スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

川崎記念&固有の本性

2007-01-31 22:04:52 | 地方競馬
 例年になく暖かい陽気のもとに行われた第56回川崎記念。ゴールデンイーストが馬場入場後に故障を発症して競走除外となりました。
 好発を切ったのはレマーズガール。しかしアジュディミツオーが外から押して追い上げこちらの逃げ。これは予想通り。ヴァーミリアンの方は他馬に比較すると出負け気味の発走でしたが、こちらもスムーズに追い上げレマーズガールを交わして2番手からの競馬になりました。ペースは極端ではありませんがハイペースの部類。
 2周目の向正面からパーソナルラッシュが追い上げていく場面はありましたが、前の2頭に影響を及ぼすものではありませんでした。結局、この2頭のマッチレースといえる競馬になったのですが、4コーナーでヴァーミリアンの方が先頭に立つと、そのままアジュディミツオーを置き去りにして6馬身もの差をつける圧勝となりました。逃げ粘ったアジュディミツオーが2着。パーソナルラッシュより後から追い上げを開始したドンクールが外から伸びて3着でした。
 勝ったヴァーミリアン名古屋グランプリからの連勝。GⅠはこれが嬉しい初制覇となります。父はエルコンドルパサー。母系についても後日紹介します。着差ほどの力量差がアジュディミツオーとあるとは思えませんが、今日は強かった。距離適性の面でフェブラリーステークスは微妙な気もしますが、長い距離では今年のダート競馬を牽引する1頭になると思います。
 逃げ馬は交わされると案外に脆いもので、それを考えればアジュディミツオーの2着も立派。ドンクールもおそらく力量通りには走っている筈で、きわめて順当な結果といえると思います。

 一般論からの帰結の前者の場合には、まず次のようなことがいえると思います。
 様態modi,modusの本性natura,essentiaに神Deusの本性が属するとは、個々の様態の本性が神の本性によって構成されるということを意味します。すると、個々の様態の本性の間に差異を見出すことができなくなってしまいます。しかし、事物にはその事物に固有の本性がなければならず、これは不条理ではないでしょうか。
 なお、この点についてもう少し詳しく僕の考えを述べれば、僕は人間Aと人間Bがいるとき、このふたりは、人間という点では本性が一致すると考えますが、AとBそれぞれの人間という観点からは異なった本性を有すると考えています。これはスピノザ哲学における、特殊性と一般性についての考え方を根拠としています。ただ、『エチカ』の第四部などからは、これについては同一の本性を有すると解釈する余地はあると思います。しかし、これはこれでまったく別の問題ですし、ここでの話に関係づければ、これは問題にしなくてもよいと思います。というのは、この帰結が示していることは、単に異なる人間の間で本性が一致するかどうかということではなくて、たとえば、人間と三角形の本性が一致する、あるいは、人間の本性と三角形の本性の間に差異を見出すことができなくなるということだからです。これが不条理であるというのは、とくに説明するまでもなく明白だと思います。したがってまずこの観点から、前者、すなわち様態の本性に神の本性が属するということはあり得ないと結論できると思います。
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メジロマックイーン&後者の場合

2007-01-30 20:25:41 | 名馬
 JRA賞の最優秀3歳牡馬に選出されたドリームジャーニー。父のステイゴールドと同様に、母の父になるメジロマックイーンも池江泰郎厩舎で競馬をした馬でした。
 3000メートルの菊花賞、3200メートルの天皇賞(春)を2回、2200メートルの宝塚記念とGⅠ4勝。これだけだと長距離を得意とするステイヤーのようですが、4歳時の天皇賞(秋)18着というのは、発走後の進路妨害を取られてのもので、実際には後続をちぎって1着で入線していて、スタミナ一辺倒ではなく、豊かなスピードも兼ね備えていた馬でした。
 で、この馬、母系を辿るとアストニシメントにいきつきます。アストニシメントは直仔から多くの系統が現存していて、NARグランプリの特別表彰馬となったブルーコンコルド第五アストニシメント系であるのに対し、こちらは第二アストニシメント系。したがってメジロマックイーンとブルーコンコルドは同じ一族ですがとても近親というには程遠い関係です。メジロマックイーンの系統を大きく繁栄させたのは三代母(曾祖母)にあたるアサマユリ。メジロ牧場を中心に枝葉を広げました。2002年の川崎記念GⅠを勝ったリージェントブラフ,同じ年の高松宮記念GⅠを逃げ切ったショウナンカンプなどがこのアサマユリからの一族になります。

 明日は新年最初のGⅠ川崎記念です。ここはアジュディミツオー◎とヴァーミリアン○の首位争いと思います。あとは2着ないし3着候補で、ボンネビルレコード△、パーソナルラッシュ△、ドンクール△という順。

