スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&医師の所見

2018-11-14 19:08:42 | 将棋
 1日と2日に鹿島神宮で指された第31期竜王戦七番勝負第三局。
 羽生善治竜王の先手で角換り相腰掛銀。後手の広瀬章人八段が駒得の代償に受け身に回ったので先手が猛攻。僕は先手の攻めはさすがに無理なのではないかと思っていたのですが,厳密には繋がっていたようです。
                                     
 先手が☗4三歩☖同金と叩いて2五の龍で2二の歩を取った局面。ここは☖3二銀と受ける一手です。
 先手は☗2一銀と打ちましたがここは☗4二歩もあったところで,あるいはそちらの方が優ったのかもしれません。
 後手は☖同銀と取って☗同龍に☖3一桂と受けました。これだと☗3二銀☖5二玉☗4三銀成☖同玉までは必然でしょう。先手は☗2二龍と引き後手は☖4五銀と桂馬を外しました。
                                     
 もう切れ模様のようですが☗4四歩と叩けば攻めが続いたようです。しかし☗4二金と打ってしまったために☖5三玉☗5二金☖6四玉☗4二龍とした局面で反撃され,受けに龍を使わなければならない展開になってしまいました。
 広瀬八段が勝って1勝2敗。第四局は24日と25日です。

 帰り際に看護師から声を掛けられました。
 酸素吸入器が鼻から管を通すものから鼻と口を覆うマスク状のプラスチック製のものへ変化していたのですが,これは血中の酸素濃度の低下が顕著であるためだということでした。そしてこの影響で,意識が混濁することがあると伝えられました。実際にこの日,たとえば僕はお寺の奥さんから前夜にあった電話の話をしましたが,その会話はすべてが成立していたというわけではなく,成立していない部分もあったのです。
 血圧は現時点では異常はないとのことでしたが,容態が急変する可能性はあるので,そのことは理解しておいてほしいとも伝えられました。これについては僕は以前からそういう状況に入っているという認識がありましたので,いよいよ看護師からもそういう話を伝えられる状況に至ったのだと思いました。
 8月2日,木曜日。午前11時半前に病院からの電話がありました。医師から僕の方に伝えておきたいことがあるので,見舞いにきたときにナースステーションに寄って声を掛けるようにとの連絡でした。見舞いに行ったのは午後1時15分です。病室に行く前に医師の話を聞きました。医師によれば,現状は痛みと苦しみを除去しているという状況で,診察している限りでは,それは成功している,いい換えれば母は痛みも苦しみも感じていないと推定されるとのことでした。これは僕が見た限りでも確かにそうで,母はそうしたことを訴えることはありませんでしたし,身体的に痛みや苦しみがあるというようにも感じることはありませんでした。余命についてはもう本人の体力がどれくらい残っているのかということがすべてであるということでした。いい換えればすでに余命があとどれくらいであるのかということをはっきりと判定するような状態を通り越しているということです。
 看護師からは,もうトイレに行くのも大変だろうから,カテーテルを挿入したと伝えられました。食事はしていないので,排便はもうないだろうとのことで,この日から母はベッドより外に出ることはなくなりました。また,食事は摂れないので,この日の夕食から食事の提供は中止するとのことでした。
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王座戦&Tさん

2018-11-12 19:00:41 | 将棋
 10月30日に湯村温泉で指された第66期王座戦五番勝負第五局。
 振駒で斎藤慎太郎七段の先手になり角換り。先手は腰掛銀にしましたが中村太地王座が腰掛ける前に6筋の歩を伸ばし,先手がそれを咎めにいく将棋となりました。
                                     
 先手が6筋で歩を交換した局面。8筋が開いたので後手は☖8六歩☗同歩☖同飛☗8七歩と交換して☖8一飛と引きました。ごく自然な手順ですがこの飛車の引き場所がよくなかったかもしれません。
 先手は☗5五銀左と進出させ☖6四歩の受けに☗6九飛と回って6筋を狙いに。後手はそれを避けるために☖6五桂と跳ねたのですがそこで☗4五角と打たれました。
 これも次に☗6四銀と取られてしまうのでそれを避けるために☖8二飛。先手はそこで☗2四歩☖同歩と突き捨てておいて☗6六歩と打ちました。
                                     
 第2図となっては後手は攻め込んでいくほかありません。しかしその攻めを先手がしっかりと受け止めて勝ちました。
 3勝2敗で斎藤七段が王座を獲得。これが初のタイトル獲得です。

 夜になってから,お寺の住職の奥さんから電話がありました。本門仏立宗の信者で奥さんの知り合いにTさんという方がいて,この方は妹が通っている通所施設に通っている人の保護者であるということでした。また,Tさんの自宅は妹が入所しているグループホームの近所で,この関係からグループホームに顔を出すこともあり,妹とも顔見知りだということでした。Tさんから奥さんに対して,妹が元気にしているとの連絡があったので,それを僕に伝えてくれたものでした。事情を知っている方は不審に思われるかもしれませんが,たぶん奥さんは妹がずっとグループホームで過ごしていると思い込んでいて,基本的に週末は帰宅していると思っていなかったのでしょう。つまり僕が長いこと妹と会っていないと思っていたために,こうした電話を掛けてきてくれたのだと思います。
 僕は後にTさん本人とも会いましたが,Tさんは単に妹と知り合いというだけでなく,母とも知り合いでした。この電話のことは翌日に母に話しましたが,確かに母もTさんのことを知っていると言っていました。妹が入所したグループホームも,昨年暮れから通うようになった通所施設も,それまで妹が通っていた通所施設と同じ法人が運営しています。妹が卒業した養護学校も同じ法人の運営で,妹は一時的に別法人が運営する通所施設に通っていましたが,後に通所施設を変えた,一般的ないい方をすれば転職したのはこうした理由があったからでした。そしてこの法人組織に保護者が参加する会合があり,Tさんと母はそこで知り合ったようです。なので,もしかしたらTさんは妹より先に母と知り合いになっていたのではないかと思われます。ただそのときは,Tさんが本門仏立宗の信者であるということは母は知らず,後に知ることになりました。実はTさんが檀家になっているのはこのお寺ではなく同じ宗派の別のお寺です。それでいてこちらのお寺の奥さんとも知り合いであったということは,おそらくTさんは,母や僕のような,いわば名目上の信者というわけではなく,熱心な信者なのでしょう。お寺間の行き来に参加していたから,奥さんとも知り合ったと思われるからです。
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竜王戦&Sさん

2018-11-10 19:10:08 | 将棋
 先月の23日と24日に宮地嶽神社で指された第31期竜王戦七番勝負第二局。
 広瀬章人八段の先手で角換り相腰掛銀。先手が9筋の位を取って受け身になったので後手の羽生善治竜王から先攻。駒損の猛攻が続くかどうかが一局の焦点でした。
                                     
