スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部諸感情の定義四&麻薬の入手

2018-07-22 19:00:40 | 哲学
 第三部諸感情の定義五の軽蔑は,ある事物の表象imaginatioであり,感情affectusではありません。これと同じように,感情ではないものの諸感情の定義に示されているある種の事物の表象があります。これは軽蔑に対立するような表象のあり方で,驚異と命名され,軽蔑のひとつ前の第三部諸感情の定義四で明らかにされています。
                                
 「驚異とはある事物の表象がきわめて特殊なものであってその他の表象と何の連結も有しないために,精神がその表象に縛られたままでいる状態である」。
 僕たちは大抵の場合は,ある事物を表象すればその表象像imagoから別の表象像に移行し,その別の表象像からさらにまた別の表象像へと移行するということを延々と繰り返します。こうしたことはスピノザがいう自然の秩序ordo naturae,知性の秩序とは逆の意味における自然の秩序に応じて生じます。知性の秩序は万人に共通ですが,自然の秩序はそうではないので,たとえばAという人間はXからYへと移行する,つまりXによってYを連想するけれども,Bという人間はXによってZを連想するということも起こり得ます。
 こうした連想は,AについていえばかつてXとYを結び付けたことがあるということから生じ得るのであり,BについてはXをZと結び付けいたことがあるということから説明できます。しかしここにAがSを表象し,このSをほかの一切の表象像と連関させることが不可能なら,AはSから何も連想できず,Sを表象した状態に縛り付けられます。これがスピノザがいう驚異であり,同時にそれが発生する簡単な仕組です。
 ですから驚異は表象したものに対しては肯定的でもあり得ますし否定的でもあり得ます。たとえばあまりに聡明であることを発見したがゆえに驚異するなら肯定的ですが,あまりに残虐であることを発見したがゆえに驚異するなら否定的でしょう。一般的には前者は尊敬といい,後者は戦慄というのが的確かと思いますが,その表象像に縛り付けられてしまうという点において,尊敬も戦慄も同じように驚異であるのです。

 11月20日,月曜日。母はKさんと本牧まで買い物に出掛けました。本牧は根岸駅まで出て,また乗り換える必要がありますが,このときもバスを使っています。このときに買ったのは,妹が入所施設に入ったときに必要になる寝具でした。寝具は重いですから持ち帰ることはせず,配達を依頼しています。
 11月21日,火曜日。この日も母は夕食の支度をするなど,この時点で自身にとって可能な家事をこなしていましたが,僕が見ている限りではそれまでより辛そうにしていました。ただしそれは癌の影響だったわけではなく,痔が出てしまったからだそうです。
 11月22日,水曜日。消化器内科の通院日でした。この日は11時半の予約でしたが,実際に診察が始まったのは正午を過ぎてから。この日はとくに何かするということはなく,主治医と話をしただけでした。前にもいったように主治医は母が延命治療をするべきと考えていましたから,このときも化学療法を勧められはしましたが,僕たちはその治療を断念するという方針を変更する気はないということを伝えました。食堂で昼食を摂り,午後1時15分に帰宅しました。薬の処方はありましたので,その後で僕は薬局へ。ついでですから痔の薬も買い求めました。これは注入軟膏です。痔の薬はいろいろと種類がありますが,注入軟膏にしたのは母がそれを所望していたからです。
 父も同じように横行結腸癌は末期,母よりもずっと進捗した状態で発見され,最終的に延命治療が不可能な状態になってしまいました。その後,癌による痛みを和らげるために麻薬を処方されています。このとき薬局で担当していた薬剤師から,今後に関して何か心配な点はないかということについて尋ねられましたので,ゆくゆくは麻薬が処方されるかもしれないが,それをこの薬局で入手することが可能であるかどうかを尋ねておきました。答えは,ここでも麻薬を処方することは可能であるけれども,すぐに処方することは難しいという,やや曖昧なものでした。僕は入手できるという意味に解したのですが,なぜこのような答え方をしたのかは,後に実際にそれを処方されたときに理解することになりました。
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1993年の女子プロレス&裁判員

2018-07-21 19:05:50 | NOAH
 『1964年のジャイアント馬場』を書いた柳澤健には『1993年の女子プロレス』という著作もあります。いずれ詳しく示しますが,僕は学生の頃は女子プロレスも観戦していました。1993年は社会人1年生で,時期が重なる部分もありますので,この本も読んでみました。
                                     