 一般論からの帰結はふたつですので、それぞれをもう少し具体的に考えていくことにします。ただ、このうちの後者、すなわち、様態は神がなくてもあることも考えることもできるという場合については、僕はあまり問題にならないのではないかと考えています。
 というのは、それがなければあるものがあることも考えることもできない場合に、それがあるものの本性を構成するという一般論は、スピノザ以前の哲学者による本性の定義とスピノザがみなしたものですが、そうした哲学者は、スピノザのようにそれが神の本性の必然性に依拠すると考えてはいなかったかもしれませんが、少なくとも、神がなければ何もあることはできないということを同時に認めていた筈で、よってこの点に関してはスピノザとの間で論争になりようがないと思われるからです。そもそも、もしも神がなくても様態はあることも考えることもできると主張するなら、そうした哲学は無神論のレッテルを貼られるのではないかと思います。しかし実際にそのレッテルを貼られたのはスピノザの哲学であったという事実が、このことを証明していると思います。
 一応、『エチカ』にも訴えておけば、これは第一部定理一五証明され、さらに第一部定理一六も証明されれば、明白に誤りであるといえると思います。
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メイショウ戦&一般論からの帰結

2007-01-29 20:22:58 | 将棋
 21日に決勝が指されたメイショウ戦。関西のプロ、育成会員、アマだけが参加の非公式戦ですが、話題の里見香奈女流一級の将棋ですので紹介します。対戦相手は山田朱未女流初段で里見一級の先手。里見一級は相手が居飛車ならほぼ中飛車ですが、山田初段が振飛車なので相振飛車。先手が向飛車で後手が三間飛車というのは、相振飛車としては最も多い戦型だと思います。39手目に角交換になり、44手目に△4四角と山田初段が先着。ただしここから膠着状態のようになり、どちらからも手が出しにくくなりました。74手目の△8四銀はどうだったか。ここでややバランスが崩れたようで79手目▲9五歩から里見一級が先攻。ここから銀と桂香の2枚換となり、と金もできましたので里見一級がリードしたと思います。93手目の▲8七桂で角を召し取ったところでははっきりと里見一級が優勢でしょう。この後、後手をゆっくりと追い込んでいく指し方を選び、129手で先手の勝ち。非公式戦とはいえ里見一級がプロ初優勝を飾りました。終局の局面は後手玉が詰むというわけではありませんが、飛車も僻地に追いやられ、大差ですのでやむを得ないと思います。詳しくは明日以降のデイリースポーツに掲載されますので、そちらを参考にしてください。もしかしたら僕は見当違いの解説をしているかもしれません。

 一般論の問題点が明らかになったところで、それでは、それがなければあるものがあることも考えることもできない場合に、それがあるものの本性を構成するという一般論から、何が帰結するのかということを考えていくことにします。まず、もしも神があればすべてのものはあることも考えることもできるとすれば、ある事物にとって、それがあればその事物があることも考えることもできるものというのは神であるということになります。この場合、事物は何でも構わないので、これをある様態と仮定すれば、様態の本性には神の本性が属するということが帰結することになります。しかし、こういった場合だけではありません。なぜなら、神があれば何ものもあることも考えることもできるというのは、エチカでいえば、第一部定理一五第一部定理一六から生じています。したがって、これらの定理についてその成立を認めないという方法もあり得るでしょう。この場合も、神から生じるとされている事物は何でも構わないでしょうから、やはり同様にある様態と考えれば、様態は神がなくてもあることも考えることもできるということになります。そして僕はこれらふたつのうちのどちらかで、ほかの選択肢はないと思います。よって僕が考える本性の定義に関する一般論からの帰結は、様態の本性に神の本性が属するか、そうでなければ様態は神がなくてもあることも考えることもできるということになります。
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競輪祭&一般論の問題点

2007-01-28 22:04:15 | 競輪
 競輪祭決勝。大塚選手がSを取りましたが、各選手が思い思いに発走した感じで、隊列が決まるまでやや時間が掛かりました。大塚選手が三ツ石選手を迎え入れてこのラインの前受け。手島選手が3番手で、4番手から岐阜両車。6番手に山崎選手で新田選手は北日本を追走しました。残り3周のバックから山崎選手が上昇。手島選手が併せて出て、伏見選手の位置を奪いにいきました。打鐘前で三ツ石選手が車を引きましたが山崎選手はまだ踏み込みません。北日本の作戦だったかもしれませんが、伏見選手が車を外に浮かせて内が開く形に。ホームで自然と有坂選手が番手に入る形になると手島選手は今度は外から番手戦を挑みました。すると伏見選手が外を再度上昇し、踏み込んだ山崎選手の番手に入りました。ここで手島選手と有坂選手が落車。直後の新田選手は何とか避けましたが山田選手と浜口選手(このふたりは再乗)が巻き込まれ、山崎選手-伏見選手の後ろは新田選手-大塚選手-三ツ石選手と5人での競走に。しかし新田選手は車体故障を起こしていた上に、前とは大きく離れ、直後には大塚選手という状況だったために3着狙い。バックの段階で福島両車の争いが決定的に。車間を少し開けた伏見選手が4コーナーから踏み込み、逃げる山崎選手に迫りましたがわずかに山崎選手が逃げ粘っての優勝となりました。2着に伏見選手で離れた3着が新田選手。優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年の高松宮記念杯に続き2度目のGⅠ制覇。グレードレースは昨年10月の京王閣記念以来。さすがに昨年のMVPに選ばれただけのことはあり、楽な位置からの先行であったとはいえ、逃げ切っての優勝は見事で、それに恥じない強さを見せたと思います。伏見選手としてみれば絶好の展開であった筈で、惜しい気もします。ただ北日本は若手先行選手の台頭が著しいために番手を回る競走が多くなっていますが、基本は自力ですので、今日のような展開はむしろよくないのかもしれません。

