スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールド・ウイング賞&行程

2024-04-23 19:00:46 | 競輪
 西武園記念の決勝。並びは真杉‐坂井の栃木,黒沢‐森田‐平原‐武藤‐一戸の埼玉,深谷に稲川。
 スタートを取りに出たのは深谷と坂井。深谷が誘導の後ろに入って前受け。3番手に真杉,5番手に黒沢で周回。残り3周のバックの半ばから黒沢がゆっくりと上昇を開始。ホームで外の方から深谷を叩き,バックでは埼玉の5人が前に出て,打鐘前から黒沢が全力で駆けていきました。叩かれた深谷が6番手で真杉が8番手の一列棒状。ホームに入って車間を開けていた森田がホームの出口から早くも番手から発進。バックで深谷が発進すると武藤が牽制しさらに平原も牽制。稲川は両者の内に潜り込みました。直線に入って平原が森田を抜きにかかりましたが,立て直した深谷と後方からの捲り追い込みになった真杉も強襲。大外の真杉が差し切って優勝。深谷が1車輪差の2着で平原は半車身差の3着。
 優勝した栃木の真杉匠選手は競輪祭以来の優勝。記念競輪は昨年の宇都宮記念以来となる4勝目。西武園記念は初優勝ですが,昨年のオールスター競輪を当地で制しています。このレースはラインの構成が歪になったので,さすがに脚力で上位の深谷や真杉よりも埼玉勢の方が有利ではないかと思っていました。黒沢がわりと楽に前を叩き,邪魔をされずに5人が前に出たのですから,展開としては絶好だった筈です。ただこれは結果論かもしれませんが,森田が番手から発進していくタイミングが早すぎたのではないでしょうか。また,平原も深谷の牽制は武藤に任せ,そのまま発進してしまった方がよかったように思います。こうしたことが積み重なって,道中はまったく脚を使わずに後方からの捲り追い込みになった真杉が届いたということでしょう。

 『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』の記述は,アムステルダムAmsterdamに滞在していた1ヶ月の間にライプニッツデルフトDelftまで行ってレーウェンフックAntoni von Leeuwenhookと面会し,その後にハーグDen Haagのスピノザを訪問したというように読めます。この場合はライプニッツはアムステルダムからデルフトに向かい,またアムステルダムに戻ってからハーグに行ったということになります。ただ,デルフトというのはアムステルダムよりハーグに近い場所です。だから『フェルメールとスピノザBréviaire de l'éternité -Entre Vermeer et Spinoza』では,デルフトをこよなく愛したフェルメールJohannes Vermeerと,ハーグ近郊のフォールブルフVoorburgに住んでいたスピノザとを結びつける要素のひとつとなっています。なので,当時の移動の労力を考慮すれば,このライプニッツの行程は著しく不合理に感じられます。アムステルダムを離れてデルフトへ行ったのなら,そのままハーグに向かう方が自然だからです。
                                        
 書評で指摘したように,『ある哲学者の人生』は原文のほぼ直訳なので,直訳するとこのようになるのですが,ライプニッツが僕の示したような自然な行程で移動したということを,否定するような文章になっているわけではありません。なので実際は,レーウェンフックを訪問してそのままアムステルダムには戻らずにスピノザを訪問したのかもしれません。また,マルタンJean-Clet Martinは,ライプニッツは先にスピノザと会って後にレーウェンフックと会ったと記述していますが,ナドラーSteven Nadlerの記述はそれをも否定する文章であるわけではありません。レーウェンフックに会ったことが確定的に書かれていて,その後にスピノザを訪問したときのことが書かれていますから,素直に文章を解すれば,デルフトが先でハーグは後になります。ナドラーがそのような意図で記述しているのなら,『フェルメールとスピノザ』は歴史的事実を明らかにしようとしているわけではなく,マルタンの推理を展開している書籍ですから,たぶんマルタンがいっていることよりナドラーがいっていることの方が事実であったと僕は判断します。
 なお,ライプニッツは観光をしていたわけではなく,レーウェンフックおよびスピノザと面会することを目的としていました。ですから行程が非合理的で不自然になってしまう場合もあり得ます。
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よさこい賞争覇戦&記名

2024-04-15 19:14:09 | 競輪
 昨日の高知記念の決勝。並びは新山‐佐藤‐永沢の北日本,犬伏‐清水の四国中国,阿部‐大坪の九州で坂井と深谷は単騎。
 犬伏と阿部がスタートを取りにいき,犬伏が誘導の後ろに入って前受け。3番手に阿部,5番手に新山,8番手に深谷,最後尾に坂井で周回。残り2周のホームの出口から新山が上昇を開始。しかし犬伏が突っ張りました。この間に深谷が大坪の後ろに入り,坂井も続いたので,引いた新山が7番手になって打鐘。バックに入って深谷が発進するも,スピードが鈍く,前に届く前に犬伏の番手から清水が発進。清水マークのようなレースになった阿部が外から清水を差して優勝。清水が4分の1車輪差で2着。3着は接戦でしたが,深谷に乗る形になった坂井が1車身半差の3着。深谷がタイヤ差で4着。
 優勝した大分の阿部将大選手は2月の前橋のFⅠを完全優勝して以来の優勝。一昨年3月の土佐水木賞以来となるGⅢ2勝目。記念競輪は初優勝。犬伏が前で受けて新山を突っ張るというのは僕にとっては意外な展開でした。深谷と坂井が北日本ラインの後ろを回っていたのは,新山が先行するとみていたからだと思います。犬伏が突っ張ったところで上昇した判断はよかったと思いますが,事前の想定とは違った展開だったのではないでしょうか。清水にとっては有利な展開でしたが,高知は直線が長いので,自力があって清水マークになった阿部が絶好になったというレースだったと思います。GⅢの2勝がいずれも高知ですから,高知は得意バンクといえるのかもしれません。

 チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが所持していた『エチカ』の草稿に,スピノザの名前が書かれていなかったのは,それが他者の手に渡ってしまったときの危険性を低下させるためではあったでしょう。ただスピノザは,『エチカ』を発刊することがあったら,著者名を付す必要ないと考えていたのも事実です。もちろんそれは,かつて『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を出版したときのように,作者を特定されない目的があったかもしれませんが,スピノザ自身の哲学的な考え方も影響しています。哲学のように真理veritasを明らかにすることを目的とするなら,著者名は不要というのがスピノザの考えだったのです。なぜなら,真理は唯一なので,それはだれが書いたとしても同じになるからです。スピノザの哲学の特徴のひとつとして,主体の排除というのがあるということは何度もいっていることですが,その主体の排除の考え方に従えば,『エチカ』に著者名は不要という結論になるのです。
                                   
 チルンハウスからステノNicola Stenoの手に渡った『エチカ』の草稿は,だれが書いたものであるという記名がありませんでした。ステノは中身を精査して,1677年9月23日付で,弾劾書を付した上でその手稿をローマの異端審問所に持ち込みました。この結果として『エチカ』は禁書目録に登録されました。それと同時にステノが提出した『エチカ』の手稿は証拠物件として異端審問所の文書保管庫に留め置かれることになったのです。前もっていっておいた通り,それは後にヴァチカン図書館に移され,2010年にスプラウトによって発見されることになるのです。
 ステノは内容を精査して『エチカ』の手稿を異端審問所に持ち込んだのですが,だれが書いたものか分かっていたのか分かっていなかったのかは不明です。ただ,ステノはチルンハウスがスピノザと親しいということはおそらく知っていたのではないかと思われますし,書簡六十七の二の内容から,スピノザがどのような思想家であったかということも分かっていたと思われます。ですからだれが書いたものであるのかまったく推測もできなかったということは僕には考えにくいです。少なくとも著者がスピノザであることに,うすうすは気付いていたでしょう。
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桜花賞・海老澤清杯&筆跡鑑定

