スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦&第二部定理一七まとめ⑤

2009-02-28 19:57:59 | 将棋
 第34期棋王戦五番勝負第二局が指されましたが,とても面白い将棋になりました。
 先手は久保利明八段。早石田からすぐに▲7四歩と突っかけた後,▲7五飛と浮きました。
           
 僕は初めて見ましたし,渡辺明竜王によるとどうも新手であったようです。角交換の後,佐藤康光棋王も△5四角と打ったので一気の大乱戦に。第2図に進みました。
           
 この△2七角成では△8七角成もあったようで,あるいはそちらが本当なのかもしれません。その場合は▲7五金の進展でしょうか。実戦はここで先手が▲7五銀と打ったのに対し,△5五角とは逃げずに△6五桂と跳ね,そこで先手も▲3八銀のようには受けずに▲6四銀と取るというノーガードの打ち合いの末,第3図に。
           
 指し方からすればこの▲4一龍では▲5四歩と打ちたいところですが,そうするときわどく後手が勝つようです。このあたりは観戦していましたが,この直前,▲6三銀成と詰めろを掛けるのでなく▲5三銀成と捨てている指し方と,ふたつの手の時間の使い方から考えて,▲4一龍自体は修正手順だったのではないかと思います。ここで後手は何かありそう。先手玉に詰みはないみたいなので,王手を掛けながら詰めろ逃れの詰めろを掛けたいところで,実際にそのように指したのですが,実戦は先手の▲7六角がうまい返し技だったといえそうです。してみるとその前,△7七歩と叩く手では△7二飛だったかもしれません。
 難解な将棋を制した久保八段が連勝で初のタイトルへあと1勝。第三局は8日に指されます。

 次の課題は,このような想像という人間の思惟活動を,この想像をなす人間の身体との関係で示すこと,なかんずくスピノザが表象の基本原理として規定しているといっていいであろう第二部定理一七との関係できちんと説明することです。そこで再度,宝くじに当たったことがない人間が,宝くじに当たるという例でこれを具体的に説明することを試みました。
 想像という思惟作用によって人間の精神のうちに生じてくる観念が,この人間の身体のうちに生じる何らかの運動と平行的関係にあるということは明らかです。いい換えれば,想像によって生じる表象像には,これと同一個体であるような何らかの身体運動があります。したがってこれは,平行論の原理で考えられるわけですが,平行論的説明の前提として,宝くじに当たったことがない人間が,宝くじに当たるということを想像し得るということ自体は,すでに無理なく説明されているということに目を向けておく必要があります。しかしもしもこの点に注意するならば,この表象像と平行関係にある身体運動をどのように規定すればよいかは,すでに明らかになったも同然であるといえると思います。
 ところで,人間はある知覚を基にして何事かを想像するといえますが,想像と知覚との関係というのはそればかりではなく,事前に想像していたことを事後に知覚するという場合も往々にしてあるといえるでしょう。そしてこうした事後の知覚が生じるときの人間の精神のうちに生じることを,身体運動との関係で平行論的に考えることができるのではないかと僕は思っています。そしてこの説明により,たとえばパニックの発生というような事態も,平行論的に十分に説明できるのではないかと思います。
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エンプレス杯&第二部定理一七まとめ④

2009-02-27 20:10:13 | 地方競馬
 牝馬のダート重賞としては最高峰に君臨するのがエンプレス杯。25日に川崎競馬場行われました。
          
 ユキチャンが立ち遅れたためにシスターエレキングの逃げに。サヨウナラが2番手を追走し,ユキチャンも掛かり気味に3番手へ。どこかでユキチャンが前に出るのではないかと思っていたのですが,結局それはなく,最後の直線までシスターエレキングが先頭。サヨウナラとユキチャンは後退し,ヤマトマリオンが上がってきましたが,思ったほどの伸びはありません。むしろさらに外のニシノナースコールの伸び脚がよく,シスターエレキングを捕えて優勝。健闘したシスターエレキングが2着に粘り,ヤマトマリオンは3着まで。
 優勝したニシノナースコールは1月に名鉄杯を勝っていて,これが7勝目。重賞は初制覇。実はこれが引退レースでして,すでに登録は抹消されています。自分の力通りに走ったらば,有力視されていた馬が凡走したというケースではないかと思います。雨の影響もあったかもしれません。昨年の秋華賞を勝ったブラックエンブレムの従姉。
 鞍上は吉田豊騎手で,管理していたのは尾形充弘調教師。共にこのレース初制覇です。

 それでは想像について考えていくわけですが,ここではそれを可能な限りで広い意味に考えます。そしてこのように考えたとき,具体的不備というのがどの部分にあるかがはっきりと分かるのです。
 スピノザは『エチカ』のほかの部分においては,人間がある事柄を初体験するという際には,第三部諸感情の定義四に示されているようなパニックに陥ったり,表象の動揺ないしは表象の疑惑が生じることがあるということを示しています。このうち,表象の動揺が人間の精神のうちに起こり得るということ自体が,人間の精神による事物の想像の可能性を含んでいると僕には思えます。なぜなら,この説明のうちには表象像の偶然性ということ,これは想像のみに限らず,知覚にも想起にもあてはまるのですが,そういう偶然性が含まれているとしか考えられないからです。
 たとえば,想起の偶然性ということを,僕たちは自分自身の経験によって容易に理解できるのではないかと思います。しかしこのようなものとしてある人間が自分自身のかつての経験を想起する限り,この想起は容易に同じ精神のうちで想像の連結を生み出すといえます。この説明のうちに,こうした想像が生じる因果関係がすでに含まれていると考えることができますが,原因さえ与えられるならそこから必然的に結果が生じるということは,スピノザの哲学における基本的な考え方だからです。
 そこで次に,このような想像を具体的な例を用いて考えることにしました。最大の目的は前記の具体的不備を解消することです。そこで,宝くじに当たったことがない人間が自身の宝くじの的中を想像し得るということ,そしてそれは,宝くじの未購入者であっても可能であるということを示しました。
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女流名人位戦&第二部定理一七まとめ③

