スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

公平性&ワクチン接種

2022-02-28 19:21:30 | 将棋トピック
 三浦九段のA級の地位を保全するための特例が採用されたことにより,この期にA級から陥落する棋士はひとりだけということになりました。
 三浦の出場停止が解けた12月末の段階で,降級の可能性が高かったのは,順位が6位で1勝5敗だった森内九段と,順位が4位で同じく1勝5敗だった佐藤康光九段です。ほかの棋士は3勝以上していましたので,事実上このふたりのうちのどちらかが降級することはほぼ確定的でした。
 特例が決定する前の1月中に佐藤は負けて1勝6敗に。一方の森内は1月は三浦との対局が予定されていたため,不戦勝を得て2勝5敗になりました。僕が公平性を欠く部分があったと感じるのはこの点です。佐藤の1勝は三浦と対局して勝ったものです。対して森内は三浦とは対戦せずに1勝を獲得しました。もしも実際に対局があれば三浦が勝ったかもしれず,その点でA級に残留するのに森内は特例によって少しの有利を得たことになります。他面からいえば佐藤は不利を被ったといえるでしょう。
 特例は新会長になった佐藤を中心とした理事会で決定されたものです。その佐藤が不利を被るような裁定が下されたので,文句が出ることはありませんでした。しかも佐藤は2月と3月の対局を連勝し,森内は2月の対局には勝ったものの3月の最終局で敗れ,ふたりが3勝6敗で並んだために,順位が下位であった森内の方が降級となったので,公平性を欠いていたと思われるこの裁定が問題視されることも起こりませんでした。ですが,その時点で佐藤が三浦との対戦を終えていて,森内はまだだったというのは,事前に対局順が決定されていたことによるもので,これは偶然です。したがって可能性としていえば逆のパターンもあり得たわけです。するともしも同じ裁定が出た場合,新会長である佐藤にとって有利で,その時点では理事でもなかった森内にとっては不利だったことになります。するとそのような決定には納得できないという声が出ていたとしてもおかしくありません。
 結果的に,佐藤にとって不利な特例を採用することができたのは,会長候補として佐藤という人材が存在していたということと同様に,幸運であったというべきでしょう。この種の幸運が,なぜかこの当時の将棋連盟にはほかにも舞い降りたと僕は思っています。

 ほどなくして僕の順番が回ってきましたので,指定された小部屋に入室しました。小部屋といっても詳述したようにこの会場は体育館ですから,カーテンで仕切られただけの仮の部屋です。そこには医師が待機していて,問診を受けました。当日の体調の確認や,使用している薬剤などです。僕は念のためにおくすり手帳を持参していましたが,これが役に立つことになりました。
                                        
 この問診が終了すると,さらに奥の小部屋に通されました。もちろんこの部屋もカーテンで仕切られただけの仮設の部屋です。ここに別の医師が待機していて,その医師から新型コロナウイルスのワクチンの接種を受けました。接種が終わるとすぐにその部屋を出ました。接種前に待機していたのとは反対側に出たことになります。分かりやすくいえば,体育館の東側で待機していて,西側に出たということです。この東西の中央に,仮設の部屋が設置されていたということです。
 出た側にもパイプ椅子が並べてありました。ワクチンの接種の後の15分はその場で待機することになっていました。これは急な副反応,いわゆるアナフィラキシーが出た場合に対処するための措置です。ですから僕もそこに座って待機しました。とくに何事も起こらず,午後2時25分に待機が終了。会場を出ることが許されました。接種後に待機していた時間が15分であるとすれば,僕の接種が終了したのは午後2時10分。予約は午後2時だったわけですから,概ね順調に1回目の接種が終了したことになります。
 水分を多く接種するようにとの指示がありましたので,会場内にあった自動販売機で飲み物を買って飲みました。僕は基本的に自炊をしていますが,この日はなるべくゆっくりしたいと思っていましたので,帰路に夕食のための弁当とサラダを買って帰りました。帰宅したのは午後3時10分でした。
 副反応ですが,このときの接種で生じたのは接種部位の痛みだけで,熱は出ませんでした。ただ,接種した部位というのは肩に近いところですが,僕が痛みを感じたのはそれよりは下部,どちらかといえば肘に近い方です。この痛みは2日ほど続き,とくにベッドで横になっているときに強く感じました。
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サウジカップデー&入場

2022-02-27 19:28:15 | 海外競馬
 日本時間で昨日の夜から今日の未明にかけてサウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われたサウジカップデーに12頭の日本馬が遠征しました。
 ネオムターフカップGⅢ芝2100m。オーソリティは発馬後少ししてから先頭に。そのまま手応えよく逃げて直線に。直線もその手応えのまま,危なげなく楽に逃げ切って優勝しました。
 優勝したオーソリティは前々走のアルゼンチン共和国杯以来の勝利で重賞4勝目。父はオルフェーヴル。母の父はシンボリクリスエス。祖母がシーザリオで曾祖母がキロフプリミエール
 日本馬による海外重賞制覇は香港カップ以来。このブログでいうところの重賞でサウジアラビアのレースに出走したのはこの馬が初になります。騎乗したクリストフ・ルメール騎手は2019年のドバイターフ以来の日本馬に騎乗しての海外重賞4勝目。管理している木村哲也調教師は海外重賞初制覇。
 1351ターフスプリントGⅢ芝1351m。ソングラインは馬群の中の6番手あたり。ラウダシオンは後方3番手の外。エントシャイデンは初めは前に行こうとしたものの徐々に位置取りを下げていき,直線に入るところでは後方2番手という位置。ソングラインは前にいた4頭の外に出すと,前にいっていた馬のうちの1頭と,後ろから追ってきた1頭の3頭で競り合っての優勝争い。真ん中から内の馬を差し,外の馬は凌いで優勝。ラウダシオンはかなり外から追い込んできたものの優勝争いには加われず4着。エントシャイデンは12着でした。
 優勝したソングラインは富士ステークス以来の勝利で重賞2勝目。父はキズナ。母の父はシンボリクリスエス。祖母の父はアグネスタキオン。3代母はソニンク。祖母の3つ下の半弟が2011年にエルムステークス,2012年にダイオライト記念,2013年に浦和記念,2014年に佐賀記念を勝ったランフォルセで5つ下の全弟が2011年にアーリントンカップ,2013年にカペラステークス,2014年に東京スプリントさきたま杯東京盃,2015年にさきたま杯を勝ったノーザンリバー
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はネオムターフカップに続く日本馬に騎乗しての海外重賞5勝目。管理している林徹調教師は海外重賞初勝利。
 レッドシーターフハンデキャップGⅢ芝3000m。ステイフーリッシュは逃げの手を選択。直線部分では後ろとの差が詰まり,コーナーでは開くという形で周回。よい手応えのまま最後の直線に向かうと,後ろを寄せ付けることなく逃げ切って優勝。
 優勝したステイフーリッシュは2018年の京都新聞杯以来となる重賞2勝目。父はステイゴールド。母の父はキングカメハメハ。祖母がシルバーレーン。母の12歳上の半兄がブラックホークでふたつ上の半姉が2007年にNHKマイルカップを勝ったピンクカメオ
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は1351ターフスプリントに続く日本馬に騎乗しての海外重賞6勝目。管理している矢作芳人調教師は香港カップ以来の海外重賞7勝目。
 サウジダービーGⅢダート1600m。コンシリエーレは3頭雁行の真ん中からいったん下げて外に出ての3番手,セキフウは9番手を追走。2番手の馬が直線で抜け出すと,コンシリエーレが外の馬と競り合いながらそれを追う直線の攻防。外の馬は振り切りましたが前には追い付かず,3着。セキフウは直線で大外から猛追。2番手になっていたコンシリエーレは差したものの勝ち馬には届かず,2着。
 リヤドダートスプリントGⅢダート1200m。ダンシングプリンスが逃げ,コパノキッキングは内目の6番手。チェーンオブラブは後方4番手の外からのレース。逃げたダンシングプリンスは直線に入ったところで2番手以下を離していき,最後まで差し馬を寄せ付けずに圧勝。チェーンオブラブは外の馬に進路を塞がれそうなところを踏ん張って大外から伸びて3着。直線に入ってからやや外に持ち出したコパノキッキングはチェーンオブラブに僅かに差されての4着。
 優勝したダンシングプリンスは前走のカペラステークスからの連勝で重賞2勝目。父は2012年にアイビスサマーダッシュとキーンランドカップ,2013年に函館スプリントステークスに勝ったパドトロワ。母の父はバブルガムフェロー。母の3つ上の半兄がデュランダル
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はレッドシーターフハンデキャップに続いて日本馬に騎乗しての海外重賞7勝目。管理している宮田敬介調教師は海外重賞初勝利。
 サウジカップGⅠダート1800m。テーオーケインズが2列目の真ん中,マルシュロレーヌが3列目の外目からのレース。テーオーケインズは押しながらついていくレースで,コーナーで脱落し8着。マルシュロレーヌは前の馬群の中に突っ込んでいこうとしましたがさほどの脚は残ってなく6着でした。

