スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

流星④&功績の優越性

2021-06-18 19:03:45 | 歌・小説
 トラックの運転手の歌い手の話は,で終わりではなく,まだ続きます。

                                   

     身体こわさず がんばってみなよ
     たまには親にも telしてやんな


 これはで歌を歌っていると伝えた歌い手に対することばです。運転手は歌い手のことを知らなかったわけですが,身体を大事にして頑張りなさいと言っているわけです。そして全国を巡る仕事で,なかなか親にも会うことができないだろうから,たまには電話でもしてやりなさいと加えています。このようなことを言っているところからみて,この運転手はおそらく歌い手よりも年上なのでしょう。
 しかしこのことばは,運転手の自分に対することばでもあるとみることができそうです。運転手は自分に親不孝をしているという気持ちがあり,それを歌い手に伝えているとみることができるからです。あるいは運転手の親は,もしかしたらもすでに他界していて,運転手にはそのことについての後悔があるとみることもできるかもしれません。

     吹く口笛はスプリングスティーン あれは演歌だと おっちゃんは信じてる

 おっちゃんといわれているところからして,やはり運転手は歌い手よりも年上のようです。②で演歌しか知らないと言っていたそのおっちゃんの吹く口笛は,スプリングスティーンのメロディーでした。

 僕は功績をこのように考えているのですが,すべての人が僕と同じように考えているのかといえば,そうではない人もいると思っています。たとえば,政治家とコメディアンというふたつの職業を並べて,どちらが社会的に功績を残すべき職業であるかという問いが立てられたと仮定しましょう。僕は功績の内容に差はあっても,優越性には差異はないと考えていますから,どちらであるともいえないと答えます。しかしこの問いに対して,迷わずに政治家であると答える人も,それなりにいると思っているのです。このために,〇〇の功績といういい方をするときには,慎重にならなければいけないのだと僕は考えます。
 仮に僕が想定しているように,政治家はコメディアンよりも社会的に功績を残すべき職業であると判断している人がいるとしましょう。そこでその人が,ある政治家がコメディアンについての功績を語っているのを聞いたとすれば,それを語っているのはより功績を残すべき政治家なのであるから,その功績を見倣うべきであるというように判断するのは自然な反応です。つまり,ある政治家がコメディアンに対して,新型コロナウイルスに感染して亡くなったということが功績であると語ったなら,それならその政治家自身もそれと同じようにすればよいと思う人がいてもおかしくないのです。おかしくないどころか,僕の想定が正しいとするなら,そのような反応をする人が少なからず存在するのが必然だということになるのです。
 僕自身についていえば,政治家とコメディアンの間で功績の優越性の差異はないと考えていますから,どのような事柄についてそれを功績と認識するcognoscereのかということについては相違があったとしても,政治家がコメディアンの功績を見倣う必要はないし,逆にコメディアンが政治家の功績を見倣うという必要もないと考えています。しかし僕のように考える人ばかりではないということも事実ではないかと僕は思っているわけですから,功績について語るときは,そのこともまた考慮に入れておかなければならないだろうと僕は考えます。この程度の人心も把握できない人が政治家を務めていることを,僕は残念に感じています。
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農林水産大臣賞典関東オークス&功績

2021-06-17 19:23:45 | 地方競馬
 昨晩の第57回関東オークス
                                        
 ケラススヴィアが逃げて2番手にウワサノシブコ。3番手にレディブラウンとディアリッキーとウェルドーン。6番手にリフレイム。7番手にグロリオーソとベルヴォーグ。9番手のランスオブアースまでが一団。3馬身差でサンシェリダン。5馬身差でスセリヒメ。7馬身差でネイバーアイランドと,残りの3頭は発走後の向正面で取り残されました。ハイペース。
 2周目の向正面に入るあたりでケラススヴィア,ウワサノシブコ,ウェルドーンの3頭が集団に。ウワサノシブコは3コーナー前で一杯になり,ケラススヴィアとウェルドーンが抜け出して2頭の優勝争いに。ウェルドーンが粘るケラススヴィアを差し切って優勝。ケラススヴィアが2馬身差で2着。直線の入口ではグロリオーソとランスオブアースが並んでの3番手でしたが,直線ではランスオブアースがグロリオーソを置き去りにし,4馬身差の3着。
 優勝したウェルドーンは重賞初出走での勝利。前走はオープンで勝っていたのですが,JRAのオープンで牡馬を相手に入着できる馬であれば,このレースでは好勝負が可能。それをこの馬は勝っていたのですから,順当な勝利といっていいでしょう。2着と3着が4馬身で,3着と4着は2秒もの差がつきましたので,上位の2頭の能力が他を圧していたということだと思います。母の父はダンスインザダーク。祖母の父はサッカーボーイエスサーディージャヌワの分枝。祖母は1994年の朝日杯チャレンジカップを勝ったツルマルガール
 騎乗した武豊騎手は第39回,44回に続き13年ぶりの関東オークス3勝目。管理している角田晃一調教師は関東オークス初勝利。

