スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&点滴

2018-10-31 18:59:00 | 将棋
 23日に長良川温泉で指された第8期女流王座戦五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流王座が24勝,清水市代女流六段が不戦勝の1勝を含む14勝。
 岐阜県副知事による振駒で清水六段の先手になり里見王座のごきげん中飛車。⑤①-Bの順に進みました。途中は振飛車側が居飛車の大駒の押さえ込みを目指すという珍しい展開に。そういう将棋ですから必然的に手数は長くなりましたが,100手目過ぎまでずっといい勝負で続いていたのではないかと思います。
                                     
 6八で後手の龍と先手の飛車が交換になったところ。この取引だけなら後手が少し損をしたようにみえますが,そのために先手は4八に使い道が薄そうな銀を打っていますから,差し引き五分とみていいでしょう。
 飛車を入手した先手には8三で清算して☗8五飛の王手馬取りと単に☗4一飛と打つふたつの狙いがあります。後手は両方を阻止するために☖4一香と打ちました。
 先手は☗6二歩☖同金寄で後手玉の逃げ道を塞ぎました。そうしてから☗3一飛と打ち後手は☖5一金打と受けました。
 ここで☗5五歩と突いて馬の利きを通し,後手玉頭への殺到を狙いにすれば迫力のある攻めが続きました。ですが☗5七銀右と上がったために☖3六馬とされました。
 先手はそこで☗5五歩と突きましたが今度は☖4七香成の馬取りで受かりました。
                                     
 第2図になると先手の攻めが切れ模様で後手が優勢になっています。☗5七銀右にどういう狙いがあったか分かりませんが,☖4七香成とされてはいけなかったので,実戦の☗5五歩の局面では無理でも☗4一飛成☖同金と切ってしまい☗8五香打で玉頭狙いに徹するほかなかったようです。
 里見王座が先勝。第二局は来月8日です。

 伯母はこの間に1階の食堂で昼食を摂っていました。伯母が昼食を終えて戻ったところで,今度は僕が食堂へ行き,昼食としました。僕が昼食を摂ったのが12時15分です。食べ終えて緩和病棟の病室に戻ったところで,伯母は一足先に帰宅しました。
 この後,点滴の装着が行われました。これは鎮痛剤です。このときに貼ってあったフェンタニルパッチは剥がし,これ以降はこのパッチを使用することはありませんでした。
 装着が終ると病棟の管理栄養士が現れ,母と食事の相談をしました。これはたとえばご飯がいいかお粥がいいか,またお粥がいいなら五分粥がいいのか全粥がいいのかといったような話です。病棟ですから個別に食事を用意するということはできませんが,わりと選択肢が多くなっているのは特徴のひとつだったと思います。また,終末病棟なので患者の希望がなるべく通るようになっていますから,母が食べたかったり飲みたかったりするものを僕たちが差し入れするというのは自由でした。この段階では母は量は少ないとはいえ,ものを食べるということはできました。
 この後で再び医師が往診に来て,超音波を用いた腹部の検査を行いました。腹の張りはあったのですが,腹水が溜っているわけではないとのことでした。
 これでこの日に行う検査はすべて終了し,また結果も判明しましたので,僕も帰宅しました。僕が家に着いたのは午後4時10分でした。
 7月19日,木曜日。伯母が午前中に母を見舞いに行きましたので,僕は午後からにしました。僕が見舞っている間に,Kさんも見舞いに来てくれました。前日に,入院したということをだれに伝えておけばよいかということを母に確認したところ,Kさんがその中に入っていましたので,前夜のうちに電話を入れておいたのです。
 7月14日に具体的な裁判の裁判員の候補になったので,選定のために横浜裁判所へ来るようにという要請の手紙が届いていました。それに対して詳しい事情を記した返事を出したという主旨のことをいいましたが,実際に返信を送ったのはこの日のことでした。
 7月20日,金曜日。この日は僕が早めに見舞いに行きました。
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ちぎり賞争奪戦&肺の癌

2018-10-30 19:05:14 | 競輪
 豊橋記念の決勝。並びは高橋‐吉田の愛知,浅井‐金子貴志の中部,古性‐稲垣の近畿で山崎と金子幸央と渡辺は単騎。
 浅井と高橋がスタートを取りに出て,内枠で有利だった浅井の前受け。3番手に高橋,5番手に山崎,6番手に古性,8番手に渡辺,最後尾に金子幸央で周回。残り3周のバックから古性が上昇開始。稲垣の後ろに山崎がスイッチし,金子幸央が山崎の後ろを追いました。バックの出口では浅井が引いて古性が前に。ホームで外から金子幸央が単騎で上昇。浅井が番手に続く形に。4番手に山崎がまたスイッチし,5番手に古性,7番手に高橋,最後尾に渡辺という一列棒状になって打鐘。金子幸央の成り行き先行になりそうでしたが,高橋が動いていき,ホームで金子幸央を叩いてかまし先行に。古性がこのラインに続いて3番手。しかし5番手に入った浅井がバックから発進すると前とのスピードが違いすぎ,だれも止めることができずにあっさりと捲り切って優勝。マークの金子貴志が1車輪差までは詰め寄っての2着で中部のワンツー。高橋の番手から出た吉田が1車身差で3着。バックでは最後尾になってしまった山崎が大外から捲り追い込むも8分の1車輪差で4着。
 優勝した三重の浅井康太選手は先月の富山記念以来の優勝となる記念競輪24勝目。豊橋記念は初優勝。このレースは脚力だけ考えれば優勝候補の筆頭。ただ中部勢が別ラインでの戦いになり,自身をマークするのも地元の金子貴志で,しかも単騎の選手が3人もいるということで,展開的には難しいところも出てくる可能性があるのではないかと思っていました。僕は高橋が発進していくのが遅すぎたきらいがあると思いますが,今日のような位置を確保できるレースになってしまえば,あっさりと捲ってしまうのは当然といえば当然でしょう。むしろこのスピードによく金子貴志が食い下がり,直線では差を詰めたものだと思います。

 車椅子から病室のベッドに移動すると,すぐに看護師が母を診察しました。さらに担当医もやってきて,同じように診察をしました。血中の酸素の濃度が低いので,吸入をすることになりました。細い管を鼻に入れて,そこから酸素吸入するという方法です。この吸入は最後までずっと行われました。酸素の濃度は徐々に低下していきましたから,吸入する量もそれに合わせて増量されていきました。またそれに伴って吸入の方法も変更されました。
 この後,胸部の様子を調べるためにレントゲンの撮影をしました。これはレントゲン室でではなく,この室内で専用の機器を用いて行われました。検査の間は僕と伯母は病室の外で待機していました。検査の結果が出る間に,薬剤師が来て,使用中の薬剤について点検しました。母はフェンタニルパッチを使用していましたが,ここではパッチではなく点滴か注射になる可能性があると伝えられました。その方が日常的な疼痛に対して迅速にまた適切に対処しやすいからということでした。
 レントゲンの結果はこの後で出て,肺に癌の粒が広がっているということでした。実は母は7月5日に呼吸器科の通院が予定されていました。ですがこちらから中止にしてもらったのです。というのは呼吸器科の通院が3ヶ月に1度であったことから分かるように,肝臓の癌の進行に比べればほとんど進捗していなかったため,通院するのは無益と僕と母で判断したからです。7月5日は母が退院して家にいた時期に該当しますが,身体的負担も考慮に入れれば,当然の決定であったと思っています。ただ,4月にはさほどではなかった肺の癌も,この時期には進行していたことになります。母は呼吸の苦しさを感じることがなかったわけではないのですが,生活に支障を来すほどではなかったので,肺の癌の進行が実際にどこまで母に対して影響を及ぼしていたのかははっきりとは分かりかねます。
 この後で医師は,鎮痛剤については点滴に変更するということを告げました。医療的処置の決定は医師がするもので,薬剤師がするものではありません。ただ事前に薬剤師が言っていた通りの変更でしたから,相談はあったと推測します。
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加古川青流戦&病室