 接種会場については本牧とだけいっておきましたが,具体的には本牧地区センターというところです。これは妹が以前に通っていたところの近くなので,場所も知っていました。予約は時間も指定されていて,午後2時です。僕は会場までは歩いていきました。これは糖尿病の運動療法のひとつとしてのウォーキングを兼ねてです。運動療法というのは治療のひとつですから,少なくとも糖尿病の患者にとっては不要不急の外出とはいえません。とはいえ,これも以前に書いたことがあったかと思いますが,僕は新型コロナウイルスが流行しだしてからは,ウォーキングのためのウォーキング,たとえば散歩のような行為はほとんどしなくなり,何らかの必要な外出に合わせて歩くようになりました。このときに会場まで徒歩で行ったのも,そのひとつです。なお,帰りはバスを使いました。これは接種後は激しい運動は控えなければならなかったことがひとつの理由で,もうひとつは当然ながらバスを利用した方が短時間で帰宅することができるからです。ひとつめの理由は,歩くことなどは激しい運動とはいえないでしょうから付随的なものです。ですからより重要だったのはふたつめで,やはり副反応を発症する可能性というのを考慮しておけば,少しでも早く家に帰るというのはベターな選択だと思えました。
 会場に到着したのは午後1時40分くらいでした。会場に入ってすぐのエントランスホールにパイプ椅子が並べてあり,そこで待機していました。接種会場に入室したのは午後1時50分ごろです。会場は縦長で,両サイドにバスケットゴールが設置されていましたから,普段は体育館として利用されているところだったと思います。これで広さも想像がつくかと思います。ここにもパイプ椅子が並べてあり,そこに座って詳しい説明を受けました。詳しいといっても話すことは限られていますから,およそ5分後には受付が開始になりました。受付を済ませると別の場所で整理券を受け取り,事前に記入しておいた問診票をチェックされました。この後でまた,整理券の番号で呼ばれるまでの間は,接種場所の前に並べてあったパイプ椅子に座って待機していました。
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岡田美術館杯女流名人戦&接種日

2022-02-26 19:06:23 | 将棋
 24日に指された第48期女流名人戦五番勝負第四局。
 里見香奈女流名人の先手で5筋位取り中飛車。後手の伊藤沙恵女流三段が向飛車の相振飛車を選択すると,先手は飛車を2筋に戻して天守閣美濃に組むという対抗形に。その後,先手が2筋を明け渡して中央から攻勢に出る展開となりました。
                                        
 第1図から先手は☗2五桂と跳ねました。ただこれは桂馬を逃げただけの手で,何か狙いがあるわけではありません。後手は☖5四歩と取って傷を消すことができました。
 ここから☗3二角成☖3七と☗2一馬☖4八と☗同金☖同飛成☗1一馬という駒の取り合いに。部分的には二枚換えで先手の得ですが,☖2二歩が好手。先手の馬と後手の龍の働きの差で,後手が優勢となりました。
                                        
 先手は第1図の一手前に☗2三歩成としたところで,☗6三角成☖同銀☗5三歩成☖同銀☗2三歩成☖7二飛と強襲しておくべきだったようです。それなら☗4五桂と桂馬を中央に使うことができました。
 3勝1敗で伊藤三段が女流名人を奪取。初めてのタイトル獲得となりました。

 7月14日,水曜日。新型コロナウイルスのワクチンの1回目の接種の日でした。
 ワクチンを接種すると,副反応として,翌日に熱が出ることがそれなりにあるということは,この時点ですでに知られていました。僕は基本的に金曜日に妹を迎えに行き,月曜日は妹を送ることになっています。ですから予約を入れる時点で,このふたつの曜日は選択から除外しました。また,木曜日に接種を受けて,金曜日に熱が出ると,妹を迎えに行くことができなくなってしまう可能性があります。ですから木曜日も除外です。そして土曜日と日曜日は妹が家にいるので,接種を受けることはできません。つまり実際に接種を受けられるのは,火曜日か水曜日のどちらかでした。
 この副反応は,1回目よりも2回目の方が多く出るあるいは強く出るということも知られていました。なので僕は2回目の接種の予定日の方を重視して選択しました。集団接種はファイザー製のワクチンを使用することになっていて,2回目の接種は1回目の3週間後ということになっていましたので,2回目の接種の日を優先的に選択し,その上でその3週間前の同じ曜日を1回目の接種日として選択するということが可能だったのです。ほかの市については分かりませんが,横浜市は1回目と2回目を同時に予約することができるシステムとなっていましたから,僕は2回目の接種日の方を優先して選ぶということができたのです。
 7月14日を1回目の接種日として選択すると,2回目は自動的に8月4日になります。妹は8月12日の木曜日から夏休みに入ることが決まっていました。ということは僕は11日の水曜日に妹を迎えにいくことになります。9日の月曜日に妹を送って11日にまた迎えに行くのは僕にとっての妹にとっても大変なので,この前の週の金曜日,つまり8月6日は迎えに行かず,妹は週末をグループホームで過ごしてもらおうと僕は思っていました。だから2回目が8月4日というのはとても都合がよい日取りでした。仮に副反応が強く出て,8月6日の金曜日に僕の体調が優れなくても,妹を迎えに行く必要はないからです。7月14日が1回目の接種日だったのは,こうした事情です。
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朝日杯将棋オープン&痙攣

2022-02-25 19:32:04 | 将棋
 23日に有楽町朝日ホールで指された第15回朝日杯将棋オープンの決勝。対戦成績は稲葉陽八段が4勝,菅井竜也八段が7勝。
 振駒で菅井八段が先手となり5筋位取り中飛車。急戦風に構えた後手の稲葉八段から先攻する将棋でしたが,結果的にいえば仕掛けるのが一手だけ早かったのではないかと思います。
                                        
