スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典JBCスプリント&道徳心と平和

2023-11-05 19:32:21 | 地方競馬
 3日に大井競馬場の1200mで争われた第23回JBCスプリント。武豊騎手が10月29日の5レースの終了後に右の太腿を負傷したためリメイクは御神本騎手に変更。
 ダンシングプリンスは発馬直後に躓いて落馬。アルカウンは立ち上がって1馬身の不利。まずギシギシが先頭に立ってラプタス,イグナイター,モズメイメイ,ジャスティンの4頭が追う形。ラプタスの逃げとなってイグナイター,モズメイメイの順で続き,ギシギシとジャスティンはその後ろ。さらにバスラットレオンも追い上げてきて,ケイアイドリーの後ろにはアルカウンも巻き返してきました。リュウノユキナ,リメイク,マックス,ジュランビルという順で続き,2馬身差でスタードラマー。ゴッドセレクションは取り残されました。前半の600mは34秒4のハイペース。
 3コーナーからラプタス,イグナイター,モズメイメイで雁行になりましたが,ほどなくモズメイメイは一杯に。ギシギシ,バスラットレオン,ジャスティンが追ってきました。直線に入るとラプタスの内にギシギシ。外にイグナイターで,後方からリュウノユキナとリメイクが追い込んできました。ラプタスが一杯になって先頭はイグナイター。大外のリメイクの追い込みは届かず,イグナイターが優勝。リメイクが1馬身半差で2着。リュウノユキナが4分の3馬身差で3着。
 優勝したイグナイターは前々走の兵庫の重賞以来の勝利。重賞はさきたま杯以来の4勝目で大レースは初制覇。僕は今年のJBCの中ではこのレースのリメイクが最も勝つ可能性が高いとみていましたので,それを2着に降しての金星という形。とはいえ重賞を3勝してそれ以外のレースでも大きく崩れてはいませんでしたから,確かな能力があったのは間違いありません。勝ちタイムが1分12秒0と想定よりもかなり遅くなったのですが,これはおそらく馬場の影響で,この馬場がリメイクよりもイグナイターに味方したという面はあったかと思います。父は第13回を勝ったエスポワールシチーで父仔制覇。4代母がファーザの祖母にあたる同一牝系。Igniterは点火剤。
 騎乗した大井の笹川翼騎手はさきたま杯以来の重賞3勝目。デビューから10年半で大レース初制覇。管理している兵庫の新子雅司調教師はさきたま杯以来の重賞7勝目。開業から11年5ヶ月で大レース初制覇。

 個人は群衆multitudoの一員となることによって,個人では有し得なかった抑止力を他の群衆の一員である個人に対して有することができます。これは自然権jus naturaeの拡充以外の何ものでもありません。もちろん群衆の一員としての個人は,個人としては群衆の一員として抑止力の制約を被ることになりますが,相対的にいえば,個人は群衆の一員となることによって,全体的な自然権の拡充に成功することになります。ホッブズThomas Hobbesの概念notioに合わせていえば,これはすべての個人が群衆の一員ではないという状態が自然状態status naturalisすなわち万人の万人に対する戦争状態であって,群衆の一員となった状態が国家Imperiumの状態に該当します。ただし,ホッブズは国家において国家の一員である個人が自然権を放棄しているとしていますが,スピノザの場合には,個人は自然状態におけるのと同じ自然権をそっくりそのまま有しているのであり,かつその自然権はむしろ拡充しているということになります。また,ここでいわれている群衆というのは,必ずしも国家の国民だけを意味するとは限りません。ですから個人の自然権が拡充した状態は,国家だけを意味するわけではありません。
                                   
 こうした抑止力が働くということは,個人が群衆の一員となることによって,その群衆全体の道徳心や平和paxは損なわれるどころかむしろ強化されるているのがよく理解することができると思います。つまり個人が群衆の成員となって自然権が拡充されると,その群衆全体は道徳心を強化し,平和の裡に暮らすことができるようになるのです。『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の冒頭で哲学する自由libertas philosophandiについてスピノザがいっていることは,単に哲学する自由についてだけ該当するわけではなく,個人が群衆の一員となり,自然権が拡充する場合について,一般的いえるのです。ですから国家はむしろ市民Civesの自然権の拡充を尊重しなければならないのであって,それを破壊するならば,哲学する自由を踏みにじるのと同じように,国家の平和も国民の道徳心もかえって損なわれることになるのです。
 事情はこのようになっていて,それは正しいと僕は考えます。ただこれを実際の政治論に適用するときには,留意しておかなければならない点があります。
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