 志村けんさんのことを例材として考察しましたので,誤解を招くことを防ぐために,次のことをいっておきます。
 僕がここでいいたかったことは,悲しみtristitiaという感情affectusが,新型コロナウイルスの感染を防ぐための行動の原因causaとなる場合があるということの,具体的な例を示すことです。いい換えれば,志村さんが亡くなったということより,その亡くなったという事実がどのように受け止められたのかということが重要なのであり,志村さんが亡くなったということ自体について何かを主張したいのではありません。ですから僕は志村さんが,日本での新型コロナウイルスの蔓延を防止するために大きな役割を果たしたということをいいたいのではありませんし,ましてそれが志村さんの功績だといいたいのではないのです。実際にそれが功績だという発言が,その当時にある政治家の口から出ましたので,僕はこの点については強くいっておきたいという気持ちがあるのです。
 志村さんはコメディアンです。コメディアンの本懐というのは人を笑わせ,楽しませ,喜びlaetitiaを与えるということにあるのであって,人に悲しみの涙を流させることにあるのではないと僕は考えます。志村さんは自身がコメディアンであるということを強く意識していたと僕は思いますから,もし人を悲しませるようなことがあるなら,それは本意でなかったろうと思います。したがって,これは志村さんに限ったことではありませんが,コメディアン,とくに自身がコメディアンであるということを自認していたであろう人にとって,人を喜ばせることは功績であるといっていいと思いますが,人を悲しませることが功績であるとは僕はまったく考えません。なので少なくとも僕は,あの状況の中で志村さんが新型コロナウイルスに感染して亡くなったということについて,それが志村さんの功績であったとは少しも認めません。
 僕はコメディアンの功績と,政治家の功績との間に,何らかの優越性の差異があるとは考えていません。コメディアンの功績と政治家の功績との間に,内容に差があるのは当然なのですが,だからといって一方の功績が他方の功績に対して勝るということはないと考えています。
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川崎スパーキングスプリント&一例

2021-06-16 19:07:27 | 地方競馬
 習志野きらっとスプリントトライアルの昨晩の第1回川崎スパーキングスプリント
                                        
 ダンディーヴォーグがすぐにハナに立ちました。2番手にポッドギルとカプリフレイバー。4番手にフランシスコダイゴ。5番手にハングリーベン,カレイドスコープ,ヴァケーションの3頭。8番手にナガタブラック。9番手にドリームドルチェ。10番手にタテヤマとニシノラッシュ。最後尾にアドマイヤゴッドという隊列。ハイペースでした。
 4コーナーでは単独の2番手にカプリフレイバーが上がり,押しながら逃げたダンディーヴォーグを追いました。その後ろにいたフランシスコダイゴとポッドギルの2頭が前の2頭の外に持ち出してそれを追う形に。押していたカプリフレイバーでしたが,直線ではダンディーヴォーグを楽に差し切って優勝。逃げ粘ったダンディーヴォーグが2馬身半差で2着。内のフランシスコダイゴを競り落としたポッドギルが1馬身半差で3着。フランシスコダイゴが1馬身差で4着。
 優勝したカプリフレイバーは昨年の優駿スプリント以来の勝利で南関東重賞2勝目。古馬と対戦するようになってからは勝てていませんでしたが,昨年の暮れ,今年の正月の2戦は善戦。ここは57キロを背負っての快勝ですので,現時点でのスピード能力ではこのメンバーでは上位になっていたとみていいでしょう。早めに手が動いていたので,もう少し距離があった方がレース自体はしやすいのかもしれません。父はサウスヴィグラス。5代母がスワンズウッドグローヴ。ひとつ下の半弟に昨年のJBC2歳優駿を勝っている現役のラッキードリーム
 騎乗した大井の真島大輔騎手は川崎マイラーズ以来の南関東重賞24勝目。管理している船橋の稲益貴弘調教師は南関東重賞4勝目。

