スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

青龍賞・白虎賞&通過

2008-05-31 18:49:17 | 競輪
 高松宮記念杯では初日恒例の青龍賞と白虎賞。2レースなので簡単にいきます。
 まず東の青龍賞。前受けは山崎選手。中団が新田選手,後方から平原選手で周回。上昇した平原選手が打鐘で前を抑えて先行。ホームで山崎選手がうまく4番手に入りこの後ろが渋滞。直線に入って番手から神山選手が抜け出しを図りましたが,捲り追い込んで山崎選手が1着。神山選手が2着。伏見選手に絡んだ新田選手が山崎選手を追う形となって3着でした。いい位置を取った山崎選手が,自分の行けるところから行ったという感じの落ち着いたレース振りでした。
 続いて西の白虎賞。前受けは小嶋選手。井上選手が中団で後方が渡部選手という周回。渡部選手は打鐘で抑え,ホームから先行。5番手が取り合いになりましたが,終始併走の外から捲った井上選手が直線で前を捕えると,番手の荒井選手がこれを交わして1着。内に閉じ込められ苦しいレースになった小嶋選手でしたが,最後は大外を豪快に伸びて2着。井上選手が3着。中団で併走していた両者が最後は捲ってきて上位を独占するというのは珍しいレースではないかと思うのですが,それだけ上位の3人は今回は調子がよさそうだとみてよいかもしれません。

 明日は日本ダービーです。レインボーペガサス◎に期待してみます。ディープスカイ○,サクセスブロッケン▲,アドマイヤコマンド△,タケミカヅチ△,マイネルチャールズ△,ブラックシェル△まで。

 スピノザがその解答でいわんとしていることは,おそらくこういうことだろうと思います。
 矢が,3メートル飛んで静止するとします。このために矢はたとえば1メートルの地点や2メートルの地点を通らなければならないでしょう。このとき,この運動の最中に,矢は1メートルや2メートルの地点にあったのかというならば,スピノザはこれらの地点に関しては矢は通り過ぎたといっているのです。この意味であったというなら,確かに矢はその地点にあったということになります。しかしここで気を付けなければならないのは,矢が飛び始める地点や,3メートルの地点にも矢はあるのですが,この場合は,矢があるということは,矢がそこで静止しているということを意味します。したがってこの意味であったというなら,1メートルや2メートルの地点には矢はなかったということになります。
 たとえば電車が駅に停車するということと,電車が駅を通過するということはまったく異なったことです。なぜなら,電車が駅に停車する場合には,電車はそこで静止するのですが,電車が駅を通過するなら,電車は運動を継続していることになるからです。通過した電車はその駅にあったということは可能ですが,これはあくまでもその駅を通過したという意味であって,その駅に停車したという意味ではありません。
 スピノザがいっているのはこれに類することだと考えていいのではないでしょうか。矢が1メートルの地点を通るということは,矢が運動しているということを示します。そしてこれは矢が静止するということとは絶対的な違いがあります。そしてこれは,第二部自然学①公理一の意味に合致しているのです。
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打った駒を取られるポカ①&スピノザの解答

2008-05-30 19:33:19 | ポカと妙手etc
 将棋ではうっかりミスのことをポカといいます。相手玉や自玉の詰みを見落とすなど,ポカにはいろいろあるのですが,プロの将棋では滅多に現れないのが駒をただ取られてしまうという類のポカ。今期の名人戦第三局は,打った駒がすぐに取られてしまうという,この類のポカが出たことで話題に上りました。
 将棋の模様は1日目ダイジェスト2日目ダイジェストで。相掛りから先手がうまく指し,圧倒的に優勢になったものの,その後で疑問手を連発。まだ残していそうなものの,かなり難しくなって迎えたのが第1図。
           
 △8三歩の叩きに▲同成桂と応じたところですがここで△7四桂の王手。この桂が後のポカに関係してきます。先手は入玉を目指していますので▲8五玉。後手は△8二歩と叩き▲同成桂に△8六金の王手飛車。▲8四玉に△7七金▲同金と飛車を取って△8九飛の王手。先手は▲8八銀打と防ぎ後手が△7八歩と打ったのが第2図。
           
 ここで▲9八銀と打ったのがポカ。部分的には後手の飛車が死んでいますが△8六桂が空き王手。▲8三玉は仕方ありませんが,△9八桂成と打ったばかりの銀をただ取られてしまいました。第2図では▲6九金と打つか,▲7四歩と取るほかありませんでした。
 この将棋は逆転で後手が勝ちました。ただし最終的な敗着はこのポカだったかもしれませんが,実際の問題は第1図以前にあったものと思います。
 プロでは珍しいポカなのですが,この打ったばかりの駒が取られるポカは,僕が知る限りで名人戦という舞台でも過去に2回はあります。それもいずれ紹介することとします。

 明日からはびわ湖競輪場で高松宮記念杯。明日は初日恒例の青龍賞と白虎賞。並びですが青龍賞は北日本は折り合えず,山崎-伏見の後ろに岡部と有坂。平原-神山-手島の関東。新田-渡辺の静岡。山崎選手が一枚上ではないでしょうか。白虎賞は小嶋に村上で中部近畿。渡部-小倉-三宅-豊田の四国中国。井上-荒井-加倉の九州。力は小嶋選手ですが荒井選手を狙ってみたいです。

