スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京優駿&美容師の要望

2015-05-31 19:24:30 | 中央競馬
 競馬の祭典,第82回日本ダービー
 鞭を入れてミュゼエイリアンがハナへ。意図は推し量りかねますが作戦でしょう。キタサンブラックが2番手で,3番手はコメートとスピリッツミノルの併走。この直後のタガノエスプレッソまでが集団を形成。好位の最も前がコスモナインボール。ベルラップ,ドゥラメンテ,サトノラーゼンと続き,グァンチャーレとレーヴミストラル。ダノンメジャーとアダムスブリッジとリアルスティールが固まって続き,サトノクラウンがこれらの後ろ。最初の1000mは58秒8で今日の馬場状態を考えればミドルペース。
 直線に入ってミュゼエイリアンにキタサンブラックが並んで行きましたが,あっという間に外からドゥラメンテが交わし,先頭に躍り出ると後続に追撃させず快勝。直線だけ外に出してドゥラメンテに併せようとしたものの,置き去りにされたサトノラーゼンが1馬身4分の3差で2着。外から脚を伸ばしたサトノクラウンがハナ差で3着。
                         
 優勝したドゥラメンテ皐月賞に続いて二冠を達成。そのときのレース振りから明らかなように,少なくとも同世代が相手ならば,敵は自身の内にしか存在しません。今日もしっかり折り合うことができましたので,完勝になったのは当然でしょう。個人的な考えをいえば,菊花賞よりも勝つ価値の高いレースがあるので,三冠は目指さないでほしいです。それに十分に見合う器だと思います。父は第71回を制したキングカメハメハで父仔制覇。父が勝った日も今日と同じように暑い日だったことを思い出します。母は2004年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬のアドマイヤグルーヴ。祖母は1997年のJRA賞年度代表馬のエアグルーヴパロクサイドシャダイフェザーの分枝。Duramenteはイタリア語で荒々しく。音楽用語とのこと。
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手は皐月賞以来の大レース制覇。日本ダービーは第70回以来12年ぶりの2勝目。管理している堀宣行調教師は皐月賞以来の大レース制覇。日本ダービーは初勝利。

 現実的な話をすれば,今年のお盆にも住職来訪はあるでしょう。そのときにはまだ叔父はアパートに住んでいます。おそらく叔父はそのときに,住職に対して,五島列島に引越すという話くらいはするだろうと思います。このお寺との関係については,そのときに何らかの結論が出るものと思います。ですから僕が気を揉まなければならないようなことではないのかもしれません。
 5月4日,月曜日。妹のピアノのレッスン。午後4時半から。月曜とはいえゴールデンウィーク中の休日ですから,この時間で支障はありません。僕はこの日は鶴見でしたが,午後3時40分くらいには帰宅しましたから,まだレッスンが始まる前だったことになります。
 5月9日,土曜日。母と妹が美容院へ。この日も午後1時の予約でしたが,午後3時頃に帰宅しました。忙しかったので,作業のすべてを行わなかったからだそうです。
 これは前にも書いたことですが,ふたりが予約を以前の午後2時から1時に変更して以降は,美容院での作業内容が増えていました。美容師による顔の産毛の処理や,マッサージなどです。このために,帰宅する時間というのは,それ以前とほとんど変わっていなかったのです。美容室における作業ですから,まさか髪を切るという作業を行わないということはあり得ません。この日に行われなかったのは,それ以外の作業,すなわち産毛の処理やマッサージなどです。
 5月10日,日曜日。また母と妹が美容院へ。これは前日に行うことができなかった作業を行うためでした。別にしなければならなかったわけではないのですが,美容師の方からまた来院してほしいという要望があったそうなので,それに母が応じたものでした。これが午後1時からで,午後2時には帰宅しました。そしてその後,午後3時半から2週連続でのピアノのレッスンがありました。2週続けてになったのは,明確な理由があったからです。ただ,それは今月のこの後の予定によるものなので,そのときに説明することにします。レッスンは午後4時に開始の予定となっていましたが,母と妹の帰宅後に先生から電話があり,午後3時半開始に早まりました。
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人間的自由&アパートの利用状況

2015-05-30 19:20:27 | 哲学
 神的自由が人間に属することはない。一方で人間が哲学する自由は守られなければならない。スピノザはこれらふたつのことを同時に主張しました。スピノザがそう主張することが可能であったのは,哲学する自由というときの自由は,神的自由とは異なる自由であると規定していたからだとしか考えられません。そこで今度は,人間についていわれる自由,すなわち神的自由とは異なる自由を人間的自由と名付け,人間的自由というのがいかなる概念であるかを探求していきます。
 僕が解するところでは,人間的自由とは,第一義的にいうならば,人間の本性が十全な原因となってある結果が生じる場合に,その結果に対して人間は自由であるという意味です。他面からいえば,人間の自由とは,人間の能動であるということになります。
                         
 人間的自由の第一義的意味が,人間の能動と関連させられることは,第一部定義七からして,ごく自然であるように僕には思えます。というのは,自己の本性によって存在に決定されるというのは,自己の存在の原因が自己の本性に属するという意味です。また,自己自身によって行動に決定されるというのは,その行動の原因が自己自身の本性に属するという意味です。これらはいずれも自己自身といわれているものの能動です。人間はこうした意味において自由な存在ではあり得ませんが,だから人間には能動が生じないということではありません。受動も生じるけれども,能動も生じるのです。ですから人間が能動的である場合に,その人間が自由であるといわれるのは,人間的自由というものを規定する場合には,当然のことであるといえるでしょう。
 一方,第一部定義七は,能動と自由とを関連付けると同時に,それ自身の本性と自由とを関連付けているともいえます。すると,たとえば第四部定理四により,現実的に存在する人間は受動から免れ得ないので,このこと自体が人間の現実的本性に属するというように考えられます。そして僕が解釈するところでは,このような人間の現実的本性と関連付けられるような人間的自由というものも,スピノザは認めています。
 人間的自由と名付けられる自由には,能動的自由と受動的自由があるというのがスピノザの哲学における考え方であるというのが,僕の結論です。

 2005年の3月から4月にかけて,僕の家は2階建ての1階部分をバリアフリー化するリフォームを施工しました。この工事の期間は自宅で普段の生活を送ることは困難でした。このために生活の拠点をアパートに移しています。また,2010年7月に治療ができなくなった父が退院したときは,祖母の居住空間であった1階のリビングに父の医療用ベッドを設置しました。このためにショートステイに行っていない期間も,祖母は家で暮らすことができなくなりました。偶さかでしたがロサンゼルスの伯母が来日している期間でしたから,祖母は伯母とアパートを生活の拠点としたわけです。
 リフォームの時点では叔父はまだアパートに移住してはいませんでした。だから僕たちがそこを居住空間とすることが可能だったのです。一方,父の人生の末期の頃には,すでに叔父がアパートに住んでいました。叔父が住むようになってからは,ほぼ独占的に叔父がアパートを使用していたのであって,伯母が来日したときに宿泊することはあっても,僕と母,そして妹が生活のために必要としている場所ではありませんでした。例外をいえば,父が死んだ後で母が入院し,再び伯母の来日があった時期は,伯母がアパートで夕食の支度をし,妹はそれを食べに行っていたということがあっただけです。ですからアパートを引き払うこと自体は何か重大な支障を及ぼすわけではありません。手続きは母がしなければならないでしょうが,それも面倒というほどのことでもないでしょう。ですから9月になれば,アパートの賃貸契約は破棄されるものと思われます。
 ただ,母と叔父の間で解決するべきことなので何か意見したりすることはありませんが,僕はひとつだけ,どうするのだろうかと思っていることがあります。
 アパートには仏壇があります。これは叔父が五島に持っていくと思うのです。僕が気になっているのはお寺との関係をどうするのだろうかということです。法事のときには叔父がこちらに来れば済むでしょう。ただ,毎年お盆の時期には住職来訪があります。まさか五島まで行ってくれるわけはないでしょうから,それにはどう対処するのでしょうか。
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王位戦&裏表紙

