スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

しらさぎ賞&福居流の結論

2014-04-30 19:19:51 | 地方競馬
 相当数の馬に勝機ありと思えた第52回しらさぎ賞
 先手を握ったのはショコラヴェリーヌ。ミヤサンキューティが追い掛け,前半はこの2頭が抜け出す競馬。キモンレッド,レッドクラウディア,マンボビーンが続きました。最初の600mは36秒2でこれはハイペース。
 向正面でキモンレッド,3コーナーを過ぎるとミヤサンキューティが苦しくなり,逃げたショコラヴェリーヌが振り切って抜け出す形に。代わって進出してきたレッドクラウディアは直線の入口で2番手も,逃げ馬とは差がありました。ただショコラヴェリーヌも一杯だったこともあり,じわじわと差を詰めていき,最後は交わして優勝。4分の3馬身差の2着にショコラヴェリーヌ。後方待機策から向正面半ばで動き出したケンブリッジナイスが外を回って2馬身半差の3着。
 優勝したレッドクラウディアはJRA時代の2012年のクイーン賞以来の勝利。南関東転入後は初勝利なので南関東重賞は初制覇。重賞勝ち馬ですから実績は最上位。ただこのレースは斤量差が大きくなる条件設定のため,58キロを克服しなければならないのが最大の課題。今日のような軽い馬場は軽量の馬の方が有利なので,着差は少なくても,それ以上の力量差があったと考えるのが妥当でしょう。重賞でも相手次第では勝負になる馬だと思います。父はアグネスタキオン。母の従妹に2011年の関東オークスを勝ったカラフルデイズ
 騎乗した船橋の森泰斗騎手は昨年の東京2歳優駿牝馬以来の南関東重賞制覇。しらさぎ賞は初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師もしらさぎ賞初勝利。

 思惟属性の三様態をどのように理解するのか,なかんずく無限知性思惟属性の間接無限様態をどのように理解するのかということについて,僕と福居,あるいは僕と朝倉との間で,完全に一致が図れるのかどうかは僕には不明です。ですからここの部分の探求に関しては,単に僕が自身の見解を表明したというように受け取っておいてください。つまり朝倉流および福居流と,今回の僕の考察主題との関連についての考察とは切断されたものだと理解しておいてください。
 もっとも,朝倉流の関連性についてはこれから説明しますが,これは間接無限様態についてだけ言及している上に,ある特定の属性を視野に入れての考察ではありません。したがって,朝倉と僕との間で,思惟属性に関係する何事かについて考え方の一致があるかどうかはいっかな問題とはなりません。一方,福居流は思惟の属性を,もっといえば思惟の属性だけを視野に入れたような考察内容になっていますから,理想をいえば,完全な一致をみるのが最善です。もちろん思惟属性の個物res singularisがres singularisの観念であるということ,また,res singularisの観念にはごく単純なものからきわめて複雑な観念まで幅広く存在しなければならないということは,スピノザの哲学の前提といえますから,不一致に陥る筈がないと僕は考えます。冒頭にも書いたように,もしも一致しないような見解が発生するとすれば,それは思惟の属性の直接無限様態と間接無限様態をどう把握するのかという点に限定されるでしょう。
 ただ,その点に関して僕と福居の間で一致しようとしまいと,福居が数的に区別することが可能な二種類の因果性の存在を否定するということは間違いありません。そしてそれは僕の見解と同一です。つまり思惟属性の直接無限様態と間接無限様態が何であるのかということが一致するのかしないのか以前の問題として,無限の一義性の把握の仕方に亀裂があっても,最終的に導き出したい結論の部分では一致しています。僕にとって重要なのはその点がすべてなのであって,それさえ明らかにできれば十分なのです。
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農林水産大臣賞典かきつばた記念&不変の形相を有する観念

2014-04-29 18:54:34 | 地方競馬
 JRAからの出走馬が3頭と少なくなった第16回かきつばた記念
 先手を奪ったのはサイモンロード。ファイアーフロートが2番手で3番手にダノンカモン。ノゾミカイソクとクリスタルボーイが続きさらにタガノジンガロとピッチシフター。そしてその後ろにダイショウジェット,ノーザンリバー,サトノロマネとなりました。最初の600mは37秒5で,これはスローといっていいくらいのミドルペース。
 3コーナー過ぎから前の2頭とダノンカモンの差が開き,直線に入るとサイモンロードがファイアーフロートを振り切って抜け出しましたが,押して押して何とかついていったダノンカモンにエンジンが掛かり,サイモンロードを差したところ,大外をタガノジンガロとノーザンリバーが併せ馬で急襲。外2頭の優勝争いとなり,先に動いていたタガノジンガロの優勝。ハナ差の2着にノーザンリバー。クビ差の3着にダノンカモン。
 優勝した兵庫のタガノジンガロは今年の1月までJRAに所属。2011年のオープン2着が最高の実績で,その後はやや頭打ち。兵庫に転入して初戦を勝ってここに臨んでいました。戦績的には明らかに苦しいと思えたのですが,人気の2頭を抑えての優勝で,大金星とはいえますが,フロックともいえなさそう。地方の馬場に適性があったということかもしれませんし,中距離を主戦場としていましたが,血統背景からも短い方がよかったのだと思います。父はキングカメハメハ。Zingaroはスペイン語でジプシー。
 騎乗した兵庫の木村健騎手,管理している兵庫の新子雅司調教師はかきつばた記念初制覇。

 第二部自然学②補助定理七備考でスピノザが述べているのは,物体corpusと不変の形相formaを有する全自然,すなわち延長の属性Extensionis attributumの個物res singularisと間接無限様態に関してです。しかし第二部定義七が思惟の属性Cogitationis attributumにも妥当しなければならない以上,同じ秩序ordoの論理構成は,思惟の属性の個物と間接無限様態との間にも成立する筈だと僕は考えます。すなわちきわめて単純な個物の観念ideaがあり,いくつかのそれによって組織される複雑な個物の観念があり,さらに複数のそれらによって組織されるさらに複雑な個物の観念があり,ついには不変の形相を有するひとつの観念があるということになる筈だと考えるのです。なお,観念は必ず何かの観念ですので,観念の組織化についても,僕は哲学的に理解していると考えてください。
 このときにひとつの問題が発生します。こうして帰着した不変の形相を有するひとつの観念というのは,無限知性intellectus infinitusとみなすべきなのか,それとも思惟属性の間接無限様態とみなすべきなのかという問題です。
 僕の考えでは,このことは個物の存在existentiaをどう把握するのかということに関係します。第二部定理八系は,明らかに個物が神Deusの属性に包容されて存在する場合と,持続duratioのうちにも存在するといわれる場合を分節しています。そのとき,神の無限な観念というのを僕は無限知性と解しますから,もしも個物が神の何らかの属性に包容されている場合だけを眼中に置くなら,これを無限知性と解して問題ないと僕は考えます。しかし現実的に存在する個物の観念も視野に入れた場合,これは無限知性ではなく,間接無限様態であると解しておくのが安全だと思います。
 第二部定理九は,単に個物の観念への言及ではなく,現実的に存在する,いい換えれば持続のうちに存在する個物の観念への言及です。よってこの連関全体を,僕は無限知性ではないと解します。
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オレハマッテルゼ&思惟属性の間接無限様態

