スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダービー&初期症状

2009-05-31 19:29:59 | 中央競馬
 ダービーというのは人の名前なのですが,やはり競馬ファンには格別の響き。今日は第76回日本ダービーでした。
 生憎の不良馬場の中,先手を奪ったのはジョーカプチーノ。この馬が後ろを離して最初の1000メートルを59秒9。今日のレースは最後の800メートルで54秒4もかかる馬場状態でしたからこれはとてつもないハイラップでした。
 レースは2番手で追っていた,というか実質的なレースとしてはこの馬が逃げていたとも考えられるリーチザクラウンが,直線に入るあたりで前との差をかなり詰め,一旦は先頭に。しかしこの後ろにいたロジユニヴァースがさらにその内からこれを捕えると後は独走状態となり優勝。リーチザクラウンが2着で5・6番手から馬場の中央を伸びたアントニオバローズが3着。
 優勝したロジユニヴァースは新馬を勝った後,札幌2歳ステークス,ラジオNIKKEI杯2歳ステークス,弥生賞と根幹重賞を3連勝。断然の人気となった皐月賞を14着と大敗してみそをつけていましたが,見事に巻き返しました。皐月賞はある一定の位置より前にいた馬は壊滅という特殊レースでしたので,それにはまってしまっただけかもしれません。それまでの活躍からフロックではなく,今後も一定の活躍が見込めるでしょう。父はネオユニヴァースで,親子制覇となりました。
 手綱を取った横山典弘騎手は昨年のジャパンダートダービー以来の大レース優勝で,日本ダービーは初制覇。管理する萩原清調教師はこれが初の大レース優勝です。1997年以来となる関東馬の優勝でした。
 勝ち時計が2分33秒7。通常とはおよそ10秒近くの馬場差があったと考えられ,外を回った馬は勝負にならないような馬場状態も含め,これもまた特殊なレースになったとはいえるでしょう。

 僕にとって風邪の初期症状ともいえる喉の痛みを感じたのは,昨年の11月の中旬でした。僕はこれが本格的な風邪になることを恐れ,市販の風邪薬を服用しました。もちろんこれは喉の症状を和らげるのに特化した薬でした。たぶんその効果があったのでしょう,高熱が出ることもなく,喉の痛みは引いていきました。つまりこの風邪に関しては,初期症状の段階で制圧することに成功したということになります。
 これが,11月16日の日曜から始まる1週間の前半に起こった出来事ではなかったかと思います。そしてこの後,僕は人ごみに出る際などにはマスクを着用することにしました。これは予防のためでもありましたが,まだ完治はしていないかもしれない風邪を撒き散らさないようにするための配慮でした。この頃,今冬のインフルエンザは強力であるということがいわれていまして,このことがマスク着用を僕にさらに意識させたといっていいでしょう。僕はこの週の土曜,日付でいえば11月22日に東京都体育館で日本シリーズの決勝を観戦していますが,このときももちろんマスク着用でした。
 実は,僕はそれまでの生活ではマスクをするという習慣がありませんでした。僕はひどい花粉症なのですが,これは小学校の頃からでして,症状自体は辛いものの慣れっこになっていましたから,春先にもマスクは不要だったのです。この冬に限ってマスクをしたのは,たまたま母がマスクを購入して,それが家にあったからというのも大きな理由。というか風邪を撒き散らさないとか予防するというのは奇麗事であって,最大の理由はこちらだったかもしれません。現に,家にマスクがなかったら自分で買ったのかと問われれば,そうはしなかったようにも思うのです。
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メイショウドトウ&高熱

2009-05-28 19:06:25 | 名馬
 先々週の大井記念を勝ったライジングウェーブの父は,アイルランドに産まれ,輸入されて日本で競走生活を送ったメイショウドトウです。
 3歳1月のデビュー。勝ったり負けたりを繰り返しながら11月にオープン入り。暮れのオープン初戦は人気に推されるも謎の大敗を喫しましたが,年明けの日経新春杯を2着,続く中京記念で重賞初制覇を成し遂げました。日経賞は3着でしたが,東京のオープンを勝つと金鯱賞で重賞2勝目。これをステップにいよいよ宝塚記念で大レースに初挑戦。オープン入り後の勝利が左回りに集中していたのでどうかとも思われましたが,テイエムオペラオーの2着と,ステイゴールドグラスワンダーには先着し,初めての大レースにしたら上々の結果。
 秋はオールカマーを快勝した後,天皇賞,ジャパンカップ,有馬記念と挑むもすべてテイエムオペラオーの2着。どうしてもテイエムオペラオーには勝てなかったのですが,それでも4度も2着になったこの馬もある意味では立派だったと思います。
 翌春は復帰戦の日経賞を快勝し天皇賞へ進むもまたテイエムオペラオーに勝てず,5度目の2着。しかし続く宝塚記念ではついにテイエムオペラオーを降し,悲願の大レース制覇を達成しました。
 秋は天皇賞がアグネスデジタルの3着,ジャパンカップがジャングルポケットの5着,引退レースの有馬記念はマンハッタンカフェの4着。テイエムオペラオーと歩調を合わせるような崩れ方で,この時期は日本の競馬の世代交代期であったといえるでしょう。
 父のBigstoneというのは競走馬としては一流でも種牡馬としては成功したといい難く,世界を見渡してもメイショウドトウが最大の活躍馬。このように血統面にやや弱点を抱えている上,現役生活もテイエムオペラオーの陰に隠れた存在でしたので,種牡馬としての成功は少し難しいところがあるかもしれません。
 これは高橋華代子さんも書かれていましたが,大井記念で2着になったバグパイプウィンドの父がテイエムオペラオーだったというのは,両馬の関係を考えると実に面白いところです。

