スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部諸感情の定義一三説明&集合論

2019-03-23 19:03:24 | 哲学
 第三部諸感情の定義一四および第三部諸感情の定義一五で説明したように,僕は安堵securitasと絶望desperatioは反対感情であり,かつ希望spesと不安metusという感情affectusから発生する感情であると解しています。すなわち,希望が実現し不安が解消するという認識cognitio,実際にそうであるかどうかは別として,そのような認識がある人間の精神mens humanaのうちに発生する場合には,この人間は安堵します。逆に,これも実際にそうであるかどうかということとは別に,ある人間が希望は叶わず不安が現実化すると認識するなら,この人間は絶望するのです。
                                   
 しかし,岩波文庫版の訳者である畠中尚志は,これとは違った見解を有していて,希望の実現による喜びlaetitiaと不安の解消による喜びは別の感情で,希望の消滅による悲しみtristitiaと不安の現実化による悲しみは別の感情であるとみています。この見解はこの見解で一理あるのですが,それについては後回しにし,僕がなぜそれとは違った解釈をしているのかを詳しく説明していきます。
 スピノザは希望と不安を表裏一体の感情であるとみています。それが示されているのが第三部諸感情の定義一三説明です。
 「これらの定義からして,恐怖なき希望もないし希望なき恐怖もないということになる」。
 この恐怖metusを僕が不安と訳しているのはいつもの通りです。
 僕はまず,この説明からして,ある希望から何らかの感情が生じるなら,その同じ感情が不安からも生じなければならないし,逆にある感情が不安から生じるのであれば,それと同じ感情が希望からも生じなければならないと考えます。希望と不安が同時にあるといっても,僕たちは希望を強く意識する場合もあれば不安を強く意識する場合もあります。ですがその意識の差によって異なった感情が発生するというようには僕は解さないのです。

 僕は数学にも数理哲学にも造詣がありませんから,それらの内容について詳しく説明するということはできません。まして数学の中にいくつかの理論があって,それらの各々の理論を的確に説明するということは不可能です。ところが,スピノザがある特定の理論だけを数学という語で示し,そこから外れるような理論については数学という学問自体から排除していたということは,この考察において,とくにスピノザの哲学的な立場と数学との関係性を探求する場合にきわめて重要なのです。ですからこの部分に関しては,『主体の論理・概念の倫理』でいわれていることを,僕がどう解釈しているのかという観点から記述していきます。こうした事情ですから,僕の解釈自体が的確であるということを僕は保証できませんし,本でいわれていることが数学という学問からみた場合に適切であるのかどうかも僕には判別できません。
 『分析手帳』という雑誌の編集者のひとりに,ミレールという精神分析学者がいました。後にラカンの正統な後継者になる人です。このミレールとある議論の解釈の仕方を巡って論争したのがバディウという哲学者です。この論争は『主体の論理・概念の倫理』の第二部の第一章で論じられています。このバディウというのは哲学者でしたが,存在論と数理哲学とを架橋することを企てていたといいます。近藤和敬によれば,そのときにバディウが数学であると理解していたのは集合論という一理論であったとのことです。そしてこの集合論というのがどのような理論であるのかといえば,上野修によれば,内包と外延とをセットにした理論であり,そこには空虚が必要とされているということです。
 もし集合論というのが上野のいうようなものであったとしたら,あるいはもっと正確を期していうなら,上野はそのように説明していると僕が解しているような理論であったとしたら,スピノザの哲学というのはこの理論を支えるようなバックボーンにはなり得ないと僕は考えるのです。だとすれば,この集合論に従う数学者というのは,僕が前々から考えていたのとは別の理由で,積極的にスピノザの哲学を否定するのではないかと僕には思えます。
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あほう鳥③&スピノザと数学

2019-03-22 19:07:33 | 歌・小説
 僕が「あほう鳥」を聴いたり口ずさんだりしてしまうのは,で紹介した部分の後に続くフレーズが好きだからです。これは1番と2番ではちょっとだけ違っているのですが,2番は1番をやや省略しただけですので,ここでは1番の歌詞の方を紹介します。全編にわたって書いてきましたが,僕にとって「あほう鳥」はこの部分がすべてだといってもいい過ぎではありません。

                                   

     忘れます 忘れます
     あんたが好きだったって こともね


 「あんた」はで歌われているように心が軽い人間です。そして同じく①で歌われているように出口を探す人間です。「あたし」が「あんた」を好きだということは,それらの部分では直接的に歌われているわけではありません。しかしこの部分で歌われている,「あたし」が探している「ねぐら」というのは,「あんた」との「ねぐら」であって,それに対して「あんた」が出口を探していると解するのが普通でしょう。だから「あたし」が「あんた」を好きであることは分かります。けれど,心が軽くて出口を探す「あんた」のことを好きだったということは,「あたし」にとって忘れなければならないことなのです。好きだった,と過去形で歌われていることも重要です。過去に何かがあったということを,聴き手はそこから理解することができるからです。