 元は2011年に単行本として刊行されました。僕が読んだのは2016年に単行本を公刊したのと同じ双葉社から発売された文庫版です。一部に加筆と訂正があるとなっていますが,それがどの部分であるのかは,僕は単行本は所有していないので不明です。
 『1964年のジャイアント馬場』は柳澤が独自に取材したものをまとめた一冊です。『1993年の女子プロレス』はそれとは大幅に異なっていて,むしろ選手や関係者へのインタビュー集といっていいでしょう。第1章から14章まではすべてインタビューで,順に,ブル中野,アジャ・コング,井上京子,豊田真奈美,伊藤薫,尾崎魔弓,唯一スタッフとして登場するロッシー・小川,ジャガー横田,デビル雅美,ライオネス飛鳥,長与千種,里村明衣子,広田さくら,神鳥忍です。柳澤は北斗晶にもインタビューをしたかったようですが,北斗が拒否したようで,最終章は北斗について柳澤自身が書いています。さらに巻末に里村とファン代表のような形の雨宮まみ,柳澤による三者対談が収録されています。
 僕は女子プロレスを観戦していた時期はとても短く,ジャガーやデビル,飛鳥や長与の頃は,テレビ放送を見ることはありましたがライブで観戦したことは一度もありません。また里村や広田になると生観戦はおろかテレビ放送も見たことはないです。ですから僕がこの本について書けることは限られるのですが,内容には興味をそそられる部分もありましたから,それは何回かに分けて掲載していくことにします。

 11月15日,水曜日。僕に1通の手紙が届きました。これは裁判所からのもので,抽選で僕が裁判員の候補者に選ばれたことの通知でした。これは翌年,つまり今年のことですが,僕が裁判員になる可能性があるということを知らせるものです。現時点ではちょっとした動きがあったのですが,そうしたことを具体的にどこまで記すことが許されるのかは不明ですので,もし今後,もっと大きな動きがあったとしても,ここに書くことは控える可能性があることをあらかじめご了承ください。
 11月16日,木曜日。母が買い物に行きたいと言いましたので,昼食後にふたりで出掛けました。根岸駅までですが,往復ともにバスを使っています。母がバスに乗ったのは,大腸癌を切除する手術のために入院した日,具体的にいえば9月29日以来のことです。この時点で母の体力はそこまで回復していたことになります。なお,このときに買ったのは,妹が入所するときに必要になるいくつかの備品と,母の化粧品などでした。もちろん荷物は僕が持ちました。というか,そのために同行したわけです。
 また,この日の夕食にKさんを招きました。すでにいったように11月6日からはまた母が夕食の支度をしています。Kさんはとても親しい友人なので,客人というのとはちょっと違うのですが,Kさんを招いての夕食も可能であると母自身も判断していたということです。たぶん14日に通所施設とグループホームの見学に行って,見学のためにそこそこは歩いたのですが,それでもあまり問題が発生しなかったということが,母の自信になっていたのではないかと僕は推測しています。
 11月19日,妹のピアノのレッスンがありました。これは午後2時から。妹はいつからになるかはまだ分かりませんでしたし,正式に契約をしたというわけでもありませんが,グループホームに入所するということはほぼ決定していました。なので12月はどう予定を立てればよいのかがいまひとつ分からない状況でしたので,12月はレッスンはしないということになりました。他面からいえば,これが妹にとって最後のレッスンになってしまう可能性があったということです。
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論者の評価&見学

2018-07-20 18:57:07 | 歌・小説
 伝記作家の評価について記述したことは,伝記を読む場合に特有に注意しなければならないことであるとは必ずしも限りません。評論家が作家の作品を評論する場合にも,先に作家に対するある評価があり,これに合わせて作品を評論するという場合もあるからです。そういう傾向を有する評論はすでに論評してありますので,その特徴を再掲しておくことにしましょう。
                                     
 宮井一郎は,利益社会と人格社会,我執と自由との対立の中で,漱石は人格社会および自由に重きを置いていたと評価しています。この評価は漱石の作品から結論づけられるようになってはいますが,実際には評価の方が先行していて,それに合わせて評論しているのだと僕は解します。『漱石の世界』はそういう評論集であると僕は考えます。この本は評論集であって,漱石の伝記ではありません。実際にこの本の中で漱石の評伝に関連している事柄はほとんどないといっていいです。ですがもし宮井が漱石の評伝を記述すれば,きっと漱石は人格社会と自由を重視するひとりの人間として描かれるでしょう。宮井が漱石の伝記を書けばどのような内容になるのかということはおおよそ推測できるのであって,その推測された内容は,評伝とは無関係な作品評論とも関係するのです。
 『ドストエフスキー『悪霊』の衝撃』で亀山郁夫と対談しているリュドミラ・サラスキナは,明らかにドストエフスキーをひとりの人間として神格化しているように僕には思われます。したがってもしサラスキナがドストエフスキーの伝記を書いたなら,ドストエフスキーはさぞかし人格者として描かれることになるだろうと思われます。こうした神格化はサラスキナがドストエフスキーの作品を読解するときにも影響を与えるのであって,サラスキナのドストエフスキー論はおそらくその点を度外視しては評価できません。つまりサラスキナのドストエフスキー観は,先行条件として作品の読解に影響を及ぼすのです。
 このように,論者の論評対象に対する見方は,論評そのものに影響します。蓮実重彦の『夏目漱石論』の序章で,漱石と呼ばれる人影との遭遇をひたすら回避しなければならないといわれているのは,そうした影響を回避するためでもあります。どこまで回避しているのかは,論評を理解する上できわめて重要な要素なのです。

