北海道から3頭,愛知から1頭が遠征してきた昨晩の第9回鎌倉記念。
積極的な競馬をしたいと陣営がいっていたブルーサイレンスの逃げ。しかしキヌガサヒーロー,コアレスバトラーが絡んでいったため早いペースになりました。
3頭とも直線の入口までは頑張りましたが,これらの直後につけていたキスミープリンスが外から一気に先頭に。そのまま後続との差を詰めさせず,危なげない形で優勝。向正面から激しく手が動いていたシービスティーですが,4コーナーではキスミープリンスの後ろまで取りつき,そこから内目を捌いて伸びてきて2着は確保。3着は2頭による接戦で,一旦は外のオリークックかと思いましたがゴール直前で内から出たヴェガス。
優勝したキスミープリンスはここまで5戦して3勝2着2回という成績。レースぶりも安定していて,ここはそれを生かしました。キャリアを重ねていたこと,また前走で1600mを走っていたこともプラスに作用したと思います。父は2002年の皐月賞を勝ったノーリーズン,母の父はフジキセキ。
鞍上は大井の戸崎圭太騎手で,先週も日本テレビ盃を勝ちました。鎌倉記念は初制覇。管理しているのは浦和の小久保智調教師で,浦和の馬が鎌倉記念を勝ったのはこれが初めてです。
2着のシービスティーは今回はブリンカーを装着してきたのですが,あるいはそれがどうだったか。レースぶりはキスミープリンスに負けず劣らずのものがあったように感じました。
父が祖母の使っていた部屋を使うという形になりましたので,祖母の方はショートステイから帰ってきても使う部屋がないという状態になりました。介護保険の規定の関係があって,ずっとショートステイ先で過ごすということはできなかったのです。
実は,祖母が僕たちと一緒に暮らすことが決まったとき,ごく近所にアパートを1部屋借りました。アパートといっても2LDKですからそれなりの広さがあるもの。というのも祖母はかなりの荷物があったので,それをおいておくための部屋が必要だったのです。借りた当初,この部屋は日常的にはほぼ使われませんでしたが,母の父,つまり祖母の夫の仏壇などはこちらにあります。そして現在,ここには僕の叔父,これは母の弟になりますが,この叔父が住んでいます。事情があってこの叔父が離婚しましたので,ひとりで暮らすようになったわけです。
叔父はもちろん仕事がありますので,日中は不在です。よって祖母をここにひとりでおいておくということはできません。しかしこの時期は,本当に偶然ではあったのですが,非常に都合がよい状況が発生していました。
今年は4月に母と妹が母の姉のところへ渡米したわけですが,これとは逆に,伯母の方も年に何回かは来日します。そして今年はこの時期が,ちょうどそれと重なっていました。よって祖母の介助に関しては,この伯母に任せることができるような状況だったのです。これは後に詳しく説明することになりますが,父はこの後,再び,というかみたび入院することになります。その間は祖母はアパートの方で暮らしていたわけです。
ということで父は問題なく家の方で過ごすことが可能でした。戻ってきたのが7月10日。この日に訪問看護を依頼したセンターの人が来て,正式に契約を交わし,この日のうちには看護師が来てくれました。といってもなすべき医療行為は限られています。よって身体を拭くとか,爪を切るとか,髭を剃るといった身の回りの世話が中心。土日も関係なく,父の自宅滞在中は毎日でした。父は看護師の来訪は楽しみに待っていたようです。
積極的な競馬をしたいと陣営がいっていたブルーサイレンスの逃げ。しかしキヌガサヒーロー,コアレスバトラーが絡んでいったため早いペースになりました。
3頭とも直線の入口までは頑張りましたが,これらの直後につけていたキスミープリンスが外から一気に先頭に。そのまま後続との差を詰めさせず,危なげない形で優勝。向正面から激しく手が動いていたシービスティーですが,4コーナーではキスミープリンスの後ろまで取りつき,そこから内目を捌いて伸びてきて2着は確保。3着は2頭による接戦で,一旦は外のオリークックかと思いましたがゴール直前で内から出たヴェガス。
優勝したキスミープリンスはここまで5戦して3勝2着2回という成績。レースぶりも安定していて,ここはそれを生かしました。キャリアを重ねていたこと,また前走で1600mを走っていたこともプラスに作用したと思います。父は2002年の皐月賞を勝ったノーリーズン,母の父はフジキセキ。
鞍上は大井の戸崎圭太騎手で,先週も日本テレビ盃を勝ちました。鎌倉記念は初制覇。管理しているのは浦和の小久保智調教師で,浦和の馬が鎌倉記念を勝ったのはこれが初めてです。
2着のシービスティーは今回はブリンカーを装着してきたのですが,あるいはそれがどうだったか。レースぶりはキスミープリンスに負けず劣らずのものがあったように感じました。
父が祖母の使っていた部屋を使うという形になりましたので,祖母の方はショートステイから帰ってきても使う部屋がないという状態になりました。介護保険の規定の関係があって,ずっとショートステイ先で過ごすということはできなかったのです。
実は,祖母が僕たちと一緒に暮らすことが決まったとき,ごく近所にアパートを1部屋借りました。アパートといっても2LDKですからそれなりの広さがあるもの。というのも祖母はかなりの荷物があったので,それをおいておくための部屋が必要だったのです。借りた当初,この部屋は日常的にはほぼ使われませんでしたが,母の父,つまり祖母の夫の仏壇などはこちらにあります。そして現在,ここには僕の叔父,これは母の弟になりますが,この叔父が住んでいます。事情があってこの叔父が離婚しましたので,ひとりで暮らすようになったわけです。
叔父はもちろん仕事がありますので,日中は不在です。よって祖母をここにひとりでおいておくということはできません。しかしこの時期は,本当に偶然ではあったのですが,非常に都合がよい状況が発生していました。
今年は4月に母と妹が母の姉のところへ渡米したわけですが,これとは逆に,伯母の方も年に何回かは来日します。そして今年はこの時期が,ちょうどそれと重なっていました。よって祖母の介助に関しては,この伯母に任せることができるような状況だったのです。これは後に詳しく説明することになりますが,父はこの後,再び,というかみたび入院することになります。その間は祖母はアパートの方で暮らしていたわけです。
ということで父は問題なく家の方で過ごすことが可能でした。戻ってきたのが7月10日。この日に訪問看護を依頼したセンターの人が来て,正式に契約を交わし,この日のうちには看護師が来てくれました。といってもなすべき医療行為は限られています。よって身体を拭くとか,爪を切るとか,髭を剃るといった身の回りの世話が中心。土日も関係なく,父の自宅滞在中は毎日でした。父は看護師の来訪は楽しみに待っていたようです。