 志村けんさんが新型コロナウイルスに感染したことによって亡くなった悲しみtristitiaが,新型コロナウイルスに対する憎しみodiumに変ずるということは一般的にいえることであって,少なくとも志村さんが亡くなったことで悲しみを感じたすべての人に妥当します。しかしこの先の感情affectusのダイナミズムは,それぞれの人の現実的本性actualis essentiaによって移行していますので,一概にこうであるということはいえません。ここではその一例というのを示しましょう。何度もいっているように,これは論理的にそういったダイナミズムが発生するということなのであって,それを実証せよ,いい換えれば実際にそういうダイナミズムを発生させた人を示せといわれれば,それができるというわけではありません。
 第三部定理二〇は,自分が憎んでいるものが破壊されることを表象するimaginari人は喜びlaetitiaを感じるといっています。いい換えれば第四部定理八により,自分が憎んでいるものが破壊されることは,その人にとっての善bonumです。よって第四部定理一九により,そのことを希求します。つまり新型コロナウイルスを憎む人は,新型コロナウイルスが破壊されることを希求することになります。ウイルスは自らの力で移動することができるわけではなく,感染者が移動することで移動し,かつその感染者が他者と接触することによって増殖していきます。いい換えれば蔓延していきます。ですからウイルスを破壊することを希求するなら,他者との接触を可能な限り避け,かつ移動することも可能な限りで避けるのがベストです。よってこうした判断がある限りにおいては,新型コロナウイルスを憎んでいる人は,自身がそのように行動することを希求するのです。よって,志村さんが亡くなることによって,現にそうした人が存在したということが,論理的にはいえることになるのです。もちろんこれは最初に示したように,感情のダイナミズムの一例なのであって,別のダイナミズムによって同じような行動に至るということもあり得るでしょう。ですがここでは新型コロナウイルスの蔓延を防止するための感情のダイナミズムの具体例を示すことが目的なのですから,一例を示すことができたなら,僕としてはそれで十分です。
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マイグッドネス&愛の場合

2021-06-15 19:15:31 | 血統
 6日の安田記念を勝ったダノンキングリーの母は,2005年にアメリカで産まれたマイグッドネスという馬で,この馬の基礎輸入繁殖牝馬になります。11代母がアマゾンウォリアーの7代母,またファンシミンの6代母にあたる,日本で多くの活躍馬が出ているファミリーナンバーである,9-fの分枝です。
                                        
 マイグッドネスはアメリカで繁殖生活に入り,最初に産まれた産駒が競走馬として輸入されました。この馬がダノンレジェンド。2014年のカペラステークスで初重賞制覇を達成すると,2015年には黒船賞,東京スプリント,クラスターカップ,東京盃と重賞を4勝。さらに2016年には黒船賞,北海道スプリントカップ,クラスターカップと重賞を3勝した後,JBCスプリントで大レースも制覇して競走生活を終えました。
 翌年にアメリカで産駒を産んだ後,輸入されました。2012年に日本で産まれた最初の産駒はオープンを勝っています。
 2016年に産まれたのがダノンキングリー。2019年に共同通信杯を勝って春のクラシックで善戦。秋に毎日王冠を勝つと,翌年の春には中山記念も制覇。そして今年に入り,ついに安田記念で大レースを制覇しました。
 産駒に牡馬が多いので,一族が繁栄していかれるかは微妙な面があります。とはいえ産駒のうち2頭が大レースを勝っているわけですから,子孫だけでなく,近親にも注目の一族とはいえるでしょう。

 今の考察とは無関係ですが,愛amorの場合も具体的に示しておきましょう。
 ある人Aがいて,このAが別の人,Bに何か親切なことをされたと仮定します。それが思いもよらぬこと,いい換えればBがAに親切にする原因causaがA自身のうちにあるとAが認識していない限りにおいて,AはBを愛するようになります。このことは第三部定理四一の様式でAのうちに生じます。このときAは,Bの自分に対する親切を,Bの自分に対する愛,無償の愛というような語で表現されるような愛と認識するcognoscereのです。そしてその愛に対して,AもまたBのことを愛するようになります。
 しかし後に,BのAに対する親切が,別のある原因と連結したり結合したりするときには,AのBに対する愛が消滅したり減少したりするということが生じます。ここでは分かりやすく,Bはある何らかの下心をもってAに対して親切なことをなしたのだと,Aが認識するようになったと仮定してみましょう。この場合,AのBに対する愛は,Bの下心という観念ideaと連結あるいは結合することになるため,AのBに対する愛は消滅したり,あるいは消滅まではしないとしても,その表象像imagoと結合する以前に感じていた愛より,その強さが弱まるのです。このようなことが実際に起こることは,経験的に多くの人が知っているところだと思います。そしてこの場合には,憎しみodiumで説明した例のように,あるものに対する憎しみが別のものに対する憎しみに変ずるのに対し,あるものに対する愛が別のものに対する愛に変ずるわけではなく,愛そのものが消滅するか減少するかすることになります。もちろん憎しみの場合にもそのような変化が生じるということはありますし,逆に愛の場合にも,あるものに対する愛が,別の原因と結合あるいは連結することによって,別のものの愛に変じるという場合もあります。
 これで第三部定理四八は,憎しみだけでなく愛にも適用されるということについては説明することができました。なので本来の考察の方に戻ります。すでに明らかにしたように,志村けんさんが亡くなったことによる悲しみtristitiaは,志村さんへの憎しみとはならず,新型コロナウイルスへの憎しみとなります。
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国際自転車トラック競技支援競輪&原因の観念

