スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&宛先

2015-10-31 19:46:39 | 将棋
 一昨日と昨日に札幌で指された第28期竜王戦七番勝負第二局。
 糸谷哲郎竜王の先手で渡辺明棋王横歩取り。後手は速攻の構え。
                         
 先に1筋を突いた後手が△2三銀と上がって飛車交換を狙ったのに対して先手が▲3六歩と突いた局面。後手は狙い通りの△2四飛
 二局の前例があり,1局は交換,もう1局は避け,どちらも後手が勝っていたそうです。本局は▲同飛△同銀と飛車交換を選択し,すぐに▲8四飛と打ちました。後手は△8三歩と飛車成りを防ぐ順を選択。これは実戦のように▲2四飛△同角▲1一角成で先手が二枚換えで馬を作ることになりますから,ある程度の研究があったものと思います。馬を作られたところで△1三桂。
                         
 このように端に桂馬を跳ねられるのが,先に1筋を突いてある長所。次に△3三角とぶつける手があるので▲1二馬としましたが,手番を得られるだけ得をしていそうです。
 少し後手に得があっただけで,差がついたとまではいえないのでしょうが,この後の数手の先手の構想が悪く,将棋は後手の快勝で終りました。
 渡辺棋王が勝って1勝1敗。第三局は来週の木曜と金曜です。

 スピノザがフッデに宛てた手紙を,スピノザ自身が別に保管していたことを知らなかったとしたら,それが遺稿集に掲載されたことはフッデにとって驚きであったかもしれません。ですが掲載された3通は,いずれもフッデにとって危険でないようになっていました。この3通だけはスピノザが書いたということだけが明らかにされ,だれに宛てられたかは伏せられていたからです。ここでの仮定では,これら3通が遺稿集の編集者たちの手許にあることをフッデは知らなかったことになっています。ですからその宛先を伏せるように要請することはフッデにはできません。つまり純粋に編集者たちがフッデの立場に配慮して名前を伏せたことになります。
 畠中の解説によれば,1882年にドイツでスピノザ全集が出版された時点で,この3通はホイヘンスに宛てたものと解されていたようです。つまり遺稿集が出版されて200年後にも,まだ真相が明らかになっていなかったことになります。ですがその後,ライプニッツの書簡集が発表されたとき,この3通はフッデに宛てたものと判明したそうです。
 スピノザとライプニッツはハーグで会いましたが,ライプニッツはその前に準備のためにひと月ほどアムステルダムに滞在していました。滞在中にライプニッツは市長だったフッデに会っています。僕の推定ではそのとき,ライプニッツはフッデからこれらの手紙を読ませてもらったのだと思います。フッデと会った目的から考えて,ライプニッツにとってそれが有益なことであったのは間違いなく,少なくとも書簡があったら読ませてほしいという要望は出したと思います。その前にロンドンでオルデンブルクと面会したとき,スピノザからの書簡を読ませてもらっているからです。一方,これは少し後で示しますが,フッデとスピノザの間に交友があるということは,ライプニッツはその時点で知っていました。ですからフッデにも,交際を秘密にするために書簡を隠す理由が,ライプニッツに対しては失われています。だからフッデはライプニッツの求めに応じ,書簡を読ませたのだと思うのです。なのでライプニッツはこの3通の宛先を知っていたのでしょう。
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王座戦&書簡の数

2015-10-30 19:16:31 | 将棋
 26日に甲府で指された第63期王座戦五番勝負第五局。
 振駒で羽生善治王座の先手となり佐藤天彦八段の横歩取り。先手が最近では少なくなった対応をし,後手が9筋を攻めて8筋に飛車を成り込むことに成功。先手は龍は追い返したものの,形勢は芳しくないと判断したらしく,あまり成算がもてなかった攻撃を繰り出したようです。
                        
 後手が飛車を封じ込めた局面。ここは香車ではなく角を打つのも有力で,それだと後に3五の歩を取る展開が予想されます。ただ飛車角交換の可能性も残りますので,確実に駒得できる手を選択したということではなかったでしょうか。
 先手は▲5五桂と打ちました。対して△3二金と受けたのですが,これが敗着になったというのですから驚きます。遊んでいるような2二の金を使うのではなく,後に逃げ出したときに役立ちそうな5一の金の方で△4二金と受けるべきであったそうです。
 先手は▲1四飛△同歩で銀を補充して▲2三歩成。手順からして△4二金寄と逃げるのは当然でしょう。そこで▲3二銀が厳しい追撃で4三の地点が受からなくなりました。仕方がないので△6一玉の早逃げですが▲8五歩△8二龍と拠点を作りつつ龍を抑え込んでから▲4三銀成。銀から行くのは△同桂▲同桂不成がまた金取りになるから。そこで△5二金と逃げるのも仕方ないでしょうが▲3三とと桂馬を取りつつと金も活用して,先手快調です。
                        
 第2図となってはさすがにどうしようもないようです。最近の佐藤八段は苦しい将棋を粘って逆転で勝つというケースも多いのですが,この将棋はあっさりと土俵を割らざるを得ませんでした。
                        
 3勝2敗で羽生王座が防衛。王座は第40期に獲得すると41期,42期,43期,44期,45期,46期,47期,48期,49期,50期,51期,52期,53期,54期,55期,56期,57期,58期と19連覇。60期に復位して61期,62期,今期と4連覇で通算では23期目になります。

 フッデがスピノザに送った書簡は,最低でも5通,たぶん6通はあったと僕はみています。
 『スピノザ往復書簡集』に掲載されているスピノザからフッデへの書簡は,いずれもスピノザがフッデの質問に答えたものです。僕はヨハネス・ファン・デル・メールは書簡で質問したのではないと解しますが,フッデの場合は違います。スピノザからの書簡の2通目の冒頭部分は,明らかに書簡に対する返信であったことを示しています。なのでほかの2通も同様であったと考えます。これで3通です。
 スピノザからの2通目の冒頭部分がもうひとつ示すのは,この返信に対するフッデからの書簡は2通あったことです。僕の推測では,その1通目の質問の意図がスピノザには判然としなかったので,掲載されていない書簡でスピノザが質問の意図を質しました。対してフッデが返事を送っています。これで4通になります。
 スピノザからの3通目の最後の部分で,スピノザはレンズの製作に関するアドバイスをフッデに求めています。フッデはこれに返事を書いたと僕は思います。よって最低でも5通はあったと僕は考えるのです。おそらく存在した6通目は後で出てきます。
 この5通ないしは6通,あるいはもっとあったかもしれませんが,それはスピノザの死後に編集者から返却されました。そのフッデの意図が,スピノザとの間に交際があったことが発覚するのを防ぐためであったら,フッデはそれで十分と考えていたと仮定しなければ合理的に説明できません。
 スピノザはいずれは書簡を公表するつもりでした。なので自分が手紙を書く場合には,同じものをふたつ書いて,ひとつは自身で保管していたのです。スピノザからの書簡も遺稿集に掲載できたのはこのためです。ですが,もしフッデが自分が書いたものだけを取り戻せば十分と考えていたのなら,こうした事情を知らなかったと理解するべきでしょう。すなわち,スピノザからの書簡はすべて自分が持っているから,自分がスピノザに送ったものだけ取り戻せば,交際が公になることはないとフッデは判断したということです。
 この推測が正しければ,間違いなく編集者の配慮はありました。
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加古川青流戦&密約