 平熱がこれくらいですから,37.5℃くらいの熱であれば,少し熱っぽいなという感覚はありますが,やはりそれ以上の問題というのはほとんど生じません。食事も無理なく摂ることができます。ただし,ここでいっているのはあくまでも単に熱との関係だけであって,同時に喉が痛いとか,咳が出るとか,そういう症状があるならば,その方面での辛さというのはもちろんあります。単に熱だけが出ているのであれば,どうということはないということです。
 これが38度くらいになりますとさすがに食欲も衰えてきます。ただ,僕は自身の体重のこともあって,日々の生活の中では食に関してあれが食べたいこれが食べたいというような種類のこだわりというのはまったくありませんが,体調不良で食事が摂れないということにはたぶん人並み以上の恐怖感があります。そのために何とか気力で食べようとしますし,そうすればある程度は食べられるものです。つまりそれ以前の熱が無理なく食事ができる程度だとすれば,無理すれば食事ができるというのが次の段階としてあるといえるでしょう。
 さらに体温が上昇し,38℃台の後半くらいになると,さすがに何も食べられません。したがって僕にとって本当の意味での高熱というのはこれくらいのことでしょう。こうなりますと,もう布団に入って横になっているよりありません。子どもの頃のように毎年ではなくても,何年かに1回はこういうこともあり,そのときは後で自分自身を対象化して考えてみると,人間というのはこんなに眠ることができるのかと感心するくらいの睡眠時間になります。もちろん市販の風邪薬を飲むということはあり,その影響もあるのでしょう。それでも1日か2日,そうしていればこの高熱からは逃れることができるのです。
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さきたま杯&平熱

2009-05-27 19:23:50 | 地方競馬
 春の浦和競馬ではこれが最大のレースとなる第13回さきたま杯
 人気のスマートファルコンも押してはいたものの,キングスゾーンとバンブーエールが前に出たため控え,2コーナーあたりで外に出して3番手。最初の600メートルは37秒1で,これはスローペースです。
 向正面でスマートファルコンがバンブーエールに並びかけると,バンブーエールもキングスゾーンを交わして先頭に。ここからはこの2頭のマッチレースになりましたが,直線で外から交わしたスマートファルコンの優勝。バンブーエールが2着で,上手くインを回ったトップサバトンが,トーセンブライトの追撃を凌いで3着。
 優勝したスマートファルコンは昨年の浦和記念を皮切りに兵庫ゴールドトロフィー,佐賀記念,名古屋大賞典,かきつばた記念と勝ち続けていてこれで重賞6連勝で7勝目。相手が休み明けで斤量も1キロもらっていたとはいえバンブーエールを負かしたこと,そして逃げずに結果を残したことと,今日は収穫がふたつあったといえると思います。父はゴールドアリュール
 鞍上の岩田康誠騎手は昨年も勝っていてさきたま杯連覇で2勝目。管理する小崎憲調教師はこのレース初優勝です。

 一口に熱を出すといっても,平常時にどのくらいの体温があるかということ,つまりいわゆる平熱というのは人によってまちまちですから,同じような高さの熱が出たとしても,当然ながらその状態というのは人によって異なるわけです。スピノザは第四部定理四において人間が受動状態から完全には逃れられないことを示し,諸個人間の受動の差異を,諸個人の本性の差異と関連付けたのですが,人間の体温の上昇とか下降というのは,いうまでもなく人間の能動ではなく人間の受動に属するわけですから,スピノザがそのように関連付けていることが正しいということは,たとえばこのことからも経験的に証明されているということができるでしょう。
 僕の妹は平熱というのがわりに低く,体温を測りますと36℃を超えるということはあまりありません。そのため,体温が37℃くらいになると普段よりはかなり熱があるという感じで,ダウンしてしまいます。
 僕はこれとは逆で,36.5℃くらいが平熱。これは小さい頃から今までずっと変わりません。ですから体温が37℃くらいになるということはしょっちゅうで,このくらいの熱ならばまったく普段と変わらずに過ごします。これくらいならば食欲が減退するとかいうこともありません。小学校の頃,水泳の授業があるときには朝に家で体温を測らなければならなかったのですが,僕は37℃くらいであれば親から見学せずに水泳の授業に参加してよいという旨の判子を押してもらっていたくらいです。
 まったく関係ありませんが,僕が通っていた小学校のプールというのは,職員室などが入っている最も大きな本校舎の建物の屋上にありました。敷地の広さの関係でそう設計せざるを得なかったのだろうと思いますが,これは珍しいのかもしれません。
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別府記念&風邪

2009-05-26 18:56:13 | 競輪
 全プロがあった関係で少し記念競輪の間隔が開き,個人的には久々という感じで今日が別府記念の決勝(動画)でした。
 並びは平原ー鈴木ー飯田で東日本,松尾ー山口の岐阜,市田ー小倉で西日本,北津留ー原の九州。山口,鈴木,小倉でSの取り合いになりましたが小倉が取って市田の前受け。3番手に松尾,5番手に北津留,7番手に平原の周回。残り2周半から東日本が上昇,ホームで松尾に蓋をしてからバックで市田を叩きましたが,インから岐阜が上昇,先頭に立って打鐘。平原がホームから巻き返すも鈴木が離れ,松尾が第二先行のような形。これを6番手の市田が捲ると,単騎の平原は抵抗できず。そのまま抜け出した市田が優勝。マークの小倉が2着。3着は8番手から捲り追い込んだ北津留。
 優勝した福井の市田佳寿浩選手は2006年12月の佐世保記念以来となる久々の記念競輪制覇。通算では9勝目。GⅡは勝っていて,GⅠに手が届いてもおかしくないくらいの力はあった選手でしたが,その後は負傷やそれに伴う手術などもあり,トップクラスでの戦いからは少し遠ざかっているかなという印象でした。今日は強力メンバーとはいえなかったかもしれませんが,自力捲りで優勝したのは大きいと思います。まだ33歳ですし,復活してほしい選手のひとりです。
 なお,今日からレース回顧中の選手の敬称を省略しました。

