スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

妙手⑥&体重測定

2009-08-30 18:47:10 | ポカと妙手etc
 第20期竜王戦1組1回戦より。変形の相矢倉戦から終盤の争いに入ったところ。
           
 △6五銀と銀を取った局面。詳細は省きますがこの局面は後手良し。そこで先手が勝負手で迫ります。まず▲2五桂。普通は歩ですがないので仕方がない。△同歩▲同飛△2四銀に▲6五飛寄と,こちらの飛車で銀を取り返します。対して△5三桂(第2図)と受けました。
           
 結果的にいうと,この桂打ちが痛恨の敗着になりました。△5五歩のような手の方が優ったようです。ただ,△5三桂というのはもらったばかりの桂を飛車に当てて打つ,受けとしても強い手で,これが敗着になったというより,この後の先手の寄せを誉めるべきかもしれません。まず▲1四銀。△同玉の一手に▲1五香。△同銀の一手に▲2二飛成と迫ります。△2四歩に今度は▲2五銀と捨て,△同歩▲同龍△1三玉▲1四歩△1二玉。そこで▲6二飛成とこちらの飛車を使って△3二桂に▲1五龍(第3図)で銀を入手しました。
           
 ここで後手は一旦△2四銀と受け,▲1三歩成△同銀▲2五桂に△7九角ですが,これは形作り。▲9八玉△9七香▲同金△8八銀に▲2三銀(投了図)で先手の勝ちになりました。
           
 投了図で△同金は▲3二龍で簡単ですから,△同玉ですが,▲3三桂成△同玉に▲5三龍と取る手があり,その桂を2五に打って後手玉が詰みます。かえすがえすも第2図の△5三桂が後手には痛恨の一手でした。

 これが1月2日の朝一番,すなわち体温を測ったときと同じときであったかどうかは忘れてしまったのですが,少なくともこの日の午前中に,看護士が体重計を持ってきまして僕は体重測定をしました。ベッド上安静とはいえ,ベッドの上で体重計に乗ることはできませんので,このときだけ,僕はベッドから下りました。たぶん翌日も体重を測ったように思いますので,この部屋でベッドから下りたのはその2回ということになります。
 僕がベッドに仰向けになったとすれば,体重計はベッドの左側に置かれました。これは点滴を左腕に刺していた関係で,僕が右側には下りることができなかったからでしょう。ただ,胸に装着した器具は,右側の機械に繋がっていましたので,このときはコードがこんがらがらないようにこれを外しました。たぶんこの日の午後,胸のおそらくはレントゲン写真を撮影しに,おそらくそれ専門の技師と思われる方が来たのですが,このときも外していますので,これは3度外したことになります。なお,この撮影というのは糖尿病の治療の一貫として行われたのではなく,入院している患者は全員が撮影されていたものと思います。これは一般病棟でもあったのですが,僕が撮影されたのはここでの1回限りでした。
 さて,計測された体重は43キロでした。クリスマスの時点で僕は自分のを見て,痩せたように感じていましたが,それが確かめられたわけです。確かに元から体重は軽い方ではありましたが,身長が今くらいになってからは,さすがにこれだけ体重が軽くなってしまったのは初めてのことでした。
コメント

永遠の相&体温

2009-08-28 19:12:39 | 哲学
 分裂病と躁鬱病のふたつの型に人を分類するとき,なぜスピノザが分裂病圏に入るといえるのか。それは『漱石,もう一つの宇宙』の著者である塚本嘉壽さんが書いている前回に紹介した文章の中に,「「永遠の相の下に」仕事をする分裂病圏の科学者」と書かれているからなのです。
 これは,躁鬱病圏の科学者を説明するときに唐突に出てきます。永遠の相の下に,という部分がかぎ括弧で括られていますから,それが別に出典をもつということは理解できますが,これには何の説明もされていませんし,またこの部分に脚注がつけられているというわけでもありませんので,このことばを知らない人が読めば,そのまま通り過ぎてしまうかもしれません。そもそもこの本は,病跡学に興味がある人か,そうでなければ僕のように夏目漱石に興味がある人が主な読者層になっていると思いますので,あるいはそのまま読み飛ばしている方は,意外と多いかもしれません。
 実はこの「永遠の相の下に」ということばは,『エチカ』の第二部定理四四系二に出てくるのです。「物をある永遠の相のもとに知覚することは理性の本性に属する」。
 これにより,永遠の相の下というのは,少なくとも哲学の世界では,スピノザの哲学の代名詞のようなことばになっています。たぶん,一般に最も知られているスピノザのことばは,このことばではないかと思います。
 したがって,塚本さんがこれを書いたとき,スピノザを意識していたことは間違いありません。よって少なくとも塚本さんが,スピノザは分裂病型に分類される哲学者であると考えていることは,間違いないところだと思われます。

 病院のタイムスケジュールがどのようになっているのかということは後で詳しく説明しますが,朝の6時になりますと看護士が部屋に入ってきて,窓のカーテンを開けます。これはHCUでも一般病棟でも同様でした。したがって1月2日もこのようにして始まったということになります。
 実をいいますとHCUという病室には,僕は病院のベッドに載せられたまま運ばれてきましたし,HCUから一般病棟へ移動するときにもこれは同様でした。そしてHCUではベッド上安静でベッドから下りることができなかったわけですから,僕はHCUの部屋の作りというのは分かりましたけれども,どんなに近くであってもこの部屋の外に出てみるということができませんでしたので,この部屋が病院内のどこにあったのかということを実は知りません。なので部屋自体が建物全体の中でどのような方角であったのかということも分からないのです。ただ,ベッドで僕が横になっている体勢から見れば,窓というのは左の一番奥,僕が仰向けになった場合の左の一番奥でした。部屋の作りに関してはすでに説明しましたが,僕のベッドからはこの左側の方が奥行きがありましたから,ベッドの上まで日が差し込んでくるということはありませんでした。
 この部屋では朝一番で体温を計測したのですが,この1月2日の朝には僕の平熱に近いくらいありました。実は前日,病院に運ばれたときにも,血糖値が計測された後で,体温や血圧などの計測もあったのですが,そのときは僕の体温は35℃台でした。これは僕からすれば異常な低体温であったというべきで,ここからも僕の身体がかなりの危機に瀕していたということが理解できます。そして逆にいうならば,翌2日の朝の時点ですでに,僕ははっきりと快方に向っていたといえるのではないかと思います。
コメント

