スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&悪の認識

2007-12-31 19:07:17 | 地方競馬
 南関東の競馬は,12月29日に東京大賞典,30日に東京2歳優駿牝馬という日程でこのところはずっと推移してきました。しかし今年からは東京シンデレラマイルが新設され,それが30日の施行。ということで東京2歳優駿牝馬は大晦日に移行されました。
 連勝中だったボンキュッボンの逃げ。これをトミノプラネットが追い,ミスガイア,カクテルラウンジという隊列。前半の800メートルは50秒3で,ミドルペースの競馬。
 レースを動かしたのはマダムルコントで,向正面で上がっていくと,ボンキュッボンは下がり,先頭に立ったトミノプラネットに並び掛けます。追いかけてきたのはブライズメイトで,4コーナーではこの3頭と後ろが一旦は離れました。
 直線に入るとトミノプラネットはあっさりとギブアップ。マダムルコントとブライズメイトが2頭で後ろを離して叩き合いましたが,マダムルコントガ凌いで優勝。ブライズメイトが2着。トミノプラネットが大きくばてたので,一旦は離されたカクテルラウンジが3着に入っています。
 優勝したマダムルコントはローレル賞からの南関東重賞連勝。町田直希騎手もローレル賞以来の南関東重賞制覇。転入初戦の前走で14キロ減っていた体重が今日も6キロ減って懸念されましたが,確かな能力に加え,豊かな勝負根性で克服したという印象のレースでした。おそらくレースに行って手加減せずに目一杯走るタイプの馬で,間隔を少し開けたローテーションもよかったのではないでしょうか。こういうタイプの馬は,体重は軽い方が,自身に掛かる負担は軽減できるということはあるかもしれません。

 人間にとって不利益というのがこのようなものであるということは,人間にとっての一般的な悪の認識について,ある重要な点を帰結させます。
 不利益とは,人間の実在性を低下させるものに対していわれます。そこでここでは最も単純に,人間に対して害悪をもたらすような,あるウイルスを例にとって考えてみます。
 このウイルスに感染することによって,人間の健康が損なわれると仮定します。つまり病気になるということです。これは明らかに人間の実在性が低下する現象であるといっていいと思います。したがってこれは人間にとっての不利益であり,このウイルスは悪であると認識されることになるでしょう。
 しかしこのことはあくまでも一般的な意味であるにすぎません。というのは,実在性あるいは完全性の低下というのは,あくまでも現実的に存在するといわれるような仕方で存在する個々の人間にとって考えられなければならないものであるということが,第三部定理七によって明らかにされているからです。そこでもしもこのウイルスに対する抗体をすでに自分自身の体内に有しているような人間は,このウイルスによって自身の実在性が低下するということはありません。よってこの人間にとっては,このウイルスは不利益なものではなく,したがってそれを悪であるとは認識しないということになります。
 つまり,あるものを悪であると認識するかどうかということは,何ら普遍的なことではないのです。それは人によって異なることはもちろん,同じ人間のうちでも場合によって異なることすらあるわけです。よってこのように悪の概念を考えるスピノザの哲学においては,普遍的に悪であるものなどは一切存在しないことになります。そして当然のことですが,同様に普遍的に善であるものまた,存在しないということになります。これはひとつ,スピノザの哲学における善悪の考え方として,大きな特徴であるといえると思います。
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競輪グランプリ&不利益

2007-12-30 22:53:11 | 競輪
 その年のベストナインが一発勝負で覇を競う12月30日恒例の競輪グランプリ。今年の舞台は立川競輪場でした。
 前受けとなったのは佐藤選手。小嶋選手が3番手に入り,手島選手が5番手。山崎選手が7番手からの周回。山崎選手は残り3周のバックから上昇を開始。しかし前まではいかずにずっと小嶋選手の外を併走,打鐘のあたりでようやく前を叩きに出ました。佐藤選手も一旦は抵抗する構えをみせましたが,ホームに入ると引いて4番手,山崎選手の先行になりました。ここで外から手島選手と小嶋選手が発進。勢いは小嶋選手でしたが,絡む形となり渡辺選手が離れ,手島選手が追いましたがこれも離れ気味。単騎での捲りとなった小嶋選手のスピードがよく,バックでは捲りきりましたが,伏見選手がスムーズにスイッチ。直線から踏み込むとゴール前で粘る小嶋選手を捕えて伏見選手が優勝。小嶋選手が2着で,伏見選手追走の飯嶋選手が3着に入っています。
 優勝した福島の伏見俊昭選手はグランプリは2001年以来,2度目の制覇。ビッグは2004年の日本選手権以来。今年は福井記念に優勝しただけですが,競輪祭オールスターでともに2着するなど,賞金を加算してここに出走していました。山崎選手がうまく先行したのが最大の勝因。小嶋選手の後ろが離れたのは幸いしましたが,番手としてのレースというのにもだいぶ慣れてきているようです。
 惜しかったのは小嶋選手。しかし今日も山崎選手を捲りきってはいますので,来年以降も,強力な北日本勢に対抗していくのは,まずこの選手になりそうです。骨折の影響はもうまったくないとみていいのではないでしょうか。

 明日は大井で東京2歳優駿牝馬。一応はマダムルコント◎とトミノプラネット○ですが,リモーナフレイバー▲,ハイブラウグレース△,ブライズメイト△,カクテルラウンジ△と手広く。

 ここでは第三部定理七を,悪の定義である第四部定義二において,不利益とは何かということを依拠するための定理として取り上げています。そこでこの第三部定理七の意味から,一般的に人間にとって不利益とは何であるかということを考えてみます。
 人間が現実的に存在する場合には,どの人間も,自分自身の実在性すなわち完全性を維持する傾向を有します。そこで単純にいえば,自分自身の実在性を維持することは,現実に存在する人間にとって利益であることになります。そしてここでは利益に反することをすべて不利益であると考えているわけですから,もし自分自身の実在性あるいは完全性を維持するのに反すること,つまり,自分自身の実在性を低下させるようなことは不利益であるということになるでしょう。ところで悪とは,不利益の認識のことですから,この場合には,自分自身の完全性が低下することの認識が,一般的な意味における,人間にとっての悪であるということになります。
 もちろんこれは最も単純な意味における悪です。実際には人間にとっての悪の認識とは,そうした現象に対する認識というよりは,もっとはっきりとしたある対象に対しての認識であるといえるでしょう。しかしそうした認識についてもまた,こうした推論を少し発展させることで導くことができるといえます。すなわち,たとえばXがあって,このXによって自分自身の実在性が低下すると認識するとき,この人間はXそのものを悪とみなすということになるわけです。
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東京大賞典&第三部定理七の意味

