昨晩の第6回優駿スプリント。
シングンヴィグラスは発馬後の加速が鈍く一時的に取り残されました。まず先頭に立ったのはクラトイトイトイ。ですがこれを交わしてノーフォロワーの逃げに。クラトイトイトイとムサシトレジャー。それからラクテ。その後ろにオウカランブとヴェルミオン。クリルカレントが続いてケイエスソード,エイシンヒート,ジュンサザンクロスの3頭。ここまでが前の集団。かなり差が開いて後方集団の最前列に巻き返してきたシングンヴィグラス,リオヴァンクール,ビッグジャイアントの3頭という隊列に。前半の600mは35秒0のハイペース。
3コーナー手前からヴェルミオンが上がっていき4番手に。一番内にいたクラトイトイトイは寄られるところもありコーナーで後退。前はノーフォロワー,ムサシトレジャー,ヴェルミオンの3頭の雁行になり,ヴェルミオンを先に行かせたラクテがクラトイトイトイを交わして4番手に。直線に入り前3頭の争いからヴェルミオンが脱落。その外から伸びたラクテが内の2頭を交わして先頭に。しかし2頭分外から追い上げたエイシンヒートがゴール前でラクテを交わして優勝。クビ差の2着にラクテ。大外から脚を伸ばしたビッグジャイアントが1馬身半差の3着に届き,逃げたノーフォロワーはクビ差の4着。逃げ馬をマークしていたムサシトレジャーは最後までこれを交わせず半馬身差の5着。
優勝したエイシンヒートはこのレースが南関東重賞初挑戦。昨年8月に新馬を勝ったときからこのレースが目標と陣営が狙いを定め,1400mの1戦以外は1200m戦だけを使い続けていました。ここ2戦は57キロで2着,1着でしたから,56キロになったのもよかったのでしょう。競り合っての強さはありますが,持ち時計はさほどでなく,ここも勝ち時計があまり早くならなかったのもこの馬にとってはプラス材料だったと思います。ただいかに不良馬場とはいえ,このタイムでは全体のレベルにやや疑問を感じないでもありません。
騎乗した大井の矢野貴之騎手は川崎マイラーズ以来の南関東重賞制覇。優駿スプリントは初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師も優駿スプリント初勝利。
『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』が成立した過程に注目するなら,スピノザは第二部に関しては,第一部ほどには異論を有していなかったと推定することはできます。
第二部は,スピノザがレインスブルフRijnsburgのヘルマン・ホーマンHermann Homanの家に住んでいたときに,寄宿させていたカセアリウスへの講義録です。シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てた書簡九においてスピノザは,カセアリウスは真理を求めているというより新奇を求めていて,スピノザにとっては厄介で用心しなければならない相手であると書いています。これはフリースがスピノザと同居していて,いつでもスピノザと話すことができるカセアリウスを羨んでいることに対する返信となっているので,まったく誇張がないとはいえないかもしれません。ですが全面的な虚偽とはいえないでしょう。そしてスピノザは,カセアリウスがそういう人物であるから,自身の思想については教えてはいけないとし,それをフリースをはじめとする友人たち,ここでは講読会のメンバーを念頭に置いていると思われますが,これを依頼しています。
マイエルLodewijk Meyerによる『デカルトの哲学原理』の序文には,第一部はその講義録に含まれていたわけではなく,出版するにあたってマイエルが依頼し,スピノザが引き受けて二週間で完成させたという旨の記述があります。これは書簡十五でスピノザがマイエルに序文に書いてほしいと依頼したことのひとつです。ですからここから理解できるのは,スピノザは自分の哲学を教授するのはまだカセアリウスに対しては早すぎると認識したので,自分の哲学の代わりにデカルトの哲学を教授したのですが,その教授した部分というのは,第二部および第三部の中途までで,第一部は含まれていなかったということです。つまりスピノザは思惟の属性と関わるデカルトの哲学は教えず,延長の属性と関係する部分をまず教えたということになります。
延長論の方を教えて思惟論は教えなかったというスピノザの選択には,何らかの理由があったと推測されます。そしてそれは,第二部に記述された範囲の延長論については,スピノザは第一部よりはデカルトの見解に追随していたからだと解することは可能でしょう。