2009-02-26 19:58:04 | 将棋
 清水市代女流王将が一気に奪取を決めるか,矢内理絵子女流名人が踏みとどまるか。第35期女流名人位戦五番勝負第四局が指されました。
 ここは矢内名人の先手。相居飛車,矢倉模様の将棋となり,第1図のように組み上がりました。
           
 もしかしたら好みはあるかもしれませんが,5筋の位を取り,1歩を手持ちにしていますので,僕ならば先手を持って指したいというか,先手が作戦勝ちと思える局面。ここから▲4五歩と仕掛け,角を切って成桂を作りました。
           
 第2図となってどうも先手の攻めが厳しかったようです。この後,後手も反撃に転じ,端を絡めておっと思わせるような局面は作ったものの,最後はきれいに即詰みに討ち取った先手の勝利となっています。次に向けても弾みがつきそうなくらいの快勝といっていい内容だと思います。
 ということで2勝2敗。女流名人位の行方は最後の一局で決まることになりました。3月5日に指されます。

 次に,人間の精神による事物の表象は,その対象がどんな事物であったとしても混乱した観念です。そこでそのことを確認しました。
 まず最初に,人間の精神による外部の物体の観念についてで,これは第二部定理二五です。この定理は,事物を表象する人間の精神とその表象像を関連付けることで証明することが可能ですが,本来はこれは神のうちにどのような仕方であるのかということ,いい換えれば,この表象像はどのような仕方で神と関連付けられるのかという観点から証明するのが,『エチカ』における本筋の証明であるとはいえると思います。
 次に,人間の精神による自分の身体の表象が混乱した観念であるということについては,第二部定理二七で説明されています。そしてこの定理も,この観念がいかにして神と関係付けられるのかという観点から証明されます。
 最後に,人間の精神による自分の精神の表象が混乱した観念であるということは,第二部定理二九で言及されています。
 スピノザが『エチカ』において説明している人間の精神による事物の知覚は以上ですべてです。いい換えればこれで,人間の精神が事物を知覚する限り,それは混乱した観念であるということが証明されたわけです。それをいっているのが第二部定理二九系です。
 スピノザは,想像については一切これに言及していませんが,想起については言及していました。一方,表象像が混乱した観念であるということに関しては,知覚のみを対象として,想起については何も触れていません。しかし想起の場合にもそれが表象像である限りは混乱した観念であるということに関しては,スピノザ自身が説明していなくても,この部分までに考察し終えた事柄だけで十分に明らかにすることができていると僕は考えています。
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王将戦&第二部定理一七まとめ②

2009-02-25 20:02:34 | 将棋
 勝者が王将位に王手を掛ける第58期王将戦七番勝負第五局が,24・25の両日にわたって指されました。
 先手は深浦康市王位で意表の中飛車。初日から小競り合いとなり,2日目には中央突破を目指した先手が左の桂馬を跳ね出したのが第1図。鈴木大介八段などは,振飛車でこの桂馬がここまで使えれば,負けても本望というようないい方をすることがあります。
           
 これで先手が5筋を突破できることは確定。後手の羽生善治王将は飛車の侵入だけは防ぎ,自らの飛車は成り込み,逆用された感もあるものの端にも手をつけて第2図の局面を迎えました。
           
 ここで△3六歩。難しい手ですが,実戦では一手パスのようになってしましました。ただ,局後の感想ですとここではもう自信が持てていなかったようです。以下,▲7九金に△9九龍と取り,▲8八角。ここで△7九龍ないしは△8八同龍と二枚換えにいくのかと思っていたら△9六龍と引き,▲4四角の王手で第3図。
           
 ここからは先手の攻めが続くのかどうかが勝負のすべて。僕は観戦中には分からなかったのですが,終局直前の▲4三成桂~▲1三歩というのがうまい手順で,どうやら先手の攻めは繋がっていたようです。
 深浦王位が3勝2敗とし,二冠目に王手を掛けました。第六局は3月11日と12日に指されます。

 続いては自分の精神の知覚で,これは第二部定理二三です。この定理はすでにこの考察で確かめたことに平行論の観点を持ち込むことにより,わりと簡潔に証明することができます。
 これで表象の種類としての知覚に関して『エチカ』で述べられていることはすべてです。そこで次に,想起に移ります。人間の精神による事物の想起を示している定理は,僕の考えではふたつあるのですが,そのうち僕が重要であると考えているのは第二部定理一七系です。とくにこの系により,人間の精神による知覚と想起の相違が明瞭になるといえるでしょう。なお,この定理のスピノザ自身による証明は,現代の生理学や生物学,医学といった観点からは,それを真正直に理解する限り矛盾が生じているでしょうが,スピノザのいわんとすることを哲学的ないしは形而上学的に理解する限り,この証明は有効であると僕は考えています。
 もうひとつ,人間の精神による事物の想起を説明しているのが第二部定理一八です。僕は想起の説明に関してはこちらの定理は補完的なものと考えますが,その理由のひとつとして,この定理の証明には,第二部定理一七系が必要であるということも上げられるかもしれません。ただし,今回のテーマの中心である,人間の精神による事物の想像の可能性について考察する場合には,表象の連結ということを無視しては通れません。そういう意味でいうならば,今回の考察にのみこれらを関連付けるのであれば,むしろこちらの方が重要であるといういい方はできるかと思います。
 スピノザは自分の身体と精神の想起に関しては,とくに説明を与えていません。ただし僕はそうしたことを人間の精神はなすということは,スピノザの哲学に矛盾することなく導くことができると考えます。ただしこのときには,それは知覚か想起かという論争が生じる可能性があります。僕はこれに関しては現時点では結論を出せませんし,とくに出さなければならないものであるとも考えてはいません。
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奈良記念&第二部定理一七まとめ①