2007-12-29 20:12:16 | 地方競馬
 競馬の一年を締め括る大レースといえば第53回東京大賞典です。
 逃げたのはシーキングザダイヤ。これをベルモントストームが追い,外にフリオーソ,内にトップサバトンで,ヴァーミリアンはその後ろ。前半の1000メートルは61秒6。不良馬場でのレースとなったことを考えれば,スローペースといっていいかもしれません。道中での動きもなかったので,前にいった馬には楽なレースだったと思います。
 3コーナーを過ぎたところからフリオーソが外を進出。直線の入口ではシーキングザダイヤを交わして先頭に。しかしこれをマークするように上がってきたヴァーミリアンの手応えも楽。直線ではあっさりとフリオーソを交わしさって,4馬身の差をつける快勝となりました。2着にフリオーソ。脚質的に後ろからのレースとなったメイショウトウコンが,さらに5馬身離されたものの3着を確保。きわめて順当な決着となりました。
 優勝したヴァーミリアンは前々走のJBCクラシック,前走のジャパンカップダートに続いて3連勝で大レース4勝目。武豊騎手,栗東の石坂正調教師もジャパンカップダート以来の大レース優勝。馬名の意味は朱色。父はエルコンドルパサー。母系はスカーレットインクの一族。現役ダート最強馬らしい大きく差をつけての圧勝。地方の不良馬場を問題なく克服したのはひとつの成果で,来年以降もこの勢いはまだ続いていきそうです。

 明日は立川でいよいよ競輪グランプリ。北日本が分かれての並びで,佐藤には有坂,山崎に伏見で,飯嶋はここ追走。手島ー兵藤の群馬で,小嶋には渡辺。僕は伏見選手。

 大井では東京シンデレラマイル。斤量差が気にはなりますが,パフオペディラム◎とベルモントノーヴァ○。トキノミスオース▲,オリビアフォンテン△,エンタノメガミ△で。

 それでは第三部定理七を,人間に妥当する定理Propositioと考えた場合のここでの意味を,もう少し詳しく検討しておくことにします。
 まず,人間が自己の有に固執するin suo esse perseverare conatur,ということについては,自身の存在existentiaを維持するというように理解します。いい換えれば,人間は自分自身の実在性realitasを維持しあるいはその低下を防ぐということになります。なお,第二部定義六により,『エチカ』においては事物の実在性と完全性perfectioは同一ですので、これは自身の完全性を維持するといっても同じことです。
 次に,固執する努力ということについては,これを意図的なものとは理解しません。むしろ自身の実在性あるいは完全性を維持しようとすることは,人間自身が本性的に有しているような傾向であると考えます。また,この努力というのはこのように理解しなければならないものであると僕は考えています。
 最後に,現実的本性actualem essentiamですが,これはいわゆる人間の本性humana natura,natura humanaとは異なります。もっともそれは,第三部定理七が,実際には人間だけではなく,すべてのものに妥当であるということから明らかであるといえるでしょう。そこでこれは,人間が個物res singularisとして現実的に存在する場合に備わっている性質と考えます。というか,個物が現実的に存在するといわれる場合に,すべての個物に備わっている傾向というように理解するわけです。
 したがって,全体的には次のような意味になります。もしも人間が個物として自然のうちに実在する場合には,どんな人間も,自身の実在性あるいは完全性を維持する傾向を有する。
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テレビ埼玉杯&第三部定理七

2007-12-28 19:00:18 | 地方競馬
 南関東はすでに来年の開催の日程が発表されています。それによれば,来年からはテレビ埼玉杯は,別の名称で行われることになるようです。したがいまして第18回テレビ埼玉杯という名称で行われる南関東重賞は,どうやら一昨日のレースが最後になりそうです。
 ナイキアディライトのハナを叩いていく馬がいるかどうかがひとつの焦点でしたが,やはりスピードの違いというのもあるのでしょう。わりとすんなりナイキアディライトの逃げとなりました。外にナイトスクール,内にブルーローレンス,さらにシルヴァーゼットが続きました。前半の600メートルは35秒5.ハイペースですがこれくらいであれば問題ありません。
 シルヴァーゼットが先に動き,4コーナー手前では外からナイキアディライトに並びかけました。ナイトスクールは下がって,外に出したブルーローレンスが追いかけてきて3頭の競馬。今までの南関東重賞のように楽勝とはいきませんでしたが,ナイキアディライトが一杯に逃げ切って優勝。ブルーローレンスがシルヴァーゼットを捕えて2着。シルヴァーゼットが3着で,きわめて順当な結果になりました。
 優勝したナイキアディライトは10月の日本テレビ盃以来の南関東重賞優勝。力量上位で勝って当然。それを考えればむしろ辛勝という感じです。ただ,逃げ馬ですので,途中で息を入れられる,もう少し長い距離の方が、鮮やかに勝てるということなのでしょう。内田博幸騎手は11月は南関東重賞を勝てず,10月の埼玉新聞杯以来の南関東重賞制覇となりました。

 明日は大井で東京大賞典。ここはヴァーミリアン◎が負けられないところ。フリオーソ○,アンパサンド△,メイショウトウコン△,トップサバトン△,ブルーコンコルド△,シーキングザダイヤ△。

 立川ではヤンググランプリ。並びは菊地ー明田の北海道,新田ー飯野の福島,松田ー志村の関東,坂本ー小川ー松岡の九州。ここは菊地選手。

 第四部定義二はここではこのように理解するわけですが,自分にとって不利益になると認識する場合に,不利益とはそもそも何であるのかということの根拠を示しておく必要があります。というのは,第一部公理三により,僕たちがある事柄,たとえばXについて,それが自分にとって不利益である,あるいは不利益になると認識する場合,そのXをそのように不利益になると認識する何らかの原因があるわけです。そこで何をもって僕たちがあるものを自分にとって不利益なものであると認識するかを,ある一般的な仕方で示しておかなければ,人間にとって不利益なものの認識cognitioというのを,一般的な仕方で考察することはできないからです。
 スピノザはこのとき,これを第三部定理七に依拠して説明しているといっていいと思います。それは次の定理Propositioです。
 「おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない(Conatus, quo unaquaeque res in suo esse perseverare conatur, nihil est praeter ipsius rei actualem essentiam.)」。
 この定理の証明Demonstratioは感情論とは無関係ですのでここでは割愛します。それから,この定理はおおよそ自然のうちに実在するすべてのものに妥当する定理ですが,今は,人間による不利益の認識だけが問題となっていて,その根拠をここに求めています。したがってここでは,単にこの定理が人間に妥当するものという解釈を採用します。これは,すべてのものに妥当するならば,人間にも妥当するのは当然であるといえますから問題ないでしょう。よって,ここでは,人間が自分自身の有に固執するということは,人間が現実的に実在する場合に,どんな人間にも妥当する現実的な本性である,というのがとりあえずのこの定理のここでの解釈上の意味であるということになります。
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棋王戦&第四部定義二

