スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&2018年3月の通院

2018-08-31 19:03:00 | 将棋
 29日と30日に徳島市で指された第59期王位戦七番勝負第五局。
 菅井竜也王位の先手で角道オープン向飛車。後手の豊島将之棋聖が角道を開けずに左美濃を目指した結果,先手のノーマル三間飛車で相銀冠のような将棋に進みました。仕掛けたのも後手からで,この将棋の後手の序盤戦術はうまくいっていたものと思います。
                                     
 先手が端に手を付けた局面。後手は取らずに☖6七歩成と攻め合いに出ました。先手は当然☗1四歩の取り込み。後手は一旦は☖3一玉と早逃げし☗1三歩成のときに☖5七とと金を取り☗同銀に☖4五馬と引きました。
 しかしこの順は☗2四歩と打たれ☖同歩に☗2三歩と垂らされる攻めが厳しく,後手が悪くなってしまいました。
                                     
 これで悪いとなると後手は☗2四歩を打たせてはいけなかったという結論になるでしょう。したがって☖4五馬と引いた局面では☖2四桂と相手の打ちたいところに打ち,もし先手が☗2五歩と打ってくるようであれば☖1六歩か☖3六桂と攻めていく順に活路を見出すべきだったのかもしれません。
 菅井王位が勝って3勝2敗。第六局は来月10日と11日です。

 3月5日,月曜日。妹を通所施設まで送りました。そして午後は通院でした。
 病院に着いたのは午後2時です。保険証の確認をして中央検査室へ。待っている患者がいませんでしたからすぐに採血をし,それから採尿をしました。注射針はまだ箱が一杯になっていませんでしたから,この日は処理はしていません。
 妹を送る都合があるためにこの日は診察の予約を午後3時にしてもらったのですが,実際に診察が始まったのは午後4時15分でした。
 HbA1cは8.4%ととても高くなっていました。冬場は血糖値が高くなりがちではあるのですが,これだけ高くなるのは異常です。8%を超えてしまったのはおよそ6年ぶりのことでした。サマリーの方を見ても平均値はどの時間帯も高くなっていましたが,とくに顕著だったのが就寝前です。その時間帯は目標の範囲値を超過している割合が86.7%。つまり正常といえる血糖値だったのが13.3%しかなかったのです。ですからさしあたってこの時間帯の血糖値の高騰を抑制するために,夕食前に打つ超即効型のインスリンの量を0.01㎎増やすという対策を講じることになりました。それまでが0.08㎎でしたから,この日の夜からは0.09㎎になったのです。僕の場合は0.01㎎単位の増減で,わりと大きな影響が出るということは,これまでの経験から分かっていました。たぶんインスリンの量というのは0.02㎎単位で増減させることが多いのではないかと思われますが,僕の場合はそれだけ増やしてしまうとかえって副作用が心配されるので,この単位での変更になっています。
 この日の検査結果でほかに異常が出ていたのはひとつで,それはトリグラセライド,つまり以前の中性脂肪です。これが36㎎/㎗で,極端に低くなっていました。トリグラセライドが下限値を下回るのは昨年の10月以来で,このこと自体は僕にとってはそこまで珍しいことではありません。ただここまで低くなったのは5年半ぶりのことでした。上限を超過したことはありませんが,近いところまでいったケースはありました。ただ,どうすると低くなってどうすると高くなるのかは分からないのです。
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スポニチ盃アフター5スター賞&Fさん

2018-08-30 19:13:52 | 地方競馬
 昨晩の第25回アフター5スター賞。クルセイズスピリツが左の前脚の跛行で競走除外になり14頭。
 最も発馬がよかったのはサトノタイガーでしたがこの馬は逃げ馬ではありません。サマーダイアリーとスアデラが並んで後続を引っ張る形になりました。3番手もタイセイラナキラとコーリンベリーで併走。5番手もキャンドルグラスとアピアの併走でこの後ろにプリサイスキング。さらにゴーディーとキタサンミカヅキが並んで続き差がなくスウィープアウェイとサトノタイガーの2頭。後方の3頭はやや離れてマルモリロイヤル,キスミープリンス,ミヤジマッキーの順。前半の600mは34秒1のハイペース。
 3コーナーを回るところではスアデラが単独の先頭に。タイセイラナキラ,コーリンベリーと続いて下がったサマーダイアリーの外にアピア。スアデラは直線の入口までは粘りましたが楽な手応えで外からアピアが先頭に。しかしさらに外からキタサンミカヅキが抜け出したアピアを楽々と捕え,最後は目一杯には追わずに3馬身の差をつけ優勝。アピアが2着。アピアが前を一掃する形になったため2馬身差の3着争いは差してきた5頭の争い。この争いを制したのは内から2頭目のキャンドルグラス。大外のマルモリロイヤルがクビ差で4着。真中のスウィープアウェイがアタマ差で5着。外から2頭目のサトノタイガーはやや遅れをとって4分の3馬身差で6着。最内のゴーディーがアタマ差で7着。
                                
 優勝したキタサンミカヅキプラチナカップから連勝で南関東重賞は3勝目。アフター5スター賞は第24回に続く連覇。重賞も制したように大井の1200mは最も能力を出せるコースで,能力面だけでいえば負けようがない相手関係でした。課題は斤量で,ほかの馬との相対的な差は気になりませんでしたが,59キロというのは絶対的な意味において厳しく,これを克服できるかだけが焦点。この斤量での激走は疲れが心配ではありますが,レース内容は楽なものでしたから,大きく響くことはないようにも思えます。そうであるなら東京盃でも期待がもてるでしょう。父はキングヘイロー。母の父はサクラバクシンオー。母の8つ上の半兄に1998年に埼玉新聞杯を勝ったキタサンシーズン
 騎乗した船橋の森泰斗騎手サンタアニタトロフィー以来の南関東重賞28勝目。アフター5スター賞は初勝利。管理している船橋の佐藤賢二調教師は連覇でアフター5スター賞2勝目。南関東重賞は34勝目。

 3月3日,土曜日。この日はの友人ふたりが来訪し,帰宅中の妹と合わせ5人での夕食になりました。
 来訪した友人のひとりはKさんです。そしてもうひとりはFさんでした。母の友人に違いないですが,FさんはKさんと親しいようで,KさんとFさんはふたりでよく外出する仲のようです。
 Fさんも元は中学校の教諭で,かつて母の同僚だったことがあり,そこで知り合いました。ただ,僕はKさんは子どもの頃から知っていますが,Fさんのことは,たとえば電話の取次ぎで話すくらいで,あまりよく知りませんでした。母は僕が3歳のときから小学校を卒業するまで,僕の家からかなり近い中学校に勤務していました。小学校の入学前,あるいは小学生の低学年の頃は,夏休みなどに母が所用で出勤するとき,一緒についていったこともありますし,教職員の慰安旅行に行ったこともあります。なのでこの当時に母の同僚であった方は僕は知っているのです。Kさんのことを知っているのはそのためで,Fさんは母がその前に勤務していた学校の同僚だったのです。
 Fさんは旦那さんが認知症になってしまいました。在宅で看護していたのですが,Fさん自身が癌を患ってしまったため,旦那さんは老人ホームに入所させたとのこと。Fさんの癌も母と同様に完治の見込みはないのですが,抗癌剤による延命治療は受けています。僕は会って長く話をしたのはこのときが初めてでしたが,母のこともありその後も何度かお会いする機会がありました。僕が見た感じだけでいえば化学療法によるひどい副作用が出ているようには思えませんが,本当のところはどうか分かりません。外出するのも億劫にはなっているようです。
 この日の夕食は出前の寿司でした。さすがに母も5人分の夕食を作るだけの体力や気力は残っていなかったようです。また,Fさんは自身で拵えた煮物を持ってきてくれましたので,それがおかずになりました。僕はこの晩は少し食べ過ぎてしまい,血糖値が高くなってしまいました。母もやはり楽しかったのでしょう,いつもの夕食に比べればずっと多くの量を食しました。寿司はこの時期の母にとって食べやすいものだったのです。
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竜王戦&日帰り旅行