 11月12日,日曜日。美容院の予約が入っていました。もし可能であれば母が行って自分の髪も切ってもらう予定でしたが,体力的に厳しいということで,僕が妹に同行し,妹の髪だけを切ってもらいました。切ってもらっている間に読書をしました。読書のためにまとまった時間を充てることができたのは,母の大腸癌の切除の手術中以来のことでした。美容院の予約は午後1時。僕たちが帰宅したのは午後2時半。その後でKさんが来訪し,母と話をして帰りました。これは妹のグループホームの話が含まれていて,そのための協力を要請しました。
 11月14日,火曜日。この日は妹が入居することになるであろうグループホームと,その場合の通所施設の見学でした。この時点での妹の通所施設の担当の方が,自動車で家まで迎えに来てくれました。僕と母,そして妹の3人が同乗し,家を出たのは午前10時半です。まず,通所施設に向いました。通所施設の方の案内で,施設の中にどのような部屋があるのかなど,一通り案内してもらいました。この施設には,母が小脳出血で倒れたとき,妹が通っていた通所施設で妹を担当されていた方がいらっしゃいました。僕も妹の支援を決定する際に会ったことがある方でした。
 この後,同じ自動車でグループホームの見学に向いました。グループホームは2階建てになっていて,1階が男性用の施設,2階が女性用の施設です。グループホームは男性と女性が同居するということができない規定になっていますので,1階と2階は名目上は違った施設,1階が第一で2階が第二というようになっています。
 妹の入所が可能になったのは,空きができたからです。したがってその空いた部屋というのが妹の部屋になります。前に入っていた亡くなった方は,亡くなる直前に入居されたようで,テレビなど,わりと新しいものがそのまま置いてありました。遺族の方が後に入る方に寄付をするということでしたので,使わせてもらうことになりました。部屋は概ね6畳ほど。ベッドと箪笥はしつらえてありました。
 見学を終えて家まで送ってもらったのが午後1時前。妹はそのまま同乗して通所施設に行きました。
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ヒューリック杯棋聖戦&医師の勧め

2018-07-19 19:11:03 | 将棋
 17日に千代田区で指された第89期棋聖戦五番勝負第五局。
 振駒で羽生善治棋聖の先手になり角換り相腰掛銀。後手の豊島将之八段は4筋から仕掛けさせる順を選択しました。
                                    
 先手が4筋の歩を取り込み後手がそれを飛車で取った局面。ここで先手が☗4七角と打ったのが新手で,この局面を打開しようという意図の一手。
 後手は☖4一飛と引き上げ☗7五歩にも怯まず☖6三金と上がり☗7四歩☖同金と進めました。
 先手は☗4五桂と跳ねていますが,新手は事前の研究があった筈で,これは予定通りの進行だったのではないかと推測します。後手は☖4四銀と逃げました。
 先手は☗2四歩☖同歩の突き捨てを入れてから☗5五銀。金取りなので☖6五歩の受けは当然。先手はどちらの銀も取れますが☗4四銀とこちらを取ったので後手は☖同飛の一手。先手はそこで☗4六歩と受けました。
                                    
 たぶんここで受けるようでは先手の構想はうまくいってなかったのだと思います。後手は☖8六歩と反撃し,これで後手が有利に戦いを進めているということだったのではないでしょうか。終盤で千日手に持ち込めそうな局面を先手から打開するという不思議な順があったのですが,先手が千日手を狙っても後手は打開できたようなので,仕方なかったということだと思います。4四の飛車も展開的に好位置になったので,先手は4四ではなく5四の銀を取っておいた方がよかったのかもしれませんが,目立った悪手というのがあったわけではなく,うまく表現できませんがとてもきれいでさわやかな将棋という印象が残りました。
 3勝2敗で豊島八段が棋聖を奪取。ようやく待望の初タイトルを獲得しました。

