スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

周防国府杯争奪戦&眠り

2018-11-09 19:03:22 | 競輪
 4日に行われた防府記念の決勝。並びは鈴木‐諸橋の新潟,三谷‐村上の近畿,清水‐松浦の中国で杉森と郡司と山田は単騎。
 前受けは三谷。3番手に鈴木,5番手に清水で7番手以降は山田,郡司,杉森で周回。残り3周のバックの出口から清水が上昇。ホームで三谷を叩いて誘導の後ろに。鈴木はこの動きに乗るような形で上昇。バックで清水を叩くと誘導を斬りました。山田は清水が動いたところで一緒に動いたので松浦の後ろ。鈴木の動きに乗った郡司が3番手,杉森が4番手となり引いた清水は5番手。打鐘から三谷が発進。鈴木が応戦して先行争いに。ホームから山田が単騎で動き,それに乗る形になったのが清水。山田に追いついた勢いでそのまま捲った清水が後ろを大きく引き離して優勝。諸橋の後ろから外に持ち出して捲った郡司が7車身差で2着。清水のスピードについていくことができなかった松浦が4分の3車身差で3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は記念競輪初優勝。昨年はFⅠで5回の優勝。今年からビッグにも出場するようになった新鋭で,ビッグでも決勝に進出できるくらいまで力をつけていました。ここは三谷が鈴木と先行争いをし,郡司が内に詰まるような競走になった上に単騎で動いた山田を利することができた展開面が大きかったのは事実。それでもこれだけの着差をつけての優勝ですから,もう十分に記念競輪クラスでは優勝候補の一角を占める選手になったと考えていいでしょう。自らの1着に固執するのではなく,ラインが共倒れにならないようにするレースを心掛けている印象があり,たぶん今後もそういうレースを続けて行く方が,優勝回数を積み上げていくことに直結していくことになるのではないかと思います。

 伯母はこの日,夕食を摂った後でまた病院に母の見舞いに行きました。緩和病棟はいつでも面会が可能でしたから,そういうこともできたのです。日中も行っていたのですが,伯母は帰国する日が間近となっていましたので,少しでも長く母と一緒にいたかったのだろうと思います。
 7月27日,金曜日。この日は午後に見舞いに行きました。この見舞いの間に,Fさんが見舞いに来てくれました。Fさんは僕より先に帰りましたが,Fさんが帰った後で母は少し眠りました。この日は昼食の後で嘔吐してしまったため,吐き気止めの注射をしましたが,この注射が眠気を誘うのだと母は言っていました。
 嘔吐の原因が何であったかは定かではありません。ただ,もしかしたらこの頃から母の身体は,徐々に食物を受け入れるということを拒否し始めていたのかもしれません。また,注射と眠気の因果関係も,母が言った通りのものであったかも僕には分からないです。ごく単純にいえば人間は死期が迫れば眠っている時間が長くなるもので,そういう兆候であったかもしれないと僕には思えるからです。
 7月28日,土曜日。この日も午後に見舞いに行きました。この日は僕が病室の入ったときには母は眠っていましたが,少しすると目覚めました。その後でベッドを起こして話をしましたが,またベッドを倒すと眠ってしまいましたので,声を掛けて僕は帰りました。
 先述した通り,この日は妹のグループホームがある場所の近くで地区の盆踊りがあり,グループホームの居住者も参加することになっていました。妹もそれに参加したいとのことでしたから,前日は迎えには行かず,この週末をホームで過ごすようにしたのです。月曜にはそのときに着るための浴衣も持参しました。ところがこの日は台風が接近していましたので,この盆踊りは中止になっています。僕は見舞いのために家を出たときには天候でいえば曇り,つまり雨は降っていませんでした。再び眠った母がまた目を覚ますまで待たず,声を掛けて帰ってしまったのにはこういう理由もありました。僕が帰宅したのは午後4時50分だったのですが,それでもこの時点では暴風雨に近かったです。
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ちぎり賞争奪戦&肺の癌

2018-10-30 19:05:14 | 競輪
 豊橋記念の決勝。並びは高橋‐吉田の愛知,浅井‐金子貴志の中部,古性‐稲垣の近畿で山崎と金子幸央と渡辺は単騎。
 浅井と高橋がスタートを取りに出て,内枠で有利だった浅井の前受け。3番手に高橋,5番手に山崎,6番手に古性,8番手に渡辺,最後尾に金子幸央で周回。残り3周のバックから古性が上昇開始。稲垣の後ろに山崎がスイッチし,金子幸央が山崎の後ろを追いました。バックの出口では浅井が引いて古性が前に。ホームで外から金子幸央が単騎で上昇。浅井が番手に続く形に。4番手に山崎がまたスイッチし,5番手に古性,7番手に高橋,最後尾に渡辺という一列棒状になって打鐘。金子幸央の成り行き先行になりそうでしたが,高橋が動いていき,ホームで金子幸央を叩いてかまし先行に。古性がこのラインに続いて3番手。しかし5番手に入った浅井がバックから発進すると前とのスピードが違いすぎ,だれも止めることができずにあっさりと捲り切って優勝。マークの金子貴志が1車輪差までは詰め寄っての2着で中部のワンツー。高橋の番手から出た吉田が1車身差で3着。バックでは最後尾になってしまった山崎が大外から捲り追い込むも8分の1車輪差で4着。
 優勝した三重の浅井康太選手は先月の富山記念以来の優勝となる記念競輪24勝目。豊橋記念は初優勝。このレースは脚力だけ考えれば優勝候補の筆頭。ただ中部勢が別ラインでの戦いになり,自身をマークするのも地元の金子貴志で,しかも単騎の選手が3人もいるということで,展開的には難しいところも出てくる可能性があるのではないかと思っていました。僕は高橋が発進していくのが遅すぎたきらいがあると思いますが,今日のような位置を確保できるレースになってしまえば,あっさりと捲ってしまうのは当然といえば当然でしょう。むしろこのスピードによく金子貴志が食い下がり,直線では差を詰めたものだと思います。

 車椅子から病室のベッドに移動すると,すぐに看護師が母を診察しました。さらに担当医もやってきて,同じように診察をしました。血中の酸素の濃度が低いので,吸入をすることになりました。細い管を鼻に入れて,そこから酸素吸入するという方法です。この吸入は最後までずっと行われました。酸素の濃度は徐々に低下していきましたから,吸入する量もそれに合わせて増量されていきました。またそれに伴って吸入の方法も変更されました。
 この後,胸部の様子を調べるためにレントゲンの撮影をしました。これはレントゲン室でではなく,この室内で専用の機器を用いて行われました。検査の間は僕と伯母は病室の外で待機していました。検査の結果が出る間に,薬剤師が来て,使用中の薬剤について点検しました。母はフェンタニルパッチを使用していましたが,ここではパッチではなく点滴か注射になる可能性があると伝えられました。その方が日常的な疼痛に対して迅速にまた適切に対処しやすいからということでした。
 レントゲンの結果はこの後で出て,肺に癌の粒が広がっているということでした。実は母は7月5日に呼吸器科の通院が予定されていました。ですがこちらから中止にしてもらったのです。というのは呼吸器科の通院が3ヶ月に1度であったことから分かるように,肝臓の癌の進行に比べればほとんど進捗していなかったため,通院するのは無益と僕と母で判断したからです。7月5日は母が退院して家にいた時期に該当しますが,身体的負担も考慮に入れれば,当然の決定であったと思っています。ただ,4月にはさほどではなかった肺の癌も,この時期には進行していたことになります。母は呼吸の苦しさを感じることがなかったわけではないのですが,生活に支障を来すほどではなかったので,肺の癌の進行が実際にどこまで母に対して影響を及ぼしていたのかははっきりとは分かりかねます。
 この後で医師は,鎮痛剤については点滴に変更するということを告げました。医療的処置の決定は医師がするもので,薬剤師がするものではありません。ただ事前に薬剤師が言っていた通りの変更でしたから,相談はあったと推測します。
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火の国杯争奪戦&母の好み