アフター5スター賞&睡眠

2009-08-26 21:04:35 | 地方競馬
 実績馬に上昇馬が入り混じって上位伯仲といったメンバー構成になった今年のアフター5スター賞
 先手を奪ったのはトーセングラマー。2番手にケイアイジンジン。ラストチャンピオン,ダンディシャーク,シーチャリオットが続き,前半の600メートルは34秒2。それでもハイペースです。
 道中から追い上げをみせたのはパワフルダンディーでしたが,前の2頭が後ろを離し加減で直線に。よい手応えから追い出されたケイアイジンジンが楽に捕え,そのまま優勝。直線でもよく追ってきたパワフルダンディーが2着で,大外を追い込んだディアヤマトが3着でした。
 優勝したケイアイジンジンはJRA1勝で今年に入って南関東に移籍してきたアメリカ産の3歳馬。南関東ではこれが2勝目で,南関東重賞は初制覇。1分12秒3という勝ちタイムは非常に遅く,レベルの低さにも救われた格好。51キロという斤量もよかったのでしょう。
 人気は低かったものの,この馬に騎乗する選択をしたことが正しかったと証明した大井の的場文男騎手は2月の金盃以来となる南関東重賞制覇。このレースは以前は1800メートル戦でしたが,その時代に1勝していて,これがこのレース2勝目。管理しているのは大井の久保田信之調教師で,こちらはこのレース初制覇です。

 HCUでは6時間ごとに検査がありました。このうち主なものは血糖値の推移をみるもの。血糖値の計測というのは,血液中のブドウ糖の値を測るものですから,当然ながら採血というのが必要になります。後に説明しますように,これだけのことだとそう多くの血液を必要とはしないのですが,ほかの検査もありますし,そのたびに注射をして採血をしていては大変だろうということで,左手の手首,脈の辺りに,採血用の器具を埋め込んで,そこから採血できるような処置がとられました。実はこの器具を装着するときに,これはかなり痛いですと言われていたのですが,やってみればそれほどでもありませんでした。あるいはそう脅された効果があったからかもしれません。左手は肘の裏辺りに点滴をつけていましたので,これで二本の針が刺さった状態となりました。
 点滴の方は一般病棟に移動してすぐに外されましたが,この採血用の器具の方はそちらに移動してからも少しの間はつけていたように思います。これはテープで手首に固定しておくのですが,そのテープがはがれてしまったので,夜中にナースコールを鳴らしたことがありました。これが一般病棟に移ってからのことですから,少なくとも3日の夜にはまだこの器具はつけたままになっていたということです。ちなみに,これは後でまた話しますが,5日の午前中に僕はシャワーを浴びていますので,そのときにはすでに外されていたということになります。
 一方,点滴の方は,ちょっとでも異常があるとブザーが鳴るような仕組になっていました。また,HCUでは胸におそらく心臓の動きをみるのであろう器具もつけていたのですが,これも同様。しかも何でもなくてもよく鳴りますし,検査もあり,またライトの強烈な明かりもあって,なかなか連続して眠るということはできませんでした。このために昼でも眠くなってしまい,うつらうつらとしてしまうということもよくありました。
コメント

高松記念&使い方

2009-08-25 19:06:43 | 競輪
 22日に初日を迎えた高松記念。今日が決勝(動画)でした。並びは村上-山口幸二-島野の近畿中部,守谷-富-山口貴嗣で西国,渡部-香川の四国で佐藤が単騎。
 内から渡部がSを取って前受け。中団に村上,佐藤は6番手に入り後方から守谷の周回。残り2周から守谷が上昇し,佐藤が4番手にスイッチ。守谷がバックで渡部を叩いて前に出ると,打鐘から村上が巻き返していき先行争いに。これは村上が制しましたが,島野が離れ,富が3番手にスイッチ。その富が直線入口から踏み出し,一旦は先頭に立つも,5番手から外に持ち出した佐藤の伸びが鋭く,まとめて交わして優勝。富が2着で3着は村上番手の山口幸二。
 優勝した福島の佐藤慎太郎選手は6月の福井記念に続く5度目の記念競輪優勝。福井と同様にここも単騎で,レース展開は福井のときより厳しかった筈で,それでも優勝できたというのは,やはり力を取り戻してきているということの何よりの証明ではないかと思います。富がうまくスイッチした点だけは幸運でした。

 何かの役に立つかもしれませんし,実際に僕が苦労したことですので,尾篭な話ではありますがあえて書き残しておきます。
 僕は男ですからペニスがあります。したがって尿瓶を用いて排尿する場合というのは,尿瓶の入口にペニスを差し込むわけです。これはだれが考えてもそうするでしょう。ところが尿瓶というのは,おそらく多くの人がそう思っているよりもずっと安定性を欠きます。僕の場合もそうでしたので,そのために苦労して,試行錯誤することとなったわけです。
 結局のところ,中腰のような体勢をとり,尿瓶はベッド上に置いて排尿するというのが一番いいのではないかと,経験者としては思います。ただし,このときにひとつ気を付けておかなければなりません。普通,男が排尿するときには,ペニスが気になるものです。しかもこの場合,普通にトイレで排尿するのとはまったく状況が違いますのでなおさらです。しかし,本当に注意を向けておくべきなのは尿瓶の方です。尿瓶は安定感が悪い上に,少々傾いただけで中身がこぼれてしまうような構造になっているからです。したがって尿瓶を使っての排尿時には,尿瓶を押さえている手,僕の場合には左手でしたが,こちらにむしろ神経を集中させ,力を抜いてはいけないのです。
 試行錯誤といいましたが,実際にこれはそうで,僕はこの方法を採用するまで2度ほどベッド上に自分の尿をぶちまけてしまい,仕方がないのでナースコールを鳴らして,シーツ等を換えてもらいました。しかしこの方法を採るようにしてからはそうした失敗はなくなりました。
コメント

