スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

しらさぎ賞&我慢の秩序

2010-04-29 19:06:55 | 地方競馬
 南関東重賞は大抵の場合は水曜に実施されますが,今週は今日が祝日ということで木曜に施行。古馬牝馬によるしらさぎ賞でした。
 タッチブライトとキープザチェンジ,この2頭も逃げたかったようですが,チヨノドラゴンが強引にハナを奪って逃げました。この結果,最初の600mが35秒6というハイペースに。
 チヨノドラゴンも先行争いを演じたほかの2頭は何とか振り切りましたが,直線に入るところでは早くも一杯。代わってこの3頭の後ろに位置していたジョーイロンデルが先頭に立つと,中団から内を捌いてきたテイエムヨカドーがこれに迫ります。しかし先に抜け出していたジョーイロンデルが追撃を振り切って優勝。テイエムヨカドーが2着。3着は外を回った2頭の争いとなりましたが,一歩先んじていたタカヒロチャームがハチマンダイボサツの強襲をきわどく凌ぎました。
 優勝したジョーイロンデルはJRAデビューで2勝。一昨年の暮れに浦和に転入後は11戦して8勝をあげていました。あまりレベルの高いレースではありませんでしたので,今後も活躍できるかどうかはやや微妙なところがありますが,まだ底を見せていないというのも事実ではあります。父はクロフネ
 鞍上は大井の戸崎圭太騎手。先月の京浜盃以来の南関東重賞制覇で,一昨年,昨年とこのレースを制覇していますので三連覇となる3勝目。管理している浦和の小久保智調教師はこのレース初制覇です。

 現実的に僕たちは尿意を感じたときに,むしろ排尿という運動をなすことを否定するような思惟の様態,積極的にいい表わすならば排尿を我慢するような思惟の様態を形成することがあります。これは経験的に明らかと思いますので説明は不要でしょう。そしてこうしたことがあるからこそ,人間は失禁という排尿をなす場合が生じるわけです。
 しかし現実的にそうした思惟の様態を形成するのですから,こうした思惟作用というものが,尿意のうちに自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用があるということと矛盾するものではないということについては,もう少し詳しく説明しておく必要があるかと思います。そこで,そうした排尿を我慢するような思惟の様態が,いかなる秩序によって僕たちの精神のうちに生じてくるのかということを探求してみることにします。その結果として,この思惟作用が尿意とは別の事柄から生じてくると分かれば,これらふたつの思惟の様態,すなわち自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用と,排尿という運動を我慢することを肯定するような意志作用が,同一の人間の精神のうちに,実際にその人間がそれを意識するのかどうかということは別としても,同時にあることができるということになり,したがってこの両者は矛盾するものではないということも証明できると思うからです。
 僕たちは,大抵の場合は排尿という運動をトイレにおいてなします。もちろん実際にその運動をなす準備が整ったらという限定が厳密にいえば必要であるかもしれませんが,僕たちはトイレでは排尿を我慢するということをしません。別のいい方をするのならば,排尿という運動を我慢することを肯定するような思惟の様態は生じませんし,それまで生じていたと仮定するなら,消滅します。このこともおそらく経験的に明らかだといっていいでしょう。そこでまずこのときに,人間の精神のうちにはどのようなことが生じているのかということが,『エチカ』によってどのような仕方で説明できるのかということを考えることを手始めとして,この問題に接近していくということにします。
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棋聖戦&帰結

2010-04-28 19:45:34 | 将棋
 タイトル保持者同士の好取組となった第81期棋聖戦挑戦者決定戦。対戦成績は渡辺明竜王が5勝,深浦康市王位が8勝。
 振駒で深浦王位の先手。渡辺竜王は一手損角換り4から四間飛車。後手は美濃囲いから銀冠,先手は矢倉模様から左辺に厚みを築く持久戦。
               
 第1図から後手が△4二銀と引いたのに対し先手は▲6六角と打って中盤の戦いに。後手は△3三銀。先手は生角を手放し,後手はすでに手損をしているところにさらに手損を重ねましたので,局面の均衡は崩れました。焦点は先手が打った角が働くか遊ぶか。
 角を先に打った先手から攻めていくのは当然として,後手はこんな指し方があるだろうかと感じるほど受け続けて第2図に。
               
 ここで先手は▲2二角成と切っていきました。△同飛に▲6四飛と飛車も捨て,△同金に▲5三角。どうもこれで後手玉ははっきり寄っているのではないとしても,先手玉は堅い上に手掛かりがなく,先手が勝勢といえるような状況でした。こうなっては第1図で打った角も十分に働いた格好。全般的に先手の快勝といえる将棋であったと思います。
 深浦王位が羽生善治棋聖への挑戦権を獲得。第一局は6月8日です。
 
 第三部定理一二証明されますと,現在の考察との関連において,具体的に次のようなことが帰結すると僕は思います。
 現在の考察の対象としている尿意という観念は,自分の身体の状態に関する知覚であり,したがって混乱した観念です。しかし人間の精神は混乱した観念を有する限りにおいても自己の有に固執し,そのために自分の身体の実在性を促進しまた増大する事物の観念を表象する傾向を有しますから,尿意を知覚する限りでも人間の精神はこの傾向を有するでしょう。
 ところで,身体のうちに溜まった尿を体外に排出する運動というのは,まさに身体の実在性を促進するような運動です。したがって人間の精神は,尿意を知覚するそのたびごとに,この運動,すなわち排尿という運動を表象する傾向を有することになります。つまり個々の尿意のそれぞれに,このように排尿という運動を自分の身体に対して肯定するような意志作用が含まれていると考えることができるようになるわけです。
 このことは,経験的に考えても明らかではないかと思います。僕たちは尿意というのを知覚すれば,排尿すること,あるいは別のことばでいえばトイレに行くことを意志するのではないでしょうか。もちろん一般的な道徳というものは,人間があたりかまわず排尿という運動をなすことを許しませんので,僕たちはむしろそれを我慢することを選ぶ場合も多々あるわけですが,たとえそのような場合でも,それは排尿という運動自体を自分の身体に対して否定しているわけではなくて,その場所において排尿という運動をなすことを否定しているにすぎないといえると思います。
 このような理由で,僕は尿意の肯定のうちには,排尿という運動自体を自分の身体に対して肯定するような意志作用が含まれていると考えます。しかしこれには反論も予想されますので,もう少し詳しく探求してみることにしましょう。
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西武園記念&第三部定理一二証明