2024-04-08 19:13:18 | 競輪
 昨日の川崎記念の決勝。並びは新山‐佐藤の北日本,郡司‐佐々木の神奈川,古性‐山田の近畿,嘉永‐松岡の熊本で,松本は単騎。
 山田がスタートを取って古性の前受け。3番手に郡司,5番手に嘉永,7番手に新山,最後尾に松本で周回。残り2周のホームに入るところで新山が動こうとすると,嘉永が先んじて上昇し,古性を叩きました。すると郡司も動いてバックでは嘉永を叩いて先頭に。新山はその後に本格的に発進。打鐘から郡司と先行争いのような形になりましたが,ホームの入口では叩いて先行。郡司は3番手を取りにいったのですが,新山ラインに続いていた松本に阻まれて4番手に。バックに入ると佐々木の後ろから嘉永が発進。佐藤が懸命にブロックしたものの何とか乗り越え,新山を捲って優勝。後方からの捲り追い込みになった古性が外から伸び,マークの山田が差して4分の3車身差で2着。古性が4分の1車輪差で3着。
 優勝した熊本の嘉永泰斗選手は2月の久留米のFⅠ以来の優勝。記念競輪は昨年5月の函館記念以来の3勝目。川崎記念は初優勝。このレースはラインの厚みでは北日本のふたり,個々の脚力では郡司と古性が双璧でした。郡司は中途半端に先行争いをした上に3番手を取りにいき,古性は前受けしたものの何もせずに後方に置かれると,脚力上位のふたりはレース運びに失敗。新山も先行するまでに力を使ってしまい,佐藤がブロックで嘉永を止めるまでには至りませんでした。決勝までのレースをみると嘉永は調子では随一だったように思います。

 2010年に発見された『エチカ』の手稿を書写した事物がピーター・ファン・ヘントであると特定されたのは,筆跡鑑定によるものです。ヘントがホイヘンスChristiaan Huygensに宛てた手紙が残されていて,その手紙の筆跡と,手稿の筆跡が同一人物によるものであると鑑定され,ヘントが書写した手稿であると特定されるに至ったのです。ホイヘンスはスピノザの友人のひとりですから,ヘントも含めたひとつのネットワークがあったのだと推測されます。
                                        
 手稿が作成されたのは1674年末か1675年初めと推察されています。これは推察ですから,筆跡鑑定によるものとされるような論拠があるわけではなく,その前後の事情からそうではないかと思われているということです。
 この手稿があるということは,古くから知られていたと國分はいっています。というのは,ヘントに『エチカ』の書写を依頼したのはチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausで,チルンハウスは確かに手稿を入手しているということが,たとえば書簡五十九などから知られているからです。チルンハウスは手稿を持ってオランダを離れ,イギリスを経由してからパリに入りました。チルンハウスがパリに滞在しているときにスピノザは死んでしまいましたから,チルンハウスはオランダを離れて以降は『エチカ』の手稿を入手するチャンスがなかったと考えるべきです。つまりオランダを離れる前に手稿を入手していたとみるのが妥当で,チルンハウスがオランダを離れる直前にその手稿を入手したとするなら,手稿が書写されたのは推察されていた時期になるということです。チルンハウスがヘントに書写を依頼したということがなぜ歴史的事実として確定しているのかということは僕は分かりませんし,國分も説明していませんが,それが確かに歴史的事実であったとすれば,手稿が書写された時期の推察は正しいということになるでしょう。僕はこれまで,チルンハウスがスピノザと面会し,スピノザの許可を得た上で自身の手で書写したと考えていたのですが,事実はそうではなかったということになります。ただ,スピノザがヘントに書写を許可したのは,それをチルンハウスが入手するという前提の下でのことだったと思います。
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大阪・関西万博協賛競輪&表現と内在

2024-04-02 19:14:18 | 競輪
 3月31日に武雄競輪場で行われた大阪・関西万博協賛競輪in武雄の決勝。並びは菅原‐仁藤の南関東,浅井に朝倉,町田‐小倉の中四国,山田‐山口の佐賀で菅田は単騎。
 山田と浅井がスタートを取りにいき,山田が誘導の後ろに入って前受け。3番手に菅田,4番手に浅井,6番手に町田,8番手に菅原で周回。残り3周のバックから上昇した菅原は6番手の町田の横で併走。町田が引き,6番手と8番手が入れ替わりました。ホームの出口から位置を上げていた菅原が再び上昇。バックの入口で山田を叩きました。すると後方になっていた町田が発進。打鐘で菅原を叩いて先行。3番手に菅原,5番手に山田,7番手に菅田,8番手に浅井の一列棒状になってホームを通過。バックから山田が発進。山田が菅原と競る形になってマークしきれなくなり,単騎になりましたが,直線の入口までに町田を捲り切り,そのまま後ろを離して優勝。捲られた町田の番手から発進した小倉が1車身半差で2着。町田が2車身差の3着で,後方に置かれた浅井が1車輪差で3着。菅原と山田の競りは直線まで続き,菅原が落車。菅原の内に進路を取った仁藤も巻き込まれました。
 優勝した佐賀の山田庸平選手は前回出走の松阪のFⅠから連続優勝。グレードレースは昨年12月の広島記念以来の優勝でGⅢ4勝目。このレースは山田,浅井,町田の3人が脚力で上位。菅原が脚を使ってよい位置を取りにいくレースをしたため,町田は楽な先行にならず,浅井は後方に置かれました。位置が最もよくなったのが3人の中では山田でしたから,展開が味方したといえるでしょう。単騎の菅田が結果的にこのラインを追走するレースになったことも,山田には有利に働いたと思います。菅田がなぜそういうレースをしたのかは分かりませんが,町田の先行が有力でしたから,そちらの後ろでレースを進めた方がよかったのではないでしょうか。

 スピノザは『エチカ』の中で,表現するexprimereといういい方を多用します。このことに着目したのがドゥルーズGille Deleuzeで,ドゥルーズの最初のスピノザ論は『スピノザと表現の問題Spinoza et le problème de l'expression』であったのです。ただ,スピノザがそのようないい方をすることで,神Deusが内在的原因causa immanensであるということを意味させようとしていたのかは正直なところ分かりません。ひとつだけいえるのは,『エチカ』では確かにそのようになっているので,もしかしたらスピノザもそのように考えていたかもしれないということです。少なくとも現に『エチカ』では表現する・表現されるexprimunturという関係が,内在の哲学と関連しているといえるのであって,たとえスピノザがそう意識していなかったのだとしても,國分が指摘している通り,内在的原因においては,原因が結果effectusを産出するのだけれど,それは原因の力potentiaが結果によって表現されるという意味であるということは成立しています。
                                        