プロレスキャリア以前&尿瓶

2009-08-23 19:07:17 | NOAH
 最初にお断りしておきますが,今日から始めるこのコーナーでは,選手の敬称を省略します。
 僕のプロレスキャリアの始まりについてはすでにお話しました。年号でいいますとこれは1981年。夏から秋にかけてということになります。しかし僕はそれ以前のプロレスについても,まったく知らないというわけではありません。
 この当時,新日本プロレスは第1回のIWGPを控え,アントニオ猪木はNWF王座を返上していました。猪木はこのタイトルを賭けてスタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンなどと抗争を繰り広げていたのですが,僕はそれについては文字や写真で知っているだけ。シンはこのときにはすでに全日本に移籍していましたし,ハンセンに関しては後に詳しく触れることになるでしょうが,この年の暮れのMSGタッグリーグにはディック・マードックと組んで出場していますが,その直後にやはり全日本に移籍。よって僕は猪木対シンは試合の一部の映像しか見ていませんし,猪木対ハンセンのシングルマッチの場合にもやはり同様です。
 一方,全日本の方はちょっと事情が違います。かつて日本テレビの深夜に古い時代,つまり僕のプロレスキャリア以前の試合が放映されていました。また現在でもG+ではプロレスクラシックとして,さすがにもう僕のプロレスキャリア以降の試合も多いですが,何年か前まではキャリア以前の試合が多く放送されていましたし,現在でもキャリア以前の試合が放映されることがあります。僕はそうしたものはいくつか見ていますので,新日本と違って,プロレスキャリア以前の試合も映像として見ているのです。その中に,だんとつに面白く思えた試合がありますので,それを次の機会に紹介しましょう。

 一口にベッド上安静といっていますが,ベッドから下りることができないということは,当然ながら排尿であれ排便であれトイレに行くということができないわけです。僕は元旦の朝にトマトを食べたものの,それ以降は何も食べておらず,栄養分の方も点滴で補給しているという状態でしたから,3日にこの状況から解放されるまで,排便の方はなかったのですが,排尿はありました。入院してから多尿の方はだいぶ解消されていましたが,飲み物に関しては,カロリーがないもの,すなわち水とかお茶といった類のものは自由に飲んでいい,それどころかむしろ多く飲むように言われていましたので,ベッドの左手の冷蔵庫にペットボトルを入れ,それを飲んでいました。というよりも,入院中というのはやれること,やっても許されることというのがかなり限られていて,ましてやHCUではベッドから下りることさえ許されないわけですから,こうした飲料の摂取というのは,数少ない許されていたことのひとつだったということになり,普通に生活している場合よりも多くの水分を摂っていたかもしれません。口渇もすぐに治まりましたから,必要があったというわけではないのですが,それだけの水分を口にしていたわけですから,それまでの生活と同じ程度の,あるいはそれ以上の排尿というのがあったわけです。それでその場合には,ベッドに掛けてあった尿瓶を利用することになります。
 ところがこの尿瓶の使い方というのは意外に難しい。入院中に最も難儀したことが何かといえば,僕は第一にこれを挙げます。そもそもこれはどのように使用すればいいのかということは,知らない人も意外と多いと思いますし,かといってどう使えばいいのですかとも尋ねにくい。僕もそうでして,結局,試行錯誤した上で,最もやりやすい方法というのをようやく発見したというところです。
コメント (4)

王位戦&部屋

2009-08-21 19:30:31 | 将棋
 木村一基八段が3連勝した後,深浦康市王位が1勝を返して迎えた第50期王位戦七番勝負第五局
 深浦王位の先手で角換り相腰掛銀先後同型。しっかりした定跡もありますので1日目から激しい戦いとなり,72手も進みました。
           
 第1図が封じ手。後手が△8一飛と引いたので生じた手で,以下は△8四飛▲3三歩成△同銀▲4五桂(第2図)。これは7二に角を打ってあるので成立する手です。反面,第1図からは,▲1二歩△同香▲1一角のような攻め筋もあり,それはできなくなりました。ただ,実戦の順を選んだということは,深浦王位は桂馬を跳ねるこの順の方が有力であると判断したと推察できます。
           
 第2図からは,後手はこの角を飛車と刺し違えて寄せにいく指し方を選びました。
           
 結果的にみますと第3図からの▲4二歩の垂らしが巧妙だったようです。後手は▲4一飛~▲3四桂を防ぐためにそこで△4三銀と引きましたが,▲4一歩成△2二玉▲3五桂△3四銀▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲3四飛で手順にこの銀を取られてしまいました。そこで△8七歩(第4図)。
           
 詰めろで垂らされ取ることもできないので先手ピンチにも見えますが。ここで▲3一銀。取るのは▲2三桂成で詰むので△1三玉ですが▲1四歩△同馬で先手玉の詰めろが消えたので▲2一飛。△8八銀▲6八玉△1二香に▲2三桂成と取り,△同金▲3三飛成(第5図)で後手玉に必至がかかりました。
           