2015-10-29 19:22:29 | 将棋
 25日の午後に加古川市立青少年女性センターで指された第5回加古川青流戦決勝三番勝負第三局。
 振駒で稲葉聡アマの先手で通常の相矢倉。先手の3七銀・4六角に後手の増田康宏四段は7三銀で対抗。最近はとても少なくなった形だと思います。攻撃の構えですから後手が攻める形に。
                         
 歩を取り込まれた先手が金で取り返した局面。ここから△8六歩▲同銀△7七歩▲同銀というのは部分的にも初めて見たような気がします。狙いは△8五銀の進出。
 ここは▲7四歩と打つのが目につきますが▲6四歩と角道を止めて受けに回りました。これには△7六銀が自然で▲同銀に△6五金と打ち▲同銀△同桂。先手はここでも▲7七歩と打って受けに回りました。
                         
 後手が駒を交換しつつ前に出ていて好調を感じさせましたが,この受けで継続がやや難しくなっているようです。△8六歩▲同歩としてから△6四歩と手を戻せば難しかったのですが,一時的にでも歩切れになるのを嫌ったのか単に△6四歩でしたので,先手が反撃に回って勝っています。
 稲葉聡朝日アマ名人が優勝。アマチュアによる棋戦優勝は史上初でした。

 フッデがスピノザの遺稿集の出版を黙認したと仮定すると,その遺稿集にフッデからスピノザへの書簡が掲載されていない理由について,別の見方をすることも可能になります。それはフッデと遺稿集の編集者の間に,裏で取引があったという想定です。フッデはアムステルダム市長としての自分の立場を危うくしかねないので,自分がスピノザに送った手紙を編集者たちに返却を求め,編集者たちはその要望に応じる代償として,遺稿集の出版についてはフッデに素知らぬふりをしてもらうという密約があったというのが,この想定の大筋になるでしょう。
 僕の推測は,フッデからの書簡が掲載されなかったのは,編集者たちの配慮いい換えれば善意によるものだということです。ですから上述の密約説の立場ではありません。僕の想定は,フッデには遺稿集の出版を阻止する権限があったというものです。なのでもしもフッデが本当に自分が書いた手紙を公にされたくなかったのであれば,編集者たちに密約を打診されてもそんなものに応じる必要はなく,ただ出版に対する中止命令を出し,編集者たちを処分してしまえば事足りたと考えます。つまりこの観点に立つ限り,何らかの密約があったとする仮説は著しく合理性を欠くことになります。よって僕はそうは判断しないのですが,もしも僕が想定しているほどにフッデには強力な権限がなかったのだとすれば,密約説もこの事情を合理的に説明できているとは思います。
 とはいえ,畠中がいっているように,編集者たちにフッデに対する配慮があったということは確実であると僕には思えるもうひとつの事情があるのです。それはスピノザからフッデに送られた方の書簡,すなわち遺稿集に掲載された方の書簡に関連します。
 工藤が示しているところでは,フッデにとってスピノザは思想上の要注意人物であったから,スピノザと親しい交際があったことが表向きになってしまうのは問題だったのです。つまりそれを秘匿しておく必要があったのです。このためには,フッデは自分がスピノザに宛てた書簡を取り戻すだけでは十分でなかった筈です。スピノザが送った書簡も破棄する必要があった筈なのです。
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埼玉新聞杯埼玉新聞栄冠賞&フッデと遺稿集

2015-10-28 19:27:19 | 地方競馬
 今年の羽田盃馬と東京ダービー馬が出走してきた第25回埼玉新聞栄冠賞
 ハナを奪ったのはタイムズアロー。発走後の向正面ではハーキュリーズとラッキープリンス,カキツバタロイヤルとアメイジアという隊列でしたが,正面にかけてペースがぐっと落ちたこともあり,4頭は一団になりました。ガンマーバーストとアールデュランがその4頭の後ろを併走。超スローペースであったと思います。
 2周目の向正面に入るとラッキープリンスが単独の2番手になりましたが,アールデュランが捲っていくと後退。3コーナーではアールデュランが2番手に上がり,内からハーキュリーズ,さらにカキツバタロイヤルとストゥディウムが続き,これらの内を狙ったのがガンマーバースト。逃げたタイムズアローは直線に入ったところでも余裕があるように見えたのですが,意外なほどあっさりと馬群に飲み込まれる感じに。コーナーで内を回ってアールデュランの外に出たガンマーバーストと大外に出たカキツバタロイヤルの伸び脚がよく,カキツバタロイヤルが差して優勝。ガンマーバーストが半馬身差で2着。ハーキュリーズに並ばれたらまた盛り返したタイムズアローが1馬身差で3着。
 優勝したカキツバタロイヤルは2012年5月の川崎マイラーズ以来,およそ3年5ヶ月ぶりの南関東重賞4勝目。年齢は重ねていますが入着は続けていたので,極端に力が衰えていたわけではありません。全盛時は重賞でもメンバー次第で通用する能力があったと思いますが,現在はさすがにそこまでは苦しいでしょう。以前は1600mがベストで,現在でもこなしますが,距離適性は加齢とともに長距離寄りにシフトしているとみていいでしょう。上積みを見込むのは難しいでしょうが,あまり人気にはならないタイプの馬なので,馬券面からは今後も魅力的な存在といえます。父は1995年のラジオたんぱ杯2歳ステークスと1996年のきさらぎ賞を勝ったロイヤルタッチ
 騎乗した船橋の中野省吾騎手はデビューから約6年5ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している船橋の函館一昭調教師は埼玉新聞栄冠賞初勝利。

 スピノザの遺稿集の出版に対しては,宗教団体による妨害工作がありました。ライプニッツは編集者のひとりがシュラーであることを知っていて,そのときにステノと一緒に仕事をしていたとされていますから,出版を阻止できる立場にありました。でもライプニッツはそれをしませんでした。フッデの場合にも同じようなことが考えられることになります。
 アムステルダム市長であったフッデには,出版を阻止する権限くらいはあったと理解してもよいと思います。また,おそらくフッデはだれが編集していたかを知っていたでしょうから,出版された後にも,出版者たちを処罰する権限もあったと思うのです。ですがフッデは出版を許し,編集者たちを罰することもありませんでしたし,告発することもありませんでした。後に遺稿集が禁書に指定されたとき,フッデは関わったかもしれませんが,少なくともそのときまでは何もしなかったと判断してよいと思います。
 ライプニッツが何もしなかったのは,遺稿集を読みたいという自身の知的好奇心であったろうと僕は推測しました。フッデの場合にはふたつの理由が考えられます。ひとつはフッデはライプニッツよりずっとスピノザと親しく交際していたので,スピノザが生活の面で無神論者などではなく,敬虔であることをよく知っていたということです。さらにフッデはスピノザの哲学の神に関係する形而上学の解説を受けていましたから,思想的な面でも無神論者ではないと理解していたかもしれません。なので遺稿集が出版されても何も問題はないと考えていたというものです。
                       
