スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

名古屋記念&電話

2009-03-31 19:09:11 | 競輪
 競輪も年度は4月~3月。年度最後の今日,名古屋記念の決勝(動画)が争われました。
 木暮ー中村の関東に有坂,海老根ー渡辺ー白戸の南関東,小嶋ー加藤の中部に豊田の3分戦。加藤選手と渡辺選手がSを取りに行き,内が有利で加藤選手。ということで小嶋選手が前受け,海老根選手が中団,木暮選手が後方で周回。残り2周のホームで木暮選手が上昇し,海老根選手も続きます。バックで小嶋選手は引き,先頭に立った木暮選手はスローペースに。これを打鐘で海老根選手が抑えると,一列棒状となり,ホームから海老根選手の抑え先行に。バック通過までこの状態でしたので,展開は番手の渡辺選手に有利でしたが,3コーナーから捲り追い込んだ木暮選手が届いて優勝。渡辺選手は2着まで。組立失敗の小嶋選手が力で大外を伸びて3着。
 優勝した群馬の木暮安由選手はこれが記念競輪初優勝。競輪学校92期,24歳の新鋭。このメンバーで記念競輪を勝つというのもすごいですが,今回は完全優勝。今後の活躍が楽しみとしかいいようがなく,もしかしたら競輪界のニュースター誕生の記念競輪であったということになるのかもしれません。

 前回のテーマで僕は想像と知覚との関係を身体運動との関係で説明しましたが,この考察には,このときの経験が関係していたということは間違いありません。もっとも僕自身は,宝くじが当たるということをはっきりと想像していたというわけではありません。誕生日のプレゼントにたった1枚だけもらった宝くじが当たることをリアルに想像できるような人間では僕はなかったということです。
 だからこそ,新聞紙上に同じ6桁の数字を発見したときの驚きは大きなものでした。僕たちはびっくりしたときに,飛び上がるという表現をしばしば用いますが,このときの僕は文字通りに飛び上がっていました。こういう身体運動と驚きという精神状態は確かに平行関係にあるのです。
 僕は早速,僕に宝くじをプレゼントしてくれた友人に電話をしました。この当時は携帯電話は,あったとしても普及はしていませんでしたから,友人の家に電話したわけです。僕が年末ジャンボ宝くじが50万円になったことを教えると,友人は,僕にはすごく意外に思えること,少なくともそのときは意外に思えたことを言いました。彼はそれならば,UWFのビデオを1本買ってほしいと言うのです。DVDではなく,ビデオというのも時代を感じさせます。
 UWFというのは,当時は人気のあったプロレスの団体。時期的にいって第2次UWFのことでしょう。僕が高校時代にこの友人と仲良くなったのには,共にプロレスが好きだったというのも大いに関係しています。僕が全日本ファンで友人がUWFファンですから,プロレスというジャンルでいえば両極端ですが,何度か一緒にプロレスを見に行っています。その中では,ブルーザー・ブロディが全日本に復帰して,ジャンボ・鶴田を破ってインター王者に返り咲いた武道館大会が僕の中で最も印象に残っています。UWFは一緒に行ったかどうか覚えていませんが,パンクラスの初興行は間違いなく一緒に行きました。
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棋王戦&誕生日

2009-03-30 19:28:42 | 将棋
 将棋界では年度末最後の大一番となった第34期棋王戦五番勝負第五局が指されました。
 振駒で佐藤康光棋王が先手に。久保利明八段はごきげん中飛車。③Bの類型になり,▲9六歩に替えて▲6八金。自身が先手になれば予想された戦型ですので,佐藤棋王の事前の作戦であったと思います。後手銀冠,先手6筋位取りの持久戦になって第1図。
           
 ここから後手が△9五歩と仕掛けました。この端攻めが成功するかどうかが勝負の鍵。よって▲同歩△9一飛に▲9六銀と受けるのは当然。そこで後手は△9七銀と無理矢理にでもこじ開けにいきました。▲7五歩は手筋。△同歩は▲9七香で先手がよくなるので△9五香も当然。そこで▲7四歩とか▲9七香△9六香▲7四歩とかも考えられなくはないと思いますが,実戦は▲同銀と取り,△同飛に▲8六角と打ちました。対して△同銀不成▲9五香△9六角で詰めろ。▲8九香の受けに△7五歩と取り,先手は▲7四歩と打ちました。
           
 この局面,端を破ったというのとは少し違いますが,端攻め自体は奏功したといえそうで,その分だけ後手が優位には立っていそう。ここで△8五桂と逃げたのは,攻めるのではなく,一旦は受けに回って勝ちにいくという方針の手だったようで,これが冷静な判断だったのではないかと思います。以下,7筋の嫌みな垂れ歩も払って第3図。
           
 ここからいよいよ△7七歩と反撃。この攻めが厳しく,以下は一方的に攻め切った後手の勝ちとなりました。
 3勝2敗とした久保利明八段が新棋王に。タイトル自体が初獲得。連勝して目の前に見えたであろうものがなかなか手に入れられなかった間の気持ちはいかばかりであったかと思いますが,その分だけ喜びも大きくなったのではないでしょうか。一方の佐藤前棋王はこれでおよそ7年ぶりの無冠に。新年度からは九段として,またタイトルを目指すということになります。