2010-04-27 19:05:44 | 競輪
 今年のゴールデンウィークの記念競輪第一弾は西武園記念で今日が決勝(動画)。
 並びは武田-神山の茨城栃木に高谷,藤田-平原の埼玉に岩津,稲垣-山田-山口の近畿中部。
 山田が出ていきましたが武田がこれを交わして前受け。中団が稲垣で後方から藤田の周回に。藤田は残り2周のホームから上昇,蓋をされた稲垣は引き,藤田はバックで武田を叩いて先頭に。打鐘から稲垣が発進してホームでは先行争いとなりましたが,わりと楽に稲垣が出きってかまし先行。バックから武田の捲り。山田が牽制しつつこれに合わせて出ると,さらに外から自力発進した平原の捲り。平原のスピードが圧巻で前を一飲みし,後ろにも付け入る隙を与えずに優勝。山田の番手から出た山口が2着で平原マークの岩津は3着が一杯。
 優勝した埼玉の平原康多選手は正月の大宮記念に続いて地元で優勝。記念競輪は5勝目で,当地は昨年も優勝していますので連覇。藤田が叩かれたのでホームでは8番手とかなり苦しい位置でしたが,自力に転じてのスピードは素晴らしかったです。直後にGⅠが控えていますが,地元記念ということで,あるいはここに向けて仕上げてきたのかもしれません。

 本当ならばここで第三部定理一二というのが,個々の尿意のうちに自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用を含んでいるということと,どのような関係をもっていると僕が考えているのかということを説明しておくべきでしょう。しかしながらこの説明は,この定理を証明してからの方が理解を得やすいのではないかと思いますので,本来の筋道としてはおかしいかもしれませんが,先に証明に進むということにします。なお,こうした理由により,これ以下に示しますのは,後の説明を視野に入れた上での証明方法ということになります。
 まず第三部定理七により,現実に実在する人間の精神の現実的本性のうちには,その精神が自身の有に固執するという傾向が含まれています。
 次に第三部定理一一により,自分の身体の実在性を促進ないしは増大するものの観念は,その人間の精神の実在性を促進ないしは増大します。
 これらのことを合わせれば,現実的に存在する人間の精神は,自分の身体の完全性を増大しまた促進するものの観念を表象する傾向があるということが出てきます。
 そして現在の考察において重要なのは,人間の精神というのはいくつかの十全な観念と,大抵の場合はそれよりもずっと多くの混乱した観念とによって構成されているわけですが,第三部定理九が示していることにより,現実的に存在する人間の精神のこの傾向は,人間の精神が十全な観念を有する限りでも妥当するし,混乱した観念を有する場合でも完全に同じように妥当するということです。
 したがって人間の精神は,どんな観念を有する限りにおいても,自分の身体の実在性を促進あるいは増大するものの観念を表象しようとする傾向を有するということになります。
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クイーンエリザベスⅡ世カップ&第三部定理一二

2010-04-25 19:06:59 | 海外競馬
 今週の中央競馬は大レースの谷間でしたが,香港では国際招待競走が2レース。そのうち芝2000mのクイーンエリザベスⅡ世カップに,今年のアメリカジョッキークラブカップを勝ったネヴァブションが参戦しました。
 発走して間もなく1コーナーを迎えるというコース形態なので,1番は絶好の枠。少し押していましたので,最初から逃げるつもりだったのだろうと思います。外からSuper Pistachioが並んできましたが,コーナーワークでこれを凌いで先手を奪いました。ラップが400m刻みで前半の1000mの通過タイムは分かりませんが,ペースはかなりのスロー。
 ずっと1馬身程度の間隔をつけたまま直線へ。ここから追われると一旦は後続を突き放しましたが,最終的にはすぐ外の3頭に抜かれ,さらに外の2頭にもかなり迫られましたが,何とか4着はキープしました。
 レースはおそらく作戦通りで,これはよかったのではないかと思います。切れ味に優るというタイプではないような気もしますから,道中のラップはもう少しだけ上げてもよかったかもしれませんが,先着された馬たちには決定的と思える差をつけられていますから,現状の力は発揮できての結果ではなかったかと思います。
 優勝したのは地元の古豪Viva Pataca。このレースは2007年にも勝っていて2勝目です。

 具体的な個々の尿意のうちに,自分の身体corpusに対して排尿という運動を肯定する意志作用volitioが含まれているということを示すために,ここでは第三部定理一二を援用することにします。
 「精神は身体の活動能力を増大しあるいは促進するものをできるだけ表象しようと努める」。
 この定理Propositioにも努めるということばが出現していますが,これもまたそういう傾向を有するというほどの意味に理解するべきだと思います。したがってこの定理の全体の意味は,人間の精神は,自分の身体の働く力を増大あるいは促進するような事物を表象する傾向があるということになります。もちろんスピノザの哲学ではすべてのものが精神を有することになっていますが,現在は人間の精神ないしは知性のみを対象として考察していますから,これはこれでいいでしょう。
 ただしそれはあくまでもこの定理の一般的な意味です。現状の問題はむしろ現在の考察との関係において,この定理が証明されたならばどのようなことがいえるのかという点にあるでしょう。というよりも,個々の尿意のうちに自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用が含まれているということを説明するということを今の目的としているのですから,この定理の証明とそのこととの間にどのような関係があるのかということが重要です。確かに一見しただけではこの定理のうちにはそれを説明し得るような要素などいっかなないようにも思えるのですが,すでにこの考察の中で証明してきたこと,およびこの考察のうちで尿意という観念をどのような観念であると規定しているのかということに十分な注意を払うなら,僕はそうした説明をすることが不可能ではないのではないかと考えているのです。
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リーガルローブ&一般と具体