 物体がAからBに移動するという運動をするならば,その運動の間にその物体がAとBの間にあるということは自明です。さすがにゼノンもこのことを否定することはできないでしょう。問題はこれをさらに細かく分けて考えることができるのかどうかということですが,これに対するスピノザの解答は,『デカルトの哲学原理』の該当部分に示されています。
 もしもゼノンが,物体がAからBに移動する間に,AB間にXを置き,この物体はXにあったかどうかを尋ねるなら,スピノザは「ある」という意味をふたつに分けてこう答えます。もしもこれがその物体の実在を意味するなら,この物体は運動している間はずっと実在していた。しかしもしもこれが物体の静止を意味するなら,この物体は運動している間はずっと静止していなかった。
 分かったような分からぬような解答ですので,ゼノンは引き続きこのように問うことができます。それではこの物体は運動している間はどこにあったのかと。これに対するスピノザの解答は次のようになります。あるということが,どんな場所を占有していたかという意味なら,この物体はどの場所も占有しなかった。しかしあるということがどんな場所を変えたのかという意味であるなら,この物体はAB間にあるあらゆる場所を変えた。
 これがスピノザの哲学における,あるいはデカルトの哲学における,運動の基本的な考え方になると思います。
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馬の国籍&位置との関係

2008-05-29 18:51:23 | 海外競馬
 公式記録等では,一般的に競走馬の国籍は,馬が産まれた国あるいは地域と,馬が調教されている国あるいは地域というふたつの観点から示されます。僕は基本的にこれに倣っています。そしてもしも僕が単に日本の馬というように示す場合には,これは日本で調教されている馬という意味を示します。
 そこでもしも今後,日本で調教師免許が外国人に開放され,外国人調教師が開業した場合には,僕はこれを日本馬とみなします。仮にそれがアメリカ人で,馬がアメリカ産で,またオーナーがアメリカ人であるというようなケースが生じたとしても,これは日本馬と表記します。
 逆に,たとえばシンガポールではすでに日本人調教師が開業していて,日本産で日本人がオーナーという競走馬が走っていますが,こうした馬に関してはこれを日本馬とはみなさずに,シンガポール馬と表記します。
 しかし,現実的には僕は馬の誕生国あるいは生産国と,調教国のみで示すこの方法は,少し不備があるとも感じているのです。
 たとえばタイキシャトル。この馬は上記の表記ですとアメリカ産の日本馬ということになりますが,アメリカ産といっても,生産された牧場のオーナーが日本人ならば,この馬の母,すなわち繁殖牝馬のオーナーも日本人です。したがってアメリカ産というのは,単にアメリカで産まれたということだけを意味しているにすぎません。
 ピーターパンステークスを勝ったカジノドライヴは,牧場も繁殖牝馬もオーナーはアメリカ人です。ところがタイキシャトルもカジノドライヴも同じようにアメリカ産の日本馬と表記されるわけで,ここのところに僕はどこか矛盾したものを感じるのです。日本人がアメリカで産んだ子どもが直ちにアメリカ人とみなされることはないでしょうし,逆にアメリカ産まれで両親がアメリカ人の人が日本で暮らしているからといって,直ちに日本人とはみなされないだろうからです。
 公式的な表記がこのようになっていますから僕もこのままのやり方でいきますが,部分的にはこのような不都合が生じているということはご理解ください。

 現実的に実在しない物体が運動するということについてはスピノザ自身も認めるわけはありません。そこでゼノンとスピノザとの間で「ある」という意味の問題が現実的に生じるのは,実在との関係ではなく,それが位置との関係として生じてくる場合であるということになります。一般的に考えれば,僕たちはある物体が現実的にあるということは,それは延長空間のどこかにあるという意味にこれを理解し,よってそれがどこにあるのかを示すことができると考えます。そしてこれは,物体が運動しているか静止しているかということに関係ありません。ゼノンの主張というのはこれにそぐうものとなってはいるのですが,このときに示されるような位置というのが,それ以上は分割することができない空間,すなわちアトムという空間になっているということが,問題になるのです。このことは,とくにスピノザの哲学に訴えないまでも,一般的観点から考えただけでそうであろうということがすでに明らかになっています。ただ,物体が静止している場合に限るならば,それがある位置にあるといい得ることについてはゼノンもスピノザも同じですから,この場合にはこの問題をそうもとりたてて考察する必要はないでしょう。
 それでは運動する物体が,単に現実的に実在するという意味ではなく,延長空間の中である位置にあるという意味であるといわれ得るなら,これはどういう事態を示すのでしょうか。やはり同様に一般的観点から考えるならば,たとえば物体がAで運動を開始し,Bで静止するならば,この物体が運動している間は,AとBの間にあるということは分かります。問題はさらにこれ以上これを分割することが可能であるかどうかということになるでしょう。
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さきたま杯&「ある」という意味

2008-05-28 19:02:15 | 地方競馬
 6日のかきつばた記念から舞台を変えての再戦模様となった今日のさきたま杯
 おそらく逃げたかったであろうコンゴウリキシオーが立ち遅れ。後方からの競馬となってしまい,持ち味を生かすことができませんでした。先手を奪ったのは名古屋のキングスゾーンで,これを掛かり気味に船橋のプライドキムが追う展開に。前半の600メートルは36秒2。ミドルペースとなりました。
 3コーナーを過ぎるとプライドキムがキングスゾーンに並び掛け,3番手にいたメイショウバトラーもその外に並んで3頭が雁行。直線に入るとプライドキムは後退,メイショウバトラーが一旦は前に出たものの,これをマークしていたリミットレスビッドの伸び脚が鋭く,あっさりとメイショウバトラーを交わして優勝。メイショウバトラーが2着で,キングスゾーンが3着に粘りました。
 優勝したリミットレスビッドは昨年12月の兵庫ゴールドトロフィー以来の勝利で重賞は実に8勝目。もうすでに9歳になったのですが,まったくの衰え知らずで,一定の力を常に発揮し続けています。どちらかといえば寒い時期の方がよさそうなタイプ。あるいはこれで少し休みに入るのかもしれません。岩田康誠騎手,加用正調教師とも,さきたま杯は初制覇となります。