 誕生日に関しては,僕は忘れることができない思い出がひとつあります。これは闘病記には何の関係もないエピソードですが,こうしたことを語ることによって,人間の性格とか本性といったものは,より具体的に,あるいはリアルなものとして伝わるのではないかと思いますので,僕自身のパーソナルデータのひとつを紹介するという意味で,話しておくことはこういうテーマの場合には,有意義かと思います。したがってこれに限らず,今後もとくに闘病とは直接に関係ないと思われるようなエピソードというのも書くことがあるかもしれません。
 これは20歳のときの誕生日になります。僕はある付属高校から大学に進学しましたので,高校時代の同級生というのが同じ大学には多くいました。そのうち,とくに高校時代から仲のよかった友人がいて,この友人がプレゼントをくれたのです。なぜだか分からないのですが,もらった教室のことまではっきりと覚えています。
 こう書くとたいそうなものをもらったかと思われるかもしれませんが,実際にもらったのは2枚の紙切れでした。1枚は東京都自治宝くじで,もう1枚は,時節柄,年末ジャンボ宝くじでした。
 これが忘れられない思い出となるための条件はたったひとつでしょう。この2枚の紙切れのうちの1枚,年末ジャンボ宝くじの方が見事に当たりまして,50万円に化けることになりました。今は50万円という当選金額があるかどうか,僕は宝くじというものは買わないので知りませんが,約20年前の当時はこういう当選金額があったのです。それにしても,翌年の元旦の朝,新聞紙上に僕の持っていた1枚の宝くじと6桁すべてが同じ番号が掲載されていたのを見たときにはびっくりしました。僕は宝くじは買ったことがないけれども当たったことはあるという珍しい人間になったのです。そして現在もなお,僕は宝くじを買ったことはないが当たったことがあるという人間です。
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高松宮記念&生年月日

2009-03-29 19:33:47 | 中央競馬
 春のスプリント王決定戦の高松宮記念
 大外からジョイフルハートがかなり押していきましたが,譲ることなくローレルゲレイロの逃げ。スリープレスナイト,ウエスタンダンサー,ジョイフルハート,ドラゴンファング,ビービーガルダンといったあたりがごった返すように続きました。前半の600メートルは33秒1。ハイペースでしょうが,もたないような流れではありません。
 直線に入ると最内から少し外に出してきたスリープレスナイトがローレルゲレイロの外に並び掛け,この2頭で後ろを離してマッチレースに。一旦はスリープレスナイトが出たようですが,まだ余力があったローレルゲレイロが差し返し,半馬身の差をつけて優勝。休み明けも力を見せたスリープレスナイトが2着で,直線でやや強引なところはありましたが,伏兵のソルジャーズソングが3着に入りました。
 優勝したローレルゲレイロはこれが大レース初優勝。昨年暮れに香港スプリントに出走,日本馬としてはいいレースをした後,東京新聞杯は不可解な大敗でしたが,前哨戦の阪急杯で2着となり,ここに臨んでいました。生粋のスプリンターという感じではありませんが,スピードを生かす競馬が最も適してはいるようです。父はキングヘイローで,父子制覇となりました。
 鞍上は藤田伸二騎手。昨年のヴィクトリアマイル以来の大レース勝ちで,大レース昇格後の高松宮記念3勝目。管理するのは昆貢調教師。こちらは昨年のダービー以来の大レース制覇で,高松宮記念は初制覇になりました。

 それではこの自己保存の法則というべきコナトゥスというスピノザ哲学の概念を中心としながら,僕自身の病気について語っていくということにします。しかし,僕自身の病気について具体的に語るのであれば,その前に,僕自身に関するいくらかのパーソナルデータがやはり必要ではないかと思います。そこで本格的な闘病記に突入する前に,僕自身の個人的な思い出なども交えながら,僕自身のことを少し詳しく自己紹介しておくことにします。
 僕は過去に競馬キャリア将棋キャリア,プロレスキャリアといった記事を書いたことがありまして,これらの記事から僕の年齢がどのくらいであるかということは大体の推測がつくであろうと思います。正確なところをいえば僕の生年は1970年ですので,今年で39になります。ただ,僕の誕生月は12月なので,今年の元旦に僕が病院に運ばれたのは38になって間もなくのことであったということになりますし,実際に僕の身体に異変が生じたときとなれば,年齢は37,もうすぐ38を迎える頃であったというのが正確でしょう。この点については後に正式な闘病記の中でもっと詳しくお話します。
 次のような点にも興味をもたれる方は僕が思っているより意外に多いので言及しておきますと,1970年産まれは干支は戌になります。誕生日は12月の7日ですので,星座は射手座です。それから血液型なのですが,これは調べたことがないので不明です。ただ,父はA型で母はO型ですので,僕もA型であるかO型であるかのどちらかであるということにはなります。
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マイルグランプリ&第一部定理一八

2009-03-28 19:07:09 | 地方競馬
 昨年までは4月に行われていたのですが,今年からは大井の最初の夜の開催に移設されたのがマイルグランプリで,26日の晩に争われました。
 少しもたついた印象も残りますが,最内からアジュディミツオーの逃げ。マンオブパーサーがマークするように2番手で,ギャンブルオンミー,ロイヤルボスと続きました。前半の800メートルは48秒6。これはミドルペースに近いハイペース。
 逃げ足快調のアジュディミツオーに対し,マンオブパーサーはついていけなくなり,直線入口ではロイヤルボスが2番手に。アジュディミツオーにはまだ余裕があるように見えたのですが,思ったほど伸びず,最後は差したロイヤルボスの優勝。アジュディミツオーが2着で,3着は中団から伸びてきたクレイアートビュン。
 優勝したロイヤルボスは2006年のハイセイコー記念の勝ち馬。そこまでは5連勝だったものの,ここはそれ以来となる久々の勝利で南関東重賞2勝目。やや低迷していたといえますが,今年の正月に9ヶ月の休み明けのレースを2着すると,前走も2着と復調の気配を漂わせてはいました。重賞では苦しそうですが,南関東重賞ではまた無視できない存在になってきたといえそうです。
 鞍上は船橋の張田京騎手。2月にグランプリカップを勝っていますので今年の南関東重賞2勝目。このレースは2004年以来の4勝目。管理するのは大井の三坂盛雄調教師で,こちらはマイルグランプリ初制覇となっています。

