スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&外来的特徴

2017-06-30 19:07:10 | 将棋
 27日に東京将棋会館で指された第28期女流王位戦五番勝負第五局。
 振駒で伊藤沙恵女流二段の先手。里見香奈女流王位の三間飛車に先手は向飛車にしての相振飛車。先手が金を5六に繰り出して押さえ込みを狙いにいくという斬新な作戦に。ただ僕は35手目に☗3七歩と打った局面では作戦があまりうまくいっていないという印象を受けました。その後は攻め合いに。
                                     
 先手が桂馬を打ったところ。後手は☖5五桂と打ちました。これは先手玉の逃げ道を狭める攻めの手であると同時に先手の角筋を遮る受けの手にもなっています。
 先手は☗4八玉と早逃げしました。この局面では最善手であったと思います。手番を得た後手は☖6九角と打ち込みました。玉頭を受けなければならないので☗5五金☖同歩☗同角と桂馬を外しました。
 ここで後手は☖3六銀と打ち,また受けが必要な先手は☗5八桂と打っています。
                                     
 これは角道を止めることによって3六の銀取りになっているのですが構わず☖6七とと寄られ☗3六飛と銀は取れたものの☖5八角成で後手の勝ち筋に入りました。後手はほかにも攻め筋があり,これが最もよいとみて☖3六銀と打ったのだと思われますが,☗5五同角のところの解説にあるように,第2図では5八でなく☗5九桂と受ける手があり,そちらの方が有力だったかもしれません。僕には分からないだけでいい寄せ方があるのかもしれませんが,先手が最善の粘りを書いた可能性もあったのではないかと思います。
 3勝2敗で里見王位が防衛第23期,26期,27期に続いての3連覇で通算4期目の女流王位です。

 denominatio intrinsecaを本来的特徴と訳出するのであれば,denominatio extrinsecaを外的特徴と訳出するのは具合が悪いことになります。内的特徴に対して外的特徴というのは自然ですが,本来的特徴に対して外的特徴というのでは,ふたつの特徴として対応しているということが分かりにくくなるからです。よって『スピノザ哲学論攷』ではdenominatio extrinsecaには外来的特徴という訳語が与えられています。本来的特徴という訳出が僕が知る限りでは河井に特有のものであるように,外来的特徴という訳語も河井だけのものです。ですが僕は本来的特徴というのが優れた訳語であると判断しますので,denominatio extrinsecaについても河井に倣ってこれからは外来的特徴ということにします。
 ただ,単に対応関係から河井がdenominatio extrinsecaを外来的特徴と訳したとは僕は考えていません。第一部公理六から分かるように,外来的特徴というのは,観念ideaの特徴として,観念それ自体から規定される特徴ではなく,観念されたものideatumという,文字通りにその観念の外にあるものから来るような特徴であるからです。
 本来的特徴も外来的特徴も,スピノザの哲学では観念に限っていわれる特徴です。しかしこれを考慮の外に置き,一般にXについてXの本来的特徴とXの外来的特徴というものがあるとした場合に,どちらがXにとって重要な特徴であるかといえば,Xの本来的特徴の方であると,日本語が理解できる人なら直観的に判断するのではないかと思います。僕がこれらの訳出が優れていると考える理由の最大のポイントはそこにあります。つまり観念を本来的特徴と外来的特徴に区分することによって,スピノザの哲学では本来的特徴が重要であるという直観を与えるという点に,これらの訳の優秀性を見出すのです。
 それが真の観念idea veraであるかそれとも誤った観念であるかということは,スピノザの哲学においては二次的な区分です。むしろそれが十全な観念idea adaequataであるか混乱した観念idea inadaequataであるかということが最重要な区分なのです。
コメント

農林水産大臣賞典帝王賞&本来的特徴

2017-06-29 19:26:50 | 地方競馬
 昨晩の第40回帝王賞。発走の直前にミッキーヘネシーが落鉄していることが判明。打ち替えるためにゲートの後方での輪乗りの時間が長くなりました。
 逃げるのではないかと思っていたケイティブレイブが躓いて出負けしてしましました。先手を奪ったのはオールブラッシュ。1馬身差でクリソライトがマーク。2馬身差でアウォーディーが3番手。また2馬身差でウマノジョーとゴールドドリームが併走。1馬身差でミッキーヘネシーとメイショウソレイユとサウンドトゥルーの3頭。1馬身差でアポロケンタッキーとなり,この後ろは差が開き,グレイスフルデイズ,タマモネイヴィー,ケイティブレイブの順に。前半の1000mは62秒1のミドルペース。
 3コーナーを回ったあたりからオールブラッシュの逃げ足が鈍り始めました。ほぼ並び掛けていたクリソライトがコーナーの途中で先頭に。これをマークするようにアウォーディーが2番手に。直線に入るとクリソライトが追いすがるアウォーディーを突き放して抜け出しました。これは決まったかに思えたのですが,後方待機策になったケイティブレイブがほかの馬たちを1秒4以上も上回る瞠目の末脚を発揮。直線一気が決まって優勝。1馬身4分の3差でクリソライトが2着。3馬身差でアウォーディーが3着。内から迫ったサウンドトゥルーは半馬身差で4着。
 優勝したケイティブレイブは前々走の名古屋大賞典以来の勝利で重賞5勝目。大レースは初勝利。この馬は一般的な評価よりは強い馬とみていて,馬券的妙味ではこのメンバーの中で最も高いと思っていました。もちろん勝つ可能性もあるとみていましたが,それは先行してのことで,こういったレースで突き抜けるとはまったく予想だにしていませんでした。最初から控えるつもりであったのか,出負けしたので腹を括って直線勝負に徹したのかは分かりませんが,これまでと一変した内容で勝ったのは大きな収穫だったといえるのではないでしょうか。このようなレースばかり続けていくことになれば取りこぼすことも多くなるかもしれませんが,先行することもできるわけですから,さらに大レースの勝利数を増やしていくことも可能だと思います。もしかしたら本質的にはもっと短い距離の方がよく,能力の高さでこのような距離まで克服していたのかもしれないとも感じた内容でした。父はアドマイヤマックス。母の父はサクラローレル。母の半兄に1999年の北海道スプリントカップ,2000年のガーネットステークス,黒船賞,群馬記念,かしわ記念,朱鷺大賞典,2001年のガーネットステークス,とちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ
 騎乗した福永祐一騎手は秋華賞以来の大レース制覇。帝王賞は初勝利。管理している目野哲也調教師は1999年の南部杯以来となる大レース2勝目。

 denominatio intrinsecaを内的特徴という日本語で表記するのは,おそらくラテン語に忠実な翻訳であるといえるでしょう。してみれば河井のように本来的特徴と訳すのは,ラテン語には忠実ではないということになります。実際にはその意味合いは異なりますが,各々の翻訳をあるいい方として喩えるならば,内的特徴というのが直訳であるのに対して,本来的特徴というのは意訳であるということになるでしょう。
                                    