2015-05-29 20:17:45 | 将棋
 第56期王位戦紅白リーグのうち白組は4勝1敗で2名が並び,プレーオフとなりました。対戦成績は佐藤康光九段が1勝,菅井竜也六段が0勝。
 振駒で先手となった菅井六段が5筋位取り中飛車にした将棋は中盤で千日手に。この一局は先手がつまらない指し方をした印象で,後手が打開しなかったのは意外でしたが,長考の末の選択でしたから,止むを得ないところがあったのでしょう。
 佐藤九段が先手になった指し直し局は序盤の駆け引きがあり,後手のノーマル向飛車に先手の飯嶋流引き角戦法。後手が穴熊に囲おうとしたところで先手から仕掛けて戦いになりました。
                         
 後手が4筋と6筋を続けて突き捨てた局面。ここで△5四角と両取りに打ちました。これが厳しい手で,先手がすでに窮しているのかもしれません。
 ▲4五桂と跳ねたのは駒を使いつつ角に当て,飛車取りも防いでいるのでそう指したくなる気がします。
 後手が△4五同銀と取ったので▲3三成銀は仕方がないでしょう。すぐに取り返さずに△5六銀と飛車取りに出ました。後手好調を感じさせます。
 ▲3七飛△3六歩▲2七飛というのは僕には意味が分からない手順です。△3三桂と取り返しました。
 ▲2三角は両取りではありますが,飛車にはヒモが付いているので銀だけを受ければ十分。ということで△4七銀打。▲5五金はあくまでも銀を狙いにいった手。そこで△2五桂と跳ねました。
                         
 これで先手は飛車を活用する見込みがなくなりました。後手の飛車は取ってもらえれば角と交換になります。第2図ははっきりと後手が優勢といえる局面ではないでしょうか。
 うまく指し回した菅井六段が,来月8日の挑戦者決定戦に進出しました。

 帰りがけに薬局へ。この日は処方箋に示されていた内容をすべて入手することができました。おくすり手帳の提示を求められたので,携帯していたものを渡したのですが,このときに裏表紙が外れてしまいました。
 僕のおくすり手帳は,退院した当日の朝にみなと赤十字病院の薬剤師にもらったものです。それが2009年の1月20日のこと。もう6年以上が経過していますから,自然ともろくなっていたためでしょう。おくすり手帳は最近の通院のとき以外は携帯していませんが,出掛けるときは常に携帯している糖尿病手帳と糖尿病眼手帳は,やはり激しく劣化しています。新しいものに変えてもよいのですが,まだシールを貼ることができるページはいくらか残っていましたので,このときは薬局の薬剤師がクリップで留めてくれました。とりあえず使いきるまでは,この状態でいくことになります。見た目はあまりよろしくありませんが,おくすり手帳の本来の目的には影響しませんので,僕としてもそれで何の問題もありません。帰宅したのは午後4時45分頃でした。
 4月28日,火曜日。僕はこの日は新杉田で,午後4時前には帰りました。その後,午後6時頃,アパートの叔父が訪ねてきました。歩いて1分とか2分の場所ですから,訪ねてきたといういい方は語弊があるかもしれませんが。
 来訪の目的は,引越しの報告でした。といってもすぐのことではなく,引越すのは9月の予定です。ただ場所が五島列島とのことですから,9月以降はおいそれと会うことはできなくなるでしょう。僕は知らなかったのですが,叔父は前々から田舎暮らしをする算段があったようで,適した場所を探していたようです。実際に決めたのですから,気に入ったということでしょう。現地も訪問したのだそうです。
 アパートは,祖母が同居するにあたって借りたもの。ですから名義は母になっていて,叔父が住んでいる現在も同様です。家賃や光熱費なども母の口座から引き落とされていて,叔父はそれを母に支払っています。なのでアパートを引き払うということになれば,大家との手続きは母がすることになりますので,早めに報告に来たものでした。
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女流王位戦&2015年4月の通院

2015-05-28 19:10:01 | 将棋
 旧伊藤伝右衛門邸で指された昨日の第26期女流王位戦五番勝負第三局。
 甲斐智美女流王位の先手で里見香奈女流名人のごきげん中飛車①-Bに。先手がかなり積極的に仕掛けて戦いに突入。中盤は互いに強気になったり弱気になったりで,入れ替わりの激しい将棋だったのではないかと思います。こういう将棋になると往々にしてあることですが,終盤で先手に重大な見落としがあったようで,一気に決着してしましました。
                         
 手番を得た後手が桂馬を打った局面。格言では☗7五銀と逃げることになっていますが,この場合は☖5五角の筋があります。☖4一香と打たれて4二の竜が3三に逃げたところで第1図の桂馬が打たれたのですが,龍の逃げ場所に問題があったかもしれません。
 銀取りを放置しないということであれば5五に上がるか7七に引くかの二者択一。実戦は☗5五銀が選択されました。対して☖5八銀成とただのところに成ったのが強烈な一手。攻め合って勝てないのならこれも☗同金寄か☗同金上の二者択一。選択されたのは☗同金寄でした。
 これで一気に後手の勝ちになったようです。☖8六桂打と打てば☗同歩☖同桂まで必然。☗同金寄を選択した以上,そこで☗6八王と逃げるのも必然といっていいと思います。それには☖1五角。
                         
 これが詰めろ。☗7九金打と粘りましたが☖3三角と取られては局面がはっきりしてしまいました。☗3三龍,☗5五銀,☗5八同金寄のいずれかが敗着になったということでしょう。
 3連勝で里見女流名人が女流王位に復位第23期以来3年ぶり2期目の女流王位です。