 それではスピノザの哲学における病気論の考察の最後に,やや順番が後手に回ってしまったという感もありますが,一切の超越論的なものを否定し,内在の哲学を高らかに宣言しているといえる第一部定理一八をみておくことにします。
 「神はあらゆるものの内在的原因であって超越的原因ではない」。
 この定理はふたつの観点から証明されなければなりません。まず,第一部定理一六が示すように,神の本性の法則からは,無限に多くのものが必然的に生じます。そしてそれら無限に多くのものは,第一部定理一五により,神のうちに生じます。したがってこれら無限に多くのものに対しては,神は内在的原因であって,超越的原因ではないことになります。結果をそのうちに産出する原因を内在的原因というのだからです。これが第一の点です。
 次に,第一部定理一四により,神以外には実体は存在しません。いい換えれば第一部定義三により,それ自身によって考えられるもの,つまり神の外部にあることができるようなものは存在しません。したがって,当然のことながらそうしたものから何かが産出されるということもありません。よってすべてのもの,すべての個物は神のうちにあることになりますから,神はあらゆるものの原因であることになります。これが第二の点です。
 つまり,第二の点により,神がすべてのものの原因であるということについては疑い得ず,しかし第一の点により,この場合には神はそうしたものの内在的原因なのであって,超越的原因ではありません。よって神はすべての個物の内在的原因であるということになります。
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京浜盃&認識論の相違

2009-03-27 19:12:32 | 地方競馬
 大井競馬は今週から夜の開催へと移行。第一弾の南関東重賞として25日に京浜盃が行われました。
 逃げ宣言をしていたチョットゴメンナの先導。人気のナイキハイグレードが2番手で,スーパーヴィグラス,ガイアボルトが続きました。
 向正面で後方にいたシュバレスクやワタリシンセイキといった馬が上昇はしていきましたが,前にはあまり関係なし。チョットゴメンナは3コーナーで失速。ナイキハイグレードが早めに先頭に立つ形となりそのまま直線に。追ってきたのは中団に構えていたシャレーストーン1頭。この2頭が馬体を離したまま競り合う形になり,一旦はシャレーストーンが先頭に立ったようにも思えましたが,最後は差し返す形になったナイキハイグレードが優勝。頭差の2着にシャレーストーンで,4馬身ちぎられましたが3着は先行したスーパーヴィグラスが残ってちょっとした波乱。
 優勝したナイキハイグレードは昨年11月のハイセイコー記念以来の勝利で南関東重賞2勝目。このレースを人気で制した馬は必ず南関東クラシック路線の主役になっていますので,無事ならこの馬もそうなるでしょう。強敵になるのは2着のシャレーストーン以外だと,もしかしたら牝馬かもしれません。父はアグネスタキオン
 鞍上はこれが地方競馬通算1000勝目となった大井の戸崎圭太騎手で,先週の桜花賞に続く南関東重賞制覇。京浜盃は初制覇です。管理するのは船橋の川島正行調教師で,こちらは2005年以来となる京浜盃2勝目となっています。

 こうしたことを踏まえて,今度は単に認識論的観点からのみ,スピノザの哲学とニーチェの哲学を比較してみます。
 第二部定理七系は,神のうちにある形相的なものと客観的なもの,すなわち観念は,一対一で対応し合うことを示していると理解することができます。これは別の観点からいえば,認識は存在と平行するのであって,これを超越することはないという意味にも解釈できると僕は思います。
 次に,第二部定理一一系は,人間の精神だけを対象として語られていますが,どんな個物の精神についても妥当するような内容を有しています。したがって,神の無限知性のうちには,ありとあらゆる精神が含まれているということになります。
 これらのことから理解できるように,観念というのを,ある人間の,ないしはある個物の精神のうちにある観念というように考えてみても,あるいは神の自己観念というように考えてみても,これが形相的なものとしての自然を超越することはありません。しかし実在的なものの一切は内在的であり,超越的ではないということはすでに説明した通りですから,スピノザの哲学においては精神による事物の認識一般もまた,超越的ではあり得ず,内在的であるということになっているのです。
 一方,ニーチェが力への意志による自己超克を主張するとき,認識の射程は実在の射程を超越しえるということを含ませている,少なくとも,そのように解釈できる余地を残していると僕には思えます。だから,スピノザの立場からのニーチェへの,それが超越論であるという主旨の反論は,まだ意味を持っているというように僕は考えるのです。
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王将戦&神と超人

2009-03-26 19:36:47 | 将棋
 共に3勝ずつを上げて最終局に持ち込まれた第58期王将戦七番勝負の第七局は,昨日から指され,決着しました。
 振駒で先手は深浦康市王位。羽生善治王将の横歩取り△8五飛戦法に。1日目から角交換に桂交換。さらに封じ手直後から2筋で大きな振り換りがあり第1図に。
           
 ここで後手は△5二金打と受けました。ここに金を使ってしまうと後手玉への詰めろが消えてしまいますし,この局面は駒割りだけでいえば先手が角金交換でやや駒得でもあるので意表の一手。しかしこうして玉の固さで勝負にいった判断が非常に優れていたようです。
 先手は長考して▲7二角成と平凡な手を指していますので,この展開は予想外であったのでしょう。後手は△5四桂と角取りに打ち,▲3五角に△7四銀と桂を取りました。
           
 これに対しては▲同歩でなければ不自然ですが,実戦は▲7三馬。仮にこれがこの局面では最善であるとしても,△6五銀と逃げられては先手がよい筈もありません。つまりここではもう見た目以上に大きな差がついてしまっているようです。実戦も受けに回った後手が手堅く指し,最後に反撃を決めて勝ちました。快勝といっていい内容だと思います。
 ということで4勝3敗で羽生善治王将の防衛。このシリーズ,スコアこそ競り合いましたが,この将棋もそうであったように,途中で差が開いてしまう将棋が多かったのはちょっぴり残念ではありました。