2009-02-24 19:39:48 | 競輪
 雨上がりの33バンクで奈良記念の決勝(動画)が争われました。
 並びは海老根ー武井ー遠沢の南関東を佐藤康紀が追走する東,三宅達也ー三宅伸ー西村の中四国,初手はここを追走も自在含みの加倉に地元の佐藤成人。実質は2分戦。
 Sは三宅達也選手が取って前受け。海老根選手は残り3周のバックから上昇すると,3コーナーでは誘導を斬って前に。加倉選手が5番手にスイッチ,さらにバックでインを上昇し,打鐘で番手戦を挑むとあっさりこれを取りきりました。三宅達也選手はホームから巻き返し。このスピードがよくバックでは捲りきりましたが,三宅伸選手は加倉選手にどかされ追走できず。後ろを離した三宅達也選手の優勝。スイッチした加倉選手が2着で,加倉選手追走の佐藤成人選手が3着でした。
 優勝した岡山の三宅達也選手はこれが記念競輪初制覇。とはいえS級ではもう10回以上も優勝している選手でしたので,いつ制覇しても不思議のない力はもっていました。ここは加倉選手が番手戦を挑んだために隊列が短くなったこと,海老根選手の発進が早かったこと,さらに三宅伸選手が追走しきれなかったことなど,うまくいきすぎという感じもしないではありませんが,えてして勝つときというのはこんなものかもしれません。

 今回は第二部定理一七をテーマに設定しました。以前にスピノザの哲学における表象の何たるかを質問されたときの答えについて考え直してみると,どうもその僕自身の解答,ないしはスピノザによる人間の精神の事物の表象の説明には,不備があるように感じられたからです。そこでこの機会に,人間が事物を想像するということがいかにして可能になるのかをスピノザの哲学に照らし合わせて探求してみると共に,スピノザの哲学における表象一般について,深く考え直してみようと意図したものです。
 『エチカ』において表象が最初に登場するのが今回のテーマである第二部定理一七です。そこでまずはこの定理を証明しなければなりません。このために必要なのは第二部自然学②公理一の意味第二部定義二の意味をきちんと把握することです。これで第二部定理一七は証明できます。
 スピノザはこうした表象を,僕のように明確に知覚と想起と想像とに分類したわけではありません。ただし,僕の理解では,これは人間の精神による外部の物体の知覚に該当します。しかし,人間が知覚する事物は外部の物体だけではありません。むしろ外部に対する内部,すなわち自分自身の身体を知覚するということもありますし,自分自身の精神を知覚するということもあります。そこで次にこうした知覚を検証していくことになりました。
 まずは人間の精神による自分の身体の知覚であって,これは第二部定理一九です。ただしこの定理は,第二部定理一七とは異なり,ふたつの意味が含まれていると僕は考えます。そこで証明も慎重を期し,前段の第一の意味と後段の第二の意味とに分けて証明することにしました。
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フェブラリーステークス&論理展開の順序

2009-02-22 19:53:33 | 中央競馬
 JRAでは今年初の大レースとなる第26回フェブラリーステークス
 サンライズバッカスは出遅れ。すこし手間取りましたが予想通りにエスポワールシチーの逃げ。カジノドライヴとサクセスブロッケンが追い,カネヒキリはその後ろのイン。前半の800メートルは47秒0でミドルペース。
 エスポワールシチーは直線に入ると一旦は後ろを離しましたが,これはカジノドライヴが後ろを待ったため。満を持して追い出されるとすぐに捕えて先頭に。迫ったのは内からカネヒキリ,外からサクセスブロッケンで,最後は3頭の壮絶な叩き合い。一番外のサクセスブロッケンがゴール前でぐいっと出て優勝。2着争いはきわどくなりましたが,写真判定の結果はカジノドライヴがカネヒキリを抑えていました。
 優勝したサクセスブロッケンは昨年7月のジャパンダートダービー以来の勝利で大レース2勝目。相手関係よりも,スムーズにレースができるかどうかがレースの結果に影響しやすいタイプと思われ,広い東京コースは向いていたと思われます。レコードタイムも立派で,まだ4歳ですから,今後もまだまだ活躍していけるでしょう。父はシンボリクリスエス
 鞍上は内田博幸騎手で,昨年暮れの全日本2歳優駿以来の大レース制覇。管理する藤原英昭調教師はジャパンダートダービー以来の大レース制覇で,フェブラリーステークスは共に初優勝です。
 過去の傾向から,このレースは外枠の方が有利という傾向がありました。カネヒキリには2番枠はやや不利であったかもしれません。