2018-10-22 18:49:03 | 競輪
 久留米競輪場で行われた昨日の熊本記念の決勝。並びは新山‐佐藤‐和田の北日本,横山‐平原‐芦沢‐神山の関東,中川‐小倉の西国。
 佐藤がスタートを取って新山の前受け。4番手に横山,8番手に中川で周回。残り2周のホームで新山が誘導との車間を開けて後方を警戒。横山はバックの入口から上昇していきましたが新山が突っ張り,打鐘から先行。横山は4番手に戻り,周回中の隊列と同じ一列棒状でホームを通過。バックに入ると再び横山が発進しましたが,すぐに一杯。横山は外に浮き平原が自力で発進。新山を捲り切りました。8番手からの捲り追い込みになった中川が平原に迫り,フィニッシュ直前で差し込んで優勝。平原が4分の1車輪差で2着。平原マークの芦沢が1車身差で3着。芦沢の外から追い込んだ佐藤が4分の1車輪差で4着。
 優勝した熊本の中川誠一郎選手は8月の松戸記念以来の優勝で記念競輪6勝目。GⅢは7勝目。熊本記念は一昨年以来の2勝目。このレースは横山の先行意欲が最も高そうで,すんなりと逃げられれば平原が有利。ただ新山もやすやすと横山の先行を許すとは思えず,先行争いとなれば中川が有利とみていました。結果的に横山は新山の先行を叩くことができず,平原が自力で出るというレースに。これはどちらかといえば平原に有利な展開ではあったのですが,周回中から脚を溜め込んでいた中川の捲りが決まるというレースになりました。7月以降で記念競輪を3勝しているように,好調期にあるようです。

 この日も入浴の介助があり,途中で僕は妹を迎えに行きました。
 7月7日,土曜日。ピアノのレッスンがありました。この日は時間の変更はなく,午後5時半の開始でした。
 7月8日,日曜日。ロサンゼルスの伯母が来日しました。僕の家に着いたのは午後7時50分ごろです。したがって,僕が母の夕食の支度をしたのはこの日までで,この日が最後になりました。これ以降は伯母が作っています。
 僕はそんなに料理をしたことはありませんから,夕食の支度をしたといっても,大したものを作ることはできませんでした。母は退院後はずっとお粥を食べていたのですが,このお粥にしても僕や妹が食べるために炊いたご飯から作るのではなく,パックに入ったレトルト食品を使っていました。ただ,僕にとって幸いであったのは,この時期の母がとくに好んで食べたもの,というか食べたがったものがふたつあり,ひとつは刺身でもうひとつがローストビーフであったことです。刺身にしろローストビーフにしろ,出来合いのものを買ってくればよいのであって,特別の調理が必要というわけではありません。そしてそれを出せば母は美味しいと言って喜んでくれるのですから,僕にとってそんなに楽なことはありませんでした。前にもいったように僕は最後に母とふたりの時間を家で過ごすことができたことを幸せであったと思っていますが,料理の面での苦労というのは実はほとんどなかったのです。もちろん身体的にいえば疲労を感じることがなかったということはないのですが,身体の辛さでいえば僕よりも母の方が辛かったのは間違いないのですから,それを思えば疲れていても多少なりとも頑張ることはできたのです。
 母の状況からいうと,このときの伯母の来日は少しばかり早いという感じが僕にはありましたし,母もそう感じていました。そしてそれは伯母自身もそうだったのです。ただ,航空券というのは時期によって価格の変動がとても大きくなります。もう少しすると夏休みとなり,この期間は割高です。少し早いけれどもこの日の来日になったのには,そうした理由がありました。
 7月9日,月曜日。妹を送り,午後は通院でした。
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滝澤正光杯in松戸&薄手のテープ

2018-10-16 18:52:23 | 競輪
 松戸競輪場で争われた千葉記念の決勝。並びは坂本に諸橋,山岸‐神山‐飯嶋‐尾崎の関東,鈴木‐成清の千葉で村上は単騎。
 村上がスタートを取って前受け。この後ろは牽制になりましたが2番手は山岸に。6番手に鈴木,8番手に坂本で周回。残り3周の最終コーナーで坂本が上昇。これに鈴木も続き,まだ誘導を斬っていなかった村上の後ろに坂本。バックで坂本がまた動き村上を叩くと3番手は村上になり,4番手に鈴木。引いた山岸が最終コーナーで発進していくもそれを鈴木がブロック。ホームではまた6番手に下がった山岸はバックから発進して打鐘。ここから坂本と山岸の先行争い。この争いを制したのは坂本で,山岸はバックの手前で脱落。神山が自力で動こうとしましたがその内にいた村上が神山を弾いて発進。直線入口で坂本を捕えるとそのまま抜け出して優勝。村上にスイッチしていた成清を牽制してどかした諸橋が3車身差で2着。1車身差の3着争いは成清とその内から伸びた尾崎で大接戦。写真判定となり3着は成清で微差の4着に尾崎。
                                     
 優勝した京都の村上義弘選手は昨年7月の小松島記念以来となる記念競輪34勝目。千葉記念は初優勝。ここは山岸を先頭としたラインが展開的に有利になりそうでしたが,坂本も鈴木もマークしたために先行することさえできませんでした。こうなると現状は諸橋と村上が実力上位でしょうから,展開とは関係なく,力で決まったというレースになりました。村上は脚を使わないようにあっさりと前を取り,坂本ラインの3番手に入ったらその坂本が先行するという展開になりました。諸橋が坂本マークだったためにすぐに牽制するのが難しい隊列であったことも味方し,大きく離しての優勝ということになったといえます。

