スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&欠如と不足

2019-10-18 19:10:38 | 将棋
 11日と12日にセルリアンタワー能楽堂で指された第32期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績は広瀬章人竜王が8勝,豊島将之名人が7勝。
 野村ホールディングス執行役員による振駒で豊島名人が先手となり角換り相腰掛銀。封じ手後に先手の飛車が下段を行ったり来たりしたのは後手の得で,僕はそのあたりは後手の広瀬竜王の方がいいのではないかと思っていました。
                                        
 先手が2筋を狙って香車を打った局面。ここが重要な分岐だったようです。
 実戦は☖8六とと金取りに引きました。これがあまりよくなく,一旦は☖8八馬と入り,後で☖7七ととした方がよかったようです。
 実戦は☗2三歩成とし,☖7六とに☗同歩と取りました。これが先手の好手順でした。さらに☖2三金☗同香成☖8五銀のとき,7六の地点を下から支えるのではなく☗7五桂と上から受けるのがまた好手。☖7六銀とされて損のように思えるのですがそこで☗8三桂成としておくのがよい手で,☗7二歩を避ける☖7五飛に☗3二成香と入ったところで先手の攻め脚が早くなっています。
                                        
 第2図から☖8二歩☗8四成桂と進めたのも,後手にとっては損だったかもしれません。ですが第2図ではどうも先手が優位に立っているようです。
 豊島名人が先勝。第二局は23日と24日です。

 僕はここまで,虚偽falsitasが虚偽であるという認識cognitioが含まれているなら,その虚偽を肯定する意志作用volitioは,十全adaequatumなるものを十全なるものとして肯定する意志作用と同じだけの力potentiaを有し,その認識が含まれていなければそれはあたかも力とは反対の意味で無力impotentiaであるかのように説明してきました。これはここでの僕の論旨を分かりやすくするための方法なのであって,実際には虚偽が虚偽であるという認識が含まれていない場合,つまり誤謬errorを犯している場合でも,それが正確な意味で無力であると把握するのは誤りであると僕は考えています。最後に説明しておきたいことというのはこのことです。
 虚偽と誤謬の相違を,何度もいうように僕は第二部定理三五に依拠して解釈します。このとき,虚偽が虚偽であるという認識が含まれているか含まれていないかということとは関係なく,何らかの混乱した観念idea inadaequataがあるということは前提になります。そうでなければ虚偽すなわち混乱した観念を虚偽であると認識できるか否かということが問題となりようがないからです。このとき,それが虚偽であるか否かの認識の有無と関係なく,ただ単にあるものが混乱して認識されているという限りでは,この混乱した観念の形相formaは,その人間が誤謬を犯そうと犯すまいと同一です。こうした混乱した観念の形相が誤謬を犯す人間の精神mens humanaのうちに現実的に存在するということは,その人間の精神の力potentiaであると解するべきだと僕は考えます。ですから,第二部定理三五というのは,虚偽が虚偽であるという認識の欠乏privatioに関してのみ言及されているので,この場合にはこの欠乏は完全なる欠如を意味します。ですが,ある人間の精神が誤謬を犯すということをその全体でみるとするなら,そこには混乱した認識は含まれているのですから,認識の欠乏は完全なる欠如というよりはある不足を意味することになります。もちろんその不足とは,その混乱した観念が混乱した観念であるという認識の不足であり,不足していない分の認識が,混乱した観念そのものの認識です。
 つまり,誤謬というのは誤謬を犯す人間の精神の認識の全体という観点からは,無力というわけではなく,不足しているとはいえ力のひとつです。
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東京スポーツ盃マイルグランプリ&月の表象像

2019-10-17 19:02:53 | 地方競馬
 昨晩の第26回マイルグランプリ
 早い段階で前に出たワークアンドラブの逃げ。この後ろはごった返していましたが,2番手はダノングッドとロイヤルパンプの2頭となり,4番手にゴーディー,グレンツェント,ジョーストリクトリの3頭。7番手にソッサスブレイ。8番手はアンサンブルライフとリッカルドとフォーハンドレッド。11番手以降はトロヴァオ,サブノジュニア,リアライズリンクス,ノンコノユメという順になりこの14頭は一団。2馬身差でサブノクロヒョウとマインシャッツが後方を追走。前半の800mは49秒7のミドルペース。
 3コーナーを回ると逃げたワークアンドラブが2番手以下との差を広げにかかり,一時的に2馬身ほどのリード。追い上げてきたのはグレンツェントでこれが単独の2番手に。前にいって粘っていたロイヤルパンプと中団から追い上げてきたリッカルドの2頭が続きましたが,前の2頭とは手応えに差がありすぎました。グレンツェントは楽な手応えに見えたので,あっさりとワークアンドラブを差すのではないかと思ったのですが,直線に入って追い出されても意外なほど伸びがなく,むしろまた差を広げたワークアンドラブが鋭く逃げ切って優勝。後方から馬群を捌き最後は大外からノンコノユメが他とは一線を画す末脚で伸びてきたものの前半の位置が悪すぎたため届かず,グレンツェントが1馬身半差で2着。ノンコノユメがクビ差で3着。
 優勝したワークアンドラブは前走のこのレースのトライアルから連勝。南関東重賞は初制覇。JRAでデビューし北海道を経て南関東に転入してきた馬ですが,転入2戦目の2000m戦を6馬身差で勝ったこともあり,その後は長めの距離を中心に使われていました。前走が転入後は初の1600m戦で,ここも連勝なのですから,本質的にはこのくらいの距離が向くということでしょう。ただし楽なペースで逃げることができての勝利ですから,着順や着差通りの能力差があると考えるのは危険かもしれません。母のふたつ下の全妹の産駒に2015年の佐賀記念とマーチステークスを勝っている現役のマイネルクロップ
 騎乗した大井の笹川翼騎手は昨年の黒潮盃以来となる南関東重賞6勝目。マイルグランプリは初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は南関東重賞22勝目。第19回以来7年ぶりのマイルグランプリ2勝目。