 母はこの日もタクシーで僕と病院に来ました。消化器内科の主治医が言うには,そのくらいの体力があるのであれば,治療を行って延命を図るのが得策とのことでした。SOX+Bvによる治療は副作用が強すぎるので中止するとしても,従来より量を減らしても治療は可能であるし,ほかにも方法はあるので,化学療法に関しては継続するように強く勧められました。しかし母はもう化学療法を断念するという決意を固めていましたから,それらの提案についてはことごとく拒否しました。主治医は僕にも意見を求めてきましたが,僕は母の治療法に関しては母が決定するのが最善という考え方でしたから,母が決定したことに同意するということだけを伝えました。主治医はまだ諦めきれない様子ではありましたが,患者が拒否している治療を医師が独断で遂行することはできないということで,正式にこれ以上の延命治療は行わないということがここで決定しました。この後も何度か通院はあり,その際にもこの主治医は化学療法を行う気はないかということを確認してきました。それはやはり主治医として担当の患者である母は化学療法を行った方がよいという考えを,その後もずっと持ち続けていたからだと思います。当然ながら母は再開するつもりはありませんでしたから,この後もそれを拒否し続けましたし,僕もその母の判断を尊重し続けました。
 次回の予約を入れてこの日の診察は終了しました。会計の窓口へ行ってから食堂で昼食。昼食が終れば計算も終了していますから,支払いを済ませて帰宅しました。午後1時25分ごろのことでした。この日は母は僕につかまることなく歩くことができました。副作用からの回復はそこまで進んでいたのです。
 11月10日,金曜日。僕の家の近辺は,月曜,水曜,金曜の週3回,八百屋が自動車で移動販売にやってきます。母は以前はそれをよく利用していましたが,大腸癌を切除する手術を終えてからは途絶えていました。そしてこの日,実に久しぶりにその八百屋へ買い物に出ました。そもそも母は手術後は,通院以外の外出は一切していませんでしたから,それ以外の目的で久々に外出できたことになります。
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サマーナイトフェスティバル&化学療法室

2018-07-18 18:57:58 | 競輪
 16日に松戸競輪場で争われた第14回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは菅田‐渡辺の北日本,平原に中村,深谷‐竹内‐浅井の中部で古性と松浦は単騎。
 浅井がスタートを取って深谷の前受け。4番手に菅田,6番手に平原,8番手に松浦,最後尾に古性で周回。残り4周の3コーナーから平原が上昇。松浦と古性も続きました。ホームに入って平原が深谷を叩くと深谷はすぐに引いて平原は誘導の後ろに。古性の後ろの5番手に菅田が入り,深谷が7番手の一列棒状に。深谷はバックから外に持ち出し,山おろしをかけるように残り2周のホームから発進。平原は合わせていき,打鐘で竹内のところに飛びつきました。ちょうどコーナーに差し掛かるところでインの平原が番手を奪取。残り1周のホームにに入ると菅田が発進。平原のブロックは凌いだものの深谷の前までは出られず。しかしバックに入ってから自力で出ていた渡辺は深谷を捲って優勝。2周の先行になりましたがよく粘った深谷が1車身差で2着。渡辺の後ろにスイッチした松浦が8分の1車輪差で3着。
 優勝した福島の渡辺一成選手は昨年10月の寛仁親王牌以来の優勝でビッグ5勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。このレースは深谷の先行が有力で,スムーズなレースになれば中部勢から優勝者が出るだろうと思われました。ただ,深谷が前で番手が竹内,3番手に浅井という並びになりましたので,竹内の位置に平原か古性が斬り込むということは大いに考えられ,その場合には菅田が不発というケースは考えにくく,瞬発力は随一の渡辺の優勝はあり得るとみていました。このレースの深谷はかなり強い内容でしたから,これなら中部勢は浅井が番手の方がうまく対応できたのではないかと思います。平原の斬り込み方も巧みでした。

 5階に向ったのは放射線治療を行う部屋,化学療法室があるからです。これは1クール目の退院の前日のオリエンテーションがあったときに説明しました。母はこの時点では飲み薬の服用を中止していましたし,どのような方法であれ抗癌剤による治療を再開するつもりはありませんでした。僕もそれを理解していました。ただ,この通院は前回の退院時に定められていたもので,そのときはまだ治療を断念する前でしたから,採血をしたら化学療法室で放射線治療を行うということになっていて,予約票にもそのような指示が記載してありました。なので僕たちはその指示に従ったのです。
 化学療法室で僕たちを迎えたのは,オリエンテーションのときに僕たちを担当した看護師でした。まずこの看護師による問診がありましたが,飲み薬の服用を中止してもよいということは,10月27日に母を診察してくれた医師の許可を得てのものでしたから,母がそれを飲んでいないということは看護師にも伝わっていました。また,そのオリエンテーションのときには,単に治療のことだけでなく,延命治療中の生活に関する話もあったのですが,この日もそれは同様で,オリエンテーションからこの日までの生活の様子なども尋ねられ,母はそれにも答えました。たとえば妹がグループホームに入所することができそうだというようなことも伝えました。本来なら放射線治療を行うところですが,この日は行わずに中断するという話が最後に看護師からありました。看護師が中止とは言わずに中断と言ったのは,おそらく中止を最終的に決定するのは消化器内科の担当医なので,看護師の一存で中止すると言うわけにはいかなかったのだろうと推測します。
 放射線治療は行わなかったので,僕たちはそのまま1階の消化器内科に向いました。この診察の予約は午前11時半になっていましたが,実際に診察が始まったのは12時15分くらいでした。
 薬を飲むのをやめたことはもちろん医師も知っていました。ただ,前にいったかと思いますが,この医師は延命治療をすることを強く勧めるタイプの医師でした。とくに母がそれをしないのはもったいないと思っていたのです。
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プラチナカップ&自己の有