2007-12-27 19:43:20 | 将棋
 棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。ここまでの対戦成績は,羽生善治二冠が9勝,阿部隆八段が4勝でした。
振駒で阿部八段の先手。羽生二冠の作戦は△9四歩型の一手損角換り。9筋の位を取ってから14手目に△2二飛と回るダイレクト向飛車に。戦型としては竜王戦第四局と同じです。
 先手は17手目に▲6五角。渡辺竜王は避けた形ですが,本来ならこう打つべきところと思います(感想戦によると阿部八段はこの後の△7四歩を軽視していたそうです。しかしこの手は前述の竜王戦の際に,こういう形ではある手といわれていた,僕でも知っている手ですので不可解な気がします)。乱戦になるかと思いきや持久戦に。
 40手目の△5四角は勝負手のように思えますがまだ本格的な戦いにはならず。先手は陣形をかなり乱されましたがリフォーム。66手目に後手が△4四銀と出てようやく戦いに。この間,60手目の△1四歩~△1三桂は個人的に謎の手順です(阿部八段によれば△1四歩の後の▲8七歩が敗着だそうです。この将棋の感想戦は驚くことばかりです)。
 68手目の△4五同飛の局面から観戦。先手は金を繰り出し73手目に▲4三歩と焦点の歩を打ちましたが,ここはぼんやり▲4四歩も有力だったと思います。
 先手は抑えこむ方針だったと思うのですが80手目に△4四飛と走られて後手に捌かれました。85手目の▲5九馬もここに至っては仕方なかったかもしれませんが負けを早めた感じ。阿部八段は諦めの早いタイプということもあり,ここではもうダメと思っていたのでしょう(羽生二冠はインタビューで,ここで△5八銀が打てたので分かりやすくなったといっています)。90手目の△6九成銀を見て先手の投了。羽生二冠が佐藤康光棋王への挑戦を決めました。投了以下,取れば王手飛車ですので▲8八玉しかありませんが△4八飛成が詰めろですので一手一手。投了は致し方ないところです。 棋王戦は五番勝負。第一局は2月13日に指されます。
 
 これで理性ratioに関係する話も終りにします。そこで第四部定理五〇を理解するためにあと必要なのは,悪malumというのが一般にどういうことを意味するのかということになります。そこで悪の定義である第四部定義二をみておくことにします。
 「これに反して,悪とは,我々がある善を所有するのに妨げとなることを我々が確知するもの,と解する」。
 以前にも紹介したように,この定義は,善bonumの定義である第四部定義一とふたつでセットであるといえます。実際,これに反して,とか,あるいは善ということばが悪の定義の中に出てくるわけですから,実際のところは第四部定義一を知っていなければ第四部定義二を理解することは不可能であるといってもいいかと思います。ただ,現状は悪の何たるかだけを知ることができれば十分ですので,ここでは第四部定義二の方だけを主に取り扱います。
 さて,善の定義である第四部定義一に比べますと,悪の定義である第四部定義二の方は,これに反してといわれているにも関わらず,やや消極的に定義されているといえます。というのは,善が自分にとって有益であると自分が認識するものといわれているのに対して,悪は,自分にとって不利益であると自分が認識するものとはいわれずに,自分の善にとって妨げとなると認識されるものといわれているからです。ただし,ここではとくにそのことにはこだわらず,有益な事柄を妨害するものはすべて不利益なものであると考え,人間が自分自身にとって不利益であると認識するすべてのものは悪である,というようにこの定義を理解することとします。
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兵庫ゴールドトロフィー&人間以外への憐憫

2007-12-26 19:52:54 | 地方競馬
 ハンデが結果にどういう影響をもたらすかが注目だった第7回兵庫ゴールドトロフィー
 キングスゾーンが逃げて2番手にアグネスジェダイ。プリサイスマシーンが3番手で内にメイショウバトラー,外にリミットレスビッドと有力馬が前でのレースになりました。
 3コーナー手前,アグネスジェダイが先頭に出るとキングスゾーンは抵抗できずに後退。プリサイスマシーンとリミットレスビッドが外から追いかけ,メイショウバトラーはこれらの後ろでまだ控えました。
 直線,アグネスジェダイを交わしてプリサイスマシーンが先頭に立つと,さらに外からリミットレスビッドが交わして優勝。一旦は控える形になったメイショウバトラーが,ゴール前で鋭く伸びたものの,プリサイスマシーンには届かず,プリサイスマシーンが2着,メイショウバトラーが3着でした。結局ハンデには関係なく,実力上位の馬による決着となっています。
 優勝したリミットレスビッドは10月の東京盃以来の勝利。重賞はこれが7勝目で,このレースも昨年に続く連覇。どういう基準でハンデがつけられたのか分かりませんが,ここは59.5キロのトップハンデ。これは明らかに不利と思えますので立派です。冬場は強いタイプ。もうすぐ9歳になるわけですが,極端な衰えというのもないようです。

 明日は棋王戦挑戦者決定戦です。棋王戦は敗者復活制度があり,これは変則二番勝負。勝者組の羽生善治二冠が勝てばすんなり挑戦,敗者組の阿部隆八段が勝ちますと,年明けにもう一局ということになります。