2018-08-29 19:03:19 | 将棋
 27日に指された第31期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
 広瀬章人八段の先手。後手の深浦庫市九段が角道をなかなか開けなかったために相居飛車の力戦。先手が中住いで後手が矢倉の陣形で戦いになり,後手が8筋を食い破って優位に。しかし先手がそこから凄まじい粘りを発揮し,長手数の泥仕合になりました。
                                     
 後手が☖4四角と打って先手が6七の玉を早逃げした局面。後の展開からすると☖4四角では☖6六銀の王手だったかもしれません。ただ手数から分かるように,それまでも後手は寄せを逃していましたし,先手も最善の粘りではなかったものと思われます。
 ここで☖9五桂と打ちましたが,これが敗着とされています。☖1五龍として☖6五金を狙うべきだったとのこと。
 次の☗4六香がいい手だったのでそのように結論されているのでしょう。☖6六銀ではなく☖4四角だったので成立した手。これを☖同金と取るのは仕方なさそうです。
 先手は☗5五金☖同角☗同馬で角を入手しつつ王手。後手は☖4四香と受けましたが☗9一龍が香車を取っての金取り。後手は☖3二金打と受けました。
                                     
 第2図となっては後手の戦力が不足し,先手玉を寄せるのが困難になったため,先手の勝勢に近くなっていそうです。ただ,金を持っていればまだチャンスがあったかもしれないので,☖2二王と受けていたらもう一山はあったのではないかという気もします。
 広瀬八段が勝って1勝1敗。第三局は来月6日です。

 3月2日,金曜日。妹を迎えに行きました。事前に電話があったように,この日の迎えは通所施設の方にではなくグループホームにでした。
 妹の日帰り旅行は江ノ島水族館でした。水族館の生物を観ることが妹にとって面白いことなのかどうかは分かりません。ただ,昼食のほかにおやつもいろいろと食べることができたようで,妹にとってはそちらの方が楽しかったのではないかと思います。こういう日帰り旅行は,まだグループホームを利用してから1年を経過していないので,どれくらいの頻度で開催されるものなのかは分かりません。今日の時点までですとこの1度だけなのですが,今週の金曜日にも予定されています。3月の初めに行って,8月の終りに行くということは,概ね半年に1度くらいなのかと思いますが,まだこれは今後のことをみてみないと何ともいえないです。どうやらこの旅行はグループホームの前まで観光バスが来てそれに乗車。行先はもちろん異なりますが,帰りもそのバスでグループホームに戻るという旅程になっているようです。
 せっかくグループホームまで行きましたので,妹の部屋も見てきました。これは搬入のとき以来で,そのときはまだ未使用ですから,妹が住むようになってからはこれが初めてでした。片付けや掃除などは妹にはうまくできませんが,職員が手伝ってくれるのでしょうから,とくに汚れが目立つとか荷物が乱雑に置かれているというようなことはありませんでした。
 帰宅したのは午後4時25分です。グループホームの場合も上大岡経由のバスで,この時間は現時点での送迎と同じです。というか,もう少し早く帰ることができる方が多いのですが,この日はバスが遅れたためにこの時間になりました。
 妹は母とピアノの先生にお土産を買ってきていました。ただ,やはりいつもと違うことをしたので疲れてしまったのでしょう。帰って少しすると布団に入って眠ってしまい,午後8時ごろまで眠り続けました。
 母はこの日は右側の肋骨の下部に痛みを感じていたようです。おそらく癌に由来するものだったと思いますが,処方されていた痛み止めのカロナールはこの日はまだ飲んでいません。
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北条早雲杯争奪戦&臓器の圧迫

2018-08-28 19:05:59 | 競輪
 小田原記念の決勝。並びは近藤隆司‐郡司‐中村‐近藤俊明の南関東と清水‐井上の西国で高橋と木暮と志智は単騎。
 スタートを取ったのは井上で清水の前受け。3番手に木暮,4番手に志智,5番手に高橋,6番手に近藤隆司で周回。残り3周のバックの中間から近藤隆司が発進。コーナーで清水が誘導を斬って突っ張る構えをみせましたが,ホームでは近藤隆司が叩いてこのラインが出きりました。5番手に清水,7番手に木暮,8番手が入れ替わって高橋,最後尾に志智の一列棒状でバックから打鐘。ホームの入口から清水が発進。バックでは近藤隆司を捲ることに成功。ただし番手の井上を郡司がどかし,自力に転じて清水を追いました。車間はあったものの直線の入口では郡司が清水の前に出て,そのまま粘り切って優勝。マークの中村が半車身差の2着に続いて南関東のワンツー。自力で郡司の外を捲るレースになった木暮が2車身差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は昨年4月の川崎記念以来の記念競輪4勝目。小田原記念は一昨年以来の2勝目。ここは南関東が4人で結束するような並びになりましたので,近藤隆司が優勝を捨てて駆けていく公算が高かったのですが,その通りのレースになりました。清水に捲られてしまったのは誤算だったかもしれませんが,井上を捌くことができましたので,一旦は差が開いてしまいましたが郡司と清水の現状での力量差から考えれば順当な優勝だったといえそうです。清水は最後は一杯になってしまいましたがいいレースをしたと称えられてもいいのではないでしょうか。