 風邪は万病の元などといいますが,実は今回の体調の異変も,風邪が発端となっています。もちろんそれは第一部公理三でいわれているような意味での原因と結果の関係を表すものではないかもしれない,というか,そういう意味ではない可能性の方がずっと大きいであろうと思いますが,少なくとも僕の中では,連続した出来事のように今でも感じられるのです。
 あなたの風邪はどこから,と仲間由紀恵さんが尋ねる風邪薬のコマーシャルがあります。現在は時期的なものもあって放映されていないと思いますが,ここ何年かの冬の間は流れていましたからご存知の方も多いでしょう。それでいうならば僕の風邪はいつだって喉からなのです。
 実は小学校1年の学校での内科検診の際,僕は扁桃腺の肥大と診断されました。このタイプの人間は急に高熱を出すことがあります。事実,僕は小さい頃はよく熱を出して,学校を休むことがありました。この体質がようやく強化され,40℃にもなろうかというひどい熱があまり出なくなったのは,高校に入ってからではないかと思います。それまでは1年に1度くらいは高熱を出していたような気がします。
 扁桃腺はとくに処置したわけではありません。いつまでも熱を出すことが続くようなら手術をするというのもひとつの選択肢としてあったわけですが,僕の場合はそうせずにすんだわけです。身長も高校時代にかなり伸びましたので,この時期に何らかの体質的変化も同時に起こっていたと考えられますし,また,風邪をひかないようによく注意するようになったということもあったと思います。
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オークス&健康増進

2009-05-24 19:07:40 | 中央競馬
 2400メートルというこの時期の3歳の牝馬にはやや過酷とも思える条件で争われるオークス。天候が大きく崩れなかったのは幸いでした。
 宣言通りにヴィーヴァヴォドカの逃げ。向正面では5馬身くらい離れてデリキットピースが2番手。さらに開いて3番手がディアジーナ。最初の1000メートルは61秒0。これでもスローペースですから,3番手以降は超スローペースでレースをしたといえるでしょう。
 中団の内目に位置していたレッドディザイアが,直線でデリキットピースとディアジーナの間を割って完全に抜け出しました。普通はこれで勝負ありなのですが,後方2番手にいて,直線に入ってから外に持ち出されたブエナビスタがぐんぐんと伸びてきて,2頭が並んだところがゴール。テレビで見ていてどちらが勝ったか分かりませんでしたが,写真判定の結果はブエナビスタが捕えていました。レッドディザイアが2着,ジェルミナルが3着と,桜花賞とまったく同じ結果。
 優勝したブエナビスタ桜花賞に続いて大レース3勝目。早くも歴代の名牝に競走成績では並んだといっていいでしょう。現在の東京競馬場は内の方が有利ですので,上手く乗られたのはレッドディザイアの方だといえ,着差以上の力の差はあるのだろうと思います。距離に関係なく一定の末脚を使えるのは,超一流馬の証。父はスペシャルウィーク,母はビワハイジ。祖母がアグサン
 安藤勝己騎手,松田博資調教師と桜花賞以来の大レース制覇。安藤騎手はオークス初制覇ですが,松田調教師は1988年のコスモドリーム,1993年のベガでも勝っていて,3勝目です。
 2着のレッドディザイアも相当な器。順調にいくならどこかで大レースを勝つことができるでしょう。

 それからも僕は職場には煙草を持っていっていました。一定の職場ではありませんでしたが,何処でも喫煙室はあって,煙草を吸うことはできましたし,実際に休憩時間には必ず吸っていました。そして家でも吸っていました。本数だけでいえば,家で吸っている方が多かったかもしれません。しかし僕はそれ以外の場所では喫煙しなくなりました。たとえば休日に出かけるときなどは,最初から煙草を持っていかないようになりました。競馬場とかWINSといった場所は,喫煙者の方が多いのではないかと思えるくらいで,あちらこちらで紫煙が上がっていましたが,それを我慢するということはそうも難しいことでもなかったのです。
 そのうち,国民健康増進法という法律が制定されまして,少なくとも公共の場では自由に煙草を吸うことができなくなりました。といって,僕はこの法律が制定されたときにはすでに煙草を持ち歩くことをしなくなっていましたので,この法律によっては僕の生活には何の影響もありませんでした。
 ただ,この法律は基本的に公共の場での喫煙を制限することを主目的としています。なぜそれを制限するのかといえば,煙草の煙によって喫煙をしない人間の健康にも悪影響を及ぼすから,それを守るためだということになるのでしょうが,それにしてもこういう法律に,喫煙制限法という名前でなく,国民健康増進法という名前がつけられたことを,僕はかなりいかがわしく感じました。この思いは禁煙した現在でも変わっていません。
 僕は止めようと思えばいつでも煙草は止められましたので,この法律はそのきっかけになってもおかしくはなかったのです。そしてもしもこれが喫煙制限法なら,僕は実際に禁煙したかもしれません。しかし国民健康増進法などという名前を付けられてしまっては,意地でも煙草を止めるわけにはいかないと思ったのです。これは確かに僕が喫煙し続けた理由のひとつだったのです。
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マンハッタンカフェ&喫煙状況

2009-05-21 19:22:51 | 名馬
 10日のNHKマイルカップを勝ったジョーカプチーノの父はマンハッタンカフェ。カフェの仔だからカプチーノだったわけです。
 父はサンデーサイレンス,母はサトルチェンジ。体質の弱さがあったためでしょう,デビューは遅く3歳1月。2戦目に勝ち上がると弥生賞に使いましたがアグネスタキオンの4着で皐月賞の出走権は得られず。続く条件戦を大敗したので立て直すために休養,夏の北海道開催から再出発しました。すると条件戦を連勝,セントライト記念は4着に破れましたが,ジャングルポケットなどを相手に菊花賞を制覇。重賞初勝利が大レースとなりました。さらにジャパンカップをパスして有馬記念に出走すると,テイエムオペラオーらを相手にここも優勝。夏以降の上昇は目を瞠るものがありました。この年はアメリカがテロ攻撃を受けた年であり,その年の後半にこの馬が大活躍したのは印象的です。
 翌年は日経賞から始動。負けられないメンバーなのに掲示板も確保できなかったのですが,続く天皇賞はジャングルポケットを降して優勝。大レース3勝目となりました。
 この後,秋に渡仏し凱旋門賞に出走するも大敗。それが結果的に引退レースになりました。
 大レースの勝ち馬こそジョーカプチーノが初めてですが,3世代ですでに9頭もの重賞勝ち馬を出していて,リーディングサイヤーも射程圏に入っています。自身は完全なステイヤーでしたが,産駒はスプリント戦でもそれなりに活躍する馬がいるのが面白いところ。ただし活躍の場はほとんどが芝コースになっています。