2018-07-17 19:07:33 | 地方競馬
 昨日の第1回プラチナカップ
 10頭のうち5頭が同じ厩舎ということで作戦は難しいところもあったと思いますが,最内枠でしたのでウェイトアンドシーの方が逃げ,ノブワイルドが2番手に控える形になりました。3番手はニシノラピート。4番手にキタサンミカヅキで5番手がリアライズリンクス。その後ろはインフォーマーとアンサンブルライフで併走。ここから大きく離れてトキノエクセレントとジョーオリオン。テムジンはさらに大きく離されての追走に。最初の600mは35秒6のハイペース。
 逃げたウェイトアンドシーと2番手のノブワイルドは競り合いながら直線に。内のウェイトアンドシーはノブワイルドは振り切ったものの,楽に追走して2頭の外から差し込んだキタサンミカヅキが突き抜けて優勝。逃げ粘ったウェイトアンドシーが4馬身差で2着。大外からよく伸びたインフォーマーが2馬身差の3着に届き,ノブワイルドはハナ差で4着。
                                
 優勝したキタサンミカヅキは昨年の東京盃以来の勝利。その直前にアフター5スター賞を勝っていて,南関東重賞は2勝目。重賞の勝ち馬ですから力量は上位であるものの,その後は南関東重賞はおろかオープン特別でも勝ちきれないというレースが続いていました。それでもここ2戦は重賞で連続2着でしたから,能力通りの結果とはいえます。勝ちきれないのは脚質の面も影響していたかもしれず,このレースはハイペースで流れた上に程よい位置を確保できたのが,大きな着差をつけて勝つことができた要因でしょう。能力を出せばこのメンバーではこのくらい離して勝つ力がある筈なので,このようなレースを継続することができれば,まだ活躍が見込めそうです。父はキングヘイロー。母の父はサクラバクシンオー。母の8つ上の半兄に1998年に埼玉新聞杯を勝ったキタサンシーズン
 騎乗した船橋の森泰斗騎手金盃以来の南関東重賞26勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師と共に第1回にその名を刻みました。

 11月4日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後2時半の開始でした。
 11月6日,月曜日。伯母がロサンゼルスに帰国してからは,僕が母と妹の分も合わせて3人分の夕食を作っていたのですが,この日は母が作ってみると言いました。これは延命治療を断念し,飲み薬の服用をやめたために,副作用がそこまで治まってきたことを意味します。母の申し出でしたので,この日は母に任せました。そしてこの日以降,以前のようにまた母が夕食の支度をするようになりました。そもそも母はこのような生活を送りたかったために最初から抗癌剤を用いた治療はしたくないと考えていたのであり,実際にそれを断念することによってそうした生活を送ることができるまで回復したのですから,これはよかったのだと現時点でも僕は思っています。病気が発覚した後,母が自分自身に関して最も大きな喜びを得られたのは,このときの体調の回復であったのは間違いないと僕は確信しています。人間は喜びlaetitiaを希求し悲しみtristitiaを忌避するという現実的本性actualis essentiaを有しているのですが,母にとって治療の断念とは,辛い副作用という悲しみの忌避であっただけでなく,喜びの追求でもあったのです。そして人間はそういう現実的本性を有しているとはいえ,追求すればその喜びを確実に手にすることができるというものでもありません。母は単に悲しみの忌避に成功しただけでなく,喜びの追及にも成功したのですから,母の現実的本性いい換えれば母のコナトゥスconatusは,母をより良い方向に向かわせたといえるでしょう。第三部定理七は,現実的本性すなわちコナトゥスは,自己の有suo esseに固執するといっていますが,自己の有に固執するというのは,必ずしも生き永らえるということだけを意味するのではないのです。
 11月8日,水曜日。母の消化器内科の通院,SOX+Bvの2クール目の開始の日でした。予約は午前10時半で,僕が同行しました。
 保険証確認を済ませて採血のために中央検査室へ。この日は検査の患者がとても多かったので,5人の技師がフルに稼働していました。時間を要して採血を終えると,僕たちはエレベーターで5階に向いました。
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農林水産大臣賞典マーキュリーカップ&場所