2010-04-23 19:18:44 | 血統
 先週の中山グランドジャンプを勝ったメルシーモンサンの日本での母系祖先は1958年にイギリスで産まれたリーガルローブという馬です。ファミリーナンバー1-e
                
 イギリスで繁殖生活を送った後の輸入で,日本では7頭の仔を産んだようですが,活躍馬は1970年産のマミーブルーからの系統に集中。マミーブルー産駒には,1991年の日経新春杯を勝ったメルシーアトラ,1994年にアーリントンカップと毎日杯を連勝したメルシーステージがいます。このメルシーステージの父であるステートジャガーはマイナー種牡馬で,種牡馬引退が決まっていたのですが,この馬の活躍で再び種牡馬に起用されたという珍しいエピソードがあります。
 マミーブルーの曾孫にあたるのが2004年の暮れの中山大障害を勝ったメルシータカオー。騎乗した出津孝一騎手は12月25日にして2004年の初勝利。印象的なインタビューをご記憶の方もいらっしゃるかと思います。
 メルシーモンサンはこのメルシータカオーの姉の産駒ですので甥にあたります。
 この一族もそうですが,障害競走に集中して活躍馬が出る系統というのがあります。今後もこの一族から障害競走に出走する馬がいれば,注目する必要があるでしょう。

 第三部定理九証明されたことにより,尿意が知覚,すなわち混乱した観念であっても,人間の精神は自己の有に固執する傾向を有しているということは明らかになりました。したがって一般的に考えるなら,尿意の観念は排尿という運動自体の観念に直接的に連結するような観念ですから,すでに尿意のうちに,排尿という運動を自分の身体に対して肯定する意志作用が含まれているということも明らかになったといっていいかもしれません。なぜならそれ以前に,第三部定理一一も証明してあるからです。
 ただし,一般的にこのようなことがいえるということと,具体的に同じことがいえるということでは多少の,しかし無視することはできない違いがあります。もちろんたとえばある人間の知性というのがその人間の精神を構成している個々の観念の総体のことであり,意志というのが意志作用の総体のことであるように,一般的に尿意といわれるような観念は,個々の人間の精神のうちに発生する各々の尿意という観念の総体のことであるでしょう。しかしこれをいうためには,一般的にそうであるから具体的にもそうでなければならないというのではなしに,具体的にこうであるから一般的にそういえなければならないと説明するのがたぶんスピノザの哲学においては正しい方向ではないかと思います。といいますのも,事物はどのように把握される場合に明瞭に認識されるのかという観点からいって,その方がスピノザの一般性と特殊性の考え方に合致しているように思われるからです。
 そこで,具体的な尿意の中に,自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用が含まれているということについて証明したいのですが,これに関しては『エチカ』の中で,そのことを直接的に導き出すことができると僕に思えるような定理がありません。そこでやや異なった角度から,この点に接近を図っていこうと思います。
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羽田盃&完全性の大小

2010-04-21 20:52:46 | 地方競馬
 南関東もいよいよ三冠レースが開幕。今晩は羽田盃が行われました。
 ナンテカが半ば強引にハナを主張しての逃げ。かなり引き離しました。タケノアリュール,ライトラン,ショウリュウ,ウインクゴールドといったあたりの追走。最初の800mは48秒3のハイペース。
 後方3番手に位置していたマカニビスティーが向正面からかなり外を回って追い上げ開始。そのままコーナーも大外を回って直線入口では先頭まで並び掛け,すぐに抜け出しました。中団にいたシーズザゴールドは一旦は捲られたのですが,直線に入って馬群がばらけると鋭く伸びて再び並び掛けます。脚色からシーズザゴールドが楽に差し切ると思ったのですが,並ばれるとマカニビスティーもまた頑張って,ほとんど並んだままゴールイン。写真判定となりましたが,優勝はシーズザゴールドでマカニビスティーは2着。シーズザゴールドの後ろからレースを進めたブンブイチドウが離されたものの3着を確保し堅い決着。
 優勝したシーズザゴールドは北海道デビューで転入後3連勝で迎えた前走の京浜盃を2着。そのときのレース内容から,ここは2着馬以外とは勝負をつけている感がありました。うまく直線で相手を目標にできた利もあったかと思います。南関東重賞は初制覇。
 今日の鞍上はJRAの内田博幸騎手。羽田盃は2005年以来の2勝目。管理している大井の荒山勝徳調教師は羽田盃初制覇です。
 マカニビスティーはいくらなんでも競馬が強引すぎた印象。それでこの差ですから能力はあるいはこちらが上かもしれません。いずれにしても3着には大きな差をつけていますから,東京ダービーでもこの2頭が主役を張ることになるでしょう。

 これは現状の考察とは少し離れてしまうのですが,ここ一連の受動に関する探究は,スピノザの哲学において,ある事物の実在性すなわち完全性の移行ということをどのように考えるべきであるのかということと関連してくると僕は思います。スピノザの哲学全体の中では,これも非常に重要なことと思いますので,この点について改めてここで僕の考え方を示しておくことにします。
 これは人間の身体の場合で考えても人間の精神の場合で考えても同様ですが,ある受動によって結果として人間の実在性が低下ないしは阻害されるなら,この人間は大なる完全性から小なる完全性へと移行したということになります。そして逆に,人間の実在性が増加ないしは促進されるなら,この人間は小なる完全性から大なる完全性へと移行したということになります。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。
 しかしこのとき,前者の場合にある人間がより不完全な状態になったとか,後者の場合により完全になったということはできないと僕は考えています。なぜなら,どちらの場合でも,移行した当の人間が自己の有に固執する傾向を有していたということでは同じだからです。
 完全であるか不完全であるかということは,この傾向を有しているかいないかという観点からいわれるべきです。したがってより小さな完全性であっても,それがひとつの完全性であるということは間違いなく,これは大なる完全性の場合と同様です。つまり人間が小さな完全性に移行することはその人間が不完全になったということを意味しません。同様に,人間が大なる完全性に移行したとしても,その人間が完全になったということもできないと思います。そもそも完全性というのは,力という観点からみた本性なのであって,本性の異なるものについて,一方を完全とか不完全とかいうことはできないと思うからです。そしてこうした観点から,スピノザの哲学における完全の意味を考えるべきでしょう。
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武雄記念&身体の場合