 なぜ月と地球との間の正確な距離を知っている場合でも,月は現にあるのよりもずっと近くに存在しているかのように表象されるのでしょうか。その理由は,ひとつは第二部定理三三にあるように,混乱した観念idea inadaequataといってもそれは積極的に虚偽falsitasの形相formaを構成しているわけではないということであり,もうひとつは第四部定理一にいわれているように,誤った観念idea falsaすなわち混乱した観念にも積極的なものが含まれているからなのです。すなわち月の表象像imagoは,僕たちと月との間にある距離を正確に表現するexprimere観念ではありませんが,月が僕たちの身体corpusを刺激するafficere限りで,あるいは同じことですが,僕たちの身体が月の光によって刺激されるaffici限りで,月の本性naturaを含んでいる観念なのです。このために僕たちは月と地球との間の正確な距離を知っているかいないかとは関係なく月を表象するimaginari,どちらの場合であっても同じように表象するのです、そしてそのゆえに,もし月の表象像が,月と地球との間の正確な距離を表現する観念ではないということを同時に知っていれば,第二部定理一七備考でいわれているように,このような仕方で月を表象することは,人間の欠点であるどころか長所であるといえるのです。
                                   
 このようにして,第二部定理三三と第二部定理三五と第四部定理一の間にはある関係があります。ですから僕たちが虚偽を虚偽として認識している限りでは,いい換えれば僕たちが誤謬errorに陥っていない限りでは,混乱した観念を肯定する意志作用volitioが,十全な観念を肯定する意志作用と同じだけの力potentiaを持つとしても,不条理ではありません。ですから第二部定理四九備考でいわれているように,意志作用というのは僕たちの思惟する力を超越するものではありません。他面からいえば,僕たちが何かを混乱して認識することがあったとしても,それは思惟する力であるといって構わないということになります。
 虚偽と誤謬の相違というのは,虚偽を虚偽であると認識しているかいないかという点にありました。よって第二部定理三五にあるように,誤謬にはある認識cognitioの欠乏privatioがあることになります。最後に,この欠乏というのが何を意味するかについて注意を加えておきます。
 
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新人王戦&第二部定理三五と第四部定理一

2019-10-16 19:06:35 | 将棋
 9日に指された第50回新人王戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は増田康宏六段が3勝,高野智史四段が1勝。
 振駒で高野四段の先手となり相掛かり。先手の浮き飛車に後手の増田六段の引き飛車。先手が早繰り銀の速攻を掛ける将棋。
                                        
 先手が4六の銀を上がったのに対して後手が3二の金を上がって受けた局面。ここで☗4六飛と回って戦力を足しましたが,この手があまりよくなかったのだと思います。
 後手は☖6五桂と跳ね先手の☗7七桂に☖5七桂成☗同玉と捨てて☖2四角の間接王手飛車。このまま☖4五歩とされては終了なので先手は☗4八玉と逃げましたが☖4六角☗同銀の飛車角交換に進みました。
                                        
 第2図は先手の桂得なのですが,後手が飛車を手持ちにしたのが大きく後手の方がやれるようです。なので第1図で4六に飛車が回るのはまずく,先手はたとえばここでか銀を5五に上がる前に☗7七桂のような手を指しておかなければいけなかったということになりそうです。
 増田六段が先勝。第二局は21日です。