2014-04-28 19:29:26 | 名馬
 一昨日のオールエイジドステークスを勝ったハナズゴールの父はオレハマッテルゼ
 祖母は1982年の最優秀2歳牝馬,1983年の最優秀3歳牝馬のダイナカール,その祖母,オレハマッテルゼの四代母がパロクサイド。全姉に1998年の阪神牝馬特別と1999年のマイラーズカップを勝ったエガオヲミセテ,甥に2009年のアンタレスステークスを勝ったウォータクティクスなど,一族からは多数の活躍馬が出ている良血。
 デビューは遅く3歳5月。大敗こそ少なかったものの出世にも時間を要し,5歳の5月に準オープンを脱出。続いて出走した京王杯スプリングカップでアサクサデンエンの2着になりました。安田記念が大レース初挑戦でこれはアサクサデンエンの11着に。
 ここから秋まで休養しオープンを勝利。翌年の京都金杯9着を挟んで東京新聞杯2着,阪急杯3着と好走した後,高松宮記念を優勝。重賞初勝利が大レースとなりました。続いて京王杯スプリングカップも優勝。安田記念は1番人気に推されることになりましたが,10着でした。
 秋はスプリンターズステークスで復帰したものの9着。その後2戦したものの未勝利。翌年にはフェブラリーステークスにも出走しましたが最下位。連覇を狙った高松宮記念も5着。京王杯スプリングカップは3着と復活の兆しを見せましたが,結果的にいえばこの舞台が得意だったということだったよう。安田記念ダイワメジャーの最下位,秋に一叩きして臨んだスプリンターズステークスも14着。もう1戦して引退となりました。
 サンデーサイレンス産駒は大活躍して種牡馬入りしたライバルが多く,母系の優秀さはプラス材料でも,この実績では優秀な繁殖牝馬を集めるのは困難。ハナズゴールが唯一の重賞勝ち産駒ですが,それが海外GⅠを制覇してしまうのですから,父のサンデーサイレンスも,パロクサイドから続く母系も,非常に優秀であることの証明であると思います。

 無限知性intellectus infinitusを超越する思惟の様態cogitandi modiは存在し得ません。思惟の様態のうち第一のものは観念ideaなので,もしもそうした思惟の様態が存在するとすれば,それはまず観念でなければなりません。するとその観念は,無限知性を超越することによって,無限知性を否定negatioないしは限定determinatioすることになります。しかし無限知性の本性には,ひとつの観念としての無限知性が永遠aeterunusで無限な思惟の様態であるということが含まれているのですから,それを主張するのは不条理になります。
 次に,第一部定理一六からするなら,神Deusの本性natura,ここでは思惟の属性Cogitationis attributumだけに注目しても構いませんが,そこからは無限に多くのinfinita観念が生じなければなりません。つまり無限知性以外に,無限に多くの観念が生起するのですが,それはすべて無限知性に対して非超越的です。さらに,それら無限に多くのどの観念をとってみても,第一部公理三により,それが生起する原因を必要とします。一般に事物の原因はそれ自身のうちにあるesse in seか外にあるかのどちらかですが,この場合にはその原因をそれ自身のうちにあるとすることは不可能です。なぜならそれ自身のうちにあるものは第一部定義三によって実体substantiaですが,観念は思惟の実体ではなく,思惟の様態であるからです。
 第二部公理三のうちには,単に思惟の様態のうち第一のものが観念であるということだけが含意されているのではなく,思惟作用のうち第一のものが観念の形成でなければならないということが含まれているといえます。なので観念が無限知性に対して非超越的であるということは,あらゆる思惟作用が無限知性に対して非超越的であるといっているのと同じことです。
 思惟の属性の間接無限様態は,これらの条件をすべて充足させるようなものとして,無限知性から生起することになります。いい換えれば思惟の属性の間接無限様態とは,そのうちにあらゆる個物res singularisの観念と,その観念の存在existentiaと作用を含むような無限様態modus infinitusでなければなりません。第二部定理九の全体をひとつの連関とみた場合,それを間接無限様態であると僕が理解している根拠がここにあります。実際それは前述の条件を満たしているといえるからです。
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クイーンエリザベスII世カップ&無限知性の本性

2014-04-27 19:13:06 | 海外競馬
 2日連続での日本馬の海外GⅠ制覇の可能性が生じたクイーンエリザベスII世カップGⅠ芝2000mが,香港のシャティン競馬場で行われ,昨年の菊花賞を勝ったエピファネイアとオープン1勝,重賞では2着と3着が2回ずつあるアンコイルドの2頭が出走しました。
 アンコイルドは出負けしたように見えましたが,最内枠からの発走であったこともあり,するすると上昇して内の2番手に。エピファネイアはその直後の外,4番手を併走でしたが,必死に抑えられているといった印象で,向正面では単独の4番手になりました。800mが50秒67,1200mが1分14秒98ですから,スローペースだったといえるでしょう。
 3コーナーを回るとアンコイルドは手が動き出し,反応できずに後退,最下位に沈みました。エピファネイアは外を回って3頭雁行で直線に。しかしそこからは伸びず,ばてずといった内容で,中継を見ていた限りでは5着だと思ったのですが,5着馬の追撃は封じていたようで4着でした。
 エピファネイアは力はあるのですが,瞬発力にはやや欠けるところがあり,その弱みが露呈したような負け方でした。この馬の場合,もっと消耗戦になるようなレースの方が向いているように思えます。折合いにも課題がありましたが,行きたがったとはいえ我慢はできているように見えましたので,そちらは克服できていたのではないかと思います。これだけの実績を残していると難しいでしょうが,個人的にはダート競馬でどのような走りをするのか見てみたいという気持ちがあります。
 アンコイルドは実力を十全に発揮しても勝つまではどうかと思っていましたが,マックスの能力を出せればこんなに負ける筈はなく,その点では残念だという思いです。