2021-06-14 19:23:00 | 競輪
 松山競輪場で行われた昨晩の第13回国際自転車トラック競技支援競輪の決勝。並びは坂本‐斉藤の北日本,菊池‐金子‐相川の関東,町田‐吉永の広島,久米に近藤。
 斉藤がスタートを取って坂本の前受け。3番手に久米,5番手に菊池,8番手に町田で周回。残り3周のバックから町田が上昇を開始すると,菊池も合わせて出ていき,内の菊池と外の町田が並びました。坂本は誘導との車間を開けて待ち構えてホームに入り,3つのラインが併走に。坂本を叩いたのは菊池。坂本が4番手を確保し,6番手に久米。町田は8番手まで引かされての一列棒状に。打鐘から引いた町田が再発進。菊池を叩いてかまし先行になりましたが,吉永が離れてしまい,やや離れた2番手に菊池。菊池はバックに入って町田との差を詰めていきましたが,そこからまた町田がスピードアップ。菊池は町田に追いつくことはできず,そのまま逃げ切った町田が優勝。2着争いは直線で内から伸びた坂本,町田を追った菊池,菊池マークの金子,金子マークの相川の4人。菊池を差した金子が1車身差の2着で菊池が8分の1車輪差で3着。坂本が8分の1車輪差の4着で相川が8分の1車輪差で5着。
 優勝した広島の町田太我選手は1月の久留米のFⅠを完全優勝して以来の優勝でグレードレースはこれが初優勝。デビューから1年強でのグレードレース優勝ですから,前途洋々といっていいでしょう。レース内容も,結果的に単騎でのかまし先行になり,自力選手が2番手から追ってきたのを前に出させずに逃げ切ったというものですから,とても強かったといえます。とはいえこれはこのレースに出走したメンバーでは力量が明らかに上位だったということであり,相手がさらに強化されればこのような勝ち方はさすがにできないでしょう。それももうすぐ21歳になるという若さなので,将来のスター候補であることは間違いありません。
 協賛競輪や支援競輪を実施することは有意義だと思いますが,GⅢを乱発するのは,主催者自身がグレードレースの格を下げてしまう行為に等しいと僕は思います。GⅢで行うなら,少なくともそれに見合ったレベルの選手が出走できるときにするべきではないでしょうか。

 このことについては次のことをつけ加えておきます。
                                   
 第三部諸感情の定義七から分かるように,憎しみodiumは,外部すなわち自分以外の何らかのものの原因の観念を伴った悲しみtristitia, concomitante idea causeです。そこで,もし志村けんさんが亡くなったことで悲しみを感じるなら,これは亡くなった志村さんの観念を原因として伴った悲しみであるとみることができます。したがってこの限りにおいて,志村さんが亡くなったことで悲しみを感じるとき,志村さんのことを憎んでいるとみることができます。一般的にいい換えれば,僕たちは僕たちの愛する人が亡くなったとき,その愛する人のことを憎むようになるということができます。しかし,実際はこのようなことはほとんどの場合で生じません。なぜかというと,これは憎しみが,単に外部の観念を伴っている悲しみというわけではなく,その外部の観念が原因として伴われていることに由来します。このためにこの原因の観念が別の観念と連結したり結合したりすると,そのものに対する憎しみは消滅するのです。なおこのことは,外部の観念が原因として伴われていることに由来するのですから,この点では第三部諸感情の定義六の愛amorの場合も同じです。つまりこのことは憎しみの場合だけではなく,愛の場合にも妥当します。
 このことを一般的に示しているのが第三部定理四八です。これを志村さんの場合に適用すれば,志村さんは新型コロナウイルスに感染することによって亡くなったのですから,志村さんが亡くなったことを表象するimaginariことによって,それを原因として伴う悲しみは,単に志村さんの観念を原因として伴っているのではなく,新型コロナウイルスの観念と連結あるいは結合した観念を原因として伴うことになります。よって志村さんに対する憎しみは消滅し,新型コロナウイルスの観念を原因として伴った悲しみに変ずるのです。いい換えればこのとき僕たちは,志村さんのことを憎むのではなく,新型コロナウイルスのことを憎むようになるのです。もちろんこの憎しみの大きさもまた,志村さんに対する愛の大きさと比例することになります。とはいえ多かれ少なかれ,僕たちはこのときに新型コロナウイルスを憎んだのです。
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大阪・関西万博協賛競輪&第三部定理一九