 物体が運動する場合にはそれはある位置にはないと主張することは,もしも物体がある位置にはないならば,それはその物体が運動しているということであると主張することと同じです。これはちょうど,もしも物体がある位置にあるのであれば,その物体はその位置で静止しているという意味であるということの裏返しになりますから,問題ないでしょう。また,ここである位置というのがどういう位置であるのかということによく注意するならば,単に一般的観点から考えただけでも,これがそれ自体では不条理であるとはいえないということも明らかになりました。そこでここからは,物体があるとか,物体がないとかいわれること自体が,どのような意味を示すのかということにも注意する必要があります。
 まず第一に,あるとかないとかいうのは,その主語になるものの実在についていわれます。物体は延長の個物ですので,実在するということはまず現実的に実在するということを意味します。よって物体があるというのは,まずその物体が現実的に実在するということを意味するでしょう。
 しかし同時に,物体が運動するとか物体が静止するというのは,現実的に実在する物体について,それが運動するとか静止するといわれるのです。現実的に実在しない物体は運動することも静止することも不可能ですから,これはそれ自体で明らかであると思います。よって,物体がある位置にはないということがその物体が運動するという意味であるといわれる場合には,このないということが,実在を示すと考えてはいけないということになります。むしろそれが物体の実在を意味するのであれば,この主張はそれ自体で不条理であるといわれなければならないということになると思います。
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MKS単位&一般的観点

2008-05-27 19:06:33 | 海外競馬
 距離はメートル,重さはキログラム,時間は秒でそれぞれ表示する。これはMKS単位といわれ,世界規準になっています。ところが,競馬の世界ではこれが守られていません。お気付きになった方もいらっしゃると思いますが,カジノドライヴが勝ったピーターパンステークスは,11/8マイルという距離で争われました。このように,アメリカのレースはマイルで表されます。ベルモントステークスは11/2マイル。僕は距離が600メートルほど伸びると書きましたが,厳密には1マイルは1600メートルより少し長いので,実際に伸びる距離というのも600メートルより少し長いのです。
 これに関連して笑い話のような実話があります。カジノドライヴの藤沢調教師は,かつてタイキブリザードという馬をオークツリーBCマイルというレースに出走させたことがありました。このレースは,芝1マイル以上のGⅠを勝ったことがある馬に重い斤量が課せられるという条件でした。タイキブリザードはその年の安田記念を勝っていたので,その条件に当て嵌まるとされ,その斤量で出走すると発表されたのですが,陣営が安田記念は1600メートルで,厳密には1マイルより短いからこれはおかしいと主催者に主張したところ,この訴えが認められて,最初に発表された斤量より軽い斤量で走ることができたのです。
 距離だけではありません。斤量の方もアメリカ競馬ではキログラムではなくポンドが単位。ピーターパンステークスで日本の2頭が背負ったのは116ポンドでした。
 それぞれの国にはそれぞれの文化があります。ですから国内でそうした単位を用いることは別に構わないでしょう。しかし競馬はいまや国際的スポーツ。ならばやはり距離はメートル,斤量はキログラムで示すべきだろうと僕は思います。競馬の世界でもMKS単位が早く国際基準になってほしいと思っています。

 明日は浦和でさきたま杯。ここはJRA4頭の争いになりそう。メイショウバトラー◎,コンゴウリキシオー○,リミットレスビッド▲,アグネスジェダイ△。

 物体が運動する場合にはその物体はある位置にはないという主張は,文章そのものがおかしいと感じられるかもしれません。しかし必ずしもそんなことはないということを,きわめて一般的な視点から先に説明しておきます。
 問題は,このある位置というのが,どのような位置であるのかという点にあります。そしてここでの考察においては,これはゼノンの主張の方から生じてくるわけです。つまり,ゼノンが物体が運動すれば今運動するのだと主張するとき,これは物体は運動する場合にはある位置で運動するのであると置き換えることが可能であって,このある位置というのが問題となっているのです。よってここでいっているある位置とは,時間と場所との関係でゼノンがそのように主張しなければならない位置,すなわちそれ以上は分割することができないような位置のことを意味します。
 そこでこの位置をAとしましょう。こう考えれば,物体がAにおいて運動しないのは,ある意味では当然であるといえます。なぜなら,物体はAからBに移動するから,運動するといえるわけです。ところがAという位置は,それ以上は分割することができないような位置なのですから,物体がこのAにある限り,その物体がこのAのうちで運動することができないのは当然でしょう。ですから,物体が運動する場合には,その物体はある位置にはないと主張すること自体は,それ自体で不条理であるとはいえないということになるのです。
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大垣記念&ゼノンの主張

2008-05-26 18:54:34 | 競輪
 GⅠ高松宮記念杯前の最後の記念競輪,大垣記念は昨日が決勝(動画)でした。
 前受けとなったのは吉田選手。中団が森田選手で後方から桐山選手。桐山選手の上昇を前に森田選手が前との車間を開けて牽制。これで桐山選手は動くことができず,バックでは森田選手は前の中部勢からも少し離れてしまいました。このまま打鐘となって吉田選手が成り行き先行のような形に。捲ってきたのは桐山選手の方でしたが,十分に引き付けてから山田選手が番手から発進。桐山選手も一杯になったのでそのまま山田選手の優勝。2着もマークの島野選手で,後閑選手の牽制によって桐山選手からは離れましたが,立て直して外を捲り追い込んだ海老根選手が3着でした。
 優勝した岐阜の山田裕仁選手は昨年8月の松戸記念以来の記念競輪制覇。ここは望外の展開で,かなり楽なレースだったでしょう。本来は前の吉田選手と後ろの島野選手が同じ愛知ですので,3番手でもおかしくないところですが,実績,あるいは地元の大垣であったことを考えれば,この並びが自然だったようにも思います。
 理解に苦しむのは森田選手の走行。桐山選手より吉田選手の方が力も上ですから,マークするべきは吉田選手の方であった筈。おかしな運行でレースそのものを壊してしまった印象です。