 第二部定理一六には系Corollariumがふたつです。よってスピノザはこの第二部定理一六系二の次に第二部定理一七を置いています。つまり,スピノザはまず,物体corpusに一般の法則を自然学Physical Digressionにおいて示し,次にこれに依拠することによって,自分の身体corpusが外部の物体から刺激される様式の観念ideaのうちにはその外部の物体の本性naturaと共に自分の身体の本性も含まれているということを明らかにすることによって,人間が外部の物体ならびに自分の身体を知覚するpercipereこと,すなわちそれが現実的に存在すると観想するcontemplariということを明らかにしました。論理の展開としてはもちろんこれが正しい順序であるといえるでしょう。また,このような観念が混乱した観念idea inadaequataであるということも,このことのうちに含まれていると考えることもできると思います。
 僕のここでの考察は,この順序を逆にして,第二部定理一七を出発点に,表象imaginatioとはどんなものであるのか,なかんずく人間の精神mens humanaが事物を想像するということがいかにしてひとりの人間の精神のうちで可能になるのかということを探求し,このことから,単に想像に限らず,知覚と想起memoriaも含めた表象に一般の特徴を考察することによって,第二部定理一六系二へと戻っていくというものになりました。
 スピノザは方法論としては原因から結果を導く方法,すなわち演繹法のみを有効とみなし,結果から原因を辿るような帰納法は認めていませんでした。そういう意味ではここでの考察は,スピノザ主義というものには反するものであったかもしれません。しかし,表象の何たるかを考えることによって,その表象自体を可能としているような諸々の原理の正しさも明らかにすることができたということ自体に関しては,個人的にはまったく意味がなかったことであるとは思いません。
 今回の考察はこれで終了とし,次回からまとめに入ることにします。
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バランシーン&第二部定理一六系二証明

2009-02-21 20:20:36 | 海外競馬
 昨年の秋華賞を勝ったブラックエンブレムは,先月,ドバイに旅立っていました。現地時間2月5日のレースに出走の予定でしたがこれは一頓挫あって回避。日本時間で21日未明のバランシーンGⅢ(動画)に出走しました。
 レースはインの3・4番手を追走。そのまま直線に入りましたが,途中からずるずると後退。ゴールはしたものの大きく離されての最下位。管理する小島茂之調教師によると,レース中に鼻血を出してしまったようです。
 馬は人間と違って,鼻でしか呼吸をすることができない生き物なので,鼻血は生死にも直結します。ところが中には鼻血を出しやすい馬というのがいまして,ブラックエンブレムもそうした1頭。秋華賞の後,日本でレースを使わなかったのも,調教中に鼻血を出したことがひとつの原因でしたし,ドバイ到着後の一頓挫というのも実は調教中の鼻血でした。先述したようにこれは競走能力だけでなく,生命に関わる問題なので,外傷以外の原因で鼻血を出した馬には試験が課せられ,それはクリアできたのですが,大事なレースで発症することになってしましました。
 なお,昨年の兵庫ジュニアグランプリを2着になったアースリヴィングも同時にドバイ入りし,こちらは現地時間6日の準重賞,UAE1000ギニーに出走,2着しています。

 第二部定理一六系二は次のように証明されます。
 まず第一に,ある物体と別の物体とが関係することによって双方の物体ないしは片方の物体にある運動あるいは静止が生じるとするならば,岩波文庫版の『エチカ』上巻113ページ冒頭の第二部自然学②公理一により,この運動ないし静止の様式は,これに関係している双方の物体の本性を含むことになります。ところで,人間の身体というのはいうまでもなく物体であるわけですから,この公理に適合しなければなりません。よって,人間の身体がある外部の物体に刺激されることによって何らかの運動ないしは静止に決定されるとするならば,この様式というのはこの人間の身体と,この身体を刺激すると仮定されている外部の物体の,両方の本性を含んでいなければなりません。いい換えれば,こうして生じる人間の身体の運動の原因は,この人間の身体と,これを刺激する外部の物体の両者であるということになります。
 第二に,第一部公理四によれば,結果の観念は原因の観念を含んでいなければなりません。よって,このような結果として生じるような人間の身体の運動の観念には,この運動の原因としての外部の物体の本性の観念とこの人間の身体の本性の観念の両方が含まれることになります。よって,人間がある外部の物体によって自分の身体が刺激されて運動するときの観念には,外部の物体の本性と同時に自分の身体の本性とが含まれるということになり,人間は,自分の身体の状態に応じて,外部の物体を認識するということになります。いい換えればこの観念は,自分の身体を刺激する外部の物体の本性よりも,自分自身の身体のそのときそのときの状態を多く示すということになるでしょう。
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金盃&第二部定理一六系二

2009-02-20 20:26:15 | 地方競馬
 18日に大井競馬場で争われた金盃の回顧です。
 大外からコアレスデジタルの逃げ。ナイキアースワーク,マズルブラスト,マンオブパーサーが追っていきました。最初の1000メートルは62秒3。やや早いペースといったところでしょうか。
 直線でまず抜け出したのはマンオブパーサー。これに中団から伸びたバグパイプウィンドが襲い掛かり交わし去ると,大外からルースリンドの追い込み。しかしこれは届かず,1番人気に推されていたバグパイプウィンドの優勝。詰め寄ったルースリンドが2着でマンオブパーサーが3着でした。
 優勝したバグパイプウィンドは中央デビューの予定でしたが態勢が整わず,3歳12月に大井でデビュー。以降14戦12勝2着2回という成績で初の南関東重賞に挑戦。ここも優勝となりました。斤量の差が4キロもあり,かなり有利であったことは否めませんが,重賞でもそこそこの勝負ができるルースリンドを抑えたのは価値がある勝利といえるでしょう。今後も楽しみな1頭だと思います。
 鞍上は大井の的場文男騎手で,昨年10月の埼玉栄冠賞以来となる南関東重賞制覇。金盃は意外にも1986年以来となる2勝目です。管理するのは大井の庄子連兵 調教師で,こちらは一昨年ボンネビルレコードで制していますので,2年ぶり2度目の金盃制覇となりました。