 後手が銀を打った局面。ここで☗6一飛と打ったのが好手で先手がリードを奪いました。この場合は2段目でなく1段目に打つのが肝要でした。
 後手は☖8八銀成☗同金と飛車を取って☖3五銀と角を世に出すことを目指しました。ただここで角を使うために一手を費やさなければならないのが後手にとっての痛手でした。
 ☗5四歩と突くのが先手にとって絶好の一手。☖6八飛に☗5三歩成☖同金を効かせてから☗7九銀と受けに回りました。
                                        
 第2図となっては☖6七飛成は仕方がないところですが☗7八銀打が龍と角の両取りで,実質的な決め手となっています。
 菅井八段が優勝。今期の銀河戦に続く4度目の棋戦優勝。朝日杯将棋オープンは初優勝となりました。

 7月6日,火曜日。横浜市から新しい健康保険証が送付されました。
 7月9日,金曜日。妹の新型コロナウイルスのワクチンの接種券が送付されました。この時点ではまだ50代で基礎疾患がない市民は予約ができない状況でした。妹は基礎疾患がない上に,まだ40代です。ですから予約を入れる状況にはありませんでした。また,前にもいったように,僕は妹の接種に関しては,本牧脳神経外科の主治医の許諾を得てから予約を入れるつもりでした。接種には事前の問診があり,その中のひとつに,今までに痙攣を起こしたことの有無が含まれています。これはおそらく,副反応としてそうした症状が起きることがあるので,過去の痙攣の有無によって,その危険度を事前に知っておくという必要から含まれていた設問であると思われます。妹はある種のアレルギーによって痙攣を起こしたということはありませんが,癲癇の症状が出たときには痙攣を起こすことがありました。なので過去の痙攣の有無ということだけでいえば,それを起こしたことがあると回答することになります。僕は新型コロナウイルスのワクチンを接種することと,癲癇によって痙攣を発症することとの間に,何らかの因果関係があるのかないのかということは判断することができません。ですから事前に主治医の判断を聞いておきたかったのです。
 7月10日,土曜日。歯科検診の予約を入れました。
 7月11日,日曜日。お寺でお会式がありました。これは開山800年を記念してのお会式です。このお会式に出席すると,帰宅するのがどうしても遅くなります。この関係でこの週は妹を迎えに行きませんでした。妹と一緒にお会式に出席すればいいのですが,妹にとってはただ単に長い時間にわたって座っているだけということになりますから,わざわざ早い時間に起こして,お会式なり総講なりに出席させるということを,僕は避けるようにしています。
 7月12日,月曜日。土曜日に予約したI歯科での歯科検診でした。この日もクリーニングを行っただけでした。ただいつもは歯科助手がクリーニングをするのですが,この日は医師によるものでした。I歯科の人手の関係だったと思われます。
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読売新聞社杯全日本選抜競輪&接種会場

2022-02-24 20:02:32 | 競輪
 取手競輪場で行われた昨日の第37回全日本選抜競輪の決勝。並びは新田‐佐藤‐成田の福島,古性‐浅井の近畿中部,太田‐松浦の四国中国で平原と深谷は単騎。
 古性と松浦がスタートを取りにいき,外から前に出た松浦が誘導の後ろを確保。太田の前受けに。古性が3番手,5番手に新田,8番手に深谷,最後尾に平原で周回。この隊列のままだれも動かなかったので,残り2周のバックの手前から太田が誘導との間隔を開け始めました。打鐘で誘導が退避。まだだれも動かなかったので,太田の成り行き先行に。一気にペースアップしたのでやはりだれも動けず,最終周回のバックでようやく新田が発進。これに松浦が番手捲りで対抗。松浦が新田に合わせきったのですが,牽制のために振ったところを古性が急襲。内から松浦を差した古性が優勝。松浦が4分の3車輪差で2着。新田が8分の1車輪差で3着。
 優勝した大阪の古性優作選手は競輪グランプリ以来の優勝。ビッグは3勝目。全日本選抜は初優勝。驚くほど単調なレースとなったため,無風で番手を回った松浦にとって最も有利な展開になりました。新田の捲りに対する牽制も,過度なものだったとは思えないので,勝ちパターンではあったのですが,わずかな隙を見逃さずに内を突くことに成功した古性を褒めるべきところでしょう。スタートを取りにいって,松浦の後ろで周回することができたのがうまく生きたという印象です。個人的には単騎を選択した平原がどう立ち回るのかに注目していましたが,なんとも残念なレースに。このようなレースをするのなら,最初から深谷マークを選択しておいた方がよかったでしょう。それなら深谷の走行も変わったものになっていたかもしれません。

 接種会場について少し説明しておきましょう。
                                   
 大規模接種というのは文字通りに大人数が接種する会場です。これは桜木町駅から専用のバスが運行されていました。集団接種というのは大規模接種ほど規模は大きくありませんが,やはり大人数が同時に接種する会場です。横浜市内の各区にひとつの会場が設置されていました。個別接種というのは,クリニックや医院での接種です。
 僕は個別接種を受けるつもりはあまりありませんでした。I歯科とО眼科を別とすれば,みなと赤十字病院の内分泌科に通院しています。みなと赤十字病院は本来的には救急病院ですから,新型コロナウイルスのワクチンの接種は行っていません。歯科も眼科も当然ながら行っていませんでしたから,僕のかかりつけ医では接種は受けられませんでした。したがって個別接種の予約を取るとすれば,今までに行ったことがないクリニックないしは病院でということになります。ただ僕はそうしたところで接種することにはいくらかの不安がありました。接種を受けるということに躊躇はまったくありませんでしたが,その場で副反応が出るという可能性があるということは分かっていて,もしもそうなったときに十分な処置をしてもらえるということに確信がもてなかったからです。なので大規模接種か集団接種の二者択一が僕にとっては現実的な選択でした。
 集団接種の方を選んだのは,会場が近かったからです。これは簡単にいうと,接種をした後に家まで帰ってくるのに要する時間が短い方が,より安心だということです。帰路に何か身体的な異常が発生する可能性も否定できませんから,それに要する時間は短い方がいいだろうという判断です。
 前述したように,集団接種は各区にひとつの会場が設置されていました。僕は磯子区在住ですが,予約を入れたのは中区の会場でした。各区に会場が設置されていたとはいえ,横浜市民であればどの会場でも接種することができるというルールになっていたのです。磯子区の会場は杉田で,中区の会場は本牧でした。僕の家からであれば,杉田よりは本牧の方が近いです。なので僕は中区の会場での集団接種を予約したのです。
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ユングフラウ賞&接種券

2022-02-23 19:28:57 | 地方競馬
 桜花賞トライアルの第14回ユングフラウ賞
 逃げたかったであろう馬が2頭いましたが,枠が内の方だったジョーストーリーがハナに立ち,ロマンスロードは2番手に。3馬身差でプラチナプライドとピンクプラムとスティールルージュ。3馬身差でハッピースパイラルとグラーツィア。3馬身差でアスミとプラチナライン。10番手にエミーブレイズ。11番手にローズティアラ。最後尾にヒストリックノヴァという隊列で発走後の正面を通過。この段階で早くも縦長の隊列になったのは,最初の600mが36秒0のハイペースになったためでしょう。
 向正面から脱落する馬が出始め,直線に入るところで逃げたジョーストーリーに並び掛けていったのはスティールルージュ。一杯になったロマンスロードの内からプラチナプライドで外からハッピースパイラル。直線に入るとジョーストーリーが一杯になり,スティールルージュが先頭に。そのまま抜け出して優勝。ハッピースパイラルのさらに外からエミーブレイズが伸びてきて,ジョーストーリーに並び掛けたところがフィニッシュ。写真判定となり,この2頭が1馬身半差の2着同着となりました。
 優勝したスティールルージュローレル賞以来の南関東重賞2勝目。新年を迎え,南関東に転入してきました。ここは距離が短縮する点が有利で,優勝候補と考えていた1頭。ヒストリックノヴァが断然の人気に推されていたために,配当面からは波乱の結果でしたが,個人的にはヒストリックノヴァが人気になりすぎていたように思いますので,順当に近い決着だったのではないかと思います。距離の延長はおそらくプラスとはならない馬ですが,内目の枠を引けたなら,桜花賞も勝つチャンスがあると思います。祖母の12歳上の半兄がサウスヴィグラス
 騎乗した船橋の張田昂騎手はロジータ記念以来の南関東重賞4勝目。ユングフラウ賞は初勝利。管理することになった船橋の張田京調教師は南関東重賞5勝目。ユングフラウ賞は初勝利。

