スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
22日の川崎記念の決勝。並びは郡司‐松谷‐佐々木の神奈川,脇本‐小森の福井,犬伏‐久米‐吉本の西国で,根田は単騎ということでしたが南関東ということで神奈川勢を追走するレースになりました。
郡司に譲られるような形で犬伏が前受け。4番手に郡司,8番手に脇本で周回。残り2周のホームで後方から上昇した脇本が犬伏を叩きました。郡司が小森の後ろにスイッチ。犬伏があっさりと引いたので,3番手に郡司,根田が続いて7番手に犬伏という隊列になりペースがさほど上がらないまま打鐘。ホームに戻って脇本が本格的に先行。バックに戻って郡司が発進。最終コーナーで外から脇本の前に出ました。直線はマークの松谷が差しにいきましたが郡司が粘って優勝。松谷が半車輪差の2着で神奈川のワンツー。脇本マークの小森が1車身半差の3着で松谷マークの佐々木が4分の1車輪差の4着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は高松記念以来の優勝で記念競輪23勝目。川崎記念は2017年,2019年,2021年,2022年,2024年1月と優勝していて2年度ぶりの6勝目。2021年の全日本選抜競輪も当地で優勝しています。このレースは根田が神奈川の前を回るという選択肢もあり得たと思うのですが,郡司が自力を選択したので,郡司,脇本,犬伏の力勝負に。ただ前受けからあっさりと引いた犬伏が何の動きもみせなかったので不発となり,事実上は郡司と脇本の争いになりました。脇本と郡司が前にいたまま残り1周ではさすがに厳しいでしょうから,犬伏は作戦失敗だったといっていいでしょう。脇本は無理に駆けたわけではなく,約1周の先行ですから残ってもおかしくはありません。3番手だったとはいえそれを捲り,そこでかなり力を使ったものの松谷の差しも凌いだ郡司がこのレースは強かったと思います。
病院で出された処方箋は,4日以内に薬局に提出して薬剤を受け取らなければいけないというルールになっています。ただ薬剤というのはすぐに使用する場合が多いですから,処方された当日に薬局に行くというのが通例ではないかと思いますし,僕もそのようにしていました。ただこのときは,前日の手術前検診が終わるのが遅く,妹がグループホームの夕食の時間に間に合うように到着できるかどうかが微妙でした。一方で処方された薬剤に関しては,手術の予定日である4月4日の5日前から使用すればよいものでしたから,すぐに入手しておかなければならないという性質の薬剤ではありませんでした。なので前日は病院からそのままタクシーで妹をグループホームに送り,翌日に僕が薬局に処方箋を提出するようにしたものです。なお,このときに処方されたグラビット点眼薬というのは,細菌感染を治療するためのものです。妹の目が細菌に感染していたというわけではありませんが,手術前の目を清潔に保つために処方されました。僕は目の手術の経験というのがないので分かりませんが,手術前には一般的に処方されるような薬剤であったのではないかと思います。

3月13日,水曜日。総講でお寺に行きました。
3月20日,水曜日。この日は彼岸会でしたので,またお寺に行きました。
3月25日,月曜日。僕の内分泌科の通院の日でした。
病院に到着したのは午後2時20分でした。なお,この日は診察の予約時間が午後3時半になっていました。これは午後3時の予約には空きがなかったからです。2月の通院のときには同じ理由から予約が午後2時半になっていたのですが,たぶんこのときはその時間の空きも埋まっていたので,午後3時半に設定されたものと思われます。ただ,午後3時の予約であっても,実際に診察が開始されるのは午後3時半より遅くなるというケースは何度かありましたので,午後3時の予約であるか午後3時半の予約であるのかということ自体は僕にとっては大した問題ではありません。むしろ一人ひとりの患者の診察がどの程度の時間で終わるかということの方が重要で,それで実際の診察時間が決まるのです。
昨日の武雄記念の決勝。並びは坂井‐杉森‐高橋の関東,太田に山田久徳,嘉永‐山田庸平‐山口‐園田の九州。
太田がスタートを取って前受け。3番手に嘉永,7番手に坂井で周回。残り3周のバックを出ると坂井が上昇。太田は少しスピードを上げましたが坂井が叩きました。すぐに嘉永が巻き返し,バックで坂井を叩いて打鐘から先行。太田がこのラインに続こうとしたため,坂井の横で並ぶ形になりましたが,園田と太田に挟まれる形になった坂井が引いて太田が5番手。さらにホームに入ると太田は山口の後ろの位置を奪いました。バックに入ると太田が発進。これに山田庸平が番手捲りで応戦。激しい競り合いになりましたが太田は行ききれず直線は山田庸平の内に進路変更。しかしバランスを崩して落車。番手捲りの山田庸平の優勝。太田マークの山田久徳が1車身差で2着。後方からの捲り追い込みになった坂井に乗った杉森が大外を伸びて3車身差の3着。坂井が半車身差で4着。
優勝した佐賀の山田庸平選手は11月の武雄のFⅠ以来の優勝。昨年3月の武雄の大阪・関西万博協賛競輪以来のGⅢ5勝目。記念競輪は2023年の広島記念以来の4勝目。武雄記念は初優勝。この開催は決勝までに有力選手の脱落が相次ぐ波乱含みの進行。その中で九州勢が4人も決勝に乗ってきて,山田庸平にとっては有利な並びになりました。番手捲りだったとはいえこの中では脚力上位の太田に競り負けなかったのは評価できるところだと思います。
全身麻酔での手術はそれが可能な手術室ですることになります。よってそこに空きがないとできません。調整して,4月4日に手術をするということがこの時点で決まりました。白内障の手術は通常は右目と左目を別に行うのですが,これは日帰り手術の場合です。妹は全身麻酔の手術ですので,その日に両目の手術を同時に行うことになりました。
2月19日ですから4月4日というとずいぶん先のことのように思えますが,全身麻酔ができる手術室の空きというのはそれくらいは詰まっているようです。当初は6月にならないとできないと言われたのですが,4月に早まったものです。これには別の事情が関係していました。