     忘れます 忘れます
     あたしが生きていたって こともね


 正しくいうなら僕が好むのはこちらの部分です。なぜ僕がこの部分を好むのかといえば,それは「鳥になって」を好むのと同じ理由です。

 『主体の論理・概念の倫理』との関連では,いくつか考えてみたいことがあります。まず最初に,この本では数学者ないしは数理学者も取り上げられていますので,スピノザの哲学と数学の関係を,これは僕なりの仕方でということになるのですが,探求してみます。僕は前々から,というのはこの本を読む以前からという意味ですが,スピノザの哲学の中には,数学者を当惑させるような要素,あるいは数学者が不満を感じるような要素が含まれているのではないかと考えていたからです。この本の第二章でカヴァイエスという数学者にして哲学者が論じられているのですが,僕の読解では,このカヴァイエスの問題意識が,僕がスピノザの哲学に含まれているのではないかと考えている,数学者を当惑させ,また不満を抱かせる要素とよく似ているように思えたのです。
 ただし,これを考えていくために無視をすることができない要素が,この本の別の部分には含まれていました。ですから合わせてそれも考えていかなければならなくなったのですが,こちらの点に関しては,この本を読むことによって僕の中に発生した問題意識なのです。つまりこれから僕が探求していく事柄は,この本とは無関係に僕が以前から抱いてた考え方と,この本を読むことによって知ることができた内容およびそれと関連する考察とが混合していることになります。このことをまず初めに理解しておいてください。
 僕がスピノザの哲学には数学者を当惑させる要素が含まれていると考えていたとき,僕は数学というのを一般的な学問として考えていました。ところが,巻末の鼎談の中で上野が述べているところによれば,スピノザは僕が数学という語で示そうとしているもの,すなわち一般的な学問としての数学というのを数学と考えていたわけではないと理解した方がよいようなのです。ものすごく単純化していってしまいますが,数学の中にはいくつかの理論というものがあって,そのうちのひとつである公理論という理論だけを,スピノザは数学と考えていて,この公理論と無縁であるような理論あるいは理論体系は,スピノザにとっては数学ではなかったと解する方がいいかもしれないのです。
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農林水産大臣賞典黒船賞&主体の論理・概念の倫理

2019-03-21 18:50:48 | 地方競馬
 第21回黒船賞。笠松のストーミーワンダーが出走取消で11頭。
 クレセントシティーがハナを奪いにいきましたが,外から強引にサイタスリーレッドが追い抜いて,サイタスリーレッドの逃げに。外に切り返したクレセントシティーのさらに外をサクセスエナジーが上がっていき,こちらが2番手に。内のテーオーヘリオスと並ぶ形でクレセントシティーは3番手。正面ではテーオーヘリオスと並んでいたエイシンバランサーが5番手となり6番手はサクラレグナム。向正面ではこの6頭が一団になり,3馬身差でヤマニンアンプリメとキクノステラの2頭。さらに2馬身差でキングズガード,ミサイルマン,グレナディアーズの3頭が一団という縦長の隊列。ミドルペースでした。
 サクセスエナジーは3コーナーを回ると逃げるサイタスリーレッドを捕まえにいき,先頭で直線に。ここで一時的に抜け出しましたが,コーナーで外から捲り上げてきたヤマニンアンプリメがぐんぐん差を詰めてきて2頭の優勝争い。並ぶところまではいったものの凌いだサクセスエナジーが優勝。ヤマニンアンプリメがアタマ差で2着。後方から大外を追いこんできたキングズガードが5馬身差の3着。
 優勝したサクセスエナジーは前々走のすばるステークス以来の勝利。重賞は昨年のさきたま杯以来の3勝目。このレースは上位3頭の能力がほかより上位とみていましたので,個人的にはきわめて順当な結果。ただ,ペースがさほどでもなかったとはいえ,早めに動いて先頭に立つという強気なレースで凌いでいますから,2着馬とは着差以上の力量差があるみてよいのではないかと思います。父はキンシャサノキセキ。母の父はジャングルポケット。母の8つ上の半姉に2002年にフィリーズレビューを勝ったサクセスビューティ
 騎乗した松山弘平騎手と管理している北出成人調教師は黒船賞初勝利。