 この時点では後手が金と角桂の交換という状況。立ち止まるわけにはいかず☖3五歩と桂頭を狙いつつ戦線拡大。先手は☗2四歩☖同歩の突き捨てを入れてから☗4七角と受けました。
 後手は☖6六金と打ち☗6七銀打の受けに☖8九銀☗7七金と下段に追いました。ここでまた駒損が拡大。先手は☗5五角と金取りに打ちました。
 後手は☖6六歩。これを☗同角は☖6七金☗同銀☖8七歩で攻めきられてしまうようです。なので☗同金と取りました。
 金取りが消滅した後手は角を狙いにいきます。☖4三桂☗6四角☖6三歩がその手順。
                                     
 ここから後手は☗9一角成☖同飛と取って☗7九香と受けたのですが,この順で角を渡してしまったために先手の攻めが繋がり,そのまま押し切られることになりました。ここでは☗8二銀☖6一飛☗7一銀成☖同飛☗8二角成と,銀を捨てて角を助けるべきだったそうです。ただ,こういう手順でないといけないのなら☗5五角と打ったところで変わる手があるのでなければ,実戦的には後手が指しやすかったといえるのではないでしょうか。
 羽生竜王が連勝。第三局は1日と2日に指されました。

 7月29日,日曜日。この日もの様子は前日とほとんど同じでした。僕が着いたときに眠っていて,その後に目を覚まし,少し話をするとまた眠ってしまうという状況です。
 7月30日,月曜日。この日は28日および29日に比較すると,母の調子はよさそうに僕には見えました。ただ,体調というのは1日のうちでも一定しているというわけではなく,上下のバイオリズムがあるかと思います。僕はずっと母の様子を見ていたわけではありませんから,この日はたまたま母のバイオリズムのよい時間と,僕の見舞いの時間が重なっただけかもしれません。逆にいえば僕にはあまり調子がよくみえなかった28日と29日も,この日に僕が見たのと同じような調子だった時間帯があったかもしれません。
 とはいえ調子がよく見えたというだけで,僕が着いたときに眠っていたのはここ2日と同じですし,話をした後でまた眠ってしまうというのもやはり同様でした。顔色とか声の調子や力強さといった部分が,違うように僕には感じられたのです。このように,話をした後でまた眠ってしまう段階で僕は帰宅するようになりましたので,病院での滞在時間というのはそれまでよりも短くなりました。
 この日の夜,母が最後に,つまり退職する時点で勤務していた中学校の同僚であったSさんから電話がありました。僕はそれまでに会ったことはなかったのですが,妹はこの中学校の同窓会に何度も出席していましたから,妹とは顔見知りの方です。母が大腸癌であるということは知っていまして,近況を尋ねる電話でした。すでに緩和病棟に入院していること,現時点で話をすることはできるということ,しかしもう長くはないと思われるので,もし会うということであれば早いうちにした方がよいであろうといったことを伝えました。
 7月31日,火曜日。この日が伯母が帰国する日でした。朝のうちに家を出て,母を見舞い,そのまま空港に向いました。伯母と母が会ったのはこの日が最後になったわけです。
 僕は午後から見舞いに行きました。この日も僕が着いたときには眠っていて,少ししてから目覚め,ベッドを起こしたのはそれまでと同様です。
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リコー杯女流王座戦&点滴

2018-10-31 18:59:00 | 将棋
 23日に長良川温泉で指された第8期女流王座戦五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流王座が24勝,清水市代女流六段が不戦勝の1勝を含む14勝。
 岐阜県副知事による振駒で清水六段の先手になり里見王座のごきげん中飛車。⑤①-Bの順に進みました。途中は振飛車側が居飛車の大駒の押さえ込みを目指すという珍しい展開に。そういう将棋ですから必然的に手数は長くなりましたが,100手目過ぎまでずっといい勝負で続いていたのではないかと思います。
                                     
 6八で後手の龍と先手の飛車が交換になったところ。この取引だけなら後手が少し損をしたようにみえますが,そのために先手は4八に使い道が薄そうな銀を打っていますから,差し引き五分とみていいでしょう。
 飛車を入手した先手には8三で清算して☗8五飛の王手馬取りと単に☗4一飛と打つふたつの狙いがあります。後手は両方を阻止するために☖4一香と打ちました。
 先手は☗6二歩☖同金寄で後手玉の逃げ道を塞ぎました。そうしてから☗3一飛と打ち後手は☖5一金打と受けました。
 ここで☗5五歩と突いて馬の利きを通し,後手玉頭への殺到を狙いにすれば迫力のある攻めが続きました。ですが☗5七銀右と上がったために☖3六馬とされました。
 先手はそこで☗5五歩と突きましたが今度は☖4七香成の馬取りで受かりました。
                                     
 第2図になると先手の攻めが切れ模様で後手が優勢になっています。☗5七銀右にどういう狙いがあったか分かりませんが,☖4七香成とされてはいけなかったので,実戦の☗5五歩の局面では無理でも☗4一飛成☖同金と切ってしまい☗8五香打で玉頭狙いに徹するほかなかったようです。
 里見王座が先勝。第二局は来月8日です。

 伯母はこの間に1階の食堂で昼食を摂っていました。伯母が昼食を終えて戻ったところで,今度は僕が食堂へ行き,昼食としました。僕が昼食を摂ったのが12時15分です。食べ終えて緩和病棟の病室に戻ったところで,伯母は一足先に帰宅しました。
 この後,点滴の装着が行われました。これは鎮痛剤です。このときに貼ってあったフェンタニルパッチは剥がし,これ以降はこのパッチを使用することはありませんでした。
 装着が終ると病棟の管理栄養士が現れ,母と食事の相談をしました。これはたとえばご飯がいいかお粥がいいか,またお粥がいいなら五分粥がいいのか全粥がいいのかといったような話です。病棟ですから個別に食事を用意するということはできませんが,わりと選択肢が多くなっているのは特徴のひとつだったと思います。また,終末病棟なので患者の希望がなるべく通るようになっていますから,母が食べたかったり飲みたかったりするものを僕たちが差し入れするというのは自由でした。この段階では母は量は少ないとはいえ,ものを食べるということはできました。
 この後で再び医師が往診に来て,超音波を用いた腹部の検査を行いました。腹の張りはあったのですが,腹水が溜っているわけではないとのことでした。
 これでこの日に行う検査はすべて終了し,また結果も判明しましたので,僕も帰宅しました。僕が家に着いたのは午後4時10分でした。
 7月19日,木曜日。伯母が午前中に母を見舞いに行きましたので,僕は午後からにしました。僕が見舞っている間に,Kさんも見舞いに来てくれました。前日に,入院したということをだれに伝えておけばよいかということを母に確認したところ,Kさんがその中に入っていましたので,前夜のうちに電話を入れておいたのです。
 7月14日に具体的な裁判の裁判員の候補になったので,選定のために横浜裁判所へ来るようにという要請の手紙が届いていました。それに対して詳しい事情を記した返事を出したという主旨のことをいいましたが,実際に返信を送ったのはこの日のことでした。
 7月20日,金曜日。この日は僕が早めに見舞いに行きました。
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加古川青流戦&病室