 理性というのを,人間が人間の本性に従って事物を認識することであると前提しますと,憐憫という感情に関して,次のような別の問題が生じてきます。そこでこれについてあらかじめ弁明しておきます。
 人間が三角形に対して憐憫の感情を抱くということは,まあ絶対といっていいほどないだろうと思います。ですので,これに関しては憐憫という感情の対象から捨象してしまっても問題はないだろうと思います。しかし,人間が憐憫の感情を抱く対象が人間だけであるかといえば,これは必ずしもそうではありません。むしろ人間のうちには,人間以外への憐憫の感情というのも生じるだろうと思います。
 たとえば僕の趣味のひとつに競馬があります。そこで僕が馬に対して憐憫の感情を抱くことがないかといわれれば,それは絶対にないとは僕には答えられません。同様に,僕は飼っていませんが,ペットを飼っている人が,そのペットに対して憐憫の情を抱くということは,むしろよくあることなのではないかと思います。
 ここでの考察では,こうした憐憫に関しては除外されてしまいます。しかしそれは,ここでは理性というのを人間が人間だけに共通の概念によって認識することと仮定しているからです。そこでもしも理性というものを,人間と馬,あるいは人間とペットに共通の概念と考えるならば,それが除外されることはありません。したがって,ここではあくまでも人間の人間に対する憐憫のみを考察していきますが,理性というものが意味する範囲を変更することによって,これから考察していく手続きと同様の手続きで,一般に,あらゆる対象への憐憫という感情についても,導かれる事柄は妥当であるということになります。
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久留米記念&人間の本性

2007-12-25 19:57:14 | 競輪
 今年最後の記念競輪となる久留米記念は,昨日,決勝(動画)が争われました。
 中川選手の前受けで,3番手に栗田選手,5番手に武田選手,8番手から三宅選手の周回。残り2周のバックで武田選手が上昇し,中川選手を抑え,一旦ペースを落としました。後方となった栗田選手がホームから発進すると,武田選手も突っ張ります。バックで太田選手がうまくブロックし栗田選手は後退。これを見て,中川選手との争いを制して4番手を確保した三宅選手が捲り発進しますが,浮いた栗田選手の影響を受け前に出られず,また中川選手は不発で前の争いに。番手から武田選手を交わした太田選手が優勝。武田選手が2着で広川選手が3着と,関東勢の上位独占が決まりました。
 優勝した埼玉の太田真一選手は,1999年には競輪グランプリ,2003年には寛仁親王牌を制している選手。福島の伏見俊昭選手と同期で,いいライバル関係にあったのですが,それ以降は低迷。記念競輪も2004年の大宮記念以来の優勝。今日は武田選手の番手を無風で回ってこられたのが一番の勝因といえますが,まだ老け込むには早い筈で,何とかもう一花を咲かせてほしい選手です。

 明日は園田で兵庫ゴールドトロフィー。ハンデを考慮してキングスゾーン◎が中心。リミットレスビッド○,メイショウバトラー▲,プリサイスマシーン△,アグネスジェダイ△の順で。

 浦和ではテレビ埼玉杯。ここはナイキアディライト◎が中心で,相手もブルーローレンス○。ほかではシルヴァーゼット△,ナイトスクール△,モエレフェニックス△,フォースキック△。

 この共通概念の一般性の問題は,単に理性に関係するだけでなく,第四部定理五〇の今後の証明の仮定にも実は関係してきますので,もう少し,ここでの扱い方を詳しく説明しておきます。
 ある人間が,人間だけに共通の概念,すなわちこれは第二部定義二からして,人間の本性ということになるのですが,この人間の本性に依拠して事物を認識する限りでは,人間のほかの人間に対する憐憫という感情は,単に悪であるというだけでなく,無用であるということになります。これがここでこれから考察を続けていく上での大前提となります。したがって,第四部定理五〇でいう理性というのは,この意味においては,単に人間が十全な観念に依拠して事物を認識するということではなく,人間が,人間に共通する本性によって事物を認識する場合という,少し狭い意味になるわけです。なお,人間が人間に共通の本性を十全に認識し得ることは,人間が人間と関係をもつことによって可能です。これは第二部定理三九から論証されるべき事柄ですが,この定理は第二部定理三八と同じ手続きで証明されますので,ここでは割愛します。
 次に,このことは,第二部定理三七に反するように思われるかもしれませんが,僕は必ずしもそうではないと考えています。たとえば,Aという人間とBという人間に共通する事柄は,Aの本性もBの本性も構成することはないが,人間の本性についてはこれを構成し得ると考えることができると思うからです。僕はAという人間の本性は,単に人間の本性としてだけではなく,Aという,いわば固有名詞で示されるよな人間の本性としても構成されると考えているからです。
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名古屋グランプリ&共通概念の一般性

2007-12-24 20:41:46 | 地方競馬
 年末の東京大賞典は,JRAからは5頭のみが出走できることになっています。本来はそちらに出走したかったものの,選出されなかったためにこちらに回ってきた馬が有力になったのが今日の名古屋グランプリ(動画)でした。
 笠松のクインオブクインが逃げて,JRAのクーリンガー,船橋のマズルブラスト,笠松のオグリホットが2番手集団を形成。有力どころは中団以降に,フィールドルージュ,ボンネビルレコード,ロングプライドの順に並びました。小回りの2500メートルですから激しい争いにはならず,淡々としたペースで進行。
 2周目の向正面に入ってロングプライドがまずスパート,一気に先頭に立ちました。フィールドルージュ,ボンネビルレコード,チャンストウライがこれを追い,有力馬による争いに。ロングプライドが先頭のまま直線に入ってきましたが,外からフィールドルージュがこれを交わして優勝。ロングプライドが2着で,一番外からボンネビルレコードを交わしたチャンストウライが3着という結果でした。
 優勝したフィールドルージュは7月のマリーンステークス以来の勝利でこれが8勝目。重賞は初勝利となりますが,ジャパンカップダートでは昨年が3着,今年が2着と力量は上位ですので,順当な勝利といえるでしょう。地方コースは今回が初めてで,これを問題なくこなしましたので,今後の展望も広がるのではないかと思います。

