スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯棋聖戦&2017年10月の通院

2018-06-30 20:11:20 | 将棋
 沼津倶楽部で指された第89期棋聖戦五番勝負第三局。
 豊島将之八段の先手で☗2六歩☖3二金☗2五歩☖7二飛という手順で後手の羽生善治棋聖の袖飛車。後手が攻めを急いだために先手の端攻めが厳しくなり,先手が優位に立っている局面が長かったのではないかと思います。それでも終盤は激戦になりました。
                                     
 先手が桂馬を打った局面。狙いは☗6二桂成☖同王☗4二角成として再度の☗7四桂でしょうか。
 後手は☖6五桂打としました。これは☗同金直でも☗同金右でも二枚換えになりそうですが,そこで手番を渡すのは危ないとみたか☗8八玉と逃げました。
 後手は☖1四歩とか☖1六成香としたいですが無視されて☗7四桂と打たれる順があるので☖8三銀と上がりました。これは☗7四桂を防いだ手。その手がないと先手も攻めきるのは難しく,かつ桂馬を渡すのも危ないので☗8二桂成と逆方向に逃げました。
 ここでは☖1四歩や☖1六成香があったのかもしれません。ですが後手も☖7四銀と逃げました。先手は☗7八歩。
                                     
 これが手堅い手で後手は駒を渡さないで攻めるのが難しくなっているようです。この後の後手の手順は暴発ともいえそうですが,仕方がなかったのではないでしょうか。
 豊島八段が勝って2勝1敗。第四局は来月10日です。

 母を見送った僕はそのまま内分泌科の受付に向いました。診察の予約が午後1時であったため,昼食を摂っている時間的余裕がなかったからです。
 診察室の前には電光掲示板があり,そこに予約票に書かれた番号が出て,番号の患者が各々の診察室に入る仕組になっています。医師が放送で患者を呼び込むこともありますが,基本的には表示システムです。この日,その表示板が新しい,大きなものに変わっていました。内分泌科が含まれている総合内科は6つの診察室があり,受付を挟んで1番から3番までが,待合所からみて右側の通路で4番から6番は左側の通路です。以前の小さな表示板は,この6つの部屋がすべて表示される様式の電光掲示板でしたが,新しくなったものは右側の診察室と左側の診察室が別々に表示されるようになっていました。このためにこの日からは,診察室へ続く通路に近い側のソファーで待つことになりました。そうしておかないと自分の番号の表示が分からないからです。
 午後1時5分には診察が始まりました。HbA1cは6.9%で7月より高くなっていましたが,これは7月がⅠ型糖尿病の患者としては低すぎたためで,想定の範囲内です。ただそれでも低血糖の発症はありました。今度の主治医は低血糖を防止することを重視するタイプなので,ランタスの注射量を0.01㎎だけ減らすように提案し,僕も了承しました。
 ほかに異常があったのはふたつです。ひとつはトリグラセライドで,これが44㎎/㎗と下限値を下回っていました。これは7月から検査詳細情報にそう記載されるようになったもので,それ以前の中性脂肪です。2015年7月に下限値を下回って以来の異常でした。どういう理由か分かりませんが,僕の中性脂肪は正常の範囲内であってもかなり増減します。かつては133㎎/㎗と,むしろ上限値に近いような値が出たこともありました。もうひとつの異常はLDLコレステロールで,これも64㎎/㎗で下限値を下回っていました。こちらは7月に続いての異常ですが,数値的には大差はないといえるでしょう。もちろんこれらについては主治医から何か言われるということはありませんでした。
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パズルのピース&肩と背中

2018-06-29 19:01:45 | 哲学
 僕は十全な認識への意欲が事物を混乱して認識することを起成原因causa efficiensとして人間の精神mens humanaのうちに発生するということは否定しますが,事物を混乱して認識することが十全な認識の契機となり得るということは部分的には否定しません。一方,田島正樹が『スピノザという暗号』で主張している,十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataをパズルのピースとして喩えることにはまったく賛同できません。
                                     
 もし田島のいうことが成立するとすれば,無限知性intellectus infinitusのうちにある個々の観念を,無限知性のうちでみるか,個々の観念としてみるかという観点に立つ場合です。第二部定理九から分かるように,どんな個物res singularisの観念でもほかの個物の観念を原因として発生するのですから,もし原因の観念と切断された観念があるならそれは混乱しています。ですがそれをパズルのピースに見立て,無限知性のうちのその観念があるべき部分に嵌めれば,それは十全な観念になるでしょう。おそらく第二部定理三六はそういう主旨のことをいいたいのであって,そう解する限り,確かに同じひとつのピースが,十全adaequatumであったり混乱していたりするということはできます。
 とはいえ,第二部定理七系の意味から明らかなように,混乱した観念は,それがあるといわれるなら,人間の精神のような,有限な知性のうちにのみあるのです。そして人間の精神のうちにあるパズルのピースとみるなら,同じピースであるとみることはできません。第四部定理一は,明らかにXの十全な観念とXの混乱した観念が同じ人間の精神のうちに同時に存在し得るということを示唆しています。したがってそれは同じピースであるわけではなく,異なったふたつのピースとみなければならないからです。
 第二部定理一一系がいうように,人間の精神は無限知性の一部です。ですが無限知性に対して成立する比喩が,人間の精神にも成立するわけではないのです。無限知性のうちにあるのと同じピースと,他との関連性を欠いた,もはやパズルの一部分とさえいえないピースが,人間の精神のうちにはあるとみなせます。前者は唯一のピースですが,後者に至っては同じXのピースでも,数多くのXのピースがあるというべきでしょう。

 10月2日が通院ということは前もって分かっていました。ですから僕としてはこの日の手術は避けてほしいという希望がありました。ただ執刀医の都合もありますし,時間的にも手術の開始は診察の前で,診察が終わっても手術は終了していないであろうということ,さらに手術なので家族がいなければならないのですが,病院の中にいるならそれでいいという先方の了承を得ることができましたので,この日の手術に踏み切りました。何しろ腸閉塞はいつ発症するか分からないものですから,できるのであれば手術は早い方がよく,最も早い日程を組むとこの日ということだったのです。
 病院に着いたのは11時25分ごろです。まず保険証確認に向いました。これはいつもと同じなのですが,9月に保険証が新しくなっていました。この場合はコピーを取るというのがこれまでの慣例であったように思うのですが,この日はそれを求められませんでした。コピーを取っていたのは僕の記憶違いかとも思いましたが,そうではなく,取らなくてよいようになったようです。
 まず僕の通院の予約票を所定の機械から出し,中央検査室に向いました。この日は採血を待っている患者がいませんでした。なのですぐに採血をすることができ,注射針の処理をしてから採尿。そしてそのまま母の病室に向いました。昨日,僕たちが面談を終えて帰った後,父のふたつ上の兄とひとつ上の兄がそれぞれ夫婦で見舞いに来てくれたようです。これはひとつ上の兄の奥さんには,事情を話しておいたためです。その時点で入院や手術の日程も決まっていましたから,みなと赤十字病院に入院しているということも知っていたのです。
 12時35分ごろに担当の看護師が母の病室にやってきて,僕たちは手術室へ向いました。これは母も含めて徒歩,といっても7階から手術室のある3階までは専用のエレベーターを使うわけですが,ベッドで移動するわけではなく徒歩での移動でした。そして手術室の入口で僕は母と別れました。
 このとき,僕が母の肩と背中を軽く叩いて,それが心強かったと後に母はいっています。僕はそれは無意識的にしたことで,そのようなことをしたことは覚えていませんでした。
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農林水産大臣賞典帝王賞&面談