 もうひとつはフッデは元来が議会派だったので,思想の自由にある程度の理解があったというものです。スピノザとデ・ウィットは,政治信条には相違があったと理解するべきでしょうが,やはり議会派であったデ・ウィットは,国家の安全に問題を生じさせない限り,思想の自由も出版の自由も守られるべきだという考えを有していたので,自身が実質的にオランダの統治者であった時代に出版された『神学・政治論』について,積極的に禁じようとはしませんでした。フッデもそれと同じような考えだったというものです。
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水都大垣杯&フッデからの書簡

2015-10-27 19:11:20 | 競輪
 大垣記念の決勝。並びは桜井-新山の北日本,平原-小林の関東,原田-友定の四国中国で深谷と藤木と山田は単騎。
 単騎が3人もいたので牽制になるのではないかと思っていましたがすぐに友定がスタートを取って原田の前受け。3番手に平原,5番手に桜井で7番手以下も藤木,山田,深谷の順で早い段階で隊列が定まりました。残り3周のバックで桜井が動き,藤木はこれに乗って3人で原田を叩くと,ホームで平原が動き,山田はこちらに。今度は引いた原田が動き,最後にまた桜井が叩き返しにいくという目まぐるしい展開に。後方で様子を窺っていた深谷がうまく最後に動いた桜井ラインに乗る形になり打鐘。深谷の後ろは内の原田と外の山田で併走。そして友定,藤木と続いて平原は8番手に。ホームから平原が仕掛けていきましたが,バックで深谷が先捲りを打つ形に。これを平原-小林で追う形になり,この3人が後ろをぶっちぎりました。直線も深谷がよく粘って優勝。追った平原が半車身差で2着。深谷と平原の間を割ろうとした小林はゴール前でスピードが鈍り半車身差で3着。
                         
 優勝した愛知の深谷知広選手は昨年8月の豊橋記念以来となる記念競輪9勝目。大垣記念は初優勝。レースはあまりうまくない選手なので,力はあっても単騎での戦いはどうかという不安がありましたが,うまく3番手を取ることができました。力では互角かそれ以上の平原が後方に置かれる形になって絶好の展開。最後は差を詰められましたが,平原は深谷のスピードを途中からはもらう形でしたので,むしろよく粘ったと考えていいでしょう。ようやく今年の初優勝というように,苦戦は続けていますが,また圧倒的な力を誇示する時期が来てもおかしくないと思います。

 岩波文庫版の『スピノザ往復書簡集』では,フッデがスピノザに宛てた書簡が遺稿集に掲載されなかったのは,スピノザと交際があったことが知られるのはアムステルダム市長のフッデにとって不利になるだろうという編集者の配慮であったと解説されています。『人と思想 スピノザ』では,フッデにとってスピノザは思想上の要注意人物であったので,その書簡が遺稿集に掲載されないように取り返したのだとされています。ひどく食い違っているようですが,僕の推測ではどちらも正しい見解です。
 スピノザの遺稿は死亡時の宿主のスペイクによって適切に処理されました。その時点で遺稿は,シュラーをはじめとする編集者たちだけが独占して所有していたと考えるべきでしょう。ですからフッデが自分の手紙についてどんな心配をしようと,自身の手でそれを何とかすることはできなかったと思います。
 フッデとスピノザはきわめて親しい関係にあったと判断してよいと思われます。ですからスピノザが信頼し,死後に遺稿集の編纂に関わった人たちの何人かとも,たぶんフッデは面識があったと思います。フッデはアムステルダム市長で,遺稿集の編纂もアムステルダムで行われていました。なのでフッデはそのうちのだれかに依頼し,自分がスピノザに宛てた手紙を返却するように求めることはできたと思われます。このような意味において,フッデが手紙を取り戻すことは,工藤がいうように可能であったと僕は考えます。
 おそらく実際にそのような依頼があったのでしょう。そこで編集者たちはその求めに応じて,フッデがスピノザに送った手紙については,フッデに返却したのではないでしょうか。その理由は,畠中がいうように,編集者たちがフッデの立場に配慮を示したからではないかと思います。つまり僕の推測では,フッデが書簡を取り返したといっても,そこにあったのはフッデの悪意ではなく,編集者の善意であったことになります。ただし,この点については,後に示すような,別の見方も可能だと思っています。
 この推測からすると,フッデはスピノザの遺稿集が出版のために編纂されているのを知っていた可能性が高くなります。
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加古川青流戦&フッデ

2015-10-26 19:14:54 | 将棋
 昨日の午前に加古川市立青少年女性センターで指された第5回加古川青流戦決勝五番勝負第二局。
 稲葉聡アマの先手で変則的な手順でしたが相矢倉に。脇システムに似た形に進行。後手の増田康宏四段の方から角を交換。後手の攻めを先手が受け,後に反撃に転じて攻め合いの将棋になりました。
                         
 先手が歩を打った局面。☖6一歩などもう少し受けに回る展開もあり得たと思いますが,あまり受けていてもきりがないとみたかここで後手はまた攻撃に転じました。
 ☖7六角成☗7七歩☖6七角成が実戦の手順。先手は☗2三歩成☖同金☗3一銀☖1二王まで進めてから☗7六飛成と角を取りました。これには☖同馬しかなく☗同歩に☖6七飛。これは詰めろなので☗8九桂と受けました。こう受けられて後手の攻めは途切れたようです。一旦は☖2七歩と打ったものの取ってくれる筈もなく☗4八飛。後手は仕方なく☖3二金と受けに回りました。
                         
 手掛かりが少ないので後手としては凌ぎつつ駒の入手を図る必要があるのですが,第2図はそれが可能な局面とはなっていないようです。手筋の☗2四歩以下,先手が寄せきりました。
 稲葉アマが勝って1勝1敗に。第三局はこの日の午後に指されました。