 訪問医療で必ずするのは血圧と血中酸素の計測です。もっともこのふたつは訪問看護の際にも医療行為として行われていました。この日はフェンタニルパッチを貼った部分の跡を目視で検査し,かぶれているということで,軟膏の処方がありました。常に貼っている薬剤なのに貼った跡があるのを不自然に感じる方がいらっしゃるかもしれませんが,同じ部分に貼るわけではありません。たとえば右側,具体的にいうと右の鎖骨の下あたりに3日間貼り続けたら,次は左の鎖骨の下あたりに貼るというように,貼る位置は変えているのです。これはフェンタニルパッチの使用上の注意のひとつに含まれていました。身体全体の触診もありましたが,腹部の張りと足のむくみが大きいようなので,木曜日にまた訪問するということになりました。
 軟膏の処方があったといいましたが,これは薬剤自体が処方されたわけではなく,処方箋が出されたという意味です。なのでこれは午後に僕が薬局に取りにいきました。このときに処方されたのはロコイド軟膏という,小さなチューブに入った薬剤でした。
 6月19日,火曜日。この日は訪問看護でした。午後1時35分にふたりの看護師が来訪しましたが,そのうちのひとりはこの日に初めて来た方でした。訪問看護のときにも血圧と血中酸素を計測するのは訪問医療の場合と同じで,検温もします。前にもいったように,フェンタニルパッチを貼り換える日に該当すれば貼り換えも行います。先週の火曜と金曜は両日ともそれに該当していましたが,この日はそうではありませんでしたので,これは行っていません。その後で入浴の介助になります。フェンタニルパッチは濡らしてはいけないことになっているので,入浴のときはパッチの上からビニールのテープのようなもので覆います。母はこの介助の日以外にも,ひとりで入浴するケースがあったのですが,そのときにも使えるように,覆うためのテープは何枚か置いていってもらってありました。ただこのテープもまたとても薄手のもので,僕は貼るのを手伝ったことがありますが,とても大変でした。パッチよりもこちらの方が難しかったです。
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寛仁親王牌・世界選手権記念&下調べ

2018-10-10 19:10:15 | 競輪
 8日にグリーンドーム前橋で争われた第27回寛仁親王牌の決勝。並びは渡辺‐小松崎‐佐藤の福島,脇本‐三谷の近畿,清水‐柏野の中国で平原と浅井は単騎。
 三谷が飛び出してスタートを取り脇本の前受け。3番手に清水,5番手に浅井,6番手に平原,7番手に渡辺で周回。残り3周のホームの出口から渡辺が上昇開始。バックの出口で脇本に並び掛けると誘導を斬った脇本が突っ張りました。渡辺はそれ以上は追い掛けられず,また7番手まで引いて周回中の隊列に。バックに入り清水が発進。柏野は離れそうになりましたが何とか続き,このふたりが脇本を叩いて打鐘。浅井がこのラインに続こうとしたのですが,これは三谷がブロック。3番手に脇本で5番手に平原という隊列に。清水が飛ばしたので一時的に差は開いたのですが,バックから脇本が発進すると直線の入口では捲り切り,その勢いのまま優勝。マークの三谷が半車身差の2着で近畿のワンツー。このライン追走になった平原が流れ込んで1車身半差で3着。後方から捲り追い込んだ渡辺が半車輪差で4着。
                                     
 優勝した福井の脇本雄太選手はこれがオールスター競輪以来の出走でGⅠを連覇。ビッグも2勝目。ここは脚力的に相手になり得るとすれば渡辺だけ。前受けしてその渡辺が押さえにきたときに,突っ張って引かせた時点で勝負は決まりました。瞬間的なスピードは渡辺の方が上なのかもしれませんが,持久力は明らかに脇本に分があるからです。そこを考慮すれば渡辺は脇本が突っ張るのが難しくなるくらいの早い段階で動いていかなければならなかったということでしょう。現時点では脇本が最強選手で,競技があるため出走は少ないですが,しばらくは脇本を中心に展開していくことになるでしょう。

 6月9日,土曜日。午前11時10分に地域ケアプラザのNさんから電話がありました。週末でも介護用のベッドを設置することができる業者に僕のことを紹介したので,後に業者から連絡があるだろうという内容のものでした。11時35分に業者から連絡が入り,午後5時に社員が訪問するとのことでした。ただしこれはベッドを設置するための来訪ではなく,設置することが可能であるか否かの下調べのためです。
 午後,妹と母の見舞いに行き,母の意向を確認しました。ベッドを置くのは父が最後に退院してきたときに設置した部屋をおいてほかにはありませんでしたから,部屋に関しては意向も何もありません。それはもちろん母も分かっていたことです。ただ,現状も母が入院前に使用していた普通のベッドは置いてあり,これを片付ければ設置する場所は部屋の端でも中央でも可能です。ですからまず,ベッドをどの辺りにどの向きで設置するのがよいかということは確認しておかなければなりませんでした。
 次に,母が使用していたベッドは簡易カーペット,大きさでいえば絨毯といってもいいですが,その上に設置してありました。このカーペットを敷いたままにした方がいいのか,それともフローリングの上に直に設置する方がよいかということも確認事項のひとつでした。母の意向は,簡易カーペットは敷かずにフローリングの上に設置すること,そして場所は部屋の中央にすること,向きは南北にして頭が南側になるように設置することの三点でした。僕たちは見舞いを終えて午後3時50分に帰宅しましたので,これまで使用していたベッドは中央から隅に移し,カーペットは折り畳み,スペースに収納して業者の来訪を待ちました。これまであったベッドが部屋の隅に移動することで,部屋が何だか広くなったような気がしました。
 予定通り,午後5時に業者の社員の方が来訪しました。メジャーで部屋の大きさを計測し,母が希望したようにベッドを設置することが可能であるということが確かめられました。退院は火曜ですからそれまででよかったのですが,翌日の11時半から12時半の間にベッドを設置するということが決定しました。
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善知鳥杯争奪戦&憧憬

2018-10-01 18:49:10 | 競輪
 昨日の青森記念の決勝。並びは守沢‐大槻‐斉藤の北日本,吉田‐岡の関東,渡辺雄太‐渡辺晴智‐山賀の南関東で月森は単騎。
 長めの牽制から吉田がスタートを取って前受け。3番手に守沢,6番手に渡辺雄太,最後尾に月森という隊列から月森が動いて斉藤の後ろの6番手に入り,7番手に渡辺雄太という隊列に変化しての周回。残り2周のバックの出口から渡辺雄太が上昇すると,月森は山賀の後ろにつけ直しました。ホームで早々に吉田は引き,渡辺雄太が前に。4番手に月森,5番手に守沢,8番手に吉田の一列棒状になってバックに。ここから吉田が発進していきましたが,渡辺雄太も打鐘から発進。先行争いになったものの吉田はバックまで渡辺と並ぶところまでいかれず一杯。月森が外を追い上げたので山賀の後ろは守沢に。直線は番手の渡辺晴智が伸びあぐねるところ,3番手の山賀が外から突き抜けて優勝。渡辺晴智と山賀の中を割った守沢と逃げ粘った渡辺雄太の2着争いは大接戦。写真判定の結果,4分の3車輪差の2着は守沢で渡辺雄太はタイヤ差で3着。
 優勝した千葉の山賀雅仁選手は2102年12月の広島記念以来となる記念競輪3勝目。青森記念は初優勝。この開催は優勝候補が次々に脱落していき,残った中では吉田と渡辺雄太の脚力が上位。吉田は前を取らされるという形になり,8番手まで引いてからの巻き返しになってしまったので,渡辺雄太を容易に捲ることはできなくなりました。渡辺雄太も逃げ残るにはやや早い段階から駆けていったため,本来的に有利だったのは渡辺晴智。ただ現状の渡辺晴智は,渡辺雄太を抜くだけの差し脚はないようです。そのために自力がある3番手の山賀が突き抜けるという結果になったのでしょう。

