外に,形相的に存在する場合にも,区別することが可能であるという意味を含みます。つまり形相的事物Aと形相的事物Bは,様態的にか実在的にかは場合によりますが,区別可能であると僕は認めるのです。しかし,一般的に僕たちがある事物と別の事物を区別するというのは,僕たちの思惟作用です。これはきわめて当然のことなのですが,ライプニッツの疑問が,実体の認識上の区別,まさに思惟作用としての区別を中心として構成されているので,とくにこの考察においては,念頭に置いてほしいのです。基本的にここから僕が区別というとき,それは第一義的に,僕たちの思惟作用による区別が意図されています。
 第二部公理三により,思惟の様態のうち第一のものは観念です。ですからたとえばAとBは,ある知性のうちにAの観念とBの観念の両方が存在して初めてその知性のうちで区別され得ることになります。ただし,これはそれ自体でみるなら,Aの観念とBの観念が区別されているということになり,様態的区別です。実際に知性のうちで生じるのはこうしたことだけではありません。事物とその事物の本性の区別は理性的区別なので,このときにはAの本性とBの本性が区別されるという意味が含まれるからです。そしてこのとき,もしもAの本性とBの本性に間に,何らかの共通点があると認識されるなら,AとBは様態的に区別されます。この場合,それが様態となっている属性が何であるかは問われません。それを延長の属性と仮定すれば,AとBが形相的な意味合いにおいて区別されていることになります。この意味において僕は形相的事物の区別を認めるのです。一方,Aの本性とBの本性に共通点がないと認識されているなら,この知性のうちでAとBが実在的に区別されることになります。この場合も,Aの属性とBの属性が何であるかを僕は問いません。ただ,人間の精神は延長と思惟しか認識しませんので,人間に限定した場合には,一方が思惟で他方が延長であることになります。
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印象的な将棋⑩-2&理性的区別

2014-12-19 19:38:09 | ポカと妙手etc
 ⑩-1の第1図で,△3四同金と取れるのが,金が4三にいる効果です。
                         
 これが△3六歩の先手。▲4七金と受けるのは止むを得ないでしょう。
 ただ,これで後続がないと,駒の損得がありませんから,後手は陣形を乱しただけになってしまいます。△8六歩と突き捨てました。
 これには▲同歩もあったと思いますが,▲同銀と応じました。薄くなった6筋へ△6五歩。これは取ってしまうと△3六歩▲同金△6六角の筋を狙われます。そこで▲4五歩と反撃に転じました。後手は△6六歩と取り込んでおき,▲4四歩に△同金。▲6八歩と受ければ手堅いかもしれませんが,さすがに屈服という感じもあり,▲1五歩△同歩▲1四歩と端に手をつけました。
                         
 ぼんやりとした感じの手ではありますが,後手がどう指すかも難しいのではないかと思えました。

 スピノザの哲学における区別はこれがすべてです。ただし,僕たちが真理を追究するという場合には,同一のものを異なった概念として把握した方が有益であるということがあります。こうした思惟作用に依拠して,同一のものを違った観点から把握するために区別することは,理性的区別といわれます。他面からいえば,観念対象ideatumが同一である観念を,知性の能動によって敢えて区別するとき,それは理性的区別といわれるのです。
 第二部定義六は,実在性と完全性は理性的にのみ区別されるという意味だと解せます。この定義は「解する」という形式になっていますから,まさに知性の作用に注目されていることになります。
 第二部定義二の意味からして,ある事物とその事物の本性は,理性的に区別されることになります。これは当然です。たとえば平面上の三角形と,その本性を示した,平面上の内角の和が二直角である図形は,ideatumとしてみれば同一だからです。つまりそれは理性的に区別されているだけです。そしてこの関係が,あらゆる事物とその本性との間に成立します。僕の考えだけいえばこれは公理です。スピノザがこのことを定義として示したのは,当時の思想状況は,これを共通概念notiones communesとすることができなかったからだったと推測します。
 第二部定理四九系は,意志と知性が理性的に区別されるという意味を含みます。意志知性も思惟の様態ですが,それは様態的に区別されるのではなく,理性的にのみ区別し得るのです。同様に,個々の観念とその観念が含む意志作用というのも,同じ思惟の様態として様態的に区別されるのではなく,理性的に区別されます。
 僕がこのブログで実在性を力という観点からみた限りで本性であるというとき,僕は本性と実在性は理性的に区別されると主張しているのです。上述の例と照合すれば,ある事物X,Xの本性,Xの実在性,Xの完全性は,いずれも理性的に区別されるのであって,実在的にも様態的にも区別することはできないと僕は考えています。
 ほかにもありますが,これくらいで十分でしょう。
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スピノザ『エチカ』を読む&属性と様態の区別