 第三の逆説の論理構成の崩壊は,主に第二の論点に関係します。しかしこれについて詳しく分析していく前に,ゼノンがこのような主張を立てた理由について,僕の考えを少し説明しておきます。
 ゼノンの本来の目的は,物体が運動するということ自体を否定することにあったわけです。したがって,この立場から考えますと,第二の観点は矛盾を示すどころか,むしろ運動の否定に役立つような観点なのだろうと思います。というよりも,この観点を導入しなければ,ゼノンは矢が運動しないということ,ひいては物体が一般的に運動をしないということを,首尾よく説明することができなかっただろうと思います。僕は第三の観点と第四の観点は,一般的な公理の観点から成立すると考えますが,ゼノンにとっては,おそらく第二のものもそれと同様であると考えられたのだろうと思います。実際,これを否定するためには,運動する物体はそれがある位置にはないといわなければならないのですが,ある位置にない物体は,運動どころか,実在することさえ不可能であるように思われるからです。
 したがって,僕はあくまでも第二の観点には矛盾が含まれると考え,この観点から考察を進めていきますが,もしもゼノンの立場にたつならば,ある位置にない物体が実在的であり得るのかどうか,,あるいは現実的に存在することができるのかどうかという主旨の疑問を立てることがまだ可能です。いい替えれば,第三の逆説の論理構成が崩壊したからといって,このことが直ちに,運動している矢は静止しているという主張,すなわち,物体なるものは一般的な意味で運動をしないという主張そのものを覆したということにはならないのだろうと思うのです。
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オークス&論理構成の崩壊

2008-05-25 19:06:20 | 中央競馬
 牝馬クラシック2冠目となる第69回オークス
 注文をつける形でエアパスカルの逃げ。ブラックエンブレムとカレイジャスミンが追い掛け,最初の正面では逃げるような態勢であったハートオブクィーンは4番手まで控えました。最初の1000メートルは61秒4。純粋なミドルペースになりました。
 向正面に入る辺りではわりと縦長であった馬群も3コーナー過ぎからはぐっと凝縮。直線ではこれがさらに横に広がって密集,激しい攻防となりました。この争いから抜け出したのは内のトールポピーと外のエフティマイア。最後は体が離れての競り合いとなりましたが,おそらく先に抜け出していたトールポピーが凌いで優勝。エフティマイアが桜花賞に続いての2着で,勝ち馬の後を縫うように追ってきた桜花賞馬のレジネッタがやや離れての3着。
 優勝したトールポピーは昨年暮れの阪神ジュベナイルフィリーズ以来の勝利で大レース2勝目。オーストラリア英語でVIPの意味をもつ名前で,父はジャングルポケット。池添謙一騎手,角居勝彦調教師共にそれ以来の大レース制覇で,オークスは池添騎手は初制覇,角居調教師は2005年のシーザリオ以来の2度目の優勝。阪神ジュベナイルフィリーズは素晴らしい時計での勝利。桜花賞は8着でしたが,おそらく当時は体調面が芳しくなかったのでしょう。短期間ではありますが,今日は復調していたのだろうと思います。
 エフティマイア,レジネッタは桜花賞に続いての好走。どうやら勝ち馬を含めたこの3頭が,この路線では上位の力をもっていると考えてよさそうです。
 最後の直線で,勝ったトールポピーはかなり内に切れ込み,後続の馬にだいぶ迷惑をかけました。降着処分を課せられても致し方ないような内容であったと思います。とくに気の毒だったのはオディールで,一旦は完全に控えてから再び追い出して5着まで来ました。不利がなければ着順は明らかに入れ替わっていたのではないかと思われます。

 このような論理的帰結がもたらされるとすれば,実はゼノンによる第三の逆説の論理構成が,部分的には崩壊していることになると僕は考えます。
 なぜなら,物体が運動しているか静止しているかのどちらかであり,そのうち静止しているということが,物体がある位置にあるという意味であるなら,運動するとは物体がある位置にはないということを意味します。
 次に,ゼノンは運動する物体は今運動するのであるといいますが,この第二のものは,物体はここで,すなわちある位置で運動するというのと同じ意味をもっています。このことは,ここでいわれている今というのがそれ以上は分割することができない時間,すなわち瞬間でなければならず,この観点から時間と場所との関係を考察すると,この場所がそれ以上は分割することができないような場所,場所は延長の様態の全体の一部ですから,すなわちそれ以上は分割することができないような地点,つまりアトムを意味するということからすでに明らかになっているのです。
 したがってこの全体を分析すれば,第一のものと第四のものでゼノンは,物体が運動するということは物体がある位置にはないと主張しておきながら,第二のものにおいては,物体はそれがある位置において運動するということを主張していることになるからです。したがって,ここでは,スピノザの哲学では第一のものと第四のものは受け入れられるという前提で考えますので,第二のものは矛盾を秘めているということになると思います。
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ダイナアクトレス&論理的帰結

2008-05-24 19:07:38 | 名馬
 中山グランドジャンプを勝ったマルカラスカル。父はグラスワンダーですが,母系の方に目を転じますと,祖母にダイナアクトレスの名前が見えます。大レースは勝てなかったのですが,この馬も名馬の1頭です。社台の馬ですが,女優の南田洋子さんが一口持っていたので,アクトレスと名付けられたと記憶しています。
 メジロラモーヌと同世代ですので,やはり僕は最初の頃のレースは見ていません。デビューは2歳の8月で,新馬,オープン,函館3歳ステークスまで3連勝で重賞制覇。桜花賞には間に合わず,オークスに出走しましたがメジロラモーヌの3着。ここから1年の休養。
 4歳春は3戦して勝てず。秋から岡部幸雄騎手に替わって本格化。京王杯オータムハンデ,毎日王冠と重賞を連勝。天皇賞は馬場が悪くなり8着に敗れましたが,続くジャパンカップは後方から追込み3着。日本馬では最先着を果しました。有馬記念はそれまでより前で競馬をして7着。戦法が変わったこともあるでしょうが,基本的には距離が長かったものと思います。ちなみにこの有馬記念は,その年のダービー馬メリーナイスが落馬し,皐月賞と菊花賞を勝ったサクラスターオーが競走を中止するという,波乱に満ちた有名なレースです。この年,最優秀4歳以上牝馬に選出されました。
 翌年は中山競馬場が改修中で,皐月賞が東京で争われた年。当時は安田記念ヘ向う前哨戦のひとつであったスプリンターズステークスも東京で行われ,これを勝つと京王杯スプリングカップも勝利。しかし安田記念はこの馬の宿敵であったニッポーテイオーの2着。秋は毎日王冠と天皇賞を2戦するも,5着,4着と勝てず,これで引退。この年も最優秀4歳以上牝馬に選出されています。
 この馬が走っていた当時は,エリザベス女王杯は3歳牝馬限定,またヴィクトリアマイルは創設前。古馬になって本格化したこの馬にとって,大レースを勝つためには牡馬を相手にする必要があり,大レースを勝てなかった一因にはそれが大きかったと思います。もしもヴィクトリアマイルがあれば,間違いなく勝てていたのではないでしょうか。