 無限知性をひとつの観念と把握することの利点は,それがなぜ思惟の属性の直接無限様態であるのかということを,『エチカ』の公理系の中で理解しやすくなることです。
 第二部定理一により思惟は神の属性です。ですから第一部定理二一により,思惟の属性の直接無限様態が存在しなければならず,その様態は永遠で無限でなければなりません。
 第一部定理二五系は,個物res particularisは,神の属性を一定の仕方で表現する様態であるといっています。このことのうちには,様態とは属性を表現するものであるということが含意されているといえます。一定の仕方と絶対的な仕方というのが対義語的関係にあるということを,僕は前回の考察において示しました。したがって様態は一定の仕方で属性を表現するか,さもなければ絶対的な仕方で属性を表現します。無限様態がres particularisに含まれるのか否かの解釈の相違によって,どちらの仕方であるのかの結論は異なりますが,少なくとも様態が属性を表現すること,したがって思惟の様態は思惟の属性を表現するということには,見解の相違は生じません。
 思惟の様態が思惟の属性を表現するとは,何らかの思惟作用をなすということにほかなりません。それは第一部定理二六にあるように,神ないしは思惟の属性から決定された作用ですが,その作用はこの決定によってむしろ積極的な作用と理解されます。なので思惟の属性の直接無限様態も思惟作用をなすように決定されたものとして生起します。
 第二部公理三は,思惟の様態のうち第一のものが観念であるということ,したがって思惟作用のうち第一のものは観念の形成であることを示します。よって思惟の属性を直接的な原因として生じる様態,つまり思惟の属性の直接無限様態ですが,それも観念でなければなりません。そしてそれは永遠で無限でなければならないのです。
 このような条件を満たす観念が,無限知性といわれていると僕は解します。そしてこの条件が無限知性の本性を構成するのであり,無限に多くの個々の観念の集積であるということは,無限知性の本性とは異なるのだと理解します。
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オールエイジドステークス&無限知性

2014-04-26 19:17:44 | 海外競馬
 大目標だったドンカスターマイルを走ったハナズゴールは引き続き滞在し,ランドウィック競馬場で今日のオールエイジドステークスGⅠ芝1400mに出走しました。
 出遅れた感じで最後尾。先頭から8馬身ほどでしょうか,ずっとその位置を追走。直線に入ってもすぐには外に出さず,2着馬の直後に待機。残り300m手前で大外に出されると,残り200m付近からすごい加速。残り50mでは前をいっていたすべての馬を交わし,2馬身差をつけて快勝しました。
 前走で,体調がアップしているのは間違いないと思え,上積みも期待できる状態にあると考えていたので,相手関係はよく分からなかったものの,チャンスがあるのではないかと思っていましたが,こんなに楽な勝ち方をするとは予想外でした。馬場がよかったのもプラスだったでしょうが,今日の末脚を見ると,距離短縮もよかったように思います。
 優勝したハナズゴールは昨年の京都牝馬ステークス以来の重賞3勝目で,初の大レース制覇を海外で達成。父は2006年の高松宮記念を勝ったオレハマッテルゼ。先月のドバイシーマクラシックに続く日本馬による海外GⅠ制覇で,オーストラリアでは2006年のメルボルンカップ以来の2勝目。管理している加藤和宏調教師は大レース初制覇を海外で達成。騎乗したのはオーストラリアのナッシュ・ローウィラー騎手で,日本馬に騎乗しての大レース制覇は初めて。

 スピノザの哲学において知性intellectusは,個々の観念ideaの総体ということになっています。このことが無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusにも該当するべきであるということを,僕は否定しません。この場合,無限に多くの個々の観念によって構成されているのが無限知性であるということになります。
 しかし,僕はある知性というのをそれ自体でみた場合には,それはひとつの観念であると理解します。たとえば第二部定義七は,複数の個物res singularisによって構成される単一の個物が存在することを認めています。このことは当然ながら思惟の属性Cogitationis attributumにも当て嵌まらなければなりません。つまり複数の個物の観念によって構成される単一の個物の観念が存在するということを認める必要があります。このとき,単一の観念というのは,複数の観念の集積であるとみられる限りにおいては知性とみなされます。よってこれを逆にいえば,複数の個物の観念によって構成されている知性は,それ自体がひとつの個物の観念であるということになります。
 これはあくまでも個物の観念の場合です。ただし朝倉流と福居流は,共に無限の一義性から無限様態を排除し,無限様態をあたかも個物のように認識しているというのが僕の理解です。なので個物の観念に該当する,知性は単一の観念であるということが,思惟の属性の無限様態である無限知性にも妥当しなければなりません。
 一方,僕は無限の一義性には無限様態も含まれるべきであるという考え方です。しかし,無限知性がひとつの観念とみなされるべきであるということについては,それを肯定します。というよりもむしろ,無限知性というのは,無限に多くの個々の観念の集積であると認識されるよりも,それ自体が単一の観念であると認識される方が,スピノザが無限知性を思惟の属性の無限様態として規定したことに合致していると理解します。つまり神Deusの無限知性を,それ自体がひとつの観念であると把握する点において,何らかの見解の相違があるとは僕は考えません。
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マイナビ女子オープン&思惟属性の三様態

2014-04-25 19:26:34 | 将棋
 将棋の街で指された第7期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 加藤桃子奨励会1級の先手で,里見香奈女王は横歩取りに誘導しようとしましたが先手が避け,相矢倉で先手が棒銀,後手が三手角という力戦に。共に玉が入城する前に開戦となりました。
                         
 後手が駒を取りに角を打ちこんだところ。しかしそんな余裕がある局面ではなく,この手はぬるかったように思います。
 先手は▲7一角と打ち込みました。この玉型で飛車を取られてはひどいので△6三飛でしたが▲6四歩。飛車で取っては8二に角を成られて駒を取られるので△同角成でした。ただこれには▲7ニ銀で飛車を捕獲できます。△3三歩▲3五飛△6五歩▲7七銀で後手は止むを得ず△1九馬。▲6三銀成△同銀に▲6一飛と王手に打ち込みました。
                         
 先手も歩しか持ち駒はありませんが,こうなっては後手は崩壊寸前。この後も先手がうまく決めて勝ちきりました。
 勝った加藤奨励会1級の2勝1敗に。第四局は来月8日です。