 遺稿集Opera Posthumaが出版された段階で,明らかに哲学的価値があったのに掲載を見送られた書簡は,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとスピノザのやり取りだけではありません。ヨハネス・フッデJohann Huddeからスピノザに送られた何通かの書簡もそうだったことが,スピノザからの返信で確定できます。スピノザからの3通はいずれも哲学的に重要な内容を有していますから,その質問の書簡は間違いなく掲載の価値があったといえます。
 『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,フッデは保守的な政治上層部のひとりとされ,スピノザはこうした人びとから一定の保護を得ようと気配りしていたので,良好な交友関係を保とうとしたのはそのためだったかもしれないとされています。
 常識的にいうと,当時のオランダの政治状況を勘案すれば,保守派が王党派で改革派が議会派だったことになります。ナドラーSteven Nadlerがフッデを保守派と位置付けているのは,議会派のヨハン・デ・ウィットJan de Wittが虐殺された1672年から,フッデがアムステルダム市長を何度も務めているからだと思います。ただし,フッデが自然科学の世界から政治の世界へ足を踏み入れたのは1667年で,議会派の執政団の一員としてでした。ですからフッデは議会派であったと理解しておくのが妥当でしょう。王党派が実権を握ってからも長くアムステルダム市長を務めたのは,別に政治的な意味で転向したからというわけではなく,フッデ自身が信頼されるに足る人物であったからだと思われます。ただし,ナドラーが間違ったことをいっているわけではありません。王党派が実権を握った時代の政治上層部のひとりであったのは間違いない事実であるからです。
 スピノザと知り合った契機はふたつ考えられるようです。フッデは1654年からライデン大学で医学を学びました。このとき,スピノザが信頼していた友人で,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の序文を書いたマイエルLodewijk Meyerが同じライデン大学で学んでいました。マイエルを介してフッデとスピノザが知り合ったというのがひとつの説です。
 もうひとつはフッデと数学を共同研究もしたホイヘンスChristiaan Huygensが仲介したというものです。遅くとも1655年にはふたりが知り合っていたのは間違いありません。
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菊花賞&改宗の動機

2015-10-25 19:09:45 | 中央競馬
 故障のため二冠馬不在での争いになった第76回菊花賞
 ゲートの中で立ち上がったスティーグリッツは大きく出負け。好発はレッドソロモンでしたがスピリッツミノル,リアファル,ミュゼエイリアンが交わしていき,概ね1馬身ほどの間隔でこの3頭の先行。控えたレッドソロモンが単独の4番手になり,キタサンブラックとタガノエスプレッソが併走。リアルスティールがその後ろになりました。最初の1000mは60秒2でスローペース。
 向正面に入ってアルバートドッグが外を上昇していったことで,隊列が大きく変化。前で合わせて動いたミュゼエイリアンとタガノエスプレッソが並ぶように先頭に出て,アルバートドッグが3番手に。下げたスピリッツミノルとリアファルとレッドソロモンがこれらの後ろ。やはり動いたリアルスティール,タンタアレグリア,マッサビエルの3頭が続き,控えたキタサンブラックがこの後ろのインに位置取りを下げました。
 直線に入るとタガノエスプレッソは一杯になり,リアファルがミュゼエイリアンの外へ。コーナーもインを回ったキタサンブラックはそのまま最内に進路を取ろうとしましたが,ミュゼエイリアンがラチ沿いまで寄せたのでミュゼエイリアンとリアファルの間に進路を変更して先頭に。これをリアファルの外からリアルスティールが追い詰めましたが僅かに届かず,キタサンブラックの優勝。リアルスティールがクビ差で2着。リアファルが半馬身差で3着。
 優勝したキタサンブラックはトライアルのセントライト記念からの連勝で大レース初制覇。メンバー中唯一の重賞2勝馬で実績は上。精神的にどっしりとしているところがあり,距離をこなす要素もありましたが,血統的な裏付けにあまりに乏しく僕は軽視していました。レースが終った後でもこの馬が菊花賞を勝ったというのは驚きです。ただ,絶妙のコース取りがあった上での優勝なので,純粋な競走能力は2着馬の方が上かもしれません。父は2004年のスプリングステークスを勝ったブラックタイド。母の父はサクラバクシンオー
 騎乗した北村宏司騎手は昨年の天皇賞(秋)以来の大レース制覇。菊花賞は初勝利。管理している清水久詞調教師は開業からおよそ6年4ヶ月で大レース初勝利。

 自分が目撃したであろうステノの奇蹟,あるいは伝聞によって知った過去の奇蹟だけを表象し,カトリックにとって都合の悪い表象を避け,表象の動揺を起こさなかったのは,カトリック信者としてのステノの現実的本性に由来するものと僕は理解します。『宮廷人と異端者』で,スチュアートがステノを狂信的と表現するとき,そのような意味合いでいっているなら,僕も否定しません。ですがそれが現実的本性に由来する以上,それでステノを批判する気には僕はなれません。
                         
 僕はステノとアルベルトの相違として,このことに関連する部分もあると思うのです。いってみればふたりともプロテスタントからカトリックへの改宗者だったのですが,改宗の動機には大きな相違があったと思うのです。
 アルベルトの場合,スピノザが返信で看破しているように,地獄への恐怖だけがその動機でした。この恐怖は僕が不安metusといっている感情で,第三部諸感情の定義一三から悲しみです。つまりアルベルトは悲しみを避けたかったのですが,改宗だけでそこから逃れられる筈がありません。アルベルトがカトリックの闘士となり,自分の家族や親しかったスピノザを困らせるような行為に及んだことと,この改宗の原因は大いに関係しているものと思います。
 ステノは,自身のことばでいえばカトリックの原理を信じたいという思い,僕の解するところでは真理性についての確実性を得たいという思いから改宗に至りました。これはステノの欲望です。ですから改宗したこと自体がステノの喜びであった筈です。喜びといってもこの場合は受動的ですが,単に悲しみを忌避する受動とは異なります。というのはステノにとってはカトリックの優越性を表象すれば喜びを得られ,それだけで十分であったことになるからです。もちろんステノにはこの喜びを多くの人と分かち合いたいという思いはあったでしょうが,それができずとも,また他人がカトリックを否定しようとも,自身の喜びは揺らがなかったであろうからです。ステノのスピノザへの書簡が,わりと冷静に書かれているのは,知性の差異もあったでしょうが,改宗の動機の差異もあったと思います。
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加古川青流戦&反対の表象

2015-10-24 19:37:08 | 将棋
 加古川市立青少年女性センターで指された第5回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。公式戦初対局。
 加古川市長の振駒で増田康宏四段の先手になり角換り相腰掛銀。稲葉聡アマの方が△3五歩~△2四銀と仕掛けて受けに回る展開。先手の攻めが細いかにみえましたが,後手の応じ方に疑問があったようで激戦になりました。
                         
 ▲5六桂と打たれたので逆側の歩を突いて逃げ道を作った局面。後手は攻め合いは望めず,受けきるというのも難しくなっていて,勝つには入玉するほかなくなっています。
 先手は▲4三銀と金に狙いをつけていきました。後手は△5ニ歩と角筋の方を遮断。先手は▲同角成△同飛▲同銀不成の飛車角交換を選択しました。
 そこで△1五銀の飛車取り。ただ上に逃げ出したいところであり,自玉を狭めてしまう危険性も伴いますので,命運を託すような一手であったと思います。先手も逃げている場合ではありませんから▲同飛△同歩と切って▲1二飛と打ち込みました。
 これは詰めろで△5三馬。ただ受けただけでなく,上部を広げた意味もあります。ですが▲3六歩と打って△同とさせてから▲3二銀と打ったのがうまい手順で,実質的な決め手でなかったかと思います。
 △2四金寄と受けたものの▲4三銀右成△同馬▲同銀成△同王と清算して▲6三角。これで後手玉は捕まったようです。
                        