2018-07-16 19:08:52 | 地方競馬
 メイセイオペラ記念の第22回マーキュリーカップ
 ヨシオが逃げました。2番手にザイディックメアとマイネルバサラで4番手がドラゴンエアルとフェニックスマーク,6番手にミツバでしたが,2番手以下の5頭はほぼ一団。7番手以下はエンパイアペガサス,マイネルバローネ,ミッキーヘネシー,ポイントプラスの順で続き,その後ろがコミュニティとヒドゥンブレイド。後方2番手がプリンスダムで最後尾にシンゲツ。超スローペースでした。
 3コーナーを回るとヨシオの後ろはマイネルバサラ,フェニックスマーク,ミツバの3頭の雁行に。ザイディックメアとドラゴンエアルがその後ろで併走となり,ここまでは勝負圏内。直線に入るところのコーナーワークでヨシオが一旦は後ろとのリードを広げましたが,雁行していた3頭のうち大外のミツバは伸びてきてヨシオと優勝争いに。差し切ったミツバが優勝で逃げ粘ったヨシオは1馬身差の2着。直線で苦しくなったフェニックスマークは4馬身差の3着。
 優勝したミツバは昨年のマーキュリーカップ以来の勝利で重賞2勝目。ここは実績は上位。4連勝でオープンを突破してきたフェニックスマークが最も怖い存在でしたが,どうやら壁があったようで,そうなれば順当な勝利といえるでしょう。最後の600mが35秒6だったことからも分かるように競馬の流れは2着馬のもので,それを外を回って捻じ伏せたという形ですので,1馬身という着差以上の能力差はあるとみていいと思います。ただそれはあくまでもこのメンバーの中ではということであり,トップクラスとはまだ少しだけ差があるという印象も残りました。父は第14回を制したカネヒキリ。祖母は1991年に報知杯4歳牝馬特別とサンスポ杯4歳牝馬特別を勝ったゴールデンジャック。そのひとつ下の全弟がスターリングローズ
 騎乗した松山弘平騎手と管理している加用正調教師はマーキュリーカップ連覇で2勝目。

 妹が通っている通所施設はマンションのような建物になっていて,上部に入所施設があります。は妹がそこに入所することができるのがベストと考えていました。ですが今回の件はそこではありません。グループホームの所在地は港南区の上永谷で,僕の家からはそう近いところではありませんでした。
 横浜市営地下鉄のブルーラインには上永谷駅があります。駅は谷といっていいところにあり,北側を環状2号線が通っています。これは僕の推測ですが,この環状2号線の一部は昔は川だったのではないでしょうか。上永谷から東戸塚方面に行くと,護岸と思われる石積みの跡が見受けられますし,構造的に船着き場だったのではないかと思われるようなところもあります。また,上永谷駅の近くには馬洗橋という名の交差点があり,たぶんそこには川に架かる橋がかつてはあったのではないかと思います。
 その上永谷の駅は北側と南側は台地になっています。その北側の台地の一部も地名は上永谷で,妹が紹介されたグループホームはその台地にあります。上永谷駅方面からだけではなく,上大岡駅方面からも向うことができますが,いずれにしてもかなり坂を上って行ったところになります。
 日中に作業する場所は同じ港南区の日野です。グループホームから作業所までは,グループホームが自動車で送迎してくれるとのことでした。
 この作業所はかつて妹がショートステイで2度ほど利用したことがある施設に隣接しています。ここは1泊しかできない上に,必要な荷物がほかと比較すると多かったために,すぐに利用を中止してしまったのですが,まったく知らない場所というわけではありません。作業所はグループホームの利用者の専門ではなく,通所施設も兼ねていますし,ここには入所施設もあり,入所されている方も作業します。人数が多いですから,作業の種類もいくつかあるとのことでした。
 日野は上永谷と比べればかなり広い町ですが,この施設は磯子区の洋光台にかなり近く,実際に最寄りのバス停は洋光台北口という,磯子区内のバス停です。僕の家からならば,グループホームよりはこちらの施設の方が距離としては近いです。
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書簡七十九&説明

2018-07-15 19:03:41 | 哲学
 書簡七十八に対してオルデンブルクHeinrich Ordenburgは反論の手紙を送っています。それが書簡七十九です。
                                     