2018-10-29 18:45:35 | 将棋
 20日の午前に鶴林寺で指された第8回加古川青流戦決勝三番勝負第二局。
 大橋貴洸四段の先手で角換り相腰掛銀。先手が1筋の位を取り,右玉模様に組み替え,後手の梶原宏孝四段が待機するという,中盤の戦いが始まるまでが長い将棋でした。開戦後は先手が戦果を挙げてリードをしたと思いますが,攻め間違いがあったようで後手玉が固くなり,逆転していたのかもしれません。
                                     
 先手が金を打った局面。ここに金を使うと先手は攻めるのは大変になりそうです。なので後手は☖6六歩☗6八金引☖6七角と着実に攻めていくのがよかったとあります。実戦は☖7八角と打ちました。
 先手は☗7四馬。この金取りに対して☖4二金は弱い受け方という主旨の感想があります。それで☖4三金だったのですが☗同銀成☖同銀引で金を渡してしまったために☗8八歩という軽打を喰らいました。したがって,☖7八角と打った以上は☖4二金と逃げるべきだったし,☖4三金と逃げるつもりなら☖7八角と打ってはいけなかったということでしょう。
 ☗8八歩は☖同龍に☗7九金が生じるために発生した手です。よって☖6七龍☗同金☖同角成と進めるほかありませんでしたが☗2一金☖同王☗6一飛☖3一金☗6七飛成で馬を抜かれました。
                                     
 後手玉はすぐに寄る形ではありませんが,先手玉を攻める手段が消滅。ここでは先手が大きくリードしているといえるでしょう。
 大橋四段が連勝で優勝。今年度のYAMADAチャレンジ杯に続く2度目の棋戦優勝です。

 2階まではクラークが車椅子を押してくれました。僕は入院のための荷物を持っていました。伯母に病院まで同行してもらったのにはそうした理由もありました。
 2階では看護師が待機していて,そこからは看護師が車椅子を押し,母が入院する病室に案内されました。
 みなと赤十字病院の病室は,個室もありますが,それは有料で,無料の病室はすべて4人部屋です。というか,僕はすべての病室を見たわけではありませんから確実にそうと断言できませんが,僕が入院したときも父が入院したときも母が入院したときも,どの部屋であろうと4人部屋だったことは確かです。
 これに対して緩和病棟の病室はすべて個室です。もっともこれは緩和病棟の性質からして当然といえば当然でしょう。ただ,個室には有料の部屋と無料の部屋があります。これは最初に手続きをしたときにいわれていたことですが,入院してすぐは必ず有料の部屋に入ります。その後に無料の部屋に移動することになっています。したがってこのときに案内された病室は有料の個室でした。
 母は後に無料の部屋に移動になりましたから,僕はどちらの部屋も出入りしました。入ってすぐに洗面台があること,ベッドの横に冷蔵庫とテレビがあること,そしてその反対側にトイレがあることはどちらの部屋も同じでした。違っていたのは部屋の広さで,これは当たり前ですが有料の部屋の方が広かったです。そしてその広くなっている部分には大きめのソファーが備え付けられていました。これは僕が横になることができるくらいの大きさでした。なので最初のうちは僕は見舞いのときはそのソファーに座ったり横になったりしていたのですが,移動になるとそれがなくなったので,椅子に腰掛ける形になりました。正直にいうとこのソファーはあった方が便利です。とくに緩和病棟は24時間いつでも見舞いが可能なので,そこで寝ることもできます。なので死期が迫っていると思われる患者が優先的に有料の部屋を使用できるというようにした方が合理的ではないかと思えました。後に示しますが僕は最後に母の部屋で一晩を過ごしましたので,なおのことその思いが強いかもしれません。
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霧島酒造杯女流王将戦&乗車

2018-10-27 19:13:38 | 将棋
 19日に指された第40期女流王将戦三番勝負第二局。
 里見香奈女流王将の先手で駆け引きのある序盤でしたが,先手のノーマル三間飛車の形に落ち着きました。後手の加藤桃子奨励会初段から仕掛けたところで先手が大胆な捌きに出て,分かれは飛車香交換で後手の駒得。ただし先手は馬を作り,飛車を取る過程で後手は2枚の銀が遊び駒となったため,均衡はとれていました。その後,後手が受けなければならないところで攻め合いに出たため,一時的に先手が勝勢に近いところまでいったのですが,明快な決め手を逃してしまったために形勢混沌。盛り返した後手が千日手でも構わないという対応に出たのを先手から無理に打開したため,逆転してしまいました。
                                     
 先手が飛車を打った局面。ここは後手が優勢で,たぶん☖4七金と露骨に打ち込んでいくのがよかったのではないかと思います。しかし実戦は☖4七歩成と成り捨てました。
 ☗同銀は絶対手。ここでの継続手は☖5七角引成で,実戦の指し手もそれだったのですが,おそらくこれが敗着。成り捨ててしまったのなら☖4六金と打っていくのがよかったでしょう。
 先手は☗5八金打と受けました。こういう場合は☖5六歩と突けなければいけないと思うのですが,角を渡してしまうと後手玉が危険になります。なので☖3五桂☗同歩☖同馬という手順で馬を助けたのですが,この応酬は後手は馬を作っただけで拠点の歩を失った上に桂馬をただで渡し,先手は金を打って玉が固くなったのですから先手が大きく得をしました。しかも☗7四飛成が成立。
                                     
 これが銀を取っただけでなく攻防の駒になっている角取りでは大勢が決しました。後手は☖4六歩から飛車を切って攻めましたが続かず,先手が勝っています。
 連勝で里見王将が防衛。第32期,33期,34期,37期,38期,39期に続く四連覇で通算7期目の女流王将です。