 この喉の違和感によって僕の生活に何か変化があったとすれば,それは喫煙が少し減ることになったということでした。実際には喉に何かができていたわけでもないですし,喫煙することによって違和感を覚えるということもなかったのですが,医師は喫煙は減らした方がいいというアドバイスをしたこともあり,僕も何となく煙草の本数を減らすことになりました。といってこれは無理にそうしたという感じでもなく,ごく自然にそうなったといえます。そしてまたそのように喫煙を減らすということは,辛いことではありませんでした。変ないい方ですが,煙草を吸いたくなるときがあるということは確かなのですが,吸っているときはいつでも吸いたいから吸っているのかといえばそうでもなく,単に時間を潰すためだけであったりすることもあって,そういう場合にはそれを吸わないでいるということは,とくに努力せずとも簡単なことだったのです。散歩は僕にとっては一種の中毒に近いものがあるわけですが,煙草についてはそれほどでもなかったということでしょう
 このことからも分かるように,僕は煙草を止めようと思えばいつでも止められたと思います。僕が喫煙を始めた頃からすれば煙草の値段というのは何度も上がりました。また,外などでは以前のようにはどこでも煙草を吸えるという状況ではなくなってきました。そうしたことは僕が禁煙するきっかけにはなり得ましたし,実際に僕はある時期からは,家と仕事場以外では煙草を一切吸わなくなったのですが,完全に禁煙することはありませんでした。もちろんそれは吸いたいときがあったからだといってしまえばそれまでであり,それも嘘ではないのですが,これとは別に天邪鬼と思われそうな理由がひとつあったのです。
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川崎マイラーズ&処方

2009-05-20 21:05:26 | 地方競馬
 今年から新設された南関東重賞の川崎マイラーズ
           
 JRAからの転入初戦となったアントニオマグナムの逃げ。これをロイヤルボスとノースダンデーが追っていきました。前半の800メートルは49秒5のミドルペース。
 向正面ではロイヤルボスとノースダンデーが早くもアントニオマグナムを交わしていき,3コーナーから4コーナーにかけては後ろを少し引き離して直線に。2頭の叩き合いからは外のノースダンデーが抜け出し,あとは危なげなくゴールを駆け抜けて優勝。2頭の後ろに位置していたマンオブパーサーが一旦は離されたものの諦めずに追ってきて,一杯になったロイヤルボスを交わして2着。インから伸びたアートルマンもゴール直前でロイヤルボスを捕えて3着という結果でした。
 優勝したノースダンデーは一昨年の11月に平和賞を勝っていますので南関東重賞2勝目。昨年のクラシックでは苦戦続きでしたが,10月から条件戦に戻ると6戦して4勝,2着1回,3着1回。ここのところは3連勝と再上昇してここに挑んできていました。今日は2着馬とは4キロの斤量差がありかなり有利でしたが,今後もこのくらいのメンバーなら勝ち負けを繰り返していくことになりそうです。
 鞍上の船橋の左海誠二騎手は昨年のTCKディスタフ以来となる南関東重賞制覇。管理する船橋の林正夫調教師と共に,記念すべき第1回にその名を刻みました。

 この喉の違和感に対する医師の診断結果は,僕にとってはとても意外なものでした。医師はできものは何もできていないというのです。いい換えればこれは異常なしということ。異常なしといわれたって僕は確かに何か腫瘍のようなものができているような感覚を感じていたのですからにわかには信じ難い。しかし医師がきちんと診察した上でそういうのですから,それは受け止めなければなりません。スピノザの哲学でいうところの心情の動揺というのがこのときの僕には生じていたといえるでしょう。
 診断は異常なしだったのですが,薬は出ました。2種類あって,ひとつはいわゆるうがい薬。粉状のものでしたが,口に入れたときに舌に感じる感触,つまり味のことですが,これは市販のうがい薬とさして変わるところがないものでした。もうひとつ処方されたのは,医師の説明によれば精神安定剤の一種であるとのことでした。要するに,何もできていないのに何かができているように知覚してしまうのは,むしろ心理的な要素の方に問題があるから,精神を落ち着けるような効能がある薬が処方されたわけです。そういう意味では,文字通りに異常なしであったとはいえないのかもしれません。
 実際に何もできているわけではないという診断自体は僕を安心させるものでした。実際に何かできていれば手術をしなければならないようなケースだって考えられたわけですから。したがって僕はこのときはこの診察の1日だけですぐに通常の生活に戻りました。しかしこの喉の違和感というのはなかなか治まることがなく,何もできてはいないということは分かっていたのですが,僕はもう1度だけ病院まで行って診察を受けています。そして同じように2種類の薬を処方してもらいました。この2度目の薬を飲んでいる間に,症状もようやく収まったのです。
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シンガポール航空国際カップ&喉の違和感