 『主体の論理・概念の倫理』には,「二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義」という副題がついています。エピステモロジーとは科学認識論です。舞台はふたつで,ひとつがパリの高等師範学校,もうひとつはエピステモロジーサークルというグループで,このグループが発行していた『分析手帳』という雑誌です。
                                      
 これらのことから容易に推測できるように,扱われているのは哲学に限定されません。研究対象となっている主要人物には,哲学者も存在しますが,精神分析学者とか数学者ないしは数理学者なども含まれています。このために,この本を十全に理解するためには幅広い知識と教養が要求されます。僕がこの本を読み始めてから読み終えるまで,おおよそ1年半もの時間を要してしまったのは,母のことがあって読書に充てることができる時間というものがそれまでより減少してしまった影響もありますが,僕自身の知識や教養が不足しているため,なかなか読み進めていくことができなかったという理由がずっと大きいでしょう。分量も多いですが,単にそれだけでいうなら『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』とか『異端の系譜Spinoza and Other Heretics : The Marrano of reason』はもっと多い筈で,しかしどちらが僕にとって楽に読めるかといえば,それら分量の多い方です。スピノザの哲学に対する知識を十分にもっていれば読みこなすことのできる本ではないということを,まず強調しておきます。
 一方こうした理由によって,執筆者も多数で,編集者とは別に9人います。つまりこの本はひとりの著者による著作ではなく,多くの研究者による共同研究の成果です。ですから,たとえばある部分をAという研究者が執筆していたとして,このAがこの本の別の部分についてはよく分からないというケースもあるものと思われます。ですから十全に理解できない部分があったとしても,たぶん心配する必要はないでしょう。
 多数の研究者による研究を編集したのが3人で,ひとりは上野修,もうひとりが米虫正巳,そして近藤和敬です。つまり12人の共同研究と考えてください。巻末に編集者3人による鼎談があります。たぶんこの鼎談を先に読む方が,若干でも著書の内容の理解が容易になるでしょう。
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京急電鉄賞京浜盃&参考資料

2019-03-20 19:48:53 | 地方競馬
 第42回京浜盃
 発走後のダッシュが秀でていたのがホールドユアハンド。レベルフォーが外から追い掛けて抜き,こちらの逃げになりました。リードは2馬身。譲ったホールドユアハンドが2番手。1馬身半差でヒカリオーソとウィンターフェル。3馬身差でステッペンウルフとカジノフォンテン。2馬身差でジョーパイロライトとマイコート。9番手がオーシャンブラックで10番手のシビックヴァーゴまでの4頭は集団。2馬身差でアギト,キングイモン,ホワイトヘッドの順で3頭が一団で続き,2馬身差の最後尾は最初から控えたグラビテーション。縦長の隊列から分かるようにハイペース。
 レベルフォーはわりと快調に飛ばしていき,3コーナーを回ってからホールドユアハンドが差を詰めていき,その外からウィンターフェル。ヒカリオーソはここで鼻血を出したようで一杯となり,前の3頭と4番手は一時的に差が広がりました。直線に入ってホールドユアハンドが前に出ましたがウィンターフェルはその外で余裕の手応え。騎手がしっかりと後ろを確認してから追い出したのですが,北海道時代からの癖で追われても真剣に走ろうとしませんでした。この間にホールドユアハンドとウィンターフェルの間に進路を取ったステッペンウルフが内からウィンターフェルを差して優勝。ウィンターフェルが半馬身差で2着。後方2番手から大外をよく伸びたホワイトヘッドが1馬身半差で3着。
 優勝したステッペンウルフは南関東重賞初制覇。デビューは昨年5月の北海道で,北海道時代は6戦して2勝。昨年の暮れに南関東に転入し,3着,2着ときてここ2戦は連勝していました。ここはウィンターフェルの力が上で,北海道時代の実績で大きく劣っていたために勝つまではどうかとみていました。相手が悪い癖を出したのは事実ですが,当時の実力差を大きく詰めているのは事実だと思います。クラシックでも期待してよい1頭でしょう。父はサウスヴィグラス。母の父はアグネスタキオン。5代母がアマゾンウォリアー。Steppenwolfはドイツ語で荒野の狼。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は金盃以来の南関東重賞34勝目。第30回以来となる12年ぶりの京浜盃2勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師は南関東重賞35勝目。第24回,29回,40回に続く2年ぶりの京浜盃4勝目。