 明日はそのダイナアクトレスも出走したオークス。これは難しそうなのでリトルアマポーラ◎,ソーマジック○,レッドアゲート▲の3頭で。

 また,大垣記念の決勝もあります。関東が別れての並びで,森田には長塚-後閑で,桐山-海老根の南関東に兵藤。中部は吉田-山田-島野。長塚選手を狙ってみたいという気がします。

 このように運動と位置の関係を考えた場合,どんな論理的帰結が得られるのでしょうか。
 まず,現実的に存在する物体は,運動しているか静止しているかのどちらかです。このことはスピノザもゼノンも受け入れなければなりません。ところでこのとき,物体が静止しているということは,その物体がある位置にあるということを意味します。このことはゼノンは受け入れなければならないことですし,また,スピノザはおそらく受け入れることを拒まないであろうと思います。
 次に,これはすでに第二部自然学①公理一の意味で示したことですが,現実的に存在する物体が運動しているか静止しているかのどちらかであるということは,すでにその中に,運動している物体は静止していないし,静止している物体は運動していないということ,つまり運動と静止は異なるということを含んでいなければなりません。スピノザはこれを認めるでしょう。ゼノンはそもそも物体が運動するということを否定しようとするわけですから,このことばの意味のままにこれを受け入れることはできないかもしれませんが,少なくとも否定はできないと思います。
 よってこのことから出てくることは,静止している物体がある位置にあるというのなら,運動している物体はある位置にはないということでなければならないのです。よって問題は,ある位置にはない物体が現実的に実在するということが可能であるのかどうかということになります。ゼノンの立場に近づける仕方でいい換えればこのように示される問題が,現実的に実在する物体が運動するということがあるのかどうかという問題になってくるのです。
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麋城賞&運動と位置

2008-05-23 18:38:47 | 競輪
 大垣記念の2日目優秀(動画)の麋城賞。麋城は「びじょう」と読み,大垣城の別名だそうです。
 Sは前田選手が取って迎え入れられた紫原選手の前受け。笠松選手が3番手,平原選手が4番手。周回中は競りはなく,4番手に山口選手,5番手に長塚選手で,広川選手が最後尾。しかし笠松選手が下げ,平原選手以下の番手がひとつずつ上がって,笠松選手が最後尾に。
 残り2周から笠松選手が上昇。長塚選手に蓋をするような形に。これはあるいは同じ中部の山口選手の援護だったでしょうか。長塚選手は外に出せないので,山口選手の内まで上がって競ることになりました。
 打鐘を過ぎて平原選手がようやく発進。ところがホームに入ったところで山口選手が落車。乗り上げて笠松選手も落車しました。平原選手の番手は難なく長塚選手。前で待っていた紫原選手が3番手に入り,前田選手も続いて小橋選手は5番手に。結局この態勢が変わることなくゴール。1着は平原選手で,2着に長塚選手,3着が紫原選手でした。
 先行1車ということで落ち着いて発進し,その後もペース駆けに持ち込んだ平原選手の快勝。平原選手の力をもってすればかなり楽なレースであったことでしょう。

 『デカルトの哲学原理』において,スピノザがゼノンの逆説,とくに第三の逆説に反論するとき,その方法はアトムの実在を否定する方法と別に,もうひとつあるのです。これは簡単にいうと,運動する物体とその位置に関する反証です。アトムの実在を否定する方の反論は,スピノザ自身の哲学に照らし合わせて考えてみた場合には,必ずしも有効であるとはいえない面があるという結論ですので,今度はこの運動と位置の関係の反論の方を詳しくみていくということにします。
           
 僕の考えではこの方法というのは,ゼノンによる第三の逆説の論理構成を,部分的に逆転させるような観点からなされています。まずこの論理構成のうち,第一のものは第二部自然学①公理一と同じなのですからこれを認めます。すなわち,物体は運動しているか静止しているかのどちらかです。次に,第四のものについて,これを一般的な公理の観点から認めることにします。したがって,物体がある位置にあるなら,その物体はその位置で静止しているということになるでしょう。
 ところで,この第四のものというのは,その主語と述語の順序を入れ替えたとしても,同様に成立しなければなりません。よって,この第四のものは,もしもある物体が静止しているならば,その物体はある位置にあるということを含意しているということになります。このように置き換えることについては,おそらく何の問題もないと思います。
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グローバルタッグリーグ最終戦③&アトムによる論証