 この日は僕は午後3時過ぎに帰宅したのですが,そのときには不足していた注射針が配達されていました。配達は薬局の薬剤師によるもので,薬剤師が帰宅する途中に僕の家に届けるのが通例です。その薬剤師の帰路の途中に僕の家があるからです。ですから配達されるのは薬局が閉店してからということになり,夜になります。なのでこの時間に配達されていたのは初めてでしたし,僕も郵便ボックスに針が入っていたのを見てちょっと驚きました。どういう事情であったのかは分かりません。
                                        
 7月2日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
 7月3日,土曜日。朝刊を郵便ポストに取りに行くと,新型コロナウイルスのワクチンの接種券が郵送されていました。おそらく前日の夕刊の配達後に届いていたものだと思います。なお,郵送されたのは僕の接種券で,妹のものはまだ郵送されていません。僕は50代で妹は40代ですから,僕の方が先に郵送されたのです。僕は50代でもⅠ型糖尿病という基礎疾患がありましたから,優先的に接種を受けることが可能になっていましたが,その点が考慮されての郵送ではありません。おそらく横浜市内に在住する50代の人には,この時期に接種券が一斉に郵送されたのだと思います。ただ接種券は郵送されたものの,まだ予約はすることができないという人がいた筈です。
 7月5日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 僕は基礎疾患がありましたので,すでに接種の予約ができる立場でした。なのでこの日の帰宅後に,ネットを使って接種の予約を入れました。これはとても簡単でした。簡単というのは,手続きが簡単という意味でもありますが,希望した日に予約を入れるのが簡単であった,つまり予約の状況に余裕があったという意味でもあります。僕はこのときの経験によって,後に妹に接種券が送られてきたときにも,簡単に予約を入れることができると思ってしまったのですが,それは大きな間違いでした。
 横浜市の接種は大規模接種,集団接種,個別接種の3種類があり,僕が予約したのは集団接種です。それから2度の接種が必要でしたが,このときに1度目も2度目も予約を入れました。
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小説の結末&2021年6月の通院

2022-02-22 19:04:47 | 歌・小説
 『漱石と三人の読者』の第二章の最後のところで,小説の構成に関する事柄が論じられています。
                                         
 物語というのは,一般的にいえば始まりがあって終わりがあります。そしてその中には首尾一貫性がなければいけません。これは石原は例示していませんが,推理小説をイメージしてもらえればいいでしょう。あるいは連続ドラマというのは基本的にそのような構成になっています。これは分かりやすくいうと,物語の最後の部分には結末というのがあって,その結末では,物語の中の問題が解決されるという意味です。
 明治時代の自然主義といわれる文学者たちは.このような構成を否定しました。というよりも,構成というのが上述したようなものであるとすれば,構成自体を否定したといっていいでしょう。自然に逆らった人工的な因果関係を物語の中に導入することによって,結末で物語を解決させるということは,自然主義に対していえば不自然主義というべきものであり,それならばむしろ何も解決していないような結末を与えるということが,本来の小説のあるべき姿であるという考え方をもっていたのです。
 これはひとつの考え方なのであって,良し悪しというものはあります。なので僕自身は,小説というのが必ずそういうものでなければならないとは思いません。むしろ自然主義に走るあまりに,物語の登場人物たちの動きにダイナミズムを欠いてしまうということはあり得るのであり,それは自然主義の悪しき点のひとつだといえるでしょう。
 石原は,漱石はこの構成という点については自覚的だったといっています。ただしそれは,自然主義の文学者たちが構成そのものを排除しようとしたというのとは異なった方法によってです。漱石の小説には確かに構成というものがあるのです。よって登場人物の,とくに心理的なダイナミズムはほとんど損なわれていません。しかし一方で,その構成の中には,構成を排除するということが方法論としては組み込まれています。『三四郎』とか『それから』などはその代表です。だからこれらの小説は,何も解決されていないという形で小説が結末を迎えているのです。

 6月28日,月曜日。妹を通所施設に送りました。午後からは内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時15分でした。中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。なのでこの日は先に採血をすませ,それが終わってから採尿をしました。この日も使用済みの注射針は持参していませんでした。
 診察が始まったのは午後3時10分でした。HbA1cは6.9%で,5月の通院のときよりさらに良化していました。低血糖は全体の1.2%でした。全体の,といいましたが,この間に低血糖を発症していたのはすべて朝食前の時間帯で,それ以外には出ていませんでした。HbA1cはこの値なら良好で,低血糖の発症が決まった時間帯に集中している点は僕には気掛かりでしたが,主治医は頻度が多いわけではないのでとくに問題視する必要はないとのことでした。なので現状の注射の量を維持するということになりました。
 この日も5月と同様に,これ以外には何も異常は出ていませんでした。
 僕の通院の間隔は現在は1ヶ月に1度となっていて,その間隔だと次回は7月の終わりになる筈でした。通院は月曜日ですので,7月26日になります。ただこの日は予約が多くなっているということだったので,1週間先の,8月の第1週が次の通院の日と決まりました。なお,これはすでにいっておいたように,このときの主治医は7月から9月までの3ヶ月間は,北海道の診療所で勤務することが決まっていました。ですから次の診察は臨時代理の医師が担当することになりました。
 帰途に薬局に寄りました。この日は注射針の在庫が不足していましたので,配達を依頼しました。帰宅したのは午後4時20分でした。
 6月30日,水曜日。27日の朝に送付されていた三者面談の支援計画の書類は,僕が家で保管しておくものと,僕のサインを入れて通所施設とグループホームに送付するもの,つまり計4通が含まれていました。このうち送付する必要があった2通については,サインを入れてこの日に送付しました。通所施設のものだけなら送迎のときに届けられますが,グループホームのものもありましたから,合わせて送付したのです。
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棋王戦&三者面談

2022-02-21 20:15:34 | 将棋
 19日に北國新聞会館で指された第47期棋王戦五番勝負第三局。
 渡辺明棋王の先手で相掛り。先手が6筋の位を取りにいく新しい作戦を披露。後手の永瀬拓矢王座が的確に対処し,その後の先手の指し手を見る限り,この作戦はあまりうまくはいかなかったように思えました。
 勝敗を分けたのは以下の局面だったとのことです。
                                        
 ここで☖4一玉と早逃げをしましたが,先手も☗4八王と早逃げ。先手の早逃げの方が価値が高く,盤上の右側が猛烈に手厚い先手が優勢になりました。よって後手はこの局面で攻めなければいけませんでした。
 最有力は☖8九角だったとのこと。これに対して☗7九金と逃げるのは後手が押し切れるようです。よって☗8七歩☖7六飛☗7七歩と進むのですが,そこで飛車を見捨てて☖7八角成☗7六歩☖3八金と挟撃して,攻めが心細いながらも後手がやれていたという結論が感想戦で出ています。
 渡辺棋王が連勝。第三局は来月6日に指される予定です。

