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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

水戸黄門賞&ヤコブス・ホイエル

2025-06-03 16:45:03 | 競輪
 取手記念の決勝。並びは吉田‐杉森の茨城に成田‐内藤の北日本,松井‐郡司‐佐々木‐和田の南関東で岩津は単騎。
 郡司がスタートを取りにいきましたが,それを阻止するように内から吉田が誘導の後ろに入って前受け。岩津が5番手で松井が6番手の周回。残り2周のホームの入口から松井が上昇。ホームの出口から外を回って吉田の動向を窺うような形になり,吉田が引かなかったので松井が引き,周回中と同じ隊列に戻って打鐘。吉田の突っ張り先行のようなレースになりました。ホームから再び松井が発進。バックで前に迫ると杉森が番手捲りを敢行。これで松井がいけなくなったので,最終コーナーから郡司が自力で発進。番手捲りの杉森を差して優勝。杉森と郡司の間に進路を取った杉森マークの成田が半車身差の2着。杉森が4分の3車輪差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は全プロを挟んだ平塚記念以来の優勝で記念競輪25勝目。取手記念は2020年に優勝していて5年ぶりの2勝目。このレースは二分戦でしたが,ラインの厚みは南関東の方が上なので,郡司が最有力候補と思っていました。吉田の先行は意外だったのですが,松井がある程度のところまでは捲っていけましたので,そのスピードに乗って直線で差し切れました。松井の力も大きかったですが,番手捲りのラインを差し切ったのですから,力を見せつけるような優勝であったと思います。

 ホイエルJacobus Goyerがスピノザを知っていたことは間違いありません。ではスピノザがホイエルを知っていたかということになると,まったく分かりません。もしホイエルとスピノザの間に面識があった,すなわちふたりがどこかで会ったことがあったとすれば,当然ながらスピノザもホイエルを知っていたことになります。久保の論文を読む限り,両者に面識があった可能性はかなり低いように僕には思えました。ただし絶対になかったと断言することができるわけではありません。とても小さなものではあるのですが,ホイエルとスピノザの間には接点が確かにあったようです。
                            
 ホイエルの一族は16世紀の初頭から,オランダのユトレヒトUtrecht州の執政官や顧問官,さらに市長などの職を務める人物が輩出していました。いわゆる名門であったわけです。ホイエルの父はデリックでしたがこのデリックの時代までは権勢と富の両方を誇るような名家でした。デリックの妻,つまりヤコブスの母ですが,この人はゲルトルーダという名前で,デルフトDelftの市長の娘だったそうです。ヤコブスはこのふたりの長男として,先述したように1651年に産まれ,ユトレヒト大学のマタエウスという教授の下で法律を学びました。これもいっておいたように,ヤコブスの蔵書には法律関係の著書が多かったのですが,これは専門的に学んだのが法律であったことと関係しています。1672年,つまり21歳のときに学位を獲得しています。
 父のデリックはユトレヒトの市長を務めていたのですが,ヤコブスが要職に就いたという記録は残っていません。もっとも,ヤコブスは1689年に38歳という若さ,スピノザよりも若い年齢で死亡してしまいましたので,もしもっと長生きしていたら,そうした職に就いた可能性も否定できないように僕には思えます。ただし久保はこのことについては,後に示すような別の事情を指摘しています。死ぬ時までホイエルは独身で,子どもはありませんでした。葬儀の列席者の名簿というのが残っていて,そこにはイギリスからの弔問客も含まれていたということですから,名家に相応しいような大きな葬式で,当時はそれなりに著名であったと考えられます。
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日本名輪会カップ&疑問の正当性

2025-05-23 12:52:46 | 競輪
 武雄競輪場で開催された昨夜の日本名輪会カップの決勝。並びは木村‐大矢の関東,阿部‐北津留‐山田‐井上の九州で纐纈は単騎。
 山田がスタートを取って阿部の前受け。5番手に纐纈,6番手に木村で周回。残り3周のバックの出口から阿部がペースを落として誘導との間隔を開け,後方を牽制。残り2周のホームに入ってから木村が発進。阿部はこれに合わせて駆けていきました。打鐘で木村は北津留の横までは上がりましたが阿部を叩くことはできず,阿部の突っ張り先行に。ホームの手前で北津留が木村を牽制。木村は山田の横まで下がりました。バックに戻って北津留が番手捲りを敢行すると山田がしっかりマーク。井上も続き4番手に纐纈。直線の手前から踏み込んだ山田が北津留を差して優勝。マークの井上が半車身差の2着。北津留が1車輪差の3着で九州勢の上位独占。
 優勝した佐賀の山田庸平選手は武雄記念以来の優勝でGⅢ6勝目。武雄では昨年の大阪・関西万博協賛競輪も優勝しています。このレースはラインの厚みに違いがありすぎ,九州勢から優勝が出るだろうと思っていました。北津留が木村を牽制した後に山田は木村に絡まれるような形にはなりましたが,北津留が番手から発進するタイミングが絶妙で,山田がスムーズに続くことができました。北津留の貢献が大きいと感じるような優勝でした。

 河井が提出しているこの疑問については,僕から次のことをいっておきます。
 前の部分の考察でいったように,スピノザの思想における原因causaと結果effectusの関係は,前提としての原因と結論としての結果という関係にあるのであって,必ずしも時間的な前後関係を意味するわけではありません。前提が与えられれば結論がすぐに得られるのであれば前提と結論は,同時的にあるといわなければなりませんから,時間tempusという観点だけでみるなら,原因と結果は同時にあるということができるからです。これは第一部公理四にあるように,結果の認識cognitioが原因の認識に依存するからであり,原因が認識されれば結果が認識されるのなら,やはり原因と結果は同時にあるということができるでしょう。このゆえに僕は原因は結果に対して本性naturaの上で先立つ,時間的に先立つのではなく本性の上で先立つといういい方をするのであり,河井もまた原因は結果に対して存在論的に先立つといういい方をしているのでした。
                       
 第一部定理二八で示されている個物res singularisの原因とか,第二部定理九に示されている現実的に存在する個物の観念rei singularis ideaの原因については,結果である個物や現実的に存在する個物の観念に対して,原因である個物や現実的に存在する個物の観念が,時間的な意味で先行すると解釈することが可能です。個物Aの存在existentiaの原因が個物Bの存在であるならば,個物Aが存在する以前に個物Bが存在していなければならず,かつ個物Aも個物Bも,それが個物である限りでは一定の時間のうちに存在するでしょうから,個物Bは時間的な意味において個物Aに先行していなければならないと結論されるであろうからです。もちろん同じことは,現実的に存在する個物の観念の場合にも妥当します。
 一方でこれらの定理Propositioは,このようにある個物ないしは現実的に存在する個物の観念から,原因,その原因,さらにその原因というように辿っていっても,この関係は無際限に連鎖していくだけであって,どこかで第一原因causa primaに到達することはないという,僕がいうところの消極的意味も含んでいます。するとこれらの定理の中に,河井がいっている類推の否定negatioが含まれているともいえるのではないでしょうか。
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レジェンド神山雄一郎カップ&注意

