スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

桜花賞・海老澤清杯&数学への評価

2019-04-22 19:26:33 | 競輪
 昨晩の川崎記念の決勝。並びは吉田拓矢-平原の関東,松井-郡司‐志佐の神奈川,三谷-松岡の西日本で岩本と吉田茂生は単騎。
 松井がスタートを取って前受け。4番手に三谷,6番手に岩本,7番手に吉田拓矢,最後尾に吉田茂生で周回。残り3周のバックで吉田茂生まで連れて吉田拓矢が上昇すると,三谷も併せて出ていきました。バック後のコーナーで三谷が松井を叩き,そのまま誘導を外しました。吉田拓矢ラインに続いていた吉田茂生が単騎で上昇。ホームで三谷の前に出ると,やや車間が開きました。ここから三谷がまた差を詰めていき,吉田拓矢と松井も動いていくことに。吉田茂生の前に出た三谷を吉田拓矢がバックで叩き,さらにその外から松井が吉田拓矢を叩いて打鐘。4番手に吉田拓矢,6番手に三谷,三谷ラインに続いた岩本が8番手で吉田茂生が最後尾まで下がって一列棒状。バックで吉田拓矢が動いていこうとしましたが,先んじて郡司が番手捲りを敢行。そのままフィニッシュまで先頭を譲ることなく郡司が優勝。マークの志佐が4分の3車輪差の2着に続いて神奈川のワンツー。吉田拓矢がいけなかったので志佐の後ろにスイッチした平原が半車輪差の3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は前回出走の小倉のFⅠから連続優勝。記念競輪は昨年8月の小田原記念以来となる記念競輪5勝目。川崎記念は2017年以来の2勝目。このレースは松井が先行して郡司が番手捲りという展開が最有力。松井が前受けしたためゆっくりしていると突っ張られてしまうので,ほかのラインも早めに動かざるを得なくなりました。その点では前受けした作戦が奏功したといえそうです。松井は前回出走の福井のFⅠで完全優勝しているくらいの力がありますので,その選手が駆けてもっと力がある郡司に番手から出られてはほかのラインが太刀打ちできないのも仕方ありません。むしろ自力があって無風の3番手だったとはいえ,志佐がよく差を詰めたという印象です。駆け方の良し悪しは別に,南関東の自力型が結束すると決勝はほぼこういうレースになるので,車券の面では分かりやすくあります。

 僕が関心を抱くのは逆の方向です。つまり,集合論を支える形而上学としてスピノザの哲学が適切でないとしたら,スピノザの哲学の形而上学的背景から,集合論は否定されてしまうのではないかという点です。したがって,スピノザが数学について言及するとき,そもそも集合論のような数学は排除されている可能性が残るのです。よって,スピノザの哲学と数学との関連を考察するに先立って,スピノザが数学ということで,どのような学問のことを示そうとしているのかを確定させておく必要があります。これはいい方としては難解なので,もう少し分かりやすいい方をすれば,スピノザはどのような種類の数学を念頭に置いて,数学といっているのかということを確定させておくということです。
                                        
 最初に,スピノザにとって何が数学であったのかということと別に,基本的にスピノザが数学という学問にどのような意義を見出し,またどのように評価しているのかだけ暫定的にみておきます。これは,僕が『主体の論理・概念の倫理』を読む前から有していた見解なので,新たに発生した問題より先に説明しておこうという意図を含んでいますが,むしろこれに関して先に示しておいた方が,考察の展開の上でも分かりやすくなりますので,こちらを先に示すという意味の方が大きいです。ただし注意してほしいのは,これはスピノザの評価ですから,スピノザにとっての数学の評価です。つまりこの部分にも,スピノザが何をもって数学といっているのかということが入り込んではいます。ですがそれについてはこの部分では無視しても構いません。無視したとしても成立するように考察を展開させていくからです。
 基本的にスピノザは数学という学問に対しては肯定的です。なぜかといえば,スピノザは数学というのが僕たちに対して真理veritasの何たるかを明らかにしてくれるという認識cognitioを有しているからです。極端にいうと,もしも数学という学問が人間の世界に存在しなかったとしたら,人間は現に認識しているほどには真理というものを認識するcognoscereことができなかったであろうというくらい,スピノザは数学を肯定的に評価するのです。そしてこれは別の意味も持ちます。
コメント
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