 計画相談には,妹の受給者証と,愛の手帳といわれている療育手帳が参考資料として必要でした。ところがこれらは両方ともグループホームに預けてありましたので,前日にKさんに対して提示することができなかったのです。僕がこのときにYさんにお話したのは主にこの件であったのですが,これらはすでにKさんから依頼があったので,FAXで送ったとのことでした。
 1月13日,日曜日。午前9時20分に,グループホームの妹の担当者であるKさんから電話がありました。Kさんは母の通夜のときに,早めに斎場に来てくれた方です。これは2月の予定を尋ねる電話でした。Kさんはグループホームの担当者ではありますが,僕は妹の送迎は通所施設にしています。グループホームから通所施設への送迎もありますから,Kさんが通所施設に滞在しているということもあるのですが,常にではありません。また,母の通夜の日がそうであったように,休みの日というのもありますから,僕はKさんとは顔を合わせない月というのもあるのです。やり取りは連絡帳があり,基本的にはこのようなこともそれを通してしているのですが,このときは電話での連絡になりました。たぶん何らかの事情があって,早めに決定しておく必要があったのだろうと思われます。
 1月15日,火曜日。妹を通所施設に送りました。14日は成人の日で休みだったからです。
 帰ってから,ある外資系保険会社から問い合わせの電話がありました。はこの会社のがん保険に加入していたようで,生前に給付金を申請していたようです。というか,保険の受取人がになっていたため,まず受取人の名義の変更が必要とされていました。これに関する郵便物がそれ以前に届いていたのですが,それは母が生きていることが前提となっている内容でした。なので僕は暮れのうちに,母が死んだために名義変更に必要な書類を返送できないという主旨の記述をして,この保険会社に送っておいたのです。このときの電話はその名義の変更と保険金の給付に関する質問でした。
                                      
 1月16日,水曜日。かねてから読み続けていた『主体の論理・概念の倫理』をようやく読了することができました。
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NHK杯テレビ将棋トーナメント&時期の特定

2019-03-19 19:00:05 | 将棋
 17日に放映された第68回NHK杯の決勝。収録は2月18日。その時点での対戦成績は羽生善治九段が54勝,郷田真隆九段が28勝。千日手が2局あります。
 振駒で羽生九段の先手で角換り相腰掛銀。先手から仕掛けるとすぐに郷田九段も反撃し,攻め合いの将棋になりました。
                                      
 先手が桂馬を打った局面。ここで☖5五角と打ったのですが,これが敗着になりました。
 先手は☗4四桂と取り☖同角に☗4二銀☖2二玉☗4一角と攻めていきました。そこで☖8五桂は7七の地点を狙った厳しい反撃手なのですが☗3五桂と打たれました。
                                      
 放置しておけば☗2四飛で簡単な詰み。しかし☖同歩にも☗2四飛が王手角取りになってしまいます。よって☖同角と取ることになったのですが,攻めの主軸となっている角を取られては大勢が決しました。第1図では☖5六同銀と取るほかなかったようです。
                                      
 羽生九段が優勝。第38回,41回,45回,47回,48回,50回,58回,59回,60回,61回に続き7年ぶり11回目のNHK杯優勝です。

 妹は中学校を卒業した後は養護学校に通いました。中学校は義務教育ですから,いつ卒業したのかは分かります。また,養護学校も在籍する年数は決まっていますから,ここをいつ卒業したのかも分かります。妹はその後で,磯子区の汐見台にある障害者専門の作業所に通うようになりました。これは養護学校を経営していた福祉法人とは別の法人の作業所です。その後で,養護学校の経営母体である福祉法人から話があり,そちらが運営する作業所に移りました。でもそれがいつのことであったのかというようなことも僕には分からなかったのです。たとえば,父のきょうだいのうち五女であるK伯母の夫が急死したときは,妹は汐見台の方に通っていたというように,断片的な記憶は僕にもありますが,何年に何があり,またその何年後に何があったのかというように,時期を特定することは困難でした。支援計画書の作成は今回が初めてでしたが,計画相談自体はこれまでにもあったようですので,その記録が区役所に残っている筈で,それを参照すれば調べることができる筈だというのがKさんの話でした。僕もそうしてもらわなければ分かりませんので,Kさんがそうした記録を参照することをKさんと区役所に対して承諾しました。
 最後に,今後の予定について説明がありました。これは支援計画書を作成するまでのことと,作成してからのことの両方が含まれていました。計画書は作成して終了というわけではなく,それが着実に実行されているかの調査も必要なのです。ただしこの調査に関しては,Kさんがグループホームを訪問して行うということでしたので,僕には直接的には関係しません。作成までの過程では関係することが存在しましたが,それについては時系列に沿って記述していくことにします。
 この日の計画相談はこれで終りました。概ね1時間20分ほどでした。
 1月11日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。このとき,グループホーム全体の統括者で,契約のときの相手であったYさんがいましたので,前日の計画相談についていくつかの報告をしました。ですがすでにKさんから電話があったようで,大体のことは知っていました。
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棋王戦&計画相談