 國分が着目した第一部定理三六の証明の冒頭は,第一部定理二五系を援用することによって,存在するすべてのものが神の本性essentiaを一定の仕方で表現するといっています。第一部定理二五系は第一部定理二五の帰結事項であると考えることができます。この定理Propositioでいわれているのは,個物res singularisの存在existentiaの起成原因causa efficiensも個物の本性の起成原因も神であるということです。したがってこの定理と系Corollariumとを合わせれば,その存在に関してもその本性に関しても神を起成原因とする個物は,起成原因である神の力を一定の仕方で表現する様態modiであるということになります。つまりここでは,結果であるものが原因であるものの力を表現するという関係が示されているといえます。
 第一部定理二五系には,系の本文の中にごく簡潔な論証Demonstratioが含まれています。それは第一部定理一五第一部定義五から明らかだというものです。このふたつは共に内在という関係を示しているといえます。第一部定理一五では,存在するものはすべて神のうちにあるといわれ,第一部定義五では,様態はほかのもののうちにあるといわれていますが,これは存在するすべてのものは神に内在するといわれ,様態はほかのものすなわち実体substantiaに内在するといわれているのにほかならないからです。
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令和6年能登半島復興支援・ウィナーズカップ&真理のしるし

2024-03-25 19:28:46 | 競輪
 取手競輪場で行われた昨日の第8回ウィナーズカップの決勝。並びは北井‐深谷の南関東,窓場‐脇本‐古性の近畿,清水‐河端の山陽で坂井と伊藤は単騎。
 古性がスタートを取って窓場の前受け。4番手に清水,6番手に北井,8番手に伊藤,最後尾に坂井で周回。北井は残り2周のホームを出てから上昇。窓場も突っ張っていき打鐘から先行争い。北井は窓場を叩けず,脇本の外で併走しましたが,脇本が窓場の番手を守りました。この間に伊藤が単騎で発進。窓場を叩いて先頭に出ました。窓場が叩かれたので脇本は自力で伊藤を追い,さらに外から清水の捲り。伊藤が先頭のまま直線を迎えましたが,すぐに脇本が差してそのまま優勝。最終コーナーで北井を弾いて脇本に続いた古性が4分の3車身差の2着で近畿のワンツー。外を捲り追い込んだ清水が4分の3車身差で3着。
                                        
 優勝した福井の脇本雄太選手は昨年4月の武雄記念以来の優勝。ビッグは一昨年のグランプリ以来となる10勝目。このレースは前受けをした窓場が北井に叩かせなかったので,展開は有利になりました。かなりごちゃついたレースになりましたが,脚は最後まで残していたようです。昨年後半は負傷の影響もあり,本人としても不本意な成績だったかと思うのですが,この開催はよい内容のレースが続きました。復調してきているとみてよいかもしれません。

 たとえばデカルトRené Descartesは,明晰判明であるということを真理veritasのしるしsignumであると措定しています。しかしそれが本当に真理のしるしであり得るのかといえば,そうではあり得ないと國分は指摘しています。前述したような真理のしるしの無限遡行は,真理のしるしをどのように措定したところで,成立するといえるからです。この場合でいえば,明晰判明であるということを真理のしるしと措定するのであれば,それが確かに真理のしるしであるというしるしが必要で,明晰判明であることを真理のしるしと措定できるような何らかの事柄についても,確かにそれが明晰判明であることを真理のしるしであると措定しているしるしが必要だという具合に,無限に連鎖していくからです。
 スピノザの哲学で真理のしるしとされているのは,真理それ自身です。スピノザの哲学でいう真理とは,真の観念idea veraの総体のことを意味するので,このことは第二部定理四三から論証することができます。知性intellectusは自身が真の観念を有すると知っていれば,それを真理であると知ることができるので,それ以上のことは何も必要とされないからです。
 真理のしるしが真理それ自体であるということは,すでに『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の中に示されています。第三三節がそれに該当するのですが,そこでは,私すなわちスピノザが,何かを知っているということを知るためには,必然的にnecessario何かを知っているのでなければならないといういい方で示されています。これは『エチカ』のように,真理のしるしとされるものをはっきりと措定しているとはいえないかもしれませんが,自分が何かを確実に知っているのであれば,それだけで確実性certitudoは担保されているのだから,それ以上に何かを知るという必要はないという意味に解せます。したがって,何かについて確実であるということはそのものの真の観念を有するということにほかなりません。これはそのものの真の観念を有するということが真理のしるしなのであって,確実性のためにそれ以上のことを知る必要は何もないということになりますから,確かに『知性改善論』を執筆している時点で,スピノザは真理のしるしというのは真の観念自体であると考えていたのです。
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花と海といで湯賞&真理獲得の過程

2024-03-18 19:07:11 | 競輪
 伊東温泉競輪場で行われた昨晩の花と海といで湯賞の決勝。並びは吉田‐雨谷‐神山の茨城栃木,道場‐岩本‐岡村‐萩原の南関東,川口‐井上の西日本。
 スタートを取りにいったのは岡村と雨谷。雨谷が誘導の後ろに入れそうだったのですが,内の岡村に譲って道場の前受け。5番手に吉田,8番手に川口で周回。残り3周のホームから川口が上昇していったのですが,誘導との車間を開けていた道場がうまく牽制しつつ突っ張りました。川口は引くことになり,周回中と同じ隊列の一列棒状に戻りました。残り2周からは道場が全力で駆けていき,そのまま打鐘から最終周回のホームも過ぎ,バックに戻りました。ここから岩本が番手捲りを敢行。4番手に続いていた吉田が捲りに出ました。岩本は直線でも後ろを離していくような形となって楽勝。岩本マークの岡村が1車身半差の2着に残って南関東のワンツー。捲り追い込んだ吉田が半車輪差の3着。
 優勝した千葉の岩本俊介選手は前回出走の京王閣のFⅠを完全優勝していて,2開催連続での完全優勝。GⅢは一昨年12月の松戸記念以来となる5勝目。このレースは脚力では岩本と吉田が上位。ただ岩本は道場の番手で,道場は先行意欲が高そうなので,岩本の方が有利だろうと思っていました。その展開予想通りのレースになりましたので,楽勝になったのも当然。前受けさせてしまえば突っ張られてしまうでしょうから,雨谷は誘導の後ろに入れたのであれば入った方がよかったのではないかと思います。

 『スピノザー読む人の肖像』のフーコーMichel Foucaultについて触れられた部分の少し後で,真理獲得の方法についての説明がなされている部分があります。この方法論自体は『スピノザの方法』の主要テーマのひとつですから,そのことについてここで考察することはしません。ただこの部分では,スピノザが真理veritasを獲得する方法というのを入手するための過程について簡潔にまとめられています。これはとても役立つことだと思いますので,ここで紹介するとともに,いくらかの補足を加えておくことにします。
                                        