 何度も電話しましたが繋がりません。仕方がないので僕が外に出て,走行中のタクシーを捕まえることにしました。
 僕の家の前には駐車場があり,母が運転していた頃は自家用車を駐車していました。その自動車は叔父が福江島に運転していきました。これは軽自動車だったのですが,家の前の路地が狭く,普通車でも入れないことはないですが,軽の方が楽であったからです。この路地の出口は細い道になっていて,ここは普通車も余裕で走行できますが,すれ違うことはできないような細い道です。ですからそこを空車のタクシーが走るということはあり得ません。この細い道の片側の入口に面した道路まで出れば,タクシーが来ます。いつもはこの道を,やや根岸駅より,というのはみなと赤十字病院寄りといっても同じですが,そちらの方向に進み,交差点の信号のところでタクシーを待っていました。ですがこの日は僕はそれとは逆方向に向いました。というのも,家の前の路地はともかく,路地の出口になっている細い道のところまではタクシーに乗り入れてほしいと思ったからで,その場合にはそちらの方向から左折して入ってくる方がよかったからです。
 なのでそちらの方向に歩いていったのですが,3分くらいで僕のいる方に向ってくる空車のタクシーをうまいことみつけることができました。タクシーを停めて乗車し,運転手に事情を話して,目的のところまで来てもらいました。母はまだ家にいましたので一旦は降車して家に向い,母を呼びました。伯母も一緒でしたから,伯母が介助しながら母をタクシーに乗せ,みなと赤十字病院へと向いました。
 事前に言われていたのは,正面玄関ではなく,緩和病棟の入口までタクシーで来るようにということでした。父が緩和病棟に入院していた頃,僕は見舞いに行くときは正面玄関,というのはたとえば通院のときに使う入口ですが,そこから入って建物の2階に行き,緩和病棟に入棟していました。なのでこの入口がどこにあるのかは知りませんでした。もし分からないのなら正面玄関から入ってもよいとは言われていたのですが,専用の入口からなら車椅子を持って迎えに来てくれるとのことでした。
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加古川青流戦&入院の意向

2018-10-26 19:11:34 | 将棋
 19日に鶴林寺で指された第8回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は梶原宏孝四段が1勝,大橋貴洸四段が0勝。
 加古川市長による振駒で梶原四段の先手となり大橋四段の横歩取り。先手は青野流に構えた後,ひねり飛車模様に組みました。ただこれは手数を掛け過ぎなので,僕にはあまり優秀な作戦とは思えなかったです。
                                     
 5筋の位を取った後手に先手が玉頭を受けたところ。ここで後手は☖7四歩と突きました。これは先手の攻めを催促する意味があり,ここではよい判断だったと思われます。
 先手は☗9四歩☖同歩と突き捨てて☗9三歩と垂らしました。後手は一旦☖8五歩☗同飛とさせてから☖9三香。
 本来はここで☗9二歩と打てなければ攻めは成立していないと思われますが,それには☖7三桂があって間に合いません。よって☗8六飛と引かざるを得ませんでした。
 後手は☖2九歩成☗同銀と成り捨てで形を乱してから☖7五歩。先手も☗2二歩☖同金と形を乱しました。
                                     
 第2図から先手は☗8三歩成☖同金☗9二歩と攻めていったのですが,これが方向違いで決定的な差をつけられることになりました。第1図から2図の途中での☗9二歩が間に合わないなら第2図になればなおのこと間に合わないということでしょう。☗8五桂ならまだ戦えていたようです。
 大橋四段が先勝。第二局は20日の午前に指されました。

 7月15日,日曜日。夕食の後,母は吐き気を感じました。吐き気止めであるドンペリドンが残っていましたので,それを服用したところ,治まったとのことでした。ただこの頃から,入院することも視野に入れなければならないと考えるようになりました。
 7月17日,火曜日。16日が休日でしたので,この日に妹を通所施設に送りました。
 午後1時10分に訪問医の往診があり,そのときに母が入院したいという意向を伝達しました。医師はすぐに手続きをしてくれまして,翌日にみなと赤十字病院の緩和病棟に入院できることになりました。父は最後は緩和病棟で死にましたが,入院したときは消化器内科の一般病棟で,その後に緩和病棟へ移動になっています。これはタイミングというものもあったでしょうが,すぐに緩和病棟に入れると決まったのは,幸いであったといっていいでしょう。
 午後1時半には訪問看護もありました。このときに,翌日から入院するということを看護師にも伝達しました。看護師は母の食事の量が減少傾向にあったので,入院することは考えておいた方がいいとは思っていたものの,時期尚早だと判断していたようです。ただ,母自身が入院を希望するなら,その方がよいであろうと答えました。
 みなと赤十字病院の消化器病棟から退院した日に,訪問医療および訪問看護のための送り状を受け取りました。これと同様のものが,今度は訪問医と訪問看護師から,緩和病棟の医師および看護師に対して必要になります。ただそれはこの時点では用意することができていませんでしたので,この日のうちに医師と看護師が,病院の方へFAXで送付してくれることになりました。この日が,母が家で過ごす最後の夜になったわけです。
 7月18日,水曜日。これまで病院に行くときには,道でタクシーを捕まえていました。ただすぐに見つかるわけではありませんから,待たなければなりません。もう母に待たせるのは気の毒でしたので,タクシーを呼んで近くまで来てもらうつもりでいました。それで朝のうちに配車センターに電話をしたのですが,どういうわけだかどの会社のセンターにも電話が繋がりませんでした。
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新人王戦&裁判員制度

2018-10-25 19:07:05 | 将棋
 17日に指された第49回新人王戦決勝三番勝負第二局。
 藤井聡太七段の先手で角換り相腰掛銀。出口若武奨励会三段がおそらく研究してあったと思われる対応に出ました。よくできたわけではありませんが,悪くもならなかったので,後手の有力な手段のひとつになるかもしれません。
                                     
 後手が3七に歩を打って先手が3八の金を引いた局面。ここで☖4六角と打ちました。
 先手はここでじっくりと考え☗4五角と打ちました。これは飛車取りと同時に☖5六銀の進出を防いでいます。
 ここはターニングポイントのひとつで☖4一飛と逃げるのが有力だったとされています。ただ実戦の☖8四飛もそれで悪くなったという手ではなく,どちらを選択するかで別の将棋に進みますので,善悪を判断するのは難しいような気もします。
 先手は☗4三歩☖5二王としてから☗2三銀成と成り込みました。後手は☖4三金と交わして☗2四成銀。これで一時的に先手の銀得。
 手番を得た後手は☖2八歩☗同飛☖3八歩成☗同飛☖1九角成の手順で香車を入手。馬を作って駒損を少し回復しましたので,ここはまだ難しそうです。先手は☗2八歩と遮断しました。
                                     
 ここで☖3七香を狙って☖4六銀と出たのが敗着で,とにかく馬を活用すべく☖2七歩と打てば難解な局面が続いていたとのこと。後手は駒損を回復するより馬を働かせる方が急務であったということでしょう。
 藤井七段が連勝で優勝。前年度の朝日杯将棋オープン以来となる2度目の棋戦優勝です。