2014-12-18 19:18:06 | 哲学
 僕にライプニッツの疑問を最初に教えてくれた『スピノザ『エチカ』を読む』。この本の書評も未掲載でしたので,短評しておきます。
                         
 スピノザの哲学というのは,総じてドイツとフランスで詳しく研究されました。訳者あとがきによれば本書の著者であるカーリーは,イリノイ大学教授で,英米系を代表するスピノザ研究者だとあります。カーリーは1937年生まれ。英語の原書が出版されたのは1988年。日本語訳版は1993年の発行です。
 中身はカーリーによるスピノザ読解と考えて差し支えないでしょう。ただし,スピノザの哲学の全体が網羅されているかといえば必ずしもそうではなく,おそらくカーリー自身が関心を抱いている部分に集中しています。
 全体はみっつの章に分けられています。第一章が神についてで,ここではデカルトの形而上学とスピノザのそれとの比較に多くが費やされています。ライプニッツの疑問も,この章で触れられていました。
 第二章は人間について。ここでは平行論と精神の永遠性というふたつの事柄が中心になっています。これは以前に書いたことでもありますが,基本的にカーリーは,一般的な常識にそぐうような方向でスピノザの哲学を解釈する傾きがあるように僕には思えるのですが,それが最も顕著に出ていると僕が感じるのがこの章です。
 第三章は人間の幸福について。この章の中心になっていることをスピノザの哲学でいうなら,コナトゥスすなわち自己保存の力です。ただしこの章は,哲学的考察というよりも,政治学的考察と心理学的考察というべきふたつの考察が中心になっているといえます。それはおそらく,カーリーの関心がその部分にあるからでしょう。この章の末尾近辺で,カーリーはデカルトの幸福論とスピノザの幸福論というべきものを比較し,スピノザの幸福論にやや悲観的と思えるかもしれない結論を下していますが,僕はその部分に関してはカーリーの見解を支持します。
 この本は古書店で入手したもの。現在も入手可能であるかどうかは分かりません。

 ある実体およびその属性と,その属性の様態とは,同一のものではありません。これはそれ自体で明白です。ですからそれらは区別されなければなりません。あるいは区別することが可能であると考えなければなりません。そしてこの区別に関しては,通常は実在的区別とされます。
 通常はというのは、僕はスピノザがこの区別を実在的区別であるといっているかどうか知らないからです。しかしスピノザの哲学の研究者の間では,これを実在的区別に区分するのが共通認識になっています。おそらくその根拠は第一部定理一にあるといえるでしょう。実体が本性の上で様態に「先立つ」のであれば,実在的区別は様態的区別に先立つ筈です。したがって実体が何かほかのものと区別されるなら,区別されるものが何であれ,それは実在的区別とみなされるべきだということになるからです。
 ただし僕自身は,この区別を様態的区別と解釈したとしても,ひどい間違いを犯していることにはならないように思っています。というのも,もしも実在的区別と様態的区別の相違を,共通点という観点から判断した場合には,ある属性とその属性の様態は,当然ながら共通点を有しているのですから,区分としては様態的区別の方に近いからです。そして区別それ自体の区分でいえば,区別されるものの本性に依拠するよりは,区別自体の本性ないしは本性的側面から区分する方が,妥当であるように思うからです。
 もしもこの区別を実在的区別とするなら,それは共通点を有するものの間での実在的区別であるという意味において,例外的な存在になります。一方,様態的区別というのは,本来的にいうならやはり同一の属性に属する様態間の区別でしょうから,この区別を様態的区別と解するならば,様態間ではない様態的区別であるという意味において,やはり例外的な存在であるということを,僕も認めます。
 ただ,どちらの例外と考えるべきかに関しては,僕はこれ以上は追及しません。このようなことで論争をするのは不毛なことであるとしか思えないからです。冒頭に記したように,実在的区別と解するのが共通認識になっていますから,僕もそれに従います。
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農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&区別