 第三部定理三証明されて,今回のテーマに関連するような理性の特徴はこれで問題がないのですが,共通概念に関してはなおひとつだけ,注意しておくべき点があるように思われます。
 共通概念というのは,一般性のきわめて高いものからきわめて低いものまで,様ざまあるわけです。このうち,たとえば第二部定理三八で示されているのは,一般性の最も高い共通概念であるといえます。そこでこの共通概念に依拠して人間が事物を認識する限り,確かに憐憫という感情はこの人間にとって無用ではあります。しかし,現実的に考えれば,たとえば人間が三角形に対して憐憫の感情を抱くなどということは,まずあり得ないことと考えていいでしょう。よって現実的に考えれば,この種の共通概念は,第四部定理五〇の理性にとってはほとんど意味がないといえます。
 逆に一般性が最も低い,たとえばAという人間とBという人間にのみ成立する共通概念があるとします。Aがこの共通概念に依拠して認識する限り,憐憫はやはり無用といえますが,この場合はBに対する憐憫が無用なだけであって,ほかの人間に対する憐憫が無用であるとはいえません。これはまったく意味がないとまではいえませんが,スピノザ自身はもう少し一般的にこのことを示そうとしていると思います。
 よってここでは,人間の間では成立する共通概念というのを前提します。感情論というのはあくまでも人間の感情論です。よって憐憫という感情が無用であるということの意味は,人間にとって,人間に対する憐憫という感情は無用であるということが示されるべきであると考えるからです。
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有馬記念&第三部定理三証明

2007-12-23 19:34:59 | 中央競馬
 中央競馬の一年の締めくくり,有馬記念。今年はこのレースの結果如何によって年度代表馬の行方も左右されると思われる大きなレースでした。
 好発はダイワスカーレット。一旦はそのまま逃げの態勢に入りましたが,外からチョウサンが追いかけてくると競り合いを避け,2番手に控えました。インの3番手にマツリダゴッホ。有力各馬は思ったより後方の位置取り。2500メートルなので現時点では最初の1000メートルの正式な通過ラップが分かりませんが,100メートル地点からのラップで考えれば平均ペースだと思います。
 ポップロック,ウオッカ,メイショウサムソンは,3コーナー過ぎからそれぞれ前を追い掛けていきましたが,見せ場を作るというところまでいかず。直線でダイワスカーレットが少し外に出してチョウサンを交わしていったので,ぽっかりと開いた内目をそのままマツリダゴッホが突き抜けて優勝。ダイワスカーレットは同様にインを上がってきたダイワメジャーに迫られましたが,突き放し,最後はまたマツリダゴッホに詰め寄ったものの2着。逆にダイワメジャーの方がロックドゥカンブに迫られましたが3着を確保しています。
 優勝したマツリダゴッホは9月のオールカマー以来の勝利で,大レースは初制覇。春にアメリカジョッキークラブカップを快勝したものの日経賞は3着に負け,ここは距離が案じられましたが,蛯名正義騎手がロスなく内を回ってきました。その蛯名騎手は昨年12月の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース優勝。美浦の国枝栄調教師は5月のNHKマイルカップ以来の大レース制覇。中山コースをとくに得意としている馬で,勝っても不思議ではない能力の持ち主。少なくとも単勝で50倍というのは人気がなさすぎました。
 ダイワスカーレットは3歳の牝馬がこのメンバー相手の競馬ということを考えれば立派。この馬もこの距離は長いと思いますが,かなりの目途を立てたといえそうです。
 ダイワメジャーも距離が長く,うまく内を回ってきましたが,最後は止まってしまいました。しかし健闘したとはいえるでしょう。
 有力馬の敗因として考えられるのは2点。まず,上位の入着馬がある程度先行して内を回ってきたのに対し,外を回らざるを得なくなってしまった点。もうひとつは,上位に入った馬はジャパンカップに出ていなかった馬ばかりで,それだけジャパンカップは消耗の激しいレースで,体力が十分に回復できていなかったのかもしれません。
 もう一点,よそで書き込んだのでここでも追記しておきます。このレースには6歳1000万の条件馬が出走し,メイショウサムソンやウオッカに先着する7着と健闘しています。上々の結果で,ここを使った陣営の慧眼というべきかもしれません。しかし,個人的にはこうした馬の出走は,レースの格式を貶めかねないようにも思います。フルゲートに満たない場合でも,こうした馬の出走を制限する措置が,現状の日本の競馬体系においては講じられてもいいのではないかという気がします。

 明日は名古屋グランプリ。ここはフィールドルージュ◎,ロングプライド○,ボンネビルレコード▲の3頭の力が上と思われます。地方馬ではチャンストウライ△とビッグドン△。

 久留米記念は決勝。並びは武田ー太田ー広川の関東,三宅ー富の中国,九州は分かれて,中川には森内で,紫原は残った栗田に。このメンバーではさすがに武田選手でしょう。

 それでは第三部定理三を証明します。これは十全な観念に関係する定理ですから,例によって神との関係において証明されることになります。
 まず,第三部定義二により,精神の能動とは,その精神が結果に対して十全な原因の場合のことであり,逆に精神の受動とは,その精神が結果に対して部分的原因である場合のことを意味します。そこでこのことを前提に,結果として生じる観念をXと仮定して検証してみます。
 まず精神の能動の場合。これはある人間の精神がXに対して十全な原因であることを意味しています。したがってこれをXの方から考えれば,第一部公理四により,Xという観念がそのある人間の精神のうちにあるということを意味します。これを神と関係付けるならば,Xはこの人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにあることになります。すなわちXはこの人間の精神のうちで十全な観念です。
 次に精神の受動の場合。この場合はXに対してある人間の精神が部分的原因です。よって同じ第一部公理四により,Xの観念はただこの人間精神のうちにあるのではなく,この人間精神とともにXの部分的原因となっているほかのものの観念のうちにもあることになります。これを神と関係させれば,Xはある人間の精神の本性を構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りで神のうちにあることになります。よってこの場合のXは,この人間の精神のうちでは混乱した観念です。
 これらのことを合わせれば,精神の能動は十全な観念から生じ,精神の受動が混乱した観念から生じることが明らかだといえます。
 なお,この定理は本来はスピノザがそうしているように,第三部定理一に依拠して証明されるべきものです。ただし,ここではこの定理の意味を逆方向から考えていますので,証明も逆方向から行いました。
 