2025-05-19 10:47:42 | 競輪
 昨日の宇都宮記念の決勝。並びは阿部‐伏見の北日本,坂井‐神山の栃木,清水に小原‐大塚の神奈川で小森と嘉永は単騎。
 坂井,清水,阿部の3人がスタートを取りにいきました。内の坂井が誘導の後ろに入って前受け。3番手に阿部,5番手に清水,8番手に小森,最後尾に嘉永で周回。残り2周のバックから清水が上昇していくと阿部が先んじて動き,坂井を叩いて打鐘。嘉永が伏見の後ろにスイッチ。ホームの手前から清水が外を発進。阿部を叩いて清水の先行。大塚が離れて3番手に阿部。伏見も離れて阿部の後ろに坂井となりました。バックに入ってから清水との車間を徐々に開けていった小原が,直線に戻って踏み出し,清水を差し切って優勝。小原マークのような形となった阿部が4分の3車身差で2着。阿部マークのような形だった坂井が1車輪差で3着。
 優勝した神奈川の小原太樹選手は昨年12月の静岡のFⅠ以来の優勝。一昨年3月の玉野記念以来の記念競輪3勝目。この開催は準決勝で有力選手の脱落が多く,決勝のメンバーでは清水が脚力上位。神奈川勢が後ろになったその清水が先行するというのはやや意外な展開でしたが,それを生かしての優勝。バックの段階から清水との車間を開けていましたから,小原にはわりと余裕があったのだろうと思われます。

 この批判に関しては,しかしひとつだけ注意しておかなければならないことがあります。
 量を実体substantiaから捨象して部分に分割して表象したり,持続duratioを永遠aeternumから捨象して時間tempusとして分割して表象したりすると,僕たちは避けることができない難問に出会うことになります。その難問が,たとえばアキレスはカメに追いつくことができないというものであったり,分割された時間の終焉には辿り着くことができないというものです。これを解消するために,空間をアトムatomusの集積としたり,時間を瞬間の集合と規定すれば,確かにアキレスはカメに追いつくことができるでしょうし,時間の終焉にも辿り着くことができるようにはなるでしょう。しかしこれは,空虚vacuumの実在を肯定するaffirmareのと同じことであり,飛んでいる矢は止まっているという別の難問に出会うことになり,僕たちはその難問を解消する術をもたないのです。
                       
 こうした解決不能な難問は,量を実体から捨象すること,また持続を永遠から捨象することによって生じるのですが,だからといってそのように捨象して表象するimaginariことを絶対的な意味でスピノザが禁じるというわけではありません。ただ解決不能な難問が生じてしまうというだけであって,そういう難問が生じているということさえ理解していれば,あるいはそうした難問が生じるのが量としての実体や永遠から生じる持続を捨象しているからだということさえ理解しているなら,この表象imaginatioは僕たちにとってむしろ有益なものとなるでしょう。というのも,たとえば以前の考察で示したように,運動している物体corpusは静止しているわけではなく,静止しているということはある空間の特定の部分を占めていることであるとすれば,運動している物体はある特定の空間を占めているわけではないことになるのですが,それでも運動している物体がある位置を占めているというようにいうことができるのであれば,それはそれで僕たちにとって有益な認識cognitioであることになるからです。一般的にいっても,第二部定理一七備考でいわれているように,表象像imagoが虚偽falsitasであると知っている限り,事物を表象するということは僕たちにとっての欠点であるどころか長所,いわば力potentiaなのです。
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湘南ダービー&因果性

2025-05-14 10:22:54 | 競輪
 昨晩の平塚記念の決勝。並びは深谷‐郡司‐和田‐岩本の南関東と松本‐松岡‐園田の九州で山口と犬伏は単騎。
 郡司がスタートを取って深谷の前受け。5番手に山口,6番手に松本,最後尾に犬伏で周回。残り2周のホームから松本が深谷を叩きにいきましたが,深谷がそのまま突っ張り,ハイペースに持ち込んで打鐘。犬伏が動かなかったので松本が山口の後ろに引き,周回中の隊列のままホームを通過。バックに入って郡司が番手から発進。マークの和田が直線で差を詰めましたが届かず,郡司が優勝。和田が4分の1車輪差の2着で地元のワンツー。岩本マークのようなレースになった山口が岩本を差して4分の3車身差で3着。岩本は4分の3車身差の4着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は川崎記念以来の優勝で記念競輪24勝目。平塚記念は2021年以来の2勝目。このレースは南関東勢が強力で,脚力のある山口と犬伏が単騎になりましたから,郡司の優勝の可能性がかなり高いだろうとみていました。深谷が早い段階から全開で駆けていくレースになったので郡司の番手捲りという形になった分,和田が郡司との差をかなり詰めることができたということでしょう。深谷はあんなに駆けていく必要があったのかやや疑問ですが,これは本人の考え方もあるでしょうから仕方がありません。犬伏は松本ラインに続かなくてもいいと思いますが,少なくとも山口の後ろには上がっていくべきだったと思います。単騎なのに差のある最後尾になってしまうのは工夫がないといわれても仕方がないのではないでしょうか。

 実体の変状substantiae affectioといういい方と,様態的変状modificatioに様態化した属性attributumといういい方が『エチカ』の中に両立しているのは,スピノザが個物res singularisの中に無限性と有限性の両方を,あるいは永遠性aeternitasと時間性の両方をみているからであると解することができます。よって,有限finitumは無限infinitumであるとか,持続duratioは永遠aeternumであるといったような,それ自体でみれば偽falsitasの命題としか思えないような命題が,実は真verumの命題である,あるいはそうはいわなくとも真の命題であり得るということになります。そしてそのことを形而上学的な観点からみた場合には,河井がいっているように,スピノザがデカルトRené Descartesがいう意味での,あるいはスピノザがデカルトの中に見出したような意味での延長Extensioという概念notioを,そっくりそのまま引き継いでいないからなのです。よってスピノザの哲学を正しく理解するためには,延長という概念をデカルトがいっているのと同じような意味で解してはなりません。スピノザのいっている延長を,もしも量と変わらないものと解するのだとしても,その量というのを僕たちが表象しているような分割可能な量とだけ解してはならないのであって,分割不可能な実体としての量として解する必要があるのです。
                       