 こうした諸個人の間における表象像の相違を別の形で示しているのが,第二部定理一六系二であるということはできるかもしれません。
 「第二に,我々が外部の物体について有する観念は外部の物体の本性よりも我々の身体の状態をより多く示すということになる」。
 第二に,と始まっているのはこれが系二であるからで,それ以上の意味があるわけではありません。ちなみに系一が示していることは,人間は自分の身体とともに外部の物体の本性も知覚するということです。そしてこの系一で知覚するといわれているときの知覚は,スピノザが『エチカ』において用いる厳密な意味での知覚,すなわち第二部定義三説明で説明している,概念ということばと対義語としての知覚であると考えるべきであろうと思います。すなわちそこでは概念が能動的な認識作用とされるのに対し,知覚は受動的な認識作用と規定されていました。しかるに,第三部定理一によれば,人間は混乱した観念を有する限りにおいて受動的であるわけですから,この第二部定理一六系二において,外部の物体について有する観念といわれているときの観念は,十全な観念ではなく,混乱した観念であると理解しなければなりませんし,とくに表象像のことと理解するべきでしょう。なぜなら,ここでは外部の物体の本性を知覚するといわれていますが,第二部定義二の意味により,事物の本性はその事物の存在を定立しますが,ある個物が現実的に存在すると観想することこそ,その個物を表象するということの意味であったからです。
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王将戦&相違の発生②

2009-02-19 20:11:09 | 将棋
 羽生善治王将が2勝2敗のタイに戻すか,深浦康市王位が3勝1敗と王手を掛けるのか,今後の展開を占う意味では大きな一番といえる第58期王将戦七番勝負第四局が18・19の両日に指されました。
 ここは羽生王将が先手。深浦王位は一手損角換りで1-Ⅱ。先手が1筋の位を取って相腰掛銀。意外と珍しい形ではないかと思います。第1図に。
           
 ここで後手は△3五歩と位を取りましたが,大胆な感じもします。続く▲4五銀に△6三銀と引くのも意表といえば意表。何というか,やって来いと促しているというか挑発しているというか,そんな気がしました。先手は怯まずに攻めて出て第2図に。
           
 ここで▲2四銀と打ったのが決断の一手。もう後戻りはしないという気持ちが表れているような感じでしょうか。以下,△4六角▲3三銀成に実戦の△同金ではなく△同桂であったらどうだったのかということはありますが,ほとんど一方的に先手が攻め勝っています。感想戦にもありますが,この将棋は本格的な戦いになる以前の後手の構想が少しまずかったということではないのかと思われます。
 2勝2敗となり,残り3局での勝負に。第五局は24日と25日です。

 表象の相違の発生に関しては,もうひとつ,別の考え方をすることもできると思います。しかしこれは先にした説明と,どちらが正しいとかいう問題ではなくて,実際の各個人の間における表象像のずれというのは,双方を原因として生じるということだと思います。
 第二部定理一七は,人間の精神による事物の知覚を,この知覚をする人間の身体と,知覚される物体とのある関係によって説明しています。このとき,この運動と,知覚される物体の表象像が平行論における平行関係にあるわけです。そこでもしも生じる運動が完全に同一であると仮定するならば,表象像の方も完全に同一であるということがいえると僕は考えます。したがって,もしもXという物体があり,この物体が人間Aの身体に対しても人間Bの身体に対してもまったく同じようにある刺激を与え,かつその刺激によって人間Aの身体のうちにも人間Bの身体のうちにも完全に同様といえる運動が生じるならば,人間Aの精神が知覚するXの観念すなわち表象像と,人間Bが知覚するXの表象像とは,完全に一致するということになると思います。
 しかし逆に考えれば,Aの精神とBの精神のうちで,Xの表象像が完全に一致するのは,以上の条件が揃った場合のみなのであって,そうでない限り,何らかの相違が生じるということになると思います。しかし,前述したような条件が揃うということは,絶対に不可能だとはいいませんが,きわめて稀であると断定してよいと思います。なぜなら,第二部自然学②公理一,岩波文庫版113ページ冒頭部分は,そういうことを示していると僕は考えるからです。よってこの観点からも,各個人の間においては,想像に限らず,知覚と想起も含んだ表象像が厳密な意味では異なるということが帰結していると思います。
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女流名人位戦&相違の発生①

2009-02-18 23:10:30 | 将棋
 勝った方がタイトルに王手をかける第35期女流名人位戦五番勝負第三局が指されました。
 先手は清水市代女流王将で,陽動振飛車という意表の戦型。清水王将の振飛車も僕は初めて見た気がします。ただ,うまく指しこなすことはできず,途中は明らかに持ち歩を溜めた後手の矢内理絵子女流名人が作戦勝ちであったと思います。
           
 この将棋はなかなか本格的な戦いにならなかったのですが,第1図から△8四歩▲同歩△8五歩以下,100手目にしてようやく桂馬の交換になりました。その桂馬は後手から先着したのですが,第2図のように先手から打ち返されてみると,こちらの方が厳しく,ここはもう先手が優勢でしょう。
           
 第2図以下,△3四金▲2四歩△1二銀とへこましてから▲9三銀不成。これを△同香と取れないようでは大勢が決したといってもいいのではないでしょうか。以降も順調に駒得を重ねた先手が,ほぼ一方的に押し切っています。
 清水王将が2勝1敗と女流名人復位に王手。第四局は26日に指されます。