2021-06-13 19:08:40 | 競輪
 福井競輪場で行われた大阪・関西万博協賛競輪の決勝。並びは吉田‐柴崎‐鷲田の中部近畿と野田‐合志の九州で渡部と小林と磯田と池田は単騎。
 野田がスタートを取って前受け。3番手に磯田,4番手に吉田,7番手に渡部,8番手に小林,最後尾に池田で周回。残り3周のバックの出口から小林が上昇。磯田の後ろに入ろうとすると,吉田が譲り,4番手に小林,5番手に吉田という隊列に変化。そのままホームに入ると吉田が発進。いきなり全開で駆けていったこともあり,渡部は続けず,鷲田までの3人がバックで野田を叩いて打鐘。4番手に野田で,6番手以降は磯田,小林,渡部,池田の順で一列棒状に。バックに入って野田が発進。よい勢いでしたが柴崎が番手捲りで対抗。ややタイミングが遅かったため,吉田と合志が絡む形になり,野田が柴崎の後ろに入り,直線はこのふたりのマッチレース。野田もよく迫りましたが,優勝は先んじていた柴崎。野田が4分の3車輪差で2着。鷲田との競り合いを制した合志が3車身差の3着で鷲田は半車輪差で4着。
 優勝した三重の柴崎淳選手は2月に小倉のFⅠで完全優勝を果たして以来の優勝。GⅢは一昨年11月の四日市記念以来となる5勝目。このレースは単騎の選手が4人もいたのですが,結果的にその4人が後方になったため,脚力で優る柴崎と野田の勝負になりました。吉田があれほど早い段階から全力で先行していくのは意外だったのですが,3番手に地元の鷲田がマークしていたので,配慮があったのかもしれません。柴崎がもう少し早く野田に対応しておけば,柴崎と野田ではなく,柴崎と鷲田の争いになったかもしれません。ただそれは単騎の選手が後方になり,野田が4番手になったからだとみることができるでしょう。

 志村けんさんを表象するimaginariことによって喜びlaetitiaを感じるということは,そこまで難しく考える必要はありません。たとえば志村さんを表象するとともに,志村さんが開発したギャグを想起し,それによって思わず笑ってしまうというようなことでよいのです。実際にほとんどの人の精神mensのうちで,志村さんの表象像imagoはそうしたギャグの表象像と連結しているあるいは結合されているのであって,こうしたことはほとんどの日本人のうちに現実的に生じることだといってよいと僕は考えます。
 このとき,僕たちは志村さんの表象像を原因causaとして喜びという感情affectusに刺激されているのです。したがってほとんどの日本人は,単に志村けんさんを認知しているというばかりではなく,第三部諸感情の定義六により,志村さんのことを愛しているということになるのです。もちろんこれは程度の差があるのであって,愛しているにしても大きく愛している人,他面からいえば大きな喜びに刺激されるaffici人もいれば,そこまで大きな喜びには刺激されない,つまり愛しているにせよそんなに愛しているわけではないという人もいるでしょう。ただそういう程度の差こそあれ,志村さんがほとんどの日本人に愛されているということがここでは重要です。
                                   
 ここで第三部定理一九を援用します。
 「自分の愛するものが破壊されることを表象する人は悲しみを感ずるであろう。これに反して自分の愛するものが維持されることを表象する人は喜びを感ずるであろう」。
 志村さんが亡くなるということは,志村さんが破壊されることを直接的に意味します。したがって,志村さんを愛している人,要するにほとんどの日本人は,志村さんが亡くなることによって悲しみtristitiaを感じるのです。日本中が悲しみに包まれる,というようないい方がされることがありますが,それは取ってつけたような形容であるわけではなく,実際にそうしたことが生じ得るのです。もちろんこの悲しみも,愛amorの強さと比例します。つまりより愛している人が亡くなったという場合ほどその悲しみは強くなりますから,日本中が悲しみに包まれるといっても,各々の日本人が感じる悲しみの強さには差があるということになります。
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抗議&知名度