 スピノザは太陽を例に説明しているのですが,数値に誤りが含まれているので,僕はここでは月を例材に説明します。
 僕たちは月を表象するimaginariとき,これは夜に月を見たときを想定してほしいのですが,そのときには月が現にあるよりずっと近くにあるように知覚します。第二部定理三五がいっているのは,このときに実際に月が知覚しているような近い位置にあると思うなら,それが虚偽と誤謬を分けた場合の誤謬errorであり,実際には月は見た目よりはずっと遠くにあるということを知っているなら,それは虚偽falsitasではあっても誤謬ではないということです。この場合には,実際に月が自分から,あるいはこれは地球からといい換えてもほとんど違いはありませんが,どれほど離れた位置にあるのかを正確に知っている必要はありません。ただ見た目よりはずっと遠くにあるということさえ知っているなら十分です。
 もし僕たちが,地球と月との間にある距離を正確に知っていると仮定するなら,このとき僕たちはそのことについて十全な観念idea adaequataを有していることになります。これはそれ自体で明らかでしょう。このときある人間がその十全な観念を有していると仮定して月を見れば,月がその当の距離ほど離れているかのように知覚するpercipereのかといえばそうではありません。そのことを知っていようと知っていまいと,月は同じように表象される,実際にあるのよりもずっと近くにあるかのように表象されるのです。第四部定理一がいっていること,すなわち真verumであるものが真であるということが現在するということを理由としては誤った観念idea falsaが有する積極的なものは除去されないというのはこのような意味です。つまりこの定理Propositioの意味は,この場合でいえば月の,正確にいうなら地球と月との間の距離の,真の観念idea veraすなわち十全な観念がある知性intellectusのうちに現実的に存在するとしても,月の表象像imagoは除去されない,いい換えればその混乱した観念idea inadaequataは除去されないということです。つまり一般的にいうなら,ある知性のうちにXの十全な観念が存在するということは,その同じ知性のうちのXの混乱した観念が除去される原因causaにはならないし,その発生を妨げる原因にもならないということです。
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寛仁親王牌・世界選手権記念&肯定する力

2019-10-15 18:52:12 | 競輪
 台風19号の影響で2日目以降が順延された前橋グリーンドームでの第28回寛仁親王牌の決勝。並びは小松崎‐和田の東日本,三谷‐村上の近畿,清水‐中川‐園田の西国で木暮と浅井は単騎。
 和田がスタートを取って小松崎の前受け。3番手に三谷,5番手に木暮,6番手に清水,最後尾に浅井で周回。残り3周のバックの入口の手前から清水が上昇開始。バックの出口で誘導は退避。清水が小松崎を叩きましたが,小松崎は引かず,外の中川と併走に。併走の後ろに浅井,木暮が続き,8番手に三谷という隊列になって清水はスローペースに落としました。バックから三谷が発進。清水を叩いて打鐘。ペースアップで競り合いに決着がつき,清水の後ろは小松崎‐和田に。浅井,木暮と続き,園田がスイッチ。番手を奪われた中川が最後尾の一列棒状に。バックから浅井が捲りましたがこれは前まで届かず。やや車間を開けていた村上が直線入口から踏み込んで優勝。逃げた三谷が半車身差の2着に粘って近畿のワンツー。清水は流れ込む形で8分の1車輪差の3着。清水の外にいった小松崎が4分の1車輪差の4着で村上と清水の間を突いた和田が4分の1車輪差で5着。
                                        
 優勝した京都の村上博幸選手はサマーナイトフェスティバル以来の優勝でビッグ8勝目。GⅠは2014年2月の全日本選抜競輪以来の4勝目。寛仁親王牌は初優勝。このレースは三谷と清水の争いではないかとみていました。三谷が先制し粘り込むレースになったので,番手の村上に展開の利があったというところでしょう。ただ,清水も3番手ですから位置としては悪かったわけではなく,もっと早めに動いていった方がよかったのではないでしょうか。村上が番手選手としてうまかったのは事実ですが,やや積極性に欠けるレースであったという印象はぬぐい得ません。

 人間の精神mens humanaのうちにある混乱した観念idea inadaequataは,その観念の対象ideatumとなっているものの本性naturaを含んでいる観念です。そしてそれは,その人間の身体humanum corpusが観念の対象となっているものに刺激されるaffici限りにおいては,そのものの本性の観念であるということができます。また,観念の対象となっているものが自分の身体であったり自分の精神であったりする場合には,何らかの物体corpusに刺激される限りにおいての身体なり精神の本性の観念であるということができます。このためにそうした混乱した観念を肯定する意志作用volitioというのは,真verumなるものを真なるものとして,あるいは十全adaequatumなるものを十全なるものとして肯定する意志作用と同じだけの力potentiaを有するのです。なぜなら,たとえば外部の物体Xの混乱した観念を肯定する意志作用は,Xが自分の身体を刺激するafficere限りでのXの本性を肯定するような意志作用であるといえるからです。
 繰り返しになりますが,それが同じだけの力であるとみなせるのは,その混乱した観念が混乱した観念であるということを知っている限りにおいてです。このことをより積極的にいえば,たとえばXの表象像imagoについては,Xが自分の身体を刺激する限りにおいてのXの本性の観念であるということを知っている限りにおいてであるということです。もちろんそれが虚偽falsitasであるということ,真理veritasではないということさえ知っていれば,それがどのような観念であるのかということまで知っていなければならないというものではありませんが,虚偽を虚偽であると知るということが具体的にどのような意味であるのかということを示せば,これがその条件となるという意味で説明しました。
 このことをスピノザが明言しているのが第二部定理一七備考です。そこでいわれているように,もし虚偽を虚偽として認識するcognoscereのであれば,虚偽を認識することは人間の精神の欠点ではなくむしろ長所なのです。そしてその理由のひとつとして,混乱した観念が含んでいる意志作用は,それ自体でみるならば力である,それも,十全な観念idea adaequataが含んでいる意志作用と同じだけの力であるからだということをあげることもできるでしょう。
 さらにこのことは,第四部定理一とも関係を有します。
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マイルチャンピオンシップ南部杯&含まれる本性