 前回はかなり長いこと待たされました。この日も待つには待ちましたが,時間は前回の半分ほど。午後3時25分くらいに診察が開始されました。診察室はこの日も4番でした。
 この日は検査詳細情報をもらうことができました。HbA1cが高くなっていると予想していたのですが,やはりその通りで7.4%になっていました。2月の通院のときに6.9%で,真冬にしては良好な数値であったわけですが,ようやく春を迎えたというところで,一気に悪化してしまったのです。もっとも,HbA1cは概ね過去2ヶ月の標準値ですから,まだ寒い時期の数値が含まれてはいます。
 僕が悪化を予期できたのは,血糖値を計測しているからです。ただ,血糖値が目に見えて高い水準で推移するようになったのは,3月の中旬から4月の上旬にかけてでした。つまり厳寒期ではなかったのです。なぜそうなってしまったのか,確たる理由は不明です。ただ,僕自身の生活の中で原因を探求すれば,睡眠時間にいきあたります。この時期はなかなか寝付けないという日々が続いていたため,睡眠不足でした。そしてそういう日は決まって朝の血糖値が高くなっていたのです。もともと寝つきはあまりよくなく,逆に朝の目覚めはかなり悪いタイプでしたが,とりわけこの時期は,そうした傾向が顕著になっていたのです。この点はK先生にも話しましたが,聞いているだけで,特別の指示はありませんでした。まだそこまで深刻に考える状況ではないという判断であったのだろうと推測します。
 そのほかに異常が出ていたのはひとつ。ナトリウムで,これが下限値を下回っていました。とはいえその下限値というのが136mEq/ℓであるのに対し,結果は135mEq/ℓでしたから,これは僕としてもとくに心配しなければならない数値であるとは思いませんでした。この数値は昨年の9月の通院のときと同じで,その後,結果が分かっている範囲だと10月が下限値ぎりぎりの136,12月が137ですから,基本的にこのくらいの数値で推移するのが僕の体質であり,大きく変じない限りは問題ないのだと思われます。なお,これが最小値で,最大値は141です。
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農林水産大臣賞典さきたま杯&アームバンドの処理

2015-05-27 19:15:23 | 地方競馬
 浦和の1400mに限れば6戦全勝のリアライズリンクスにも十分に勝機があるのではないかとみていた第19回さきたま杯
 前に行こうとしたのは3頭。隊列は枠なりにリアライズリンクス,ナイキマドリード,ラブバレットに。前半は1馬身半くらい開いてドリームバレンチノ,ノーザンリバー,タイセイレジェンドの3頭が並んで追い掛け,向正面に入るとここにトロワボヌールも加わっていきました。最初の600mは35秒4のハイペース。
 前3頭からナイキマドリードは脱落。リアライズリンクス,ラブバレット,早めに追い上げてきたノーザンリバーの3頭が並ぶように直線に。一旦はラブバレットが先頭に立ちましたが,外のノーザンリバーの末脚が鋭く,4馬身突き抜けて完勝。その外を伸びたトロワボヌールが2着。最内からまた盛り返したリアライズリンクスがクビ差で3着。
                         
 優勝したノーザンリバーは昨年10月の東京盃以来の勝利で重賞6勝目。第18回に続くさきたま杯連覇。実績ではドリームバレンチノですが,能力は遜色ないかこちらが上とみている馬。今日は斤量差もありましたから,勝利自体は順当なものとはいえ,これだけの着差をつけることができるとは思っていませんでした。大レースを勝つだけの能力がある馬だと思います。父はアグネスタキオン。半兄に2011年のエルムステークス,2012年のダイオライト記念,2013年の浦和記念,2014年の佐賀記念を勝ったランフォルセ
 騎乗した蛯名正義騎手と管理している浅見秀一調教師のコンビはさきたま杯連覇で2勝目。

 中央検査室には僕の前に3人の患者が待っていました。この状況であれば,まず採尿,続いて注射針の処理,そして最後に採血という順番になります。採尿と注射針の処理は順序を逆にしてもよいわけですが,僕が必ず先に採尿をするのは,予想以上に僕の前の患者の採血が早く終了する場合を想定しているからです。注射針の処理と採尿はいつでも行うことができますが,採尿の方が要する時間が長いですから,注射針の処理を後回しにしています。
 診察の予約はこの日も午後3時。前回,小港に出て外食をしたのですが,かなり時間に余裕ができました。なのでこの日は本牧まで出て,外食にしました。みなと赤十字病院からは小港より本牧の方が遠いですが,それほど掛かる時間に差が出るわけではありません。どちらもバスで行く距離ですが,待っている時間の方が,これらの場合の所要時間にとっては最も大きいでしょう。ですから時間が余ることになるのは,小港にしようと本牧まで行こうと大して変わるわけではありません。ただ,食後に潰さなければならない時間が発生するということを考えた場合には,小港よりは本牧の方が都合がよいのです。この日に本牧まで出たのはただこうした理由からでした。
 病院に戻り,内分泌科の受付を済ませたのが予約時間の10分前。僕はこのときにアームバンドを返却するようにしています。というか現在のアームバンドは使い回せませんから,正しくは捨てています。アームバンドを外すのは,その直前です。
 実際には,このアームバンドはこんなに長い時間にわたって巻いていなければならないものではありません。採血の注射の後に技師が巻いてくれるのですが,10分ほど巻いているようにという指示が必ず出されるからです。ただ,専用のごみ箱に捨てなければならないことになっていますから,外してしまうと捨てるまでは持ち歩かなければなりません。それは僕にとっては面倒なので,内分泌科の受付の直前までは巻きっぱなしにしてあるのです。きつく締められるものではありませんから,早く外してしまいたいと思うようなものではないので,これからもずっとこうしていくことになるでしょう。
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宇都宮ワンダーランドカップ&コーヒーチェーン店とコンビニエンスストア

2015-05-26 18:56:44 | 競輪
 先週は全プロだったため,グレードレースはなし。二週間ぶりの宇都宮記念の決勝。並びは小林-飯嶋の関東,松岡-稲川-村上の近畿に児玉,北津留に佐藤で萩原は単騎。
 稲川がスタートを取って松岡の前受け。5番手に小林,7番手に萩原,8番手に北津留の周回。打鐘周回のホームから北津留が上昇していくと,佐藤の後ろに萩原がスイッチ。その後ろに小林が乗ってバック。松岡は引き,打鐘で小林が北津留を叩いて前に出るとそのまま飯嶋を連れて先行。3番手に北津留,5番手に萩原,6番手に松岡の一列棒状に。松岡が来る前に,バックで北津留が発進。飯嶋の抵抗を難なく乗りきって捲りきりました。北津留はそのまま直線もよく粘りましたが,番手の佐藤が差し込んで優勝。捲った北津留が4分の1車輪差の2着で即席ラインのワンツー。稲川がイエローライン付近を伸びて半車身差で3着。
                         
 優勝した福島の佐藤慎太郎選手は2011年6月の高知記念以来およそ4年ぶりとなる記念競輪7勝目。宇都宮記念は初優勝。このレースは強力だった近畿勢があまりに無策だったため,前を走った北津留にお誂え向きの展開に。自分で位置を取りにいくという選択肢もあったと思うのですが,北津留マークを選んだことで,チャンスが回ってきました。個人的には,一時期の不調期からは脱しているのは確かでも,記念で勝つほどの力を取り戻しているかは半信半疑でした。うまく展開が嵌った感はありますが,やはりビッグを何勝もしているほどの選手には底力があり,こうしたメンバーでの争いになるとそれを侮ってはいけないということでしょう。