2018-06-28 19:02:52 | 地方競馬
 昨晩の第41回帝王賞
 オールブラッシュは逃げたかったでしょうが先んじたテイエムジンソクが譲らなかったのでテイエムジンソクの逃げに。1馬身半差でオールブラッシュは2番手に控えました。3馬身差の3番手にケイティブレイブ。2馬身差でグランユニヴェール,ゴールドドリーム,リッカルドの3頭が集団。1馬身差でアウォーディーが続きました。ここからまた3馬身離れてカツゲキキトキト,ヒガシウィルウィン,サブノクロヒョウ,サウンドトゥルーの順で差がなく続き,あとは大きく離れてアポロケンタッキー,トーセンスパンキー,アサクサポイント,ネオヴェルモットの順で追走。前半の1000mは59秒9の超ハイペース。
 3コーナーを回ると逃げられなかったオールブラッシュは苦しくなり,テイエムジンソクの外にケイティブレイブが並び掛けていきました。さらにこれを目標に内からゴールドドリーム,外からリッカルドも追撃。直線に入るとテイエムジンソクを競り落としたケイティブレイブが先頭。ロスなく内を回ったゴールドドリームは直線もテイエムジンソクの内から抜けて2頭の優勝争い。制したのは内のゴールドドリームでケイティブレイブはクビ差の2着。後方から猛然と追い込んだサウンドトゥルーが1馬身半差の3着。一旦は追撃したものの一杯になったリッカルドは3馬身差の4着。
 優勝したゴールドドリームかしわ記念からの連勝で大レース4勝目。そのときのレース回顧でも記したように,距離の延長や右回りのコースはマイナス要素で,馬券的妙味という観点から僕自身は軽視しましたが,純粋な競走能力だけでいえばこの中ではトップですから,優勝自体は驚くような結果ではありません。むしろこの距離の大レースも勝ったことで,競走生活を終えて種牡馬となったときの価値は高くなったといえるでしょう。ただ,距離適性がもう少し短い距離にあるという判断は変えなくてもいいように思います。父はゴールドアリュール
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は3日の安田記念に続く大レース制覇。帝王賞は初勝利。管理している平田修調教師はNHKマイルカップ以来の大レース6勝目。帝王賞は初勝利。

 妹はそこにいても話の内容を詳しく理解できるわけではありません。ですから実際に話し合いに参加したのは4人だったと考えてください。
 基本的に先方で用意したプリントを使っての説明が中心でしたが,ここでは詳細は避け,ごく簡単なことだけいっておきます。まず,母が切除するのは大腸癌ですが,具体的にはS状結腸癌でした。父は横行結腸癌でしたので,同じ大腸癌でも父と母では患部は異なっていたことになります。また,父の場合も腸閉塞を発症する危険はあったのですが,切除することがすぐにはできなかったので人工肛門を装着しました。母は切除は可能という状態であったわけですから,進行の度合は母の方が浅かったことになります。
 大腸癌は内視鏡で治療するステージDという段階からⅠ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳと5段階に分かれていますが,母の場合は肝臓への転移がありましたのでステージⅣという最も悪い段階です。大腸癌自体は切除できますが,完治の見込みはなく,この場合は化学療法や放射線療法を行うのが一般的であるという説明が,消化器外科の執刀医からありました。これはおそらく消化器内科の担当医に,抗癌剤治療を行うということを母が伝えたために行われた説明だったと思われます。
 大腸の癌はS状結腸という部位に間違いなく存在するのですが,もう一箇所,別に癌の疑いがある箇所がありました。これは開腹手術をするときに執刀医が実際に目視で確認し,確かに癌であると認められればその部分も切除するという旨が伝えられました。つまり,本来の手術箇所は一箇所だけれども,もしかしたら二箇所を切除する可能性があるということでした。
 これらの説明の後,手術説明書や輸血同意書といった,外科的手術をする際に必要になる諸々の書類にサインをして面談は終了しました。たぶん30分から40分くらいだったと思います。正午が近かったですから,僕と妹は休日でも開いている院内の食堂で昼食を摂り,そのまま帰りました。つまりこの日はこれが見舞いの代わりにもなったということです。
 10月2日,月曜日。母の手術の日です。と同時に,この日は僕の内分泌科の通院の日でもありました。
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サンケイスポーツ盃優駿スプリント&入院

2018-06-27 19:08:49 | 地方競馬
 昨晩の第8回優駿スプリント。達城騎手が疾病のためクルセイズスピリツは西啓太騎手に変更。
 好発をきめたクルセイズスピリツに内からビッグマロンが並び掛け,この2頭で3番手以下を引き離していきました。3番手集団にはサンダーマックス,シングンレガシイ,アヴァレソーの3頭。その後ろがヴィブラビ,メモリーメンヒル,オーサムロード,ユニバーサルライトの4頭。ハタノサンドリヨン,レベルスリーが単独で続き後方集団にキタノシャガール,ミスターバッハ,サンニコーラの3頭。後方2番手にデニストンで最後尾がラウルアという隊列。前半の600mは34秒3のハイペース。
 3コーナーを回るあたりで前の2頭と3番手以下の差は5馬身。内から追い上げたシングンレガシイと外から追い上げたユニバーサルライトが3番手になって直線。前の2頭のうち外のクルセイズスピリツには余裕があり,ビッグマロンを抜いて自然と先頭に立つと騎手が後方を確認してから追い出し,そのまま危なげなく先頭をキープして優勝。クルセイズスピリツのすぐ外から追ってきたシングンレガシイが1馬身差で2着。シングンレガシイの外のユニバーサルライトは一杯になり,その外から差してきたヴィブラビがクビ差で3着。
 優勝したクルセイズスピリツは昨年5月に北海道でデビュー。フレッシュチャレンジは逃げ切ったもののその後の3戦は勝てず名古屋に移籍。6勝を積み重ねましたが東海地区の重賞は勝てず,南関東に移籍。今月7日の転入初戦は逃げ粘って3着でした。東海地区の重賞を勝ちきれない馬は南関東重賞では苦戦必至で,個人的にはノーマーク。ただ,小回りの名古屋や笠松で連続して逃げている馬は確かなスピード能力があり,転入初戦が1800mだったことを考えれば,距離短縮で一変があってもおかしくないところではありました。このレースは混戦模様でしたが,2着から5着までの4頭は僕が上位争いをするだろうと予想していた馬たちで占められましたので,能力が反映された結果であると判断しておいた方がいいと思います。父はサウスヴィグラス。母の父はバブルガムフェロー。3代母は1980年に牝馬東京タイムス杯,1981年に新潟大賞典と毎日王冠,1982年に京王杯オータムハンデキャップとカブトヤマ記念を勝ったジュウジアロー
 乗り替りで騎乗した大井の西啓太騎手はデビューから4年2ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している大井の荒井朋弘調教師は開業から11年1ヶ月で南関東重賞初勝利。