2021-06-12 19:11:19 | 将棋トピック
 もう2ヶ月か3ヶ月前のことになるのですが,ある抗議を受けました。将棋の三浦弘行九段について,僕は三浦九段がコンピューターによる指し手の援助を受けていたと思っていたのに,それについて何の反省もすることなく平然と三浦九段のことを記事にしているという主旨のものです。正確にいうと,そういう抗議を僕が受けたというのではなく,そういう抗議があったということを伝えられたのです。
 僕は棋士個人についての記事を書いたことはありますが,それはだいぶ前のことですし,三浦九段について書いたことはありません。今年の2月の朝日杯将棋オープンの決勝に三浦九段は進出していて,そのことは記事にしていますので,抗議があったと伝えられた時期からして,僕が書いた記事というのはそれを指すのだと思われます。
 僕自身が抗議を受けたというわけではないということもあり,その抗議をした人が,どういう理由から三浦九段がコンピューターから援助を受けていたと僕が思っていると判断したのかということは不明です。実際のところをいえば僕はそんなふうには思っていませんでしたし,むしろその疑惑自体が疑わしいものではないかと考えていました。ですからこのような抗議をされること自体が僕にとっては心外でした。また,いまさらこのことについて書くのは三浦九段に対しても迷惑ではないかとも思えましたので,そのまま放置しておいたのです。
 ただ,よく考えなおしてみますと,僕がこの件について何も総括していないのは事実ですし,ほかにもその抗議をした人と同じように判断している人もいるかもしれないとも思えますので,これから何回かに分けて,そのときに僕がどう考えていたのかということを示していくことにします。もう5年ほど前のことになりますから,正確さを欠く部分があるかもしれませんが,もしそうした部分があったとしたらどういう形であれ伝えてください。また,熟慮して決断したこととはいえ,現在でも無実の三浦九段に対して悪意をもっている人がいるということも僕は知っての上でのことであり,結果的にこの件を蒸し返すようなことになることについて,三浦九段や将棋連盟その他の関係者に対してお詫びしておきます。

 歌謡番組に出演する歌手を除いて,妹に認知されているということは,日本人における知名度の高さを反映しているのではないかと僕は思っています。つまり,妹に認知されている人とされていない人,たとえばタモリさんと総理大臣を比べれば,タモリさんの方が日本人の間での知名度が高いというように僕は思っているのです。他面からいえば,タモリさんのことは知っているけれど総理大臣は知らないという人と,タモリさんのことは知らないけれど総理大臣は知っている人の数を比べたら,前者の方が後者よりも多いだろうと僕は思っているということです。日本人全体の間での知名度ということになると,たとえば未就学の子どもなども含まれるわけで,そうなると確かにタモリさんは知っているけれども総理大臣は知らないという人も多そうに思えますから,知名度に関する僕の仮説は,それほど間違っていないのではないかと思います。
 その妹に認知されている著名人の中に,コメディアンの志村けんさんがいます。ご承知のように志村けんさんは,まだ日本に緊急事態宣言が出される前の段階で,新型コロナウイルスに感染してそのままお亡くなりになりました。この出来事は,僕たちの行動に対して影響を与えたと僕は考えています。その理由のひとつは,志村けんさんという,妹ですら認知しているような著名人がそれに感染して亡くなったということで,新型コロナウイルスに対する不安metusという感情affectusを大きく促進したということです。ですがこれは,不安という感情が僕たちの行動に影響を与え得るという観点から説明したことですから,ここでは繰り返しません。これとは別の感情のダイナミズムが,僕たちに影響を与えたと僕は考えているのです。事前にいっておいたように,これは実証せよといわれれば無理なことではあるのですが,人間の感情のダイナミズムあるいは必然性necessitasから,論理的にはそのことを証明することができます。
                                  
 志村けんさんは知名度がきわめて高い筈なので,数多くの日本人が表象するimaginariことができる存在です。そして志村けんさんはコメディアンであるがゆえに,ほとんどの人のうちで,その表象像imagoが喜びlaetitiaを齎すようになっています。
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ドバイマジェスティ&妹の認知能力

2021-06-11 19:17:06 | 血統
 今年の日本ダービーを勝ったシャフリヤールの母は2005年にアメリカで産まれたドバイマジェスティという馬で,この馬がシャフリヤールの輸入基礎繁殖牝馬になります。トップニュースⅡとデュプリシトと同じでファミリーナンバー2-s
                                       
 2010年にアメリカでGⅠレースを制覇してすぐ輸入され,繁殖生活は日本で開始しました。2012年と2013年に牝馬を産んだ後,2014年に牡馬が誕生。この馬が2017年に毎日杯と皐月賞,2019年に大阪杯を勝ったアルアインです。
 翌年の産駒も牡馬。この馬は現役のオープン馬です。
 2016年の産駒は競走馬になれず,2017年の産駒は牝馬。この馬は現役の1勝馬。
 2018年に産まれたのがシャフリヤールで,アルアインに続き,ドバイマジェスティの産駒として2頭目の大レース勝ち馬になりました。
 牡馬に活躍馬が多く出ていますが,牝馬もいますから,牝系が続いていく可能性はあるでしょう。また,これを機に近親の牝馬が輸入されるということもあるかもしれません。