 4月27日,月曜日。内分泌科通院でした。午前中は長者町に出て,帰宅してから病院へ。病院に到着したのは午後12時40分のことでした。
 建物に入ってまずびっくりしました。前回の通院のとき,ホールの工事が行われているようでした。それは確かに工事で,このときには完成していたのです。でもそれは僕が想像していたような改修工事ではなかったのです。ここに有名コーヒーチェーン店が開店していました。病院の中にこの種のチェーン店ができるということは僕には思いもよらなかったことなので,驚いたというわけです。帰宅後に母に話したら,母は知っていました。ということは,8日に妹の歯科検診に行ったときには,すでにできていたのでしょう。
 ただ,考えてみれば,週末や祝日を除けば必ず通院する患者がいます。入院している患者も利用することができます。そして入院患者の見舞いで訪れる人も,みなと赤十字病院クラスの規模の病院になれば少なくありません。それらの人にとってはとても利用しやすい環境です。つまりそうした人の何割かの利用は見込めます。よって一定の収益が出ることは確実です。なのでこういう場所にチェーン店を開業することは,立地条件としては優れているという面があり,店の側からすれば有益であるのかもしれません。
 一方,院内の食堂の入口の手前には売店があったのですが,そこは閉店になっていました。その閉店になった部分と,食堂の入口にかけて,この日は工事をしていることに,後で気付きました。こちらにはコンビニエンスストアが開店するとの貼紙が出ていました。もっとも,開店の日は4月30日,この3日後のことでしたから,工事をしていたといっても,店舗自体はほとんど完成していて,最終的な仕上げをしている段階でした。みなと赤十字病院の内部にコンビニエンスストアを独占的に開店できれば,見込むことができる集客数はコーヒーチェーン店の比ではないと思われます。まだ開店してからは通院がありませんから,どの程度のものを売っているのかは分かりませんが,もしも週刊競馬ブックを売っているようなら,僕にとっては非常にありがたいことになります。
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スピノザ『神学政治論』を読む&感情の比較

2015-05-25 19:49:21 | 哲学
 上野修自身がいっていることですが,『「無神論者」は宗教を肯定できるか』は,すでに入手することが困難になっているそうです。もしも読みたいと思っているのに入手することができないという場合には,ちくま学術文庫の『スピノザ『神学政治論』を読む』をお読みになってください。昨年の6月に発行されたもので,文庫本ですから,少なくとも当面は入手可能な状況が続くものと思います。
                         
 三部構成になっていて,第一部で『「無神論者」は宗教を肯定できるか』がそっくりそのまま収録されています。第二部は『神学・政治論』に関する論文集で,5本の論文が収録されています。このうち最初の1本は,『デカルト、ホッブズ、スピノザ』にも収録されているものです。第三部は現代の政治学とスピノザの政治学に関連する論文2本です。最初のものがアルチュセール,後のものはネグリの政治論を巡って展開されています。
 これでみれば分かるように,この本が出た以上,『「無神論者」は宗教を肯定できるか』を入手する必要はありません。むしろそれがまるまる収録されていて,なおかつほかに7本もの論文を併せて読むことができるのですから,こちらがあれば十分ということになるからです。
 これも上野自身がいっていることですが,『神学・政治論』にのみ的を絞った概説書というのは,そう多くありません。これはスピノザの宗教論と政治論が,哲学を基礎として構築されているために,哲学に関する素養がないと,それらを十全に解することが難しいからではあります。しかし,哲学を除去してしまっても,スピノザの神学や政治学というのは,現代でも意味を有するものではあります。したがって哲学とは別に,純粋に神学ないしは政治学のスピノザに主張を知りたいというような場合には,最良のテキストとなり得る本だと思います。

 母は妹を送ってそのまま帰宅せずに友人に会いに行ったのですが,この日に母が送ったのは作業所ではなく施設でした。妹が通っていた養護学校でゴスペルコンサートがあり,施設の利用者は揃ってそれを見に行くことになっていたからです。作業所や施設があるのがこのブログでいうところの本牧で,養護学校は本牧町,正しくいえば本牧町よりさらに先にあることになります。もちろん先というのは,僕の家,あるいは根岸駅からみた場合です。僕はこの日は本牧で,帰ったのは午後4時45分頃でした。
 4月25日,土曜日。ピアノのレッスン。午後5時から。
 4月26日,日曜日。ガイドヘルパーの利用。4月は2回の利用だったことになります。後にヘルパーから聞いたところによれば,妹の希望もあったそうです。つまり妹がカラオケにも行きたいし,ボーリングにも行きたいという主旨のことを伝えたということで,ヘルパーがこの月はふたつとも予定を組んでくれたのだそうです。妹がカラオケにも行きたいしボーリングにも行きたいと思うのは少しも不思議ではありませんが,あまり自分から意志を伝達するようなことはありませんので,確たることはいえませんが,どちらに行きたいのかを尋ねられて,どちらにも行きたいと答えたというのが最もありそうなことだと僕には思えます。というのは,妹はいくつかの選択肢があって,その選択肢がすべて自身にとって好ましいことである限り,はっきりと選択するということはほとんどないからです。たとえばAもBも妹が好きである場合に,AとBのどちらが好きであるかと質問すれば,返答は必ずといっていいほどAもBもどちらも好きというものになります。
 第三部定理五六というのが,対象の数に応じて感情の数もあるということ,すなわちAに対する愛とBに対する愛は別の感情であるということを示しているのですが,僕がこの定理の実証的な意味での正しさというのを感じるのは,僕自身の感情について反省的に考えてみる場合よりも,妹にこの種の答え方をされる場合です。カラオケとボーリングは異なったもので,妹にはそれを比較するということができないのでしょう。
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優駿牝馬&母と友人

2015-05-24 19:13:10 | 中央競馬
 牝馬クラシック2冠目の第76回オークス。トーセンナチュラルが右肩の跛行で出走取消となり17頭。
 クルミナルは横にジャンプするような発馬。まずシングウィズジョイが前に出ましたが,逃げると予想していたノットフォーマルが被せるように交わして先頭に。ローデッドが外から2番手に上がり,内で控えたシングウィズジョイが3番手。4番手にディアマイダーリンで,この後ろはかなり行きたがったレッツゴードンキとルージュバックがほぼ併走。コンテッサトゥーレが単独で7番手。ココロノアイと巻き返してきたクルミナルが併走で続き,アースライズ,マキシマムドパリ,ミッキークイーンの順で追走。最初の1000mは61秒3でスローペース。
 3コーナーで前の2頭と後ろの差が一旦は離れましたが,ディアマイダーリンがここから追い掛けると,ルージュバックもついていきました。直線に入るとルージュバックが単独で先頭に。外から追い掛けてきたのはクルミナルとミッキークイーンの2頭。ゴール前は3頭の激しい叩き合いになりましたが,大外のミッキークイーンの末脚が優り,4分の3馬身差で優勝。先に抜けていたルージュバックは苦しかったか最後は外によれていましたが2着は確保。真中のクルミナルが半馬身遅れての3着。
 優勝したミッキークイーンは桜花賞を抽選で除外になったため出走したオープンからの連勝。重賞初制覇で大レース勝利。そのレースの勝ち方が非常に強かったので,実力上位の1頭と考えていました。2走前に東京に遠征してきたときに20キロも体重を減らしていて,前回も2キロしか回復していなかったので,その点を心配していましたが,今日も4キロですが増えていて,問題なかったようです。ということはこのくらいの体重でよいということでしょう。父はディープインパクト
 騎乗した浜中俊騎手は昨年の秋華賞以来の大レース制覇。オークスは初勝利。管理している池江泰寿調教師は一昨年の有馬記念以来の大レース制覇。オークスは初勝利。
 クルミナルが枠入りを嫌がったため時間が掛かり,結果的に枠内で待たされなかった馬で上位を占めました。ただ,この3頭は僕が純粋な競走能力では上位ではないかと考えていた3頭。枠入りの影響の評価が難しいですが,上位3頭は今後も高いレベルでの戦いを期待できると思います。