 6月25日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。そのままO眼科に向かいました。妹はこの日は診察を受けました。白内障は進行していませんでしたので,経過を観察することになりました。この日はとても混んでいたため,帰宅することができたのは午後7時20分になりました。なお,眼科の診察を受けましたから,軟膏を含めた目薬の処方もしてもらっています。処方箋は薬局へもっていきますので,それも含めての時間です。
 6月26日,土曜日。午後7時15分にピアノの先生から電話がありました。翌日に予定されているピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
 6月27日,日曜日。この日の朝に,通所施設とグループホームの支援計画が郵送されていました。前日のうちに郵送されていたのに,この日の朝に気が付いたということだったと思います。僕は朝日新聞を朝刊と夕刊のセットでとっていますから,少なくとも1日に2度は郵便ボックスを確認します。ただ,僕の家に配達される夕刊は,午後3時ごろには届きます。なのでそれを抜き取った後で配達される郵便物などについては,翌日の朝刊を抜き取るまで気が付かないというケースが生じることがあります。とくにこのときのように妹が家にいる場合は,外出をしませんので,帰宅したときに郵便ボックスを確認するということがありませんから,こうしたことが生じるケースが多くなるのです。郵送されてきた支援計画というのは,三者面談の報告です。このときも新型コロナウイルスの影響で面会しての三者面談は行われず,通所施設およびグループホームの担当者が妹と面談し,その面談の内容の書面を僕が確認するという方式でした。本来は三者面談は5月に実施されるのですが,妹の通所施設の担当者が体調不良で入院していたために,この年度,というのは今年度ですが,今年度の前半の三者面談は,少し時期が遅れました。この担当者はこの年の4月に前の担当者から代わったばかりの方でしたが,結果的に入院が長引いてしまい,現在はまた別の方が担当者になっています。
 前夜に電話があったように,この日は妹のピアノのレッスンがありました。開始時刻は午後2時でした。
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フェブラリーステークス&軟膏の紛失

2022-02-20 19:18:47 | 中央競馬
 船橋から1頭が遠征してきた第39回フェブラリーステークス
 好発はテイエムサウスダン。内から出ようとしたダイワキャグニーとの間からサンライズホープが前に出て一旦は先頭。しかしペースが遅いとみて控えたテイエムサウスダンが外から上昇し,発走後の向正面の半ばからはテイエムサウスダンの逃げになりました。4番手にソダシ。5番手にアルクトス。6馬手にカフェファラオ。7番手にレッドルゼルとソリストサンダー。9番手にタイムフライヤーとケイティブレイブ。11番手にインティとスワーヴアラミスとミューチャリーでここまでは集団。2馬身差でテオレーマとエアスピネル。最後尾にサンライズノヴァという隊列。前半の800mは46秒8のミドルペース。
 ダイワキャグニーは早々に後退してソダシが2番手。その後ろにサンライズホープとアルクトスとカフェファラオという並びで直線に。テイエムサウスダンは手応えに余裕が残っていたもののさらに楽だったのがカフェファラオ。追い出されるとテイエムサウスダンの抵抗を許さずに差し切り,そのまま抜け出して優勝。逃げ粘ったテイエムサウスダンが2馬身半差の2着。流れ込んだソダシが半馬身差の3着で,ソダシの外から脚を伸ばしたソリストサンダーがクビ差で4着。
 優勝したカフェファラオは昨年のフェブラリーステークス以来の勝利で大レース2勝目。この馬は勝つときと負けるときで両極端な成績を残していますが,コーナーが2回の1600mというのはベストといえる条件。なので今日は最有力候補だと考えていました。能力は非常に高い馬だと思いますが,もっと器用さが出てこないと,安定した成績を残すということは望めないように思います。馬自身にそれが難しいのであれば,出走するレースを陣営がもっとうまく選択していく必要があるのではないでしょうか。
 騎乗した福永祐一騎手はジャパンカップ以来の大レース42勝目。第22回以来17年ぶりのフェブラリーステークス2勝目。管理している堀宣行調教師は昨年のフェブラリーステークス以来の大レース20勝目。連覇となるフェブラリーステークス2勝目。

 この日はほかの異常は何も出ていませんでした。これは4月の通院のときと同じです。帰途に薬局に寄りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時40分でした。
 6月4日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 6月7日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 6月11日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
 6月14日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 6月16日,水曜日。午前11時に地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹が使っている目薬のうちの軟膏,オフロキサシンを紛失してしまったとのことでした。この軟膏は左目に就寝前に塗布するものです。僕は翌日に妹を迎えに行くことになっていました。目薬は家とグループホームとで別のものを使っています。つまり家にはあるのです。よって塗布することができないのはこの日の夜だけでした。ですからこの日の夜は塗布しないでもいいということを伝えました。
                                   
 6月17日,木曜日。妹を通潮施設へ迎えに行きました。
 6月18日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院の日でした。この通院があったので,この週は木曜に妹を迎えに行くこととなっていたのです。偶然ですが,このおかげで妹が軟膏を塗布することができなかったのが1日だけですむことになりました。妹の通院の方は,診察をしただけでした。新型コロナウイルスのワクチンの妹への接種については,本牧脳神経外科の主治医に可否を確認しておいた方がよいと僕は考えていました。ただこの時点では妹の接種券はもちろん僕の接種券も送付されていませんでしたから,この日は何も聞きませんでした。次の診察は3ヶ月後で,その時点で妹が接種することができる状況になっているとは,このときの僕には思えなかったからなのですが,結果的にいえば,この日のうちに可否を聞いておいた方がよかったです。
 6月21日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。グループホームの軟膏が紛失しましたので,家で使用していたものを持参し,グループホームで使ってもらうようにしました。家のものはすぐに処方してもらう予定になっていました。
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感情の総括的定義&2021年5月の通院

2022-02-19 19:12:44 | 哲学
 第五部定理四系を論証するときに,僕は第三部定義三を援用しました。しかし実際のスピノザの説明では,感情の総括的定義に訴求されています。これは第三部諸感情の定義の最後に付されているものです。やや長くなりますが,今後の利便性を上昇させるために,ここで紹介しておきます。
                                   
 「精神の受動状態と言われる感情は,ある混乱した観念-精神がそれによって自己の身体あるいはその一部分について,以前より大なるあるいは小なる存在力を肯定するような,また精神自身がそれの現在によってあるものを他のものよりいっそう多く思惟するように決定されるような,ある混乱した観念である」。
 この後に長い説明がありますが,ここでは僕の方からいくつかの注意を加えておきます。
 まず,第三部定義三によれば,感情affectusというのは現実的に存在するある人間の身体humanum corpusの状態と精神mensの状態いい換えればその身体の状態の観念ideaの両方を意味することになっています。しかしこの総括的定義においては,現実的に存在するある人間の精神の状態だけに言及されています。これはこの定義Definitioの冒頭が,精神の,と始まっていることから明らかです。ですからこの定義は,第三部定義三に比べた場合には,限定的な定義であるということになります。いい換えるなら,この総括的定義は,感情の定義である第三部定義三の一部であるということになります。
 もうひとつ,第三部定理五八によれば,感情は受動passioであるとは限らず,能動actioである場合もあります。しかしこの総括的定義で言及されているのは,受動的な感情だけです。これもこの定義の冒頭で,精神の受動状態と言われる感情,といわれていることから明らかです。つまりこの総括的定義は,この意味においても限定的であることになります。第三部定理五八でいわれる感情は,第三部定義三でいわれている感情ですが,この総括的定義でいわれている感情は,第三部定義三でいわれている定義のうち,受動的な感情だけであるということになります。