 2月28日,水曜日。先週の水曜日に母の消化器内科の通院があり,貧血が進んでいるということで輸血をしました。その経過を観察したいということで,翌週のこの日にまた診察の予約が入っていました。この日は11時の予約でした。
 病院に着いたのは10時40分です。貧血の経過の観察ですから当然ながら採血が必要なので,まず中央検査室に向いました。この日はふたりの患者が母より先に採血の順番を待っていました。
 診察が始まったのは正午です。ヘモグロビンの値は改善しているとのことで,これは要するに貧血は解消しているということでした。また,前回は下血があったためにCTの撮影を行いました。下血の原因は分からなかったのですが,詳しい解析の結果が出ていて,それによれば母の肝臓の癌はかなり肥大化していて,その癌が腎臓を圧迫しているとのことでした。このために母の腎臓は,本来のあるべき位置から変異しているとのことでした。こういうのもヘルニアというのかどうかは僕には分かりませんが,体内の癌が大きくなってそれが臓器を圧迫するということが生じるということは,このときに初めて知りました。これでこの日の診察は終了しました。次回は4月ということだったのですが,母はそこまで体力が続く自信がなかったようで,医師にその旨を話すと,3月に予約を入れてもらうことができました。診察の後,院内の食堂で昼食を摂ってから帰りました。帰宅したのは午後1時10分でした。
 先週の通院のときに鉄剤が処方されていました。ヘモグロビンの改善は輸血の効果が大きいでしょうが,鉄剤も飲み続けた方がよいというのが主治医の判断でした。先週の処方は7日分でしたので,この日に改めて処方箋が出されました。一方,痛み止めのカロナールは,処方されたものの母はまだ服用していませんでした。つまり残りがあったので,こちらはこの日の処方はありませんでした。胃薬は処方されていましたが,母はこれは飲んでいません。この日に処方された鉄剤と胃薬については,この日の午後に僕が薬局に行って受け取りました。なお処方された鉄剤は,先週と同じ薬剤で,量にも変更はありませんでした。
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不条理&電話

2018-08-27 19:08:34 | 哲学
 観念ideaをパズルのピースに喩え,全体の中に収まっているのが十全な観念idea adaequataで,全体との連関を欠き単なる一かけらとみなされるのが混乱した観念idea inadaequataであるとする見方に僕が反対する理由を詳しく説明しておきます。
                                
 スピノザは第二部定理四三備考の中で,十全な観念と混乱した観念の関係は,単に真理veritasと虚偽falsitasという関係であるわけではなく,有と無の関係にあるという意味のことをいっています。したがって,全体との関連性を欠いたパズルの1ピースが,ほかのすべてのピースと結び付くことによって全体の一部を構成するようになれば,混乱した観念は十全な観念になると主張することは,単にそれまで虚偽であったものが真理になるということを主張しているだけでなく,無であったものが有になるということをも主張していなければならないと僕は考えます。虚偽であったものが真理になると主張することがそれ自体で不条理であるとは僕は必ずしも考えませんが,無であるものが有になるというのはそれ自体で不条理であると考えます。したがってスピノザの哲学においては,観念をこのような仕方で喩えるのは明らかな誤謬errorであると僕は考えるのです。
 このことは,Xの混乱した観念は,それを認識する人間にとって,Xの十全な認識の契機とはなり得ても,Xの混乱した観念がXの十全な観念の起成原因causa efficiensではあり得ないと僕が考える根拠のひとつにもなります。なぜならもしそのように主張するなら,備考Scholiumでいっていることから,無が有の起成原因であると主張しているのにほかならないからです。しかし無が原因となって有が発生するなどという主張は,それ以上の不条理はないといっていいくらいの不条理でしょう。ですからそれは契機にはなり得ても起成原因ではあり得ず,十全な観念の起成原因はほかにあると考えなければならないのです。
 第四部定理一が示すように,Xの真の観念idea veraとXの誤った観念は同じ人間の精神mens humanaのうちに同時に存在し得ます。ですが各々の観念が発生する秩序ordoと連結connexioは,その人間の精神とだけ関連付けられるなら異なっていなければならず,しかしそのことは第二部定理三六に反しないというのが僕の見解です。

 従兄の実家は戸塚区内ですが,精進落としをしたのは泉区内です。これは単に従兄の実家に近かっただけで,お墓から遠い上に,参列しただれかの家に近いわけでもありません。この場所の選択はミスだと僕は思いました。なお,お寺からお墓までと,お墓からこの店舗までは,僕は父のきょうだいのうち次男夫婦の乗用車に同乗させてもらいました。そして帰りは三女の息子夫婦の自動車に乗せてもらい,これは家まで送ってもらいました。この夫婦は磯子区在住で,僕の家とはだいぶ離れたところではありますが,方向的には同じだからです。帰宅したのは午後7時5分でした。
 この日は妹のピアノのレッスンがありました。午後1時からでしたから,僕が出掛けるときにはレッスンは始まっていました。母が22日にピアノがある部屋を掃除したのはこの日のためでした。
 2月26日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 2月27日,火曜日。妹のグループホームから電話がありました。
 実は3月2日は妹はグループホームの一同で日帰りの旅行に出かけることになっていました。これは事前から分かっていたものです。ただ,この旅行というのが,どこから出発してどこに帰ってくるのかということが僕には分かっていなかったのです。つまりグループホームからなのか通所施設からなのか,そして通所施設へなのか,グループホームへなのかということがです。3月2日は金曜日で,事前の予定では迎えに行くことになっていました。しかし妹が帰る場所が分からなければ迎えに行きようがありません。通所施設へ迎えに行ってよいということでしたので,この日は迎えに行くことを事前,というのは2月のうちに決めておいたのですが,実際は出発も帰りもグループホームなので,2日に迎えにくるのであればグループホームに,午後3時半前後に来てほしいというのがこのときの電話の主旨でした。搬入のときは迷ってしまいましたが,どう迷ったかが分かっていますから道を間違えることはもうありません。ですからそれで了解したのですが,もし事前に分かっていれば,この週末は妹はグループホームで過ごすことになっていただろうと思います。
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小鹿の雑感⑥&納骨

2018-08-26 19:16:25 | NOAH
 小鹿の雑感⑤でミスター・林の話が出た後,小鹿のパートナーであった大熊元司のことに話題が移ります。
 ザ・グレート・カブキによれば,大熊は酒屋の息子だったそうです。実家の酒の一斗の樽を盗んで売りに行き,売った金で居酒屋で飲むようなこともあったそうです。なぜ実家の酒をそのまま飲まず,売った金で飲むのかは分かりませんが,大熊はそれくらい酒が好きだったそうです。馬場も大熊は酒が好きだったという主旨のことを言っていますので,これは事実でしょう。ただ,酒癖はあまりよくなかったようです。これも馬場がいっていることと一致していますので事実でしょう。天龍源一郎は,大熊はほかの選手たちが食べているのをみながら飲むのが好きだったと言っていますが,この食事は大熊の奢りだったのではないでしょうか。馬場が大熊の酒好きおよび酒癖の悪さを知っているのは一緒に飲んだことがあるからで,そのときはさすがに馬場が支払っている筈だと思います。
 天龍は大熊の酒癖の悪さに関しては馬場は目を瞑っていたと言っています。何度かいっているように大熊は全日本プロレスの設立メンバーのひとりであって,馬場が可愛がっていたこととそれは無縁ではないように僕には思えました。小鹿やカブキの話は断定できませんが,天龍は全日本プロレス入りしてから大熊と知り合った筈なので,天龍の話はすべて全日本時代の大熊のことです。馬場と大熊が一緒に飲んでいたのは,日本プロレスの頃ではないでしょうか。
 天龍は選手としての大熊は,自分が見た中でも馬力があり,ナチュラルでレスラーらしかったと言っていて,カブキは頑丈で,思いきり蹴られても起き上がってくるような選手だったと言っています。これは僕の印象と一致します。大熊は対抗戦時代に駆り出されていますが,大熊が選ばれた理由も,そこにあったのだと僕は思っています。