 これは当然のことではあるのですが,まず踏まえておかなければならないのは,真理をいかにして獲得していくのかという問いは,スピノザの哲学に特有の問いではありません。これはおおよそ哲学一般に共通する問題です。デカルトRené Descartesの方法論的懐疑doute méthodiqueというのはまさにそうした方法をデカルトの仕方で示したものなのであって,少なくとも哲学が真理を探求しようとするためには,前もって解決されておかなければならない事柄であるといえます。一般的に考えて,真理でないこと,いい換えれば虚偽falsitasを獲得することを目指す哲学があるわけはないのであって,哲学はそれが哲学である限りでは真理を獲得することを目指します。しかし,何らかの事柄を獲得したとき,つまり哲学者の知性intellectusがある事柄を認識したとき,それが真理であるか否かが分からないのであるとすれば,真理を獲得するということは初めから無理であるといわなければなりません。したがってその認識cognitioが真理であるのかそれとも虚偽であるかという規準が前もって哲学者の知性のうちにあるのでなければ,その哲学者は真理を知ることができませんし,真理獲得の方法を示すこともできないでしょう。したがって,真理獲得の方法を示そうとするのであれば,哲学者が認識したことが,真理であるのか虚偽であるのかを判定する規準があるのでなければなりません。これは真理の標識とか真理のしるしsignumといわれるものです。ある認識すなわち観念ideaが,真理であることを示すしるしがあるのなら,そのしるしを有する観念は真理であり,そのしるしを有さない観念は虚偽であるということになり,その条件を満たせます。
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能登半島支援・金亀杯争覇戦&影響

2024-03-10 19:30:57 | 競輪
 松山記念の決勝。並びは北井‐和田真久留‐小原の神奈川,深谷‐和田健太郎の南関東,古性に和田圭,松本‐橋本の愛媛。
 松本と深谷と小原がスタートを取りに行きました。誘導の後ろに入ったのは外の小原で北井の前受け。4番手に松本,6番手に古性,8番手に深谷で周回。残り3周のバックから深谷が上昇を開始。古性が和田健太郎の後ろに続きました。誘導との間隔を開けていた北井がホームで突っ張る構えをみせると叩きにいった深谷は抵抗せずに後退。結果的に周回中と同じ隊列に戻って打鐘。この時点ではまだペースがさほど上がっておらず,6番手から古性が上昇していきました。北井は古性に合わせて突っ張りましたが,ホームで古性が外から和田真久留を極めて番手を奪取。和田圭も古性マークを死守して和田真久留は和田圭の後ろに。この隊列のままホームに戻り,番手から北井を差した古性が優勝。逃げ粘った北井が4分の3車身差で2着。古性マークから北井と古性の間を突こうとした和田圭と,バックからの捲り追い込みになった松本の3着争いは接戦。写真判定に持ち込まれ,外の松本が4分の1車輪差で3着。和田圭は微差の4着。
 優勝した大阪の古性優作選手は和歌山記念以来の優勝で記念競輪10勝目。松山記念は初優勝。このレースは前受けさえできれば北井が強く,深谷が神奈川勢の邪魔をするということは考えにくいので,古性にとっては勝つとすれば番手を奪うほかないところ。ものの見事にそれが決まりました。叩こうとして上昇していったのかもしれませんが,叩きにいけば北井が突っ張ってくるのは,最近の北井のレース内容から十分に理解できていた筈で,番手に入るということも作戦のひとつとしてあったのだと思います。和田真久留は油断があったのかもしれませんが,あまりにあっさりと番手を失ってしまいました。番手を奪われてしまうにしても,少しでも競り合えば古性は脚力を消耗する筈で,着差からしてその場合は北井の優勝もあったのではないでしょうか。

 僕は空虚vacuumに関する部分を物理学,必然性necessitasないしは偶然に関する部分を哲学と分け,スピノザの物理学と哲学は一貫しているというように解する必要はないと思っています。むしろ空虚に関する部分も哲学の一部なのであって,ひとつの哲学の中で首尾一貫しているというように理解するのがよいのではないでしょうか。なぜ僕がそのようにいうのかを最後に説明しておきます。
                                        
 スピノザがデカルトRené Descartesの物理学の影響を受けているということについては僕は否定しません。ただしこのことが物理学についてだけ妥当するのであって,哲学に関しては妥当しないというようには考えません。確かにデカルトの哲学とスピノザの哲学は,國分の入門書である『はじめてのスピノザ』でいわれているように,コンピュータの比喩を用いれば,ОSが異なっているというほどの相違があるのであって,スピノザの哲学はデカルトの哲学をアップデートしたものであるということはできません。しかしだからスピノザはデカルトの影響を受けずに,独自に哲学を構築していったのかといえばそんなことはないのであって,デカルトの哲学の影響というのは確実にあるのです。たとえば『エチカ』の中でデカルトの名前を出してスピノザがデカルトのことを批判するのは,デカルトの哲学がスピノザにとっては不十分な哲学であったからですが,不十分なОSを十分なОSに書き換えるということは,書き換えられるデカルトの哲学の影響を受けている何よりの証拠であると僕は思います。あえていいますが,デカルトという哲学者が先行していなければ,スピノザという哲学者は存在しなかったといっていいくらいだと僕は思います。
 したがって,空虚が存在しないという点はデカルトとスピノザの間で一致していて,ある部分,たとえば人間には自由意志voluntas liberaがあるかないかという点でデカルトとスピノザの間で相違があるとしても,空虚に関してはスピノザはデカルトの影響を受け,自由意志に関しては影響を受けなかったというように断定することができるわけではありません。どちらの場合も影響を受けた可能性はありますし,どちらの場合も大した影響は受けなかったという可能性もあるのです。
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能登半島支援瀬戸の王子杯争奪戦&一般相対性理論

2024-03-03 18:58:35 | 競輪
 玉野記念の決勝。並びは真杉‐平原‐佐藤の東日本,山口‐村上の中部近畿に中本,取鳥‐松浦‐岩津の中国。
 スタートを取りにいったのは平原と村上。平原が誘導の後ろに入って真杉の前受け。4番手に取鳥,7番手に山口の周回に。残り3周のバックを出る手前から山口が上昇。ホームで真杉が一旦は突っ張る構えをみせましたが,誘導が退避するタイミングで山口が叩きました。その外から取鳥が上昇。バックの入口では山口を叩き,中国の3人が前に。真杉も山口の外まで追い上げてきたところで打鐘。ここから真杉が発進。平原が離れてしまったので単騎の上昇。取鳥が突っ張っていき,先行争いに。これはホームからのコーナーワークで取鳥が前を譲らなかったのですが,バックでまた真杉が巻き返してきて併走になったので,コーナーの手前から前のふたりの外に出した松浦が発進。捲り切って直線へ。松浦マークの岩津も迫りましたが振り切った松浦が優勝。岩津が半車輪差の2着で中国のワンツー。捲り追い込みになった山口が両者の外から半車身差の3着。山口マークの村上は松浦と岩津の間を突こうとしましたが,最後は行き場を失うような形になって4分の3車輪差で4着。
 優勝した広島の松浦悠士選手はグランプリ以来の優勝。記念競輪は昨年7月の小松島記念以来の優勝で20勝目。玉野記念は2021年以来の2勝目。2022年のサマーナイトフェスティバルも当地で制しています。このレースは取鳥の先行が有力。真杉がどこまで対抗するかといったところで,叩きにいったのですが,平原が離れてしまったので厳しくなりました。取鳥は真杉を突っ張れそうだったので,番手捲りは必要なかったのかもしれませんが,外で真杉と併走になってはいけないという判断で出ていったものと思います。展開面からはそれほど厳しくなかった筈で,そのわりには詰め寄られてしまった印象。本調子とはいえないのかもしれません。

 アインシュタインAlbert Einsteinの一般相対性理論に含まれる重力理論は,二次元的に考える方が容易に理解できるとされています。なので僕もそうした説明をここでは試みますが,僕は門外漢ですから,説明自体が物理学の説明として適切であるということを保証することはできません。
                                        