 一般的に,入手できていない喜びlaetitiaを希求する感情affectusのことは,憧憬といわれます。これが欲望cupiditasの一種であることはいうまでもありません。この憧憬している喜びが現実化されたと仮定しましょう。これ自体は喜びが現実化されたという意味ですから,第四部定理八によってその人間にとっての善bonumであるのは間違いありません。もし僕たちが憧憬している喜びを現実化するために,何ものをも失うことはないと仮定できるならば,この喜びは絶対的な意味で善なのです。ところが現実はそううまくいくものではありません。単純にいって,まだ入手できていないものを入手するために,すでに入手している何かを失わなければならないというケースは往々にしてある,というかそういうケースの方が圧倒的に多いのです。これは何かを購入するために金銭を失わなければならないというような場合もそうですし,母のように,入院するという憧憬を現実化するために家庭での生活を失わなければならないという場合にも該当します。
                                
 失われたものは非現実的なものと化します。したがって今度はそのものに対して憧憬するということが人間には容易に起こり得るのです。つまり現実的であったがために憧憬の対象にならなかったものが,失われることによって憧憬の対象になるという場合があるのです。憧憬の対象であった入院することによって失われた家での生活に,病院で憧憬を抱くようになるというのは,まさにこのケースだといえるでしょう。しかも入院中はその生活が現実化されているわけですから,その生活はもはやかつて家で生活していたときのようには憧憬の対象とはならないのです。
 第三部定理三六は,かつて喜びを感じたことにそのときと同じ条件で,ここでいう憧憬を抱くといっています。僕がここでいっているのはその幅を広げたようなことです。つまり,かつて喜びを感じた事柄をそのときと同じ条件の下に憧憬する人は,その憧憬をしている条件と同じ条件の下にその憧憬が満たされるのでなければ,今度はその憧憬をしている条件の方を憧憬するようになるのです。これは一般的な人間の現実的本性actualis essentiaから起こるので,多かれ少なかれ,万人に妥当します。
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平安賞&入院

2018-09-25 18:55:10 | 競輪
 向日町記念の決勝。並びは金子‐杉森‐斉藤の東日本,三谷‐山田‐藤木‐村上の近畿,清水‐岩津の中国。
 村上がスタートを取って三谷の前受け。5番手に清水,7番手に金子で周回。残り3周のバックの出口から金子が上昇していくと清水も合わせて動きました。3つのラインが併走するような形で残り2周のホームに入って誘導が退避。前に出たのは清水。金子はすぐには動いていかず,バックに入ってから発進。引いていた三谷も発進して打鐘から先行争い。ホームの出口の手前で三谷が叩ききりました。後ろになった清水が動いていったもののバックの半ばで山田が番手から発進。マークの藤木が清水をブロックして清水は脱落。藤木が直線から踏み込んで優勝。山田と藤木の中を割った村上が4分の3車輪差の2着で京都のワンツー。清水の番手から大外を伸びた岩津が4分の3車輪差で3着。
 優勝した京都の藤木裕選手は5月に取手のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は2013年4月の武雄記念以来となる3勝目。このレースは三谷が勝ちにいく競走をすれば有利なメンバー構成。ただ,後ろが最も実績の薄い山田で,さらに藤木が3番手,実績的に最上位の村上が4番手ということで,後ろを引き出す競走に徹する可能性の方が高そうで,そうなれば山田と藤木の優勝争いになるのではないかとみていました。今年だけでGⅠを2勝もしている選手が死に駆けをするのはどうかと思わないではないですが,この並びを受け入れたということは,三谷も最初からそういう心積もりであったのでしょう。金子がうまく駆けたので展開的には清水が有利になりましたが,藤木はそれを止めての優勝ですから,内容としては相応しいものであったと思います。

 5月28日,月曜日。叔父が福江島に帰りました。飛行機の関係で家を出たのは8時20分でした。僕はその後に妹を送りました。
 5月30日,水曜日。母の消化器内科の通院の日でした。事前に言われていた通り,母は入院の希望を主治医に伝えるつもりでした。
 9時に家を出て,9時半に病院に着きました。通常の通院ですから,検査は必要でまず中央検査室に。4人の患者が待っていました。採血を終えて消化器内科の受付を済ませると,すぐ処置室に入れてもらい,ベッドに横になって待機していました。母は目眩も感じていたようです。
 まず看護師が来て問診が行われました。母はこのときに,入院したいという旨を伝達しました。たぶんこのことがあったからだと思うのですが,主治医による診察は正午になりました。入院には手続きが必要ですから時間が掛かるため,ほかの患者を先に診察したのではないかと推測します。
 母は主治医に対しても入院を希望する意志を伝えました。母が主治医に強く訴えたことはふたつありました。ひとつは最も辛さを感じているのは疼痛であり,薬によってそれが緩和されると痒みが発生するということでした。もうひとつは下痢の症状が継続しているということで,その際に出血を伴っているということでした。ですからその二点を集中的に治療するため,消化器内科の病棟に入院するということが決定しました。主治医によれば,場合によってはそのまま緩和病棟に移動するという可能性はあるけれど,現時点での状況は,緩和病棟に入るまで悪化しているわけではないということでした。
 入院のため検査が必要とのことで,心電図とレントゲン撮影が行われました。これは車椅子で看護師が移動させてくれましたので,僕は付き添っていません。この日はある予定があったために,家で伯母が待っていましたので,この間に僕は入院の決定を電話で伝えました。入院する意志があったので,必要な荷物の一式はバッグに詰めてありました。必ず入院できるわけではないので置いてきたのです。それが必要になったという報告の意味の電話でもありました。母が処置室に戻ってきたのは12時40分でした。
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共同通信社杯&使用開始

2018-09-18 18:59:52 | 競輪
 高知競輪場で争われた昨日の第34回共同通信社杯の決勝。並びは平原‐和田の東日本,太田‐清水の四国中国,山崎‐山田の九州で郡司と浅井と村上は単騎。
 山崎がスタートを取って前受け。3番手に平原,5番手に浅井,6番手に村上,7番手に太田,最後尾に郡司で周回。残り2周のホームで村上が上昇。山崎は引いて村上が誘導の後ろに。太田は村上に続いてそのまま村上の後ろ。郡司が上昇すると村上が迎え入れるような形で誘導の後ろは郡司に。バックから打鐘にかけ,太田がペースを落としたために,2番手の村上と3番手の太田の差が大きく開いていきました。残り1周のホームで誘導が退避。太田はここから仕掛けていきましたが郡司も踏んだため,太田は内に斬り込み,村上と接触。村上は落車し,太田も車体故障を起こして脱落。ホームを回ると山崎が仕掛け,バックで郡司の前に。離れそうだった山田も何とか続きました。太田が脱落していたため郡司の後ろになっていた清水が山田にスイッチ。直線の手前で山田を弾いて太田を捕えました。そこに後方で前の動きをすべて見ていた平原が外から強襲。フィニッシュ前で清水を差して優勝。清水が4分の1車輪差で2着。平原の外から伸びた浅井が1車輪差で3着。
                                    