2019-10-14 19:10:19 | 地方競馬
 第32回南部杯
 ロンドンタウンとノボバカラの2頭で後ろを離していく形に。3馬身差でアルクトス,モジアナフレイバー,パンプキンズの3頭。その直後がサンライズノヴァとゴールドドリームの2頭でこの5頭は一団。3馬身差でオールブラッシュ。さらにミツバ。2馬身差でロジストームとメイショウオセアン。2馬身差でナラ。2馬身差でラモントルドール。4馬身差でイッセイイチダイとレプランシュとソーディスイズラヴ。力量差がはっきりしていたこともあり縦長の隊列に。前半の800mは45秒7のハイペース。
 3コーナーを回るとノボバカラは苦しくなり始め,内からアルクトス,外からサンライズノヴァとモジアナフレイバーが追い上げ,ゴールドドリームはこれらの後ろ。直線は逃げたロンドンタウンの内からアルクトス,外からサンライズノヴァ。大外に回ったモジアナフレイバーの内に進路を選択したゴールドドリームの優勝争い。ロンドンタウンは脱落。わりと楽に抜け出したサンライズノヴァが優勝。最内のアルクトスが1馬身半差で2着。外のモジアナフレイバーを差す形でゴールドドリームが1馬身半差の3着。モジアナフレイバーがクビ差の4着でロンドンタウンは1馬身半差で5着。
 優勝したサンライズノヴァは昨年の武蔵野ステークス以来の勝利。重賞3勝目で大レース初制覇。ここはゴールドドリームの力が上でしたが,球節の炎症後の一戦でしたので,崩れるケースもあり得るとみていました。その場合はアルクトスとサンライズノヴァが候補で,僕は能力そのものはサンライズノヴァの方が上とみていました。武蔵野ステークスを勝った後,成績は残せていなかったのですが,おそらく体調によるものだったのだろうと思います。復調してくればこれくらい走って当然の馬ですので,今後も注目ではないでしょうか。父はゴールドアリュール。9代母がダイシング。祖母は1989年にフラワーカップを勝ったリアルサファイヤ。母のふたつ下の半弟に2005年に武蔵野ステークス,2007年にフェブラリーステークスを勝ったサンライズバッカス。Novaは新星。
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手は一昨年の京阪杯以来となる重賞4勝目。デビューから18年半で大レース初勝利。管理している音無秀孝調教師はジャパンダートダービー以来の大レース13勝目。南部杯は初勝利。

 現実的に存在する物体corpusXの本性essentiaは,Xが現実的に存在することを鼎立する本性です。よってそれがなければXは現実的に存在することができません。このことは第二部定義二の意味から明らかです。そして人間の身体humanum corpusは物体のひとつですから,ある人間の身体が現実的に存在するのであれば,その身体の現実的本性actualis essentiaというものがあります。僕たちにとってそれ,すなわち自分の身体の現実的本性は,あるものaliquidとしてしか認識できないものです。いい換えれば自分の身体の現実的本性をあるがままに認識するcognoscereことはできません。第一部公理六から分かるように,真の観念idea veraというのは観念されたものideatumと一致しなければなりません。つまり僕たちは現実的に存在する自分の身体の本性を真に認識することはできないのです。あるいは同じことですが,十全に認識することはできないのです。このことは,自分の身体に限らず,自分の精神mensについてもあるいは外部の物体についても同様です。
                                   
 しかし一方で,僕たちは自分の身体を刺激するafficere限りでの外部の物体の本性は認識します。そしてこの限りでの本性も,その物体の現実的本性を含んでいるのです。同様に,僕たちは何らかの外部の物体に刺激されるaffici限りでの自分の身体の現実的本性についてはそれを認識します。これは第二部定理一九から明らかです。そしてこの限りでの自分の身体の現実的本性というのは,自分の身体の本性を含んでいるのです。よってこれらの表象像imaginesは,外部の物体のあるいは自分の身体の本性のありのままの観念ではありませんから,その真の観念あるいは十全な観念idea adaequataであるということはできず,したがって誤った観念idea falsaあるいは混乱した観念idea inadaequataではあるのですが,もし僕たちの身体が外部の物体に刺激される限りで真verumあるいは十全adaequatumといい得るような観念があると仮定するなら,それは真であるとか十全であるとかいい得るような観念ではあるのです。ある人間の精神の本性naturaを構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神Deusのうちに十全な観念があるというのは,そのような解釈を無限知性intellectus infinitusの一部を構成している有限な知性からみたものを,無限知性の見地からいい換えたものであるという解釈ができなくもないのです。
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秋華賞&第二部定理二六系