 備品のチェックなどを済ませて事務員が病室を去ると,今度は薬剤師が訪れました。は腸閉塞の発症を抑止するための下剤の服用は続けていましたので,そうした薬の話がありました。次に看護師がやってきて,手術は10月2日の月曜日で,午後1時からの予定であると伝えました。これは予定で,その前の別の患者の手術が長引くようなケースがあれば,遅れる場合もあり得るということでした。
 この後,執刀医との面談が予定されていたのですが,緊急の手術が入ってしまったために,この日はできませんでした。なので手術前日の10月1日の日曜日の午前11時から行うので,その時間に間に合うように病院に来るようにということが僕に伝えられました。さらに技師が来て,母はレントゲンの検査に向ったのですが,時間が掛かるかもしれないということでしたので,僕はそれで帰宅しました。僕が家に帰ったのは午後6時でした。
 この日は妹の前期の終了日,すなわち給料日でした。このために退勤がいつもより30分早く,午後3時でした。これには間に合わないということは前もって予測できましたので,Kさんに家で待機していてもらいました。Kさんは弁当をふたつ買ってきて,それが妹とKさんの夕食になりました。僕は帰途に根岸駅近くのスーパーで自分用の弁当を買っています。この日は弁当でしたが,この日以降は妹の夕食と合わせて,僕が支度することになりました。母は入院する前は,夕食の支度はしていたのです。
 9月30日,土曜日。妹は休日ですので妹を連れて母の見舞いに行きました。みなと赤十字病院は通院患者がいない土曜,日曜,祝日などは,正面玄関が開いていません。なので別の入口から院内に入ります。この入口は救急車が到着する場所に近いところにあります。緊急用の入場口と考えてよいのではないでしょうか。
                                
 10月1日,日曜日。午前11時から執刀医の話があるとのことでしたので,また妹を連れてみなと赤十字病院へ。予定時刻の少し前から,母の病室の向いにある応接室のような部屋で説明が行われました。病院側からは執刀医と看護師の2名,そして母と僕と妹の計5名での面談でした。
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中野カップレース&虫の知らせ

2018-06-26 18:54:42 | 競輪
 久留米記念の決勝。並びは吉沢‐杉森の茨城,浅井‐山内の中部,山崎‐吉本‐井上‐坂本の九州で山中は単騎。
 山内がスタートを取って浅井の前受け。3番手に吉沢,5番手に山中,6番手に山崎で周回。残り3周のバックを通過して山崎が上昇。吉沢が合わせて動き,浅井の前に。その上を山崎が叩き,5番手に吉沢,7番手に浅井,最後尾に山中の一列棒状になって打鐘。このままホームを通過し,バックから吉沢が発進。吉本もこれをみて番手捲りを敢行。吉沢は井上の牽制は乗り越えましたがコーナーから直線入口にかけて吉本自身に牽制されスピードダウン。吉沢の外から追い込んだ浅井が突き抜けて優勝。吉本が4分の3車身差の2着で浅井マークの山内が半車輪差で3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は昨年のKEIRINグランプリ以来の優勝。記念競輪は一昨年11月の武雄記念以来で22勝目。久留米記念は2012年以来となる6年ぶりの2勝目。このレースは僕には九州勢の並びが不思議に感じられ,山崎が早い段階からかましていって,吉本が後ろを待たずに番手から発進というレースになるのではないかと予想していました。しかし実際には山崎はそれほど早くからは駆けず,そのわりにはすんなりとした一列棒状のレースに。吉本は吉沢に対してよく抵抗しましたが,結果からするともう少し早めに発進し,井上が吉沢を止めるのに専念できるようにした方がよかったかもしれません。コーナーから直線に掛けて前でもつれが生じたため,脚を溜めていた浅井の決め脚が炸裂したというレースだったと思います。

 この日,僕が日常的に使用している眼鏡の左の鼻あてが脱落してしまいました。鼻あての脱落は以前もありましたが,あの時は鼻あてとパットを繋ぐ部分の破損。今回はパットが眼鏡の接着部分から落ちてしまったもので,事情は異なりました。いろいろとやらなければならないことも重なっていたのですぐに眼鏡屋に行くことができませんでしたので,予備の眼鏡で対応しました。また,午後に薬局に妹のを取りに行きました。少し時間が掛かりましたがようやく入手することができました。
 9月27日,水曜日。父のひとつ上の兄の奥さん,僕からみると伯母にあたりますが,その方が来訪しました。こちらからは何も知らせてはいなかったのですが,何か虫の知らせのようなものがあったので,急に訪ねてみる気になったとのことでした。僕も母もそのことには驚きましたが,母の病状について話すことができました。
 22日に妹を通所施設まで送って行った帰りに,I歯科に寄って予約を入れてきたと書きましたが,その歯科検診がこの日でした。これが午前11時から。この時間の予約にしたのは妹を送って行った後でも間に合うようにしたためです。もっとも,ガイドヘルパーによる送りが始まっていましたから,もっと早い時間でも大丈夫になっていました。この日もクリーニングをしただけです。母の予約が10月4日に入っていましたが,これの取消も合わせてお願いしてきました。
 午後4時35分ごろに福祉事務所の方が来訪されました。これは妹の帰宅後に合わせてもらったものです。この日も僕は面談には参加していませんが,この日に来訪したのが23日に来訪した方とは別の方だということは僕にも分かりました。
 9月29日,金曜日。母の入院の日です。これは僕が同行しました。午後1時から2時の間に来るようにいわれていましたが,病院に着いたのは午後1時少し前でした。入院の受付の専用窓口が1階にありますので,まずそこで受付をした後,消化器内科の入院病棟がある7階に上がり,そちらの受付,これはナースステーションの窓口と同じ場所ですが,そちらでも受付をすると,7階の事務の方が病室に案内してくれました。
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十全な認識への意欲&母の希望

2018-06-25 18:59:33 | 哲学
 僕は現実的に存在するある人間がXを混乱して認識することによって,Xを十全に認識してみようと思うということはあり得るという意味においては,混乱した観念idea inadaequataが十全な認識の契機となり得るということを全面的には否定しません。僕の読解ではドゥルーズGille Deleuzeは少なくともこのことは主張していて,そのゆえに僕はその主張に関しては全面的に否定はしません。ただし,これをいうためにはある条件を付さなければなりません。この場合でいえば,Xを十全に認識しようという意欲が,何を原因として発生するのかということです。
                                      
 僕は,Xの混乱した観念がXを十全に認識することへの意欲の原因であるということについてはこれを否定します。つまりAという人間が現実的に存在し,AがXを混乱して認識する,あるいは表象するimaginariと,このAの精神mensの一部はXの混乱した観念によって形成されます。これが契機となってAはXを十全に認識しようという意欲を有する場合があり得るということは僕は否定しません。ですがその意欲の原因は,Xの混乱した観念あるいはXの表象像imagoであるということは否定するということです。このとき,仮にAがXを表象しなかったらこの意欲がAのうちに発生することはなかったとしても,Xの混乱した観念がその意欲の原因であるということを僕は否定します。
 ではその意欲の原因を僕が何であると考えているのかといえば,それはAの精神のうちにある,事物を十全に認識しようとする意欲,第四部定理二六で示されているような,事物の十全な認識に向けられたコナトゥスconatusです。この現実的本性actualis essentiaは理性ratioの現実的本性とされていますから,Aの理性がこの意欲の原因であると僕は考えます。
 Xを混乱して認識することが,その人間が理性を働かせようとする契機とはなり得ます。ですが意欲自体は理性の現実的本性から生じるのであり,混乱した観念から生じるのではありません。