 以下は先手玉が詰むかどうかですが,これは詰まず,先手の勝ちとなりました。
 ここも深浦王位が踏ん張り第六局へ。これは来月8日と9日です。

 入院のために最初に入ったHCUという部屋がどんなところであったのかを説明しておきましょう。
 基本的にここはかなり大きな部屋を,中央の立てかけ式のカーテンで半分ずつに区切ってありました。カーテンの向こう側にはもうひとり,僕とは別の患者がいました。看護士と話しているような声は聞こえましたけれども,ベッド上安静というのはお互いに同じですから,どんな顔の人であったかということはまったく分かりませんでした。
 このようにふたつに区切ってあってもこの部屋は広かったです。後に移動した4人部屋の一般病棟とは雲泥の差。僕がベッドで仰向けになると,右側中央が入口のドア。左側が窓でしたが,この左側の奥行きはかなりありました。ベッドの右手側には作業台のようなものがあり,検査のための注射の際などには看護士がここを使いました。採血などは深夜にもあるため,大きなライトも備え付けてあったのですが,これは消すことが許されなかったので,眠るときには閉口しました。一方,左手側にはパソコンがあり,これは投薬などのときにやはり看護士や医師が使用しましたが,病院の案内なども見られるようになっていました。また,カードが必要でしたが,このパソコンでテレビも見られました。そのパソコンの下に小さ目の冷蔵庫があって,これはテレビ用のカードと同じカードで動くようになっていました。
 この奥がまだあって,そこに着替えなどの荷物が置いてありました。また,椅子があって,見舞い客はそこに座れるようになっていました。もっともこの部屋にいた間にやってきたのは母だけでした。
 とはいえ,僕はベッド上安静で,この部屋ではベッドから下りられなかったわけです。なので僕にとってはこの部屋の広さは,ある意味では無駄な広さではありました。
コメント

スパーキングサマーカップ&HCU

2009-08-19 21:01:32 | 地方競馬
 馬券的には難解な,実力拮抗のメンバー構成となったスパーキングサマーカップ。シスターエレキングが発熱で出走取消となり全13頭。
           
 好発はベルモントプロテアも出鞭を入れてゴールドイモンの逃げ。ベルモントプロテアが番手に控え,その後ろにヴァイタルシーズ。さらにマンオブパーサーとマルヨフェニックスが続く展開。前半の800メートルは49秒2のミドルペース。
 3コーナーを過ぎたところからヴァイタルシーズが外を捲って進出。ゴールドイモンとベルモントプロテアは一杯になり,ヴァイタルシーズが先頭で直線に。しかし動くのが少し早かったようで,直線半ばで脚色が鈍ったところ,ヴァイタルシーズとマンオブパーサーの間からマルヨフェニックスが突き抜けて優勝。59キロも中団から豪快な伸び脚を発揮したルースリンドが2着で,ゴール前でヴァイタルシーズを捕えたマンオブパーサーが3着。実績が上の3頭が上位を占める結果となりました。
 優勝した笠松のマルヨフェニックスはやはり遠征してきた一昨年の黒潮盃を勝っていますので南関東重賞2勝目。実績馬の中では斤量が最も恵まれていて,問題は経験の少ない左回りでしたが,練習を重ねていたとのことで,その成果が出たようです。母系祖先はアストニシメント
 鞍上は笠松の尾島徹騎手で,管理しているのは柴田高志調教師。この馬で2度目の南関東重賞制覇です。

 病院に運び込まれてすぐに入院することが決まったのですが,それは一般病棟ではありませんでした。これは別に病室に空きがなかったからというわけではなくて,それだけ症状が重く,多くの治療が必要になるからでした。それで僕はこの日のうちに,HCUという部屋に移動しました。移動するといったって,これはもちろん歩いていくというわけではなく,僕は,ベッドからベッドへの移動というのを別にすれば横になっているだけで,看護士に運んでもらったわけです。そしてその部屋が,とりあえずの入院部屋となりました。
 ICUということばは,聞いたことがあるという方もいらっしゃると思いますし,僕も知っていました。これはIntensive Care Unitの頭文字を取ったもので,日本語では集中治療室といわれています。僕が入院することになったHCUというのは,High Care Unitの頭文字を取ったもので,日本語で何というのかは知りません。ごく簡単にいえば,集中治療室に入るほどではないけれども,一般病棟には入れないという患者のための部屋,要するにICUと一般病棟の中間の部屋という理解でいいのではないかと思います。
 ICUに入りますと,絶対安静になります。つまり動くことはできないわけです。また,一般病棟であれば,可能であるならばということにはなりますが,自由に動くことができる,場合によっては病院の外に出ることさえできることになります。これに対してHCUというのはまさにその中間で,ベッド上安静でした。つまり,ベッドの上であれば動くことは許されるけれども,ベッドから下りることはできないということです。僕は思いのほか回復が早く,3日の午前中には一般病棟に移動できたのですが,2日間ほどはこの状態で過ごしたということになります。
コメント

サマーチャンピオン&点滴

2009-08-18 18:46:02 | 地方競馬
 佐賀では夏と冬に重賞があります。今夏のサマーチャンピオン(動画)は昨日,行われました。
 少し先行争いがありましたが,キングスゾーンの逃げ。ランザローテがかかり気味に2番手で追い,少し離れた3番手がオフィサー。最内から控えて外に持ち出したヴァンクルタテヤマがその後ろという展開。
 向正面半ばからヴァンクルタテヤマが一気に進出。そのままスピードを緩めずにコーナーを回り,捲りきって直線入口では先頭。そのまま後続を離してレコードタイムで快勝しました。なんとか追いすがろうとしたランザローテが2着。後ろからのレースになったリミットレスビッドがオフィサーを交わしての3着。
 優勝したヴァンクルタテヤマは前走の北海道スプリントカップからの連勝で重賞4勝目。サマーチャンピオンは昨年に続いての連覇。どうやら昨年夏の調子を取り戻したようで,今後の最大目標は,昨年は出走すら叶わなかったJBCスプリントということになるでしょう。有力候補の1頭ではあると思います。
 鞍上は幸英明騎手,管理しているのは武田博調教師。共にサマーチャンピオンは初制覇です。