 輸血が終了するとすぐに看護師が針を抜いてくれました。午後6時5分です。母はおそらく輸血の効果で,立ち上がるのは楽になったと言っていました。母が残したノートにも,しっかり歩けるようになったという記述があります。痛みの発現があった頃から,母は少し仕事をすると休息をとるようになっていたのですが,それには貧血も影響していたのかもしれません。僕などは余命が限られている母のような患者に,輸血という処置を講じるのは,血液が不足しているといわれることもある現況から,果たしていいことなのかという疑問がありました。僕はこうしたことも正直に母には話しますが,母も同じような感想を抱いていたようです。ですが実際に輸血をしてみれば効果は覿面でしたので,これはこれでよかったのだと今では思っています。精算を終えてタクシーで帰宅したのが午後6時45分でした。
 2月22日,木曜日。前日の通院で母には薬剤が処方されていました。前日は遅くなったために薬局に行かれませんでしたので,この日に行って受け取りました。なお,実際に処方されたのは鉄剤と鎮痛剤のほかに胃薬もありました。ただ母は胃薬は服用していません。また,鎮痛剤は適宜,つまり痛みを感じたら飲むようにと処方されたもので,鉄剤とは異なって,決められた時間に決められた量を服用するというものではありませんでした。この日,母は2階まで上がり,ピアノを設置してある部屋を掃除しました。これができたのも輸血の効果であったと思われます。
 2月23日,金曜日。妹を迎えに行きました。
 2月25日,日曜日。1月17日に死んだ従兄の四九日の法要と納骨がありました。まず最初に法要で,これは午後2時からお寺で行われました。通夜や葬儀も本門仏立宗で執り行われたように,僧侶はこのお寺の導師だったからです。その後で納骨。ここの家のお墓は上大岡にあります。上大岡駅は上永谷駅と同様に谷間にあり,鎌倉街道を挟んで東西が丘。妹のグループホームは西側の丘の上ですが,このお墓は東側の丘にあります。その後,従兄の実家の近くにある和風レストランで精進落としがありましたので,僕も参加しました。
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孤独の肖像1st.⑤&輸血

2018-08-25 19:11:26 | 歌・小説
 で求めているものが嘘や夢という非現実的なものにすぎず,しかもそれが現実的になったとしても寂しさ,すなわちこの楽曲の主題となっている孤独から逃れることができる確信をもつことができないと歌った歌い手は,一種の諦めの境地に達してしまったかのように続けます。
                                     

     愛なんて何処にも無いと思えば気楽
     はじめからないものはつかまえられないわ


 気楽,と歌っていますが,実際に気が楽になっているわけではありません。愛などはじめからない,ということは歌い手が真剣にそう思うようになったというわけではなく,無理に自分にそう思い込ませようとしていることにすぎないからです。ですからこの歌詞が意味するのは,歌い手は愛を求めているということ以外の何ものでもありません。

     隠している心の中 うずめている心の中
     もう二度と悲しむのはこりごりだから暗闇の中へ


 暗闇の中とは孤独の中という意味です。したがってことばの上ではここでは歌い手は孤独を追求していることになります。ですがその理由はもう悲しむのはいやだからという消極的なものであることも明らかです。よって心の中に隠していること,あるいは埋めていることというのは,孤独の追求ではなくてむしろ愛の追求です。ですからここの部分も,歌い手は行動の上では暗闇という孤独の中に沈んでいくのだとしても,歌い手の心中は別のところにあるということになるでしょう。

 CTの検査を終えた僕たちが再び消化器内科の診察室に呼び込まれたのは午後1時20分でした。まずCT検査の結果が告げられましたが,何か特別な異常があるわけではなく,下血の原因は不明であるということでした。原因不明でしたが,異常はなかったので,このことについてさらに検査をすることはありませんでしたし,何らかの治療を施すということもありませんでした。たぶんですが肝臓癌が進行してくれば下血というのはどうしても避けようがないことなのではないかと思います。逆にいえばこの時点で母は,下血が発生するまで癌が進行していたのだと解しておくのが適切なのではないでしょうか。
 検査前の診察のときに,貧血の症状がかなり進んでいるので輸血が必要であるという話がありました。これはこの日のうちに行うことになりました。ただ輸血のためには事前に採血をしなければならないので,僕たちは診察室を後にして,再び中央検査室に向いました。これは血液型を確認するためのものだったのではないかと思います。それでも結果が出るまでには一定の時間を要するので,その間に昼食を摂ってもよいとのことでした。なので採血後に院内の食堂で食事をしました。これが午後1時40分のことです。
 今度は診察室ではなく診察室の裏にある処置室に向いました。母が副作用に耐えられなくなり,当日に電話して病院に行った日に,横にさせてもらった部屋です。輸血はここで行われることになっていました。僕たちが処置室に入ったのは午後2時10分で,すぐ看護師が来て,輸血をするための針を母の腕に挿しました。ただ,実際に輸血が開始になったのは午後2時55分です。その血液が空になったのが午後4時40分。ただ母の輸血は1パックではなく2パックでしたので,すぐに2パック目の輸血が開始され,それが終了したのは午後6時でした。
 この日は貧血の症状を抑制するために鉄剤が処方されました。クエン酸第一鉄Na錠50㎎「サワイ」という名称のものです。それと同時に,すでに母には癌に由来する痛みの発現がありましたから,痛み止めも処方されています。こちらはカロナール錠200というものでした。
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キャプテントゥーレ&下血

2018-08-24 19:14:53 | 名馬
 先週の黒潮盃を制したクロスケの父はキャプテントゥーレです。
                                     
 父はアグネスタキオン。母は2001年に阪神牝馬ステークスを勝ったエアトゥーレ。祖母はフランス馬のスキーパラダイスで,この馬は日本に遠征してきた1994年の京王杯スプリングカップを勝っています。
 2歳7月にデビュー。2戦目で勝ち上がるとオープン3着を挟んで4戦目でデイリー杯2歳ステークスを制覇。重賞勝ち馬になりました。朝日杯フューチュリティステークスは3着。
 3歳初戦の弥生賞は4着。続く皐月賞を逃げ切って大レースの勝ち馬に。しかしこの後,長期の休養に入りました。
 復帰戦は4歳8月の関屋記念。これは4着でしたが次の朝日チャレンジカップを制して復活。天皇賞(秋)は大敗でマイルチャンピオンシップは4着でした。
 5歳初戦のアメリカジョッキークラブカップは大敗。マイラーズカップ3着から挑んだ安田記念は7着でした。
 秋は朝日チャレンジカップで復帰して連覇。しかし天皇賞(秋)は前年に続いての大敗に終わりました。
 現役を続行した6歳初戦の中山記念はヴィクトワールピサの2着。大阪杯5着の後,金鯱賞がルーラーシップの3着。クラシックの勝ち馬が出走するような格の重賞ではない七夕賞に回ったので1番人気に推されましたがこれは大敗。そしてこのレースが現役生活の最終戦となりました。
 成績から分かるように大レースの勝ち馬ですが超一流馬とはいえません。本質的にはマイラーだったのではないかと思います。種牡馬として大きな期待はもうかけづらく,たぶんクロスケが代表産駒となるのではないでしょうか。