 増田四段が先勝。第二局は明日の午前に指されます。

 ステノが表象したほどカトリックが優越的なものではないということ,正確にいうならカトリックがそこまで優越的ではないと反対に表象され得るものであるということは,以下の点から明らかにできます。
 元々はキリスト教といえばカトリックでした。そこからカトリックが異端とみなす,プロテスタントのような宗派が分派していったのです。もしもカトリックがその教義によって信者を神聖な生活に必然的に導くのであれば,このような分裂は生じようがありません。つまりプロテスタントのような,分派した大きなキリスト教の宗派がカトリックとは別に現実的に存在するということ自体が,ステノがいう信仰の確実性は何ら確実なものではないということの証明になるのです。また,ステノはカトリックに帰依することによって悪徳な生活を送っていた者が敬虔になったという事実について語っていますが,放蕩にふけるすべての人物がカトリックによってそう変化したわけではないでしょう。ステノは明らかにそういう事実から目を逸らしていたと思われます。
 宗教裁判のような暴力装置がカトリックに必要とされたことも,カトリックがその教義だけで神聖な生活を保証することができなかったことの証拠になります。教義だけでだれもが神聖になれるのであれば,単に教義に服従することだけを求めればよいのであり,ライプニッツがいっていた体罰あるいはそれに対する恐怖心で服従させる必要はないからです。宗教裁判が必要だったのは,カトリックの聖書解釈を教えるだけでは教会を維持できなかったからであり,それは教会が信仰の確実性とは別の力を必要としたということです。
 おそらく書簡六十七も証拠になります。アルベルトはたぶん口汚いことばで地獄への恐怖を煽られたからカトリックに改宗したのであり,カトリック教会の聖書解釈に,ステノが抱いたような確信を感じて改宗したのではありません。おそらくこのような方法でカトリックに帰依した信者がそれなりに存在した筈です。それによって敬虔になり得たことを僕は否定しませんが,このような流儀はステノがいうところの信仰の確実性とは程遠かったに違いありません。
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リコー杯女流王座戦&ステノの場合

2015-10-23 19:00:30 | 将棋
 昨日,仙台で指された第5期女流王座戦五番勝負第一局。女流公式戦での対戦成績は加藤桃子女流王座が2勝,伊藤沙恵女流二段が0勝。
 仙台市長の振駒で伊藤二段の先手。変則的な手順からの相矢倉でしたが,後手が早囲いをし,先手が自玉の玉頭から仕掛けていくという力将棋でした。僕は並べているときはずっと後手の方が指しやすいのではないかと思っていたのですが,感想を綜合するとそうでもなく,一時的には先手の方が指せるかもしれない,少なくとも均衡のとれた局面が長く続いたまま終盤に入ったようです。
                         
 後手が角筋を遮断する歩を打った局面。ここは▲4一龍と寄せの網を絞っておけば難しい局面が続いたそうです。
 実戦は▲3三桂と打ち△同桂▲同歩成△同王▲1一龍と進めました。玉を上に追って下の駒を取るというのは異能といえるでしょうが,考え方としてないわけではないと思います。ただ,この局面でこう指したということは,先手玉の安全度に関して楽観し過ぎていたのではないかと推測します。上部に脱出することが可能と考えていたのでしょうか。
 △4七馬と飛車取りに寄り▲2六飛と逃げたところで△7六歩の王手。これを▲同金と取るのは仕方がないとしても△8四桂で先手玉は寄り形になってしまいました。
                         
 加藤王座が先勝。第二局は来月7日です。

 前もっていっておきますが,信者の神聖な生活の表象がステノにカトリックの確実性をどのように抱かせたのかということを正確に説明することはできません。これは僕にはできないという意味ではなく,だれにも不可能である,ステノ自身にも不可能なことであると僕は考えます。第二部定理九を現実的に存在する個人の精神のダイナミズムに適用することは,少なくとも人間の知性には不可能なことだと僕は考えるからです。ステノが悪徳に満ちた人間が一夜にして神聖な人間になるのを奇蹟であると表象したのは,ステノがその人物の観念の連結を知ることができなかったからだと推測したのと同じように,プロテスタントの信者であったステノがカトリックに改宗したときの観念の連結を正しく説明することは無理だと考えるのです。ただ,僕の見解がステノの見解と異なるのは,僕はそうした人間精神のダイナミズムを奇蹟とは考えないという点です。
 次に,カトリックに改宗したステノにとっては,ステノが奇蹟とみなしたようなことはステノ自身の喜びになります。逆にカトリックを批判されることは悲しみになります。よって第三部定理一二により,ステノは自身が奇蹟とみなすようなことを表象する傾向を有することになり,逆に第三部定理一三により,その奇蹟を否定するような表象を忌避する傾向を有するようになります。したがって奇蹟に関する表象の動揺は,ステノには生じにくくなることになります。これは奇蹟に限定した事柄ではありませんし,ステノに限定された話でもありません。一般にカトリック信者はカトリックの優秀性を証明すると感じる事柄を表象し,それを否定すると感じる事柄の表象を忌避する傾向を有することになるのです。これは人間の現実的本性がそのようなものであるということであり,一般的な意味でいいとか悪いとかいうことではありません。ただ,カトリックの信者には,カトリックの教義や教義自体の優越性に関わる表象の動揺が生じにくいというだけのことです。
 つまりステノにカトリックの真理性に対する疑惑が生じにくかったという前提があることになります。僕はそれを批判するつもりはありません。
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スポーツニッポン賞鎌倉記念&連想

2015-10-22 19:32:44 | 地方競馬
 北海道から1頭,笠松から2頭が遠征してきた昨晩の第14回鎌倉記念
                          
 先手を奪ったのはキャッシュフローで2番手にケイエスソード。事前に逃げると広言していたアンサンブルライフは発馬が一息。一旦はインに潜り込んでから正面で3番手まで上がりました。その後ろがポッドガイでさらにワイヤトゥワイヤーが続く隊列。ミドルペースであったと思われます。
 アンサンブルライフはスピードに勝ったタイプなのでしょう,向正面では抑えられないような勢いで逃げたキャッシュフローに並び掛けていき,3コーナーでは一時的に2頭が後ろを離す形。ケイエスソードはこの辺りで一杯となり,最終コーナーではポッドガイが単独の3番手になり,ワイヤトゥワイヤーが追ってきました。直線ではアンサンブルライフが先頭に立ちましたが,これを目標にした感のあるポッドガイの末脚の方が優り,最後は1馬身半の差をつけて優勝。アンサンブルライフが2着。ワイヤトゥワイヤーはじわじわと脚を伸ばすにとどまり3馬身差で3着。
 優勝したポッドガイは川崎デビューでここまで4連勝。5連勝目で南関東重賞制覇。南関東生え抜きの2歳馬ではおそらくトップ。ここは遠征勢に強力な馬がいませんでしたので,順当な勝利といえるでしょう。2着馬が荒削りなレースぶりだったのに対し,こちらは大人びたレース。この完成度の差が結果になったといえそう。ただ2歳のこの時期にしては完成度が高すぎる感もあり,将来的な成長を考慮すれば,やや不安な要素でもあります。しっかりと折り合えますから,距離が伸びることに問題はないでしょう。
 騎乗した大井の矢野貴之騎手は先月の戸塚記念に続いて川崎での南関東重賞を連勝。鎌倉記念は初勝利。管理している川崎の八木正喜調教師は第1回以来14年ぶりの鎌倉記念2勝目。