 救急車に乗って僕と付き添ってみなと赤十字病院まで来たのは父でした。すでに何度かお話していますように,父はⅡ型とはいえ糖尿病で,入院の経験もありますから,この元旦の時点では少なくとも糖尿病に関する知識は僕よりもずっとありました。血糖値が500mg/dlを超えているというのを聞いて,さすがに驚いたようです。この状態では家に帰ることはできないので,この時点で僕の入院は決定しました。着替えなどを用意しなくてはいけませんから,父はここで一旦家に戻り,代わりに母がとりあえず必要と思われるものを持ってきてくれました。もっとも,この頃は僕の状態も状態でしたから,詳しく見聞きしているというわけではありません。
 血糖値が計測されてすぐ,僕は今度は左腕に針を刺されました。これはちょうど肘の裏の辺り。点滴でした。つまり治療が始まったということになります。僕は後で部屋を移されるのですが,これはまだ病院に最初に運び込まれた,救急患者専用の処置室と思われるところです。
 ちなみにこの点滴というのは,袋が空になると自動的にチャイムのようなものが鳴って,看護士に知らせるという仕組になっていました。空になるたびに新しいものが設置され,最終的にこの治療は1月3日の昼過ぎまでずっと続きました。
 血糖値を下げる効果を人間の身体にもたらすものはインスリンだけですから,この点滴というのはインスリンだったと思うのです。しかし,これは後に詳しく説明しますが,インスリンというものは普通は皮下に打つもので,このように血液中に投与するものではありません。なのでこれがインスリンであったと,今となっては確実にいうことはできませんが,いずれにしてもこの処置が,血糖値を下げるための治療であったということは間違いないと思います。
コメント

竜王戦&血糖値

2009-08-17 22:44:47 | 将棋
 渡辺明竜王への挑戦者を決める第22期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。対戦成績は深浦康市王位が6勝,森内俊之九段が8勝。
 振駒で森内九段が先手。一手損角換り1-Ⅰから先手が早繰り銀。後手は6三の銀の動きを保留する工夫をしたまま先手の飛車を睨む角を打ち据え第1図に。
           
 角打ちに▲1八飛と逃げ,△4二玉と居玉を解消したところ。ここで先手は▲5六歩。
 角交換に5筋は突くなというのは将棋の格言のひとつ。角を打ち込まれる隙ができやすくなるからですが,この場合は後手がすでに角を手放しているので恐れる必要はありません。
 この後,先手はこの歩を5五まで伸ばし,後手の角で取られてしまったのですが,▲5六歩と打ってその角を切らせ,2枚になった手持ちの角の1枚を打ちました(第2図)。
           
 将棋では5五の地点が天王山といわれ,角はここにいるのが最も動ける地点が多くなります。この場合は7三の桂を狙い,1一の香車や2二の玉の小鬢も間接的に睨み,6六を受けています。そこで△6六歩▲同角と取らせて,その働きを少しでも鈍らせるのは手筋というものなのでしょう。たぶんこの辺りがこの将棋の最大の勝負どころではないかと思いながら観戦していました。この後,△4四銀▲同角に△7六歩(第3図)と伸ばし,7七の地点を巡る攻防に。
           
 先手は7七を守るために銀を2枚も打って,これは受けすぎではないかと思いながら観戦していたのですが,後手の方も攻め駒が豊富とはいえず,まだ難しかった模様。ところがその後の受けで1手ばったりのような手が出てしまい,粘りようのなくなった先手の反撃に乗じた後手が即詰みに討ち取り,勝っています。
 深浦王位が先勝。第二局は来月1日です。

 すでに説明しましたように,糖尿病というのがどんな病気であるのかという基本は,血液中のブドウ糖の値,すなわち血糖値がどれくらいであるのか,とくに空腹時にどのくらいであるのかということから判断されます。正常値は血液1dl中に80~110mg程度のブドウ糖。僕は元旦の朝にはトマトをひとつ食べただけです。血糖値は食べると上昇しますが,基本的には食べた量ではなくてカロリーに応じて上昇します。したがって,たとえば蒟蒻とかきのこ類のようなカロリーが低いものであればかなりの量を食べても血糖値はあまり上昇しませんし,逆に揚げ物のようなカロリーの高いものであれば少量を食しただけでも血糖値がかなり上昇するということがあります。それでいえばトマトのような野菜類というのはあまりカロリーが高い食品とはいえませんし,この時点でということを考えれば食べてからある程度の時間も経過しているわけですから,病院に運び込まれたときの僕の血糖値は,空腹時血糖値の範囲内でなければ正常であるとはいえません。ところがこのときの僕の血糖値は,正確な数値は覚えていないのですが,500mg/dlを超えていました。
 血糖値というのは上昇しますと昏睡状態に陥り,ひどくなれば死に至ります。このときの僕のように500mg/dlくらいですと昏睡状態に陥っていても不思議ではなかったよう。ただ,こういうのはやはり人それぞれであって,後で聞いた話によりますと,病院に運び込まれるときには血糖値が1000mg/dlを超えているというような例もあり,それでも意識は覚醒しているという場合もあるようです。僕の場合は昏睡状態に陥る一歩手前であったでしょうか。
コメント

富山記念&到着

2009-08-16 20:25:35 | 競輪
 お盆の記念競輪後半戦は富山記念。今日が決勝(動画)でした。並びは木暮ー中村の関東に三浦,和田ー山賀ー中井の南関東,松岡ー大塚の九州に玉木。
 松岡がSを取って前受け。中団が和田で後方が木暮の周回。残り2周半から木暮が上昇して松岡を叩くと,残り2周のホームで和田がさらにそれを叩き,そのままスピードを緩めず打鐘前から先行。4番手になった木暮がホームから発進すると,車間を開けていた山賀が対応し,この両者でのもがき合い。残り半周で木暮が一杯になると,木暮を捨てた中村と,山賀マークの中井がもつれ,これを尻目に山賀が優勝。内に行った中井が2着で外の中村が僅差の3着。
 優勝した千葉の山賀雅仁選手はこれが記念競輪初優勝。今開催は有力選手が次々に脱落し,記念決勝にしてはやや軽めのメンバー構成となりましたが,そのチャンスをものにしました。ただしここはむしろ和田の頑張りに尽きるようなところもあります。両者は単に同県というだけでなく,同期でもあるのですが,普段とはまったく違うようなレースをして見事に山賀の優勝を引き出したといえるのではないでしょうか。