2019-03-18 19:27:08 | 将棋
 宇都宮で指された昨日の第44期棋王戦五番勝負第四局。
 渡辺明棋王の先手で角換り相腰掛銀。たぶん後手の広瀬章人竜王の手損が響いてしまったために,先手が有利に中盤戦を進めていたのではないかと思います。
                                      
 後手が角金両取りに飛車を打った局面。両取り逃げるべからずということで☗5四銀と取って☖同金に☗6三角とこちらは飛車金両取りの角を打ちました。双方に大駒による大駒を含んだ両取りが掛かっている局面というのは珍しいと思います。
 後手は☖8五飛と王手で逃げることができますが☗8六歩の合駒が飛車取りになるので状況は変わっていません。そこで☖2四飛成☗8五歩と飛車角交換に進みました。
                                      
 第2図から後手は☖4二角と打ち☗4一飛☖2二玉☗4二飛成☖同金☗5四角成☖7五桂と進めています。
                                      
 このように桂馬を打ち捨てるのは先手玉を寄せるための狙い筋なのですが,この局面は先手玉への王手が途切れたときに☗4四馬という手があるために,先手の勝ちになっているようです。代案は第2図でいきなり☖7五桂と打ってしまうか,狙い筋として残して単に☖6五金と出ておく手。実戦とは違って飛車を入手できていないので迫力不足かもしれませんが,後手としては5四の金を取られる方が痛かったのではないでしょうか。先手の方も第2図の☗8五歩のところで☗5四角成としてしまった方が本当はよかったのかもしれません。
                                      
 3勝1敗で渡辺棋王が防衛第38期,39期,40期,41期,42期,43期に続く七連覇で通算7期目の棋王です。

 帰る途中で薬局に寄りました。ところがこの日はインスリンも注射針もまったく在庫がありませんでした。インスリンにしろ針にしろ,残量が出るように処方されていますから,1日とか2日のことなら何の問題もありません。ないものは仕方がありませんから,配達を依頼し,代金だけ支払って帰りました。実際のところをいえば,概ね1ヶ月半の間隔で通院していますから,その分のインスリンと注射針は必ず処方されるわけで,分量はそれなりにあります。在庫がなくて配達を依頼し,何ももたずに帰る方が,僕としては楽ではあります。帰宅したのは午後4時45分でした。
 1月8日,火曜日。インスリンと注射針が配達されました。午後8時35分のことでした。
 1月9日,水曜日。午後4時に,支援計画書の作成を請け負ってくれたKさんから電話がありました。妹の様子について僕に聞きたいので,翌日の午前10時に僕の家を訪問するとのことでした。
 1月10日,木曜日。前日の電話の通り,午前10時にKさんが来訪されました。
 支援計画書の作成は,計画相談という名称になっていますので,ここからはこちらを使用します。厳密にいえば支援計画書の作成は計画相談の一部と理解してください。つまり重度知的障害者の保護者が,福祉事業所に対して計画相談を依頼し,その一環として,重度知的障害者の支援計画書が作成されるということです。したがってこれには契約が必要となりますので,まず契約書にサインをしました。
 次に,妹の過去および現在についての聞き取り調査が行われました。ただ,僕は妹の現在についてはよく知っていますが,過去のことについては分からないことも多かったです。僕は妹より6つ上で,ふたり兄妹としては年が離れている方かもしれませんが,妹が産まれたときにはまだ5歳で,もうすぐ6歳になろうかという年齢です。妹が小学校に入学したときに中学生になり,中学校を卒業したときでもまだ大学生だったわけで,妹の様子を詳しく観察していたわけではありません。ですからこの聞き取り調査によっては不明だった点が多く,それはKさんが区役所で過去の記録を調べてくれることになりました。
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国際自転車トラック競技支援競輪&2019年1月の通院