 さらにいうと,第一部定理一五にあるように,あるものはすべて神のうちにありin Deo est,神なしには何もあることができないのですから,無限性と有限性の間には,あるいは同じことですが永遠性と持続性の間には,因果性が発生しています。なぜなら,絶対に無限な実体である神がなければ何もあることができないのであれば,有限である個物は無限である神を原因causaとして存在するといわなければならないからです。第二部定理三備考でいわれていたように,神が活動しないと主張することは神が存在しないと主張することと同じことなのですから,第一部定理一一でいわれているように神が存在するならば,神は必然的にnecessario活動するでしょう。だから第一部定理一六でいわれているように,神の本性の必然性necessitate divinae naturaeからは無限に多くのinfinitaものが無限に多くの仕方で生じることになります。つまり神は無限に多くのものの原因として活動するのです。この因果性をどう解するべきなのかをここから考察していきます。
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日本選手権競輪&時間と永遠

2025-05-08 11:57:58 | 競輪
 4日に名古屋競輪場で行われた第79回日本選手権競輪の決勝。並びは新山‐菅田‐阿部の北日本,真杉‐吉田の栃木茨城,松井‐岩本の南関東で浅井と古性は単騎。
 菅田がスタートを取って新山の前受け。4番手に古性,5番手に真杉,7番手に浅井,8番手に松井で周回。残り3周のバックから松井が上昇。出口で新山に並びました。ホームはこのまま併走。そこから新山が突っ張ったので松井は引き,周回中の隊列に戻って打鐘。真杉が徐々に古性との車間を開け,バックから発進。このスピードが抜群で前は抵抗できませんでした。直線で菅田が落車。この影響で真杉の自転車が故障してしまい,番手の吉田が一気に差し切って優勝。真杉が4分の3車身差の2着で栃木茨城のワンツー。真杉の捲りに対応できず吉田にスイッチする形になった古性が1車身半差で3着。
 優勝した茨城の吉田拓矢選手は3月の玉野記念以来の優勝。ビッグは2021年の競輪祭以来の2勝目。このレースは単騎の古性がいい位置でレースを進めることができたのですが,真杉がすぐ後ろにいたこともあり,その捲りに対応することができませんでした。その点では中団を立ち回った真杉の作戦勝ちだったのですが,残念ながらフィニッシュの目前で車体故障。これがなければ真杉が勝っていたかもしれませんし,仮に差されていたとしてももっときわどい勝負になっていたでしょう。

 河井はこの二面性が,持続duratioについても妥当するといっています。
                            
 これを考えるconcipereためにまず踏まえておかなければならないのは,前回の考察の中で出てきた連続創造説です。前回はこれを真理veritasとの関係で考察しました。すなわち,現在の時点で真理である事柄が,これからも真理であるというためには,神Deusが真理を創造したというだけでは十分ではなく,現在の時点でもそれを真理であると決定しているのでなければならないという仕方です。デカルトRené Descartesは神に自由意志voluntas liberaを認めていて,そのために真理である事柄を虚偽falsitasであるようにすることができるということもまた肯定しなければならなくなっているので,永遠真理創造説に連続創造説をミックスせざるを得ないような論理体系になっているのです。
 このことが物体corpusの存在existentiaにも適用されることになります。事物の存在は,神によってその事物が存在するように決定されるだけでは不十分であって,その存在を無に帰することがないようにするために,連続的な創造が必要になります。一方でスピノザの哲学ではこれは必要ではありません。というのもスピノザの哲学では神が内在的原因causa immanensとして働きますから,各々の物体の中に神の力potentiaが内在することになっているからです。そしてここが重要ですが,この神の力によって物体の持続が保たれることになるのです。したがって現実的に存在する各々の物体の中に,十全性と示した事柄が含まれることになるのですが,この十全性は永遠性aeternitasにほかなりません。なぜなら運動motusと静止quiesは延長の属性Extensionis attributumの直接無限様態であり,直接無限様態である限りは第一部定理二一により永遠aeternumであるからです。一方で現実的に存在する個物res singularisはある時間tempusのうちに持続して存在するのですから,当然ながらこの持続性も有するのであって,この持続性は前の例でいえば表象性にほかならないことになります。とくにスピノザの思想の場合,時間というのは表象imaginatioの産物とされていますから,この持続性はより容易に表象性と結びつけられることになるでしょう。しかし実際にはこれは,物体corpusが持続性と永遠性の両面をもつというよりも,持続そのものの中に時間的な表象性と永遠性の内在という両面があるというべきです。
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桜花賞・海老澤清杯&グラビット点眼薬

2025-04-24 10:26:17 | 競輪
 22日の川崎記念の決勝。並びは郡司‐松谷‐佐々木の神奈川,脇本‐小森の福井,犬伏‐久米‐吉本の西国で,根田は単騎ということでしたが南関東ということで神奈川勢を追走するレースになりました。
 郡司に譲られるような形で犬伏が前受け。4番手に郡司,8番手に脇本で周回。残り2周のホームで後方から上昇した脇本が犬伏を叩きました。郡司が小森の後ろにスイッチ。犬伏があっさりと引いたので,3番手に郡司,根田が続いて7番手に犬伏という隊列になりペースがさほど上がらないまま打鐘。ホームに戻って脇本が本格的に先行。バックに戻って郡司が発進。最終コーナーで外から脇本の前に出ました。直線はマークの松谷が差しにいきましたが郡司が粘って優勝。松谷が半車輪差の2着で神奈川のワンツー。脇本マークの小森が1車身半差の3着で松谷マークの佐々木が4分の1車輪差の4着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は高松記念以来の優勝で記念競輪23勝目。川崎記念は2017年,2019年,2021年,2022年,2024年1月と優勝していて2年度ぶりの6勝目。2021年の全日本選抜競輪も当地で優勝しています。このレースは根田が神奈川の前を回るという選択肢もあり得たと思うのですが,郡司が自力を選択したので,郡司,脇本,犬伏の力勝負に。ただ前受けからあっさりと引いた犬伏が何の動きもみせなかったので不発となり,事実上は郡司と脇本の争いになりました。脇本と郡司が前にいたまま残り1周ではさすがに厳しいでしょうから,犬伏は作戦失敗だったといっていいでしょう。脇本は無理に駆けたわけではなく,約1周の先行ですから残ってもおかしくはありません。3番手だったとはいえそれを捲り,そこでかなり力を使ったものの松谷の差しも凌いだ郡司がこのレースは強かったと思います。

 病院で出された処方箋は,4日以内に薬局に提出して薬剤を受け取らなければいけないというルールになっています。ただ薬剤というのはすぐに使用する場合が多いですから,処方された当日に薬局に行くというのが通例ではないかと思いますし,僕もそのようにしていました。ただこのときは,前日の手術前検診が終わるのが遅く,妹がグループホームの夕食の時間に間に合うように到着できるかどうかが微妙でした。一方で処方された薬剤に関しては,手術の予定日である4月4日の5日前から使用すればよいものでしたから,すぐに入手しておかなければならないという性質の薬剤ではありませんでした。なので前日は病院からそのままタクシーで妹をグループホームに送り,翌日に僕が薬局に処方箋を提出するようにしたものです。なお,このときに処方されたグラビット点眼薬というのは,細菌感染を治療するためのものです。妹の目が細菌に感染していたというわけではありませんが,手術前の目を清潔に保つために処方されました。僕は目の手術の経験というのがないので分かりませんが,手術前には一般的に処方されるような薬剤であったのではないかと思います。
                            