 僕は面談には参加していません。福祉事務所の方と妹と母の三者での面談であったからです。このとき,当面の課題となっていた,妹を通所施設まで送ることについて,具体的なことが決定され,28日ごろからはガイドヘルパーの方が迎えに来て,送ってもらうことになりました。もう少し遠くの未来,というのは具体的にいえば母の死後のことですが,それについては何も決めることができませんでした。ただ母は,妹は基本的にグループホームで生活するのがよいという希望を抱いているということは,面談の後に母から聞いた話で僕も理解しました。
 9月24日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。妹が好むのはボーリングとカラオケで,従来はほぼ交互に行われていたのですが,この頃はほとんどがカラオケになっていました。これには理由があって,妹と一緒にガイドヘルパーを利用されている障害者の中に,腰痛を患っている方がいて,その方にとってボーリングはむしろ苦痛になっているからでした。
 この日は午後1時15分ごろにKさんが来訪されました。40分ほど母と話をして帰りました。
 9月25日,月曜日。この日も僕が妹を送りましたが,福祉事務所から,28日からの予定が早まって,明日から妹を送って行く手筈が整ったという連絡が来ました。ですから26日からは,基本的にガイドヘルパーが妹を通所施設まで送っています。この送りを担当するガイドヘルパーは全部で4人でした。妹は月曜から金曜まで通っていますが,木曜と金曜は同じ人でしたので,計4人ということです。これで基本的に僕が妹を送って行くということはなくなったのですが,こちらの都合もあって臨時でガイドヘルパーを断るというケースも生じています。それについてはその都度,記していくことにします。
 9月26日,火曜日。この日からガイドヘルパーによる送りのサービスが始まりました。サービスといってもこれは有料です。もし磯子区内から磯子区内に通うならバス代は不要だったようですが,妹の通所施設は中区で,この場合にはバス代も必要でした。バス代はガイドヘルパーに手渡すという形でした。
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宝塚記念&薬局

2018-06-24 18:55:06 | 中央競馬
 香港から1頭が遠征してきた第59回宝塚記念
 サイモンラムセスがハナに立ち,押さえようとしたところでタツゴウゲキが並び掛けてきたのでまた仕掛けるという形での逃げに。その分もあって2馬身ほどの差がつき,タツゴウゲキが2番手。3番手はストロングタイタンとスマートレイアー。好位集団にミッキーロケット,ダンビュライト,ゼーヴィントの3頭。中団馬群にノーブルマーズ,サトノクラウン,ヴィブロス,サトノダイヤモンドの4頭。以下はステファノス,パフォーマプロミス,ワーザー,キセキの順で続き,少しだけ離れた最後尾にアルバート。最初の1000mは59秒4のミドルペース。
 サイモンラムセスは3コーナーを回っても3馬身ほどのリードがありましたが,向正面で外に出していたサトノダイヤモンドが外を捲り上げ,直線の手前で2番手に。この動きに呼応して各馬が動き,内を回っていたミッキーロケットが一杯になったサイモンラムセスに代わって先頭に。コーナーで脚を使っていたサトノダイヤモンドには余力がなく,先行・好位グループの各馬も脚を使えず,一旦はミッキーロケットが抜け出す形に。追ってきたのは大外を追い込んできたワーザーで,この2頭の優勝争い。フィニッシュまで凌いだミッキーロケットが優勝。ワーザーがクビ差で2着。勝ち馬と同様にロスなく内を回ってきたノーブルマーズが3着。最後でこれに迫ったヴィブロスがクビ差の4着。
 優勝したミッキーロケットは昨年1月の日経新春杯以来の勝利で大レース初制覇。大レースを勝つ能力があることは間違いなく,このレースはややメンバー構成が弱化していたこともあり,そのチャンスを掴んだという形。2着馬とはコース取りの差も大きく,枠順も味方しての勝利といえるでしょう。馬場が悪化すると明らかに成績が悪くなっていた馬で,稍重馬場まで回復していたのもプラスに作用していたのだろうと思います。父はキングカメハメハ
 騎乗した和田竜二騎手は2015年のかしわ記念以来の大レース10勝目。第41回以来18年ぶりの宝塚記念2勝目。管理している音無秀孝調教師は一昨年のマイルチャンピオンシップ以来の大レース10勝目。宝塚記念は初勝利。

 僕が妹の通院に付き添っている間に,母は磯子区役所内にある福祉事務所に出掛けていました。これは妹の今後について相談するためでした。母も具体的にどのような対処をすればよいのかは分かっていなかったようなのですが,休日に妹をカラオケやらボーリングやらに連れて行ってくれるガイドヘルパーの方に相談してみたところ,福祉事務所に行くべきであるという助言を受けたようです。母の死後に妹をどのように処遇するのかということについては,僕はノータッチでした。母がそのことについてあまり心配することなく死ぬことができるためには,それについて母がすべて決めるのがベストだと思ったからです。もちろん母がどのような決定をしようとも,僕はそれに従うことに決めていました。
 9月22日,金曜日。この日は妹の日帰り旅行がありました。観光バスを利用し,しながわ水族館を見学してホテルで食事をするというものです。観光バスは通所施設の前から出発することになっていましたので,その出発時間に間に合うように僕が妹を送りました。その帰りにI歯科に寄り,歯科検診の予約を入れてきました。また,前日の妹の通院の帰りに在庫が不足していた薬局にも寄ったのですが,この時間にはまだは届いていなかったので,入手することができませんでした。なお,薬局は共に根岸駅の近くにあるのですが,僕がインスリンなどを入手している薬局と,妹の薬を入手している薬局は別の薬局です。これはそれまでは妹の薬は母が取りに行っていたからで,僕が使っている薬局は個人営業のような形態の薬局であるのに対し,妹の薬を入手しているのは,チェーン店で,薬剤以外の品揃えが豊富なのです。このために母は僕が使っているのとは別の薬局に寄っていて,その流れで妹の薬はこちらの薬局で入手しています。ですから母が自分の薬を入手するというときにも,こちらのチェーン店の薬局を利用していました。一方,死んだ父はⅡ型糖尿病で,薬を服用していましたが,父は僕が行っているのと同じ薬局を使っていました。
 9月23日,土曜日。福祉事務所の方が来訪しました。午後4時半の予定でしたが,3時ごろに早まりました。
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選手の派遣&手術の日程

2018-06-23 19:06:16 | NOAH
 馬場と坂口の関係は良好でした。したがって坂口が新日本プロレスの社長を務めていた時期は,全日本プロレスと新日本プロレスの関係もわりと良好でした。最初にWWFが組織として来日したとき,全日本プロレスに新日本プロレスも加えての合同興行が成立したのは,佐藤昭雄の尽力もあったでしょうが,新日本の社長が坂口であったからで,猪木の時代であったらあり得なかったろうと思います。
                                     
 ふたりの関係性の良好さを示す例がほかにもあります。
 この合同興行が開催される2か月前の2月に新日本プロレスは東京ドームでの単独興行を開催しました。新日本が当初にこの興行の目玉として設定していたのがネイチャーボーイの参戦で,ただフレアーは全日本が所有するという協定があったため,新日本が所有していた殺人医師とのトレードという形になったのです。ところがこのトレードが成立した後で,フレアーは参戦することができなくなってしまいました。ですから結果的にいうと全日本プロレスが無償でウィリアムスを手に入れるという形になったのです。その後のウィリアムスの全日本プロレスでの活躍を考えると,このトレードは全日本は得をし新日本は損をしたことになります。
 興行の目玉がいなくなってしまって困った坂口は馬場に選手の派遣を依頼し,馬場はそれに応えました。この結果,新日本プロレスの単独興行には,ジャンボ・鶴田,谷津嘉章,天龍源一郎,2代目タイガーマスクの4選手が参戦しています。
 馬場もバーターのような形で手に入れたウィリアムスが,もうこの2月のシリーズに参戦することが決定していましたから,フレアーが来日することができなくなったということには困惑していたのだと思います。ですから坂口の依頼を二つ返事で承諾したのでしょう。ただこのとき,ライバルである全日本プロレスにお願いをすることができたのは,社長が坂口だったからであり,またそうだったから馬場も承諾できたのでしょう。たぶん両者の関係を最も如実に示しているのが,このときの選手の派遣であったと思います。