2019-03-17 19:52:04 | 競輪
 防府競輪場で行われた第8回国際自転車トラック競技支援競輪の決勝。並びは桐山‐竹内の東日本,高久保‐山本‐松岡の近畿,宮本‐河端‐桑原の中国に荒井。
 牽制になりましたが松岡がスタートを取って高久保の前受け。4番手に桐山,6番手に宮本で周回。残り3周のホームに入ると早くも宮本が上昇開始。ですが高久保は下げず,宮本は松岡の外を併走するような形でバックを通過、そのまま高久保が誘導を外して先行態勢。これを宮本が叩きにいきましたが,1周の間に前に出ることができずに打鐘。ここから宮本がまた行こうとしましたが高久保が突っ張り切りました。宮本が不発になったので今度は河端が自力で発進。これに対してはホームの出口から山本が牽制しつつ発進。河端はバックで一杯。これに代わって松岡の後ろから桐山が発進。あっという間に山本を捲るとそのまま後ろとの差を広げていき優勝。竹内が離れてしまったため,中国ライン追走を止めていた荒井が自力の捲りで大外を伸び5車身差の2着。一旦は先頭に立っていた山本が粘って4分の1車輪差の3着。
 優勝した神奈川の桐山敬太郎選手は2014年8月の小田原記念以来となるGⅢ2勝目。このレースは力では上だと考えていましたが,ほかのラインで前を回る若いふたりがどのような考えの下にどんなレースをするのかが予測できなかったので,予想は難しかったです。最も先行意欲が高かったのは前日のコメントおよび並びから宮本だと思っていました。後ろからの周回になったので,早めに上がっていったのはよかったと思うのですが,高久保が執拗に抵抗したため,残り3周から2周にわたって先行争いをするような展開に。この展開になれば桐山の優勝も当然でしょう。

 いつものように院内のコンビニエンスストアで週刊競馬ブックを購入し,診察の予約が午後3時でしたから,2時50分に内分泌科の受付を済ませました。待たされることを覚悟していましたが,3時15分には診察が始まりました。
 HbA1cは7.7%に上昇していました。これは寒くなってきた影響が大きかったのだと思います。医師は,もし計測した血糖値が高かった場合には,超速効型のインスリンであるヒューマログを,積極的に増量して注射するようにという指示を出しました。注射するインスリンの量の調整というのは,ある程度まで僕に任されていたのですが,僕は注射する量を減らすということにはあまり抵抗はないのですが,増やすのはできればしたくありません。低血糖に陥ってしまう可能性というのがそれだけ高くなるからです。また,そのことを恐れるあまり,必要以上に糖分を摂取してしまえば元も子もなくなるからです。ただ,医師がそのような指示を出しましたので,あまりに血糖値が高いという場合には,それまでよりも積極的に増やすようにはしました。血糖値が高くなるのは大概は朝です。ですから増量することが多かったのは朝食前のヒューマログだったことになります。
                                      
 朝の血糖値が高くなるのは,その要因が寒さであったという可能性を高くしていると僕には思えます。ただ医師は,持続効果型のインスリンが関係しているかもしれないと考えたようで,場合によってはこのタイプのインスリンの種類を変更することを考えてもよいかもしれないと言いました。ただしこの日は変更はなく,発病してからずっと使い続けていたランタスが処方されています。
 次回の診察の1週間前に,合併症の検査,神経伝導検査と血圧脈波測定と頚部血管エコー検査と心電図の測定をするようにという指示も出されました。1週間前は月曜ですので,通常なら妹を送って行くのですが,まだ予定を決定していない時期でしたから,その日で受け入れました。週末に妹をグループホームで過ごさせれば,月曜の午前中から検査ということになっても問題はないからです。
 11月と同様に,この日もHbA1c以外には何の異常もありませんでした。
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チルンハウスの誤解⑥&年末年始

2019-03-16 19:24:20 | 哲学
 誤解⑤で示したように,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが神Deusの知性intellectusを思惟の属性Cogitationis attributumそのものと誤解していた場合,で示した立論とで示した解答は変わってきます。
                                      
 Ⅰ思惟の属性と人間の知性には共通点がない。
 Ⅱ共通点がないものは一方が原因causaで他方が結果effectusではあり得ない。
 Ⅲ思惟の属性は人間の知性の原因ではあり得ない。
 このうちⅠは,正しいとも誤りとも判別できません。スピノザは『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の附録の『形而上学的思想Cogitata Metaphysica』では属性とその属性の様態modusの区別distinguereは様態的区別であるといっていて,僕もそのように把握するのがよいと思います。そして共通点がないというのが実在的に区別される意味であるなら,これは誤りであることになるでしょう。ですが思惟の属性と人間の知性の間に共通点があるといっても,それはAの観念ideaとBの観念には共通点があるというのとは違った意味であることは明らかです。一方,思惟の属性と人間の知性の間には共通点がないといっても,それは物体corpusAと物体Aの観念の間には共通点がないというのとは異なった意味になります。ですからこれは判別不能としておきます。
 Ⅱが正しいのはどんな場合でも同一です。
 Ⅲは誤りになります。このことは第二部定理五から明らかなのですが,この場合はスピノザが第一部定理二五備考でいっていることを援用する方がいいでしょう。すなわち神は自己原因causa suiであるといわれるのと同じ意味で万物の原因omnium rerum causaです。よって第二部定理一〇系により思惟の様態cogitandi modiである人間の知性の原因は神の思惟の属性なのです。