 スピノザは思惟の属性については,無限知性が直接無限様態であるとだけいっていて,間接無限様態については何も説明していません。福居流は思惟の属性を対象に考察していますので,この点に関する僕の現時点での考え方を表明しておきます。
 思惟の属性の個物res singularisが,個物の観念であるということに異論は出ないと思います。福居流では第二部定理八系の,res singularisの観念が神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれている場合が中心視されていますが,今はこの点にも固執する必要性はありません。そしてこれは,第二部定理九から部分的抽出を行うことによって出てくる思惟の様態です。
 第二部定理九の「無限に進む」というのを積極的に理解すると,res singularisの観念の原因と結果の連結の無限連鎖がひとつの全体として認識されることになります。この場合の無限連鎖の全体が思惟の様態であるということは当然です。そしてこれを連鎖という観点から把握するとき,僕はそれを思惟の属性の直接無限様態である無限知性とはみなさず,思惟の属性の間接無限様態と理解します。いい換えれば,第二部定理九で示されている全体は,思惟の属性の間接無限様態に関する言及であると理解します。これはちょうど,第一部定理二八で示されている無限連鎖の全体は,何らかの属性の直接無限様態についての言及ではなくて,間接無限様態に関する言及であるというのと同じ関係です。第二部定理九は第一部定理二八をひとつの根拠として抽出されるので,福居は分かりませんが,朝倉はこの見解に同調するものと思います。
 僕が無限知性とみなす思惟の様態を第二部定理九と関連付けて説明するなら,それは第二部定理九の全体を十全に認識し得る唯一の知性です。いい換えれば思惟の属性の間接無限様態全体を十全に認識するのが,思惟の属性の直接無限様態であるということになります。
 以前の僕はこの立場に関してあやふやな部分がありました。しかし現在は,上述のような仕方で,思惟の属性の直接無限様態と間接無限様態を明確に区別しています。
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農林水産大臣賞典東京プリンセス賞&属性の一義性

2014-04-24 20:36:45 | 地方競馬
 順調さを欠いたノットオーソリティが,本来の実力を発揮できるかどうかに注目していた第28回東京プリンセス賞
 ノットオーソリティは発馬直後に躓いたように見えました。逃げたのはシャークファング。チャプレットが2番手。クライリング,スマートバベル,オープンベルトと差がなく続き,じわじわと巻き返していったノットオーソリティはこれらの後ろの位置を確保。最初の800mは50秒8でミドルペース。
 前に位置したうち,最初に苦しくなったのはチャプレット。シャークファング,クライリング,オープンベルトとなり,ノットオーソリティはその外にいって直線。一旦はノットオーソリティが内の各馬を交わして先頭に立ったのですが,インで控えていたスマートバベルが内から捌いて伸びてくるとノットオーソリティも交わして優勝。ノットオーソリティは1馬身4分の1差で2着。後方から大外を猛然と伸びたイエスアイキャンが4分の3馬身差まで迫って3着。
 優勝したスマートバベルは新馬戦を5着の後は6戦してオール連対。前走はJRAとの交流戦を勝ってここに挑戦。一線級とは初の手合わせでしたが,戦績からはチャンスのある1頭だとみていました。好枠を得て内に待機し,直線もロスなく内から捌いての勝利なので,恵まれた部分も多分にあったのは事実でしょうが,相手なりに走れるタイプということなのでしょう。まだ能力の上限を見せたという感じもないので,さらなる上昇があってもおかしくない馬だと思います。父はサウスヴィグラス
 騎乗した船橋の澤田龍哉騎手はデビュー6年で南関東重賞初勝利。管理している船橋の川島正一調教師は昨年の川崎マイラーズ以来の南関東重賞制覇。第24回以来4年ぶりの東京プリンセス賞2勝目。

 原因の一義性は属性の一義性から知見されるというのが福居の見解です。ということは,原因の一義性が否定される場合には,属性の一義性も否定されなければならないという見解が福居にはあると僕は理解します。二種類の因果性があるという主張は,原因の一義性を否定する主張だと僕は解します。つまりこの主張を福居は否定する筈だと僕は考えます。そして福居が原因の一義性を帰結させる観点から察するなら,福居は二種類の因果性の存在を肯定することは,二種類の同一属性が存在することを肯定しているのと同じことだと主張するのではないでしょうか。つまりゲルーの主眼点に倣い,主要な原因による決定と主要ではない原因による決定を数的に区別するならば,たとえばAという属性について,主要な属性Aと主要ではない属性Aが数的に区別されなければならぬと福居は主張するだろうと思うのです。
 第一部定理一三系により実体は不可分で,属性は第一部定義四にある通りその実体の本性を構成するのですから,属性も不可分です。ですから同一属性を数的に区別することが不可能であるということは当然で,それはゲルーも同意するだろうと僕は思います。ただゲルーは,原因ないしは因果性を数的に区別することと,属性を可分的なものと解することは,無関係であると考えていたのでしょう。しかしこの点について争いがあるとすれば,それは福居とゲルーの間にあるのであり,僕は加わりません。また立場を表明することも不要だと考えます。
 福居の考えでは,無限様態をあたかも個物,福居の場合にはres particularisまたはres singularisとみなすことによって,実体,福居の観点からすれば第一部定義三の名目的な実体ではなく,第一部定理一四にある実在的な実体としての神からみた属性と,神のうちにあるres singularisからみた場合の属性が,一義的に把握可能になります。つまり属性の一義性という観点が,無限様態を媒介としてres singularisにも神と同様に担保されます。福居の媒介の発見にはこういう要素も含まれています。
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羽田盃&原因の一義性

2014-04-23 20:37:35 | 地方競馬
 中央競馬とは対照的に,今年は確たる中心馬が存在する南関東牡馬クラシック。初戦の第59回羽田盃。ナイトバロンが競走除外で14頭。
 鞭を入れてホストの逃げ。やや離れて2番手を追走したのがパンパカパーティで,注目のハッピースプリントは3番手から。最初の800mは49秒6でミドルペース。
 3コーナーを回るとホストは苦しくなり,パンパカパーティが先頭に。しかしハッピースプリントは楽な手応えでこれをマークしていき,直線で追い出されると容易く突き放し,ここからはワンサイドゲームで圧勝。中団から追い込んだドバイエクスプレスが5馬身差で2着。後方からさらに外を追い上げたドラゴンエアルが4分の3馬身差の3着。
 優勝したハッピースプリントは転入初戦の京浜盃に続いて南関東重賞連勝。前走よりも前目に位置でき,それで同じように伸びての楽勝ですから力の違いを見せつけた形。レースの取り口が安定していますので,仮に距離延長がプラスにはならなかったとしても,東京ダービーも能力差で相殺できるでしょう。順調にその時を迎えるということが,最大の課題であるといえそうです。はとこに2009年の関東オークススパーキングレディーカップ,2010年の名古屋大賞典スパーキングレディーカップ,2011年のTCK女王盃,エンプレス杯,スパーキングレディーカップと重賞を7勝したラヴェリータ
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手は京浜盃以来の南関東重賞制覇で羽田盃は初勝利。管理している大井の森下淳平調教師も羽田盃は初勝利。