2010-04-20 19:00:24 | 競輪
 2日目にルーキーチャンピオンレースが行われた武雄記念は今日が決勝(動画)でした。
 並びは海老根-武井の千葉,市田-星島の西日本,坂本-荒井-松岡-梶応-吉岡の西国。
 号砲が鳴るや武井が飛び出し海老根の前受け。3番手に市田で5番手から坂本の周回。残り2周のホームから坂本が上昇し,バックで海老根を叩くと,海老根は一旦は引く構え。しかし打鐘で坂本が流したのを見てインを上昇。武井が松岡をどかして海老根が3番手に。市田は後方となり圏外。ホームから坂本の先行。5番手となった松岡がバックで外を上昇。海老根の外に並び掛けて海老根は動けず。残り半周から荒井が発進。うまく松岡がつけ直して直線勝負も,振り切った荒井の優勝。松岡が2着で3着には武井。
 優勝した佐賀の荒井崇博選手は一昨年11月の玉野記念以来となる記念競輪11勝目。地元となる当地は一昨年も優勝していて2勝目。前の坂本,一旦は連結を外したものの後ろの松岡が共に頑張ってくれたことによる優勝。海老根に早く発進されていたらもっと苦しかったかもしれません。年齢的に考えてもまだ終る選手ではない筈で,もっと上での活躍を目指してほしいです。

 人間の精神が受動によってある混乱した観念を形成する場合には,たとえその結果としてその完全性が減少したり阻害されたりしたとしても,精神自身が自己の有に固執しているという傾向と矛盾していないということは,実は精神の場合よりも人間の身体の場合で考えた方が経験的にもより明らかです。そこで僕自身の場合を実例に採用してこれを説明します。なお,人間の身体とその人間の精神は同一個体ですから,秩序が一致するという点に留意してください。
 昨年のシックデイのとき,結果からいえばこれは唾石という異物が僕の身体に対してある作用をなしたということになります。これにより一時的にではありますが僕の身体には血糖値の高騰という現象が生じました。そこでもしもこの事実だけを抜粋していえば,この時期の僕の身体の実在性は,その前後と比較してより小なる状態であったということになります。いい換えれば唾石からの受動によって僕の身体の完全性は減少しました。
 しかし何度かの検査を経て,喉に針を入れて中の物体を抽出した結果,僕の唾液の中にはクラスでいえば2,すなわち白血球が認められました。しかしこれが認められたということは,むしろ僕の身体が唾石という異物に対して抵抗しようとしていたことの証です。つまり僕の身体は,結果としてはその実在性が減少したのだとしても,むしろ実在性を維持しようとする傾向を有していたことが明らかに認められるのです。
 第四部公理にあるように,どんなものでも個物にはそれを凌駕する力を有するものがあるわけですから,どんな個物であれ,単に自己の有に固執するという傾向だけをもってしてその実在性を維持ないしは促進し続けられるわけではありません。しかし結果として実在性が維持あるいは促進できなかったとしても,この事実だけを理由として,個物には自己の有に固執する傾向があるということを否定することもできないのです。
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マイナビ女子オープン&受動

2010-04-19 18:59:25 | 将棋
 勢いに乗る甲斐智美女流二段が矢内理絵子女王を一気に土俵際まで追い詰めて迎えた第3期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 甲斐二段の先手で角道を止めての三間飛車。矢内女王は左美濃を選択し持久戦。石田流に組んだ先手から仕掛けました。この仕掛けは機敏で先手が好調に主導権を握る形。ただ後手も決め手を与えない,らしい指し方で双方が1分将棋に突入して混沌とした終盤戦に。
               
 実戦はここから△5二歩▲3四歩△4二銀▲4三歩△同銀▲8一角成△3五歩▲同金△4六飛と進めましたが▲5七角(第2図)の好手を食らい将棋が実質的に終わってしまいました。第1図はまだ先手が簡単に勝てるような局面とは思えませんから,この間の後手の指し方が直接的な敗因となったものと思われます。
               
 3連勝で甲斐新女王が誕生。自身の初タイトルと共に,三段への昇段も手に入れました。内容はいずれも終盤の競り合いを制してのもので,最も力量の差が出るところで競り勝ったわけですから,実力的にはもう追い抜いていると考えてもいいように思います。

 以前にスピノザの哲学における本筋の証明というのはどういうものかということを僕がどう考えているのかということを説明したことがあります。今回の第三部定理九の証明も,僕のその考え方に則ったものとなっています。しかし実際に現在の考察の課題となっていること,すなわち人間が混乱した観念を有する場合,要するに人間の精神の受動の場合にも,人間の精神はそれ自身の存在に固執する,あるいはしているということを示すだけであるなら,たぶん次のような考え方をする方が理解はしやすいだろうと思います。
 再び第三部定理三により,人間の精神に混乱した観念が生じるとき,人間は働きを受けているわけです。したがってその結果として,人間の精神の実在性ないしは完全性が減少したり阻害されたり,あるいは破壊されてしまうということも,現実的には生じ得るわけです。しかしそれは,この人間の精神に対して働きかける何かほかのものの観念あるいは思惟の様態の作用によるものであって,この人間の精神の現実的本性からこのことが生じるというわけではありません。これは端的には第三部定理四から明らかだと思います。
 実際には混乱した観念が生じる場合にも人間の精神は自身の有に固執しているのであって,現実的に有という力,すなわち実在性が減少したり阻害されたりするのは,その力よりも働きかける思惟の様態の力が上回っている,すなわち第四部公理でいわれている意味でその思惟の様態が有力であり強大であるという理由に依拠します。
 したがって,確かに混乱した観念を有する場合には人間の精神の実在性はより小さくなるということが生じ得ますが,このことは第三部定理六とか第三部定理七と齟齬を来すというわけではないのです。
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皐月賞&第三部定理九証明