 『スピノザ哲学論攷』の本題に入る前に,まずこの訳語上の事柄を僕がとりあげたかったのは,この河井による本来的特徴という訳語が,とても優れたものであると僕には思えたからなのです。スピノザの哲学における観念論を理解するためには,内的特徴というより本来的特徴といった方がいいのではないかと僕には思えるのです。実際には僕はこの訳語は『スピノザ哲学論攷』以外では目にしたことがありません。日本語でスピノザの研究をしている河井以外のすべての学者は,この特徴を内的特徴というのかもしれません。ですが,本来的特徴という訳語がとても優れた訳語であると僕には思えますので,僕は今後は河井に倣って,denominatio intrinsecaのことは本来的特徴と表記することにします。
 第二部定義三は,精神が思惟するものであるがゆえに形成する精神の概念Mentis conceptum, quem Mens format, propterea quod res est cogitansであると観念ideamを定義しています。この定義Definitioから理解できるように,観念は思惟の属性Cogitationis attributumの下でのみ定義されます。あるいは定義することが可能です。このことは第二部定理五からも明らかだといえるでしょう。また,第二部定理四三備考では,観念が画板の上の画のように無言mutum instar picturae in tabulaであるということが否定されています。僕のいい方をすれば,観念は対象を撮影した写真のようなものであるということが否定されています。これらのことから理解できるように,観念が観念たるゆえんは,その観念が何の観念であるかということ,すなわち観念されたものideatumとは別のところにあるのです。ところで,観念が観念たるゆえんは,観念の本来の性質,本来的特徴でなくてはなりません。だから本来的特徴という訳は,優れた訳だと僕は思うのです。
コメント

サンケイスポーツ盃優駿スプリント&訳語

2017-06-28 19:42:31 | 地方競馬
 昨晩の第7回優駿スプリント。右後ろ脚の蹄の底に内出血があったハタノオヌールと右後ろ脚を跛行したオーブスプリングが競走除外となって14頭。
 ポッドジーニー,マルボルクシチー,サブノジュニア,ソッサスブレイの4頭はダッシュがつきませんでした。アイアンハート,バンドオンザラン,ハッピーブーケ,シャヒーン,マリスレーンの5頭が飛び出して先行。このグループから2馬身ほど開いてハウマーナ。この後ろもフライングショット,リアルファイト,ジョワラルムの3頭が並んで4頭の集団。サブノジュニアは向正面で内から進出してこのグループに加わっていきました。ポッドジーニーがそれらの後ろでマルボルクシチーとソッサスブレイの3頭が後方集団。キャッスルクラウンが少し離れた最後尾を単独で追走。前半の600mは34秒9のハイペース。
 先行5頭から抜け出したのは内のバンドオンザランと外のハッピーブーケの2頭。外のハッピーブーケの方がアタマからクビほど前に出ての併走でした。3コーナーを回るとアイアンハートとマリスレーンは追ってきて,バンドオンザランも道中と同様に内から進出しここまで追いつきました。直線に入ってもハッピーブーケが前に出ていたのですが内のバンドオンザランがこの競り合いを制して先頭に。直線も内から伸びたサブノジュニアは一旦は迫りましたがまた突き放したバンドオンザランが優勝。サブノジュニアが1馬身4分の1差で2着。競り落とされたハッピーブーケは苦しくなり,その外からアイアンハートが3番手に上がりましたが,さらに外からジョワラルムとソッサスブレイが併せ馬で追い込んでこれを交わしサブノジュニアにも詰め寄ったもののそこまでは届かず,クビ差の3着にジョワラルム。さらにクビ差でソッサスブレイが4着。
 優勝したバンドオンザランは南関東重賞は初制覇。北海道デビュー馬で栄冠賞とイノセントカップを勝つなど活躍。今年から川崎で走り始めたものの,当初はクラシック路線を目指したために距離が長く勝ち馬から1秒以上の大敗続き。前走で久々に1200mのトライアルに出走して4着。そのときの内容からサブノジュニア以外の馬とはこの距離なら力の差はさほどないとみていました。サブノジュニアが出遅れて向正面で進出,そのまま内で包まれるという最悪に近いようなレースぶりになったので,その点は味方したといえるでしょう。ただずっと外の馬に出られながら直線で差し返すというのも楽な芸当ではなく,この馬も力をみせたといっていいでしょう。大幅にタイムも詰め,まずまずの勝ち時計であったと思います。ただ距離が伸びるのはマイナスに作用しそうです。父は2009年の京王杯スプリングカップを勝ったスズカコーズウェイ
 川崎の短期免許で騎乗中の赤岡修次騎手は南関東重賞は初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞17勝目で優駿スプリントは初勝利。

 『スピノザ哲学論攷』と関連しては触れておきたい事柄が多くあります。ですが,論考の内容について考察する前に,ある訳語について触れておきたいことがあります。
                                    
 スピノザは第二部定義四で,真の観念のすべての内的特徴を有する観念のことを十全な観念ideam adaequatamであると規定しました。この内的特徴に該当するラテン語はdenominatio intrinsecaです。これに対して第一部公理六では真の観念idea veraは観念されたものideatumと一致するといわれています。このような対象との一致を外的特徴といいます。これはラテン語ではdenominatio extrinsecaです。
 僕はラテン語そのものについては何も勉強していません。ただ,スピノザの哲学に関する論述の中には,『エチカ』に記述されている部分のラテン語が書かれていることがあり,そうしたものをひとまとめのノート,といっても手書きではなくワードですが,それに書き写し,岩波文庫版と対照させることによって,どの部分がどういう意味であるかを把握するという手法は採用しています。この場合でいえば,denominatioは特徴という意味であって,intrinsecaとextrinsecaがそれぞれ内的と外的を意味するというような把握の仕方です。
 そしてこのような対訳をみると,ラテン語は学んでいなくても,おそらくラテン語にも接頭辞のようなものがあるのだと推測できます。すなわち語の頭にinがある場合には,内的な事柄を意味し,exがあるなら外的な意味合いを有するのだろうと想定するわけです。したがって,intrinsecaが内的と訳され,extrinsecaが外的と訳されるのは,ラテン語の意味合いに忠実な訳し方であるのだろうと僕は判断しています。
 『スピノザ哲学論攷』では,これらに別の訳が与えられています。河井はdenominatio intrinsecaについてはそれを本来的特徴と訳し,denominatio extrinsecaについては外来的特徴と訳しています。基本的にこれらは観念についてのみ言及されるので,観念には本来的特徴と外来的特徴があることになります。
コメント

瑞峰立山賞争奪戦&スピノザ哲学論攷

2017-06-27 19:08:03 | 競輪
 富山記念の決勝。並びは木暮‐牛山の関東,郡司‐和田の南関東,浅井に浜田,山田‐村上の京都に池田。
 スタートを取ったのは浜田。バックにかけて外から牛山が上昇していきましたが浜田が拒み浅井の前受けに。3番手に山田,6番手に郡司,8番手に木暮の周回に。残り3周のホームから木暮が上昇。郡司が牛山の後ろにスイッチ。バックの入口で木暮が浅井を叩きました。バックの出口から郡司が上昇。木暮を叩いてそのまま誘導を外すとホームで浅井が動いていって郡司を叩き,その外から山田が発進。浅井を叩いて前に出るとバックでは山田ライン,浅井ライン,郡司ライン,木暮ラインの一列棒状に。打鐘前から山田が全開で駆けていき,村上は早くも車間を開けました。ホームから木暮が動いていき,被せられた郡司は行き場がなくなりました。浅井が木暮に合わせて発進しようとするも外の木暮が前に。バックから村上が番手発進で対抗しましたがコーナーでは木暮が捲り切りました。ただ木暮もかなりの脚を使っていたために直線ではマークの牛山が差して優勝。木暮が半車身差の2着で関東のワンツー。最終的にインを突いた郡司の勢いをもらって外を伸びた和田が1車輪差で3着。
 優勝した茨城の牛山貴広選手は記念競輪初優勝。このレースは山田の先行は予想されたところ。ただ,ほかのラインの先頭を回る選手の脚力を考えれば,番手の村上があっさりと優勝するという可能性はむしろ低いのではないかと見立てていました。郡司は明らかな失敗レースになりましたので,浅井か木暮かといったところですが,バックでの両選手の競り合いをみると,現状は浅井が木暮に力負けしたという感じがします。それだけ木暮の調子がよかったということではないでしょうか。その好調さが牛山の初優勝を齎したというレースであったと思います。