 優勝した埼玉の平原康多選手は5月の京王閣記念以来の優勝。ビッグは昨年2月の全日本選抜競輪以来の9勝目。共同通信社杯は初優勝。このレースは単騎の選手が3人いて,その3人がそれぞれ有力視できるような脚力も備えていたので,予想は困難でした。太田が打鐘前のバックでペースを落としたところをみると,よほど先行するのは嫌だったのでしょう。郡司が山田をどかせれば有利になりましたが,山田が番手を死守。このために自力がある清水に展開は向きました。あれでさらに後ろだった平原に差されてしまったのは,現状の実力の差というほかありません。あまり動かずに最も落ち着いてレースをしたのは平原だったとはいえ,そこが勝因になったと思います。

 5月10日,木曜日。妹を迎えに行きました。翌日に妹の通院があったためです。
 5月11日,金曜日。妹の歯科検診でした。予約は午後3時。この日もクリーニングだけでしたが,歯がよく磨けていると担当の歯科助手から褒められました。妹に聞いてみますと,グループホームでも通所施設でも,自身で歯を磨いた後に職員にみてもらい,磨き残したところがあれば落としてもらっているとのことでした。このためによく磨けていたのだと思います。グループホームの職員とは連絡帳でやり取りをしていますので,このことについてはお礼をしておきました。診察はさほど時間を要さなかったのですが,精算は90人ほどが待っている状態で,かなり待たされました。このために帰宅したのは午後5時15分になりました。
 母はこの日からワンデュロパッチの使用を開始しました。これは処方された飲む鎮痛剤の残量が少なくなってきたからです。水で濡らすことは好ましくないという使用上の注意がありましたので,貼ったのはこの日の夜に風呂を出てからでした。効果は24時間ですから,毎日,ほぼ同じ時間に貼り換える必要があります。入浴する時間はほぼ一定なので,入浴前に剥がして入浴後に貼るというのが,この日以降の母の日課となりました。この貼付薬については,基本的に母自身が貼ったり剥がしたりしていました。なお,母はこの後で下痢をするようになったとのことですし,13日の日曜から15日の火曜までは体調不良という状態を自覚していました。実際に母が残したノートも,13日から15日までの分は15日にまとめて書かれています。ただこの体調不良がワンデュロパッチの副作用であったのかどうかは分かりません。痛みを感じたら鎮痛剤を飲むという状態に比べたら,楽であるというようには感じていたようです。
 5月14日,月曜日。妹を送りました。午後2時ごろにKさんが来訪し,しばし母と話をして帰りました。
 5月15日,火曜日。ロサンゼルスの伯母が来日しました。僕の家に到着したのは午後7時40分でした。これは母の依頼による来日で,翌日から帰国前日までは伯母が家事のほとんどを担当しました。
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長良川鵜飼カップ&利尿剤

2018-09-09 19:08:54 | 競輪
 岐阜記念の決勝。並びは山崎‐大槻の北日本,和田‐山賀の南関東,竹内‐坂口の中部,松浦‐桑原の中国で金子は単騎。
 山賀がスタートを取って和田の前受け。3番手に山崎,5番手に竹内,7番手に松浦,最後尾に金子で周回。残り3周のバックから松浦が金子まで連れて動きました。コーナーで竹内の横に並ぶと,竹内は引き,5番手が松浦,7番手に金子,8番手に竹内という隊列に変化。5番手に入り直した松浦はホームから再び徐々に上昇。そのまま踏んでいき打鐘で和田を叩いて松浦が先頭に。引いた竹内も発進。ホームでは松浦を叩いて竹内のかまし先行に。待っていた松浦は坂口をどかして竹内の番手を奪取することに成功。これを外から和田,さらに外から山崎が捲る展開。山崎の勢いがよかったので,直線の手前で3番手から先に踏んだ桑原が前のふたりを差し切って優勝。捲った山崎が半車輪差で2着。番手を奪った松浦が1車輪差で3着。
 優勝した山口の桑原大志選手は記念競輪初優勝。このレースは竹内が先行する可能性が高く,そうでなければ成行きのような形で山崎が先行することになると推測していました。松浦は近況は好調でしたが,打鐘で前に出て,先行しても構わないというレースをしたのは僕にとっては予想外。最終的には竹内の先行にはなりましたが,松浦を叩くために脚を使わざるを得ませんでした。なおかつ松浦がうまく番手を奪取。これが可能になったのは先行も辞さずというレースをしたからです。この松浦の積極性が,マークした桑原に味方したというレースだったのではないでしょうか。

 多量ではないとしても腹水は溜まっていました。また,足のむくみも肥大化して歩行にも支障を来すようになっていましたから,これについては処置をするということで,利尿剤の処方が決定しました。この時点でまだ母の腕には造影剤を注入するための針が装着したままでしたので,看護師がその針を抜いてこの日の診察はすべて終了しました。12時45分でした。僕たちはそのまま会計の受付に行き,計算の間に院内の食堂で昼食を摂りました。そして支払いをして帰りました。帰宅したのは午後1時45分でした。
 実はこの日は雨が降っていたのですが,午後にはやむ予報になっていました。実際にそうなりましたので,雨がやんでから僕が薬局へ行きました。ただこの日は客が多く,薬を受け取るまでに1時間ほど待たされました。処方された利尿剤は2種類です。ひとつがスピロノラクトンというもので,もうひとつがフロセミドというものです。スピロノラクトンは1回2錠,フロセミドは1回1錠を朝食後に飲むことになっていました。この薬については母は処方された通りに服用しました。これは腹や足のむくみに対する苦痛が大きかったからだと思います。薬自体は効果が高かったのですが,母にとっては飲みにくい薬だったようです。おそらくそれは錠剤であったからで,すでにこの時期の母は,嚥下するということが以前のようにはできなくなっていたのだと推測されます。
 4月20日,金曜日。妹を迎えに行きました。妹は昼食は完食したとのことでしたが,その後で体調の不良を訴えたらしく,医務室で横になっていました。帰るのは問題ありませんでしたが,家に着くとまた気持ちが悪いと言い出し,布団に入って眠ってしまいました。この日は夕食は食べませんでしたので,少し心配になりました。
 4月21日,土曜日。この日は妹は食事を摂ることができました。ただ,体調が万全であるとはいい難く,食べるために起きている時間を除けばほとんどの時間を布団で横になっていました。
 4月22日,日曜日。ピアノのレッスンがあって,妹はそれはこなせましたが,やはり食べているか眠っているかという状態が続いていました。
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瑞峰立山賞争奪戦&予約時間

2018-09-02 19:00:08 | 競輪
 富山記念の決勝。並びは片折‐平原‐宿口の埼玉,山中‐伊勢崎‐大塚の南関東,山本‐古性の近畿で浅井は単騎。
 出渋る発走になりましたが古性がスタートを取って山本の前受け。3番手に片折,6番手に浅井,7番手に山中で周回。残り3周のホームから山中が上昇。前受けになった山本は後方を見やりながら突っ張る構えをみせ,バックで誘導を斬りました。しかし内を開けてしまったためそこを片折に突かれ,残り2周のホームからバックにかけ,浅井まで4人が前に。5番手に山本,7番手に山中の一列棒状となって打鐘から片折が発進。バックで山中が捲っていくと先んじて浅井も発進。平原は車間を開けて浅井の捲りに合わせようとしましたが,浅井に出きられてしまいスイッチするような形に。ここからの逆転は困難で優勝は浅井。2車身差の2着に平原。捲り追い込みの山中が1車輪差で3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は6月の久留米記念以来の優勝で記念競輪23勝目。富山記念は初優勝。このレースは片折がどういう形ではあれ力は出すでしょうから,番手を回る平原がかなり有利だろうと思っていました。片折の力の出し方はいろいろありますが,今日のレース展開は平原にとって最高の形。それで浅井に捲られてしまったのは,油断があったとしか思えないです。浅井は最初から埼玉ラインの後ろを回っていましたが,この位置取りが浅井の勝因であるとはいえるでしょう。

