スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ワンダーランドカップ&第二部定理一六系二の意味

2023-05-22 19:12:40 | 競輪
 昨日の宇都宮記念の決勝。並びは山田‐真杉‐佐々木悠葵の関東,浅井に内藤‐佐々木雄一の東日本,久田‐松浦‐岩津の四国中国。
 真杉がスタートを取って山田の前受け。4番手に浅井,7番手に久田で周回。残り2周のバックで山田が誘導との車間を開けました。それから久田が発進。打鐘で山田が突っ張って先行争い。この後のコーナーで真杉が久田を牽制。これで久田は浮いてしまいました。浅井が佐々木悠葵の後ろに続いていたので,久田の番手の松浦は下りるところがなく,7番手になっての一列棒状に。この隊列がバックまで続き,バックの出口から真杉が番手捲り。浅井は直線の手前から踏み込み,3人での優勝争い。差はそれぞれ詰まりましたが順位が変わるには至らず,優勝は真杉。マークの佐々木悠葵が4分の3車輪差の2着で関東のワンツー。浅井が半車輪差で3着。浅井マークから佐々木悠葵と浅井の間を突こうとした内藤が4分の1車輪差で4着。
 優勝した栃木の真杉匠選手は2月に宇都宮のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は昨年7月の小松島記念以来の3勝目。宇都宮記念は初優勝。このレースは真杉と松浦が番手戦を選択しましたので,山田と久田のどちらが先行することになるのかが最大の焦点。前受けをした山田が叩きにきた久田を突っ張ることに成功しましたから,前を取った関東ラインの作戦がうまくいったというところでしょう。直線の手前で佐々木悠葵が浅井を十分に引き付けてから踏んでいったのも見逃せないところで,この走りが関東勢のワンツーに大きく貢献したと思います。浅井は自力で発進するよりも真杉の番手捲りを待って直線勝負に賭けました。届きはしませんでしたがこの選択も間違ったものではなかったと思います。

 僕の見解opinioは第二部定理一六系二と矛盾するのではないかという疑問が出るかもしれません。この系Corollariumは,外部の物体corpusの本性naturaの力potentiaより身体corpusの状態の力の方がより多く表現されていると読解できないわけではないからです。もしその通りで,この系が僕の見解と齟齬を来すのであれば,僕の見解は誤りerrorであることになるでしょう。僕はそういう可能性があることは否定しません。ただ僕は,僕自身の見解とこの系が真向から矛盾するわけではないと考えています。なのでその理由を説明していきます。
                                   
 この系は,現実的に存在する人間が何らかの外部の物体,たとえばXを表象するimaginariとき,その人間の精神mens humanaのうちに生じるXの表象像imagoは,Xの本性よりもその人間の身体humanum corpusの状態を表示するといっています。したがって,この表象像は,その人間の身体の状態の方を多く表示しているのであって,Xの本性を表示していないわけではありません。つまりXの表象像は,それを表象する人間の身体の状態とXの本性との両方を表示していることになります。そのとき,より多く表示されているのは,その人間の身体の状態の方であるということです。よってこの系が何をターゲットにしているのかといえば,現実的に存在する人間の精神のうちにある表象像であって,その表象像が形成されるにあたっての力関係がどうあるのかということではありません。つまり僕の見解とこの系は,そもそも何を説明しようとしているのかという点で相違があると僕は考えます。
 ではこの系が具体的に何をいっているのかといえば,現実的に存在する人間の精神のうちに生じる表象像は,それを表象する人間の身体の状態の方を多く表示しているのだから,たとえそれが表象されているものの本性を表示しているとしても,本性そのものを表示していることにはならないということです。したがって,一般に表象像は十全な観念idea adaequataであることはできず,混乱した観念idea inadaequataなのであるということです。これがこの系に含まれる意味であって,なぜそれが混乱した観念であるのかということを,表象像そのものに着目して説明しているといえるでしょう。これに対して僕は,それを表象像の形成の観点から説明しているのです。
コメント
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