 スピノザの哲学の立場から,ニーチェの哲学を批判しようとする場合には,以上のような注意が必要なわけですが,それでもなお,この反論は一定の意味を持っているのではないかと僕は考えています。
 スピノザの哲学における神というものに対しては,それが超越的存在であるという批判はたぶん適当ではありません。スピノザはまず第一部定義五で,様態というのが実体の変状であるということを名目的に定義し,第一部公理一では,自然のうちには実体と様態,すなわち実体の変状だけが存在するということを示しました。そして実在論的な意味においては,実在する実体は神が唯一であるということを第一部定理一四で証明しています。このことから,実在的意味においては,自然のうちには神と神の変状だけが存在するということになっています。僕はそう理解することには反対ですが,スピノザの哲学が汎神論とみなされる根拠のひとつがここにあって,こうした形式によってスピノザは,たとえ神といえどもそれは自然を超越することはない,あるいは汎神論的言明をするなら,神とは全自然そのものなのであって,それを超越するような存在ではあり得ないということを示しているわけです。ですから,スピノザが神ということばを用いているとしても,そのゆえにその思想内容が超越論であるということは不可能であると思われます。
 ところで,単に実在論的立場に立つなら,ニーチェも超越論は否定します。そこで,たとえばニーチェの哲学における超人という存在が,実在するという意味であるといわれるならば,まさに現実的に実在するあるものとしてあるというか,そうでなければ認識論的な意味でのみ一種の超越的存在としてあるというかのどちらかであるということになります。というか,そうでないならば,スピノザの立場からの反論が有効であるということが,すでに明らかになっているといえるのではないでしょうか。
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名古屋大賞典&認識と超越

2009-03-25 19:05:59 | 地方競馬
 今年はJBC競走が行われることになっている名古屋競馬場。前哨戦というわけではまったくありませんが,JBCクラシックと同じ舞台で今日は名古屋大賞典(動画)が争われました。
 発走後,内の方では少しごちゃついたようにも見受けられましたが,外の各馬には関係なく,スマートファルコンの逃げ。ワンダースピードが2番手でしたが,いつもより差を開いての逃げに。とはいえ,マイペースで,暴走といった類のものではありませんでした。
 後方にいたメイショウトウコンが1周目の正面を回ったあたりから上昇を開始,レースを動かしにいったのですが,前の2頭にはあまり関係なし。2頭の差も3コーナー近辺では一旦は縮まったものの,まだ余裕があったスマートファルコンがまた突き放して優勝。2着にもワンダースピードで,追い上げたメイショウトウコンが3着。きわめて堅い決着になりました。
 優勝したスマートファルコンはこれで昨年11月から浦和記念,兵庫ゴールドトロフィー,佐賀記念と重賞4連勝で5勝目。あえて相手関係が楽なところを使っていて,名より実を取っているという感じですが,これもひとつの立派な方法であると思います。実力上位だからといって勝つというのは簡単なことではなく,馬も関係者も誉められるべきでしょう。父はゴールドアリュール
 鞍上は岩田康誠騎手で,2006年以来の名古屋大賞典2勝目。管理する小崎憲調教師はこのレース初制覇です。

 もちろんこのニーチェへの反論は,そっくりそのままニーチェの哲学に対して妥当するわけではありません。というのは,ニーチェの哲学は平行論を採用しているわけではなく,認識論的なものに大きく関係しますから,超越的ということの厳密な意味が,この場合にはスピノザの哲学とは相違すると考えることもできるからです。
 僕たちは,単に認識の上でのことであれば,そう意識しているかどうかはまた別にしても,容易に超越的な存在を虚構します。たとえばある人間が,後世の人びとに対して責任を負わなければならないとか,後世の人びとに対して恥ずかしくない行動をしたいと思うとすれば,このとき,後世の人々としてこの人間の精神のうちに形成されている認識というものは,一種の超越的存在といえます。常にそうであるとは僕は主張しませんが,こういう場合は一般的には後世の人間が具体的に表象されているわけではないからです。しかし,だからといってこうした認識を,単に超越的であるというだけで,スピノザの立場から批判できるということにはならないのです。なぜなら,この認識が同時にこの認識のこうした超越性を含んでさえいるならば,この限りではこれはスピノザの哲学における虚偽と誤謬との関係においては,単に虚偽に妥当するだけであって,この認識をなす人間はいっかな誤謬を犯しているとはいえないからです。
 これと同様の関係が,ニーチェに対する反論に対しても成立はします。ニーチェがそうしたことを認めるかどうかということはまた別の議論になってしまうのですが,ニーチェが自己を超克するというとき,超克された自己というのは,単に認識論的な問題としてのみ超越的にあると主張することができるからです。ニーチェがそう主張すると僕はいいません。しかしそう主張しても,ニーチェの主張全体の意図は,必ずしも困難にさらされることはないだろうと思います。
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ビワハイジ&ニーチェへの反論

2009-03-24 19:06:26 | 名馬
 昨年の阪神ジュベナイルフィリーズを圧勝し,JRA賞の最優秀2歳牝馬に選出されたブエナビスタ。今年初戦もチューリップ賞を勝ち,桜花賞はこの馬で仕方がないという雰囲気になりつつありますが,この馬の母はビワハイジで,やはり活躍馬でした。
 2歳6月にJRA新馬勝ち一番乗り。続いて札幌3歳ステークスも勝って重賞ウイナーに。そのまま休養して暮れの阪神3歳牝馬ステークスに出走すると,ここも逃げ切って3連勝。大レースを制覇しました。いうまでもなくこれは現在の阪神ジュベナイルフィリーズですから,ブエナビスタは母娘で同一大レース制覇を成し遂げたということになるのです。
 3歳はチューリップ賞から始動。ここで2着と初黒星を喫すると,桜花賞は事前に不安を囁かれていた通りで15着大敗。この後,オークスではなくダービーに出たのですが,ここもフサイチコンコルドの13着に負けました。
 このまま長期の休養に入り復帰したのが翌年10月。さすがにブランク長く,年内の3戦は苦戦しましたが,年明け,引退レースとなった京都牝馬特別で重賞3勝目を上げ,力のあるところをみせてくれました。
 競走成績だけでなく繁殖成績も優秀な名牝。産駒の大レース勝ち馬はブエナビスタが最初ですが,兄にはアドマイヤジャパン,現役のアドマイヤオーラと,2頭の重賞勝ち馬も出ています。