 2月19日,月曜日。妹を日野の施設まで送りました。
 2月21日,水曜日。の消化器内科の通院に同行しました。
 予約は11時半。僕たちが家を出たのは10時40分で,タクシーがなかなか見つからなかったこともあり,病院に着いたのは11時10分ごろでした。まず中央検査室で採血をして消化器内科の診察室の前まで移動。診察が始まったのは12時20分でした。
 まず主治医に告げられたのは,貧血が極度に進んでいるので,輸血が必要であるということでした。そして僕は知らなかったのですが,母は便に血が混じることがあったようです。つまり下血していて,それが貧血を生じさせている原因ではないかと母は疑っていました。主治医の方は,貧血の原因よりも,下血が生じているということ自体の方が重大であると考えたようです。そこでまず,下血の原因の方を調べるために,CTの検査を行うことになりました。
 今から思えば,このときのCTの検査というのが本当に必要なものであったのか僕には疑問が残っています。たとえばこの検査を行うことによって,下血の原因を特定することができたとして,それに対して何か有効な治療を行うということが,このときの母の体力を考えれば,そもそも可能であったのかどうかも不明ですし,仮に可能であったとして,その治療を行うことが,余命がそう長くないと思えるような末期癌の患者である母にとって,何か意味のある治療であるのかどうかも不明であるからです。ただ,これはあくまでも今にして思えばということであって,このときの主治医にそう指示された時点ではまったく思っていなかったことなので,母も僕も納得して検査を受けました。
 前にもいいましたが,この主治医は僕たちに化学療法を何度も勧めてきたように,余命が限られている患者に対しても治療というものにとても積極的でした。このときの指示も,この主治医のそうした現実的本性actualis essentiaの発現であったのだろうと僕は思っています。というのはこの後で主治医が変わると,対応が大きく変わってきたからです。ただそのことについては,また新しい主治医になってから,詳しく説明することにしましょう。
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王位戦&社会的目標

2018-08-23 19:24:38 | 将棋
 博多で指された第59期王位戦七番勝負第四局。
 豊島将之棋聖の先手で菅井竜也王位の角道オープン四間飛車。後手が角道を止めて三間飛車に振り直し,石田流を目指したところで先手から仕掛けました。先手が龍を作るという分かれになりましたので,仕掛けは機敏であったといえると思います。どうやら封じ手の前に差がついてしまった将棋だったのではないでしょうか。
                                     
 先手が自陣に引いていた龍を再び浮いた局面。ここから後手は☖4五桂と取り☗同歩に☖2三歩と打ってまた☗2八龍と引かせました。後手は龍を作らせた代償が必要で,それが銀桂交換の駒得以外に得られないのであれば,この順は仕方がなかったと思います。
 後手はさらに☖3四銀と上がって飛車を捌きにいきました。ですがこの手は局面の悪化を招いたかもしれません。
 先手は☗5五歩と薄くなった角の頭を目標に。後手の☖4五飛は手の流れから自然ですが☗5四歩☖4四角☗同角☖同飛に☗5三歩成と先手は手なりでと金の製造に成功しました。
                                     
 第2図から後手も☖4七飛成で龍を作れますが,先手はすでに龍ができています。後手の駒得と5三のと金はと金の価値の方が高い上,後手は3二の金と上がった3四の銀が働きに乏しく,この局面では先手が大優勢に立っているのではないでしょうか。
 豊島棋聖が勝って2勝2敗。第五局は29日と30日です。

 障害者と関わりのない生活を送っている健常者に対して,障害者と関係をもたせるために,自身に可能な支援を計画させるということを政策として実行するなら,大きな反対を呼ぶだろうと思います。もちろん僕もその政策は愚挙であると思います。しかしそれが愚挙であるなら,障害者に対して必要な支援を計画させるということも,いかに税金を用いた支援の給付を決定するために必要であるとはいっても,愚挙である部分も確実に存在していると僕は考えます。そもそも妹のように,今年で42歳になろうかという人間に対して,何か社会的な目標を決定しなければサービスの給付ができないというのは,おかしな話ではないでしょうか。社会的な目標などというものは何ももっていないような42歳の健常者というのは,いくらでも存在するのではないかと僕には思えるからです。
 話が脱線しましたが,この日は三者面談がありましたので,いつもの送迎のパターンとは異なり,帰宅は午後5時20分になりました。
 2月18日,妹の美容院の予約が入っていました。予約した時点では母は自分が行って,自分の髪も切ってもらうつもりでいたのですが,前日にどうももう行くのは無理になってしまったようなので,妹を連れて行ってやってほしいと依頼されましたので,僕が同行しました。同時に買い物も頼まれましたので,これは妹が髪を切ってもらっている間に済ませました。このときの買い物は生理用品です。
 三者面談のときに,通所施設には月に1度,美容師が来て,希望する利用者の髪を切ってくれるサービスがあるという話がありました。これは1000円という費用がかかるのですが,美容院に通って1000円ということはあり得ないですから,美容師によるボランティアの一種ではないかと思います。この日は2時15分に帰宅することができたのですが,帰宅後に母とこの話をして,次からこのサービスを利用することに決定しました。したがって妹がこの美容院に行ったのは,現時点ではこれが最後で,おそらくこれからも行くことはないと思います。もちろんこの日に行かれなかった母も,体力の回復はなく,これ以降は行っていません。
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日刊スポーツ賞スパーキングサマーカップ&障害者を受け入れる社会

2018-08-22 20:49:11 | 地方競馬
 金沢から1頭,高知から2頭が遠征してきた第15回スパーキングサマーカップ
                                     
 ウェイトアンドシーとニシノラピートはどちらも逃げたかったと思われますが,枠順が内だったウェイトアンドシーが先手を奪いました。オメガヴェンデッタが押し上げていって2番手。アルマワイオリが内の3番手になり控えたニシノラピートは4番手に。5番手にイッツガナハプンとリアライズリンクスの併走でここまでが先行集団。その後ろはアポロナイスジャブとファイトユアソング。そしてノースウッドとモンドアルジェンテ。さらにグレナディアーズとタマモネイヴィーとなり,後方2番手がミッキーヘネシーで最後尾にトキノエクセレント。前半の800mは50秒4のミドルペース。
 3コーナーを回るとオメガヴェンデッタは鞭を入れて逃げるウェイトアンドシーを追う形に。内を回ったアルマワイオリが直線の入口ではオメガヴェンデッタの内に取りつき,直線はまずこの3頭の競り合い。ここに襲い掛かってきたのが中断待機のモンドアルジェンテと殿に控えていたトキノエクセレント。5頭はそれほど差のないフィニッシュとなりましたが,優勝は一杯に逃げ切ったウェイトアンドシー。外2頭目のモンドアルジェンテがクビ差の2着で真中のオメガヴェンデッタがクビ差で3着。最内のアルマワイオリはクビ差の4着で大外のトキノエクセレントは半馬身差の5着まで。
 優勝したウェイトアンドシー川崎マイラーズ以来の南関東重賞2勝目。逃げる競馬がベストで,ここは先手を奪いきれたのが勝因。活躍の場は今後もこのくらいの距離の南関東重賞になるでしょうが,好走できるかどうかは展開次第という面が大きくなるのではないかと思います。父はオレハマッテルゼ。母の従弟に2001年にCBC賞を勝ったリキアイタイカン
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は川崎マイラーズ以来の南関東重賞37勝目。第7回以来8年ぶりのスパーキングサマーカップ2勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞は30勝目。第11回以来4年ぶりのスパーキングサマーカップ2勝目。