 自分の精神のうちにある混乱した観念を真理と思い込むこと,いい換えるなら虚偽を確実なものと信じてしまうことがなぜ人間の精神のうちに生じるのかは,各々の事例によって説明されなければ,正しく把握することができません。ただしスピノザは一般論として次のようなことは示しています。それはこういった事例は表象の動揺の有無と一定の関係を有するということです。もしも表象の動揺が発生するのであれば,必然的に疑惑が生じることになるので,その虚偽である表象像を真理と思い込むことは生じません。あるいは真理と思い込んでいた表象像に疑惑が発生し,真理であるとはみなさなくなります。したがって,虚偽を真理と思い込む絶対的な条件として,表象の動揺が生じていないということがあげられることになります。
 人間の精神は,同じと認識するような表象をたびたび経験するほど,ある事物から別の事物を連想するという表象の連結が固定化してきます。そして固定化されればされるほど,表象への疑惑は生じにくくなります。つまりこの場合に虚偽を真理と思い込みやすくなるのです。ですがあるときにそれまでとは異なった表象を経験すると,連想を秩序づけていた連結に変化が生じます。したがってある事物から異なった事物が別々に連想されるようになります。これが表象の動揺です。たとえばAからBへの連想が固定化していたと仮定しましょう。あるときAからCを表象すると,その固定化が崩壊します。そしてAからBも連想するしCも連想しますが,BとCとは同時には表象しないというようになるのです。なので,Bへの連想が固定化していた段階では,AからBへという虚偽が真理とみなされ得るのですが,Cを表象すると直ちにその連結への疑惑が生じるので,それが真理とはみなされなくなる,他面からいえば虚偽であると気付くことになるのです。
 ステノがカトリックの信者の神聖な生活を表象するのは,ステノの精神のうちでは虚偽です。そしてステノはこの虚偽を真理と確信していたのですから,ステノにはこの表象像に対する動揺が発生していなかったといえます。これを利用してステノの場合の説明は可能です。
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新人王戦&確実性と疑惑

2015-10-21 19:36:30 | 将棋
 19日に指された第46回新人王戦決勝三番勝負第三局。
 振駒で大橋貴洸三段の先手。菅井竜也六段のノーマル四間飛車から相穴熊に。中盤で後手に見落としが多くあったようで,先手の優勢に。相穴熊は玉の堅さが変わらないので中盤で差がつくと逆転は困難なのですが,この将棋は後手がうまく先手玉を薄くして,勝負型に持ち込みました。先手の指し方に問題があったのも事実でしょうが,そのあたりの後手の勝負術は見事であったと思います。
                         
 後手が香車で銀を取り,それを先手が取り返した局面。ここは逆転して後手の勝ちになっているのかもしれません。
 △8六桂とただのところに打ちました。金で取ると△6六桂と打たれるので▲同歩。今度は開いた所に△8七桂と捨て▲同金に△7九龍。先手は▲6七銀と引いて受けました。
 そこで△6九銀と打てば途中に複雑な手順がありますが,後手の食い付きが続いて勝てていたようです。しかし△5八銀と打ちました。
 ここで▲7二角成と金を入手して△同金に▲7八金と受けに回れば,後手の勝ちは変わらなくても難しいところがあったようです。ですが▲7三香で攻め合いに。しかしこれは△同角と取られ,▲同歩成のときに△8八香と打った香車をすぐに使われてしまいました。
                         
 第2図となっては先手玉に詰めろが続き,大勢は決しました。
 菅井六段が2勝1敗で優勝。第5回最強戦以来,2度目の棋戦優勝。現行規定の新人王戦にまだ参加資格があったということが意外でした。

 スピノザがそのように記述しているわけではありませんが,第二部定理三五に依拠すれば,虚偽と誤謬を概念として類別できることは間違いありません。同じことが第二部定理一七備考からもいえます。これらは,自分の精神のうちにある混乱した観念が虚偽であると気付くか気付かないかの相違に関係していわれているからです。ということはどちらの様式も現実的に存在するとスピノザは前提していた筈です。なので僕はスピノザが,誤った観念が精神のうちに存在することを知るという様式にはふたつあると考えていたと理解するのです。
 このうち,混乱した観念が虚偽であると気付かないという場合には,その観念の真理性に対する疑惑は発生しません。なぜなら,虚偽が虚偽であることに気付かないというのは,虚偽が真理であるか虚偽であるかが分からないということとは明白に異なっていて,虚偽を真理と思い込むということと同じだからです。つまりこの場合に,虚偽だけでなく誤謬もまた同じ人間の精神のうちにあるといわれるわけです。
 虚偽が虚偽であるとことを知るという場合には,疑惑が発生し,かつ力とみなせますから,真理を真理と知る認識の充足に近似していることになります。というのも真理と虚偽を分かつ真理の規範は真の観念すなわち真理自身にあるので,少なくともその精神のうちに,何らかの真理があることは確実だからです。ただし確実性は真理に対する認識の充足にあるというのが第二部定理四九備考でいわれていることなので,その人間が混乱した観念の対象ideatumとなる事物について確実であることにはなりません。
 虚偽が真理か虚偽か分からない場合にも疑惑は発生します。ですがこれは部分的に虚偽を真理と思い込むということを含んでいます。含まれなければ虚偽であると知ることになるからです。ですからこの場合には疑惑の発生は認識の充足とは程遠く,よって何ら確実ではありません。
 虚偽を真理と思い込む場合には,疑惑は発生しません。しかしこの疑惑の欠如が確実性を意味しないのは,第二部定理四九備考にある通りです。むしろこの疑惑の欠如は認識の不足の方を意味するのです。
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滝澤正光杯&疑惑

2015-10-20 18:55:59 | 競輪
 千葉記念の決勝。並びは石井-近藤-海老根-伊勢崎の千葉,深谷-山内の愛知,松岡-稲川の近畿で山崎が単騎。
 山内がスタートを取って深谷の前受け。3番手に山崎,4番手に松岡,6番手から石井で周回。石井がなかなか上昇せず,残り2周のホームで先に動いたのが松岡で山崎がここにスイッチ。バックにかけて深谷を叩くと,この外から石井が上昇。松岡の前に出ると松岡は番手戦。この隊列で打鐘になりましたが,石井はなぜかスピードアップせず。どういうことかと思いましたら位置を狙われた近藤の方が発進し,ホームで伊勢崎まで出切ると石井が4番手,松岡が5番手,山崎が7番手で深谷が8番手の一列棒状。力のある選手が後方に置かれるという地元勢にとっては願ってもない展開。松岡が3コーナー付近から動いていきましたが大勢には影響なく,番手から伸びた海老根の優勝。近藤と海老根の中割りになったマークの伊勢崎が半車身差の2着に続いて地元のワンツー。松岡の勢いをもらって大外を伸びた稲川が半車身差で3着。
                         