みなと赤十字病院の眼科は紹介状がないと受診できません。たぶん現在はすべての科がそうなっていると思われます。なので僕はО眼科で紹介状を書いてもらったのですが,この紹介状はみなと赤十字病院の眼科宛ではなく,医師の名前が入っていました。なので僕はコールセンターに電話したときにその旨を伝え,実際に診察してくれたのもこの医師でした。診察をしている医師は3人いたようです。僕は内分泌科に通院していましたからよく分かっていましたが,4月は医師の異動の時期で,この3人のうちのひとり,妹を診察した医師とは別の医師のひとりが異動し,別の医師の勤務が開始されるということがこの時点で決定していました。この関係で4月の始まりの時期の手術は難しいと医師は判断したようですが,異動してくる医師が,みなと赤十字病院の勤務体制をよく理解している医師,おそらくこれはかつてここで勤務したことがある医師だったという意味だと僕は解しましたが,そういう医師だから,4月4日の手術で大丈夫だろうと考え直したようです。手術前には検査が必要なので,その検査の日程もこの日に決めました。
それからこれは白内障とは無関係ですが,涙腺も医師によって調べられました。これは診察室ではできないので,奥の処置室でなされたものです。どうも妹の涙腺には詰まりがあったようです。ただこちらについては治療はせず,衛生状態を管理することで対応するということになりました。
6日の高知記念の決勝。並びは真杉‐志村の関東,松井に渡部,犬伏‐清水の四国中国,山崎‐小川の九州で脇本が単騎。
志村がスタートを取って真杉の前受け。3番手に犬伏,5番手に山崎,7番手に脇本,8番手に松井で周回。残り2周のホームを通過した後のコーナーから松井が上昇していき,バックで真杉を叩いて打鐘。松井ラインに続いた山崎がさらに松井を叩きました。7番手になった犬伏がホームから発進。バックで山崎を捲り切り,清水の後ろに松井がスイッチ。真杉も追ってきたもののこちらは行ききれずに不発。直線で踏み込んだ清水が犬伏を差して優勝。犬伏が1車身差の2着に残って四国中国のワンツー。このラインを追った松井が8分の1車輪差の3着で犬伏と松井の間から盛り返した山崎が8分の1車輪差で4着。
優勝した山口の清水裕友選手は昨年8月の松戸記念以来の優勝で記念競輪13勝目。高知記念は初優勝。この開催は大本命の古性が準決勝で敗退。脇本も単騎になったので混戦模様に。山崎の先行に犬伏の捲りとなり,このスピードに後方の真杉と脇本は対応できませんでした。内容でいえば犬伏が強かったといえ,その番手を得た清水が有利になったというところです。この開催全体をみていると,清水はだいぶ復調してきているようにみえましたので,この後も注目でしょう。
この日は会計がとても空いていました。僕の受付番号が871でしたが,その時点ですでに868まで支払いが可能になっていました。これだけ会計が済んでいるのは非常に珍しいことでした。

薬局に寄って帰りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時55分でした。
1月25日,木曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。帰宅後の午後1時50分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。翌日に妹を通所施設に迎えに行く予定になっていたのですが,これを控えてほしいという依頼でした。これは妹が新型コロナウイルスに感染したためでした。
21日に妹をグループホームに送った後,23日の夜になって妹が発熱したために検査を受けたところ,陽性の反応が出たようです。この検査が抗原検査であったのかPCR検査であったのかは分かりません。この電話の時点では抗原検査ではすでに陰性となっていて,妹の熱も下がっているし,食事も摂れているとのことでした。最初の検査の結果が正確なものであったかどうか分かりませんが,正確であればまだ待機期間中なので,移動は避けなければならなかったのです。こうした事情では止むを得ませんので,翌日の迎えはなしということになりました。迎えに行くのは28日にピアノのレッスンが予定されていたからです。これを中止にしなければなりませんでしたから,僕からピアノの先生に電話をして,事情を伝えました。
23日の夜に発熱したのなら最初に検査を受けたのは24日です。この日は妹は通所施設には行かなかったようです。それが25日の時点ですでに陰性というのは不思議に思えましたが,検査の結果がそう出たのでしょうから仕方がありません。発熱はしても食事はすべて完食していたそうですから,妹の体調に大きな問題が出たわけではありませんし,以前にいったように,この時点での新型コロナウイルスについて大きな心配をしなければならないというようには僕は認識していませんでした。ですからこのことについては僕はとくにSさんに何かを質問するということはありませんでしたし,妹のことを強く心配もしませんでした。
前橋競輪場で争われた昨日のまえばし春風賞の決勝。並びは高橋‐山崎の福島,篠田‐佐藤‐阿部の関東,和田に伊代野,佐々木‐小倉の四国。
高橋がスタートを取ってそのまま前受け。3番手に佐々木,5番手に篠田,8番手に和田で周回。残り3周のホームを回り終えたところから和田が上昇。バックで佐々木の横あたりまで上がりましたが,高橋が突っ張ったのでそのまま下げ,周回中と同じ隊列に戻って残り2周のホームを通過。このまま打鐘を迎えて高橋の突っ張り先行となったところから和田がインを上昇。最終的に小倉の後ろに入りました。バックから佐々木が捲ろうとすると山崎が番手捲りを敢行。佐々木は不発になり,小倉は山崎にスイッチ。それに和田も続く形で直線。結局そのまま並びは変わらず,優勝は山崎。小倉が4分の3車身差で2着。和田が4分の3車身差で3着。