 新型コロナウイルスに対する何らかの不安metusがあって,それに感染するリスクを高める行動を控えるというのは,一般的に示せば,Xに対するある感情affectusが,Xに関するある行動の原因causaとなるという意味です。僕がこれから悲しみtristitiaについて語るときには,それとは別です。つまり,たとえばAという事象に関する悲しみが,Xに関連する行動の原因となるという場合です。もちろんその場合,AとXとの間には何らかの関係性があるのでなければなりません。あるいは,AとXとの間に何らかの関係があるということを,人間の精神mens humanaが表象するimaginariのでなければなりません。したがって,そのことを論理的に示したところで,現にそうしたことが生じたことには必ずしもなりません。僕は論理的にそうなるのであれば,現実的にそうであった人が存在したといっていいと思いますし,これから説明する事象に関しても,確かにそういうことがあったのだと解釈しています。しかしそれを実証しろといわれれば無理ですから,この点について争うことはしません。この場合には,Xと関連すると表象されるAに関する感情が,Xに関する行動の原因となるということは,論理的に可能であるということだけを僕が示そうとしているというように解してください。
 僕の妹は知的障害者であり,そうでない人に比べると人を認知する能力potentiaというのは劣ります。妹はテレビ番組としては歌番組,演歌や歌謡曲を中心とした歌番組を好んで視聴しますので,そうした番組に出てくる歌手についてはかなり認知できています。いい換えればこうした番組に出演する歌手に関しては,知的障害をもたない人でも,妹ほどにはよく知らないという人もいるでしょう。しかしこれは妹の好みによる特殊な事例なのであって,たとえば妹は,総理大臣がテレビに出てきたとしても,それがだれであるかは分かりません。僕が妹は知的障害者であるがゆえに,人を認知する能力において劣る面があるというのは,おおよそこのような意味であると理解してください。
 だからといって歌番組に出演しない著名人の中にも,妹によって認知されている人も存在します。たとえばタモリさんとか明石家さんまさんなどです。
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東京ダービー&第四部定理四七

2021-06-10 19:13:14 | 地方競馬
 昨晩の第67回東京ダービー
 アランバローズの逃げで,向正面に入るあたりでリードは4馬身くらい。2番手以下はギガキング,ギャルダル,トランセンデンスの順で,この後ろはタブラオ,チサット,ジョエルの併走。さらにブライトフラッグ,マカベウス,サヨノグローリーの3頭が併走で続き,ホウヨウクリスタルが単独で追走。トーセンマッシモとセイカメテオポリスが併走でピースフラッグを挟み隊列の最後尾をトーセンクロードとワールドリングで併走。前半の1000mは62秒0のハイペース。
 3コーナーではアランバローズのリードは1馬身まで縮まりました。ギャルダルはここからもついていかれましたが,ギガキングとトランセンデンスは苦しくなり,内からジョエルが進出。直線は逃げたアランバローズと追ったギャルダル。そして外に出てきたジョエルとギャルダルとジョエルの間から猛然と追い込んできたブライトフラッグの4頭による争いに。最後まで頑張ったアランバローズが一杯に逃げ切って優勝。最後は脚色が同じになってしまったギャルダルが4分の3馬身差で2着。追い込んだブライトフラッグがクビ差の3着でジョエルが4分の3馬身差で4着。
 優勝したアランバローズ全日本2歳優駿以来の勝利。南関東重賞はその前のハイセイコー記念以来の3勝目。今年の初戦の京浜盃は逃げられずに大敗。羽田盃は逃げて2着に巻き返し,ここも逃げることによって力を出し切りました。とにかくこの馬の場合は逃げるということが現状では重要なようです。適距離はもう少し短いところにあると思いますが,逃げるためにはある程度の距離があった方が楽にはなりますので,どういう路線を歩むのかは難しいところでしょう。母の父はステイゴールド
 騎乗した船橋の左海誠二騎手は若潮スプリント以来の南関東重賞52勝目。第59回以来8年ぶりの東京ダービー2勝目。管理している船橋の林正人調教師は南関東重賞19勝目。第59回,66回に続く連覇となる東京ダービー3勝目。

 第四部定理五四備考にあるように,不安metusは社会的な意味で利益を齎すような感情affectusではあるのですが,度を越してしまえばかえって社会を分断する要素も秘めているということは分かってもらえたと思います。実際のところ不安あるいはそれと表裏一体である希望spesというのは,それ自体でみた場合には善bonumであることができませんから,不安という感情からは本来的には解放されるべきだからです。これについては第四部定理四七をみておきます。
                                   