 5月29日,土曜日。この日は土曜レクリエーションが予定されていました。なのでこの週は妹を迎えにはいきませんでした。ただこのときの神奈川県は新型コロナウイルスの蔓延防止措置の適用期間にあたっていましたので,その影響で中止になっています。土曜レクリエーションが中止になった場合は,妹は通所施設には通わず,グループホームで1日を過ごすことになります。
 5月31日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後2時10分でした。この日の中央検査室は,僕の前に6人の患者が採血を待っていました。なので先に採尿をすませ,その後で採血をしました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。
 診察が開始になったのは午後3時20分でした。HbA1cは7.3%でした。4月の通院のときに注射するインスリンの量を減らしたのですが,HbA1cは下がっていました。低血糖も全体の0.9%と,問題になるほど大きいわけではありません。なので現状の措置をそのまま継続するということに決まりました。
 主治医の方から,新型コロナウイルスのワクチンは,なるべく早く打つようにという指示がありました。横浜市では,接種券が送付されてから予約をするという規則になっていました。この時点では僕の接種券はまだ送付されていませんでしたので,すぐに何かをすることができたというわけではありません。ただ僕はⅠ型糖尿病の患者で,これは基礎疾患があるということになります。接種券が送付されたとしても,一定の条件を満たさないと接種することができないということも規則としてありましたが,僕は同年代の人よりは早い段階で接種の条件を満たすことが見込めました。
 それから主治医は7月から3ヶ月の間,北海道の診療所に出張することが決まったと伝えられました。これはもしかしたら新型コロナウイルスの蔓延による,各地の医師の不足と関係していたのかもしれません。なので主治医が不在の3ヶ月間については,別の医師が診察を当するとのことでした。前もっていっておきますが,この代行になった医師は,今年の4月から正式な主治医になる予定です。
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伊藤薫&駐車場

2022-02-18 19:22:51 | NOAH
 フリーダム・フォースのメンバーは,豊田真奈美のほかには伊藤薫と吉田万里子と長谷川咲恵の3人です。このうち,伊藤薫だけは『1993年の女子プロレス』にインタビューが収録されています。
                                        
 伊藤は僕の女子プロレスキャリアの中で現役でしたから,そのころの試合は観戦しています。派手さはないけれども地力は確かという印象のレスラーで,得意技はフットスタンプでした。だんだんと身体が大きくなっていったこともあり,コーナーポストからのフットスタンプは,かなりえぐい技だと感じていました。伊藤がどのように力を入れていたのかは分かりませんが,あれは受ける方も大変だったのではないかと思います。
 伊藤は1989年2月に全日本女子プロレスのオーディションに合格しました。4月に上京して入門。長与千種が5月に引退し,観客は激減。地方の大会などは観客よりも選手の方が多いこともあったそうです。8月にはライオネス・飛鳥も引退。直後の9月に伊藤はプロテストにも合格しました。そして北斗晶の付き人に。1991年の終わり頃に,アジャ・コングが率いるジャングルジャックのメンバーに加入しました。ブル・中野の獄門党とジャングルジャックの抗争に参加することになったことについては,ブルとアジャの間に入っても伊藤ならば壊れそうもないと思われたからだったといっています。つまり身体がそれだけ頑健であったのでしょう。
 フリーダム・フォースへの加入については,会社からの依頼だった明かしています。豊田がほかの3人の同期と仲が悪くなった理由は分からないそうですが,伊藤本人はそれを目撃していましたから,豊田がひとりになっていることは知っていました。そこで吉田,長谷川と共に呼ばれ,豊田とチームを組んでほしいと頼まれたのだそうです。
 これは伊藤がいっていることではありませんが,『1993年の女子プロレス』を読むと,全日本女子プロレスの経営陣は,妙な考え方をするところがあって,人間関係が悪い者同士をリング上で戦わせれば面白いと思う人たちだったようです。このときに豊田をほかの同期と戦わせようとしたのも,そういった意図からだったのではないかと僕は推測します。そのためには豊田がトップになるようなチームを形成する必要があり,豊田よりも後輩の3人に白羽の矢を立てたということだったのではないでしょうか。

 その後で叔父の移住がありました。移住先は福江島です。島で暮らすためには自動車があった方が便利だということで,自動車も福江島に行くことになりました。このときから,僕の家の駐車スペースに停車させる自動車はなくなったのです。それ以来ずっと,このスペースは使われることなく放置されていました。
 こうした事情でしたから,このスペースを駐車場として貸し出すことは,僕にとっては悪い話ではありませんでした。ただ,ここまでの説明から分かるように,このスペースに停車させることができる自動車というのはごく限られています。そのスペースに入るまでの路地が狭いということからいえば,利便性もかなり低いといえるでしょう。こうしたことから,実際に貸し出したとしても,借り受ける人が出てくるようには僕には思えませんでした。なのでこの点については訪問してきた仲介業者にも伝えたのですが,その人によれば,駐車場として登録しておけばよいのであり,もしも借り受ける人が現れなくても,僕の方に経済的な負担がかかることはないとのことでした。もとより放置してあったスペースであり,何かに使っていたわけではありません。登録すれば使うことはできなくなりますが,使うあてがあったというわけでもありません。そういうことであれば,登録しておくことは僕にとっても悪い話ではありません。もしも本当に借りるという人が現れれば,僕にとってもいくらかの収入にはなるからです。なのでこのときに登録を済ませました。しかしやはり僕の予期した通り,現在までただの1度も駐車場として使用されたことはありません。つまり収入は得られていません。とはいえやはり使ってはいないスペースですから,そのことで僕が困っているというわけでもないです。
 5月28日,金曜日。午後8時20分に,グループホームの妹の担当者から電話がありました。これは6月の外泊の予定に関することでした。なお,ここでいう外泊というのは,グループホームからみての外泊です。つまり,妹が家に帰ってくる予定のことを意味します。食事の準備が関係するので,外泊の予定は事前に伝えておく決まりになっています。
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報知グランプリカップ&駐車スペース

2022-02-17 19:19:05 | 地方競馬
 ダイオライト記念トライアルの昨晩の第58回報知グランプリカップ
 ダノンレジーナの逃げもあり得ると思っていましたが,やはり逃げで戦ってきたキャッスルトップが制してハナへ。2番手にギガキング。3番手にダノンレジーナとコズミックフォース。5番手にウィンターフェルとキタノオクトパス。4馬身差でゴールドホイヤー。2馬身差でサルサレイアという隊列で発馬後の正面を通過。向正面に入ると3番手はダノンレジーナとキタノオクトパスの併走となり,5番手にコズミックフォース。3馬身差でウィンターフェル。3馬身差でゴールドホイヤー。2馬身差でサルサレイアという隊列に変化。最初の800mは48秒4のハイペース。
 3コーナー手前からギガキングがキャッスルトップに迫っていくと,キャッスルトップは一杯となって後退。キタノオクトパスが2番手に上がり,その後ろからコズミックフォースが押しながら追い上げてきました。直線を先頭で迎えたギガキングは,キタノオクトパスとの差を広げていき快勝。キタノオクトパスが2馬身差で2着。直線だけで大外から追い込んだゴールドホイヤーが3馬身差で3着。
 優勝したギガキングは東京湾カップ以来の南関東重賞2勝目。クラシックは奮いませんでしたが,秋になって戸塚記念を叩くと本領を発揮。遠征したダービーグランプリを勝つと前走のオープンも勝利。3連勝で南関東重賞2勝目となりました。前走で古馬を相手に勝っていたのでここも優勝候補の1頭。南関東での優勝はいずれも船橋コースでのものなので,このコースがとくに適しているのかもしれません。4歳馬はこの馬も含めて粒揃いなので,多くの南関東重賞を勝っていくことになるのではないかと予想しています。父はキングヘイロー。母の父はバブルガムフェロー。従姉に2018年に愛知杯を勝ったエテルナミノル。従兄には2019年のNARグランプリでダートグレード競走特別賞馬に選出されている現役のオメガパフューム
 騎乗した大井の和田譲治騎手はゴールドカップ以来の南関東重賞6勝目。報知グランプリカップは初勝利。管理している船橋の稲益貴弘調教師は南関東重賞5勝目。報知グランプリカップは初勝利。