優勝した福島の山崎芳仁選手は2020年のいわき平記念以来のグレードレース優勝でGⅢ18勝目。前橋では2008年の寛仁親王牌と2012年のオールスターを優勝しています。このレースは和田の脚力が上位だったのですが,勝ち上がり段階でのレースをみると,少し調子を落としているか,前橋のコースに苦労しているかといった印象でしたので,ほかの選手にもチャンスはあるだろうとみていました。和田は周回中が後方となり,上がっていったところで突っ張られるという最悪に近い展開。その後の動きで好位までは上がれましたが,山崎に番手から発進されて万事休す。その点では高橋の走行がうまかったということで,それに乗れた山崎に展開が向いたということでしょう。
『スピノザ 人間の自由の哲学』に関連する考察はこれで終了とします。僕がこの本を読み終えたのは一昨年の12月14日のことでした。それ以降の日記を記述していきます。
12月15日,金曜日。前日に送られていた個別支援計画書は,僕のサインと捺印が必要な書類でした。この日のうちに郵送しました。実はこの日は妹を迎えに行きましたのでそれを持参することもできたのですが,何度かいっているように,僕はグループホームの関係書類については通所施設には持参せず,郵送することにしています。妹を迎えに行った後,そのままО眼科に向かいました。この日は目薬を処方してもらっただけです。
12月17日,日曜日。午後1時にピアノの先生から電話がありました。この日にピアノのレッスンがあったのですが,その開始時刻の変更のお知らせでした。午後4時からレッスンが行われることになりました。
12月18日,月曜日。妹を通所施設に送りました。午後は内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時10分です。中央検査室には患者が不在でしたのですぐに採血をし,採尿を済ませた後で注射針の処理をしました。
診察が始まったのは午後3時35分でした。
HbA1cは7.8%で11月より高くなっていました。これはおそらく気候の影響で,血糖値の平均値が高くなっていたためです。とくに高くなっていたのは昼食前でしたので,朝食前のヒューマログの注射量を0.05㎎から0.06㎎に増やす措置が取られました。
この日にこれ以外の異常が出ていたのはアルブミンで,下限値の4.1g/㎗を下回る4.0g/㎗でした。下限値を下回るという異常は11月から連続してのものですが,数値としていえば良化していたことになります。
それから主治医から注射針に関する話がありました。僕はマイクロファインプラスという注射針を使用していたのですが,主治医によればこの注射針がマイクロファインプロという名称の注射針に移行しつつあるため,薬局で処方が難しくなる可能性があるとのことでした。もし入手が困難になるなら処方を変更するとのことでした。
伊東温泉競輪場で争われた第9回ウィナーズカップの決勝。並びは新山に浅井,郡司‐深谷‐岩本の南関東,寺崎‐古性‐村田の近畿で真杉は単騎。
古性がスタートを取って寺崎の前受け。4番手に郡司,7番手に真杉,8番手に新山で周回。残り3周のホームから寺崎が誘導との車間を開けると郡司も村田との車間を開けました。バックから新山が発進。寺崎は突っ張りましたがホームで新山が叩いて前に。ここから郡司が上昇していくと寺崎が合わせて発進。打鐘付近で寺崎が郡司を牽制して郡司は不発。寺崎はそのまま上昇。新山を叩くことはできませんでしたが,浅井が新山をマークしきれず,寺崎が新山の後ろに入りました。バックから真杉が発進。これはいい勢いでしたが古性の牽制で勢いを削がれました。古性は最終コーナーから自力で発進。逃げ粘る新山を差し切って優勝。古性の牽制から立て直した真杉が外を追い込んで4分の3車輪差で2着。逃げ粘った新山が半車輪差で3着。
優勝した大阪の古性優作選手は和歌山記念以来の優勝。ビッグはグランプリ以来の11勝目。ウィナーズカップは初優勝。このレースは33バンクらしい激しいレースになりました。先行の意欲が高かったのは郡司だったと思いますが,叩きにいったところで寺崎に合わされて不発。寺崎も新山を叩くことはできなかったのですが,新山の後ろに入ることができたのは幸運でした。展開からは真杉に有利となりましたが,寺崎マークからしっかり牽制し,そのまま発進した古性の走行が素晴らしかったということでしょう。やはり現役では最強で,ほかの選手よりも一枚上という印象が残りました。
ここでは人間の人間に対する感情affectusへの限定を,松田克進が『近世哲学史点描』に収録されている「環境思想からみたスピノザ」という論文の中でいっている,人間中心主義という観点と関連付けて考察します。なおこの論文の初出は『スピノザーナ3号』です。スピノザーナの3号はこのブログではまだ紹介していませんが,僕は読了していますので,いずれ紹介することになるでしょう。なお,人間中心主義についてより詳しく説明しているのは佐藤一郎で,こちらは『個と無限』に収録されている「人間と動物」という論文です。スピノザの思想が環境保護とか動物愛護といった思想と相性の悪さを有しているということを指摘しているのはこちらです。

松田がいっている人間中心主義は,自然中心主義と対をなす概念notioです。これは松田自身が規定しているものではありませんから,ここでは人間中心主義を,僕の観点から規定します。規定するといっていることから分かるように,僕はスピノザの思想の中に人間中心主義といわれ得る思想が含まれていると考えています。
基本的にスピノザは,人間は人間に固有の自然権jus naturaeを有していて,その自然権によって人間以外の自然Naturaを思うがままに利用してよいとしています。つまり人間は自身のために自然をいくらでも搾取してよいという考え方をもっているのです。これが環境保護思想と相性の悪さを有していることは明白でしょう。
ただしスピノザがいう自然権の原理は,第三部定理六に依拠します。したがって,人間が自然をいくらでも搾取してよいのは,それが人間が自己の有に固執するperseverareこと,要するに人間のコナトゥスconatusに一致する限りです。よってある種の環境を破壊することが人間の自己の有の維持に反するということになれば,そうした自然権が人間にはあるとはいえません。むしろそうした自然権はないということになるでしょう。したがって,人間は自己の利益suum utilisの観点からは環境を破壊するより保護することを選択するのであって,この限りでは環境保護思想とスピノザの思想は合致します。これは重要なことなので人間中心主義について説明するときは必ず指摘します。くどいかもしれませんがご容赦ください。
四日市競輪場で行われた昨晩のベイサイドナイトドリームの決勝。並びは三浦‐阿部の北日本,和田に諸橋,中井に小倉,瓜生‐佐藤の九州で牧は単騎。
瓜生がスタートを取って前受け。3番手に三浦,5番手に中井,7番手に牧,8番手に和田で周回。残り3周のバックを出てから和田が上昇。ホームで瓜生を叩きました。諸橋の後ろに牧も続いて3人がバックの入口では前に。ここから三浦が巻き返していき,瓜生がこのラインに続いて打鐘。三浦が和田を叩くと瓜生が発進。三浦と瓜生で先行争いに。この先行争いがバックまで続き,制したのは三浦。和田はバックで三浦と瓜生の中を割るように発進。そのまま先頭に立つとフィニッシュまで粘って優勝。和田マークの諸橋は和田の動きがトリッキーであったために離れかけましたが,和田にスイッチできる選手がいなかったため何とか追走。最終コーナーで阿部と接触して,阿部,小倉,三浦の3人が落車しましたが,直線は和田に迫って半車身差の2着。落車を避けた牧が5車身差で3着。
優勝した神奈川の和田真久留選手は前回出走の平塚のFⅠから連続優勝。2020年の小田原記念以来となるGⅢ3勝目。こちらもウィナーズカップの選出に漏れた選手による争いでしたから前走のF1で優勝している和田は当初から優勝候補。しかもこちらの開催は有力選手の脱落が多かったため,和田にとっては負けられないといっていいくらいの決勝メンバーになりました。先行争いをした両選手の間を突くという走行には驚かされましたが,優勝自体は順当なものといっていいでしょう。
では人間がネコを同類とみなすことがあるのかといえば,僕はあると答えます。このことは吉田が示している例,すなわち見知らぬ男がネコを虐待しているのを表象するimaginariと悲しみtristitiaを感じるという事態が,ネコに対する感情の模倣imitatio affectuumであり,感情の模倣を生じさせるということは第三部定理二七によりネコを自己の同類とみなしていることだということから明らかですが,それよりも論理的にスピノザがこのことを否定するnegareことができないということを示すことができます。