 『スピノザ哲学論攷』はやや変わった構成になっています。最初から最後まで通して読むことができる1冊の書籍であると同時に論文集でもあるのです。意味が分からないかもしれませんが,本文のうちのおよそ半分程度は河井がこの本としてまとめる以前に発表した論文によって構成されているのです。
                                    
 河井はそのうちのいくつかを骨子としてまず1985年にひとつにまとめました。さらにそれ以降,1992年までに,そのまとめた部分の中から未発表の部分を抜粋し,少し手を加えながら論文として発表していきました。これが『スピノザ哲学論攷』の半分を占めるということです。『スピノザ哲学論攷』の原案というべき本論の全体が完成したのは,1985年の時点であったのか,あるいは1992年以降にも加筆したのかは,河井の説明の仕方では僕には不明でしたが,その全体は,学位論文として筑波大学に受理されました。
 『スピノザ哲学論攷』として出版されたのは1994年6月です。河井によるとこれは学位論文として受理されたものにさらに若干の加筆をして,学位論文には添えられていなかった副題を付けたものだということです。
 ですから河井の当初の目的は,最初から最後まで連関した論考であるということになります。とはいえ,部分的には個別の論文として抜粋されている部分があるので,たとえばある部分においては探求されているけれども,それが全体の中ではきわめて限定的になっているというところもなくはありません。一方で,単に論文集として,つまり個別の論文として発表した場合には,ある論文と別の論文がいかなる点において関係してくるかということは,この本のように全体としてまとめ上げられている場合と比べれば分かりにくくなってしまうでしょう。ですから,このような方法で発表することは,方法論としていえば一長一短があるとはいえると思います。ただ,『スピノザ哲学論攷』の場合についていえば,この方法は概ね成功しているのではないかと僕は思います。これは原案となっているのが学位論文ですから当然といえば当然かもしれませんが,河井の志向が首尾一貫しているからだとも思います。
コメント

虚偽の軽視&帰島

2017-06-26 19:04:59 | 哲学
 知性と反知性ないしは非知性が対立するとき,知性の側が犯してしまう失敗の代表的なものが理性への過信です。ただし,理性ratioを信頼することは,対立そのものを眼中に置かない限り,他面からいえば知性の側に立つ人間が自分自身の立場を確認する限りにおいては有用です。第二部定理四〇が示すように,理性による認識cognitioは十全な認識であるからです。失敗はこれを自分自身の立場の確認に留まらず,万人の認識に該当させてしまうという点にあるといえるでしょう。いい換えれば,理性への過信とはそのような意味であるということです。
 ここから分かるように,理性を過信するということは,虚偽falsitasを軽視してしまうということと表裏一体です。つまり虚偽が有している力potentiaというのを無視してしまうことの反対の側面であるといえるでしょう。もう少し具体的にいえば,理性を過信するあまり,虚偽は理性によって解消することができるものであると思い込んでしまうのです。
 これははっきりとした誤りであるといえます。なぜなら第四部定理一が示しているように,誤った観念すなわち虚偽には積極的なものが含まれているのであり,その積極的なものは,真verumなるものが真であるというだけでは,その真なるものが現在するとしても除去されないからです。要するにある人間の精神mens humanaのうちにXの真の観念idea veraがあるということは,その人間の精神のうちにXの誤った観念が発生するということを妨害することはできませんし,同様に,Xの誤った観念が先んじて現在していた場合には,その誤った観念を解消させることはできないからです。すなわち一般的にいえば,理性による認識は,人間の精神による虚偽の認識,たとえば表象imaginatioを妨害することも排除することもできないのです。
 したがって,理性によって他者を説得するという行為には,一定の限界があるといわなければなりません。もし知性の側に立つ人間が,そういう限界があるということを認めないのであれば,その人間は,たとえ理性的に物事を認識し,理性に従って生きる人間であったとしても,大失敗を犯しているといわなければならないのです。

 11月28日,月曜日。施設のバザーの後片付けがありました。母のボランティアの最後の作業日であったことになります。前日の夜に来訪した叔父は,そのまま宿泊しました。この日は日中は出掛けてましたが,午後9時50分頃に戻ってきて,この日も僕の家に泊まりました。僕はこの日は長者町に出掛けています。
 11月29日,火曜日。叔父が福江島に帰島しました。叔父の移住のときは自動車を用いましたが,今回の上京では自動車は使っていません。長崎まで飛行機を使い,あとはフェリーで帰るとのことでした。僕はこの日は本牧へ出掛けています。
 11月30日,水曜日。母がI歯科へ行きました。この日は被せものをした歯とその横の歯との隙間を埋めるために詰め物をすることになり,その詰め物の型取りをしたそうです。
 僕はこの日は川崎に出掛けていたのですが,その途中で1冊の本を読了しています。河井徳治の『スピノザ哲学論攷』です。
                                    
 河井徳治には『哲学書概説シリーズ スピノザ『エチカ』』という標題の入門書があります。僕がかつてそちらの本を読んだことがあったということは以前に記した通りです。そしてこの本は,スピノザの哲学の入門書としては際立った特徴がありました。一般にスピノザの哲学の入門書は,『エチカ』でスピノザが記述している路線に則して書かれます。このために,平行論について触れられることはありますが,概ね精神mensとは何かということ,あるいは精神の働きactio Mentisとは何かということがその解説の中心となります。ところが河井による入門書は,スピノザの哲学における物体論,『エチカ』でいうなら第二部の自然学に該当する部分に関連した解説に多くの分量が割かれているのです。これは明らかに河井自身の志向によるものだと推測されました。なので河井がなぜスピノザの哲学のその部分に大きな注目を置くのかということについては,僕は多大なる関心があったのです。ですからかねてから,河井による入門書の域を超越したスピノザの哲学についてのまとまった論考があるなら,ぜひともそれを読んでみたいと思っていました。こうした経緯で『スピノザ哲学論攷』を購入したのです。
コメント

宝塚記念&眼鏡のネジ

2017-06-25 19:10:27 | 中央競馬
 第58回宝塚記念
 シュヴァルグランが先手を奪いました。半馬身差の2番手にシャケトラ。外目の3番手にキタサンブラック。まったく予想していなかった展開に。差がなくクラリティシチーとミッキーロケット。ゴールドアクターとサトノクラウンが並んでその後ろ。スピリッツミノル,ミッキークイーン,レインボーラインが概ね1馬身差ずつで続き,ヒットザターゲットが少し離れた最後尾。最初の1000mは60秒6でスローペース。
 3コーナーを回ってシュヴァルグラン,シャケトラ,キタサンブラックの3頭が雁行。ただ,最初からびっしり競り合うようなレースだったため,余力があまり残っていなかったようです。直線に入って一旦はシャケトラが先頭に立ちましたが,道中で一旦は動き,3コーナー手前でまた控えていたサトノクラウンがキタサンブラックの外から伸びるとあっさりとシャケトラを捕えて先頭に立ち,そのままフィニッシュ。内目を回って直線も内から伸びてきたゴールドアクターが4分の3馬身差で2着。後方から大外を伸びたミッキークイーンが1馬身半差で3着。
 優勝したサトノクラウンは前々走の京都記念以来の勝利。大レースは昨年の香港ヴァーズ以来の2勝目。このレースは力量上位と考えていた4頭のうち,シュヴァルグランは逃げて競馬をしている馬ではなく,シャケトラは控えた方が持ち味が生きそうな馬。キタサンブラックも道中は掛かっていた感があり,あれなら控えず逃げてしまった方がよかったでしょう。残ったこの馬はこの馬らしいレースができて,そのために勝つことができたといえるのではないかと思います。稍重という馬場状態に対する適性も高かったのではないでしょうか。
                                     