 薬局にも寄って帰宅したのは午後5時20分。この日はインスリンも注射針も足りていました。
 3月8日,木曜日。母の呼吸器科の診察に同行しました。
 予約が9時半になっていましたので,家を出たのは8時50分です。先に2階でX線の撮影をしてからの診察でしたが,肺の癌は大きくなっていないとのことでした。なので経過を観察するということになり,次回の予約は7月5日になりました。肝臓の癌の状況からするとそこまで母の生命が保つのかどうかは甚だ疑問ではあったのですが,これはあくまでも肺の検査です。他面からいえば肺の癌が母に対して何らかの影響を及ぼすということは,母が生きている間には起こらないだろうというように僕は想定しました。10時20分には帰宅することができました。
 3月9日,金曜日。10日が土曜レクリエーションだったので,この週末は妹がグループホームで過ごすことになっていました。ですから迎えに行く必要はありませんでした。午前中に根岸駅に行く用事がありましたので,ついでに歯科検診の予約を入れて帰りました。
 3月12日,月曜日。この日が歯科検診でした。予約は9時半。この日もクリーニングを施しただけでしたが,右の下の奥のブリッジと,その手前の歯との隙間をよく掃除するようにという注意が与えられました。おそらくその部位に汚れが目立っていたためだと思います。
 3月15日,木曜日。16日に妹の本牧脳神経外科の通院の予約が入っていましたので,この週は木曜に迎えに行きました。
 3月16日,金曜日。妹と本牧脳神経外科へ。予約は午前10時でした。この日は診察と,前回の採血の結果の報告だけでした。
 予約がこの時間になっているのは,以前は小港の通所施設に通っていましたから,通院の後,すぐに通所施設に送れるようにです。ですが現在は通所施設は日野なので,通院の日は休むことになります。なので次回から,予約を午後3時に変更してもらいました。前にもいいましたが妹の睡眠時間は長く,そうした方がゆっくり眠っていることができるからです。帰途に薬局に寄って薬をもらい,帰宅したのは11時35分でした。
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北条早雲杯争奪戦&臓器の圧迫

2018-08-28 19:05:59 | 競輪
 小田原記念の決勝。並びは近藤隆司‐郡司‐中村‐近藤俊明の南関東と清水‐井上の西国で高橋と木暮と志智は単騎。
 スタートを取ったのは井上で清水の前受け。3番手に木暮,4番手に志智,5番手に高橋,6番手に近藤隆司で周回。残り3周のバックの中間から近藤隆司が発進。コーナーで清水が誘導を斬って突っ張る構えをみせましたが,ホームでは近藤隆司が叩いてこのラインが出きりました。5番手に清水,7番手に木暮,8番手が入れ替わって高橋,最後尾に志智の一列棒状でバックから打鐘。ホームの入口から清水が発進。バックでは近藤隆司を捲ることに成功。ただし番手の井上を郡司がどかし,自力に転じて清水を追いました。車間はあったものの直線の入口では郡司が清水の前に出て,そのまま粘り切って優勝。マークの中村が半車身差の2着に続いて南関東のワンツー。自力で郡司の外を捲るレースになった木暮が2車身差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は昨年4月の川崎記念以来の記念競輪4勝目。小田原記念は一昨年以来の2勝目。ここは南関東が4人で結束するような並びになりましたので,近藤隆司が優勝を捨てて駆けていく公算が高かったのですが,その通りのレースになりました。清水に捲られてしまったのは誤算だったかもしれませんが,井上を捌くことができましたので,一旦は差が開いてしまいましたが郡司と清水の現状での力量差から考えれば順当な優勝だったといえそうです。清水は最後は一杯になってしまいましたがいいレースをしたと称えられてもいいのではないでしょうか。

 2月28日,水曜日。先週の水曜日に母の消化器内科の通院があり,貧血が進んでいるということで輸血をしました。その経過を観察したいということで,翌週のこの日にまた診察の予約が入っていました。この日は11時の予約でした。
 病院に着いたのは10時40分です。貧血の経過の観察ですから当然ながら採血が必要なので,まず中央検査室に向いました。この日はふたりの患者が母より先に採血の順番を待っていました。
 診察が始まったのは正午です。ヘモグロビンの値は改善しているとのことで,これは要するに貧血は解消しているということでした。また,前回は下血があったためにCTの撮影を行いました。下血の原因は分からなかったのですが,詳しい解析の結果が出ていて,それによれば母の肝臓の癌はかなり肥大化していて,その癌が腎臓を圧迫しているとのことでした。このために母の腎臓は,本来のあるべき位置から変異しているとのことでした。こういうのもヘルニアというのかどうかは僕には分かりませんが,体内の癌が大きくなってそれが臓器を圧迫するということが生じるということは,このときに初めて知りました。これでこの日の診察は終了しました。次回は4月ということだったのですが,母はそこまで体力が続く自信がなかったようで,医師にその旨を話すと,3月に予約を入れてもらうことができました。診察の後,院内の食堂で昼食を摂ってから帰りました。帰宅したのは午後1時10分でした。
 先週の通院のときに鉄剤が処方されていました。ヘモグロビンの改善は輸血の効果が大きいでしょうが,鉄剤も飲み続けた方がよいというのが主治医の判断でした。先週の処方は7日分でしたので,この日に改めて処方箋が出されました。一方,痛み止めのカロナールは,処方されたものの母はまだ服用していませんでした。つまり残りがあったので,こちらはこの日の処方はありませんでした。胃薬は処方されていましたが,母はこれは飲んでいません。この日に処方された鉄剤と胃薬については,この日の午後に僕が薬局に行って受け取りました。なお処方された鉄剤は,先週と同じ薬剤で,量にも変更はありませんでした。
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平成30年7月豪雨被災地支援オールスター競輪&三者面談

2018-08-19 19:00:08 | 競輪
 いわき平競輪場での第61回オールスター競輪の決勝。並びは渡辺‐中村の東日本,竹内‐浅井‐金子の中部,脇本‐古性‐村上の近畿で山崎は単騎。
 渡辺がスタートを取って前受け。3番手に竹内,6番手に脇本,位置を取ることができなかった山崎が最後尾で周回。残り2周のホームから竹内が動き,バックで渡辺を叩いて誘導を斬ると打鐘から全開で駆けていきました。竹内ラインを追って発進した脇本は全開の竹内にてこずりはしたものの,ホームの出口で竹内を叩くことに成功。ただ古性が浅井のブロックを受けて離れてしまいました。古性はバックでは何とか竹内の前までは出ましたが,すでに脇本とは大きな差。マークの村上は浅井に弾かれ,古性の後ろに浅井。脚を溜めていた渡辺はいいスピードで捲っていきましたが,これも浅井がブロック。古性が離れたので単独の捲りになった脇本はそのまま後続を引き離して圧巻の優勝。渡辺をブロックして自力で出た浅井が3車身差で2着。立て直した渡辺が1車身差の3着。最後に脚を使う形で大外を追い込んだ山崎が8分の1車輪差まで迫って4着。
                                  