第二部定理三八系は,僕たちの精神のうちには共通概念notiones communesが必然的にnecessarioあることを示していますが,そのことの根拠とされているのが第二部自然学①補助定理二で,そこではすべての物体corpusはいくつかの点において一致するといわれています。したがって人間の身体humanum corpusもネコの身体も,いくつかの点では一致するでしょう。しかるにもしもAとBに一致する点があるなら,AはBを,またBはAを,自身に似たところがあると認識するcognoscere場合があるという条件を一般的に満たすと僕は考えます。ゆえに人間はネコを自分の同類とみなすことがあるのであって,かつネコが感情に触発されてる以上,人間はネコの感情を模倣することがあるということは,スピノザの哲学における論理的な帰結であると僕は考えます。
一方,地蔵については,地蔵が感情に触発されることはないとスピノザはいうでしょうし,スピノザがそのようにいうことができると僕は認めます。第二部定理一三備考から,地蔵にも精神があるということはスピノザは否定することができませんが,精神をもつということと感情に触発されるということは,すでに示したように別のことなのであって,第三部要請一を援用すれば,人間やネコは感情に触発されても,地蔵は感情には触発されないということが可能だからです。そして多くの人が地蔵は感情には触発されないと解するでしょうから,僕もここではその見解opinioに従うことにします。
しかしこのことは,だから人間が地蔵の感情を模倣することはないということを直ちに結論するというようには僕は考えません。というのは,たとえ地蔵自体は感情には触発されないとしても,表象imaginatioは別だからです。
大阪・関西万博協賛競輪in大垣の決勝。並びは佐藤‐永沢‐阿部の北日本,橋本‐鈴木の関東,志田‐山口の岐阜で山本と市橋は単騎。
鈴木がスタートを取って橋本の前受け。3番手に志田,5番手に佐藤,8番手に山本,最後尾に市橋で周回。残り3周のバックを回ったコーナーから佐藤が上昇。山本はこのラインを追走し,市橋は続かなかったので,ホームで佐藤が橋本を叩くと4番手に山本となり5番手は内の橋本と外の志田で併走に。インが開いたので橋本は上昇。永沢の内に並んだあたりで打鐘。佐藤がペースを上げなかったので外から志田がかまして発進。ホームで楽に佐藤を叩いて先行。マークの山口が離れて追走し,山口と橋本の車間は大きく開きました。かました志田はこのまま後ろを寄せ付けずに圧勝。山口は追走に一杯で,早めに発進した山本が5車身差の2着。山本を追うような形になった市橋が半車輪差で3着。
優勝した岐阜の志田龍星選手は前回出走の京王閣のFⅠから連続優勝。グレードレースは初優勝。この開催はウィナーズカップの選出に漏れた選手での争いで,なおかつGⅢの同時開催となっていましたから,FⅠと変わらないレベル。志田はF1の優勝直後でしたから候補のひとりで,力量は鈴木と永沢が上ではあるものの自力の競走ではないため,僕は最有力と考えていました。圧勝になったのはかましのタイミングが抜群であったからですが,2着と3着に単騎の選手が入っているように,こういうレベルの争いでは自力を使う方がマークの競走より圧倒的に有利だと僕は考えています。
デカルトRené Descartesが実際にそのことを認めるかどうかは別として,デカルトの哲学の枠内でも,ネコや馬,地蔵が感情affectusに触発されるという結論を出すことは可能です。それは以下のような論理に依拠します。

スピノザの哲学では第三部定義三から分かるように,感情は人間の精神mens humanaにも人間の身体humanum corpusにも関係します。しかしデカルトの哲学ではそうではなく,感情は人間の身体とだけ関係し,人間の精神とは無関係です。むしろ精神は感情を制御する立場を与えられているのであって,これがデカルトの倫理学の根底を構成します。したがって,スピノザの哲学では感情は身体の刺激状態とみるなら延長の様態modiですが,その観念ideaとみるなら思惟の様態cogitandi modiです。しかしデカルトの哲学では感情はもっぱら延長の様態であって,思惟の様態ではありません。よって仮にあるものが精神をもたないもの,すなわち思惟の様態ではないものであるとしても,延長の様態である限りはそれが感情に触発されるということは,論理的には可能です。デカルトは動物は自動機械automa spiritualeであって精神をもたない,単なる延長の様態であるとしているわけですが,論理的には延長の様態が感情に触発されるということは可能ですから,動物は感情に触発され得ることになります。そして地蔵も延長の様態ですから,地蔵が感情に刺激されるafficiと主張することは,デカルトの哲学の枠内でも可能です。前もっていっておいたように,実際にデカルトがそう主張するということではないのでその点は注意してください。
スピノザもまた地蔵が感情に触発されるということは主張しないでしょうが,すでにみたように,馬が感情に刺激されるということは肯定しているので,ネコが感情に刺激されるということも肯定するaffirmareのは疑い得ません。したがって僕たちは,何らかの感情に刺激されているネコというのを表象するimaginariことがあるということを否定するnegareことができないと僕は考えます。そこで再び第三部定理二七に注目すれば,もしもある人がネコを自分の同類とみなすならば,そのネコの感情を模倣することがあり得るということになります。いい換えれば論理的にはスピノザはそのことも否定することはできないことになります。
玉野記念の決勝。並びは取鳥‐岩津‐柏野の岡山,犬伏‐清水‐松浦の四国中国で吉田と南と山田は単騎。
取鳥がスタートを取って前受け。4番手に山田,5番手に犬伏,8番手に南,最後尾に吉田で周回。残り2周のホームを出てから犬伏が上昇。バックの入口では取鳥を叩き,このラインに続いた南と吉田を挟んで6番手に取鳥となって打鐘。すぐに取鳥が発進。先行争いとなってホームで取鳥が叩きました。取鳥は柏野の位置に入り3番手。バックから再発進。これを岩津がブロックしましたが,ホームの入口では取鳥を捲りました。ただ後方で脚を溜めていた吉田がさらに外から捲ってきて,直線で取鳥を差して優勝。吉田をマークするように追い込んできた山田が1車輪差で2着。犬伏は4分の3車身差で3着。
優勝した茨城の吉田拓矢選手は昨年6月の取手記念以来の優勝で記念競輪7勝目。玉野記念は初優勝。このレースは中四国勢が6人決勝に進出したため,別々のラインを構成。残りの3人が単騎ということもあったでしょうが,ライン同士で猛烈な先行争いとなりました。こうなれば展開は自力がある単騎の選手が有利。南はマーク選手ですから吉田と山田の争いとなったわけですが,道中の位置が吉田の方が前になった分,吉田が優勝で山田が2着という結果に落ち着きました。
この部分の吉田の講義はここで終了なので,感情の模倣affectum imitatioが人間以外にも成立するということに関連する事項の僕自身の考察をして,『スピノザ 人間の自由の哲学』に関連する探究は終了となるのですが,その前に,吉田のこの部分の講義の最後の部分に関して,僕の方から補足しておきたいことがあります。