シングンヴィグラスは発馬後の加速が鈍く一時的に取り残されました。まず先頭に立ったのはクラトイトイトイ。ですがこれを交わしてノーフォロワーの逃げに。クラトイトイトイとムサシトレジャー。それからラクテ。その後ろにオウカランブとヴェルミオン。クリルカレントが続いてケイエスソード,エイシンヒート,ジュンサザンクロスの3頭。ここまでが前の集団。かなり差が開いて後方集団の最前列に巻き返してきたシングンヴィグラス,リオヴァンクール,ビッグジャイアントの3頭という隊列に。前半の600mは35秒0のハイペース。
3コーナー手前からヴェルミオンが上がっていき4番手に。一番内にいたクラトイトイトイは寄られるところもありコーナーで後退。前はノーフォロワー,ムサシトレジャー,ヴェルミオンの3頭の雁行になり,ヴェルミオンを先に行かせたラクテがクラトイトイトイを交わして4番手に。直線に入り前3頭の争いからヴェルミオンが脱落。その外から伸びたラクテが内の2頭を交わして先頭に。しかし2頭分外から追い上げたエイシンヒートがゴール前でラクテを交わして優勝。クビ差の2着にラクテ。大外から脚を伸ばしたビッグジャイアントが1馬身半差の3着に届き,逃げたノーフォロワーはクビ差の4着。逃げ馬をマークしていたムサシトレジャーは最後までこれを交わせず半馬身差の5着。
優勝したエイシンヒートはこのレースが南関東重賞初挑戦。昨年8月に新馬を勝ったときからこのレースが目標と陣営が狙いを定め,1400mの1戦以外は1200m戦だけを使い続けていました。ここ2戦は57キロで2着,1着でしたから,56キロになったのもよかったのでしょう。競り合っての強さはありますが,持ち時計はさほどでなく,ここも勝ち時計があまり早くならなかったのもこの馬にとってはプラス材料だったと思います。ただいかに不良馬場とはいえ,このタイムでは全体のレベルにやや疑問を感じないでもありません。
騎乗した大井の矢野貴之騎手は川崎マイラーズ以来の南関東重賞制覇。優駿スプリントは初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師も優駿スプリント初勝利。
『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』が成立した過程に注目するなら,スピノザは第二部に関しては,第一部ほどには異論を有していなかったと推定することはできます。
第二部は,スピノザがレインスブルフRijnsburgのヘルマン・ホーマンHermann Homanの家に住んでいたときに,寄宿させていたカセアリウスへの講義録です。シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てた書簡九においてスピノザは,カセアリウスは真理を求めているというより新奇を求めていて,スピノザにとっては厄介で用心しなければならない相手であると書いています。これはフリースがスピノザと同居していて,いつでもスピノザと話すことができるカセアリウスを羨んでいることに対する返信となっているので,まったく誇張がないとはいえないかもしれません。ですが全面的な虚偽とはいえないでしょう。そしてスピノザは,カセアリウスがそういう人物であるから,自身の思想については教えてはいけないとし,それをフリースをはじめとする友人たち,ここでは講読会のメンバーを念頭に置いていると思われますが,これを依頼しています。
マイエルLodewijk Meyerによる『デカルトの哲学原理』の序文には,第一部はその講義録に含まれていたわけではなく,出版するにあたってマイエルが依頼し,スピノザが引き受けて二週間で完成させたという旨の記述があります。これは書簡十五でスピノザがマイエルに序文に書いてほしいと依頼したことのひとつです。ですからここから理解できるのは,スピノザは自分の哲学を教授するのはまだカセアリウスに対しては早すぎると認識したので,自分の哲学の代わりにデカルトの哲学を教授したのですが,その教授した部分というのは,第二部および第三部の中途までで,第一部は含まれていなかったということです。つまりスピノザは思惟の属性と関わるデカルトの哲学は教えず,延長の属性と関係する部分をまず教えたということになります。
延長論の方を教えて思惟論は教えなかったというスピノザの選択には,何らかの理由があったと推測されます。そしてそれは,第二部に記述された範囲の延長論については,スピノザは第一部よりはデカルトの見解に追随していたからだと解することは可能でしょう。