 今回の救急車の中ではさすがに前回のような余裕は少しもありませんでした。みなと赤十字病院は頭頂部の裂傷によって運ばれた病院よりは家から遠いですから,乗っていた時間は少し長かった筈ですが,距離から考えれば救急車なら15分もあれば着くと思います。それでも僕は動いている車内で救急士の方に「もうすぐ着きますから頑張ってください」と言われたのは覚えていますが,そのほかのことといえば,乗った向きは頭が運転席の方向だったということくらいしか覚えてなく,あるいはその短い時間のうちにもいくらか眠っていたかもしれません。
 元旦のことですが,病院はそれなりに混んでいました。僕のほかにも運ばれてきた患者がいたのだろうと思いますが,周囲のことに注意を払っていられるような状態ではありませんでした。担架から病院のベッドに移され,それから救急処置室のような部屋に運ばれると,すぐに医師と看護士が来て,看護士が僕の右手のたぶん人さし指であったと思いますが,指先に針のようなものを刺しました。このときは僕は意識こそはっきりしていましたが,もちろん何をしているのかは分かりません。また,刺されたといっても,強烈な痛みがあったというわけではありませんでした。
 すでにお話しましたように,救急隊員から病院には連絡がいっていました。僕は救急隊員に,口渇のことは話しましたから,それも連絡済だった筈です。口渇というのは糖尿病の自覚症状のひとつですから,病院ではすでに僕の糖尿病を疑っていたのです。指先に針を刺したのは,傷口から血液を採取し,僕の血糖値を診断するためだったのです。
コメント

函館記念&みなと赤十字病院

2009-08-15 19:50:09 | 競輪
 今年のお盆の記念競輪の前半は函館記念で,12日が決勝(動画)でした。並びは菊地ー斉藤ー関戸の北日本,海老根に渡辺,石丸ー吉永ー藤野ー小岩で西国。
 後方になった海老根が前を抑えたのが打鐘前のバックでここからスローペース。石丸が外から上がり,さらにその外を菊地が叩いて北日本の先行。4番手を内の海老根と外の石丸で取り合う形となりホーム。そのまま石丸が外から捲り発進したのですが,吉永が離れる形になり,海老根が石丸の後ろに入りました。そのままこのふたりで前を捲りきって直線勝負となりましたが,海老根があっさりと交わして優勝。石丸が2着で,3着は菊地の番手から出た斉藤と,半ば自力のレースになった藤野で同着。
 優勝した千葉の海老根恵太選手は今年は東王座戦,寛仁親王牌とビッグを2勝していますが,記念競輪に限れば昨年の小田原記念以来の5勝目。その直前には函館記念を勝っていますので,当所は連覇。内に詰まる形となった展開はむしろ石丸選手に分があったと思いますが,うまく番手に入れましたし,石丸選手も簡単に捲ってしまったのであとは楽だったのではないでしょうか。シリーズリーダーとなるべき伏見選手が初日の落車で欠場となったこともあり,ここはこのふたりの力が抜けていると思われるメンバー構成で,終ってみれば,展開無用の力の決着でした。

 今年の元旦に救急車を呼んだときは,前のときのように僕にも余裕がありませんでした。玄関までは何とか自力で行きましたけれども,その先は担架で運ばれたくらいですから,これは正当な出動要請であったといえると思います。
 救急隊員は,僕にいくらか症状を尋ねた後,病院と連絡を取っていました。僕も意識はありましたけれどもそのやり取りがどんなものであったのかということや,どれくらいの時間が経過していたのかということは覚えていません。したがって救急隊員がいくつの病院と連絡を取り合ったのかは分かりませんが,僕はみなと赤十字病院に運ばれることになりました。
 僕は以前に腹の苦しさ喉の違和感で通院したことがありましたが,これが日本赤十字病院。僕の家から歩いて行かれるところにあった病院です。みなと赤十字病院というのは,この日本赤十字病院と港湾病院という病院が統合された病院。港湾病院は市立病院で,横浜市の赤字解消策のひとつとして,日本赤十字に売却されました。その当時,港湾病院は建物の老朽化により新築されたばかりでしたし,敷地もこちらの方がずっと広大でしたので,日赤はこちらに施設をすべて移しました。ここは僕の家からはおいそれと歩いていくことはできません。ただ,港湾病院の時代には,僕の母が顎関節症の手術をしていますし,また父も腸ヘルニアの緊急手術をしたことがありましたので,どこにあるのかということは僕も知っていました。なお,その手術の後に父は糖尿病で入院したのですが,それはこのみなと赤十字病院。結果的に親子してこの病院のお世話になることとなりました。主治医も同じ先生です。
コメント

クラスターカップ&坊主

2009-08-14 20:05:20 | 地方競馬
 ここ2年は水沢競馬場の1400メートルで行われた第14回クラスターカップ(動画)ですが,今年は盛岡競馬場の1200メートルに戻ってきました。コパノオーシャンズは出走取消,ゼンノスカイブルーは競走除外で走ったのは12頭。
 バンブーエールが先手を奪い,やや押したタマモホットプレイが2番手。メイショウバトラーと高知のリワードバットンが並び,トーセンブライトはその後ろ。
 直線に入るとリワードバットンとタマモホットプレイは一杯。メイショウバトラーも先頭には届かない脚色。これらの外からトーセンブライトが一気に伸び,バンブーエールにかなり迫りましたが,凌いだバンブーエールが優勝。トーセンブライトが2着,メイショウバトラーが3着で,きわめて順当な結果となりました。
 優勝したバンブーエールは昨年のJBCスプリント以来の勝利で重賞2勝目。ドバイゴールデンシャヒーンでもそれなりの結果を残している馬で,力量上位は明白。最後はワンサイドで差を詰められましたが,これはやはり59キロが影響したものと思います。当然ながらJBCスプリントの連覇が今秋の最大目標となるでしょう。
 鞍上は松岡正海騎手で管理しているのは安達昭夫調教師。クラスターカップは共に初勝利です。