 12月28日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日も僕が迎えに出るときには家にはだれもいませんでしたから鍵を掛けて出ましたが,妹と一緒に戻ったときには先に伯母が帰っていました。妹はこの日が昨年の最後の作業の日でした。年末年始はグループホームではなく家で過ごすことになったわけです。伯母の来日はこれに合わせてのものでもありました。
 12月31日,月曜日。伯母が妹を連れて昼食のために外食しました。根岸駅前にあるイタリアンのファミリーレストランでした。
 1月2日,水曜日。伯母が帰国しました。これは羽田を3日の午前0時過ぎに出発する便でした。ですから家を出たのは遅く,2日の夕食までは伯母も一緒でした。つまりこの日の夕食までは伯母が支度したことになります。
 1月4日,金曜日。妹の今年の作業の開始の日でしたので,通所施設へ送りました。金曜日になりましたから,この日に送ってまた迎えに行くというのでは僕も大変ですし,往復しなければならない妹も大変です。ですからこの週末は妹はグループホームで過ごすことになりました。
 1月7日,月曜日。内分泌科通院でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。年末年始の休みを挟んでいる上にこの翌週はハッピーマンデーの休日でした。ですからこの日はとても混雑しているのではないかと予想していました。
 中央検査室では僕の前に6人の患者が採血の順番を待っていました。午前中や昼過ぎに行けばこれくらいの人数が待っているということはよくあるのですが,この時間にしてはとても多いといえます。ただ,採血をするのは内分泌科の患者だけであるわけではありません。それがどの科であったとしても,年末年始とハッピーマンデーの関係は同じですから,この日は病院全体が混む筈です。そのような特殊な状況であったということを考慮に入れれば,この時間の6人というのも頷けることでした。もっと早い時間であれば,それよりも多くの患者が順番待ちをしているという時間帯もあったことだろうと思います。
 時間があるので先に採尿を済ませ,注射針の処理も終えてから採血という順序になりました。
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女流王位戦&夕食の支度

2019-03-15 19:48:26 | 将棋
 第30期女流王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は里見香奈女流名人が28勝,清水市代女流六段が不戦勝の1勝を含めて14勝。
 振駒で清水六段の先手と決まり里見名人のノーマル向飛車。先手が5筋位取りという古風な戦法で対応し,早めに仕掛けていきました
                                      
 後手が戦いに備えて飛車を4筋に振り直した局面。ここで先手は☗2四歩☖同歩と突き捨てて☗9七角と上がったのですが,攻め筋としてはあまり有効ではなかったようです。
 後手は☖5二銀と引いて5三の地点を受けました。これに対して☗3四歩と垂らしましたが,これは後の手順からみると緩手だった可能性が高そうです。
 ここで後手が☖9五歩と突いていったのが機敏でした。先手は☗3三歩成としたのですがおそらくこれが決定的な悪手だったと思われます。というのも☖同桂のときに☗同桂成とできずに☗9五歩と手を戻した上,次の☖4五桂にも☗同銀とも☗同飛ともできずに☗8八角と引いたので☖3七桂成とされてしまったからです。
                                      
 この折衝は先手が率先して桂馬を渡した上に後手の2一の桂馬を成らせてやったようなもので,あまりに大きすぎる損でした。たぶん振飛車の方から9筋を攻めてくるというのを軽視していたのだろうと思います。
 里見名人が勝って挑戦者に。タイトルを失った前期の雪辱戦になります。第一局は来月25日です。

 旅行に行く伯母を見送った後で,僕はO眼科へ眼科検診に行きました。9時半には到着できたのですが,この日はとても混雑していたため,帰宅できたのは12時を過ぎてからになりました。
 12月20日,木曜日。郵便局に行きました。通帳の記入欄が一杯になってしまったため,新しいものをもらうためでした。
 12月21日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。先週は土曜レクリエーションがあった関係で妹は週末もグループホームで過ごしましたから,2週間ぶりです。僕が迎えに出掛けるときには旅行に行っていた伯母は帰っていませんでしたが,妹と一緒に帰ったときはすでに戻っていました。伯母には合鍵を渡してありますので,僕が不在でも家に入ることには問題がありません。基本的にこの日のように伯母がいる場合は,伯母が夕食を支度するということでしたので,帰国までの間は任せました。僕はその分だけ楽をすることができたことになります。
 12月24日,月曜日。この日は天皇誕生日の振り替え休日でした。伯母が妹を本牧に連れて行き,昼食を摂らせてくれました。僕は通院を別にすれば在宅中の妹を連れ出すということはしていません。例外は同窓会のときだけでした。妹にはいい息抜きになったのではないでしょうか。クリスマスイブでしたので,チキンやケーキなどを買って帰ってきました。
 12月25日,火曜日。妹を通所施設に送りました。
 12月26日,伯母が友人宅を訪問しました。そしてそのまま宿泊しました。翌日は別の友人宅を訪問し,また宿泊しましたので,先週と同様に2泊3日は僕の家を不在にしていたことになります。
 僕はこの日に郵便局に行き,母のゆうちょ銀行の口座を相続する手続きの最終確認をしました。必要な書類のうち,不足していると言われた母が婚姻した後,改製される以前の戸籍に関しては13日に入手してあり,なおかつ20日に通帳を新しくするために郵便局に行っていたのですが,この手続きは時間が掛かるおそれがありましたので,時間の余裕があったこの日まで後回しにしていたのです。ですが書類を確認するだけだったので,15分ほどしか要しませんでした。
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中日新聞杯名古屋大賞典&伯母の来日