 4月18日,土曜日。ガイドヘルパーを利用。この日は新杉田でのボーリング。
 4月19日,日曜日。ピアノのレッスン。午後3時半から。
 4月22日,水曜日。妹はショートステイへ。磯子区内の施設に1泊。月曜の迎えがなくなって,朝はずっと母が送っていたわけですが,この日の朝に,臨時で迎えの依頼をしました。翌日は妹はいませんから,当然ながら送っていく必要はなく,母は2日間は午前中はずっと家にいることになります。僕はこの日は川崎で,帰宅したのは午後5時20分頃。このくらいの時刻になる方が普通です。
 4月23日,木曜日。妹が帰りましたが,このときは家まで送ってもらっています。要するにショートステイの前後は,開始の日に臨時で迎えのサービスを依頼し,帰宅の日にはやはり臨時で送りのサービスを利用するということです。僕は連日で川崎へ。この日は午後5時50分頃の帰宅。現状ではこれくらいの時刻になると,遅くなったという感じがあります。
 4月24日,金曜日。母が短大時代の同級生との昼食に出掛けました。妹を送って,そのまま行ったもの。母によればその友人と会うのは,母が入院中に見舞いに来てもらって以来だったとのことです。長く会っていなかった人が,なぜ4年半前には母の入院を知ったのかは不思議に思われるかもしれません。これは以下の事情です。
 母が入院したのは2010年10月11日。その2ヶ月ほど前に,父が死んでいました。このために喪中はがきを出す必要があり,僕が新年に届いた年賀状をもとに,200枚ほど出しました。この同級生とも賀状のやり取りはあったようで,それが届いたわけです。ところが母は,父が死んだことに関しては友人には話していなかったらしく,はがきを受け取ることでそれを知った何人かの母の友人から電話がありました。母は入院中でしたから,そのすべてに僕が対応し,母について尋ねられた場合には,小脳出血で入院中であることを伝えました。そのために,このはがきを出してからは,母の友人たちの何人かが,見舞いに来ることになりました。この日の相手も,そのうちのひとりであったということです。
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ノスタルジア&月曜の迎え

2015-05-23 19:18:20 | 歌・小説
 「忘れてはいけない」は『miss M.』というアルバムに収録されています。最後が「肩に降る雨」であることもあり,たぶん僕が最も多く聴いたアルバムと思います。「肩に降る雨」のひとつ前は「ノスタルジア」です。
                         

   いい人にだけめぐり会ったわ 騙されたことがない
   いい男いい別れそしてついにこのザマね


 これが曲の冒頭ですが,思わず笑ってしまいます。いいことばかりでこのザマというのは,あまりにそぐわないと思えるからです。ただ,これは後への伏線といえば伏線になっています。

   傷ついてもつまずいても過ぎ去れば物語
   人は誰も過ぎた日々に弁護士をつけたがる


 自分の過去を弁護するというのはよくある話です。僕が水川隆夫の読解を否定するのも,執筆時点の私が過去の私の弁護士になっていると考えるからです。「ノスタルジア」の歌い手が,たとえこのザマであったとしても,いいことばかりだったというのは,そういう弁護の一種なのであり,かつそのことに自覚的であったのかもしれません。そうでなければ,この歌い手は,こんなふうに歌うことはできなかったように思うのです。

   裁かないでね叱らないでね思い出は物語
   私どんな人のことも天使だったと言うわ



 乱視の影響とは別に,下りるということに関しては,僕にはひとつだけ特異な思い出があります。
 小学生の低学年の頃に発生したのではないかと思うのですが,僕には一時期だけ,下りのエスカレーターに乗ることに恐怖感があり,乗ることができないということがありました。エスカレーターに乗るということは,ある程度まで成長すれば分からなくなるでしょうが,一定の技術を要します。ですから幼児にとっては意外と困難なことで,スムーズに乗れるようになるのに何回かの練習を必要とする場合も生じます。僕にとってそれがどの程度まで困難なことであったのかは思い出すことができません。でも,少なくとも小学校に入学する以前には,上りも下りも問題なくエスカレーターに乗れるようにはなっていました。
 ところがその後で,一時期だけなのですが,下りのエスカレーターに限っては乗ることができなくなってしまったのです。なぜそうした恐怖を感じるようになったのかはまったく分からないですし,あくまでも一時的なことで,すぐにまた乗ることができるようになったとは思うのですが,この一時期というのが具体的にどの程度の期間であったかも分かりません。ただ,確かに僕にはそういう時期があったのです。このような経験をされている方というのは,僕のほかにもあるのかということには,僕はやや興味を有しています。
 この日は月曜日でしたから,妹は週に1度の迎えの日であったのですが,この日からこれを断って,母が送っていくようになりました。すでに水曜の迎え金曜の迎えは断ってありますので,この週からは原則的に母が1日も欠かさずに妹を作業所まで送っていくことになったわけです。原則的というのは,ショートステイで荷物を運ばなければならないというような日は,これ以降も臨時で迎えのサービスを依頼しているからです。新年度になって,作業所および施設の態勢も変化がありました。作業所における妹の担当者,すなわち学校でいうところのクラスの担任にも変更が生じています。この影響からか,迎えに来る時間が遅くなったので,母の決定で,月曜日も迎えを断ることにしたものです。
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死んだ犬&老眼と乱視

2015-05-22 18:58:29 | 哲学
 汎神論論争ヤコービにスピノザ主義者であったことを暴露されたレッシングは,生前はそれを公言していたわけではありません。むしろスピノザのことを死んだ犬と評していました。この死んだ犬という表現に関して,ヨベルが『スピノザ 異端の系譜』の中で短評しています。
                         