 「希望および恐怖の感情はそれ自体では善ではありえない」。
 岩波文庫版で恐怖metusといわれている感情が,このブログでは不安といわれているということは,何度か注意を促している通りです。
 なぜ希望および不安がそれ自体では善ではあり得ないのかということは,さほど難しいことではありません。第四部定理四一にある通り,喜びlaetitiaは直接的には悪malumではなく善で,悲しみtristitiaは直接的に悪です。したがって,第三部諸感情の定義一三から,不安は悲しみの一種なので,それ自体で悪ということになり,善であり得ないことは明白でしょう。これに対して希望は,第三部諸感情の定義一二により,喜びの一種なので,直接的には善であるとみることができます。ところが第三部諸感情の定義一三説明にあるように,希望があるときには不安もまた同時にあるのです。よって不安がそれ自体では善であり得ないように,希望もまたそれ自体で善であるということはできないのです。なおこうしたことは,希望と不安にだけ該当するというわけではなく,希望および不安からの派生感情にも妥当します。かつて詳しく検討したように,安堵securitasと絶望desperatioと歓喜gaudiumと落胆conscientiae morsusのよっつの感情は,希望と不安からの派生感情でした。いい換えればこれらよっつの感情は,前もって希望と不安を感じていなければ,僕たちが感じるということがない感情でした。このうち絶望と落胆は悲しみの一種なので,直接的に悪であり,それ自体で善であることはできません。一方,安堵と歓喜は喜びの一種なので,直接的には善なのですが,希望と不安の派生感情であるがゆえに,それ自体で善であるということはできないのです。
 次に,単純な悲しみについて考えます。
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ヒューリック杯棋聖戦&不安の功罪

2021-06-09 19:05:41 | 将棋
 6日に木更津市で指された第92期棋聖戦五番勝負第一局。対戦成績は藤井聡太棋聖が5勝,渡辺明名人が1勝。
 振駒で渡辺名人が先手となり,相掛かり。研究合戦の将棋だったと思われます。
                                        
 後手の藤井棋聖が歩を打った局面。この手で先手は研究から外れたようです。
 1時間23分考えて☗8一香成と飛車を取りました。これだと☖8九歩成はこの一手。☗7八銀と逃げても☖8八とがありますから☗7五銀☖7九とまでは必然の進行といえそうです。そこで先手は☗4五桂と跳ねました。
                                        
 後手玉へ迫りつつ先手玉の逃げ道を作る手で,いかにもうまい手にみえるのですが,☖3三桂とぶつける手があったために,結果的に敗着になってしまいました。忙しくなっているのですが,どうしても後手玉への攻めが継続できないためです。
 戻って第1図で☗8八同銀と取るのも有力で,これだと☖8二歩☗7五銀☖7六桂と進むようです。後手は8筋に歩を打って飛車が使いにくくなるのを嫌った指し手をそこまで続けていましたので,これは先手としても有力だったかもしれません。研究に穴が開いていたというより,研究から外れたところでうまく対応できなかったというのが総括になるかと思います。
 藤井棋聖が先勝。第二局は18日に指される予定です。

 不安metusという感情affectusには,確かにある種の行動を抑制するという効果があります。実際に新型コロナウイルスに対する不安から,外出を控えるというような行動をとった人は,少なからず存在したでしょうし,現在も存在しているでしょう。ただし,不安という感情にこのような効果を期待して利用するという場合には,気を付けておかなければならないことがあります。
 第三部諸感情の定義一三説明から分かるように,不安という感情は,その反対感情である希望spesという感情と表裏一体の感情です。したがって,ある人があるものに対して不安を感じているときには,同時にそのものに対する希望も感じているのです。第三部諸感情の定義一三から分かるように,不安という感情は,それを感じる人にとって,ある疑惑dubitatioを含んでいるものの観念ideaによって生じる悲しみtristitiaです。そしてそれが疑惑を含んでいる,いい換えれば不確かな事柄と表象されるがゆえに,同じものの観念によって喜びlaetitiaも感じるのです。このことは第三部諸感情の定義一二の希望もまた,ある疑惑が含まれている,すなわち不確かであると思われている観念から生じる喜びであるということと合わせて考えれば,それ自体で明らかだといえるでしょう。これは,新型コロナウイルスに感染するかもしれないという不安を感じている人は,しかしそれが不確かな事柄であるがゆえに,それに感染しないだろうという希望ももっているということですから,さほど難しく考える必要はありません。
 このとき容易に推測できるのは,不安と希望が表裏一体の感情であるがゆえに,各々の感情の強度もまた同一であろうということです。いい換えれば,ある事柄に強い不安を抱いていればいるほど,その人はそれだけ強い希望もまた有しているのであり,逆にある事柄に対する希望が大きければ大きいほど,その事柄に対する不安もまた大きくなるだろうということです。したがって,実は新型コロナウイルスに対して大きな不安をもっている人ほど,大きな希望ももっているということになりますから,いたずらに強い不安を人に対して煽ると,その反動によって,大きな希望に基づく行動がされやすくなるということが生じ得るのです。
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