 1枚の大きな布を空中に広げたと仮定します。その大きな布の中央に,ある程度の重量がある物体を置くと,その物体の置かれた部分を中心として布はへこみます。つまり平面であった布に歪みが生じます。この歪みが重力を意味します。布は大きなものと仮定されていますから,全体が歪むわけではなく,ある部分からは元のまま歪みがありません。つまり歪みのある部分には重力が作用し,歪まない部分には重力が及んでいないということです。この歪んだ部分に,歪む以前から軽量の,というのは中央に置かれたある程度の重量を有する物体corpusに比べて軽量のという意味ですが,それが置かれていたとすると,布がへこみますのでそのへこんだ分だけある程度の重量を有する物体に近づくことになります。これが引力といわれる力potentiaに相当します。
 一般相対性理論というのは,二次元における布に妥当するものを,三次元の空間に適用したものです。したがってこの比喩でいえば,布に該当するものが全宇宙空間に広がっていて,その布の各部にそれぞれの重量を有する物体が無数に存在することによって布が,この場合は三次元ですから空間が歪み,この空間の歪みが重力そのものを表示します。表示するというのは僕たちはそれによって重力を知覚するpercipereという意味です。そして宇宙空間にある無数の物体は,この空間の歪みによって相互に引き合うことで,移動したりまた定位置に静止したりします。これが万有引力を指示するということです。
 この理論は,二次元的に示した布の歪み,三次元的にいえば空間の歪みによって重力や引力を説明しています。したがって,万有引力はそれ自体では遠隔作用論に適合するかもしれませんが,むしろ各々の空間の歪みによってその力が示されることになるので,近接作用論である,少なくとも近接作用論の変種であるとみなすことができることになるのです。
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能登半島支援・春日賞争覇戦&規範の探求

2024-02-26 19:17:14 | 競輪
 昨日の奈良記念の決勝。並びは菅田‐守沢の北日本,脇本‐東口の近畿①,三谷竜生‐三谷将太の兄弟,古性‐南‐松岡の近畿②。
 スタートを取りにいったのは三谷竜生と古性と南。古性が誘導の後ろに入って前受け。4番手に三谷竜生,6番手に菅田,8番手に脇本で周回。脇本の上昇は残り2周のホームを過ぎてから。バックで古性を叩きにいったもののすでに打鐘のタイミングであったため古性は引けずに先行争い。ホームで南の牽制を受けた脇本が浮いてしまい不発。このラインに続いていた菅田がそのまま発進していきました。うまく守沢をどかして菅田に追随した三谷竜生もバックから発進。古性も直線の入口までは粘りましたがそこまで。外を回った三谷竜生の捲りが決まって優勝。マークの三谷将太が4分の3車身差の2着に続いて兄弟のワンツー。先に発進した菅田が4分の3車輪差で3着。
 優勝した奈良の三谷竜生選手は昨年末の松阪でのFⅠ以来の優勝。記念競輪は昨年の奈良記念以来となる7勝目。奈良記念は2018年にも優勝していて連覇となる3勝目。このレースは脚力上位の古性と脇本で先行争いになりましたので,脚力で劣る三谷竜生と菅田にとっては絶好の展開。菅田は脇本ラインについていったので成り行きから三谷竜生より先に発進することに。そのときに守沢の追走を阻んで自身が菅田をマークする形になったのが,三谷竜生の勝因といえるでしょう。古性は先行を得意としているわけではありませんが,33バンクのあのタイミングでは引けなかったのは仕方がないと思います。脚力がある選手が前受けになったのですから,脇本はもっと早いタイミングで押さえにいくべきだったのではないでしょうか。厳しいいい方ですが,先行争いをすることが最大の目的であったようにみえてしまいます。

 第二部定理三八系は,すべての人間の知性intellectusのうちに共通概念notiones communesがあるという意味のことをいっています。共通概念は第二部定理三七にあるように,個物res singularisの本性essentiaを構成するものの概念ではありません。したがってここでXの観念ideaとかYの観念といわれている観念とは異なるといわなければなりません。しかし第二部定理三八でいわれているように,共通概念は十全にしか考えられることができない概念ですから,思惟の様態cogitandi modiとして真理veritasであるか虚偽falsitasであるかといえば真理であることに変わりありません。そうした真理は,現実的に存在するすべての人間の知性のうちにあるのです。そしてこの真理が真理の規範ですから,現実的に存在するすべての人間は,真理と虚偽を分かつことが一般的にできるのです。
                                   
 実をいうと,僕たちが真理の規範について考察することができるのは,現に僕たちが知性のうちに真理の規範を有しているからではないかと僕は考えています。もし僕たちが真理の規範を有していないなら,僕たちはそれについて考察することができないだろうと僕は思うからです。したがって,僕がこうして真理の規範について探求することができるのは,僕の知性のうちに真理の規範が現に存在しているからであって,またここでいわれている真理の規範を読者が理解することができるのは,読者の知性のうちに真理の規範が現に存在しているからだと僕は考えています。他面からいえば,僕たちが真理の規範について探求することができるということ自体が,僕たちの精神mensのうちに真理の規範が現にあるということの,何よりの論証であると僕は考えます。したがって第二部定理三八系が真理であるということは,僕は僕たちが経験的に知っていることだと思います。ただ僕たちが何か知らないことがあるとすれば,あるいは僕たちがあまり意識していないことがあるのだとすれば,それはこうした真理の規範というものが,いかなる仕方で僕たちの精神のうちに発生しているかということだと思います。よって第二部定理三八および第二部定理三八系の意義は,すべての人間の精神のうちに共通概念があるということより,共通概念が発生する仕組みを明らかにしたことでしょう。
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能登半島支援・玉藻杯争覇戦&不確実性

2024-02-20 19:27:04 | 競輪
 高松記念の決勝。並びは菊池の後ろで佐藤と東が競り,浅井に井上,町田‐松浦‐香川‐福島の中四国。
 松浦,菊池,浅井の3人がスタートを取りにいき,松浦が誘導の後ろに入りました。しかし菊池が引かず,ずっと松浦の外で併走を続けたため,町田を迎え入れることができなかったので松浦が引き,菊池の前受けに。その後ろは周回中から内外を入れ替えながらの競り。4番手に浅井,6番手に町田の周回に。残り3周のバックの出口から菊池が誘導との車間を開け始めました。後方になった町田はホームに入ってから発進。菊池はおそらくその腹積もりであったのでしょう,突っ張りました。競っていたふたりが離れてしまったので,菊池の後ろに叩きにいった町田が入って打鐘。離れてしまった佐藤は内から上昇しようとしましたが,位置は取れませんでした。ホームに戻って町田が発進。あっさりと前に出て菊池は後退。バックに入ると浅井が捲り発進。これに合わせて松浦が番手捲りを敢行すると,浅井がうまくスピードを緩めて松浦の後ろに入り,松浦‐浅井‐井上の隊列になって直線。脚を残していた浅井が松浦を差し切って優勝。松浦が4分の1車輪差の2着で浅井マークの井上が半車輪差で3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は昨年11月の四日市記念以来の優勝で記念競輪33勝目。GⅢは34勝目。高松記念は初制覇。このレースはラインが長い中四国ラインの番手となった松浦が圧倒的に有利。町田は菊池を叩くことはできませんでしたが,番手に入って残り1周のホームからは先行になりましたので,悪い展開ではなかった筈です。浅井はよいスピードで捲っていき,松浦が発進したところで香川を阻んで番手を奪ったのですが,これが見事な走行でした。結果的には町田はもう少し遅めの発進でもよかったかもしれませんが,中四国勢の作戦どうこうよりも,このレースは浅井の走りが素晴らしかったと思います。