 僕が住んでいる家が建てられたのは,おそらく僕が3歳のときです。これは建て替えで,平屋だった家を2階建てにしたと聞いています。聞いていますというのは,僕は今の家の前の家である,平屋の家の記憶はまったくないのです。ただ,今の家を建てている現場を見に行ったという記憶はありますし,建て替えている間はそこに住むことができませんから,近場の家に仮住まいをしていたのですが,その家の記憶もあります。つまり今の家が建てられていた頃が,僕に残っている最も古い記憶ということになります。
 僕はこの頃から保育園に通うようになりました。その送り迎えはほぼの自家用車によるものでした。つまり僕の記憶の中の母は,運転をする母だったということになります。その最も古い記憶では母が運転していたのはカローラだったと思うのですが,これは古い記憶ということもあり,車種までは確かではありません。ただ普通車だったのは間違いないと思いますし,その当時はごく近くに駐車場を借りて,そこに車を停めていました。
 新しい家,というのは今の家のことですが,この家が建ったとき,家の前に駐車スペースができました。もっとも前の家のことは覚えていないのですから,そのスペースが新しくできたものなのか,それとも前からあったものなのかは分かりません。ただこのスペースはそれほど大きくありませんでしたし,何より僕の家の前まで入ってくる路地が狭かったですから,普通車をそこに停めるのには無理がありました。それがいつだったかは定かではありませんが,このために母は小型車を使うようになり,駐車場は借りずに家の前に停めるようになりました。それ以来,車種は変わりましたが,母はずっと小型車に乗り続けました。ダイハツの車がほとんどでした。
 母が運転を止めたのは,小脳出血を発症してからです。ただしそのときは叔父,母の弟がアパートに住んでいましたから,発症当時に母が乗っていた自家用車を,叔父が使うようになりました。車検などもありますので後に名義人を変え,母の自動車から叔父の自動車になっています。ただ駐車スペースはその自動車のために使い続けました。
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特例&預り金

2022-02-16 19:22:55 | 将棋トピック
 三浦九段の地位の保全について最も重大だったのは,順位戦のA級の地位でした。
 A級順位戦は定員が10人。原則的に6月に開幕し,3月までに10人が総当たりのリーグ戦を行います。優勝した棋士は名人に挑戦し,下位のふたりはリーグから陥落し,翌年度はB級1組で戦うことになります。
 この年度の三浦は6月の初戦で広瀬章人と対戦して負け。7月の佐藤康光に負け。8月は順位戦の対局はなく,9月に稲葉陽に負けて3連敗。対局停止の処分を受ける直前の10月3日に渡辺明に勝って1勝3敗。対局停止の期間中の屋敷伸之,行方尚史との対戦は不戦敗となっていました。
 9月まで1勝3敗の成績は,優勝して名人に挑戦する可能性は0とはいえませんがきわめて小さく,むしろ陥落する可能性がありました。勝敗だけを考えて最も公平にするためには,2戦の不戦敗を取り消し,対局をやり直すことだったと思います。ただ,日程面の問題はありますし,たとえその問題が解消できるとしても,不当な処分によって対局の機会を奪われていた三浦にとって,短期間で残りの5局を指すとなれば,明らかに不利です。なので特例として,残りの対局も不戦敗として,三浦は来期もA級に残留するという措置が講じられました。
 僕は今でも,最も公平であったのは,不戦敗を取り消して対局をやり直すことであったと思っています。ただし,不当な処分を受けた三浦に対して不利な措置を講じるということはあり得ないことなので,この特例というのはやむを得なかったとも思います。ただ,このために大きな問題が生じました。というのは,三浦はA級から陥落する可能性がある成績であったからです。三浦の地位を保全しておいて,その他にふたりが陥落するということになると,これはこれで陥落する棋士にとって不利になるでしょう。なのでこの期は,陥落をひとりとして,B級1組から昇級してくるふたりと合わせ,来期は11人のリーグ戦を行うことになりました。
 これで問題は解決のようですが,僕には必ずしもそうは思えませんでした。

 僕が『麻雀 理論と直感力の使い方』を読み終えたのは,昨年の5月16日でした。それ以降の日記です。
 5月17日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。この日,妹が施設の入口から建物の間で転び,背中を打ってしまいました。前にもいいましたが,僕は妹と歩くときは常に手を繋いでいます。僕は坊主ですので外出するときは帽子をかぶっているのですが,この日はとても風が強く,その帽子が飛ばされてしまいました。なので僕は妹から手を離し,その帽子を取りに行ったのですが,手を離したことで妹がバランスを崩し,風にもあおられて転んでしまったようです。僕は帽子の方に気を取られていましたので,妹が転んだ瞬間は目撃していません。仰向けに倒れていましたので,背中から倒れたものと思います。妹は通所施設と家の往復のときはリュックを背負っていますので,それが緩衝となり,大事には至りませんでした。
 5月19日,水曜日。眼科検診に行きました。異常はありませんでした。
 5月20日,木曜日。グループホームから封書が届きました。これは妹の預かり金の残高の精算書と,預り金の使用明細書です。預り金というのは,たとえば妹がグループホームで個人的に食べるおやつを買うための金銭であり,要するにお小遣いのようなものだと思ってください。
 5月21日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰りにО眼科に寄って,目薬を処方してもらいました。
                                   
 5月22日,土曜日。20日に送られてきた精算書と明細書は,僕の同意書が必要なものでした。なのでこの日にその同意書を送付しました。僕は送迎は特別の事情がない限りは通所施設に行っています。なのでグループホームに行くことはあまりありません。この書類はグループホームの書類でしたので,送付しました。通所施設の事務宛の書類については,僕は原則的に送迎のときに持参し,事務員に手渡すようにしています。
 5月24日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 5月25日,火曜日。駐車場の仲介事業を名乗る人が訪問してきました。僕の家の前のスペースを,駐車場として利用することができないかという打診でした。
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漱石と三人の読者&思考の欠如

2022-02-15 19:12:25 | 歌・小説
 『坊っちゃん』が佐幕派への挽歌であるという読解は,何人かの論者がいろいろな場面で指摘していることです。僕はそのひとつの例として,石原千秋の『漱石と三人の読者』という書籍をあげましたので,これについて若干の説明をしておきます。
                                        