 3月13日,水曜日。総講でお寺に行きました。
 3月20日,水曜日。この日は彼岸会でしたので,またお寺に行きました。
 3月25日,月曜日。僕の内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。なお,この日は診察の予約時間が午後3時半になっていました。これは午後3時の予約には空きがなかったからです。2月の通院のときには同じ理由から予約が午後2時半になっていたのですが,たぶんこのときはその時間の空きも埋まっていたので,午後3時半に設定されたものと思われます。ただ,午後3時の予約であっても,実際に診察が開始されるのは午後3時半より遅くなるというケースは何度かありましたので,午後3時の予約であるか午後3時半の予約であるのかということ自体は僕にとっては大した問題ではありません。むしろ一人ひとりの患者の診察がどの程度の時間で終わるかということの方が重要で,それで実際の診察時間が決まるのです。
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大楠賞争奪戦&日程

2025-04-14 11:48:02 | 競輪
 昨日の武雄記念の決勝。並びは坂井‐杉森‐高橋の関東,太田に山田久徳,嘉永‐山田庸平‐山口‐園田の九州。
 太田がスタートを取って前受け。3番手に嘉永,7番手に坂井で周回。残り3周のバックを出ると坂井が上昇。太田は少しスピードを上げましたが坂井が叩きました。すぐに嘉永が巻き返し,バックで坂井を叩いて打鐘から先行。太田がこのラインに続こうとしたため,坂井の横で並ぶ形になりましたが,園田と太田に挟まれる形になった坂井が引いて太田が5番手。さらにホームに入ると太田は山口の後ろの位置を奪いました。バックに入ると太田が発進。これに山田庸平が番手捲りで応戦。激しい競り合いになりましたが太田は行ききれず直線は山田庸平の内に進路変更。しかしバランスを崩して落車。番手捲りの山田庸平の優勝。太田マークの山田久徳が1車身差で2着。後方からの捲り追い込みになった坂井に乗った杉森が大外を伸びて3車身差の3着。坂井が半車身差で4着。
 優勝した佐賀の山田庸平選手は11月の武雄のFⅠ以来の優勝。昨年3月の武雄の大阪・関西万博協賛競輪以来のGⅢ5勝目。記念競輪は2023年の広島記念以来の4勝目。武雄記念は初優勝。この開催は決勝までに有力選手の脱落が相次ぐ波乱含みの進行。その中で九州勢が4人も決勝に乗ってきて,山田庸平にとっては有利な並びになりました。番手捲りだったとはいえこの中では脚力上位の太田に競り負けなかったのは評価できるところだと思います。

 全身麻酔での手術はそれが可能な手術室ですることになります。よってそこに空きがないとできません。調整して,4月4日に手術をするということがこの時点で決まりました。白内障の手術は通常は右目と左目を別に行うのですが,これは日帰り手術の場合です。妹は全身麻酔の手術ですので,その日に両目の手術を同時に行うことになりました。
 2月19日ですから4月4日というとずいぶん先のことのように思えますが,全身麻酔ができる手術室の空きというのはそれくらいは詰まっているようです。当初は6月にならないとできないと言われたのですが,4月に早まったものです。これには別の事情が関係していました。
                    
 みなと赤十字病院の眼科は紹介状がないと受診できません。たぶん現在はすべての科がそうなっていると思われます。なので僕はО眼科で紹介状を書いてもらったのですが,この紹介状はみなと赤十字病院の眼科宛ではなく,医師の名前が入っていました。なので僕はコールセンターに電話したときにその旨を伝え,実際に診察してくれたのもこの医師でした。診察をしている医師は3人いたようです。僕は内分泌科に通院していましたからよく分かっていましたが,4月は医師の異動の時期で,この3人のうちのひとり,妹を診察した医師とは別の医師のひとりが異動し,別の医師の勤務が開始されるということがこの時点で決定していました。この関係で4月の始まりの時期の手術は難しいと医師は判断したようですが,異動してくる医師が,みなと赤十字病院の勤務体制をよく理解している医師,おそらくこれはかつてここで勤務したことがある医師だったという意味だと僕は解しましたが,そういう医師だから,4月4日の手術で大丈夫だろうと考え直したようです。手術前には検査が必要なので,その検査の日程もこの日に決めました。
 それからこれは白内障とは無関係ですが,涙腺も医師によって調べられました。これは診察室ではできないので,奥の処置室でなされたものです。どうも妹の涙腺には詰まりがあったようです。ただこちらについては治療はせず,衛生状態を管理することで対応するということになりました。
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よさこい賞争覇戦&コロナ感染

2025-04-08 10:04:10 | 競輪
 6日の高知記念の決勝。並びは真杉‐志村の関東,松井に渡部,犬伏‐清水の四国中国,山崎‐小川の九州で脇本が単騎。
 志村がスタートを取って真杉の前受け。3番手に犬伏,5番手に山崎,7番手に脇本,8番手に松井で周回。残り2周のホームを通過した後のコーナーから松井が上昇していき,バックで真杉を叩いて打鐘。松井ラインに続いた山崎がさらに松井を叩きました。7番手になった犬伏がホームから発進。バックで山崎を捲り切り,清水の後ろに松井がスイッチ。真杉も追ってきたもののこちらは行ききれずに不発。直線で踏み込んだ清水が犬伏を差して優勝。犬伏が1車身差の2着に残って四国中国のワンツー。このラインを追った松井が8分の1車輪差の3着で犬伏と松井の間から盛り返した山崎が8分の1車輪差で4着。
 優勝した山口の清水裕友選手は昨年8月の松戸記念以来の優勝で記念競輪13勝目。高知記念は初優勝。この開催は大本命の古性が準決勝で敗退。脇本も単騎になったので混戦模様に。山崎の先行に犬伏の捲りとなり,このスピードに後方の真杉と脇本は対応できませんでした。内容でいえば犬伏が強かったといえ,その番手を得た清水が有利になったというところです。この開催全体をみていると,清水はだいぶ復調してきているようにみえましたので,この後も注目でしょう。

 この日は会計がとても空いていました。僕の受付番号が871でしたが,その時点ですでに868まで支払いが可能になっていました。これだけ会計が済んでいるのは非常に珍しいことでした。
                       