 スピノザがいう確実性certitudoという概念notioが積極的で,デカルトRené Descartesがいっているそれは消極的であるということは,仮にその反対概念を想定してみれば分かりやすく理解することができると思います。確実性の反対概念ですから,ここではそれを不確実性と表現して,それがデカルトおよびスピノザにとって,それぞれどのような概念として想定されるべきなのかということを考えておきましょう。
 デカルトの方法論的懐疑doute méthodiqueは,デカルト自身が疑い得ない事柄を探索する試みです。したがって確実なものは疑い得ないことということになりますから,それとは逆に,疑い得ることは何であっても不確実であるということになります。実際にデカルトは,自分の身体corpusが存在するということはもちろん,平面上に描かれた三角形の内角の和が二直角であるということも,これは当座の事柄としてはという前提をつけるべきかもしれませんが,疑い得ることとしていて,それらを不確実であるとして,疑い得ないこと,いい換えればデカルトにとっての絶対的な真理veritasとは認めなかったのでした。ですから少なくとも方法論的懐疑の過程においては,不確実性はデカルト自身が疑い得ることと等置されているということになります。
                                   
 これに対していえばスピノザの思想にははっきりとした不確実性という概念はないのです。もちろんスピノザも,ある観念ideaについてそれを疑い得るということは認めます。少なくとも混乱した観念idea inadaequataというのは疑い得る観念であるということをスピノザは認めていますが,第二部自然学②要請三によって,現実的に存在する人間の身体humanum corpusは外部の物体corpusによってきわめて多様の仕方で刺激されるafficiのであり,そのときには第二部定理一七によって,自身の身体を刺激するafficere外部の物体の表象像imagoという混乱した観念が自身の精神mensのうちに発生するのですから,そうした疑い得る観念は,現実的に存在するすべての人間の精神mens humanaのうちにあるといわなければなりません。ところがこの場合の疑い得るというのは,それが不確実であるということと等置することができるわけではありません。等置できるとすれば,それが十全な観念idea adaequataであるか混乱した観念であるか分からないということとです。
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能登半島支援・読売新聞社杯全日本選抜競輪&確実性の観点

2024-02-13 19:32:30 | 競輪
 岐阜競輪場で争われた昨日の第39回全日本選抜競輪の決勝。並びは新山に浅井,北井‐郡司‐松谷の神奈川,古性‐南の大阪,清水‐山田の西国。
 スタートは取り合いになりましたが,古性が誘導の後ろに入って前受け。3番手に清水,5番手に新山,7番手に北井で周回。残り3周のバックの出口から北井が上昇開始。それを清水が牽制し,ホームで古性を叩いて前に。その後で北井が巻き返していき,神奈川の3人で清水を叩きました。このまま打鐘を迎えて新山が発進。ホームで北井を叩いて先行になったのですが,タイミングが合わなかった浅井は郡司の牽制などもあって離れてしまい,新山の後ろに北井となりました。北井はバックから新山を抜きに行きましたが,そこから新山が頑張って競り合い。最終コーナーで何とか北井が前に出たところ,松谷の後ろから動いた清水が迫ってきました。北井マークの郡司は北井が先頭に出ると外から抜きにいき,捲り追い込みの清水と優勝争い。一旦は清水が前に出たように見えたのですが,内から差し返した郡司が優勝。清水が半車輪差で2着。北井が4分の3車輪差で3着。浅井の後退で最終周回でもつれたところ,清水を追う形になった古性がタイヤ差で4着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は川崎記念以来の優勝。ビッグは一昨年9月の共同通信社杯以来の6勝目。GⅠは2021年の全日本選抜競輪以来の3勝目。全日本選抜競輪は3年ぶりの2勝目。岐阜では2020年9月に記念競輪を優勝しています。このレースは清水の近況が絶好調だったのですが,北井という強力な援軍がいましたので,郡司が優勝の最有力候補だろうと考えていました。北井は抑えて先行するより突っ張って先行する方が持ち味が生きる選手ですが,車番の関係で前受けができそうもない点は不安でしたが,すんなり抑えることができ,清水が飛びつかずに引いたのでその点は大きく影響しませんでした。それでも新山に叩かれてしまったのは,やはり突っ張り先行ではなかったからではないでしょうか。北井が新山を抜くのに苦労した分だけ好調な清水が迫りましたが,何とか郡司が凌いだというレースだったと思います。

 デカルトRené Descartesは絶対的に正しいことは何かということから思索を開始しました。そして絶対的に正しいこととは,自分が疑うことができないことであると見定め,そのために方法論的懐疑doute méthodiqueを採用したのです。しかしスピノザはこの種の問いに対して,絶対的に正しいことは何かという問いを拒否します。そうではなくて,知性intellectusのうちに何らかの観念ideaがあるとき,その観念が正しいということ,すなわちその観念が十全な観念idea adaequataであるということを知るとはどういうことか,あるいはそれが十全な観念であるということをいかにして知るのかという問いに変更します。つまり,知性にとってある観念が確実に十全であると知るとはどういうことであり,またそれをいかにして知るのかというような問いから思索が開始されるのです。このスピノザの観点をここでは確実性certitudoの観点ということにします。方法論的懐疑が,とにかく疑い得ない観念を探求していくのに対し,スピノザはそのような観念自体を探求していくのではなく,知性がその観念に対して確実であるとはどういうことであり,そのための必要条件は何かということを探求していくのです。
 最初にスピノザの解答だけをいっておくと,これは実にシンプルなものです。それは,たとえば現実的にAという人間が存在していて,そのAの知性のうちにXの十全な観念があると仮定すれば,AはそのXの観念が十全な観念であるということを知ることができさえすれば,AはXについて確実であることができるというものです。だから,問いに答えるために必要とされるのは,このXの観念が十全な観念であるかということを,Aがいかにして知るのかということだけです。
 これについてはスピノザは独自の解答を出します。独自のというのは,この解答というのはスピノザに独自の理論である平行論に依拠したものだからです。これは以前にも考察した事柄ではありますが,ここではもっと基礎的な部分から詳しくみていくことにします。
                                   
 まず,スピノザは現実的に存在する知性というのを,第二部定理一一系にあるように,神の無限知性の一部partem esse infiniti intellectus Deiであると解します。なのでAの知性とは,Aの知性の本性essentiaによって説明される神です。
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たちあおい賞争奪戦&慎重なデカルト