 スピノザの哲学の立場から,力への意志という概念に何か反論があるとすれば,それはおそらく次のような形式になるのではないかと僕は考えています。
 まず,直接的に関係するのは第一部公理一です。この公理でスピノザが示そうとしていることは,自然のうちに存在するのは実体と様態だけであるということですが,これはいってみれば名目的な意味です。もしもこの公理から実在的な意味を抽出しようと思えば,第一部定理一五のような内容になるでしょう。「神は死んだ」ということばから理解できるように,ニーチェは唯一神を完全に,すなわちあらゆる意味で否定しますから,この定理の内容をニーチェの哲学に対する批判にそのまま向けることはできませんが,ここでは,すべてが神のうちにあるということ,すなわち神に対してすべてが内在するのであって,これを超越する一切のものは存在しないという点に注目します。すなわちこれは内在論の肯定,超越論の否定です。第一部定理一八もこのことを示しているといえるでしょう。
 一方,自然というものが内在的なものであって,超越的なものは否定されるべきであるという点では,ニーチェはスピノザと一致します。そもそも神がニーチェの哲学において否定されるのは,これはとくにキリスト教の神を念頭に置いているといっていいかと思いますが,それが超越論的な存在,彼岸の存在になっているからなのです。
 しかるに,力への意志というのは,自己を超越することを希求するような意志であって,このことのうちには一種の超越論が含まれていると考えることができます。また,ニーチェは別の文脈で超人という概念を提出しますが,この超人という概念は,それ自体が超越論的概念であると考えることもできます。すなわちニーチェはこうした主張によって,内在論から超越論へと一歩を踏み出してしまっていると考えることもできると思います。
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いわき平記念&批判の矛先

2009-03-23 19:35:08 | 競輪
 記念競輪の決勝は多くの場合は火曜に行われますが,20日の金曜が祝日であったため,いわき平記念はその日が初日。よって今日が決勝(動画)となりました。
 並びは,小松ー伏見ー大槻の北日本,平原ー神山ー横田で関東,坂本ー西村の西国で,山口は単騎。
 前受けは坂本選手。中団が平原選手で後方から小松選手。山口選手は初手は北追走で最後尾での周回。小松選手は残り2周のホームから上昇。バックでは坂本選手を叩きましたが,早目に引いていた平原選手が外から発進し,打鐘から先行。小松選手は神山選手のインで粘る形になりました。内に包まれるのを嫌った伏見選手は引き,横田選手の後ろに山口選手が切り替え,坂本選手がホームで落車。番手戦はバックまで続き,神山選手が何とか守りきりましたが,これを見て自力発進した伏見選手を止めることはできず,楽に捲りきった伏見選手が優勝。平原選手が2着に逃げ残り,疲れきった神山選手に代わり横田選手が3着に食い込みました。
 優勝した福島の伏見俊昭選手は昨年はオリンピックの関係で,オールスターを勝っただけですのでそれ以来のグレードレース制覇。記念競輪は一昨年7月の福井記念以来となります。今日はまったく想定外のレースになったのではないかと思いますが,無理に小松選手につけずに引いて自力に転じた判断がよかったことと,小松選手が執拗に競って,捲りやすい展開にしてくれたことの2点が勝因のうちでも大きいものではなかったかと思います。

 スピノザの哲学というのは平行論ですから,たとえその哲学というのを存在論的なものと認識論的なものとに分節したとしても,得られる結論は同じであるということになっています。いい換えれば,たとえばある人間の実在性というものが無際限に小さくなるということが意味するところは,この人間の身体の実在性が無際限に小さくなるという意味であり,しかし同時に,この人間の精神の実在性が無際限に小さくなるという意味でもあります。そしてどちらの場合で考えたとしても,その限りでその人間は完全であるということになるでしょう。
 ニーチェがこうした平行論に関してどのような視点を持っていたかは僕には分かりませんし,スピノザの平行論に関してはニーチェはそんなに言及していないようにも思います。しかし,ニーチェは基本的に事物の解釈というのを重要視しますので,哲学的に存在論と認識論とに分けるならば,認識論的な立場からスピノザに対して批判をしているということはいえると思います。したがって,そもそもニーチェの批判の対象は,自己保存の法則が人間の現実的本性であるというスピノザの規定そのものに向けられているというよりは,人間の与えられた本性をそのように解釈するスピノザに向けられているといった方が正しいのだろうと思います。つまりこれを反動的とニーチェがみなすとき,こうした考え方が反動的な考え方であるというのはもちろんですが,こうした考え方をする人間は反動的な人間であるというような意味の方が,ニーチェの主張そのものからは僕には強く感じられるのです。
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順位戦回顧&コナトゥスの発生

2009-03-22 18:55:35 | 将棋トピック
 春に展望した第67期の順位戦は,19日のB級2組の最終局一斉対局で幕を閉じました。今日はこれを回顧します。
 A級は7勝2敗で郷田真隆九段が優勝し,名人戦の挑戦権を獲得。結果的に競争相手になった佐藤康光棋王に2回戦で勝ち,同星だった森内俊之九段を7回戦で撃破,最終局ではやはり競争相手の木村一基八段にも勝ち,この3勝がとくに大きな星でした。僕の期待というか希望の佐藤棋王は,今期は先手が4局と少し不利でしたが,その4番は全勝,後手でも2勝しましたので,仕方ないような気もします。降級は3勝6敗で鈴木大介八段と深浦康市王位。昨年のB級1組を圧倒的な成績で勝ち上がったふたりが即降級とは,A級の層の厚さを感じさせます。タイトル保持者の降級は史上初。
 B級1組は8勝4敗の高橋道雄九段と井上慶太八段がA級復帰。同星の杉本昌隆七段が頭ハネ。このクラスでも年上のふたりの昇級は立派ですが,逆にいえば若い棋士が少しだらしないような気もします。降級は北浜健介七段と森下卓九段。こちらは棋戦優勝者の降級となりました。
 B級2組は8勝2敗で松尾歩七段と豊川孝弘六段が昇級し,豊川六段は七段昇段。展望で名前を挙げた棋士のうち,松尾七段は唯一の昇級者になりました。豊川七段は連続昇級。この年齢にしては驚異的といえると思います。
 C級1組は9勝1敗の安用寺孝功五段と8勝2敗の窪田義行六段が昇級し,安用寺五段は六段昇段。このふたりはこのクラスで安定した成績を収めていましたので,昇級してもそんなに驚きはありません。順番が回ってきたというところでしょうか。広瀬章人五段が無念の頭ハネ。
 C級2組は9勝1敗の大平武洋五段と,8勝2敗で田村康介六段,戸辺誠四段が昇級し,戸辺四段は五段昇段。村中秀史四段と初参加の村田顕弘四段が頭ハネ。このクラスは人数のわりに対局数が少なすぎるので,抽選の影響が大きくはなりますが,やや意外な結果でした。ただ僕が一番驚いたのは,増田裕司五段が降級点を取ってしまったことです。