 裁判員制度という制度自体についていえば,僕は基本的に肯定的です。法律の専門家ではない市民が裁判に参加し,被告が有罪か無罪かを合議の上で決議し,また有罪であるならどのような量刑が適当であるのかを同じように合議の上で決定することは,意義があることだと考えるからです。ですから,僕が受け取った手紙というのは,裁判員に選定されたというものではなく,単なる裁判員候補から具体的な裁判の裁判員の候補に選定されたというものではありましたが,制度上の有意義性を認めている僕にとっては,参加したい気持ちの方が強かったのです。
 ただ,この手紙を受け取ったときと同じ状況であれば,物理的に参加することはできません。母にしろ妹にしろ,その状況を見守ることができるのは僕だけであったからです。また,横浜地方裁判所に手続きのために最初に行かなければならない9月6日というのは,木曜日であったのですが,7日の金曜日に妹の本牧脳神経外科の通院が予定されていたため,通所施設に迎えに行かなければならないことが決定していました。地裁へ行かなければならないのは午前中で,迎えに行くのは午後ですから,クリアできる可能性の方が高いのでしょうが,選任の手続きというのにどれほどの時間を要するのかということは,当然ながら未経験でしたから分かりかねました。つまり僕はその日にはすでに母はいない,死んでいるだろうと想定はしていましたが,仮に母に対して何かをする必要がなくなっていたとしても,妹を通所施設なりグループホームなりに任せておけるような日時ではなかったのです。
 こうした事情ですから,無条件に裁判所に行くという返事を出すことはできませんでした。もちろん裁判員候補の中にはいろいろな事情があり,僕のように無条件で参加することができるわけではない人が確実に存在するでしょう。ですからそのような人はその理由を記して,参加の義務を免除する依頼をすることができるようになっています。なので僕もそうした事情について詳しく記し,それを返事として提出しました。提出したというのは裁判所に行ったという意味ではなく,返事の手紙を出したという意味です。
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王座戦&2018年7月の通院

2018-10-23 19:12:32 | 将棋
 16日に六日町温泉で指された第66期王座戦五番勝負第四局。
 中村太地王座の先手で角換り相腰掛銀。先手が穴熊に組もうとしたところで後手の斎藤慎太郎七段から先攻。ただこれは穴熊に組まれると作戦負けになるので仕方なく攻めたという面もああり,先手がリードを奪うことに成功。しかしその後に先手に一失あり,後手がリードを奪い返すという展開に。ポイントが多かった将棋で,僕の棋力では手に負えない難しい将棋でした。
                                     
 後手が7七の銀を歩で取り,先手が6八にいた金でと金を取り返した局面。
 ここは☖7六歩と打つのがよかったかもしれません。その場合,先手から☗4四馬☖同歩とする手が必須となるように思われます。第1図の局面で後手にとって重要だったのは,☗2一飛成を防ぐより4五の馬を排除することだった可能性が高いと思えるのです。
 実戦は☖7六桂と打ちました。ここから☗9九王☖8八銀☗同金☖同桂成☗同飛までは一本道。後手も攻めるなら☖7九銀と絡む一手でそう指されれば先手の☗9七銀もこの一手でしょう。後手はそこで☖7六歩☗7八金と角道を通してから☖8八銀成。さらに☗同銀☖7七桂☗同桂☖同歩成☗同銀と攻め続けました。
 ここで☖2九飛なら後手がリードを保ち続けていたようです。ですが☖7六桂☗6六歩と進めました。
                                     
 第2図から後手は☖2二玉と引いて☗2一飛成を受けたのですが,先手は角の脅威が減少したため,4五の馬を残したまま後手の玉頭に手をつけることが可能になり逆転しました。第2図まで進めてしまったのなら後手は受けるのではなく,☖6六同角から攻め続けるほかなかったようです。
 中村王座が勝って2勝2敗。第五局は30日です。

 この日は病院に到着したのは早く,午後2時過ぎでした。中央検査室には患者がいない状況でしたので,注射針の処理をしたらすぐに採血になり,採尿が最後になりました。まだ時間がありましたから院内のコンビニエンスストアで週刊競馬ブックを買い,それを内分泌科の受付の前のソファに座って読みながら,呼ばれるのを待ちました。診察が開始になったのは午後4時5分です。結局のところ予約が2時半であろうと3時であろうと,遅くなるとこれくらいの時間になってしまうようです。なのでこれ以降は,予約時間に関係なく,午後2時半前後に病院に着くようにすることにしました。
 HbA1cは7.7%と,5月に比べてかなり高くなっていました。ただ,数値がどれくらいになるかはともかく,上昇することは僕には分かっていました。それは血糖値の計測をしているからで,この間,母が入院していた期間,つまり6月上旬は,血糖値がかなり高めで推移していたのです。血糖値の高騰は食事だけでなく,体調といったその他の事情も受けるのですが,ストレス過多であれば高くなるという傾向があり,僕はあまりそのように意識していたわけではなかったのですが,何らかのストレスを感じていたということなのではないかと思います。というか,そのように考えなければほかに説明することができないような血糖値の推移であったのです。
 このような事情を主治医に話し,すでに退院していて血糖値は安定してきているということも伝えましたので,注射するインスリンを増量するという措置はとられませんでした。実際にこの検査で計測された血糖値は85㎎/㎗でした。
 この日はほかにふたつの異常がありました。ひとつは総コレステロールでこれが149㎎/㎗と下限値を下回っていました。これは昨年の7月以来の異常です。ただし下限値は150㎎/㎗なのですから,大した異常であるとはいえません。もうひとつがLDLコレステロールで,こちらも61㎎/㎗で下限値を下回りました。こちらは昨年の11月以来の異常でした。これは下限値が70㎎/㎗ですから,総コレステロールと比較すれば異常の幅は大きかったことになります。
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霧島酒造杯女流王将戦&余命

2018-10-19 19:11:09 | 将棋
 13日に霧島ファクトリーガーデンで指された第40期女流王将戦三番勝負第一局。女流公式戦での対戦成績は里見香奈女流王将が12勝,加藤桃子奨励会初段が6勝。
 振駒で加藤初段の先手になり里見王将のいきなり三間飛車。角交換から互いに角を打ち合った後で飛車交換。さらに打ち合った角も交換という進展。先手が対応しなければならない展開で,実戦的には後手が指しやすいという局面が長かったのではないかと思います。
                                     
 交換した飛車を先手が打った局面。このような手が必要とされていること自体,後手の方に指しやすさがあると僕には思えます。
 後手は☖2五歩☗同飛とずらしてから☖2三歩と受けました。そこで先手は☗7七桂と跳ねたのですが,これはこの一局における先手の数少ないミスのひとつだったと思われます。
 後手から☖5五歩と取り込んでくるのはおそらく先手の読み筋で,☗2四歩と合わせました。後手は☖3三桂☗2六飛としてから☖2四歩と取りました。そこで☗同飛☖2三歩に☗7四飛と回るのが先手の狙い。ここから7六に飛車を引いて7四に歩を打てば先手がよくなります。このために桂馬を跳ねておいたのでしょう。ですが後手の☖2六飛がその狙いを打ち砕く好手でした。
                                     