2019-10-13 19:04:55 | 中央競馬
 第24回秋華賞。メイショウショウブは左前脚の蹄の底の内出血で出走取消となり17頭。
 発走後の正面で先頭に立ったビーチサンバにコントラチェックが競りかけていき,2頭で並んで逃げるような形に。向正面に入るあたりでリードは3馬身。ダノンファンタジーとパッシングスルー,ブランノワールとクロノジェネシスとレッドアネモス,カレンブーケドールとフェアリーポルカという順で続き,この7頭は一団。2馬身差でシャドウディーヴァ。3馬身差で後方集団の最前列にローズテソーロとエスポワール。サトノダムゼル,シゲルピンクダイヤ,シングフォーユーと続き,最後尾にトゥーフラッシーとシェーングランツという隊列。前半の1000mは58秒3の超ハイペース。
 3コーナーを回るとダノンファンタジーが外から前の2頭との差を詰めにかかりました。コントラチェックは直線の入口を待たずに脱落。直線に入るところで一旦はビーチサンバが差を広げ,追ってきたダノンファンタジーは伸びあぐねました。その間にクロノジェネシスが伸びてきて,逃げるビーチサンバを差して優勝。直線の入口でクロノジェネシスに押し込まれる形になったカレンブーケドールがダノンファンタジーとクロノジェネシスの間に進路を確保し2馬身差で2着。後方から1頭だけよい脚を使ったシゲルピンクダイヤが1馬身半差で3着。
 優勝したクロノジェネシスはクイーンカップ以来の勝利。重賞2勝目で大レース初制覇。このレースは能力ではダノンファンタジーが上位ですが,距離とコースには不安があり,ほかの馬が勝つ可能性の方が高いとみていました。クロノジェネシスはそれ以外の馬の中では能力上位を形成する1頭なので,ダノンファンタジーが崩れた場合は優勝候補の1頭でした。ただこのレースは前半のペースのわりに時計が遅いです。これは瞬発力を発揮しにくい馬場状態になったからだと思われ,レース全体の結果としてはその点を大きく考慮しておかなければならないでしょう。母の父はクロフネ。3代母はラスティックベル。ひとつ上の半姉に昨年の紫苑ステークスと今年のヴィクトリアマイルを勝っている現役のノームコア。Genesisは創世記。
 騎乗した北村友一騎手は大阪杯以来の大レース3勝目。秋華賞は初勝利。管理している斉藤崇史調教師は昨年の全日本2歳優駿以来の大レース2勝目。

 ある人間が何らかの物体corpus,たとえばXを表象するimaginariとき,その人間の精神mens humanaのうちにあるXの観念ideaは混乱した観念idea inadaequataです。この表象像imagoは,Xの本性naturaを含む観念ではありますが,Xの本性そのものの観念ではないからです。このことは第二部定理二五からも明らかですが,第二部定理二六系ではもっと明瞭に言明されています。
                                   
 「人間精神は,外部の物体を表象する限り,それの妥当な認識を有しない」。
 このことは何をもって人間の精神が事物を表象するというのかということさえ分かっていれば,先述の第二部定理二五と第二部定理二六から明白なので,これ以上の証明Demonstratioはしません。
 しかし一方で,この観念が外部の物体,ここでの考察でいえばXの本性を含む観念であることは事実です。そのゆえにXが現実的に存在すると観想するcontemplariことができるからです。ですから第二部定理三三でいわれているように,この表象像すなわち混乱した観念が,何か積極的な虚偽falsitasを構成していることにはなりません。むしろその本性を含むという意味でいえば,真理veritasの一部を構成しているとみることさえできるでしょう。そして僕たちがどんな事物であれ,たとえペガサスのような現実的には存在していないような事物でさえも,それを混乱して認識するcognoscereすべての場合について,このことが妥当します。ですからたとえ僕たちが事物を混乱して認識するのだとしても,前提としておいたように,それが混乱した観念すなわち虚偽であるということを知っている限りにおいては,この認識cognitioは僕たちの精神の力potentiaであるといえるのです。
 さらにこのことは,他面から説明し直すこともできます。僕たちがXを表象するとき,その表象像はXの本性を含んでいるのですが,それはどのような意味において含んでいるといわれるのかといえば,第二部定理一七から分かるように,Xが僕たちの身体corpusを刺激するafficere限りにおいてです。したがってこの刺激状態の観念,これをこのブログでは身体の変状affectiones corporisといいますが,この観念は,それを認識する人間の身体がXによって刺激されるaffici限りでのXの本性の観念であるといい換えることができます。つまりXの本性を含むとは,その限りにおいてXの本性そのものなのです。
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コーフィールドステークス&本性を含む観念

2019-10-12 18:48:49 | 海外競馬
 オーストラリアのコーフィールド競馬場で行われたコーフィールドステークスGⅠ芝2000m。
 スズカデヴィアスは発馬後にすぐ控えて内に。徐々に位置取りが下がる形で最後尾からの追走となりました。先頭からは概ね7馬身から8馬身くらい。直線手前から惰性をつけるような感じで外へ出しましたが,2頭を差すにとどまり,勝ち馬からは4馬身弱の差で8着。激戦の3着争いまで1馬身4分の3ほど届かないという結果でした。
 この馬は日本でGⅢ1勝,オープンを2勝というクラスの馬ですから,普通に考えてGⅠでは厳しいです。こういう馬がオセアニアの中距離のGⅠに出走してどの程度の結果を出せるのかは注目していたのですが,着差としても着順としても能力に準じたようなものであったと思われます。