 この制度とは別に,僕は障害者に対する行政のあり方に,疑念を抱いている部分があります。僕がいうことは荒唐無稽であって,大多数の方々から非難されると思いますが,それを承知の上でいっておきます。
 障害者を受け入れる社会という施策そのものに,僕は疑問を感じます。これはことばはきれいだけれども,実際には障害者に対して社会に参入することを強要している一面があると思うからです。たとえば知的障害者は知的障害者とその施設で働く職員,そして場合によっては親族も加わって,ひとつのコミュニティーを形成している場合があります。もし知的障害者がそのコミュニティーの中で生きていくことによって幸せを感じられるのであれば,無理にその外の社会に出ていく必要はないと僕は思います。障害者を受け入れる社会というのは,一般的には健常者と障害者が共生していく社会のことを指すと思いますが,その社会を実現するためになぜ障害者の方が社会に参入していかなければならないのでしょうか。あえていいますが,障害者を受け入れる社会というのは,健常者の傲慢ではないかと僕は感じることがあるのです。
 もちろん知的障害者であれ身体障害者であれ,かれらが楽に生活していくことができるように,ハードの部分を充実させるとか,金銭的な面で優遇措置を講じるといった政策については僕は必ずしも反対しません。たとえば道路や公共施設をバリアフリー化するとか,医療費を免除するとかいった政策です。このような物とか金に関わるような政策であれば,単純に健常者が障害者に対して共に生きる配慮をしているとみなすことができるのです。ところが,人と関係する部分ではそれとは異なります。共生というのが人と人との共生だけを純粋に意味するのであれば,何も障害者が健常者の中に入っていかなければならないわけではなく,健常者が障害者の中に入っていけば済む話だからです。たとえば支援計画でいえば,障害者にどのような支援を施すかということを障害者およびその保護者が決定するのではなく,障害者とは無縁の暮らしをしている健常者の一人ひとりが,このような支援をするという計画を立てればいいのです。
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コレルスの伝記&制度の不備

2018-08-21 18:53:56 | 哲学
 リュカスの伝記と同様の観点からコレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaも評価します。
                                     
 コレルスJohannes Colerusは1693年に説教師としてハーグに赴任しました。そのときの下宿がハーグでスピノザが最初に下宿していた家でした。さらにコレルスの説教の聴衆のひとりに,スピノザがそこから移り住んだ下宿先の家主であるスぺイクHendrik van der Spyckがいました。コレルスはこれによりスピノザに関心を抱きました。つまり契機は思想とは無関係です。コレルスはスピノザの悪名は知っていたかもしれませんが,それ以前には多大な関心を有していたとは思えません。遺稿集Opera Posthumaを読んでいるのは間違いないですが,それはおそらく伝記を書こうと思った後のことだと思います。なお,コレルスの伝記はオランダ語なので,読んだのもオランダ語版の遺稿集De Nagelate Schriftenだったかもしれません。
 プロテスタントの説教師ですから,スピノザの哲学には大いに批判的です。これは伝記を読めば一目瞭然です。ただコレルスは思想と生活は別と考えることができたようで,スピノザの暮らしぶりについてはかなり好意的に描いています。スピノザの生活を貶めるような誤った伝聞に対しては,むしろそれを否定し,批判しているくらいです。
 思想的に反スピノザのコレルスがスピノザを好意的に描いているので,その部分は真実らしく思われるかもしれません。ただしここにはひとつ弱点があります。それはコレルスがスピノザに多大な関心を寄せたのはスピノザの死後であり,伝記の内容の多くをスぺイクに負っているという点です。
 フロイデンタールJacob Freudenthalの『スピノザの生涯』では,スぺイクはいい加減な人間だからそのすべてを真に受けることはできないという主旨に記述されています。しかし僕の考えでいえば,家主としてスピノザを住まわせていたスぺイクには,スピノザをよくみてもらおうとする動機が存在し得るので,そのために虚偽の証言をする可能性があるのです。ですからとくにキリスト教とスピノザの関係をスぺイクの証言によってコレルスが記述するとき,そこにはスぺイクのフィルターが挟まれているかもしれないということに,最も気を付けなければならないでしょう。

 依頼してもすぐに作成できないのはなぜかといえば,需要に対して供給が追いついていないからです。サービスの給付を行政が決定するための支援計画書ですから,第三者となる社会福祉法人等は,行政から指定を受けていなければなりません。ただ,この制度は知的障害者に特化した制度ではなく,身体障害者にも適用されていますから,たとえば身体障害者の支援計画書は作成するけれど知的障害者のものは作成しないという事業所もあれば,その逆もあります。つまりまず,行政が指定した事業所のすべてで,妹の支援計画書の作成を受け入れてくれるというものではありません。
 次に,横浜市はとても大きな市ですので,事業所によっては市内のすべてをカバーするわけではありません。というより,市内全域をカバーするような事業所はごく少数です。支援計画書の作成のためには,利用者およびその保護者と面談が必要ですし,利用者が普段どのような生活をしているのかを観察する必要があります。なおかつこれは計画を立てれば終了というものではなく,その計画が滞りなく実施されているかも調査しなければならないのです。おそらく計画書を作成する支援員の負担は膨大なものがあると思われ,よって横浜市内のどこでもOKというような事業所は必然的に少なくなるのです。僕の妹の場合でいえば,住所すなわち僕の家は磯子区内にあり,入所しているグループホームと通所している作業所は港南区内になります。したがって少なくとも磯子区と港南区の両区をカバーしてくれる,知的障害者の支援計画書を作成することが可能な事業所を探さなければなりません。さらにそうした事業所には支援員がいくらでも存在するというわけではありませんから,受け入れられる人数にも限度があります。そもそもサービスの給付を行政が決定するためのものですから,本来は行政自身で行うべき仕事です。ですが手が回らないので事業所を指定し,そちらで行っているということでしょう。でも行政で手が回らなければ事業所を指定したところで同様のことは起こり得ます。結果的にサービスを受けられなくなる人が出る筈で,この制度には難があると僕は思っています。
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印象的な将棋⑮-4&支援計画書

2018-08-20 19:05:41 | ポカと妙手etc
 ⑮-3の第2図で,まず思い浮かぶ手は何かと問われれば,将棋のルールを知っているなら☗8五同桂と答える人が多いのではないでしょうか。実戦の先手の指し手もそれでした。
                                     