 薬局に寄って帰りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時55分でした。
 1月25日,木曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。帰宅後の午後1時50分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。翌日に妹を通所施設に迎えに行く予定になっていたのですが,これを控えてほしいという依頼でした。これは妹が新型コロナウイルスに感染したためでした。
 21日に妹をグループホームに送った後,23日の夜になって妹が発熱したために検査を受けたところ,陽性の反応が出たようです。この検査が抗原検査であったのかPCR検査であったのかは分かりません。この電話の時点では抗原検査ではすでに陰性となっていて,妹の熱も下がっているし,食事も摂れているとのことでした。最初の検査の結果が正確なものであったかどうか分かりませんが,正確であればまだ待機期間中なので,移動は避けなければならなかったのです。こうした事情では止むを得ませんので,翌日の迎えはなしということになりました。迎えに行くのは28日にピアノのレッスンが予定されていたからです。これを中止にしなければなりませんでしたから,僕からピアノの先生に電話をして,事情を伝えました。
 23日の夜に発熱したのなら最初に検査を受けたのは24日です。この日は妹は通所施設には行かなかったようです。それが25日の時点ですでに陰性というのは不思議に思えましたが,検査の結果がそう出たのでしょうから仕方がありません。発熱はしても食事はすべて完食していたそうですから,妹の体調に大きな問題が出たわけではありませんし,以前にいったように,この時点での新型コロナウイルスについて大きな心配をしなければならないというようには僕は認識していませんでした。ですからこのことについては僕はとくにSさんに何かを質問するということはありませんでしたし,妹のことを強く心配もしませんでした。
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まえばし春風賞&2023年12月の通院

2025-03-31 10:19:21 | 競輪
 前橋競輪場で争われた昨日のまえばし春風賞の決勝。並びは高橋‐山崎の福島,篠田‐佐藤‐阿部の関東,和田に伊代野,佐々木‐小倉の四国。
 高橋がスタートを取ってそのまま前受け。3番手に佐々木,5番手に篠田,8番手に和田で周回。残り3周のホームを回り終えたところから和田が上昇。バックで佐々木の横あたりまで上がりましたが,高橋が突っ張ったのでそのまま下げ,周回中と同じ隊列に戻って残り2周のホームを通過。このまま打鐘を迎えて高橋の突っ張り先行となったところから和田がインを上昇。最終的に小倉の後ろに入りました。バックから佐々木が捲ろうとすると山崎が番手捲りを敢行。佐々木は不発になり,小倉は山崎にスイッチ。それに和田も続く形で直線。結局そのまま並びは変わらず,優勝は山崎。小倉が4分の3車身差で2着。和田が4分の3車身差で3着。
                            
 優勝した福島の山崎芳仁選手は2020年のいわき平記念以来のグレードレース優勝でGⅢ18勝目。前橋では2008年の寛仁親王牌と2012年のオールスターを優勝しています。このレースは和田の脚力が上位だったのですが,勝ち上がり段階でのレースをみると,少し調子を落としているか,前橋のコースに苦労しているかといった印象でしたので,ほかの選手にもチャンスはあるだろうとみていました。和田は周回中が後方となり,上がっていったところで突っ張られるという最悪に近い展開。その後の動きで好位までは上がれましたが,山崎に番手から発進されて万事休す。その点では高橋の走行がうまかったということで,それに乗れた山崎に展開が向いたということでしょう。

 『スピノザ 人間の自由の哲学』に関連する考察はこれで終了とします。僕がこの本を読み終えたのは一昨年の12月14日のことでした。それ以降の日記を記述していきます。
 12月15日,金曜日。前日に送られていた個別支援計画書は,僕のサインと捺印が必要な書類でした。この日のうちに郵送しました。実はこの日は妹を迎えに行きましたのでそれを持参することもできたのですが,何度かいっているように,僕はグループホームの関係書類については通所施設には持参せず,郵送することにしています。妹を迎えに行った後,そのままО眼科に向かいました。この日は目薬を処方してもらっただけです。
 12月17日,日曜日。午後1時にピアノの先生から電話がありました。この日にピアノのレッスンがあったのですが,その開始時刻の変更のお知らせでした。午後4時からレッスンが行われることになりました。
 12月18日,月曜日。妹を通所施設に送りました。午後は内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時10分です。中央検査室には患者が不在でしたのですぐに採血をし,採尿を済ませた後で注射針の処理をしました。
 診察が始まったのは午後3時35分でした。
 HbA1cは7.8%で11月より高くなっていました。これはおそらく気候の影響で,血糖値の平均値が高くなっていたためです。とくに高くなっていたのは昼食前でしたので,朝食前のヒューマログの注射量を0.05㎎から0.06㎎に増やす措置が取られました。
 この日にこれ以外の異常が出ていたのはアルブミンで,下限値の4.1g/㎗を下回る4.0g/㎗でした。下限値を下回るという異常は11月から連続してのものですが,数値としていえば良化していたことになります。
 それから主治医から注射針に関する話がありました。僕はマイクロファインプラスという注射針を使用していたのですが,主治医によればこの注射針がマイクロファインプロという名称の注射針に移行しつつあるため,薬局で処方が難しくなる可能性があるとのことでした。もし入手が困難になるなら処方を変更するとのことでした。
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ウィナーズカップ&人間中心主義との関係

2025-03-23 16:59:17 | 競輪
 伊東温泉競輪場で争われた第9回ウィナーズカップの決勝。並びは新山に浅井,郡司‐深谷‐岩本の南関東,寺崎‐古性‐村田の近畿で真杉は単騎。
 古性がスタートを取って寺崎の前受け。4番手に郡司,7番手に真杉,8番手に新山で周回。残り3周のホームから寺崎が誘導との車間を開けると郡司も村田との車間を開けました。バックから新山が発進。寺崎は突っ張りましたがホームで新山が叩いて前に。ここから郡司が上昇していくと寺崎が合わせて発進。打鐘付近で寺崎が郡司を牽制して郡司は不発。寺崎はそのまま上昇。新山を叩くことはできませんでしたが,浅井が新山をマークしきれず,寺崎が新山の後ろに入りました。バックから真杉が発進。これはいい勢いでしたが古性の牽制で勢いを削がれました。古性は最終コーナーから自力で発進。逃げ粘る新山を差し切って優勝。古性の牽制から立て直した真杉が外を追い込んで4分の3車輪差で2着。逃げ粘った新山が半車輪差で3着。
 優勝した大阪の古性優作選手は和歌山記念以来の優勝。ビッグはグランプリ以来の11勝目。ウィナーズカップは初優勝。このレースは33バンクらしい激しいレースになりました。先行の意欲が高かったのは郡司だったと思いますが,叩きにいったところで寺崎に合わされて不発。寺崎も新山を叩くことはできなかったのですが,新山の後ろに入ることができたのは幸運でした。展開からは真杉に有利となりましたが,寺崎マークからしっかり牽制し,そのまま発進した古性の走行が素晴らしかったということでしょう。やはり現役では最強で,ほかの選手よりも一枚上という印象が残りました。