2010-04-18 19:06:41 | 中央競馬
 いよいよ三冠レースが幕開け。今日は皐月賞でした。
 有力な前哨戦のひとつであるスプリングステークスを逃げ切ったアリゼオが大外枠に入ったため,どういう展開になるか予測に難しいところがありましたが,ダートで好成績を収めてきたバーディバーディが先導役になりました。ゲシュタルト,ハンソデバンド,サンディエゴシチーが追走し前半の1000mは60秒1でミドルペース。
 1番人気に推されたヴィクトワールピサは13番枠から最初の正面で内に入れ,最初は後方であったものの向正面ではそのまま内を漸進。直線も僅かに開いた最内にきりこんでいくとあっさりと抜け出して快勝。2着は3頭による接戦となりましたが,後方3番手から大外を鋭く伸びたヒルノダムールが2着,2着馬の少し前から同様の競馬となったエイシンフラッシュが3着,馬群を割ってきたローズキングダムが4着。
 優勝したヴィクトワールピサは新馬をローズキングダムの2着に負けた後,重賞2戦を含めて4連勝。根幹レースを勝ち続けてきていて,大レースは初制覇。内を突いたので微妙なところもありますが,着差からすれば今日のメンバーとは勝負をつけたという印象。今年は皐月賞を回避している有力馬もいますので,ダービーでの相手はむしろそちらの組になるのかもしれません。父はネオユニヴァースで父子制覇,兄に2005年の安田記念を勝ったアサクサデンエン,2006年の小倉記念を勝ったスウィフトカレント。ヴィクトワールはフランス語でvictory。
 ずっと武豊騎手が乗ってきた馬ですが,落馬による大けがで今日は岩田康誠[やすなり]騎手の騎乗。昨年のジャパンダートダービー以来の大レース制覇で,皐月賞は昨年も制していて連覇で2勝目。管理する角居勝彦調教師は昨年のジャパンカップ以来の大レース制覇で皐月賞は初勝利。

 第三部定理九というのは,以下に上げる点に注意すれば,実は第三部定理六第三部定理七というのを個別の事象に当てはめただけであるといえますから,それだけで少なくとも前半の部分に関しては証明ができます。
 第三部定理三によれば,人間の精神のうちに十全な観念が生じるなら,その人間の精神は働きをなします。すなわち能動です。よってこの限りにおいては,その精神の現実的本性だけを考慮のうちに入れればよいわけですから,その精神が自己の存在ないしは有に固執する傾向をもつということが第三部定理七だけで明らかです。これは問題ないでしょう。
 一方,人間の精神のうちに混乱した観念が生じる場合はその精神は働きを受けます。つまり受動です。しかしこの場合も,この観念を神との関係で考えれば,同様の結論が得られます。すなわち,ある人間の精神のうちにXの混乱した観念があるということは,この人間の精神の本性を構成するとともに何かほかのもの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるということであって,このように考えるならこの観念は混乱した観念ではなく十全な観念です。よって第三部定理七のみに依拠する同様の論理が成立することとなるのです。
 次に,これらの観念は,その観念の対象と同一個体ですが,同じ意味で,この観念の観念とも同一個体です。したがってこの観念の観念というのも同じ人間の精神のうちにあることになり,人間はそれを意識する,あるいは少なくとも意識することができるということになります。スピノザはこの定理の証明においてこのことを第二部定理二三に訴えていて,これが正当な手続きであるとは僕も思いますが,これは人間はあることを知っていればそれを知っていることを知ることができるという以上のものではないようにも僕には思えますから,そう考えるなら第二部定理四三に訴える方がより簡明ではないかという気もします。
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中山グランドジャンプ&第三部定理九

2010-04-17 19:39:32 | 中央競馬
 来日中の1頭が故障してしまったため,残念ながら日本馬のみの争いとなった第12回中山グランドジャンプ
 テイエムトッパズレが逃げて,これにバトルブレーヴが絡んでいくような展開。注目のふたつの大障害は全馬が無事に飛越。不良馬場でスピードが出にくい状況というのもあったかもしれませんが,取り残された2頭を除けばかなり密集してのレースとなりました。
 2周目の向正面に入るとバトルブレーヴは後退していきメルシーモンサンが2番手に。人気のメルシーエイタイムはこの中間の障害で落馬。さらにオープンガーデンも上昇してきて,前の3頭が後ろを離して直線に。逃げたテイエムトッパズレはすぐに一杯となり,外のオープンガーデンが一旦は先頭に立ったようにも見えましたが,最後は差し返すように内から伸びたメルシーモンサンの優勝。オープンガーデンが2着で,直線では最もよく伸びたトーワベガが3着。
 優勝したメルシーモンサンは障害では未勝利を勝っただけの伏兵。その後のオープンでは苦戦を続けていましたが,どうもスピード能力には劣るものの,スタミナは抜群のものをほこるよう。今日は最長距離のレースの上,5分3秒5と非常に時計が掛かったことも功を奏したのでしょう。JGⅠでは今後も侮れない存在かもしれません。父はアドマイヤベガ,叔父に2004年の中山大障害を勝ったメルシータカオー
 騎乗した高野容輔騎手はこれが初の大レース制覇。管理している武宏平調教師は昨秋の菊花賞以来の大レース優勝。中山大障害は2勝していますが,グランドジャンプの方は初制覇です。