 優勝した千葉の海老根恵太選手は2011年1月の松戸記念以来となる記念競輪7勝目。千葉記念は2005年以来10年ぶりの2勝目。力だけでいえば山崎と深谷ですが,このふたりは斬り込んでくるタイプではないので,4人で結束できた地元勢の方が有利であろうとみていました。松岡の番手戦はあり得ると思っていましたが,地元勢にとっては想定内で,シミュレーション通りの走行になったものでしょう。スローになったときに深谷は動くべきで,結果論かもしれませんがその消極性が地元勢を助けることになった感があります。海老根は全盛時のような活躍はさすがに無理かと思いますが,一時よりは明らかに走れるようになっていると思います。

 自分が誤った観念を有していることを知るという場合には,ふたつの様式があるとスピノザは考えているのだと思います。
 ひとつは,その観念が誤った観念であると知る様式です。この場合,ある観念があると知りつつ同時にそれが誤っているということも知ることになります。ですから必然的に真理性に対する疑惑が発生します。誤りであると知っていることについてその真理性を疑わないというのは,ことばの上では可能です。あるいは文法的には成立しますが,ことばと観念が異なることに目を向ければ,そんな思惟作用が発生しないことが分かるでしょう。よって虚偽と誤謬の相違に注意すれば,このとき人間の精神のうちには虚偽だけが存在し,誤謬は存在しないことになります。第二部定理一七備考は,この場合の虚偽は人間の精神の長所とみなせるといっています。つまりこの様式においては,疑惑の発生が,むしろ認識の充足に近いことになります。
 もうひとつの様式が,ある観念があるということだけを知り,それが誤った観念であることに気付かないという場合です。この様式では,観念の真理性に対する疑惑は,発生するかもしれませんし,発生しないかもしれません。
 ある事柄が誤りであると気付かないということと,それを真であると思い込むことは,違ったことです。というのは僕たちにはある事柄が真であるか偽であるかということが分からないということが往々にしてあるからです。これは経験的事実といってよいでしょう。この場合にはその事柄の真理性に対しては疑惑が発生しているとみなしてよいと僕は思います。真であるか偽であるか分からないというのは,それが真理であると断定できないということです。しかしもしも真理と断定できているのであれば,真理性への疑惑は発生しないからです。なのでこの場合は,認識の充足とは程遠くても,確かに疑惑は発生していて,虚偽はあっても誤謬はないといえるのだと考えます。
 ですが人間には,誤謬を真理と思い込む場合,いい換えれば虚偽について真理性を疑わないという場合も発生し得るのです。少なくともスピノザがそう考えていたのは間違いないと思います。
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秋華賞&第二部定理四九備考

2015-10-19 19:00:44 | 中央競馬
 昨日の第20回秋華賞
 ノットフォーマルがハナへ。16番枠から強引に行ったので,2番手を離す形に。その2番手は単独でホワイトエレガンスでしたが,向正面に入るとレッツゴードンキが抑えられなくなり,交わしていきました。離れた4番手がシングウィズジョイとマキシマムドパリ。また離れてディアマイダーリン,ミッキークイーン,ココロノアイ,トーセンビクトリーとアスカビレン,ディープジュエリーという隊列で続き,また離れた後方集団の先頭にクイーンズリング。前半の1000mは57秒4の超ハイペース。
 人気のミッキークイーンは馬群の中で抑えたまま直線に。直線に入ったところできれいに前が開き,3番手の外まで進出していたマキシマムドパリの外から末脚を伸ばして先頭。大外から追い込んだクイーンズリングに詰め寄られはしたものの,しっかりと凌いで優勝。クビ差まで迫ったクイーンズリングが2着。早めの競馬のマキシマムドパリがよく踏ん張って1馬身4分の1差で3着。
 優勝したミッキークイーンオークス以来の大レース2勝目。前走のローズステークスは2着でしたがあくまでも前哨戦。本番で実力を完全に発揮しました。内回りの大外枠を克服してのものですから価値が高いといえるでしょう。今日が7戦目で連対を外していない安定性があり,牝馬同士なら古馬が相手でも通用するものと思います。父はディープインパクト
 騎乗した浜中俊騎手はオークス以来の大レース制覇。第19回に続いての連覇で秋華賞2勝目。管理している池江泰寿調教師は宝塚記念以来の大レース制覇。秋華賞は初勝利。

 スピノザとステノNicola Stenoの間の確実性の相違がどこに存するのか。ステノからみれば,書簡に示されている通り,スピノザは論理的な証明だけを確実性の根拠にしているのに対し,ステノには信仰fidesの確実性があったという点を措いてほかにありません。一方,スピノザの立場からこれを分かりやすく説明してくれるのが第二部定理四九備考です。
                         
 「ある人間が偽なる観念にどこまでも固執する〈そして誰も彼にそれを疑わせることができない〉と仮定しても,我々は彼がそれについて確実であるとは決して言わぬであろう。なぜなら我々は確実性をある積極的なものと解し(この部の定理四三およびその備考を見よ),疑惑の欠乏とは解しないからである」。
 〈〉の中はオランダ語版De Nagelate Schriftenから訳された部分であることを示します。
 備考Scholiumの中で触れられている第二部定理四三は,真の観念idea veraを有する者は自分が真の観念を有していることを知るからその観念の真理性を疑えないというものです。ですがその真理性に対する疑いの欠如privatioが,確実性を保証するのではないとスピノザはいっていることになります。確実性とは積極的なものでなければならないというのは,単に自分が真の観念を有していることを知っていること,疑惑の欠乏に対峙させていうならそうした認識の充足が確実性であるという意味でしょう。
 なぜスピノザは確実性をそうした認識の充足から説明しようとしたのでしょうか。それはおそらく以下のような事情があったからだと考えます。
 真の観念を有している者が真の観念を有していることを知ることができるのは,真の観念とその真の観念の観念が,ふたつの平行論のうち思惟属性内の平行論における同一個体であるということに由来します。誤った観念ないしは混乱した観念idea inadaequataは,たとえば人間の精神mens humanaのような有限知性に関連付けられる限りでいわれるのであり,神Deusの無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusに関連付けられれば真であり十全です。ですからそうした観念にも,同一個体である観念の観念idea ideaeがあります。いい換えれば人間は,自分が誤った観念を有していることも知ることができます。このことは第二部定理三六からしても認められなければならないでしょう。
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コーフィールドカップ&確実性