 ヨベルの解釈では,死んだ犬という表現には二重の意味があります。ひとつはスピノザが犬のように嘲笑を浴びせられていたということです。そしてもうひとつは死んだものとして黙殺されていたということです。しかしヨベルが解するところによれば,この二重の意味は両立し得ません。もしもスピノザが死んだものとして黙殺されていたのであれば,嘲笑の対象にすらなり得なかったとヨベルは解するからです。もしも死んだ犬とスピノザを表することが可能であるとしたなら,それは文字通りの意味で死んだと解することは不可能で,公的には死んだものとされているというように解する必要があるというのがヨベルの主張です。
 この解釈によれば,公的に死んでいるということは,私的な意味では死んでいないということになります。したがって,スピノザが死んだ犬であるということは,それを公言することは憚られるけれども,秘かにスピノザの哲学について語ることや,その哲学に魅了される余地はあったという意味であることになります。
 僕は死んだ犬という表現が,成立不可能なものであるとは考えません。しかしここでヨベルが主張しようとしていることの中心部分,すなわちスピノザの哲学に魅了される人が存在したという点に関しては同意します。そしてレッシングがそうした人のひとりであったということは,疑い得ないことだと考えます。なぜなら,もしも本当に黙殺された存在であるなら,レッシングはスピノザについて,死んだ犬などと酷評する必要すらなかった筈だと考えるからです。少なくとも公的にはそのように酷評せざるを得ない何かを,レッシングはスピノザから感じ取っていたと思うのです。
 レッシングがスピノザを死んだ犬と表現したこと。それはいかに表現が否定的であったとしても,レッシングがスピノザに関心を抱いていたことの何よりの証拠であるといえるのではないでしょうか。

 近視の変化に関しては僕自身が気付いていないようなものであったのですが,見るということに関していえば,以前とは明らかに違って知覚されるようなことが,ふたつほどあります。
 ひとつはもうだいぶ前からのことで,ここにも書いたことがあるかと思いますが,いわゆる老眼になっているということです。現在でも,たとえば新聞や本などの普通の文章を読むというような場合には,眼鏡を掛けたままでも大丈夫です。ただ,濁点がふってあるのか半濁点がふってあるのかというようなことは,語としてどちらも成立するような場合には,眼鏡を掛けたままだと判別が不能で,外さなければ分かりません。馬の名前や外国人の名前などに関してはこうした事例が多く生じますので,眼鏡を外さなければならないケースもそれなりにあることになります。
 もうひとつ。僕は極度の近眼で,眼鏡も近視用のものです。でも実際には近視だけでなく,乱視もあるのです。矯正していないのは,そうしなければならないほど日常生活に支障を来すほどのものではないからです。ところが最近になって,これはもしかしたら乱視が影響しているのではないかと思えることがひとつだけ生じるようになりました。それは外出時に,階段を下りるときです。家の階段は,おそらく慣れているからだと思いますが,何の問題もありません。また,そうではない階段でも,上るときには何も問題はありません。ところが下りるときには,段差が分からずに踏み外すことを表象し,恐怖を感じるケースが発生するようになったのです。表象するというだけで,実際に踏み外すわけではありませんし,手すりを使えば恐怖感もありませんから,それ以上の対処はしていませんが,乱視は以前より進行している可能性があると思います。
 前回は間違えて早めに着いてしまいましたから,この日は午前9時半になってから家を出ました。帰ったのは午前11時半頃で,О眼科としては空いていた方なのではないでしょうか。午後だけ長者町。この日は午後4時45分頃の帰宅で,いつもよりはひとつ遅いバスに乗ったことになります。これは午前中の眼科検診が影響したものです。
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ラバテラ&近視の変化

2015-05-21 19:42:26 | 血統
 日曜のヴィクトリアマイルを勝ったストレイトガールの輸入基礎繁殖牝馬は,5代母のラバテラ。Lavateraとは葵の一種のよう。キャサリーンパー,キロフプリミエールと同じくファミリーナンバー16-a
                         
 産駒の1頭,1983年産のカシマウイングは僕の競馬キャリアが始まった頃に走っていた馬で,1987年のアルゼンチン共和国杯,1988年のアメリカジョッキークラブカップと京都記念を勝っています。
 牝系は1976年産のミリーバードから広がりました。1986年に産まれたシャダイカグラは,1989年に牡馬相手のペガサスステークス,現在のアーリントンカップを勝って出走した桜花賞で,当時は不利だった大外枠から出遅れたものの差し切って優勝。秋にはローズステークスも勝ち,この年の最優秀3歳牝馬に輝きました。
 シャダイカグラの半妹がタイセイカグラ。こちらは競走馬としては大成できませんでしたが,繁殖牝馬として1999年の京成杯と神戸新聞杯を勝ったオースミブライト,2003年の関屋記念,2004年の中山牝馬ステークスと福島牝馬ステークスを勝ったオースミコスモという2頭の重賞勝ち馬を産みました。
 オースミブライトの半妹,オースミコスモの半姉がフューチャハッピー。未勝利馬ですが繁殖入り。直仔からは重賞の勝ち馬は出ませんでしたが,孫の世代にストレイトガールが出現。ラバテラ一族からは2頭目の大レース優勝馬になりました。
 ラバテラの母の姉からも,日本での重賞勝ち馬が出ています。1997年の朝日チャレンジカップと1999年の中日新聞杯を勝ったシンカイウン,2000年に桜花賞トライアルの4歳牝馬特別を勝ったサイコーキララです。

 3月20日,金曜日。妹が中学校を卒業した後に通っていた養護学校の保護者の昼食会があり,母が出掛けました。僕はこの日も長者町で,午後4時25分過ぎの帰宅になっていますから,最も多く乗車しているバスを利用したことになります。母の昼食会の内容などについては何も分かりません。
 3月21日,土曜日。母が午前中にお寺に行きました。依頼してあった彼岸の塔婆を受け取るためです。妹のピアノのレッスンもありました。こちらは午後4時半からでした。
 3月22日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日もカラオケです。3月も1度だけの利用でした。
 3月23日,月曜日。母と日野公園墓地へ墓参りに行きました。いつものように午前中に出掛け,帰途に昼食を済ませました。帰ったのは午後1時半。この後,また屏風浦に行く用事がありましたが,これは時間を要するものではなく,再び出掛けて午後4時15分頃にはまた家に戻っています。
 4月8日,水曜日。妹の歯の定期検診。この日もクリーニングだけで,母と妹は午後5時20分頃の帰宅になりました。僕はこの日は川崎で,帰ったのはふたりが戻る直前でした。
 4月11日,土曜日。妹の土曜出勤でした。例によって事前に配布されたプリントでは,午後から三渓園の散策となっていましたが,この日は雨が降ったため,予定が変更になり,施設でビデオを鑑賞したようです。妹によればドラえもんのビデオだったそうです。
 4月12日,日曜日。この日は統一地方選挙の投票日。神奈川県知事選,神奈川県議選,横浜市議選の投票で,WINS横浜からの帰りに済ませました。ひとつ,無効票を投じています。また,母と妹は美容院に。午後1時の予約で午後3時50分頃の帰宅になりましたので,どちらも通常の時間といえます。
 4月13日,月曜日。午前中にО眼科に網膜症の検査に行きました。網膜症に異常はありませんでしたが,視力検査で,近視に変化があるのではないかといわれました。そうはいっても裸眼で0.1はないわけですから,日常生活に影響があるような変化ではありません。僕自身が気付いていませんでした。
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デイリー盃大井記念&出会った友人