 オルデンブルクが最初に主張しているのは,神Deusは自分の似姿として人間を創造したということです。これはフーゴー・ボクセルHugo Boxelとの間で交わされた,優越性の議論と関連していることが分かります。つまりオルデンブルクは,神は優越的にeminenter人間であるという主張を展開しているのです。オルデンブルク自身がこのようないい方をしているわけではありませんが,スピノザはボクセルへの書簡五十六の中で,三角形が話をすることができれば,神は優越的に三角であるというだろうという主旨のことをいっているのに倣った僕のいい回しであると理解してください。いい換えればこの点において,ボクセルとオルデンブルクとの間には一致点があったと僕は考えます。同時にスピノザはそれを否定するのですから,スピノザがそれを否定しているということについては,ボクセルもオルデンブルクもそれを正しく理解することができていたといえます。
 書簡の最後に,オルデンブルクはイエスの復活を比喩的に解してはならないと主張しています。全キリスト教とその真理はこの復活に支えられているとオルデンブルクはいっていますから,この部分は,スピノザが聖書の意図は哲学を教えたり人を賢明にしたりすることではなく,人を従順にすることにあるといっていることに対する反論でもあると僕は解します。オルデンブルクによれば,復活を比喩的に解するなら,イエスの使命と教説は崩壊するのだから,福音書の真実を倒壊させるのと同じです。ただ,スピノザは福音書が真実であるということを前提とはしていないのですから,これは神学的観点からの超論理的な反駁で,スピノザに対しては有効ではないと僕は考えます。
 スピノザはこの書簡に返事を送らなかったようです。ブレイエンベルフWillem van Blyenburgの場合と同じように,自身とオルデンブルクとの間には,橋を架けることができない川があるということを,この書簡によってはっきりと悟ったからでしょう。

 僕たちにとって,というかにとってといった方がいいかもしれませんが,現在の通所施設と同じ福祉団体が運営しているグループホームへの入所の打診は,渡りに船のようなものでした。ということで,詳しい話をしてもらうため,翌日に通所施設の方に家に来てもらうことになりました。
 同時にこの日,福祉事務所からも電話がありました。これは母が延命治療のために入院していたときにあった,隣町に新設されるグループホームへの応募の一件でした。先方によれば,この施設は男の人に限定のグループホームになるということで,妹は応募することができなくなったそうです。僕たちはむしろ別のグループホームへの入所に気持ちが傾いていましたから,これはこれでそこまで悪い話ではありません。こちらの事情も伝え,グループホームを探すことは中止してもらってよいということを伝えました。
 この日の夕方に,Kさんが来訪されました。
 11月1日,水曜日。通所施設の作業の終了後に,通所施設で妹を担当されている方ともう一方のふたりが来訪されました。これは自動車での来訪でしたので,妹も一緒に送ってもらいました。午後4時15分ごろのことです。母と妹,そして通所施設の方々の4人で,30分ほど話し,ふたりは通所施設に戻りました。このときに説明があったのは,まずグループホームの場所です。次にグループホームというのは基本的に夜に寝泊まりするところであり,日中は滞在するところではありません。なのでこのグループホームを利用する場合に,妹は日中はどのように行動することになるのかという説明も含まれていました。これはやはり同じ福祉団体が運営している作業所に出掛けて,作業を行うということでした。さらに,入所する際に必要になるもの,これは日々の生活のための必需品などですが,どういったものを準備すればよいかという話もありましたし,入所した場合にどの程度の費用が必要とされるのかといったことの説明もありました。このような詳しい話がなされたのは,まだ契約をするという段階には至っていませんが,事実上は妹が入所するということで双方が合意に達していたということです。
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印象的な将棋⑮-1&入所施設

2018-07-14 18:57:37 | ポカと妙手etc
 第38期女流王将戦本戦トーナメント準決勝より。この期は挑戦者決定戦もそこそこの逆転だったのですが,この準決勝は大逆転といっていい内容でした。
                                     
 後手が歩を打った局面ですが,これは悪いとみての勝負手だったと思います。
 先手は☗同歩成と取り☖同銀に☗8三歩。これは☖同銀しかありませんが☗同飛成と切って☖同王に☗8一飛成と追い,☖8二歩に☗8五銀と縛りました。
                                     
 現状は☗8四歩は打ち歩詰めで打てませんが,☗7三香成☖同金☗7五桂の詰めろになっていて,なおかつ7三に後手の金がくれば☗8四歩も打てるようになります。また☗7三香成に☖同王も☗7四銀☖8四王☗8二龍以下の詰み。よってこれは受けに窮した形で,先手はこれで勝ちと思っていたのだと推測します。40秒将棋だったこともありますが,この判断が逆転を産んだのではないでしょうか。