 この頭頂部の怪我を機に,外見的な点で僕には大きな変化が生じました。僕はこのときから髪型を坊主にしたのです。部活動をやっていた中学生の頃,正確にいえば入学直後から3年の秋まで,僕はずっと坊主でした。坊主にしたのはそれ以来のことです。
 怪我をしたのが頭頂部でしたので,医師は縫合の前にその周囲の部分を剃刀で剃りました。抜糸はおよそ1週間後で,僕はその間は毎日病院に通い,患部の消毒をしてもらっていました。したがってその間は傷の部分や周囲を自分で触るということはなかったのですが,抜糸してしまえば自由に触れられます。そうして触っていると,何となくその部分だけ髪の毛がないので,ひどく変な感じがしました。実際にはその部分はとても小さくて,ここだよと教えなければだれにも分からないくらいではあったのですが,自分の感触があまりに変なので,それならいっそのことと,髪の毛全部を短くしてしまったのです。これは自分でやりました。このときは家にバリカンがありませんで,はさみでやりましたので,時間はずいぶんとかかりましたが,すっきりとしました。これ以来,僕はずっと坊主頭。というか,洗髪するときに楽なので,止められなくなったという方が正しいかもしれません。ただ,冬場は寒いですし,夏場は日光の直射を受けるのでかえって暑いような感じで,その点ではあまりいいとも思えません。もしもいい点をもうひとつ上げるなら,自分で処理できるので,経済的にいくらか楽になるということでしょうか。これ以来,僕が床屋に行ったというのはただ1度だけ。このことはまた後でお話することになります。
 なお,自分の髪を自分で切るという行為は,一種の自傷行為,あるいはその代償行動という側面があります。僕の場合,現在となってはこれは単に習慣化された行為にすぎないのですが,最初に自ら坊主にしたとき,僕の行為がそうした行為に類するものであった可能性については,僕は否定しきれないです。
コメント

ブリーダーズゴールドカップ&第三部諸感情の定義四

2009-08-13 20:47:38 | 地方競馬
 旭川競馬場の開催が今年からなくなったことにより,門別競馬場に舞台が移り,距離も短縮された第21回ブリーダーズゴールドカップ(動画)。
 先手を奪ったのはフリオーソ。スマートファルコンが2番手で,その後ろにアドマイヤスバルとトップサバトン。サカラート,アロンダイト,マイネルアワグラスといった勝負になりそうな馬が中団を占めました。
 3コーナー過ぎにスマートファルコンが先頭に並び掛け,アドマイヤスバルも外からこれを追って3頭が雁行状態に。直線に入るとスマートファルコンが抜け出し,フリオーソはここで一杯。そのまま楽に抜け出したスマートファルコンが優勝し,2着にアドマイヤスバル。3着はアロンダイトがフリオーソを捕えました。
 優勝したスマートファルコンは5月のさきたま杯以来の勝利で重賞8勝目。連勝こそ前走で止まりましたがこれで実に12戦連続連対。フリオーソは遠征競馬では結果を残せていない馬ではあるものの,これを撃破したのは,この馬のこれまでの対戦メンバーから考えれば大きいといえそうです。父はゴールドアリュール
 鞍上は岩田康誠騎手で,管理しているのは小崎憲調教師。共にこのレース初制覇です。

 このときの僕の精神に生じていたことは,『エチカ』に定義されています。それが第三部諸感情の定義四。「驚異とはある事物の表象がきわめて特殊なものであってその他の表象と何の連結も有しないために,精神がその表象に縛られたままでいる状態である」。
 この定義を読めば一目瞭然,これは第三部諸感情の定義の中に含まれているのですが,その実,感情ではなく,精神の一状態についての定義です。このことはこの定義の直後の説明で,スピノザ自身もいっていることです。ただ,デカルトは驚異を基本感情のひとつに数えていましたので,おそらくそれに対する反論の意味もいくぶんか込めて,スピノザはここに定義したものと思います。
 それからここで驚異と訳されているラテン語はadmiratioです。定義されている内容からしてこの訳は適当であると思いますが,僕は驚異とはいわずにここではパニックといいました。また,僕がパニックという場合には,常にこの驚異を念頭に置いていると考えていただいて構いません。しかし,では驚異とはいわないかといえばそうでもなく,文脈にしっくりいくと僕が感じる方を選んで用います。つまりこのブログにおいてパニックと驚異は同じ意味を示すと思ってください。
 さて,このとき僕にパニックを生じさせた表象は,血で真赤になった両手の表象です。だから僕はその手を洗うこと,救急車を呼んで病院に行くこと,傷口を押さえることなどには思い至ったのですが,財布を持つとか眼鏡を掛けるといった,パニックに陥っていなければまず忘れる筈のないようなことの方に表象像が連関していかなかったのでしょう。ただ,自分がこのようなパニックを起こすことがあるということをよく知ることができたという意味では,この経験は僕にとっては貴重なものではありました。
コメント

黒潮盃&パニック

2009-08-12 21:06:54 | 地方競馬
 南関東競馬は前回の大井開催の後,川崎,船橋,浦和の順で開催されましたが南関東重賞はなし。今日の黒潮盃が3週間ぶりとなりました。
 逃げたのは愛知のパラダイスデイ。これをツクシヒメが2番手でがっちりとマーク。ホッコーマサルは好位,ブルーヒーローは中団につけました。最初の800メートルは50秒3でこれはミドルペース。
 3コーナーを過ぎた辺りから,人気の馬たちが前との差を詰めようとしたのですが,思ったほど詰まらず。これを尻目にツクシヒメは直線に入るやあまり後ろを待たずに追い出され,早くもセーフティーリード。ハローキングダムとサザンクロスラリーの間を割ろうとしたホッコーマサルが落馬するアクシデントもあり,そのまま悠々と先頭でゴールしたツクシヒメの優勝。ハローキングダムの外を回ったので不利を受けなかったブルーヒーローが2着を確保。3着には大外を伸びた兵庫のカラテチョップ。
 優勝したツクシヒメは北海道デビューで昨年暮れに船橋に移籍。北海道で2勝,南関東で2勝していてこれが5勝目。南関東重賞は初制覇。東京プリンセス賞が3着,関東オークスで2着と力を見せていて,今年は牡馬と牝馬の差があまりないということはクラシックでも実証されていたのですが,展開面の恩恵が多少はあったとはいえ,改めてそれが証明される結果となりました。日本での母系祖先はコランディア
 鞍上は船橋の山田信大騎手で,昨年の東京プリンセス賞以来の南関東重賞制覇。管理しているのは船橋の山浦武調教師で,共に黒潮盃初制覇になりました。