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手はフェブラリーステークス以来の大レース制覇。宝塚記念は初勝利。管理している堀宣行調教師はクイーンエリザベスⅡ世カップ以来の大レース制覇。国内での大レース制覇は天皇賞(秋)以来。宝塚記念は初勝利。

 11月19日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後3時に始まっています。
 11月21日,月曜日。ピアノの調律がありました。これは午後1時半から。僕はこの日は屏風浦に行っています。
 11月22日,火曜日。僕はこの日は川崎に行っていました。帰宅した後,眼鏡の鼻あての部分,左側の鼻に当たる部分ですが,この部分のネジが緩んでしまい,鼻あてが外れてしまいました。小さなネジですが,ネジ自体は発見できました。なので自力で修復を試みたのですが,あまりに小さなネジのため,うまく回すことができるドライバーがなく,修復することができませんでした。片側とはいっても鼻あてがないと眼鏡は装着することができません。ただ2011年の9月に新しい眼鏡を作ったとき,それ以前に使用していた眼鏡もフレームを直して返してもらっていましたので,そちらを使用することにしました。度は鼻あてが取れてしまったものに比べると少し弱いのですが,普通に生活する分には問題があるわけではありませんでした。
 11月24日,木曜日。この日は長者町に出掛けていますが,その前に時間がありましたので,鼻あてが取れてしまった眼鏡の修復を依頼するために眼鏡屋に行きました。ところがこの日は休業でしたので目的を達成することはできませんでした。
 11月25日,金曜日。この日は本牧に出掛ける日でしたが,やはり時間に余裕がありましたので,また眼鏡屋に行きました。この日は開店していまして,5分足らずで修復してもらえました。昨年の4月に鼻あてが折れてしまうという出来事がありましたが,あの時とは違ってネジが外れただけで,取れた鼻あてもネジも手元にはありましたので,新しい眼鏡を作る必要はなかったということです。
 11月26日,土曜日。施設のバザーがありました。これは妹だけでなく母も行っています。
 11月27日,日曜日。福江島に移住した叔父が来訪しました。といっても家に来たのは夜の9時50分頃です。叔父の移住は2015年の8月のことでした。それ以来,僕たち家族は叔父と会っていませんでした。24日に上京していたそうです。
コメント

イワンの二分法&歯の隙間

2017-06-24 19:21:19 | 歌・小説
 『ドストエフスキイの生活』の中の『カラマーゾフの兄弟』に関する論考の中で,なるほどと思った点があります。
                                     
 『カラマーゾフの兄弟』の第五編の五章に,イワンが書いた小説が出てきます。いわば小説内小説です。これはイワンの場合に記したような,イワン自身のキリスト教に対する二律背反的な姿勢が強く前面に出た内容です。ごく単純にいいますが,人間を代表する大審問官が,キリスト自身を尋問するという物語です。
 ここで気を付けなければいけないのは,イワンは神は存在しないかもしれないと思っている,あるいはもっと強く神は存在しないと確信しているのですが,一方で神は存在してほしいという希望もまた抱いています。したがって,イワン自身は大審問官の立場に立ってキリストを一方的に尋問しようとしているのではありませんし,逆にキリストの立場に立って大審問官の尋問を受けているというのでもありません。ですがそれはイワンがどちらの立場でもないということを意味するのでもありません。どちらの立場でもあるということを意味するのです。
 小林がいうには,しかしこの物語を読む読者は,大審問官であるかそうでなければイエスであるかの二者択一を迫られます。小林はそれをジレンマに追い込まれるからくりがあるという主旨のいい方で示しています。そして確かにそういう一面があるのです。なぜならイワンはこの小説をアリョーシャに聞かせているからです。するとあたかもアリョーシャがキリストの立場で尋問を受け,イワンが大審問官の立場からキリストを尋問しているという構図と結び付けやすいからです。
 でも実際はおそらくそうではありません。たとえばイワンはこれをアリョーシャに聞かせることによって何事かについてアリョーシャを説得しようという意図をもっているわけではないのだと僕には思えます。むしろこの小説は単なるイワンの独白と解する方が適当ではないかと思います。確かにアリョーシャはこれを読ませるためにイワンにとって格好の読者であったかもしれません。ですが格好であったということの意味は,イワンの独白を理解できる人間はアリョーシャであったということだったと思います。

 診察が終了したのは午後3時40分くらい。清算を済ませて帰途に薬局に寄りました。この日は注文しておいた注射針は届いていたのですが,インスリンの方が未到着ということでした。今日のうちには届くということでしたので,また配達を依頼し,料金だけ支払って帰りました。インスリンはどんなに多くても大した荷物にはなりません。ですが針は結構な荷物になりますから,僕自身の手間がそんなに省けているわけではありません。僕が帰宅したのは午後4時50分頃。その日の午後8時半ごろには薬剤師がインスリンを届けてくれました。
 11月3日,木曜日。祝日です。妹が卒業した養護学校のバザーが開催されて,母と妹が出掛けました。僕はこの日は鶴見に行っています。
 11月5日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後3時半の開始でした。
 11月6日,日曜日。母と妹が美容院に出掛けました。
 11月11日,金曜日。僕は本牧に行っていたのですが,帰りに妹と会いました。
 11月12日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 11月13日,日曜日。妹のピアノの先生が出演するコンサートが上大岡でありました。母と妹が観覧しに行きました。
 11月14日,月曜日。施設から連絡があり,妹が足が痛いと言っているとのことでした。途中の根岸駅まで母が迎えに行っています。僕はこの日は長者町に出掛けていて,午後4時過ぎに換えることができたのですが,ちょうど僕が帰ったとき,母が迎えに出るところでした。それで施設からの連絡があったことを教えられたのです。足の痛みは大した問題ではありませんでした。
 11月16日,水曜日。母がI歯科に歯科検診へ行きました。この日も歯石の処理をしただけですが,被せものをした歯とその隣の歯との隙間が広くなってきているので,その処置をする必要があると言われたようです。処置は早い方がよかったのですが,翌週は施設のバザーの直前ということもあり母もボランティアで忙しくなります。なので実際の治療は再来週からということにしたようです。僕はこの日は川崎に行ってました。
コメント

印象的な将棋⑭-4&2016年10月の通院

2017-06-23 19:11:38 | ポカと妙手etc
 ⑭-3の第2図で後手は☖4三同玉を選択しました。
                                     
 ☖4三同金なら先手は☗5四銀や☗5二銀に類する手。対して後手は4三を受けることになり,おそらく千日手になったでしょう。それを避けたということは後手は勝ちとみていたのだと思います。ただ,この将棋はまだまだ続くのですが,結論からいえばこの手が敗着でした。つまり千日手が両者にとっての最善で,ここまでは互角だったということになります。
 この時間のAbemaTVでは中村太地六段が解説をされていました。大盤は使用せず,口頭の符号のみでしたが,第1図は☗4四香で先手が勝てそうという指摘がありました。たぶんそれがこの局面の最善手だったと思います。ですが先手は☗3二銀と打ちました。ただしこれは悪手ではありません。これでも先手の勝ちに変わりはなかったからです。ただこのために同じ勝ちでもかなりきわどくなりました。この将棋が名局賞に選出された一因になったかもしれません。
 ☗3二銀に☖5四玉と逃げるのは☗6五飛成という必殺手があって後手玉は詰みです。なので☖5二玉。先手は☗6二金☖4二玉☗4三歩☖3二玉と追って☗5三飛成の詰めろ。☖3三玉には☗4四龍☖2二玉と追って☗4二歩成とまた詰めろを掛けました。
                                     