 伯母が帰国したのはこの日です。羽田空港を夜に立つ便の予約でしたので,この日の夕飯まで,伯母は一緒でした。母は抗癌剤による治療を断念したとはいえ,副作用はまだ治まっていませんでした。洗濯機を回して洗濯物をカゴに入れておくとか,僕が取り込んだ洗濯物をたたむといった家事は,僕からみても非常に辛そうではありましたがやっていましたが,食事の支度をするようなことができる状態ではありませんでしたので,次の日からまた僕が食事を作るようになりました。
 10月29日,日曜日。この日はガイドヘルパーを利用してカラオケに連れて行ってもらう予定でしたが,中止となりました。これは台風が接近していたためです。前述したように,僕が食事の支度をするようになったのがこの日からです。
 10月31日,火曜日。妹の通所施設から電話がありました。これは妹の通所施設の経営母体となっている福祉団体が経営している入所施設,つまりグループホームですが,ここに空きができたので,妹の入所を希望するかどうかの打診でした。母は大腸癌を手術する前は何度か妹を通所施設まで送っていて,妹の今後についての相談もしていましたので,こうした打診があったのです。
 障害者の入所施設というのは一般的にはひとつのコミュニティーであり,そこに空きができるというのは,基本的には入所している方が亡くなったということであり,このときもそうでした。こういう場合は公募することになっているのかもしれませんが,空きをどのように埋めるのかということは施設に任されています。グループホームへの入所を希望する障害者の保護者というのは多くいて,順番待ちになっているのが実情かと思いますが,母は余命が限られていて,緊急を要する事態となっていましたので,まず優先的に連絡をもらえたようです。実際のところ経営母体が一緒であるならば,入所させる側もある程度は人柄を理解している障害者を受け入れた方がいいでしょうし,保護者の側からしても,まったく知らない団体が運営している施設よりは安心できます。つまり空きができて妹で埋めるというのは,両者にとって都合がいいことだったのです。
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誤読の理由&断念

2018-07-13 19:05:08 | 歌・小説
 僕は先生が下宿人としての面接,事実上はの結婚相手としての面接の合格の理由は,先生の財産目的ではなかったと読解します。しかし,『こころ』をそのように読解する識者というのは意外と多くいます。そうした読解をする人は,Kとの同居の後,先生に求婚を迫るためにKに対して静がわざと色目を使ったというように読解するパターンが多く見受けられます。僕はこれは誤読であると考えますが,こうした誤読が生じる理由をひとつ示しておきましょう。
                                     
 これは『こころ』のうち,下の先生の遺書の部分に特化した読解です。つまりテクストを記述しているのは先生です。ですからそこに書かれているのは先生の目から見た世界なのです。よってそこには先生によるバイアスがかかっていると考えなければなりません。いい換えればそれは真実ではなく,もし奥さんや静がテクストを残していたら,もっと別のものになっていたという可能性があるのです。
 先生が長男の悲劇を味わったのは,この家に下宿する前のことでした。そして先生は,国元の事情を語った後には,奥さんや静が自分の財産を搾取した叔父と同じような意図をもって自分に接近しているのではないかと疑っています。テクストはこれよりずっと事後に書かれたものなのですから,先生は自分がそうした猜疑心を抱くのが自然であるかのようにテクストを記述することになるでしょう。
 静が優柔不断な先生に求婚を決断させるために,Kに対して色目を使ったという読解も,このような観点を抜いて評価することはできません。確かに『こころ』のテクストは先生を嫉妬させるために静がKを利用したというように読めないわけではありません。でもそれは先生からみてそうだったというにすぎず,本当に静の意図がそうであったとはいえません。たとえば房州旅行後の静の態度は,むしろその読解を否定する要素を有しているといえないでしょうか。
 遺書は先生が自身の目線で書いているということを見落とすと,このテクストは必然的に誤読されると僕は考えます。

 事前の予約があるわけではないので,こうした通院の場合は再診の受付が必要になります。僕の場合でいえば,処方された注射針の量が足りなかったために通院したという例が過去に2度ありましたが,それと同じです。この手続きに少々の時間を要しました。
 この後で消化器内科の受付をして,順番を待っていましたが,これにも時間を要しました。母は待合所のソファーに横になっていましたが,消化器内科の看護師が来て,診察室の反対側にある処置室という部屋に案内してくれました。ここにはベッドがあり,横になって待っていることができるのです。母がそこで横になっている間に看護師によっていくつかの質問がなされました。これは事前の問診に該当するものであったと思われます。その後で,この部屋に医師が来て,母は横になったままで診察を受けました。この医師は消化器内科の主治医ではなく,この日の消化器内科の新患の担当医です。まず血液検査を行いましたが,この結果は良好なものでした。つまり副作用が血液に表れているということはなかったということです。ただ下痢や吐き気は副作用と思われるので,服用していた薬に関しては,本当は飲んだ方がよいけれども,飲むのを中止してもよいという許可を出してくれました。実際に母はこの後は薬を服用していません。つまり抗癌剤による延命治療は断念したということです。
 その後,母は点滴を行いました。これは栄養の補給と吐き気を止めるためのふたつでした。点滴が終るまでは長く時間が掛かりますので,僕はこの間に院内の食堂に出向いて昼食を摂りました。これでこの日の診察は終了です。会計の受付に行った後,支払いのために計算を待っている間も母はかなり辛そうにしていましたので,支払いをせずにそのままタクシーで帰りました。それが午後3時半ごろです。家には伯母がいますから,母のことは任せ,僕は再びみなと赤十字病院に向い,支払いをしました。
 10月28日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日は地域のお祭りへの参加です。妹の作業所からの出店もありました。土曜はガイドヘルパーを頼んでありませんが,この日は伯母に送ってもらいました。
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