2024-02-04 19:31:12 | 競輪
 静岡記念の決勝。並びは小林‐神山の関東,郡司‐深谷‐佐藤の南関東,寺崎‐大石の近畿で清水と東矢は単騎。佐藤のクリップバンドの調整のため発走が遅延しました。
 深谷と神山がスタートを取りにいき,内の深谷が取って郡司の前受け。4番手に小林,6番手に清水,7番手に東矢,8番手に寺崎で周回。残り3周のバックを通過すると寺崎が発進。4番手の小林がそれを牽制して先に動こうとしましたが,誘導との車間を開けていた郡司が突っ張りました。小林はそのまま下りようとしたのですが,清水が佐藤との差を詰めて4番手に入ったため下りることができず,5番手の東矢の外で併走となって打鐘。小林の牽制で動けなかった寺崎がここから発進。しかし郡司が全開で駆けていったために不発。バックに入ると後方から小林が捲っていきましたが,先んじて清水が発進。郡司との車間を開けていた深谷が対抗してここからは両者の競り合い。直線で外から差し切った清水が優勝。深谷が1車輪差で2着。深谷マークの佐藤が半車身差で3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は前々回出走の大宮記念以来の優勝で記念競輪11勝目。静岡記念は初優勝。このレースは前受けとなった郡司が早い段階から駆けていったので,展開は深谷が有利でした。清水に合わせて深谷が出ることになったので競り合いになり,清水に競り負けてしまったという内容。郡司が残るのは難しい展開だったといえますので,もう少し早くから深谷が発進していれば,深谷の優勝があったのではないでしょうか。清水は単騎のレースになりましたが.小林のスキを突いて4番手を奪ったのが巧みでした。清水にとって勝因といえるのはここだったと思います。

 絶対的に正しい事柄は何かという問いは,デカルトRené Descartesが哲学を解するにあたって答えておく必要があった問いです。だからデカルトはまずこの問いを立てたのであって,そして最初にそれに答えようとしたのです。これは哲学を開始するにあたっては必要だったので,この点ではデカルトは何も誤りerrorを犯していません。他面からいえばこの問いは,哲学を開始するためにデカルトがデカルト自身に立てた問いであって,その問い自体に答えることが目的finisであったわけではありません。哲学を開始するために最初に考えておかなければならないことであったのです。
                                        
 だからデカルトが誤った方法を用いたというようには僕は考えません。デカルトに何か問題があったとすれば,こうした方法を用いたということではなく,方法の用い方の中にそれがあったと考えます。一言でいえばデカルトはこの問いに答えるためにあまりに用心深過ぎました。あるいは慎重すぎたといっていいかもしれません。スピノザ主義の立場からいえば,デカルトは自身がある事柄を疑うという思惟作用と,ある事柄を疑うということばを混同しているようにみえます。そのために本来であれば疑う必要のないことまで疑っているようにみえるのです。とはいえ,問いの答えというのは当然ながらあらかじめ与えられているわけではありませんから,その問いに答えるためにデカルトが慎重になることに理由がないわけではありません。自身が絶対に疑うことができないこと,つまり自身にとって絶対に正しいといえる事柄を探求するために,デカルトがあまりに慎重すぎたとしても,そのことによってデカルトを責めるのはもしかしたら酷であるのかもしれません。
 一般的に真理veritasとされていることについては,数学的な真理を用いるのが説明の上で最も理解しやすくなります。なのでここでも,平面上に描かれた三角形の内角の和は二直角であるという,このブログではたびたび登場していることを,当座の真理として抽出することにします。このことは一般的に真理とされているのですが,デカルトにとっては絶対的な真理ではありません。他面からいえば,このことはデカルトにとって疑い得る事柄だったのです。
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表彰選手&方法論

2024-01-30 19:31:09 | 競輪
 昨年の競輪の表彰選手が23日に発表されています。このブログに関連する部門だけ紹介します。
 MVPは大阪の古性優作選手。全日本選抜競輪,高松宮記念杯,寛仁親王牌とGⅠを3勝。前橋記念福井記念を制覇。MVPはグランプリの優勝選手が選出されるケースが多いのですが,昨年はGⅠ3勝の方が高く評価されました。これはこれであり得る評価だと思います。2021年以来となる2年ぶり2度目のMVPです。
 優秀選手賞は3人。まず広島の松浦悠士選手。ウィナーズカップ,サマーナイトフェスティバル,KEIRINグランプリとビッグを3勝。小松島記念を制覇。グランプリを勝っていてMVPを逃していますので当然です。2019年,2020年,2021年,2022年に続いて5年連続5度目の優秀選手賞。
 ふたり目は栃木の真杉匠選手。オールスター競輪競輪祭でGⅠを2勝。宇都宮記念を制覇。これもGⅠを2勝しているのですから当然でしょう。初表彰です。
 3人目は岐阜の山口拳矢選手。日本選手権競輪を優勝。伊東温泉の施設整備等協賛競輪名古屋記念を制覇。残りひとりのGⅠ優勝者ですから,3人になるのであれば当然です。優秀選手賞は初受賞。
 最優秀新人選手賞は岡山の太田海也選手。ヤンググランプリに優勝。競輪の出走は少なく,競技に比重を置いていなければもっと勝っている選手です。
 特別敢闘選手賞は福井の脇本雄太選手。和歌山記念,豊橋記念,武雄記念に優勝。昨年はビッグを勝つことができなかったのですが,古性が3勝したのには大きく貢献しました。脇本の力が落ちたというより,古性が強くなったという面が大きそうです。特別敢闘選手賞は初受賞。

 『スピノザー読む人の肖像』で指摘されている『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』に関する注意点はこれだけです。ただ,このことをいったのであれば,僕の方からつけ加えて注意を促しておきたいことがあります。
                                        
 かつて僕自身も指摘したように,『デカルトの哲学原理』というのはスピノザによるデカルト哲学の解説書ではあるのですが,スピノザ自身はデカルトRené Descartesの哲学のすべてを肯定していたわけではありません。このことは序文でマイエルLodewijk Meyerもそう書いている通りです。なのでこの本の中にスピノザの考え方が反映されている面があるのであって,とくに確実性certitudoとはどのようなことであるのかということを示すのにあたって,第一部の緒論の中には,デカルトだったらこのようにはいわないのではないかと思われるようなことが含まれています。スピノザは確かに慎重に,それがデカルトの哲学の中で解決することができるようになっていると読めるような書き方はしているのですが,僕は明らかにスピノザがスピノザ自身の考え方の下に,確実性について説明しているというように思えるのです。
 しかしそうはいってもデカルトの哲学の解説書なのですから,公理系の中ではデカルトが否定するnegareようなことが含まれていてはよろしくありません。スピノザもその点は念入りに考えていたものと思います。ところがスピノザは,『省察Meditationes de prima philosophia』の公理Axiomaをそのままその順序で採用するのではなく,順序に変更を加えた上に,公理の文言も削ってしまうなどの変更をしています。それがなぜかといえば,デカルトの哲学の内容を正しく説明する上で,そのようにしなければならないとスピノザが考えていたからです。これがどういうことなのであるのかといえば,デカルトはデカルトがよいと思った方法で自身の哲学を公理系として示したのですが,デカルトがよいと思ったその方法を,スピノザはよい方法であるとは思わずに,その方法には変更が加えられなければならないと判断したということなのです。つまりデカルトとスピノザとの間には,単に哲学の内容に差があったというだけではなく,何らかの定まった思想を綜合的に示す方法論の上でも差異があったのだと解さなければならないのです。
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いわき金杯争奪戦&『デカルトの哲学原理』第一部