 ここで本性の定義についての一般論に戻ってみます。これは普通に僕たちが事物の本性がどのようなものであるかということを考えた場合の定義であり、同時に、スピノザ以前の哲学者による本性の定義であるとスピノザがみなしていたものですが、このように、単にそれがなければあるものがあることも考えることもできないときに、それをそのあるものの本性に属すると考える場合には、ある問題点が生じてくることが分かります。なぜなら、もしもそれがなければあるものがあることも考えることもできないものがあるものの本性を構成するならば、逆に考えれば、もしも本性さえあれば、そのあるものはあることも考えることもできるようになるでしょう。したがってこの定義は、それがあればあるものがあることも考えることもできるようになるとき、それがそのあるものの本性を構成する、と置き換えることができるのです。ところが、個々の様態の必然性が神の必然性そのものであるということの必然的結果として、あるいは第一部公理三の強い意味と弱い意味をめぐる考察と同様の別の論証によって、個々の様態は神があればあることも考えることもできるということになっています。したがってこの定義からすれば、事物の本性とは神であるということになってしまうのです。
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レディースオープン&別の論証

2007-01-27 22:48:55 | 将棋
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 25日に指されたレディースオープントーナメント決勝三番勝負第二局は、矢内理絵子女流名人里見香奈女流一級を降して対戦成績を1勝1敗の五分に戻しました。これは王将戦第三局の2日目と同日。持ち時間の関係でこちらの方が先に終わりましたので、リアルタイムでの中継は見られませんでした。驚くのは対局開始直前の様子からも分かる報道陣の多さ。女流の対局がこれだけの社会的関心を集めるのは例の失踪騒動の直後の倉敷藤花戦以来かも。この日は敗れた里見一級の方が記者会見を開いたようで、それもあのときに似ています。ただ今回はまったく状況が異なり、これはとても素晴らしいことですが、メディアというのは手のひらを返すようなこともしますし、まだ中学生ということで、もう少しそっとしてあげてほしいという気持ちもあります。将棋の方は後手の里見一級のごきげん中飛車に矢内名人が銀冠で対抗。ポイントは感想戦にあるように、66手目の△8五歩で△4六歩▲同銀△4七角を狙えば後手ペースになったようですが、これを逃したので矢内名人ペースに。ここから里見一級が追い上げ、96手目の△8六歩で△6四桂ならまだ難しく、流れからいけば逆転もあり得たと思いますが、これも逃してしまったのが最終的な敗着となったようです。第三局は間が開いて2月22日です。
 明日は競輪祭決勝。手島と新田が単騎。山崎-伏見-有坂の北日本、山田-浜口の岐阜、三ツ石-大塚の西国。ここは山崎選手◎から。手島選手○か伏見選手▲を相手に有坂選手△も。

 同様のことはかつてテーマにした第一部公理三からも帰結すると思います。僕はこの公理にはふたつの意味があり、後半部分(弱い意味)が成立したからといって、前半部分(強い意味)が成立するとは限らないとしました。これを第一部定理一五に当てはめれば、個々の様態は神がなければあることも考えることもできないからといって、神があれば個々の様態があることも考えることもできるとは限らないということになります。そして僕は、第一部公理三は、公理としては不成立だけれども、第一部定理一一で神の実在が証明されている以上、その内容(とくに前半部分の強い意味)には問題がないと結論しました。第一部定理一五に対しても、これと同様の手続きをすることによって、そこで証明されている内容から、第一部定理一一で神の実在が証明されている以上は、神があれば無限に多くあるどんな様態も、それだけであることも考えることもできるということになると思います。
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ダイヤモンドレース&必然的結果

2007-01-26 22:45:50 | 競輪
 ダイヤモンドレース。やや牽制気味の発走から平原選手が誘導を追ってこのラインの前受け。上越勢が中団で、7番手に村上選手。金成選手はここを追走しました。残り2周半から村上選手がじわじわと上昇し、ホームで平原選手と並び、打鐘前のバックから踏み込んで先行態勢に。これを7番手まで引いた平原選手が残り1周のホームから一気のかまし。村上選手も突っ張りましたが平原選手のスピードがよく、バックではこのラインが出きりました。手島選手が捲りに出ましたがこれは中団で一杯。結局、車間を開けていた神山選手が直線で踏み込むと、ゴール前で粘る平原選手を捕えて1着、平原選手が2着に逃げ粘り、飯嶋選手が3着ということで、このラインの上位独占となりました。平原選手の早めの巻き返しが印象に残ったレースで、この展開でしたら順当な結果といえるでしょう。勝ち上がりには関係のないレースとあってか、思ったよりあっさりとした競走になったという印象。決勝とかであれば、また別のレースになったように思います。なお、明日が吉岡選手の引退セレモニーです。

 ここまでみてきたように、第一部定理一六の中には、様態の必然性というのは、神の必然性そのものであるということが含意されています。ところで、第一部定理一五によれば、神がなくては何もあることも考えることもできない、すなわち、無限に多くある個々の様態は、そのうちのどれひとつをとってみたとしても、神がなくてはあることも考えることもできないわけですが、仮にあるひとつの様態Aについて考える場合に、そのAが実在するという場合の必然性が、実は神が実在するということの必然性と同一であるとしたら、単にAは神がなくてはあることも考えることもできないというだけではなく、もしも神が必然的に実在するとしたら、Aはあることも考えることもできるということになると僕は考えます。そしてこの場合、Aというのはまったく任意のものなのですから、このことは無限に多くある様態のすべてに妥当することになると思います。したがって、僕は一般に次のことがいえると考えます。もしも神が実在するなら、その神が実在するという必然性によって、あらゆる(無限に多くの)様態が、あることも考えることもできるようになるのです。
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王将戦&様態の必然性