2009-05-19 19:05:26 | 海外競馬
 日本時間17日夜,シンガポール航空国際カップGⅠ(動画)が当地のクランジ競馬場で行われました。日本からは昨年の札幌記念を勝ったタスカータソルテが参戦しましたので,この馬を中心に振り返ってみましょう。
 発走は出負け気味。枠は外目でしたが1コーナーまでの直線で内に入り,後方3番手のインという位置取りに。一般にシンガポールのレースがどういうペースで進むのかは知りませんが,日本で行われているレースと同じに考えればミドルペースのレースです。
 タスカータソルテは向正面以降は外に出さず,インをそのまま進出。直線に入ったところではコーナーワークもあり前から5番手となり,手応えもありそうには見えましたが追われてもあまり伸びることができず,最内の1頭は交わしたものの大外を強襲した2着馬に交わされ,そのまま5着という結果になりました。
 勝ったのはフランスのGloria de Campeao。これは離されたとはいえドバイワールドカップの2着馬。2着は中心視されていたイギリスのPresvisで,こちらはドバイデューティフリーの2着馬で,その後,今年は日本馬が参加しなかった香港のクイーンエリザベス2世カップを優勝していました。タスカータソルテは日本でもトップクラスとは差がある馬ですので,このくらいのレベルの馬が相手になると,これが順当な結果なのかもしれません。

 このような形で社会復帰を果した後,今回の入院までに,僕は歯医者を別としますと2度ほど病院に行っているのですが,そのうちの1度は怪我で,これは後で別の形で話します。そしてもうひとつ,時期でいいますとこれは怪我よりも前ということになるのですが,喉に違和感を感じたために病院に行っています。
 この違和感というのはことばにしますと大変に難しいのですが,痛みというのとはまったく違いました。何というか,たとえば食事をして物を飲み込むときに,喉の奥の方にそれが引っ掛かるような感覚があるのです。何かできもののようなものができて,それが飲食物の通路を狭めてしまっているというような感覚でした。鏡に向って口を大きく開けてみても,何かできているようには見えなかったのですが,ずっと喫煙していたこともあり,喉にしこりのようなものができるというのはあまり穏やかな話ではありません。同じように一時的なものであっても,単純に症状だけを比べますと前の腹の苦しさの方がずっと辛く感じられたのですが,症状を感じてから病院へ行ったのはこちらの方がずっと早かったです。
 この当時もまだ日本赤十字病院は統合・移転する前で,僕の家から無理せず歩いて行かれるところにありました。前回は消化器科でしたが,今回は耳鼻咽喉科。ずいぶんと診察まで待たされたように思います。このときの医師はもう50代半ばと思われる男の人でした。僕は診察用の椅子に座り,口を大きく開けて,医師の診察を受けました。といってこれは見るだけですから,この診察自体は1分もかかりません。僕が症状を説明した時間などを含めても,このときの診察は5分あったかなかったかくらいであったと思います。
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ヴィクトリアマイル&人間関係

2009-05-17 19:04:30 | 中央競馬
 春の古馬女王決定戦のヴィクトリアマイル
 好発はウオッカでしたが内から制してショウナンラノビアの逃げ。ブーケフレグランス,ヤマニンメルベイユ,ブラボーデイジーまで行かせ,ウオッカはその後ろに控えました。前半の800メートルは46秒7。予想されていたこととはいえ,スローペースに。
 ウオッカはあまり外を回らず,持ったままで先行馬の間を割るように先頭に並びかけるとおもむろに追い出され,後は後ろを離す一方。7馬身という大レースの1600メートル戦としては考えられないような大差をつけて楽勝しました。ブラボーデイジーがゴール前で2着に上がり,逃げ粘ったショウナンラノビアが3着。
 優勝したウオッカは昨秋の天皇賞以来の勝利で大レース5勝目。相手が強いときほど力を出し,弱くなると取りこぼしがあるタイプで,その点は心配でしたが,今日は力を発揮できたようです。そうなればここでは能力が違いますから当然の圧勝でしょう。父はタニノギムレット,母系はフロリースカップシラオキローズトウショウの分枝。
 鞍上の武豊騎手は昨年11月のJBCクラシック以来,管理する角居勝彦調教師は1月の川崎記念以来の大レース制覇。ヴィクトリアマイルは共に初優勝です。

 職場での良好な人間関係を築くような努力は一切しませんけれど,それは別にあえて人間関係を悪化させようと意図しているわけではありません。スムーズに仕事をこなすというのはどういう職場であっても必要なことであり,仕事の上ではだれとでも協力し合うということはいうまでもありません。ただ,プライベートで職場の人間と付き合うということはあまりなくなりました。いや,それ以前と比べたら,ほとんどなくなったといっていいかもしれません。
 もちろん短期間しか働かないのであれば,プライベートの付き合いというのはなくて当然だといえます。一方,長期間になると,同じ人たちと1年も2年も続けて働くことになるわけですから,たとえば仕事の帰りにボーリングに行くとかカラオケに行くとか,あるいは食事をしたり酒を飲んだりということは,まったくないということはありません。ただし,それらはすべて誘われた上でのことであり,僕の方から誘ってそうしたということは,社会復帰した後ではただの1度もなかったのではないかと思います。
 さらに付け加えれば,このような付き合いはあったとしても,これはすべて仕事の帰りに限られるのであって,休日に職場の人間と会って遊んだということは,約束したわけではないけれどもたまたま会ったということが1度だけありましたが,これは本当の偶然というべき出来事であって,これを例外とすればただの1度もないです。厳密にいうなら,僕が業務請負をするようになったきっかけを与えてくれた人は,僕がまだ学生時代からの知り合いの人であって,この人は同じ職場で働き,かつ休日も遊んだりしましたが,僕にとってはこの人は,職場の同僚というよりは,前からの友人という意識の方が強いです。
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キングカメハメハ&上司