 これは飛車が引けなくなっている上に逆に☖7六歩と桂馬を狙われる筋が発生しています。先手は☗4六角と打ってそれを阻止したものの☖2九飛成で後手が桂得で龍を作りました。
 ☗5五角☖5三銀☗3四飛に☖6四銀で遊んでいた銀が働き☗3三飛成☖同金☗7四桂☖9二王☗3三角成と進みました。
                                     
 第3図は後手玉が9三にきたとき☗6六馬の王手に☖7五歩と受ける手があるので後手には余裕があります。☖8九角以下鮮やかに寄せ切って先手の勝ちとなりました。
 里見王将が先勝。第二局は今日の対局でした。

 母はこの日の夜もひとりで入浴しました。暑い時期でしたから,入浴すると身体的にも気分的にも爽快になることができたようです。
 6月26日,火曜日。午前10時半に訪問医の診察がありました。母は,あとどれくらいで入院するべきかを尋ねたのですが,訪問医からははっきりとした返事はありませんでした。それはおそらく,まだこの段階では母の余命がどれくらいであるのかということが,医師にとっても判別することができなかったからだと思います。少なくとも自分の力でものを食べることができている間は,心配することはないという話があって,この時点での母は僕が作ったものを食べていたのですから,入院することについて考えるのは時期尚早であるように僕には思えました。
 この日も処方箋が出ました。医師は11時には帰った,というか別の患者の往診に向いましたので,午前中に薬局に行きました。
 この日に処方されたのはフェンタニルパッチとフロセミド,そしてフロセミドと同じ利尿剤のスピロノラクトンでした。フロセミドは朝食後に服用するものでしたが,スピロノラクトンは朝食後と夕食後に服用するものです。母が最初に利尿剤を処方されたのは4月20日にみなと赤十字病院の消化器内科に通院したときですが,そのときに処方されたのがこの二種類でした。
 ただこの日はフェンタニルパッチが1枚だけ足りませんでした。ですからこれらの薬剤はすべて,翌日にまとめて受け取ることにして,代金だけ支払いました。またその後,I歯科に寄って歯科検診の予約を入れておきました。母の状態からして,受けることができそうだと判断したからです。
 午後1時半には訪問看護がありました。この日は初見の看護師がひとりで来訪しました。いつもの検査だけでなく,この日は聴診器を用いた診察も行われました。それらの診察が終わった後で入浴の介助で終了です。
 6月27日,水曜日。前日に予約を入れておいた歯科検診でした。予約は11時半。この日もクリーニングをしただけだったのですが,前回の診察以降,歯間ブラシを使うと左下の歯茎から出血がみられましたので,チェックを要請しました。
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竜王戦&最後の手料理

2018-10-15 19:05:00 | 将棋
 11日と12日にセルリアンタワー能楽堂で指された第31期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績は羽生善治竜王が15勝,広瀬章人八段が8勝。
 文化庁長官による振駒で羽生竜王の先手となり角換り。戦いが始まってから相腰掛銀になりました。ハイライトは熾烈な終盤戦。
                                     
 後手が桂馬を打った局面。ここで☗4一飛☖2九飛のように攻め合うと後手が勝つようです。そこで先手は相手の打ちたいところに打てと☗2九飛と自陣飛車を打ちました。先手は自陣に駒をたくさん打っているのですが,角と金銀の交換で駒得になっていますから,長引けば自然とよくなっていくような局面だと考えていいのではないでしょうか。
 後手は☖7七歩☗7九金の交換を入れてから☖2四飛と打ち返して馬取りを受けました。先手は☗2六飛☖同飛と取ってしまって☗3一角の王手。攻めるなら飛車より角がよいということでしょう。後手は☖4三玉と逃げて先手は☗6四角成と馬を作りました。
 後手は☖2九飛成と反撃。これには☗3九歩。後手は☖4七桂成☗同金直と進めて取った銀を☖2七銀と打ちました。先手は☗6五銀と取り後手は☖3八銀不成。
                                     
 ここで☗5四銀☖3四玉☗4五銀打なら先手が押し切っていました。しかし☗5四馬と取って☖3四玉に☗2六桂☖同龍☗3八歩の順で銀を外したので混戦に。後手の☖3九飛が攻防兼用のぴったりした手でした。
 ☗5九桂の受けに☖3八飛成☗4八銀。そこで☖3五桂と打ったのが厳しい手のようで敗着に。
                                     
 第3図は☗4九銀と埋められて後手に適当な手段がありませんでした。ですから後手は先に☖4九金と打っておくべきで,それならむしろ分のある戦いでした。
 羽生竜王が先勝。第二局は23日と24日です。

 6月15日,金曜日。午後1時40分に訪問看護師が来訪しました。これは12日に来訪したのと同じふたりでした。母が使うことができそうな試供品をいくつか持ってきてくれました。この中に風呂上りに飲用するパック入りの水がありましたが,これは母が気に入りましたので,僕がドラッグストアで買い続けることになりました。正式な契約を交わしたのはこの日で,基本的に火曜日と金曜日に訪問介護を実施することになりました。ただ,訪問看護師は母だけを看護するわけではなく,ほかにも患者がいます。ですから何時に訪問するかは,個別に決定するということになりました。とはいえ基本的には午後1時半でした。
 この日は入浴の介助が行われたのですが,僕は妹を迎えに行かなければなりませんでしたので,訪問看護の最中に出掛けました。僕が帰宅するまでには看護は終って看護師は帰ります。つまり自宅には母がひとりだけということになるのですが,この時期の母はまだひとりで家にいてもとくに心配する必要はない状況でした。母は最終的には希望していた通り,緩和病棟に入院することになるのですが,その入院のときまで,同じような状態であり続けたと考えてもらって構いません。ただそのときには伯母が来日していましたので,実際に母がひとりで家にいるという状況は発生しなくなっていました。
 この日は妹を連れて帰ったとき,夕食の支度がしてありました。母が家族の夕食の支度をしたのはこの日が最後です。僕はともかく妹には最後にもう1度だけ手料理を振舞いたいという思いが母にはあったようです。
 6月16日,土曜日。母の学生時代の同級生がふたり来訪し,1時間半ほど母と話をして帰りました。これはもちろん母が自身の状況を伝え,来てもらったものです。
 6月17日,日曜日。ピアノのレッスンがありました。この週は金曜日に先生から電話があり,午後3時の開始となっています。
 6月18日,月曜日。妹を通所施設に送りました。そして午前11時45分に訪問医の来訪がありました。訪問医は往診時には僕がいる必要があるという見解でした。この時間なら間に合うのは確実だったのです。
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新人王戦&常備薬