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中山大障害&第三部定理三

2007-12-22 19:21:15 | 中央競馬
 障害のレースは平地のレースと異なり,レース表記上の問題とは関係がありません。ですので今日の中山大障害に関しては,ここでもGⅠと表記します。
 障害でも逃げたい馬というのはいまして,ここはハイヤーザンヘブンがそういったタイプ。ということで前半はこの馬が引っ張りました。有力各馬はわりと前目の位置。まず先頭に立ったのはマルカラスカルで,これを最後の3コーナーにかけてメルシーエイタイムが追いかけいくとテイエムドラゴンは離され加減。直線に入るところでメルシーエイタイムがマルカラスカルに馬体を合わせ,直線では交わして優勝となりました。外から追い込んだキングジョイが2着に届き,3着にマルカラスカル。テイエムドラゴンは4着でした。
 優勝したメルシーエイタイムは10月の東京ハイジャンプ以来の勝利。といってもその後は平地のレースを使っていますので,障害レースに限れば連勝。GⅠは初制覇。このレースは一昨年はテイエムドラゴンの,昨年はマルカラスカルのそれぞれ2着になっていて3度目の正直となりました。横山義行騎手は2001年の中山グランドジャンプ,栗東の武宏平調教師は2004年のこのレース以来の大レース優勝。
 マルカラスカルは道中で少し引っ掛かりました。その分,最後の粘りを欠いたと思われます。テイエムドラゴンは反動もあったでしょうが,ゴール後すぐに騎手が馬から下りていますので,あるいは何らかの異常があったのかもしれません。ただ全体を通せば,実力馬が上位を占める,順当な結果であったと思います。

 明日は有馬記念です。軸という意味で中心はポップロック◎。メイショウサムソン○とウオッカ▲が強敵。あとダイワスカーレット△とロックドゥカンブ△。

 理性の特徴として示したことのうち,第三部定理三に関してはこれまでの考察でも取り上げたことがありませんでしたので,ここで紹介しておくこととします。「精神の能動は妥当な観念のみから生じ,これに反して受動は非妥当な観念のみに依存する」。妥当な観念とは僕がいう十全な観念であり,非妥当な観念とは僕が混乱した観念と示している観念のことです。
 実際にはこの定理は,僕がいっているのとは逆方向から,人間の精神の能動と受動が,十全な観念と混乱した観念にどのように関係しているかということを示しています。しかし,精神の能動が十全な観念のみから生じるのであれば,人間の精神が十全な観念のみに依拠する限り,能動的であるといっていいであろうと思います。したがって,人間が理性的であるということは,人間の精神が能動的であるという場合のことを意味していると理解して問題ないでしょう。当然ですがこれを逆に考えるならば,もしも人間が能動的でない,つまり受動的であるならば,人間は理性的であるということはできないということになります。そして第四部定理五〇の意味というのをこの観点から考えるならば,人間が受動的である場合,いい換えればこれは第三部定義二により,人間の精神が部分的原因となって事物を認識するという場合のことになりますが,この場合には,悪であるような憐憫という感情が,人間にとって有用あるいは有益となり得ることもあるという意味になります。
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日本シリーズ&理性の特徴

2007-12-21 19:10:42 | 将棋
 途中で二歩というハプニングのあった今年の日本シリーズ。決勝は11月18日に東京のビッグサイトで指されました。決勝進出を果したのは森内俊之名人と森下卓九段。この日まで,森内名人が19勝,森下九段が9勝という対戦成績でした。
 振駒で森内名人が先手となり相矢倉。21手目に先手が▲3五歩と早めに仕掛ける将棋。ただこのまま急戦で一気にというわけではなく,一応どちらも囲ってから,第二の戦いになりました。
 この将棋は桂馬が主役の将棋でした。52手目の△8五桂に▲8六歩と突いて先手が桂得しにいくと,後手は△2五桂とこちらの桂馬も跳ね出しました。対して先手は▲4五桂の跳ね違え。これを△同銀直と取り,△7六桂の王手角取り。先手は▲同金と取り,▲2六桂と銀取りに打ちました。後手が△4五銀と逃げると▲8五歩と今度はこちらの桂馬を取って▲5七桂でまた銀取り。この後,銀交換になり,71手目から▲4五桂~▲3四桂と打った2枚の桂馬が跳ねていきました。ただしこのあたり,形勢はすでに後手の方がよいようです。
 75手目の▲3三銀に△同角と取り,△8七銀と打ち込んでいよいよ寄せに。80手目の△6七銀に▲1三角成~▲6七金という鬼手で先手も抵抗しましたが,ここで△3七歩成が勝ちを決める一手。最後は先手玉を即詰みに討ち取って,森下九段の優勝となりました。
 リンク先に解説が付されていますが,厳密にいうと不備があります。これは遠山四段が詳しく説明していますのでご注意ください。
 森下九段は春に急な病に倒れ,不戦敗もありましたが,完全復活といえそうです。おそらく優勝できなければ,来年度のこの棋戦に参加する資格を失っていたと思われ,その意味でも大きな優勝であったと思います。

 明日は中山大障害です。反動が心配ですがテイエムドラゴン◎が中心。マルカラスカル○とメルシーエイタイム▲が強敵で,ブラックコンドル△とキングジョイ△。

 第二部定理三八は,人間の精神のうちに,少なくともひとつの共通疑念,すなわち十全な観念が存在するということもその内容に含んでいるというのが僕の考え方です。スピノザは実際には第二部定理三八系でこのことを別に証明していますが,系は定理から直接的に帰結するものですから,僕のように考えても差し支えないだろうと思います。そこで,人間の精神のうちには少なくとも何らかの十全な観念があるということについては,ここではあらかじめ前提することにします。したがって人間の精神はその十全な観念に依拠することによって理性的であり得る,あるいは,人間は常にではないとしても,理性的である場合があるという前提の元に,ここでの考察に関係する理性の特徴をひとつ示しておくことにします。
 人間が十全な観念に依拠して事物を認識する限り,そうして認識されるある別の観念もまた十全な観念です。これは第二部定理四〇において証明されています。よって人間が理性的であるとは,ある人間の精神のうちにある十全な観念のみに関係し,混乱した観念とは一切の関わりをもちません。
 次に,これは明日以降に詳しく触れますが,第三部定理三により,こうした人間の精神の活動は,人間の精神の能動のみに関係します。よって第三部定義二により,これは人間の精神がある観念に対して十全な原因となっていることを意味します。
 これらのことから第四部定理五〇は,人間の精神のうちに生じる観念に対してその人間が十全な原因になっている限り,あるいは人間の精神が能動的である限り,憐憫という感情はその人間にとっては無用な感情である,という意味になります。
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断髪&理性