2018-10-29 18:45:35 | 将棋
 20日の午前に鶴林寺で指された第8回加古川青流戦決勝三番勝負第二局。
 大橋貴洸四段の先手で角換り相腰掛銀。先手が1筋の位を取り,右玉模様に組み替え,後手の梶原宏孝四段が待機するという,中盤の戦いが始まるまでが長い将棋でした。開戦後は先手が戦果を挙げてリードをしたと思いますが,攻め間違いがあったようで後手玉が固くなり,逆転していたのかもしれません。
                                     
 先手が金を打った局面。ここに金を使うと先手は攻めるのは大変になりそうです。なので後手は☖6六歩☗6八金引☖6七角と着実に攻めていくのがよかったとあります。実戦は☖7八角と打ちました。
 先手は☗7四馬。この金取りに対して☖4二金は弱い受け方という主旨の感想があります。それで☖4三金だったのですが☗同銀成☖同銀引で金を渡してしまったために☗8八歩という軽打を喰らいました。したがって,☖7八角と打った以上は☖4二金と逃げるべきだったし,☖4三金と逃げるつもりなら☖7八角と打ってはいけなかったということでしょう。
 ☗8八歩は☖同龍に☗7九金が生じるために発生した手です。よって☖6七龍☗同金☖同角成と進めるほかありませんでしたが☗2一金☖同王☗6一飛☖3一金☗6七飛成で馬を抜かれました。
                                     
 後手玉はすぐに寄る形ではありませんが,先手玉を攻める手段が消滅。ここでは先手が大きくリードしているといえるでしょう。
 大橋四段が連勝で優勝。今年度のYAMADAチャレンジ杯に続く2度目の棋戦優勝です。

 2階まではクラークが車椅子を押してくれました。僕は入院のための荷物を持っていました。伯母に病院まで同行してもらったのにはそうした理由もありました。
 2階では看護師が待機していて,そこからは看護師が車椅子を押し,母が入院する病室に案内されました。
 みなと赤十字病院の病室は,個室もありますが,それは有料で,無料の病室はすべて4人部屋です。というか,僕はすべての病室を見たわけではありませんから確実にそうと断言できませんが,僕が入院したときも父が入院したときも母が入院したときも,どの部屋であろうと4人部屋だったことは確かです。
 これに対して緩和病棟の病室はすべて個室です。もっともこれは緩和病棟の性質からして当然といえば当然でしょう。ただ,個室には有料の部屋と無料の部屋があります。これは最初に手続きをしたときにいわれていたことですが,入院してすぐは必ず有料の部屋に入ります。その後に無料の部屋に移動することになっています。したがってこのときに案内された病室は有料の個室でした。
 母は後に無料の部屋に移動になりましたから,僕はどちらの部屋も出入りしました。入ってすぐに洗面台があること,ベッドの横に冷蔵庫とテレビがあること,そしてその反対側にトイレがあることはどちらの部屋も同じでした。違っていたのは部屋の広さで,これは当たり前ですが有料の部屋の方が広かったです。そしてその広くなっている部分には大きめのソファーが備え付けられていました。これは僕が横になることができるくらいの大きさでした。なので最初のうちは僕は見舞いのときはそのソファーに座ったり横になったりしていたのですが,移動になるとそれがなくなったので,椅子に腰掛ける形になりました。正直にいうとこのソファーはあった方が便利です。とくに緩和病棟は24時間いつでも見舞いが可能なので,そこで寝ることもできます。なので死期が迫っていると思われる患者が優先的に有料の部屋を使用できるというようにした方が合理的ではないかと思えました。後に示しますが僕は最後に母の部屋で一晩を過ごしましたので,なおのことその思いが強いかもしれません。
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天皇賞(秋)&入口

2018-10-28 19:03:30 | 中央競馬
 第158回天皇賞(秋)。ダンビュライトが馬場入場後に放馬してしまい,疲労が著しかったために競走除外になり12頭。
 発馬直後にマカヒキが左によれたため,隣にいたスワーヴリチャードが不利を受けました。外からハナを奪いにいったキセキが向正面の入口で単独の先頭に。2馬身差でヴィブロスとアルアインの2頭。2馬身差でステファノス。2馬身差でミッキーロケット。2馬身差でレイデオロ。3馬身差でサングレーザー。4馬身差でブラックムーン。1馬身差でサクラアンプルール。1馬身差で追い上げたスワーヴリチャード。1馬身差でマカヒキ。3馬身差でアクションスターと縦長の隊列に。前半の1000mは59秒4でこれは超スローペース。
 3コーナーを回るとアルアインが単独の2番手となり,2馬身差でヴィブロスとステファノス。1馬身差でミッキーロケットとレイデオロという隊列に変化。直線は逃げるキセキをアルアインが追い,内に行ったヴィブロスは一杯になり代わってミッキーロケット。アルアインの外からレイデオロで大外をサングレーザー。優勝争いはこの5頭。ペースが緩かったので苦労しましたが,最後まで脚を使ったレイデオロが抜け出して優勝。1馬身4分の1差の2着争いは接戦でしたが,わずかに大外のサングレーザー。逃げ粘ったキセキがハナ差で3着。最後は逃げ馬と同じ脚色になったアルアインが1馬身差の4着で最内のミッキーロケットがハナ差で5着。
 優勝したレイデオロは前哨戦のオールカマーからの連勝。昨年のダービー以来となる大レース2勝目。ここはスワーヴリチャードに対して人気は譲っていましたが,同世代のこちらはダービー馬。秋のジャパンカップでも2着でしたから,実績はこちらの方が上で,勝つ可能性は最も高いのではないかと考えていました。このペースでの1馬身4分の1差は大きな差と考えてよく,スワーヴリチャードに不利があったのは事実でも,基本能力はこちらが上とみなしていいのではないかと思います。ただ,今日のように時計が早くなる馬場に対する適性が高いと思われ,馬場が悪化した場合には割引が必要かもしれません。父はキングカメハメハ。母の父は第126回と128回を連覇したシンボリクリスエス。3代母がウインドインハーヘア。母のひとつ下の半弟に2012年に帝王賞を勝ったゴルトブリッツ。Rey de Oroはスペイン語で金の王。
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は菊花賞に続き3週連続の大レース制覇。天皇賞は春秋を通じて初勝利。管理している藤沢和雄調教師は昨年のダービー以来の大レース制覇。第114回,126回,128回,130回,150回に続き4年ぶりの天皇賞(秋)6勝目。天皇賞も6勝目。