 ここでは人間の人間に対する感情affectusへの限定を,松田克進が『近世哲学史点描』に収録されている「環境思想からみたスピノザ」という論文の中でいっている,人間中心主義という観点と関連付けて考察します。なおこの論文の初出は『スピノザーナ3号』です。スピノザーナの3号はこのブログではまだ紹介していませんが,僕は読了していますので,いずれ紹介することになるでしょう。なお,人間中心主義についてより詳しく説明しているのは佐藤一郎で,こちらは『個と無限』に収録されている「人間と動物」という論文です。スピノザの思想が環境保護とか動物愛護といった思想と相性の悪さを有しているということを指摘しているのはこちらです。
                            
 松田がいっている人間中心主義は,自然中心主義と対をなす概念notioです。これは松田自身が規定しているものではありませんから,ここでは人間中心主義を,僕の観点から規定します。規定するといっていることから分かるように,僕はスピノザの思想の中に人間中心主義といわれ得る思想が含まれていると考えています。
 基本的にスピノザは,人間は人間に固有の自然権jus naturaeを有していて,その自然権によって人間以外の自然Naturaを思うがままに利用してよいとしています。つまり人間は自身のために自然をいくらでも搾取してよいという考え方をもっているのです。これが環境保護思想と相性の悪さを有していることは明白でしょう。
 ただしスピノザがいう自然権の原理は,第三部定理六に依拠します。したがって,人間が自然をいくらでも搾取してよいのは,それが人間が自己の有に固執するperseverareこと,要するに人間のコナトゥスconatusに一致する限りです。よってある種の環境を破壊することが人間の自己の有の維持に反するということになれば,そうした自然権が人間にはあるとはいえません。むしろそうした自然権はないということになるでしょう。したがって,人間は自己の利益suum utilisの観点からは環境を破壊するより保護することを選択するのであって,この限りでは環境保護思想とスピノザの思想は合致します。これは重要なことなので人間中心主義について説明するときは必ず指摘します。くどいかもしれませんがご容赦ください。
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ベイサイドナイトドリーム&論理的帰結

2025-03-17 11:18:02 | 競輪
 四日市競輪場で行われた昨晩のベイサイドナイトドリームの決勝。並びは三浦‐阿部の北日本,和田に諸橋,中井に小倉,瓜生‐佐藤の九州で牧は単騎。
 瓜生がスタートを取って前受け。3番手に三浦,5番手に中井,7番手に牧,8番手に和田で周回。残り3周のバックを出てから和田が上昇。ホームで瓜生を叩きました。諸橋の後ろに牧も続いて3人がバックの入口では前に。ここから三浦が巻き返していき,瓜生がこのラインに続いて打鐘。三浦が和田を叩くと瓜生が発進。三浦と瓜生で先行争いに。この先行争いがバックまで続き,制したのは三浦。和田はバックで三浦と瓜生の中を割るように発進。そのまま先頭に立つとフィニッシュまで粘って優勝。和田マークの諸橋は和田の動きがトリッキーであったために離れかけましたが,和田にスイッチできる選手がいなかったため何とか追走。最終コーナーで阿部と接触して,阿部,小倉,三浦の3人が落車しましたが,直線は和田に迫って半車身差の2着。落車を避けた牧が5車身差で3着。
 優勝した神奈川の和田真久留選手は前回出走の平塚のFⅠから連続優勝。2020年の小田原記念以来となるGⅢ3勝目。こちらもウィナーズカップの選出に漏れた選手による争いでしたから前走のF1で優勝している和田は当初から優勝候補。しかもこちらの開催は有力選手の脱落が多かったため,和田にとっては負けられないといっていいくらいの決勝メンバーになりました。先行争いをした両選手の間を突くという走行には驚かされましたが,優勝自体は順当なものといっていいでしょう。

 では人間がネコを同類とみなすことがあるのかといえば,僕はあると答えます。このことは吉田が示している例,すなわち見知らぬ男がネコを虐待しているのを表象するimaginariと悲しみtristitiaを感じるという事態が,ネコに対する感情の模倣imitatio affectuumであり,感情の模倣を生じさせるということは第三部定理二七によりネコを自己の同類とみなしていることだということから明らかですが,それよりも論理的にスピノザがこのことを否定するnegareことができないということを示すことができます。
                            
 第二部定理三八系は,僕たちの精神のうちには共通概念notiones communesが必然的にnecessarioあることを示していますが,そのことの根拠とされているのが第二部自然学①補助定理二で,そこではすべての物体corpusはいくつかの点において一致するといわれています。したがって人間の身体humanum corpusもネコの身体も,いくつかの点では一致するでしょう。しかるにもしもAとBに一致する点があるなら,AはBを,またBはAを,自身に似たところがあると認識するcognoscere場合があるという条件を一般的に満たすと僕は考えます。ゆえに人間はネコを自分の同類とみなすことがあるのであって,かつネコが感情に触発されてる以上,人間はネコの感情を模倣することがあるということは,スピノザの哲学における論理的な帰結であると僕は考えます。
 一方,地蔵については,地蔵が感情に触発されることはないとスピノザはいうでしょうし,スピノザがそのようにいうことができると僕は認めます。第二部定理一三備考から,地蔵にも精神があるということはスピノザは否定することができませんが,精神をもつということと感情に触発されるということは,すでに示したように別のことなのであって,第三部要請一を援用すれば,人間やネコは感情に触発されても,地蔵は感情には触発されないということが可能だからです。そして多くの人が地蔵は感情には触発されないと解するでしょうから,僕もここではその見解opinioに従うことにします。
 しかしこのことは,だから人間が地蔵の感情を模倣することはないということを直ちに結論するというようには僕は考えません。というのは,たとえ地蔵自体は感情には触発されないとしても,表象imaginatioは別だからです。
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大阪・関西万博協賛競輪in大垣&感情の立場

2025-03-16 16:48:21 | 競輪
 大阪・関西万博協賛競輪in大垣の決勝。並びは佐藤‐永沢‐阿部の北日本,橋本‐鈴木の関東,志田‐山口の岐阜で山本と市橋は単騎。
 鈴木がスタートを取って橋本の前受け。3番手に志田,5番手に佐藤,8番手に山本,最後尾に市橋で周回。残り3周のバックを回ったコーナーから佐藤が上昇。山本はこのラインを追走し,市橋は続かなかったので,ホームで佐藤が橋本を叩くと4番手に山本となり5番手は内の橋本と外の志田で併走に。インが開いたので橋本は上昇。永沢の内に並んだあたりで打鐘。佐藤がペースを上げなかったので外から志田がかまして発進。ホームで楽に佐藤を叩いて先行。マークの山口が離れて追走し,山口と橋本の車間は大きく開きました。かました志田はこのまま後ろを寄せ付けずに圧勝。山口は追走に一杯で,早めに発進した山本が5車身差の2着。山本を追うような形になった市橋が半車輪差で3着。
 優勝した岐阜の志田龍星選手は前回出走の京王閣のFⅠから連続優勝。グレードレースは初優勝。この開催はウィナーズカップの選出に漏れた選手での争いで,なおかつGⅢの同時開催となっていましたから,FⅠと変わらないレベル。志田はF1の優勝直後でしたから候補のひとりで,力量は鈴木と永沢が上ではあるものの自力の競走ではないため,僕は最有力と考えていました。圧勝になったのはかましのタイミングが抜群であったからですが,2着と3着に単騎の選手が入っているように,こういうレベルの争いでは自力を使う方がマークの競走より圧倒的に有利だと僕は考えています。