 それではこういった各個人における表象の相違といったものは,どうして生じるのでしょうか。この疑問には,ふたつの仕方で説明することが可能であろうと僕は考えます。
 まず第一に,表象像の連結,あるいは広く混乱した観念の連結の秩序というものが,諸個人の経験や習慣といったものに大きく左右されるという点です。第二部定理一八は,人間が複数のものに刺激されると,後にそのうちのひとつのものに刺激されることで別のものを想起することを証明していますが,こうした想起は,かつて複数のものに同時に刺激されることが多ければ多いほど,よりその人間の精神のうちで確定的になってくるといえます。しかし,何と何とに同時に刺激されることが多くなるかということは,個人の経験や生活の習慣が異なるにつれて異なってくるといえるでしょう。よって,ある人間AとBがいて,この両者が同時にXに刺激される,すなわちこの両者が同時に同じXを知覚するのだとしても,それまでのAとBの生活習慣の相違によっては,この同じXがまったく異なって知覚されるという場合すらあり得るということができると思います。すなわち,たとえばAはXと同時にYを表象することが多ければ,そのようにXを知覚し,対してBはXとZを同時に表象することに慣れていたならば,そのようにXを表象するであろうからです。このように考えれば,馬という同じことばから,ある人間はレースを走る競走馬を想起ないし想像し,別の人間は草原でのんびりと草を食む馬を想起ないし想像する理由が,ある種の経験論に訴えることによって,論理的にも説明できたといえるのではないでしょうか。
 なおこれは,第二部定理一八備考でスピノザが示している例に合致すると思いますので,該当部分もお読みください。
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東西王座戦&表象の相違

2009-02-15 19:23:32 | 競輪
 今年は高松競輪場を舞台に3日間にわたって争われた東西王座戦の決勝でした。
 まずは。並びは伏見ー成田の福島,武田ー神山ー阿部の関東,海老根ー武井ー渡辺ー村本の南関東。伏見選手がSを取って前受け。中団が武田選手で後方が海老根選手。残り2周のホームから上昇した海老根選手は武田選手に蓋をし,打鐘で伏見選手を叩いて先行。外から5番手を取った武田選手がバックで捲っていきましたが武井選手のブロックが強烈で失速。恩恵を受けた海老根選手が逃げ切って優勝。武田選手の勢いをもらって大外を伸びた神山選手が僅差の2着。3番手から伸びた渡辺選手が3着でした。
 優勝した千葉の海老根恵太選手は2004年のヤンググランプリ以来のビッグ2勝目。グレード競走では昨年6月の小田原記念以来。後ろのアシストはありましたが逃げ切っての優勝は立派で,これを機にさらに飛躍してほしい選手のひとりです。
 続いて西。並びは稲垣ー加藤ー山田ー山口の近畿中部,渡部ー三宅ー岩津の瀬戸内,井上ー小野の九州。加藤選手がSを取って稲垣選手の前受け。井上選手が中団で渡部選手が後方。上昇した渡部選手は打鐘で前に出ると,切り替えた井上選手が中団。ここを稲垣選手が反撃し,ホームでは渡部選手を叩きました。仕方のない渡部選手は番手戦を挑みましたがここは加藤選手が死守。井上選手の捲りは3コーナーで一杯。直線では加藤選手が差して優勝。マークの山田選手が2着で逃げた稲垣選手が3着と,このラインの上位独占になりました。
 優勝した岐阜の加藤慎平選手は2005年の競輪グランプリ以来のビッグ3勝目。本来の力からすればそのグランプリ制覇以後はかなりの不振に陥っていたというべきだと思います。おそらくそれには怪我の影響があったのではないかと思いますので,身体面が以前の状態に戻れば,まだまだ活躍できる選手だろうと思います。この優勝はそのきっかけになるかもしれません。

 このこりん星の場合のように,その表象像の複雑性が増してくればくるほど,各個人の精神のうちにおける表象像の差異は,たとえそれら各個人がことばの上では同一の対象を表象しているといえるとしても,その複雑性の分だけ増してくるのではないかと僕は考えています。したがって,こりん星のようなものの表象になれば,僕が想像するこりん星と,だれか別の人が想像するこりん星とでは,こりん星という名前だけは一緒であっても,表象されている内容だけに注目するなら,まったく別のものであるとさえいうことができるような場合もあるのではないかと思います。
 実際には想像の相違というのは,翼の生えた馬という,かなり簡潔なことばで表現できるような,ペガサスの場合にも,厳密にいうなら各個人の間で発生しているというべきだろうと思います。それどころか,こうしたことはこりん星とかペガサスのように,僕たちが表象するためには想像する以外にはないものの場合だけではなく,知覚し得るような対象の場合にも生じるといえるでしょう。たとえば翼がある馬ではなくて,単に馬といったとしても,僕はこのことばからはほとんどの場合は競走馬を表象するでしょうが,そうではなく,草原で草を食む馬を表象する人もあるでしょう。あるいはポニーを表象する人がいたとしても少しもおかしくはありません。
 このようにして,どんな対象の表象であれ,各人の表象像というのは,それを厳密に考える限り,必ずといっていいほどに何らかの相違があって,厳格には一致しないというべきだろうと思います。ただその相違は,表象される対象の複雑性と,比例的な関係にあるのではないかと僕は考えているのです。
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朝日杯将棋オープン&表象像の複雑性