2024-01-28 19:01:42 | 競輪
 いわき平記念の決勝。並びは新山‐新田‐佐藤の北日本,窓場‐神田の近畿,山田‐井上の西九州,嘉永‐伊藤の熊本。
 神田がスタートを取って窓場の前受け。3番手に山田,5番手に嘉永,7番手に新山の周回に。残り3周のバックを出ると新山が上がっていこうとしましたが,この動きをみて嘉永も上昇。コーナーに入るところで窓場と嘉永は併走のような状態になり,新山はさらにその外から。バックに入るとうまく内を突いた山田が先頭に。新山は構わず外から発進し,山田を叩いて打鐘。4番手に山田,6番手に窓場,8番手に嘉永という一列棒状に。後方になってしまった嘉永はホームから発進しましたが,これはスピードを欠きました。バックから山田が発進。番手で待ち構えていた新田も発進し,一時的に併走での争いとなりましたが,踏み勝った新田が先頭で直線に。あとは後ろを引き離していき新田が優勝。新田マークの佐藤,ホーム最後尾から間を割った伊藤,発進した山田,山田の外から捲り追い込んだ窓場で2着争い。大外の窓場が内の3人を差し切って1車身半差で2着。山田が半車輪差の3着で佐藤が8分の1車輪差の4着。伊藤が半車輪差で5着。
 優勝した福島の新田祐大選手は昨年10月の京王閣記念以来の優勝で記念競輪12勝目。いわき平記念は初優勝。このレースは新山がどういうレースをするかが注目でしたが,後ろ攻めからのかまし先行になりました。力がある選手ですが,1周半以上の先行では厳しかったです。うまく4番手を取った山田には展開は悪くなかったのですが,番手から出た新田に踏み負けることに。ここで踏み勝てたのが新田にとっては大きかったことになります。山田はうまい動きで4番手を取りましたが,もしかしたらそのときにいくらか脚力を消耗していたのかもしれません。

 『スピノザー読む人の肖像』の第1章で,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』に関する注意点が書かれています。このことはこの本を読んだことがある人にとっては分かりきったことだといえなくもないのですが,よく考えてみると,どんな人であれその内容をよく知らないままに本を読むのであって,あまり注意せずに読み進めれば,当初の思い込みをそのまま正しいことと思い込んでしまう可能性があります。なので僕もここでその注意点をあげておきます。
                                        
 よく知られているように,『デカルトの哲学原理』は,スピノザが同居させていたライデン大学の学生であるカセアリウスJohannes CaseariusにデカルトRené Descartesの哲学を教授し,それをカセアリウスが口述筆記したものが基になっています。スピノザは自分の思想を教えるにはカセアリウスにはまだ早すぎると思ったのでデカルトの哲学を教えたのですが,そのとき,こちらはその理由はよくわかりませんが,『哲学原理Principia philosophiae』の第二部から教え始めました。この部分が『デカルトの哲学原理』の第二部に該当します。第二部が終わったのでスピノザは第三部を教え始めました。それが『デカルトの哲学原理』の第三部に該当しますが,これは始まってすぐに未完のまま終わっています。それはつまり,そこでスピノザがカセアリウスにデカルトの哲学を教えることをやめたということです。スピノザの事情だったのかカセアリウスの事情であったのかは分かりません。
 これを出版するようにスピノザに勧めたのはマイエルLodewijk Meyerです。それにあたってマイエルは,第一部もあった方がよいと考えました。スピノザもその進言に従って,二週間で第一部を書き上げました。つまり執筆の順序でいけば,『デカルトの哲学原理』は,第二部,未完の第三部,第一部となっています。このときに注意しないといけないのは,『デカルトの哲学原理』の第二部と第三部は『哲学原理』の第二部と第三部,といっても第三部は未完なのですから断定できるわけではありませんがおそらく第三部に対応しているのですが,第一部は『哲学原理』の第一部に対応しているわけではないということです。この部分は『哲学原理』より広く,デカルトの哲学の形而上学に対応しているのです。
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桜花賞・海老澤清杯&Kさんとの電話

2024-01-21 19:27:15 | 競輪
 川崎記念の決勝。並びは深谷‐郡司‐松谷‐堀内‐福田の南関東,清水‐松浦の中国に恩田で稲川は単騎。
 郡司がスタートを取りに行きましたが,内から松浦が追い上げ返して誘導の後ろに。清水の前受けとなり,4番手に稲川,5番手に深谷で周回。残り2周のホームの入口から深谷が発進。そのまま清水を叩いて先行態勢。福田は続くことができませんでした。清水は3番手まで引いて松谷の内で粘って競り合い。この競り合いは残り1周のバックまで続きましたが,清水が奪い,3番手が清水で4番手が松浦という隊列に。無風だった郡司は深谷との車間を開け,直線で踏み込んで優勝。マークになった清水が4分の3車身差の2着で清水の内に進路を取った松浦が4分の1車輪差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は前回出走の岸和田のFⅠの完全優勝に続いての優勝。記念競輪は昨年9月の松阪記念以来の19勝目。川崎記念は2017年,2019年,2021年,2022年と優勝。開催されていない年もありますので,4連覇での5勝目。ほかに2021年の全日本選抜競輪も当地で優勝。このレースは南関東ラインがあまりに手厚く,ほかの選手がどのように対抗するのかというレース。清水の選択は3番手での競りで,うまく位置を奪うことはできたのですが,奪うまでに時間が掛かってしまいましたので,郡司を差すだけの余裕は残っていませんでした。郡司にとっては楽な優勝だったのではないかと思います。

 7月29日,土曜日。妹の土曜レクリエーションの日でした。
 7月30日,日曜日。米の残量が少なくなってきましたので,Kさんに電話をして送ってもらうように依頼しました。この電話のときに,福江島に住んでいる叔父の話になりました。以前に説明したように,叔父は福江島で癌が発見され,抗癌剤の治療を受けています。このことはそのときにもいったように,叔父本人から僕に伝えられたわけではなく,叔父の娘,つまり僕からみたら死んだ従妹の以前の夫から伝えられたものです。これはおそらく叔父が僕やロサンゼルスの伯母には秘匿しておきたいがために,ほかに頼れる人に連絡したからだと思います。Kさんは叔父にとって頼れる人のひとりでしたから,叔父が癌になって抗癌剤の治療を受けているということは知っていました。Kさんが僕の家を訪ねてきたのは2019年の12月のことで,僕の家から福江島の叔父にも会いに行きました。Kさんはその翌年にも叔父に会いにいったそうなのですが,その時点ではすでに具合が悪そうだったとのことです。Kさんはその後に叔父が抗癌剤の治療に入っていることを伝えられ,そのときに一身上のことについてはすべて弁護士に任せているといわれたのですが,それ以降は叔父から何の連絡もないとのことでした。僕の家にも叔父,あるいはその弁護士から何かを伝えられているわけではありませんから,それ以上のことをKさんに伝えることはできませんでした。いずれにせよ,僕のところにもKさんのところにも連絡がないというのは,叔父の希望が反映されたものであるということは間違いありませんから,そのままでよいのだろうと思っています。というか,こちらからは連絡を取ろうにも取ることができない状態になってしまっていますので,そうするほかないというのが本当のところでもあります。
 Kさんは秋田市に住んでいるのですが,この少し前に秋田は大雨の影響で甚大な被害が出ているというニュースが伝えられていましたので,その点について尋ねましたが,Kさんが住んでいるところは秋田市といっても市内の中心部ではなく,何か生活に支障を来してしまうような被害が出てはいないとのことでした。
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