 後手は☗3二と☖同玉☗4二龍を受けなければなりません。

 診察の予約時間は午後3時でしたから,その前に病院に戻りました。ただ,この日は診察が始まるまで待たされまして,実際に開始になったのは午後3時20分頃でした。
 HbA1cは6.8%になっていました。8月の通院のときは7.0%でしたから,数値としては改善していたことになります。7.0%という数値は何度か出ていましたが,それを割って6%台になったのは2014年12月に6.9%という数値が出て以来でした。
 ただ,これはそれまでが安定していただけで,この通院の時期には血糖値が高めになるケースも多くなっていました。実際にこの日に病院で計測した数値も233㎎/㎗とかなり高かったのです。これは気候の影響もあったかと思います。H先生からは,今後も高い数値が頻出するようであれば,ランタスの注射量を増量するという対処を採用してもよいという指示がありました。それと同時に,低血糖になったときにブドウ糖を摂取すると,一時的に血糖値が高騰するというケースもあるので,もしも低血糖の方が多く出るようであれば,ヒューマログの注射量を減らすという対処によって,むしろ血糖値が安定するという場合もあると教えられました。H先生は基本的な対処は僕に任せてくれますので,どうするかは僕が血糖値を計測しながら決定するということになります。
 そのほかで異常がふたつありました。ひとつはナトリウムです。これは下限値が136mEq/㎗なのですが,134mEq/㎗と,それを下回っていました。僕はこの値が140mEq/㎗を超えることがほとんどありません。下限値を下回っていたのは2015年9月以来です。ただしこれについては何の話もありませんでした。
 そしてケトン体が±になっていました。これは8月に続いての異常です。こちらについてはこういう結果が続くようであれば,入院して詳しく検査をする必要が出てくる可能性があると言われました。ただ,どのように対処すれば出なくなるのかということについての話はありませんでしたので,僕には対処のしようが分かりませんでした。なのでこれについてはまた次回の検査の結果を待つほかありませんでした。
コメント

2代目タイガーマスク&頚部血管エコー検査

2017-06-22 19:39:20 | NOAH
 三沢光晴は1983年の3月から4月にかけて開催された若手のリーグ戦の決勝で越中に敗れて準優勝。5月にその越中と組んでアジアタッグに挑戦。これが初のタイトル戦でした。当時の王者はマイティ・井上阿修羅・原。そして翌1984年3月に越中と共にメキシコに長期遠征に出ました。しかしその年の7月にはすぐに日本に呼び戻され,2代目のタイガーマスクに変身することとなります。
                                     
 これは三沢が出世する契機となったのですが,2代目の誕生には外的要因が多く重なっていたようです。
 大仁田厚がジュニアのタイトルを返上したのが1984年4月。ジュニアのタイトルはチャボ・ゲレロから井上に移っていましたが,井上はトップスターになるには難点がありました。つまり全日本プロレス自体がジュニアのスターを必要としていたのです。
 この当時,全日本プロレスはジャパンプロレスの前身ともいえる新日本プロレス興業と提携していた時代でした。それで馬場は社長に対して,全日本プロレスにもかつて新日本プロレスで活躍していたタイガーマスクのような選手がほしいと悩みを打ち明けていたようです。馬場はすでに引退していた初代のタイガーマスク,すなわち佐山を全日本に勧誘することまで考えていたようなのです。それに対して社長から,そんなに欲しいのならまた作ってしまえばいいという提案があり,馬場はなるほどその方が手っ取り早いと考えたようです。それで社長から劇画のタイガーマスクの原作者である梶原一騎を紹介してもらい,2代目を誕生させるという話がまとまりました。
 このときに梶原の方から,タイガーマスクを誕生させる条件として,ポンとトップロープに飛び乗ることができる選手でなければならないという条件が付けられました。馬場はそんなことができるのは三沢しかいないと考え,メキシコに行っていた三沢を呼び戻し,タイガーマスクに変身させたのです。
 これらの要因のどれかひとつが欠けていても,たぶん三沢がタイガーマスクに変身することはなかったでしょう。三沢自身はこの時点での変身は不本意であったようですが,これがなければその後の三沢と越中のプロレス人生はだいぶ違ったものとなっていたことでしょう。

 中央検査室の受付に戻ると,今度は通常の検査のひとつである採血を済ませるようにとの指示がありました。
 このとき,採尿は先に済ませて,3つの検査を終えた後で採血をするということに関しては何の説明もありませんでした。ですが,なぜこういう順序になったのかは推測はできました。この日に行った検査のうち,神経伝導検査というのは,採血の後で行うことはできなかったのだと思います。採血した後でこの検査を行うと,採血した箇所から血液が噴出してしまう危険性があったようなのです。
 採血にもさほどの時間を要しませんでした。採血が終ったら再び受付に戻れとの指示でしたので,いつものように包帯状のアームバンドを巻いてもらって受付に戻りました。この時点でまだ12時20分でした。最後に残っていた検査が血管超音波検査,頚部血管エコー検査です。これは予約では14時30分になっていましたが,すぐに部屋に案内されました。この検査は入院中に行っただけでなく,退院後もやっていました。また,唾石ができたときにも目的は異なりますがエコー検査を受けていて,僕としたら慣れたものです。ただ,この日は担当した技師が僕の喉に器具を当てるときの力がいつになく強く,少しばかり物理的な痛みを感じました。我慢できないほどではなかったので何も言いませんでしたし,それまでより時間を要したというわけではありませんから,とくに問題があったというわけではありません。
 これですべての検査が終了です。まだ12時45分でした。通常の通院のときなら採血か採尿しているような時間帯です。よく病院で検査のために長時間待たされるという話は聞きますし,僕自身もそういうケースを想定していましたので,むしろとんとん拍子で終了してしまい,拍子抜けするような感じでした。実際にH先生が入れた予約時間の通りに検査が行われるのだとしても,もしかしたら昼食を摂っている時間はないかもしれないと想定していて,この日は昼食を食べられないかもしれないと思っていたくらいでした。診察は午後3時でしたから,むしろ時間には余裕があり過ぎるくらいです。なので小港まで出て外食できました。
コメント