 たとえ現実的に存在する人間の実在性が,無際限に小さくなるということが実際に生じるとしても,その人間はなおその限りにおいて完全であるのであって,それはその人間についての絶対的な否定ではない,あるいは別のいい方をするなら,それがその人間の無能力ないしは無力を示すのではないというのがスピノザの考え方であるといえると思います。実在的である限り,それがどんなに弱小の力であったとしても,力であることに変わりはないとスピノザは考えるからです。
 そこでこのことから,スピノザにとって実在性の,あるいは同じことですが力の完全な否定,ないしは絶対的な否定というのがどういうことであるのかということが出てきます。すなわち,もしも現実的に存在しているあるものの実在する力が,何か外部の原因によって完全に凌駕されるということがあるなら,すなわちそのものがもはや現実的に実在するということが不可能であるという自体が生じるならば,これがこのものの実在性の絶対的な否定であり,このものにとってある危機のすべてであるといえるでしょう。
 ここではこのことを人間についてのみ考えていますが,これだけが危機であり絶対的な否定であるということは,すべての個物に妥当します。よってすべての個物は,この危機を回避するような性質を有することになるでしょう。これが,スピノザの哲学の中に,自己保存の法則を示すコナトゥスという概念が生じてくる契機となるように僕は思うのです。というのは,この危機を回避するために必要とされる力というのは,自己の実在性をより強大なものにしていくような力ではなくして,たとえそれがどんなに小さな力であるとしても,現にあるその実在性を維持していくような力であるからです。
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桜花賞&仮説の解説

2009-03-21 19:06:13 | 地方競馬
 昨日は浦和競馬場で南関東のクラシック第一弾となる桜花賞が争われました。
 一番の好発はモエレエターナルであったと思いますが,ネフェルメモリーがハナを主張。モエレエターナルが2番手でこれを追い,人気の2頭が前での競馬。前半の800メートルは49秒4で,ミドルに近い程度のハイペース。
 3コーナーを過ぎると前の2頭が後ろを離していき,マッチレースになるのかと思いましたが,直線ではネフェルメモリーが突き放し,6馬身の差をつける圧勝。一旦は後ろに差を詰められたもののモエレエターナルが2着で,3着にはエロージュ。きわめて順当な結果に収まりました。
 優勝したネフェルメモリーは暮れの東京2歳優駿牝馬から連勝で南関東重賞2勝目。ここは休み明けと初の左回りが課題でしたが,難なくクリアしました。単に能力面だけでいえば当然の勝利といえると思います。この後のこの路線でも中心になっていくでしょうが,転入後の2戦は共に逃げ切りとなりましたので,逃げられなかったときにどうかというのが次の課題でしょうか。
 鞍上は大井の戸崎圭太騎手で,今月はダイオライト記念も勝っています。桜花賞は昨年も勝っていますので連覇で2勝目。管理するのは船橋の川島正行調教師で,こちらは意外にも桜花賞初制覇となりました。

 ニーチェとスピノザのそれぞれの哲学の相違の源と僕が考えている仮説に関しては,やはりもう少し詳しい解説が必要であろうと思います。
 移行ということをどのように考えるのかということについて,ニーチェはそうも多く語っていると僕には思えませんが,現実的に存在する人間個人個人の実在性が,より大きな状態に,またより小さな状態に移行し得るものであるという点において,とくにニーチェはスピノザに対して反論するものではないであろうと思います。
 そこで今,この現実的な実在性は無際限に大きな状態まで移行し得るし,また無際限に小さな状態にも移行し得ると仮定します。このとき,無際限に大きな実在性に移行する限り,実在性が実在性として危機に瀕することはないであろうということは,容易に想像がつくでしょう。しかし一方で,仮に実在性が無際限に小さくなるということがあったとしても,それはそれ自体でひとつの実在性ですから,やはりなお実在性自体が危機に陥っているわけではないというのが,スピノザの考え方です。これは喜びと悲しみの定義の後の説明にあります。したがって,スピノザは第二部定義六において,実在性と完全性を同一のものであると主張しますから,もしもある現実的に存在する人間の実在性が無際限に小さくなったとしても,その限りにおいてその人間は完全であると主張するでしょう。ニーチェは実在性と完全性との関係をどのように考えるか,定かではありませんが,実在性が無際限に小さい状態の人間について,それを完全であるとはいわないだろうと思います。そして僕はこの点に関しては,スピノザと同じ考え方であって,それでもなおその人間はその限りにおいて完全であると判断します。
 いずれにしても,ニーチェにとってはそれ自体で否定的であるようなある事柄が,スピノザにとってはまだ絶対的な否定とはなっていないという相違がここにはあることになります。
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黒船賞&相違の源