2018-10-13 18:58:09 | 将棋
 10日に指された第49回新人王戦決勝三番勝負第一局。藤井聡太七段と出口若武奨励会三段は公式戦では初対局。
 振駒で出口三段の先手となり相掛かり。先に後手の藤井七段が飛車先を交換する手順から先手の浮き飛車,後手の引き飛車になりました。先手が腰掛銀進出させて歩得を果たしたところで後手が反撃。後手の香得の分かれに進みましたので,そこで後手がリードしていたかもしれません。
                                   
 先手が歩を突いた局面。後手の☖7七歩成はこの一手でしょう。先手は☗4三歩成。これに対して☖同王はおそらく最善の応手だったと思います。先手はそこで☗7七金とと金を払いました。後手も☖4四歩と香取りを受けました。
 ここで☗4五歩と合わせていきましたが,歩はたくさん持っているので先に☗4二歩と打っておくのは有力だったように思えます。後手は☖5二王と早逃げしました。
 先手は☗4四歩と取り込んで後手は☖4六香。ここでは☗3二桂成から攻め合えなければいけないと思われますが無理だったようで☗4三歩成☖同金に☗4七歩と受けました。
                                   
 これは香取りではありますが先手とまではいえません。ここで手番を渡してしまうのでは,はっきりとした差がついているといえそうです。
 藤井七段が先勝。第二局は17日です。

 訪問看護師からはケアマネージャーについてはやはり決めた方がよいのではないかという話がありました。決めることができればそうしましたが,結果的にいえば見つからなかったので,母は最後までケアマネージャーをつけることはありませんでした。
 訪問医は処方箋を出しました。主に常備薬として家に置いておくものです。座薬がほとんどで,ほかにすでに母が服用していたオプソ内服液が飲み薬として処方されていました。処方箋はこの後で僕が薬局に持っていったのですが,常備薬のひとつであったアンペック坐剤は麻薬であったため,取り寄せが必要でした。ですからそれが用意できた後で,ほかの薬もまとめて入手することにし,この日は代金だけを支払って帰りました。
 伯母はいませんから,ここからは家でほぼ僕と母のふたりでの生活に突入しました。後にまた伯母が来日するのですが,それまではふたりだけだったのです。この間,母は洗濯機を回して洗い終わった洗濯物を籠に入れておくことと,僕が取り込んだ洗濯物を畳むということはずっと続けました。以前はこれに夕食の支度がプラスされていたのですが,これはもうできなかったので,僕が僕と母のふたり分,妹が滞在しているときには妹のも合わせて3人分の夕食を作ることになりました。僕は最後に母とこのような時間をもつことができたのはとても幸せなことであったと思っています。僕にしろ妹にしろ母がいなければ育つということはなかったわけです。それからすればごく些細なことだし,また短い時間ではありましたが,最後に少しだけ恩を返すことができたように思えるからです。
 6月13日,水曜日。午前11時5分に薬局から電話がありました。これは前日に処方された薬剤のすべてが揃ったという連絡でした。ただ,この日はこの後で,介護用ベッドの業者の社員が来訪し,母に使い心地を聞きに来ることになっていました。これが午後1時で,それまでに薬を取りにいくことは時間的にいえば可能でしたが,後回しにしました。母の状態はそれをすぐに入手しなければならないようなものではなかったのです。
 業者の方が来訪されたのは午後1時10分でした。
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王座戦&後悔への対処

2018-10-03 19:07:31 | 将棋
 仙台で指された昨日の第66期王座戦五番勝負第三局。
 斎藤慎太郎七段の先手で,矢倉の出だしでしたが中村太地王座が2筋の歩の交換を許す指し方にしたため,相掛かりに近似した相居飛車の力戦に進みました。先手が棒銀から速攻に出ましたが,やや攻め過ぎがあったようで,厳密にはそこで差がついた一局だったようです。
                                     
 先手が8七に歩を打って後手が8六の飛車を引いた局面。直前に2三に歩を打ったのが攻め過ぎの手だったようです。
 先手がここで☗7五銀と出たので☖8八角成☗8四銀☖4四馬の飛車角交換になりました。ふたつの銀が当たりになっていますから☗7三銀成☖同桂とこちらの銀は交換してから☗2四飛と浮いて守りました。ここで☖2一歩と受けるのは仕方ないところ。
 先手は☗8一飛と打ち込み☖7一歩に☗9一飛成と先に香車を取りましたが後手も☖9九馬と取り返しました。
                                     
 先手から大捌きに出たのでここで☗4六香と先に打って攻め合えなければいけないのですが,これは後で☖1五角と打たれる筋があって無理なのだそうです。なので単に☗7七桂と跳ねましたが☖5四香☗5八香と打たされ,さらに☖8九角☗7九銀☖7八角成☗同銀☖8八馬と快調に攻め込まれました。
                                     
 ここで☗6六角が一石二鳥のような手なのですが,後手に☖7八馬とされ,この攻め合いは後手に分がありました。
 中村王座が勝って1勝2敗。第四局は16日です。

 現状の苦境がAという指し手によるものであったと判断される場合,他面からいえば,Aという指し手が現在の苦境の原因であるとみなされる場合には,Aとは別の選択肢であったBという手はAよりも高く評価されやすくなります。しかしその評価が正当な評価であるかは分かりません。むしろBを選んでいれば,Aを選んだために招いている現在の苦境よりも一層の苦境を招いていたかもしれないのです。ところが人間は苦境に立たされている場合,いい換えれば悲しみtristitiaを感じている場合には,そのような認識cognitioをもつことが難しくなるのです。
 このために,Bを選んでいればこのような苦境には至らなかったというような後悔が発生しやすいのであり,Aを選んだからこの程度の苦境ですんでいて,もしBを選んでいればもっとひどい苦境に立たされていただろうとは認識しにくいのです。これが,悲しみを感じているのが現実である場合,起こっていなかったことに対しては人間は楽観的に評価すると僕がいったことの具体的な意味です。つまり人間はある選択のゆえに悲しみを感じたというように認識し,かつその選択とは別の選択があったと認識した場合には,別の選択肢については楽観的になるのです。その別の選択肢によってもっと大きな悲しみを感じただろうというように,その選択肢について悲観的になることは稀であるといってもいいくらいかもしれません。
 第三部諸感情の定義二七が示すように,後悔は悲しみの一種です。この悲しみを忌避するために起こらなかったことに対して楽観的になるのですが,その楽観は楽観視されている事柄に対して正当な評価であるかは分かりません。むしろ起こったことが悲しみを齎したがゆえに,起こらなかったことを過大に評価しているだけなのかもしれません。そしてこのことを弁えておけば,後悔という感情affectusに対しても僕たちはうまく対処する方法を発見することができるでしょう。すなわち,確かに自分は後悔しているけれども,現に選択したことを選択したがゆえにこの程度の後悔ですんでいるのであり,別の選択をしていれば,もっと大きな後悔に襲われたかもしれないというように考えることがそれです。
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大山名人杯倉敷藤花戦&第三部定理三六

