スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ファビラスラフイン&神の観念

2021-02-25 19:08:52 | 名馬
 先週の雲取賞を勝ったランリョウオーの祖母は,1993年にフランスで産まれ,競走馬として輸入されたファビラスラフインです。
 デビューは遅く3歳の2月。ダート1200mの新馬を7馬身差で圧勝。芝に転じて1600mの条件戦を5馬身差で勝つとニュージーランドトロフィー4歳ステークスも逃げ切り重賞初制覇。NHKマイルカップは1番人気に推されましたが先行して失速。14着に敗れました。
 秋はぶっつけで秋華賞に。先行して抜け出し,大レース制覇を達成。エリザベス女王杯ではなくジャパンカップに向うと外国馬が上位を占める中でハナ差の2着に健闘しました。有馬記念でサクラローレルの10着に敗れ,そのまま引退となりました。
 スピードは抜群でしたが,本来は長距離の方が向く馬だったのではないかと思います。間違いなく同世代の3歳牝馬の中では実力最上位の馬で,順調なら,古馬になっても牡馬を相手に大レースを勝ち負けする馬になり得たと思っています。
 繁殖牝馬としては,オルフェーヴルが逸走してしまった2012年の阪神大賞典を勝ったギュスターヴクライが輩出しています。

 観念ideaが必ず何かの観念であるということは,観念には必ず観念対象ideatumがあるということです。したがって,一般にXの観念といわれるとき,この観念の観念対象はXであるということになります。スピノザの哲学では思惟の様態cogitandi modi,たとえば観念も観念の対象となります。そうした観念は観念の観念idea ideaeといわれます。ですがここではそこまで考えるとややこしくなるだけですので,Xの観念といわれる場合のX,いい換えればXの観念対象であるXは,知性intellectusの外に形相的にformaliter存在するものである場合に限って考察します。ただこれは,Xが思惟の様態である場合は成立しない考察ではなく,同じ論理構成によって,Xが思惟の様態の場合も成立することになります。ただ煩雑さを避けるために,その場合については除外するということです。
 Xの観念の観念対象がXであるというなら,神の観念idea Deiといわれる場合には神が観念対象となります。これはそれ自体で明らかでしょう。僕がいうのは,このように規定してもなお,神の観念というのは多様な解釈をスピノザの哲学では許容するのではないかと思えるということです。どのような解釈が考えられるのかを,これから順に紹介していきます。
                                 
 第二部定理七系では,神の無限な本性infinita Dei naturaから形相的に,いい換えれば知性の外に生じることが,神の観念から客観的にobjective,つまり観念として発生するといわれています。なお第二部定理七により,これらの原因causaと結果effectusの連結と秩序Ordo, et connexioは同一でなければなりません。これはスピノザ自身がこの系Corollariumの中でいっていることです。このとき,神の本性から形相的に発生するすべてのものに対して,神の本性は起成原因causa efficiensであるということになります。したがって,神の観念から発生する客観的有esse objectivumすなわち観念に対して,神の観念は起成原因であるといわなければなりません。これは当然のことでしょう。このとき,神の本性というのが,能産的自然Natura Naturansに該当するのか所産的自然Natura Naturataに該当するのかといえば,能産的自然に該当し,この能産的自然から形相的に発生するすべてのものが,所産的自然に該当することになります。すると所産的自然である諸々の観念に対して,神の観念は能産的自然に該当することになりそうです。
コメント
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