2015-05-20 20:51:38 | 地方競馬
 伝統ある第60回大井記念
 最初の正面スタンド前ではムサシキングオーが前にいましたが,アウトジェネラルが交わして先手を奪いました。これは最も予想された展開。控えたムサシキングオーが2番手で3番手にアントニオピサ。トーセンサミット,ユーロビートと続き,やや離れていつもより前目の位置にドラゴンエアル。ドラゴンヴォイス,グランディオーソ,インサイドザパーク,ヴェリ-ハード,トーセンアレス,カキツバタロイヤル,スコペルタ,プレティオラス,ハブアストロールという並びに。最初の1000mは61秒9でハイペース。
 3コーナーでムサシキングオーが先頭に出るとアウトジェネラルは一杯に。アントニオピサ,ユーロビートの2頭が追って外を捲って出たのがグランディオーソ。この4頭の伸び比べはユーロビートでしたが,大外を伸びたプレティオラスの脚色が優り,抜け出して優勝。グランディオーソが3馬身差で2着。内目から伸びてラストはユーロビートに寄せていったスコペルタは届かず4分の3馬身差で3着。
 優勝したプレティオラスは一昨年9月の東京記念以来の勝利で南関東重賞3勝目。昨年は移籍したJRAで3戦したもののいずれも二桁着順で再び南関東へ。ここまで4戦のうち2戦が重賞だったこともあり,結果は出せていませんでしたが,持ち前の末脚は衰えていないことは明らかになっていて,どこかでまた復活するだろうと考えていましたが,今日になりました。展開に左右される部分はありますが,長距離の南関東重賞では今後も有力な存在でしょう。ただし大井コース以外では,少し割り引く必要はあるかもしれません。母の父はダンスインザダーク。同年齢の従兄に2012年の京浜盃を勝った現役のパンタレイ。Pretiolasはラテン語で褒美。
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手は2月のフジノウェーブ記念以来の南関東重賞制覇。大井記念は初勝利。管理している大井の森下淳平調教師も大井記念初勝利。

 長者町から僕の家の近くに向うバスには,ふたつの路線があります。ひとつは東日本大震災の日に,横浜駅から歩いて帰ろうとしていたところ,運よく乗ることができた京浜急行のバスで,もうひとつは桜木町から出ている横浜市営のバスです。途中の経路は異なりますが,所要時間に大差はありません。本数は京浜急行の方が多いのですが,僕はそちらには乗りません。ずっと買い続けているバスの定期券では,このバスには乗車できないからです。
                         
 日中は,市営バスの方は1時間に3本,概ね20分間隔での運行です。毎時ちょうど,20分,40分に出ると,このバスに乗るのにさほど待つ必要がないので,僕はそのいずれかの時間を狙います。乗ってしまえばおよそ20分くらいで帰宅できます。長者町に行ったときの帰宅時間が,大体20分間隔で一定しているのは,こうした理由からです。
 僕が最も多く乗っているのは,午後4時過ぎのバスです。これだと午後4時25分から4時半の間に帰宅できることになります。偶然の再会があった日は,午後4時10分頃に帰宅しているのですから,最も乗るケースが多いバスより,ひとつ前のバスだったことになります。逆にひとつ遅くなる日もあり,午後に長者町にいる場合には,この3本以外になることはほぼありません。
 このときに会った友人は,小学校の5年と6年のときに同じクラスでした。僕のプロレスキャリアが始まったのは,プロレスファンだったこの友人の影響が大きかったと思います。また,中学校のときは,同じクラスにはなりませんでしたが,同じ陸上部に所属していた時期もありました。
 その後も何度か会ったのですが,それがすべて同じ時間のバスだったかどうかは分かりませんし,それ以前に友人が僕を見掛けたのが同じバスだったのかどうかも分かりません。何回か話して分かったのですが,友人はしばらく横浜を離れていたのですが,仕事を辞した関係で帰ってきて,実家で暮らしているとのことでした。この時期は新たに職を探していて,その帰りにこのバスを利用していたようです。おそらく会わなくなったのは,仕事が見つかったためだと思います。
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マイナビ女子オープン&偶然の再会

2015-05-19 19:33:10 | 将棋
 東京の将棋会館で指された第8期マイナビ女子オープン五番勝負第四局。
 上田初美女流三段の先手で角道オープン向飛車。加藤桃子女王から角を交換し,相銀冠に進みました。
                         
 居飛車の左美濃に対して先手振飛車が4筋の位を取るのは有力な作戦のひとつで,その位を確保しにいったところ。ただ角交換になっているこの局面では危なかったようです。
 駒組を進めれば先手の方が作戦勝ちになりそうなので△6五桂と戦いにいったのはタイミングといえそうです。
 ▲同桂△同銀はたぶん必然。銀を引いて△5六銀を受けるわけにはいかないですし,飛車を5筋に回れば8筋を突破されてしまうので▲3六歩と突きました。
 △5六銀は当然の一手。そこで▲5八飛と回りましたがこれには△4五銀と引く手があり,▲同銀△4六角で王手金取りが決まりました。
                         
 駒得になったわけではありませんが,さすがにこれは後手がよさそうです。先手の金が6八でなく7八にいるとこの手順は成立しないので,6八に金がいる形にも弱点があるということが浮き彫りになった将棋といえそうです。
 加藤女王が3勝1敗で防衛第7期からの連覇で2期目の女王です。

 僕の家の最寄りの駅はJR根岸線の根岸駅です。根岸町という町は中区にあるのですが,根岸駅は磯子区内で,僕が住んでいる町と同じです。その根岸駅まで僕の家から行けば,5つの町を通ることになります。それでも歩いて10分強,15分は掛かりません。つまり僕が住んでいる付近は,それだけ小さな町が多く点在していることになります。一方,僕の家の西には人工の川が流れていて,この川を渡った先にあるいくつかの町,たとえば岡村とか磯子とかは,磯子区内では大きな町になります。岡村や磯子を端から端まで歩けば,10分や15分では到底無理です。ですからそうした区域の同じ町で火事があったとしても,そこに住んでいる人の家から近い場所で火事があったとは必ずしもいいきることはできません。でも,僕が住んでいるような町だと,同じ町内の火事というだけで,かなり近い場所で発生したということになるのです。
 3月11日,水曜日。また母がI歯科へ。これは新しく入れた刺し歯の点検でした。とくに問題となるような部分は発見されませんでした。ついでなので歯石を落としてきたそうです。僕はこの日が蒲田で,帰ったのは午後4時半頃。蒲田は東京都ですが,川崎とさほど離れてはいませんから,うまくいくとこのくらいの時刻に帰ってくることも可能です。
 3月14日,土曜日。妹のピアノのレッスン。午後5時半からでした。
 3月16日,月曜日。妹の遺伝科の通院。この日は身長と体重を計測したものの,血液検査はしなかったので,早く帰ることができたようです。僕もこの日は長者町で,午後4時10分頃には帰ったのですが,そのときには母と妹はすでに帰ってきていました。
 僕は長者町の場合は,行くときは歩く場合が多いのですが,帰りはバスを使います。この日,その帰りのバスの中で,小学校,中学校と同級生だった友人に会いました。というか,友人の方はその前にも何度か僕のことを見掛けていたようです。中学校を卒業してからは会ったことがなかったように思いますから,30年ぶりくらいだった筈ですが,だれかはすぐに分かりました。4月にかけて,その後も何度かバスで会いました。
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シンガポール航空国際杯&町内の火事