 主体subjectumというのをどのように規定するのが適切なのかということは別にしても,ある知性intellectusが混乱した観念idea inadaequataを有するとき,それがなぜ力potentiaであるといい得るのかということについては,事物を混乱して認識するcognoscereその知性の側からの説明も与えておきます。ただ前にもいったように,スピノザの哲学においてこれを説明するべき本筋は,第二部定理一一系の具体的意味に絡めるものです。僕がこれからするのは,このことをより分かりやすくするためのものだと理解してください。それから,この条件というのは,虚偽と誤謬を分けた場合の,虚偽falsitasの場合にのみ限られます。いい換えれば,虚偽が虚偽であるということを虚偽を認識するその知性が認識している場合に限られるということは前提としてください。この認識cognitioが欠乏している場合は,第二部定理四九備考でいわれているように,真verumなるものを真なるものとして肯定するのと同じ力があるというわけではありません。
                                   
 第二部定理一七によれば,ある人間たとえばAの身体corpusが外部の物体corpusたとえばXによって刺激されるとき,Aの精神mensはXが現実的に存在すると観想します。これはAの精神のうちにあるXの表象像imagoであって,混乱した観念です。実際にこの観念は,Aの精神の本性naturaを構成するとともにXの観念を有する限りで神のうちにある観念ですから,先述の第二部定理一一系の具体的意味によって,Aの精神のうちにXの混乱した観念があるということは明白です。
 ではなぜこのときにAはXが現実的に存在すると観想するcontemplariのでしょうか。それはこの定理Propositioにあるように,Xがその本性を含む仕方でAの身体を刺激するafficereからです。第二部定義二の意味から分かるように,一般に事物の本性essentiaというのはその事物の存在existentiaを鼎立するのであって,排除しません。よってXがその本性を含む仕方でAの身体を刺激すると,Aはその限りでXの本性を認識することになり,このXの本性がXの存在を鼎立するために,AはXが現実的に存在すると観想することになるのです。これについて詳しくは,この定理の証明Demonstratioを参照してください。
 ここから分かるのは,Aの精神のうちにあるXの表象像は,Xの本性を含んでいる観念であるということです。
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農林水産大臣賞典報知新聞社杯エーデルワイス賞&主体の規定

2019-10-11 18:48:28 | 地方競馬
 昨晩の第22回エーデルワイス賞
 マナモクプニは立ち上がって1馬身の不利。まずクモキリが前に出て,内から追い抜いたプリモジョーカーが先手を奪う形。3番手はアザワクとキラットダイヤ。5番手にレインズパワー。6番手にグローリアスレゴンとコーラルツッキーで8番手にデビルスダンサー。ここまでが一団。2馬身差でスマイルエルフとミナトノヨーコ。3馬身差でニシノミンクス,マナモクプニ,ミホスローリアスの順で続き,5馬身差でウィーンソナタ。3馬身差の最後尾にミリミリという隊列。前半の600mは33秒9の超ハイペース。
 3コーナーではプリモジョーカーとクモキリはほぼ横並び。これにアザワクが並んでいく形。クモキリはコーナーの途中で一杯。プリモジョーカーは先頭で直線に入ってきましたが,すぐにアザワクが前に出て,一旦は抜け出しました。追ってきたのは中団あるいは後方から外を差してきた,コーラルツッキー,ミナトノヨーコ,ニシノミンクスの3頭。3頭とも最後まで伸びましたが,道中の位置取りの差でコーラルツッキーだけがアザワクを差し切ることができて優勝。アザワクが半馬身差で2着。ミナトノヨーコが半馬身差の3着でニシノミンクスはハナ差で4着。
 優勝したコーラルツッキーは前々走の北海道重賞のフルールカップ以来の勝利で通算4勝目。重賞はもちろん初勝利。このレースはJRAから参戦してきた馬が新馬か未勝利を勝ち上がったばかりで,記録的に目立つ馬は不在。こういう場合は北海道勢の争いになるのがこのレースのパターンですが,今年の北海道の2歳馬は全体を通しても抜けた能力を有する馬が不在でしたので,大混戦になるだろうと思っていました。コーラルツッキーの場合はフルールカップの勝ち方は鮮やかだったので,優勝候補の一角とは考えていました。1000mは3戦3勝で,1200mは3戦3敗だったために人気を落としていましたが,少なくとも前走のリリーカップは控え過ぎての敗戦で,必ずしも200mの延長に耐えられないというようには思えませんでした。さらに距離が伸びるのはマイナスでしょうから,それを能力でどこまでカバーできるのかということが今後の焦点となってくるでしょう。母の父はキングヘイロー
 騎乗した服部茂史騎手はデビューから25年で重賞初勝利。管理している田中淳司調教師は2016年の兵庫ジュニアグランプリ以来となる重賞4勝目。エーデルワイス賞は初勝利。