2007-01-25 22:23:59 | 将棋
 王将戦第三局。今日は昼のうちにネットにアクセスできず、開いたのが6時半頃。98手目の△8九飛成の局面でした。ここでは先手の玉が穴熊から引きずり出されているのに対し、後手玉は遠くに竜を作られてはいるものの金銀3枚に守られていて、羽生王将の勝勢でした。この局面からも理解できるように、中盤では先手は馬を作りはしたものの、ほぼ羽生王将が攻める展開で、佐藤棋聖は防戦一方。どうやら9筋から雀刺しという構想自体に問題があったようで、羽生王将の完勝というより佐藤棋聖が完敗したといった方が正しいかもしれません。時間がありましたので、一旦開いてからは終局までずっと(とはいえ30分ほど)見ていたのですが、すぐ終わると思っていたわりには手数としては意外に長く続きました。最近は佐藤棋聖の将棋を見る機会が自然と多くなってきているわけですが、第二局のときにはわりと早い段階で諦めていたのではないかといいましたが、全体の印象として、佐藤棋聖は局面を楽観的に考えているという印象があり、苦しいとは感じていても傍で見ているほどではないのだと思います。勝ち目がないと思えるような局面でも延々と粘り続けられるのは、たぶんそういった面が影響しているのではないでしょうか。苦戦の局面でも周囲を驚かせるほどに平然と指し続けられるというのは、将棋に限らず、勝負師としてひとつの才能なのではないかと感じます。
 明日は競輪祭2日目。メーンはダイヤモンドレースです。金成が単騎、関東6人は平原-神山-飯嶋と手島-兵藤-阿部の2ライン、村上-浜口の近畿中部という並び。ここは後続がもつれそうで平原選手◎に期待。神山選手○か手島選手▲を相手に考えます。

 第一部定理一六により、神の本性から無限に多くの様態が必然的に生じるわけです。これが、個々の様態の直接的な原因が神であるということを帰結します。一方、第一部公理三によれば、原因が与えられさえすれば必然的に結果が生じるわけですから、必然性ということばの置き換えのときにもいったように、結果であるものの必然性というのは原因であるものの必然性に完全に依存するのです。このことから、無限に多くある様態のどの様態をとってみても、その様態自身の必然性は神の必然性に依存し、あるいは、様態の必然性について考えることは神の必然性について考えることと同じことである、すなわち、様態の必然性とは神の必然性そのものであるということになります。つまり、定理一六にはそういった意味が含まれているのです。この解釈は、第二部定理四四系二の証明の中でスピノザも示していますから問題ないところだと思います。そこでこのことを今度は第一部定理一五に訴えれば、さらに神と様態との関係が明らかになってくるのではないかと思うのです。
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TCK女王盃&個物の連鎖

2007-01-24 22:23:01 | 地方競馬
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 TCK女王盃。発走直前にクインオブクインがゲートを飛び出してしまうハプニング。が問題なく発走となりました。レイナワルツかトーセンジョウオーが逃げると思っていたのですが先手を奪ったのはそのクインオブクイン。前半の800メートルを50秒1という典型的なミドルペースでの逃げでした。トーセンジョウオーはインの3番手、サウンドザビーチは出遅れてしまい、中団やや後方といった位置取り。このペースのレースとしてはやや苦しかったと思うのですが、それでも外を徐々に追い上げると、直線も外からしぶとく伸び、3頭の叩き合いをゴール前で制して優勝。重賞初制覇を飾りました。騎乗した勝浦正樹騎手も出遅れたときはヒヤッとしたようですが、この競馬内容で勝つのですから、ここでは力が上だったようです。2着争いはさらに接戦。見た目では好位からうまく直線で内をついて一旦は先頭に立ったクリムゾンルージュのようだったのですが、写真判定の結果、じわじわと伸びたトーセンジョウオーが確保していました。今日はやや行きたがっていたという印象で、このペースなら先手を取った方がよかったかもしれません。また、今日の感じだと距離も1600の方がよさそうに思えます。クリムゾンルージュは前走でB級を勝ったばかり。普通はまったくの格下ですが思い起こせば東京プリンセス賞3着のときにはNARグランプリ2部門受賞のチャームアスリープとそれほど差のない競馬をしていましたので、これくらいは走ってもまったく不思議ではありません。競馬は記憶のゲームとはよくいったものですが、今回はそれを忘れてちょっと痛い目にあってしまいました。
 王将戦は先手の佐藤棋聖が▲7六歩△8四歩に▲7七角と上がり、角筋を通したまま向飛車。後手からの角交換の後、穴熊に囲って9筋から雀刺しというかなり変わった戦型になりました。封じ手の局面は先手がやれそうに思いますが、また時間を多く使っているのがどうでしょうか。
 それからレディースオープンの第二局が明日指されます。里見女流一級は日曜にメイショウ戦の決勝を戦いました。これは関西所属の女流およびアマ、育成会(女流プロの養成組織)員だけが参加するトーナメント。非公式戦ですが、ここでプロ初優勝を飾りました。しかしここは個人的には矢内女流名人の意地に期待してもう一局指してもらいたいところです。
 そして明日から新年最初のGⅠ、競輪祭が開幕です。吉岡選手のいない競輪祭…。その吉岡選手の引退セレモニーが3日目(27日)に行われます。