2007-12-20 19:01:00 | NOAH
 23日と24日に有明大会がありますが,シリーズという意味では2日の日本武道館大会をもってNOAHは今年の全日程を終了。つまり前シリーズが今年の最後のツアーでした。そしてこのシリーズ中の新潟大会では,タイトルマッチがひとつ行われました。
 それはグローバルハードコアの試合。王者は志賀賢太郎選手と川畑輝鎮選手ですが,この試合はこのふたりが戦い,勝った方がシングルチャンピオンとなるという変わった試合でした。タッグ王者といってもベルトは相変わらず一本のままでしたし,このチームも,結果は出せなかったものの黒への挑戦というところまではいきましたので,チームを解消するいい機会ではあったのかもしれません。ふたりが同時に入場してきて,リングアナウンサーにも両者が第6代王者とコールされていました。
 チャンピオンになってからの川畑選手はそれなりに奮闘ぶりが目立っていました。技といえばほとんどセントーン一本槍ですが,僕などからすれば,それも愚直な川畑選手らしく好感がもてます。この試合もそうした展開で進み,最後はひねりを加えたセントーンからムーンサルトプレスを決め,川畑選手の方が勝利,第7代のシングル王者となりました。
 このタイトルは特別ルールがつきもの。ここは敗れた方がパンチパーマを刈られるという敗者髪切りマッチでしたので,志賀選手が坊主に。リング上で川畑選手にバリカンを入れられたのですが,秋山選手によるとこの日はバリカンの充電が切れてしまったようで,志賀選手は少しばかり恥ずかしい思いをしたようです。

 明日からは久留米記念です。関東勢と九州勢の対抗になりそうです。

 僕自身が事前に予期していたよりもずっと長くなってしまったのですが,これで今回のテーマである第四部定理五〇のうち,憐憫commiseratioという感情affectusと,それに関係するようなスピノザの感情論に関しては,ほぼ説明できました。そこでようやくこの定理Propositioに戻り,今度はスピノザの哲学における理性ratioというものがどういうものであるのかということを考察することにします。改めていっておきますが,僕の考えでは,この定理に理性が関係しているのは,憐憫という感情が無用であるということだけです。憐憫という感情がそれ自体でみられるならば悪malumであるということについては,別に人間が理性的であるか理性的でないかということには関係なく,一般的な事実と思います。ただ悪であったとはしても,それが人間にとって有益,あるいは有用な場合はあるということだと理解しています。
 理性というのは,第四部定理四〇の備考二で説明されています。スピノザは人間の認識の種類を三種類に分類するのですが,理性はそのうちの第二種の認識cognitio secundi generisであるとされています。そしてそれは,共通概念notiones communesによる認識と十全な観念idea adaequataによる認識であるとされています。ただ,第二部定理三八により,共通概念が十全な観念であるということは,以前の考察ですでに証明していますので,ここでは単に十全な観念による事物の認識といっておきます。つまり,ある人間がいて,この人間の精神mensのうちにある十全な観念に依拠してこの人間がほかの何らかの事物の認識をするとき,この人間は理性的であるということになります。
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全日本2歳優駿&第三部諸感情の定義七

2007-12-19 19:14:29 | 地方競馬
 2歳のダートチャンピオン決定戦の第58回全日本2歳優駿
 逃げた方がよい結果を出せそうな馬が1番と2番に入り注目されましたが,1番のイイデケンシンの方が先手を奪い,ヴァイタルシーズは2番手に控えました。前半の800メートルは51秒2.途中から極端に遅くなったのですが,かなりのスローペースといえそうです。
 発走後の長い直線では後方の2番手に構えていたディラクエが,このスローペースを見越して向正面で外を一気に進出,2番手まで上がると,ヴァイタルシーズはついていけずに脱落。中団にいたレインボーペガサスだけがこれに対応し,ディラクエの外に出して直線の入口では3番手に上がり,4番手以降が少し離れました。
 直線はこの3頭での叩き合いになりましたが,余裕をもって逃げていたイイデケンシンが最後はまた突き放して1馬身半の差をつけて優勝。レインボーペガサスに詰め寄られはしたもののディラクエが2着を確保し,レインボーペガサスが3着でした。
 優勝したイイデケンシンは前走のポインセチア賞からの連勝で,重賞・大レースは初制覇。これで6戦3勝ですが,ダートは前走が初めてで2戦2勝。芝でもひとつ勝ってはいますが,血統的には明らかにダート向きです。ただ2戦ともに逃げ切りですので,逃げられなかった場合にどうかというのは今後の課題でしょう。藤田伸二騎手は一昨年の安田記念以来の大レース優勝で,栗東の昆貢調教師はこれが大レース初優勝。
 惜しかったのはディラクエ。内容だけでいえば勝ち馬よりも強い競馬をしたとはいえ,もう少しペースが速くなってほしかったところでしょうか。

 ねたみと嫉妬,すなわちやきもちzelotypiaとの違いはこれで明らかになりました。そこでさらに第三部諸感情の定義二三の意味を詳しく分析します。つまり,ねたみinvidiaという感情affectusはある種の憎しみodiumであるとされているわけですから,憎しみという感情がどのような感情であるのかということについて考えてみます。憎しみの定義Definitioは第三部諸感情の定義七です。
 「憎しみとは外部の原因の観念を伴った悲しみである(tristitia, concomitante idea cause externae.)」。
 実はこの定義に関しては,ここまでの考察から十分に推察できるものでもあります。なぜなら,第三部諸感情の定義二三で示されているねたみは,第三部諸感情の定義二四で定義されている同情という感情の本性naturaの上での反対感情にあたります。そこでこれらふたつの定義を読み比べてみれば,これらふたつの感情がそうした反対感情であるためには,愛amorという感情と憎しみという感情が反対感情でなければならないということが容易に推測されます,ところで愛の定義は第三部諸感情の定義六の通りであるわけですから,その反対感情である憎しみの定義がこのようなものでなければならないのは,ある意味では自明であると考えられるからです。
 そこで憎しみの性質というのは愛の性質のちょうど裏返し,すなわち,喜びlaetitiaが悲しみtristitiaになるというだけのことです。ですからこれについてはここで繰り返す必要もないと思います。たとえば僕が戦争を表象するimaginariことによって悲しみを感じるのであれば,僕は戦争を憎んでいるということになります。
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伊東記念&ねたみと嫉妬