 『スピノザ「共通概念」試論』の方からみておきます。ただし,僕の考察主題との関連でいえば,その結論は無縁の方向から抽出されていますので,その訴訟過程に関してはここで詳しく説明するわけにはいきません。詳細を知りたいという場合には,この本をお読みになってください。
                         
 共通概念notiones communesは第二種の認識です。この第二種の認識と第三種の認識との関係に関する論述を福居は行っています。第三種の認識をスピノザは神の属性の形相的本性の十全な観念から事物の本性の十全な認識へと進む認識だと説明しています。福居はこれを第二部定理八と関連付けて説明しますが,そこには属性の一義性という観点があると理解します。これは端的にいえば,実体にとっても様態にとっても属性は一義的であるということです。これは他面からいうなら,属性が「唯一」であるということは,実体からみても様態からみても同一でなければならないという意味でもあり,僕の考え方と近縁性があると思います。
 福居はこの属性の一義性という知見が,原因の一義性という知見に直結するのであるといっています。これは少なくとも同一の属性に属するものに関しては,その原因というものは一義的に解されなくてはならないという意味を含みます。つまり数的に区別可能な原因が存在するということを否定しているのであり,これは当然ながら別個の二種類の因果性が存在するということを否定する主張であるといえます。
 僕の考えではどんな属性も唯一なので,ある属性の内部における原因の一義性が示されるだけで,因果性も唯一であるということが帰結します。ある属性と別の属性は実在的に区別されるだけで,数的には区別できないからです。ただ,福居が原因の一義性をいう場合には,第一部定理二五備考の,自己原因と原因の関係が訴訟過程の中心要素になっています。これは神を一義的な原因として見出す仕方です。つまりあらゆる無限様態の原因としての神と,あらゆる個物res singularisの原因としての神の一義性を主張していることになり,より徹底して複数の因果性の排除がなされているといえます。
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女流王位戦&考察主題との関連

2014-04-22 20:53:00 | 将棋
 徳島市で指された第25期女流王位戦五番勝負第一局。対戦成績は甲斐智美女流王位が10勝,清水市代女流六段が12勝。
 振駒で甲斐女流王位が先手。しかしこの将棋は中盤で千日手に。その直前の先手の指し方にまずいところがあったように思います。
 清水女流六段が先手になっての指し直し局は,ごきげん中飛車①-Aに。後手が銀桂交換の駒得を果たしました。
                         
 形は悪いですがとにかく銀を追い払おうと歩を打った局面。先手から▲4三銀成という手があったからでしょうが△8七銀成と突っ込んだのには驚きました。▲同玉に△6四角と好位置に先逃げしておく狙いであったようです。そこでじっと▲7六歩と突きましたが,この手は好手であったのではないでしょうか。△4八歩は手筋の一着で,▲7九飛と逃げることになりました。後手は△5六歩と合わせ,先手は▲7五桂。△7四銀に▲5五銀打と手厚く受けました。
                         
 この局面は先手がリードを奪ったように思えます。ここから後手が暴れ出し,先手は受けに回ってそのリードをさらに広げたと思うのですが,攻め合いに回るタイミングが早すぎたようで,一時は逆転を許したように思います。ただ後手も正しく決めることができず,最後は図の4四の銀が先手の命綱になるような形で先手の勝ちになりました。
 清水六段の先勝。第二局は来月14日です。

 朝倉流と福居流は,共にすべての無限様態を,個物res singularisに類するものと把握していると前提します。これは僕の立場とは異なります。しかしこちらの立場から,今回の考察の主題である,数的に区別可能な二種類の因果性があると考えるべきかそうでないのかということも検討しておく必要があるでしょう。
 まず,『スピノザ「共通概念」試論』は,こうした問いに対しては,解答を与えていないということはないのですが,ほとんど注目されていないと僕は理解しています。福居が思惟の属性の直接無限様態をres singularisに類するものとみなすのは,res singularisに対する神の最近原因性を説明するという目的であり,松田克進がいうところの二重因果性の問題というのは,それとは別個の問題であるという認識が,福居にはあるのではないかと思われます。ですから福居は,この問題を主題化しては何もいっていません。いい換えればこの問いに対する解答と思われるものを福居が抽出しているとしても,そのこと自体は福居の本来の目的とは別の事柄であったと考えておくのが妥当だと思われます。
 一方,『概念と個別性』の方についていえば,これは検討するべき対象として実際に措定されている事柄が,かなり広範にわたっています。そしてそのうちのひとつとして,確かに二重因果性の問題というのも,朝倉自身の視野のうちにあったと僕は理解します。朝倉は間接無限様態だけをres singularisに類するものとみなし,直接無限様態については何も言及していません。おそらく朝倉がそうした手法を採用したのは,朝倉自身が解決したいと望んだ問題については,直接無限様態について何かを言及する必要性がなく,間接無限様態についてだけ説明するだけで十分であると考えたためだろうと思います。探求の対象が広範ですが,二重因果性の問題についてだけいえば,間接無限様態をres singularisに類するものと理解することによって,この問題の解答を与え得ると朝倉は理解していたということになります。
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大楠賞争奪戦&朝倉流と福居流

2014-04-21 19:11:29 | 競輪
 優勝候補のひとり,村上が準決勝で姿を消して不在となった昨日の武雄記念の決勝。並びは小松崎-伏見の福島,牛山に小倉,田中-内藤の南関東,金子に荒井-合志の九州。
 スタートを取ったのは田中でそのまま前受け。3番手が金子,6番手に牛山,8番手に小松崎という周回に。残り2周のホームから小松崎が上昇。バックで田中を抑えるとすぐさま金子が発進。打鐘で小松崎を叩きにいきましたがさすがに小松崎も引けずに先行争い。ホームで金子が制して前に。これを見て田中が発進。バックで合志の横まで来ると荒井が番手捲り。これで田中は力尽き,荒井が優勝。後方から捲った牛山がいききれないとみるや内藤にスイッチし,直線は田中と内藤の中を割った小倉が4分の3車身差で2着。田中と絡んだ荒井マークの合志は1車輪差の3着。
 優勝した佐賀の荒井崇博選手は2010年の武雄記念以来,4年ぶりの記念競輪12勝目。地元になる武雄は2008年にも優勝していて3勝目。一時は自力でトップクラス近くまでいったのですが,その時代は長続きせず。最近は自力でのグレードレースは苦しいという状態に。ここは金子がいってくれましたので,その力を利用することができました。こういうレースであればチャンスを掴める力はあると思うのですが,同じ地区の九州に強力な自力選手が不在なので,これからも苦しい戦いを強いられそうな感じがします。