 優勝した福井の脇本雄太選手は前回出走の福井記念からの連続優勝。ビッグはこれが初制覇。ここは現状の力量では上位なので最有力候補。よほどの先行争いになれば渡辺の優勝もあるかと見立てていました。竹内を叩くのにてこずったように見えましたが,あるいはバックの出口からホームにかけてはタイミングを計っていただけだったのかもしれません。捲ってしまってからの走りは,古性が離れてしまったこともありますが,他を寄せ付けない現状の力量の差を見せつけたといったところでしょう。ぴったりとマークすることができる選手でないと,今の脇本を抜くのは相当に難しそうです。ようやくといった感のビッグ初優勝ですが,これは序章にすぎないのではないでしょうか。

 利用者の担当者というのは妹の担当者のことですが,これは通所施設の担当者ではなくグループホームの担当者です。このときはSさんという方でした。今年の4月からSさんはグループホームの責任者になりました。会社でいえば昇進に該当するのではないでしょうか。現在はKさんが妹の担当者になっていますが,このときはまだSさんでしたから,Sさんと妹,そして僕の3人による面談でした。これはグループホームで行ってもよいし通所施設で行ってもよいということで,事前に僕に打診がありました。ただいずれの場合も通所施設の作業時間内に行うことはできないということでしたので,僕にとって最も都合がよい時間かつ場所ということで,妹を迎えに行く日に通所施設で行いたいと申し出て,この日に決定したものです。
 基本的にはSさんから,妹のグループホームおよび通所施設での生活ぶりの報告があり,僕はそれを聞く役目でした。ただ,妹がどのような人間であってどのようなことを好むのかといったことなどは僕の方が知っています。ですから妹をどのように扱うのが最もよいのかといったことなどについては,Sさんから僕の方に質問も出ますので,僕はそれに答えますし,また質問が出なくても,僕の方から伝えておいた方がよいと思えることなどについては伝えておきました。たぶんこの日に僕の方から話した事柄の中で最も重要だったのは,妹の体調をどのような観点から把握するのがよいのかということだったでしょう。というのは,妹はものすごく眠いときに,それを「気持ち悪い」ということばで表現する場合があり,このことばが体調不良を示しているのかどうかを把握するのは,たぶん妹をよく知っていないと困難であろうと思われるからです。そして僕は,というかこれは母もですが,妹の体調については食欲によって把握します。つまりたとえ「気持ち悪い」ということばを妹が発したとしても,出された食事を完食しているなら何も心配はありません。しかしたとえそのようなことばが出ない場合であっても,食事を残すということがあるとすれば,体調不良を疑うべきなのです。妹は出されたものは全部食べるのが常だからです。
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アーバンナイトカーニバル&ピアノのレッスン

2018-08-13 19:00:46 | 競輪
 川崎競輪場で争われた昨晩のアーバンナイトカーニバルの決勝。並びは池田‐岡の埼玉,佐々木龍に佐々木雄一,佐藤‐荒井‐大坪の九州で伊藤と鷲田は単騎。
 荒井がスタートを取って佐藤の前受け。4番手に池田,6番手に伊藤,7番手に鷲田,8番手に佐々木龍で周回。残り3周のバックを出るところから佐々木龍が上昇を開始。ホームでは池田の横あたりを併走。バックの入口で佐藤を叩きました。打鐘から池田が発進。佐々木龍と先行争いのような形になりましたが,ホームに入るところで池田が内に斬り込み,接触した佐々木龍は車体が故障し棄権。池田ラインに続いた鷲田が3番手で,この後ろに佐々木雄一がスイッチ。佐々木雄一の後ろになった佐藤がホームから発進。岡が止めることができず,バックの出口で池田を捲りました。この佐藤の動きに乗った荒井が直線で差し込んで優勝。池田マークから佐藤と荒井の間を突いた岡が4分の3車身差で2着。捲った佐藤は4分の3車輪差で3着。
 優勝した佐賀の荒井崇博選手は4月の西武園でのS級エボリューション競走以来の優勝。GⅢは一昨年10月の千葉記念以来の優勝で14勝目。このレースは佐藤も佐々木龍もGⅢに手が届きそうというクラスではないように思えましたので,池田か荒井のうち,展開が向いた方が優勝するのではないかと見立てていました。池田が先行策に出たのは意外だったのですが,道中の動きによって位置が後ろになってしまったので,止むを得ず発進したということではなかったでしょうか。現状は先行で粘り切れるような力はないようで,これを佐藤が捲り切りました。この捲りに乗ることができた荒井に展開が向いたということでしょう。オールスター競輪の直前であるだけにGⅢで有力になる選手の参戦が当初からなく,難解なレースだったと思います。

 1月26日,金曜日。妹を日野の作業所へ迎えに行きました。
 1月27日,土曜日。妹のピアノレッスンがありました。レッスンは11月19日に行った後,12月になればグループホームに入所することになりそうなので,その後の予定を立てることが困難で,12月は行うことができませんでした。しかし実際に入所しての生活を開始して,どの週末には家にいるかということが事前に把握できることが判明しました。ですからその週であればレッスンの予定を入れても大丈夫ということになりましたので,こちらから先生に連絡を入れ,この週から再開ということになったのです。ただし,昨年までは原則的に月に2回のレッスンでしたが,今年からは月に1回に変更してもらいました。先生の方にも予定がありますから,月に2回の予定を合わせるのは難しくなることも生じると予想され,それであるなら最初から月に1回に限定してしまった方がよいだろうと判断したからです。なお,これはレッスンですから当然ながら先生には月謝を払っています。ただ,これまでより回数が減りましたので,今年からは月謝の額を半分にして月ごとに払うのではなく,これまでの同じ額の月謝を隔月で支払うという形態にしています。先生に月謝を渡すのは偶数月です。なお,これは母と先生との間で決定した事項でした。
 1月29日,月曜日。妹を日野の施設まで送りました。
 この日は妹が12月まで通っていた小港の施設の保護者との昼食会に母は出掛けています。前の週の木曜には,妹が卒業した養護学校の保護者との昼食会にも行っているように,この頃の母はこうした食事会に出席するくらいの体力が残されていたのです。しかし残されている時間が限られているということも母にはよく分かっていましたから,この時期の誘いには可能な限りは出席していたのです。
 2月1日,木曜日。妹を迎えに行きました。原則的には月曜日に送って金曜日に迎えに行くのが基本ですが,木曜日に迎えに行ったのには理由があって,翌日に妹の歯科検診が予定されていたからです。週中だと送迎が不便になってしまうので,妹の通院はすべて金曜日に予約しています。
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燦燦ダイヤモンドカップ争奪戦&Yさん