 同じ人間の精神mens humanaのうちに,異なった様式のXの混乱した観念idea inadaequataがふたつあるいはそれ以上存在し得るということは,実は論理的に証明するよりも,僕たちの経験に訴えた方が分かりやすいと思います。というのは,僕たちは異なったものを表象するimaginariことによって,同一のものを表象するということがよくあるからです。たとえばAからXを連想するし,BからもXを連想するということがあるでしょう。この場合,前者の場合はそういう連想をする人間の精神の本性naturaを構成するとともにAの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるといわれるのであり,後者の場合はその連想をする人間の精神の本性を構成するとともにBの観念を有する限りでXの観念が神のうちにあるといわれるのです。
 たとえばある人間が現実的に存在するとして,その人間がリンゴを表象することから赤を連想することもあるでしょうし,火を表象することから赤を連想する場合もあるでしょう。このとき,その人間の精神のうちには赤の混乱した観念があるのですが,前者の混乱した観念と後者の混乱した観念の様式が異なるということは,とくに説明するまでもなく明らかでしょう。そしてここで僕が例示した事象あるいはこの例示に類する事象が僕たちにしばしば生じているということも,自身の経験に照らし合わせれば明らかだと思います。したがって同じ人間の精神のうちに,異なった様式の混乱した観念が存在し得るということも,容易に理解できるだろうと思います。
 なので,僕はもしもスピノザの哲学において主体subjectumという概念notioを措定しようと思うのならば,それはその主体が混乱した観念を有する限りにおいてであるといい,その理由を,Aという人間の精神のうちにあるXの混乱した観念とBという人間の精神のうちにあるXの混乱した観念は,様式が異なる別の混乱した観念であるということに求めました。ですが実際には,Aの精神のうちに異なった様式の複数のXの混乱した観念があり得る,あるいは現実的に存在するのです。したがって,単に混乱した観念の様式の相違によって主体という概念を規定するのなら,同じ人間もまた別の主体であるといういい方も可能になります。
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霧島酒造杯女流王将戦&主体内の差異

2019-10-10 19:06:43 | 将棋
 5日に霧島ファクトリーガーデンで指された第41期女流王将戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流王将が4勝,西山朋佳女王が4勝。
 霧島酒造の社長による振駒はと金が3枚出て西山女王の先手。☗7六歩☖3四歩☗6八飛☖2四歩☗2八銀☖2五歩という珍しい出だしから先手の四間飛車矢倉,後手の三間飛車美濃という相振飛車に。後手の作戦勝ちだったと思いますが,主導権を得た分の得で,先手は愚形にはなったものの,ずっといい勝負だったように思います。
                                        
 先手が7筋の歩を突き捨てた局面。ここは何とか攻めを繋がなければなりませんが,☗7七桂と取られそうな駒を使いにいったのは好判断でした。
 後手は☖5五金と角の方を取って☗同飛に☖5四歩と打ちました。先手は☗6五桂とさらに活用。☖6四馬に☗4五飛と逃げました。もし同じ手順になるならここは☗2五飛の方が得でした。
 後手は☖5五桂。先手は☗4六銀と逃げ☖5七龍のときに☗4一飛成としました。同じ手順ならここは☗2一飛成があり得たわけでそれなら実戦の☖5一金引が龍取りにはなりませんでした。
 ここで☗7三香と打ったのは攻め続けるための唯一の手段。☖4一金に☗6二銀と打ちました。
                                        
 ここで☖6五馬と桂馬を取って☗6一銀成に☖7三王と上に逃げ出そうとしましたが,☗6五銀と馬を取り返されて後手の敗勢になりました。第2図では☖7三桂と香車を取り,☗6一銀不成に☖6二飛と打って頑健に抵抗すればまだ難解だったようです。
 西山女王が先勝。第二局は23日です。

 僕が規定した主体subjectumの概念notioについては,なお注意するべきことがあります。
 僕はたとえばAという人間の精神mens humanaのうちにあるXの混乱した観念idea inadaequataと,Bという人間の精神のうちにあるXの混乱した観念は,同じようにXの混乱した観念である,Xに関する虚偽falsitasであったとしても,Aの精神のうちのXの混乱した観念とBの精神のうちにあるXの混乱した観念の様式は異なり得るので,もしもスピノザの哲学の中に主体という概念を持ち込もうとするのであれば,それは各々の人間が混乱した観念を有する限りで,いい換えると,各々の人間が事物を混乱して認識するcognoscere限りにおいてであるといいました。そしてその様式の差異は,各々の人間の精神の本性naturaの差異,あるいは同じことですが各々の人間の身体humanum corpusの現実的本性actualis essentiaの差異に還元できる場合があるし,完全に還元することはできなくとも,その差異が混乱した観念の様式の差異にまったく影響を与えないということはあり得ないのです。
 ただ,注意しておかなければならないのは,たとえばAという特定の人間の精神のうちにXの混乱した観念があるとして,その混乱した観念の様式もまた常に一定であるとは限らないということです。第二部定理一一系の具体的意味に照合させると,たとえばAの精神の本性を構成するとともに何かほかのものの観念を有する限りでXの観念が神のうちにある場合は,AはXを混乱して認識します。つまりXの混乱した観念がAのうちにあります。このとき,もしもAの精神のうちにあるXの混乱した観念の様式が常に一定であると主張するなら,具体的意味の中でほかのものといわれているものもまた常に一定でなければなりません。しかしこのことはこの意味からは帰結させられませんし,この意味の前提とすることもできません。すなわち,Aの精神の本性を構成するとともにBの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるという場合もあれば,Aの精神の本性を構成するとともにCの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるという場合もあります。少なくとも論理的にはあり得ます。どちらの場合もAはXを混乱して認識しますが,そのふたつのXの混乱した観念の様式には差異があります。
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埼玉新聞杯埼玉新聞栄冠賞&相違の規準