2008-05-22 22:49:13 | NOAH
 グローバルタッグリーグ'08。公式戦最後の試合となったのは,三沢・小川組とスミス・斉藤組の試合でした。三沢組は広島大会で佐々木組を降した後,秋山組には負けたものの,その他はすべて勝利して勝ち点9。一方のスミス組は勝ち点8。森嶋組が勝ち点を伸ばせず,丸藤組が勝ち点9,秋山組も9点止まりでしたので,この試合に勝った方が優勝という分かりやすい試合になりました。時間切れなら三沢組の優勝。もしも両軍リングアウト等になった場合は,丸藤組,秋山組,三沢組で優勝決定戦という状況。つまり,三沢組はこの試合は時間切れでもよく,スミス組は勝たなければならなかったわけで,この試合はそうした状況が,両チームの戦い方を分け,あるいは結果にも影響を与えたかもしれません。
 チームのキャリアということになれば,三沢選手と小川選手は全日本時代から組んでいるのでもう10年。多彩な連係を繰り出し,斉藤選手を孤立させ,優位に進めました。ただ,やはり絶対に勝たなくてもよいという状況が,少し甘さを出したかもしれません。小川選手が雪崩式バックドロップを狙ったところでスミス選手がアイアンクロースラムでカットし,形勢逆転。バイソンデニエルで三沢選手をダウンさせ,最後はスイクルデス3連発で斉藤選手が小川選手をフォール。見事に逆転優勝を決めました。最後,あまりかっこいい決め方ではなかったのですが,その部分にむしろ勝たなければならない状況がそうさせた執念のようなものを感じました。
 優勝したスミス組はGHCタッグへの挑戦権を獲得。前回は敗れましたが,あのときはスミス選手の状態も十分ではありませんでしたから,今度が本当の戦いでしょう。すでに新シリーズは始まっていて,これは明日の新潟大会で行われます。
 三賞もありまして,殊勲賞が秋山・力皇組。敢闘賞は佐々木・中嶋組。技能賞にはRO&Dがそれぞれ選出されています。

 明日は大垣記念の2日目優秀の麋城賞。関東が揃って平原-長塚-小橋-金子。山口はこの番手で競り。紫原に前田。笠松,広川はそれぞれ単騎。これは先行1車で平原選手。

 このように『エチカ』には,ひとつは最も単純な個物というのはそれ以上は分割できない個物であり,したがって物体は延長の個物ですから,最も単純な物体というのはそれ以上は分割することができないような物体なのではないかと考えることによって,また,各々の事物の精神の機能の相違の根拠というのは,それら各々の事物の身体の相違に求めることができるのですが,それを量の観点から把握しようとする限り,やはり同様にそれ以上は分割することができない個物,ひいてはそれ以上は分割することができないような物体があるといい得るような要素があることになります。もちろんこれは,一面的な考え方であって,これを同様に『エチカ』に訴えることによって,逆の結論,すなわち,それ以上は分割することができないような個物というものはないというように結論することが不可能であるとは僕は考えません。ただ,ここではそのような要素があるということを,やはり重要視せざるを得ないのではないかと思います。
 したがって,第三の逆説というのは,確かにアトム,すなわちそれ以上は分割することができないような物体というのを想定していなければ成立していないというのは確かなことですが,スピノザの哲学に訴えて,この方法によって第三の逆説に反論することは,必ずしも成立しないのではないかとここでは結論しておきます。よって第三の逆説,あるいはゼノンの逆説全体に対するスピノザ哲学からの反証は,もっと別の方法によってなされなければならないのではないかと思います。
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グローバルタッグリーグ最終戦②&量の観点

2008-05-21 21:22:47 | NOAH
 NOAHの4月27日の日本武道館大会。丸藤組が森嶋組を降した試合の後に行われたのは,秋山組と佐々木組の試合でした。秋山組は広島大会で丸藤組に勝った後,三沢組にも勝ってこの時点での勝ち点が9。勝てば最低でも優勝決定戦には進出できる状況。一方の佐々木組はこの時点での勝ち点が6なので,優勝の望みは消えていました。
 こうなるとどうしても勝っておきたいのは秋山組。この試合は開始直後からかなり激しい展開となりましたが,内容よりも勝利が重要な秋山組は,なりふり構わず中嶋選手を集中攻撃。どうしてもこのメンバーでは中嶋選手の力が劣りますから,勝利という目的のためにはこれはセオリー通りといえるでしょう。
 しかしこの試合は集中攻撃にさらされた中嶋選手の踏ん張りが光る試合となりました。佐々木選手との連係の鬼嫁殺しで秋山選手を場外にダウンさせると,孤立した力皇選手に集中攻撃。最後は佐々木選手がラリアットから鬼嫁殺し。再度のラリアットからノーザンライトボムを決めて力皇選手をフォール。優勝の可能性が消えていた佐々木組ですが,最後に意地を見せるという形になりました。
 この結果,秋山組は丸藤組と並んでの9点どまり。完全に可能性が消えたというわけではないのですが,優勝の行方はほぼ最後の試合の結果に委ねられることになりました。

 明日からは大垣記念です。平原選手が中心になりそうです。

 各々の精神の機能の相違は各々の身体の相違に関係するわけですが,これを量的観点から計るのか,それとも質的観点から計るべきなのかということは,正直なところ僕には分かりません。ただ普通に考えるなら,これはやはり両方の観点が共に影響しているとみるのが自然なんではないかという気はします。しかし,もしも量的な観点というのが,この精神の機能の相違について何らかの関係を有しているとするなら,次のような疑問を呈示することはできると思います。再び,人間の精神と馬の精神の場合で考えてみましょう。
 人間の精神が馬の精神よりも総合的に有能であるということに,人間の身体を構成する個物の数と馬の身体を構成する個物の数が何らかの関係を有しているとするなら,人間の身体を組織する個物の数は,馬の身体を構成する個物の数より多いということを意味します。そこで人間の身体というひとつの物体は,第二部定義七によりいくつかの個物から構成され,それらの個物もまたいくつかの個物によって形成され,またそうした個物も同様でしょうが,このことは無際限には続きません。なぜなら,もしもこれが無際限に続くなら,馬の身体の場合にも無際限に続くことになりますから,結果的に,人間の身体を構成する個物の数が馬の身体を組織する個物よりも多いとはいえなくなるからです。一方の無際限が他方の無際限より量が多いということはあり得ないからです。
 よって,一般的に精神の機能の差異が,身体を構成する個物の量に関係するなら,どこかで最も単純な個物,すなわちもうそれ以上はほかの個物に分割できない個物があると結論しなければならないと思うのです。そしてそうした個物は,それ以上は分割することができない物体,すなわちアトムであるといい得るように思えます。
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宇都宮記念&質的側面