 様態の発生のうち、個物に関しては次のような疑問があるかもしれません。個物の原因が別の個物であるなら、その個物の原因も別の個物で、その個物の原因も…というように考えていくと、最初の個物がいかにして神から直接的に生じ得るのかと。ただこれは問題としては今回のテーマとはまったく別の問題ですので、僕の見解だけ簡単に説明します。演繹法について触れたときに、第一部定理二八には消極的な意味があるといいました。スピノザの立場は、原因、原因の原因、その原因と辿っていくことは不毛であるということだと思います。逆にいえば、個物の原因を直接的に神(別の個物に変状した限りでの神)と措定するのは、この不毛な議論を断つためだともいえると思います。そしてこの根拠はおそらく第一部定理一六の中にあって、神の本性の必然性から無限に多くのものが生じるというのは、神が無限に多くの様態(この場合は無限に多くの個物と考えてもいいです)に変状するという意味でもあると思うのです。そして無限様態とは、実は無限に多くあるそうした個物の総体であると考えることもできると思いますので、個物がいかにして現実的に存在するようになるかという問題は残ったとしても(この問題はここでの問題とは完全に無関係であると考えます)、神の本性という観点から考えた場合には、ある特定の個物について、その個物の直接的な原因が神であるということは、やはり妥当であろうと思うのです。
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ステイゴールド&様態の発生

2007-01-23 21:54:55 | 名馬
 JRA賞の最優秀2歳牡馬に選出されたドリームジャーニー。この馬の父ステイゴールドは海外でも活躍した馬です。
 3歳の夏に条件戦で3勝目をあげた後、準オープンの身で挑戦した4歳時のダイヤモンドステークスGⅢを2着してオープン入り。この年、天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)とみっつのGⅠで2着。翌年も天皇賞(秋)を2着しました。GⅠで好走するのにGⅡでもなかなか勝てなかったためにファンの人気を集め、ようやく4勝目をあげたのが6歳時の目黒記念GⅡ。実に38戦目にして初の重賞制覇でした。
 その後、7歳の正月に日経新春杯GⅡを勝って重賞2勝目。ドバイに遠征して、昨年はハーツクライが勝ったドバイシーマクラシックを勝ちました(ただし当時はまだGⅡ。この翌年からGⅠに格上げ)。そして同じ年の暮れに香港に遠征。香港ヴァーズで待望のGⅠ初制覇。これはとても届かないと思われた位置からゴール直前で差しきってのもので、8歳を目前にしてのGⅠ優勝、しかも海外でのものですから驚異的でした。
 この一戦を最後に引退。種牡馬入りし、ドリームジャーニーが産駒のGⅠ初制覇となりました。ドリームジャーニーが父のよいところを受けついていれば、長く一線級で活躍することが可能ではないかと思います。ステイゴールドを管理していたのは年度代表馬となったディープインパクトと同じ栗東の池江泰郎調教師。ドリームジャーニーの池江泰寿調教師は子息になります。

 明日は大井でTCK女王盃。混戦です。大外は不利ですがサウンドザビーチ◎に期待。実績上位のトーセンジョウオー○、乗り換りがやや不安もグリンセレブ▲、大井に戻ってアウスレーゼ△、末脚確かなテンセイフジ△という順ですが、ペディクラリスやレイナワルツも怖いです。

 そして明日から王将戦第三局。1勝1敗ですのでどちらにも大事な一局となります。

 個々の様態modiがどのように直接的に神Deusから生じるのかということを『エチカ』に訴えて考えるなら、無限様態modus infinitusについては第一部定理二三(およびその前提となる第一部定理二一と二二)、有限様態すなわち個物res singularisについては第一部定理二八ということになります。ここでの話にあっては、個々の様態が実在的なものであるということさえ保証できれば十分で、それについては僕は第一部定理一六だけで明らかだと思いますので、これらの定理Propositioについては証明せずに、僕が理解している概要のみ簡単に説明します。
 まず、ある種の無限様態は神の属性attributumの絶対的本性から生じ、これを直接無限様態といいます。しかし第一部定義四により属性は神の本性essentiaを構成するので、この様態はまさに神の本性を直接的な原因とするといえるでしょう。一方、直接無限様態を原因とする無限様態を間接無限様態といい,この様態は、直接無限様態に変状した限りでの神を直接的な原因とするということになります。そして個物の場合はほかの個物が原因ですから、ある個物に変状した限りでの神を直接的な原因とするということになります。繰り返しになりますが、ここでは神が直接的な原因であるということが重要です。
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初防衛戦&神と様態