2015-05-18 19:04:03 | 海外競馬
 日本時間で昨晩の9時40分の発走だったシンガポールのクランジ競馬場でのシンガポール航空国際カップGⅠ芝2000m。
 マイネルフロストはまずまずの発馬から,結果的に逃げ切って優勝することになる逃げ馬の直後を最初は内の2頭と3頭で併走。最初のコーナーをターンすると単独の2番手になりました。極度のスローペースで,少し行きたがっていたかもしれませんが,もしそうであったとしても,許容範囲のうちであったように僕には思えます。3コーナーを回って逃げ馬の外に並び掛け、雁行状態で直線に。しかし追われてからは伸びがみられず,逃げ馬に離されると外から2頭にも交わされ,優勝馬からおよそ5馬身差の4着でレースを終えました。
 勝ちにいくような運びのレースであり,内容的には及第点ではないでしょうか。勝負になるところまでいくにはこのメンバーではやや力が足りなかったという印象です。

 3月9日,月曜日。午後8時半頃,パソコンでの作業をしていると,消防車がサイレンを鳴らし何台か近くを走りました。あまり気に留めなかったのですが,15分ほどが過ぎ,作業が一段落しましたので,部屋の窓を開けて外を覗いてみると,火の手が上がっているのが見えました。
 いったことがあるかもしれませんが,僕の部屋には東側と北側に窓があります。僕が開けたのは東側の窓で,火は左斜め前方,方角でいえば北東側に見えました。このとき,風はなかったようで,煙は真直ぐ上っていたのですが,僕が見ている間に北風が吹き出したようで,僕が見ている前方へと流れてきました。前方,すなわち僕の家の真東は,森林公園などがある高台になっているのですが,その高台と家の間に白い煙が流れてきたのです。
 僕が最も間近で火事に接したのは,何年か前に偶然に通りがかった六角橋です。これは片側二車線の道路を挟んだ反対側が燃えていたのですから,20mとか30mくらいしか離れていなかったことになります。そのときは火の勢いも凄まじかったのですが,このときは燃えているのが見えたといっても,火が小さく見えたというだけで,火事の規模としては比べものにならないほど小さなもの。夜ですから辺りは暗く,正確な距離感はつかめませんでしたが,それでも300mは離れていないだろうなと思えました。とはいえ自宅からそれほど離れていない場所,後に回ってきた回覧板によれば同じ町内でしたから,今までで家から最も近いところで発生した火事だったことは間違いありません。
 だからといって外に出て近くまで行ってみるというような根性は僕にはありません。それでも気にはなりますから,しばし身守っていましたが,すぐに鎮火したようで,火は見えなくなりました。回覧によれば,二軒が全焼する火事でしたが,死者はもちろん負傷者も出なかったようです。
 磯子区は,町といっても,とても大きなものから小さなものまで様ざまです。おそらく明治の古くから集落があった場所はひとつの町も狭く,そうでなかったところは広くなっているのではないかと推測します。僕の住む町というのはそうも大きくないのです。
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ヴィクトリアマイル&バイキング

2015-05-17 19:07:06 | 中央競馬
 春のマイル女王決定戦の第10回ヴィクトリアマイル
 好発のミナレットがハナを奪い,後続をぐんぐんと引き離していく大逃げに。2番手がケイアイエレガントで3番手にリトルゲルダ。あとはほぼ2頭ずつの併走で,レッドリヴェールとストレイトガール,ベルルミエールとヌーヴォレコルト。最初の800mは45秒5でミドルペース。大逃げのペースなので,実質はスローペースだったと考えてもいいでしょう。
 直線に入ったところでもミナレットが大きなリード。そこまできついペースだったわけではないのでよく粘りましたが,残り100m過ぎでケイアイエレガントに捕まりました。さらに外を伸びたストレイトガールがケイアイエレガントを追い掛け,ゴール寸前で差し切って優勝。ケイアイエレガントはアタマ差の2着。1馬身4分の3差の3着にミナレットが逃げ粘って大波乱に。
 優勝したストレイトガールは昨年2月のシルクロードステークス以来の勝利。重賞2勝目で大レース制覇。スプリント路線では外国馬も含めた牡馬を相手に好走を重ねていて,この距離もこなせることは分かっていたので,人気のヌーヴォレコルトが崩れた場合に勝つ可能性が最も高い馬と考えていました。今日はわりと楽な競馬だったので,厳しい競馬となったときに,この距離でも牡馬を相手に対等に走れるかは未知ですが,スプリントならば牡馬相手の大レース制覇も可能だと思います。父はフジキセキ。母の父はタイキシャトル。祖母の半兄に1999年の京成杯と神戸新聞杯を勝ったオースミブライト,半妹に2003年の関屋記念,2004年の中山牝馬ステークスと福島牝馬ステークスを勝ったオースミコスモ
 騎乗した戸崎圭太騎手は昨年の有馬記念以来の大レース制覇でヴィクトリアマイルは初勝利。管理している藤原英昭調教師は一昨年のマイルチャンピオンシップ以来の大レース制覇で第3回以来7年ぶりのヴィクトリアマイル2勝目。

 懇親会は立食パーティーのような形式でした。僕は昼食は摂っていなかったので,ここではそれなりに食べました。インスリンを先に注射して,それに見合うくらいの量,具体的には炭水化物量ですが,それを摂取すればよいわけです。立食パーティーというのは要するにバイキングですから,自分で何を食べるかをすべて決定することができます。ですからこのような形式というのは,僕からしたらあり難いものです。こうした席ですからアルコールも用意されてはいましたが,僕は糖尿病を発症してからは禁酒していますから,口にすることはありません。
 僕たちのグループの懇親会が開始されて1時間ほどすると,次のグループの人たちが集まってきました。そこで僕たちのグループは解散。とはいってもまだ午後4時になりません。久々に会った友人たちと別れるような時間でもありません。同級生の7人のうちのひとり,僕に手紙を送ってくれた方は,受付の仕事があったのでその場を離れることができませんでしたが,残る6人で,別の店に行きました。これはカフェバーですが,席の都合でオープンスペースに。この日は天気が悪く,まだ寒かったですが,雨が降ってきてしまうというようなことはありませんでした。僕はここではコーヒーを飲んだだけです。
 さらにもう1軒。こちらは洋風の居酒屋。メニューも多彩で,僕はこちらでは持続効果型のインスリンだけ打って,本来なら酒のつまみであろうものを食べました。受付を離れることができなかった方も,この時間は現場を抜け出し,合流しました。
 さらにもう1軒ということだったのですが,僕はここで帰りました。あとでメールで連絡がきましたが,4人が残り,最後は終電まで飲んでいたようです。僕が家に着いたのは午後9時半過ぎ。血糖値を計測しましたらかなり高くなっていましたので,超速攻型のインスリンを注射しました。本来はインスリンは食べる前に注射するものです。この日のようなケースは例外中の例外で,このとき1度きりです。とても楽しい1日でした。
 なお,この日,母と妹は美容院に行っています。不在でしたから,何時頃に帰ったのかは不明です。
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