 実はこの怪我で最初に救急車に乗ったときのことは,僕の中では笑い話になっています。
 僕は頭頂部を押さえていた両手が真赤になっているのを見て,出血していることに気付きました。そしてまずしたことは,血だらけになった両手をきれいに洗ったことでした。それから僕は眠るときはTシャツにトランクスなので,ジャージの下だけ穿きました。これは夏のことだったのです。そして救急車を呼び,濡らしたタオルで傷口を押さえながら玄関でまた蹲っていました。するとサイレンの音が聞こえてきましたので,自ら外に出て,救急車に乗り込み,病院に運ばれたのです。
 朝とはいえ病院は忙しかったようで,少し待たされ,その後に治療。これは傷口を6針だか7針縫いました。僕は頭に限らず縫合というのが初めての経験だったのですが,,まるでホッチキスのような治療器具にはびっくりしました。治療が終わり,僕はようやく落ち着きを取り戻しました。
 そう,僕は怪我をしたときも,自分では落ち着いていたつもりだったのですが,実際にはパニックに陥っていたのです。お分かりかと思いますが,僕は財布も保険証も持っていませんでした。そればかりか,極度の近眼であるにも関わらず,眼鏡さえしていなかったのです。
 縫合後も1週間は通わなければならなかったので,保険証や治療費は翌日で何とかなりました。しかし,金がないのでバスや電車で帰ることはできません。仕方がないので歩いて帰りました。普段の散歩に比べれば大した距離ではないのでそれは問題ありませんでしたが,早朝から包帯で頭をぐるぐる巻きにした人間がとぼとぼと歩いているのですから,周りの人は少し気味悪かったのではないかと思います。もっとも僕は眼鏡をしていないので,詳しくは分かりませんでしたけど。
コメント

竜王戦&救急車

2009-08-10 21:25:11 | 将棋
 第22期竜王戦決勝トーナメントの左の山で待ち受けていた深浦康市王位と勝ち上がってきた久保利明棋王が,挑戦者決定戦三番勝負進出を賭けて戦いました。対戦成績は深浦王位が14勝,久保棋王が11勝。
 振駒で深浦王位の先手。久保棋王のごきげん中飛車③で▲4八銀△5五歩。①Aの類型でもあります。先手は2枚銀の急戦を目指して第1図。▲3五歩△同歩と突き捨てておいて▲4六銀と出たところ。
           
 ここで△3六歩が振飛車らしい手ですが,捌きが身上の久保棋王はそんな手は指さずに△4五歩。以下,▲3五銀に△5七飛成(第2図)という凄い手が飛び出しました。
           
 ▲同銀だと角交換から△5五角の王手飛車。そこで▲3四歩と打つとばっさり△6六角と切り,▲同角△4七龍▲1六角△3六龍。そこで先手も▲2四歩(第3図)から攻め合いました。
           
 華麗な手こそ出ましたが,第3図は僕が居飛車党ということもあるでしょうが,僕ならば先手を持ってみたい局面。まあ,僕の大局観はあてにはならないとしても,少なくともまだまだ難しい局面ではあると思います。この後,先手の方から飛車交換を臨んだところは,後手の攻めが分かりやすい上に厳しくなったように感じて,先手がかなり忙しくなりどうかと思ったのですが,先手もすさまじい順を用意していました。それが第4図以下。
           
 ここで▲6四桂のただ捨て。△同歩に▲5四角の王手。△6三桂には▲同角成と切って捨て,△同玉▲6一角成。△4四角は懸命の応戦ですが▲7一馬△同角に狙いの▲4七金。△6六龍に▲3三飛成(第5図)が実現しました。
           
 どうやらこれで決まっていたようでこのまま先手の勝ち。短手数でしたが,名局だったと思います。ということで深浦王位が森内九段との挑戦者決定戦三番勝負に進出することになりました。

 このようにして元旦の午前中から僕は救急車で運ばれることになったのですが,実は僕が救急車に乗ったのは,これが2度目のことでした。とはいえ前回は,身体の状態だけでいえば,本当なら救急車を呼ばなければならないような状況ではありませんでした。
 これは両親がまだ退職前のことでしたから,僕が20代の半ばか後半の頃のことです。朝,目覚めて時計を見ると,7時20分になっていました。これは寝坊でした。そこで僕は慌てて飛び起き,部屋を出ようとしたのですが,このときに鴨居に頭を強く打ち付けてしまいました。実は僕は折畳式のベッドを使っていて,普段はこれを畳んでソファーにしてから部屋を出るのですが,このときはそんな暇がなく,ベッドの上から直接外に出ようとしたため,その分だけ僕の頭が高い位置にあったのです。なお,折畳式ベッドというのは,代こそ重ねてはいますが現在も使っていまして,昨年の暮れはこれを敷きっ放しにしていました。
 頭をぶつけたことはそれまでにも何回かはありましたが,このときの痛みは強烈で,それまでに感じたことのないもの。僕は頭頂部を両手で押さえ,しばらくその場に蹲りました。そしてしばらくしてからようやく放した手を見ると真赤。つまり頭頂部から流血していたのです。
 場所が場所ですからこれは医者に行かなければいけません。家には僕と妹しかいませんでしたから,自力で行かなければなりません。しかし朝のこの時間ではどこの病院に行っていいものやら分かりません。それで僕は救急車を呼んだのです。このときは僕の家の最寄の駅から一駅隣の病院まで運ばれたのですが,サイレンを鳴らした救急車はまったく停車せず,不謹慎ではありますが快適でした。でも,本当はこの程度のことで救急車の出動を要請してはいけませんね。
コメント