2009-05-15 19:34:02 | 名馬
 先週の兵庫チャンピオンシップを勝ったゴールデンチケットの父はキングカメハメハで,間違いなく近年の名馬の1頭です。
 2歳11月にデビュー。新馬,特別と連勝した後,年明けの京成杯で3着。重賞初挑戦で3着ならまずまずですが,後の活躍からするとこれは不可解な負けといえると思います。
 2月にオープンを勝ち,3月に毎日杯で重賞初制覇。同じ条件の京成杯で負けたのも理由のひとつだったかもしれませんが皐月賞はパスしてNHKマイルカップに出走。1分32秒5という素晴らしいタイムで5馬身の差をつける圧勝。さらに中2週でダービーに向うと超ハイペースとなったレースを悠々と抜け出し2分23秒3というまたまた凄い時計で優勝。一気に大レースを連勝しました。
 秋は神戸新聞杯で復帰。この復帰戦を楽勝して,天皇賞に進むか菊花賞に出るのか注目の的となりましたが,ここで屈腱炎を発症。残念ながら引退となってしまいました。結果的に京成杯以外は全勝ですから,無事であればかなりの活躍が見込めた筈です。
 現3歳世代がファーストクロップ。重賞勝ち馬はこれが2頭目で,まずまずの滑り出しといえるのではないかと思います。

 このような心構えで仕事に取り組むようになると,自然と職場で共に働く人たちに求めることないしは望むことも変じてきますし,職場での人間関係のあり方も変わってきます。
 たとえば,僕は上司に望みたいことはただひとつ,はっきりと命令してくれることです。これさえ十分であればそれ以外のことはまったく求めません。実際,こうやりなさいということを簡潔に命じる人もいれば,僕からすればそれを回りくどい仕方で説明する人というのもいるわけです。もちろんそれはこちらに気を使ってくれているのであって,それは僕も理解しますが,こういう種類の気の使われ方は今の僕にはむしろ迷惑なのです。ある程度の期間,同じところで働き続ければ,だれがどういうタイプであるのかということは当然ながら分かってきますので,仕事の上で分からないことがあれば,僕はそれを簡潔に説明してくれる人に聞くようにしています。この年になりますと,上司というのが年下であるということもよくあることですが,僕はそういうことは少しも気になりません。また,そういう人というのは,職場で最も身近にいる人とは限りませんから,わざわざ別の人間に聞きにいくことは,心証を悪くするような場合もあるのだろうとは思うのですが,別に職場において良好な人間関係を構築するということを僕は求めていませんから,こういうことも気にしません。これに限らず,僕は職場の人間にはこちらから気を使うということはしませんし,相手からどのように思われるのかということにも関心はないです。また,こうしたことと関係あろうとなかろうと,僕にも他人に対する好き嫌いというのはありますが,そういう感情affectusは仕事の上ではまったく別のことと僕は考えるconcipereことができます。したがって人間的には嫌いであっても,上司としては望ましいというような人もいることになりますし,逆の場合も生じることがあります。 
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東京プリンセス賞&社会復帰

2009-05-14 21:19:45 | 地方競馬
 南関東牝馬三冠の2レース目に当たるのが東京プリンセス賞です。
 断然の人気に推されたネフェルメモリーの逃げ。ツクシヒメがこれを2番手で追いかけ,ピーチフィズ,フレンチマリー,アンペア。最初の800メートルは49秒0ですから,ペースでいえばハイペースですが,スピードが武器のネフェルメモリーにとってはマイペース。絡まれることもないのでかえって好都合なのかもしれません。
 中団に控えていたモエレエターナルは向正面で動き,3コーナーでは3番手に。さらに直線ではツクシヒメも交わしましたが,ネフェルメモリーは並ばれることもなく楽に逃げ切って優勝。モエレエターナルが2着で,ツクシヒメが3着。
 優勝したネフェルメモリーはこれで南関東転入後,東京2歳優駿牝馬,桜花賞に続いて3連勝。少し差は詰まりましたが相変わらずの楽勝。牝馬同士では明らかに能力上位。この後は東京ダービーに出走する可能性もあるようですが,そうなっても好勝負することは必至だと思います。
 鞍上は大井の戸崎圭太騎手で,先月のしらさぎ賞以来の南関東重賞制覇で,東京プリンセス賞は初制覇。管理する船橋の川島正行調教師も初の東京プリンセス賞優勝となりました。

 この旅行で体調面に何の異常も生じなかったことで僕の中に自信のようなものが甦り,セミリタイア状態から社会復帰することになりました。これ以後の期間の仕事に関しては,その大部分がいわゆる派遣労働形態のような業務請負工で,それ以外だと期間工のような短期のアルバイトもやりました。実際の仕事場は,工場のようなところか,そうでなければ倉庫のようなところがほとんどでした。といっても,単純な力仕事のようなものもあれば,デスクワークに近いようなものもあり,労働内容は様ざまです。
 ただ,それがどんな内容であれ,僕の仕事に対する取組み方は,ドロップアウトしていると自覚しているように,少し変わっています。まず基本的に僕は労働に対しては全力は尽くしません。こんなことをいっては怒られるかもしれませんが,全力を使っては疲れてしまうからです。ただし,やれと言われた業務内容に関しては基本的に断りません。たとえ長時間の残業や休日出勤になってもそれは厭わないです。
 次に,僕は自分がしている仕事そのものに対して何の興味もありません。業務請負の場合,同じ場所で長く勤務することもあれば,1週間程度で終ってしまうということもあります。そういう場合,工場での流れ作業の一部などになりますと,自分が何の作業をしているか分からずに言われた通りの作業だけを淡々とこなすということもしばしばですし,それどころか,何を作っているのかさえ知らずに作業をしているというケースもあります。自分でもこれはおかしなことだと思わないでもないですが,特に興味が湧いてくるということもないので,あえて聞いたりもしないのです。そしてまたそういうことを苦痛であるとも感じません。というか,どちらかというと単純作業の連続の方が,自分には向いているのではないかとさえ感じることがあります。
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大井記念&旅行

