僕は自分でブログを書くほかに,チェックしているブログ,サイトなどがあります。今日はそのうち,男性棋士のブログを紹介します。
まず渡辺竜王。これはgooのオフィシャルブログですし,とくに説明の必要はないでしょう。
僕が最も楽しみにしているのは森七段のブログで,毎日のようにどこかへ出掛けるバイタリティーのある方。将棋の話より紀行の話が多いくらいで,これは将棋ファンでなくとも間違いなく楽しめると思います。ほかにも「あれこれ」ありますが,それにもここからいけます。
森七段は関西で才気溢れる弟子を多く育てていますが,東で優秀な弟子を多く抱えているのが所司七段。渡辺竜王も所司門下になります。
森門下では東大卒という片上五段。ほかにオピニオンもあります。山崎七段も森門下ですが,こちらは正確にはブログではないでしょう。
片上五段と同じC級1組では広瀬五段。ブログでときに垣間見られる棋士としての心情に惹かれるものがありました。窪田六段,神崎七段,上野五段も同じクラスになります。
編入試験で話題をさらったのが瀬川四段。棋士番号は259ですが,そのひとつ前の258番が遠山四段。
最後に大平五段。明日からメールマガジンを発行するそうです。僕も登録してみましたが,どんなものになるのか楽しみです。
男性棋士のブログはほかにもあります。興味があれば勝手に将棋アンテナでチェックしてみてください。
明日から岐阜記念。武田選手が中心でしょうか。
スピノザの哲学では,肯定と否定ということは,まず事物が実在あるいは存在する力に関連していわれているように思います。これは,第一部定理八の別の証明でスピノザが前提している事柄についてもいえるのではないかと思います。しかし一方で,この事物が実在する力という観点から離れて,ここで無限であるということが絶対的肯定であるとされ,有限であるということが部分的否定であるといわれていることに,僕は少しこだわってみたいのです。というのも,第一部定義六説明で,スピノザが絶対に無限であるということを説明するときに,そこには一切の否定が含まれないといっているからで,これでみると僕には,どうも肯定と否定ということは,実在する力に関係するだけでなく,ここでのテーマである無限と有限にも大いに関係しているように思えるからです。
単純化していえば,有限であるということは,その事物がほかの事物によって限定されるということであり,無限であるということ,少なくとも同じ属性を有するはほかのものによってはそうした限定を受けないということですから,有限であるということが否定であるとすれば,限定こそが否定であり,一切の限定を受けない無限なものは否定ではない肯定である,すなわち,限定とは否定であるということになると思うのです。つまり,ある事物がほかの事物によって限定されるということは,実はその事物がほかの事物によって否定されるということを意味するのではないでしょうか。逆にある事物が無限であるということは,その事物がほかの事物によって否定されるということがないということを意味するのではないでしょうか。
まず渡辺竜王。これはgooのオフィシャルブログですし,とくに説明の必要はないでしょう。
僕が最も楽しみにしているのは森七段のブログで,毎日のようにどこかへ出掛けるバイタリティーのある方。将棋の話より紀行の話が多いくらいで,これは将棋ファンでなくとも間違いなく楽しめると思います。ほかにも「あれこれ」ありますが,それにもここからいけます。
森七段は関西で才気溢れる弟子を多く育てていますが,東で優秀な弟子を多く抱えているのが所司七段。渡辺竜王も所司門下になります。
森門下では東大卒という片上五段。ほかにオピニオンもあります。山崎七段も森門下ですが,こちらは正確にはブログではないでしょう。
片上五段と同じC級1組では広瀬五段。ブログでときに垣間見られる棋士としての心情に惹かれるものがありました。窪田六段,神崎七段,上野五段も同じクラスになります。
編入試験で話題をさらったのが瀬川四段。棋士番号は259ですが,そのひとつ前の258番が遠山四段。
最後に大平五段。明日からメールマガジンを発行するそうです。僕も登録してみましたが,どんなものになるのか楽しみです。
男性棋士のブログはほかにもあります。興味があれば勝手に将棋アンテナでチェックしてみてください。
明日から岐阜記念。武田選手が中心でしょうか。
スピノザの哲学では,肯定と否定ということは,まず事物が実在あるいは存在する力に関連していわれているように思います。これは,第一部定理八の別の証明でスピノザが前提している事柄についてもいえるのではないかと思います。しかし一方で,この事物が実在する力という観点から離れて,ここで無限であるということが絶対的肯定であるとされ,有限であるということが部分的否定であるといわれていることに,僕は少しこだわってみたいのです。というのも,第一部定義六説明で,スピノザが絶対に無限であるということを説明するときに,そこには一切の否定が含まれないといっているからで,これでみると僕には,どうも肯定と否定ということは,実在する力に関係するだけでなく,ここでのテーマである無限と有限にも大いに関係しているように思えるからです。
単純化していえば,有限であるということは,その事物がほかの事物によって限定されるということであり,無限であるということ,少なくとも同じ属性を有するはほかのものによってはそうした限定を受けないということですから,有限であるということが否定であるとすれば,限定こそが否定であり,一切の限定を受けない無限なものは否定ではない肯定である,すなわち,限定とは否定であるということになると思うのです。つまり,ある事物がほかの事物によって限定されるということは,実はその事物がほかの事物によって否定されるということを意味するのではないでしょうか。逆にある事物が無限であるということは,その事物がほかの事物によって否定されるということがないということを意味するのではないでしょうか。