2009-03-20 19:29:34 | 地方競馬
 高知競馬の財政状況もあり,昨年度は休止となった黒船賞(動画)ですが,今年度は無事に行われました。
 地元のポートジェネラルの逃げ。2コーナーあたりでは後ろを離すような感じ。よく知らない馬でしたが,このスピードにはちょっと驚かされました。
 追っていたのはキングスゾーンとヴァンクルタテヤマでしたが,メイショウバトラーとフェラーリピサが追い上げてくると後退。フェラーリピサが先頭で直線に入ってきましたが,ずっと内を回って直線だけ外に出てきたトーセンブライトが一気の伸びでこれを捕えると5馬身という大きな差をつけて快勝。フェラーリピサが2着で,地元のフサイチバルドルが3着と健闘しています。
 優勝したトーセンブライトは,2004年の8月に,現在は廃止となったサラブレッドチャレンジカップを勝っていて,それ以来となる重賞2勝目。一線級には届かなかったものの,長く一定の力を発揮し続けている馬。こういう馬はどこかで結果を出すもので,それが今回だったということでしょう。8歳ですし,これ以上の上積みはないでしょうが,力のわりには人気にならないタイプの馬で,馬券的には妙味ある馬です。古谷剛彦さんも指摘の通り,この距離はあまり使っていませんが,このくらいの方がいいのではないかと思います。
 鞍上は安藤勝己騎手で,2004年以来となる黒船賞2勝目。管理するのは加藤征弘調教師で,こちらは黒船賞初制覇です。

 ニーチェによるコナトゥスへの批判が正当なものであるのかどうかを検討することは,ニーチェの哲学的立場とスピノザの哲学的立場のどちらが正しいものであるのかということを検討するということに直結するのだろうと思いますが,ここではその点については詳しいところまで立ち入るつもりはありません。というよりも,これに関しては,現時点の僕の手には負えないというのが正直なところです。ただ一点だけ述べておけば,ニーチェによる批判が,スピノザの哲学が反動的なものであるということのうちには,スピノザの哲学をさらに先鋭化して考えるならば,ニーチェのような立場に行き着くという意味が含まれているように僕には思え,そう考えるならば,この批判はスピノザの哲学的立場を真向から否定することにはならないのだろうと思います。またそうであるならば,あえてどちらが正しいかを示さなければならないというものでもないかもしれません。なお,両者の哲学的立場の対比については,ヨベルの『スピノザ 異端の系譜』第二部第五章がかなり参考になるかと思います。
               
 ところで,僕は最近になって,この両者の立場の相違がどこから発してくるのかということについて,次のような考え方も可能かと思うようになりました。人間が悲しみを忌避し,喜びを希求するということについては,スピノザもニーチェも完全に一致すると思います。またこの点に関しては,むしろニーチェはスピノザを評価しているといえるでしょう。ところでこのとき,人間が悲しみを忌避するものであるということを強調するなら,ここからコナトゥスという概念が生じ,逆に喜びを希求するということを強調すれば,力への意志という概念が生じてくるとはいえないでしょうか。一般的に考えて,あることを忌避することはあることを希求することに対して反動的であるとはいえ,この仮説が正しいとするなら,ニーチェがスピノザを反動的とみなしたということ自体は,正当な評価であったといえるといえると思います。
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マジックゴディス&ニーチェの批判

2009-03-19 19:07:02 | 血統
 2006年には中山大障害を勝ってその年のJRA賞最優秀障害馬に選出され,昨年は中山グランドジャンプで障害の大レース2勝目を飾ったマルカラスカルと,昨年のジャパンカップを勝ってJRA賞の最優秀4歳以上牡馬に選出されたスクリーンヒーローは,共に祖母にダイナアクトレスがいる従兄弟同士ですが,この母系の日本での祖先は,ダイナアクトレスの祖母となる1968年にイギリスで産まれたマジックゴディスという馬です。ファミリーナンバーは1-x
 一族最初の活躍馬がダイナアクトレス。実はダイナアクトレスは競走成績だけではなくて繁殖成績もなかなか優秀な名牝。大レースの勝ち馬は孫にあたるこの2頭ですが,初仔のステージチャンプは日経賞などに勝ち菊花賞と天皇賞で2着,さらに妹のプライムステージも重賞2勝で桜花賞で3着になるなど,活躍しました。今年の1月に東京新聞杯を勝ったアブソリュートはこのプライムステージの仔ですので,ここからも活躍馬が出て,最近になってまた活力が強まってきた一族であるといえそうです。
 ダイナアクトレスを経由しない一族からもサンプレイス,プリンシパルリバーと2頭の重賞の勝ち馬は出ていますが,今後の繁栄という観点からは,ダイナアクトレス一族がどこまで枝葉を広げられるかが最も重要だといえるでしょう。

 このようにしてスピノザの哲学における病気論というものは,自己保存の法則を示すものとしてのコナトゥスconatusという概念から始まることになります。そして僕はスピノザの哲学に則って考えていきますので,やはりコナトゥスというものを重要視するということになるでしょう。しかし一方では,この概念に対しては,ほかの哲学の立場による否定ないしは批判というものもあります。それを無視してしまうのもどうかと思いますので,ここではニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheの批判というものをみておくことにします。
 最も単純にいますと,ニーチェによるコナトゥスの批判というのは,この概念が反動的である,あるいは別のことばでいうなら保守的であるという点にあります。ニーチェは反動的なものを最も強く否定しますので,ニーチェの哲学からみればこれは最大級の批判であるといえるのではないかと思います。
 ではなぜコナトゥスという考え方が反動的なのでしょうか。それはニーチェによれば,それが自己保存を図るもの,いい換えれば自己に対して保身的であるようなものとみなされるからです。たとえていうなら,自らの既得権益を保護することを強く主張するのと同一の思想的背景を,ニーチェはコナトゥスのうちに見出すといっていいでしょう。
 人間は自己を保存するものではなく,自己を超克するものであるというのがニーチェの人間観でした。そしてこの自己超克という観点から,コナトゥスはそれを否定しようとする反動的なものであり,こうした考え方は臆病者の考え方であると主張したわけです。そして自己超克を目指す思惟作用をニーチェは力への意志と名付け,これをコナトゥスと対峙させたのです。
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棋王戦&病気論

2009-03-18 19:25:13 | 将棋
 ホームグラウンドともいえる関西将棋会館で,久保利明八段の初戴冠がなるか,それとも佐藤康光棋王がもう一ふん張りして最終局まで持ち込まれるのかという争いになった第34期棋王戦五番勝負第四局が指されました。
 久保八段が先手で四間飛車,対して佐藤棋王が棒銀という,ややクラシカルな趣もある戦型に。当然ながら居飛車から仕掛けて第1図に。
           