 6月12日に退院したときに使用しましたが,みなと赤十字病院の正面玄関の脇には何台かの車椅子が置いてあり,院内では自由に使用することができるようになっていました。ですからもし緩和病棟の入口が不明であれば,その車椅子を利用して緩和病棟に向うということも考えてありました。しかしタクシーが病院の敷地に入りますと,緩和病棟の入口を示す看板がありました。バスやタクシーはこの敷地内を右回りで走ります。この場合,入口の方が大通りより遠く,出口の方が近いという位置関係にあります。ですから大通りの方から歩いて病院に行く場合には,この看板を目撃することはありません。僕は母と一緒にタクシーで来たことが何度もありますし,通院のときに敷地内まで運行するバスで来たことも何度もあります。ですがこの看板があるということには気付いていませんでした。このときにそれを発見することができたのは,よく注意していたからだと思います。
 緩和病棟の入口というのは,正面玄関からみるとちょうど反対側の,最も遠いところでした。病院は平面的にみると長方形になっていて,一方の短い一辺に正面玄関があるとすれば,それと平行の短い一辺に緩和病棟の入口があるという位置関係です。この中間,長い一辺には救急用および,通常の診察がない土曜や休日用の出入口があります。この出入口は母の見舞いのときなどに利用していたわけですが,正面玄関からは遠いところにあり,したがって緩和病棟の入口はそれよりさらに遠いところにあったことになります。
 タクシーはその入口の前まで乗り入れることが可能になっていましたので,そこで降車しました。これも事前に言われていたことですが,入口の横にはインターホンが設置してあり,それを押しますと担当者が返事をしました。入院することは決まっていましたのでこちらは名乗るだけです。すると,迎えに行くので入口で待機しているように言われました。
 建物に入ってすぐのところにソファーがありましたので,母をそこに座らせて待っていますと,ほどなくしてクラークが車椅子を持って現れました。母をそれに乗せ,エレベーターで2階に移動しました。
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霧島酒造杯女流王将戦&乗車

2018-10-27 19:13:38 | 将棋
 19日に指された第40期女流王将戦三番勝負第二局。
 里見香奈女流王将の先手で駆け引きのある序盤でしたが,先手のノーマル三間飛車の形に落ち着きました。後手の加藤桃子奨励会初段から仕掛けたところで先手が大胆な捌きに出て,分かれは飛車香交換で後手の駒得。ただし先手は馬を作り,飛車を取る過程で後手は2枚の銀が遊び駒となったため,均衡はとれていました。その後,後手が受けなければならないところで攻め合いに出たため,一時的に先手が勝勢に近いところまでいったのですが,明快な決め手を逃してしまったために形勢混沌。盛り返した後手が千日手でも構わないという対応に出たのを先手から無理に打開したため,逆転してしまいました。
                                     
 先手が飛車を打った局面。ここは後手が優勢で,たぶん☖4七金と露骨に打ち込んでいくのがよかったのではないかと思います。しかし実戦は☖4七歩成と成り捨てました。
 ☗同銀は絶対手。ここでの継続手は☖5七角引成で,実戦の指し手もそれだったのですが,おそらくこれが敗着。成り捨ててしまったのなら☖4六金と打っていくのがよかったでしょう。
 先手は☗5八金打と受けました。こういう場合は☖5六歩と突けなければいけないと思うのですが,角を渡してしまうと後手玉が危険になります。なので☖3五桂☗同歩☖同馬という手順で馬を助けたのですが,この応酬は後手は馬を作っただけで拠点の歩を失った上に桂馬をただで渡し,先手は金を打って玉が固くなったのですから先手が大きく得をしました。しかも☗7四飛成が成立。
                                     
 これが銀を取っただけでなく攻防の駒になっている角取りでは大勢が決しました。後手は☖4六歩から飛車を切って攻めましたが続かず,先手が勝っています。
 連勝で里見王将が防衛。第32期,33期,34期,37期,38期,39期に続く四連覇で通算7期目の女流王将です。

 何度も電話しましたが繋がりません。仕方がないので僕が外に出て,走行中のタクシーを捕まえることにしました。
 僕の家の前には駐車場があり,母が運転していた頃は自家用車を駐車していました。その自動車は叔父が福江島に運転していきました。これは軽自動車だったのですが,家の前の路地が狭く,普通車でも入れないことはないですが,軽の方が楽であったからです。この路地の出口は細い道になっていて,ここは普通車も余裕で走行できますが,すれ違うことはできないような細い道です。ですからそこを空車のタクシーが走るということはあり得ません。この細い道の片側の入口に面した道路まで出れば,タクシーが来ます。いつもはこの道を,やや根岸駅より,というのはみなと赤十字病院寄りといっても同じですが,そちらの方向に進み,交差点の信号のところでタクシーを待っていました。ですがこの日は僕はそれとは逆方向に向いました。というのも,家の前の路地はともかく,路地の出口になっている細い道のところまではタクシーに乗り入れてほしいと思ったからで,その場合にはそちらの方向から左折して入ってくる方がよかったからです。
 なのでそちらの方向に歩いていったのですが,3分くらいで僕のいる方に向ってくる空車のタクシーをうまいことみつけることができました。タクシーを停めて乗車し,運転手に事情を話して,目的のところまで来てもらいました。母はまだ家にいましたので一旦は降車して家に向い,母を呼びました。伯母も一緒でしたから,伯母が介助しながら母をタクシーに乗せ,みなと赤十字病院へと向いました。
 事前に言われていたのは,正面玄関ではなく,緩和病棟の入口までタクシーで来るようにということでした。父が緩和病棟に入院していた頃,僕は見舞いに行くときは正面玄関,というのはたとえば通院のときに使う入口ですが,そこから入って建物の2階に行き,緩和病棟に入棟していました。なのでこの入口がどこにあるのかは知りませんでした。もし分からないのなら正面玄関から入ってもよいとは言われていたのですが,専用の入口からなら車椅子を持って迎えに来てくれるとのことでした。
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加古川青流戦&入院の意向

2018-10-26 19:11:34 | 将棋
 19日に鶴林寺で指された第8回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は梶原宏孝四段が1勝,大橋貴洸四段が0勝。
 加古川市長による振駒で梶原四段の先手となり大橋四段の横歩取り。先手は青野流に構えた後,ひねり飛車模様に組みました。ただこれは手数を掛け過ぎなので,僕にはあまり優秀な作戦とは思えなかったです。
                                     
 5筋の位を取った後手に先手が玉頭を受けたところ。ここで後手は☖7四歩と突きました。これは先手の攻めを催促する意味があり,ここではよい判断だったと思われます。
 先手は☗9四歩☖同歩と突き捨てて☗9三歩と垂らしました。後手は一旦☖8五歩☗同飛とさせてから☖9三香。
 本来はここで☗9二歩と打てなければ攻めは成立していないと思われますが,それには☖7三桂があって間に合いません。よって☗8六飛と引かざるを得ませんでした。
 後手は☖2九歩成☗同銀と成り捨てで形を乱してから☖7五歩。先手も☗2二歩☖同金と形を乱しました。
                                     
 第2図から先手は☗8三歩成☖同金☗9二歩と攻めていったのですが,これが方向違いで決定的な差をつけられることになりました。第1図から2図の途中での☗9二歩が間に合わないなら第2図になればなおのこと間に合わないということでしょう。☗8五桂ならまだ戦えていたようです。
 大橋四段が先勝。第二局は20日の午前に指されました。