2007-01-22 20:28:18 | NOAH
 昨日はNOAHの日本武道館大会。前回の武道館大会で師弟対決を制して新王者となった三沢光晴選手の初防衛戦が行われました。挑戦者は森嶋猛選手。彼は一時、膝の故障でブランクがありました。体重が膝への負担になるのですが、逆にその休養の間に身体を大きくしたという変り種。いまや体格はテリー・ゴディと化しています。プロレスの方は小細工せずにその大きな体型を前面に出すスタイルで、こちらの方はゴディと比較していえばむしろスティーヴ・ウイリアムスを彷彿とさせます。事前に短時間で勝負を決めたいと宣言していたようで、試合開始直後から猛然とラッシュ。ただ、それを一旦受け止められてしまってからは、攻撃を繰り出してもほとんど単発で終ってしまい、僕の印象ではありますがあまりいいところなく最後もランニングエルボーに沈められてしまいました。丸藤選手と同期の森嶋選手は、このタイトルへの挑戦は2度目ですが、前回は横浜文化体育館での試合。武道館ではおそらくメーンに出場するのもこれが初めてであったと思いますが、どうもその部分で緊張感があり、身体を思うように動かせなかったのではないでしょうか。勝った三沢選手の方は、開始直後のラッシュで場外でパワーボムを受けた際に脳震盪を起こしていたようで、試合後、救急車で病院に運ばれたとのことですが、幸いにして大事には至らなかったようです。

 今回のテーマで重要なのは神と個々の様態との関係なのです。まず、第一部定理一五によれば、無限に多く実在する様態のどれひとつをとってみても、それは神のうちにあり、神がなくては考えられることができません。そしてそれはなぜかといえば、第一部公理四第一部定理一六から、様態が結果として自然のうちに発生する原因が神である、しかも、それはたとえば原因の原因といったように遠隔的に操作するような原因ではなくて、直接的な原因であるからです。つまり、無限に多くある様態のどれひとつをとってみても、それは神(もちろん神がどのようにあり、またどのように考えられるかという点で差異はありますが)から直接的に産出されるのです。したがって、ここで再び公理四に訴えれば、個々の様態の観念(真の観念)というのはすべて、神の認識に依存するわけで、つまりそれはその様態の原因としての神の観念を含んでいなければならないのです。これが神と様態との関係のうち、様態の側から考えたときに、神というものがどういったものでなければならないか、あるいはどういったものとして考えられなければならないかということの大前提になります。
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ウオッカ&議論の前提

2007-01-21 19:26:49 | 血統
 昨年の阪神ジュベナイルフィリーズを勝ち、JRA賞の最優秀2歳牝馬に輝いたウオッカ。この馬もまた牝系(母系)を辿っていくとフロリースカップに辿りつきます。つまり最優秀3歳牡馬になったメイショウサムソンと合わせて2頭が、昨年はこの牝系から代表馬に選出され、この2頭でGⅠを3勝したということになります。ウオッカは第四フロリースカップシラオキの分枝になりますので、ここまで紹介した馬の中ではテイエムドラゴンと同じ。この馬の場合、そのシラオキからさらに2代後(つまりシラオキの孫)のローズトウショウという馬が、トウショウ牧場を中心に現在でもかなり枝葉を広げる祖となった名繁殖牝馬。昨年のサマースプリントシリーズのチャンピオンになったシーイズトウショウなどもこの系統で、現代でもなお血統的な活力を維持し、あるいは進化させています。

 第一部定理一六に関連する問題についてはこれですべて片付いたと思いますので、一旦ここで、今後の話の前提となることについてまとめておきます。まず、神についていえば、僕は第一部定義六は、この定義から直接的に神の実在が導かれるという意味の実在的定義と考えていますし、仮にそれが認められないとしても、第一部定理一一においては神の実在が証明されていて、とくに第三の証明に関しては、これを覆すことは難しいであろうと思います。ですので神は実在的なものであるということになります。しかし神が実在的なものであるということが確定すれば、定理一六により個々の様態もまた実在的であるということが結論されます。なぜなら、実在的である、しかも第一部定義三に注意するなら、それ自身の必然性によって(それ自身のうちにあるというのはエチカにおいてはそういう意味なので)実在的である神の本性から必然的に生じる無限に多くの様態というのは、当然ながら実在的なものであるということになるからです。したがって、これ以降の話というのはすべて、ある実在的なものに関係するということになります。ここでは本性というのをテーマとして扱っていて、事物の本性というのは実在的なものとして考えられなければなりませんから、当たり前のことかもしれませんが、この前提は非常に重要であるということになります。
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表彰選手&知性

2007-01-20 21:46:55 | 競輪
 17日に昨年の競輪の表彰選手が発表になりましたので、紹介し短評を入れます。
 最優秀選手(MVP)は福島の山崎芳仁選手。突出した成績を残した選手がいない中、年間平均競走得点1位というのは、年間を通して高いレベルで安定した活躍をしたといえると思います。高松宮記念杯、東王座戦、熊本記念、福井記念京王閣記念に優勝。記念競輪が昨年になって初制覇ですから、一気に台頭したといえるでしょう。
 優秀選手は3名で、まず秋田の有坂直樹選手。競輪グランプリ優勝ですから当然。ここのところ、小野俊之選手、加藤慎平選手と、グランプリの覇者が翌年は不振に陥る傾向があるので今年も頑張ってほしいです。ほかに静岡記念と宇都宮記念に優勝があります。
 そして群馬の手島慶介選手。S級優勝7回は全選手中のトップですからこれも当然。ふるさとダービー防府函館記念に優勝しました。
 最後に熊本の合志正臣選手。この選出は意外な感じもしましたが、全日本選抜共同通信社杯でビッグ2勝ですので、寛仁親王牌優勝の後閑信一選手より成績面でやや上回っていたようです。
 優秀新人選手は北海道の菊地圭尚選手。このカテゴリーからは文句なしの選出でしょう。
 特別敢闘選手に福島の佐藤慎太郎選手。優勝なしは不満ですが、GⅠで4回決勝進出は立派です。
 国際賞は自転車競技関連なので割愛。日本選手権に優勝し、グランプリで引退した福岡の吉岡稔真選手に特別賞。これは昨年に限らず、競技生活中の実績を考えれば当然でしょう。

