スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ザ・グレート・カブキ&ディオニスの過去

2016-09-26 19:41:39 | NOAH
 『全日本プロレス超人伝説』の第9章はザ・グレート・カブキです。
                                     
 カブキというレスラーが誕生したのは1980年1月。これは僕のプロレスキャリアが始まる前。テキサスでのことでした。当時のテキサスのプロモーターはフリッツ・フォン・エリック。超獣がベビーフェイスとして戦っていて,そのライバルとして指名され,ペインティングを施したカブキが誕生しました。ブロディの全日本復帰にはカブキも尽力したそうですが,ふたりが知り合ったのはこの頃だったということになります。
 渡米する前は日本プロレスでのみ試合をしていて,全日本プロレスに初登場したのは1983年2月。日本ではカブキではありませんでしたから,これがカブキの日本初登場だったことになります。日本陣営ではありましたが,外国人選手の初来日に近い形だったことになります。その後もアメリカと日本で掛け持ちのような形でしたが,全日本に定着。コーチ役も兼ね,田上明を主に指導したのはカブキだったようです。天龍源一郎が退社した後,ジャンボ・鶴田とのコンビで世界タッグも獲得しましたが,1990年7月には辞表を提出。SWSに移籍しました。
 ペインティングをしたり毒霧を吹いたりと,ヴィジュアル面では派手でしたが,レスリングそのものは地味だったと思います。基本的にトラースキックとアッパーカットを主軸に試合を組み立て,そう多くの大技を出すことはありませんでした。そういった自身のスタイルも関係していたのかもしれませんが,若い選手が派手な技の応酬を繰り広げることには肯定的ではなかったようです。三沢が若手時代に指導にあたったのは佐藤昭雄で,佐藤もレスリングは派手ではありませんでしたが,三沢が飛び技を使ったりすることを肯定的に評価していました。もしその時代にすでにカブキが指導を担当していたら,日本のプロレスの歴史が変わっていた可能性もありそうです。

 セリヌンティウスが躊躇いなく人質になることを決断したことがディオニスの改心の動機にならず,帰って来れば処刑されると分かっていたメロスが逃げずに帰ってきたことはディオニスの改心の動機となり得たのは,おそらく次のような事情からです。
 セリヌンティウスは,人が他人のことを簡単に裏切るものであるという人間観を有していました。しかし同時に,人は他人のことを容易に信じるものであるという人間観も有していたのです。論理的にはこのふたつは両立しないので,プロットの構成として不自然であると考えることはできるのですが,ディオニスの精神のうちではこのふたつが両立し得たのです。なぜならディオニスはこの相反する人間観を論理的に導き出したわけでなく,経験から,それも自身の経験から導き出したからです。すなわちかつてディオニスは他人のことを簡単に信じ,その信頼のゆえに痛い目に遭ったことがあるのです。たぶん1度のことでなく,何度か経験していたのだろうと僕は推測します。そのゆえに,人は容易に他人を裏切るのだから,簡単に信用してはいけないということを自身への戒めとしていたのです。これならば,人間が容易に他人を信じるという人間観と,信頼された当の人間が相手のことを容易に裏切るという人間観は両立し得るでしょう。かつてディオニスは容易に他人を信じる人間であり,かつその信頼を裏切られた経験も有しているからです。こうした経緯でディオニスは暴君へと変貌したのでした。
 このために,『走れメロス』のテクストのうちには,具体的にではなくてもディオニスの過去を暗示するプロットの挿入が必須になりました。それが捕えられたメロスとディオニスの間での会話となったのです。メロスとセリヌンティウスがどういう関係であるかは説明不要ですが,ディオニスの過去はいくらかの説明が必要であったということです。
 ディオニスはメロスの提案を受けたとき,セリヌンティウスは容易にメロスを信頼するだろうと思いました。だからそれには疑問を呈しません。そしてメロスはセリヌンティウスを裏切るだろうと思ったのです。これでこれらのプロットは解釈可能です。
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