2009-05-13 21:27:20 | 地方競馬
 2600メートルという最長距離の南関東重賞,大井記念が行われました。ピエールバスターが除外で15頭。
 先手を奪ったのはフリートアピールでこれは予想通り。しかしマズルブラストが抑えきれないような感じで1周目の正面では先頭に並び掛け,向正面に入ると先頭を奪いました。ラップを見ますと最初の1000メートルが65秒ですから,これでは抑えきれない馬が出ても不思議はありません。この2頭と3番手は一時的にはかなり離れましたので,実質的に超スローペースであったと考えてもよさそうです。
 マズルブラストは直線の入口まで頑張りましたがそこまで。2番手に上がっていたライジングウェーブが入れ替わって先頭に立つと,バグパイプウィンドだけが追ってきましたが差はまったく詰まらず,ライジングウェーブの優勝。バグパイプウィンドが2着で3着にはクレイアートビュン。
 優勝したライジングウェーブはこれまで19戦して11勝,2着5回,3着3回の上昇馬。南関東重賞はこれが初挑戦で初制覇となりました。一応は南関東の古馬のこのレベルにまでは達したとみてよさそうですが,今日は斤量が52キロでしたので,他馬と同様に背負ってどこまで走れるかは課題のひとつとして残っています。
 鞍上は川崎の酒井忍騎手で一昨年のハイセイコー記念以来,およそ1年半ぶりの南関東重賞6勝目。管理するのは船橋の岡林光浩調教師で大井記念は共に初制覇となりました。

 腹の苦しさによる療養生活のためのセミリタイア状態から復活する直接のきっかけとなったのは,友人との伊豆への旅行でした。
 この友人も学生時代からの友人で,よく友人の運転でドライブには行っていました。それはとくに行き先も決めないような気ままなもの。実はナウシカを見つけたのもこの友人とのドライブでしたが,そのときもとくにあてがあるわけでもなく千葉を走っていたのです。
 この前年の夏,僕たちはやはり気ままなドライブで,大磯の海岸に立ち寄りました。このときは海水浴に行くためではありませんでしたので,水着などもなく,波打ち際で遊んだり砂浜に寝そべっていたりしただけですが,かなり日に焼けました。これが何となくいい思い出となって,翌年はきちんと海水浴に行こうということになっていたのです。
 この友人とは2日がかりでドライブというケースも学生時代からままありましたが,あてがないわけですから車中で仮眠を取る程度のもの。民宿とはいえきちんと宿を確保しての旅行はこのときが初めてでした。1泊2日の日程で,初日の午後に当地に着き,近場の海水浴場で過ごし,風呂に入って食事となりました。
 このとき久しぶりにビールを飲みましたが,僕にとってはこのときのビールくらいうまかったビールはありません。それは久しぶりのアルコールということもあったかもしれませんし,また海水浴で適度に疲労した後であったからかもしれません。ただあまりに効いてしまい,中瓶で1本飲んだだけだったと思うのですが,そのまま眠ってしまいました。実は夜にまた出掛ける計画があったのですが,このために行けなかったのは苦い思い出。僕の酒での失敗に数えられるかもしれません。
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一宮記念&ドロップアウト

2009-05-11 18:44:35 | 競輪
 こちらも日程の都合上,S級S班が出走できなかった一宮記念は,昨日が決勝(動画)でした。
 池田ー小林の関東,石橋に岩津,中部4人は分かれ,柴崎ー山内ー伊藤の中部と稲垣ー志智の近畿中部という並び。後方になった稲垣選手が上昇を始めると,池田選手が追走。バックで稲垣選手が前受けの石橋選手を叩くとさらに外から池田選手が叩いて打鐘から先行。中団から追い上げてきた柴崎選手と内の稲垣選手で3番手の取り合いとなり,激しい攻防になりましたが,隊列が短くなったところを石橋選手が一捲り。直線はマークの岩津選手が交わして優勝。石橋選手が2着で,池田選手の番手から小林選手が3着。
 優勝した岡山の岩津裕介選手はこれが記念競輪初優勝。まったくの即席ラインだったのですが,組んだ石橋選手には絶好の展開となり,シャープな末脚を発揮しました。一宮はわりに直線も長いですし,石橋選手も好調とはいえない近況で,メンバー的な面も含め,運にも恵まれたかもしれません。ただ岡山勢はここ2年くらいは上昇ムードにあるような気がします。

 病院での診察はたった1回で,症状もこれ以上はきつくはならなかったのですが,僕はこの年の春から夏にかけては,自宅で療養生活を送っていました。何しろこういう症状が出ることがあるので,外食をするということに少々の恐怖感があったのです。そのために,友人たちと会うということもこの期間はありませんでした。
 この頃はすでに家族が4人。両親は結婚以来ずっと共稼ぎで,現在は定年で退職していますが,この頃はまだ仕事をしていました。そのために家事などはしていましたし,知的障害のある妹を病院に連れて行くなどのことはしていましたが,いわゆる社会的な生活ということから考えれば,この時期は若くしてセミリタイアといっていいような状況でした。
 前にもいったように,僕はひとりで酒を飲むということはあまりしませんでした。そしてこの頃はそもそもだれか家族以外と食事をするということがなかったわけですから,酒は一切飲まなかったということになります。再検査の後で,自然に僕は酒を飲まないようになっていったといいましたけれども,もしもそれに直接的なきっかけがあったとすれば,それはこの時期の療養生活であったということになるでしょう。
 このセミリタイア状態はすぐに解消されることになりますが,疾患の原因がおそらくストレスにあるということもあり,その後は僕にとっての労働は,単に金を稼ぐ手段となりました。つまり仕事で自己実現することを目指すとか,出世をするとか一旗上げるとか,そういうことはまったく目指さず,単にそれなりの生活を維持していくための手段としてのみ仕事を考えるようになりましたこの状況は現在までずっと続いていますので,資本主義的社会の観点からみれば,僕はそこからはドロップアウトしてしまっているといえるかもしれません。
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NHKマイルカップ&診察