2009-02-14 19:50:59 | 将棋
 第2回朝日杯将棋オープンは,準決勝と決勝が公開対局で行われました。ここでは決勝の将棋を取り上げます。
 対局したのは午前の準決勝で渡辺明竜王を破った久保利明八段と,佐藤和俊五段に勝った阿久津主税六段。対戦成績は久保八段が1勝,阿久津六段が4勝で,持将棋が1局。
 振駒で阿久津六段の先手。久保八段のごきげん中飛車で③AⅡの△6二玉。2筋の歩を切った後,先手が飛車を引かなかったため後手が捕獲にいき,成り行き上で先手が攻めて第1図。
          
 先手は角銀交換の駒損ですが,と金ができ,香車も取れて飛車も成れそう。しかしこの局面は後手の方がいいようです。ここから後手は6筋の歩を伸ばしていき反撃。第2図になりました。
           
 ここで△4四角と引きましたが,こう飛車を取らせて馬を作る順はまずく,ここは△7七角成▲同銀△8五桂と攻めていくべきだったようです。それならどうも後手に分があったよう。実戦は▲6五桂と取られた後,▲6四香と打たれる手が厳しく混戦模様。あるいはもうそこでは逆転しているかもしれません。あとは先手が押し切っています。ネット上に観戦記が掲載されますので,手に関する詳しいことはそちらでお読みください。
 阿久津六段は旧朝日オープン挑戦はありましたが,棋戦の優勝はこれが初めて。個人的にも将来を期待している棋士のひとりで,これがよい弾みになってくれればいいと思います。

 なぜこりん星を想像する場合には,ペガサスの場合のようには簡単にはいかないのかといえば,それはこりん星なるものがペガサスなるものに比べたときに,より複雑なものであるからだということになると思います。別のいい方をするならば,それをことばを用いて説明する場合には,ペガサスはごく簡易に表現することが可能であるのに対して,こりん星の場合にはそうではないということになるでしょう。どちらの場合にも,第二部定理九の仕方でその表象像が人間の精神のうちに生じてくるということがすでに明らかになっていて,このためには,想像されるものが,すでにその人間の精神のうちにある何らかの観念,とくに知覚されたことがあるものと連結されなければならず,したがってこの説明もまたそのようなものを用いてなされなければならないということはいうまでもないことですが,ペガサスの場合には馬と翼というたったふたつのもだけでそれを説明し得るのに対し,こりん星の場合にはそうはいかないということが,こりん星なるものがたとえばペガサスに対してもっている複雑さの在処ではないかと思います。
 実際のことをいえば,僕はペガサスについてならば翼を持った馬ということでそれを表現できますが,こりん星についてはそれを十分に説明することはできません。もっともこれはもしかすると,だれにも説明できないことなのかもしれないのです。第二部定理四九は,混乱した観念にも何らかの意志が含まれるということを示していて,馬に対して翼を肯定することが,ペガサスの観念に含まれる意志であるということになるのですが,ある星に対して何を肯定することがこりん星の観念に含まれるような意志になるのかは,はっきりとした答えがあるともいいがたい面があるからです。
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ユングフラウ賞&こりん星の場合

2009-02-13 19:25:17 | 地方競馬
 昨年までは南関東の準重賞だったユングフラウ賞が,今年からは桜花賞トライアルとしては変わらないものの,南関東重賞に格上げされ,11日に争われました。
 タッチブライトとエンドスルーが並ぶように引っ張り,クラフィンライデンが追っていく展開。最初の600メートルは36秒1のハイペースに。前半は中団に構えていた人気のモエレエターナルは向正面から進出を開始し,直線の入口では先頭に立つと,後は引き離す一方の楽勝になりました。内で,タッチブライトとエンドスルーがまだ並んで競り合っていましたが,外からエロージュが交わして2着。さらに大外を追い込んだハニービーが3着に食い込んでいます。
 優勝したモエレエターナルは先月のニューイヤーカップから連勝で南関東重賞2勝目。ここは牝馬限定戦になっていて,とくに強力なメンバーがいたわけでもないので,順当な勝利といえるでしょう。次は桜花賞になるものと思いますが,そこでは断然の存在ではなく,有力馬の1頭という位置付けだろうと思います。
 鞍上は川崎の今野忠成騎手で,ニューイヤーカップに続く今年の南関東重賞2勝目。管理するのは川崎の池田孝調教師。このふたりが記念すべき第1回にその名前を刻むこととなりました。

 ペガサスの場合には,たとえばそれが翼のある馬ということばによって示されることにより,ある人間の精神のうちに翼の観念と馬の観念,あるいは翼の表象像と馬の表象像がある限り,これらふたつの表象像を合成することによって,この人間はペガサスをも表象することが可能になります。しかしこれらふたつの表象像の場合は,それがある人間の精神のうちにあるという仮定自体が,まったく無理のないものですから,現実的に考えれば,大概の人間はペガサスを表象することができると結論することができるわけです。
 しかし,こりん星の場合にはことはこのように簡単ではないと思います。たとえば,星の観念についていうなら,これは馬や翼と同様に,ほとんどの人間の精神のうちにその表象像があると仮定してよかろうと思います。ですが,そうした星の表象像があるからといって,直ちに僕たちの精神のうちにこりん星の表象像が生じ得るかといえば,そんなことはないでしょう。第一,こりん星は星と名付けられている以上,ある星の表象像であるということについては疑い得ないわけですが,だからといって,こりん星という星の表象をなすために,この人間の精神のうちに星の表象像が必要であるのかどうかということにも,僕は疑問を感じます。というのも,こりん星をこりん星たらしめる要素というものがあるとしたら,それはそれが星であるという点にあるのではなく,おそらくもっと別の点にあるように思うからです。いい換えれば,こりん星というのは星と名付けられてはいるものの,その表象に際して最も重要である点は,それが星であるという点では少なくともないであろうと思えるのです。
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佐賀記念&第二部定理九の扱い