 この局面,棒銀が捌けて一歩得,さらに銀も手持ちにしている分,僕は後手を持ってみたいです。ただ,僕は最近は指さないとはいえ,根は居飛車党ですから,そういう視点も入っているとはいえます。実戦は第2図に。
           
 先手は完全な無条件に馬を作ったのですが,8筋は突破されることが決定的。やはりここも僕には後手好調と思えます。そして第3図に。
           
 ここは龍ができて香得になりましたから,はっきりと後手が優勢といえる局面かと思います。ここから第4図に進みました。
           
 ここで△5六銀と打ち,▲同金に△4七龍といったのには驚きましたが,どうもこれで決まっていたようです。これ以降,先手は次を見据えたということもあると思いますが,徹底的に粘ったので,手数は伸びましたが,ほぼ一方的に思える内容で後手が勝っています。四間飛車vs棒銀の将棋は数多く指されていますが,稀に見る棒銀の快勝譜ではないでしょうか。
 佐藤棋王が勝利して棋王位の行方は第五局の決戦に。30日に指されます。

 ここまでの検討から,もしも病気論というものがあるとすれば,スピノザの哲学においてはそれをどこから始めればよいのかということ,あるいは一般的には病気というものはスピノザの哲学においてどのようなものと考えられるのかということは理解できたと思います。すなわち,各々の人間の身体ないし精神は,現実的に存在するかぎりは,第三部定理七により,自身の存在に固執するような傾向を与えられた本性として有します。そこでこうした身体にとって,あるいは精神にとっても,病気というのはむしろこの現実的本性に相反するもの,すなわち,この人間の身体また精神の存在を破壊し得るようなあるものです。よってそれは,第三部定理五により,この人間のうちにあることはできません。いい換えれば第三部定理四により,病気は必ずその病気に罹る人間の外部から,この人間に相反するものとしてやってくるということになります。つまりどんな人間も,こうした仕方でのみ病気に出会うということになるでしょう。
 ところで,この出会いというのは,この人間の実在性を減少させるような出会いですから,第三部諸感情の定義三により,この人間に悲しみをもたらすでしょう。そして第四部定理八によれば意識された悲しみこそが人間における悪の認識ですから,僕たちに悲しみをもたらすものとしての病気は,一般的な意味で人間にとって悪であるといえると思います。
 このことから分かるように,スピノザの哲学における病気論というのは,善悪論と密接に関係しているのです。というよりも,正確にいうならば,スピノザの哲学における善悪論というのは,人間が病気に罹るということは悪である,というようなことを第一原則として成立しているといえるかと思います。今はこのことをここでゆっくりと検証してはいられませんが,ドゥルーズの『スピノザ 実践の哲学』の第三章ではこのことが詳しく分析されていますので,もしも興味があればぜひお読みください。
           
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松山記念&第三部定理四

2009-03-17 19:14:10 | 競輪
 ダービーから中4日というタイトなスケジュールの中,各地域から強豪が参戦して争われた松山記念は,今日が決勝(動画)でした。
 自力を打てる選手が8名で,並びは佐藤ー竹内の北日本,志村ー石毛の東日本,小嶋ー井上で西日本,浜田ー石丸ー豊田の瀬戸内。Sは取り合いだったのですが志村選手。3番手に小嶋選手,5番手が浜田選手で前受けできなかった佐藤選手が8番手での周回。佐藤選手は残り2周のホームから上昇。浜田選手が追走し,佐藤選手がバックで志村選手を抑えると志村選手は引きました。打鐘から浜田選手が踏み込むも佐藤選手は突っ張る構え。これをホームで外から小嶋選手がかまして出ると,井上選手と2車で出きり,バックでは後続を離してほぼ一騎打ち。小嶋選手のスピードは衰えず,危なげなく優勝。マークの井上選手が2着で,離れながらも3番手を追った志村選手の後ろから石毛選手が3着に入りました。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は昨年8月の高松記念以来の記念競輪優勝で通算28勝目。ここ最近は見ていてあれと思ってしまうようなレースも多く,本人としても不本意な気持ちがあったのではないかと想像するのですが今日は強かったです。とくにマークの井上選手を寄せ付けなかったところがすごく,快勝といえる内容でしょう。

 こうした考察によって,僕たちは今度は第三部定理四へと進むことができます。いや,第三部定理六から第三部定理五へ,そして第三部定理四へと辿っているわけですから,戻ることができるというべきでしょうか。この順序は,スピノザが示した順序とはちょうど逆になっていますが,確かにこのようにも辿れるものなのだと僕は思います。前回の考察でも,最後のところで論理展開の順序をスピノザとはちょうど真逆に辿るということがありましたが,こうしたことはあるテーマについて深く考察しようという場合には,やはり意味あることだろうと思うのです。
 その第三部定理四は次のような定理です。
 「いかなる物も,外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない」。
 なおこの定理に関しては現在の考察に関連させるならば,第三部定理五を証明した内容からすでに明らかであるということができますので,この方面からはこれ以上の説明は控えます。またこの定理は,持続というのは有限ではあるけれども一方では無限定なものであるということを示した第二部定義五と大きく関係しているといえ,おそらくこの定義からも証明できるだろうと思います。
 なお,スピノザの哲学の観点からふたつばかりこの定理に注意を与えておけば,まず,ある個物は外部の原因によって滅ぼされるわけですが,その個物を滅ぼし得る外部のものというのは,第一には第一部定理二八によりその個物とは別の個物であり,第二には第二部定理六により,その個物と同じ属性に属するものです。つまりその個物と同じ神のある属性に属する別の個物によって,つまりそうしたものがここでいう外部の原因となって,その個物は滅ぼされるでしょう。次に,どんな個物も必ずこのように滅ぼされます。これは第四部公理から明らかだといえるでしょう。したがってこの定理は一般論であると同時に,個々の個物を現実的に考えた場合にも,その個物に対して,仮定としてではない意味で成立するということになります。
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