2008-05-20 22:11:24 | 競輪
 先週は競輪は全日本プロ選手権という競技会があったためにグレードレースはお休み。そこで佐藤友和選手と伏見選手が負傷,また山崎選手も欠場となったため,予定されていたメンバーからは少し小粒になってしまったのが今回の宇都宮記念。今日が決勝(動画)でした。
 小野選手がSを取って岡部選手の前受け。武田選手が3番手,小嶋選手が6番手で,この後ろはコメントの通りに初手から競り。南選手が最後尾で周回。
 残り2周から小嶋選手が上昇。武田選手を封じ込める位置まで上がって打鐘。ようやく小嶋選手が岡部選手を叩いて前に出ると武田選手が発進。小嶋選手の番手は北野選手が取りました。ホームから小嶋選手も突っ張って先行争い。一旦は武田選手が叩きましたが,インから小嶋選手が巻き返し,小嶋選手の突っ張り先行に。3番手の浜口選手は離れ,手島選手がこちらにスイッチ。しかし脚を溜めていた岡部選手が大外を捲っていくと,妨害もなくすんなり出て,直線で前をすべて捕えて優勝。4コーナーで手島選手と武田選手の間を割るように直線中央を伸びた地元の神山選手が2着。3着は結果的に神山選手マークという形から内目を伸びた浜口選手でした。
 優勝した福島の岡部芳幸選手は,昨年は平塚の北京五輪日本選手応援競輪でGⅢを優勝していますが,記念競輪は一昨年の名古屋記念以来。捲り一辺倒ですので展開に左右されるタイプの選手。ただ力は確かなので,大きな着順を取るケースはあまりなく,現在もS級S班。そういう意味では今日は小嶋選手と武田選手という強い選手同士が叩き合い,展開に恵まれました。

 人間の精神と馬の精神の機能の相違の根拠は,もうひとつ,質的側面からも考えることが可能であると思います。これは単純にいえば,人間の精神が馬の精神よりも総合的には有能であるのは,人間の身体が馬の身体よりもより多くのことをなし得るからなのですが,その根拠は,人間の身体を構成する個物の量と馬の身体を構成する個物の量にはさほどの相違はないのだけれども,人間の身体を構成する個物は,やはり総合的な観点からみた場合には,馬の身体を組織する個物よりも,より多くのことをなし得る,別のいい方をすれば,人間の身体を構成する個物は,総体的にみて,馬の身体を構成する個物と比較して,外部の物体に影響を与え,また外部の物体から影響を与えられるのにそれだけ適していると考える方法です。したがってこの場合は,人間の身体が馬の身体よりも,総合的には複雑であるということの意味は,人間の身体を構成する各部分は,馬の身体を構成する各部分と比較した場合に,それら部分のなし得ることは,人間の身体を構成する各部分の方が,総合的には多いということになります。
 実際,たとえばAとBが,同じ量の部分から構成されていると考えた場合に,Aを組織する各々の部分の方が,Bを組織する各々の部分よりもより多くのことをなし得るならば,このことによってAはBよりも複雑であるといい得るだろうと思います。したがって人間の精神と馬の精神,またひいては一般的にすべての精神について,その機能の相違を,このような質的側面に求めることもやはり可能であると思います。
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シンガポール航空国際カップ&相違の根拠

2008-05-19 19:53:20 | 海外競馬
 コスモバルクが3年連続で出走することになったシンガポール航空国際カップGⅠ(動画=Race8)。今年は昨日争われました。
 コスモバルクは出遅れ。レースは地元のChevronが逃げたのですがこれが大逃げ。2番手以降は一塊という態勢で,コスモバルクは後方5・6番手あたりのイン。切れ味に勝るというタイプではないだけに,やや苦しい位置取りとなってしまいました。
 直線に入るところではChevronのリードもだいぶ縮まり,外へ持ち出す馬も多く,一気に馬群が横に広がる形に。コスモバルクはそのままインを回ったので,ここで順位は一気に上がりました。直線もそのまま内から伸び,最後は2・3番手から抜け出したJat Pegの2着争いの一団までは加わってきたものの6着まで。展望に示したように,もう少し前でJay Pegをマークできるような位置取りであれば,違ったレースができたと思われ,またこの馬は並んで強いタイプでもありますので,出遅れが少し残念でした。

 明日は宇都宮記念の決勝です。並びですが,岡部には小野。武田-神山-手島の関東。中部は小嶋の後ろを北野と浜口の両者が主張。南は単騎。これだと関東勢が有利そうです。

 こうしたことを基にして,人間の精神と馬の精神の機能の相違の根拠を考えてみます。これは結局のところ,人間の身体と馬の身体の相違に還元することができるわけですが,このとき,これを量的な側面と,質的な側面という,ふたつの側面から考えることができるように思えるのです。
 もしもこれが量的な側面から考えられるとしたら,これは,人間の精神が馬の精神に対して,総合的な観点からはより有能であるといえることの根拠は,人間の身体を構成する個物の量が,馬の身体を構成する個物の量よりもより多いからであるということになると思います。もちろんこれは,馬の身体を構成する個物のすべてを人間の精神が含んでいるということを意味するわけではありません。実際,馬の身体にはなし得て,人間の身体にはなし得ないこと,同じように馬の精神にはなし得るが人間の精神にはなし得ないことがあるからです。しかし単純にその数を比較すれば,人間の身体を構成する個物の方が多いというのがこの考え方です。したがってこの場合,人間の身体が複雑であるということの意味は,それだけ多くの個物によって組織されているという意味になります。確かに,単純に考えても,もしもAを組織する個体の数が,Bを組織する個体の数より多いのであれば,一般的な意味からしても,総合的にはAの方がBよりも複雑であるといい得る筈で,各々の精神の機能の相違の根拠を,それらの身体を構成する個物の量から判断することは可能であるといえると思います。
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ヴィクトリアマイル&機能の相違