2018-09-29 18:58:28 | 将棋
 昨日の第26期倉敷藤花戦挑戦者決定戦。対戦成績は中村真梨花女流三段が1勝,谷口由紀女流二段が10勝。谷口二段の10勝のうちひとつは不戦勝です。
 振駒で中村三段の先手。後手となった谷口二段の三間飛車に先手の向飛車という相振飛車になりました。
 この将棋はたぶん先手が早くに形を決めてしまったため6筋方面で後手に動かれ,手損をしてしまったのが響いたのだと思います。
                                    
 互いに端歩を突き合った局面。先手の3九の銀は,2八に上がったのを,盤面の左側での動きに対応するために引いたものです。
 先手はここでまた☗2八銀と上がりました。このときに☖2四歩と突いたのがよい牽制の一手。先手は銀を上がった目的を達成するために☗2六歩と突いて銀冠を目指したのですが☖2五歩☗同歩☖2六歩と垂らされました。
                                    
 この垂れ歩が強力で,これ以降は終局までずっと後手がリードしていたのではないかと思います。先手は第1図から銀冠を目指そうとするのは無理で,銀冠を目指すのであれば銀は2八のままで引かずに対応するほかなかったのではないでしょうか。
 谷口二段が挑戦者に一昨年以来の三番勝負出場。第一局は11月6日です。

 退院決定は病院から強要されたわけでなく,少なからず母の意向も介在しています。これはフェンタニルパッチの効果で疼痛に襲われる頻度も強度も低下したため,家で生活することができると母が判断できたためでしょう。
 母はつい先日は家で生活するのは辛いので入院したいという希望を有し,入院して少し楽になったら家で生活したいという希望を有するようになったわけです。人によってはこう短期間に希望が変わるのを我儘であると感じるかもしれません。ですが僕の考えでいえば,これは人間の現実的本性actualis essentiaに実に適合した変化なのです。単純にいえば,人は家にいるときには病院の方がいいと思い,逆に病院にいる場合には家の方がよいと思うようにできているのです。
 『エチカ』にはこのことをそのまま示したような定理Propositioは残念ながらありません。しかし似たようなニュアンスのことをいっている定理はあります。それは第三部定理三六です。
 「かつて享楽したものを想起する人は,最初にそれを享楽したと同じ事情のもとにそれを所有しようと欲する」。
 僕たちがかつて何らかの喜びlaetitiaを感じていたとします。そのとき,その喜びと同時に表象されたものは,第三部定理一五によって喜びの原因であるとみなされるようになります。これはそのものが本当に喜びの原因であるのかないのかということとは関係ありません。第三部定理二八は,僕たちに喜びを齎すと表象するimaginariものについては,そのすべてを実現しようとするコナトゥスconatusが働くという主旨のことをいっています。このために,かつて何かによって喜びを感じた人間は,その喜びを想起する場合には,その喜びと共に表象されたすべてのものを実現しようとするコナトゥスが働くことになるのです。第三部定理七は,このコナトゥスこそ現実的本性であるといっていますから,第三部定理三六でいわれていることは,僕たちの現実的本性によって僕たちに生じるということになります。
 僕たちが何かを想起するとき,その想起されたものは,表象の種類でいえば知覚の対象,すなわち現にあると表象される場合もあれば,そうでない場合もあります。ここではそうでない場合が重要です。
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王位戦&退院決定

2018-09-28 18:55:00 | 将棋
 一昨日,昨日と千代田区で指された第59期王位戦七番勝負第七局。
 振駒で豊島将之棋聖の先手。菅井竜也王位の角道オープン四間飛車から相穴熊に。先手は序盤にかなり手損をしたのですが,中盤は後手がひとり千日手のような指し回しになり,先手だけが銀冠穴熊に組むことに成功。序盤の手損は周到な作戦で,うまくいったのではないでしょうか。
                                     
 後手が6三にいた銀を引いた局面。ここは☗6六歩と打っておくのが穏当な指し方ですが,先手は☗6六銀と出ました。
 これは思い切った手です。なぜなら後手は☖6二飛と回るのが狙いでそれには☗6五歩と打つほかありません。このときにやや働きの悪い金を☖5四金と使う手があり,次の☖6五金を防ぐには☗7七桂と跳ねるほかないからです。
                                     
 穴熊の桂馬を跳ねるのは玉を弱くするのでとても指しにくいところ。それでもこう進めたのは,歩を打つのではなく銀を使うという不退転の決意のようなものが感じられます。この将棋は後手が途中から悲観的になってしまったようですが,実際には終盤で先手が飛車を取るところまで難しかったと思われます。穴熊の桂馬を跳ねた先手の気迫に後手が押されてしまったような将棋という印象が残りました。
 4勝3敗で豊島棋聖が王位を奪取。7月に棋聖を初タイトルとして獲得したばかりで早くも通算で2期目のタイトルとなりました。

 6月4日,月曜日。妹を通所の作業所に送って行きました。この日は妹のグループホームの責任者,すなわち3月まで妹の担当者であったSさんがいました。僕はSさんから,母に1度だけでも会っておきたいという希望を伝えられました。母は見学のために通所施設とグループホームに行っていますが,そのときはSさんはいなかったのです。現状は入院していて,退院してくる可能性の方が高くなりつつありましたが,元々はそのまま緩和病棟に入る可能性もあったわけで,そうならないとも限りません。ですから会うとなれば病院に来てもらうのがよいように思えました。ただ,Sさんと母は会ったことがないですから,Sさんがひとりで行くというわけにはいかず,僕が仲介するような形でなければなりません。なのでSさんは僕に打診をしてきたのです。この日は都合を合わせることができませんでしたので,水曜の夜に電話で具体的な日程を決定することになりました。
 伯母はこの日に帰国しました。僕が妹を送っている間に家を出ています。午後は母の見舞いに行きました。
 6月5日,火曜日。この日も午後に見舞いに行きましたが,12日に退院するということが決定したと母に伝えられました。退院後の家での生活のための準備が必要となったわけですが,相談員はまだ来ていないとのことでした。
 6月6日,水曜日。母がフェンタニルパッチを使用し始めたのは3日の日曜でしたから,この日が最初の貼り換えの日でした。母はワンデュロパッチは家でひとりで貼り換えていましたが,現状は入院しているので,看護師が貼り換えてくれます。ただ,母は入浴前に剥がし入浴後に貼るというパターンでしたが,病院では作業の都合があり,午後2時に貼り換えるということになっていました。母はこのパッチを使用し続けることになるのですが,この時間は家でも変わることはありませんでした。また,これはワンデュロパッチより大きく薄いものでしたから,とても貼りにくくはあったのですが,基本的に母は自分でやり続けました。僕は手伝うことはありましたが,きちんと貼れているかどうかを最後に確認するだけというケースがほとんどでした。
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