 7月15日,日曜日。夕食の後,母は吐き気を感じました。吐き気止めであるドンペリドンが残っていましたので,それを服用したところ,治まったとのことでした。ただこの頃から,入院することも視野に入れなければならないと考えるようになりました。
 7月17日,火曜日。16日が休日でしたので,この日に妹を通所施設に送りました。
 午後1時10分に訪問医の往診があり,そのときに母が入院したいという意向を伝達しました。医師はすぐに手続きをしてくれまして,翌日にみなと赤十字病院の緩和病棟に入院できることになりました。父は最後は緩和病棟で死にましたが,入院したときは消化器内科の一般病棟で,その後に緩和病棟へ移動になっています。これはタイミングというものもあったでしょうが,すぐに緩和病棟に入れると決まったのは,幸いであったといっていいでしょう。
 午後1時半には訪問看護もありました。このときに,翌日から入院するということを看護師にも伝達しました。看護師は母の食事の量が減少傾向にあったので,入院することは考えておいた方がいいとは思っていたものの,時期尚早だと判断していたようです。ただ,母自身が入院を希望するなら,その方がよいであろうと答えました。
 みなと赤十字病院の消化器病棟から退院した日に,訪問医療および訪問看護のための送り状を受け取りました。これと同様のものが,今度は訪問医と訪問看護師から,緩和病棟の医師および看護師に対して必要になります。ただそれはこの時点では用意することができていませんでしたので,この日のうちに医師と看護師が,病院の方へFAXで送付してくれることになりました。この日が,母が家で過ごす最後の夜になったわけです。
 7月18日,水曜日。これまで病院に行くときには,道でタクシーを捕まえていました。ただすぐに見つかるわけではありませんから,待たなければなりません。もう母に待たせるのは気の毒でしたので,タクシーを呼んで近くまで来てもらうつもりでいました。それで朝のうちに配車センターに電話をしたのですが,どういうわけだかどの会社のセンターにも電話が繋がりませんでした。
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新人王戦&裁判員制度

2018-10-25 19:07:05 | 将棋
 17日に指された第49回新人王戦決勝三番勝負第二局。
 藤井聡太七段の先手で角換り相腰掛銀。出口若武奨励会三段がおそらく研究してあったと思われる対応に出ました。よくできたわけではありませんが,悪くもならなかったので,後手の有力な手段のひとつになるかもしれません。
                                     
 後手が3七に歩を打って先手が3八の金を引いた局面。ここで☖4六角と打ちました。
 先手はここでじっくりと考え☗4五角と打ちました。これは飛車取りと同時に☖5六銀の進出を防いでいます。
 ここはターニングポイントのひとつで☖4一飛と逃げるのが有力だったとされています。ただ実戦の☖8四飛もそれで悪くなったという手ではなく,どちらを選択するかで別の将棋に進みますので,善悪を判断するのは難しいような気もします。
 先手は☗4三歩☖5二玉としてから☗2三銀成と成り込みました。後手は☖4三金と交わして☗2四成銀。これで一時的に先手の銀得。
 手番を得た後手は☖2八歩☗同飛☖3八歩成☗同飛☖1九角成の手順で香車を入手。馬を作って駒損を少し回復しましたので,ここはまだ難しそうです。先手は☗2八歩と遮断しました。
                                     
 ここで☖3七香を狙って☖4六銀と出たのが敗着で,とにかく馬を活用すべく☖2七歩と打てば難解な局面が続いていたとのこと。後手は駒損を回復するより馬を働かせる方が急務であったということでしょう。
 藤井七段が連勝で優勝。前年度の朝日杯将棋オープン以来となる2度目の棋戦優勝です。

 裁判員制度という制度自体についていえば,僕は基本的に肯定的です。法律の専門家ではない市民が裁判に参加し,被告が有罪か無罪かを合議の上で決議し,また有罪であるならどのような量刑が適当であるのかを同じように合議の上で決定することは,意義があることだと考えるからです。ですから,僕が受け取った手紙というのは,裁判員に選定されたというものではなく,単なる裁判員候補から具体的な裁判の裁判員の候補に選定されたというものではありましたが,制度上の有意義性を認めている僕にとっては,参加したい気持ちの方が強かったのです。
 ただ,この手紙を受け取ったときと同じ状況であれば,物理的に参加することはできません。母にしろ妹にしろ,その状況を見守ることができるのは僕だけであったからです。また,横浜地方裁判所に手続きのために最初に行かなければならない9月6日というのは,木曜日であったのですが,7日の金曜日に妹の本牧脳神経外科の通院が予定されていたため,通所施設に迎えに行かなければならないことが決定していました。地裁へ行かなければならないのは午前中で,迎えに行くのは午後ですから,クリアできる可能性の方が高いのでしょうが,選任の手続きというのにどれほどの時間を要するのかということは,当然ながら未経験でしたから分かりかねました。つまり僕はその日にはすでに母はいない,死んでいるだろうと想定はしていましたが,仮に母に対して何かをする必要がなくなっていたとしても,妹を通所施設なりグループホームなりに任せておけるような日時ではなかったのです。
 こうした事情ですから,無条件に裁判所に行くという返事を出すことはできませんでした。もちろん裁判員候補の中にはいろいろな事情があり,僕のように無条件で参加することができるわけではない人が確実に存在するでしょう。ですからそのような人はその理由を記して,参加の義務を免除する依頼をすることができるようになっています。なので僕もそうした事情について詳しく記し,それを返事として提出しました。提出したというのは裁判所に行ったという意味ではなく,返事の手紙を出したという意味です。
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埼玉新聞杯埼玉新聞栄冠賞&裁判員候補

2018-10-24 19:16:56 | 地方競馬
 第28回埼玉新聞栄冠賞。クラージュドールが右の前脚の蹄の底の内出血で競走除外となり10頭。
 ナンヨーマーク,トーセンデューク,ヤマノファイト,カンムルの4頭が前にいく構え。先手を奪ったのはトーセンデュークで2番手にヤマノファイト,3番手がカンムルで4番手に内で控えたナンヨーマークという順に。5番手はグルームアイランドで6番手がトキノエクセレント。7番手はヨヨギマックとキスミープリンス。9番手がプラントハンターで最後尾にメジャーアスリートという隊列。ミドルペースでほぼ一団の競馬になりました。
 2周目の向正面で外からカンムルが動き,ややペースアップ。ここでナンヨーマークは脱落しグルームアイランドが4番手に。3コーナーを回るとコーナーワークでトーセンデュークがヤマノファイトとの差を広げていきました。ヤマノファイトのさらに外を回ったカンムルはやや苦しくなり,内を回ったグルームアイランドが3番手に。そしてグルームアイランドとカンムルの間を突いてきたのがトキノエクセレント。直線ではヤマノファイトがまたトーセンデュークとの差を詰めましたが,コーナーでつけられた差が大きすぎ,逃げ切ったトーセンデュークが優勝。ヤマノファイトが1馬身差の2着。トキノエクセレントが3馬身差で3着。
 優勝したトーセンデュークはここが南関東転入初戦。JRA時代は昨年の3月に準オープンをレコードで勝ったもののオープンではさしたる実績を残せず,オープン特別でも頭打ちという近況でした。総合能力では南関東重賞なら通用しますがダートが初めての上,距離を短くすることによってオープンまで上がった馬なので,未知の面が大きく,場合によっては惨敗ということも考えられたケース。今日は楽に逃げられた上に,古馬初対戦だった同じ斤量の3歳馬と1馬身差ですから,そこまで高く評価できる内容ではなかったかもしれません。ただ,ダートは問題なく,通用する能力があるということは明白になったといえるでしょう。父はディープインパクト
 騎乗した船橋の森泰斗騎手戸塚記念以来の南関東重賞30勝目。第23回以来5年ぶりの埼玉新聞栄冠賞2勝目。このレースはレース名に変遷があり,管理することになった浦和の小久保智調教師第18回,22回,24回,27回に続き連覇で埼玉新聞栄冠賞5勝目。南関東重賞は32勝目。