 これは2004年10月に講談社現代新書より発売されたもの。おそらく現在でも入手は可能でしょう。新書ですからそれほど分量は多くなく,時間をかけずに読了できるものだと思います。
 題名が奇妙に感じられるかもしれませんが,そこには意味があります。漱石は自身の小説の読者というのを予め想定していて,それぞれの読者に合わせて執筆しているのではないかという観点から,この論説は書かれているのです。三人というのは人数のことを意味しているのではありません。みっつのタイプという意味です。
 このタイプというのが各々の小説によってやや異なってくるのですが,基本的な想定は次のようなものです。ひとり目は,漱石が顔を知っている読者です。漱石は何人かの門下生をもっていますが,たとえばそうした門下生はこのタイプに該当します。これを僕は同時代の超エリートとといっておきます。実際に顔を知っているかどうかよりも,東京帝国大学の学生とか卒業生などは,ここに入るべきだからです。次に,朝日新聞の社員として小説を書いた漱石にとって,朝日新聞の読者というのはふたり目に該当します。明治時代の新聞というのはだれでも読むというものではありませんでした。なのでこれはそれなりのエリートだと僕はいっておきます。3人目は,朝日新聞を読むことを夢見るような読者です。これをここでは庶民といっておくことにしましょう。
 漱石の小説には,超エリートには理解できるけれどもそれ以外には理解できないというようなテクストが含まれていると石原はみています。しかしその理解というのは正しい理解ということであり,小説自体は別の仕方で読解できるので,だれであっても理解できるようになっているのです。そうした例についてはいずれ紹介することにします。

 第1図の時点で第2図まで読みを進めた青野が,そこで自分が有利であると判断し,それ以上は読みを進めなかったのは,第2図まで進めば自身が駒を得することができると判断したからです。この限りでは青野の左脳すなわち第二種の認識cognitio secundi generisは,第1図から駒を得することを追究していたのであり,☗1七桂を最善と判断した第三種の認識cognitio tertii generisとは,異なった真理veritasを追究していたということになります。しかし青野自身が,まさに自分自身が指しているこの将棋に勝つということを追究していたとすれば,青野の左脳すなわち第二種の認識は,第2図まで読んだ後,さらにその後の読みを欠いていたというべきでしょう。つまりこの観点からは,右脳すなわち第三種の認識とは異なった真理を追究していたというより,思考の不足ないしは欠如があったというべきです。そしてこうした不足や欠如が生じてしまうのは,青野の知性intellectusが有限finitumであるからなのです。他面からいえば,もしも青野の知性が無限知性intellectus infinitusであるとしたら,こうした思考の不足や欠如は生じません。いい換えれば第2図は駒を得することができるけれども,局面の全体からいえば,自身の方が不利であると認識に至ったのです。
                                        
 青野は現実的に存在する人間なのであって,その人間の知性が無限知性であると仮定することは無意味です。一方,現実的に存在する人間の知性が,有限であるということに注目すれば,上述したような思考の不足あるいは欠如というのはどうしても生じてしまうことだということも分かるでしょう。もちろんこのことは,将棋の指し手を考えるときだけでなく,第二種の認識で推論を行うときには常に生じ得るのです。このために,第三種の認識で認識したことを第二種の認識で確証しようとするとき,それとは異なった結論が出てしまうことがあります。そしてそのときその知性は,第二種の認識と第三種の認識が対決していると感じることがあるのです。これが人間の知性が有限であるがゆえに,第二種の認識と第三種の認識,左脳と右脳が対決していると感じる理由です。
 『麻雀 理論と直感力の使い方』および『勝負の視点』に関連する論考はこれで終了です。明日から日記に戻ります。
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ALSOK杯王将戦&対決の理由

2022-02-14 19:28:00 | 将棋
 11日と12日に立川市で指された第71期王将戦七番勝負第四局。
 渡辺明王将の先手で矢倉。後手の藤井聡太竜王が急戦を含みに雁木という戦型。先手に研究があったようで,1日目からハイペースで進み,戦いに突入しました。
 岐路になったのは75手目に☗8八銀と引いた手。囲碁将棋チャンネルのAIは数値の変動が大きい上に,不自然な変動をすることがあるので,そのまま参考にすることはできないのですが,この局面を迎えた当初は☗7六銀という手を推奨していました。これに対して☖4四銀は☗7五歩なので☖7六同飛と取るでしょうが,たとえばそこから☗7七歩☖7四飛☗2二とと引いて,銀を捨てる代わりに金を取りにいくことになります。
                                         
 これが最善であるかは別として,この局面はこの順が読みの主軸となっているかいないかが,大きな分かれ目になりました。
 ここは☗8六銀もあるところ。後手はふたつの手段がありますが,そのうちのひとつの☖8五歩は☗同銀☖7五飛☗7六銀☖同飛☗7七歩☖7四飛☗2二とで第1図と似た展開にすることが先手は可能です。
                                         
 第1図と第2図は,第2図の方が先手が一歩を得しています。後に後手が8筋に歩を打つ手が好手になるという可能性があるので,それが本当に先手の得かどうかは分かりませんが,この局面だけで考えれば先手の得になっています。なので☗7六銀が読みの主軸なら,☖8五歩はほとんど読む必要はありません。よってもうひとつの後手の手段である,☖7七銀を時間をかけて深く読むことができます。しかし実際は☗7六銀が読みの主軸ではなかったために,どちらの順にも成算をもつだけの読みができず,☗8八銀の選択となりました。
 後で金を取りにいくとはいえ,瞬間的には銀をタダで捨ててしまう手を読みの主軸とするのは難しかったかもしれません。ただ,この将棋は62手目に後手が☖7六歩と打つと,☗同銀と取ってしまって先手が有利になるという順があり,これは先手の研究の範囲内だったと思われます。なので一概に難しかったですませることはできないようにも思います。
                                         
 藤井竜王が4連勝で王将を奪取。王将は初の獲得です。

 真の観念idea veraは第一部公理六から分かるように,個別の真理veritasを意味します。よって,知性intellectusが追究する真理は,個別の真理でなければなりません。だから,たとえば青野の例でいえば,左脳である第二種の認識cognitio secundi generisはその局面で駒を得するための真理を追究し,右脳である第三種の認識cognitio tertii generisは,その局面で将棋の本筋とされる真理を追究していると解釈するのが妥当です。とはいえそれらは共に将棋のセオリーではあるのであり,それがセオリーであるということは,一局の将棋に勝つための手段であるとはいえます。だから指している青野の知性が,そのふたつを自身が勝つための真理を追究していると認識するcognoscereことには,理由がないわけではありません。真理は個別の真理でしかないので,本来はこのような見方をすることは無意味ですが,ここではその両者が青野が勝つための真理を追究しているのだという,おそらく青野自身の知性のうちにあった判断に適合させて考察します。すると,青野が右脳と左脳が対決していると感じることの理由が変わってきます。追究している真理が異なるということから,青野の知性が有限finitumであるということに変化するのです。
                                        
 青野がなしている作業は,第1図で右脳で認識した☗1七桂という手が,その局面での最善手であるかどうかを左脳で確認することであったといえます。それは,☗1七桂に対する応手として☖3一歩を発見し,その手があるなら☗1七桂は最善手ではないのではないかと青野が認識したことから明白です。なので左脳は,☗1七桂に代わる最善手を探すという思惟作用に入ります。そして発見されるのが☗6五桂という手なのです。
                                        
 青野は第1図での☗6五桂を発見した後,第2図まで読みを進めて,この手が最善手であると判断しました。ですが実際には第2図は先手が大変な局面です。もしも青野が第2図からさらに読みを進めて,☖1五歩☗1九飛☖7六香という手を発見していたら,第2図は自身にとって大変な局面であり,したがって第1図での☗6五桂は最善手ではないという判断に至ったでしょう。そしてもしも青野がその判断に至っていれば,右脳と左脳が対決しているというように感じることもなかった筈です。
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