2007-12-18 19:03:09 | 競輪
 東日本では今年最後の記念競輪となる伊東記念は,今日,決勝(動画)が争われました。
 斎藤選手が飛び出して岡部選手の前受け。中団となる3番手は稲垣選手が取り,新田選手が6番手からの周回。残り3周のバックから新田選手が上昇し,稲垣選手を牽制。残り2周のホームで岡部選手が誘導との車間を切ったのを見て,新田選手が叩いて前に出ました。ところが内を開けていたために稲垣選手と志智選手に掬われ,打鐘ではこの2車で先行態勢に。離れてしまった岩見選手もホームにかけて追い上げ,3番手に入り直しました。このあたり,新田選手と絡んだこともあり,稲垣選手が本格的に先行し始めたのは残り1周のホームから。33バンクですからこれは前の流れで,新田選手も岡部選手も動けず。番手の志智選手が迫りましたが逃げ切って稲垣選手の優勝。志智選手が2着で,直線で最内にいった中井選手が3着に入っています。
 道中はともかく最終的には予期した通りの展開で,志智選手が狙い目といったのはあながち間違っていなかったと思いますが,今日は稲垣選手が強かったですし,楽な先行になりすぎました。優勝した京都の稲垣裕之選手は先月,初のビッグとなるふるさとダービー松阪を勝っていて,そこでもいった通り,個人的に前々から期待していた選手のひとりですので,こうして記念競輪も勝ってくれたのは嬉しく思います。記念は一昨年の高知記念以来の優勝です。

 明日は川崎で全日本2歳優駿が行われます。ここは北海道のディラクエ◎,川崎のヴァイタルシーズ○,JRAのレ一ボーペガサス▲,ディアヤマト△の争いとみます。あとタカラストーン△。

 岩波文庫版の『エチカ』を読む場合,第三部諸感情の定義二三で定義されているねたみという感情に関しては,次の点に注意しておかなければならないと思います。
 ここでねたみといわれているのは,スピノザがラテン語でinvidiaと示していることばです。そしてこれとは別のzelotypiaということばがあって,これは岩波文庫版では嫉妬と訳されています。元のことばが違うわけですから,当然ながら異なった意味をもちます。すなわち岩波文庫版におけるねたみと嫉妬は違う意味をもっていることになるのです。
 嫉妬は第三部定理三五の備考で,同時的な愛と憎しみから生じるねたまれる第三者の観念を伴った心情の動揺であると説明されています。したがって,ねたみが感情であるのに対して,嫉妬は感情ではなく,ある心情の動揺の一状態であるとされているわけです。これだけで,ねたみと嫉妬がいかに異なるかということが理解できるでしょう。
 愛する人が自分以外の人と親しくしているのを表象するとき,僕たちは往々にして親しくしているその相手のことをねたみます。そして同時に,愛する人に対して,愛の反対感情である憎しみを感じます。この愛する人に対する愛と憎しみの心情の動揺がzelotypia,すなわち嫉妬といわれているわけです。ですので,僕はこれに関しては,嫉妬というより,やきもちということばで表されるような状態であると思いますので,この心情の動揺に関してはやきもちといいます。したがってもしも僕がやきもちといった場合には,岩波文庫版の『エチカ』における嫉妬にあたりますのでご注意ください。こうしたことが人間のうちによく生じるということは,それこそ僕たちが経験的によく知っていることなのではないかと思います。やきもちもまた,希望と不安(恐怖)と同様に,僕たちがしばしば経験する心情の動揺といえるでしょう。
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再戦&第三部諸感情の定義二三

2007-12-17 19:01:54 | NOAH
 小橋建太選手の復帰戦がメインイベントとして行われたNOAHの2日の日本武道館大会。セミファイナルは森嶋選手と丸藤選手のシングルマッチでした。これは9月の日本武道館大会で,三沢選手への挑戦者決定戦として行われたカードですが,その日は森嶋選手にとってあまりに不利な状況。ということでこの日に再戦という形で改めて組まれました。
 公式プロフィールによればふたりは身長で14センチ,体重では実に55キロもの違いがあります。試合の序盤,丸藤選手が徹底的に森嶋選手の左腕を殺しにいき,これはある程度の成果を収めていると思うのですが,手数は少ないとしても森嶋選手は一発で試合の流れを変えてしまいます。
 これほどに体格に差がある選手が戦えるのはプロレスの大きな特徴のひとつ。プロレスにはいわゆる縦の動きという立体的な面があります。この立体感覚に優れていれば小さな選手でも大型選手を相手に十分に戦えるもので,丸藤選手はその面に秀でた才能をもつ選手のひとり。この立体感覚というのは,単に相手を攻撃するためにだけ役立つものではなく,防御の面でも力を発揮します。この日も丸藤選手はこの才を存分に発揮しましたが,最後,力技のポールシフトを試みたところで潰されてしまい,ラリアット,バックドロップ,ラリアット,バックドロップという怒涛の集中攻撃を受け,試合には敗れてしまいました。
 このふたりはほぼ同期。これからも戦い続けていくことになるでしょう。プロレスはトータルでの戦いに勝ったものが真の勝者といえると僕は思っています。ただ,森嶋選手にとってこの試合を制したことの意味は大きく,再び三沢選手に挑戦するチャンスを得られそうです。

 伊東記念は明日が決勝になります。並びは岡部ー斎藤の北日本,新田ー中井ー望月ー冨田の南関東,稲垣ー志智ー岩見の近畿中部。ここは志智選手が狙い目かもしれません。

 第三部定理五六そのものの話もこれで終わりとします。そこで今度は話を第三部諸感情の定義二四まで戻すことにします。
 実はここで,スピノザが第三部諸感情の定義一八で定義している憐憫という感情の習性としてではない同情という感情を定義しているのには,はっきりとした理由があります。それはそのひとつ前の第三部諸感情の定義二三の直後の説明に示されています。それによれば,同情ということばは一般的にねたみinvidiaということばに対立させられるのであるから,ねたみという感情の反対感情として同情という感情を定義することもできるというものです。つまりこの同情という感情は,ねたみという感情の本性の上での反対感情としてここで定義されていたのです。そこで,ねたみという感情についてもここで扱っておくことにします。これは第三部諸感情の定義二三になります。
 「ねたみとは他人の幸福を悲しみまた反対に他人の不幸を喜ぶように人間を動かす限りにおける憎しみである」。
 ねたみは同情の反対感情であるわけです。よってこの定義の意味は第三部諸感情の定義二四の意味の裏返しにあたります。すなわち,僕たちがAを憎んでいて,この憎しみによってAの不幸を喜び,逆にAの幸福を悲しむような場合,僕たちは単にAを憎んでいるだけでなく,Aをねたんでいるともいわれるわけです。個人的には最近の朝青龍関の騒動などには,こうした人間のねたみという感情が大いに関係しているものと理解しています。
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