 帰途に薬局に寄りました。この日は超即効型のインスリンであるヒューマログと注射針の在庫が不足していて,処方されたすべてを取り揃えることはできませんでした。ただしこの日は配達は依頼していません。というのも翌日に母の訪問医療があり,処方箋が出るでしょうから,その処方箋を届けるついでに僕の薬を受け取ることができると思われたからです。帰宅したのは午後5時40分でした。
 7月10日,火曜日。訪問医の往診は午前11時35分でした。医師は母の様子を見て,もう少しの間は家にいても大丈夫だろうと診断しました。
 午後1時40分には訪問看護がありました。これはいつもの診察と入浴の介助です。これらがすべて終わってから,僕は薬局に向いました。このときに処方されたのはフェンタニルパッチと利尿剤であるフロセミドとスピロノラクトンです。この日はすべての在庫がありましたので,これらの薬と,前日に不足していた僕の薬とを合わせて持ち帰りました。
 7月13日,金曜日。この日の訪問看護は午前9時半と,早い時間でした。これは先方の都合によるものです。この日もいつもの診察と入浴の介助が行われました。また,母はあまり眠れないことについて相談しました。そういう時に母はカロナールシロップを服用することがあったようですが,もし眠るというために服用するのであれば,カロナールよりはオプソ内服液の方が効果的ではないかということでした。どちらも鎮痛剤で,睡眠薬というわけではないのですが,おそらくオプソには眠くなるような成分が含まれているということだったのだと思われます。
 午後は妹を迎えに行きました。
 7月14日,土曜日。横浜地方裁判所から手紙が届きました。これは裁判員の候補に選ばれたので,9月6日に選定のために裁判所に来るようにとの通知でした。
                                     
 正直にいうと,僕は9月6日の時点で母が生きているということはあまり想定していませんでした。ですからその日に来いといわれれば,行くことができる可能性の方が高いと思えました。しかしこれは可能性であり絶対ではありません。もし現状と同じなら,さすがに行くことはできません。
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王座戦&2018年7月の通院

2018-10-23 19:12:32 | 将棋
 16日に六日町温泉で指された第66期王座戦五番勝負第四局。
 中村太地王座の先手で角換り相腰掛銀。先手が穴熊に組もうとしたところで後手の斎藤慎太郎七段から先攻。ただこれは穴熊に組まれると作戦負けになるので仕方なく攻めたという面もああり,先手がリードを奪うことに成功。しかしその後に先手に一失あり,後手がリードを奪い返すという展開に。ポイントが多かった将棋で,僕の棋力では手に負えない難しい将棋でした。
                                     
 後手が7七の銀を歩で取り,先手が6八にいた金でと金を取り返した局面。
 ここは☖7六歩と打つのがよかったかもしれません。その場合,先手から☗4四馬☖同歩とする手が必須となるように思われます。第1図の局面で後手にとって重要だったのは,☗2一飛成を防ぐより4五の馬を排除することだった可能性が高いと思えるのです。
 実戦は☖7六桂と打ちました。ここから☗9九王☖8八銀☗同金☖同桂成☗同飛までは一本道。後手も攻めるなら☖7九銀と絡む一手でそう指されれば先手の☗9七銀もこの一手でしょう。後手はそこで☖7六歩☗7八金と角道を通してから☖8八銀成。さらに☗同銀☖7七桂☗同桂☖同歩成☗同銀と攻め続けました。
 ここで☖2九飛なら後手がリードを保ち続けていたようです。ですが☖7六桂☗6六歩と進めました。
                                     
 第2図から後手は☖2二玉と引いて☗2一飛成を受けたのですが,先手は角の脅威が減少したため,4五の馬を残したまま後手の玉頭に手をつけることが可能になり逆転しました。第2図まで進めてしまったのなら後手は受けるのではなく,☖6六同角から攻め続けるほかなかったようです。
 中村王座が勝って2勝2敗。第五局は30日です。

 この日は病院に到着したのは早く,午後2時過ぎでした。中央検査室には患者がいない状況でしたので,注射針の処理をしたらすぐに採血になり,採尿が最後になりました。まだ時間がありましたから院内のコンビニエンスストアで週刊競馬ブックを買い,それを内分泌科の受付の前のソファに座って読みながら,呼ばれるのを待ちました。診察が開始になったのは午後4時5分です。結局のところ予約が2時半であろうと3時であろうと,遅くなるとこれくらいの時間になってしまうようです。なのでこれ以降は,予約時間に関係なく,午後2時半前後に病院に着くようにすることにしました。
 HbA1cは7.7%と,5月に比べてかなり高くなっていました。ただ,数値がどれくらいになるかはともかく,上昇することは僕には分かっていました。それは血糖値の計測をしているからで,この間,母が入院していた期間,つまり6月上旬は,血糖値がかなり高めで推移していたのです。血糖値の高騰は食事だけでなく,体調といったその他の事情も受けるのですが,ストレス過多であれば高くなるという傾向があり,僕はあまりそのように意識していたわけではなかったのですが,何らかのストレスを感じていたということなのではないかと思います。というか,そのように考えなければほかに説明することができないような血糖値の推移であったのです。
 このような事情を主治医に話し,すでに退院していて血糖値は安定してきているということも伝えましたので,注射するインスリンを増量するという措置はとられませんでした。実際にこの検査で計測された血糖値は85㎎/㎗でした。
 この日はほかにふたつの異常がありました。ひとつは総コレステロールでこれが149㎎/㎗と下限値を下回っていました。これは昨年の7月以来の異常です。ただし下限値は150㎎/㎗なのですから,大した異常であるとはいえません。もうひとつがLDLコレステロールで,こちらも61㎎/㎗で下限値を下回りました。こちらは昨年の11月以来の異常でした。これは下限値が70㎎/㎗ですから,総コレステロールと比較すれば異常の幅は大きかったことになります。
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火の国杯争奪戦&母の好み

2018-10-22 18:49:03 | 競輪
 久留米競輪場で行われた昨日の熊本記念の決勝。並びは新山‐佐藤‐和田の北日本,横山‐平原‐芦沢‐神山の関東,中川‐小倉の西国。
 佐藤がスタートを取って新山の前受け。4番手に横山,8番手に中川で周回。残り2周のホームで新山が誘導との車間を開けて後方を警戒。横山はバックの入口から上昇していきましたが新山が突っ張り,打鐘から先行。横山は4番手に戻り,周回中の隊列と同じ一列棒状でホームを通過。バックに入ると再び横山が発進しましたが,すぐに一杯。横山は外に浮き平原が自力で発進。新山を捲り切りました。8番手からの捲り追い込みになった中川が平原に迫り,フィニッシュ直前で差し込んで優勝。平原が4分の1車輪差で2着。平原マークの芦沢が1車身差で3着。芦沢の外から追い込んだ佐藤が4分の1車輪差で4着。
 優勝した熊本の中川誠一郎選手は8月の松戸記念以来の優勝で記念競輪6勝目。GⅢは7勝目。熊本記念は一昨年以来の2勝目。このレースは横山の先行意欲が最も高そうで,すんなりと逃げられれば平原が有利。ただ新山もやすやすと横山の先行を許すとは思えず,先行争いとなれば中川が有利とみていました。結果的に横山は新山の先行を叩くことができず,平原が自力で出るというレースに。これはどちらかといえば平原に有利な展開ではあったのですが,周回中から脚を溜め込んでいた中川の捲りが決まるというレースになりました。7月以降で記念競輪を3勝しているように,好調期にあるようです。