 第一部定理一六の残された最後の問題は、無限に多くのものというのを、スピノザが無限の知性によって把握されるすべてのもの、と置き換えている点にあります。しかしこれは、知性というのが個々の観念の総体であって、無限知性というからには、観念として形成され得るすべての観念を含んでいるということに注意しさえすれば、第二部定理七系から明白であると思います。
 というのは、神の本性から形相的に起こることが、同一の連結と秩序で神の観念から客観的に生じるのであれば、神の観念(知性)のうちに含まれる観念は、形相的に生じるすべて(無限に多く)のものの観念全部であって、かつそれ以外の一切の観念は含まれないということになります。ところで、無限知性というのは、実際には神の知性、あるいは正確にいうなら神の本性を構成する無限に多くの属性のうちのひとつである思惟の属性から直接的に生じる無限様態のことなのです。したがって、無限知性に含まれる、あるいは無限知性を構成する観念というのは、神の観念とそれに含まれるすべての観念、いい換えれば、神の観念から客観的に生じるすべてのものということになります。したがって、神の本性から生じる無限に多くのものというのは、無限知性によって把握されるすべてのものと同じことになるのです。
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王将戦&無限の問題

2007-01-19 23:52:14 | 将棋
 王将戦第二局。封じ手(50手目)は立会の南九段が予想していた△9四歩でした。その後、54手目の△5四歩から中盤の本格的な戦いに突入。僕が一旦アクセスできたのは午後1時過ぎでしたので昼食休憩中。61手目の▲7四角の局面でした。僕は父とも昔はよく指したのですが、父は矢倉が好きでしたので、相矢倉の将棋も多かったです(もちろん先手が早くに▲2六歩と突く形)。ただ、プロ同士の相矢倉となるとこれが極端に難しく、この局面でもどちらがよいのかは分かりませんでした。ただ、この時点で残り時間に2時間ほどの差がついていましたので、時間の多い羽生王将の方が有利だろうと見当をつけてネットを閉じました。次にアクセスできたのは6時半頃で、このときはもう終局していて、羽生王将の勝ちになっていました。中盤の戦いの中で、結果的に飛車を押さえ込まれてしまい苦しくしてしまいましたので、佐藤棋聖の方に、この決戦策そのもののどこかで誤算があったものと思われます。そのために一方的に時間を使う形になり、時間の切迫にも襲われたのではないでしょうか。投了の局面ははっきりと先手が優勢ですが、投了するには少し早い感じもしますので、佐藤棋聖はわりと早い段階で諦めていたのではないでしょうか。ちょっと面白いと思ったのは、この将棋が相矢倉の定跡形の将棋になったことについて、神崎七段が驚いたいっていたこと。確かに最近の佐藤棋聖は一風変わった戦法を多く指していますが、定跡形を指して驚かれるというのも不思議な話です。これで1勝1敗。第三局は24日と25日です。

 僕が考える第一部定理一六の意味の中で、無限という概念の取り扱いについて疑問をもたれる方がいるかもしれません。ただ、この問題はやり出せばきりがありませんから、いずれテーマとして扱うことがあるにしても、ここでのテーマとは関連性が薄いので簡単に弁明します。神の本性は無限に多くの属性から構成されます。ここでは属性AとBだけを考えることにします。属性Aが変状した様態は無限に多くあり、属性Bが変状した様態も無限に多くあります。これで考えれば、属性Aから生じる無限の様態と、属性Bから生じる無限の様態を合わせて、さらに無限に多くの様態があるように、つまり、ある無限と別の無限を合わせることによって、より多くの無限があるかのようですが、僕はそのように考えているわけではありません。これはエチカに訴えるならば、第二部定理七第二部定理七系、および備考ということになりますが、各属性の間で原因と結果の連結と秩序は同一です。したがって、無限に多くある属性のどれかの様態としてXがあれば、それ以外のどの属性にも同一個体があることになります。したがって、ある属性の様態と別の属性の様態を合わせるということ自体が無意味であると僕は考えています。あるいは、合わせるということは、それが数で区別されることを前提していて、の区別は様態的区別だから、実在的に区別されるべき異なる属性の様態についてはこれを持ち出すことはできないという観点からも、これは弁明できると思います。
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NARグランプリ&第一部定理一六の意味