 第三部定理六証明されて理解できたことは,人間の精神mens humanaはそれが現実的に存在する限り,自身の存在に固執する傾向conatusを有するということです。ところで人間の精神,この場合には人間の知性intellectusといった方がいいかもしれませんが,これが現実的に存在する場合には十全な観念と混乱した観念idea inadaequataの両者によって構成されています。そして現時点での考察の対象となっている尿意は自分の身体corpusの状態についての知覚,すなわち表象像imagoであって,これは混乱した観念です。したがってさらに確実を期すためには,上述の事柄が人間がある混乱した観念,特定するなら尿意を形成する場面に注目する限りにおいても妥当するということの確証を得ておく必要があるといえるでしょう。そのために今度は第三部定理九を援用することにします。
 「精神は明瞭判然たる観念を有する限りにおいても,混乱した観念を有する限りにおいても,ある無限定な持続の間,自己の有に固執しようと努め,かつこの自己の努力を意識している」。
 明瞭判然たる観念というのが十全な観念を意味するのは,この文章自体からも,また『エチカ』のその他の箇所におけるこのことばの用いられ方からも明らかです。それから努力というのが,意識的にそうするということではなく,ある傾向を意味することは,この定理Propositioの場合にも同様です。最後にこの努力を意識しているというのは,要するに自己の有に固執する傾向の観念の観念idea ideaeを有している,あるいはそれを有することができるという意味に解釈します。なお,この解釈の妥当性については,この定理のスピノザによる証明Demonstratioから明らかだと僕は思います。したがってこの点については『エチカ』の当該箇所をお読みくださいという以上のことは,まだこの定理を紹介しただけにすぎない現在の段階においてはいえません。
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小林と平岡&第三部定理六証明

2010-04-16 19:29:08 | 歌・小説
 『それから』の平岡が『明暗』の小林の前身と考えられる理由は,このふたりが,それぞれの小説の内部で,同じ行動をしているという点にあります。端的にいえばそれは金の無心です。平岡は主人公である代助に,小林は津田夫妻に金の無心をするのです。
     
 しかし,平岡があくまでも社会主義者というか貧民代表の小林の前身にすぎないのは,両者の金の無心には明確な違いがあるからです。
 平岡は代助に金を無心する際,代助の父の会社に問題があるということを,直接的にではありませんがそれとなく匂わせます。すでに説明したように平岡は新聞記者であり,その気になればそれを記事にすることもできるという態度をとるのです。つまりそれを書かずにいる代わりに金を無心するのであって,これは一種の賄賂を要求するような姿勢です。
 これに対して小林は,自分が貧民,別のことばでいえばプロレタリアートの代表であるということをはっきりと自覚していて,プロレタリアートの当然の権利としてブルジョアジーたる津田夫妻に金を要求するという姿勢です。小林の論理の正しさはまた別の話ですが,ある意味では平岡より潔いといえるかもしれません。
 このような姿勢の違いは歴然としているのですが,ふたりが異なる小説の中で同一の行動をとっているということは,やはり無視することができないものではないかと思います。『それから』を書いているときの夏目漱石は後に『明暗』のような小説を書くことは少しも考えていなかったかもしれませんが,『明暗』で小林を描くときの漱石の脳裏に,その前身としての平岡の姿は浮かんでいたのではないかと思うのです。

 第三部定理六というのは,第一部定理二四の意味というのによく注意すれば,容易に証明することが可能です。
 まず第一部定理一四により存在する実体は神だけです。次に第一部公理一の意味のうちには,存在するもの,あるいは存在可能なものは実体であるかそうでなければ様態であるということが含まれています。したがって,自然のうちに存在するもの,あるいは存在し得るものは,神であるか,そうでなければ神の変状,いい換えれば神のうちにあるもの,つまり神から産出されるものです。しかるに神から産出されるもの存在というのは,それ自身のうちにではなく,神のうちにあるのです。
 ところで神は第一部定義六から分かるように絶対に無限です。つまり第一部定理二〇にあるように神の存在というのは神の本性と同義であって,神は永遠から永遠にわたって存在します。よってまず,神から産出される事物の存在がこのような仕方で神のうちにあるとみられる場合には,その事物もまた永遠から永遠にわたって存在することになるでしょう。
 しかしこのことは,そうした事物が個物として現実的に存在する場合にも,異なった形態ではありますが妥当します。なぜなら個物は第一部定理二五系にあるように,神の属性を一定の仕方で表現するからです。よって神から産出されるどんなものも,自身の存在に固執するという傾向を有することになるでしょう。
 もちろん第四部公理にもあるように,どんな個物にもそれより強大な個物というのが存在します。よって現実的に存在すると説明されるような形態で自然のうちに存在するどんな個物も,必ず滅ぶということになります。しかしそれは第三部定理四にあるように,あくまでも滅ぶ個物にとって外部のものを原因とするのであって,その個物自身がその原因となるわけではありません。よって現実的に存在する個物が事実として滅ぶということと,この定理の内容が齟齬を来すわけではないのです。
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マリーンカップ&第三部定理六

2010-04-14 19:05:34 | 地方競馬
 関東オークス馬2頭が中心視された第14回マリーンカップ
 ユキチャンが発走で少し外によれましたが大した問題はなし。ケイアイガーベラが先手を奪い,2番手にトーホウドルチェ。やや掛った感じもありますがユキチャンは3番手の外で宥め,これらを見るようにラヴェリータ。前半の800mは49秒5でスローに近いくらいのミドルペース。
 力量差もありますが,3コーナーに入るあたりでは前4頭と後ろに水が開きました。順位は変わらず直線まできましたが,すぐにトーホウドルチェがケイアイガーベラを交わして先頭に。外のユキチャンはやや伸びを欠き,ケイアイガーベラとトーホウドルチェの間からラヴェリータが伸び,トーホウドルチェに内から迫って並んだところがゴール。どちらが勝ったかまったく分かりませんでしたが,写真判定の結果,優勝は先に抜け出していたトーホウドルチェ。ラヴェリータが2着でケイアイガーベラは捕えたユキチャンが3着。
 優勝したトーホウドルチェは昨年春にオープン入りし,直後のプロキオンステークスで2着。その後も牡馬を相手に勝てないまでも差のないレースを続けていて,待望の重賞初制覇。ラヴェリータより斤量が2キロ軽かったのもこの差ですから大きかったでしょう。牝馬同士であれば力量に上位のものがあることははっきりしましたが,父がサウスヴィグラスですので,距離がさらに伸びるのは微妙なところでしょう。
 騎乗した四位洋文騎手,管理している田島良保調教師ともにこのレース初制覇となりました。