 9月16日,土曜日。妹の土曜出勤でした。僕が通所施設まで送りました。
 9月17日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後2時の開始でした。
 9月20日,水曜日。消化器内科の診察でした。これは先週の金曜日に行われた注腸検査の結果を踏まえ,どのような日程でどのような施術をするかの説明でした。この日は母がひとりでみなと赤十字病院まで行き,消化器内科の医師の話を聞いてきました。ただ,手術は消化器内科の医師が執刀するわけではなく,消化器外科の医師が担当することになります。なので執刀医との面談もあったようです。この日に決定したのは,29日に入院して,10月2日に大腸癌を切除する手術を行うということと,術後の経過が順調なら,10月9日に退院するということでした。またこの日は消化器内科の医師の方から,その手術が終わった後の抗癌剤を用いた延命治療に関する話もあったようです。医師はこの治療を受けるように強く勧め,母は受諾したということでした。ただもちろん,この治療を受けることは元来の母の本意ではありませんでしたから,もしその治療を受けてみて,体力的に辛くなれば,すぐに治療を中止するということについて確約を取ってきたようです。この消化器内科の担当医とは僕も13日に会っています。そのときは延命治療に関することが主題とはならなかったので僕には分からなかったのですが,後に何度か面会を重ねるうちに,母に対して延命治療を行いたいと思っているということは僕にもよく分かりました。ただ,僕は母の希望を優先することが最善であるという見解を有していましたから,僕に対して延命治療のことを尋ねられたときには,母のしたいようにして構わないという主旨の答えしかしませんでした。
 9月21日,木曜日。妹の本牧脳神経外科への通院があり,僕が同行しました。これは午前10時から。診察だけでしたが,前回の通院時に行った採血の結果が出ていました。血液中の妹のの濃度は適正であるということ,また肝臓と腎臓の機能にも問題がないとのことでした。そのまま妹を通所施設に送り,薬局に寄りましたが,在庫が不足していました。
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伝記作家の評価&助言

2018-06-22 18:43:59 | 歌・小説
 伝記に伝記作家の評価の混入があるのは,大抵の伝記は伝記作家がその伝記の対象に何らかの関心を抱いた上で伝記を記述することになるからです。このことに関連して,補足しておきたいことがあります。
                                     
 多くの場合,伝記作家は伝記の対象者に対して肯定的な関心を抱くことによって伝記を書くことになります。ある作家の作品に魅了されたがゆえにその作家の人生にも興味を抱き,それを調査して伝記を書くというのはこの場合です。その典型が『ドストエフスキイの生活』で,この伝記の場合には小林秀雄のドストエフスキーの作品に対する関心の方がむしろ強く出ていますから,作品に合わせたような伝記が記述されているといっても過言ではありません。ですからこういった伝記は伝記の対象者,この例でいえばドストエフスキーの人生について真実のすべてが記述されていると解するのは危険で,虚偽が含まれていると思ってた方がいいです。あるいは少なくとも,虚偽は含まれていなくとも,真実のすべてが書かれているわけではなく,伝記作家の都合のよい部分だけが掬い上げられていると思っておくべきでしょう。
                                     
 十川信介の『夏目漱石』の場合にはそこまで考えなくてもいいですが,十川は漱石の小説にも多大な関心を抱いていて,それが伝記を記述する契機になっているのは間違いありません。ですから無意識のうちにであれ,漱石を美化してしまうことはあり得るということは,この伝記を読む上で前提としておかなければならないと僕は考えます。
 大部分の伝記はこのようなことを前提として読めば間違いないと僕は思います。しかし中には,それとは別に,何らかの否定的な関心をある人物に対して抱いたがゆえに,その人物の人生を調査して伝記を記述するという場合もあります。よってこのような伝記は無意識的に,伝記の対象者を卑下するような記述が混入する可能性があります。ですから伝記作家が伝記の対象者にどういう関心を寄せたがゆえに伝記を書いたのかということは,伝記を読む前に知っておくべき事柄のひとつなのです。
 伝記にはほぼ伝記作家の評価が混入します。しかしその評価は,必ずしも肯定的とは限らないのです。

 まとめると,診察の前に僕が,抗癌剤を用いた延命治療はしたくないと言った母に伝えたのは,ふたつのことです。ひとつはその治療が辛く苦しいものかは実際に受けてみなければ分からないので,受ける価値はあるだろうということです。そしてもうひとつは,辛い治療を受けてまで長く生きたくはないというのが母の希望なので,仮に治療を受けるとしても,それが辛くて中止したくなったらいつでも中止することができるということについて,医師から確約を取っておくべきであるということでした。
 ただ,実際のこの後の診察では,抗癌剤を用いた治療のことは主題とはなりませんでした。前述したようにこの日の診察は今後の治療方針の伝達のためであったのですが,母の大腸癌は検査用の管を通すことが困難なまでに大きくなっていましたから,当座は腸閉塞を発症しないようにすることが重要で,こちらの話が中心だったのです。腸閉塞の発症を防ぐためには大腸癌の切除が必要で,しかしそのためには実際にどの程度までの癌であるのかということを詳しく調べなければなりません。母も腸閉塞を発症してすぐに死んでしまうということは,妹の今後のこともあって本望ではありませんでした。ですから大腸癌を手術で切除することが必要であるとなれば,その手術は受ける決意を固めていました。
 大腸癌を調べる検査は注腸検査という名前の検査で,この検査をするためにも事前に準備が必要でした。準備というのは食すものに関連する事柄です。なのでこの検査はこの日のうちには不可能で,この検査を受けるための専用の食材が院内のコンビニエンスストアで販売していましたから,この日はそれを買って帰りました。帰宅したのは午後3時10分ごろでした。
 9月14日,木曜日。妹の誕生日です。ですから通所施設まで妹を送った帰りに,ケーキを買って帰りました。夕食後に妹を祝いましたが,おそらく母が妹の誕生日を祝うのはこれが最後になるだろうという類の感慨が僕にも生じました。おそらく母も同じことを思っていただろうと推測します。
 9月15日,金曜日。この日が注腸検査で,母はひとりで病院に。妹は僕が送りました。
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第三部諸感情の定義三七&医師と患者の出会い

2018-06-21 19:01:45 | 哲学
 第四部定理四五系一で悪malumであるといわれている感情affectusのうち,最後に示されている復讐は,第三部諸感情の定義三六の怒りと同様に欲望cupiditasの一種であり,こちらは第三部諸感情の定義三七に示されています。なお,岩波文庫版では系Corollariumの方は単に復讐と訳され,定義Definitioの方では復讐心といわれていますが,これらはラテン語では同じvindictaです。一般に日本語では復讐というのは実行される行為のことを指すと思われますので,それが感情であるということを強調するために,僕は復讐心ということにします。
                                