2007-01-18 20:27:59 | 地方競馬
 10日にNARグランプリが発表になっていますので、先日のJRA賞と同様に、競走馬の部門の受賞馬を紹介し、短評を入れます。ただし、僕はアラブとばんえいは分かりませんので割愛します。
 年度代表馬は船橋のアジュディミツオー(血統)。川崎記念、かしわ記念帝王賞とGⅠ3勝。活躍できたのは上半期だけですが、当然の受賞です。
 各部門に牡牝の区分はなく、2歳最優秀馬は船橋のフリオーソ全日本2歳優駿GⅠを勝っているわけですから文句なしです。
 3歳最優秀馬は船橋のチャームアスリープ桜花賞東京プリンセス賞関東オークスGⅡと南関東牝馬三冠。とくに交流重賞を勝っているのはこの馬だけですのでこれも当然でしょう。
 4歳以上最優秀馬はアジュディミツオー。最優秀牝馬はチャームアスリープで、これも妥当だと思います。
 最優秀短距離馬は船橋のネイティヴハート。オーシャンステークスGⅢ勝ちが評価されてのもので、どれかを選ぶとなればこの馬しかいないでしょう。
 最優秀ターフ馬は北海道のコスモバルクシンガポール航空国際カップの1勝のみでしたが、GⅠを勝ったのがこの馬だけである以上はこれも当然の受賞といえます。
 南部杯JBCマイル東京大賞典でGⅠ3勝のJRAのブルーコンコルド(血統)が特別表彰馬となっています。

 王将戦第二局は両者が趣向を凝らすことなく相矢倉▲3七銀のよくある将棋になりました。もう仕掛けてはいますがまだまだこれからの将棋でしょう。これが両者の通産120局目となります。

 必然性necessitasの置き換えを説明したので、僕が考える第一部定理一六の意味を示します。
 まず、無限に多くのinfinitaものが生じるとは、無限に多くの様態modiが生じるということです。これは、第一部公理一の意味からして、自然のうちには実体substantiaと様態だけが実在するのですが、第一部定理一四によれば、存在する実体は神Deusだけなのですから、神から生じるものは様態ということになり、問題ないと思います。
 次に、無限に多くの仕方というときの仕方というのを、僕はたとえば物体的な仕方、あるいは観念的な仕方というように解し、これを、無限に多くの属性attributumから、と理解します。第一部定義六によれば、神の本性essentiamは無限に多くの属性infinitis attributisによって構成されるわけで、属性が無限である以上は仕方も無限になる筈で、この点がこの解釈の根拠になります。
 最後の生じなければならぬというのは、単に生じるということ。そこでこの定理Propositioの全体を僕は、神の無限に多くの各々の属性から、無限に多くの様態が必然的にnecessario生じる、という意味に理解します。
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ニューイヤーカップ&必然性

2007-01-17 22:24:59 | 地方競馬
 ニューイヤーカップ。タガタメが逃げて外にバッケンレコード。その後ろにアンパサンド、サイレントドリーム、クールヴォイスの3頭が併走する展開。ただし前半の800メートルは51秒0で、ミドルペースでした。出遅れ気味の発走から中団馬群の後ろのインに控えていたザマローレルが、向正面で馬群の外を一気に進出。これの内からレッドドラゴンも一緒になって上昇し、3コーナー過ぎではこの2頭で先行する全馬を捲りきり、後続に大きな差をつけて完全にマッチレースの様相になりました。結局、終始手応えがよかった内のレッドドラゴンの方がクビ差で凌ぎきって重賞初制覇。鞍上の坂井英光騎手も重賞はこれが初優勝。昨年から一気に勝ち星を増やしてきている期待の若手騎手のひとりです。ザマローレルが2着ということで、ハイセイコー記念の3・2着馬のワンツーとなりました。今日は向正面で一気に動いたふたりの騎手の好判断であったと思います。前のもつれのために一旦は控えざるを得ず、立て直して大外に持ち出したアンパサンドが3着。これは展開のあやで、全日本2歳優駿でも3着(ザマローレルには大きく先着)になった確かな能力は見せたと思います。今日のレース振りだと距離が伸びても大丈夫そうです。タガタメは持ち前のスピード能力を生かすためにはペースを少し落としすぎたかも。今日のバテ方だと逃げ馬とみなしてよさそうです。
 明日から王将戦の第二局。後手の佐藤棋聖の作戦に注目です。

 第一部定理一六を僕は文章そのものとは別様に解釈しているのですが、その前に、冒頭部分についても僕は、神の本性の必然性から、というのを、神の本性から必然的に、とここでは置き換えて理解します。ただし、これには疑問の余地があると思うので、その根拠を示しておくことにします。この必然性というのは、法則ということばで表されるような意味をもつのですが、スピノザがエチカにおいて与えられた法則とみなすのは因果論だけですので、これは原因と結果の間にある必然性を示していると思います。そこでかつてテーマにした第一部公理三に注目すれば、原因が与えられれば必然的に結果が生じるわけですから、この必然性というのはもっぱら原因の側に属するといえます。ところで、定理一六を神と様態との関係でみれば、神を原因として無限に多くの様態が生じるということがいわれているのです。したがって、この必然性は原因である神の側に属するといえると思います。なのでこれは、原因である神(の本性)の必然性から様態が結果として生じるということを意味します。そこで僕は、この必然性を、原因としての神ではなく、神と様態との関係を修飾するために必然的といい換え、神の本性から必然的に、といいます。この置き換えにはこれ以上の意味はありません。ただ、ここでの目的は様態の実在性を確証するという点にありますので、この方法を用います。
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