吉田がいっているように,戦争による飢餓に苦しんでいる人の映像を目にすれば,たとえ国際情勢に関しては何らの関心をもっていない人でも,多かれ少なかれその苦しみの感情を模倣するように僕たちの現実的本性actualis essentiaはできています。したがって,その人を苦しませるように仕向けた専制者が存在するのだとすれば,その専制者は模倣された自身の苦しみの原因causaとして意識されることになるので,その専制者に対しては第三部諸感情の定義七の憎しみodiumという感情を抱くことになります。僕は多かれ少なかれその苦しみを模倣するといいましたが,その感情の模倣が多ければその憎しみは大きくなり,少なければ小さくなるでしょうから,その専制者がどの程度の度合で憎まれることになるかということは人それぞれといわなければなりませんが,たとえ小さくても憎しみは憎しみですから,僕たちがだれかの悲しみtristitiaを模倣すれば,その悲しみの原因として認識されるものに対して憎しみを抱くということが,僕たちの現実的本性であるということは,一般的な事実であるといって間違いありません。
僕は人によってはこのような現実的本性はよいことであると思う人がいるのではないかと思います。吉田はこうした感情の模倣が共同社会状態status civilisにおける人間の紐帯を強くするという意味のことをいっているのでなおさらです。しかし,吉田自身が付け加えているように,これはほかの条件が揃う限りでそうであるというだけなのであって,一般的にそれがよいことであるというわけではありません。むしろスピノザの哲学においては,もしも悲しみという感情の模倣が憎しみという感情を産出するのであれば,それはよいことであるどころかむしろ悪しきことであるといわなければなりません。第四部定理四五に示されるように,それがどのようなものでも憎しみは悪malumだからです。
名古屋記念の決勝。並びは新山‐大槻の北日本,小林‐武藤の関東,郡司‐深谷の南関東に笠松‐山内の愛知で山田は単騎。
山田,郡司,武藤,笠松の4人が誘導を追い,郡司が誘導の後ろに入って前受け。5番手に小林,7番手に山田,8番手に新山で周回。残り3周のバックを出ると新山が上昇。ホームで郡司を叩いて前に。すぐに小林が巻き返していき,バックで新山を叩いて先頭に。引いた郡司が5番手,動かなかった山田が最後尾の一列棒状で打鐘。ホームの手前から新山が発進。ホームの出口では小林を叩きました。ここから郡司が発進。苦労しましたが直線に入るところでは新山を捲りました。直線はマークの深谷が郡司を差して優勝。郡司が4分の3車身差で2着。両者の間を割ろうとした山内でしたが最後は閉められる形となって半車身差の3着となり,このラインの上位独占。逃げた新山が半車輪差の4着で最終コーナーから外を追い込んだ山田が8分の1車輪差で5着。

優勝した静岡の深谷知広選手は静岡記念から連続優勝で記念競輪23勝目。名古屋記念は初優勝。この開催は出場選手の力量にやや偏りがあり,事前から南関東勢が有利だろうと想定されました。そのふたりが順当に決勝まで進出し,この開催の経緯から地元勢が後ろを回りましたのでラインの厚みでもかなり有利に。郡司が捲りに回ったことで優勝もできるような走行とはなりましたが,無風で番手を回った分だけ深谷が差せたというところでしょう。配当通り,きわめて順当な結果になったと思います。
このように連想associtatioが数珠つなぎになっていくと,そのうちに何かと何かが横並びに表象される必要がなくなってくる場合があると吉田は指摘しています。これは僕には斬新な指摘でした。何かと何かに何らかの共通項があるなら,連想のメカニズムが容赦なく働くagereことになるというのが吉田の指摘です。顔立ちがそっくりだとか喋り方がよく似ているとか,職業が同じだとか国籍が同じだとかいった理由によって,その人と別のだれかに対してその人と同じ感情affectusを抱く場合があるというのがその具体的な内容です。吉田はここでは嫌いになるという例,すなわち感情でいえば憎しみodiumの例で説明していますが,これはその逆すなわち愛amorの場合も成立することになるでしょう。つまり僕たちはこうした連想の効果によって,自身とはまったく関係がないような人に対して,憎しみを感じたり愛を抱いたりするようになることがあるのです。よってこのような様式によって,人間関係において中立というような状態は狭まってしまい,僕たちは多くの人に対して愛を感じるかまたは憎しみを感じるかするようになってしまうのです。
さらにこの中立的な状態,つまり愛も感じないし憎しみも感じないという領域を狭めるほかの要因があります。それが感情の模倣imitatio affectuumだと吉田はいっています。連想と感情の模倣の間にはメカニズムの相違があります。連想というのは自分以外のだれかとだれかを結び付けて,前者に感じている感情を後者にも感じるようになるというメカニズムですが,感情の模倣というのは,ほかのだれかの感情を直接的に自分と結びつけるようなメカニズムを有しています。このようにそのメカニズムに相違はあるのですが,感情的に中立という領域を狭めるという効果を有する点で,連想も感情の模倣も一致しているのです。
スピノザは連想については『エチカ』の定理Propositioの中では詳しく示していないのですが,感情の模倣の方はいくつかの定理で示しています。そのうち,最も原理的といえる定理は第三部定理二七です。この定理にあるように,僕たちはだれかのことを表象して,その人が何らかの意味で自分と似ているという意識を有すると,その人の感情を模倣するのです。
24日に豊橋競輪場で行われた第40回全日本選抜競輪の決勝。並びは真杉‐吉田の関東,寺崎‐脇本の福井に三谷,古性‐南の大阪に村田で深谷は単騎。
古性,吉田,寺崎がスタートを取りにいき,誘導の後ろに入ったのは吉田。真杉の前受けとなり,3番手に寺崎,6番手に古性,最後尾に深谷で周回。残り3周のバックに入って古性が上昇開始。残り2周のホームで真杉を叩きにいきましたが,真杉が突っ張りました。古性は吉田の後ろに入り,6番手に寺崎,最後尾に深谷で打鐘。直後に深谷がインから上昇。ホームで寺崎をどかして6番手に入りました。ホームから吉田は真杉との車間を開け始めました。バックに入って寺崎が発進。古性も出ると吉田も番手捲りを敢行。古性は吉田にスイッチしましたが,外の寺崎の勢いがよく,最終コーナーでは前を捲ろうかという態勢。早めに寺崎の外に出していた脇本も踏み込み,捲った寺崎を差して優勝。寺崎が1車身半差で2着で福井のワンツー。やや踏み遅れる形になった深谷が4分の3車輪差で3着。