2014-12-17 20:39:27 | 地方競馬
 2歳ダート王者が決まる第65回全日本2歳優駿
                         
 発走直後はワンダフルラスター,タイセイラビッシュ,タップザット,ラッキープリンスの4頭が前に。少し離れてタケルオウジ,ディアドムス,タケデンタイガーの3頭。これが向正面に入るとワンダフルラスターがはっきり先手を奪い,がっちりマークがタイセイラビッシュ。少し離れてタケルオウジ,タップザット,ラッキープリンス,ディアドムスの4頭が一団という隊列に。前半の800mは51秒0で,ラップの変動が大きいのですが,ハイペースでしょう。
 コーナーでタップザットが進出。逃げたワンダフルラスターは意図的だったか膨れてしまったのかは不明ですが,少し外に出ました。タップザットがその外,さらにディアドムスがその外で3頭の競り合い。ここからワンダフルラスターが脱落。残った2頭はゴールまで激しく競り合いましたが,ねじ伏せたのは外のディアドムス。タップザットが半馬身差で2着。たぶん直線入口では不利を被ったと推測されますが,ワンダフルラスターの内から盛り返したタイセイラビッシュが3馬身差の3着。
 優勝したディアドムス北海道2歳優駿から連勝での大レース制覇。2着馬には前々走で負けていたのですが,逆転。前走で地方の馬場と夜のレースを経験していた強みもあったでしょうし,あるいは負けたときは少し太かったからなのかもしれません。ただ,着差から考えても明確な力量差があるとは考えられず,よいライバルとして戦い続けていくことになるのではないでしょうか。父はジャングルポケット。母の父はアグネスデジタル。祖母はノーザンドライバー。Domusはラテン語で故郷。
 騎乗した三浦皇成騎手はデビューから約6年9ヶ月で大レース初勝利。管理している高橋裕調教師は開業23年で大レース初勝利。

 ここまでのことを踏まえて,ライプニッツの疑問が,スピノザ形而上学の枠内でどのように解決されるのかを説明します。
 このために必要とされるのはたったひとつのことです。疑問は,実体の区別が問題にされています。したがって一般に,スピノザ形而上学において,あるものと別のものはどのように区別されるのかを知っておくだけで十分です。なのでここからしばらくは,この区別に関する探究が中心になります。
 区別に関しては第一部定理四で言及されています。この定理が正しいということは,第一部公理一の意味から明白です。
 このとき,実体の属性の相違によってあるものと別のものが区別されるなら,それは実在的区別といわれます。ライプニッツの疑問において実在的区別といわれている区別が,確かにこれに準じているということを確認してください。そうでなく,変状の相違によって区別されるなら,それは様態的区別といわれます。
 スピノザの哲学では,同一の属性に属するものは,互いに共通点を有するといわれるのでした。したがって実在的区別とは,共通点を有さないものの間での区別であり,様態的区別とは,共通点を有するものの間での区別と捕え直すことが可能です。
 属性は無限に存在しますが,こと人間を眼中に置くなら,第二部公理五により,思惟属性と延長属性だけを認識します。ですから人間が実在的に区別し得るのは,思惟属性に属するものと延長属性に属するものの間の区別だけだと考えてもいいでしょう。たとえばあなたの精神とあなたの身体は実在的に区別されます。僕の精神と僕の身体も同様です。一方,あなたの精神と僕の精神は,同じ思惟の様態の個物として,様態的に区別されます。同じようにあなたの身体と僕の身体は,延長の属性の個物として,様態的に区別されるということになります。
 これだけが区別のすべてです。したがって,あるものとほかのものが,実在的には区別できないし,様態的にも区別できないとしたら,実際にはそのあるものとほかのものは同一のものであることになります。
 ただしここには,属性とその属性の様態の区別が抜け落ちています.
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