2015-10-18 18:52:28 | 海外競馬
 昨日,オーストラリアのコーフィールド競馬場で行われたコーフィールドカップGⅠ芝2400mに2頭の日本馬が出走しました。
 フェイムゲームは1番枠からの発馬ということもあり,中団やや後ろ寄りのインからのレース。じっとしていたので,直線に入る辺りではだいぶ位置を下げていました。ホッコーブレーヴの方は前半はフェイムゲームより少し前。こちらは15番枠からの発走でしたので必然的に外。ただ,発走直後から行きたがっていたように見えました。向正面で外から進出して位置取りを上げたのはそうした影響があったからかもしれません。直線も外からの競馬となりましたが,さすがに脚に余裕はなく,10着。フェイムゲームの方は直線少しだけ外に出て,それなりに脚は使ったものの,前に届くといった競馬ではなく,6着でした。
 フェイムゲームは長い距離で馬群を割ったときに最も強さを発揮するので,馬群がタイトになりやすい海外のレースには適性があるかもしれないと考えていました。なのでこういうレースでよかったとは思いますが,直線を向いたところでの位置が後ろ過ぎました。距離が伸びるのは絶対にプラスなので,予定通りにメルボルンカップを使えるなら,もう少しいい勝負ができる筈だと思います。ホッコーブレーヴは能力面ではフェイムゲームより下と思われるので,フェイムゲームが6着なら10着で順当という気はします。こちらも距離延長のマイナス面は少ないでしょうから,有力馬が長距離を苦にするようなら,今回以上の結果もあり得るでしょう。

 書簡の最後の方でステノは,神や精神と身体に関するカトリック共同体にずっと保持され続けてきた原理を真の原理であると信じたいとし,この原理に従う人びとの神聖な生活ぶりが,その原理が真であることを証明しているという主旨のことを書いています。ステノが本当にそう思い込んでいたのか,あるいは意図的にこのような記述にしたのかは何ともいえませんが,実際のステノの精神のダイナミズムはこれとは違っていたと僕は考えています。ステノにあったのはおそらく真理を知りたい,正確にいえばステノ自身が確信できる事柄を知りたいという欲望だったのであり,カトリック信者の神聖な生活が,ステノの確信に値したということであったと思われます。
                         
 さらにステノはその少し前の部分で,スピノザが確実性というとき,それは証明的確実性,これは第二種の認識による確実性のことを意味するといえますが,そういう確実性だけを念頭に置いていて,信仰の確実性を知らないと批判しています。この信仰の確実性を証明するのが,カトリック信者の神聖な生活であったわけです。したがってステノがいう信仰の確実性というのは,第三種の認識に類するような認識ではなく,ステノ自身が確信できるような事物の表象であったことになります。これはステノが,カトリックの原理が真であるということの証明に,信者の神聖な生活を援用していることからより明らかだといえます。
 ですがスピノザにとってステノが確信していた確実性は,何ら確実なものではありません。これは虚偽と誤謬が異なるということに注意するなら,容易に理解できる筈です。表象は混乱した観念であり虚偽です。しかしそれ自体では誤謬ではありません。しかしもしも表象を真理と認識するなら,この認識は誤謬です。第二部定理三五により,この誤謬は何らかの認識の欠乏を含みます。この場合には,虚偽が虚偽であるということの認識,いい換えれば確実性それ自体の不足と考えても構いません。なので誤謬である事柄をなお真理であると思い込むのは,虚偽が虚偽であることを疑わないというだけのことなのです。他面からいえば,確実性とは疑惑の欠乏ではないのです。
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竜王戦&ステノの奇蹟

2015-10-17 19:52:10 | 将棋
 一昨日,昨日と宇奈月温泉で指された第28期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績は糸谷哲郎竜王が2勝,渡辺明棋王が4勝。
 振駒で渡辺棋王の先手。糸谷竜王の横歩取りは意外な戦型でした。早い段階での戦いとはならず,後手が玉を美濃囲いにしたので,途中からは後手の角交換振飛車みたいな将棋に。
                         
 ここで後手が△3五歩と打ち,一直線の戦いに。▲3三歩成△3六歩▲3二と△3七歩成▲5八銀△3八と▲同角△4八金▲5六角△同飛▲同歩△5八金と後手の銀得の分かれに。この手順は後手の方が避けられなかったようです。
                         
 駒損とはいえと金があって手番なので,先手も十分に戦える筈の局面。▲2一飛と打ち,△3二銀▲1一飛成と駒を取り返す順を選択。後手が△8三歩と受けたところで▲3一龍の銀取り。この銀は受けにくく,先手はこれに期待して第2図ですぐに飛車を打ったものと思われます。ただ実戦はこの銀をなかなか取れない進展になったので,第2図ではと金を生かす▲4二との方がよかったかもしれません。
 受けられなければ攻めるほかなく△7九銀。▲7九金△4七角▲3九飛△3八歩▲2九飛△8五桂と進展。そこで▲6七金と投入して受けたのはあまりよい手でなく,▲6八銀と逃げるのが最善だったようです。確かに△7七桂成▲同桂に△3五角と自陣の角を使えて,後手の攻めが切れてしまうような心配がなくなったので,そこでは先手が容易に勝てる局面ではなくなっているように思えます。
 先手は銀は取らずに▲8六桂。△4六角▲5七香△4八銀と進みました。
                         
 確実ではあるもののおそろしく鈍重な攻めなのでまだ先手が何とかできそうにも思えます。▲8五桂がよかったようですが,▲7四桂打と直接的に攻めに出ました。その局面ではきわどいながら後手の勝ちとなっているようです。
 糸谷竜王が先勝。第二局は29日と30日です。

 ステノが意図していたか分かりませんが,僕が読解する限りでは書簡六十七の二には,ステノが改宗した動機の告白が含まれています。
 かつてスピノザとステノの間で哲学的対話が交わされたとき,スピノザは真理性が観念の内的特徴に依存することを話したと思われます。ステノもスピノザがそう考えていることは理解できましたが,ステノ自身は,内的特徴だけで真理性を確信できませんでした。とりわけ神のように,容易には表象することができない観念対象ideatumの場合に,顕著に感じられたことではなかったかと僕は推測します。このためにステノは,こうした対象に関しては,真理を外的特徴から判断したいと思っていた,より正確にいえば,真理性を確信できるような事柄を探求したいと思い,それを結果的に外的特徴に求めることになったと思われます。
 ステノは奇蹟を超自然的現象と把握していましたが,実際に書簡で示しているのはそういう類の現象ではありません。長いこと放蕩に耽っていた人間が,カトリックの教義によって一夜にして徳のある人間へと変貌することを,この上ない奇蹟であると考えていると述べているからです。でもステノにとっては奇蹟でしたから,それがカトリックは真の宗教であるということの,外的特徴になり得たのです。
 こうしたことが実際に生じたということは,否定することができないと僕は考えます。僕がこれを超自然現象とみなさないのは,ステノがいうような意味での人間の精神の状態の変化とするなら,第二部定理九によって論理的に説明可能な事柄,いい換えれば神の本性の必然性に則した事象であると考えるからです。ですがこの定理を具体的に現実的に存在するある人間に正しく適用することは人間の知性には困難です。ですからこの変化がステノには超自然的現象,すなわち奇蹟のようにみえたのです。
 つまり,スピノザと関係を有していた時代から,ステノには真理を確証できるような外的特徴を知りたいという欲望があったのだと僕は思うのです。そしてことによるとこの欲望は,スピノザと哲学的会話を交わしたからこそ,ステノに芽生えたものだったかもしれません。
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