2019-10-09 19:18:21 | 地方競馬
 第29回埼玉新聞栄冠賞
 カンムルが少し躓いて1馬身の不利。しごいてしごいてディアデルレイがハナへ。2番手にマイネルアウラート,3番手にムサシキングオー,4番手にロジチャリスとサダムリスペクトでこの5頭が先行。2馬身差でキャッスルクラウンとセンチュリオン。4馬身差でキングニミッツ,3馬身差でハセノパイロ,2馬身差でエスケイアリュール,そして2馬身差でカンムルと,1周目の正面に入るまでかなり縦長。正面で少し凝縮しました。ただ,全体的にはスローペースだったのではないかと思います。
 向正面でセンチュリオンが外から上がっていったことでレースが動きました。マイネルアウラート,ロジチャリス,サダムリスペクトの3頭はすぐに後退。やや抵抗したムサシキングオーも3コーナー手前で一杯になり,あとは逃げるディアデルレイとセンチュリオンの優勝争い。ところが3コーナーを回るとディアデルレイが一方的に差を広げていき,直線に入るところでは決定的なリード。そのまま楽に逃げ切ったディアデルレイの優勝。センチュリオンが7馬身差で2着。外から追い上げたキングニミッツが6馬身差の3着。
 優勝したディアデルレイはJRA時代の2017年12月にオープンを勝って以来の勝利で南関東重賞初勝利。南関東に転入したのは昨年の秋。7戦して南関東重賞で2着はありましたが,これが転入後の初勝利でもありました。このレースは近況からセンチュリオンが負けることは予想しにくいメンバー構成。ディアデルレイは2着はあっても勝つのは難しいだろうと思っていましたので,意外な結果。楽なペースで逃げられたというのはあるでしょうが,それにしても差がつきすぎだと思いますので,初めての出走となった浦和コースに対する適性がきわめて高かったとみておくのが妥当なのではないかと思います。父はキングカメハメハ。母は2005年にフローラステークス,2007年に京都牝馬ステークスと愛知杯を勝ったディアデラノビア。ひとつ上の全姉は2014年にマーメイドステークスと府中牝馬ステークスと愛知杯を勝ったディアデラマドレ。ふたつ下の半弟は2015年の京都2歳ステークスと6日の京都大賞典を勝っている現役のドレッドノータス。Dia del Reyはスペイン語で王の日。
 騎乗した船橋の本田正重騎手は一昨年のハイセイコー記念以来となる南関東重賞5勝目。埼玉新聞栄冠賞は初勝利。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞18勝目。第26回以来3年ぶりの埼玉新聞栄冠賞2勝目。

 同じXの混乱した観念idea inadaequataであるといっても,ある人間の精神mens humanaのうちにあるXの混乱した観念とそれとは別の人間の精神のうちにあるXの混乱した観念とでは,その様式が異なります。少なくとも異なり得ます。観念と意志作用volitioは一体化したものであり,そのことは十全な観念idea adaequataであろうと混乱した観念であろうと同様なのですから,Xの混乱した観念の様式が異なるのなら,それを肯定する意志作用の様式も異なるというべきだと僕は考えます。よってある人間の精神のうちにXの混乱した観念があり,それとは別の人間の精神のうちにやはりXの混乱した観念があるとき,ある人間と別の人間は,Xを肯定する意志作用を有している点では同じですが,異なる仕方でそれを肯定しているという場合があり得ることになります。つまり混乱した観念を肯定する意志作用というのは,諸個人の間で必ずしも一様ではないということになります。
 このゆえに,僕はもしもスピノザの哲学の中で主体subjectumという概念notioが何か意味を持つのだとすれば,それは各々の人間が混乱した観念を有する限りであると考えます。実際に事物を十全に認識するcognoscere限りでは,観念の形相formaもそれを肯定する意志作用も同様なのですから,だれがそれを認識しているのかということは問う必要がありません。単に無限知性intellectus infinitusのうちにそのものの観念があるとみなせばよいだけです。ですがある人間の精神のうちにXの混乱した観念がある場合には,その様式はその人間の精神のうちにだけあるXの混乱した観念であるという場合が,少なくとも論理的にはあるのです。
                                   
 このことは,主体という概念の規定としてはきわめて消極的だといえます。ただ,第二部定理一一系の具体的な意味に照らすと,各々の人間の精神の本性naturaが異なる分だけ,いい換えれば各々の人間の身体humanum corpusの現実的本性actualis essentiaが異なる分だけ,混乱した観念の様式が異なるという場合があるのですから,それを主体とみなすこと自体は許容できるのではないかと僕は思います。ある人間の身体の現実的本性と別の人間の身体の現実的本性の相違,つまりある人間の精神の現実的本性と別の人間の精神の現実的本性の相違を,ある主体と別の主体の相違の規準としているからです。
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