京成盃グランドマイラーズ&採尿

2017-06-21 20:44:23 | 地方競馬
 第20回京成盃グランドマイラーズ。森泰斗騎手が昨日の2レースでパドックからコースまでの移動中に落馬し,右足の靭帯を負傷(再検査の結果は踵の骨折)したためにグレナディアーズは真島大輔騎手に変更。石崎駿騎手は腰痛のためミスミランダーは山崎誠士騎手に変更。
 コンドルダンスは出負けしました。まずノーキディングがハナへ。バースフォンテンが2番手,ジャーニーマンが3番手,リアライズリンクスが4番手,ムサシキングオーが5番手,グレナディアーズが6番手という隊列になりその後ろがグランディオーソとトロヴァオで併走。9番手にキスミープリンス,10番手がタイムズアローで,ここまではあまり差が開きませんでした。後方は11番手以下で,ミスミランダー,コンドルダンス,インサイドザパークの順。さらに離れたのがポイントプラス。前半の800mは49秒4でややハイペース。上がったり落ちたりしない一定のラップでした。
 3コーナーを回るとバースフォンテンがノーキディングに並び掛け,一時的に交わして先頭で直線に。ずっと内を回っていたリアライズリンクスが直線では外に出され,競り合う2頭を交わして先頭に立ち,抜け出しました。外を回っていたムサシキングオーだけはこれを追い掛け,フィニッシュにかけて差を詰めたものの届かず,優勝はリアライズリンクス。クビ差の2着にムサシキングオー。大外から伸びたコンドルダンスが5馬身差で3着。
 優勝したリアライズリンクス川崎マイラーズからの連勝で南関東重賞4勝目。能力的には勝つ力がある馬ですが,安定性に欠けるところがあり,最近は続けて好走というケースがなかったので,その点は不安視していました。前走と同様に,道中は内を回って直線だけ外に出すという競馬。おそらくこういうスタイルが合っているということなのでしょう。現状は距離も1600mがベストということなのだと思います。父は2000年のシンザン記念とスプリングステークスと鳴尾記念,2001年の京都金杯と2002年の京都金杯を勝ったダイタクリーヴァでその父がフジキセキ。母の父はマイネルラヴ
 騎乗した大井の的場文男騎手は川崎マイラーズ以来の南関東重賞制覇。第15回以来5年ぶりの京成盃グランドマイラーズ2勝目。管理している浦和の小久保智調教師は京成盃グランドマイラーズ初勝利。

 予約票を入手できたのですぐに中央検査室へ向いました。いつもの採血と採尿だけでなく,その他の検査もここで実施されることになっていました。
 受付で予約票を渡すと,まず採尿を済ませるようにと検尿カップを渡されました。なので隣にあるトイレで採尿を済ませました。なお,採った尿はこのトイレの奥にある小窓の中に入れることになっています。ここが検査室の内部と直結していますので,技師はそこから各々の尿を取り出せます。ですから患者が尿を持ち運ぶことはありませんし,それがだれの尿であるかということは検尿カップに記載されている番号でのみ特定できるようになっています。
 中央検査室の受付に戻る前に注射針の処理を済ませました。これは意外と大きな荷物になるので,検査の間ずっと持ち運ぶのは面倒だったからです。
 受付に戻ると11時40分の予約だった神経伝導検査はすぐにできるようになっていました。この受付からみると最も奥の部屋がその検査のための部屋でしたので,そこへ向いました。検査を受けたのは右足です。靴下は脱ぎ,ズボンを捲り上げるという形で実施されました。この検査が終ると,実施した技師が僕を別の部屋に案内して,すぐに次の検査が始まりました。これは13時30分の予約になっていた血圧・脈派の検査でした。ベッドの上に仰向けになり,両手首と両足首に器具を装着しての検査でした。足首については終了後にもう1度計測し直されました。入院中にこの検査を行ったときもやり直しがあり,それはたぶんそのときに担当していた技師との会話から,低血圧であったためと思います。ですがこのときはどうしてやり直さなければならなかったのかは分かりません。さらに同じ部屋で心電図の検査も行われました。部屋は同じでしたが技師は変わりました。その技師は自律神経機能の検査であると言ったように思うのですが,あるいは僕の聞き違いであったかもしれません。予約では14時だったものです。どれもさほどの時間は掛かりませんでしたが,たぶんこの最後の検査が最も短かったのではないかと思います。
 これらの検査が終了すると,受付に戻るようにと指示されました。
コメント

書簡六十九&診察券

2017-06-20 19:14:25 | 哲学
 オーステンスJacob Ostensに書簡四十三を送った1671年初め,おそらく2月の時点では,スピノザはフェルトホイゼンLambert van Velthuysenのことを『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を読むに値しない人間であると評価していました。訪問の時期は1673年の夏と僕は判断しますが,スピノザがユトレヒトを訪問したとき,ふたりは面会して議論を交わしました。その結果,スピノザはフェルトホイゼンに対する従来の認識を改めることになりました。そのことを確定できるのがスピノザがフェルトホイゼンに宛てた書簡六十九です。
                                     
 おそらくスピノザは『神学・政治論』を出版したとき,反動的勢力から反論を受けることは想定していたでしょうが,デカルト主義者の哲学者たちから反駁されるとは想定していなかったものと思われます。むしろスピノザの考えのうちには,『神学・政治論』の内容は,デカルト主義者たちを擁護するような内容が含まれているということがあったのだろうと思います。だからそれを反駁してきたフェルトホイゼンについて,それを読むには相応しくない人間であるという判断を下したのではないでしょうか。
 ところが,ユトレヒトでフェルトホイゼンと会見することによって,どういった意図からデカルト主義者が『神学・政治論』を反駁するのかということをスピノザは察するに至ったのだと思われます。他面からいえば,それまでのスピノザは,なぜ『神学・政治論』がデカルト主義者から反駁されなければならないのかをよく分かっていなかったのでしょう。それを分かっていなかったことが,フェルトホイゼンに対するスピノザの誤解を産んだのだと推測されます。
 会見を通してデカルト主義者の反駁の意図が理解できたので,スピノザは『神学・政治論』に補足をつける気になったのだと思われます。書簡六十九は,そのために『神学・政治論』を駁論し直してほしいというスピノザからの依頼です。スピノザはだれの駁論よりもフェルトホイゼンの駁論を吟味したいと書いています。そこに社交辞令がなかったとはいえないでしょうが,フェルトホイゼンに対する認識を改めたということは明らかだといえるでしょう。

 10月15日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はマシュマロにチョコレートで絵を描いたそうです。作成したものは持ち帰りませんでしたので,実物がどんなものであったのかは分かりません。ハロウィンのための菓子製作となっていましたから,作ったもののすべてをその場で食べてしまったというわけではないだろうと思われます。
 10月21日,金曜日。保護者会があって母が行きました。僕はこの日は長者町に出掛けています。
 10月23日,日曜日。この日から来日していた伯母,母,妹の3人で旅行に出掛けました。旅行先は熱海です。2泊3日でしたから,帰ったのは25日の火曜日。したがって妹は24日の月曜日と25日の火曜日は施設を欠勤しました。僕は24日は戸塚,25日は伊勢佐木町にそれぞれ出掛けていました。
 10月27日,木曜日。伯母がロスアンゼルスへ帰国しました。母が横浜駅まで見送りました。僕はこの日は長者町に出掛けていました。
 10月28日,金曜日。妹が卒業した養護学校の保護者だけでの昼食会があって,母が行きました。僕はこの日は本牧に出掛けています。
 10月29日,土曜日。妹が通っている施設の近辺で地区のお祭りがあり,母と妹が遊びに行きました。
 10月30日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後4時の開始でした。
 10月31日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 前回の診察のときに,この日はいつもの採血と採尿だけでなく,4つの検査を受けるようにという指示が出ていて,各々の検査の予約が入っていました。このためにこの日はその予約時間に間に合うように到着しなければなりませんでしたから,普段の通院のときよりは早めに家を出て,病院に到着したのは午後11時25分くらいでした。最初の検査の予約時間が11時40分だったからです。
 いつものようにまず受付で保険証確認をしたのですが,このとき,病院の診察券の方にヒビが入っていると言われました。すぐに新しいものを作成することができるということでしたので,新しいものをもらい,それを機械に通して紙の予約票を入手しました。
コメント