 この日も入浴の介助があり,途中で僕は妹を迎えに行きました。
 7月7日,土曜日。ピアノのレッスンがありました。この日は時間の変更はなく,午後5時半の開始でした。
 7月8日,日曜日。ロサンゼルスの伯母が来日しました。僕の家に着いたのは午後7時50分ごろです。したがって,僕が母の夕食の支度をしたのはこの日までで,この日が最後になりました。これ以降は伯母が作っています。
 僕はそんなに料理をしたことはありませんから,夕食の支度をしたといっても,大したものを作ることはできませんでした。母は退院後はずっとお粥を食べていたのですが,このお粥にしても僕や妹が食べるために炊いたご飯から作るのではなく,パックに入ったレトルト食品を使っていました。ただ,僕にとって幸いであったのは,この時期の母がとくに好んで食べたもの,というか食べたがったものがふたつあり,ひとつは刺身でもうひとつがローストビーフであったことです。刺身にしろローストビーフにしろ,出来合いのものを買ってくればよいのであって,特別の調理が必要というわけではありません。そしてそれを出せば母は美味しいと言って喜んでくれるのですから,僕にとってそんなに楽なことはありませんでした。前にもいったように僕は最後に母とふたりの時間を家で過ごすことができたことを幸せであったと思っていますが,料理の面での苦労というのは実はほとんどなかったのです。もちろん身体的にいえば疲労を感じることがなかったということはないのですが,身体の辛さでいえば僕よりも母の方が辛かったのは間違いないのですから,それを思えば疲れていても多少なりとも頑張ることはできたのです。
 母の状況からいうと,このときの伯母の来日は少しばかり早いという感じが僕にはありましたし,母もそう感じていました。そしてそれは伯母自身もそうだったのです。ただ,航空券というのは時期によって価格の変動がとても大きくなります。もう少しすると夏休みとなり,この期間は割高です。少し早いけれどもこの日の来日になったのには,そうした理由がありました。
 7月9日,月曜日。妹を送り,午後は通院でした。
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菊花賞&血圧低下の原因

2018-10-21 18:54:37 | 中央競馬
 第79回菊花賞
 オウケンムーンは今日も加速が鈍く1馬身以上の不利。ジェネラーレウーノがハナに立つとほかの馬は控え,2番手にカフジバンガードで3番手にエポカドーロとコズミックフォース。ここまでが先行グループ。好位にはアイトーン,メイショウテッコン,アフリカンゴールドの3頭。8番手以下は単独でフィエールマン,ユーキャンスマイル,グロンディオーズの隊列。その後ろはグレイル,タイムフライヤー,エタリオウ,ブラストワンピースの4頭。グローリーヴェイズが単独で追走し,シャルドネゴールドとステイフーリッシュ。最後尾にオウケンムーン。最初の1000mは62秒7の超スローペース。
 直線に入るところでジェネラーレウーノ,カフジバンガード,コズミックフォース,アフリカンゴールドの4頭が雁行に。内を回っていたエポカドーロはジェネラーレウーノの内に進路を選択。しかしこれらの外からエタリオウが伸び,一旦は先頭。この外から追ったタイムフライヤーとブラストワンピースは見せ場は作りましたがエタリオウには追いつけず。迫れたのは馬群を捌いて内から伸びたフィエールマンで,こちらがフィニッシュ直前でエタリオウを差し切って優勝。エタリオウがハナ差で2着。勝ち馬と同様に内目から伸びたユーキャンスマイルが1馬身半差で3着。
 優勝したフィエールマンは今年の1月に新馬を勝利。一息入れて4月に2戦目も勝つとまた一息入って7月に重賞を2着。このときの勝ち馬が前哨戦で3着に食い込んでいましたので,能力的には通用しそうでした。ただ僅か3戦のキャリアでまた休養明けということで,強気にはなれない部分もあったのは確かです。まだ底をみせてはいない点,そして悪条件を克服して勝った点を考慮すれば,2着馬に対して着差以上の能力差があるとみることもできなくはないと思います。父は第66回を制したディープインパクトで父仔制覇。Fierementはフランス語で誇らしげに。
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は先週の秋華賞に続いての大レース制覇。第77回以来2年ぶりの菊花賞2勝目。管理している手塚貴久調教師は2013年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース5勝目。菊花賞は初勝利。

 看護師によれば,血圧が低下しているのは利尿剤の影響があるのではないかとのことでした。母が処方されていた2種類の利尿剤の説明には,フロセミドは尿を出してむくみを取る薬という説明のほかに,血圧を下げる薬という説明があります。同様に,スピロノラクトンは尿量を増やす薬という説明のほかに,むくみを取り血圧を下げる薬という説明があるのです。これでみると利尿剤は降圧剤を兼用しているかのようであり,おそらく母の血圧が低下したのは,これら利尿剤の服用の影響だったのではないかと思われます。
 母が入浴する意思を示しましたので,入浴の介助も行われました。僕はその途中で,妹の迎えに行きました。
 7月2日,月曜日。妹を送りました。
 7月3日,火曜日。この日は午後1時半の訪問看護と,午後1時45分の訪問医療とが重複しました。本来は重複するのは好ましくないことのようですが,このときはそれぞれの都合で重複を避けることができませんでした。訪問医からは,現状の腹の張り具合からすると,あと1週間から10日くらいで入院した方がよいのではないかという話がありました。ということで,また1週間後には往診するということになりました。最初の契約では訪問医療は月に2回ということだったのですが,実際には訪問医療は毎週ありましたし,週に2回ということもありました。このあたりは契約に縛られず,臨機応変に対処したということになります。
 処方箋が出ましたので,薬局に提出してきました。
 7月4日,水曜日。午前11時15分ごろ,父のきょうだいの次男の奥さん,僕からみると伯母が来訪しました。伯父と墓参りの途中で,伯父の方は自動車を停車させて待っている状況でしたので,5分ほど話をしてすぐに戻りました。
 前日に処方された薬剤はこの日の午後に取りにいきました。フェンタニルパッチ,フロセミド,スピロノラクトンは前回と同じで,そのほかにオプソ内服液の処方もありました。
 7月5日,木曜日。午後3時過ぎにKさんが来訪しました。この日は1時間ほど話をして帰りました。
 7月6日,金曜日。午後1時半に訪問看護がありました。
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コーフィールドカップ&出血の原因

2018-10-20 18:58:54 | 海外競馬
 オーストラリアのコーフィールド競馬場でのコーフィールドカップGⅠ芝2400m。
 ソールインパクトは大外からの発走。徐々に位置取りを上げていき,最終的には単独の2番手。2コーナーを回るまでは少し掛かっていたかもしれません。チェスナットコートは6・7番手の外目という位置取りに。ラップがまったく上がらない超スローペース。4コーナーを回る前の段階で1頭が捲っていき,ようやく本格的にレースが開始したというような競馬でした。このときにソールインパクトはすぐに対応することができず,位置取りを下げました。チェスナットコートは上がっていくことができ,直線の入口ではソールインパクトより前になり,馬場の中央やや内よりに進路を選択。ですがここからの伸びを欠きました。ソールインパクトは直線ではそこまでの勢いのわりには粘り,またチェスナットコートには近付いてのフィニッシュ。チェスナットコートが勝ち馬から約10馬身半差の13着でソールインパクトはそこから約1馬身4分の1差の14着でした。
 ソールインパクトはペースアップしたときにまったく対応することができませんでした。ですから超スローペースというのは不向きであったということでしょう。チェスナットコートの方はそこでは対応することができ,直線に入ったところでは勝負圏内でした。こちらは降雨の影響で馬場が悪化したのが響いたような負け方だったように思えます。とはいえ上位の3頭は僕が有力とみていた5頭のうちの3頭でしたので,力量が不足していたのも事実だと思います。