2018-08-05 19:11:57 | 競輪
 松戸記念の決勝。並びは吉田に中村‐伊勢崎の千葉,石塚‐松岡‐村田の近畿,太田‐桑原の四国中国で中川は単騎。
 桑原がスタートを取って太田の前受け。3番手に中川,4番手に吉田,7番手に石塚で周回。残り3周のホームから石塚が発進の構えをみせると吉田が合わせて上昇。バックでは前受けの太田が突っ張り,内に差し込んだ石塚と外の吉田で4番手を併走する隊列に。残り2周のホームから外の吉田が再上昇。太田を抑えてバック。ここから石塚が発進。吉田も踏み込んで打鐘。この先行争いは吉田が制し,浮いた石塚は脱落。伊勢崎の後ろに松岡がスイッチ。後方になった中川は単騎で動き,バックでは松岡の後ろの村田の横あたり。そのまま勢いよく捲った中川が吉田を飲み込み,あとは抜け出す一方で優勝。吉田の番手から差してきた中村が3車身差で2着。コーナーで中川を追うように自力で発進した松岡の後ろから,直線は松岡の内を伸びた村田が4分の3車身差で3着。
 優勝した熊本の中川誠一郎選手は先月の宇都宮記念以来の優勝で記念競輪5勝目,GⅢ6勝目。松戸記念は初優勝。このレースは太田,吉田,石塚と若い先行選手が揃ったので,何かしらの先行争いが起こることが予想され,単騎でも脚を溜められそうな中川には有利な展開になりそうでした、実際に吉田が抑えにきたところで一旦は太田が突っ張り,吉田が叩いた後で石塚が発進して先行争いになるなど,早い段階から激しいレースに。地区的には太田ライン追走でもおかしくありませんでしたが,そうではなく単騎でも自力勝負を選んだのがよかったのだと思います。

 Yさんはかつての母の同僚です。ただ,Kさんは僕が3歳の頃から小学校を卒業するまで母が勤務していた中学校の同僚で,Yさんは僕が中学校に入学した年に母が転勤した中学校での同僚です。母が特殊学級,現在でいう特別支援学究を担当するようになったのは,この中学校で勤務していたときでした。
 Yさんには母の癌について詳しいことを知らせてあったわけではありません。ただ,年賀状を出しましたので,その中で,大腸の手術をしたということは書き添えておいたそうです。Yさんの旦那さんが薬剤師で,その文言にピンとくるものがあったようです。それでこの日に訪ねてきました。もっともそれは突然の訪問とは少し違います。年賀状を読んだYさんが事前に電話をかけてきたので,そこで母が詳しい話をし,この日の訪問が決定したということです。
 1月7日,日曜日。この日はKさんが訪問してきて,一緒に夕食を摂りました。妹はグループホームに滞在中のため不在でしたが,来日中の伯母がいましたので,母と僕と合わせて4人での夕食です。なお,基本的に伯母の来日中は伯母が家事のほとんどをこなします。例外は風呂の掃除で,これは僕にとっての始まりの日以降は必ず僕が担当することになっています。したがってこの日の4人分の夕食の支度をしたのは伯母でした。
 1月9日,火曜日。母と伯母,僕の3人で墓参りに行きました。日野公園墓地にある僕の家の墓に行くことができたのは,前年の7月19日以来ですから,およそ半年ぶりのことでした。
 1月12日,金曜日。妹を迎えに日野の作業所に行きました。墓地と作業所は同じ日野で,墓地は作業所からでいえば帰るときのバスから見えます。ただ日野公園墓地というのは非常に敷地面積が広いため,僕の家の墓に行くという場合には,この帰り道にある入り口から入ると中をかなり歩かなければならないことになります。
 グループホームで過ごした週末のことについて妹に尋ねましたが,カラオケはすることができたようです。また,妹はこれまでと比べると睡眠時間が激減している筈で,昼寝をしてもいいと言っておいたのですが,それはしなかったようです。
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ふるさとカップ&入所の日

2018-07-31 18:36:20 | 競輪
 弥彦記念の決勝。並びは坂本‐菅田の北日本,鈴木‐諸橋の関東,和田‐簗田の南関東で椎木尾と岩津と湊は単騎。
 前受けとなった和田をまず叩きにいったのが坂本で,それが残り2周のホームに入るところ。坂本はそのまま誘導の後ろに。3番手は椎木尾で椎木尾の後ろは内で和田,外が鈴木。鈴木マークの諸橋の後ろに湊が続き,岩津が最後尾でホームを通過。バックに入って鈴木が発進。坂本を叩いて打鐘。湊と岩津も続き,コーナーで椎木尾も5番手にスイッチ。6番手に坂本,8番手に和田の一列棒状に。鈴木のスピードがよく,後ろの選手は動けず。車間を取って直線の入口から踏み込んだ諸橋が優勝。諸橋マークのレースになった湊が4分の1車輪差で2着。3番手から前のふたりの間を割ろうとした岩津は届かず4分の3車輪差で3着。
 優勝した新潟の諸橋愛選手は昨年10月の松戸記念以来となる記念競輪6勝目。地元となる弥彦記念は昨年に続く連覇で2勝目。このレースは単騎の選手が多かったこともあり,地元の諸橋を連れた鈴木の先行は予想できたところ。脚力の面からは和田がライバルになりそうでしたが,坂本が抑えた後で鈴木がうまく封じ込め,8番手に置くことができました。また,単騎の選手も競り掛けてはこない上に3人ともラインに続いてくれましたので諸橋にとっては絶好の流れ。和田はもっと早く引ききってしまった方がよかったように思います。

 搬入を終えてバスで上大岡に戻ったのが正午近く。Kさんと僕と母の3人で,近くの店で昼食を摂りました。Kさんの自宅は上大岡から近いのですが,僕の家まで自転車で来ていました。なので3人で僕の家まで戻りました。それが午後1時15分。Kさんはそれから自転車で自宅に戻りました。
 12月20日,水曜日。妹の本牧脳神経外科の通院がありましたので,この日は通所施設までの送りのサービスは中止にし,僕が通院に同行しました。予約は午前10時でした。この日は診察だけでなく採血もあったのですが,妹は血管が浮き出にくい体質で,大概の場合は採血は肘の裏の部分からするものだと思うのですが,手の甲から採血しました。それでも1度目は失敗して十分に血液を採取することができなかったため,妹は左右の両方の手に注射されることになってしまいました。この通院を終えたら妹を通所施設まで送り,僕はその帰りに根岸駅の薬局に寄り,妹の薬をもらって家に戻りました。帰宅したのは11時45分です。
 12月21日,木曜日。母が業者に依頼して家の大掃除が行われました。3時間ほどで終了しています。
 12月22日,金曜日。妹がこれまでの通所施設に通う最後の日でした。妹のために施設の方でありがとうの会というのを開催してもらいました。これは午後2時からで,母も同席しています。妹はきちんとお別れの挨拶ができたようです。
 12月25日,月曜日。妹がグループホームに入所する日です。これは僕が送って行きましたが,場所の関係で,グループホームではなく通うことになる通所施設の方に行きました。10時から10時半の間にということでしたので,その時間に間に合うようにしました。この時間はこの日に限ったことでなく,この日以降,送るときには定まった時間です。施設はキリスト教関連で,これまでもそうだったのですが月曜は全体礼拝というのがあります。その後で,グループホームから通っている人の専用の部屋で,グループホームの人たちによる朝礼があり,僕はそのふたつにはこの日は出席しました。ただしこれはこの日限りのことです。全体礼拝でも朝礼でも,妹は挨拶しました。
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