 朝倉流の論証では間接無限様態だけが個物res singularisに類するものとみなされていて,直接無限様態については何も言及されていません。一方で福居流の論証は,その観点を原因として第二部定理九が射程になっているので,思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態である無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusが,res singularisに類するものと規定されています。この相違はどう考えておけばよいでしょうか。
 僕の見解では,直接無限様態をres singularisに類するものとしてみなすならば,間接無限様態も同様にみなす必要があるということは,第一部定理二二から明白です。直接無限様態がres singularisに類するものであるのに間接無限様態が無限であるなら,明らかに後者の完全性perfectioが前者を上回ります。しかし第一部公理四は,結果の完全性が原因の完全性に依拠するから公理となるのであり,これに反することになるからです。なので福居流が間接無限様態もres singularisに類するものと把握することは,既定の事実と僕は判断します。
 一方,間接無限様態をres singularisに類するものと把握する場合にも,直接無限様態を同様に解することが必要であると僕は思います。というのは,無限の一義性というのを考えた場合に,もしも直接無限様態が無限であって,間接無限様態はres singularisに類するものであるなら,この一義性は神とその属性,そして直接無限様態において規定され,間接無限様態は除去されるということになるからです。つまりスピノザが無限性の由来を説明するとき,その原因によって無限であると規定しているもの,あるいは所産的自然Natura Naturataである無限について,その一方が無限であってもう一方はres singularisに類するものだと主張することになります。しかし僕にはこれを正当化できるような論理があるとは考えられません。
 したがって朝倉流も福居流も,一般に無限様態のすべてをres singularisに類するものと規定していると僕は判断します。
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JRA60周年記念皐月賞&福居流の論証

2014-04-20 19:16:57 | 中央競馬
 未対戦という馬が多かったこともあり,混沌ムードになっていた第74回皐月賞
 大外でしたが主張してウインフルブルームの逃げ。押して位置を取りにいったバウンスシャッセが直後に収まり,その外にトゥザワールドでしたが,アジアエクスプレスが2頭の外を2番手まで追い上げてようやく隊列が決まりました。これら4頭の後ろは内からクリノカンパニー,トーセンスターダム,キングズオブザサンの3頭が併走。その直後にイスラボニータ。前半の1000mは60秒2で,これはミドルペースに近いスローペース。
 前の4頭のうち,バウンスシャッセは3コーナーを回ると押しながら何とかついていく形に。残る3頭が横並びになって直線。イスラボニータは右回りでのレースが初めてであったこともあり,ややぎこちなさがありましたが,この3頭の外に出されました。3頭から前に出たトゥザワールドでしたが,外のイスラボニータは脚色で優り,難なく交わして優勝。トゥザワールドが1馬身4分の1差で2着。逃げ粘ったウインフルブルームが最後尾から3コーナー過ぎに動き,大外を強襲したワンアンドオンリーをアタマ差で凌いで半馬身差の3着。
 優勝したイスラボニータは昨年11月に東京スポーツ杯2歳ステークスで重賞制覇を飾ると今年は2月の共同通信杯から使って重賞2勝目。その後はここまで待機していました。群雄割拠でしたが,最有力候補はこの馬かと思っていたのですが,今日のところは思っていた以上の快勝に。ただ突出しているわけではないと思います。東京は重賞を2勝している得意の舞台ですから問題なく,ダービーではさらなる距離延長が最大の課題になるのでしょう。父はフジキセキ。Isla Bonitaはスペイン語で美しい島。
 騎乗した蛯名正義騎手は昨春の天皇賞以来の大レース制覇で皐月賞初勝利。管理している栗田博憲調教師は1998年の高松宮記念以来となる大レース制覇で皐月賞初勝利。

 第一部定理二八は,神の本性を構成する無限に多くの属性のすべての個物res singularisに妥当します。これを思惟の属性に特化すると,第二部定理五により第二部定理九が帰結します。こちらの定理の「無限に進む」という締め括りのことばを積極的に解したのが,『スピノザ「共通概念」試論』での福居純の論述です。
                         
 第二部定理九は,部分的抽出をするなら,あるres singularisAの観念の原因はそれとは別のres singularisBの観念であるということです。しかしこれを積極的に,すなわち全体として把握するなら,この連鎖が無限に続くということになります。したがってそのすべてを十全に認識し得る知性があるとするなら,それは有限な知性ではあり得ず,無限知性であると解さなくてはなりません。しかるに無限知性とは,思惟の属性の直接無限様態です。これを受けて福居は,直接無限様態は個物であると主張することになります。
 福居は朝倉とは異なり,ふたつの個物,res singularisとres particularisの相違については何も述べていません。なので福居が直接無限様態は個物であるというとき,res particularisを念頭にそういっているのか,それともres singularisが念頭にあるのか,僕には分かりません。そもそも福居の論述と朝倉の論述は,主題となっている観点に相違があるのであって,福居にとってはres singularisとres particularisに,同一の訳を与えることの是非を問うことが不要になっているからです。
 しかしこれらふたつの論述に,ある類似性があるということは否定し難いといえます。それは,無限様態を,あたかも有限であるかのように把握するという点です。別のいい方をするなら,無限の一義性を,単に神およびその属性の無限性のみによって規定し,その一義性が無限様態の無限性には及ばないようにしているという点です。両者は無限の一義性は何も主張していないのですが,そこには一致があるとみるのが適当だと考えます。
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農林水産省賞典中山グランドジャンプ&媒介の発見

2014-04-19 19:02:44 | 中央競馬
 日本馬だけでの競馬になった第16回中山グランドジャンプ
 人気のアポロキングダムがハナへ。1回目の大障害コースに入るまではほぼ一団でのレースになり,そこから後ろを引き離し始めました。2回目の大障害コースを飛越し,周回コースの順周りに入るとオースミムーンが追撃開始。2番手を走っていたコスモソユーズを抜いて2番手に。向正面に入るとアドマイヤトライが3番手,メイショウブシドウも4番手まで上がり,コスモソユーズは控えて5番手。その後,コーナーの障害の飛越後にアドマイヤトライは躓いて後退。
 直線に入るところでもアポロマーベリックは5馬身ほどのリード。オースミムーンの外にメイショウブシドウで,内からコスモソユーズも巻き返してきました。アポロマーベリックはそのままセーフティリードを保ったままで快勝。オースミムーンを交わして2番手に上がったメイショウブシドウを内から最終障害飛越後にコスモソユーズが捕えて5馬身差の2着。クビ差の3着にメイショウブシドウ。
 優勝したアポロマーベリックは暮れの中山大障害を制した後,前哨戦のオープン特別も勝って3連勝で大レース2勝目。ずっと先頭を譲らずに勝ちきったことで,現在の障害界ではトップの地位にあることを証明しました。まだ5歳ですから,さらに活躍を続けることが可能であると思います。
 騎乗した五十嵐雄祐騎手は中山大障害以来の大レース2勝目。管理している堀井雅広調教師も中山大障害以来の大レース制覇で中山グランドジャンプ初勝利。