 ところがこの手が先手の敗着。ただ,最も自然に思える手が敗着になるということは,この図はすでに難解だったといえるでしょう。
 正着は☗7三香成。これを☖同王は☗8五桂と王手で馬を取られてしまうので問題外。☖9四王と逃げるのも☗8二龍が馬取りの詰めろで後手は窮します。よって☖7三同金と取るのですが,そうしておいて☗8五桂と馬を取っておけば,変化の余地は多くありますが先手が勝てていました。
 単に☗8五同桂は詰めろではありません。よって後手は☖3八銀成☗同金と取ってから再び☖4九銀と打ちました。
 先手はそこで☗7三桂成。これを☖同金と取ると,先に☗7三香成としたのと似たような展開になる上に銀を1枚入手していますから先手が勝てます。ですがこの場合は☖9四王と逃げる手が成立しました。これだと先手は☗8二龍と取るほか攻める手段がありません。
                                     
 第2図の後手玉は受けがありません。よって勝つには先手玉を詰ますしかありません。

 Sさんの話だと,妹は作業所でもグループホームでも,優等生的に振る舞っているという印象を受けました。それでもそれは妹がそうしたいと思ってそうしているのでしょうから,迷惑をかけているというわけではないので,そのままでいいだろうと思いました。一方,妹の睡眠時間が大きく減少することを僕は心配していたのですが,少なくともグループホームや通所施設にいる間は,それは問題とはなっていなかったようです。妹の身体がその生活に慣れてくるということはある筈で,この時点で心配ないのであれば,とくに対策を講じる必要はなく,しばらくは見守ってゆくだけでよいだろうと思いました。
 この面談の中で,妹の支援計画の計画書を作成しなければならないという話がありました。この種の計画書は従来からあり,これは施設の方で作成していました。正直にいうと僕などは妹は幸せな日々を送っていられるのであればそれで十分であり,何か新しいことができるようになってほしいというような願望はまったくありません。そもそも40歳を超えた人間にそのようなことを望むのは,知的障害者であるかないかに関係なく,酷であろうと思うのです。ですから,妹が入所するにあたってもこの計画書を作成してもらい,その結果などもこの日の三者面談で報告されたのですが,僕はあまり大きな関心を抱いてはいませんでした。
 この日の話で出た支援計画書というのは,そうしたものではなくもっと公的性格を帯びたものです。こうした施設を利用する場合には,第三者,主に社会福祉法人ですが,この第三者が間に入って計画書を立て,それを行政で判断して福祉サービスの支給を決定するというものです。したがってこの計画書が存在しないと,サービスを受けることができません。つまり妹はグループホームに入所し続けることができなくなるのです。厳密にいうとこれは依頼しなければならないというわけではなく,自分で作成することもできますが,その場合には所定の書式などを調べなければならず,とても大変です。
 これが事業者に依頼すればすぐにできるというものではありませんでした。現時点でも依頼できていません。
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平成30年7月豪雨被災地支援オールスター競輪&三者面談

2018-08-19 19:00:08 | 競輪
 いわき平競輪場での第61回オールスター競輪の決勝。並びは渡辺‐中村の東日本,竹内‐浅井‐金子の中部,脇本‐古性‐村上の近畿で山崎は単騎。
 渡辺がスタートを取って前受け。3番手に竹内,6番手に脇本,位置を取ることができなかった山崎が最後尾で周回。残り2周のホームから竹内が動き,バックで渡辺を叩いて誘導を斬ると打鐘から全開で駆けていきました。竹内ラインを追って発進した脇本は全開の竹内にてこずりはしたものの,ホームの出口で竹内を叩くことに成功。ただ古性が浅井のブロックを受けて離れてしまいました。古性はバックでは何とか竹内の前までは出ましたが,すでに脇本とは大きな差。マークの村上は浅井に弾かれ,古性の後ろに浅井。脚を溜めていた渡辺はいいスピードで捲っていきましたが,これも浅井がブロック。古性が離れたので単独の捲りになった脇本はそのまま後続を引き離して圧巻の優勝。渡辺をブロックして自力で出た浅井が3車身差で2着。立て直した渡辺が1車身差の3着。最後に脚を使う形で大外を追い込んだ山崎が8分の1車輪差まで迫って4着。
                                  
 優勝した福井の脇本雄太選手は前回出走の福井記念からの連続優勝。ビッグはこれが初制覇。ここは現状の力量では上位なので最有力候補。よほどの先行争いになれば渡辺の優勝もあるかと見立てていました。竹内を叩くのにてこずったように見えましたが,あるいはバックの出口からホームにかけてはタイミングを計っていただけだったのかもしれません。捲ってしまってからの走りは,古性が離れてしまったこともありますが,他を寄せ付けない現状の力量の差を見せつけたといったところでしょう。ぴったりとマークすることができる選手でないと,今の脇本を抜くのは相当に難しそうです。ようやくといった感のビッグ初優勝ですが,これは序章にすぎないのではないでしょうか。

 利用者の担当者というのは妹の担当者のことですが,これは通所施設の担当者ではなくグループホームの担当者です。このときはSさんという方でした。今年の4月からSさんはグループホームの責任者になりました。会社でいえば昇進に該当するのではないでしょうか。現在はKさんが妹の担当者になっていますが,このときはまだSさんでしたから,Sさんと妹,そして僕の3人による面談でした。これはグループホームで行ってもよいし通所施設で行ってもよいということで,事前に僕に打診がありました。ただいずれの場合も通所施設の作業時間内に行うことはできないということでしたので,僕にとって最も都合がよい時間かつ場所ということで,妹を迎えに行く日に通所施設で行いたいと申し出て,この日に決定したものです。
 基本的にはSさんから,妹のグループホームおよび通所施設での生活ぶりの報告があり,僕はそれを聞く役目でした。ただ,妹がどのような人間であってどのようなことを好むのかといったことなどは僕の方が知っています。ですから妹をどのように扱うのが最もよいのかといったことなどについては,Sさんから僕の方に質問も出ますので,僕はそれに答えますし,また質問が出なくても,僕の方から伝えておいた方がよいと思えることなどについては伝えておきました。たぶんこの日に僕の方から話した事柄の中で最も重要だったのは,妹の体調をどのような観点から把握するのがよいのかということだったでしょう。というのは,妹はものすごく眠いときに,それを「気持ち悪い」ということばで表現する場合があり,このことばが体調不良を示しているのかどうかを把握するのは,たぶん妹をよく知っていないと困難であろうと思われるからです。そして僕は,というかこれは母もですが,妹の体調については食欲によって把握します。つまりたとえ「気持ち悪い」ということばを妹が発したとしても,出された食事を完食しているなら何も心配はありません。しかしたとえそのようなことばが出ない場合であっても,食事を残すということがあるとすれば,体調不良を疑うべきなのです。妹は出されたものは全部食べるのが常だからです。
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竜王戦&定期券

2018-08-18 19:01:53 | 将棋
 14日に指された第31期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。対戦成績は深浦庫市九段が4勝,広瀬章人八段が10勝。千日手が1局あります。
 振駒で先手になった深浦九段の米長流急戦矢倉。後手の広瀬八段に誤算があり,中盤で大差がつく将棋になりました。
                                     