 「復讐心とは我々に対して,憎しみの感情から害悪を加えた人に対して,同じ憎み返しの心から,害悪を与えるように我々を駆る欲望である」。
 概ね行為としての復讐はこの定義で示されている,害悪を与えた人間に対して害悪を与え返すということを意味していますので,復讐することを欲望する感情が復讐心であると考えて差し支えありません。
 僕はある人間のことを憎めばその人間に対して怒るということが人間の現実的本性actualis essentiaから発生することをすでに示しました。したがってその怒りという欲望が実行されるなら,実行された相手が憎みまた怒った相手に対して怒りを有するということは,同様のメカニズムによって生じることが明らかでしょう。そしてこの怒りは特別に復讐心といわれているのです。したがって,復讐心というのは我々に対して与えられた害悪に報復しようとする怒りであると定義してもよいでしょう。
 これは憎しみodiumの連鎖の一種ですが,具体的に相手に害悪いい換えれば悲しみtristitiaを与えようとする欲望を伴った憎しみの連鎖であるということができます。憎しみが憎しみを産出するように,怒りは実行を伴えば新たな怒りを産出します。その新たな怒りが復讐心ですが,この復讐心は実行されればまた新たな復讐心を産出します。つまり憎しみの連鎖は怒りの連鎖あるいは復讐心の連鎖をも産出する可能性が高いのです。

 まだ受けていない段階で抗癌剤を用いる延命治療が母にとって辛いとは決定できないので,もしそれだけの理由で延命治療を受けたくないと判断しているのであれば,実際に辛いかどうかを確認する意味でも受けてみる価値があるということを僕は母に伝えました。しかし同時に,医師が抗癌剤による延命治療を方針として打ち出してきたら,無条件にそれを受諾するべきではないということも同時に伝えました。
 すでに示したように,完治の見込みがない病気については,寿命は縮まっても辛さを感じる治療は避けるという選択にも一理ありますし,辛くても可能な限りは寿命を延ばすという選択にも一理あるのです。こうした選択に正解はないというのは,実は患者にとってそうであるというだけでなく,患者を実際に診察する医師にとっても同様であると僕は考えます。ですから延命治療を強く勧めるのも一理ありますし,患者が望まない限りは説明だけにとどめ,延命治療は推薦しないというのも一理あると僕は考えます。
 医師といってもひとりの人間ですから,ある医師と別の医師とでは現実的本性actualis essentiaが異なります。母のような場合についていえば,延命治療をあまり推薦しない現実的本性を有する医師が診察にあたる方がよいことになりますが,少しでも長く生きたいという患者にとっては,延命治療を積極的に行う医師が診察にあたるのがよいということになるでしょう。ですが患者がどういう考えを有しているかは事前には医師には分かりませんし,医師がどういう考えを有しているかが事前に患者に分かるわけではありません。これでみれば分かるように,医師と患者の出会いというのは,必ずしも双方にとってよい出会いであるとは限らないのであって,悪い出会いになる場合もあり得るのです。いい換えればその出会いは善bonumであるとは限らず,悪malumである可能性があるのです。
 抗癌剤の治療は辛さを感じる可能性の方が高いと僕には推測できました。ですがそれを受諾してしまえば,医師はそれをずっと継続する可能性があります。それは母の望むところではありません。ですから,母が中止したくなったら中止するという確約が必要だと僕は考えました。
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京成盃グランドマイラーズ&受ける価値

2018-06-20 20:46:01 | 地方競馬
 第21回京成盃グランドマイラーズ
 ウェイトアンドシーが一旦は先頭に立ちましたが,発走後に鞭を入れていたキングガンズラングは引かず,内からウェイトアンドシーに並び掛け,向正面に入るあたりでは2頭が並んで逃げる形に。3馬身差の3番手にオメガヴェンデッタ。2馬身差の4番手にリアライズリンクス。この後ろは6馬身くらい離れてムサシキングオーとセイスコーピオン。さらに2馬身差でインフォーマーとトロヴァオ。また2馬身離れて最後尾にタイムズアローという縦長の隊列。前半の800mは47秒4で超ハイペース。
 向正面の途中で単独の先頭に立っていたキングガンズラングに再びウェイトアンドシーが並び掛け,雁行でコーナーを回って直線に。直線に入るとキングガンズラングがまたウェイトアンドシーとの差を広げていき,そのまま逃げ切って優勝。大外から伸びたリアライズリンクスが4馬身差で2着。3番手から前の2頭を追ったオメガヴェンデッタが1馬身半差で3着。ウェイトアンドシーとオメガヴェンデッタの間から伸びたムサシキングオーがハナ差の4着でウェイトアンドシーがクビ差の5着。
 優勝したキングガンズラングは南関東重賞初制覇。デビュー戦2着の後,3連勝で挑んだ昨年の羽田盃は6着。その後は中央との交流戦が2着で古馬との混合条件戦を勝利。戸塚記念で2着に入って休養。今年の2月に復帰すると4連勝でここに出走していました。羽田盃を別にすればここまで強い相手と戦うのが初めてだった分,通用するかは半信半疑だったのですが,あっさりと克服。斤量面が有利であったわけではないのに今日のメンバーを相手に勝ったのはとても価値が高く,まだ4歳でほとんど崩れていない馬ですから,これからの走りがとても楽しみになりました。母の父はバブルガムフェロー
 騎乗した船橋の石崎駿騎手は昨年の桜花賞以来の南関東重賞制覇。第19回以来2年ぶりの京成盃グランドマイラーズ2勝目。管理している船橋の矢野義幸調教師は南関東重賞16勝目。第19回以来2年ぶりの京成盃グランドマイラーズ2勝目。

 抗癌剤を用いる延命治療が苦しいものであるということを,判断の前提にしてよいかということが僕の疑問でした。第二部定理四〇が示すように,正しい判断すなわち結果として生じる十全な観念idea adaequataは,その人間の精神mens humanaのうちにある十全な観念を原因としていなければならないのであって,母の判断の原因となっている観念は十全ではないことは明らかだったからです。
                                
 父の遺体は北部斎場で荼毘にふされました。そのとき,頻繁に父を見舞ってくれたT先生が,奥さんが抗癌剤治療を行ったときのエピソードのことを話してくれました。T先生の奥さんの場合は延命治療ではなく,完治を目指すための治療ですから母の場合とは異なりますが,抗癌剤の治療が辛かったのは間違いありません。そのためにT先生は,完治の見込みがなかった父については,抗癌剤による治療が不可能になってかえってよかったのではないかと言ったほどです。ですから母もまた抗癌剤による治療を行えば,苦しい思いをすることになる可能性が高いことは僕も心得てはいたのです。
 ただし,こうしたことは一般的にはいえません。というのは第四部定理三二が示すように,人間は受動passioに従属する限りにおいては本性naturaの上で一致することはないからです。つまり抗癌剤というのはどんな人間にとっても外部の物体corpusですから,抗癌剤治療というのはどんな人間にとっても受動に属します。このとき,治療を受ける人間の身体corpusと抗癌剤が関係することによってどのような反応が生じるのかということは,第二部自然学②公理一が示すように,抗癌剤の本性だけで決定されるのではなく,治療を受ける各々の人間の身体の本性との組合せで決定されます。ところが各々の人間の現実的本性actualis essentiaは異なっていますから,同じ抗癌剤を用いた治療であっても,辛さを感じる身体もあれば感じない身体もあるといわなければならないからです。
 母は実際に治療を受けてそれを苦しいと感じたわけではありません。抗癌剤から働きを受けるpatiことが苦しいかは,実際に働きを受けてみないと不明です。なので母が示した理由が治療しないという判断の理由なら,治療を受けてみる価値はあるだろうと僕には思えました。
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合格の理由&正解のない選択