 分割禁止条件から逃れているなら,第一部定理二八のうちに,無限様態の個物res singularisに対する媒介性を発見することは難しくありません。どんなres singularisの存在および作用への決定も,無限の一部を構成するということは,それが無限の内部においてなされているといっているのと同一だからです。そしてその無限こそが,無限様態であるということになります。つまりあらゆるres singularisの存在も作用も,ある無限様態のうちに生じているということですから,これは逆にいえば,そうした無限様態の存在なしにはres singularisの存在も作用も生じ得ないという意味になります。そしてこの事態を,無限様態の媒介なしにはres singularisは生起し得ないと解したとしても,何かひどい間違いを犯しているわけではないということは明らかだといえるでしょう。
 さらに念のためにいっておくならば,無限様態の媒介によってres singularisが生起するということは,各々のres singularisに対して,無限様態が「先立つ」存在でなければならないということを含意しているように思われます。つまりこの条件を充足させることが必要です。でもこれは満たされています。
 第一部定理一は,実体が様態に対して先立つことを示します。したがって無限様態に対してもres singularisに対しても,実体は先立ちます。いい換えれば第一部定理一四により,神の実在が様態の実在に先立ちます。
 次に第一部定理二一と第一部定理二二により,神が実在するなら,神の本性を構成する無限に多くの各属性の直接無限様態と間接無限様態が,必然の第一のタイプにおいて必然的に実在します。そして第一部定理一一により,神は実在するのですから,各属性の直接無限様態と間接無限様態は,必然的に実在する様態であると解さなければなりません。
 つまり様態のうち先立って実在するのは無限様態です。res singularisはその無限様態のうちに実在するとみなすなら,res singularisに対して無限様態が先立つということになります。
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ユトレヒト訪問の時期&分割禁止条件

2014-04-18 19:23:29 | 哲学
 具体的な招待の理由は定かではありませんが,スピノザはフランスが占領中のユトレヒトに赴きました。『スピノザの生涯と精神』の訳注で,訳者の渡辺義雄は6月28日頃にユトレヒトに到着していたとしています。そして直後の8月に,ヨハン・デ・ウィットが虐殺されたとしています。この虐殺は1672年8月20日と特定されています。つまりこれだとスピノザは1672年の6月28日前後にユトレヒト訪問をしたことになります。
                         
 渡辺がこのようにいう根拠は,スピノザがユトレヒトでコンデ公爵に会えなかったということ。このことはリュカスとコレルスの双方の伝記で一致しているので,事実と思われます。ところがコンデはユトレヒトに向う途中,ライン河を渡るときに負傷したのでフランスに帰り,実際にユトレヒトに到着したのは1673年4月12日であったと渡辺は書いています。
 ただ,ここにはひとつ,不自然に思える点が残ります。フランスがユトレヒトを占領したのは1672年6月13日。そしてストッパがユトレヒトの司令官に任命されたのが6月27日。つまりユトレヒト占領直後,ストッパが司令官に着任した翌日にスピノザがもう訪問していることになるからです。
                         
 『ある哲学者の人生』では,スピノザのユトレヒト訪問はその翌年,1673年の夏であったとされています。ナドラーによれば,ユトレヒトに到着したコンデは,ルイ14世に関する何らかの用事のために,7月15日にユトレヒトを出発。そしてスピノザは少なくとも7月18日にはユトレヒトには到着していなかったとしています。
 理由はさておき,スピノザを招待したのがコンデないしはストッパであったことは間違いありません。たぶんそのための旅券の手配などもしたと思われます。こうした状況から考える限り,やはりスピノザがユトレヒトを訪問したのは1673年のことで,つまりすでにデ・ウィットが虐殺された後であったとするのが妥当であると僕は思います。

 第一部定理二八,とりわけその締め括りである「無限に進む」という一語のうちに積極的な意味を見出すために必要なのは,この定理から部分的抽出を行うのではなく,ひとつの全体として把握する場合です。個物res singularisの存在と作用への決定が無限に連鎖するということは,定理の全体が,ひとつの無限を構成していることになります。つまり,あるres singularisAが存在および作用に決定される因果関係は,無限の広がりを有しているということです。もちろんこの場合のAというのは,どんな任意のres singularisにも妥当しなければなりません。すなわちどんなres singularisが存在および作用に決定される因果関係を単独で抽出してみたとしても,それは無限の中の一部であるということになるのです。
 第一部定理一三系で,スピノザが物体的実体の分割不可能性に言及するとき,それは無限であるものの分割不可能性を意味しています。ですから無限であるものの一部だけを抽出するということは,不可能なことであるといわなければなりません。無限の一部を抽出することが可能であるというのは,無限を部分に分割することが可能であるといっているに等しいからです。まして第一部定理二八というのは,物体的実体に限っていわれているのではなく,絶対に無限な実体である神のres singularisに対する最近原因性の説明の仕方であるということが明らかになっているのですから,第一部定理一三からして,このような解釈は禁じられなければならないといわなければならないでしょう。
 ところが,朝倉流では事情がこれとは異なっているのです。もしも無限様態の無限性が,実体および属性,あるいは神および神の絶対的本性を構成する無限に多くの属性と同様に一義的に理解されるなら,確かに上述の解釈は禁じ手といえます。しかし無限様態をres particularisの一部とみなし,かつそのres particularisの一部はres singularisによって構成されると理解することで,無限様態をあたかもres singularisであるかのように把握するなら,禁止条件から逃れています。無限であるものを分割しているのではなく,あたかも有限であるものを分割しているということになるからです。
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東京中日スポーツ賞クラウンカップ&部分的抽出