 第一部定理二四の意味を踏まえ,続いて第三部定理六をみることにします。
 「おのおのの物は自己の及ぶかぎり自己の有に固執するように努める(Unaquaeque res, quantum in se est, in suo esse perseverare conatur.)」。
 これはたびたび注意していることですが,ここで努めるconaturといわれているのは,そのように努力をするというような意味ではなく,本性essentiaのうちにそういった傾向を有しているというほどの意味です。したがってこの定理Propositio全体の意味というのは,どんな個物res singularisも,その本性のうちには,自身の実在性realitasすなわち完全性perfectioに固執する傾向を有しているということになります。
 ところで,このような傾向を各々の個物が有するならば,各々の個物は必然的にnecessario自身の実在性に固執することを希求するということになるでしょう。いい換えればそのように欲望するということになります。スピノザが第三部諸感情の定義一において,基本感情affectus primariiのひとつである人間の欲望cupiditasという感情を定義するとき,一定の条件のもとにではありますがこれを人間の本性と等置しているのは,このような理由に依拠しているといえるでしょう。
 また,この定理は,各々のものがどのような属性attributumに属しているかということに関係なく妥当します。したがって人間の身体corpusに妥当するのはもちろん,人間の精神mens humanaにも妥当しているということになります。もっともこのことは,この定理が欲望という感情の定義Definitioと直接的に関係しているということからも明らかだといえるでしょう。というのは,第三部定義三にあるように,感情ということばはスピノザの哲学においてはやや特殊なことばであり,人間の身体についても精神についても同様に用いられることばだからです。そして現在の考察ではとくに,これが人間の精神にも妥当するということがとくに重要であるということになります。
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共同通信社杯&第一部定理二四の意味

2010-04-13 18:50:12 | 競輪
 小松島競輪場を舞台に争われた共同通信社杯春一番は,一昨日が決勝でした。
 ラインといえるのは村上-市田-朝日の近畿中部と坂本-加倉-守田の九州のふたつ。東の菅田,平原,山賀はそれぞれ単騎。
 市田がSをきめて村上の前受け。平原を挟んで坂本。山賀,菅田で周回。残り2周から坂本が上昇,バックで村上を叩きましたが打鐘でバンクの中腹へ。すかさず村上がインから巻き返して先行。4番手を取りにいった平原が前の朝日に接触して落車。坂本と菅田も巻き込まれました。結果的に追ってくるものがなくなったのですが,村上はペース賭けはせずぐんぐんとスピードアップし,このライン3人と後ろが大きく離れ前の争い。やや車間を開けていた市田が踏み込んだものの村上が粘って優勝。市田が2着で朝日が3着。
 優勝した京都の村上義弘選手は2月の向日町記念を勝っていますが,ビッグとなると2004年のふるさとダービー福井以来となる久々の7勝目。市田に少しだけ油断があったとも思えますが,緩めることなく踏んでいった姿勢がなにより立派。勝っても負けてもファンの心の琴線に触れるようなレースが多い選手です。初日特選なし,オール自動番組という制度での完全優勝は称えられるべきでしょう。
 東の3人はそれぞれ自力型の若い選手ではありますが,こういうメンバー構成になってもどうしてバラバラにレースをするのかが個人的には疑問です。

 不備の所在が明らかになったのですから,次はそれを埋めていく作業が必要です。そこでそのために,まず第一部定理二四でスピノザがいっていることのうちに,どのような意味を読み取ることができるのかということを考えていくことにします。
 この定理Propositio自体はきわめて簡単なもので,第一部定義一だけで証明Demonstratioは容易にできます。なぜならあるものの本性essentiaにそのものの存在existentiaが含まれているならそれは自己原因causa suiであって,ほかのものからは産出されない,つまり神Deusから産出されることはないということになるからです。
 しかし,実在するもの,あるいは実在し得るものというのは,必ずなにがしかの実在性realitasを含有します。これはそれ自体で明らかです。いい換えればそうしたものの存在はどこかにあるわけです。では存在が本性に含まれていないものの存在はどこにあるのでしょうか。
 これは第一部公理一から解くことができます。すなわちそれ自身のうちに存在がないものは,ほかのもののうちにその存在があるわけです。したがってもしもあるものが神から産出されるのであれば,産出されるもの存在は当然ながら神のうちにあるということになります。つまりこの定理の意味のうちには,神から産出されたものの存在は神のうちにあるということがすでに含まれていると考えられるのです。
 第二部定理一〇は,人間が実体substantiaではなく実体の変状substantiae affectioすなわち様態modiであることを示しています。第二部定理一三系により,人間は身体corpusと精神mensから,つまり延長の属性Extensionis attributumの様態と思惟の属性Cogitationis attributumの様態から成り立っていますから,これは人間の身体の場合にも人間の精神の場合にも同様に妥当します。したがって,人間の身体の存在も人間の精神の存在も,それは神のうちにあるということになります。なお,このこと自体は第一部定理一五からも明らかであるといえるでしょう。
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桜花賞&不備の所在