優勝した福井の脇本雄太選手は競輪祭以来の優勝でビッグは11勝目。GⅠは9勝目。全日本選抜競輪は初優勝。豊橋では一昨年1月の記念競輪を優勝しています。このレースは寺崎の出方がひとつの注目点でしたが,後ろを引き出すのではなく自身の優勝を目指すというレースに。真杉と古性で先行争いをするのは意外でしたが,これがあったために展開は絶好となりました。1車身半の差がついたのは,脇本が早い段階から踏み込んだためだと思います。
現在の考察と直接的に関連するわけではないのですが,これはスピノザの哲学のほかの部分と重要な関連をもちますので,その点も考察します。
第五部定理三では,受動感情Affectus,qui passioはそれについて明瞭判然とした観念ideaが形成されれば,受動であることをやめるといわれています。したがってここで示した例でいえば,菊の花を表象するimaginariと悲しみtristitiaを感じるということが,菊の花の表象像imagoが大切な人の葬儀の表象像と結びついているから悲しみを感じるのだということを,悲しみを感じている当人が明瞭判然と把握すれば,この悲しみは受動感情であることをやめるのです。もっとも,第三部定理五九により,悲しみは必ず受動感情なので,悲しみが受動感情であるということをやめるということは,悲しみが消失するという意味にほかなりません。
このことはその通りですが,これはこの場合にのみ成立します。つまり,悲しみを実際に感じているときに,その悲しみは,菊の花の表象像が葬儀の表象像と自分の精神mensのうちで結びついているということを明瞭判然と認識するcognoscere限りにおいて,その悲しみが受動であることをやめる,いい換えれば悲しみが消滅するということであって,それを明瞭判然と認識したからといって,菊の花を表象しなくなるというわけではありませんし,菊の花と葬儀の表象像の連結connexioが解除されるというものでもありません。したがってこの人が後にまた菊の花を表象することがあったとしたら,そのときはまたその人は悲しみを感じることになります。ただその悲しみもまた,菊の花の表象像が葬儀の表象像と結びついていることを明瞭判然と認識することによって,悲しみであることをやめるというまでです。
もちろんこうしたことが繰り返されることによって,いずれは菊の花を表象しても悲しみを感じなくなるということはあり得るかもしれませんが,こうしたことは単に時間tempusの経過とともに生じることもあるわけですから,そこに特別の意味を見出す必要はないでしょう。葬儀から時間が経過すればするほど,感じる悲しみが軽減していくということは,僕たちが経験的に知っているところであり,このことについて深く説明する必要はないと思います。
小松島競輪場で行われた昨晩のウィンチケットミッドナイトの決勝。並びは新田に松坂,鈴木‐金子‐佐藤の関東,久田‐島川の徳島。
新田,鈴木,島川の3人がスタートを取りにいきました。枠順通り,新田が誘導の後ろに入って前受け。3番手に鈴木,6番手に久田で周回。残り3周のバックを通過した後のコーナーから久田が上昇。残り2周のホームに入って新田を叩きました。鈴木がこのラインに続き,一時的に内の新田と外の新田が島川の後ろで併走。バックに入ってから新田が引き,3番手に鈴木,6番手に新田の一列棒状となって打鐘。バックから新田が発進すると鈴木も合わせて出てさらに番手の島川も発進。鈴木の番手の金子が新田を牽制したので新田は内に進路変更。直線は島川と鈴木,その間を突いた新田と鈴木マークから外を追い込んだ金子の争い。鈴木が制して優勝。新田が4分の3車輪差で2着。金子が4分の1車輪差の3着で島川が半車輪差で4着。
優勝した東京の鈴木竜士選手は2017年のヤンググランプリ以来のグレードレース2勝目。この開催は全日本選抜競輪に出場しない選手での開催で,そうであれば新田が実績からも脚力からも圧倒的上位で,本来ならば優勝しなければいけないメンバー構成でした。新田のミスはおそらく一時的に併走となってしまったところで,即座に引いておくべきだったでしょう。そのミスを鈴木がうまくついたということだと思います。
『スピノザ 人間の自由の哲学』に関連する考察はこれが最後になります。これは第一二回の中の感情の模倣imitatio affectuumに関連する部分なのですが,その前に,同じ一二回の中で,吉田が第三部諸感情の定義一三で示されている感情affectusに対し,不安metusという訳語を与えていますので,この点について僕の考え方を改めて説明していきます。

岩波文庫版の訳者である畠中尚志は,この感情に恐怖metusという訳語を与えています。しかし僕はこのブログの開設時から一貫して,不安という訳語をあててきました。吉田のような有識者が僕と同じ訳語を選択したことは,僕は心強く感じます。
僕がこの感情を不安というのは,この感情が第三部諸感情の定義一二の希望spesの反対感情に該当するからです。希望の反対感情であるなら,それは恐怖といわれるより不安といわれる方が,日本語として適切だろうというのが僕の見解opinioなのです。しかもそれだけではありません。希望と不安は単に反対感情であるというだけでなく,第三部諸感情の定義一三説明でいわれているように,必ず現実的に存在する同じ人間のうちに,ともに存在する感情なのです。つまりもしもある人間が希望を感じているのであればその人間はその事柄に関して不安も感じているのですし,もしもある人間が何らかの不安を感じているときには,その人間はその事柄に対する希望も抱いているのです。このように希望と不安は,単に反対感情というだけではない特殊な関係を有しているふたつの感情なので,それならなおのこと,希望と恐怖という組み合わせで示すよりも,希望と不安という組み合わせで示す方がよいだろうと僕は考えるconcipereのです。
スピノザは第四部定理四七で,希望も不安もそれ自体では善bonumではあり得ないといっています。また,第四部定理五四備考では,人間が理性ratioに従うということは稀なので,共同社会状態status civilisにおいては受動感情である希望も不安も害悪より利益utilitasを齎すという意味のことをいっています。これらの例から分かるように,希望と不安はほとんどの場合でセットで言及されるのであり,この観点からも僕は希望と不安というセットで示す方が,希望と恐怖のセットで示すよりいいだろうと思っているのです。
静岡記念の決勝。並びは新山に浅井,真杉‐坂井の栃木,深谷‐岩本の南関東,嘉永‐荒井の九州で河端は単騎。
深谷がスタートを取って前受け。3番手に真杉,5番手に嘉永,7番手に新山,最後尾に河端で周回。残り3周のバックを出たコーナーから新山が上昇を開始すると,嘉永が合わせるように出ていきました。ホームで深谷を叩いたのは嘉永。バックに戻ってから新山がさらに嘉永を叩いて打鐘。後方になった真杉がすぐさま発進。新山との先行争いになるとみたか坂井は真杉に続かず下りて浅井の後ろに。先行争いは真杉が制し,浅井はスイッチせずに新山を迎え入れたので真杉の後ろが新山に。坂井がバックから再び追い上げていきましたが,その外から深谷が捲り一閃。直線に入るところでは前を捲り切って先頭に立ち優勝。マークの岩本が半車身差の2着に続いて南関東のワンツー。新山が上昇するときに続かず,後ろに控えて深谷の捲りに乗る形になった河端が1車身半差で3着。