2014-04-17 19:20:22 | 地方競馬
 2着までに東京ダービーの優先出走権が与えられる昨晩の第17回クラウンカップ
                         
 先行馬が外枠に回ったので,どんな展開になるのか興味津々でしたが,ワットロンクンとビルスの2頭が並んで後続を引き連れるというレースに。その後ろもほとんど差はつかず,エイシンホクトセイ,サーモピレー,キョウエイアドニス,モデールノ,ジュリエットレター。向正面ではワタリキングオーも加わっていきました。前半の800mは50秒0でややハイペースといったところ。
 残り800mになったところで急激にペースアップし,ここからは消耗戦。逃げたワットロンクンはそれなりに頑張り,一旦は内のワタリキングオーに前に出られたサーモピレーが直線でこれに並び掛けるとワットロンクンは一杯。一時的にサーモピレーが抜け出したのですが,脚は止まっていて,前をカットされる形になったために今度は外に出されたワタリキングオーと後方から漸進し,直線はワタリキングオーのさらに外から追い込んだツルマルブルースの2頭が急追。3頭の競り合いをゴール前で制したのは真ん中のワタリキングオー。サーモピレーがクビ差の2着に粘り,さらにクビ差の3着にツルマルブルース。
 優勝したワタリキングオーは岩手デビューで6戦2勝。元旦が南関東での初出走で,前走4戦目で転入後の初勝利。そのレースがここと同条件で,かなり強い内容,その勢いで南関東重賞初制覇となりました。現状,トップクラスとの差は感じますが,ここにきて上昇しているのは間違いなく,さらに上積みがあるようなら,東京ダービーでの好走も期待できるかもしれません。父はキングヘイロー。叔父に2009年の浦和記念を勝ち,現在も北海道で現役のブルーラッド
 騎乗した大井の的場文男騎手は昨年のしらさぎ賞以来の南関東重賞制覇。第7回と14回を優勝していて3年ぶりのクラウンカップ3勝目。管理している川崎の佐々木仁調教師はクラウンカップ初勝利。

 第一部定理二八は,形相的と客観的を分けた場合,形相的真理について論述されているといえます。しかし原因と結果の秩序と連結は,第二部定理七により,形相的であれ客観的であれ同一です。そこでこの定理で論述されていることを,知性が十全に認識するための条件について考えると,第一部定理二八の意味が生じてくる理由が,さらに容易に理解できます。
 この定理の一部分だけを抽出すると,たとえば個物res singularisAの存在と作用の原因が,それとは別のres singularisBであるということになります。そして神がres singularisAの存在および作用の最近原因であるということを知性が十全に認識するためには,知性はres singularisBを,何らかの仕方で神と関連付ける必要があります。それをどのように関連付ければよいのかということがこの定理に示されています。実際には逆で,知性がres singularisBを,この定理で示されている仕方で神と関連付けるから,知性は神がres singularisAの存在と作用の最近原因であると認識することになるのですが,知性がそのようにres singularisBを認識しなければならない理由は,第一部定理一六ですでに示されているといえますから,このように説明しても大きな誤謬を生むわけではありません。神が万物の最近原因であるということは第一部定理一六から帰結するのであり,神がres singularisの最近原因であるということが具体的にはどういった事態であるのかが,第一部定理二八では示されているといえるでしょう。
 これはこの定理を部分的に抽出したときの結論です。いい換えれば「無限に進む」ということを,消極的意味として把握した場合の結論です。無限の一義性を,実体および属性と無限様態の双方から規定すると,これ以上の事柄をここから引き出すことが不可能になる,あるいはとても困難になるのです。でもそこにはある積極的な意味があると解することも本当は可能です。朝倉流はその意味を帰結させやすくなっているのです。
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マイナビ女子オープン&無限の一義性

2014-04-16 19:07:36 | 将棋
 鶴巻温泉で指された昨日の第7期マイナビ女子オープン五番勝負第二局。
 里見香奈女王の先手で初手▲5六歩からの中飛車。加藤桃子奨励会1級が1筋を受けたのを見て先手は角筋を止めましたが,後手は穴熊に。先手は銀冠を作り,5筋を交換。この直後に後手から仕掛け,飛車を成り込んだ上に駒得となりましたので,相当のリードを奪ったように思えたのですが,実際はそれほどではなったようです。それでも優位に立っていた後手が決めきれず,第1図を迎えました。
                         
 ここは△2四桂を防ぎつつ▲2五歩と突くのが最善だったよう。ただ実戦の▲1五歩でも△2四桂に▲4三角と打つ手があり,問題はなかったようです。後手が△8八龍と入ったところで▲1四歩は大きな取り込み。対して△1六歩は手筋といえる切り返しですが▲同角成と取ったのが好判断であったようです。
                         
 普通は△同桂なのですが▲4八金と絡んでいきました。▲同金△同龍▲3八金は当然の応酬。そこで△7八龍か△5八龍と思われたところ,△同龍と切りました。▲同王に△1六桂とようやく取り,▲同香△1七金。ただこれはもたれたという感じで,先手玉がすぐに寄るというわけではありません。▲1三歩成が回り,ここからは先手の勝ちになっているといえそうです。
                         
 途中は不調による大局観の悪さを感じさせたのですが,その後は力を発揮した里見女王の勝利で1勝1敗。第三局は25日です。

 僕のように無限の一義性を,実体および属性と無限様態の両方の無限に依拠して判断すると,無限様態の媒介によって個物res singularisが生起することを,第一部定理二八のうちに見出すことが非常に困難になります。この定理には,僕が示した第一部定理二八の意味以上の事柄を発見することができないように思えるからです。しかし,無限様態をres particularisに含まれるものと理解することによって,無限の一義性を実体および属性だけから判断する場合には別です。この場合には,第一部定理二八のうちに,媒介としての無限様態を浮かび上がらせることが,わりと容易に可能になります。
 第一部定理二八が第一義的に示しているのは,現実的に存在するres singularisAの存在と作用の原因はそれとは別のres singularisBであるということです。そしてこれと同じことがres singularisBにも妥当し,そうしてres singularisBの原因として措定されることになるres singularisCにもそれが妥当するといった具合に,この関係が無限に連鎖するのであり,この連鎖を遡上していった先に,第一部定理一六系三で示されているような第一原因としての神に到達することはないということが帰結します。ですから神がres singularisの原因であるということは,別の仕方で理解されなければならないのであり,それはあらゆるres singularisの最近原因として神を理解するという方法です。これは無限をどちらの仕方で一義的に把握するのであっても第一部定理二八から,共通の要素として見出すことができます。
 無限様態の無限性を神の無限性,あるいは神の絶対的本性を構成する属性の無限性と同一の無限性として把握すると,神が最近原因であるといわれるのと同一の意味において,無限様態の媒介でres singularisが生起するということを認識する必要に迫られます。でも無限の一義性が無限様態には及ばないならその限りではありません。これがこの定理のうちに無限様態の媒介を発見する可能性の前提です。
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