2018-06-19 19:09:55 | 歌・小説
 奥さんが先生との同居を決定した理由,いい換えれば,単に下宿人として適しているのかということではなく,の結婚相手として適性があるのかという面接に合格した理由は,先生の国元の事情について詳しい話がなされなかったのですから,先生が相続していた遺産を目的としたという意味においては財産目的ではなかったと解するべきです。ではなぜ奥さんは先生が娘の結婚相手に相応しいと思ったのでしょうか。実際に先生には一家の主が使用するべき部屋を下宿部屋として与えているのですし,戸棚には先生の着物と静の着物を一緒に収めているのですから,先生が将来の静の結婚相手であるとみなされていたことは疑い得ないといわなければなりません。
                                     
 面接のときに具体的に何が話されたのかが記述されていないので,このあたりは不分明ではあります。ただ先生もまた,国元の事情を話した後で,奥さんや静が自分に長男の悲劇を味わわせた叔父と同様に,自分の財産を目的としているのではないかと疑い出しているのですから,遺産とは別の理由があったことは確かでしょうし,それは国元の事情を話さなければ先生には疑念が生じないような理由であったと考えなければならないでしょう。
 ひとつだけ想定することができるのは,先生はこの時代において間違いなくエリートであったということです。『こころ』を記述している私が先生のことを先生と呼ぶ理由は,同様にエリートであった私には,先生がエリートであるということが容易に見破れたからでした。奥さんや静はエリートではありませんが,面接では先生は学校のことは尋ねられたといっていますから,先生がエリートであるということは奥さんにも理解することができたでしょう。そしてそのことが,娘が先生と結婚すれば,困窮することはないと確信させたと考えることはできます。
 後に遺産の話を聞いて,奥さんがさらに先生を娘と結婚させたいと思うようになった可能性は僕は否定しません。ですが最初からそれを目当てにしていたというのは誤った読解であると考えます。

 延命治療としての抗癌剤の使用は,文字通りに生命を永らえるための治療で,癌が完治するわけではありません。進行が遅くなるというだけです。そうであるなら治療で身体に負担をかけて長く生きるより,生きる時間は短くなっても身体への負担を減らすというのは一理あると僕は考えます。ただしそれは一理あるだけで正しいという意味ではありません。現実的に存在する人間の完全性perfectioが,より小なる完全性からより大なる完全性に移行すること,いい換えれば第三部諸感情の定義二により現実的に存在する人間が喜びlaetitiaを感じるということがあるとすれば,それはその人間の身体corpusが,同時にその身体の観念であるその人間の精神mens humanaが現実的に存在している限りです。つまり生きている限りであって,死んでしまえばそうしたことは生じ得ません。そうであるなら多少の苦しみはあったとしても少しでも現実的に存在する時間tempusを伸ばそうとするというのにも一理あるのです。
 この選択には正解がないのであって,選択を迫られた場合にはどちらにせよ本人が選択するのが最善であるというのが僕の考えです。つまり,正解がない事柄の選択については,あるいは正解が不明である場合の選択については,どれかの選択肢を生きることになる本人が選択するのが最善であるというのが僕の考えだと理解してください。このときには母は,自分自身で抗癌剤の治療をしない方を選択したのですから,僕は基本的にそれを尊重するべきだと考えたわけです。ただし,ここにあげた選択肢から理解できるように,母の選択には前提が必要です。いうまでもなくそれは抗癌剤による治療が身体に負担を掛けるものである,いい換えれば辛く苦しいものであるということです。母の説明ではこの前提が最初から設定されていました。僕が母の説明に非合理的な部分があると考えたのはそこのところです。
 世の中には,そんなことはとてもできそうにないと思えても,やってみたら意外と簡単にできたということもあれば,逆にそんなのは楽勝だと思っていたのに,やってみたら思いのほか困難であったということがいくらでもあります。これは経験的にだれでも理解できるのではないでしょうか。
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第三部諸感情の定義三六&延命治療

2018-06-18 19:00:20 | 哲学
 第四部定理四五系一で悪malumといわれている感情affectusのうち,怒りは欲望cupiditasの一種で,第三部諸感情の定義三六で定義されています。
                                
 「怒りとは我々の憎む人に対して,憎み心から,害悪を加えるように我々を駆る欲望である」。
 この定義Definitioから分かるかと思いますが,これは僕たちが怒りという語で一般的に示そうとする感情とはやや違っています。たとえば第三部諸感情の定義七にあるように,憎しみodiumは基本感情affectus primariiのうち悲しみtristitiaの一種で,これは僕たちが憎しみという語で示そうとする感情に相通ずると思われますが,怒りもまた僕たちは悲しみの一種と解するのが一般的で,欲望とは解さないであろうからです。また,これも定義から分かるように,怒りという欲望は人間が人間に対する欲望に限定されます。たとえば僕たちはある種の動物に怒りを感じるとか,自然災害に怒りを感じるというようないい方はしますが,スピノザの哲学ではそれは成立しません。僕は第三部諸感情の定義二一の買い被りについてはスピノザの定義よりも広く用いますが,怒りについてはスピノザの定義に則して用います。動物に対して害悪を与えることは可能ですが,自然災害に対しては不可能であり,広い意味で用いるとかえって混乱を招くことになるからです。
 僕たちはある人を憎めばその人に怒りを感じます。それは僕たちが喜びlaetitiaを希求し悲しみを忌避する現実的本性actualis essentiaの下に生きているからです。このために第三部定理二八により,僕たちには悲しみを齎すと表象するimaginariものを破壊しようとするコナトゥスconatusが働きます。よって憎んでいるものに対しては積極的に破壊しようとする,いい換えれば害悪を与えようとするのです。
 重要なのは,怒りという欲望はこのようなメカニズムを通してのみ僕たちのうちに生じるということです。いい換えれば僕たちは理性ratioに従う限りでは怒らないのです。他面からいえば,僕たちが何かに対して怒りを感じているときには,必ず憎しみに捉われているということができるのです。

 9月12日,火曜日。この日も母が妹を通所施設まで送って行きました。事情は7日と同じです。
 9月13日,水曜日。この日は消化器内科の診察がありました。今後の治療方針の伝達のためでした。医師からは家族の同席を求められていなかったのですが,母から要望がありましたので僕が同行しました。これは母の体力面からの問題ではなく,医師の話を僕にも聞いてほしいということであったと理解しています。予約時間は11時半なので,妹を送ってから行くこともできましたが,時間に余裕がありすぎます。Kさんが送って行くことは可能でしたので,お願いしました。
 消化器内科の診察室の前で呼ばれるのを待っている間に,母の方から,抗癌剤を用いての延命治療はしたくないという話が僕にありました。僕はそうしたことは本人が決定できるのであればそれが最善という考えです。ですから母がそうしたいということであれば,それでよいと返事をしました。そうするのが母にとって最も後悔が少なくなる可能性が高いと僕は考えるからです。ここで後悔というのは,第三部諸感情の定義二七における意味であると考えてください。
 抗癌剤を用いる治療に関しては,受けることもできますし受けないということもできると判断するのが普通で,受けないという判断は,精神mensの自由な決意によってなしたと信じるような事柄に属すと僕は考えます。信じる,というのは実際にはこうした決定も自然法則lex naturalisによって決定されているのであって,意志voluntasの自由libertasなるものは実際には人間には存在していないという意味においてです。ですからこの決断に対して母が後に後悔することになる可能性はあるのです。ただ,どちらを選択すればよいのかを僕に尋ねたのではなく,すでに延命治療をしないという判断を僕に伝えたのですから,それ以前には母にも迷いがあったかもしれませんが,この時点ではそのようにしたいということは決定していたのです。こういう場合は別の意見opinioを述べてまた迷わせ,決断を鈍らせるのは,後に後悔を惹き起こす可能性を高める行為であると僕は考えます。なのでそれでいいと言ったのですが,母の説明には納得できない点がありました。
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高松宮記念杯競輪&肺の癌