 後手は第1図から☖8六歩と突き☗同歩に☖8五歩と継ぎ歩の攻めを繰り出しました。先手はこれも☗同歩と取ったので☖6六歩☗同角☖8五飛の十字飛車が炸裂。先手は☗8六歩と飛車に当てましたが☖4五飛で後手の桂得に進展しました。
                                     
 先手がいいようにやられたようですが,実は第2図は先手の方がやれる局面でした。これが後手の誤算。実際に☗4六銀左☖6五飛☗4五歩☖3三銀☗3四歩☖2二銀☗2四歩☖同歩☗2三歩☖同金☗4四歩☖5三金☗7七桂☖6三飛と先手にとっては気持ちのよい手順ばかりが続き,最後に☗4五銀でさらに上部を制圧されては,後手には勝ち目がなくなっていました。
                                     
 深浦九段が先勝。第二局は27日です。

 定期入れ紛失とかパスモの紛失というのは以前にも経験がありました。また,糖尿病手帳を紛失してしまったこともありました。ただそれらはいずれもバスないしは電車の車内で紛失したということが明確になっていました。だからいずれの場合にも手許に戻ってきたのです。今回の場合はそうではなく,路上に落としてしまった可能性が高いので,取り戻すのは難しいだろうと思えました。気付いたので一応は通ってきた道をそのまま歩いて戻りましたが,見つけることはできませんでした。そして予測していた通り,それが僕の下に戻ってくるということもありませんでした。
 8日に買ったばかりであるとはいえ,バスの定期券は必要なものですので,これは買い直しました。ただこれを機に,紙の定期券ではなく,PASMOと一体型の定期券に変更しました。紙の定期券のメリットは,持参人方式が採用されていて,僕が買ったものであってもだれでも使えるという点にあり,たとえば妹の送り迎えをだれかに依頼するというときなどにそれを使用できるということです。ですが現在は妹はグループホームに入所しましたので,毎朝送って行くという必要はなく,このメリットの価値が著しく低下していました。それならPASMOと一緒にしてしまい,それで横浜市営のバスだけでなく他社のバスも,そして電車も乗れるようにした方が,僕にとっては明らかに便利です。そして,どんなに気を付けていたところで僕はそういったものを紛失してしまう人間であるということが今回のことでよく分かりましたので,今はこのPASMOを入れるケースにひもをつけ,そのひもを洋服なりズボンなりカバンなりに結び付け,落としてしまうということがないようにするという対策を講じています。
 2月16日,金曜日。妹を迎えに日野の施設に行きました。10日が土曜レクリエーションであったため9日は迎えに行っていないので,2週間ぶりです。ただしこの日は単に迎えに行ったというだけではありません。三者面談があったからです。
 三者面談は以前に通っていたどの施設でもあったもので,利用者とその保護者,そして利用者の担当者による話し合いです。
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JBC協会賞ブリーダーズゴールドカップ&食事の量

2018-08-17 19:18:08 | 地方競馬
 昨晩の第30回ブリーダーズゴールドカップ
 プリンシアコメータの逃げ。発走後の正面ではクロスウィンドが単独の2番手でしたが。1コーナーからのコーナーワークでフォンターナリーリが並んで2頭で2番手を併走。1馬身半差でアップトゥユー,タイムビヨンド,ラビットランの3頭が併走。3馬身ほど開いてクイーンマンボ。1馬身差でハービンマオとブランシェクール。直後にラインハート。ここからは4馬身ほど離されてソーディスイズラヴ。直後がジュンアイノキミ。2馬身差でクオリティスタートとノーブルサファイア。さらに4馬身離された最後尾にアルティマウェポン。ミドルペースでした。
 3コーナーあたりからプリンシアコメータが差を広げに掛かりました。追ったのは内のフォンターナリーリと外のラビットラン。その後ろにクイーンマンボとハービンマオ。4コーナーを回るとフォンターナリーリはギブアップ。外を回っていたラビットランは内のフォンターナリーリが一杯になったので内に切り替え,直線では内からプリンシアコメータを差すと後は抜け出して快勝。得意とする逃げの競馬ができたプリンシアコメータが4馬身差で2着。向正面での行きっぷりの悪さが目立ったクイーンマンボは3馬身差で3着。
 優勝したラビットランは昨年のローズステークス以来の勝利で重賞2勝目。このレースはこのメンバーでこの距離ならクイーンマンボが負けることはまずないと思っていただけに意外な結果。道中の走りをみるとクイーンマンボは本調子になかったのだろうと思えます。ラビットランは芝の重賞勝ち馬で,ダートのトップクラスとの対戦は前走が初めて。つまりキャリアが少なかった点を考慮しなければならず,逃げたプリンシアコメータに対してこれだけの差をつけて勝ったとなれば,この路線のトップクラスの力があるとみることもできるでしょう。クイーンマンボが調子を取り戻しても,いい勝負をすることが可能なのではないでしょうか。ひとつ下の半弟が昨年の小倉2歳ステークスを勝っている現役のアサクサゲンキ。アサクサゲンキもデビュー戦以外は芝ばかり走っていますが,ダートの短距離で大成するという可能性があるのかもしれません。
                                     
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手はブリーダーズゴールドカップ初勝利。前走までの管理調教師が飲酒運転で逮捕されたため,暫定的な管理調教師となっている中竹和也調教師もブリーダーズゴールドカップ初勝利。

 癌に由来する痛みの発現があったとはいえ,それは日常生活に重大な支障を来すようなものではありませんでした。実際に休み休みだったとはいえ,母はこの後もそれまで続けていた家事と同じだけのことを続けることができました。いってみれば痛みはあるけれど,我慢できないほどのものではなかったといえるでしょう。もちろんこうした痛みが発現したら,すぐに病院に連絡をするのがベストなのですが,このときにそれをしなかったのは,この月のうちには通常の通院があり,それまで耐えることができないほど痛みが大きくなることはないと母が判断していたからでした。とはいえこうした痛みを自覚するようになるということは,癌がそれだけ進行していることの証明のようなものではあります。いい換えればそれは,第二部定理一二でいうところの「中に起こること」であるがゆえに,痛みとして母に知覚されたといえるわけです。ですから物理的なすなわち身体的な痛みとしては我慢できる程度のものであったとしても,この痛みは母の精神mensにも響いていただろうとは思います。
 一方,食事についていうと,この頃の母は一度に食べることができる量が目に見えて減少していました。ただそれは,全体の食事の量が減っていたということではありません。朝食,昼食,夕食のように三食だけを摂るのではなく,それらの食事の摂取の間に間食をすることによって,食事で減少していた分はまだカバーすることができていたからです。少なくともこの頃の母は,栄養の不足を心配しなければならないような状況では少しもありませんでした。
 2月10日,土曜日。この日は午前中にWINS横浜まで歩いたのですが,その途中で定期入れを紛失してしまいました。入っていたのは8日に購入したばかりだったバスの定期券とPASMOです。歩いている途中でコンビニエンスストアに寄り,買い物をしたときにはPASMOで支払ったので,そのときはあったのです。ですがWINS横浜に到着し,購入した馬券をその定期入れに入れようとしたところ,それがなかったのです。着いてから落としたのか,あるいは途中で落としてしまったのかも分かりませんでした。
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