優勝した静岡の深谷知広選手は10月の熊本記念以来の優勝で記念競輪22勝目。静岡記念は初優勝。このレースはだれが先行するのかを予想するのも難しいメンバー構成で,展開次第でだれにでもチャンスがありそうなレースだと思っていました。新山の先行は最も考えられる展開だったのですが,真杉が早い段階で発進したので先行争いになり,後方で足を溜めた深谷が有利になりました。河端もこのラインを追っていたと考えればラインでの上位独占ですから,前にいた選手に厳しいレースだったということがよく分かると思います。
第一部定義六により,神Deumは絶対に無限absolute infinitumです。神が絶対に無限であるためには,ある属性attributisは備えていても別の属性は備えていないというわけにはいきません。そうではなく,無限に多くのinfinitis属性を備えていなければならないのです。第一部定義六の前半部分と後半部分は,こうした条件によって接続されていることになります。
とはいえ現実的に存在する人間が認識するcognoscereことができる属性は思惟cogitatuonesと延長Extensioのふたつなので,第一部定理二五系はこの観点から記述されていると解しておくのがよいでしょう。もちろんこの系Corollariumは,僕たちにとって未知の属性の個物Res particularesに対しても妥当するのは間違いないと僕は考えますが,僕たちが延長と思惟のふたつの属性しか認識することができない以上,僕たちが認識できる個物は延長の属性Extensionis attributumの個物である物体corpusか,思惟の属性Cogitationis attributumの個物である物体の観念ideaのどちらかであることになるからです。よって再びこの系に注目すれば,物体は延長の属性によってみられる神を一定の仕方で表現するexprimuntur様態modiであることになりますし,物体の観念は,思惟の属性によってみられる神を一定の仕方で表現する様態であるということになります。
この文脈で重要なのは,表現という点にあると吉田は指摘しています。ただしここでは注意が必要で,日本語で表現というと,することもできるししないこともできるのにときに強制されるものとか,してもよいししなくてもよいのだけれどもときに強制されることといったニュアンスを帯びるかもしれません。たとえば美術の授業で絵画によって風景を表現せよといわれるなら,確かにそれは強制されているといえますし,しかしそのこと自体が授業でないならば,することもできるししないこともできることであり,してもいいししなくてもいいことであるといえるでしょう。
しかしスピノザの哲学でいわれる表現というのはそういうことを意味するのではなくて,もっと切実なことです。吉田のいい方を借りれば,のっぴきならないものなのです。絵画の表現でたとえれば,それは描くという形で表現せずにはいられないようなことなのであり,描くということに固執するperseverareようなことなのです。つまり画家にとっての絵画なのです。
奈良記念の決勝。並びは佐々木に山崎,道場‐松井‐郡司の南関東,古性‐三谷‐山本の近畿で皿屋は単騎。
郡司がスタートを取って道場の前受け。4番手に古性,7番手に佐々木,最後尾に皿屋で周回。残り3周のホームから佐々木が上昇。バックで道場が突っ張ったので佐々木は引き,追走しなかった皿屋が7番手になり,8番手に佐々木という一列棒状に。残り2周のホームから道場が全力で駆けていきそのまま打鐘。ホームに戻って古性が動いていくと松井が番手捲り。古性が郡司の外での競りとなりましたが,どうも郡司が下がってきた道場と接触し車体が故障したようで内をずるずると後退してしまい,松井の後ろに古性。直線に入ってから古性が差を詰めにいき,接戦にはなったものの届かず,優勝は松井。マークとなった古性が8分の1車輪差で2着。古性マークの三谷が1車身差で3着。
優勝した神奈川の松井宏佑選手は昨年9月の熊本のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2021年の小田原記念以来となる3勝目。奈良記念は初優勝。このレースは南関東勢の二段駆けが有力で,すんなりそうした展開になってしまえば松井と郡司の優勝争いになるでしょうから,古性がそうはさせまいと分断策に出るだろうと予想していました。僕は古性が前受けして道場が押さえにきたところで松井のところに飛びつくような展開を想定していたのですが,スタートを郡司に譲るような形で南関東の前受けになりましたので,松井は競られにくくなりました。郡司と古性の競りになったのは展開によるものですが,競りは競輪の醍醐味のひとつではあり,郡司と古性のように力がある選手同士だとなおさらなので,車体故障であっさりと決着がついてしまったのは残念な気がします。直線が短いとはいえ楽に古性にマークされることになりましたので,それを振り切った松井は称えてもよいでしょう。
同様のことは共通概念notiones communesを通しての認識cognitioについての場合にも当て嵌まると僕は考えています。

第二部定理三八系でいわれているように,僕たちの精神mensのうちにはいくつかの共通概念があるのですが,この系Corollariumの証明Demonstratioの様式からすれば,僕たちの精神のうちには,少なくとも延長の属性Extensionis attributumの十全な観念idea adaequataがあるということが帰結しなければならないと僕は考えています。このことについてはかつて検討しましたので,ここでは詳細は省きます。そしてこの延長の属性は神Deusの本性essentiaを構成する属性なのですから,これは神を十全に認識するcognoscereということと同じことであると僕は考えています。したがってこの観点からも,現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちには,神の十全な観念が必然的にnecessarioあるということが出てくるという見解opinioを僕は有しているのです。
しかしこの観念が,第一部定義六でいわれている神の観念を余すところなく表現しているかといえば,ぼくはそのようには考えません。これもまた延長の属性によって説明される限りでの神の十全な観念が僕たちの知性intellectusのうちにあるということを意味するのであって,絶対に無限な実体substantiaとしての神,無限に多くのinfinita属性によってその本性を構成される限りでの神の十全な観念が僕たちの精神のうちにあるという意味にはならないと僕は考えるconcipereのです。
何度もいうように,神が絶対に無限な実体であるということ,神の本性が無限に多くの属性によって本性を構成されていなければならないということについては,僕たちは十全に理解するintelligereということを僕は認めます。しかし僕たちの知性のうちにある神の十全な観念は,僕たちがそのように理解している神の観念であるというわけではなく,延長の属性によって説明される限りでの神の観念であるか,そうでなければ延長の属性に対応する思惟の属性Cogitationis attributumによって説明される限りでの神の観念だと僕は考えるということです。そしてここのところを同一視すること,僕の立場からいわせれば混同することには,僕は疑義を有します。つまり僕たちが神を十全に認識するからといって,第一部定義六で定義されている神を余すところなく十全に認識しているということにはならないと僕は考えているのです。
高松記念の決勝。並びは郡司‐松谷‐福田の神奈川,田中に成田,犬伏‐島川‐香川の四国に坂本。
成田がスタートを取って田中の前受け。3番手に犬伏,7番手に郡司で周回。残り2周のホームの入口から郡司が上昇。犬伏が合わせなかったので郡司は成田の後ろに。3番手が郡司,6番手に犬伏という一列棒状で打鐘になりました。ここから犬伏が発進。郡司が合わせようとしましたが,外から犬伏が前に。松谷の牽制を受けた島川がやや離れ,バックに入って郡司も島川を大きく牽制。これで郡司が犬伏を追うことになり,郡司の動きに松谷が離れたので,成田が郡司の後ろにスイッチ。バックではかなり車間が開いていたのですが,直線に向けて徐々に差が詰まり,差し切った郡司が優勝。マークになった成田が半車身差の2着。バック先頭の犬伏が4分の3車身差で3着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は松阪記念からの連続優勝で記念競輪22勝目。高松記念は初優勝ですが,2017年のウィナーズカップを当地で制しています。このレースは郡司の脚力が上なので,逃げなければならないような展開にならない限りは勝てるのではないかと思っていました。田中の前受けというのは意外な展開だったと思うのですが,後方から動いて無理なく3番手に入れたのが大きかったです。それでも犬伏には一旦は出られてしまったわけで,完勝といえるような内容ではなったのも事実ではないでしょうか。
様態modiという語の元来の意味は,大きさとか尺度であったそうです。これが転じてもっと広きにわたるようになり,ものごとの定まったあり方や性質,状態などを意味するようになったと吉田は説明しています。このラテン語から容易に推測できるように,これはモードの語源なので,哲学で様態といわれるときは,モードと訳した方が,現代の僕たちには分かりやすいのではないかと吉田は提案しています。つまり黒猫が歩いているというのは,ネコという実体substantiaに,黒という色のモード,歩くという動作のモードがあるということで,黒毛のモードのネコが歩行というモードに入っていると理解するということです。スピノザ自身がいっているように,事物は十全に観念されることが重要なのであって,ことばによってどう表現されるのかに重要な意味があるわけではありません。なのでこの方が理解が容易であるというのなら,そう理解した方がよいだろうと僕も思います。