2019-03-14 19:07:13 | 地方競馬
 第42回名古屋大賞典
 マイタイザンが逃げました。グリムが2番手でマークする形。3番手にヒラボクラターシュとアナザートゥルース。5番手がキクノルアでこの5頭は一団。6番手以下はテルペリオン,リョーシンヒナタ,サザンオールスター,ラモントルドール,カツゲキライデン,エスタシオンの順でこの6頭も一団。やや離れた最後尾からブランニュー。スローペースでした。
 隊列は短くなっていったものの順位はほとんど変わらずに2周目の3コーナーを通過。ここからグリムがマイタイザンを抜きに出て,直線の入口では先頭に。さらに後ろとの差も広げていき優勝。内目を捌いてきたヒラボクラターシュが1馬身半差で2着。コーナーで押しながら外をついていったアナザートゥルースが2馬身差の3着。
 優勝したグリム白山大賞典以来の重賞3勝目。そのときはレコードタイムで,それは評価に値するのですが,53キロだったことと,当時の金沢は逃げて内を回る馬に極端に有利な馬場状況だったので,5馬身という着差ほどの評価は微妙な面もありました。おそらく2番手からのレースになった今日のレースが,この馬の現状の力量を正しく表しているものと思われます。距離はこのくらいが最もよく,長くなるよりは短くなった方が対応できるのではないでしょうか。トップクラスとはまだ差がありそうです。父はゼンノロブロイ。母の父はサクラバクシンオー。4代母がバーブスボールド
                                      
 騎乗した武豊騎手第39回以来となる3年ぶりの名古屋大賞典2勝目。管理している野中賢二調教師は名古屋大賞典初勝利。

 12月13日,木曜日。区役所に行きました。これはゆうちょ銀行の相続のために必要とされた,母が婚姻してから死ぬまでの戸籍を取得するためです。正確にいうと,母の婚姻後に戸籍の改製があり,それまでの人の手書きによる横長で縦書きのものから,コンピュータから印字された縦長で横書きのものに変わっていました。母の除籍謄本というのは後者のもので,これは手元にありましたから,実際にこのときに僕が取得したのは前者のものだけです。
 12月15日,土曜日。妹の土曜レクリエーションの日でした。この日はクリスマス会で,キリストの生誕劇をやったそうです。これをやることは,認定調査の日に聞いていました。僕はこの話を聞いて,母が見学するのも苦痛だといっていたイエスの生誕劇のことを想起しました。そのときは妹は本牧の作業所に通っていたわけですが,今のグループホームを紹介してくれたのがその作業所を管轄している施設の方であったように,経営の母体となっている法人は同一です。ですからもしかしたら脚本は同じものだったのかもしれません。
 12月18日,火曜日。ロサンゼルスの伯母が来日しました。いつもは夜に成田に到着する便を利用していたのですが,今回は早朝に羽田に到着する便を使っての来日でした。ですから僕の家に着いたのも早く,午前8時過ぎでした。伯母は日本の寒さに驚いていたようでした。ただ,横浜は実際のところはもう少し前の方が本格的な冬ではないかと思えるような寒さの日が続き,この頃は寒いは寒いにしてもそこまでの寒さからは和らいでしました。もう少し早い時期の来日であったらもっと驚いたのではないかと思います。
 12月19日,水曜日。伯母はこの日から友人たちと2泊3日の旅行に出掛けました。今回の来日は,妹が家にいるときには伯母も必ずいたのですが,妹が不在のときには伯母も不在ということの方が多かったです。事前に妹の予定を僕から教えておきましたので,来日前にそれに合わせた日程を組んでいたようです。1泊目は御殿場で,2泊目は横浜でした。横浜での宿泊は変に思われるかもしれませんが,伯母の友人というのは横浜の人ではないのです。
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