 デカルトRené Descartesが実際にそのことを認めるかどうかは別として,デカルトの哲学の枠内でも,ネコや馬,地蔵が感情affectusに触発されるという結論を出すことは可能です。それは以下のような論理に依拠します。
                            
 スピノザの哲学では第三部定義三から分かるように,感情は人間の精神mens humanaにも人間の身体humanum corpusにも関係します。しかしデカルトの哲学ではそうではなく,感情は人間の身体とだけ関係し,人間の精神とは無関係です。むしろ精神は感情を制御する立場を与えられているのであって,これがデカルトの倫理学の根底を構成します。したがって,スピノザの哲学では感情は身体の刺激状態とみるなら延長の様態modiですが,その観念ideaとみるなら思惟の様態cogitandi modiです。しかしデカルトの哲学では感情はもっぱら延長の様態であって,思惟の様態ではありません。よって仮にあるものが精神をもたないもの,すなわち思惟の様態ではないものであるとしても,延長の様態である限りはそれが感情に触発されるということは,論理的には可能です。デカルトは動物は自動機械automa spiritualeであって精神をもたない,単なる延長の様態であるとしているわけですが,論理的には延長の様態が感情に触発されるということは可能ですから,動物は感情に触発され得ることになります。そして地蔵も延長の様態ですから,地蔵が感情に刺激されるafficiと主張することは,デカルトの哲学の枠内でも可能です。前もっていっておいたように,実際にデカルトがそう主張するということではないのでその点は注意してください。
 スピノザもまた地蔵が感情に触発されるということは主張しないでしょうが,すでにみたように,馬が感情に刺激されるということは肯定しているので,ネコが感情に刺激されるということも肯定するaffirmareのは疑い得ません。したがって僕たちは,何らかの感情に刺激されているネコというのを表象するimaginariことがあるということを否定するnegareことができないと僕は考えます。そこで再び第三部定理二七に注目すれば,もしもある人がネコを自分の同類とみなすならば,そのネコの感情を模倣することがあり得るということになります。いい換えれば論理的にはスピノザはそのことも否定することはできないことになります。
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瀬戸の王子杯争奪戦&憎しみの産出

2025-03-09 16:49:28 | 競輪
 玉野記念の決勝。並びは取鳥‐岩津‐柏野の岡山,犬伏‐清水‐松浦の四国中国で吉田と南と山田は単騎。
 取鳥がスタートを取って前受け。4番手に山田,5番手に犬伏,8番手に南,最後尾に吉田で周回。残り2周のホームを出てから犬伏が上昇。バックの入口では取鳥を叩き,このラインに続いた南と吉田を挟んで6番手に取鳥となって打鐘。すぐに取鳥が発進。先行争いとなってホームで取鳥が叩きました。取鳥は柏野の位置に入り3番手。バックから再発進。これを岩津がブロックしましたが,ホームの入口では取鳥を捲りました。ただ後方で脚を溜めていた吉田がさらに外から捲ってきて,直線で取鳥を差して優勝。吉田をマークするように追い込んできた山田が1車輪差で2着。犬伏は4分の3車身差で3着。
 優勝した茨城の吉田拓矢選手は昨年6月の取手記念以来の優勝で記念競輪7勝目。玉野記念は初優勝。このレースは中四国勢が6人決勝に進出したため,別々のラインを構成。残りの3人が単騎ということもあったでしょうが,ライン同士で猛烈な先行争いとなりました。こうなれば展開は自力がある単騎の選手が有利。南はマーク選手ですから吉田と山田の争いとなったわけですが,道中の位置が吉田の方が前になった分,吉田が優勝で山田が2着という結果に落ち着きました。

 この部分の吉田の講義はここで終了なので,感情の模倣affectum imitatioが人間以外にも成立するということに関連する事項の僕自身の考察をして,『スピノザ 人間の自由の哲学』に関連する探究は終了となるのですが,その前に,吉田のこの部分の講義の最後の部分に関して,僕の方から補足しておきたいことがあります。
                            
 吉田がいっているように,戦争による飢餓に苦しんでいる人の映像を目にすれば,たとえ国際情勢に関しては何らの関心をもっていない人でも,多かれ少なかれその苦しみの感情を模倣するように僕たちの現実的本性actualis essentiaはできています。したがって,その人を苦しませるように仕向けた専制者が存在するのだとすれば,その専制者は模倣された自身の苦しみの原因causaとして意識されることになるので,その専制者に対しては第三部諸感情の定義七の憎しみodiumという感情を抱くことになります。僕は多かれ少なかれその苦しみを模倣するといいましたが,その感情の模倣が多ければその憎しみは大きくなり,少なければ小さくなるでしょうから,その専制者がどの程度の度合で憎まれることになるかということは人それぞれといわなければなりませんが,たとえ小さくても憎しみは憎しみですから,僕たちがだれかの悲しみtristitiaを模倣すれば,その悲しみの原因として認識されるものに対して憎しみを抱くということが,僕たちの現実的本性であるということは,一般的な事実であるといって間違いありません。
 僕は人によってはこのような現実的本性はよいことであると思う人がいるのではないかと思います。吉田はこうした感情の模倣が共同社会状態status civilisにおける人間の紐帯を強くするという意味のことをいっているのでなおさらです。しかし,吉田自身が付け加えているように,これはほかの条件が揃う限りでそうであるというだけなのであって,一般的にそれがよいことであるというわけではありません。むしろスピノザの哲学においては,もしも悲しみという感情の模倣が憎しみという感情を産出するのであれば,それはよいことであるどころかむしろ悪しきことであるといわなければなりません。第四部定理四五に示されるように,それがどのようなものでも憎しみはmalumだからです。
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金鯱賞争奪戦&メカニズム

2025-03-04 17:01:03 | 競輪
 名古屋記念の決勝。並びは新山‐大槻の北日本,小林‐武藤の関東,郡司‐深谷の南関東に笠松‐山内の愛知で山田は単騎。
 山田,郡司,武藤,笠松の4人が誘導を追い,郡司が誘導の後ろに入って前受け。5番手に小林,7番手に山田,8番手に新山で周回。残り3周のバックを出ると新山が上昇。ホームで郡司を叩いて前に。すぐに小林が巻き返していき,バックで新山を叩いて先頭に。引いた郡司が5番手,動かなかった山田が最後尾の一列棒状で打鐘。ホームの手前から新山が発進。ホームの出口では小林を叩きました。ここから郡司が発進。苦労しましたが直線に入るところでは新山を捲りました。直線はマークの深谷が郡司を差して優勝。郡司が4分の3車身差で2着。両者の間を割ろうとした山内でしたが最後は閉められる形となって半車身差の3着となり,このラインの上位独占。逃げた新山が半車輪差の4着で最終コーナーから外を追い込んだ山田が8分の1車輪差で5着。
                            