2018-06-17 18:49:57 | 競輪
 岸和田競輪場で開催された第69回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは吉沢‐武田の茨城に同じ関東の木暮が競り,脇本‐三谷‐村上の近畿,原田‐山田の西国で菅田は単騎。
 村上が勢いよくスタートを取って脇本の前受け。4番手に原田,6番手に菅田,7番手に吉沢で,周回中は競らず,吉沢の後ろは武田‐木暮の周回に。残り3周のホームの出口で木暮が武田の外に並ぶと武田は引き,吉沢‐木暮‐武田の隊列に。この隊列のままバックから吉沢が発進。コーナーでは脇本を叩きました。ホームの入口から武田が木暮の内に入って番手戦に。競りの後ろに原田,山田の後ろに菅田,引いた脇本が菅田の後ろで残り2周のホームを通過。バックに入って脇本が発進。打鐘で吉沢を叩いて先行。武田が競り勝ち4番手の吉沢の後ろは武田‐木暮。7番手に原田,最後尾に菅田の一列棒状でホームを通過。バックに入る手前から三谷と村上の車間が開き始めました。後ろを牽制しているのかと思いましたがそうではなく,脇本‐三谷のスピードについていかれなかったようです。2番手と3番手,さらに3番手と4番手も離れたのでバックからレースは脇本と三谷のマッチレース。直線で差し切った三谷が優勝。脇本が半車輪差で2着。後方からの捲り追い込みとなった原田が5車身差の3着。
 優勝した奈良の三谷竜生選手は日本選手権競輪以来の優勝でビッグ3勝目。高松宮記念杯は初優勝。確かに木暮は武田の前で走ることも多いのですが,関東勢が折り合えなかったため,吉沢は先行はしにくそうなので,このレースは脇本の先行が予想され,その展開なら脇本が逃げ切るか三谷が差し切るかというレースになるだろうと思っていました。3番手を追走した村上が離れてしまったくらいですから,脇本の先行はかなり強力だったわけで,三谷は差しはしましたが脇本の強さが際立ったレースという印象の方が強いです。

 姉と弟という関係性の違いがあるかもしれませんが,母はロサンゼルスの伯母のことは頼りにしていますが,福江島の叔父に対してはそうでもありません。そのために2016年の11月に叔父が福江島から来訪し帰島した後は,ほとんど連絡を取っていませんでした。母は自分の病気のことも伯母には伝えていたのですが,叔父には知らせていなかったのです。ですがこのとき,悪いニュースではありましたがたまたま叔父からこちらに連絡がありましたので,母はこちらの状況も伝えることができました。確かに叔父も大変な状況ではありましたが,こちらもこちらで大変ですから,入院したことに対して何か支援をすることは物理的に不可能だったのです。
 9月7日,木曜日。この日は母が妹を通所施設に送りました。これは僕に送れない状況が生じたためではなく,母の方から僕に申し出があったからです。通所施設の職員に対しては母の状況については僕から説明していましたし,母も日々の連絡帳を記していました。また,救急搬送された翌日には通院の中途にKさんと一緒に妹を送って行きましたから,そのときにも母は自身の身体の事情についての説明はした筈ですし,あるいはリアルなものとして感じていたであろう自身の死後の妹のことについて,何か相談していたかもしれません。そういうわけでできれば母も,自分の体力面から可能であるなら通所施設の職員たちと何度か会っておきたいという気持ちもあったのだろうと思います。この日はそれだけの体調にあったということだと解してください。
 9月9日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。カラオケでした。またこの日は午後2時前にKさんが来訪しました。Kさんは出羽三山方面に旅行に行ってきたとのことで,お土産を持参してきてくれました。
 9月10日,日曜日。母と妹は美容院に行きました。美容師は母と親しい方ですので,自身の身体のことについて,話してきたものと思います。
 9月11日,月曜日。呼吸器科の通院でした。これは前回のPET検査の結果の報告です。肺にも癌はありましたが,ごく小さいものでした。ただし,通院は続けることになっています。
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ヒューリック杯棋聖戦&腸閉塞のおそれ

2018-06-16 19:09:46 | 将棋
 お台場で指された第89期棋聖戦五番勝負第二局。
 羽生善治棋聖の先手で豊島将之八段の角換り拒否からの相腰掛銀。雁木に構えた後手に対して4筋に飛車を回った先手から仕掛ける将棋。第二次の駒組の後の先手の攻め方が重そうなので,後手がやれるのではないかとみていたのですが,錯覚があったようで急に終わってしまう一局になりました。
                                     
 後手が4五にいた桂馬を成り,先手が4八の飛車をひとつ寄った局面。先手の金が変な位置にいるのは6二に打った金で7一の飛車を取り,その金を引いてまた使いにいくことを目指したからです。僕が重そうだと感じたのはその攻めのことでした。
 後手はここで☖2七角と打って飛車金両取りを掛けました。ただ7二の金を取りにいくのは率が悪い感じがするので,後手はここでは直接的に攻め合って勝つことは難しいと判断していたのではないかと思います。ここから☗3九飛☖7二角成☗5七金までは一本道。
 ☖4二銀打とすれば後手は飛車を取ることができ,ここからまたやり直しのような将棋でした。ところがここで☖4八銀と攻め合いにいったのが敗着。先手に☗5二角と打たれ,後手玉は寄っていました。
                                     
 おそらく後手はこの寄せをうっかりしていたのでしょう。まだ40分ほど時間を残してはいましたが,粘ることすらできませんでした。
 羽生棋聖が勝って1勝1敗。第三局は30日です。

 8月29日,火曜日。この日は呼吸器科での診察がありました。はこの日も洗濯を干してからひとりでみなと赤十字病院に出掛けています。妹は僕が送りました。この日は本当に診察だけで,今後の診療方法についての説明があっただけでした。それによればPET検査を後日に実施するということでした。
 8月30日,水曜日。水曜の夕食Kさんと一緒でしたが,母の事情もあり,この週からは中止になりました。ただKさんは昼過ぎに来訪し,午後2時ごろまで母と話して帰宅しました。ここでも今後のことに関する相談が行われたものと思います。
 8月31日,木曜日。この日は消化器内科での大腸の検査でした。これは大腸癌の進捗状況を詳しく調べるために,大腸に管を入れて行う検査です。このために母は数日前からは指定された消化のよいものだけを食し,下剤も飲んでいました。この準備だけでかなり辛かったろうと思うのですが,ほかの検査も加わっていたのですからもっと大変であったことでしょう。この検査はとても時間を要し,母が帰宅できたのは午後6時ごろでした。ただし,検査は思うようにできなかったようです。というのは母の大腸癌はかなり進行してしまっていたために,検査用の管を腸内に通すことができなかったからです。こうした事情なので,また別の仕方での検査を後日に行うということになりました。ただ,その管を通しにくいくらいに癌が大きくなっているなら,場合によっては便が通らなくなり,腸閉塞を発症するおそれがあるということは判明しました。腸閉塞を起こすと最悪の場合は腸が破裂して死に至ります。この危険を避けるために,下剤の服用はこの検査とは無関係に継続するということになりました。
 9月2日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。これは前日に先生から電話があり,午後3時半の開始でした。
 9月6日,水曜日。呼吸器科でのPET検査が行われました。母によれば実施した検査のうちでもっとも楽だったのはこれだったそうです。
 この日の夜,福江島に移住した叔父が自動車で自損事故を起こし,脚を骨折したので1ヶ月ほど入院するという連絡が入りました。
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