 I先生によれば,出血している部分は歯周ポケットがほかの部分より深くなっているとのことでした。だからといって歯間ブラシを入れるのをやめるのは歯にとってよいことではないので,力を入れることなく細かく動かすようにという指導を受けました。実際にそのようにしていますが,これ以降は出血がみられることはありません。
 I歯科は根岸駅前のビルにあり,薬局も根岸駅前です。だから前日は薬局に処方箋を届けたついでに歯科検診の予約を入れました。この日は逆に,この歯科検診のついでに,薬局に寄りました。午後とはいえまだ早い時間でしたが薬はすでに届いていましたので,それを持ち帰りました。帰宅したのは午後12時45分です。
 この後,Kさんが来訪し,母と話をして帰りました。
 前日の訪問医療の際,母はいつごろ入院するべきであるのかということを医師に尋ねました。それは自分ではタイミングを計りかねるからだったと思います。ただ,この時点での状態だけをみる限り,僕はまだ入院する必要はないのはもちろん,入院について考えておく必要もないように思えました。ですからこのことについてはこの日の夕食時に,僕の考えとして母に伝えておきました。
 6月28日,木曜日。母が発熱しました。体温計で計測したところ,37.7°の熱があったようです。ただし行動については何の問題もありませんでした。母は以前は平熱が低く,その当時であればこのくらいの熱でもダウンすることがあったのですが,いつしか平熱も高めで推移するようになっていましたので,この程度であれば行動には支障を来さなくなっていたのでしょう。
 6月29日,金曜日。午後1時半から訪問看護がありました。訪問看護の診察では検温があるのですが,このときは36.7°と,前日より下がっていました。ただ,平常時よりは高かったですから,入浴の有無については看護師から尋ねられました。母は入浴はしたいということでしたので,この日も入浴の介助は行われました。
 またこの日は最高血圧が100でした。母は小脳出血で入院した後には,降圧剤を服用していたくらいでしたからこれはかなり低い値です。
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霧島酒造杯女流王将戦&余命

2018-10-19 19:11:09 | 将棋
 13日に霧島ファクトリーガーデンで指された第40期女流王将戦三番勝負第一局。女流公式戦での対戦成績は里見香奈女流王将が12勝,加藤桃子奨励会初段が6勝。
 振駒で加藤初段の先手になり里見王将のいきなり三間飛車。角交換から互いに角を打ち合った後で飛車交換。さらに打ち合った角も交換という進展。先手が対応しなければならない展開で,実戦的には後手が指しやすいという局面が長かったのではないかと思います。
                                     
 交換した飛車を先手が打った局面。このような手が必要とされていること自体,後手の方に指しやすさがあると僕には思えます。
 後手は☖2五歩☗同飛とずらしてから☖2三歩と受けました。そこで先手は☗7七桂と跳ねたのですが,これはこの一局における先手の数少ないミスのひとつだったと思われます。
 後手から☖5五歩と取り込んでくるのはおそらく先手の読み筋で,☗2四歩と合わせました。後手は☖3三桂☗2六飛としてから☖2四歩と取りました。そこで☗同飛☖2三歩に☗7四飛と回るのが先手の狙い。ここから7六に飛車を引いて7四に歩を打てば先手がよくなります。このために桂馬を跳ねておいたのでしょう。ですが後手の☖2六飛がその狙いを打ち砕く好手でした。
                                     
 これは飛車が引けなくなっている上に逆に☖7六歩と桂馬を狙われる筋が発生しています。先手は☗4六角と打ってそれを阻止したものの☖2九飛成で後手が桂得で龍を作りました。
 ☗5五角☖5三銀☗3四飛に☖6四銀で遊んでいた銀が働き☗3三飛成☖同金☗7四桂☖9二王☗3三角成と進みました。
                                     
 第3図は後手玉が9三にきたとき☗6六馬の王手に☖7五歩と受ける手があるので後手には余裕があります。☖8九角以下鮮やかに寄せ切って先手の勝ちとなりました。
 里見王将が先勝。第二局は今日の対局でした。

 母はこの日の夜もひとりで入浴しました。暑い時期でしたから,入浴すると身体的にも気分的にも爽快になることができたようです。
 6月26日,火曜日。午前10時半に訪問医の診察がありました。母は,あとどれくらいで入院するべきかを尋ねたのですが,訪問医からははっきりとした返事はありませんでした。それはおそらく,まだこの段階では母の余命がどれくらいであるのかということが,医師にとっても判別することができなかったからだと思います。少なくとも自分の力でものを食べることができている間は,心配することはないという話があって,この時点での母は僕が作ったものを食べていたのですから,入院することについて考えるのは時期尚早であるように僕には思えました。
 この日も処方箋が出ました。医師は11時には帰った,というか別の患者の往診に向いましたので,午前中に薬局に行きました。
 この日に処方されたのはフェンタニルパッチとフロセミド,そしてフロセミドと同じ利尿剤のスピロノラクトンでした。フロセミドは朝食後に服用するものでしたが,スピロノラクトンは朝食後と夕食後に服用するものです。母が最初に利尿剤を処方されたのは4月20日にみなと赤十字病院の消化器内科に通院したときですが,そのときに処方されたのがこの二種類でした。
 ただこの日はフェンタニルパッチが1枚だけ足りませんでした。ですからこれらの薬剤はすべて,翌日にまとめて受け取ることにして,代金だけ支払いました。またその後,I歯科に寄って歯科検診の予約を入れておきました。母の状態からして,受けることができそうだと判断したからです。
 午後1時半には訪問看護がありました。この日は初見の看護師がひとりで来訪しました。いつもの検査だけでなく,この日は聴診器を用いた診察も行われました。それらの診察が終わった後で入浴の介助で終了です。
 6月27日,水曜日。前日に予約を入れておいた歯科検診でした。予約は11時半。この日もクリーニングをしただけだったのですが,前回の診察以降,歯間ブラシを使うと左下の歯茎から出血がみられましたので,チェックを要請しました。
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スポーツニッポン賞鎌倉記念&利尿剤の再処方

2018-10-18 19:12:54 | 地方競馬
 北海道から3頭が遠征してきた昨晩の第17回鎌倉記念。町田騎手が9レースに騎乗した際,発馬前に馬がゲートに突進して落馬。第3腰椎横突起骨折のためドゥーナは本橋騎手に変更。
                                     
 思ったほど激しい先行争いにはならず,カンゲキがハナへ。リンゾウチャネルが2番手に控えました。それをマークする位置にミューチャリー。その後ろはヒカリオーソとルマーカーブル。さらにセイシャレードとカネトシテッキン。ミッドサマーナイト,グラビテーション,スフォルツァートの順で続き,リンノレジェンドがこの後ろに。後方2番手がドゥーナでリックシンパは前の12頭から離されての追走。発馬後のラップがきわめて速いハイペースでした。
 3コーナーを回るとカンゲキにリンゾウチャネルが並び掛けていきさらに外からミューチャリー。この3頭が横並びで直線に入りましたがカンゲキはすぐに脱落。さらにミューチャリーがリンゾウチャネルを置き去りにしていき突き放す一方での圧勝。リンゾウチャネルが6馬身差で2着。大外から一旦はヒカリオーソが3番手まで上がりましたが,その内から差し脚を伸ばしたグラビテーションの伸び脚が優って4馬身差の3着。ヒカリオーソが4分の3馬身差で4着。
 優勝したミューチャリーは8月の新馬戦を2番手から抜け出し7馬身差で快勝。2戦目の認定競走は後方から向正面で追い上げていき3馬身差で優勝。ここが3戦目で,2戦の内容から南関東勢の中では間違いなくトップと目されました。遠征馬との力関係は不明でしたが,少なくとも一線級ではない北海道勢に対してははっきりと力量上位であったと判断してよさそうです。体重が減っていた点が気掛かりですが,無事にいけばかなりの活躍を見込めそうです。母の従妹に2014年にオークスとローズステークス,2015年に中山記念,2016年にレッドカーペットハンデキャップを勝ったヌーヴォレコルト。馬名の英語表記はMutuallyです。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は習志野きらっとスプリント以来の南関東重賞30勝目。鎌倉記念は初勝利。管理している船橋の矢野義幸調教師も鎌倉記念は初勝利。南関東重賞は17勝目。