 優勝した静岡の深谷知広選手は静岡記念から連続優勝で記念競輪23勝目。名古屋記念は初優勝。この開催は出場選手の力量にやや偏りがあり,事前から南関東勢が有利だろうと想定されました。そのふたりが順当に決勝まで進出し,この開催の経緯から地元勢が後ろを回りましたのでラインの厚みでもかなり有利に。郡司が捲りに回ったことで優勝もできるような走行とはなりましたが,無風で番手を回った分だけ深谷が差せたというところでしょう。配当通り,きわめて順当な結果になったと思います。

 このように連想associtatioが数珠つなぎになっていくと,そのうちに何かと何かが横並びに表象される必要がなくなってくる場合があると吉田は指摘しています。これは僕には斬新な指摘でした。何かと何かに何らかの共通項があるなら,連想のメカニズムが容赦なく働くagereことになるというのが吉田の指摘です。顔立ちがそっくりだとか喋り方がよく似ているとか,職業が同じだとか国籍が同じだとかいった理由によって,その人と別のだれかに対してその人と同じ感情affectusを抱く場合があるというのがその具体的な内容です。吉田はここでは嫌いになるという例,すなわち感情でいえば憎しみodiumの例で説明していますが,これはその逆すなわち愛amorの場合も成立することになるでしょう。つまり僕たちはこうした連想の効果によって,自身とはまったく関係がないような人に対して,憎しみを感じたり愛を抱いたりするようになることがあるのです。よってこのような様式によって,人間関係において中立というような状態は狭まってしまい,僕たちは多くの人に対して愛を感じるかまたは憎しみを感じるかするようになってしまうのです。
 さらにこの中立的な状態,つまり愛も感じないし憎しみも感じないという領域を狭めるほかの要因があります。それが感情の模倣imitatio affectuumだと吉田はいっています。連想と感情の模倣の間にはメカニズムの相違があります。連想というのは自分以外のだれかとだれかを結び付けて,前者に感じている感情を後者にも感じるようになるというメカニズムですが,感情の模倣というのは,ほかのだれかの感情を直接的に自分と結びつけるようなメカニズムを有しています。このようにそのメカニズムに相違はあるのですが,感情的に中立という領域を狭めるという効果を有する点で,連想も感情の模倣も一致しているのです。
 スピノザは連想については『エチカ』の定理Propositioの中では詳しく示していないのですが,感情の模倣の方はいくつかの定理で示しています。そのうち,最も原理的といえる定理は第三部定理二七です。この定理にあるように,僕たちはだれかのことを表象して,その人が何らかの意味で自分と似ているという意識を有すると,その人の感情を模倣するのです。
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読売新聞社杯全日本選抜競輪&悲しみの消失

2025-02-27 10:23:41 | 競輪
 24日に豊橋競輪場で行われた第40回全日本選抜競輪の決勝。並びは真杉‐吉田の関東,寺崎‐脇本の福井に三谷,古性‐南の大阪に村田で深谷は単騎。
 古性,吉田,寺崎がスタートを取りにいき,誘導の後ろに入ったのは吉田。真杉の前受けとなり,3番手に寺崎,6番手に古性,最後尾に深谷で周回。残り3周のバックに入って古性が上昇開始。残り2周のホームで真杉を叩きにいきましたが,真杉が突っ張りました。古性は吉田の後ろに入り,6番手に寺崎,最後尾に深谷で打鐘。直後に深谷がインから上昇。ホームで寺崎をどかして6番手に入りました。ホームから吉田は真杉との車間を開け始めました。バックに入って寺崎が発進。古性も出ると吉田も番手捲りを敢行。古性は吉田にスイッチしましたが,外の寺崎の勢いがよく,最終コーナーでは前を捲ろうかという態勢。早めに寺崎の外に出していた脇本も踏み込み,捲った寺崎を差して優勝。寺崎が1車身半差で2着で福井のワンツー。やや踏み遅れる形になった深谷が4分の3車輪差で3着。
                            
 優勝した福井の脇本雄太選手は競輪祭以来の優勝でビッグは11勝目。GⅠは9勝目。全日本選抜競輪は初優勝。豊橋では一昨年1月の記念競輪を優勝しています。このレースは寺崎の出方がひとつの注目点でしたが,後ろを引き出すのではなく自身の優勝を目指すというレースに。真杉と古性で先行争いをするのは意外でしたが,これがあったために展開は絶好となりました。1車身半の差がついたのは,脇本が早い段階から踏み込んだためだと思います。

 現在の考察と直接的に関連するわけではないのですが,これはスピノザの哲学のほかの部分と重要な関連をもちますので,その点も考察します。
 第五部定理三では,受動感情Affectus,qui passioはそれについて明瞭判然とした観念ideaが形成されれば,受動であることをやめるといわれています。したがってここで示した例でいえば,菊の花を表象するimaginariと悲しみtristitiaを感じるということが,菊の花の表象像imagoが大切な人の葬儀の表象像と結びついているから悲しみを感じるのだということを,悲しみを感じている当人が明瞭判然と把握すれば,この悲しみは受動感情であることをやめるのです。もっとも,第三部定理五九により,悲しみは必ず受動感情なので,悲しみが受動感情であるということをやめるということは,悲しみが消失するという意味にほかなりません。
 このことはその通りですが,これはこの場合にのみ成立します。つまり,悲しみを実際に感じているときに,その悲しみは,菊の花の表象像が葬儀の表象像と自分の精神mensのうちで結びついているということを明瞭判然と認識するcognoscere限りにおいて,その悲しみが受動であることをやめる,いい換えれば悲しみが消滅するということであって,それを明瞭判然と認識したからといって,菊の花を表象しなくなるというわけではありませんし,菊の花と葬儀の表象像の連結connexioが解除されるというものでもありません。したがってこの人が後にまた菊の花を表象することがあったとしたら,そのときはまたその人は悲しみを感じることになります。ただその悲しみもまた,菊の花の表象像が葬儀の表象像と結びついていることを明瞭判然と認識することによって,悲しみであることをやめるというまでです。
 もちろんこうしたことが繰り返されることによって,いずれは菊の花を表象しても悲しみを感じなくなるということはあり得るかもしれませんが,こうしたことは単に時間tempusの経過とともに生じることもあるわけですから,そこに特別の意味を見出す必要はないでしょう。葬儀から時間が経過すればするほど,感じる悲しみが軽減していくということは,僕たちが経験的に知っているところであり,このことについて深く説明する必要はないと思います。
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