祝えない&来日

2017-06-19 19:06:33 | 歌・小説
 先生とが結婚することが決定したということを奥さんから告げられたKは,お祝いをあげたいが私は金がないからあげられないという意味のことを最後に言いました。先生とKの関係は裕福な男と困窮した男に該当します。この関係は『それから』の代助と平岡と同じです。ですが平岡は自分が困窮しているということに自覚的だけれども,Kはそれにあまり自覚的ではないと僕は読解しています。Kは確かにこの部分では,自分に金がないということに自覚的とも読み取れることを言ったのですが,僕はそのようには読解していません。Kがこのときに本当に言いたかったのは,自分には金がないということではなかったのだろうと読解するのです。
                                     
 この部分の金がないということは,お祝いをあげることができないということの理由になっています。したがって,もしKがこの結婚を祝う気持ちがあり,そのお祝いに何かをあげたいのだと思っていたとしたら,金がないということについてKは自覚的であったと解さなければなりません。申し訳ないけれども金がないからお祝いをあげられないというなら,お祝いをあげることすらできない困窮を自覚していたといわざるを得ないからです。
 でもたぶん,Kが本当に言いたかったのは,お祝いをあげられないということだったと僕は解します。お祝いをあげられないというのは婉曲的ないい回しで,要するに先生と静との結婚を祝う気持ちにはなれないと奥さんに言ったのだと僕は解するのです。ただ,祝わないということについて何らかの理由づけが必要で,そのためだけに自身の困窮を利用したのだと思います。Kの下宿代は先生が支払っているわけで,Kの困窮は奥さんも知っています。ですからこのときだけ,Kは自身の困窮に言及したのでしょう。これとて困窮に自覚的でなければ言えないというならその通りですが,もし他に適当な理由があればそれでもよかった筈で,その意味では困窮を強く自覚した一言ではなかったと僕は解します。
 Kは静に恋愛感情を抱き,それを先生に告白しています。ところが出し抜けに先生とKの結婚が決まったと知らされました。Kがその結婚を祝う気持ちになれなかったのは,合理的に説明できる理由があるといえるでしょう。

 9月20日,火曜日。本牧に出掛けた帰途にI歯科に寄り,予約を入れてきました。
 9月21日,水曜日。前日に予約を入れておいた歯科検診に行きました。この日も歯石を除去しただけです。午前9時半の予約で,10時20分には帰宅することができました。また,この日は地域活動ホームが主催する夕食会とカラオケ会というのがあって,妹が参加しました。集合は午後5時に磯子駅。解散も同じく磯子駅で午後9時でした。参加したのは妹だけですが,ひとりで行って帰ってくるということはできませんので,母が送り迎えをしました。
 9月24日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は先生からの連絡がなく,午後5時半の開始でした。
 9月25日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 9月30日,金曜日。午前11時から御講があり,母が行きました。また,この日は妹の前期の終了日,すなわち給料日でした。僕はこの日は本牧に出掛けています。
 10月1日,土曜日。妹のピアノのレッスンでした。この日は午後2時半の開始でした。
 10月9日,日曜日。母と妹が美容院へ行きました。この日も予約は午後1時。帰ってきたのは午後3時半でした。
 10月10日,月曜日。体育の日の休日で,ガイドヘルパーを利用しました。この日はボーリングでした。僕はこの日は休み。ちょうど中央競馬の開催がありましたので,馬券を買いにWINS横浜に行っています。インターネット投票もできますが,ウォーキングがてら馬券を買いに行くという習慣は変わっていません。
 10月14日,金曜日。ロスアンゼルスの伯母が来日しました。空港に到着したのが午後5時半頃。それからバスを利用して僕の家に着いたのが午後7時40分のことでした。伯母はバスよりも電車の方を好み,大抵は成田エクスプレスを利用します。このときにバスの方を利用したのは,翌日からすぐに予定が入っていて,そのための荷物が多かったからです。いつもは空港からの宅配を頼むのですが,このときは宅配が到着する前に必要なものが多かったので,バスを利用した方が楽だったのです。
コメント

高松宮記念杯競輪&旅行

2017-06-18 19:07:48 | 競輪
 岸和田競輪場で行われた第68回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは新田‐成田の福島,吉田‐平原‐武田の関東,稲垣‐村上の京都,山田‐井上の九州。
 新田がスタートを取って前受け。3番手に稲垣,5番手に山田,7番手に吉田で周回。残り3周のバックを過ぎてから吉田が上昇。これを見た山田も動き,ホームでは山田が新田を叩いてそのまま誘導も斬りました。コーナーに入るとその上から吉田が叩き,4番手に山田,6番手は内に新田で外に稲垣の併走となって打鐘。そのまま山田がペースアップ。稲垣は外から追い上げホームで武田の横まで接近しましたが牽制に遭い失速。この牽制で開いた内を山田がするすると進出。バックで平原をどかして番手を奪取。ですが後方で脚を溜めていた新田が短くなった隊列を外から捲り切り,3コーナーで先頭に出るとそのまま差を詰めさせずに優勝。マークの成田が1車身半差の2着に続いて福島のワンツー。成田を追う形になった山田が2車身差で3着。
 優勝した福島の新田祐大選手は先月の函館記念に続いての優勝。ビッグは昨年の高松宮記念杯以来の優勝で通算6勝目。GⅠは5勝目で高松宮記念は連覇となる2勝目。このレースは関東の並び順からして吉田の先行は予想されたところ。そのまますんなりした展開になれば平原が絶対的に有利でしょうが,稲垣や山田が手をこまねいてそういう展開を許すとは思えなかったので,新田の方が有利ではないかとみていました。山田がインを掬ってくるのは平原にとっては想定外だったのかもしれませんが,少しばかり油断があったかもしれません。その前に出ていってしまえば新田の捲りには抵抗できなくとも,もう少し上の着順はあったのではないかと思います。

 『スピノザの哲学』と関係する考察はここまでにして,また日記へと戻ります。
                                     
 8月22日,月曜日。妹が施設を欠勤しました。これは台風が上陸したためです。施設がその影響で休業となったわけではなく,こちらの自主的な判断でした。この日は僕もずっと家で過ごしています。
 8月27日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケに連れて行ってもらいました。
 8月28日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。当日に先生から電話があり,午後5時の開始でした。
 9月5日,月曜日。妹の遺伝科の通院の日でした。この日は身体測定を行った後で診察。さらにその後で採尿をしたとのことです。これは尿鮮血がみられていたためでしょう。予約は午後1時で,いろいろとあったわりには早く,午後2時45分には帰宅できました。もっとも,連れて行ったのは母です。僕はこの日は長者町に出掛けて,帰ったのは午後4時25分頃でした。
 9月8日,木曜日。妹はこの日から施設の旅行に出掛けました。これは毎年恒例で,会社でいえば社員旅行のようなものです。この年は焼津へ。1泊でした。僕はこの日は本牧に出掛けていました。
 9月9日,金曜日。妹が旅行から帰るということで,母が施設まで迎えに行きました。旅程では午後4時15分に施設に到着となっていて,母によればほぼ定刻での到着になったようです。ふたりが家に帰ってきたのは午後5時15分くらい。僕はこの日は長者町に出掛けていましたが,午後4時半くらいには帰っていましたから,僕の方が先に家で待っていたことになります。
 9月11日,日曜日。母と妹が美容院へ行きました。いつものように午後1時の予約でした。
 9月14日,水曜日。妹の歯科の通院の日で,母と指定歯科へ。午後3時の予約になっていました。僕はこの日は川崎に出掛けていました。
 9月17日,土曜日。妹の眼鏡の状態が悪化したので,母と妹で眼鏡ストアに出掛けました。ついでに昼食も済ませて帰りました。
 9月18日,日曜日。妹のピアノのレッスンでした。前日の夜に電話があり,午後2時半の開始になっています。
コメント