2009-05-10 19:19:51 | 中央競馬
 3歳マイル王者決定戦のNHKマイルカップ
 逃げ宣言をしていたゲットフルマークスの逃げ。2番手にジョーカプチーノ,3番手にレッドスパーダとグランプリエンゼル。向正面で先頭と2番手,2番手と3番手の差がぐんぐんと広がっていき,3番手以降は集団という奇妙な競馬。前半の800メートルは45秒5で,これでもミドルに近いくらいのハイペース。これが形の上では大逃げになった馬のラップでしたので,実質はスローに近いくらいのレースだったかもしれません。
 直線に入るとゲットフルマークスはさすがにばてましたが,ジョーカプチーノは余裕綽々。残り200メートルほどで先頭に立つと,後続を寄せつけずに優勝。2着はその後ろにいたレッドスパーダで,3着もほぼ同位置だったグランプリエンゼル。
 優勝したジョーカプチーノは2走前のファルコンステークス以来の勝利で大レース初挑戦・初制覇。1月にオープンで大敗したのはおそらく不良馬場の影響で,それ以外は堅実に走っていました。今日はあまりに展開に恵まれたところがありますが,レースレコードで走っているわけですから,今後もスピードが生かせるようなケースでは活躍できると思います。
 鞍上は藤岡康太騎手で管理するのは中竹和也調教師。共に大レース初制覇となりました。

 現在は統合・移転してしまったのですが,この当時は僕の家から歩いて行かれる距離に日本赤十字病院がありました。実はここは僕が産まれた病院であったりもします。僕はそこの消化器科で診察を受けました。
 もう10年以上も前のことですから,医師の名前は覚えていませんが,男の医師でした。彼は僕にベッドに横になり,腹を出すように命じました。そして僕の腹をぽんぽんと何度か手で叩きました。それから今度は横になったまま膝を立てるように命じ,また同じように腹を何度か叩きました。そして診察はそれだけで終りました。
 診断としては,腹に空気が溜まっているということでした。そして原因はストレスと考えられると言われました。食事のときに苦しくなるのは,何かものを食べるときに,同時に空気も飲み込むことがあるからだということでした。病名ははっきりとはしなかったのですが,1ヵ月分の薬が出ましたので,それをもらって帰りました。もちろんきちんと飲みました。
 実はこのとき,僕はもう何年も医者に行ったことがありませんでした。そういうこともあって,診察の簡潔さには驚きました。そしてこの程度の診察ならば,もうわざわざ行く必要もないだろうと思い,実際にこのときの通院はこの1回限りでした。腹に空気が溜まっているから苦しいということが分かりましたので,何とかそれを自分で対処するようにしたのです。だんだんと慣れてきますから,これはそう難しいことではありませんでした。実際にこの腹の苦しさは現在でも出ることがあります。今では苦しいというより,お腹が固いなと感じるような症状。診察のとき医師がそうしたように,仰向けに横になって膝を立てて自分の腹を叩きます。それだけでだいぶ楽になるのです。
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東京湾カップ&腹の苦しさ

2009-05-09 19:22:41 | 地方競馬
 1着馬に東京ダービーへの優先出走権が与えられる第23回東京湾カップは,6日に船橋競馬場で行われました。
 先手を奪ったのはサザンクロスラリー。サプライズゲストが2番手に控え,ペトコアプローズ,ブルーラッドと続きました。人気のブルーヒーローはかなり後方からの競馬に。
 チームドラゴンが少し追い上げた感はあるものの,前の方の隊形はほとんど変わらず,直線に入ると満を持して追い出されたサプライズゲストが抜け出しかかりましたが,外からブルーラッドが襲い掛かり,後ろを引き離しての叩き合いに。競り勝ったのは外の方で,ブルーラッドの優勝,2着にサプライズゲスト。5馬身離されましたがよく追い上げたブルーヒーローが3着でした。
 優勝したブルーラッドは北海道で3戦1勝。半年の休養があって南関東移籍後3戦2勝2着1回という成績の上がり馬。ここも突破しましたのであるいは南関東の3歳トップクラスまで迫れるかもしれません。
 鞍上は大井の御神本訓史騎手で,3月の東京シティ盃以来となる今年の南関東重賞3勝目。東京湾カップは初優勝。管理する川崎の足立勝久調教師は2003年以来となる東京湾カップ2度目の制覇です。

 就職してから数年が経過した頃,今回の病気に比べれば何ということもないのですが,僕は体調を崩しています。
 初めて異変を感じたのは,誕生日に例の宝くじを僕にプレゼントしてくれた友人と食事をしていたとき。これは池袋でクラシックのコンサートを聴いた後で,アルコールも入っていたかもしれません。どうも途中から,お腹が苦しいと感じるようになってきたのです。友人の手前もありそのままやり過ごしたのですが,この苦しみは帰りの電車の中まで続き,翌朝になると治まっていました。
 その数日後,今度は別の友人と府中競馬場に競馬観戦に行きました。この友人とはよく一緒に競馬を観にいっていまして,府中だけでなく,中山や大井,福島や小倉,札幌と新潟にも一緒に出かけたことがあります。で,府中で競馬を観た後は,八王子に出て食事をするというのが恒例になっていました。この友人も学生時代からの友人で,大学が町田市と八王子市の境にありましたので,八王子には学生時代からよく行っていて,卒業後もその名残が続いていたわけです。このときは食事のときは何も問題なかったのですが,食後にお茶でも飲もうということで喫茶店に入り紅茶を飲んでいるときに,先日と同じような症状を感じたのです。
 これから後,僕はしばしばこの症状に襲われることになりました。そしてこれはきまって食事時に発症するのです。最初のうちはそれでも食事をすることはできたのですが,この症状が出ると食事をすることもできないようになってきました。といって,この症状は食事のたびに出るわけではありませんでしたし,また,出ても,少し安静にしていて症状が治まるのを待ち,また食事をすると平気という場合も多く,まったく食事ができないというものでもありませんでした。それでもさすがに自分でもこれはおかしいと思うようになり,病院に行ってみることにしたのです。
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