2008-05-18 19:04:12 | 中央競馬
 春の古馬牝馬王者決定戦の第3回ヴィクトリアマイル。ここのところ週末は天候に恵まれない傾向がありましたが,今日はよい天気になりました。
 ピンクカメオが逃げました。あるいはハナかと予想していたヤマニンメルベイユが外の2番手で,3番手にニシノマナムスメ。前半の800メートルは47秒9。これは極度のスローペースで一塊の競馬。遅くなるとは思っていましたが,ここまでとは思いませんでした。
 直線,コースロスなく内を回ったブルーメンブラットがまず抜け出し,これを外からエイジアンウインズ,さらに外からウオッカが追ってきて,この3頭の争いに。真中のエイジアンウインズが抜けて優勝。2着はきわどくなりましたが,外のウオッカがブルーメンブラットを捕えていました。
 優勝したエイジアンウインズは昨秋から芝に使い出すと素質が開花。前走の阪神牝馬ステークスで重賞制覇を達成,一気に大レース制覇まで成し遂げました。距離には限界がありそうですが,まだ上昇の余地も見込めそうです。父はフジキセキ。鞍上の藤田伸二騎手は昨年暮れの全日本2歳優駿以来の大レース優勝。藤原英昭調教師はこれが初の大レース優勝です。
 本来なら1分32秒台で決着すべきところ1分33秒7。ペースがあまりに遅かったためですが,全体的には凡戦という印象。ウオッカはかなり待ってから追い出したのに届かずというレースで,個人的には消化不良という印象もあります。ベッラレイアともども,少し細かったという感じは受けました。

 スピノザの哲学では,各々の精神の機能の相違というのは,各々の身体の機能の相違と平行的な関係にあることになります。僕は形相的なXと客観的なX,すなわちXの観念が合一している観点からみられるとき,形相的なXをXの身体とみなします。一方,第一部定義六が示していることは,形相的な属性は無限に多くあるということですから,Xの身体というのは,必ずしも物体であるとは限りません。しかしここでは,物体であるような身体とその精神の機能の相違というのを,具体的に考えてみます。
 そこで今,人間の精神と馬の精神というのを比較してみることにしましょう。このとき,もしもそれらを総合的な観点からみるならば,人間の精神の方がより多くのことをなし得るということについては,異存がないものと思います。もちろんこれは,馬の精神がなし得ることを,人間の精神はことごとくなし得るということを意味するわけではありません。これはちょうど,馬の身体にはなし得るが,人間の身体にはなし得ないこともあるというのと同様で,たとえば馬の視野は人間の視野と比べれば相当に広く,そうしたことに関係するような観念だけを考えるなら,むしろ馬の精神は人間の精神よりもより多くのことをなし得ているということになるでしょう。しかしもしももっと総合的にみた場合には,やはり人間の精神の方が馬の精神よりも多くのことをなし得るのであって,これはちょうど,人間の身体の方が馬の身体よりも多くのことをなし得るということと同様の関係にあるということになります。そしてその分だけ人間の精神は馬の精神よりも,総合的には多くの力を有する,つまりそれだけ有能であるということになるかと思います。
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シンガポール航空国際カップ展望&精神の機能

2008-05-17 19:17:56 | 海外競馬
 日本時間で明日の夜,シンガポール航空国際カップGⅠが行われます。
 このレースは馬インフルエンザの影響をもろに受け,出走を望んだJRAの馬は,事実上シンガポールへの入国を最初から撥ねつけられる形となってしまいました。ということで出走する日本馬は北海道のコスモバルクだけに。コスモバルクにとっては一昨年が優勝,昨年も2着になっているレースです。
 現状のコスモバルクは,日本では大レースに手が届くというレベルにはありません。このレースで2年続けて好走できているのは,シンガポールの馬場に適性があるからという理由もあるかと思いますが,同時に,日本の大レースほどにはレベルが高くならないからという理由もあるのではないかと思います。自身は3度目の遠征となり,体調管理という面ではそうも心配はないでしょうから,今年も好走できるかは,相手関係が問題となるでしょう。
 最有力と思われるのは,ドバイデューティフリーを勝った南アフリカのJay Peg。当時と同じようなレースをするならば,コスモバルクはこの馬を目標にレースを進めるという形になるのではないでしょうか。もう1頭有力視できるのはクイーンエリザベス2世カップで2着したフランスのBalius。ただし,この馬の2着は展開の綾とも考えられ,この馬にならコスモバルクが先着しても不思議ではないという気もします。

 日本では明日はヴィクトリアマイル。これはウオッカ◎とベッラレイア○の争い。あとはローブデコルテ△,ピンクカメオ△,レインダンス△。

 スピノザがいう精神の特徴とは,それが完全に構造的な側面からいわれているということになります。いい換えればスピノザは,これこれこういうことをなすことができるような思惟の様態が精神であるというように,ある機能的な側面から精神を定義付けることをしないのです。すべてのものが精神を有するというのは,たとえば三角形が精神を有するということを含み,そしてスピノザの哲学においてはそのように理解しなければならないわけですが,スピノザがそのように考えることができた理由,また,スピノザの哲学においてはそのように考えることができる理由というのは,取りも直さず精神というのが機能的な観点からではなく,構造的な観点から示されているからだといえると思います。
 しかし,いかに精神がこのように構造的な側面から説明されているとはいえ,精神には精神に独特の機能があることも事実です。そこで精神の機能について論じているのが第二部定理九系であるということになると思います。この系は神との関係から説明されていますが,一般的にこれをある事物Xの精神と身体との関係に捕えなおしていうならば,これは,Xの身体の中に起こることの観念は,Xの精神のうちにあるという意味になるでしょう。そこで各々の精神の機能は,それら各々のものの身体の中に起こること,あるいは起こり得ることと大きな関係を有しているということになります。
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