棋聖戦&先行

2017-06-17 19:33:48 | 将棋
 豊田市で指された第88期棋聖戦五番勝負第二局。
 羽生善治棋聖の先手で角換り相腰掛銀。かつての定跡とは異なる互いに下段飛車での先後同型から後手の斎藤慎太郎七段は右玉へ。先手は左に囲って飛車を6筋に回るという戦型になりました。中盤で駒得できた分だけ先手がよくなっていたのかもしれません。
                                     
 先手が7五に香車を打って後手が歩を叩いた局面。結論からすると第1図は先手の勝ちになっているようで,後手はここまでのうちに変化が必要だったことになりそうです。
 先手は金取りを無視して☗7四香と取りました。これには☖7八歩成☗同王。後手は☖5四香と打って角筋を止めました。先手の桂馬が動いたら攻めにも効きそうな手です。
 先手は☗6三桂成を決断。以下☖同金☗7三香成☖同玉☗8五桂打☖6二玉☗7三金☖同金まで進めて☗5四角と香車を取りました。
                                     
 先手はほかにも勝ち方があったかもしれませんが,最も明快な手順を選べたようです。第2図は☖7六飛とも寄れなくなっているので☖7七歩と打ちましたが☗6八王で先手玉は詰まず,仕方ない☖9七飛成に後手玉を詰まして先手の勝ちになっています。
 羽生棋聖が連勝。第三局は来月1日です。

 『スピノザの哲学』では,観念ideaが事物に対して先行するということと少なくとも同時であるということが並列的に語られ,それがスピノザの哲学において要求されているとされています。ここまでの説明から明らかなように,永遠aeterunusであるということをも同時であるとみなす限りにおいて,Aの観念とAという事物の同時性はスピノザの哲学において要求されています。ですがAの観念のAという事物に対する先行性は要求されていません。むしろ否定されています。
 ただし,観念の事物に対する先行性は,ある限定的な意味に解する限り,スピノザの哲学を理解するにあたって無益というわけでもありません。ひょっとしたら桂は単に事物の観念に対する先行性を否定するためだけにそのようないい回しをしたわけではないかもしれませんので,その点について僕の見解を表明しておきます。
 僕たちが何かを認識するのは,僕たちの精神mensが神Deusの無限知性の一部である限りにおいてです。いい換えれば,僕たちが神の思惟の属性Cogitationis attributumによって説明される限りにおいてです。このことは認識するのは僕たちの精神であって僕たちの身体corpusではないということから明らかだといわなければなりません、したがって,もし僕たちが思惟する限りにおいて事物を認識するということをいいたいのであれば,僕たちの思惟は僕たちが認識する事物に対して先行しています。他面からいえば,思惟の全体は,思惟の対象subjectumとなる個別の事物に対しては先行しています。あるいは優越性を有します。無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusというのは思惟の属性の直接無限様態なので,第一部定理二一により,思惟の属性が存在するなら必然的にnecessario存在するような様態modiです。人間の精神が無限知性の一部とみなされる限りにおいて,このような見方は不可能ではないと僕は考えます。
 とはいえ,延長の属性Extensionis attributumにもそれが存在すれば必然的に存在する直接無限様態があります。知性にとってはそれも認識の対象となり得るのですが,だから観念が事物に対して本来的な意味で先行するとはいえないでしょう。あくまでも僕たちは思惟する限りで事物を認識するという意味において,観念の先行性は不合理な解釈とはいえないというだけです。
コメント

ジョー・樋口&持続と永遠

2017-06-16 19:22:59 | NOAH
 『全日本プロレス超人伝説』の第13章はジョー・樋口です。樋口については自著である『心に残るプロレス名勝負』を紹介していますし,樋口と三沢,また樋口と馬場のエピソードについても書いています。全日本プロレスでの樋口は外国人係を務めていて,団体としての重要性はそちらの方が大きかったかもしれません。ですが表舞台ではレフェリーでしたから,ここではレフェリーとしての樋口に限定して書いておきます。
                                     
 樋口は力道山に誘われてレスラーを引退した後で外国人係として再びプロレスと関わるようになりました。1960年のことです。このとき,本名である樋口寛治は呼びにくいので,ブッカーも務めていたグレート・東郷の一声でジョーと命名されました。レフェリーを務めるようになったのは1965年の5月からで,そのときにはすでにジョー・樋口になっていたことになります。ただし,全日本プロレス協会時代にはレフェリーをやったこともあり,そのことを知っていた吉村道明の依頼でした。
 日本プロレスには大物外国人レスラーも参戦していて,かれらが認めたために1967年にはアメリカにも呼ばれてレフェリング。このときにはNWAの世界戦も裁いたということですから,よほど信頼を受けていたと考えていいでしょう。
 1972年に日本プロレスを退団。馬場に誘われて全日本プロレスに移籍。以後は全日本プロレスのチーフレフェリーとして多くの試合を裁きました。試合中に失神してしまうのは名物といっていいくらいでしたが,当然ながらあれは試合を終了させるための措置です。ギミックはレスラーだけにあるものではなく,レフェリーにもあるのです。また,ある意味ではプロレス的才能をも兼備したレフェリーであったといえるかもしれません。
 1997年3月の三沢光晴とスティーヴ・ウィリアムスの三冠選手権を最後にレフェリーを引退。試合開始直前にこれが最後のレフェリングとアナウンスされ,ファンにとっては突然の引退でした。こうした発表の仕方は樋口の希望だったそうです。

 持続duratioの終焉の同時性を示すにあたって第五部定理二一を援用しましたので,念のために次のこともいっておきましょう。
 第五部定理二三は,一読すると,人間の身体corpusの持続が終焉してもその人間の精神mens humanaの持続が終焉するわけではないと主張しているように思えます。ですが実際にそこで主張されているのはそういうことではありません。これはこの定理Propositioにおいて,永遠なるaeternus「あるものaliquid」が残存するといわれていることから明らかです。
 ここでいわれている「あるもの」が何であると考えられなければならないのかということからも,この定理が身体の持続の終焉とともに精神が持続を終焉するわけではないということをいっているのではないということは説明できます。ですがここでは,その「あるもの」が永遠aeterunusであるといわれている観点の方で説明します。というのは,こちらの方で説明する方が簡単だからです。なぜなら,永遠というのは時間tempusという観点から把握されるものではないからです。いい換えれば持続という観点から把握されるものではないからです。
 持続には開始がありまた終焉があります。僕たちはそれがどのような原因によって開始され,それがどのような原因によって終焉するのかということについては十全に認識することができない,少なくとも十全に認識することができない場合があります。このために第二部定義五では,持続が存在の無限定な継続indefinita existendi continuatioといわれることになります。しかしたとえそれが無限定な継続であるにせよ,それが持続するといわれるものである以上,その存在には開始があるし終焉もあります。他面からいえば,それが現実的に存在しないと考えることが可能です。
 これに対していえば,永遠であるものというのは存在を開始もしないし終焉もしません。他面からいえば,それが存在しないと考えることが不可能です。したがって,身体の存在が終焉しても,精神のうちの永遠なものが残るというのは,精神は身体の存在の終焉とともにその存在を終焉しないという意味ではありません。むしろ持続するとみられる精神は,身体がその存在を終焉したなら,それと同時に存在を終焉すると考えなければならないのです。
コメント