とはいえ,スピノザの哲学における実体とか様態といったものが,ここまで説明してきたように規定されているわけではないということは,よほどの初心者でない限りは心得ているところでしょう。ネコの実体とかイヌの実体などというのは,実体という語句の説明のためには無益ではないかもしれませんが,実際にスピノザがそういう実体を想定しているわけではありません。第一部定義三でいわれているように,実体というのはそれ自身のうちにあり,かつそれ自身によって概念されなければならないのであって,ネコとかイヌとかいったものは,その定義Definitioからは外れることになるからです。そしてここが重要なところですが,このことが意味するのは,第一部定義三のような仕方で実体を定義するのであれば,一般に実体として考えられているようなものはすべて,すべてがいいすぎならほとんどは,実体ではないということになるということです。といのも,もしそれがそれ自身のうちにあってそれ自身によって考えられるなら,そのものは存在するために自分以外のものは不要ですし,それを概念するために別の概念notioを必要としないでしょう。いい換えれば一切の外部を必要としないことになるでしょう。
松坂記念の決勝。並びは深谷‐郡司‐岩本の南関東,古性‐岩津の西日本,山田‐小川の九州で佐藤と浅井は単騎。
古性と郡司がスタートを取りにいきました。その後でちょっと牽制になったのですが,古性は最初から前受けをするつもりはなかったようで,誘導の後ろに入ったのは郡司。深谷の前受けとなり,4番手に古性,6番手に浅井,7番手に佐藤,8番手に山田で周回。残り3周のバックから山田が上昇し,ホームの入口では深谷の横に。深谷が突っ張ったので山田は引きましたが,外に出した古性が追い上げて,山田の外に並んで打鐘。4番手は山田,小川と順に古性を弾き,山田が確保。浅井がインから追い上げて小川の後ろに入り古性は7番手に。バックから浅井が捲っていくとそれに合わせて山田も発進。浅井は内に下りようとして佐藤と接触。佐藤,小川,岩津の3人が落車。残り1周のホームの出口から深谷との車間を徐々に開けていった郡司は山田を引き付けてから踏み込んで優勝。山田が半車身差で2着。郡司マークの岩本が4分の3車身差で3着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は小田原記念以来の優勝で記念競輪21勝目。松阪記念は連覇で2勝目。2019年の共同通信社杯も当地で勝っています。このレースの注目点はふたつで,ひとつは深谷‐郡司という強力な並びを分断しにいく選手がいるかということで,もうひとつは仮に南関東勢がすんなり先行となった場合に古性が捲れるのかといううこと。だれも分断策には出ず,古性の位置取りが悪くなりましたので,郡司には最高の展開になりました。引きつけずに発進すれば岩本とのワンツーになったと思われますが,これは先行した深谷をなるべく上位に残すための走り方で,基本的に郡司はこのような走行をします。古性は深谷が突っ張ることを見越して,動かずに岩本の後ろを回っていた方がよかったでしょう。これは作戦の失敗だと思いますが,山田がよく頑張ったともいえると思います。
このように考察を進めてくると,このことはこれまでに探究したことがあるいくつかの事柄とも深く関連しているように僕には思えてきました。

第二部定理七系でいわれているように,神が思惟する力Dei cogitandi potentiaは神が行動する力agendi potentiaと等しいので,ある形相的有esse formaleが何らかの属性attributumのうちに存在するなら,その観念ideaが思惟の属性Cogitationis attributumのうちにあることになります。このとき,書簡六十四および書簡六十六でスピノザがいっていることは,Aの属性のある個物res singularisの観念と,それとは別のBの属性の個物の観念は,同じように観念という思惟の属性の個物であるのだけれど,それらは様態的にmodaliter区別されるのではなく実在的にrealiter区別されなければならないということであると僕は解しました。もしもそれらが様態的に区別されるのであれば,たとえばAの属性の個物はAの属性の様態modusだけを認識するcognoscereのではなく,Bの属性の様態も認識することになるでしょうし,そればかりではなく無限に多くのinfinitaすべての属性の様態も認識されることになります。しかしそれらの書簡でスピノザは明確にそれを否定しています。ということは,各々の属性の観念の区別distinguereは様態的区別ではなく実在的区別でなければならないのです。
もしもそれらが様態的区別であれば,僕たちは僕たちにとっての未知の属性の個物の観念も有することができるといわなければなりません。チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausはこの路線でスピノザの主張を解していたのです。そしてこの場合は,僕たちは僕たちの世界と別の様態によって構成される別の世界を認識することができるようになりますから,僕たちの世界の外部に別の世界があるというように認識することになります。いい換えれば僕たちの世界には外部があると認識します。ところが実際にはこのチルンハウスの解釈は誤りerrorで,物体corpusの観念と未知の属性の個物の観念は実在的に区別されるのですから,僕たちの精神mensがそうしたものを認識することはありません。よって僕たちは僕たちの世界以外の世界を認識することがないので,僕たちの世界の外部には別の世界はないと結論することになります。つまり僕たちの世界には外部はないという結論に至るのです。このように,この区別も内在と関連するのです。