2010-04-12 18:56:06 | 中央競馬
 お天気が心配されましたが何とか雨に祟られずにすんだ昨日の第70回桜花賞
 混戦模様で何が勝つのかも難しかったですが,どの馬が逃げるのかも予想が困難でした。結果的には好発のオウケンサクラが押し出されるような形での逃げ。レディアルバローザが2番手につけ,その後ろにアプリコットフィズ,アパパネ,エイシンリターンズ。前半の800mは47秒5でこれは超スローペース。
 直線ではオウケンサクラが後ろを突き放しにかかって逃げ込み態勢。しかし残り100mのあたりで追ってきたアパパネがこれを捕えて優勝。オウケンサクラが2着に粘り,アパパネの外を伸びたエイシンリターンズが3着。
 優勝したアパパネは昨年のJRA賞最優秀2歳牝馬。年末の阪神ジュベナイルフィリーズを勝っていて大レース2勝目。2歳女王らしく安定した危なげのないレースで,結果的には完勝でした。距離が延びるのは僕はプラスとは思えませんが,完成度の高さはほかを上回っていますので,オークスに出走するなら取捨が難しそうです。父はキングカメハメハ。馬名はハワイに生息する鳥とのこと。
 騎乗した蛯名正義騎手,管理している国枝栄調教師とも,阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース制覇で,桜花賞初優勝です。
 超スローペースなのに桜花賞レコードが出るような馬場状態。後方からレースを進める馬には成す術がありませんでした。

 第三部定理一一証明されたから,尿意のうちには人間の身体に対して排尿という運動を肯定する思惟の様態が含まれていると主張するなら,そこには不備があると僕は考えます。ではその不備の所在がどこにあるのかといえば,スピノザの哲学における意志という思惟の様態についての考え方,すなわち,意志とは個々の意志作用の総体のことであるという部分にあると思うのです。
 たとえば,排尿という運動が自分の身体の完全性を維持しまた向上させる運動であるということは,僕たちは正しく理解することができます。いい換えればそうした観念が僕たちの精神のうちにあることができます。これには異論はないと思います。そしてこの観念は,自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような思惟の様態,すなわちこの意志作用なしにはあることができないでしょう。
 しかしこの観念と意志との関係は,一般的な排尿という運動とそれを自分の身体に対して肯定する意志作用との関係なのであって,個々の意志作用,そしてそれが肯定するべき個々の尿意という観念との間の関係とは異なります。つまりこれだけでは,個々の尿意のうちにこうした肯定があるということは証明できていないのです。
 さらにいうなら,上述の意志が肯定している観念は,むしろある十全な観念であると考えられます。というのは,この説明では,人間の身体にとって排尿という運動がその完全性を維持し促進する運動であるということが,表象としてではなく,第二部定理四〇備考二の第二種の認識によって,理性的に導き出されていると考えられるからです。ところがここでは尿意を知覚という表象像,つまり十全な観念ではなく混乱した観念と考えているわけですから,この場合にも尿意のうちにこうした肯定が含まれているということを説明できていないということになります。
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マイナビ女子オープン&第三部定理一一証明

2010-04-11 19:28:59 | 将棋
 挑戦者の逆転勝ちで迎えた第3期マイナビ女子オープン五番勝負第二局。
 矢内理絵子女王の先手で甲斐智美二段は得意のごきげん中飛車。③AⅡとなり後手は角交換から飛車を2筋に転換し銀冠からもう1枚の銀も自玉に引きつけ,先手は6筋の位を取って厚みを築く持久戦に。先手は5筋の歩を交換し,その歩を垂らしました。
               
 先手はここで▲5三角と打ち込んでいきました。何とも大胆な攻め方ですが,と金ができるので悪くはないのでしょう。続いて6筋も突き捨てまた歩を垂らし金を打ちこんでいきました。対して後手は2枚の角を打って反撃(第2図)。
               
 先手はここで▲1八飛と逃げましたが,この角は第1図以下の手順でと金を作るために捨てたものですから,ここで逃げるのではその攻めにまずいところがあったといっているも同然という気はします。あるいは第一局で飛車を取らせて負けたことが脳裏をよぎったのかもしれません。
 ただしこれで先手が決定的に悪くなったというわけではなく,千日手には持ち込めそうでした。後手が打開したのでむしろ先手にチャンスが来たかもしれませんが,感想の通りその後の受け方を誤り,あとは一直線で後手の勝ちになっています。
 甲斐二段が連勝で初タイトルに王手。矢内女王はここ最近の将棋の内容がひどく冴えないように感じられ,ピンチではないでしょうか。第三局は19日です。

 第三部定理一一というのは,次のふたつの点に注意しさえすれば,かなり容易に証明することができる定理です。
 第一に,第二部定理一一により,人間の精神の現実的有を構成する対象はその人間の身体です。つまり人間の精神というのは,自分の身体の観念のことです。これを平行論に則って考えるなら,ある人間の身体とその人間の精神は同一個体であるということになります。
 第二に,第二部定理七により,観念の秩序と物体の秩序は同一です。いい換えれば平行論における同一個体においては,その秩序が完全に一致するということになります。
 これらのことから,もしもAという物体があって,このAによってXという人間の身体の活動能力が増大されるならば,Xという人間の身体とXの精神は同一個体ですし,Aという物体とAという物体の観念も同一個体ですから,その秩序も一致するということになり,Aの観念によってXの精神が働く力は増大されるということになるでしょう。逆にもしBという物体によってXの身体の活動能力が阻害されるのであれば,同様の理屈によってXの精神が働く力はBの観念によって阻害されるということになります。
 そこでこのことを一般化していえば,ある人間の身体の活動能力を増大ないしは促進するものの観念は,この人間の精神の活動能力を増大ないしは促進し,逆にある人間の身体の活動能力を減少ないしは阻害するようなものの観念は,この人間の精神の活動能力を減少ないしは阻害するということになりますから,これで第三部定理一一は十分に証明できたということになります。
 第一の点も第二の点も,平行論からダイレクトに導き出すことができるものですので,要するにこの定理は,平行論からの直接的帰結ということになるかと思います。
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