 6月22日,金曜日。この日は訪問看護でした。この日に来訪したのは,火曜に初めて来た看護師ひとりでした。
 この日も僕は妹を迎えに行かなければなりませんでしたから,訪問看護の中途で家を出ています。通常は午後2時10分に出るのですが,この日は1時50分に出ました。これは迎えに行く前に,薬局に行って前日に処方された薬剤を入手するためでした。上大岡へ向かうバスは根岸駅が始発で,僕の家の最寄りのバス停を経由します。薬局は根岸駅前にありますから,まず薬局に行って,薬を入手したら,上大岡行きのバスに乗ればいいのです。
 処方されていたのはまずフェンタニルパッチで8.4㎎のもの。この8.4㎎の処方は最後まで変更がありませんでした。母はこのパッチを使うようになったために家に帰ってくることができたという側面があり,母にとっては最適の麻薬であった可能性が高いです。それから足のむくみと腹の張りを抑制するための利尿剤としてフロセミドの処方がありました。これは朝食後に服用する薬です。
 このほかに2種類の薬剤がありました。ひとつはカロナールというシロップで,これは鎮痛剤です。それからドンペリドンという錠剤があり,これは吐き気止めの一種でした。このうちカロナールは毎食後と就寝前に,ドンペリドンは毎食前に服用するようにという指定があったのですが,母はその指定通りにはこれらの薬剤は使用しませんでした。ただし服用しなかったというわけではなく,カロナールはオプソ内服液と同じように,疼痛があったときに飲むことがありましたし,ドンペリドンの方は吐き気を感じるというか気分が不快であるときには飲むことがありました。
 6月23日,土曜日。午後3時前にKさんが来訪しました。これは母が買い物を頼んでおいて,それを買って持ってきてくれたものです。
 6月25日,月曜日。妹を通所施設まで送りました。
 この日は母の同僚であるYさんとUさんが来訪されました。午後2時半前後のことですが,一緒にではなく別々でした。Yさんは迷わずに来られたのですが,Uさんは迷ってしまったようで,電話を受けて僕が迎えに行きました。
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農林水産大臣賞典報知新聞社杯エーデルワイス賞&椅子の入手

2018-10-17 19:51:53 | 地方競馬
 昨晩の第21回エーデルワイス賞
 ヒストリコとファーストメロディは出足が鈍く,ほかの14頭から取り残されました。先行争いが激しくなりましたが単独での先手を奪いきったのはシェリーアモール。エムティアンとアークヴィグラスの2頭が追う形となり,カシノティーダ,スティールティアラ,パレスラブリー,デンバーテソーロの4頭が大きく横に広がって追走。前半は前にいたものの内で控えたのがタイムゴールドで,ここまでは集団でした。この後ろもオスピタリタとレコードチェイサーで併走。ケイゴールド,キスミーローズと続き,盛り返したヒストリコがレスプレンデントと並んでその後ろ。後方2番手がファーストメロディで最後尾にグレイアンジェラという隊列で3コーナーを通過。前半の600mは35秒5のハイペース。
 逃げたシェリーアモールが内を開けたのでそこをスティールティアラが突き,4コーナーでは内からスティールティアラ,シェリーアモール,エムティアン,アークヴィグラスの4頭が横並び。この競り合いから内の2頭が脱落し,さらにエムティアンも苦しくなり,アークヴィグラスが先頭に。これにすぐ外から襲い掛かってきたのがデンバーテソーロで,徐々にアークヴィグラスとの差を詰めていきましたが,フィニッシュまで粘り切ったアークヴィグラスが優勝。デンバーテソーロがクビ差で2着。アークヴィグラスとの競り合いからは脱落したエムティアンが何とか粘って1馬身半差の3着。3コーナーでは最後尾だったグレイアンジェラが瞠目の末脚を発揮して大外からクビ差の4着まで迫りました。
 優勝した北海道のアークヴィグラスはフルールカップ,リリーカップと連勝中で,北海道の2歳牝馬の中ではトップ。JRA勢との力関係は不明でしたが,1000mの未勝利戦で59秒3というタイムを出し,2着馬に4馬身の差をつけたデンバーテソーロとは同等の力量があったということでいいでしょう。今後は距離の延長にどこまで対応できるのかということが最大の課題になってきます。父はサウスヴィグラス。母の父はフジキセキ。3代母は1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップと新潟記念とオールカマーを勝ったダイナフェアリー。5代母がファンシミン
 騎乗した北海道の石川倭騎手はデビューから約5年半で重賞初勝利。管理している北海道の小野望調教師は開業から約9年半で重賞初勝利。

 6月20日,水曜日。午後1時に介護用品の業者の方が来訪されました。これは母にとって最適の入浴介助用の椅子に在庫ができたので,持ってきてくれたものです。前にもいいましたがこの椅子は購入しました。実費で買ったのですが,後に補助が出て,最終的には1割負担になりました。これは介護保険によるサービスであった筈です。母は介護認定は結果が出ていましたので,介護保険証は所有していました。そのコピーはこの業者にも渡したように記憶しています。ただ,母はケアマネージャーをつけることは最後までできなかったので,なぜ補助を受けることができたのかはよく分かりません。1週間前に持ってきてくれた見本は,この日に返却しました。これは見本でしたので,レンタル料のようなものは発生していません。
                                     
 この日の夜に母は新しい椅子を使ってひとりで入浴しました。入浴自体を僕が見守るわけにもいきませんが,風呂はリビングの近くですので,入浴の間はリビングで待機しました。これはこの日に限らず,母がひとりで入浴した場合には常に同一です。風呂には緊急を知らせるブザーがついているからですが,そのブザーが鳴ったことはありません。
 6月21日,木曜日。午後1時半に訪問医の往診がありました。癌の進行についてはまだ問題はないという話でした。退院したときに処方されたフェンタニルパッチの残量が少なくなっていましたので,その処方箋が出されました。また,この日の往診は腹の張りと脚のむくみがひどいためであったのですが,こちらについては利尿剤を処方されています。処方箋はこの後で僕が薬局に持っていきましたが,フェンタニルパッチは麻薬ですからこの日のうちの入手は不可能で,翌日にその他の薬剤も含めてすべて入手することにし,この日は代金だけ支払って帰宅しました。
 退院後の母は常に介護用ベッドで横になっていたわけではなく,日中はリビングに座っていることも多かったです。ただ,前にもいいましたように,フローリングから立ち上がるというのは大変です。この日以降は介護用ベッドの中で過ごす時間が目に見えて長くなりました。ただし食事はリビングで摂っています。
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