2009-02-12 19:46:22 | 地方競馬
 佐賀では夏と冬にひとつずつ重賞が行われますが,冬は佐賀記念(動画)。今年は11日の施行でした。
 スマートファルコンの逃げ。以下,クリーン,ロールオブザダイス,サカラートと続きましたが,スマートファルコンに絡んでいくという感じはいっかななく,かなり緩いペースであったように思います。
 結局スマートファルコンはそのまま先頭を譲らず,むしろ最後は後ろを離して4馬身の差をつけての逃げ切り。2周目の3コーナー手前でクリーンを交わしていったロールオブザダイスが2着で,苦しくなったように見えたクリーンも3着に頑張りました。
 優勝したスマートファルコンは11月の浦和記念,12月の兵庫ゴールドトロフィーに続いて3連勝で,重賞4勝目。ここは相手関係はむしろ楽になっていた印象で,58キロという斤量がどうなのかが問題でしたが,展開面でも利があり,圧勝となりました。今後,どういうレースを選択してくるかが興味深い馬です。父はゴールドアリュール
 鞍上は岩田康誠騎手で管理するのは小崎憲調教師。共に佐賀記念初制覇です。

 人間の精神がこりん星を想像するという場合にも,基本的にはペガサスの場合と同様の因果関係が,これを想像する人間の精神のうちで生じているということになると思います。よってこれもまた,『エチカ』の定理でいうならば,第二部定理九によって説明されるということになるでしょう。
 そこで,ここで改めて,この第二部定理九の,この考察における扱いについて,少し注意をしておくことにします。というのは,スピノザは直接的にそのように触れているわけではないかもしれませんが,この定理というのは明らかにある十全な観念,すなわち個物の十全な観念についてそれを対象としているのに対して,ペガサスの観念とかこりん星の観念というのは,とくに説明するまでもなく混乱した観念なので,これらの間に何らかの橋渡しをして,整合性を保っておく必要なあるからです。
 これに関しては第二部定義四第二部定理三二を用います。すなわち,十全な観念と真の観念は同じものを別の側面からいったものであり,次に神のうちにある観念はすべて真の観念であるというわけです。よってペガサスの観念であろうとこりん星の観念であろうと,ひとたびそれが神と関係付けられるや真の観念,すなわち十全な観念ですから,仮に第二部定理九が十全な観念のみをその対象にしていると考えたとしても,何の問題もなく適用し得るということになるのです。
 なお,ペガサスにしろこりん星にしろ,これは形相的には存在しないものです。しかしそうしたものに関しても,人間の精神が表象する以上,その十全な観念というものが神のうちに存在するということは,かつて無の観念について考察したときに結論しています。
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王将戦&ことばのメリット

2009-02-11 19:22:47 | 将棋
 双方が後手番で1勝ずつを上げ,改めて残り5局の勝負となった第58期王将戦七番勝負は,第三局が10日と11日に指されました。
 深浦康市王位の先手で羽生善治王将のごきげん中飛車。③AⅠになりました。先手が2筋,後手は5筋の歩を切り,第1図のように後手は先手の飛車を抑えこむ指し方に。
           
 ここから先手は捌きに出て,桂交換。その桂馬を第2図のように打って,飛車を世に出すことには成功。ただし打った桂馬は取られそう。その間に先手が手を作れるかどうかの勝負になりました。
           
 この後,先手に意表の角切りが出て,一応は後手が駒得に。しかし後手の2筋方面が重くなっている間に先手は金銀を玉に寄せつつ飛車も6筋に転換して第3図。
           
 所用で外出していたのでこのあたりからの観戦でしたが,もうすでに先手がかなり優位に立っているように感じられ,検討にもあまり熱が入りませんでした。実戦もこれ以下,先手が順当に押し切っています。第2図以降の展開で,後手は何とか桂馬を取りきるような順にもっていかなければいけなかったのだろうと思います。
 深浦王位が2勝1敗とリード。第四局は18日と19日です。

 確かに人間がことばを用いることには,このようなデメリットがあるわけです。しかし一方で,もしも僕たちがことばと観念とは異なるということに十分な注意を払った上でことばを用いるならば,ことばを用いることが人間にとってこの上ないようなメリットをもたらすということも,このペガサスを想像する例は示しているように僕には思えるのです。
 ペガサスというのは,翼のある馬であると,ごく簡単にことばによって表現することができます。だから僕たちは容易にそのペガサスなるもの,もっと正確にいうならばペガサスと名付けられているそうしたものを簡単に想像することができます。しかし逆に考えてみれば,もしもことばを用いてペガサスなるものをこのように表現することができないならば,僕たちはペガサスをそうは簡単に想像できないでしょう。いや,そもそもが馬とか翼というのがここではことばとして示されているわけで,もしもその点にまで留意して人間がことばを用いることに目を向けるならば,人間がことばを用いることができないならば,人間が想像し得るものは,現に人間が想像しているものに比べれば,格段に少なくなってしまうといわなければならないと思います。
 しかるに,想像が混乱した観念であるということに気付いている限り,それは人間の精神の力なのであるということを強調しているのが第二部定理一七備考なのです。したがってこの力というのは,ある意味では,人間がことばを用いることができるからこそ人間に備わっている力であるということができるでしょう。このように考えれば,ことばのデメリットとしてある同じ要素が,ことばのメリットでもあるということができるように思えます。これまで,僕はそのデメリットばかりを強調してきたかもしれませんが,実際にはこうしたメリットがあるということも認めています。
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